幻想速度 ―起―

作品集: 1 投稿日時: 2011/04/01 04:33:57 更新日時: 2011/04/01 04:33:57 評価: 0/2 POINT: 15554 Rate: 1038.60

 

分類
魔理沙
霊夢
射命丸文
森近霖之助
 
 幻想郷を愛する者がいたとすれば、それは境界の妖怪でも博麗の巫女でもなく、そこに暮らす、ごく普通の人間であったということに何の疑いもないであろう。

 なぜなら、彼女らは言ってみれば幻想郷そのものであり、それを愛するということは、自己愛に他ならないからだ。誤解を恐れずに言うならば、自己愛とはある意味病的な状態である。そのような状態では己を愛するあまり、他者への興味や感情移入が極めて希薄となる。境界の妖怪も、博麗の巫女も、そういった観点では幻想郷を愛していたといえる。そう、観点の問題なのだ。彼女らは、自分を中心に置き、くるくると廻る日常に何の関心も払わない。太陽は、自身を廻る天体がどのような速さなのかに関して、一切の興味を持たない。

 では、日常が幻想郷を愛していたかというとどうだろうか。彼女らの重力に惹かれつつも、遠巻きに眺め、淡々と日々を送るばかり。だが、それら天体は日々昇っては沈む太陽に感謝し、その恩恵を愛する。そう、観点の問題なのだ。

 では、そこに暮らす、ごく普通の人間である私が、なぜありもしない胸を張ってまで幻想郷を愛していると言うのか。それについて、しばらく語ってみたい。
 
†赤方偏移
 
 紫が赤になった。

 これを聞いたあなたはどんな顔をして首を捻るだろうか。
 それとも、紫に何色を混ぜても紅色にはならないよ。と教えてくれるだろうか。

 別にこれは難しい文学の一節でもなければ、情緒に富んだ詩の一部ではない。
 紫ではなく、ユカリと読む。それは、私もよく知る妖怪の名前だ。

「紫が赤になった」

 この言葉によってユカリという存在がアカになる。
 それが、私に紫という存在がこの世から消えたことを知らしめた。
 
 その日、珍しく早起きした私が掃除の前にとお茶を飲んでいると、いつもは飄々として人を食ったような態度で新聞を押し付けて帰る新聞屋が、珍しく血相を変えた様子で朝刊を持ってきて、文字通りに私が「あっ」という間に飛び去っていった。

 そのただならぬ様子に、「まあ、たまには目を通してやるか」と思った矢先、目に飛び込できた見出しがそれだ。
 何事か、と写真を見ると、確かに煽りの通りであっただろう。

 そこには巨大な杭に胸を貫かれ、力なく横たわる大妖怪の姿が映っていた。

 だろう、というのはそれが白黒写真で、貫かれた周辺の服がどす黒い色合いに染まっていたからである。
 妖怪は葬儀を行わないというが、紅なのに白黒というのは、新聞が葬儀場になったようで少し可笑しい。この新聞を燃やせば、火葬なのだろうか。

 次に私の頭に浮かんだのは、妖怪の血も紅かったのかということと、何も新聞の見出しにこのような婉曲な言い回しをしなくとも、ということだった。ブン屋は文学作家にでも鞍替したのだろうか。

 しかし、記事を読み始めてすぐに、私はブン屋が何故このような言い回しをしたのかを理解した。


 ◆◆◆◆◆
 
 26日未明、人里近い山のふもと近くの川原で、女性が胸を杭のようなもので貫かれているのを、キノコ採りに来ていた道具屋店主の男性(年齢不詳)が発見した。
 知らせを受けて駆け付けた哨戒天狗が調べたところ、身につけていた衣服と外見の特徴から、スキマ妖怪『八雲 紫』であると推定された。山では女性の関係者への確認を急ぐとともに、事件と事故の両面から調べている。
 
 ◆◆◆◆◆

 その内容は、見出しとは異なり、至って淡々としていた。

 いつもは脚色に脚色を重ねた三流写真週刊誌――といっても私は読んだことがないが――のような記事を書く天狗が、このように事実を書き綴っている。そして、死という単語が一度も使われていない。これは一体、どういうことか。

 その事実を認めたくないのだろうか。幻想郷の生みの親ともいわれる大妖怪が、命を落としたのだ。山の住人が、幻想郷における妖怪社会の秩序を司るとするならば、あの大妖怪は、幻想郷の秩序を司ると言っても過言ではない。致し方ない。

 私は、こんなふうに冷静に考えられる自分に少し驚いたが、さもありなん。
 紫が命を落としたとして、たかだか一妖怪が幻想郷から姿を消しただけのこと。最近は減ってはいたものの、この世界にとっては日常茶飯事。

 そして、紫が姿を消すことによって、事実上、命名決闘法(スペルカードルール)に強制力がなくなるわけだが、ルールが出来る前に戻るだけのことだ。百二十余年続いた幻想郷の歴史からしてみれば、ほんの少し前、妖怪が人を喰い、人が妖怪を殺す幻想郷に戻っただけのことだ。

 彼女なら、どのような幻想郷であれ受け入れるだろう。
 そう。これは、異変ではない。


「それはそれは残酷な話ですわ」


 私はそう呟く。あとでこの新聞を火種にして芋でも焼こう。
 この湯呑のお茶を飲み干し、それから境内に落ちた枯れ葉を集めよう。

 口をつけると、せっかくのお茶が、すっかり冷たくなっていた。美味しくない。
 お茶の温度は紫の体の温度なのか、私の心の温度なのかよく分からなかった。

 冷たい風が吹く。冷たいお茶を一気に胃に流し込む。

 見上げると、朽ちた葉が何枚か、山から吹く木枯らしに煽られてひらひらと舞い、冷たい石畳に落ちた。
 石畳に落ちた葉は、再び風に煽られ、何処かへと消えた。


 人も、妖怪も、木の葉に過ぎない。朽ちれば、ただ消えるのみ。
 大小はあれど、木にとって大勢への影響はなく、森にとってはなおのこと。

 気づくと、日が登り始めていた。これでは、早起きした意味がない。

 空になった湯呑みを脇に置き、外に出る。朝の空気が肌を容赦なく刺し貫く。
 針で肌を撫でられる感覚に、私は思わず身震いをする。

 はぁと息を吐く。
 針の周りにまとわりついた私の息は、小さな雲となり、静かに空に溶けていく。

 紫色をした朝の空が、朝焼けの赤色に侵され無垢な瑠璃色へと変わりつつあった。
 
†天地開闢
 
 昇りはじめた日の光を窓越しに受けながらモーニングコーヒーを淹れていると、嵐のような勢いでもって、天狗が朝刊を家に投げ入れていった。

 天狗の放った朝刊弾幕は見事に窓を突き破り、床に突き刺さった。ああ、今日の弾幕合戦は私の負けだ。

 仕方ないから読んでやるか、と割れた硝子で手を切らないよう、気をつけながら新聞を拾い上げると、奇妙な見出しが目に飛び込んできた。

 紫が赤になった。
 訝しみつつ記事を読むと、さらに言いようのない気持ち悪さと苛立ちを感じた。新聞記事は何時になく至って明解だが、肝心な事実には意図して触れていない。紅になったと言うのに、新聞は私の服の色と同じ。そして、この見出しである。事実は事実。変えようがないのだ。なのに、妖怪の秩序を自称する山の住人は、幻想郷は今日も正常運転ですよと嘯(うそぶ)く。紅だというのに白々しく。紅になったというなら、カラー写真にすべきだし、事実を伏せるなら、新聞になどするな。どこにも統一感がない。

 白黒の新聞なのだから、私の衣装を見習うべきだ。
 この統一感を見よ。窓を直せ。

 苛立ちが募る。


 新聞を読み、頭を掻き毟りながら誰となく文句を呟いていると、徐々に冷静になってきたのか、さきほどコーヒーを淹れたばかりであったことを思い出した。立ち上っていた湯気はすっかり息を潜め、大人しくなっている。あちゃあ、と思いながら口をつけると、それは既にアイスコーヒーになっていた。冷たいコーヒーが舌先でじんわりと暖められ、血の登っていた頭に心地良い涼感のあと、甘みと酸味が広がる。意外と美味いではないか。

 新しい発見に少しだけ機嫌が良くなった私は、本棚からお手製の魔導書を取り出し、ホットコーヒーは冷ましても美味しいと記録する。そして、本を開いたまま指先でペンをくるくると回して弄びながら、思案を始めた。

 狡猾な天狗が、こんな中途半端な新聞を配るのは何故かということだ。幻想郷の秩序といえる大妖怪の死を伏せ、半端な事実を伝えながら、今日も平和だと言うのは何故か。何か意図がある。

 不自然なのは、死を伏せているという点。これは、死を認めたくないという見方と、実は死んでいないのだという見方がパッと思いつく。前者は、わざわざそんな感傷的な理由で天狗がそんなことをするはずがない。

 後者については、死んでいないと仮定すると、確かにこの妖怪ならこれでも死んでいないのではないかと思えてくるが、所詮は仮定に過ぎない。可能性としては捨てないが、思考からは除外する。

 では、実際は死んでいるが、事実上は死んでいませんよという主張はどうか。
 事実上死んでいないというのは、つまり、紫が死んでも幻想郷は何も変わらないということ。要するに、幻想郷の秩序は生きているという主張だ。

 この場合、幻想郷の新たな秩序は誰なのかということだが、これは明確だろう。
 うん、この線は濃いような気がする。筋も通っている。


 つまりはこういうことだ。

「不慮の事故だか事件だかで紫さんはお亡くなりになりましたけど、今度からは、私たちが幻想郷を牛耳るので何も問題ありませんよ?」

 これなら、あの天狗が真面目に記事を書いて、嵐のような勢いで新聞弾幕を撒いていった理由も分かる。早く知らせたくて仕方がなかった。そんなとこだろう。


 冗談じゃない。これは異変として処理されるべきだ。

 私は容疑者一号を問い詰めるべく、お気に入りの白黒の服の上からマフラーと二重回しの重装備に身を固め、七つ道具を引っつかむ。家を飛び出し、博麗神社に向かう。そう、探偵役をやるならワトスンが必要なのだ。紅白のワトスンがいれば、天狗から窓硝子の代金を徴収することくらい容易いはずだ。我ながら、冴えている。

 箒に跨り、風を切る。冷たい空気が頬を、指先を容赦なく襲う。
 身震いをしながら思考が冴えていく。言いようのない開放感を覚える。

 そうだ、夜明けなのだ。
 命名決闘法なんかじゃない。
 天狗でもない。

 これからは、幻想郷の住民が秩序を作っていくのだ。私は心の中で、少し前の幻想郷に黙祷した。

 ハッピー、バースデイ!
 
†人畜無害
 
 正義の味方とは、私、霧雨魔理沙のように純情直情一直線。清く正しく可愛らしく。必殺技は一撃必殺であるべきなのである。博麗霊夢のように、ふわふわと浮いて、何を考えているのかまったく分からず、必殺技はといえば理不尽な無敵技で、霊夢が飽きるか、相手が力尽きるまで続く。そんなのは正義の味方でもなんでもないし、そんなゲームがあったら、私なら間違いなく、魔導書に『クソゲー』と書きこんで不貞寝する。私はスペルカードバトルをクソゲーにしないため、その必殺技に、色んな皮肉を込めて『夢想天生』という名前をつけ、時間制限つきのスペルカードにさせた。正義の味方とは斯様にあるべきなのだ。
 さらに、この博麗霊夢、こんなエピソードもある。

 
 博麗霊夢は、人助けをしない。

 博麗霊夢はある日、家に帰る途中、子どもを襲う妖怪を発見した。彼女は、道を歩くのに邪魔だったので、その妖怪を排除した。

 博麗霊夢はある日、農作物を荒らす妖怪を発見した。彼女は、野菜の値上がりを恐れ、その妖怪を排除した。

 博麗霊夢は別の日、買い物にいく途中妖怪を発見した。彼女は、なんとなく気に入らなかったので、不意打ちで妖怪を退治した。その際、妖怪による抵抗で傷を負った衣服は、買い物先に無料で直させた。

 
 無茶苦茶だ。これが幻想郷の大黒柱なのかと思うと、頭が痛くなる。
 しかし、この博麗霊夢、悔しいことに、困ったことに可愛いのだ。
 そしてこの日、博麗神社を訪れた私を出迎えた博麗霊夢も、例に漏れずそのようであった。


「帰れ、この喪服を着た疫病神

 第一声がこれである。

 珍しくサボりもせずに境内を箒で掃いていたから、いつもと違う様子なのかと思ったが、そんなことはなかった。長い話にするつもりもないし、追い返されたらまたその時なので、私は茶を要求せずにそのまま立ち話をすることにした。

「どうした。何時になく荒れてるな。あの日か?」
「冬は乾燥するのよ!」

 違う話で受け取られてしまった。

 私は月のものについて、そんなに重くない方ではあるものの、多少気分が上下しやすいことはあった。
 が、肌については荒れるという発想がなかった。

 というのも、私は環境に恵まれているという事情がある。
 私の住む魔法の森は、キノコの生育に非常に適している。

 つまり、冬であってもある程度の湿気があり、さらに森にはその先端から出る粘液を化粧水にできるキノコまであるのだ。さらに、食べても肌に良いときている。見た目はマツタケによく似ていて味も悪くないのだが、一日程度で痛んでしまうほど鮮度が落ちるのが早いのと、香りが独特で栗の花のような香りというか、モロヘイヤのような少々青臭い香りというか、そういった、普段から私がこれを食べているとあまり口外したくはない事情もあって、売り物にはできないのが難点だが、おかげで私は肌荒れとは無縁だったのだ。

 ともあれ、私は家の窓のためにも、なんとかこの人助けというものをしない、気難しい博麗霊夢をなだめて話を聞いてもらわねばならない。そのためには、この博麗霊夢が興味を示すようなもの――一番良いのは賽銭なのだが――で釣るのが一番なのだ。霊夢の勘違いからヒントが得られたのは幸運だった。

「まあ要件は別にあるんだが、肌荒れが気になるなら良い薬があるぞ。あまり長持ちはしないんだが、今日は風が冷たかったし、二本ほど持ってきてる。帰れというなら帰るが」
「話を聞かせてちょうだい」

 現金なもので。
 まあ、そのことについて夫婦漫才をするつもりはなかったので、そこは軽く流す。博麗霊夢は気難しいだけではなく、意外と短気なのだ。本当に月のものが近いのであれば、刺激しないに越したことはない。

 とりあえず、キノコを人に見られては事なので、家の中に入れてもらうことにした。話すうちに茶に預かりたくなったというのもある。肌の乾燥は対策できても、喉は乾くのだ。

 それに、霊夢の淹れる茶は旨い。

 茶葉とお湯を入れるだけですむと思っていた日本茶も、霊夢によると色々とやるべきことがあるらしく、茶が入るまで少し時間がかかる。一度、その様子を見て勉強してみたい気持ちもあったのだが、今日はことの他冷えるので、縁側に座り硝子戸越しに日に当たって暖を取ることにした。ちなみに、寒くない日もここに座ることが多い。私はここから見える幻想の景色が好きなのだ。

 さらに言えば、色々と理由をつけてはいるが、結局のところ、茶の淹れ方を勉強することよりも、縁側で、霊夢が不思議と旨い茶を運んでくるのを待つのが楽しいのだ。私が言うのも変な話だが、魔法みたいで。

 
 以前、私もお茶を淹れさせてもらったことがあるが、私が淹れたものは、苦味とえぐ味が前面に押し出された上に、香りもやけに強烈に立ってしまい、古典的な魔女が鍋で煮詰めたスープを想起させる酷い味わいになってしまったのだ。

 霊夢曰く、
「その淹れ方じゃダメね。アンタは色々と急ぎ過ぎなのよ。魔理沙」

 こいつには言われたくないと思ったが、魔法使いらしく魔女のスープを完成させてしまった私には言い返しようもなかった。

「淹れてあげるから、縁側で待ってらっしゃい。さっきまで私が齧ってた煎餅もあるから」
 霊夢はそう言って優しく笑うと、私をお勝手から縁側に追い出した。

 縁側で煎餅を齧っていると、のんびりとした可愛らしい鼻歌が聞こえてきた。随分と時間がかかるものだな、と思いながら待っていたが、霊夢の鼻歌なんて聴くのは初めてだったので、それに耳を傾けながら、あまり煎餅の食が進まなかったのを覚えている。それからというもの、私はここで霊夢の鼻歌を聞きながら茶を待つのが好きになった。

 
 今日も、日に当たりながら、流れてくる鼻歌を聴いていた。こうしていると、茶を入れるにしては時間が掛かっているはずなのに、過ぎる時間があっという間で、これが博麗霊夢の時間の進み方なのかな? なんて漠然と思う。だとすると、短気なのだか、気長なのだかよく分からなくなってしまった。
 
「アンタもここが好きね。ちゃんと居間だってあるのに」

 気づくと、霊夢がお盆に二脚の湯呑みを乗せて傍に立っていた。

 縁側じゃなくて、ここでお前を待ってるのが好きなんだよ、などという歯の浮くような台詞は言えない。霊夢は、お盆を置いて左手を縁側につき、右手でスカートの裾が折れ曲がらない様に手で抑えながら、私の隣にそっと横座りする。短気なくせに、こういう仕草も妙にゆったりとして色っぽい。私はといえば、どっかりと胡座をかいていた。

「で、薬は?」

 心の中で少し褒めたかと思えばこれだ。

 私は懐から巾着を取り出し、その口を開ける。袋から取り出したのは新聞紙に包んだ棒状の物体。それを霊夢に手渡す。霊夢は包みについた小さなシミに少しだけ首を傾げたが、それ以外には何の疑問も懐かずに、包を開ける。

「うっ……何これ」
「なめこの凄い版。見た目と臭いは酷いけど、食べると美味いし、肌に良い。柄の部分を握ると傘の先端から粘液が出てくるが、飲んでもいいし、こちらは直接肌に付けても効果がある。ただ、アミノ酸が豊富に含まれていて少々苦いってのと、強く握りすぎると勢い良く出てくるから注意しろよ」

 露骨に眉をしかめる霊夢に、私は冷静に答え、解説する。冷静に答えないと、色々その……想像する。少し申し訳なくなった私は、謝罪の言葉を口にした。

「あー、その、ごめん。茶の前に出すもんじゃなかった、かな」

 恐る恐る霊夢の顔を横目で覗き見ると、なんと、キノコの先端に口をつけて、柄を両手で握り締めていた。短気にも程がある。しかし、粘液を飲んでいるのだろうが、それがどことなく恍惚とした、赤らんだ表情に見えたため、なんだか私の方が恥ずかしくなる。横座りになって、膝の上に握り締めた両手を置き、すこし伏し目がちになってしまう。でも、そのまま少し伏し目がちになりながら、霊夢の様子を横目で覗き見ることをやめられなかった。

 そうしてしばらく粘液を飲んでいると、もう出なくなったのか、霊夢の口がキノコから離れる。キノコの先から霊夢の口に向かって粘液の残滓が小さく糸を引く。縁側の光を反射してその糸がきらめき、妙に綺麗なのが可笑しい。霊夢は粘液を吐き出したりしてしまわないように、口を固く結んで、すこし顔をしかめながら、口の中の物を一気に嚥下した。

「……んっく、うぇ……流石にねばねばするし、ちょっと苦い……けど、良薬口に苦しっていうし、我慢できないほどじゃないかも。お茶の前で良かったわ」

 そういって、お茶を口に含む。

「ちょっと、クセになりそうかも」
 なんという、美容への執念。そしてポジティブシンキングか。私はこの巫女の恐ろしさの一片を垣間見た気がした。美容への執念については、私もこんなものを毎日のように摂っているわけだから、あまり人のことは言えないかもしれないが、年頃の女の子なら、ま、こんなもんだろ。

「すこし残ってるのは手につけておくといいぞ。手荒れにももちろん効くからな」

 アドバイスを加えながら、今度はアリスにも持って行ってやるかな、なんてことを思った。私の周りにはどうも色が白くて肌が弱そうな奴が多い。それに、霊夢がこんなだから、ちょっと反応が楽しみなヤツに持って行ってみたかった。他に肌が弱そうなのというと、紅魔館のメイド長とか、山の上のもう一人の巫女あたりかな。傍若無人な主人に振り回されて、家事で手荒れにも悩んでそうだし。あとは年寄りくらいか、と思い至った所であの妖怪の顔が浮かび、本題を思い出す。

「そうだ、霊夢。その新聞読んだか?」

 狙っていたわけではないが、例の新聞を、ちょうどキノコの包み紙にしていたのでそれを指差しながら言う。

 さっきは霊夢を刺激しない方が良いとは思ったが、正直なところこの話を切り出して霊夢がどの様な反応をするのかは少し予想できなかった。私よりも、こいつの方が紫との因縁は深いだろうから。

「ああ、あの珍しく胡散臭くない新聞の、胡散臭いのが死んだって話ね」

 指先に粘液を塗りたくりながら、しかし、存外に落ち着いた様子で霊夢は答える。紫の死よりも、自分の指先に興味があるようだし、まるで、犬も歩けば棒に当たるわよね、と言った様子だ。

「落ち着いてるんだな」

 茶をすすりながら、私は、正直な感想を言葉にする。

「そりゃ、そうよ。高々妖怪が一匹、死んだだけだわ。」
「お前、あいつと付き合い長かったんだろ?」
「そうよ。だから、簡単に弔ってあげたわ。あとで一緒に芋でも食べましょ?」

 霊夢の指差した先には、うず高く積まれた落ち葉が煙を上げて燻ぶっていた。

「もうちょっと何か、感慨のようなものでもあるのかと思ったのだが」

 まったく無感情ということはないだろう、と思い尋ねる。

「まあ、ないわけでもないわ。付き合いのあったヤツが居なくなったのだから。でも、妖怪なのだから別に退治されたって不思議ではないし、私もアイツをそういうふうに見てきたわ。だから、アイツに杭を打ち付けたヤツに怒りを覚えることもないし、悲しく思うこともないの。人間と妖怪は、本来そういうものなのよ」

 茶をすすりながら、淡々と答える。だが、私はその答えに違和感があった。まるで、私はそう考えなくてはいけない、と言っているように聞こえたのだ。

「お前は、どう思うんだ?」
 小さな間。

「……そんなことを聞きに来たんじゃないんでしょ」
「まあ、な」

 どうでもいい、ということはないが、霊夢の態度には心当たりもなくはない。

 茶をすする。この時、霊夢の入れる茶は、一口目から普通に飲むことができるのだということに、ようやく気がついた。私の入れる茶の一口目は、熱くてとても飲めない。一度沸騰させた湯を、適温まで冷ましてからお茶に入れるのだろうか。冷ややかに見える霊夢の態度も、一瞬は沸騰し、私に見せている顔は『博麗』で冷ましたものなのだろうか。

 博麗霊夢というのは私のような旧友に対しても、博麗の巫女であること、平等な、人間と妖怪の調停者であることに縛られているのだ。と、私は思う。その本心は、窺い知ることはできない。ただ、それでも霊夢はすべてを受け入れてきたし、今とて、旧来の仲である妖怪の死を当然のこととして受け入れた。きっと、これからもそうするのだろう。そして、このようにその腹の底を明かすことはなかったが、そのような博麗霊夢のあり方は、不思議と人、妖怪を問わず惹きつけた。私もそんな霊夢に惹かれた一人だったが、最近では、その少女らしい一面を見つけるのが楽しみになってきた。私を追い返して見せようとしたり、肌に気を使ったり、そして、楽しそうにお茶を淹れたり。だから、こんなふうに『博麗』に気づいたときに、少しだけ舞い上がっていた自分に気付かされ、ハッとする。

「実は、犯人探しに協力してもらおうと思って来たんだ」
「ま、そんなことだろうと思ったわ。別にいいわよ」
「え、いいの?」
「まあね。異変だとはとても思えないけど、正直、こういうやり方をするヤツは嫌いなのよ。で、どこから当たるのよ?」
「まずは天狗だな」

 私は、霊夢に自分の考えを説明した。

「あまりにも飛躍しすぎね。ほとんど勘じゃない」

 お前に言われたくない。

「こういうのは、まず第一発見者に話を聴くものよ」
「第一発見者って――あ」
「そ。アンタもよく知ってるあの人」

 そうだ。キノコ採取に出られる程、魔法の森近くに店を構える道具屋の店主といえば、アイツしかいない。香霖堂店主、森近霖之助。私が香霖と呼ぶ男だ。

「そうと決まれば、こうしちゃいられないな」

 私は湯呑みを置いて立ち上がる。

「まあ、待ちなさいな」

 茶をすする音。

「アンタ、朝御飯まだでしょ。食べていきなさいよ、芋」
「え、いや確かにまだだが、何で分かったんだ?」
「煎餅がいつもより二枚多く減ってたのよ」

 やっぱりこいつは博麗霊夢だ。

「私も、まだだしね」

 そう言って、霊夢は私にウインクしてみせた。
 

†相対速度
 
 霊夢と一緒に飛んでいると、基本的には暇だ。速く飛ぼうという概念が彼女の中にはないらしく、かなり速度を落として飛ばなくてはいけなくなる。初めは、二人で香霖の店に行くのは久しぶりだとか、朝御飯のお供の納豆を初めて食べた人間は妖怪じみているだとかどうでもいい話をしていたのだが、私も霊夢もあいにく、外の世界で流行っているというガールズトークとやらには無縁だったため、あの朴念仁――香霖のことだが――は、いい加減嫁でも取るつもりはないのか、という話題に差し掛かったところで、話すネタがなくなってしまった。

 そんなわけで、私はゆっくりと飛びながら、何故天狗は新聞にあのような見出しを付けたのかを、再度考えていた。私の考えが急ぎすぎだということなので、今度は何故そもそも死を色で表現したのかという所に焦点を絞ってみることにした。

 色とは、光がある物体に当たって反射したものを目という器官がとらえ、感じるものだ。光は波の一種であり、伝搬する速さの他に、振動する速さと、一回の振動の間に進む長さをその性質として持つ。目は、この微弱な変化を感じ取り、色としてそれを脳に伝える。
 すなわち、目という器官がもっと鈍感だったと仮定すると、この世界はもっと味気ないものになっていただろうし、今朝の新聞のような面白い見出しは存在しなかったことになる。興味深いのは、性能の差こそあれ、あらゆる生物はこの光を捉えて色の変化を感じ取る器官を持っているということだ。

 そして、人間と妖怪の持つこの機能は非常に近いということが今朝の新聞で分かった。セキ・トウ・オウ・リョク・セイ・ラン・シ。呪文ではなく、光の色を波長が長い順、振動数の遅い順に並べた、人の作った言葉だ。順に、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、ということになる。人間はこの範囲の色しか認識できない。

 これによると、紫の対極にあるものは赤で、八雲紫の死を紫が赤になると表現することはつまり、妖怪の光を感じる器官は人間のそれと非常に似通っているということになる。あれほど身体能力に差があるのだから、目の機能も差があって然るべきと考えていたので、大変興味深い。

 なお、退化してしまっていたり、先天的、あるいは、後天的な障害でその器官が機能していなかったりする場合もあるが、生物には光を感じる器官そのものは存在しており、生きることというのは、すなわち光を見ようとすることと言い換えることもできるのではないだろうか。

 この言い換えが成り立つと仮定すると、眠ろうとするとき、生き物はその本質的な機能を一旦停止しようとしていることになる。その一方で、機能を一旦停止しておきながらも、光を感じる場合がある。夢だ。

 この現象は、脳が覚醒時と同様に活動するために起こるものであり、すなわち脳は光を感じようとしているということになる。脳は眠いという指令を出し、機能を停止せよと命じておきながら、自分自身は生きようとし続けているのだ。

 大変不思議なもので、あらゆる生物はこの矛盾した状態を日々繰り返すのだ。さらに不思議なのは、光を感じても、色を感じない場合の方が多いということだ。夢の中では多くの場合、赤も紫も同様の白黒の世界であり、すなわち、生と死が等しいということであり、眠りとは生きながらにして死んでいる状態とも言えるのではないだろうか。

 それでは、生物ではないものが、このような状態を繰り返すと考えた場合はどうか。生と死の状態。夢と現の状態。そして、幻と実体の状態。ここ、幻想郷を幻の状態とすると、それは死の状態であり、そこで生きるものは夢の状態となる。では、幻想郷に生きることは、生きながらにして死んでいる状態なのだろうか。そして、幻想郷で死んだものは、死にながらにして生きている状態なのだろうか。

 そういえば、今更ではあるが幻想郷では幽霊が堂々と人里で食事をしていることがあった。しかも、店先に、その屋根まで届かんばかりの皿を積み上げ、どの人間よりも目立っていたではないか。幽霊に食事が必要なのかという疑問はさておき、しかしあれは人間の幽霊であった。妖怪の幽霊というのはいるのだろうか。

 このようなことを延々と考えていると、八雲紫の話を聞きたくなる。あの妖怪の話は曖昧で結論がなく、手っ取り早く用事を済ませたい時には面倒なだけなのだが、暇潰しにはもってこいなのである。

 暇を潰すなら紅い所だと言う話を、以前誰かから聞いたことがあるが、赤とは対極にある紫こそが、時間を潰すのに最適なのだ。なお、時間を潰すために紅い所に行くと、暇を寝て潰す門番と、本で潰す門番と、暇そうにしている主人と、それらの時間を一手に引き受けるメイドを見ることができ、心が潰されそうになる。
 

 さて、辛気臭くて重苦しい店が見えてきた。以前から思っていたことなのだが、この店が繁盛しないのはその立地のみならず、対象とする顧客と、この店構えが揃っているからなのだと断言できる。怪しい場所にあり、怪しい品物が売っている、見るからに怪しい店。これがお化け屋敷であるならともかく、道具屋と言われたら、普通、覗いてみようとすら思わない。

 私も一応商家の生まれだし、この店とは浅からぬ縁もあるわけなので、この店に入るときは、この繁盛しない原因を多少なりとも取り除くべく、親切心を起こすのだ。重苦しい扉を跳ね除け、とびっきりの明るい声で、店に張り付いているお化けを追い払う。

 ――カラン、カラン、バンッ

「おい、事情聴取に来たぜ!」
「こんにちは、霖之助さん」
「ああ、魔理沙か――それに霊夢も。今手が離せないから少し待ってくれ」

 店の奥から、陰気臭い声が聞こえてきた。朝早くで店がまだ営業時間ではなかったから、居間にいたのだろう。せっかく年頃の娘が二人も来てやったというのに、手が離せないという理由だけですぐに出てくる様子がなかったので、私たちはそのまま居間に上がることにした。なに、いつものことだ。

 店の奥に入ると居間の上り口がある。ここで靴を脱いで居間に上がるわけだが、見慣れない女性ものの赤いローファーが綺麗に揃えて置かれていた。おおっ、と思い、霊夢と顔を見合わせる。霊夢も同じことを思ったようで、にやにやしている。

「おい、香霖。可愛い女の子が二人も来てやったんだ。もっと丁重にお持て成ししろ」

 文句を言いながら、戸を開け、居間に入る。

「あやややや? これはこれはお揃いで」

 山伏のような格好で、背中から黒いカラスの翼を生やし、文字通り人を喰ったような顔をした少女。今朝、私の家の窓硝子を割った新聞記者、射命丸文。そう、容疑者一号だ。正確には天狗が怪しいというだけで、射命丸文本人が怪しいというわけではないのだが、窓硝子を割ったのは非常に罪深いことなので、ここは容疑者とさせていただくことにする。その容疑者が、取り調べでも受けるように、四角いちゃぶ台に向い合ってちょこんと正座していた。しかし、ちゃぶ台にメモ帳が開いてあるところを見ると、取り調べを受けていたのは香霖の方か。おや?

「誰かと思えば容疑者さんじゃないか。……っと、香霖はどうした?」
「容疑者とは酷いですね。私は皆さんにいち早くスクープをお伝えしたかっただけですよ。」
「ああ魔理沙。ぼくはここだ」

 上の方から声がし、見上げると長い脚立に乗った香霖が、壁際に積まれた荷物の高いところのものをどうにかしようとしていた。あれは確か、窓のあった辺りだろうか。荷物だか商品の在庫だか分からない物で壁が二重になっており、居間は光も刺さない狭苦しい場所になってしまっていた。自分で積み上げておいて、それをまたどうにかしようというのかね。

「どうした香霖、そんな高いところに昇って。馬鹿になってしまったのか?」
「荷物を避けて光を入れようと思っただけだよ。見せたいものがあってね。それに、ぼくの足元には脚立があるだろう。煙と同じで、足元に何もなくても高いところに昇るのを馬鹿というんだ」

 やはりこの男は馬鹿だ。ここに居る自分以外の全員に喧嘩を売った。さらに、自分で積み上げた荷物をまた崩すとは。だったら、私のようにはじめから積み上げずに転がしておけばいいのだ。

「いや、間違いなく馬鹿だな。わざわざ自分で積んだものを自分で崩すのは愚か者のすることだ。それじゃあ、賽の河原と同じじゃないか。ただ転がしておけばそんな手間はかからない」
「「「いや、その主張はおかしい」」」

 いつの時代も、先進的な考えは受け容れられないものだ。仕方あるまい。しかし、少し落ち込む。勢いを削がれた私がしばらく衝撃を受けていると、霊夢はとっくに居間に上がって、ちゃぶ台の前に座っていた。なんと、お茶、茶菓子の羊羹、座布団が完備されている。座布団はどちらが表かは分からないが、片面が赤、もう一方が白になっており、霊夢は白い面を上に向けて座っていた。どうみても彼女専用の座布団だ。なるほど、勝手知ったる人の家とはこのことか。それなら、香霖の嫁の話で話題が途切れてしまったのも分かる。先程のにやにやも、私のそれとは違った余裕の現れだろう。水くさいじゃないか。この恥ずかしがりやさんめ。ともあれ、私も座ることにする。座布団の場所は知らないので、香霖の座布団を奪うことにした。ほら、物は足元にあった方が分かりやすいではないか。

「ねえ、霖之助さん。品物を見るだけなら直射日光がなくても明かりは充分じゃない。どうして窓なの?」

 霊夢が羊羹を小さく切って齧りながら言う。確かにそうだ。

「見せたいのは、物じゃなくて現象、かな。光を当てたほうが面白いんだ」

 ほほう。

「光なら、私が出すぞ」
「帰ってくれ」
「冗談だ、冗談。私の家にあったものもあるからな。それを消し飛ばすのは少々寝覚めが悪い」
「ぼくの家はどうでもいいのか……」

 割とどうでもいい。とりあえず香霖の荷物はまだしばらくどうにかなりそうにないので他に面白そうなものを探すことにした。すると、先程から随分と新聞屋が大人しいかと思えば、なにやら必死にメモをとっていた。先に来ていたのなら取材相手は香霖だろうに、何のメモをとっているのやら。身を乗り出して覗く。


『妖怪の死に悲しみに暮れる少女を慰める店主、横恋慕する魔女との愛憎劇』


 酷い見出しだ。胡散臭くない新聞は今朝の朝刊で終わりなのか。

「ああ、見ないでくださいよ! 明日の新聞に載せるスクープなんですから」
「妄想はスクープとは言わないぜ。ほら、見ろよ霊夢」

 霊夢の頭を掴んでドアノブのように捻る。

「なによ、人が静かにお茶を楽しんでるというのに、ってうわぁ……」
「うわぁってなんですか。どん引きじゃないですか」

 さもありなん。その見出しの続きは、以前紅魔館の大図書館に、なぜか保存されていた写真週刊誌のような内容で埋め尽くされていた。大図書館の管理人によれば、この週刊誌は外の世界から流れ着いた大変貴重なものであり、内容的にも現代的で研究価値の高い物ということだった。表題もそのようであったから、きっとそれは正しいのだろうが、そのようなものが毎週刊行されているとなると外の世界も余程娯楽が少ないと見える。日々が刺激的で、弾幕ごっこという楽しい遊びのある幻想郷では考えられないことだ。射命丸文の発行する現代的な新聞は流行っていないことからも、それは明らかである。

「とりあえず、これは回収なー」

 私はそのメモから生まれたものは世に出すべきではないと思ったので、そのページを破り捨てた。

「ああ、なんてことをするんですか」
「お前も、新聞屋なら妄想じゃなくて事実を書け、事実を。その調子じゃ、今朝の新聞だって正しいか分かったものじゃない」
「ああ、それについては間違いないよ」

 ガタガタと大きな音がし、部屋に光が差す。荷物を避けたのだろう。その時に舞ったであろう埃が光の道を作って、ちゃぶ台の上を照らした。

「ちゃんとここに証人がいるからね。ちゃんと能力を使って確認もしたよ。彼女にはなんの用途も名称もなかった」

 香霖が小さな箱を持って脚立から降りてくる。うず高く積まれていた荷物は別の場所に積み上げ、ひとまず窓だけは見えるようにしたらしい。

「さて、これが見せたいと言っていたものだが――おや、ぼくの座布団は?」

 私は自分の座布団をぽんぽんと叩いた。ほれ、ここだ。

「まったく……君のはこっちだ」

 そう言うと、香霖は部屋の隅に置いてあったものを持ってきた。正方形で、ふっくらと膨らんでおり、どちらが表かは分からないが、片面が黒で、もう一方が白。私が推理するに、これは座布団だ。

「霊夢は勝手に持っていったようだけど、君たち専用の座布団だ。こういうものでもないと、君たちはどこにでも腰掛けるから困るんだ」
「おお、悪いな」

 一旦立ち上がって、座布団を交換する。なるほど作ったばかりの座布団らしく、中の綿が十分な空気を含んでおり、ふんわりとしている。頬でその感触を確かめてひと通り満足した後、霊夢と同様に白い面を表にして座った。私は犯人じゃないからだ。

「さて、見せたかった物というのは、これだ」

 そう言って香霖は小さな箱から宝石を取り出し、ちゃぶ台の上に置いた。かなりの大粒だ。瞳ほどの大きさがある。透き通るように青く、やや紫がかったその色は非常に美しく神秘的で、文献でしか見たことのない海を思い起こさせた。一方で、その独特な形状は私を不安な気持ちにさせた。光を乱反射するように緻密に計算され、美麗に切り出されていながら、全体の形状としてはどこかから切り離されたかのように不恰好なのだ。

 その形状に眼が行くと、色味もどこか不気味に見えてくる。紫水晶というには青く、蒼玉というには澄んでおり、藍玉よりも深く、素材がまったく分からない。

「これは、なんだか哀しい宝石ね」

 霊夢がそんなことを呟く。

「哀しい、か。私はむしろ怖いな」

 私は正直な感想を口にした。

「そう、皆に怖がられて来たと思うのよ。だから――」

 なるほど。霊夢らしい感想かもしれない。私たちがそんな情緒的な感想を言い合っている中、天狗は必死にペンを走らせていた。色々な語彙を並べて宝石を表現している。私は、やはりこの天狗は新聞記者でも風神少女でもなく、文学少女に鞍替えした方が良いように思う。そうすれば、つくり話もやり放題だ。だが、このように新聞にこだわり続ける。その情熱はどこから来るのだろうか、などと思っていたら唐突に顔をあげ、口を開いた。

「これが、八雲紫の遺品、ですか?」

 なんだって? 霊夢の意見で来てみたが、これは大当たりだ。私の直感どおり天狗の山にいっていたら、天狗にも会えず、手がかりも得られないところだった。

「そう。彼女が何者かに殺害される一週間ほど前に、ウチに持ってきたものだ」

 香霖が答える。

「なにか、事件に関係があるのかしら?」
「分からないな。だが彼女は、これに光を当てると色が変わるから面白いと言っていた。それで、この宝石の名前と用途が知りたいと」
「なるほど、それで窓から光を入れようってわけか。しかし、なんで今の今まで試してなかったんだよ」

 私が疑問を口にすると、香霖が困ったような顔をした。

「それを話すには、まずこの宝石の用途を教えないといけないな」
「なんだよ、もったいぶって」

 香霖は小さく深呼吸すると、ゆっくり口を開いた。
 
「この宝石の名前は、願いの金剛石(ホープ・ダイアモンド)。用途は……呪殺だ」
 

†因果応報
 
 聞いたことのない宝石の名だった。不思議だ。これ程の逸品であれば、私のコレクションの一つに加えられていてもおかしくはないし、名前くらいは聞いたことがあっても良いはずだ。そして――呪殺。

 それはとても恐ろしい響きを持つ。なぜなら、呪殺というのは物理的な手段によらず、また人のみならず社会、あるいは世界全体をも対象とし、明確な悪意を以てなされるものだからだ。そして、それは多くの場合対象に大きな苦しみを与え、術者にも相応のリスクを強いる。

 リスクとして最も有名なものは、術者の死だ。しかし、ただの自殺であってはならない。苦しみに苦しんだ上で、多くの過程を経た上で、死ぬのだ。そして、次に言うことが、私が呪いに対して最も恐ろしいと思っていることだ。
 
 ――呪いは、時にそれを行っている自覚のないまま完成される。
 
 香霖が光を当てたがらなかったのも、理由があるのだ。それが、呪いを完成する合図だとすれば、香霖が呪われて死ぬか、香霖の周辺が呪われて死ぬか、だ。そして、それは術者に相応のリスクを強いる。いずれにせよ、香霖は死ぬ。だが、私に言わせれば、それでも光を当てない理由にはならない。

 というのも、使い方の分からない呪いのマジックアイテムによるものなどが特にそうで、強力なマジックアイテムになればなるほど、その呪いは避けようがないのだ。例をあげると、近づくだけで効果を発揮する、単純所持で効果を発揮する、見ることで効果を発揮する、体の一部に触れると効果を発揮する、などが思いつく。

 そして、呪いのマジックアイテムというのは、それが貴重で手がかかっていればいるほど望ましいとされている。それも、呪いのプロセスに組み込まれるからだ。呪いは、多くのプロセスを踏むほどに蓄積され、大きくなる。そして、私のように呪いについてはてんで素人の者から見ても、その宝石は奇跡の産物と言って良いほどの透明度、大きさを誇り、カットも職人の手による計算し尽くされたもので申し分ない。つまり、この宝石を八雲紫から受け取った時点で呪いは完成されている可能性があり、だとすれば、香霖が死ぬのは避けられないのだ。私はそう指摘した。

「ま、とはいえそれで呪いが完成するかと思ったら、私だって光になんて当てないし、家の中に転がしてどっかに埋もれちまうだろうけどな」

 最後は軽口で締める。死を意識させて空気を重くするような意図はない。

「お、驚きました……」

 文がなにやら衝撃を受けている。

「魔理沙さん、魔法使いみたいです」

 失礼な。人をなんだと思っているのか。

「……身内に呪いに詳しいヤツがいてな、少し勉強したんだよ。それに、勉強は魔法使いの本分だ。あと、そういう台詞は霊夢に言ってやってくれ。コイツほど巫女らしくない巫女もいない。私の出で立ちはどこからどう見ても魔法使いだろう。外の世界の本を読んでも、脇丸出しでスカートをはいた巫女なんていないぞ」


「私は幻想郷のザ・巫女だからいいのよ」

 茶をすすりながら平然と答える霊夢。この横暴さには、どのような屁理屈をならべようと、ぐうの音も出ない。仕方がないので私は口でぐうという音を出した。

「それはともかくよ、なんで光を当てようとしなかったのかは魔法使いさんの説明で分かったわ。でも、今日になって光を当てようと思ったのは何故?」

「簡単な話さ。光を当てても即、死ぬ訳ではないということが分かったからだ。紫の死が仮にこの宝石の呪いによるものだったとしても、彼女の口ぶりからして、ぼくに渡すよりも前に光を当てている。つまり、少なくとも呪われてから一週間は解呪する時間があるのさ」

 そう言って、香霖は霊夢に目配せをする。

「紫が死ぬような呪いだとしたら、私にお祓いできるとは思えないけどね」
「それなら、祓戸大神(はらえどのおおかみ)でも喚んでもらうさ。一週間もあれば、準備できるだろう」
「いやよ、あれ凄く疲れるんだから。それに、そもそも、祓戸大神というのは日本神話の神産みの段で、黄泉から帰還した伊邪那岐が禊をしたときに化成した神々の総称であって云々――」

 疲れるからという理由で命が掛かるかもしれない事案を拒否するとは、いかにも霊夢らしい。しかし、私は記憶を手繰るうちに、その懸念すら必要がないということに気づいた。

「いや、霊夢に香霖。余計なことをする心配はないようだぞ」
「奇遇ね、私は最初からそう思ってたわ」
「お前の場合は、勘と面倒くさいからだろう。いいから話を聞け。この宝石は確かに素晴らしい出来のものだ。奇跡の産物と言っても良いほどにな。だが、そこに込められた呪いに、少なくとも幻想郷の人間を殺すほどの力はない。気になってたんだよ。これほどの宝石であれば、私が名前を聞いたことがないのはおかしいからな。しかも、呪いのアイテムだ。あれほど勉強したというのに。で、極めつけはこれだ。そもそも、幻想郷には金剛石が採れるような山はない。つまり、この宝石は外の世界で作られたものだ。おそらくごく一部にしか魔法が生き残っていない世界で、こちらの世界の人間を呪い殺せるようなアイテムが作れるとは思えん」

 最後は半ば投げやりな理由づけだが、それよりもなによりも、紫がそのような呪いを知らずに持っていたとは思えなかったし、ただ名前と用途を知りたいという理由だけなら、その場で見てもらって持って帰れば良い。それを、預けたということは、他に意図があるということだ。それがどのような意図なのかは分からなかったが、それだけは間違いないと確信できる。あの妖怪は、決して意図通りのことを伝えないのだから。

「文、霊夢、どう思う?」

 私は念のため、周囲に確認した。人の命がかかるかもしれない事案だからだ。

「そうですね。私も聞いたことがありません。そんな危険な物なら大天狗様が管理していても良い筈です。これはスクープです!」
 ふむ。いかなる時も新聞のことを考えているこの姿勢は見習わないといけない。

「そうねぇ。さっきも言ったとおり、光に当てたところでどうってことはないわ」

 こちらはこちらで、根拠のない勘。そして、これが最も信頼できるのだから困る。

「だ、そうだ」

「適当だな。まあ、そのほうが君たちらしい。じゃあ、早速やるとしようか。本当は鏡とレンズでやるつもりだったんだが、魔理沙もいることだし手伝ってもらうことにしよう」

 なるほど、理にかなっている。私に光を直進させろと言っているのだ。説明すると、私の最高の魔法『マスタースパーク』は、八卦炉の発する光を圧縮、増幅して一直線に撃ち出すものだ。光を発するのと増幅するのは八卦炉の役目であり、私にはできないことだが、それを圧縮し、直進させているのは私の魔法だ。これと同じことを太陽光でやれということだろう。だが、自然光と八卦炉の光では、エネルギー量が桁違いだ。少し、繊細なコントロールが必要かもしれない。

「あい分かった。この報酬は高くつくぞ」

 静かに精神を集中する。空気に歪みを作り、窓から差す光を集める。ここまではよし。さらに、光を集めながら魔力の筒でそれを逃がさないようにしつつ、魔力の鏡でそれを反射、逆進させる。逆進させた先、元の光を集めた場所にも鏡。ただしこちらは半透明。自然光を通しつつ、反射させた光をさらに反射。

「間近で見ると、意外と繊細なんですね。もっと、大雑把なのだと思ってました」

 精神を集中させるため、反論できない。天狗め。あとで覚えていろ。窓の仕返しと一緒に返してやる。だが、雑念は浮かべつつ集中は崩さない。

 これを繰り返して光を増幅する。傍目から見れば、空気中に明るい光の玉が出来上がっていくのだが、そのイメージでは決して光を撃ち出せない。十分に増幅できたところで、先に作った鏡も半透明にして、十分なエネルギーを蓄えた光だけが通れるようにする。

 ――射出!

 魔法は成功した。空気中の光の玉から一際明るい、白いレーザーが宝石に照射された。しかし……

「あれ」「ん?」「あやややや」「おかしいね」

 口々に疑問の声。光を当てられた宝石は、ただその輝きが強調され、綺麗に光っているだけだった。

「ちょっと魔理沙。アンタ魔法に失敗したんじゃないの?」
「莫迦言え。ちゃんと光は当たってるだろうが。お前の眼は節穴か」
「どういうことでしょうね。あの八雲紫が結論を言わないのはいつも通りですが、嘘を言うとは思えません」

 まったくその通りであった。

「ってことは、他に何かカラクリがあるんだろうな」

 魔法を解いて言う。魔法の手順は正しいし、成功した。なのに、期待通りの結果を得られないということは、期待にいたるまでの手順に誤りがあるのだ。

「なにか心あたりがあるのかい、魔理沙」
「いやまったく。私のレーザー占いによると、色の話をするなら人形のところ、調べ物なら紅いところだな。だが――」

 そう、今の私に興味があるのは、この宝石の仕組みの話ではない。八雲紫を襲った犯人だ。それを香霖に伝える。

「そうか。まあ、とりあえずこの宝石は持って行くといい。犯人を追う手掛かりになるかもしれない。それに、ぼくが持っていても、仕組みは分からないだろうし、身の回りに置いておいても、あまり気持ちのいいものでもない。調べようにも店番もあるからね」

 客なんて滅多に来ないんだから、少しくらい休んでもよさそうなものだが。しかし、持って行っても良いと言われれば持って行くのが、私の蒐集家たる所以だ。

 それにしてもこの男、このように私に対しては貴重な品をただでくれたり、気前の良いところ、というか、どこか遠慮したところがある。それが私の生まれに対する遠慮であるなら、そろそろそんなものは捨てて欲しいところだ。

「貰えるものは貰っておくぜ」

 だが、そうしたところで、私が物を持って行くことに変わりはない。それが、私の蒐集家たる所以だ。宝石を受け取り、落とさないよう巾着に仕舞う。巾着を開けたところで思い出した。そうだ、新聞。

「おい、天狗」
「あやっ!?」

「なんだ、その裸を見られたようなリアクションは」

 声をかけると、天狗はメモに手と身体を被せるようにして隠した。しかし、生身で空を飛ぶ人間の動体視力を舐めてはいけない。私にははっきりと見えた。『呪いの宝石、白黒の魔法使いのもとへ。次に赤に染まるのは彼女か!?』だが、それは見えなかったことにした。もし犯人がいるならこの新聞を見て、私に何かアクションを仕掛けてくるかもしれないからだ。それに、この呪いの宝石の、本来の用途の方の使い方に心当たりがあった。

「とんでもない! 私は裸なんて隠しませんよ!」

 とんでもないことを言う。だが、言われてみれば隠さない裸には何の価値もないわけで、じゃあ隠さなくても良いかという気にはならなくもない。

「じゃあ、他に取材することもないし、私はこの辺で――」

 と誤魔化しつつ、部屋から出ていこうとする天狗の首根っこを私は掴んだ。

「まあまて。私はお前にも用があるんだ」

 天狗の眼の色が変わった。余裕の笑みを浮かべ、口調がゆっくりになる。

「じゃあ、久しぶりに、やる? 今度は少しだけ本気を出してあげる」

 文は懐から羽団扇を取り出し、私に向ける。赤い瞳が禍々しさを増し私を射抜く。

「ああ、そう来なくっちゃな」

 私も懐から八卦炉を取り出し、天狗に構えた。少しだけ身震い。

「店の外で頼むよ」

 香霖は呆れながら言う。
 博麗霊夢は、お茶を飲んでいた。
 
†光芒一閃
 
 店の外に出ると、日はすっかり高くなっていた。風も穏やか。冬にしては温かい。
 戦いの邪魔にならないよう、私はコートとマフラーを脱ぎ捨てた。天狗はもう、空の上から私たちを見下している。穏やかな風の中、嵐を身に纏わせて。

 手元のスペルカードを確認する。今あるのは七枚。これを全て使うわけにはいかないが、かと言って手を抜いて勝てるような相手でないことは明白だ。少し悩んで、私は二枚だと宣言する。対する天狗は一枚。実力差を考えれば妥当な数字だろう。

 スペルカードバトル成立だ。っと、その前に。

「おい、文。紫はもう死んじまったが、天狗はスペカルールは守るのか?」
「愚問ね。そんなルールがあろうとなかろうと、天狗は人間に本気を出すことなんてないわ。未来永劫ね」

 なるほど、その通りだ。
 その理由は様々だが、どうも、強力な妖怪であるほど人間との戦いで本気を出さない傾向にあるらしい。鬼という種族などはその最たるもので、その気になったら幻想郷ごと吹き飛ばせるような力を持っていながら、自らに制限をつけて戦いを遊びにしてきた。そして、その制限の中で鬼は本気を出す。

 天狗という種族の場合は、主に見下しが大きいところを占めるだろう。人間などを相手に本気を出すことは、天狗の矜持に反するのだ。だが、天狗は不必要にはそうしない。何かの意図があって、手を抜いたり、少し本気を出したりする。

 なお、この射命丸文に、私は以前勝ったことがある。その時は私に勝つつもりはそれほどなかったようだが、想像以上に強かったというお墨付きも頂いた。それを踏まえて、少し本気を出すというのだ。武者震いもしようというもの。

 私は魔力障壁を展開し、箒に乗った。

 文と同じ高さまで上がり、戦いを始める前に尋ねる。気になることがあった。

「天狗は、と言ったな」
「そうよ」
「それは、どういう意味だ?」
「残念だけど、上司の命令で止められてるの。迂闊なことを言って、人間を混乱させるなってね。聞きたかったら――本気で来なさい!!」

 嵐が激しさを増す。相変わらず凄まじいな。これじゃあ、魔力弾なんて当てられもしないだろう。

「じゃあ、霊夢。合図を頼むぜ」

 地上に声をかける。よく見ると、香霖も見物に来ていた。おそらく霊夢が結界を張っている安全なのだろう。だが、店番があるんじゃないのか? いや、私たちが弾幕ごっこをしていれば、来るはずの客も来なくなるだろうから、それでいいのか。少し申し訳なくなったが、これも世のため、人のためだ。香霖よ、すまん。
 そうこう考えているうちに、霊夢から号令がかかる。

「仕方ないわね。こう言うの柄じゃないんだけど


 ――霧雨魔理沙。射命丸文。
 私、博麗霊夢がその互いの在り方を掛けた戦いの見届け人として、ここに命名決闘の成立を承認します――

 はじめッ!!」


 凛としてよく伸びる透き通った声が、冬の空に響き渡る。瞬間、私たちは弾けるように加速した。
 互いを牽制し、距離を保ちながらながら飛び、空に並行線を描く。

「少しは速くなったみたいね。でも――ここから先は、人間の立ち入ってはいけない領域。貴方はすぐに引き返すべきなの。

  逆風『人間禁制の道』!」

 いきなり仕掛けてきた。それも、大技だ。
 天狗の纏う嵐が形となって襲いかかってくる。嵐で相手の動きを封じ、嵐によって巻き上げた岩や小石、嵐の中に混ぜた鎌鼬を弾幕とする。動きを封じた上で、視認しやすい弾幕と視認できない弾幕を混ぜたいやらしい攻撃で、私のように速さと一撃に重きをおいた戦い方をする者には多少きつい。

 少しは本気を出すというのも嘘ではないようだ。
 だが、この技は対策済み。魔力障壁を球形ではなく流線型にしていたからだ。こうすることで風の影響を小さくし、より大きく加速できるようになるのだ。以前に図書館で読んだ、鯉が竜になる話で思いついた。鯉が何故滝を登ることができたのかについて、私の出した結論はその形状だった。効果は覿面で、完全な本気ではないだろうが、天狗の速さに着いて行くことができた。小回りは利かないが、おかげで嵐の中でも身動きが取れるし、岩や小石を避ける程度であれば問題ない。

 引き返すつもりなどないぞ、と答える代わりに、三発ほどお見舞いする。

「おおっと、危ない」

 しかし、その弾丸は文の纏った嵐に弾かれ、あらぬ方向に飛び去り四散した。魔力の残滓を残し、キラキラとした粉が空に留まる。どうやら、この風は魔法は吹き飛ばせないようだ。

 お返しに鎌鼬が飛んでくる。魔法で視力を強化しなければ認識できない厄介な攻撃だ。だが、私の障壁を崩すほどの威力はない。意に介さず、魔力弾を打ち込む。この程度の弾なら、事実上燃料切れはない。何発も、何発も撃ち込む。悉くが嵐によって逸らされる。当たらない。そのうち、周囲は爆発した魔力弾の上げる硝煙で薄い曇り空になっていく。

「何度やっても、無駄よ!」

 向こうからもお返しが何発か飛んでくるが、緩急をつけて飛べばどうということはない。天狗はやはり本気を出していないようだ。アイツの本当の恐ろしさは、弾幕でも、風を操る能力でもなく、その弾幕すらも超える暴力的なまでの速さなのだ。

 天狗はそれを分かっているのか、いないのか。私にとっては、ただの体当たりである『猿田彦の先導』あたりのほうが余程恐ろしい。
 だが、本気を出していないならこれ幸い。この先調査を進めるに当たって、資源が節約出来るに越したことはない。一気に決めてやる。

 平行線を外れて急上昇する。天狗に対して、太陽を背負う形だ。

「じゃあ、こいつはどうだ?

 光符『サンライトミラージュ』!」

 ――パチン
 指を鳴らす。私は仕掛けていた鏡の魔法を発動させた。天狗の周りに何人もの『私』が現れる。仕掛けた枚数はよく覚えていないが、ざっと両手両足の指の数を超える。

「え、なに、待――」

 ――パチン
 もう一度。今度は透明の鏡。

「光陰矢のごとし。時間は誰も待ってはくれないぜ! 

 流光『シューティングエコー』!」


 何十人にもなる『私』が一斉に矢を撃ち出す。撃ち出された矢は、流星のように尾を引きながら魔力の鏡で反射され、複雑な軌道を描く。天狗を襲う。無数の矢の描く軌道が、光の結界となる。一筆書きで描いた五芒星も、角度を変えて何重にも重なれば、というヤツだ。


「ちょっと! 逃げ場がないって反則」

 なにやら文句を言いながら、天狗は光の矢に飲み込まれた。

「ほら、人を舐めてるからこうなる。私が光の魔法の専門家だというのは、店の中で見ただろうに」

 魔法の矢を何本か撃つだけの簡単な魔法だ。簡単な魔法だから、魔力の消費も少ない。ただ、この矢はちょっと特殊で、魔力の鏡で簡単に跳ね返る。こっそり鏡をあちこちに置いておくだけで、弾幕結界の完成だ。弱点があるとしたら、魔力の鏡の設置に時間がかかり、相手にバレるとすべてが無駄になってしまうこと、鏡のコントロールが難しいために、矢を沢山打ち出せないことの二つだ。

 前者は、奇術の得意な知り合いにミスディレクションという手品の技を教わって、気付かれないように設置できるようになり解決。相手が私を舐めていればいるほど、効果的だ。

 後者は、光の波長を変えて弾をコピーし、弾幕を多く見せる技を使う妖怪を見て参考にした。魔法じゃなくて姿を移す鏡も設置すれば良い、つまり、矢をコピーすれば良いのだ。見た目のインパクトも大きいので大変私好みのアレンジとなった。効果の程は見ての通り。

 ただ、このアレンジは日の高い昼にしか大きな効果を期待できない。日が傾いていると鏡の像が歪んでしまうし、夜では鏡に姿を映すことができないからだ。今後は、この問題点を解決すべく努力することになるだろう。

 ちなみに、コピーしたものは所詮コピーなので当たり判定はない。つまり、反則ではない。いわゆる初見殺しというヤツだ。残念ながらこれで霊夢には使えなくなった。もっとも、使ったところで一瞬でコピーを見抜かれるような気もするが。

「おい、霊夢ー。おわりだぜー」
 
 光の暴発が収まると、服をずたずたにされた天狗が現れた。二人で地上に降りる。

「これはちょっと、人間に対する認識を改めなきゃいけないようね。油断したとは言え、何も仕掛ないままやられるとは……」

 頭を掻きながら言う。文の瞳は元の色に戻っていた。

「貴方達くらいになら、しゃべっても大丈夫かも」
「おうおう、是非そうしてくれ。いや、それよりも何よりも――」

 私は手のひらを上に向けて、ひょいと文に差し出した。

「まずは、窓ガラスの修理代だな」
 

†和敬清寂
 
 私たちは容疑者を連行し、取調室に戻った。しかし、ずたずたの服のまま取り調べを行うのも気が引けたし、汚れた服で家に上がられるのは勘弁して欲しいということだったので、武士の情けとして着替えだけはさせてやることにした。

 当然、文が替えの服を持ってきてなどいるわけがないので、香霖堂に置いてあった私の服を貸し出すことにした。霊夢の服も置いてあるのだが、私がやったことだしということで私が提案したのだ。

 なお、文は宣言どおり裸を隠そうともせず着替え始めようとしたので、慌てて香霖を暗い部屋に閉じ込めることになった。眼を閉じていれば済むことだろう、という文句も聞かれたが、そういう問題じゃない。女の子が着替えをしている場に男がいるという事実が問題なのだ。

 この点については霊夢とも意見が一致したようで、香霖を掃除道具入れに押しこみ、二重に結界を施した。香霖が文句を言いかけるが、多勢に無勢。完璧だ。

 ついでに、私も多少汗をかいたので身体を拭いて着替えることにした。どの服を着るかで文と取り合いになったが、妖怪でもお洒落には気を使うのだなと微笑ましい気分になる。しかし、どうやらそうではなかったようで、私の一昔前の服では胸周りがきついとのだとかどうとか。そんなことを聞かされれば、私は彼女に拳骨をお見舞いする他ない。冬空で冷え切った拳骨にはぁっと息を吹きかけて温めていると、文は慌ててこう言った。

「違いますよ! 最近の魔理沙さんの服ならピッタリなんですから! 魔理沙さんちゃんと成長してるんですって!」

 それに気を良くした私は、文に一番新しい服をやることにした。まあ、着たくなったら私が借りに行けばいいだけの話だ。それに、どうせ香霖がただで作ってくれたものでもある。私は大変に心が広い。

「いや、ピッタリというのはおかしいな。ぼくは動きを妨げないように、少し大きめに服を仕立てるんだ」

 掃除道具入れが不穏なことを言ったので、ちょっとした仕返しをすることにした。

「霊夢、その結界、音を遮断するようにはできないのか?」
「お安い御用よ」

 音を遮断し、こちらの音も、向こうからの音も掃除道具入れに届かないようにする。その間に、霊夢はお茶と茶菓子を物色し、私は文と一緒に春画のたぐいがないかを物色することにした。しばらくすると、霊夢は上等な煎茶にお菓子があったと満面の笑みをみせ、私たちも少々の戦果を得た。この事件は、明日、大々的に新聞に載ることだろう。

「さ、説明してもらおうか」

 そういうわけで、ちゃぶ台の上には三人分の茶菓子とお茶が並ぶことになった。なお、お茶の名は正喜撰、茶菓子はカステラで名は黒船というらしい。清涼感のある瑞々しい香りが漂う。口に含むと、まるで濃厚な出汁と味醂を頂いたような旨みと優しいとろりとした甘み、その後からお茶の渋味や苦味が顔を出し、口の中に重さをまったく残さないながらも、味の余韻だけはすうっと残り続ける。茶菓子の方はといえば、卵の黄身が舌の上で弾ける様まで感じられる程にしっとりとした生地が、これは黒砂糖と蜂蜜か? 和三盆のような奥ゆかしさでは決してないが、複雑で深みのある甘みを包みこんでいる。むしろ、これ程にしっかりとした生地ならば、このくらい主張のある味わいの方が合う。旨い。

 その後茶を含むと、不思議なことに茶菓子の甘みはお茶の甘みや旨味をまったく邪魔しない。逆もまたしかり。

 私はお茶や茶菓子に詳しい方ではないが、どちらも大変上等なものであると分かった。これを独り占めにする気でいたこの男は、やはり罪深い。

「そうですね、どこから話したものか……」

 おっと、そうだ。茶も良いが、こちらが本題なのだ。

「まずは、なんであんな見出しにしたか、からだな。死を直接表現したくなかったのか、それとも何かの暗喩なのか。それによって、この先お前に聞きたい内容が変わる」

 ちゃぶ台に肘をついて手を組み、そこから文の瞳を覗き込む。その瞳に揺らぎはない。天狗は嘘を付く妖怪だが、不必要にはそうしないのだ。私は文を信頼していいと思った。

「そうですね――前者が近いと思います。我々天狗は、その事実を『分かる』者にしか伝えたくなかったんですよ。魔理沙さんがさきほどの弾幕ごっこの前に聞こうとしたことに通じるかもしれません」

 文が姿勢を正す。
 分かる者にしか伝えたくない。逆を言えば、分からない者には伝えたくない、ということだ。そしてそれは、天狗がスペルカードルールを守るか否かに通じる。

 大体の想像はついた。これは、異変などというレベルの問題ではない。

「つまり、『天狗は』人間を無闇に襲うことはない、ということか」

 天狗を強調して確認する。

「さすがですね、その通りです。紫さんが殺害された、と表現すれば……こういう言い方は見下しているようであまり好きじゃないんですが、下等な妖怪にまでその事実が伝わってしまいます。そうなれば、今までどこで見張っているか分からない絶対的な妖怪の力と――そして、この霊夢さんの存在によって成り立っていたルールが崩壊してしまう。下等な妖怪がスペルカードルールを守らなくなる。そのような妖怪は、己の存在だとか、美しさとかそんなモノはどうだって良いんです。それらにとっては、今まではただ食欲を抑圧するだけの、邪魔なルールだったのですから。生きるためにルールを守っていた妖怪が、欲望を満たすためにルールを破るようになったら、あとは……どうなるか分かりますよね」

 異変ではない。異変というのは、終わってみれば、結局のところ日常の延長に過ぎない。だから私たちは、異変が終わると日常の始まりとして、宴会を開くのだ。世界がひっくり返ることは、異変とは言わない。それは、革命だとか、動乱だとか、もっとそういったセンセーショナルな言葉で表現されるものだ。

 部屋に流れる、沈黙。霊夢の茶を嚥下する音だけが聞こえた。

「あの新聞は、私たちの声明文であり、他の妖怪を牽制する意味もあったのです」
「そんな声明文を任されるとは、随分と出世したものだな」

 私は内心の動揺を隠し、部屋の重力を軽くしようと、軽口を叩いた。

「逆ですよ。上層部は、根回しに必死です。私くらいの下っ端でないと、このような街宣活動ができなかったんです」

 帰ってきた答えは、のしかかる重力をさらに増すものであった。だが、そんな重力を物ともしない人間がここにはいた。空を飛ぶ程度の能力、あらゆる物に縛られない天衣無縫の巫女はこう切り捨てた。

「変な話ね」

 霊夢は続ける。

「スペルカードルールが出来る以前から幻想郷は成り立ってきたわ。私たち博麗や、人間の退治屋によって。そこに、あなた達天狗は介入していない。妖怪の山でひっそりと共同体を形成していただけじゃない。人間は妖怪の山に今も立ち寄らないし、あなた達だって無闇に人里には降りてこない。それが何故、今になって世の中の流れに介入しようとするの?」

 文はかぶりを振った。

「巨視的に観ればそうかも知れません。でも、妖怪は人里に物を買いに行ったり、売りに行ったりするようになりましたし、人間も徐々に山に近づきつつありました。スペルカードルールが、人間と妖怪の境界を曖昧にしてしまっていたのです。そんな曖昧な世界で、人を、妖怪を守るルールが守られなくなったらどうなるか。霊夢さん、貴方も分かってるでしょうに」

 霊夢は目を閉じ、カステラを頬張る。

「甘いわね」

 もう一口。

「ふわふわして、甘い。お茶も、お菓子も、あんた達も。私が興味あるのは、幻想郷のことだけよ。ルールも守れず、力もない人間や妖怪がどうなろうと、知ったことではないわ」
「――霊夢!!」

 私は思わず声を荒げる。

「魔理沙、あんただって解ってるはずよ。力のない物がどうなるべきなのか。
 それで誰にも負けない程の魔法を身につけたのだから」
「それは……」


 口籠る。確かに私は、自分でない誰かやルールに守られたりするのが嫌で、魔法を身につけし、家を出た。そんな私が、愚かで身を守る術を持たない人や妖怪を守ろうだなんて、傲慢にも程がある。しかし、すべてを受け入れてきた幻想郷がそんなに残酷で良いのか? 紫は以前、すべてを受け入れ、すべてが平等となるルールのある幻想郷は残酷だと語った。そして、そんな残酷な幻想郷を愛していると。しかし、平等となるルールの崩れた幻想郷ははたして残酷でないのか。私にはそうは思えなかった。すべてが平等となるルールの上で、ドンパチやってドンチャンやって、次の日からはソイツも宴会の名簿に載る。そんな幻想郷を私は愛しているのだ。

「まあ良いわ。ごめんなさい、今は関係ない話ね。それよりも私が気になるのは、単刀直入に言うと紫をやったのが誰かっていうことね。それが分からないなら、本当にそこで殺されたのか、死亡推定時刻がいつ頃か」

 霊夢は動揺する私を他所に、いたって冷静だった。そうだ、私もホームズを気取るなら犯人を突き止めることにまず全力を尽くさなきゃいけない。目配せし、口だけで「さんきゅ」と言うと、霊夢は舌を出して答えた。つかみどころのない奴だ。

「……椛の調べたところによると、死亡推定時刻は丑三つ時のころ。犯行現場は発見場所で間違いないと思います。血痕が他の場所にはありませんでした。あの傷で血痕を残さず移動できたとは思えませんし、スキマを開いて移動したのだとしても、あんな場所にわざわざ移動する理由がありません」

 探偵を気取る時、大事なのは人の話を批判的に聞くということだ。誤解のないように注釈すると、それは人の話を疑うということではなく、話の中にある事実の裏側が示すことに注意を向けるということだ。

 椛というのは哨戒天狗の名。文よりもさらに下っ端で、おもに妖怪の山をパトロールしたり、山で起きた事件の簡単な調査を行ったりするのが役目である。その調べがどれほど信用できるかは私には分からないが、私も医学的な知識があるわけではないので、取り敢えずは信用する。

 次に、犯行現場の話。発見場所で間違いがないというのは良い。しかし、批判的に考えると、文の話も辻褄が合わない。私はそれを指摘する。

「じゃあ、あんな場所にわざわざ出向いて、そんな場所に出向いた紫をやる理由が分からん。衝動的な犯行には思えんし、かといってそんな場所に計画的に出向くことも考えられないから、計画的な犯行にも思えん。じゃあ何か……」

 一同が手を止めて私を見る。照れる。

「すまん、これ以上は分からん。何を言っても推測にしかならないぜ」

 文が盛大に滑るような身振りでちゃぶ台に伏せ、霊夢は呆れたような顔で席を立ち、隣の部屋に行ってしまった。

「私は霊夢じゃないからな。勘で物を言って当たるとは思えないんだ。お前のセリフを借りるわけじゃないが、天狗どもを無闇に混乱させたくないし、どうせ喋った内容は新聞になるんだろう? 人間、その他妖怪達だって混乱させたくない」
「と、すると、混乱させるような推測だ。と?」

 文はこと新聞のネタに関する話には嗅覚が鋭い。これだから天狗は嫌いだ。私はぶっきらぼうに手をひらひらと振って誤魔化した。

「さあな。だが、衝動的な通り魔がいることにするよりは、混乱しないんじゃないか?」

 さらに身を乗り出す文。

「なら、もったいぶらなくったって良いのに」
「ああ、うるさいうるさい。茶が不味くなるだろ。少しは取材だけじゃなくって自分で考えてみたらどうなんだ」

 そう言って茶を含み、口を閉じる。これ以上天狗から引き出せる情報はなさそうだ。

「私は……事実を集めて、面白おかしくすることしかできません。いつも、結論を出すのは組織の上の天狗でしたから。こういうの、外の世界では社畜っていうらしいです」

 そう言って文は少し困った笑顔を見せた。良く解らんが、それぞれが自分の役割をこなす上で、自分なりの結論や自分の役割の意味を考えないのは、昆虫や何かと同じなんじゃないだろうか。それとも、高度に発達した社会ではそれを考えない方が賢いのだろうか。

 再び茶を含もうとすると、もうお茶がなくなってしまっていた。旨い茶はなくなるのが早いな、と考えていると、まさにその瞬間を狙ったかのように、霊夢が大きく湯気の立った湯呑みを持って戻ってきた。湯呑みにはお茶ではなくお湯が入っているのだろう。日本茶は薬缶から直接お湯を注ぐことはせず、こうして湯呑みにお湯を移して適切な温度にしてから注ぐのだ。

「そろそろなくなる頃だと思ってね」

 素晴らしい勘。霊夢は湯呑みのお湯を急須に注いだ。おや?

「お茶を入れる時は冷ましたお湯の方が良いんじゃなかったのか?」

「二煎目は熱い湯の方が良いのよ。甘みや旨味は一杯目でたくさん出ちゃってるから、今度は高い温度で抽した渋みや苦味を楽しんで頂戴な」

 なるほど。

「そうなのか、勉強になるぜ」
「極意までは教えないわよ。そしたら、神社にお茶を飲みにくる人がいなくなっちゃうから」

 そんなのは私くらいだと思っていたが、他にもいたのか。少しだけ嫉妬しないでもないが、いずれにせよこれからもタダで旨い茶を飲ませてくれると言うのだから、喜んでおくことにしよう。

「魔理沙は来なくても良いのよ? 何煎飲んでも、煎餅を食べても一銭だってお賽銭をいれていかないんだもの。世の中は等価交換だって解ってるのかしら」
「ただで人の茶を飲んでおいて何を言うんだか……」
「私は良いのよ。幻想郷に、何物にも変え難い物を与えているんだから」

 間違いではないが、すごい理屈だ。それに、そのまま解釈すると、本当だったら私が何もしなくたって、お賽銭をいれにくるべきなんだと聞こえる。すごい。

 さて、一分ほどたったか、二煎目のお茶が入った。一煎目とは異なり、湯呑みに入っちゃお茶が大きく湯気を立てている。口元に近づけると、舌先が少し熱いと警告するので、すすって飲む。

 一煎目よりも鮮烈な香りに、心地よい苦味と渋み。あとからほんのりと甘みが顔を出す。一煎目で甘みや旨味は出てしまっていると言うが、十分に旨いし、熱いのに奥ゆかしさもあって、こちらの方が私の好みかもしれない。というのも、一煎目の旨さはなんだか優等生みたいで、旨いんだがどこか好感が持てないところがあったからだ。私はお茶に霊夢を重ねることが良くあったが、二煎目の方がより霊夢らしいのかもしれないと思った。甘いところや旨いところだけではなく、渋いところや苦いところもちゃんと見せてくれる。平等というのはそういう事だと思った。

「すごいもんだな。良いお茶ってのは」
「分かったなら次はお賽銭も入れて帰ることね。あ、そうそう。急須の中のお茶っ葉、食べられるわよ。」

 そう言うと、霊夢は刺身醤油をいれるような小さな皿に、箸でお茶っ葉を取り分けた。

「そのまま食べても良いし、だし醤油を少し垂らしても美味しいの。塩昆布なんかも良く合うわ」

 哀れ、霊夢よ。赤貧の末、お茶の出し殻まで食べるようになっていたのか。私は心の中で涙する。文も同じような顔をしていた。さすがにこの件は新聞のネタにもしづらいらしく、メモ帳は閉じている。

「今、失礼なこと考えたでしょう」

 二人で首を振る。滅相もない。

 訝しみながら茶葉を口に入れると、口の中が茶畑になってしまったかのように、柔らかく優しい香りが広がった。それに、茶葉というから硬い食感を想像していたのに、大変柔らかくまるで湯葉のよう。噛み締めると、じんわりと旨みが広がり、後口に渋みと清涼感。だし醤油を垂らすと、塩気と旨みが茶葉のそれを引き立てつつ、隠れそうになっていた甘みを前面に浮き出たせる。塩昆布と一緒に頂くと、だし醤油よりも旨みが単純なせいか、より茶葉の味が主張される。気づくと、茶菓子で若干もったりしていた口の中をすっかり洗い流してしまっていた。これは驚くべきことだった。

「これが三位一体って奴よ。旨味、渋み、香味。個々の出来栄えも大事だけど、この三つが揃ってなきゃいいお茶とは言えないわ。
 ……この事件もちゃんと解決したら、また宴会でも開いてちゃんと口直しをしたいものね」

 霊夢はそういうと、少しさみしそうな顔をした。
 私は、この事件は異変ではないと感じ始めていた。だが、そうなると霊夢の力はいつものようには期待できないだろう。
 霊夢にもそんな予感があるのかもしれない。自分の力で解決することができるのか。解決したところで、いつもの日常を取り戻すための宴会を開くことができるのか。ちゃんと、後味良く終わらせて、笑い話にすることができるのか。

 そもそも、この事件の解決とは何なのか。

 紫をやった犯人を捕まえて、それで終わりなのか? 天狗の意図は、下等な妖怪にその事実を伝えずに立場を表明することだったと言ったが、私にはそれも愚策に思えた。日常を保つためには、その事実を完璧に隠蔽すべきだったのだ。思えば、最初に私が感じた気持ち悪さもこのためだったのだ。隠蔽もせず、事実も伝えず、そのくせ事態には干渉して、事態に対する言い訳だけを得ようとしているのではないか。そんな意図が透けて見えたのだ。

 なんにせよ、事態は転がり始めた。いずれ、下等な妖怪にも、新聞を見ていないものにもこの事実は伝わってしまうだろう。そうなったとき、幻想郷はどうなるのか。私は、まだなんとか生きて行くことができるだろう。だが、この店の店主はどうか、私の家族はどうか、人里の力なき人々はどうか。

 ならば、日常を壊す元凶となったその犯人を、私は黒と断じて、裁く。では、その後、その事実を知るものを処分して回るのか? それは解決なのか?

 そして、宴会を開けたとして、呼んでないのにいつも来るヤツの席はない。


「そうだな。宴会はやりたい」

 気づかず、私は祈るようにそう言っていた。


「そう、ですね。天狗も酒は好きです」

「人間だって、そうだよ」
おはこんばんちは、初めての方ははじめまして。結城 衛です。

お祭りの中に、現在執筆中の長編を混ぜてみることにしました。
タイトルにもあるとおりこれは―起―の部分です。

いずれ、皆様にお届けできるよう頑張ります。

さて、何でまたこんなという話


葉を隠すなら森の中


と、よく言われますが、森の中に歯を隠せば逆に目立つのではないか、という発想です。しかし、よくよく考えてみると森は大変に広いので歯は決して見つからないことでしょう。そして、葉は人の目に付くことがございましょうが、歯などがあるとは思うはずもなく、そうして、人の目にふれることなく土へ帰ってゆくのでございました。

私はそっとブラウザを閉じた。
結城 衛
http://twitter.com/mega_mari
作品情報
作品集:
1
投稿日時:
2011/04/01 04:33:57
更新日時:
2011/04/01 04:33:57
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