夢に違いないと、そう思える光景だった。
黄金にも緋色にも見え、仰げば藍色に染まる大気。
草木の匂いがむせかえる程に溢れる森。
自身の胴よりも遙かに太い大樹がそこにはあった。
私はそこにいるようにも、それを眺めているようにも見える。
あやふやな思考と視界の風景の中に、動く者があった。
樹の下にいる何かは、樹に寄りかかっているようにも、その傍らで呆然と立ち尽くしているようにも感じる。
姿形は認識できない。だがそれはきっと、人の形をしていると思った。私に何かを話しかけてきている気がしたからだ。
「――――」
私は"それ"の声に応えようとし、けれど声が出なかった。ここまでハッキリした夢なのだから明晰夢というやつなのだろうに、声一つ出せないとは随分な話だ。
そこまで思って、あたいは自分の思考が明快になっていることに気付いた。
朝靄が晴れるように。
雨が収まるように。
きっと、目覚めが近いのだろう。
もう少しだけこの夢を見つづけていたいと願うが、起きたらどうせ忘れているのだから無駄なことだと心の中に諦めを作っておく。そもそもあたいは夢を覚えていられる方ではないのだ。それが少しだけ寂しい。
だけどそこは楽天的な自分の性格だ。どうにかなるだろう。
いつの間にか風景に変化が訪れていた。
夕刻と濃緑の闇が薄れ行く。
空も風も山も木も白くなって行く。
キャンバスに染み込む絵の具のように自然と全てが捨てられていく。
顔も声も分からない、誰かの思いですらも。
その誰かは相変わらずそこにいた。思わず手を差し伸べようと意識を傾けるが、やはりどうにもならなかった。
せめて誰だったのか、顔だけでもなんとか見ることはできないかと見つめるが、
ふいに、心の中に、一つの言葉が残された。
本を読んで入ってきたように、ポツンと突然現われて。
あたいの声で聞こえてきた呟き。
――彼女はきっと、そこで待っていた。
目が覚めた時、待っていたのは彼女だったのだろうか?
collectable / correctness
§
「お燐。お燐」
二度名前を呼ばれた。実際にはもっと呼ばれていたのかもしれないが、火焔猫燐はそれではたと気が付いた。
「……さとり様」
古明地さとり。彼女の主であり飼い主だ。
彼女は十歩ほど離れた場所から声をかけており、どうやら通りすがりに見かけたという風だった。そこまで状況を推測し、お燐は自分の右腕が掲げられていたことに気付いた。
正対するステンドグラス。背丈よりも大きく荘厳な、この地霊殿にはよくある窓ガラス。それに向かって仰ぐように、なぜかある。
……確か……。
理由は今思い出した。あまりにも暇すぎたせいか、寝不足なのか、気怠く甘い地獄の蓋の空気がそうさせたのか、ボーッとしてしまったようだ。
声で返事をしていて、ようやくお燐はさとりへと向いた。
右手側、色の付いた光が落ちる場所と、無色の影との間。彼女はその境界線上におり、薄弱さを漂わせる白い顔と、対照的に赤いサードアイが暗渠から浮かび上がっている。
しきりに動くサードアイは緩慢な主の十倍は落ちつきなく動いており、その視線は火焔猫燐を見透かすようにするものだ。
覚り妖怪は、その動きを隠すことなくこちらを見る。嫌悪感など無い、むしろ自分が信頼されていて愛されている優越感があるほどだ。彼女が気を許して動ける相手は少ない。
「お燐。そんな所で何をしていたのですか?」
だがどうやら思考があやふやすぎて読めなかったらしい。読んでいる上でこうすることもあるが、どちらにせよ説明が必要だろうか。
「あー、えと、その……」
「おくう?」
霊烏路空。彼女の名前を最初に言おうかと思ってしまった。そこに問題など無いはずなのだが、なんとなく気恥ずかしくなり、口を突いて出たのは回りくどく説明する方向の言葉だった。
「そうそう、見ていたんですよ」
「おくうを、ですか? でも外にはいませんし、第一この窓では外を見るにはやや不自由じゃないの?」
「ああいえ、おくうを見ていたとかそういうんじゃなくて」
「じゃあ何か面白い物でもありましたか? 猫じゃらしとか」
「いやいやあたいは猫缶の方が……って違います!」
「冗談です」
さとりは舌をちょろっと出して、悪戯っ子のように小さく笑った。
「まったく、さとり様は無表情なようでいて、すぐにあたい達のことをからかうんですから」
「あら、無表情と無感情は別よ? 貴方達を虐めれば悲しみもするしまた喜びもする、普通の妖怪ですからね」
「どこが普通ですかどこが!?」
「感情が豊かなところですね。あとペットへの哀情表現」
「"哀"情ってなんですか――ッ!!?」
「察して下さい」
覚り妖怪は、ただの火車の化け猫にそう言ってのけた。いやいや察することぐらいは出来ますけどねー察したくないですけど! とお燐は否定してやるが、彼女の主は同じく否定派だ。粘っこく口端を歪めていることが、そのなによりの証拠だ。
虚しさの気を取り直すべく、咳払いを一つ。
コホン。
「と、とりあえず。何を見ていたか? ですよね?」
「ええそうね。猫じゃらしでも猫缶でも無いのはわかりましたが、人の気配には敏感な貴方がボケーッとしてるんですもの、なにか余程の理由があるに違いないんでしょうねぇ。……いえ、プレッシャーじゃないですよ?」
「だったら言わないで下さいよ……・まぁ大したことじゃないんですけどね」
お燐はここでようやくさとりへと歩みを寄せた。トテトテと足音を立て、彼女の目の前に着くと、右手を差し出した。
「……これを」
下ろした右腕の先で無意識の内に握りしめていたそれを、一瞬だけ動きを止めて、それから手を広げて見せる。
「あら、ビー玉ね」
お燐の小さな手の平の上、透明な玉が一つ、そこにはあった。
「いやいやそんな安っちい響きじゃなくて、ガラス玉と呼んでくださいよ。水晶玉みたいに」
「でもこの大きさと言い質感と言い、ビー玉ですよね?」
「ガ・ラ・ス・玉です」
「ビー」
「ガ・ラ・ス・玉!」
「ビー……はいはいわかりました。ですから鼻息を荒げない爪を立てない目を血ばらせない、ついでにどさくさに紛れて私の身体を触っちゃおうとか考えない後でお仕置きですね」
「まだ実行してません!」
接頭語はわざと言いましたねこの猫と、さとりは一歩後ずさって万一に備えることにした。体力勝負では妖獣に分類される彼女には少し分が悪い。まあその時は水入りペットボトルのトラウマでも見せてやろうかと思うが、
……ペット相手には少し厳しいかしら?
ペットは甘やかしてもダメだが厳しくし過ぎてもダメだと物の本に書いてあった気がする。玉葱を食べた程度のトラウマで落ち着かせよう。
§
「ガラス玉は理解できたけど、それだけなのかしら?」
「まさか。ただ光り物に見とれるなんておくうじゃないんですから」
「猫ですからね」
「そうですね」
さとりは一息置いて、
「なら、何を?」
静かに問いかけた。対するお燐も一拍の間を作ってから、
「光を……」
区切って、
「光を見てました」
「光?」
物では無い光。
「ほら、あのステンドグラス」
指差す先には、背丈を超える大きさのステンドグラスがある。地霊殿の至るところに窓ガラスとして置かれているそれは、旧地獄唯一と言っていい洋風建築をなお強調する。
彼女が指差したのはその内の一つ、薔薇をモチーフとしたここでは多く使われているデザインのものだ。二本の薔薇が互いに絡み合うようにしてあるそれに、お燐はなんとなく親しみを感じていた。
……誰かさん達に似ている気がするからね。
だが、今考えるべきは主へのあてつけではない。言うべきは、
「これで見ると、色が混ざってまるで万華鏡のようにキラキラして、味気ない地獄の空が七色に溢れるんですよ」
ガラスは光を透過する。だが球体であるそれは光を織り交ぜて覗き込む者に与えている。赤も青も緑も黄も、紋様を無くして新たな光を色として落としてくる。
確かに、とさとりは思って、
「……おくうにでも教えてもらいましたか?」
「えっ?」
「ふふっ、それぐらい貴方の心を読まなくてもわかりますよ。それに言ったじゃないですか。光り物には見とれないって」
「あ、いやそういう意味で言ったんじゃ……」
照れながら、お燐はさとりが小さく笑ったのを聞いた。それは悪意を持ったものではなく、
「安心しなさい、貴方の考えているような意味で私も言ってないわ。つまり光り物に興味がない貴方が、こんな素敵な物を見つけられるきっかけは無い。あるとすれば、いつも目を輝かせてあれやこれや集めてくるあの子、でしょ?」
その通りだった。お燐が唖然としていると、この程度推測できなくてどうしますか、とさとりは言った。
敵わないなあ、と改めて目の前の少女が地霊殿の管理者であることを再認し、お燐は語り出した。
「……ええ、少しばかり前に、おくうに教えてもらいました。あいつ色んな物を集めてきては、まるで巣でも作るかのように溜め込んでるんです。特に地上に自由に出られるようになってからは毎日のように。そんなある日、綺麗だよーとか言って私にくれたんです。このビー玉を――」
それに気付く反応は即座だったが、それよりもさとりは早かった。
包み隠さぬしたり顔を見た時、お燐はボンッと音を立てて茹で上がった。特に顔は耳まで真っ赤という状態だ。
「ええそうですね。私はビー玉なんて聞いてませんよ?」
「いやいやいやいや違うんです! これは言葉のあやと言うか、単なる言い間違いでほらあたい猫舌で人語の発音には些か難が――」
「……ほらほら落ち着きなさい。それで、そのおくうはどこに?」
「にゃーにゃーにゃー!!」
「……必死に猫語アピールしなくていいですから。押し倒しますよ」
「床が固いところは勘弁してください。――じゃなくて、おくうならたぶん地上ですよ」
「また、ですか」
「また、です。最近は地上の方が珍しい物がたくさんあるからって、入り浸ってますから」
「ふふっ、あの子も随分と変わりましたね。前は地霊殿を一日空けるようなことなんてなかったのに」
地霊殿に巫女やら白黒やらが乗り込んできたのも、随分と昔に思える。八咫烏の力を飲み込まされた彼女は、地上で遊んだり最近では仕事をしたりしているらしい。
……あの小さな羽が、大空を飛んでいるのですね。
もしかすればその一生を灼熱地獄跡と地霊殿と旧都、日の当たらぬ世界だけで終えたのかもしれない。これまでも彼女は幸せそうだったから、きっとそれでも間違いでは無かったのだろう。けれど、
「お燐、貴方も地上に出て色々と経験してみては?」
「まあこれまでも地上に出られないわけじゃなかったんですけど、あたい達はそれで満足していましたからね。だいたい神社にはちょくちょく行ってますから今更ですよ。……さとり様は?」
彼女は旧地獄においてでさえ外出はあまりしない。忌み嫌われた妖怪の代表格である彼女が行きたがらないのはわかるが、
……さとり様も、楽しく生きて欲しい。
願いに、そうですか、とさとりは小さく返事をし、
「考えておきましょう」
瞬間、お燐は満面の笑みを浮かべた。
「ええ、こいし様もきっと喜ぶと思います」
「あの子の場合は遊びに出ていないで、もう少しここに落ち着いてくれた方が良いんですけどねぇ」
古明地こいし。さとりの妹であり同じく覚り妖怪の彼女だが、姉より抵抗感が無いらしく、地上には巫女達が来る前からちょくちょく遊びに出ていたようだ。無意識を操れる彼女の行動は把握しづらい。
「心配ですか?」
「まあ、それなりに」
「ふーん、それなりなんだー」
会話する二人の間に、突然少女が現われた。
§
少女の声に二人は肩をすくめた。対してその少女は眉をひそめて、
「お姉ちゃん、可愛い妹が大切じゃないのかしら」
「こいし……」
閉ざされた黒いサードアイを揺れ動かして、こいしと呼ばれた少女は二人の間をすり抜けて正面に降り立った。
「そんな風にいきなり現われないの。それに盗み聞きなんて良くないことですよ」
「盗み聞きなんてしてないもん。それにたった今帰ってきたばっかりだしね。あー久々の我が家も良いものだわ」
こいしは落ち着いたー、と腕を伸ばした。
「こいし様、お帰りなさい」
「ん、お燐ただいま。で、一方の我がお姉ちゃんは久々に帰ってきた妹にお帰りなさいの一言もチューも無いのかしら?」
「……チューはありません。おかえりなさい、こいし」
「ちぇっ。……ただいま、お姉ちゃん」
こいしは両手を広げ、さとりが回避しようとする前に抱きついた。軽い衝撃と共にこいしの帽子が落ち、さとりの前に温かいものが広がる。
「まったく、しょうがないですね」
口ではそう言うが、お燐の目には苦笑とも嬉しさとも取れない微妙な顔をするさとりと、満足げに目を閉じるこいしが映っていた。
§
こいしは落ちた帽子を拾い、被り直すと、
「ところでお燐、さっきのビー玉見せて」
「ガラス玉です」
「良いじゃない、どっちも変わらないんだし」
「ガ・ラ・ス・玉です!」
「むぅ、融通聞かないんだから。そこ、お姉ちゃんもなに笑ってるのよ?」
見れば、さとりは小さく肩を振るわせていた。お燐と同じように。
怒るように言い聞かせようとしたお燐がいつの間にかまったく違う表情になっていることに不思議を覚え、こいしは首を傾げる。
と、先に込み上げる感情から解かれたのはさとりらしい。彼女は努めて冷静さを顔とすると、
「い、いえ何でもありません。気にしなくていいわ」
なんか調子狂うなーまあいいけど、とこいしは納得。そして、
「そのガラス玉って地上のやつだよね? 結構良い物だけど」
「良い物?」
さとりとお燐は目を合わせ、ガラス玉を見る。しかしそれは何の変哲も無い、ただ透明なだけの代物にしか見えない。
「お姉ちゃんもお燐も知らないの? こっちじゃ鬼達が色々作ってるけど、ガラス玉って結構高い技術力いるから人間の里じゃそれなりに良い値段するんだよ。特にそんなに透明でまん丸なのはね」
「……透明って、ガラスは普通透明じゃないんですか?」
お燐が知る限りではそうだ。
「んーと、ガラスってちゃんと作らないと不純物が入ってあんまり綺麗な透明にならないんだよね。お燐の持ってるやつはゴミとか無いでしょう?」
言われれば、確かに曇り一つ無い無色透明だ。
「地獄のは透明だと面白くないからって、これぐらいの玩具用はみんな色つきなの。だからあるとすれば地上なんじゃないかなーって。今日もおくうは地上で遊んでたし」
「そうですか、おくうは楽しんでいるようでなによりです。……それにしても、こいしがそんなにガラスに詳しいとは知りませんでしたね」
「ああ、うん。暇つぶしにこの間、ガラス作ってる人の所を覗いていたから。近すぎて危うく溶けたガラスかけられそうになったけど」
「こいし、二度と近付いては駄目よ」
「えー」
妖怪だからその程度で死ぬということはないが、わざわざ危ない目に遭うこともない。特にこいしは無闇に歩き回っては危険な場所に近付くことも多く、さとりの悩みの一つでもあった。
……鬼達の酒蔵に入って盗み飲みしていた時はどうなるかと思いましたが。
あの時は侵入がそもどもばれていなかったので、皆無意識に飲んでいたんだろ、と結論されたらしい。そこに行く着くまでに知人の四天王が一人が暴れまくって市街地の一部が崩落したが。
「はいはい、わかりましたよー。んでお燐、ビ……じゃなかったガラス玉! それ見せてよ」
「……良いですよ。はい」
一瞬だけ動きを止め、お燐は手渡した。受け取ったこいしは丸い目をさらに丸く輝かせ、しばらくじいっと見つめた。
手の平で転がして感触を楽しんだかと思えば、お燐のようにかざして「お姉ちゃん凄いよ! バラバラ死体をミキサーにかけたみたい!」などと感想を述べたり。お燐は死体愛好家仲間として、むしろさとりが鼻息を荒くするのに引いたりして。
しばらく。
「あー面白かった!」
「……あたいにはどうやって一時間も遊んでられるかわかりませんでしたけど……」
「まあ、こいしですから」
「まあねー」
褒めてないですから! 心の中で叫んでみるが、そういえば読めない方だったと気を取り直して、
「――えと、じゃあ遊び終わったことですしそろそろ返して頂きたいんですけど」
「うっ、どうしても返さなきゃダメ?」
「いやそれ、あたいのですから」
「私も欲しいなー、誰か親切な猫さんがくれないかなー」
そう言いながらこちらを見る目は笑っていなかった。全身に嫌な汗が流れるのを気のせいだと思い込み、いや思い込ませて、
「……でもそれ、おくうがくれたもので……」
「え、結婚するの?」
時が止まった気がした。
今、何を言われたのか。頭がおぼつかない。少し前にも似たような感じで記憶が錯綜していたから、その延長だろう。
……そういえば昨日は鬼熊のに無理矢理酒を飲まされたなぁ。
きっと重度な宿酔いの後遺症だ、そうに違いない。
お燐は現実を脳内訂正し深呼吸すると、努めて笑顔で、
「こいし様、今なんて仰いましたでございますか?」
「だから、結婚」
「……はい?」
こいしは変わらぬ涼しい顔でガラス玉を指差し、
「だって、それ婚約の証なんじゃないの?」
ボンッと、水蒸気爆発系の音がした。
「ちちちちちちちちちちちちちちち!?」
「乳? おっぱい? ボインボイン?」
「こいし破廉恥ですよ。遅々ですよ遅々。情報が遅いって」
「あ、そっかー」
「全てにおいて悪化している上に合ってるところがまったくありませんよ、こいし様さとり様! じゃなくて結婚なんて違うっていうかどうしてこんなガラス玉が! 婚約のお! 証なんですかあ!?」
言いきった瞬間に呼吸を思い出したらしく、何度も大きな息を繰り返し、チアノーゼ気味になった肌色を回復させた。
「何か間違ってたかな?」
「ま、まま、ま……」
「魔理沙?」
「マリッジブルー?」
「間違ってますって! っていうかさとり様も知らないんですか!? 婚約の証ってのは指輪でしょ指輪!」
「いえ、てっきり牛十頭とか米百俵とかの即物的なものかと思ってました」
「どこの部族ですかどこの!」
さとりは顎に手をあて悩むように考え始めた。う〜んと唸り、首を捻り、しかし良い返答が出なかったようで、
「冗談です」
「二度ネタは通用しませんよ」
「……チッ」
舌打ちしやがったよこの主! 心の中で抗議してみるが、覚り妖怪はそれを無視した。その代わりとでも言うように、お燐にしか見えない程度に口の端を緩めた。
くそう、いつか目に物言わせてやる!
……どうぞ、できるなら、ね。
そんな風に言われた気がした。いよいよ覚りデビューすることになるのかと思った。
§
「――で、何の話してたんだっけ?」
こいしがお燐に問いかけた。
「脱線させた本人が言わんといてくださいよ。このガラス玉が欲しいって話」
「ああそうそう、ちょーだい?」
「これは残念ながらあげられないんですよ。欲しいならおくうに言って下さい。あいつならきっと他にも持ってますから」
「そうなの? なんで?」
「このガラス玉だっておくうが集めてきたコレクションの一つに過ぎないはずですよ? ほら、こういう光り物とか拾い物、昔から部屋に溜め込んでましたよね」
「そうだったなー。ううっ、仕方が無いや」
残念そうな口調ながら、いつもと変わらぬ笑みを無意識に浮かべて、こいしはふらふらとその場を立ち去った。
無意識を操る彼女ではあるが、猫を被るような真似はあまりしない。その表情に表われるのは紛れもなく彼女自身であるが、心が読めない故に定かではない。特に覚り妖怪を主とし価値観とする地霊殿において、心が読めない相手である彼女の表情を保障する術は無かった。
だがお燐は経験から、彼女の本心を笑顔にあると見た。
「あれは、何を企んでるんだろう……」
「企む、ですか?」
さとりはそうは思わない。
「あの子の考える事なんてわかりませんよ」
「いいえ、さとり様。こいし様の口調と相反した笑顔、間違いなく何か裏がありますよ」
「野生の勘ですか」
「乙女の勘と言って下さいよ」
はいはい、とさとりは手を振って投げた。
「それで、その勘だとこの後はどうなるんですか?」
「はい、こいし様は諦めた風でいて、その実諦めちゃいないので何かしてきます」
「何かって、何を?」
それは怒りの声質だった。
「おねえちゃああああああん! お燐んんんんんんんんん!!」
一瞬の静寂が後に訪れる。そして、
「例えば、私達の名前を叫んでみたりとか」
「なるほど」
「なるほど。じゃないでしょ! ちょっとこっち来てよ!」
いつの間にかこいしが目の前にいた。どうやら勢いこちらに戻ってきたようで、肩で息をしている。余裕のある態度を見せることを常としている彼女にしては珍しい。余程、大事があったと見える。
お燐とさとりは、それぞれ猫のように首根っこを掴まれ、こいしに引きずられていた。
§
地霊殿の一角、ペット達が住まう、さながら動物園か動物屋敷か。
人型にならない者、なれない者は適当にうろつき、お燐やおくうは空いていた部屋を自分の物にしていた。
おくうの部屋は広々としている。普段は灼熱地獄で野宿しているのでほとんど物置状態だが、彼女が色々と溜め込むことや、
「ぶっちゃけ狭い部屋だと壊しちゃうんだよねぇ」
八咫烏の力を手に入れて以降のおくうのパワーは尋常ではない。一度寝ていた時に寝ぼけ弾幕を放って以降、彼女は多少暴れても壁にぶつからず、そして対核用防護結界が張られた大広間を与えられていた。部屋を移ってから地霊殿が半壊した記録はない。
「で、その大広間はここなんだよねお燐?」
「その通りです」
「こいし、ペットの住処ぐらい把握してなきゃダメよ」
「……二人とも、問題点がそこにあると?」
一息、
「この惨状を見て、何も思わないわけ!?」
見た。
高さがあり横があり縦があるはずの部屋は、扉を開け放たれており廊下から三人が覗く形になる。部屋の中には雑多におくうの私物群、コレクション達があるばかりで、
「おかしな点、ありますかお燐?」
「強いて上げるなら、ちょっと匂うかなーって程度ですかね」
「異臭よ異臭! それ以前にこの部屋が異物だって! なんだって二人ともそんな平気な顔してられるのよ。ちょっと前に帰ってきた時からなんか臭いなーと思ってたら、原因ここだったのよ!」
こいしが指差す部屋の中には、雑多におくうの広い物がある。だが山積みとなり所々が崩落し、コーラの瓶から長靴、造園にでも使いそうな岩、その他ネズミを獲った猫よろしく、なにやら獲物の死体があったりと、
「どう見てもゴミ屋敷じゃない!」
「……言われてみれば」
「おくうの奴、死体から内蔵抜くか防腐処理しとけってあれほど言ったのに、三歩歩いたら忘れるんだから」
「そうそう、死体の処理が甘い……じゃなくて、死体を飾るのが趣味私がどうこう言えないけどさ」
「あ、自覚あったんですか我が妹」
「私は腐敗臭出すような真似はしないわよ。それで、このゴミ山どうしてこうなったの? まさかおくうの部屋をゴミ捨て場にしたわけじゃないよね?」
「まさか、私だってそこまで酷い真似をするわけがないじゃないですか。……何か言いましたねお燐?」
「いえいえ何も思ってませんし言ってませんよ」
「正直に言いなさい、そうすれば許してあげましょう」
「ごめんなさい鬼畜サド小五ロリとか思ってしまってごめんなさい」
「よろしい、ならば折檻です」
「嘘つき!?」
「許しはしましたが、やはりペットに躾は必要ですからね」
「はいはい、非道な姉は良いとして、このゴミ置き場はなによ? ガラス玉探しに来たのにゴミしか無いとか!?」
「落ち着いて下さいこいし様、これ、ゴミじゃないですよ? 全部おくうのコレクションです」
「コレクションんんん……?」
嫌味と疑念を混ぜて、こいしが振り返った。部屋の中に入ると適当に物を手に取り、
「『グアム』って書かれたタペストリーも?」
「はい」
そもそもグアムってどこなんだろうなーと思うお燐。
「道路ほじくったようなアスファルトの欠片も?」
「はい」
アスファルトとか言うのはよくわからないが、頷いておく。
「この南米系のお面も?」
「はい」
もしかしたら地上に何かの部族がいるのかもしれない。
「ふはつだん(10G)も?」
「はい」
信管が入っていないことを祈る。
それから一通りの質問に答え、ようやく納得したらしいこいしが長い溜息の後、決定した。
「……全部、灼熱地獄で燃やすわ」
「こいし様!?」
「なんで二人ともこんな異臭放つレベルで気が付かなかったのよ! 押し入れあけたら大量のステテコにキノコが生えているに違いないわ」
珍しく怒っているらしいこいしと対照的に、さとりとお燐は冷めたものだった。
「こいし様は外をぶらついてる時が多いですからねー、こっちには来ないですし」
「私は見回りもしていましたが、塵のように積もっていくと気付かないものなのですねぇ」
「山は山でもゴミ山だよ! そのうち巨大なダンゴムシが土壌改良に発生するかもしれないってぐらいよこれ? あーもう、道理でここの所変な臭いがすると思った!」
「落ち着きなさいこいし、地霊殿が腐海に飲み込まれてもおくうが戻ってくれば焼き払えますから」
「涼しい顔でさとり様も物騒なこと言わないで下さいよ!」
さとりが頼めば即座にあの歩く核兵器は実行するに違いない。馬鹿にハサミを持たせた責任者出てこい。
「あーでも地上にいるんだよねぇ、卑怯だわー」
§
「というわけで、おくうのいない間にこの部屋をあるべき姿に戻し隊結成! ほら拍手拍手」
焚き火をしている方がまだマシという程度に、拍手が送られた。
「むぅ、二人ともやる気無いわねー。私は自分の部屋まですえた臭いが漂ってくるようになるのは嫌だからね」
「あのーこいし様」
お燐が恐る恐る尋ねた。
「なに?」
「その、いくらおくうでも、勝手に部屋を弄られたら怒るんじゃないかなーと……」
「そういえば私の部屋の壁が少し空いていて寂しいと思ってたのよね。ちょうど猫一匹分ぐらいなんだけど」
死体愛好家の少女は笑みを浮かべた。寒い程に。
「全身全霊をかけて劇的な匠のアフター技を見せますイエッサー」
「よろしい」
「こいし……恐ろしい子」
「いやお姉ちゃんが言わないでよ」
何回目になろうかと言う姉妹コントが始まりかけているが、火焔猫燐はそれを止めようとはしなかった。もう止める気力などはなく、見えもしない空を見上げて、現実逃避に天井のシミを数えようと思う。
ああ意外と天井掃除してないんだな、などと年末の大掃除計画を考え始めたお燐だが、目の前のコレクション達に目を落として、彼女へと考え至る。
今頃はこんなことになっているとも知らず、暢気に神社で巫女と遊んでいるのだろうか。それとも山で河童達となにやらやっているのか。いずれにせよ、
「おくうの奴、どうしてるかな……」
少しだけ、心が痛くなった気がした。
§
「……さて、まずはどこから手をつけたものか……」
両手を腰にあて、どうしたものかと眼前のコレクションの山を見つめるこいし。後ろにいる二人は今のところほったらかしにしている。
こうして掃除するのは確かにいいのだが、まず最初にどこから手をつけるかによって掃除のペースも変わってくるのだ。
例えば、家具の場合は二人掛かりとかで運ぶために終始忙しく、休む暇もない。
逆に小物の場合は、俗に言う「ああこれ懐かしいなあ」現象によって作業中断になってしまう可能性が高くなるのだ。
しかもその小物と言っても、特に最悪なものが漫画類といった「雑誌」物である。
これは皆も経験があるだろうから多くは語らないが、きっとあれが一番の作業妨害となるものだろう。
ページを捲ってたらいつの間にか夜になってた、という悪魔の罠が秘められているのである。
こいしはそう言ったところに当たらないよう、慎重に見定めているのだ。
「よし、じゃああそこから片付けよっか」
少しした後、こいしが指さしたところは大きな物ばかり集められているところ。
ここからそんな雑誌類もきっとないだろうし、何より休む暇がないだろうと確信していた。
くるりと振り返ると、二人の顔をじっと見るこいし。もしかしたら逃げ出したりしてないだろうかと思ったからだ。
「……返事は?」
「あいあいさー」
「もう! これから大仕事が待ってるというのに何よお燐、その中途半端な返事はー!」
「こいし、そろそろ私はティータイムの時間なんですけど」
「こっちはやる気すら既に無かった!?」
さとりのあんまりと言えばあんまりの返事に、少しショックを受けるこいし。
何ということだろう。確かに半ば強制で誘ったようなものだけど、ここまでやる気がないとは。
もしかしたら見返りか何か欲しいのかな、とも考えたが、そう思うより先にお燐が口を開いた。
「あの……こいし様。おくうもいないのに勝手に掃除していいのかなってあたい思うんですけど……」
「いいのよ。多分おくうがいたらあれもこれも捨てられないって言うだろうから」
「そりゃあ、そうですけど……。何かしら大事なものもこの中にあったりするんじゃないんですか?」
なるほど、確かにそれは一理あるかもしれない。こいしはそう思う。
大掃除をした際に、何かしらサプライズがあったりするのはもはや定石と言えるのだ。
リモコンが挟み込まれていたとか、机の下にパスワードの書いたメモが置いてあったとか、過去に食べようとしていた飴玉が今更になって出てきたとか。
となると、これだけコレクションがあるとなればその中に何か重要なものがあるのではないかとお燐は考えたのだ。
「いーや! 大事な物なんてここにないよ。ここにあるのは全部捨てるからね!」
しかし、こいしはそれを良しとしなかった。
このままでは地霊殿は数ヵ月後にでもゴミ屋敷になってしまう。その考えが先行しすぎていたのである。
そんな様子のこいしに、お燐は困ったようにさとりを見つめる。心を呼んでもらい、自分の考えを伝えようとしているのだ。
「………………。(さとり様、どうしましょう……。このままじゃこいし様、本当におくうの大事な物を捨てちゃいますよ)」
するとさとりはお燐の心を既に読み取っていたようで、小さく頷くとこいしに向かって言った。
「こいし。ちょっと待ちなさい」
「お、お姉ちゃんもようやくやる気になったの?」
「まあこいしがそこまでやる気がある手前、今更私が退くわけにもいきません。ですが、一つだけ言わせてください」
「……うん。何かな?」
少しさとりの表情が変わったので、何か大事なことでも言うのだろうかと身構えるこいし。
いつものじと目気味の目を少し開き、さとりはこいしに向かって静かに言った。
「ちゃんと適切に捨てないと、地底から苦情がくるわよ」
「……え?」
少し呆然とするこいしに、さとりはそのまま続ける。
「最近の灼熱地獄も事情が変わってね。ちゃんと場所を指定して捨てないとダメになってしまったの」
「そんなの初めて聞いたよ!? いつの間にそんなのが出来たのさ!?」
「つい最近生まれたルールでね。常に地上で放浪しているこいしはやっぱり知らなかったみたいだけど」
「……それ、嘘じゃないよね?」
「ええ。地底の鬼たちが決めたことですから。何なら調べてきても結構なんですよ?」
う、と少し言葉に詰まるこいし。
確かに無意識を使って調べてきても結構なのだが、実際鬼は何人もいるし、何より見つかったらこいしだけではなく地霊殿全体がひどいことになる。
何よりさとりが堂々と話してるところを見ると、本当にそうなのかも……とこいしを動揺させた。
因みにこの情報は勿論嘘である。担当しているお燐はそんなこと聞いたことないし、ましてや何でも焼きつくす灼熱地獄だから分別とかそんなの関係ないのである。
「むむ……めんどくさいルールが出来たものね」
「まあね。ですから、いっぺんに捨てるのではなくちゃんと分類に分けて捨てるように」
「……分かったよ。でもさすがにその分別は時間かかりそうで嫌だなぁ」
「それはお燐に任せます。多分この中では一番手際が良く、適切に分けてくれるでしょう」
そこまで言うと、さとりはお燐の方を向きにこりと微笑んだ。
「………………出来ますよね? お燐」
「え、あ、はい! あたい精一杯頑張ります!」
「……私に言ったときと声が違うー」
「こ、こいし様。あたいちゃんとしますから、機嫌直してくださいよー……」
「……むう。まあいいよ、お燐がちゃんとしてくれるなら許してあげる」
あはは、と少し引き笑いをしながらも頷くお燐。
ともあれ自分が仕分けるということは、最後におくうのコレクションを手に取るということ。
すなわち、もしおくうにとって大事なものがあった場合は、お燐の判断でこっそりキープ出来る。
お燐ならおくうとも付き合いも長いし、大体好みも知っている。こんなことなら朝飯パクパクというわけだ。
改めて、さとりの好判断に感謝するお燐であった。
「……ところで、本当にちゃんと分類に分けて捨てるんですか?」
「ああ、それは別にいいですよ。いらないと思った物は適当に捨てちゃって下さい」
「は、はい……(大丈夫かな、気づかれたりしないかな……)」
「大丈夫ですよ。その時はその時、きっとなるようになりますから」
§
「よし、というわけで早速一つめ、いってみようか!」
「「はーい」」
ともあれ、動かないとと何も始まらない。千里の道も一歩から、である。
まずはおくうのコレクションの山を動かす作業に入ることにした。そもそも今現在の状態では碌に床すら見えていない状態なのである。
ぱんぱんと手を打ちながら張り切るこいしと、それにのそのそ付いていくさとりとお燐。
一応地霊殿ではさとりが主ではあるものの、この部分だけで見たらどっちが主が分からなくなる光景である。
「まずはー……どれがいいかな。……じゃあこれ!」
「ほほう、まずは普通の棚を運ぶのですね。中々いいチョイスです」
「何かお姉ちゃんによく分からない評価されてるけど……まあいいや。あ、お燐そっち持ってー」
「はいはいー」
一番最初に選んだのは、どこの家庭にでもあるような扉つきの普通の棚。ただし中身は不明。
この時点でこいしはどうしておくうがこんな棚をどこから拾ってきたのかという疑問に駆られることになったのだが、それは考えないことにした。
考えようとすると恐らく答えが出ないことを知っていたからである。
早速これを運ぼうと棚の持てるところを掴み、持ち上げようと二人は力を込める。
と、そこであることに気が付いた。
「……うわ、重っ……」
「え、こいしがですか?」
「違うよ!仮にも私は女の子だし、体重も埃並みに軽いんですー! というかお姉ちゃん働いてよ! 何優雅に部屋の真ん中でアプリコットティー飲んでるのよー!」
「ま、まあまあこいし様。……それにしても、これ随分とまた重いですねぇ」
荒ぶるこいしを宥めながら、ぐいぐいと棚を持ち上げようとするお燐。しかしぴくりとも動かない。
そう、この棚やけに重いのである。
一般的な棚とはいえ、いくらなんでもこれは重すぎるくらいに重い。
棚自体は木で出来ているため、恐らく元々はそんなに重くはない。それでは、一体どこが重いんだろうか……。
……いや。本当はもう、二人は分かっているのだ。
お燐はこいしに少し視線をやると、問題となっているであろう「それ」にそっと手をかけた。
ぱんぱん。
「……うわ。中身ぎっしり詰まってますよ。これ」
「だよねぇ……おくうのことだし、きっとぎゅうぎゅうに詰めてあるはずだよ……」
よく見たら、戸棚が大きく膨らんでいる。
それを見た二人は、これを開けたら恐らく大惨事なのは間違いないと即座に思った。不用意に開けたら恐らく洪水のようにコレクションが流れ出て来ることだろう。
さとりも気づいたらしく、興味深そうに二人の方を見てくる。
「ほう、お困りのようね?二人とも」
「……何? お姉ちゃんも手伝う気になったの?」
「いえ、手伝う気はないただの野次馬なさとり妖怪です」
「きー!」
「わわわわっ! ちょっと、こいし様棚を手放さないでー!?」
しかし、どうやら手伝う気は皆無らしい。本当に見てきただけだった。
あんまりと言えばあんまりの仕打ちについ飛びかかりそうになるこいし。しかしそうすると棚が倒れてしまうので、ぎりぎりで踏み止まる。
クールになれ、古明地こいし。このままいけば確実にとんでもないことになる……!
……と、こいしは思ってるんじゃないだろうかとさとりは考えていた。今にも飛びかかりそうなこいしを目の前に見ても、ぴくりとも動こうとしない。
さとりが違う意味で主の貫録を見せつけた瞬間だった。
「……冗談ですよ。ですからそんな目で見ないでくださいな、こいし」
「そんな目にされるようなことをお姉ちゃんは言ってるのよ……」
「ふ、二人とも落ち着いてくださいよ。こんなところで争ってもただ無益なだけですよっ?」
目に見えない視線のぶつかり合いを感じたのか、慌ててお燐が仲裁をする。
状況が状況なので、下手に動いてもらっては困る。場合によっては片付けるよりも大変な目にあう可能性もあるのである。
こういう時こそ、三人の協力体制が必要なのだ。
「……そうね。お燐の言うとおりだわ。とりあえずお姉ちゃんとは後で決着をつけましょう……」
「まあそういきり立たなくてもいいですよ、こいし。私が棚の中身を見てみるとします」
「だ、大丈夫ですか? 恐らくあのおくうのこと、とんでもないのがあるかもしれませんよ?」
お燐が不安そうに声をあげるも、さとりは首を振り、そっと扉に手をかける。
その姿はさっきまでとはまた違う雰囲気を醸し出していて、思わず息を呑んでしまう二人。
ここは、様子を見ておこう。同時にそう思った。
「……。中に生物らしき物はなし、これなら大丈夫ですね」
「「え?」」
が、さとりは何の警戒もせず、ただ無警戒にがたんと扉を勢いよく開けた。
その突拍子もない行動に、思わず目を丸くする二人。……勿論、どうなるかは聡明たる読者の皆さんなら分かるであろう。
がらがらがら、ざざざざざ!
ばたん、ごろごろごろ、がっしゃーん!
じゃらららら!ぱりん、どどどどどどどどどど……。
………………。
………………。
「………………あらま」
「あらまじゃないよ! 一体何やってんのよお姉ちゃんはー!」
「いえ、私はただ棚の扉を開けただけなんですが……」
「だったらこうなるのは誰だって分かってたはずでしょ!? ここにはいないけどおくうだって分かってたよ!」
「いやいやこいし。私はこうなるのを分かってたわけではないのですよ?」
「だからってその「どうです、開けてやりましたよ?」みたいな達成感に満ち溢れた顔をするなー!」
「……人それを「どや顔」というー……」
二人がぎゃーぎゃー言いあいをしている中、一人むなしく片付けるお燐。
いや、実質はゾンビフェアリーを何体か連れてきていたため、割と作業自体は単純である。
大きいのは複数人で運び、小さいのはせっせと集めて運んでいく。
ときどき足をひっかけてこけたりするが、それでもめげずに運んでいってくれる。
その中の一人が、お燐のワンピースをつまんできた。服の汚れから見たところ、大分頑張ってくれていたようだ。
「ああ……ありがと、あんた達があたいの唯一の希望だよ……」
なので、そっと頭を撫でてあげた。普段は結構気まぐれなのだが、こういうときはちゃんと動いてくれる。
まあ、おくうのコレクションでいらないのがあったら各自で持って帰っていいと言っているので、それが目当てで働いているだけなのかもしれないが。
でも今ではちゃんとした戦力になっているので、お燐の中では大助かりなのである。因みに主二人は目下言い争い中なので除外済み。
これからどうしようかなぁ。そうため息を吐くお燐の手の中で、ゾンビフェアリーはほわわと和んでいるのだった。
§
それから数時間後。長い論争の末、ようやくさとりとこいしの話がついたようだ。
で、その結論は。
「私が地霊殿の主だから、何やっても許されるのですよ」
「うう、納得いかない、物凄く納得いかない〜……」
「……なんというジャイアニズム……いえ、何でもありません……」
さとりがぎろりとこちらを見たので、慌てて否定するお燐。
それにしても、数時間かけた論争がこんな簡単な結論で終わってしまうとは。まるで源氏物語の中にある春秋論争並みの緩さである。
「まあ、一応話がついたんですよね?」
「ええ、私達もこれから片付けに加わるとします。こいし、異論はありませんよね?」
「どうして私が渋々やってるみたいな立場で言われてるの!?」
ともかく、これからは二人が片付けに加わることとなった。
これで少しは作業能率も上がるだろうし、ゾンビフェアリーには持てない大きな物が持てるようになるだろう。
見えてる小物は大方片付けたし、既におくうが大事にしているだろうものはきちんと確保してある。
お燐はこう見えても結構出来る猫なのだ。
「じゃあ、まずはここらへんの大きいのを片付けちゃいましょう。小さいのは分けて袋にまとめておきましたからね」
「ほう」
「わー、もうそこまでしちゃってたんだ! ありがとーお燐!」
むぎゅーっ。
「にゃわ!?」
「自分たちが不毛な争いをしていた中で、お燐はこんなに仕事してたのね……。こいしちゃん感激しちゃった!」
「は、はひ。ありがとうございます……」
ぎゅうっとこいしに抱きしめられている間、顔を赤くして照れるお燐。
別に褒められたいわけではないのだが、とりあえず任された仕事はしっかりとする。それがお燐の信条だった。
そしてさとりは、それがまたお燐のいいところだと思っていた。これもまた、さとり教育の賜物である。
「……二人とも、いつまでも情熱的なハグしてる暇はありませんよ。早く済ませましょう?」
「さとり様、これが情熱的に見えますか……?」
「あらお燐、なんなら情熱的にしてもいいんだよ? 今ならこいしちゃんの初物ベーゼも付けちゃう!」
「い、いいですよっ!何かさとり様の視線が怖いですし、早く離れてくださいー!?」
「ちぇー、お燐のけちんぼー」
じーっと見つめてくるさとりの視線を避けながら、どうにかこいしを退け作業するお燐。
そう。こいしはさとりの妹、しかも何だかんだで結構溺愛してるので手をつけてはいけないのである。
しかも性質の悪いことに、こいしは無意識に誘ってきたりするので、ペット達の間ではある種恐怖の対象になっている。
こいし様に手をつけたものは皆次の日にはいなくなっている……そんな怪談が生まれた程だ。
まあ、それはともかく。
「……一応六割がた片付きましたしね。後はこの大きい荷物の山だけですよ」
くるりと向き直り、山を指さすお燐。
そこには戸棚やらビーズのクッションやら某東宝怪獣の着ぐるみやら、大きな物が大量に積まれている。
その天井にもとどかんばかりの大きさは、まさに最後の牙城ともいうべき存在だ。
思えば、ゾンビフェアリーが運んでくれた小さい小物の中には、何気なく様々なものがあった。
……本当に、色々なものがあった。ワイルドワイバーンやらブロッケンGやらたくさんのガラス玉があったりしたが、とにかく色々あった。その数はここで書きつくせないくらいである。
唯一の救いと言えることは、食べ物が少なかったことくらいだっただろう。もしあったらきっと目も当てられないような代物になっていたはずだ。
「ヤバイ食べ物」か「よく分からないもの」くらいはきっと言われるはずだ。
後、この地霊殿自体は地底特有のじめじめとした気候ではないため、幸運なことにキノコも生えていなかった。
仮に生えていたとしたら、きっとあるくきのこくらいは生えていたことであろう。
「後はこの山を片付ければいいんですね。で、軽く掃除したりすれば終わり……と」
「うんうん、これできっとおくうも驚くはずだよ」
「………………」
お燐の心がまたずきり、と痛む。
本当に勝手にこんなことをしていいのだろうか?と思った手前、もう既に片付けてしまっているから止めるわけにもいかない。
大丈夫、大事なものは全てとってあるはずだから、おくうもきっと許してくれる。
そう思うしかなかった。
「よし、じゃあさっさとかたしちゃおう!」
「そして終わった後の打ち上げもしましょうかね」
「……その前に掃除でしょ、お姉ちゃん」
「うえー」
そんなお燐の心配もよそに、やや緩い会話をしながらコレクションの山を片付けていく二人。
お燐もそれに遅れてついていき、ゾンビフェアリーも総動員しながら運んでいく。
この『乳牛ーヒーコ』とか書いてある箱の中には、元々何が入っているのか気になるところではあるが、どっちにしろ分からないので黙って運ぶ。
因みに中にはからっぽになった透明な瓶が大量に詰まっていた。きっと玉と併用してボーリングか何かでもするのだろう。
そして、片付けも中盤に差し掛かったころ。
「しかしまあ……本当に色んな物を持ってきてますね、おくうは」
「本当だよー。こんなにあったら本当にゴミ屋敷になっちゃうところだったよ」
「……あの、さとり様。ちょっとお話があるんですがー……。……?」『その、おくうのた………………そう…………ですか……?』
お燐が何かを言おうとするのを手で制し、さとりは小さく頷く。
「分かってますよ、お燐。そこらへんはきちんと考慮していますから」
「さとり様……!」
「もう、何よ二人とも。私の見えないところで意気投合しちゃってー」
何も分からないこいしが、ぷくーっと頬を膨らませている。
それもそのはず、さとりとお燐は恐らく読心を使って何かをしようとしているということには気が付いていたからだ。
だが、心を読む能力が使えない以上何を企んでいるかまでは理解出来ないのである。故にこいしはそれがもどかしかった。
逆にさとりとお燐としてはこいしに教えるわけにはいかなかった。
きっと色々言われてしまうだろうから、せめて内緒にしておくべきだと考えている。
そしてその内容は、おくうが帰って来たときに告げる予定で進められていた。二人はそれを綿密に計画を進めているのだ。
「むー……後でちゃんと二人とも教えてよね? ……あれ」
「ええ、ちゃんと教えてあげますよ……む」
「二人とも、どうしたんですかー……って、何ですかこれ?」
しかし、最後の最後に不思議な物が姿を現すことになる。
たくさん物の中に、金属片らしき物がちらと姿を現したのだ。
しかもそれは中々大きいようで、今までの物とは圧倒的に大きさが違うのだ。人五人分くらいの大きさはあるだろう。
「まだ一部しか見えてませんが、随分と大きいものみたいですね」
「そうだねー、下に埋もれて見えなかったけど……まるで化石掘りみたい」
「……とにかく、掘りだしてみましょう!これだと持っていくのに相当時間がかかりそうですし」
そうお燐が言うと三人は頷き、がんがん掘りだしていく。
それはさながら芋掘りのようだったが、そんなことは気にしないで作業を進めていく。
辺りにぽんぽーんと色々な物が飛んでいるが、それも気にしない。
また後で片付ければいいのだ。今はコレクションの中に埋もれている、この不思議な物を掘り出したい。
大きいものがあったらその全貌を見たく、または選びたくなってしまう。舌切雀の法則である。
………………。
そして。
その「不思議なもの」が姿を表した。
「………………何これ」
「………………あたいには、全然分かりませんよ……?」
「………………あら、アダムスキー型じゃない」
「「知ってるのかさとり(様)!?」」
目の前には赤、青、緑と順番にぴかぴか発光している不思議な物体。
上は丸いかまくらみたいなのが乗っかっていて、真ん中にはひらぺったい円盤状の物がついている。
そして、下の方には上の丸いやつが小さく、逆さまになったものが5つくらいついていた。
そう、これは―――。
ふよんふよんふよんふよん。
「……UFOじゃない」
「え?」
「ですから、UFO。未確認飛行物体のことですよ」
「そう、これが……UFOなのね。今まで無意識に色んなところを旅してきたけど、実物を見たのは初めてだわ……」
なんという。
なんという神秘的な物体だろうか。
この世には存在しているかどうかすら微妙なものだったが、今こうして実物を見るとは。
嗚呼。
おくうの部屋に、まさかこんな掘り出し物が埋まっているとは。
幻想郷とは、本当に全てを受け入れるところである……。
……あれ?
「……って、ちょっと待ってくださいよ! なんでまたこんなのがおくうの部屋にあるんですか!?」
「そりゃあ、おくうが拾ったからですよ」
「どこから!? というかどうして拾ってきたんですかこれ!?」
「んー……ぴかぴか光って綺麗だから?」
つんつんとUFOをつっつくこいし。触れた部分が赤くなっている。
いや、だからといってこんなものを部屋に持ってくるのはおかしい。というかどうやってこの狭い部屋に持ってこれたのか。
お燐の疑問は尽きなかった。……そして、さとりとこいしの二人は思ったよりも冷静だった。 それがお燐の思考をさらに混乱させる。
どうして、どうして二人ともそんな当たり前みたいにUFOに触ってるんですか? と。
「とに、とにかくこれは何かおかしいですよ。……いや、見た目とか十二分におかしいですけど……」
「そうですね……さすがにこれを片付けるのはまずいかもしれません。こんな大きなの、おくうも忘れていないかもしれませんし……」
「……むむ。しかもこれ、扉より大きいから出せないじゃない。一体どうすればいいのよー」
とにかく、これもおくうのコレクションというのならさておき。これをどうやって持っていくかという問題が発生してしまった。
まずこのUFO、扉三個分ほどの大きさがあるため、部屋から持ち出すことは出来ない。
かといって、ここ地霊殿には窓など存在しないため、他から持ち出すことは実質上不可能である。
最後の手段としては壁をぶち破るという方法があるのだが、それはいくらなんでも無茶である。第一そんなことをしたら必然的に大きな音が出てしまうのだ。これも不可能と言ってよい。
……となると、そこで一つの疑問が生じる。
おくうは……霊烏路空は、どうやってこのUFOを部屋まで持ってきた?
「……なにそれこわい」
それに気づいたこいしが呆然と言う。いや、その事実を容認したくないからだろうか。
おくうの部屋で起こった、一つの謎。
解けるはずもない、疑問。
ふと視線をあげたお燐が、さとりに慌てて質問する。
「さ、さとり様っ、この中にいませんよね?」
「……お燐? 一体何がいるというのかしら?」
「その……うーん。……生体反応とか、そういうのですよ!」
要するに、中に人がいるのではないかというのである。
確かにこうしたUFOの中には、宇宙人か何かしらの生命体がいるのが通説とされる。代表的なものとしては、グレイタイプが一番有名だろう。
しかも、このUFOは発見したときからずっと光っている。……つまりUFOは「動いている」のだ。
……となれば、中に誰もいませんよ、ということは絶対にありえないのである。
お燐は、もしかしたら中に何かいるかもしれない……そう考えたのだ。
それを聞いたさとりは、早速サードアイに力を込めた。中に何かがいるなら、その思念が聞こえるはず。
「……どう、お姉ちゃん?」
「何かしら聞こえましたか……?」
「………………」
さとりは目を閉じ、しばらく黙りこんでいる。
しばらくの間何も言わないさとりを、じっと見つめる二人。
待っている間、時間がとてつもなくゆっくりになった気がした。それこそ、永遠に続くのではないかと思えるくらいに。
「……!」
どれくらい時間がたっただろう。
さとりはかっと目を見開き、UFOの方を見た。
そして、一言だけ言う。
「います」
「あはは、やっぱりいないよねー……。………………えっ?」
「……中に、二人ほどいるようです……!」
「……うえええぇっ!?」
震える指先で、信じられないという表情で、UFOの方を指さすさとり。
一気に部屋内に緊張感が走る。一体、一体何が中にいるというのだろうか。
「どど、どうしようお姉ちゃん! まさかこんなことになるとは思ってなくて、スペルカードも何も用意してないよ!」
「……お燐、こいし。あなた達は……逃げなさい。今すぐにこの部屋から出るんです!」
「そんな! さとり様はどうするんですかっ!?」
「私は……私は、彼女らと話してみます」
「お姉ちゃんだけじゃ危険だよ!私も……!」
「ダメです!」
進もうとするこいしを、手で遮るさとり。
その目はまさしく、妹を守ろうとする姉の目だった。
「ここは、私に任せてください」
「……お姉ちゃん、でも……」
「……それとも、こいしはお姉ちゃんが信じられない?」
不安そうにするこいしを、優しげな目で見つめるさとり。
そんなさとりに、こいしはかつてのさとりを思い出していた。
いつも眠たそうにしていてあんまり頼りにならないけど、いざという時はとても頼りになるお姉ちゃん。
……今回も、きっと大丈夫。そんな安心感が、いつの間にかこいしの中から湧き出ていた。
「……分かったよ。お姉ちゃんを信じる」
「ん。いい子です、こいし。素直な子は好きですよ」
なでなでとさとりはこいしの頭を撫でる。
その間こいしは目を閉じ、姉の手の感触を感じていた。
「……さとり様、あたいは」
「お燐。あなたはこいしを連れて、この部屋から離れてください。……あ、そんな極端に離れなくてもいいですからね」
「え? ……は、はい」
「……お姉ちゃん、ちゃんと帰ってきてね……」
「分かってますよ。お姉ちゃんはそんな簡単にはやられませんから」
最後にくしゃりとこいしの頭を一しきり撫で、そっと手を離すさとり。
そのままこいしは、お燐と一緒に扉の方へと向かっていく。
扉の影に隠れて見えなくなるまで、こいしはさとりを見続けていて。
勿論さとりも、こいしの姿が見えなくなるまで姿を見続けていた。
ぱたん。
やがて静かに扉が閉まると、さとりはくるりとUFOの方を向く。
その表情は、どことなく呆れていて。
はあと一つため息をつくと、腰に手をあてこう言った。
〜以下、ダイジェストでお送りします〜
§
「……こんなところで何をしていますか、あなたたちは……」
ぱか。
「けほ、けほっけほっ! あー……苦しかったー……っ」
「……もう、試運転とか言いながら思いっきり墜落するとはどういう了見よ!」
「私だって好きで落ちてるわけじゃないわよ!あーもう、ムラサとなんか乗るんじゃなかった!」
「……ねぇ。半ば強引に私を連れていったのはぬえじゃなかったっけ……?」
「そこまでです。二人とも、どうして地底までやってきたのですか……」
「げ、さとり。どうしてあんたがこんなところにいるのよ」
「それはこっちの台詞です。ここは地霊殿のおくうの部屋で、あなたたちの方が部外者なんですよ」
「「えっ?」」
「……はあ。とりあえず面倒事にはしたくないので、こいしやお燐には出て行って貰いましたが……」
「あ、それはありがと。私の正体不明に傷が付いちゃ困るからね」
「何自慢げに言ってるのやら……とにかくぬえ、早く聖のところに戻らないとまた夕食半分にされちゃうよ?」
「そうだった! じゃあさとり、またいつかの宴会とかでね!」
「待ちなさい」
「……ぬぇん。何よ、私はこんなところで止まってられるような妖怪じゃないわよ」
「UFO消していきなさい」
「……ああ、あれを消してほしいのね、はいはい……っと」
ぱきん。
「はい、これでいいよね?」
「……UFOを正体不明の種で作る根性は見上げたものですが、今度からは気を付けてくださいね?後おくうにまた拾われないように」
「はーい、気をつけますー」
「それじゃあ、失礼しましたー……。ほらぬえ、行くよ?」
「ふぎゅ……ムラサ、あんまりひっぱらないでーっ」
「ええ、また暇があったらいらっしゃいね?」
§
「……ということでした」
「え、結局あの中にはぬえが入ってたの!? ……ちょっと会いたかったのになー」
「まあまあ、また地上に出て遊んで来ればいいじゃないですか。まずはこの掃除が終わってからですよ」
「はーい」
「さとり様、こいし様、掃除終わりましたよー」
「ええ、ありがとお燐」
結局あの後さとりは二人をまたおくう部屋に呼び戻し、UFOの中身について大雑把に話した。
具体的に言うと上の会話の通りである。
そして今現在、さとりとこいしはコレクションの中に埋もれていた椅子に座り、お燐とゾンビフェアリーはぱたぱたと埃をはたき、綺麗にしている。
時間的にはそろそろおくうが帰ってくるので迅速にする必要があるのだが、もう九割方終わっていたためこうしてゆっくりしている。
今は「仕上げ」の時間である。もう少しで匠の仕事が完了するのだ。
―――そして―――。
「……片付いたーっ!」
「ええ、ようやく終わりましたね……」
「はい!これでもうおくうの部屋は普通の部屋ですよ!」
ついに、片付けが完了した。
前まではどことなく暗い雰囲気がして、薄汚れていた感じがしたこの場所も……。
なんということでしょう。部屋が一気に解放感に満ち溢れ、素敵な普通の部屋へと様変わりしました。
山のように積まれていて、いつ崩れてくるか分からない危険なコレクション達も……。
なんということでしょう。全て撤去され、新しいスペースが誕生しました。ここに何を置くのかは、部屋の主であるおくうさん次第です。
床や壁紙も明るいものに張り替え、雰囲気を一新。この辺に、匠の技が感じられます。
そしてさらに、家具や椅子、ベッドと言ったものも模様替え。
予算内(0円)にもまとめてあり、非常にお安くしあがりました。
恐らくここが、おくうさんの新生活の第一歩となることでしょう……。
「……ナレーションは、私古明地さとりがお送りしました」
「さとり様、一体誰に向かって言ってるんですか……」
「……さぁ、おくうが帰ってきたら、なんていうかなー!」
§
そして、約三十分後。
「さとり様こいし様お燐!たっだいまー! ……ってあれ?」
「ええ、おかえりなさい。おくう」
「……はれ? 三人とも玄関にいて……珍しいですね?」
扉を開け、帰って来たおくうに早速三人が出迎える。
普段が普段三人全員が玄関に揃っていることなんて滅多になかったので、首をかしげるおくう。
そんなおくうに、こいしがにこにこと話しかける。
「あのね、おくう。ちょっとこっちに来て欲しいの!」
「え、あれ、はい?どうしたんですかこいし様?」
「いいからいいから。ほら、おくうは黙ってついて行きなって」
ずりずりずりずり。
「あ、ちょっとお燐、ついて行くとか行かないとか以前にもう引っ張られてるんだけどっ?」
「……ふふ。まあおくう、黙ってついて来たら分かりますよ。どうしてこんな扱いを受けるのかがね」
「あ、はい……」
さとりにそう言われると、おくうは黙ってこいしとお燐の後を歩いていく。
一体何が起きているんだろう、とおくうの頭の中がこんがらがっているのは確かだが、どうやら私に関連することらしいとはうすうす気づいているようだ。
「……さ、着いたよ!」
「着いたってー……ここ私の部屋じゃないですか?」
ちょっとわざとらしく回り道をした後、こいしがとんとんと扉の部屋をたたく。
それはおくうの部屋だった。
どうして三人に囲まれた揚句、自分の部屋まで歩かないといけないんだろうとおくうは思っていた。
その頭の中に、自分が集めていたコレクションの映像はない。
心を読んでそれを知ったさとりは、促すようにおくうの手を取り、こう告げた。
「ええ。ここは確かにおくうの部屋。……でも、ここは今までとは少しだけ違うんですよ?」
「うにゅ?……つまり、どういうことですか?」
「まあ開けてみなさいな。求めよ。されば与えられん、です」
「……少し用法が違うような気がするけど……まあいいや。さ、おくう。この扉開けてみてよ」
「は、はい!」
言われた通りにおくうはドアノブを握り、ぐるんと回す。
そしてどことなく緊張した面持ちで、ぐっと扉を押した。
そこには。
「……あ……れ…………?」
大事に大事にしていたおくうの「宝物」が何一つ、綺麗さっぱり無くなっていた。
ない。「宝物」が、ない。
ぷつんと、頭の中の何かが切れた気がした。
それと同時に、おくうはまるで人形のようにぴたりと動きを止めてしまったのだった。
§
「あれ、おくうどうしたの? 新しい芸風?」
こいしがおくうの頭を叩いてみたりスカート捲ったり挙げ句に乳を揉もうとした所でさとりから痛恨の一撃を食らったりしたが、彼女は微動だにしない。最早石化と言ってもいい。
冗談では済まされないとお燐は悟った。
普段から命がけの悪戯も多いが、おくうはそれに気付かないか、気付いても即座になんらかの反応を返す。多くは実行を伴う核反応だが、
……静かな炎より恐ろしい物はない……!
最近では八咫烏の力を手に入れた時にシリアスモードになりこんなこともあったが、あの時は原因が外部にありかつ本人の責任も少なからずあった。
だが今回は違う。
「そうか、あんまり劇的アフターになったから感動で生命活動が停止したのね」
どちらかと言うと憤死するかもしれないんですけど! と何も状況を理解していないどころか理解する気など無さそうな妹の方に目配せするが、気付かない。
出来れば臨界点突破の自爆系はしないで欲しいと、親友たる自分から歩く核兵器を制御しようと一歩を踏み出した。
下手をすれば猫の丸焼きになることを覚悟で。
「あ、あのさおくう。落ち着いて聞いて欲しいんだけどさ。ほら、部屋かなり溜め込んでいたじゃん? それでおくうのいない間に片付けて綺麗にしてあげてびっくりさせようと思ったんだよ!」
「いや単純に臭い物はみんな死ねの理論で――」
言葉が続く前に我が心境を読み取った主がホールドした。グッジョブですさとり様、と賞賛しつつ無意識に事態を悪化させようとする鬼畜系妹こいし様に激しく黙れと怨霊付きで念を送る。
「うにゅ……そう、なの?」
……よくやったあたい、石化解除の魔法覚えたよやったねお燐ちゃん!
このまま上手く誤魔化す方向で軌道修正すれば、今回の事態を無かったことに出来る。そう確信しながら願掛けしたお燐は、バレた時の為に行くべきなのは寿司屋か焼肉屋か考える。ああそういえばこの間新しい焼肉屋出来たよなー、でも高級そうだし金は経費で落ちるだろうか、是非曲直庁もそれぐらい融通きかせてくれてもいいはずだ、なにしろキューバ危機をベルリンの壁崩壊に変えた級の功績はあるはずだ。
「んで、私のコレクションは……?」
想像より早く危機は再来した。超高速で今月の残高とさとりへの説得方法を計算し、
「それなら、捨てましたよ」
「これはさとり様の所為ですよね!? あたい全部経費で落としますよ上カルビだっていっちゃいますからね!!?」
「捨て……た?」
「ああいや違うんだ、そうじゃなくてどう見てもガラクタなやつはともかく――」
言葉は最後まで続けられなかった。
その時にはおくうはさとりに突進するかのような急加速で駆け、詰め寄った。
「さとり様、捨てたって……!?」
「おくう、あれは貴方のコレクションであることは理解しているつもりです」
理解も何も無い。おくうが今どんな思いでいるか、その全てを彼女は知っている。
「……ですが、地霊殿は貴方一人だけのものではありません。この調子ならいずれ、広いこの屋敷とて埋まってしまうことでしょう。だから私は許可しました、貴方のコレクションを」
言い直して、
「"宝物"を灼熱地獄で燃やすことを」
すべては刹那の間に行われたことだった。
霊烏路空の制御棒が振り上げられたのも、
古明地さとりが目を閉じたのも、
古明地こいしが覆い被さったのも、
火焔猫燐がさらに間へと割り込んできたのも、
お燐は視線を外すことなく、吊り上がった、しかし眉尻を下げた彼女を見据えた。
時が遅くなるなんてことはない。来るべき衝撃を考え、その後で動くために手足へ力を込める。
それだけしか出来なかった。
「――――っ!!?」
風が額を通る。
ただそれだけだった。
おくうの右腕、制御棒は、お燐の額直前にあり、僅かに髪をその形に潰している。
「――おくう、さとり様になに手を出してるんだよ」
怒りを抑えているのか、涙を堪えているのか、おくうは歯を剥いて食い縛っていた。
「あんたが怒るのも無理はないさ。だけどね、捨てたのはあたいだよ。あの焦熱地獄に死体を放り投げるように、よく燃えるように投げ込んだのはあたいさ。だから殴るのはあたいにしな」
「ち、違うのおくう。私が最初にゴミ屋敷だーって」
「こいし様は黙って!」
そうだ、彼女達はもう関係無い。いや関係させちゃいけない。
ここで関係させると言うことは、すなわちおくうが彼女らに何らかの危害を加えると言うことだ。それはなにより、おくう自身を傷つけてしまう。
……あいつは、さとり様が大好きだから……。
さとり様はこいし様を大切にしている。だから彼女もだめだ。
だけど自分なら違う。普段からじゃれ合ったり時には喧嘩したり、この間の騒動の時だってそうだ。止めようとしたのは自分で、
――けれど止められなかった。
だから今度こそはと、お燐は決意を視線とする。
その怒りにも似た目に睨まれた。
おくうは気圧されたのか、たじろぎ、叱咤された子供のように怯え、しかし睨み返す。
場が熱くなる。おくうの力が知らず知らずのうちに解放されているのだ。けれどこの程度の熱さ、焦熱地獄で仕事をするお燐には効かない。むしろおくうが本気を出せばこの程度で済むわけはない。
その事に若干の安堵を覚えつつも、お燐はにじり寄った。
後退する。パワーでは圧倒的なはずの彼女が、一匹の猫に気圧されている。
やがて二歩、三歩と続き、おくうが威嚇用にと広げた翼が壁に触れた。
とどめとばかりに、唸った。獲物に飛びかかる直前か、縄張り争いか。
左右に首を振る。しかしどこまでも彼女の眼は追ってくる。逃げられはしない。
「ッ!!」
それを知った時、彼女の表情は困惑とも呼べるものだった。
何故自分が責められている。どうして捨てられた。お燐は味方じゃないの?
覚り妖怪でなくたってわかる。痛い程に、繋がっているように。
緩めはしなかった。彼女を大切に思うが故に。
……例え、嫌われても……。
悲しみの表情、その最もわかりやすい変化。
頬を伝う物が何なのかと呟く前に、突如として風が爆ぜた。
目が反射的に閉じ、しかし目の前で大きな羽ばたきが音としてぶつかってきた。
全身を覆う衝撃、切り刻まれるのではないかと思う力が上へと消えていく感じがして、
「お燐の……バカ――――ッ!!」
消えた。
彼女の姿はもう見えない。風穴の空いた天井からは埃や欠片が落ちるばかりで、立つ鳥の跡を残すばかりだ。
ケホッと一度、ススだらけになった顔で咳をする。
思う所は沢山あるが、どれも表情にし難く、嘘のように平然としていた。きっとすべてを抑えているから、最低限取るべきであろう感情ですら浮かべられない。
ただ一言、これだけは言わなくちゃいけない。
誰にも顔を見られないよう背を向けて、仰いで言った。
「……なにさ、バカはあんたの方でしょ。バカ」
§
数日後。
「……おくう、帰ってきませんね」
ぽつりと呟くさとり。
「帰ってこないね〜」
静かな地霊殿。こいしの声がやけに響くように感じるのは気のせいだろうか。
「……い、いいんですよ。もうすぐまた何か拾って帰ってきますって」
『おくう、何処いったんだよぅ。みんな心配してるんだよ。あたいだって……』
「ふぅ……」
素直になれないお燐の考えをみて、ため息をつくさとり。
そんな空気にいたたまれなくなったか、
「……失礼しますね」『おくう……ごめんよ』
お燐はリビングから出て行った。
「……わたしの、せいかなあ……」
小さく呟くこいし。
「……あなたのせいじゃないわ。敢えて言うなら……私たち全員のせいでしょう。あるいは……覚りのくせに、おくうの気持ちを分からなかった私のせい、ね」
自嘲の苦笑いを浮かべるさとり。
「おくう……どこにいるのかなあ……」
地霊殿は、火が消えたかのように静かだった。
§
「おくうやーい……どこだーい……」
その頃、お燐は地上にでていた。パルスィの目撃証言によると、数日前に泣きながら飛んでいったそうだ。
だが、空模様はあいにくで、鬱蒼と立ちこめる濃い灰色の雲が、今にも堕ちてきそうに空を覆っている。
「……あたいが悪かったよ。おくうの宝物、ちゃんととってあるから……」
呟きながらも、視線はきょろきょろと、見慣れた姿を探す。だが、当てもなく探すには、幻想郷は広かった。
「神社は二つとも外れだったし……あそこ以外に、おくうの行きそうなところ……」
博麗神社にも、守矢神社にも、おくうは居なかった。
「う〜、いったい何処にいっちゃったのさ……あれ?」
ぽつ、と、何かが顔にあたる。お燐は、ソレを指でぬぐった。
「なに……水? うあ、雨、降って来ちゃったよ……」
また、ぽつ、と水滴が顔にあたる。そして。
ぽつ、ぽつ、ぽつぽつ、ぽつぽつぽつ、ぽつつぽぽつつつ
一気に降り注いで来た。
「わあっ! こりゃひどい」
地底では雨は降らない。故に、お燐は傘という物を失念していた。
「うう、こんな時に……」
恨めしげに空を見上げるが、ざあざあと降り注ぐ雨は、まったく止む気配はない。
「どこか、雨を防げる所……あの森でいいか……」
おくうの事も心配だが、このままでは自分がびしょびしょになってしまう。お燐は、目の前に鬱蒼と広がる魔法の森に飛び込んでいった。
「はぁ、ついてないなあ……」
手頃な大きさの木を見つけ、その下で雨宿りするお燐。なんとはなしに辺りを見回す。と、その時、視界の端で何かが動いた。
「今、何か……」
がさがさ、がさり。
「!? 誰か、居る?」
がさり。
視界に、見慣れた白と黒と緑が飛び込んできた。
「お、おくう……!?」
おくうであった。偶然か必然か、森の中におくうが居たのだ。この数日、ずっと着た切り雀なのか、服はあちこちがすり切れ、かぎ裂きのような破れも出来ている。
いつも丁寧に手入れしていた濡れ羽色の翼はしなっとなり、普段からぼさぼさの髪は、小枝やら葉っぱやらがからまりついている。有り体に言って、悲惨な有様だった。
おくうは、こちらに気がついていないのか、ずっと下を向いたままだ。その背には容赦なく雨が降り注いでいる。
探し求めていたおくうを見つけた。だが、お燐はそこから踏み出せなかった。一体、どの面さげておくうに会えばいいのか。
今ならわかる。自分の大切な物を自分が居ない間に捨てられて、怒らない奴など居ない。
今更出て行って、なんと言えばいいのか。
恥ずかしさと、困惑と、若干のプライドが、お燐の足に絡みつく。
そうこうしている間にも、おくうは、あちこちに首を突っ込みながら移動していた。
「おくう……」
お燐は、飛び出すことも逃げることも出来ずに、ただおくうの後を追って動き始めた。
§
足が痛い。冷たい。背中が重い。
疲れ切ったおくうは、服が濡れるのも構わず──もっとも、既に雨のせいで全身びしょ濡れなのだが──手近な大木の根本に座り込んだ。
「はあ……見つからないなあ……ひどい雨になっちゃうし……」
奇しくも、お燐と同じように、天をみあげるおくう。
「はあ……」
ため息をつくと幸せが逃げる、とは、どこで聞いたか。それでも、自然と出てしまう。
「うう、なんか背中が重たいと思ったら、羽根湿ってる……はぁ……まいったなあ……」
ざあざあ、と、全てを包み込むように、雨が降る
「おくう……」
おくうが木の根元に腰を下ろすのを見て、お燐はその木の反対側に腰を下ろした。木を挟んで、静かな時間が流れる。
声をかけねば、何か言わねば、と思いながら、最初の一歩が踏み出せないお燐。
自分は、こんなにも臆病だったのか。その想いが、無性におかしく、哀しかった。
「おくうっ……!」
強く、大きく声が出る。
「ふぇ? 誰?」
びくうっ。
気付かれた。大声を出した自分の迂闊さを呪うが、言霊は取り消せない。
出て行くか、逃げるか。逡巡するお燐だが、おくうは構わず話しかけてくる。
「私の名前を知ってるあなたは……もしかして、神様?」
突拍子もないことをいうおくう。もっとも、おくうはなにかと神様に縁があるので、おくう的には自然な発想なのかもしれない。
「あ……そ、その通り。神様だ……である」
引くに引けず、お燐はおくうの勘違いに乗ることにした。
「ええ……おくうが、とても哀しそうだったので、声をかけた。どうかしたのかな?」
うまくすれば、おくうが何をしていたのか、どうして帰ってこないのか、聞けるかも知れない。騙すようで気が引けるが、こうなったら押し通すしかない。
「うん……神様……私の話、聞いて貰えますか?」
「言ってごらん」
「私、家のみんなと喧嘩しちゃったんです……それで、友達まで怒らせちゃって……」
「お、おくう……?」
ぽつり、ぽつりと、おくうは先日の事を話し始めた。
自分が、外出するたびにいろんな物を拾っていた事。
その拾い物で地霊殿が溢れていた事。
堪忍袋の緒が切れた住人達によって、一切合切が捨てられてしまった事。
「あのときは……さとり様にまで当たり散らして……でも……ほんとは、分かってたんです。ため込みすぎだって……」
うつむく。声が震えてくる。
「いつも、へ、部屋に戻る度に、もう止めよう。これっきりにっしようっ。これらも、整理しようって……決めてるのに……っ!」
(おくう……そうだったんだ……)
「私っ……、莫迦だからあっ……、すぐ忘れて……っ」
「あのときだって……っ みんな怒って当然なのに……それなのにぃっっ……!!」
縮こまって震えるおくう。
お燐からは見えないが、ひくっ、ひくっ、という、啼き声が聞こえる。
「私、私は……もう、帰れない……っっっ!」
「……おくう」
「は、いっ……」
思わず話しかけるお燐。
「あた……お燐は、怒ってなどいないよ」
できるだけ声色を変えて、おくうに話しかける。
「え……」
顔を上げるおくう。
「むしろ……謝りたいと思っている。喧嘩したこと、宝物を捨ててしまったこと……」
できるだけ、客観的に。神様らしく。詰まらないように。
「謝るだなんて……悪いのは、私っ……」
「……それに……全部を捨ててはいない……一部は、取ってあるようだ」
「えっ!?」
「……信じられない?」
「! ううん、信じる! 神様だもん、信じるよ!」
がばっと顔をあげて、叫ぶおくう。
純粋なおくうの発言に、キリと胸が痛むおくう。だが、自分の気持ちは本当のこと。
「……雨が止むまで、休んでいきなさい。遠慮は要らない。疲れているのだろう?」
「はい! ありがとうございます!」
「……ではな。……仲直りできると、いいな」
「うん!」
先ほどとは打って変わって、明るい表情で空を見上げるおくう。
お燐は、そんなおくうを確認すると、そっとその場を離れた。
これ以上この場にいると、自分の泣き声を聞かれてしまいそうだったから。
§
「ただ今戻りました〜!」
お燐は、地霊殿を出かけたときとは打って変わって、元気な声で帰宅を告げた。
「あ、おかえり〜」
「お帰りなさい、お燐…………そう、おくうが見つかったのね」
リビングまで戻ってきたお燐を出迎えるさとりとこいし。そしてさとりは、お燐の心を読んで、すぐに事態を把握した。
「あ、見つかったんだ。あれ、でも一緒じゃないの?」
読心のすべを失っているこいしは、いまいち事態が把握できない。
「はいっ。その、おくうは、もうすぐ帰ってきます。……あたい、莫迦ですよね。おくうの気持ちを全然考えてませんでした。あれだけいつも一緒に居たのに……」『こんなんじゃあ、おくうの友達だなんて言えないよね……』
うつむくお燐。
「私もですよ。覚りなのに、飼い主なのに。……心のどこかで、おくうを軽んじていたのかもしれませんね。ほんと、飼い主失格だわ」
そう言って、ため息をつくさとり。
「あたい、おくうにちゃんと謝ります。それから、とっておいた宝物も返さないと」
「わたしも反省〜。かたづけるにしたって、ちゃんとおくうに言わないとダメだったよ。お燐、一緒にあやまろ」
「私も、ですね」
「こいし様、さとり様……」
潤んだ目で、二人を見つめるお燐。
「た、ただいまです!」
そんなところへ、おくうがひょっこり帰ってきた。三人が居るリビングに顔を出す。
「お、おくう!」
おくうのほうに向き直るお燐。はっと顔をあげるさとり。さっと立ち上がるこいし。
「あ、あの……」
「えっと……」
「その……」
「えーと……」
「「「「ごめんなさいっ」」」」
皆、一斉に叫んで頭を下げた。
「え?」
「お、おくう。おくうは何も悪くないよ。謝らないといけないのは、あたい達だよ……」
おずおずというお燐。
「そんなことないよお燐。私は……さとり様。何日も居なくなって、すみませんでした」
そう言って、さとりに頭を下げるおくう。
「それから、地霊殿を、拾いモノで一杯にしちゃって、ごめんなさい」
さらに深々と頭を下げるおくう。
「おくう。頭を上げて……謝るのは、私のほうですよ。いくら貴女の飼い主だからって、何の相談もせずに、勝手に貴女の私物を処分してしまいました。……ごめんなさいね」
おくうの手をとり、真摯に謝罪するさとり。
「あの、あのねおくう。その、お姉ちゃんは、あんまり悪くないよ。その……捨てようって言いだしたの、わたしだから……ごめんっ」
ばっ、と、頭をさげるこいし。
「う、うにゅ?」
無断外出と、大量の拾得物の件で咎められると思っていたおくうは、主二人に頭を下げられ困惑する。
「あたいも、ホントごめん。あの、さ、あたいの事、ぶん殴ってくれていいから……」
そういって、お燐も一緒に頭を下げる。
「う、にゅ、にゅ? そ、そんな、みんな、そんなに謝らないでくださいよう……も、元はといえば、私が集めすぎてたのがダメだったんですから……」
うろたえながらも、なんとか言うおくう。
「うん、その、集めてたのだけどね……ちょっと待っててね、おくう!」
そういって、お燐は駆け足で部屋を出て行く。
「うにゅ〜?」『なんで〜?』
よく分からない展開に、首をかしげるおくう。
「わからない?」
微笑みを浮かべて、問うさとり。
「あ、はい……」『悪いの、私だよね……?』
そんなおくうを、さとりはにこにこと見ていた。こいしも安心したのか、いつもの、とらえどころのないアルカイックスマイルを浮かべている。
「おくう、おまたせ〜!!」
お燐が、一抱えはある、大きな段ボール箱を抱えて戻ってきた。
「お燐、それなに?」
「うん、おくうの宝物だよ」
いいつつ、蓋を開けるお燐。
「かさばらないものは、とっておいたんだよ。あのときは言い出せなかったけど。はい。せめてこれだけでも、返せてよかったよ」
ずい、と、箱をおくうに押しやる。
「あ、これ……!」
中身を確かめたおくうの表情が、驚きと笑みに変わる。
「全部、おくうのだから」
「ミラーリに……金属モックス! こっちは睡蓮の花! 無名祭祀書に、ダークスティールのペンダントだ!」
おくうが、ひとつひとつだしては、嬉しそうに声を張り上げている。
そんなおくうを、安堵の笑みを浮かべて見守るさとりとこいしとお燐。
「……おくう」
そして、さとりはおくうに声をかけた。
「うにゅっ!? は、はいさとり様! あっ あのっ 私、もう、いろいろ拾ってきたりは、しませんからっ、その」『もう、もう、今度こそ! 拾ってこない!!』
しどろもどろで言いつのるおくう。だが、さとりはそんなおくうを遮り、
「いいえ、いいのよ。それより、倉庫を造りましょう。どうせ土地はあるのだし、鬼達に頼めば、数日で出来るわ」
告げた。
「うにゅ……?」『倉庫……? どういう意味……?』
「貴女の部屋と、倉庫に入る限りは、好きなだけ拾ってきてかまわないから。それから、今後は、毎月整理整頓しましょう。置き場所を有効に使えるようにね」
「えっ……じゃ、じゃあ、さとり様……」『拾ってきても、いいの?』
「ええ。置く場所がある限りはね」
「うわーい!!」『拾ってきてもいいんだ!』
飛び上がって、喜びを表現するおくう。
「よかったね。おくう!」
お燐も、我が事のように喜んだ。そしてさとりは、
「じゃ、おくう。まずはシャワー浴びて、髪も洗って、着替えてきなさい。酷い格好よ。お燐だって、びしょ濡れじゃない」
言われて、はたと気がつくお燐。
「あ、そうだった。おくう、一緒にお風呂に「やっぱり、神様の言うとおりだった! ありがとう神様!」
こちらは聞いていなかったのか、おくうは、上を向いて叫んでいた。
ぴく、と耳と尻尾が動くお燐。
「神様? ああ、山の二人のこと?」
事情が分からないこいしが訪ねる。
「いいえ、こいし様。山じゃなくて、地上の森の中で、声をかけられたんです! 私の名前も知ってたし、拾ってきてたものが、本当は捨てられてないって、知ってたし!」
神様すごい! と繰り返すおくう。微妙にいたたまれないお燐。
さとりは、そんなおくうとお燐の心を読んで事情を察したが、
「そう……よかったわね、おくう」
そう言うだけに留めた。何か言い足そうにこっちを見ているお燐には、おくうには見えない角度でウインクをしておく。
さとりの様子を見て、ほっと安堵するお燐。
「じゃあおくう、一緒にお風「ああっ! そうだ、忘れるところだった!」
「いや、だからお風呂……」
おくうが再び叫んで、箱の中に頭を突っ込んだ。
お燐は、そんなおくうを切なそうに見るしかできない。
「ええっと、これとこれと……」
何かを探し出しているおくう。そして、いくつかを手に取った。
これだ! よし、さとり様!」『さとり様さとり様〜』
満面の笑顔で、さとりのほうに向き直るおくう。
「なあに、おくう」
「えへへ……プレゼントです!」『さとり様、本好きだよね?』
そういって、おくうはさとりに、先ほどの無名祭祀書を手渡した。
「プ、プレゼント?」
突然本を渡されて困惑するさとり。
「ええ。さとり様、本好きでしたよね?」『だから、本のプレゼントッ』
「え、ええ。好きよ……けど、いいの? これは……」
貴女の宝物でしょう? と続けようとしたが。
「ええ、良いんです。もともと、差し上げるつもりだったんです」『私が読んでもさっぱりだったし!』
「そう……ありがとう。貰うわ。ふふ、どんな内容かしら?」
そう言ってさとりは、その本を大切にかかえこんだ。
「それからこっちは、はいっ こいし様! 睡蓮の花です」
おくうは、透明感のある黒っぽい花びらをした、睡蓮の花の造花をこいしに渡した。
「わあっ、ありがとう、おくう! 綺麗……これなら、帽子の飾りにいいかなあ……」
ひっくり返したり、光に翳したりするこいし。
「それから、お燐。お燐にはこれ。ダークスティールのペンダントだよ」
ひょい、と向き直られたお燐は、きょとん、とした。
「えっ。あたいにも、くれるの……?」
貰えるなんて思わなかった。思えなかった。嫌われなかっただけ御の字だと思っていた。
「もちろん! 友達なんだから」
にこにこと、ペンダントを差し出すおくう。おずおずと受け取る。
「あ、ありがとう……」
あれだけの事をしたのに。
それでも、おくうは自分のことを友達だと言ってくれる。
「おくう……ありがとう……!」
我知らず、涙がこぼれた。ぽたぽたと、ペンダントを握りしめた手に水滴が落ちる。
「お、お燐!? ど、どうしたの? ペンダントはいやだった?」
なにを勘違いしたか、わたわたと手を振るおくう。
「ち、ちがうよ。嬉しくて……ありがとう。本当に」
「そ、そう? ならいいや!」
ぱあっと笑うおくう。
そんなおくうを見て、もう二度と、おくうを悲しませるようなことはしない。そう誓うお燐であった。
>>無名祭祀書
さとりんそれ読んじゃだめええええええ
善哉、善哉。
大学進学で部屋の大整理があり、大学に入ったら入ったでサークルの部室移転があり。
大量の物をまとめたり掃除したり捨てたりした経験がある自分は、
「捨てちゃえよ」というこいしの気持ちも、「何で捨てたんだ」というお空の気持ちも良く分かります。
新聞のネタ集めてるじゃないですか。
さとりの読心部分『』では、お空の心境と行動が常に一致している、お空らしい単純さが面白かったです。
アットホームでほのぼの。
よいハートフルコメディin地霊殿でした。
もう少し短くまとめていい気もしますが、丁寧な描写がすっと頭の中に入り込んでくれたので読み易かったです。
ただ、タイトルは中味と合ってないようにも思います。最初シリアスかと思いました。
あるある。
こういう優しい地霊殿作品がもっと読みたいと思うので、そういった気持ちも込めて70点差し上げます。
>あの時は侵入がそもどもばれていなかったので、皆無意識に飲んでいたんだろ、
>……そういえば昨日は鬼熊のに (これは故意かもしれませんが、いちおう
>たくさん物の中に、金属片らしき物がちらと姿を現したのだ。
さとりが強か過ぎてウケるwwwそしてこいしの平静とツッコミ時とのギャップがまたww
まさかのシリアスパート。まぁ家帰ったら宝物が捨てられてたってなったらその瞬間はブチ切れちゃいますよね。
まぁ誰が悪いっていうとみんな悪いのかな。
それでもちゃんと仲直り出来るのが地霊殿ファミリーなのですねv
哀情表現のあたりで妙な予感がしつつもさあどうなる…?とどきどきしてたら
ボインボインのあたりから本格的に崩壊はじまってワロタ
でも最後はハートウォームに締めてて
なんだろうこの辛いものと甘いものをいっぺんに食べたような不思議な感覚。
心温まるお話でした。お見事。
とくにこいしちゃんが所々テンション高くて、次に何をしてくれるのかワクワクしながら読めました。
ケンカはするけど最終的には仲直りするお燐とお空の暖かい感じもよかったです。
こんな感じの明るい地霊殿が見れて、ほっこりしました。
大変申し訳ありません!
おりんかわいいっ。
物足りなさを感じ無いのはきちんとキャラが書けているからでしょう。
お空に神様をぶつけた辺り、上手くやったなぁと思いました。
最後はとても和やかな雰囲気を感じました。