てのひらをたいように

作品集: 最新 投稿日時: 2010/06/14 02:20:41 更新日時: 2010/07/31 22:50:54 評価: 33/90 POINT: 5100 Rate: 11.26
 異変に最初に気がついたのは下っ端の哨戒天狗だった。

 草木には朝露が滴り、雀が太陽の出を喜び囀る頃。
 彼女はいつものように滝の裏にぽっかりと空いた洞窟で河童との一局を楽しみに待っていた。しかし、この日に限って対戦相手である河童がやってこない。多少遅れるのはいつものことだからと気にせず盤面の局面を、次の一手を構想していた。

 昨日は河童が勝った。
 一昨日は自分が辛勝した。

 勝ちと負けの二極について瞳を閉じてひたすらに考え込む。やや肌寒く静謐な空気の中、いやに思考が冴え渡る。あの一手か、それともこの一手か、数十数百先の読み合いをする遊戯、将棋。実力も知識も、下手の横好きなりに備えていた哨戒天狗には、この事態まで読むことはできなかった。
 或いは、億手先を読むことのできる程度の能力を有していれば、それも可能だったのかもしれない。

 静か過ぎた。

 今、自分が居る場所は滝の裏側だ。

 そう、静か過ぎる。

 哨戒天狗は違和感を覚え、ふと滝の方へ視線を移すと、「あっ」と小さな悲鳴をあげて立ち上がった。
 河童が来なかった理由、そしてこの幻想郷に起こった異変を理解し、いつもとは違う風景にしばし見惚れていた。
 やがて、自分にはどうにもならないことを悟ると再び座り込み、盤面に向かう。対戦相手はそのうち来るだろう。

 巫女か魔法使いか、いずれにせよ何処かの誰かが異変を解決するまで、まだまだたっぷり時間はありそうだった。










『てのひらをたいように』










 幻想郷の端の端、博麗神社。滅多に参拝客の来ない聖域。聖白蓮は木々が優しくざわめく声に聞き入り、思わず足を止めた。照りつける日差しが心地よく、夏という季節を主張している。思わず手のひらを太陽にかざした。白い肌に透けて見える血潮が、自分の生がこの幻想郷にあるのだということを実感させる。眠りから覚めたのにも意味があるはずなのだ。この時、この時代に、聖白蓮という僧が解放された意味。そんな小難しいことを考えていると皺が増えますよなんていう星の小言が聞こえたような気がした。そう、もう悲しいことなんてないのだから、自分は笑ってなければいけない。頬を伝う雫に気がつき、指で掬うとペロリと舐め、再び歩きだす。
 博麗神社に呼ばれたのだ。自分たちを仲間だと認めてくれた人妖たちに感謝しながらも、初めての経験に密かに心躍らせていた。

「みんな揃ったようだな」

 聖白蓮の封印が解かれた意味を考えるよりも酒盛り以外でこの聖域に人妖が集まることの意味を見出す方が簡単であった。幻想郷に住むもの達にとって重大なことが起きたということ。決して小さくはないとは言え、人数に比べるとどうしても手狭になってしまう社務所の中。幾多の人物がちゃぶ台を囲っている。白蓮は十数名の人妖がひしめく中、空いている席に腰を降ろす。周りは神妙な面持ちで上白沢慧音を見つめていた。別名、博麗円卓会議。博麗霊夢の代になってから召集がかかったのは初めてのことだ。議長を務める慧音もどこか不安げに取り仕切る。

「よし。まずは各々の被害を教えてくれ。姿を消している人物が居ないかどうかも含めて報告を頼む」
「では僭越ながら私から、彼岸の様子を報告させていただきます。とは言え、実に簡潔で、且つ恐るべきことなのですが」

 慧音の左手に座するは四季映姫・ヤマザナドゥ。決して非番だからここにいるのではない、幻想郷の閻魔が動かざるを得ない事態にあるという、ただそれだけのことだった。しかし、逆に言えば事態はそれほどまでに深刻と言う事でもある。映姫の言葉を待ち、自然と沈黙が場に満ちる。

「三途の川が干上がってしまいました」

 室内の沈黙が一層深まる。一言で誰もが理解できる異常事態だった。

「小野塚小町をはじめとする死神たちは人力車で三途の川底を往復していますが……彼女たちの体力もそう長続きはしないでしょう。川を渡れなくなった魂魄たちが彼岸のこちら側に呆然と立ち尽くすのも遠くはない」
「行方不明になったという者は居ないのだな?」

 慧音が念を押す。その声に映姫は、心なしか幾分不安げに首を縦に振った。

「そうですね。小町が今の職務を投げ出して逃げていなければ、ですが」
「そうか」
「次は私、東風谷早苗が山の様子をお伝えします」

 四季映姫の左に正座する早苗が立ち上がり、山の様子をボソボソと話し始める。声色からは明らかに覇気が無く、その表情も青ざめている。妖怪の山、ひいては守矢神社の異変が深刻な物であると察せられる。

「諏訪子様が昨夜から行方知れずとなっています。それに彼岸と同じく、山を流れる川が消えてしまいました。川を生活圏としている河童さん達も姿が見えません」
「土着神の頂点、洩矢諏訪子……ミシャグジを統率する存在。それに河童が行方不明か……」

 霊夢が失踪を意味ありげに呟く。

「はい。神奈子様は諏訪子様の行方が知れない今、山を動くわけにはいかない、と」
「それで欠席というわけだな」

 そのとおりですと早苗が言い、装束の裾が皺にならないように静かに正座する。静か。それは確かに静かなのだが、しかしその様は重心を崩した人形がゆっくりとくず折れる様にも見えた事も確かだ。その場にいた誰もが早苗の心中を察した事だろう。その為にもどうにか事を動かさねばならぬと、慧音は次の報告を促す。河童はともかく、神が行方を眩ますなどあって良いわけが無い。こちらも常ならざる事態であった。

「では次、白玉楼」
「はい。それが、その……異変、というか、被害……というほどのことでもないのですが」
「どんな些細なことでも構わない。話しておくれ」
「わかりました。では」

 早苗の左手に座る魂魄妖夢は遠慮しがちに話し始めた。当人も現在の状況には当惑しているのだろう、迷いを断つと言う白楼剣も、今はいささか頼りなく腰に差さっているように見える。

「汲み置きの水が無くなってしまったのです。私はてっきり幽々子様が昨夜、喉の渇きを潤すためにいただいた物だと思ってしまって……」
「喧嘩した」

 楽園の巫女は静かに指摘する。

「う。は、はい。朝餉に使う水までなくなってしまった物ですから、乾き物で我慢してくださいと言ったのですが……。機嫌を損ねてしまって朝餉を召し上がった後はご自分の部屋に篭りきりに。私が襖越しに話しかけてもよよよ、とすすり泣く声しか聞こえません」
「ふむ。だから今日は西行寺は来ないのか。まぁ、彼女にとっては一大事なのだろうが……」
「私が至らないばかりに……」
「後で私の家の汲み置きの水を分けてやるから、今夜はタップリご馳走を作ってやるんだな」

 慧音が不器用なりに慰めの言葉をかける。

「はい……ありがとうございます」

 返事をする妖夢の顔は仄かに赤い。起きる問題を何かと自身の至らなさに結びつけるこの庭師であったが、しかし慧音の不器用なりの慰めの言葉がわからない程無粋では無い。それ以上は何を言う事もなく、ただ伏目がちに他勢力の報告を聞くのみだ。

「次」
「永遠亭ね。特に被害らしい被害は……ああ、私の水薬があらかた消滅してるわね」

 別にたいしたことないけど、と涼しげに八意永琳が答える。蓬莱人の生涯においては、恐らくこの様な水不足は幾度か経験した事があるのだろう。或いはどうあっても死ぬ事は無いから、と言う諦観の念だろうか。

「行方不明になったものは……」
「兎達は私が直接管轄しているワケじゃないから知らないわ。姫さまはいつもどおり」
「ごろ寝、か」

 歴史屋。

「ご名答。私からは以上よ。取り立てて異常も無し」
「次……あぁ」

 誰もが息を飲む。おおよそ妖しげな事件の黒幕。彼女なら、彼女の主人ならどんな奇跡も、どんな理不尽も引き起こせる。

「主人は多忙の為、私、八雲藍が代理を務める。……実は、この異変は紫様が起こしたものじゃないかと私も疑ったのだが」
「違う、と?」

 霊夢の問いに大きく頷く藍。幾人かが眉に皺を寄せ、幾人かが不適に笑みを漏らす。

「私たちの住処は普通とは違う空間にある為、今回の異変での被害は無い。代わりに私なりの推察を述べさせてもらうよ。実際、コレだけ大規模な異変を起こせる実力の持ち主はおのずと限られてくる。即ち、吸血鬼殿、月の姫君、伊吹童子、非想非非想天の娘、幻想郷の閻魔、妖怪山の大天狗、土着神の頂点、山坂と湖の権化、地霊殿の管理者、命蓮寺の魔法使い、毘沙門天の代理人、西行寺幽々子、八雲紫、それに私。しかし……、今日この場に居ないものが多すぎじゃないか。事情を聞くにも聞けない。或いは話したくないと勘ぐられても仕方ない」
「前科がある人は怪しさ満点ですね」

 文がしれっと口を挟む。刺々しい視線を少なからず受けてるにも関わらず、当人は知らぬ存ぜぬである。

「中には行方知れずになっている者も居る。吸血鬼殿はどうした?」

 紅魔館を代表して参加している二人に藍は問いかけた。

「愚問。今は昼間よ」

 その藍の問いかけに対しては、即座にパチュリーが答えを示した。夜の眷属はどこまでもマイペースかつ自分勝手であり、この異変も退屈な日々に刺激を与えるイベント程度にしか認識していないのだろう。非協力的な姿勢を示すであろう事は、ある意味最初からわかっていた事であった。

「なるほど。……博麗霊夢、伊吹童子は?」

 霊夢に問いかける。

「……」

 沈黙で応える。藍は鋭く霊夢を睨みつけた。

「博麗霊夢、もう一度問う。伊吹萃香は今、どこに居る?」
「……消えたわ」
「は?」
「消えちゃったのよ! それも私の目の前で! 幻想郷に起きてる異変を探ろうと霧になった瞬間、パッと消えちゃったわよ!! どういうことよ!? 誰が、何処で! 何をしているのよ!」

 不意に音を立てて立ち上がり、堰が切れたかの様にまくし立てる霊夢。彼女にとっても、この事態というのは全く予測ができなかったのだろう。まして目の前で親しい者が消えたとなれば尚更。博麗の巫女と言えども、人の心を失くしたわけではない。今の霊夢を見れば誰もが、博麗の巫女が血の通った人間であると確信せざるを得なかった。しかし、冷静でいられるのにも限度と言う物がある。ただ、だからと言って感情のままに動けば異変が解決するわけではなかった。

「落ち着け、博麗霊夢。ソレを導き出すための場だろう。情報を集めれば自ずと今回のカラクリが見えてくるはずだ」

 慧音が冷静に霊夢を諭す。

「……そうね。悪かったわ」

 冷静に霊夢を諭す慧音の言葉に、霊夢はしばらく間を作った後、小さく頷いた。今ここで騒いでもどうにもならないことは、全員が理解していた。だからこそ霊夢はおとなしく引き下がり、正座する。会議の参加者に鋭い視線を飛ばし、少しでも情報を読みとろうとしている。

「良し。八雲はこの件に関与していないと言うわけだな」
「ああ」
「そして、博麗神社では居候の萃香が消滅した」
「……それだけじゃないわ。裏の井戸。先代の先代から続く鎮守の井戸が枯れていた」

 霊的に守護されている博麗神社の井戸は絶対に枯れることがなかったはずだ。

「なるほど。やはり水に関わるものか」
「私の畑でも地面がひび割れてる。地中の水分が無くなっているわ。ねぇ、向日葵たちが心配だからもう帰ってもいいかしら?」
「……まてまて、もう少しだから。魔法の森は」
「魔理沙が昨日、新しい符の実験だと言って押しかけてきたわ。追い返したけど」
「いつものこと、と言うわけか。次は……紅魔館」
「館を囲む湖が消滅したのと、浴場の湯が無くなったくらいね。……湿気が無くなって本には助かるわ」

 パチュリーが本を読みながら応える。

「お嬢様も嫌いな湯浴みをしなくて助かる、と仰ってましたね」

 続いて咲夜が補足をした。完璧な報告だと本人たちは満足げである。

「そ、そうか……非常事態に陥っているというわけではないのだな」
「飲料水はまだ無事でした」
「地底の様子はどうだ?」
「皆様方の予想通り、地底を流れる川が干上がっています。橋を渡らなくても往来できるために橋姫が川底に嫉妬していました。今は必死に鬼が慰めているようですが……」
「行方不明者は居ないな?」

 こくりと頷いた後、さとりは不自然にならない程度に頭を抑える。これほどの人妖が一堂に会し、そしてそのほぼ全員が苛立っているとなると、嫌でも流れ込んでくる思念の波はさとりに少なからずダメージを与えるのだろう。ともあれ、地底の妖怪が今回の異変に関わっていると考えている者は少なかった。鬼たちが自分の酒を駄目にしてまで異変を起こす理由が無いし、地霊殿の妖怪にも動機が欠ける。加えてこれほど大規模な異変を起こせる力を持つのは地獄鴉程度だが、しかしそれも以前の異変でキツくお灸を据えられて反省していると言う。動機的にも能力的にも、地底はほぼ無関係だろうと大半の者が考えていた。

「次は、命蓮寺」
「ふぇ?」
「……寝てたんじゃないだろな? 聖白蓮」
「い、いえ。そんなこと無いですよ。ちゃんと寝ていませんとも! で、異変ですよね」
「分かってるじゃないか。変わったことはあったかい?」
「ええと……ウチの村紗の唇がカサカサに」
「……」

 白蓮の空気を読まないセリフに一同静まり返る。

「それだけか?」
「それだけです、えっへん」
「……ちょっとまってください」
「ん。どうした阿求。青ざめた顔で」
「その……村紗さんって確か船幽霊ですよね」
「ええ」
「馬鹿な……! ありえない。ありえないんですよ!」
「船幽霊の唇が乾くことがか? たいしたことじゃない気がするが……」
「水に起因する彼女が乾いてしまっている。これが何を意味するものが分かりますか?」

 書記として参加していた阿求が静かに問いかける。参加者のうち数名は事態の深刻さに気がつき、息を飲んだ。

「存在が揺らいでいるということ。今回の異変は単純に水という物質に留まらず、それ自体を起因とする事象になりつつある」
「萃香が消えたのも霧に変化したからだって言うの」
「おそらくは。今はまだ唇の乾燥に留まっているけれど、やがては彼女も消滅してしまうでしょう」
「困ります! 村紗はウチの優秀な船長なんですから」
「それだけではありません。このままでは幻想郷から水を属性として持つ妖怪が――」

 消えてしまうでしょう。

 他の誰でもない稗田阿求だからこそ不確かな情報に真実味が帯びる。ようやく全員が理解した。未だかつてない規模の異変。誰かの悪戯と言うには度が過ぎている事態。だが、最大の問題は、理解しているのにどうしようもないと言う事実を突きつけられていること。幻想郷におきている異変を解決するのは巫女の仕事なのだ。

 博麗霊夢は沈黙していた。

「……では、最後に私、射命丸文が幻想郷を飛び回って得た情報をお伝えします」
「頼む」

 今回は御代は取りません、と文が冗談交じりに言う。

「人里では水田が割れ、やはり里を流れる川が枯れています。汲み置いてある水はまだいくらか無事なようですけど、残された水を奪い合い、自滅するまで阿鼻叫喚の地獄絵図は目前ですね」
「飢餓と乾きは人間の本能を呼び覚ます。数千年に及ぶ人類の戦いの歴史が殺し合いを必然としているのか……」
「残念ながら、人間はそこまで阿呆ではない、と言えないのが現状です。慧音先生の仰るとおり、生存本能が文字通り人一倍高いのですから」

 阿求が冷静に指摘するのを慧音は忌々しそうに聞いていた。

「それと、比那名居天子は今回の件には関わりないみたいです。現に私がインタビューするまで異変を知らなかったのですから。さして興味も無いようでした。魔法の森の入り口はこれもあまり関係無いですね。いつものように店主が暇を潰していました。それと……」

 指折り巡ってきた場所を伝える文。しかしそのどれもが【無関係】であるという情報のみだった。その報告に苛立った幽香が声を張り上げた。

「結局貴女、情報らしい情報を掴んでないじゃないの」
「うぐぐ。それを言いますか貴女は……」
「無関係である。実に重要な情報だわ。そうやって一つ一つ可能性を潰していけば、最後に真実だけが残る。推理小説でも読むかのようにね」

 本に目を通しながらパチュリーが言う。尤も、この会議の真意は別のところにあるのだけれどと呟いて再び沈黙する。

「フォローありがとうございます。続いて報告させていただきます。皆さん気がついていると思いますが、魔法使い、霧雨魔理沙が昨夜から行方不明です」
「ちょっとちょっと待ってよ! 昨日会ったわよ。新しい魔法の実験を手伝ってくれって言ってたけど、追い返しちゃったわ。もしかして私が最後に会ってから誰も目撃してないっていうの?」
「そういうことになります。異変が起きたら真っ先に駆け回る魔法使いの姿が無い。これこそ異常です。アリスさん、彼女は何か言ってませんでした?」
「ええと、確か――」

 アリスの話を聞くまでも無い。博麗霊夢は理解していた。
 巫女の直感と言うべきか彼女に備わった天性の才は、己が紛れもない博麗の巫女、博麗霊夢であることを示している。



§



 麗らかな昼下がり。換えたばかりの畳が井草の香りを漂わせ、障子の隙間から差し込んだ日が柔らかく身体を包んでいる。
 私は霊夢の家でごろ寝をしながら借りてきた本を読んでいた。

「なぁ霊夢。この本に書いてある……コレは凄いな」

 ふと眼に留まった一つの項目に思わず感心してしまった。

「何よ……海?」

「ああ、外の世界じゃ7割が海なんだぜ。世界の広さから比べたら、この幻想郷も島でしかないのかもなぁ」

 一度も海というものを見たことがない私には、それがどんなものか想像もつかなかった。丸い地球、歪む水平線。未だ見たことのない幻想。

「ふーん」

 月の引力によって大きく満ち引きをし、火山や断崖が存在し、全ての生物が生まれた原初の聖域。
 塩辛く、流れ、熱く、冷たい。
 本に書かれている海についての情報は、とても魅力的だった。

「海、なんて……」

 そんな私の興奮を知ってか知らずか、霊夢が忌々しそうに呟く。

「海なんてタダの水溜りよ……」

 私には、精一杯嫌悪を顔に浮かべている霊夢が、酷く悲しそうに見えた――。



§



 アリスがたどたどしく昨夜の会話を語った。
 曰く、魔理沙がやろうとしている実験は、星と水の複合属性の魔法であるということ。自分一人じゃ維持するのが難しいから魔力を貸してくれと言ったこと。

「それくらいかしら。……まさかこんなおおごとになるとは思わなかったけど」
「彼女の『実験』に賛同したものが居るなら、同じように行方をくらましたものの中に手を貸した奴がいるなら」

 情報を整理する慧音。河城にとり、洩矢諏訪子。行方知れずの二名が不気味な符号をしている。

「……なるほどね。純粋な総量を常に一定に保とうとする力が働いているこの幻想郷では、どこか一箇所に極度に質量を集中させるとバランスが偏る。このシステムが、黒幕が未だ幻想郷の内部に存在していることを示しているわ。つまり、魔理沙は今、幻想郷のどこかで大量の水を萃めている。星と水の複合属性。新しい魔法の実験。本当にただそれだけにしては、あまりにも……」

 自分勝手すぎる。実験している魔法とは何なのだろうか。一同に沈黙が走る中、藍は右隣の人物が僅かにクスリと笑みを漏らしたことに気がついた。
 外では鳥が鳴いていた。太陽は役目を終え、山間に姿を隠そうとしている。長くなった木々の影が室内を暗く染め上げている。

「ふむ。どうやら会議はここまでのようだ」

 結論。『幻想郷から水が消失する』異変は、高い確率で『霧雨魔理沙』が引き起こしたものである。

「まさか人間が異変を起こすとはな。過去に一度だけあったと聞くが……。さて、博麗霊夢。どうする?」
「決まってるじゃない。博麗の巫女は異変を解決する。誰が黒幕だったって同じことよ」
「そうか。では、博麗霊夢の今の言葉を以ってこの会議は解散とする。皆それぞれ、異変の早期解決に向けて巫女に協力すること。次に集まるのは、異変が解決した後……そうだな、宴会にしようか」

 慧音の言葉で皆がわらわらと席を立つ。のんびり酒でも呑もうかなんていう者は一人も居ない。アルコールですら、今回の異変で消えてしまうかもしれないのだ。
 咲夜も主君の居ないこの席に留まる理由なんて無かった。



§



 帰り道、枯れた湖は深い谷となり、湖上の紅魔館が陸上の孤島と化していた。

「咲夜。さっきの会議……貴女ならどう見る?」
「茶番ですわ」
「……そう」
「霧雨魔理沙が怪しいというのは会議を開く前から分かりきっています。それをさも新情報のように吹聴した天狗の真意は分かりませんけど」
「再確認した」
「ええ。となれば、円卓会議は博麗霊夢に決意を促す為の場。それ以上の意味を持ちません」
「異変の解決の為に友を討てる?」
「博麗霊夢なら討てません。が、博麗の巫女なら撃たねばならない。それが答えです」

 日はとうに暮れていた。夜の支配する、夜を支配する紅の王。主の目覚める時間が近い。やがて見えてきた紅魔館の門前に、いくつかの人影が見えた。

「あら……珍しい」

 シルエットは片翼を映し出し、館の主であることを告げていた。主と手を繋いでいるもう一つの影は歪んだ片翼を映し出している。

「おかえりなさい。パチェ、咲夜。ご苦労だった」
「おかえりー」
「お疲れ様です。お嬢様がどうしても話したいことがあるというので」
「ただいま、どういう風の吹き回しかしら、レミィ?」

 レミリアはクスクス笑いながら言う。

「魔理沙が来た」
「そう」

 パチュリーにも予想はついていた。霧雨魔理沙は無鉄砲で我侭で、自分勝手だけど、彼我戦力差を見誤るような行いは決してしない。幻想郷を守護するシステムに勝てる公算が無ければ異変を起こそうとなどしないはずだった。
 霧雨魔理沙が紅魔館を訪れた理由。分かりきっている。一つだけしかない。

「素敵な素敵な、素敵な一夜限りのお祭り。今宵、幻想郷を彩る宴。レミリア・スカーレット、フランドール・スカーレットは全ての賭け札を霧雨魔理沙にベットしたわ」
「お、お嬢様……!?」

 詳しい話を聞かされていなかった美鈴には寝耳に水だった。会議に参加せずとも、天狗達が自慢げにばら撒くビラによってほとんどの者が今回の異変と、その黒幕を知っていた。

「何をするか聞いたの?」
「聞いた。聞いた上でこの賭けに乗る」

 レミリアは不適に笑う。魔理沙と言う人間を心から信用するのではなく、単にその方が面白そうだった、それだけの理由だが。
しかしそれは、気まぐれな吸血鬼を動かすには充分過ぎる理由だったのも確かだ。

「魔理沙は幻想郷に無いものを創るんだって。面白そうだよね」
「幻想郷に無いもの……星と水。なるほどね」

 パチュリーはフランドールの言葉で魔理沙の真意に到達した。

「確かにソレが叶ったら素敵ね」
「パチェ。貴女はどうするの?」
「それを聞く? 親友」

 紅魔館の主は分かりきっていた返事を親友から聞き、満足げに胸を張り、

「紅魔館は現時点を以って霧雨魔理沙の味方となる。私たちがつくからには負けは許さんぞ、霧雨魔理沙。人間の限界の一つや二つ、難なく乗り越えて見せなさい」

 高らかに宣言した。
 魔理沙が聞いているわけではない。風に揺れる木々が、彼女の代わりに返事をした。

「さぁ、館に戻りましょう。準備をして、とびきりの場所で舞踏会を見物しないとね。宴に一番乗りするのは私たちだ。咲夜」
「畏まりました」

 咲夜は会釈をし、館に戻ろうと背を向けた二人の後をついて歩く。
 ふと、視線を目の前のレミリアに移すと、姉妹が手を繋いでいる理由が明らかになった。

「面白くなりそうね」

 隣を歩くパチュリーが、同じように二人の背中を見ながら楽しげに呟く。

 紅魔館の門は堅く閉ざされた。



§



 ちょっとしたお仕置きのつもりだった。だから代表者を招集した円卓会議にも自分が出かけていったのだ。当然、そのことは主である西行寺幽々子にも伝えた。……襖越しに。
 会議が終わったら慧音の家に寄って桶一杯の水を貰った。これで今夜は美味しいご飯を炊いてあげよう、そんなことを考えながら妖夢は白玉楼へ帰還した。

「ただいま戻りました。幽々子様。今日は美味しいご飯にしますよ」

 返事はなかった。お昼に妖夢が襖の前に置いて行った食膳は見事に空っぽになっていたが。

「幽々子様?」

 襖の奥からは何の返事も無い。

「いくら怒っているからとはいえ、襖を開けたらバァッてお化けの真似は勘弁してくださいよ。……失礼しますね」

 妖夢は恐る恐る主人の寝室への襖を開けた。

「……あれ」

 仕えるべき主の姿は無かった。

「家出……かな? でもまぁ、おなかが空いたら帰ってきますよね」

 主の居ない白玉楼で妖夢はいつもの通り、夕飯の支度を始めたのだった。



§



 境界上に存在する八雲の屋敷では、悲痛な声が響く。

「酷いのよ酷いのよ。妖夢ったら、私が一番楽しみにしてるの、朝ごはんだって知ってるくせに」

 白玉楼の主は、今、親友との会話に興じていた。

「はいはい、分かったからちょっとは動きなさいな、幽々子」
「やーだー」

 机に向かい、珍しく書き物をしていた八雲紫は眼鏡を置き、友人を嗜めた。

「あのねぇ……貴女お昼前にココに来たと思ったらずっと私の布団でゴロゴロしてるじゃないの」
「紫が使ってないから良いじゃない。紫の匂い好きよう」
「そういう問題じゃないわよ! おまけに内容は朝ごはんの話ばっかり!」
「だってだって、本当にショックだったのよ〜」

 うじゅう、と眼に涙を浮かばせて布団の端を噛む。

「全く……あの娘が可哀想だわ」
「失礼ながら、こちらの子も可哀想だと思ってください。戻りましたよ、紫様」
「あら藍、お帰りなさい。どうだった?」
「茶番ですね」
「やっぱりねぇ。霧雨魔理沙が主犯。手段も真意も分からないけど巫女に尽力することで解散かしらね」
「視てたんですか?」
「分かるわよ、それくらい。しっかしあの娘もよくやるわねぇ。萃めた水をココに持ってこられるとは思わなかったけれど」

 左手に持った扇で口元を隠しながら紫は虚空を見上げる。

「紫様。霧雨魔理沙に協力することは得策だとは思えないのですが」
「純粋な少女の願いって言うのは何時の時代でも、輝き、尊いモノ。はぁ、ロマンティック」

 合わせた手を頬にすり寄せて、夢見る乙女を演じる紫。

「藍。おゆはん食べたら私の言うとおりに結界を再構築しなさい。博麗神社を中心に強度を三倍にする。それでもあの娘たちの喧嘩に耐え切れるか不安だけど」
「そんなことをしたら他の地域に支障が出るのでは」
「他は結界を維持できるギリギリまで薄めて構わない。今夜限りのことだもの。それでも幻想郷が壊れるようなら、私が直々に二人をお仕置きするわ」

 うふふふと妖しい笑顔を浮かべる紫に、かつて体験した本気のお仕置きを思い出し身震いしてしまう。決してうっとりしている紫の表情が恐ろしいからではない。

「しょ、食事の準備をして参ります!」

 慌ててその場を去ろうとする。

「あらぁ、やっぱり紫もあの娘の味方なんだ〜」
「貴女もね」
「そうよ〜。だってお魚天国よ! あっ、藍。お夕飯の準備は3人分多めにお願いね」

 お夕飯はここで食べていくわ、もちろんお替りは最低三回よ宣言だった。

「……分かりました。白玉楼には戻らなくて良いのですか?」
「もちろん戻るわよ、ココでご飯を食べて、帰って妖夢のご飯を食べるわぁ」

 やれやれと言った様子で、すきま妖怪の式は夕飯の支度を始めるのだった。



§



「名前は同じでも、月のは味気ないわ。ねぇ永琳」

 輝夜はゆるゆると昇る月を見上げていた。 

「では、今回は……」
「そう。それにあの巫女に一泡吹かせてやらないと。いつかの仕返しというわけではないけれど。たまにはそんな日があっても良いわ。やっぱり人間はおもしろいわね。短い生を謳歌するくせに身の程を知らない」
「彼女は普通の魔法使いですよ」

 ああ、と輝夜は思い出した。魔法使いという生き物は、いつも自分勝手でわがままで、とびきりの変人なのだ。

「さて。私たちがこちら側につくとなると、妹紅は間違いなく向こう側ね。舞台に水を差さなきゃ良いのだけど。そうもいかないわよね。妹紅のクセに」

 自分の思惑とは全く別の論理で動くもう一人の不死人。彼女に魔理沙の邪魔をさせるわけにはいかない。そうなってしまったら興ざめだ。関係ないとは言え、永遠亭の名を汚すことになってしまう。輝夜は博麗神社の特等席を諦めて言う。

「永琳、兎たちを連れて宴の会場に行きなさい。誰よりも早くよ」



§



「早苗、おかえり」
「ただいま戻りました神奈子さま。結局会議でも、諏訪子さまの行方を知るものは居ませんでした」
「だろうね」
「知ってたんですか、神奈子さま!?」
「諏訪子は今、魔理沙と一緒に居る」
「っ!」
「そして……聞いておくれ、私の大切な早苗」
「嫌です」

 即座に拒否する早苗。神奈子は今までこんなにも強情な態度を取る早苗をみたことがなかった。

「私の言うことがわかっているんだね」
「ええ。これでも私、風祝ですから」

 それでこそ洩矢の子孫、諏訪子の直系。神奈子は早苗の成長ぶりに笑みを浮かべずには居られなかった。笑いながら神奈子は言う。今夜、二柱は霧雨魔理沙を依り代とする。

「神奈子さま、教えてください。お二人はなぜ、霧雨魔理沙に手を貸すのですか」
「答は簡単だよ、早苗。アレが人間だからさ」
「人間だから……」
「アレが例えば、人間という種を捨てて挑もうとしたのならわざわざ手なんて貸さないさ。ただの人間の癖に、どこまでも足掻こうとする姿に、私も諏訪子も思わず手をさしのべずにはいられなかった。神とは本来、純粋な願いを持つ人間の為にこそ存在するものだからね」
「私には、彼女のしようとしていることが理解できません」
「なあに……それも簡単なことさ。早苗は小さい頃、絶対に叶うはずのないお願いを胸に秘めてはいなかったかい?」
「え……それは、その……ありますけど……」
「お姫様になりたい、男の子になりたい、鯨を飼いたい……なんてね」
「!」

 神奈子は苦笑いをしながらも、目を細めて早苗を見つめていた。

「あはは、まぁ、そういうことなんだよ。アレのしようとしていることは」
「だったら……だったら一人でやるべきでは無いんですか」
「一人だったら絶対にできないことだからこそさ。早苗、気に食わなかったら気に食わないで構わない。ただ、邪魔だけはしないでおくれ」
「……はい。……わかりました」
「幻想郷中の幻想という幻想をかき集め、本陣へと攻め入る。考えただけでも胸が踊る。凡百に過ぎない唯の人間が、正々堂々と妖怪の力を借りて、博麗霊夢に喧嘩を売る」

 しかし早苗は力なく首を振った。まだ混乱の最中にあるその表情は暗い。

「でも、私にはやっぱり理解できないのです。だってスペルカードルールは――」

 奥殿に座する神は酒を呷ると目の前の愛おしい風祝に優しく語りかける。

「巫女が勝つまで繰り返される……面白いじゃないか、その常識を打ち破ろうって言うんだから」
「勝てませんよ……」
「やってみないとわからんって、アレに言われた。何しろ、前例が無いことだからね」
「はぁ……不思議ですね。どうにも、もしかしたら、って気になってきました」
「だろう?」
「良いです。私もお供します。場所は何処ですか?」
「そりゃ決まってる」



§



「さとり様! お帰りなさい!」
「ただいま、お燐。……と、星熊さん」
「いけすかない奴だなぁ。勇儀で良いって言ってるだろう」
「貴女と私は無関係です」
「つれないことを言ってくれるじゃないの。お前さんにとって心を読まなくても済む希有な相手なのにさ」
「がさつな人は嫌いです」
「奇遇だね。あたしもさ」

 あっはっはと豪快に笑い飛ばす勇儀。さとりは目の前のがさつな鬼が地霊殿を訪れた理由を考えていた。
 ぐびり、と酒を煽った勇儀はさとりの思考を遮るように言う。

「私たち鬼は魔理沙を助けようと思う」
「私たちはって……伊吹萃香は行方知れずになっているはずですが」
「魔理沙の傍に居るんだ、あいつは。間違いないよ」
「水を萃める。……なるほど。事象が加速しているのは彼女のせいですか」
「ああ。ちょいとばかしやり過ぎな気もするが、それも今夜までだ」
「それで……貴女が霧雨魔理沙の味方をするという事実を知ったところで、やはり私には無関係だと思うのですが」
「人工の太陽が淋しがってるんだとさ。水平線に沈む夕焼けもまた一興」
「……」

 言葉はいらなかった。古明地さとりの決意を促すには十分すぎたのだ。



§



 白連が人里でリップクリームを購入し、寺に帰ると慌てた様子で星が駆けてきて、こけた。見事なタイガースライディングだ。

「お帰りなさい、聖」
「ただいま。どうしたんですか、おなかぺこちゃんですか、星」
「そんなことじゃないんです!」
「雲山が……」

 呟きながら星の後ろから一輪がぬぼーと現れる。ただならぬ状況に白蓮は会議の席で鬼が消えたという報告を思い出した。

「やはり……」
「聖。それと客人が来ています」

 星に案内され客間の襖を開けると土下座をしたまま微動だにしない魔法使いが居た。黒幕とされている人物。星も天狗の撒いているビラで情報は知っている。

「先刻ここに来て、この様子です」
「霧雨魔理沙……」

 迷える子羊が何を欲しているか、聖には分かっていた。

「貴女という人は……。あくまでも人間としてアレに挑むつもりなんですね」

 白蓮は身震いする。スペルカードルールという、安全な法の中で戦ったとしても戦慄を覚える。決して本気にさせたくは無い相手を、本気にさせた上で戦おうというのだ。

「愚か」

 一瞥する。馬鹿げていた。かつては自分も、目の前の少女と同じ人間だったのだ。

「聖……?」
「愚かで、無様で……故に愛しい」

 気がつけば、白蓮は泣きながら魔理沙を抱きしめていた。

「良いだろう。私はもう一度だけ、お前の……。いいえ、人間の持つ輝きに賭けてみようと思う」

 命蓮寺に一瞬だけ閃光が奔った。



§



 魔法の森、霧雨亭。霧雨魔理沙と呼ばれた魔法使いは自宅で最後の準備をしていた。切欠はほんの些細なこと。博麗霊夢の悲しそうな横顔だった。
 魔理沙は、本の中の海を実際に見たことが無かった。そしておそらく、霊夢も海を見たことがないはずだ。様々な本に記されていて、幻想郷に存在することのない事象。海。例えば……、外の世界を行き来できる八雲紫や、ひょっとしたら自分も自力で博麗大結界を抜ければ海を見ることはできるだろう。けれど霊夢は、博麗大結界を維持し続ける限りこの理想の楽園から抜け出すことはできない。皮肉にも博麗霊夢にとって、否、幻想郷にとって、『海』という存在は永遠に手に入らない幻想なのだ。

 だったら。

 幻想を見せてやろうじゃないか。そう考えたらことは単純だった。机上の空論を八雲紫の力を借りて実用的なレベルに演算し直す。自分に無い属性を補うために神を身に降ろす。後は伊吹萃香の萃めた水に魔力を込め、詠唱するだけだった。
 問題は、ここに至るまでの準備を異変と認識した博麗の巫女が必ず邪魔をしに来るということだけだった。博麗霊夢は異変を解決するために必ず霧雨魔理沙の前に現れる。逃げても隠れても無駄。

 だったら。

 正面突破。霊夢をぶっ飛ばした後、ゆっくりと詠唱すればいいのだ。海を一度も見たことのない大好きな親友のためにしてやれること。魔法使いは最も単純で、最も困難な結論にたどり着いてしまった。

 姿見に自分を写す。小さい体躯。魔法使いというには余りにも幼い外見。そして姿見の自分の後ろ、壁にかけられた白と黒の弾幕装束。
 黒は魔法使いの色。根拠もなく、そう信じ続けていた。いつかどこかで聞いた言葉が魔理沙の脳裏をよぎる。
 白は最も尊い『魔法遣い』の色。今もその言葉が何を意味するかは分からなかった。けれど、その言葉を初めて聞いたとき、幼いながらも心密かに誓ったのだ。『普通の魔法使い』ではなく、『本当の魔法遣い』になったときには、その身を包む衣装を貴き純白に染めようと。
 今、魔理沙はずっと憧れだった純白のエプロンドレスに袖を通す。きゅっと背中のリボンを結ぶと体内に魔力が漲ってくるのが分かる。最後に愛用の黒い帽子を頭に引っ掛けると、もう一度姿見の前に立つ。

「黒は魔法使いの色」

 曰く、花火師。

「白は魔法遣いの色」

 曰く、光と炎を操る程度の能力。

「白と黒は……私の色だ!」

 即ち、『輝き駆ける者』――。



§



「あらま……やっぱり皆さんココでしたか」

 文はすでに騒ぎが始まっている博麗神社の境内へたどり着いた。

「ココなら最高の席で見物できるもの」

 特等席争奪戦を制した紅魔館の面子が楽しそうに料理を広げていた。

「そうですよねぇ」

 博麗霊夢と霧雨魔理沙。どちらが勝っても負けても、異変は今夜で終わる。異変が解決した後には宴会なのだ。

「ところで紅魔館の皆さんはどっちに?」
「霧雨魔理沙」

 あちらこちらから私も、私もという声が挙がる。

「あらまぁ。でも、分からないでも無いですよね。もしかしたらもしかするかもしれないし」

 横でポリポリと頬をかいている慧音がバツが悪そうに答える。

「いやぁ……最初は私も博麗霊夢を助けるつもりでいたんだが……どうも、な。霧雨魔理沙の目的を聞いたら意見が変わった」
「さかな、さかな、さかなっ!」

 網を携えた幽々子が変な歌を歌いながらリズムに合わせて左右にゆれている。

「幽々子さまぁ……ちょっと落ち着いてください」
「しかしまぁ……見事に物好きばかりが集まったもんだ。物好きと言うか宴会好きと言うか……」

 境内の縁側では萃香が神奈子と共に酒を呷っている。

「だからぁ……わたしはちょ〜っと萃めるの手伝ってあげただけなんだってばぁ」
「伊吹萃香も魔理沙か。実際、この場に居る者のほとんどが魔理沙に手を貸したんだろなぁ。博麗も辛いだろうに。ホームなのにアウェイではなぁ……」

 空を見上げるとそんな喧騒を避けるように、博麗霊夢は鳥居の上に腰掛けていた。神社側を向き、ずっと向こう側を凝視している。
 来るべき相手を待っているのだ。



§



 博麗神社より三里。枯れた滝の真ん中に魔理沙は立っていた。

『ザ――ザ……感度良好。どーぞー』

 河城にとりは魔理沙のすぐ後ろで通信装置の具合を確認する。魔理沙の耳元のピアスからにとりの声が響くが、真後ろから響く生の声の方が大きかった。

「聞こえてるよ」
「はいな。いいかい魔理沙。いくら妖怪や神さまの力を借りたとしても、結局のところ、アンタは人間でしかない」
「分かってる」
「相手はかの有名な博麗の巫女サマだ。同じ人間でも基本性能が桁違い」
「それも分かってる」
「だけど、挑むんだろ? 歩兵のクセに、歩兵のまま王将の前に立つんだろ?」
「ああ」
「その意気や良し! 盟友! 河童の技術力と心強いサポーターを提供しよう。瞳を閉じな」

 言われたとおりにすると魔理沙の瞼に熱が奔る。

「おっけー。目を開いて」
「……なんだこりゃ?」

 魔理沙の視界には、時間、空間、湿度、風速、気流、風路、おおよそ空を翔るのに必要な情報が詰め込まれていた。

「情報を転送してるんだ。巫女の弾幕だって密度を測量して瞬時に通り道を計算するよ」
「凄いな……これ」
「だろ? これでも一応試作段階なんだけども。網膜に情報を焼き付けるのに難儀してねぇ。何人の蓬莱人が犠牲になったことか」
「普通の人間に試したのは?」
「魔理沙が最初」
「……目玉が吹っ飛ぶところだったぜ」
「故あって私はアンタに協力する。利害の一致、だと思ってくれればいいよ」
「魔理沙ー、私は何してればいいの?」

 滝壺から響くのは幼い土着神の声だ。

「ああ、ケロちゃん、忘れてた……」
「あぅ〜、手伝うの辞めちゃおうかなぁ」
「諏訪子様におきましては魔法の維持を頼みます。霊夢をぶっ飛ばしてから詠唱するからそれまで安定させといてくれ」
「む、無茶言うなー。私だけじゃ無理なんだってば〜」
「……では私が、諏訪子さまのお手伝いをします」
「あっ、早苗〜、やっほー、久しぶり」
「あれ、風祝か。神奈子は?」
「神奈子さまなら鬼と一緒に御神酒を……」
「なるほど……二人ならどれくらいもつんだ」
「夜明けまでかな」
「すみません……私の修行不足で」
「いぁいぁ。常識はずれの術式を組んだ魔理沙が悪い。ホラ見てよコレ。常に維持し続けないとドンドン崩壊していくんだから」
「夜明けまでか。充分充分」
「魔理沙。充電終わったよ」

 にとりが鉄の箱を覗き込み、オプションの充電完了を告げる。

「ボムは紅、妖、永、花、風、地、星の七つ。それぞれ一回限りの切り札だ」
「了解」
「サポートは私がするよ」
「頼む」
「ずいぶんと素直じゃないの。普段からこうだったら魔理沙も男にもてただろうにねぇ」
「うっさいよ」
「うん。それでこそ魔理沙だ」
「じゃあいってくるぜ」

 ドンッと破裂音がして、空間がはじけた。



§



「……!」

 鳥居の上に腰掛けていた霊夢、突然目つきが鋭くなり、立ち上がった。

「どうした〜霊夢、何か見えたのか〜?」

 それに気が付いた慧音が声をかけた、まさにその瞬間。

 ドンッ!

 音のない衝撃が響き、霊夢が吹き飛び、神社の屋根へその身体を打ちつけ、バウンドさせる。続けて、博麗神社を護るようにそびえ立つ木々が海老のように軋み、轟音を立てた。観客たちは一瞬の間に何が起こったのかを知ることになる。砕けた瓦が粉となり立ち上る中、霊夢はゆっくりと姿を現す。今の今まで自分がいた鳥居の上に、良く見慣れた魔法使いが立っていた。

「来たぁ!!!」

 広場からはワァッと歓声があがる。
 遅い主役の登場に、舞踏の片割れの登場に、実力を拮抗させ得る、最大のライバルの登場に。

「お、音が……魔理沙さんの後からついて来てる……」

 歓声と熱気が博麗神社を包む中、唯一人、魔理沙が難なくこなした奇跡にへなへなと座り込んでしまう少女、文。音が後からついて来る、その意味。天狗でも顕現させるのが難しい奇跡の術。

 今の霧雨魔理沙は、『音より速い』

「待たせたな、霊夢。コレでも急いだんだぜ。……光よりは遅かったけどな」

 ホウキを肩に担ぎ、唇を尖らせて拗ねるように魔理沙が言い放つ。

「言ってくれるじゃないの魔理沙。百鬼夜行、魑魅魍魎、有象無象のチカラを借りてまで、私と喧嘩したかったの?」
「ま、そんなトコだ。水が無くなる異変の原因は霧雨魔理沙。異変を解決するのは博麗の巫女。こりゃ、喧嘩するしかないよな?」
「……手加減は、できないわよ」
「気があうな、今夜の私も、どうやら全力しか出せそうに無い」

 月光に二人のシルエットが映し出される。

「ふふ、あの格好じゃ、まるでウエディングドレスみたいね」

 フランドールと手を繋いで魔理沙と霊夢の様子を見ていたレミリアが、感想をもらす。

「魔理沙と霊夢、結婚するの?」

 片手で紅茶クッキーを齧り、口の周りに食べかすを散らばせたフランドールがレミリアに問う。咲夜が「例えですよ、た、と、え」と言いながらフランドールの口元をハンカチで拭い、自らも自作のクッキーを一口齧る。

「白……魔法遣いの色、ミスランディア……いえ、リルランディア、か。なるほど、今の魔理沙にはお似合いね」
「……なにそれ?」
「なんでもないわ、レミィ。……始まるわよ」

 ワルプルギスの夜。幻想少女の弾幕祭――。



§



 二人は間合いを保ちながらくるくる上昇していく。彼女たちが自らの放つ弾幕によって見物客に危害が及ばないように、などと配慮しているはずが無い。空中戦において地表という概念が不必要だったからに過ぎない。地上の観客たちが小指の先ほどの大きさになったところで二人は睨み合い、静止した。
 二人の合間を緊張感交じりの夏風が通り抜ける。地上では観客たちが固唾を飲んで見守る。魔理沙の手に滲んだ汗が手袋に吸われていく。僅かなミスが命取りになるのだ。そしてそれは霊夢も同じことだった。目の前に居る霧雨魔理沙は霊夢の良く知る『普通の魔法使い』ではなかった。
 例えるならば……魔力の権化。指向性も善悪も無い、無尽蔵に唯在るだけの存在。
 そこまで考えたとき、霊夢は一つの答えに至った。

 目の前のコイツは『海』だ。

 海を制するならば波に乗ればいい、海を渡るならば船を浮かべればいい。どちらも霊夢は経験が無いが、そこそこ上手くやれるだろう。
 しかし、海を倒すには、どうすればいいのだろう?
 答えが見つからないまま、霊夢は海と対峙する。

 ……怒涛が、来る!!



§



 先に動き出したのは魔理沙だった。ニヤリと笑った魔理沙は肩に担いでいたホウキに跨ると、行くぜ、と宣言をして大きくホウキを撓らせる。白い閃光となった魔法遣いは音よりも早く霊夢の右後方へと駆け抜ける。空気を引き裂く轟音がうねり、霊夢の右耳の聴覚が一瞬麻痺した。それでも何とか反応し、振り返った目の前には、大量の火球。雷を纏った火球は、バチバチと大きな破裂音を放ち、霊夢目掛けて飛んでくる。聴覚が回復するまではほんの一瞬だったが、その一瞬で常人には反応できないレベルの火球をばら撒いた魔理沙。やはりチカラは本物だと確信せずには居られなかった。霊夢は避けることを諦め、両手をかざして霊撃を放つ。全てが自分を狙って飛んでくるならば、自分の手前だけを死守すれば切り抜けることは難しくない。手のひらから放たれた霊撃が火球に吸い込まれると、ポンと音を響かせて星屑をばら撒きながら消滅する。

「ちっ……陽動……!?」

 弾けた火球は必要以上に星屑をばら撒いている。星屑は霊夢と魔理沙の空中を遮断し、霊夢からは完全に魔理沙が見えなくなってしまっていた。
霊夢は弾けて散らばる星屑にさらに霊撃を放ち、完全に消滅させる。やがて視界が晴れてくると、当然、さっきまで魔理沙が居たはずの場所には、何も無かった。星屑に紛れて姿を消したのだった。
 流石に速い。霊夢は舌打ちした。元々スピードでは追いつけなかったのだ。ソレが更に速くなったところで、魔理沙は霊夢より速いと言う事実にはなんら変わりは無い。姿を消した魔理沙が狙うのは相手の死角からの一撃離脱に違いないと霊夢は直感する。三次元に広がる空間では視界の死角として考えられるのは天と地、後の三方向。霊夢は相手の位置を視認することなく、懐から退魔針を取り出し、真下に投げる。自分目掛けて突進してくるなら殆どスピードの出ないこの針でも、魔理沙にとっては音を超えた速度で突き刺さることになる。足元に迫っていた閃光は軌道を変え、大きく速度を落として半円を描き、霊夢との距離を取ろうとする。

 読み勝った……!

 旋回するこの一瞬こそが、魔理沙に確実に弾を撃ち込むための好機。霊夢は裾から陰陽玉を取り出し、宙に浮かべる。霊夢の霊力を内に取り込み、意思を持ったかの様に玉が霊夢の周りをグルグルと回る。陰陽玉が軌道に乗ったのを確認すると霊夢は両手を魔理沙の方にかざして霊撃を放った。続けて陰陽玉が、霊夢と同質の霊撃を放つ。放たれた五条の光線は今まさに旋回しようとしている魔理沙の影に吸い込まれていった。光が重なり爆煙が上がると、脇腹に痛みが走り、霊夢は自分の読みが甘かったことを後悔する。
 掠りもしなかったのだ。魔理沙は旋回している途中で、更に軌道を変えて、霊夢の攻撃を難なく抜けたのだった。抜けたばかりか、霊撃の軌道に偽装した魔法弾を二発撃ち込んでいた。自分の攻撃が当たると確信していた霊夢は回避行動を取るのが遅れ、そのうちの一発を脇腹に掠らせる。大丈夫。ただのかすり傷だと自分に言い聞かせ睨みつける。さっきの場所に魔理沙はもう居ない。
 だったら死角のうちのもう一つ。霊夢はありったけの退魔針を上へ向けて放つ。二人とも、二度と同じ手を食らうつもりは無かった。針が貫通した魔理沙の黒い帽子が霊夢の頭へと落ちる。逃げられた。けど、読み、自体は間違ってはいない。最大のミスは、霊夢の思考を上回る魔理沙の速度。物理的なスピードも、弾と弾の隙間を通りぬけるための演算能力も、度胸も、全てが霊夢の予想をはるかに超えていた。何故? なんて理由は要らない、この戦いを眺めている殆どの妖怪が、アレに力を貸した。それだけであの魔法遣いはココまでの力を発揮している。

「少しは……楽しめそうじゃない……!」

 明らかに劣勢な霊夢は、臆すること無くそう言い放った。



§



 潮騒の音が耳をくすぐる。一度も聞いたことの無い、懐かしいあの音。
 波に身を任せてただひたすらこの広大な海原に想いを馳せる。ああ、私たちは、ここから生まれてきたんだ、と。一度も帰ったことの無い、懐かしいこの里。胸の鼓動が波と同化してく。

 ゆらゆらと。

 少女は即答した。
 魔法使いが抱く願いとしてはあまりにも純粋すぎた。
 代償も、犠牲も理解したうえで、やろうと言うのだ。
 河城にとりはゆっくりと瞼を開いた。

 右目の視界には、まあるいまあるいお月様。夜風が水の代わりに川底を駆け抜けていく。しかし、左目の視界には、今、同じ願いを胸に抱いているであろう少女が見ている光景が映し出されている。にとりと魔理沙は視界をリンクさせていた。巫女が自分を見ている。珍しく感情の篭った視線は、自分に向けられたものではないとはいえ、身震いがする。にとりは本来なら水が落ちていく顎に腰掛け、巫女に対峙している友に向けて言葉を発する。

『距離1500。後方5時に上昇気流、上は西風だ』

 足元の滝壺では諏訪子と早苗が残り、魔理沙が作った術式を維持している。

『魔力が高まりすぎだよ。弾撃って少し消費。針? 右旋回!』

 にとりは小さな鉄の箱を抱えていた。箱からは同じ材質であろう竿が伸びている。滝壺から見上げた早苗には、にとりの持つ鉄の箱がラジオのように見えた。

『大丈夫だ。押してる。このままいけば……ん?』

 背中を暖める熱気に気がつき、にとりは振り返った。そこには復讐の炎を放つ蓬莱の人の形。藤原妹紅と河城にとりの相性は悪かった。それぞれが有する属性が火と水なのだから当然といえば当然なのだが、加えて性格も問題であった。妹紅の不死の身体に目をつけたにとりは生体実験を繰り返していたからだ。あの手この手で妹紅を言いくるめ、被検体とするにとり。蓄積された恨みがとうとう爆発したのである。

「見つけた! 河童ぁ!」
「あちゃぁ」

 面倒なのに見つかってしまった。よりによって最悪のタイミングで。にとりは日頃の行いを少しだけ悔やんだ。

「いつもいつも私を騙して実験台にしやがって……!! 今日と言う今日は許さないわ……!」
「何で今日の今日に限って見つかるかなぁ」
『魔理沙、しばらく交信不能になるから自力でよろしく』

 魔理沙と通信していたインカムを外すと鉄の箱を地面に置いた。通信の途絶えた左目を閉じると妹紅に対峙する。にとりは片目でチラリと滝壺に視線を送った。諏訪子と早苗は今、無防備な状態だ。流れ弾の一発でも当たれば術式の維持はできなくなってしまう。

「居ない人間に何を言っても無駄よ! ともかく、殺された私の仇だ……!」

 ガラじゃないんだけどなぁ、なんて思いながらにとりは目の前の妹紅をにらみつけた。帽子を深く被り、右手の拳を前に突き出す。親指を立てて、そのまま真下に向けた。

「八回目。逝ってみるかい?」

 滝の下に感づかれないように、挑発的な言動で自分だけに注意を向けるように仕向ける。

「ふっ……。ふふふ、ふざけんなぁああああああ!!!!!!!」

 観客の居ないステージ。華やかな舞踏劇の裏でもう一曲のダンスが始まった。左腕を軽く振ると裾からシャキンと一枚の符が飛び出し、にとりの手の中に納まる。

「消化してあげるよ! 水符『河童の幻想大瀑布』!!!」

 高らかに宣言する。

「……!」

 いきなりの大技。燃え盛る炎を消し、全て飲み込む濁流。妖力がにとりの身体に凝縮していく。妹紅は何度もやられたその技に思わずたじろいだ。

 ぷすん。

「あ゛……」

 にとりは忘れていた。今、この幻想郷の何処にも、妹紅を押し流す水なんて無いことに。たとえスペルカードだろうが水は水。大原則を忠実に守っていた。水符は濁流を生むことなく、ヒラリと地面に落ちる。

「……?」
「あ、アハハハ、ぴ、ぴんちかな?」

 乾いた笑いに乾いた空気。ウェットに富んだ雰囲気なんて雲の向こう。

「なんだか良く分からないけど……チャンス?」

 妹紅はにとりがスペル宣言を失敗したのを見て、ここぞとばかりに自分もスペルカードを宣言する。

「焼け石に水……ってね! 不死『火の鳥 -鳳翼天翔-』!!!」

 妹紅がかざした符から無数の火の鳥が飛び出しにとりを狙う。炎の翼に衣服を焦がしながら左右に逃げ回るにとり。直撃はしていないようだった。

「熱いっ! 熱いって! ……わわ、ぁ!」

 乾いた川底の石で躓いてしまった。転んだにとりに襲い掛かる火の鳥。回避は不可能だった。燃え尽きるまでその炎は止まらないだろう。にとりは覚悟を決めた。

 途端。

「神宝『サラマンダーシールド』!」

 目の前に迫る火の鳥が、燃える盾に阻まれ、消滅する。

「ふう。間に合ったわね」

 にとりと妹紅の間、空から降り立つ蓬莱山輝夜。もう一人の不死の娘。

「ふん」
「全く。もこのクセに水を差すんじゃないわよ。もこのクセに」
「な、何だよソレ! 私はただ、いつもいつも私を殺すこの河童にお仕置きしようと!」
「だから貴女は空気が読めてないって言うのよ」
「う、うるさい! 蓬莱『凱風快晴 -フジヤマヴォルケイノ-』!!」

 弾幕は円状に散らばり、目の前の輝夜に直撃する。続けて妹紅の渾身の連続弾。これも直撃。輝夜は後ろのにとりを護るかの様に、直立不動だった。衣服が、髪が焼け、人の肉の焦げる匂いが辺りに立ち込める。焼け爛れた腕を組んだまま、妹紅を睨んだまま、輝夜は絶命していた。

「どうかしら、これで満足?」

 瞬時に躯に生命が宿り、焦げた身体が再生する。熱に縮れた髪が元の艶やかな髪に戻り、顔一面の火傷の跡は文字通り、跡形も無く消滅した。衣服までは再生しないのか、焦げた着物はそのままではあるが。

「なんで抵抗しないんだよ……」
「あら、だって友人のしたことだもの、私が代わりに命を以って謝罪しただけよ」
「その河童が?」
「そ。今日初めて会うのだけどね」
「嘘も大概に!」
「嘘じゃないわよ。ね、『にとりん』」

 そう呼ばれたにとりはきょとんとして目の前の輝夜を見上げる。

「あ! ひ、ひょっとして『かぐやん』?」
「……ホントだったのか?」
「網で築いた友達よ。ねぇ妹紅。今日のところは許してあげて」
「ふん」
「どうしても許せないのなら、明日何度でも殺されてあげるわ」
「どうして……どうしてそこまで」
「……今日は一夜限りのお祭りだもの。ホラ、見なさい」

 そういうと輝夜は博麗神社の方向を指差す。白い閃光がチカチカと輝いている。上へ下へ、天と地の隙間を駆け抜けている。弾幕を避けている動きだった。

「あれは……白黒か」
「相手は誰だと思う?」
「さぁ。どっかその辺の妖怪じゃないの」
「博麗霊夢」
「!」
「どういう意味か、貴女にも分かるでしょう。このお祭り、後ろのにとりんは勿論、殆どの妖怪が彼女に乗ったわ」
「アイツは……何をしようとしているんだ?」
「巫女に幻想を見せるために」

 輝夜が哂う。

「そう、手に入らない幻想を手に入れるために!」

 にとりが笑う。

「幻想郷に海を――」

 網で築かれた絆を持つ二人の声が重なる。妹紅は、輝夜とにとりがドコで知り合って、どんな人間(?)関係を構築してきたのかはわからなかったが、なんだかとても、羨ましい気持ちになった。

「海、かぁ。……懐かしいなぁ」
「この星の海はとても素敵よね」
「ん。そうだな」
「折角あの娘が見せようと頑張ってるんだから、私も見てみたいわ」

 輝夜は枯れた川の畔にある大きな岩に腰掛ける。

「だから、今日は殺しあうのは辞めましょう。魔法遣いが勝つか、巫女が勝つか……ココで一緒に見物しましょ?」
「……今日だけ。今日だけだからな!」
「ふふ、分かってるわよ妹紅。ホラ」

 輝夜は手を差し伸べる。妹紅はその手を掴み、岩の上、輝夜の隣に腰掛ける。

「にとりん、魔理沙を助けてあげて」
「あ、うん」

 にとりは地面に転がっている鉄の箱を再び手に取る。鉄の箱から伸びている竿を博麗神社の方向に向けるとその箱に話しかける。右目を閉じ、代わりに左目を開け、視界を魔理沙とリンクする。

『――通信回復。魔理沙、生きてる?』



§



『暫く交信不能になる。自力でよろしく』
「ちょ……! おーい……ダメか」

 魔理沙を河童を繋ぐ交信が途絶えた瞬間、動揺し僅かに鈍った魔理沙を見て、霊夢はすかさず背中に回りこんだ。

「やば……!」
「掴まえた……」

 霊夢は背後から魔理沙の髪を優しく梳く。吐息が耳にかかりそうな距離で、囁く。

「痛いわよ?」

 魔理沙の髪を掴むと腕を思いっきり振り下ろす。ブチブチブチと金色の髪が霊夢の手に絡みつき、魔理沙は地面へ向かって落ちていった。

「髪質が弱くて幸いね。皮膚までは持ってけなかったわ」

 流石に地面に衝突はしないだろうな、と思いながら、落ちていく魔理沙を見下ろす。先ほど上空へ投げた退魔針が魔理沙を追いかけるかのように霊夢の横を落下していく。針は容赦なく、魔理沙の影を貫いたようだった。衣服か髪か、魔理沙の影から何かが落ちた。自由落下から直線の動きに転じた魔理沙の動きは止まらない。良くて掠り傷だろう。

「霊夢……! お前私の髪に恨みでもあるのか? 毟った上に針でバッサリ、おかげで自慢のキューティクルが台無しだぜ!」

 程なく、涙目の魔理沙が霊夢の目の前に現れる。霊夢はまた当たらなかったと心の中で毒づいた。まるで自分が放つ弾の位置が分かっているかのように、紙一重で魔理沙は弾幕を潜ってくる。しかし、魔理沙の後ろに回り込んだら簡単に捕まえることができた。五感のうち視覚に依存しているということだ。霊夢はだんだんとそのカラクリに気がつきつつあった。魔理沙から距離を取ると二つの陰陽玉を弾き飛ばす。陰陽玉は魔理沙を狙い、加速する。ホーミング弾である。

「よっ、と。ああ、痛くて涙出てきた……」

 簡単に回避される。やっぱりそうだ。続けて霊夢は無軌道に弾をばら撒く。弾に玉を重ね、玉を弾が追い、安全な空間さえ存在しない弾幕の荒野。霊夢は確信していた。回避不能の弾幕の絨毯ですら魔理沙は難なく抜けて来る。文字通り、弾道が読まれている。弾幕の抜け道、辿ることさえ困難な蜘蛛糸の道。細く、儚い可能性を、ステップを刻み魔理沙は踊る。

 迷うことなく、惑うことなく。

 くるくるり。
 踊りながら加速する。
 跳ね、飛び、駆ける。

 魔理沙の目に浮かんだ涙が舞いに合わせて飛び散る。飛び散った涙が弾幕の煌きを反射してキラキラ、キラキラと輝いていた。



§



 境内では既に宴会が始まっていた。どうせ始まる宴会なのだ。少しばかり早めたところで文句は出ないだろうと鬼が口火を切った。一度酒を空けてしまえば後は止まること無く、止めるものすら無く。空中に散らばる弾幕を花火代わりに、夜空を肴に酒宴は盛り上がる。

「さぁさ御立会、御立会! 今宵夜空を彩る華麗な弾幕勝負。駆けるは八卦、賭けるも陰陽! 霧雨魔理沙に手を貸したお方でも、この勝負の行方までは分からない! さぁはった、はった!」

 などと、ウサギが賭金を集めて回っている。どうせどっちが勝っても戻ってこない金だ、参加者たちは惜しむこと無く手銭を投げ入れる。

「お嬢様の力を借りているんですもの、霊夢に負けるわけ無いわ」
「ぷはぁ……ん? 賭け? 霊夢かなぁ」
「おさかな! 秋刀魚に鮪に……」
「あたい!」

 以下略――。

「ふむ。応援している手前、魔理沙、と言いたいところだが。おそらく霊夢だろうな」

 酒宴の喧騒から少し離れたところ、桜の木の下に座る慧音が背中の人物に向けて話しかける。

「あら……奇遇ね」

 幹を挟んで反対側に座る永琳が慧音の予想に同調した。

「純粋な火力では魔理沙が上だろう。が、アレは妖怪たちの力を借りてこその魔力だ。妖怪退治が専門である霊夢相手では些か分が悪い」

 静かに酒をあおり、冷静に分析する。杯に僅かに残る酒には、夜空を踊る二人が映っていた。

「加えて、身体能力の圧倒的な差も問題ね。永遠亭に顔を出したとき蓬莱の薬を処方しようとしたんだけど……」
「八意、お前まさか!」
「笑い飛ばされたわ、『霧雨魔理沙だから意味がある、自分が人でないものになっちゃ意味が無い』だって」

 それこそ笑っちゃうわよね、と永琳は自嘲気味に言った。

「ほぅ、ワリと正論だな。だからこそ、数多くの妖怪がアイツに力を貸したんだろうな」
「かもしれないわね」
「ところで八意、お前の姫様はどうしたんだ?」
「さぁ? きっと今頃はこの空を誰かと一緒に眺めているでしょうね」
「『誰か』と? し、しまった!! もこを連れてくるの忘れてた!!」

 慧音が青ざめ、すくっと立ち上がる。

「忘れる貴女がいけないのよ。ああ、覚えていてもらえないってなんて悲しいんでしょう」
「ええい、蓬莱人はコレだから……! もこ待ってろもこ!!」

 二本の角を生やし、助けに行くぞ! と叫びながら慧音は走り去る。

「……忙しい人」

 くすっと笑い、永琳は走り去る慧音の後姿を見送った。

「魔理沙の持っているホウキ、アレは何のためにあるか知ってる?」

 宴会場のほぼ中央、一番良い席に陣取っている紅魔館の面々。パチュリーがレミリアに話しかけていた。

「空を飛ぶため……いや、あんなもの無くても魔理沙は飛べる。だとすると魔力増幅の依代としての役目が大きいか」
「そうね、魔力増幅。ホウキは魔女に力を与えるもの。魔力を増幅する、と言うことはつまり、己に無い力を引き出すこと。古の魔女は悪魔と契約したとされる。悪魔を降臨させる儀式に使ったのが、ホウキ」
「目の前の友人に向かってよく皮肉が言えるわね、パチェ」

 パチュリーの友人は悪魔で吸血鬼だった。

「パチュリー様、それって……」
「『神降ろし』……。そうよ。ある意味では、魔法遣いである魔理沙も、巫女と同じ気質を備えている」

 レミリアが夜空に瞳を奪われ、続けて咲夜、パチュリーも同じように夜空を見上げる。
 二人の巫女の、満月のワルツ。



§



『――通信回復。魔理沙、生きてる?』

 唐突に魔理沙の頭ににとりの声が響く。

「死にそうだぜ」

 霊夢の放つ弾幕に集中しながら魔理沙は軽口を叩く。

『そうかい、元気そうでなにより。もう決着がついてるんじゃないかと冷や冷やしたよ』
「心配するなって……使うぜ恋の符!!」

 金色の髪を夜の風にたなびかせて、白い魔法遣いは健在だった。河童の技術が自分の進むべき道を照らしてくれる。そしてその向こうには、博麗霊夢がいる。怖くなんかない、地上で見ている皆が、魔理沙の背中を後押ししてくれている。それだけで十分だった。魔理沙は懐からスペルカードを取り出す。

「恋符『アイシクルフォール-Master-』!!」

 ほのかに桃色に染まった恋の符を掲げ、その名を呼ぶ。この弾幕ごっこで、初めてスペルカードの宣言をした。

「あっ、あたいのすぺか!」

 下でチルノが叫んでいる。が、その叫び声は魔理沙の耳まで届くことは無い。霊夢を囲むように氷塊が螺旋に飛び交い、逃げ場が封じられる。結果的に魔理沙と一直線上に向かい合う。

「そんな氷精の稚技なんて……!」

 霊夢を包囲するは螺旋の氷塊結界。逃げ場を失った霊夢に向けて氷塊が放たれる。幾度と無く抜けてきた弾幕だ。パターンも健在、霊夢はまさに稚児と戯れるが如く、弾幕の中を上へ下へと飛びぬける。

「5WAY弾……! 分かってるのよ!!」

 散らばる氷塊は左右への逃げ場を封じている。前方から来る氷塊も、落ち着いて対処すれば避けるのは難しくない。その後に来るのは……5WAYの霊弾。自分を狙って撃ってくるその弾は、簡単によけることの出来るものだった。

「分かってないな、……アイシクルフォール。『Master』だぜ?」

 魔理沙は不敵に笑い、もう一度、自らが宣言したスペルカードの名前を霊夢に問う。その意味に気が付き、戦慄する霊夢。5WAY弾なんかじゃない……! 本気の魔理沙が撃ってくるのはいつも……。

「マスタースパーク!!!!!!!!!」

 上下左右へ逃げることのできないこの状況では、魔理沙のマスタースパークをまともに受けなければならなかった。咄嗟の判断で、マスタースパークに全身を晒すよりも、密度の濃い氷塊に逃げ込むことを選択し、直撃を回避する。チリチリと髪の焦げる匂いが鼻につき、氷塊が鋭く左肩を削る。

「……痛ッ」

 それでも、マスタースパークの直撃を受けるよりかは、幾分マシだった。霊夢は痛む左肩に気を取られまいと、スペルの中心に向けて、右手で霊撃を放ち反撃する。一直線に、ただただ前方への指向性のみで放たれた霊撃は、的外れもいい所で、魔理沙は殆ど回避行動を取ることなくやり過ごした。

「イージーすぎるぜ。霊夢……!」
「……!!」

 魔理沙が続けざまに放つのは、より、太く、分厚い光の束。スペルカード宣言をすること無く、それよりも数倍の威力の魔法を撃つ。魔理沙が放つ光の波に飲み込まれた霊夢は博麗神社の境内に着地しバランスを崩して膝をつく。

「珍しいじゃない、貴女が地面に膝をつくなんて。一人じゃ立てないなら手を貸してあげましょうか?」

 優雅に紅茶を飲んでいたレミリアが霊夢をからかう。

「余計な……お世話よ。大体アンタ達が魔理沙に手を貸すから……!」
「そうね。そうでもしないと、あの娘は貴女と肩を並べることはできないでしょう? 紅魔館は魔理沙に乗ったわ。常勝を以って幻想郷を維持する貴女を、たまには負かせてあげるのも一興」
「冗談じゃない!」
「そうだ! その顔だよ、巫女殿。私たちが見たくて見たくて堪らなかったお前の素顔! 私やフランドールがアレに賭けるだけの価値がある。良い顔だ!」
「……!」

 そこまで言うとレミリアは咲夜に紅茶のお替りを注文する。振り返るレミリアの背中を見て、霊夢は気が付いてしまった。

「レミリア……アンタ、翼はどうしたの……?」
「あら、今頃?」

 レミリアは隣にいたフランドールと眼を合わせ、くすくすと笑いかける。二人合わせて二枚の翼。二人とも片翼が欠けている。

「『私やフランドールがアレに賭けるだけの価値がある』。タダそれだけの事よ」
「翼のことだからきっと空を飛んでるんじゃないかなぁ?」
「ホラホラ、魔理沙のスペルが来るからどいてどいて。直撃したらのんびり見物もできないでしょう」

 空を見上げ、霊夢は戦慄した。膝が震えているなんて初めての経験だった。

「何……アレ?」
「ほう。急ごしらえの付け焼刃にしては見事だ。我がグングニルにも匹敵するぞ、魔法遣い」

 霊夢の視界を覆うのはマスタースパークの光だった。しかし、光は放たれること無く、箒を触媒に空中に留まっている。極太の光が空中に静止し、槍のように先端を尖らせていた。光の下で両手を広げている魔理沙。
 その背中には、漆黒と、七色の双翼――。

「恋符『グラムドリング』!!!!!!!」

 光は霊夢をめがけて、霊夢だけを貫こうと一直線に突撃してくる。

「ふざけんなぁあああああ!!!!!!!」

 霊夢は力一杯声を張り上げた。こんな馬鹿なことがあって溜まるものか。結界を重ね、重ねてまた積み上げる。霊夢の結界構築は人間の処理速度の限界を超えていた。八雲紫が脳内で物理演算を繰り返し構築するのとは違う、感覚のみで編み上げられた強固な結界。博麗大結界を維持することのできる者のみが扱える絶対防壁。

 世界が光に包まれ、やがて――。



§



 獣道を歩く蓮子は、メリーが立ち止まったのを不思議に思い、声をかけた。

「シッ。蓮子。……何か聞こえない?」

 蓮子はメリーに促され、耳を澄ましてみた。
 夏の虫が奏でる音色、柔らかな風の吹く音。時折聞こえる二人分の呼吸音。

「静かね」
「何を言ってるのよ蓮子。こんなに響いているのに」
「ぇ……?」

 常ならざる世界を見るメリーの眼には、夜空を彩る花火が映っていた。
 薄くなった結界の向こうで、笑いながら弾を撃つ魔法遣いと、苛立ちながら弾を避ける巫女の姿を幻視した。



§



 霧雨魔理沙と妖怪たちの全力は、霊夢の張った結界を477枚破ったところで止まってしまった。残りは23枚。僅差で霊夢の勝ちだった。

「私は博麗の巫女、博麗霊夢よ。例え幻想郷中の妖怪が束になってかかってきたところで、私に勝てるわけないじゃない!」
「はは、そりゃそーだわなぁ……」
「なんでアンタはそうやって笑ってるの!」

 境内で力尽き仰向けに寝転がっている魔理沙に向かって叫んだ。

「お前らもだ! 手を貸したのに負けたのよ!?」

 続いて周りを一蹴する。酒の入った面々も流石の剣幕に静まり返った。

『おいにとり、諏訪子たちに始めろって伝えてくれ』
『りょーかい』
「確かに弾幕勝負じゃ私の負けだよ。完膚なきまでに。今の私じゃ、どんなに背伸びしたってお前に追いつけない確信がある」

 魔理沙は手袋を外し、手のひらを満月にかざした。

「なぁ、知ってるか? 太陽にこうやってかざした時に見える赤は、本当の血じゃないんだとさ」
「何よ、そんなこと……」

 魔理沙の真意が読めない。異変を起こしたのは事実。霊夢と戦ったのも事実。その先の、目的がつかめなかった。黒幕を倒せば異変は解決するのだ。エンディングの先の物語なんて、博麗の巫女は知らなかった。

「無理だったんだよ」
「無理って……何がよ」
「海を創ること」
「はぁ!? アンタそんなこと考えてたの」
「悪いか?」
「悪いわよ。少し考えれば分かるじゃない」
「だよなぁ。幻想郷中の水をかき集めたって、海の前には一滴でしかない。井の中の蛙ってヤツだ」
「だったら尚更……」

 魔理沙はよっこらしょと立ち上がり、地面に落ちていた帽子をはたいて被る。箒を投げ捨て、ミニ八卦炉を地面に置く。

「霊夢、霧雨魔理沙は魔法遣いなんだ」
「知ってるわよ」
「魔法遣いっていうのはな、いつだって自分勝手で、他人のことを考えない。自分の研究のためならば自分の生命すら捧げる。そんな変なヤツなんだよ」
「……アンタのことじゃない」
「自覚は無いんだがな。ああ、半分ぐらいは故意か。まあいい。私がどうしようもなく魔法遣いなんだってわかってくれたと思う。だから、魔法遣いは今、自分勝手な自分のために魔法を使う」

 魔法遣いの宣言に呼応したかのようにミニ八卦炉が輝きを増していく。

「霊夢、見てろよ。魔法遣い霧雨魔理沙は今!」

 夢を現実に変えて見せる――。



§



「ミニ八卦炉の起動確認。二人とも準備はいいかい?」
「ばっちりだよ」
「詠唱もすでに完了しています。いつでもどうぞ」
「よし、今から八雲が水を隠した空間とココとを繋げるよ。擬似的に幻想郷に海を作り出す」

 魔理沙の描いた魔法陣の中心で早苗と諏訪子は手を合わせていた。成功する可能性は五分五分。八雲紫の頭脳を以ってしても、海神の居ない世界に海を召喚するのは不可能だったのだ。トリックの種を覗き見た早苗は思う。決して明らかにならない努力の積み重ねに、霧雨魔理沙の使う魔法がある。神奈子が贔屓するのも無理はなかった。
 奇跡とは万人に平等に須く与えられるものであるが、このときばかりは早苗も願わずには居られなかった。

「現人神の名において、奇跡よ起これッ!」



§





















 潮の唄が聞こえる。




















 博麗神社の境内に。






























 寄せては返す波の音。




















「ばっかじゃないの! なんでっ! こんな意味のないことっ!!」

 霊夢の頬を涙が伝っていた。真夜中なのに明るく照りつける太陽。遥か彼方に見える水平線。夢に見た幻想が目の前にある。魔理沙が発動させた魔法はオーレリーズソーラーシステムの応用だった。外の世界のプラネタリウムのように、博麗大結界の内側に溢れんばかりの海を映し出す。幻想的な風景は海なのか、それとも星なのか。或いはその両方かもしれないし、どちらでもないのかもしれない。

「ざまみろ。これがただの水溜りに見えるか?」
「……見えるわけないじゃない」

 飛沫が今にも顔にかかりそうな波打ち際で、霊夢は涙を流していた。泣きながら、笑っていた。
 博麗霊夢という少女が心からの笑みを浮かべていた。
 霊夢の頬から零れ落ちた雫が、まやかしの波に飲み込まれるのを全員が目にしていた。
 霧雨魔理沙に手を貸した妖怪たちの本当の願いは此処に達成されたのだ。

「さて。勝負の結末は如何様にも語れようとも。博麗の巫女として此度の異変、見事な解決ですわ」
「紫……アンタだって手を貸してたクセによく言うわね」
「私は場所を提供したに過ぎませんわ。幻想郷は全てを受け入れるもの。この風景だってやがては……」
「別にいいわよそんなもん。私の目の前に広がる海が今の幻想郷にとっては本物なんだから」

 狐は食べることのできなかった葡萄の果実を酸っぱいものだと言い放った。霊夢は偽物の葡萄の果実を齧り、幻想の甘美を良しとする。
 ごおんと大きな音を響かせて、博麗神社の鳥居が揺れた。

「さて、今宵は……っと。お天道様が顔を出していますので変な言葉になってしまいますが。宴会の続きはこの海の上で如何でしょう?」

 白蓮がニコリと微笑み、中断していた宴の続きを促した。博麗神社に横付けされた聖輦船から掛け橋が伸びる。すっかり元気になった村紗が船を仕切っていた。

「野郎ども、帆を張れ! 錨を上げろぉぉ!」

 やんややんやと酒の抜けぬまま、次から次に乗り込むは宝船。
 境内に最後に残されたのは霊夢と魔理沙。魔理沙は船の手すりに手をかけると、振り返って逆の手を霊夢に向けて差し出した。見詰め合う二人の間に満ちるのは沈黙。先に船に乗り込んだ人妖もみな、魔理沙と霊夢の乗船を黙って待っていた。
 そして霊夢は、ゆっくりと魔理沙の手を取る。魔理沙は霊夢を船へと引き上げようとして――手すりを握る手から力が抜け、二人して地面へと転げ落ちた。
 一瞬の間を置いて、船の中で笑い声が爆発した。その喧騒に紛れて、二人は揃って腰を擦りながら笑う。

「痛た……」
「負けた癖に、格好つけるからよ」

 立ち上がった魔理沙は、今度こそしっかりと手に力を込め、霊夢を引き上げた。二度目は落ちる事なく、二人を乗せ終わった船は今度こそ船出の準備を終えた。村紗の命令どおりに帆を張らせた聖輦船。二人はその先頭で並び立つ。船内からは再び宴会の喧騒が聞こえて来るけれど、それに合流するのはまだ早いと感じていた。

「それでも、美しさは私の勝ちだな」

 風が吹く。巫女服の裾をたなびかせる一陣、一度も感じた事が無いにも関わらず、霊夢はそれを潮風だと感じた。
 
「違いないわね」

 幻想の空飛ぶ宝船。空を飛ぶ程度の能力を有する巫女を乗せて幻想の海へと船出する。
 宴会はこれからが本番だった。

「出航だぁ!!」



§



 波に揺られる船の上。
 魔理沙は体力を使い果たして眠っていた。
 霊夢はそんな魔理沙を膝枕しながら手のひらを太陽にかざす。

 赤く透ける色が、確かに自分も人間なのだと言っているようだった。
 例えこれが魔理沙の言うように、本当の色でなくても構わない。

 博麗霊夢の身体を流れる血潮は本物なのだから。










-終-
「お前のせいでいつの間にか海の底だったじゃないかバカヤロー!」
「うるっさいわよ! そのまま永久に魚の餌になっちゃえば良かったのに!」
「あっ、ホラ見ろ! 船だ!」
「おーいおーい! 私はここよお!!」
 輝夜は妹紅を海に沈め、大きく手を振った。
「がばぼご。てべえ!」
「あっ、ちょ、ちょっと何引っ張ってるのよ妹紅! 沈んじゃう! 沈んじゃう!」
 仲良く喧嘩する二人をよそに、聖輦船は海を行く。
虹瀬まぐろ(バーボン、黒のあ、沙月)
作品情報
作品集:
最新
投稿日時:
2010/06/14 02:20:41
更新日時:
2010/07/31 22:50:54
評価:
33/90
POINT:
5100
Rate:
11.26
分類
トムとジェリー
1. 80 白麦 ■2010/06/29 22:48:17
魔理沙ってそんな弱い設定だったっけ?いや霊夢が強すぎるのか。
丁寧に書かれていてよかったと思います。
……網ってインターネットも幻想入りですか。
10. 80 あおこめ ■2010/07/01 23:31:04
霊夢に追いつけない魔理沙という物を久しぶりに読んだ気がします。
一生懸命な魔理沙に、それを色々な理由と手法で応援する妖怪達がアツい作品でした。
13. 80 名前が無い程度の能力 ■2010/07/02 07:02:03
楽しめました。ありがとうございました。
15. 100 山の賢者 ■2010/07/02 15:25:36
バトル物では最高峰かも。

さとりの力を借りて霊夢の心を見透かす、みたいな話があったらよかったな〜とか。
20. 70 名前が無い程度の能力 ■2010/07/02 22:36:34
にぎやかな雰囲気がよかった。
ただどうしても文体の変化が気になってしまって…
23. 100 名前が無い程度の能力 ■2010/07/03 19:13:36
博麗霊夢がどれだけ強かろうと、霧雨魔理沙は「もう一人の主人公」。純粋に願い、そして行動できる魔理沙に憧れを抱きました。だからこそ私は思うのです。

きっと魔理沙はヒーローだった、と。

こういうお話は好きです。楽しく読ませて頂きました!
26. 70 名前が無い程度の能力 ■2010/07/04 05:54:17
海に憧れる二人と、一度巫女に一矢報いてやろうとする妖怪達。全体的に違和感というか、皆の動機が薄いような気がしました。
純粋さと言ったらそうなのかもしれませんが。しかし霊夢が海を見るシーンでも感情移入できなかったり。
とにかく、私が読んだところまず違和感だけが先行してしまいました。
32. 100 名前が無い程度の能力 ■2010/07/04 18:43:20
これでもかと言うぐらいに納得のタグ。
なんともまあ素敵な二人。
35. 80 名前が無い程度の能力 ■2010/07/05 17:46:04
若い!成り行きも、筋道も、書きっぷりも!
10年前なら100点入れてました。
40. 100 半妖 ■2010/07/06 15:11:22
シリアスかと思えば間に入るネタが一々面白かった。
戦闘シーンの描写もたっぷりで、最後も綺麗に締めくくられていました。
いかにも魔理沙らしい魔理沙が見られ、大満足です。
44. 100 名前が無い程度の能力 ■2010/07/07 18:29:15
粋な幻想郷を楽しませてもらいました。
輝夜と妹紅も霊夢と魔理沙のまた別の形なんでしょうか。
50. 80 名前の無い程度の能力 ■2010/07/11 21:58:16
最後みんな船酔いしてようですねw
54. 60 更待酉 ■2010/07/15 00:50:11
幻想郷の戦力を集めても倒せない巫女の力は末恐ろしい。

まるで劇場のような展開でしたね。
ところどころ臭う表現もありましたがそれはそれで好きです。
57. 90 名前が無い程度の能力 ■2010/07/18 15:18:25
友達の笑顔のためだけに、幻想を現実にしようとした愚かな魔法遣いさんが眩しすぎる。
そりゃ幻想郷の住人も手ぇ貸したくなるわ。
空を飛ぶ巫女さんも、たまには海に浮かんだっていいじゃない。とても素敵なお話でした。
58. 60 euclid ■2010/07/19 03:48:14
霊夢最強設定→霊夢を総出でフルボッコにしようぜ!の流れは正直いい思いでないので好きではないのですが、その分バトルの締めはとてもよかったです。
ただ、ボム等の面白そうな伏線を悉く置き去りにしてるの気がするのは本当に気のせい?なんか色々と物足りない。
また、「そうだ! その顔だよ〜」な発言が出るに至るための伏線・描写はもっと多い方が良いと思えます。
61. 70 名前が無い程度の能力 ■2010/07/19 23:43:04
少しストーリーが飛躍しすぎているように感じました。
あと個人的に、妹紅を実験台にしたにとりは屋上。
62. 90 名前が無い程度の能力 ■2010/07/20 02:40:13
妖怪連中の魔理沙賭け、わかるぞそれは閉塞感だ
しかし、慧音は結局会えなかったんだな…
63. 60 電気羊 ■2010/07/24 19:18:39
時間が足りなかったのかなと思うところがちらほらあったけれども、海が出てくる話はやっぱり良いものです。
欲を言えば、もっと長く見ていたかったと思うけれどもそれは仕方がないこと。
戦闘シーンが秀逸だっただけに、時間の都合かわかりませんが、カットされてしまった部分がもったいなかった。

ごちそうさまでした。
66. 80 ずわいがに ■2010/07/25 14:17:50
なるほど、トムとジェリー納得。確かに二人は永遠の親友ですね。

生命を創った海を創るとはこれまたこれまた。
あまりにぶっ飛びすぎてて皆が力を貸したくなる気持ちもわかるけど、せめて事前にある程度告知はしておこうじぇww
でもまぁ最終的に特に被害も無く目的は達成されたみたいだし、めでたしかな。
68. 90 名前が無い程度の能力 ■2010/07/26 03:04:02
短いながら題材も構成も良かった
71. 80 名前が無い程度の能力 ■2010/07/28 12:02:22
72. 20 名前が無い程度の能力 ■2010/07/29 18:58:04
格好良い文章を書こうとしているのは伝わりますが、どうも表現力が追いついていない印象です。
周りの作品が、ハイレベルな戦闘描写をしているだけに差が目立ってしまいます。
話の筋自体は悪くなかったんですが、一コマ一コマの描写が薄っぺらだと感じました。
75. 80 PNS ■2010/07/30 01:01:11
一つ一つの場面は驚かせてくれる力があります。しかし全体として、焦点がぼやけてしまってる印象を抱きました。
書いてみたいことと、物語が欲していることの温度差もあるかもしれません。
77. 40 即奏 ■2010/07/30 04:45:15
おもしろかったです。
78. 70 Ministery ■2010/07/30 15:27:49
「情熱はいつでも生き物全ての魅力です」
衣玖さんの科白を思い出されました。

そして後書きwww
79. 30 八重結界 ■2010/07/30 16:41:35
霊夢と魔理沙の戦う理由が、自分の中で消化しきれなかった
81. 90 名前が無い程度の能力 ■2010/07/30 18:21:41
堪能させてもらった。幻想を守り、幻想に焦がれ、幻想に唾吐き、だけど幻想を夢見る少女たちのうたげ。
82. 80 ムラサキ ■2010/07/30 19:08:46
海を出そうと悪戦苦闘する魔理沙の姿や
それを手伝おうとする妖怪一同の姿がとても熱かったです。
やっぱりみんな霊夢想いで見ていて安心します
あと、妹紅と輝夜は仲いいですねw
85. 100 サバトラ ■2010/07/30 22:04:48
時間の都合上、点数だけの投稿とさせて頂きます!
大変申し訳ありません!
86. 70 如月日向 ■2010/07/30 22:38:51
序盤、深刻な空気の中なのに白蓮のエアブレイク能力が発動してるのがいいですねっ。
みんなで霊夢に一泡吹かせるというコンセプトが面白いと思いました。
87. 80 つくね ■2010/07/30 23:35:41
取り急ぎ点数のみにて失礼します。感想は後日、なるべく早い時期に。
89. 70 ■2010/07/30 23:41:38
やりたいことやって幸せになれるっていいなあ。
もうちょっと全体にメリハリがあると読み易かったかもしれません。
90. 100 ぱじゃま紳士 ■2010/07/30 23:53:21
 申し訳ございませんが、採点のみで失礼いたします。
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