Coolier - 新生・東方創想話

一人で走れる

2020/10/14 13:16:57
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 「離すな、絶対に離すなよ!」後ろから支えてくれてる霊夢に再三の忠告をする。が、いきなり風景が傾いて、こめかみに衝撃が走り、横っ腹を鈍痛が襲った。「ちくしょう、どんな道理でこんなもので真っ直ぐ走れるってんだ!」
 自転車なるものを蹴っ飛ばし、こんなものを開発したどこのだれとも知らぬ人間に悪態をつき、ついでに再三の忠告にもかかわらず手を離した霊夢に怨みがましい視線を向けたが、霊夢のやつは腹を抑えて笑いこけるのだった。

 今度は霊夢が自転車に乗るのを試みる番になった。横っ腹に客人のように居座る痛みに耐えつつ、サドルの後ろからバランスを支えてやる。
 「離さないでよ、魔理沙」そんなものは見たことないが、生まれたての小鹿のように霊夢の全身が震えている。「ちょっと、聞いてる⁉︎」
 
 その怯えっぷりがおかしくて、迷わず手を離した。自転車はなんとかの法則に従って少しだけ前進したが、段差になってる参道の境にタイヤを取られ、盛大にすっ転んだ。ガシャーン!自転車が地面に叩きつけられる大きな音に、森の方で歌でも歌ってた鳥が空に逃げたり、縁側で昼寝してたあうんが飛び起きたりした。転んだ時に、霊夢は悲鳴ひとつあげなかったが、大きな物音に掻き消されただけかもしれない。

 しばし地面に倒れたまま、霊夢は動かなかった。じっと雲ひとつない空を見上げたまま、日向ぼっこでもしているみたいに。あるいは、動物はどうしたって敵わない相手を前にしたら服従のポーズをとると言うが、霊夢はあれで自転車への服従をアピールしているのかもしれない。
 やがて現実が肉体に追いついたように、霊夢が起き上がった。その間もわたしは笑いっぱなしだったが、やおら舌打ちをして自転車に蹴りを入れる霊夢を見て、静寂が神社に訪れた。

 倒れた自転車をほっぽって、霊夢がこっちに来た。
 「あんなもん、乗れるわけないじゃん」
 「乗るだけなら簡単だぜ」
 「前に進める意味がわからないもん」
 「魔法かなんかの類だと思うか?」
 「それに近いものを感じる」
 また舌打ちをすると、娘が勝手に選んだ婿を見るような目で自転車を一瞥し、金輪際視界に入れたくないと言うような顔で、縁側でノートと睨めっこする河城にとりに向かって行った。
 「やい、この守銭奴」ノートに夢中のにとりの胸ぐらを掴み上げ、霊夢が凄む。「あんな欠陥品の試運転なんて、随分わたし達を舐めたもんね、ええ?」
 「欠陥品だなんて、そんな、いやいや……」
 「あんなので儲けようとするなんて、あんた、商才が枯れたんじゃないの」
 アイデンティティを否定されるようなことを言われたら、さすがのにとりも黙っちゃいなかった。
 「あれは外の世界じゃみんな乗ってるようなメジャーな乗り物なんだぞ」にとりが反論すると、霊夢が振り返り、疑わしげに目をすがめた。「外の人間がみんな乗れてるのに、特別な人間である巫女に乗れないなんてことがあるか!」

 わたしは自転車を抱き起こし、キックスタンドを立てて独立させた。「もっかい乗ってみろ、霊夢」
 で、ムキになった霊夢が意気込んで飛び乗ったのだが、飛び乗った拍子にバランスを崩して顔から自転車ごと倒れ込んでしまった。わたしは霊夢に殺されようが構わないとばかりに爆笑した。
 にとりが肩を貸し、霊夢を助け起こした。
 「空を飛ぶ練習の方がよっぽど簡単だったわ」
 たしかに、と思ってしまった。
 
 「いいか、こうやるんだ」と、にとりはすいすいペダルを漕ぎ、気持ちよさそうに風に吹かれている。「こうだよ、こう!こんなに簡単な乗り物にどうして弄ばれる道理がある?外の世界じゃ猿にも乗れて、その上、乗りながら芸も演れるんだぜ」
 霊夢はとっくに自転車なんかに興味はないという振る舞いをしていたが、おまえは猿以下だと言われた日にはどうしたって見返してやろうと思うのが人間の性である。とどのつまり、わたしも奴の口車に乗り、おまけに自転車にまで乗せられ、何度も転ばされたのだった。
 「くそっ!」地面に叩きつけられるのも慣れたもんだ。「こんなのは人間の乗り物じゃない!」
 「箒に跨ってるやつがなに言ってるんだ!」にとりが檄を飛ばした。
 「いったー!」なんとか風の力を借りて前進した霊夢だったが、方向転換が叶わずに賽銭箱に激突した。「なにが自転車よ、車っていうのは車輪が四つ付いてるもんなんじゃないの!」

 それから数度のチャレンジを経て、ほとほと自転車というものに愛想を尽かしたわたし達は、縁側に座り、自転車の前でなにがいけないのか模索するにとりを眺めながら茶を啜った。あうんは傍でどこでもないどこかを見ていた。
 「ちょっと、あんた」そのあうんの肩を、霊夢が指で突いた。「あれ、乗ってみなさいよ」
 「え、わたしがですか?」
 「やめとけよ。あんなのに乗れるのは手先が器用な河童だけさ」
 と、助け舟を出してやったにもかかわらず、あうんは「いいですけど」と言うのだった。
 「わたしはいいですけど、お二人はいいんですか?」
 わたしと霊夢は顔を見合わせた。
 「ほら、わたしが乗りこなせちゃったら、お二人の立場が……」
 わたし達は絞首台に送り込むつもりであうんをサドルに乗せたのだけれど、彼女はなんとも優雅にペダルを漕ぎ、犬のように境内を駆け回るのだった。

 「空を飛ぶのはこんなに簡単なのに」悔しそうに歯噛みしながら、霊夢が上から見下ろした。
 「もしかしたら、劣ってるのはわたし達の方かもしれないぞ」わたしは現実を認めつつあった。「あれは画期的な乗り物なのかもしれない」
 「あんなの乗れなくたって、別に困らないし」
 「困らなくても、あったら便利なんだ」守銭奴で恥知らずのにとりが口を挟んだ。「行きつけの店への距離が縮まったら楽だろ?」
 「空飛べるし!」霊夢は完全に自分の殻に閉じこもっていた。
 「おまえらは知らないかもしれないけどな」にとりが尊大に笑った。「普通の人間は空なんか飛べないんだ」
 「……」
 「だけど、あれに乗れば、地上にいながら空の風を感じることができる。実を言うと、この自転車はな、おまえらみたいに人目も憚らず空を飛びまくるような連中に憧れた一般人からの依頼で作ったのよ」
 「じゃあ、自転車で儲けたお金はわたしの懐にも入って来なくちゃいけないよね」
 
 金の匂いを嗅ぎつけた霊夢が、目に¥マークを浮かべながら食いつく。が、金の扱いに関しちゃ霊夢なんかより河童の方がよほど得意なのだ。霊夢に関して言えば、どちらかと言えば儲けるより浪費の方が得意だからな。あの手この手で「おまえに儲かる権利はない」と言いくるめられる霊夢を見ても、そう思う。
 
 あうんが自転車でこっちに突っ込んでくるので、茶飲みを置いて身構えなくてはならなかった。
 「いやあ、気持ちよかった!」あうんはほとんどぶつかる直前でブレーキをかけた。「空を飛ぶよりいいかもしれないですよ、運動にもなりそうだし」
 あうんには初めから悪気など無いのだが、霊夢が面白くなさそうにした。わたしとて愉快な気持ちにはなれなかったが、自転車でしか体感できない風というものには惹かれつつあった。


 いいか、こいつは試作品だけど、おまえがどうしても欲しいって言うから仕方な〜く貸してやるんだ。頭の中でにとりの声が反芻する。でも、製品版を作るのに絶対に必要なもんだから、必ず返せよ。絶対に壊すんじゃないぞ!
 がめつい河童としては異例の対応だった。こっちはいつでも財布の紐を緩める覚悟だったと言うのに、まさか無料で貸してくれるだなんて!そこには河童なりの吟醸みたいなものがあったのかもしれない。きっと、完成品以外の商品で金を取るのが許せなかったのだ。
 しかし、とすっかりぶっ壊れた自転車を見るにつけても疑っちまう。こんなにあっさりぶっ壊れるなんて、もしかしたら、初めから修理代やらなんやらでふんだくる予定だったのかもしれないぞ。わたし自身の運転の下手さとか、そういう可能性については考慮しないことにした。悲しくなるから。

 「あと少しで行けそうな気がしたんだけどな〜〜〜〜」
 魔法の森に戻ってから数時間、なんとかバランスを保てるところまでは漕ぎつけ、いざペダルを踏み込もうとしたまさにその瞬間、自転車は機械的な断末魔を挙げ、役目を終えたのだった。
 「だんだんとこいつのことも愛しかけてたんだがな」壁に立てかけられたかつて自転車だったものは、今じゃ見る影もない。土に塗れ、ハンドルはねじ曲がり、パイプの接合部は殺傷力を伴った尖り方をし、チェーンはスパゲティみたいに絡み合いもつれ合いしている。もしこいつが付喪神になったりしたら、きっと寝首をかかれるんだろうな。

 「わたしにはこっちのが性に合うよ」ぶっ壊してから言うのもなんだけど、箒を手に取り、跨る。「にとりに謝りに行かなきゃな」
 何時間かぶりに宙に浮いた感覚は、たしかにサドルに跨ったときと似ていた。まあ、箒に跨る必要なんか、本当はないんだけど。
 「でもな、おまえに初めて乗って空を飛べたときは、本当に嬉しかったんだぞ」
 あのときはどれくらい練習したんだったかな。一朝一夕の試みじゃなかったよな。でもまあ、あれだよ。
 
 自転車に乗る魔法使いってどーよ?
 何度思い出しても笑っちまうぜ、アリス・マーガトロイドの滑稽な姿!みんなアリスの格好については知ってるだろうから今更言うまでもないが、あのふりふりのスカートでペダルを漕ぐ姿と言ったらないぜ。おまけに、自前の人形なんかにも運転させて「こんなの人形で仲介してでも運転できるわよ」だと。ガキかっつーの!
 「くそったれ……」
 
 壊れた自転車を担ぎ、わたしは今まで何度も繰り返してきた方法で空を飛び、まだ神社で霊夢に自転車の乗り方を教えていたにとりに詫びを入れ、懐には金を入れてやった。
 「もう一台作ってくれ」
 わたしが頼むと、にとりは苦虫を噛み潰したような面をした。で、言った。「やだよ」
 「頼む」
 霊夢とあうんが顔を見合わせた。なんでそんなに真剣になってるんだ?という顔で。
 「貸したところで、また壊すに決まってる」にとりは取り合ってくれない。「こんな壊し方は物を大事にしてない奴にしかできない、そんな奴のために作ってやりたくないね」
 至極ごもっとも、と合いの手を入れるのを自重する。
 「見返してやりたいんだ!」わたしは叫んだ。「ちくしょう、どいつもこいつも簡単に乗ってみせやがって……なんでわたしに乗りこなせないんだ!」
 と、にとりがわたしの胸ぐらを掴み、顔を近づける。
 「そんな理由でわたしが働くとでも思ったか、お?」すごい怖い顔で睨まれてしまった。「そんなことがまかり通ると思ってんのか、おい!」
 「風だって感じてみたい、初めて空を飛んだ時の感動を、もう一度味わってみたいんだ!」
 「そうじゃないだろ」
 恐ろしい剣幕で睨み付けてくるにとりの言うことを少しばかり考えてみる。それから、口に出してみた。
 「わ、わかった。さっきの倍払うから」
 「それでいいんだよ!」
 
 にとりから解放されたわたしは、突き放された勢いで地面に尻をついた。霊夢とあうんが心底どうでも良さそうにわたし達のやり取りを眺めていた。それに絆されそうになったわたしは、決心が鈍らないよう、鳥居を包むようにして浮かぶ夕陽に向けて誓った。なんとしてでも自転車に乗れるようになってやる。さもなければ死だ!
 「外の世界の話じゃ、親が子供に自転車の乗り方を教えるのは、よくあることだって言うぜ」誇らしげに夕焼けに照らされながら、にとりは言った。「みんな、そうやって親から学んでいくのさ」
 わたしは尻についた土を払い、立ち上がった。「それはわたしへの当て付けか?」
 「別に。ただ、あの夕陽を見てたら、そんなことを思ったんだ」
 こいつの考えてることがわからん。自転車に一家言でもあんのか?

 境内を涼しい風が吹き抜けてゆく。霊夢が四苦八苦して乗ろうとしていた自転車が、寒さに震えるみたいにガタガタ言った。カラスが夜を引き連れてカーカー鳴き出すので、今日は帰ろうと言うことになった。
 それにしても、ちくしょう。一般人は空を飛べないから自転車を作ってやるだって?
 なかなか河童もやるじゃないか!



 翌日、わたしはいつものように箒に跨って神社まで来た。霊夢は神社のどこにもいなかった。あうんによると、早々に起きて買い物に出かけてしまったらしい。霊夢は練習とか修行とかが大嫌いなのだ。 
 縁側で待たせて貰っていると、にとりが新しい自転車を背負ってやってきた。その顔はニヤリと笑っていた。
 「悪いな」わたしは箒に語りかけた。「今日からはおまえ一人に構ってやれなくなるぜ」
 地面の上に自転車が立つ。わたしは早速練習に励もうとしたのだが、にとりに制されてしまった。
 「なんだよ?」にとりはなにも言わずに親指と人差し指で円を作った。「ああ、はいはい」

 それから猛練習が始まった。独学で掴みつつあったバランスの取り方はとっくに錆び付いていて、サドルの上に座るだけでも一苦労だった。右に転び、左に落っこち、ハンドルはがたがた震えてあらぬ方向に突っ込んではわたしと自転車は負傷した。午前中はそうやって過ごした。
 昼に休憩をとって、勝手に神社の設備を使って飯を作った。満腹になると眠気に襲われたが、箒に語りかけることで意識を保った。
 「まだまだおまえを頼ることになりそうだよ」
 箒はなにも言わないが、あうんがこちらを馬鹿を見るような目で見た。にとりは自転車のメンテナンス以外のすべてに興味がなかった。

 午後もまたバランスを保つ練習に費やした。
 「バランスを制するものは自転車を制するって言うぜ、盟友!」
 にとりの実のあるのかないのかよくわからんアドバイスのおかげで、カラスが鳴く頃にはついに少しだけ真っ直ぐ前進することができた!
 
 「おい、見ろ、見ろ!」午後の練習時間の途中で霊夢も帰ってきていた。「どうだ、あはは!ついに真っ直ぐ走ったぞ、おい、どうだよ、こっち見ろって!」
 前を見ていなかったわたしは木に突っ込み、その勢いで頭をしこたまぶつけてしまった。記憶が飛ぶような痛みが走ったが、誇らしい痛みだった。
 「どうだ、霊夢!」痛みをかき消すようにわたしは叫んだ。「努力も悪いもんじゃないぜ、わたしはここまで来れたんだ!」
 「やったな、魔理沙!」にとりがこっちに駆けてきて、わたしを抱き寄せてくれた。「おまえならやれるって信じてたよ!」
 この感動的なワンシーンを見た霊夢は「アホらし」と一言漏らした。
 「やい、霊夢!自分が真っ直ぐ走れないからって水をさすようなことを言いやがって。悔しかったら乗ってみなよ、このじゃじゃ馬にさ!」

 すると、霊夢は言われた通りに倒れっぱなしの自転車を起こし、サドルに跨った。しめしめ、あいつが転んだり落っこちたりしたら、散々慰めてやろう!
 が、そうはならなかった。霊夢の奴、いつの間に練習したのか、赤子からいきなり大人になったみたいにすいすい走るじゃないか!
 「いままでのあんたの特訓を見て思ったのよ」霊夢のドヤ顔が真っ赤な夕陽に照らされる。「自転車は理屈じゃない、大事なのは直感だってね」
 すると、なんだ。あいつはわたしの特訓してる光景を見ただけで乗り方をマスターしちまったわけ。
 茫然自失のわたしを、にとりがひしと抱き締めてくれた。
 「おまえならすぐにあれくらい乗れるようになるさ。わたしを信じろ、魔理沙」
 にとりの励ましに、不覚にも涙が溢れそうになった。それを隠すために、わたしはにとりの胸に顔を埋めた。霊夢が馬鹿らしいと言わんばかりに自転車を乗り捨てて行ったけど、もしかしたら、本当にわたしは馬鹿なのかもしれない。

 「明日も来るだろ?」夕焼けの中でにとりは言った。
 「もちろんさ、盟友」
 「よし、朝から特訓だ。明日には自転車で行けないところはなくなるくらいになってるだろう」
 「その言葉を信じるぜ」わたしは手に持ってる箒に向き直り、「でも、おまえのことを忘れるわけじゃないんだぜ?」
 わたしはにとりと握手し、それから別れようとしたのだが、その時になって呼び止められた。
 「魔理沙」
 「なんだい?」
 「レッスン料を払え」
 「…………」
 「わたしはおまえの親でもなんでもないんだぞ」

 金を払うと、¥マークの浮かんでいたにとりの顔が、友達に向ける笑顔のそれになった。「それじゃあ、明日も待ってるぜ!」
 わたしは茜色の空の中をふわふわ漂いながら、明日からは一人で練習しようかな、なんて思った。


 翌日は雨だったので、練習は中止になるだろうと思ったが、とりあえず神社には行った。部屋の中で、わたしは霊夢と茶を飲んでいた。なにもすることがない日は霊夢と部屋で茶を飲むに限るぜ。
 で、なんだかんだ霊夢と話しているうちに、冷静になっていった。自転車なんかそんな大層なものじゃない。あんなものに乗れなくても死なない。あんたはいま自転車に乗ることが重要だと思ってるかもしれないけど、大人になってもなんの役にも立たないのよと言われた時には、専門学校に通いたいと親に相談した受験生のような気持ちになった。専門学校がなんなのかは知らない。

 「そりゃあ、空を飛べない人には自転車はいいものかもしれないけど、それなら、やっぱりわたし達には必要ないじゃない?」
 「そうだな」雨の降る音も相まって、どんどん冷静になってゆく。「ちょっと変だったな」
 「うん。本当に変な熱の入りようだった」
 くそ、なにが自転車だ。あんなもんに乗って異変解決に疾駆する自分を想像して失笑する。ただの間抜けだ。

 と、雨の降る音に混ざってガシャン、ガシャンという音が外から聞こえてきた。何事かと思って雨戸をどかすと、びしょ濡れのにとりが自転車を背負ってこっちに向かってくるじゃないか!
 「さあ、練習の時間だ」にとりは自転車を地面に下ろした。「表に出るんだ」
 「だ、だけど……」わたしは空を見上げた。「雨が降ってるぜ」
 「だから?」
 にとりの双眸には、意地でもおまえを自転車に乗らせてやる、という決心が宿っていた。逃げ道はないような気がした。わたしは観念し、表に出たのである。
 「なんなのよ、あんた」後ろで霊夢が震えた声で尋ねた。「あんたのその情熱は、いったい……」
 「言ったろ?」にとり・ザ・グレートティーチャーは片目を閉じ、笑って見せた。「わたしはこいつを完成させて、いろんな人に風を届けたいだけさ」
 
 そんなこと言ったっけ、とにかくわたしはサドルに跨った。昨日の特訓でバランス感覚はお手の物、かと思った矢先に、雨で濡れた参道でつるりと滑ってしまった。ガラガラガッシャン!雷鳴にも似た大きな音が境内に響いたが、わたしの関心は別のところにあった。
 
 思わず息を飲む激痛。転んだ拍子に手首をあらぬ方向に捻ってしまったのだ。息が荒くなり、患部が熱くなってゆく。脂汗をたっぷりかき、雨にどれだけ濡れても立ち上がる気になれなかった。
 「言わんこっちゃない!」霊夢がわたしの手を取ると、鈍い痛みがゆっくりと駆け巡った。「あーあー、大丈夫?」
 わたしにできるのは首を横に振ることだけだった。あまりの激痛に目が潤み、雨に乗じて泣いてしまおうかと思ったほどだった。
 痛みは脳の巡りを早くさせる。それも、痛みが鈍ければ鈍いほどに。鈍痛はわたしを高速で過去へ過去へと追いやり、気が付いたら、幼いわたしが目の前に立っていた。

 幼いわたしは箒に跨り、何度もジャンプしてはお尻を地面に打ち付け、泣いた。空を飛ぶ練習をしているのだ。当時、わたしはまだ魔法を齧ったばかりで、自分の素質にさえ疑問を抱いていなかった。わたしにはなんだってできる……そう思って家を飛び出して、はじめに躓いたのが空を飛ぶことだっけ。
 何度も転んで、怪我をして、それでも、嫌になるなんてことはなかったな。
 でも、と思う。空を飛べないのも、それで怪我をするのも、本当に嫌なことじゃなかった。わたしが本当に嫌だったのは、苦労して、努力をしても、だれにも褒められなかったこと。独学でなにかを学んでいくのは、たしかにすごいことだ。だけど、努力っていうのは、だれかに認められて初めて実るものなんじゃないかって思ったんだ。

 「魔理沙、大丈夫なの?」霊夢に呼ばれ、我に帰る。「もう、やめときなさいよ。怪我までしちゃって……」
 わたしは霊夢の手を振り払った。痛む手首を抑え付け、苦労して立ち上がる。
 「怪我をしたなら、やめておくか?」にとりが心配そうに尋ねてくる。
 「手当てをしてくれ」
 手首を差し出しながら、わたしは答えた。にとりと霊夢が顔を見合わせた。
 苦痛に歪みそうになりながらも、わたしは笑顔を作り上げた。
 「なんなら、治療代を払ってやってもいいぜ」
 にとりは一瞬驚いたように目を見開き、それからニヒルに笑った。
 「馬鹿が相手だと交渉が捗らないから嫌なんだが──」びしょ濡れの帽子のつばを指で摘み、持ち上げた。「──おまえみたいな馬鹿は嫌いじゃないぞ、盟友」
 勝手にしてくれとばかりに霊夢が部屋に消えた。馬鹿には付き合ってられん、わたしは寝る、とばかりに。

 応急手当てのあと、わたし達は雨の神社でひたすら自転車の特訓をした。が、やはりというかなんというか、晴れの日より苦難に満ちていたと思う。
 「いいか、魔理沙」にとりが声を張り上げる。「雨をモノにしろ。自然と一体化するんだ!水の心を理解するのが肝要だぞ!」
 水の心どころかにとりのアドバイスさえ理解できないわたしは、つまずき、スリップし、吹っ飛んだりした。にとりのイライラが募る。自分にできることが他人にできないことに対するイライラだ。しかし、にとりは忘れてる。あいつは河童で、わたしは人間だってことを。

 「くそっ!」水の心について唯一理解できたのは、それはこいつらがわたしの足下を掬うことしか考えてないってことだけだ。「もう服がびしょびしょだ!」
 地面に放り出されたわたしは、仰向けに倒れたまま、どんよりとした空を見上げた。微かに感じる太陽の気配が、あの重たい雨雲を白く染め上げている。
 雨の冷たさはわたしの情熱をそのままに、感性をクールにさせた。あるいは、風邪でも引き始めていたのかもしれない。とにかく、わたしは再び記憶の中へ飛び込み、過去に人生を切り開く鍵を探しに行った。

 幼いわたしが、水の魔法を容易く扱っていた。わたしは火とか星とか派手な魔法を好むのに、素質があったのは水の魔法だったのだ。だから、どれだけ水を扱えても嬉しくなかった。贅沢な奴──はっ!
 「どうした、どうした!」にとりが水を蹴って駆け寄ってくる。「まだまだ精進が足りないぞ!」
 痛む手首で地面を押し、立ち上がった。こんなに単純なことはない、わたしは水の扱いが得意なんじゃないか!
 「にとり!」わたしは奴の目を見据え、「今度はこっちが教えてやるぜ、水の扱い方ってのをな」
 にとりの目が期待に泳いだ。「魔理沙……」
 わたし達は互いに見つめ合った。言葉もなしに。だけど、全てを理解していた。次にサドルに跨った時、それはこの自転車がわたしに服従する時だぜ。ああ、わかるよ。にとりの心の声。なにも言わなくても、いまのおまえは水そのものさ。くそったれ、待ち侘びたぜ。自転車の心の声。いい加減、神社の景色は見飽きていたところなんだ。

 なにも言わなくてもよかったはずなのに、ああ、どうして涙が溢れてくるんだろう⁉︎気付けば、にとりも貰い泣きしていた。
 「おいおい、これが水の扱い方だってのかい?」にとりは笑いながら、わたしの目から溢れる涙の粒を指で拭った。「たしかに、そんな方法は知らなかったな」
 「でも、ほら」わたしは空を指差した。幾つもの光の柱が福音のように地上に伸びていた。「わたしは水を蒸発させる方が得意なんだ」
 雨は止み、虹がかかった。つまり、こういうことだ。時間が経てばいつか雨は止む──こんな単純なことに気が付かなかったなんて!

 わたしはサドルに跨った。ハンドルを握りしめた瞬間に、わたしと自転車の神経──そんなものがあるとすればだが──がリンクしたような気がした。準備はいいかい、お嬢ちゃん?おまえこそ、今度は壊れるなよ。
 いざ、ペダルを踏み込むと、自転車の奴はまるでわたしの手足みたいに自由自在に動いてくれるのだった。
 
 「ひゃっほー!」境内をあっちへ行ったりこっちへ行ったりする。雨上がりの湿っぽい風がこんなに心地いいなんて!「見ろ、にとり!こんなに漕げるようになったぜ。最高じゃないか、自転車め!おい、泣いてないでこっち見ろって、こんちくしょう!」
 わたしは賽銭箱に激突し、もんどり打って地面に倒れた。あらゆる痛みに喜びが勝った。世界のことをまた一つ好きになれた喜びに比べたら、転んだ程度の痛みなんて!
 
 「魔理沙……」
 痛くて立ち上がれないわたしに、にとりが手を差し出してくれる。それを掴もうと手を伸ばしたら、逆に引っ込められてしまった。
 「今日のレッスン料を払え」
 「……」
 「なんてな、冗談だよ」と、わたしの手を掴んで起こしてくれた。「これでようやく完成品の開発に手をつけられる。おまえや霊夢みたいな鈍臭い奴でも乗れるってわかったからな」
 「それでレッスン代は無料か?」
 「ああ」にとりが雲から顔を出したお日様と変わらないくらい眩しい笑顔を浮かべた。「一週間後には幻想郷中で自転車が流行ってるぜ、まあ、見てなって」

 そう言うと、にとりは自転車を担いでとっとと住処に帰ってしまった。
 わたしはあいつについて誤解していたらしい。今日のレッスン料を払え、と言った時のあいつの表情は紛れもなく本気で払わせる気で満ちていたのだが、あからさまに嫌悪を示したわたしを見てお茶を濁したのである。どれだけお金にがめつい奴でも、ちゃんと空気を読むことはできるのだ。


 
 それからの話を少しだけ。
 あれから一週間、自転車はたしかに空前のブームを引き起こした。至るところで気持ちよさそうに風の中を走る自転車乗りを見れた。大儲けしたこと以上にそのことが嬉しそうなにとりが意外で、真意を問いただしてみると、自転車があればそれでレースの大会なんかのイベントもできるし、賭け事だってできる。サイクリングコースなんかも整備して利用者から金をがっぽり儲けようというのが奴の心算らしい。まあ、そんなことだろうと思ってたぜ。
 「これで幻想郷の連中が喜ぶなら、悪いことじゃないだろ?」
 まあ、それもそうだ。

 そもそも、どうしていきなりにとりが自転車を作ろう、だなんて思ったかだが、それはある人物が関わっていた。
 「どうも、本居小鈴です」
 にとりは一般人の依頼とかなんとか言ってたが、こいつを一般人と言われると認めたくないものがある。
 「店で本を整理してたら、こんな本を見つけたんです」と言って見せてくれた本は『自転車の歴史』というまんまなタイトルだった。「これを読んだ瞬間、ビビッと来ちゃって。で、たまたま近くを河童さんの集団が通りかかったんで、見せてみたんです」
 思い立ったが吉日、早速こいつで一儲けしてやろうと連中のやる気が触発されたわけだ。
 「魔理沙さんとか、霊夢さんとか、空を飛んでる人たちの気持ちが少しでも味わえたらいいなって」
 「それで、気分はどうだ?」
 「はい!」小鈴はあの屈託のない笑顔で答えた。「まだ補助輪が必要だけど、とっても気持ちいいですよ!」

 それから、わたしはまた小鈴のところに行ってみた。にとりがわたしに自転車の乗り方を教えてくれたように、わたしもだれかに教えてやりたかったのだと思う。
 だけど、その必要はないみたいだった。
 小鈴は補助輪なしで走ろうと試みていた。お父さんに支えてもらいながら。転ばないようにハンドルを握ってもらいながら、真っ直ぐ走ろうとしていた。
 「よう、魔理沙」と、後ろから声をかけられてサドルから落っこちそうになる。「こんなところで会うなんて奇遇だな」
 「にとり」振り返ると、得意満面なにとりが立っていた。「なにしに来たんだ?」
 「挨拶だよ。あの子の本がなかったら、自転車を作ろうだなんて思わなかったからね」
 「そうか」

 わたし達はしばらく小鈴とお父さんの練習風景を眺めていた。小鈴はぐんぐん上達し、その度にお父さんが彼女を褒めた。まるで赤ん坊が初めて自力で歩いた時のような、感激した面持ちで。
 「いいもんだな、親子っていうのは」と、にとり。「ああやって自転車に乗れるようになった子供も多いって聞くぜ」
 「そうなんだ」
 「おまえだって……」
 「やめろ」にとりの口を手で塞いだ。「わたしは、もう一人で走れるんだよ」
 「……そうだな」にとりがわたしの手を取り、にっこり笑った「わたしのおかげでな!」
 
 いろいろ考えてたけど、にとりがそんなことを言うもんだから、全部忘れることにした。なに、こんな気持ちになるのは今が初めてじゃないさ。
 「あ、魔理沙さん、にとりさん!」小鈴が父親の手を借りずに、一人で漕いでこっちにやって来る。「どうです、上手いものでしょう!」
 後ろの方で小鈴のお父さんがほっと胸を撫で下ろしていた。「うん、上手いよ」
 「魔理沙なんかよりよっぽど上手い」にとりが手を叩いた。「こいつなんかまともに乗るのに三日もかかったからな」
 「やめろよ、そういうこと言うの!」
  
 と、抗議しようとしたのだが、大地を揺るがすような低音が轟き、わたし達は言葉を失った。風の中を走ってきたというよりは、そいつ自身が風を生み出しながら走ってきたというような恐ろしいスピードで地を駆ける自転車が近づいてきた。地響きの正体はそいつだった。そいつの正体は自転車などではなかった。

 「あら、こんにちは」ヘルメットを取り、中で纏められていた長い髪が露わになると、聖白蓮は頭を数度振った。「魔理沙さんに、河城さんでしたっけ?そちらは……」
 「こ、小鈴です」小鈴は自転車に乗ったまま固まっていた。完全にバランス感覚をモノにしている。「えっと、その乗り物は……」
 「これはバイクと言うものです」白蓮は愛機の横っ面をぱしんと叩いた。おれはまだまだ行けるぜ、と言うようにバイクは震えている。「最近は自転車なる乗り物が流行っているみたいで、なんならバイクも流行るのではないかと思い、こうして里中をこの子で巡っているのです」
 
 わたしも一度だけ興味本位で乗せてもらったことがある。が、それはそれは凄まじい速度で走りやがるのだ。追いつけないものなんかなんにもないんじゃないかってくらい。白蓮がこいつと同じスピードで並走してくれてなかったら、マジでその辺の壁とかにぶつかって木っ端微塵になっていたと思う。
 
 「河城さん、自転車もいいけど、バイクも捨てたものではないですよ」
 それじゃ、と言い残して、白蓮はさっさと走り去ってしまった。
 「にとりさん、あれ……」
 小鈴が白蓮の去し方を指差す。にとりは頭の中で次の商売を考え始めている。
 で、わたしはこう言った。
 「あれに乗ろうなんて、一人で自転車に乗る練習をする方がまだ現実的ってもんだぜ……」
精進します。
いびでろ
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コメント



0.100簡易評価
1.100サク_ウマ削除
にとりのいいこと言ってるようで金のことしか考えてないのほんと好きだし不器用なんだか器用なんだか分からんレイマリも大変すきです。
笑いながら読みました。大好きです。
2.90奇声を発する程度の能力削除
楽しめました
3.100ひーだ削除
夢中で読ませていただきました。
面白かったです。
4.100終身名誉東方愚民削除
あうんが所々に出てきて何かする度に性格が悪くなってて笑いました そういう風にマウントをとられたりお金をせびられたりするのも不快な感じじゃなくていい感じに茶々を入れるみたいで努力や挫折も重々しくなくなって素直に見れるような気がして面白かったです
6.90名前が無い程度の能力削除
面白かったです
7.100名前が無い程度の能力削除
自転車に乗る魔理沙と霊夢と言う絵面が一見シュールなようで、それでも熱いところがあって、面白かったです。
8.100クソザコナメクジ削除
相変わらずクソみたいな人間性の中に人情を感じる。
9.100Actadust削除
挫折、困惑、怪我、そんな幾多の困難を乗り越えて運転技術も人間性も成長する、泥臭くも熱い作品でした。実に良い成長譚です。
登場人物全員クズいのになんでこんな爽やかなんだよ。
とても面白かったです。楽しませて頂きました。
10.100水十九石削除
泥臭い魔理沙の成長譚ににとりの現実臭いガメツさが盛り込まれて、それなのに金勘定を抜きにすれば汗に塗れた青春サクセスストーリーみたく展開されていく物語がそれなりの爽やかさを伴って楽しく読めました。
確かににとりのメンテナンスと金以外に興味を持っていなさそうな様は非難轟々でもおかしくないハズなのに、何故なのか分からないけれども不思議と二人三脚(?)でやっている様子を応援したくなってしまう、そんな魅力があった様に思えます。やはり魔理沙の奮起する様が格好良かったからなのでしょうか。霊夢が天才肌で成し遂げた自転車の乗り方に地道で努力していくストーリーはとても"らしさ"がありました。
『それでレッスン代は無料か?』『ああ』の流れ、本当にここまで来て魔理沙が報われたんだなと胸いっぱいになる様でしたが、よくよく考えたら守銭奴だった奴がこんな事を言うだなんてと少し笑ってしまいました。でも爽快感がある。謎。
それでもやはり成長過程をコツコツと描いて遂に自転車に乗れる様になる流れを、魔法と箒に重ねて丁寧に描かれていた良い作品でした。オチの清々しさと若干の淀みを残す感じの、最後まで抜けきらない感じも好きです。ありがとうございました。面白かったです。