「もし、そこな氷精」
厳つく、しかしどこか深みの有る、
いわゆる老人の声が湖面に響いた。
「なによ、そこなお爺さん」
対して、真っ直ぐで、恐れるものなど無いような、
幼い声が木の葉を揺らした。
「尋ねたいのだが、ここらに人里はあったかな」
老人はその厳つい声を、できる限り柔らかくして言った。
「なによあんた。何者?」
氷精は警戒心を露わにした口調で聞き返す。
老人はふむ、と髭をさすった。
「旅人―――と云ったところか」
「旅人?旅なんてして何が面白いのよ」
氷精は続ける。
「どこへ行っても山、川、湖、妖怪だらけ。動き回るだけ疲れるだけじゃない」
カカ、と老人は笑った。
「その通り、疲れるだけじゃよ。
ただ、行く当ても無いと、旅くらいしかする事が無いんじゃよ」
「ふん。変な爺さんね。湖のあっち側に小さい里があるわ。
そこに行くのはお勧めしないけどね」
「何故か?」
「最近妖怪がよくそこを襲うらしいのよ。力の強い奴みたいで、人間も大変ね。
人間なんてどうでも良いけど、私のこと無視してるのはムカつくわ」
好き勝手にあばれやがって、と不機嫌そうに里の方を向く。
「とにかく、そんな所行ったらあんたみたいな爺さん、すぐに食べられてお終いよ」
腕を組んで見下ろすように氷精は言う。
「心配無用。むしろ好都合じゃよ」
老人はまた髭をさする。
「なにさ。食べられたいの?」
「その妖怪を退治すれば、食い扶持ができると思うてな」
「食い扶持? 妖怪食べるの?やっぱり変な爺さんね」
「いやいや。その妖怪を退治して、
その報酬に少々食物を頂戴しようということじゃ」
「できるの?結構強いよ? まぁ私程じゃないけどね」
「なに、わしも腕に自信は有る。これでも昔は名の通った剣士だったんじゃよ」
「ふぅん剣士? 剣持ってないじゃない」
「剣が無くとも、どうとでも成るものよ」
老人の自信は揺らがない。
氷精は納得いかない様子で言う。
「ほんと変な爺さんね。ふん。すきにしたら?」
そんな様子の氷精をみて老人は笑う。
「広い広い庭の番を、長い間わし一人でやっていたからの。
小さな里なら楽なものよ」
「すきにして、食べられちゃえばいいわ」
「案内、かたじけなかった」
老人はそう言うと、湖の岸辺を歩き出した。
氷精は宙に浮き、釈然としない表情のまま、その老人を見送って―――
「―――あっ!!」
突然に、氷の弾丸を老人に放った。
む、と一言漏らし、老人は後ろに下がってそれを回避する。
氷弾は老人の居た地面に列を成して突き立った。
老人の前に立ち塞がるように、氷精が飛び込んだ。
「何をするか」
「あんたこそ、なんて事しようとしてくれるのよ」
何、と老人が氷精の背後を見ると、
氷精の背後の大きな岩の陰に、一抱えの雪が残っていた。
いや、残っているはずは無い。
季節は秋、冬の雪が残るには暑すぎる夏を越えねばならないからだ。
知らず、老人はその上を通ろうとしていた様だった。
「その雪は―――」
「私がここらの冷気集めて、残してるのよ。夏とか、大変だったんだから」
「それは、何故」
「ふふん。いいわ、特別に教えてあげる」
氷精は自慢げに言うと、背後の岩に飛び乗った。
「いい? 私の友達はね、冬にしか出てこれないの」
「ふむ」
「だから、冬の間しか一緒に遊べない。でも、冬は短い。そこで!」
びしりと指を突きつけて言う。
「こうして雪を残して、少しでも早く冬が来るようにするのよ。
雪ってったら冬。いつもより早く、彼女も来てくれるかも知れないじゃない!」
「ほうほう。成る程のう」
「どう? この完璧な理論!」
岩の上で腕を組み誇らしげに胸を張る。
「しかし…暑さはその冷気で何とかなるやも知れんが、
わしの様に其処を踏み荒らしてしまう者や獣が居るやも知れん。
それは如何したのかの? 四六時中、張り付いているわけにもいくまいに」
「だから、四六時中張り付いてたのよ。冷気だって気を抜くと逃げちゃうし」
「なんと…」
「寝るときもこの岩の上よ。まぁ、あんまり遊べないし、ここらは蛙も少ないけど…
ひつようなだいかってやつ?」
どれほど効果が有るやも分からないその理論に、
気の向くまま気の向いたままに動く妖精が、その時間を削るとは。
余程の一途か、莫迦か。
どちらにせよ、それは老人にとって眩しい物であった。
「…なんとも。いや、感服致した」
「ふふん。やっと私の凄さが分かったみたいね」
「お主には勝てぬ。そうか、ここでずっとのう…」
感慨深げに、氷精と、氷精の守る雪の塊を見つめる。
その、氷精の友人が、いつもより一秒でも早く来れば、
この氷精は自らの理論のお陰だと喜ぶだろう。
たとえ早く来ず、遅れてきても、その事など忘れて、
友人との再会を喜ぶのであろう。
「それで、あんたはやっぱりあの村に行くの?」
誉められて、機嫌が良くなった氷精が聞いてくる。
老人はああ、と応えて言う。
「腕に、自信が有るからの。棒切れ一本もあれば打ち倒して見せよう」
「ふぅん」
老人は岩を迂回して、村に向かって歩を進める。
氷精は岩の上に座ってその背中を見ている。
「最後に一つ問わせてくれんか」
唐突に老人が歩を止め、振り返って言う。
「守るとは、どういうことかの?」
半年以上、雪塊を守り続けた氷精は答える。
「今私がやってること。ずっとその傍に居ることよ。当然じゃない」
「そう、当然の事じゃったな。それではな」
老人は再び歩き始める。
眼前に深い森が見える。
これを抜ければ、氷精の言う村がある筈だ。
森の手前、老人は振り返る。
遠くなった湖の岸辺の岩の傍で、氷精が蛙を探していた。
老人は眩しいものを見るかのように目を細めて、言う。
「わしには、それが出来なんだ」
老人は三度、歩き始めた。
(チルノ)=(凄いバカ)≒(凄く可愛い)コレ東方宇宙の真理
そこに気づくとは……中々侮れない人だ。
チルノの口調も違和感無く、とても楽しく読めました。
静かな北風が自分の皺の少ない脳味噌にも染みまする。
美味、美味。
なんの捻りも無い言葉ですが、それゆえに深い言葉でもあり。
そしてもう一つ、爺さんまさにツボ。最後の一言が何とも…。
全体的にどことなく温かくて、こういう作品大好きです。
やはりお馬鹿には勝てませんなぁ……無敵だチルノ(笑)
いや……このバカは決して、ただのバカではないのだと…