Coolier - 新生・東方創想話

東方随想集 其の二

2022/01/15 00:09:25
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『「りゅう」の絵』

 応接間に竜の絵を飾りたいとふと思った。もっともこの紅魔館に画家はいない。小悪魔に少し絵の心得があるとは聞いたことがあるが素人画家に客人を迎え入れる場の絵を描かせるわけにもいかない。一応咲夜にもどうにかならないかと頼んでみたが笑ってはぐらかされてしまった。料理の腕と絵の腕は比例しないようだ。
 仕方がないので咲夜にそれなりの額を持たせて使いを頼み、人里の骨董店で探させることとした。竜の絵など都合良くあるとも思えないが。夕刻。咲夜が戻ってくる。何か大きめの、油紙に包まれた平たいものを背に担いでいる。あったのかと尋ねると、ええ、運良く一枚ありました、との返答が返ってきた。まったく期待はしていなかったので珍しいこともあるものだと思った。はやる心を抑えながらテーブルの上に置かれた包みを丁寧に開封する。
「……これは東洋の龍の絵じゃない」
 白雲を突き破り、紺碧の空へとその翠の体躯を差し出す巨大な龍。私が呆れたようにそう呟くと、咲夜はしまった、とでも言いたげなきまずい表情を見せた。まあ、確かに「『りゅう』の絵」としか言わなかったが。申し訳ありません、今すぐ返品してまいります、と頭を下げる咲夜に、良いわ、これはこれで、と返してやった。もうすぐ暗くなるというのに今更手間を掛けさせるのは咲夜にも骨董屋にも悪い。それに先程の答えはあながち強がりでもなかった。
 応接間に飾る絵に描かれるのは赤いドラゴンを想像していた。ウィリアム・ブレイクのあの有名な絵のようなものが似つかわしいと思っていたし、そうでなくとも西洋の竜の絵なのだと私の方は当たり前のように考えていた。もちろんここは紅い洋館であるからそう思うのは何も不思議ではない。だけれでもこうやって龍の絵を飾ってみると存外に調和する。咲夜の不思議な感性も中々のものなのかもしれない。
 咲夜は時折私なら思いつきもしなかったことに気づいたりする。私は長く生きているからなのか良くも悪くも保守的というか、ある意味で頭が固い部分があるのだけれど、咲夜は案外柔軟だ。咲夜が私と居を共にするようになってからどれほど経つのかはもう忘れてしまった。随分と昔のような気もするしごく最近のような気もする。幻想郷の生まれではないことは私も咲夜も同じだけど、私が幻想郷の外でも中でも対外的に由緒正しき吸血鬼として振る舞っている分、私の少し幼い部分を咲夜が見ていてくれるのかもしれない。思えば応接間の絵に赤いドラゴンを選ぶなんて随分と子供っぽい気もする。赤いドラゴンが数百年生きるとすれば緑の龍はおそらく数千年生きるのだろう。咲夜は人間である以上確実に私よりも年下なのだけど、時折私よりもずっと長く生きているのではないかという気になってくる。かと思うと年相応の反応を示したりと、掴みどころがないと言えば言い過ぎだが、折々様々な顔を見せてくれる。その顔は主人にしか見せないもの、敵にしか見せないもの、客人にも見せるものと様々である。変えようとしないのは十六夜咲夜という私が授けた名前だけ。
 私が赤いドラゴンなのだとしたらもしかしたら咲夜は緑の龍なのかもしれない。雲を破り天へと昇る緑の龍。鯉は急流の滝を登り切ると龍に姿を変えるという東洋の故事がある。咲夜も鯉のような時分はあったはずだ。だが私にはどうしても咲夜が幼いときの姿を想像することが出来ない。十年前も百年前もあの姿のように思えてならない。龍となったら鯉であったときのことは思い出せるのだろうか? 時に調子に乗り、時に無力さを味わい、水の中をくるくると回り続ける淡水魚。咲夜はどちらなのだろうか? 私に仕えることになって本当に幸せなのだろうか? 咲夜の本心など分からない。でも私がわがままを言ったときの咲夜のいつも見せてくれる呆れたような微笑に偽りなどないように思えた。おなじ「りゅう」なのだからお互いの気持ちも通ずる部分はあるのかもしれない。
 今度は自分一人で骨董店に通いつめよう。緑の龍の絵の横には赤いドラゴンの絵を飾りたい。そして久しぶりに二人だけで談笑しながらその二枚の絵を眺めたいものだ。





 『足踏み』
 
 この間、久しぶりに地元で開かれた祭りに参加したんじゃ。
 そこまで大層なものではない。由緒正しき神社とは随分と聞こえがいいが、そんなものは博麗神社とて似たようなものじゃ。女子供の足でも五分もあれば端から端まで回り切れてしまう。知り合いの狸仲間は生憎誰も彼も都合が悪く儂一人で回ることになった。
 祭りなんて回ったのはいつ以来かのう。儂の記憶では一回目の東京オリンピックが開催された辺りだと思うんじゃが。だが祭りというのはやはりどの時代もそれほど変わらないもの。非日常へのささやかな埋没と日常への速やかな舞い戻り。わざわざ場所代込みの品物を買って花火でも観ながらのんびり回る。儂が若い頃よりは随分と世間の流れは早くなったものじゃ。だらだらとした一歩も前に進んどらんようにも見える歩みは、案外せかせかと前だけを見て急ぐ者たちの歩幅よりも広いのかもしれん。
 儂はそれほど足が長くないので昔から歩幅を広く保ちつつ歩くのが得意ではなかった。だからといって足踏みをしてみるだけの度胸もこう見えてあまりないんじゃ。周りの景色が一見変わらないように見えるがゆえ足踏みは得てして焦りに繋がる。焦りは脇目も振らない走りに繋がる。脇目も振らない走りはせかせかと前だけを見て急ぐことよりもずっと危ない。しかし人の人生というものは短い。化け狸が悠長に茶でも飲みながらお座敷にちょこんと座っている間に一生懸命足踏みをしている人間の髪は白くなってしまう。随分と難儀なものじゃ。
 だがその白い頭は恥じるものでも何でもない。足踏みをしているだけの余裕がその人生にはあったのじゃろう。もっとも普段はせかせかしとる黒髪の人間とてつかの間の非日常に飛び込めば嫌でも足踏みをせざるを得ない。だからきっと祭りというのが必要なんじゃ。
 儂は昔からあまり祭りに参加しておらんかった。狸仲間を引き連れて飲み歩いたりすることはよくあったがな。儂の中ではそれこそが足踏みだったんじゃ。だが儂も少しだけ年をとった。こうやって一人で祭りの場を歩き回ることもまた足踏みだと気づいた。そしてその足踏みは短くて、ちょっと寂しいものなんじゃ。
 そんなことを考えながら歩いていると自然歩幅も大きくなってくる。パン、パンと打ち上げ花火が破裂するリズムに合わせるように歩いているのに気がつくとわざとその間隔を崩してみたりもする。傍から見ればぎこちない動きに見えるのじゃろう。化け狸の頭領ともあろうものがみっともない姿を見せるのもどうかとはおもうんじゃがの。大きくなった歩幅が乱れ小さくなる。自律化された足の動きに雑音が入るときそれは足踏みに姿を変えるのじゃろう。
 そのときじゃった。太鼓のようなその足踏みの音が次第近くなってゆく。突然儂は人の波中にぽつんと立ち尽くしているような気分になった。
 ああ、そうじゃった。儂はきっと本当は祭りが好きではなかったんじゃ。
 祭りの場から誰もが戻ってこられるわけではない。どこか遠くで、何も語ることなく、こちら側の者を恨むこともなく、ただ儂らを見つめながら、今も足踏みを続けている。儂らはその者の背中を横目で見ていることしかできん。
 あの日やこの日にも儂は足踏みの真似事を続けていたんじゃろうか? そうやって儂はずっと足を踏む音ばかり聞いていたんじゃろうか? おそらく儂には尋ねてみることすら許されん。 
 足踏みをしている者の一人がこちらを眺めた。鬼のような形相で恨み辛みを吐いてくれたなら儂はどんなに楽だったじゃろうに。
 すまんのう、儂は足を踏んで足踏みの真似事をしていい気になっていただけなんじゃ。本当にすまんかった。
 すうと消えた。儂はそこで足を踏むのを一度止めた。人の波はいつのまにやら収まっていた。
 彼方から律儀な祭り囃子の音が聞こえる。その音はもしかしたらずっと続いていくのかもしれん。生まれ生き生を終えるその瞬間まで。
 囃子の調子に合わせるように儂らはただ足を踏み続けるしかないのじゃろうか。そしていずれその足を踏む繰り返しは足踏みへと変わる。そのときには……そのときにはどうなるんじゃろうか? それなりに長いこと生きとる儂にもよく分からん。ただ朧気に分かるのはその足踏みの音がひどく不揃いだということだけなんじゃ。
 囃子の音が乱れ小さくなる。祭りももうそろそろ終いかの。浴衣姿の者共は明日からスーツや制服に着替えるんじゃろう。そして全てが元通り。今度はやはり狸仲間も連れて来たいのう。そう呟く儂の表情はなんとか和らいでいた。
 足を踏む音はとうに近く、足踏みの音はもはや遠い。




『ねこまんま』

 熱い白米に醤油を垂らして鰹節をかける。混ぜる。ねこまんまの完成である。
 貧乏神に憑かれた貧民の擁護者たるねこまんまだが、そのとき私は大変なことに気づいてしまった。大豆は畑で採れる。米は田で採れる。そして鰹は海で採れるのである。
 幻想郷には海はなく、自然、海産物は豪奢な品だ。嫌われ者の貧乏神にすら優しく味方してくれるはずのねこまんまは私をあまりに冷たくひどく裏切って、ブルジョワジーの食卓へと意気揚々と馳せ参じるのである。そのブルジョワジーは身分不相応にわざわざ貧乏飯を食べたがるという実に酔狂で実に不敬な好き者だ。まあ、これが庶民の食べものなのねとでも驚き、抜かしながら、白磁の皿に美しく盛り付けされた貧乏飯を、きっとナイフとフォークで悪戦苦闘しながらお上品に召し上がるのだろう。ふざけるんじゃない。誰もが自分に相応しい場所で自分らしく輝くべきなのだ。
 だから私はねこまんまを食べたことがない。女苑に頼んでみたところ、憐れむような馬鹿にするような、奇妙な顔をされた。
「はあ姉さん、貧乏神のくせしてわざわざ高級貧乏飯を食べたがるなんて随分と趣味が悪いのね。いくら普段の食事が粗末極まるとはいえ流石にちょっとはプライドを持ったほうが良いわ」
 そんなことを言いながらどこからか削り節を持ってきた。曰く命蓮寺の物持ちの良い檀家のお布施をちょっと失敬したとのこと。やはり持つべきものは優秀な妹なのだ。
 炊きあがった銀シャリを欠けた茶碗に盛り付け醤油を垂らして鰹節をかけた。鰹節が湯気に踊る。醤油の塩辛い香りが食欲をそそる。さて、いただきます。
 鰹節が米の温かさと絶妙にマッチし、米の柔らかな甘さに醤油の舌を刺すような強い塩気が良いアクセントとなる。貧乏飯とはこんなに美味しいものだったのか。これが貧乏飯だったら私の普段食べている青草やらなんやらは一体何飯になるのだろうか。じとりと湿った視線を私に送る妹の方を向き、女苑、食べる? と聞いてみる。
「流石にプライドが許さないわ。ペペロンチーノならまだしも。なんか食べてしまったら色々と一線を踏み越えそうで」
 そうかそれなら好きにしろ。お前の分もいただくからな。三杯目に向かうとき、湿った視線は粘りを帯びる。どっちだ、どっちなんだ、はっきりしろ。
 もじもじと恥ずかしそうに、女苑はこう切り出した。
「だって姉さん、私一応こんな格好よ? 姉さんみたいな貧相な身なりならいいけどさ、都会のお洒落な女がねこまんまをおいしーとか言って頬張るなんていくらなんでも、その、ないでしょう?」
 ああ、もう、面倒なやつだ。ねこまんまは待ってはくれないんだ。
 飯を盛り、黙って欠けた茶碗を差し出すと、恐る恐る手にとった。
「姉さんさ、もうちょっと良いお茶碗使ったほうが良いわよ」
 そんなことはどうでも良い。早くしないと冷めてしまう。
 いただきます、と小さく唱え、そして実にお行儀よく、米粒を箸でつまんでいく。口に運んで、おいしい、と実に悔しそうに呟いた。さて、期待通りに進むのか。
「ああ、もう、もういいわ」
 決壊だ。私の可愛い妹は行儀悪く、一気にねこまんまをかき込んだ。随分と豪快な食べっぷりだった。そうだ、それでいい。お前みたいな似非ブルジョワジーはそうするのがお似合いだ。一般庶民の涙ぐましい努力の結晶をくさすのは嫌味極まる上流階級だけで十分だ。そいつらは今頃、寿司なり刺し身なり懐石料理なりに鉛のような舌鼓を打っているのだろう。
 おかわりしているうちに二人してお腹が一杯になった。幸せである。
「姉さんが貧乏神じゃなかったら一生食べる機会なんてなかったわ……」
 女苑はにこりと笑いかけた、姉さんさ、と言葉に出して。
「今度はちょっとお高いお店に行きましょう? 今日のお礼で私のおごりよ」
 ああ、憎らしい妹め。悪趣味な貧乏飯は止められない。今日のねこまんまはかなりのお値段のはずではあるが、きっとはるかに価値がある。今度二人で作るときはわざわざ鰹節など入れなくても良いかもしれないな。




『扉をくぐって』 

 赤の扉。青の扉。緑の扉。
 どの扉も目の前にあり、どれかの扉だけが元いた世界へと続いている。残り二つのうち、一つは幸福なことしか起こらない世界へと、もう一つは不幸なことしか起こらない世界へと続いている。
 不幸なことしか起こらない世界へと迷い込んでしまった人に寄り添うために私がいるのだと思っていた。いや、寄り添うとはおこがましい。私の周りにいる者は誰もが不幸になるのだから。
 どうやって扉を選ぶのだろうか? 好きな色? 1/3の確率に賭ける? それともどの世界に行っても良いように覚悟を決める?
 人はあるとき、おそらく多くの人にとってそれは自分の人生の終わりが見える頃だとは思うけど、自分の人生を振り返ることがあるんだろう。そのとき初めて、自分は赤の扉を選んだつもりだったのに本当は青の扉を選んでいた、とかそもそも何色の扉を選んだのだろうか、といったことを思い浮かべるのかもしれない。
 正解の扉とは多くの人にとっては元いた世界へと続いている扉、不幸な境遇にいる人にとっては幸福なことしか起こらない世界へと続いている扉なのだろう。不幸ばかりの世界へ続く扉が正解だと信じる人には未だ会ったことがない。でももしそんな人がいるとすれば、それはきっとすごく優しい人。優しいからこそ人の痛みを知りたいと願ったのか、それとも優しいからこそ汚い世界を憎んだのか。もしかしたらこの世界は誰かにとっては不幸ばかりの世界なのかもしれない。その人にとってそれが正解なのか不正解なのかは分からない。だけれどもそうであるのならば、不幸ばかりの白く眩しい世界にどす黒い穴を開けるのは私などではなくその人なのかもしれない。そのちっぽけで黒い穴ぼこは周囲の不幸をどんどんと飲み込み始め、ついにはすべてを染めてしまう。その染色は黒とは限らない。だからきっと黒は底抜けに優しくてどこまでも厳しい色なのだ。
ゆえに3つの扉の中には黒い扉というものはきっと存在しない。誰もがその黒い扉こそ不幸なことしか起こらない世界へと続いているものだと信じるだろうし、黒の扉もその誹謗にじっと耐えているのだろうから。でも……本当にそうなのだろうか? 私には白い扉の方がよっぽど不正解への片道通行のように思われた。たとえそれが幸福なことしか起こらない世界へと続いているのだとしても。だから私は黒の扉そのものにもどこか親近感を抱くけど、やっぱりその扉にふさわしい佇立を装うことなどできやしないのだ。私はわざわざ黒い扉をくぐってこの世界にやってきた人を傍らから見守ることで手一杯。その人は扉をくぐる前にどういう世界にいたかなんて決して語ろうとすることはないのだろうけど。
 私はその豊かな沈黙の中にこそその人を見てみたい。見つけ出したい。私にとってはそれは遠目から相手の所作振る舞いと表情を読み取る難しい仕事なんだろう。おそらくは3つの扉から正解の扉を選び出す以上に。だけれどもその観察が功を奏してその人と少なからず通ずることが出来たのなら、そのときは不幸ばかりの世界、いや、幸福ばかりの世界においてすら幸せなのだと無邪気に信じている。そのとき私は物陰から飛び出して少し離れたところから、まだ見ることもなくそしておそらくこれからも見ることのない誰かにようやく寄り添うことができるのだろうか。
 扉のドアノブに手をかけるとき私はきっと目を瞑ったままなのだろう。そして扉をくぐっても、目を開けることはきっとない。
 



 『青春譜』

 人里に薬を売りに来たとき、少年たちが談笑しているのを見た。およそ16、17位。私はつい顔をほころばせる。無論それは大して珍しい光景ではない。
 青春の中にいるとき、誰もがその流れは穏やかな小川のそれであると信じ、下流にまで辿り着いてその流れの実の激しさを知る。時にはその激しさに抗うことで無力さを味わい、時にはその苛烈さに打ち勝つことで姿を大きく変貌させる。いずれにしても、私にはきっと関係のないことだ。遠くを見つめていた。もう少年たちの姿は消えていた。
 人の生はあまりに短く、あまりに速い。生まれ、少年に姿を変え、大人となり、伴侶を得、子供を設け、老い、死んでいく。臨終の日に自らの時を思い返す。長くて儚い、そんなものだ。ため息をつく。数え切れない程の人たちが存在の消失という摂理から目を背けようとした。そしてその足掻きは常に空しい。時に人の道を外れ、禁忌を犯す。数少ない例外は人ならざる者へと身を転ずるのみだ。
 立ち止まっていた。至極簡単なことをわざわざ随分と長く考えていた。いつもならばそんなことはしないはずだった。だけれどもその緩やかな思考は私の中で脈々と渦巻いていた。
 おそらくは数十億年程前のこと。そんな風に昔語りを始める気には流石にならない。だがおそらく私にもあの少年たちとの重なりがあった。遠くにある。理解できないことへの絶望すら消え去るほどに。近くにいる。理解しようとする希望までもが生まれるほどに。その僅かな重なりは膨大な時間のゆらめきの中、呆気なく希釈されてしまった。目を閉じようが意識の表層に上がることはもはやない。だけれども、おそらく私のどこかで息づいている。そしていつかざぶんと浮かび上がるのだろうか。
 私は少年たちが再び現れることをどこかで期待していた。あまりに短いときを無為に貪るあまりに愚かな彼らを。私はそんな彼らを愛おしく思うのだ。そんな無鉄砲さははるか彼方に置いてきてしまったから。そうやって体中に熱を滾らせながら彼らは遠回りに気づくこともなくただただ走り続けるのだ。もはや永久に失われてしまった。私は軽々と最短距離を思考するぐらいしかできないのだから。
 人は最期の時に何を思うのだろうか? もしかしたらそれはあまりに短い青春なのかもしれない。駆け抜けていくあの時代。人ならざるものである自分自身のことは分かっているつもり。きっと私は彼らとは違うはずなのだ。ただ一つわからないことがあるとすれば、それはあの少年たちが味わっており、そして自らも味わったはずの塩辛い濃密さ。
 目を閉じる。有機物質が生を得たとき、海中の生物が地上へと進出したとき、恐竜が跋扈し呆気なく滅びたとき。地球はいつも変わらなかった。変わったのはきっと私の方だ。
 生の歴史の中。青春をどこに位置づけるかなんて分からない。もしかしたらあの少年たちが謳歌している時代かもしれないし、もしかしたら人類の出現を目にしていた時代かもしれない。そこには辛いこともあり、きっと必ず喜びもある。
 最後の日。おそらく誰しもが、脳裏によぎる自ら経験した青春の数頁を味わうのだ。
 最後の日。おそらく私だけが、眼前に現れる傍らで見てきた青春の幻影を懐かしむのだ。
 人はそのときに、甘酸っぱくもほろ苦い初恋の記憶などを思い返すのかもしれない。そして私はそのときに、地球に生きた愚かしくも愛おしい生きものたちの現れ消えゆく幻にお疲れ様ときっと声をかけるのだ。
『「りゅう」の絵』 咲夜って結構天然というか、不思議なところを持っていると思うんですよね。でもそこがとても良い。
『足踏み』 マミゾウ親分って結構胴長短足なイメージがあるんですけどどうなんでしょうか?
『ねこまんま』 こういうノリのエッセイを書かせたら最強なのは髭男爵の山田ルイ53世さんだと思います。現実世界では紫苑さんはどういう食生活になるのだろうか。現実問題炭水化物が多くなりそうだから太りそうです。
『扉をくぐって』 某せっかくだから赤の扉を選ぶクソゲーとは一切関係がありません。
『青春譜』 題名の元ネタは五木寛之さん作詞、信長貴富さん作曲の合唱曲『青春譜』 話の元ネタは星新一さんの『午後の恐竜』です。
植物図鑑
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コメント



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面白かったです
2.100サク_ウマ削除
時折すっごく鋭くなるおとぼけ咲夜さんとっても好きですしろくでなし姉さんとても良いですね。落ち着いた雰囲気が胸にしみました。良かったです。
3.100名前が無い程度の能力削除
しみじみ良かったです
4.90名前が無い程度の能力削除
おもしろかったです
5.100Actadust削除
『「りゅう」の絵』と『ねこまんま』が好きです。少し変わった視点から見た事象について語られていましたが、「あぁ、この人ならこう考えるんだろうな」というのが伝わってきました。
6.100南条削除
面白かったです
りゅうの話とねこまんまの話がよかったです