「一つ、訊きたいことがあるのだけど」
薄闇が切り裂かれ、白みゆく明け方の空。
問い掛けてきた声を聴きながら晩夏の朝靄に目を細めていると、声の彼女と初めて出会った時の事を思い出すわ。
確かあれは・・・まぁ、ずっと昔の話よ、多分。
忘れたのとは違う。
だって、この景色と彼女の声が、その昔に見聞きしたものと、寸分違わないと感じられる。
そんな風に感じる必要が無い、と言えばそれまで。
だから、それまでなの、彼女と私の関係っていうのは。
「お天気になりそうね」
「良いわね。でも、今頃は雨の一つも降らないと」
「乾燥肌かしら?」
「残念、あなたと違っていつでもぴちぴち」
「あら? あなたが鯉のぼりだったとは知らなかったわね」
「昇天するのはあなたの方じゃない?」
「じゃあ、あなたがカサカサなのね」
「一本足になった覚えはないなぁ」
「それはかさぶた」
「って、カラカサでしょう? なんで剥がされなきゃいけないかなぁ」
どうして今夜、もう昨夜だけど、今ここに彼女みたいなのがいるのか、私はその理由を知らない。
けれど、それはきっと彼女にしても同じ事だと思う。
――こいつ、なんでここに? って。
ここは私の住まいとも、彼女のお屋敷とも違う、どちらからも離れたちっぽけな社。
晴れていく靄の先に、普段、私や彼女の暮らすあたりでは見る事のできない景色が広がってる。
遠い異国の風景を見ているような気分になるけど、こんなに近い外国って無いわね。
そんなどこよりも近い、でも何よりも遠い景観を、私と彼女は石段に腰掛けて、昔からの友達みたいに並んで眺めてる。
彼女の踵まで届きそうな長い黒髪が後ろの石畳に広がってて、それはまるきりぶちまけられた墨汁。
「それ、後ろ髪に引っ張られるわよ」
「初耳ね。この神社、そんなもの飼ってたんだ」
「えい」
「やっぱりアンタか、っていたたた」
「ほら、言わんこっちゃないわね」
「言ってない言ってない」
「言いましたけど」
「言ったけど」
「ほら」
「あれ? まぁいいのよ、髪の毛は」
「書道家に寄進するの? 勿体無いわね」
「そのくらいなら自分で使うわよ」
「宇宙人も筆を使う。省エネの時代ね」
「亡霊は使わないの?」
「箸も無いのよ、実は」
「ああ、極楽浄土。右手が無い亡霊はどうするのかしら」
「左手で成り上がればいいんじゃない?」
「冗談よ。亡霊に手なんてあるわけないわ」
「これこれ」
「あ、それって両方左手なんだと思ってた。勉強になるわね」
「お粗末さまです」
こういうとき。実はあんまり親しくない相手なんだけど、話し始めると止まらないってこと、無いかしら?
うん、私には良くあるんだけど、みんながみんな、そうじゃない、って事は知ってるわ。
だってもし、皆が他人とぺちゃくちゃお喋りしてたら、人間は超音波か幻聴しか聞けなくなっちゃうものね。
よく知りもしない相手と喋って楽しいのは当たり前。人間は、皆同じだから他人とお喋りしないのかもしれないわ。
この場合、私は亡霊で、彼女は犯罪者、じゃなくて宇宙人だもの。
私たちの話が尽きるわけないわね。
「もしかすると、同じ事考えてたりするでしょう?」
「いやいや、私はそんなにお喋りじゃないわ」
「そうじゃなくて」
「いやねぇ、私は犯罪者じゃないわよ」
「誰が犯罪者なのか、訊いてみたい気もするけど・・・やっぱりいいわ」
「それともあなた、いつ亡霊に?」
「私より他に、そうしたい相手がいるのよね?」
「あれ? お天気の話じゃなかったの?」
「生憎と明日は雨。空気の匂いなんて、もうわからないんでしょう?」
「腐葉土くらい見分けがつくわ」
「園芸なんてするの?」
「しない時が九割。させる時が一割」
「私は両方十割だけど、いい加減長いから覚えるわよ」
「そりゃ、お散歩もできないようじゃ、ねぇ」
「うん、暇だったわ」
「だからここに来た」
「そう。退屈を潰す為に」
「あの子一人で足りるのかしら」
「枯れ木も山の賑わい、塵も積もれば山となるわ。
塵は増やしておくに限るの」
「珠は削られるから珠になれる。だからね。
彼女ははじめから、塵でも珠でもない、塵みたいな珠」
「磨耗しないから塵にはならない。
研磨されないから珠にはならない。
尖りも窪みも元々無いけど、平面はなおさら見当たらない」
「あなたは彼女を磨くつもりね?」
「そういうあなたは削るくせに」
「結局、どの最極端でも駄目だったんだものね」
「私と貴方、それより前の紅い子」
「運命は彼女を縛ろうとして、糸がつるりと抜けてしまう。
死の永遠は彼女の枷を外そうとして、軽すぎて流れにも乗らない」
「あなたの生の永遠は彼女の立つ地面を作って、そこに足を着くことも無いまま。
今、彼女は私みたいなのに一番近くなってきてる」
「そう。だから貴方も私も、今ここにいる。境の神社に」
申し合わせたみたいに話して、にっこりと微笑むのよ。
不気味な笑いは殺せないわ。この宇宙人は死なない。
やっぱり狙いは同じだった。あのおめでたい巫女。
寿命で消えるより、うちの客にしたいところね。
宇宙人はどういうつもりかわからないけど、兎も人間もペットだと思ってるのかしら。
「そう、だから私も貴女も。今此処にいる、生死の境に」
「いやはていやさき、どちらにも着かず付かず放れず離れずにいたわね、彼女は。
人間にしては」
「人間の癖に、どうでもいい事を何もしない。
本当にどうでもいい事しかしない。
どうでもいい事しか此処には無いと知っているから、ねぇ」
「どうでもいいのは、貴女の方じゃない?」
「私たちって良く似てると思うの」
「唐突な嫌味だけれど、そっくりそのままお返しかな」
「誰が貴女みたいな売国奴と同一人物なのよ」
「全然違ってるって。
大体、国ぐらい十でも百でも売れば良いわ。
国だって道具なの。人間はそれが判らないから、宝物なんてものを大切にする」
「宝は玉ね。冠が無ければ、ただの命だもの。だから王様は人間じゃなくなるわけよね」
「命ったって道具だわ。耐用年数が決まってるんだし。
冠だけを大事にしていればいいってものじゃないのに」
「冠を磨いて、死後の世界でお持て成し。
身なりがよけりゃ、羽振りも良いわ」
「磨いても磨いても、命から点が無くなったら人間じゃないじゃないの。
頭だけ光ってても無気味なだけ」
「あら、後光って月光と同じでしょ?」
「骸骨と月を同じにしないでよぉ」
「丸いだけでも同じこと。黄泉路は下り坂なの。
その方が都合が良いし、第一楽でしょう?」
「嘘吐き。天高く貫く階に、球体だけで上れる道理は無いわ」
「嘘と思うなら、転がってみる?」
「私が動くのは、転がる時だけよ」
風の音って、時折音楽に聴こえてくるわ。
不思議だなぁと思っていたら、何てことないのよ。
風だって生きてるの。たまには歌いたくもなるってものよねぇ。
だから、今聴こえてくるこの音色は、風の歌う哀歌。
私と彼女の今夜の出会いを歓迎しているのか、それとも忌避してるのかは判らないんだけれど――
「あらまぁ。そこまで言うなら――」
「ええそう。断れないわね――」
「凍れる地獄へ突き落とすわ、白昼の月!」
「月よりも高く蹴り飛ばすよ、極楽の毬!」
- ○ -
そうそう。あの巫女だけど。
あれにしては静かに、この世からもあの世からも去ったわ。
今更考えても詮無いけど――ホントに人間だったのかしらね?
え、神社?
あるわよ。巫女もいる。
やっぱり、人間かどうか怪しいのがね。
- ● -
Look like a human being, but...
But, what is the human?
「…………」(静かに、左右を見渡してる)
「!」(親指を、勢い良く立てている)
「…………」(そっと静かに立ち去ってる)