From A to M.
まずは前回の手紙から大分時間が空いてしまった事にお詫びを。
もっとも貴方の事だから、案外前の手紙もまだ手付かずのままなのかしら?
でも、とりあえずは読んでくれたものとしていつも通りに書かせて貰います。
前の手紙でも触れたように、研究は完全に行き詰った感じです――なんて書くと貴方は不思議に思うかもしれませんが本当です。
ただ出来る事はやり切ったので不思議と悪い気はしませんし、研究自体を諦めるつもりでもありません。
こういうしつこいところは貴方から受けた良い影響だと思っています。
たくさん話したい事もあるし、充電も兼ねて一度そちらへと戻ろうと思います。
その時ついでにガーデンティパーティーと洒落込みましょうよ。場所は貴方に任せます。
箒に乗って空を飛ぶと心臓のビートが跳ね上がる。
ホントは箒なんて要らないのだけど、やっぱり魔法使いは箒に乗ってナンボだというのが師匠の口癖。
要するに、魔女を志すなら魔女らしい格好をしろという事。だから、私が弟子入りした時に真っ先に用意されたのも、大きな鍔の真っ黒い帽子に黒い服だった。
古来より変わらぬ魔女の伝統的なファッション。それらを着る事により身も心も魔女になる――ホントかしら?
「コラ!もっと柄をしっかり握るんだよ!右に左にフラフラふらついてるよ!」
背後から飛んでくる師匠の罵声。私はごめんなさいと舌をちろりと出しつつ、箒のお尻を軽く振る。
「うふふふ。師匠、大丈夫だぜ。ほら、こんな事も出来るようになりましたわ」
振り落とされないように箒に掴まると、右に左にバレルロール。師匠の絶叫が飛んでくる。
「曲芸飛行は十年早いってんだよ!それにレディは『だぜ』なんて言わないもんさ!」
霧雨魔理沙とアリス・マーガトロイド。
二人の魔法使いの話をしましょう。
ファーストコンタクト。
それは紅霧異変より以前の『ある事件』の折、魔界に乗り込んだ四人組が大暴れした時の事。
魔理沙は『お師匠様』と共に魔界の深部を目指していて初めて彼女に出会ったのだ。
緩くウェーブのかかったゴールデンショート。袖に刺繍が入った白のブラウス。青いサテンドレス。
整いすぎた容姿は、その実、魔理沙が昔欲しかった人形そっくりそのままだった。
そんな素敵な格好をしたお嬢様が勇ましく飛び出てきて一声、「そこまでよ!」と来た。
絢爛華麗な彼女に比べ、こちらは全身黒ずくめ。伝統的な魔女の装束は気に入っているとは言え、それをみすぼらしい思ったのは初めてだった。感じた劣等感は一瞬にして敵意へと変わる。
「なによ生意気な!」
当時の当人達にしてみれば真剣なやり取りだったのだが、後になっては完全な笑い話になった。その頃の二人を知る人間が宴会で暴露したのだ。
二人は散々からかわれた挙句、どちらともなしにその頃を話をするのはタブーとなった。思い出は思い出のままにしておくのが美しい、というのは方便で、要するに恥ずかしい思い出を蒸し返すのはよそうという暗黙の了解だった。
ある日、箒の練習がてらに神社の上を飛んでいたら、紅白のお目出度いカラーの巫女に攻撃された。
私はホーミングしてくる座布団投げつけられてあえなく墜落。
それを正直に師匠へと報告すると豪快に笑われた。
「新しい修行のメニューを考えよう」
その日から箒の練習に加えて、スペルの訓練が始まった。
「基本はレーザーだ。障害物を貫通する。ただしパワーのピークによって威力が増減するからコツを掴む必要がある」
森に標的を並べて撃つ練習。レーザーは直線にしか飛ばないので慣れれば楽だったが、師匠は私のそういう慢心を見越したかのようにきっちりと釘を刺した。
「序の口だから出来て当然ってレベルだ。だから調子に乗るんじゃないよ。手慣れた魔女の中にはレーザーをげる奴もいる」
「光が曲がるの?」
「努力さえすりゃ誰にだって出来る芸当さ」
師匠のウィンク。
次の日、覚えたてのレーザーを引っさげて神社へリベンジに行ったら、巫女に黒白玉を投げ付けられ、呆気なく返り討ちにされた。
魔理沙が弾幕ごっこから手を引こうと思ったのは二十歳の夏だった。
直前に起きた異変を解決中に、箒から転げ落ちるという失態を演じ、それ以来どうにも夢中になれなくなった。
「もう子供じゃないって事よ」
アリスが手にした人形の服を繕いながら言った。
「貴方にとっても『ごっこ』遊びを卒業するいい機会になったんじゃない?」
「そういうお前はもう大人なのか?いつまで経っても人形遊びから卒業できないのに?」
咄嗟に言い返した魔理沙だったが、アリスはそんな挑発には乗らなかった。澄ました顔で人形の服を縫い続けている。魔理沙はつまらなそうに鼻を鳴らすと、彼女と最後に弾幕ごっこで遊んだのは何時だったか思い出そうとし、それが随分と昔の事だったのに気付いて愕然とした。
アリスは手を止め、魔理沙を上目遣いに見る。
「魔理沙も自分の研究に没頭してみたらいいのよ。やりたい事あるんでしょう?」
「そりゃあるさ。私にもやりたい事くらいな」
「キノコの研究?」
「まぁな」
アリスに見栄を切ってみたものの、本当にそれで良いのかと家に帰ってから思い直した。
キノコは好きだ。研究も嫌いじゃない。でもこの先、ずっとキノコと睨めっこしながら生きていくのは正直どうかと思う。その点、アリスは覚悟が出来ているのだろう。この先も人形と一生付き合って、自分のモノにしていくだけの覚悟が。自分には無い。そういう決意は。そんな重要なことに遅まきながら気付いた。いや、ずっと前からそうだったのかもしれない。気付かないフリをしていただけなのかもしれない。少なくとも真剣に考えた事は無かった。今のように現実味と重みを感じて考えられるのは、自分が歳を取ったからだろう。
二十歳――里の娘の中には結婚して、子供を産んでる奴もいる。
二十歳――そういや最近、霊夢も弾幕ごっこを殆どやってない。真面目に修行らしいものをしている。
二十歳――きっと自分も何かを始めなきゃいけない年。
「師匠、紅白に勝てないぜ」
ぶぅーと膨れっ面で現れた私に師匠は、そりゃね、と相槌を打った。
「博麗の巫女は強いよ。今のアンタじゃ修行不足だ。勝てなくて当然さ」
「一撃必殺のスペルとかないの?」
「ない事はないがね。力を一点に集中させ、極大レーザーを放つ魔法。だけどお前にゃ十年早いよ。バカ言ってないで箒の練習でもするんだね」
魔理沙がアリスとお茶会をするのによく使うポイント。その一、魔理沙の家。その二、アリスの家。その三、紅魔館の図書館――ただし主を交えての場合に限る。その四、里の喫茶店『カナ=アナベラル』――ただし店主がほぼ不在でたまにしか開かない。そしてその五、天気が良くて気が向いた時にしか行かなかったけど、魔法の森の外れ――ポツンとそびえる大きなマグノリアの樹の下。
その日のお茶会はポイント五で行われた。
樹の下にシートを敷いて、用意したトレイの上にカップを置いてのアウトドア・ティータイム。アリスはお洒落に『ガーデンティーパーティー』って呼んでたけど、魔理沙は『野点』という呼び方にやけに拘っていた。
「私、幻想郷を出ようと思うの」
何でもないアリスの一言で景色は一変した。
バスケットの中にサンドウィッチ代わりに爆弾が入っていたような驚き。魔理沙は、豆に被弾した鳩の顔でアリスの訂正の言葉を待つ。或いは、冗談よ、と笑い出すのを待つ。しかし幾ら待てどもアリスは黙ったままだった。
「突然だな」
沈黙に耐えられずそう切り出す。
「突然じゃないわよ。前から考えてた事」
「私は今、突然聞いた。初耳だぜ」
「そりゃ初めて言ったから、初耳でしょうよ」
「心の準備くらいさせて欲しかったな。どのくらいだ?半年?一年?」
「もっとよ。研究が完成するまでは戻らないつもり」
「どこに行くんだ?」
「決めてないけど、遠いところに。やっぱり知らない世界にも行ってみないとね」
「人形作りの為だけに?私には想像できないよ」
黙り込むアリス。その様子を見て、大人になれよ魔理沙、と意識の冷めた部分が言う。アリスも霊夢と同じだ。自分の為すべき事を見つけたんだ。
「魔理沙、貴方の夢は?やりたい事あるって言ってたじゃない。キノコの研究でも究めてみる?」
アリスの真摯な問い。友達想いの、しかし今の魔理沙には少しばかり堪える問い掛け。
「それもいいんだけど、実は他にやりたいこともあるんだ」
「何?何をしたいの?」
魔理沙は冷めた紅茶を見下し、暫く考え込んだ後、慎重に答えた。
「そうだな――人間をやめて魔法使いになるってのはどうかな」
修行――箒に乗って幻想郷の端から端まで往復を五セット。ゆるゆる飛ぶ私の姿をあざ笑うかの如く、亜音速の天狗が追い抜いていく。
修行――レーザーの練習。正確かつ迅速な射撃の練習。動かない的と動き回る巫女を狙うのは訳が違う。師匠が放った標的――オーレリーズソーラーシステムのビットを追いかける実戦さながらの訓練。
弾幕ごっこ――数日おきに巫女に挑むが、返り討ちにされ続ける。
師匠の賞賛――そのしつこさと根性だけは認められた。
当たり前の話だが、普通の人間である霧雨魔理沙が職業魔法使いを辞めて、種族魔法使いになるのは一朝一夕という訳にはいかなかった。
芋虫が蝶に変態するくらいの苦労をする事にはなるわよ、と予め釘を刺したアリスだったが、その内容を一通り聞いた魔理沙は、要するに仙人になる修行なのだと解釈した。
「断食は絶対必要なのか?」
「蛋白質や炭水化物ではなくエーテルやマナを食べて生きるのが魔法使いよ。その為に普通の食事をやめて、体の構成を置換していかなくちゃならないの」
「食べなきゃ死ぬぜ」
「死ぬ前に魔法使いになればいいのよ」
捨食の術は普通、少しずつ食べる量を減らし、長い時間をかけて行われる。それを極短時間――アリスが幻想郷を出るまでに行うのだから嫌でも急ぎ足にならざるをえない。
しかし、それを望んだのは他でもない魔理沙だった。アリスに手伝って貰い、人間をやめる。
アリスもまたそういう魔理沙の熱意に絆され、己のことのように真剣に向き合ってくれた。
「でも、まともに修行しなくても魔法使いになる方法がない事もないのよ」
アリスが書架から本を抜き出しながら言った。
「捨食の術は会得するのに何十年も時間がかかるけど、実はその効果をすぐに得られる『魔女の霊薬』があるの。それさえ調合できればあとは飲むだけよ」
「怪しいぜ。上手い話には大抵落とし穴があると相場が決まっている」
「この霊薬の場合、存在自体が落とし穴かもよ。材料が入手困難で普通の人間には手に入らない」
グリモワールに書かれた文字を目で追い、魔理沙が悲鳴をあげる。
「なんだこれ。『女人の髭』『猫の足音』『人魚の足』だって?どうすんだよこんなもの?」
「だから普通の人間じゃ無理って言ったじゃない。でも幸いにも私はこういうアイテムがごろごろしている場所を知っている」
「魔界か?それでも簡単には手に入らないだろう?」
「大丈夫。心当たりがあるから。ねぇ魔理沙、貴方良い友達に恵まれたと思わない?」
アリスのウィンク。その瞬間、魔理沙はこの友人に対し大きな借りを作ってしまったことを悟った。
「どうせ引っ越しの準備のために魔界には一度帰らないと行けないと思ってたしね。ついでみたいなものだけど」
と、そんな言い訳をしながら、用意していたボストンバッグを抱えたアリスが出て行こうとする。
「一週間くらいで戻るから。その間、貴方はコンディションを整えるために規則正しい生活を送って節制しておいてね。夜更かしや暴飲暴食はダメよ」
母親か姉のような口振りでそれだけ言うと、アリスはさっさと出て行った。
残された魔理沙は暫くして、アリスの本棚からごっそりと魔導書の類が消えている事を発見した。例の材料を手に入れるために処分するつもりなのかもしれないと遅まきながらに気付く。
「何も私のために別にそこまでしなくたって、なぁ?」
魔理沙はアリスに留守を任された上海人形に向かって同意を求めた。人形は何も答えず、じっと見返してくるだけだったが、その無機質な視線に全てが見透かされているような気がして魔理沙は肝が冷えるのを感じた。
十戦十敗。それが対巫女戦における私のスコア。
未だ持って一矢も報いれないとは余程才能に差があるのだろうか。
落胆する私に師匠は気にするなとは言うけども、相変わらず箒の練習をさせるだけでスペルの修行も宙に浮いたままだ。
結局、私は悩んだ挙げ句、自分で何とかする事にした。留守を狙って師匠の部屋に忍び込み、知識を求めて、魔導書を片っ端から当たる事にしたのだ。
グリモアをたっぷりと詰め込まれたオーク製の古ぼけた書棚は、里の駄菓子屋にある、目一杯キャンディが詰まったガラス瓶の様に私を魅了した。
棚には人形に関する著作が目立つ。プラハの魔導師によるゴーレムの製作法。『黄金の心臓』と題された永久機関の研究書。魔界都市に実在したとされる完全に自律した人形のレポート。それらの稀覯本に挟まれて師匠のグリモアがあった。
年季が入った書物は、幾度となく表装し直されたにも関わらず酷くオンボロで、私が手にした途端、中綴じが切れて本が二つに分かれてしまう有様だったが、ここまで消耗しきっているのは何も年月のせいだけではなく、師がいつも肌身離さず持っていた所為であるのを知っている。
胸の高鳴りを押さえながら頁を捲り、私はそれを見つける。
師が自らの体験を通して蒐集したスペルの海の中で、なお一際輝く黄金色。収束させた光を圧縮し、秒速三十万キロで撃ち出す大火力技。使われなくなって久しく、幻想郷中の妖怪が知っているのに有名無実と化した幻の符。こういう名前だったな、と師の筆跡を指でなぞり、懐かしく思い出すと同時に、心臓が痛いほどに締め付けられる気がした。
何度か読み返し、スペルの使用法を頭に叩き込み、しかし、術に必要なアイテムがない事に気付き愕然とする。そして所在無く書斎のあちこち目をやり、ふと机の上に置いてある手紙に目が止まった。
From M to A――。
我知らず、震える手で手紙を広げていた。
しばらくして、霊薬の材料を揃えたアリスが戻って来た。故郷の知り合いとも別れを告げてきたのか、さっぱりとした様子だった。
さっぱりと言えばアリスの部屋もそうで、要らない物を処分した部屋は生活感も削ぎ取られて伽藍堂みたくなってしまっていた。その隙間を埋めるように処分仕切れなかったグリモワールと、愛娘のような人形達だけが残されている。
「人形は置いていくのか」
「全部は持っていけないから」
そう感慨深げに答えた。アリスにしてみれば幻想郷に来てからの数年間の思い出と日々の生活を切り残していくようなものだろう。
魔理沙にもその心情はよく理解できる。
全部は持っていけない。その通りだと思う。旅に出るには荷物は少ないに限る。
魔理沙は扉の付いたブックケースに目をやった。中に収められた人形達は俯き、静かに目を閉じている。主が不在では動くことも出来ない人形達の姿は、幻想郷で行ってきたアリスの研究が徒労に終わった事の暗示とも取れる。
だが、アリスの旅立ちは逃亡ではない。研究を放棄するのでもない。人形師は次の場面へと舞台を切り替えるだけの事なのだ。だとすれば、この人形達の静かな眠りも一時の夢に過ぎず、いつかは戻ってきた人形師による解放を――自律した存在となる事を待ちわびているようにも思えた。
「あとは貴方の事だけ。準備は出来ているかしら?」
「言われた通り、食事も減らして体調も整えたよ。お陰でお肌はツルツル、体重もベストだ。後は薬を煎じて飲むだけだろう?簡単だぜ」
「そうなんだけど。ねぇ、魔理沙の魔法のルーツって星でしょ?なら少しだけ待ってみない?」
「何を」
「もうすぐだったでしょう?次の流星群。星に願いをってね」
アリスが含み笑いを浮かべた。企み事をしている意地悪い笑み。
懐かしさと共にデジャヴ覚えた。
それはあの終わらない夜の異変に、魔理沙を誘ったのと同じ笑みだった。
「何をしているんだ。こそこそと泥棒のような真似事なんて、レディのする事じゃあないよ」
私が手紙を手に取った瞬間、師は音も無く書斎に入って来ると、滑らかな動きで草臥れたソファに腰を降ろした。スプリングが軋み、座面が沈み込む。
「ふむん。おまけに私の手紙を盗み見とはね。やれやれ、そんな子に育てた覚えはないんだがねぇ」
「まだギリギリ読んでいません。それってセーフですよね?」
「無断で部屋に入った時点でアウトだよ。どうせ私のスペル目当てだろ。一体どこで聞いたのかね。お喋りな天狗かい?それとも元巫女かい?」
「いえ。昔、実際に見た事がありますから。貴方の傍で」
師は黙り込み、ふむと顎を撫でた後、快活な笑みを浮かべた。
「なら知っているだろう?アレに理論なんてものはない。魔力を集めてぶつけるだけだ。もし必要なものがあるとしたら術をサポートするアイテムだろう」
「その、アイテムが欲しいのですが――もし良かったらですが」
「無いよ」
師は深めた笑みと共にバッサリ切り捨てた。
「なくなっちまったんだ。どうしてアレを私が使わなくなったと思う?どうしてアレが幻のスペルになったと思う?理由は簡単だ。私の手元から必要なアイテムが消えちまったからさ」
「失くしたのですか?」
「そうじゃない。今何処にあるかも実は知っている」
「教えて下さい」
「ダメだ。自分で見つけるんだね。そうしたら――そうだね。そのスペルと共に、今はもう使ってない私の二つ名をお前にやるよ」
夜空に流星群――大気圏外から突入してきた石の塊が空気と擦過し、火花を散らして燃え尽きる。そのプロセス自体には何の浪漫もないのだけど、それを見る方が勝手にあれこれ想像し、夢や希望を託した結果、流れ星はこの上なく強力な願望の受容器となった。
それこそが魔理沙の魔法のルーツ。昔、霊夢と一緒に流星を眺めて以来のキーワードだった。
「エーテルの濃い空だ」
「視えるの?」
「視えはしないけどな。感じる。肌がピリピリするぜ」
アリスには実際、視覚として大気のマナやエーテルの状態が認識できているのだろうと思った。魔法使いというのはそういうものだ。本物ならば。霊薬を飲めば魔理沙もそうなる。
魔法の森の外れにあるマグノリアの下。お気に入りの、そして夜空を一望できる絶好のポイント。
用意されたテーブルの上には小さな銅鍋が火にかけられ、アリスの手に入れてきた珍妙な土産物がグツグツと煮詰められていた。鍋を加熱しているのは、使われなくなって久しいミニ八卦炉である。弾幕ごっこをしなくなって以来、こういう風にしか使用していない。
やがて完成した霊薬をなみなみとカップに注ぐ。熱く湯気の立つそれは澄んだ琥珀色をしていて、まるで紅茶だった。
「もっとゲテモノを想像していたのに」
「御期待に添えなくて残念だわ。でもそれが正真正銘の魔女の薬よ」
ほんの少し粘度のある無臭の液体。味の方も悪くなければいいがと思い、それはどうでもいい事だとすぐに思い返す。
流星のピークが近付いている。星が尾を伸ばし、空を一瞬、明るく染める。と同時に流星を映したティーカップの水面も淡く輝く。大気を震わすエーテルの輝きに、霊的な要素をたっぷり詰め込まれたエリクサーが反応しているのだ。
魔女の薬に星の奇跡の力をちょいと一摘み。星を起源とする少女が、星の魔力を宿した霊薬を飲み干し魔女となる。
しかし、そんな冗談めいた符号の重ね合わせこそが古来から魔力の源泉であるが故に、この儀式は必ず成功する。
ティーカップに魔力が満ちる。液面は風も無いのに漣み、流星の光を浴びて黄金色に染まる。
その様子を見詰めながらアリスは興奮気味に言った。
「ばっちりじゃない。魔理沙、貴方もしかしたら歴史に残る大魔法使いになれるかもしれないわよ」
「なぁアリス、非常に申し訳ないんだが」
「何?話なら後で聞くから早く――」
「大事なことなんだ。いいか。私は魔法使いになんてならない」
「冗談言ってないでさっさと飲みなさいよ」
「冗談なんかじゃない。人間をやめるつもりはないんだ」
アリスがそこで初めて顔を上げる。唖然とし、友人を顔を見詰める。驚愕はすぐに怒りに変わり、叫びになる。
「ば、ば、バカ!今になって怖気付いたの!?飲めばそれだけで魔法使いになれるのよ?歳も取らない、食べ物も食べなくていい!若い体のままでいつまでも研究できるし――」
「そりゃ凄いよ。そりゃ凄いけどさ。でも薬飲んで、はい貴方は魔女ですってさ。でも人間ってのも悪くはない思うんだよ、私はさ」
「じゃあどうして魔法使いになりたいなんて言い出したのよッ!」
あー、と魔理沙は頬を掻き、照れを無理やり押し込めた引き攣った笑みを浮かべる。
「お前が幻想郷を出るって言い出すから、だからちょっとでもいいから引き止めようって――」
「それだけの為に?つまり、私を騙したの?」
「ああ。魔法使いになるって言い出したら、絶対手伝ってくれるって分かってたから」
アリスは魔理沙の襟元を両手で掴み、思いっきり揺さぶった。
「卑怯者ッ!私がどれだけ嬉しかったか分からないんでしょう!?貴方が魔法使いになったら、ずっと同じ時間を過ごせると思ったのに!」
「それはお前の甘えだよ、アリス。私はお前の人形じゃない」
アリスの平手が頬を打った。
「五月蝿い!嘘吐いた癖に!」
「ってぇ、違う!お前が悪いんだ!お前が幻想郷を出て行くって言うから――私達は友達なのに、お前はどこかへ行っちまう!アリスは人形しか見ていない。私なんて本当はどうでもいいんじゃないのか!?」
アリスは爪を噛み、動揺を押さえて激しく考えている。
何処で自分は間違えたのだろうか。何処か自分に落ち度があったのではないか――。
そうじゃないんだ、と魔理沙は無言で答える。
お前は何も間違っちゃいない。お前は友達思いの良いやつで、私はそれを利用した卑怯者さ。
アリスにも幻想郷に残りたいという未練はあるのだろう。
それは分かるし、知っている。何せ、古い友達だからだ。
だけど結局は行ってしまうだろう。霧雨魔理沙の弱い心なんて無視をして。
それも分かってしまう。何せ、二人は幼馴染だからだ。
それでいいと思う反面、やはりそういうアリスを恨めしく思う自分もいる。
魔理沙はカップを手にして高く持ち上げた。何をしようとしているか悟ったアリスが叫ぶ。
「やめなさい!絶対に後悔する事になるわよ!」
「やめない!騙したのは謝るけど、アリスなんてもう知らない!」
弱い自分にさようなら。友への未練と共にカップをテーブルに叩きつける。
カップは狙い通りには飛ばず、少し逸れて八卦炉にぶつかって割れた。霊薬の滴が辺りに飛び散り、まだ熱を持った八卦炉からジュッと焦げた音がした。
「行けよ、アリス!どこにでも!そして、お前の夢をいつか私にも見せてくれ!」
しばらく呆然とした後、耐え切れずにアリスが大声で泣き出した。
その様子を見ていたら魔理沙も何だか耐えられなくなって泣き出してしまった。
そして、どちらともなく相手に抱き寄ると二人で泣くことにした。
From M to A.
生憎だが、お前からの手紙は全部目を通しているし、返事もこうしてちゃんと書いている。
我ながら几帳面だと思うが身に付いた悪習という奴で変えるのは中々難しいんだ。
積もる話もたっぷりとあるし会えるのが楽しみだ。それにしても何年ぶりだろうな。
こうして手紙のやり取りをしていると、ついつい遠くにいるという事を忘れてしまうよ。
晴れたら集合場所はあの樹の下にしよう。それと、ガーデンティーパーティーじゃなくて『野点』だ。そっちの方が洒落ている。そうだろう?
肌にほんのりと感じられる陽射しと、髪をくすぐる微風が森の木立をカサカサと揺らしている。
私は師に言われた通り、マグノリアの真下に椅子とテーブルを用意した。椅子の数は三つ。師と私と――そして今日のお客様の為に。
師はいつも通りの黒帽子に黒服という格好だったが、私は師に言われ、青いサテンのドレスに身を包んでいた。
「全く、遅いじゃないか。時間にはきっちりした奴だったと思うんだがねぇ」
「久しぶりだから迷っているのかもしれません。私が迎えに行った方が――」
「いや、必要ないみたいだ――来た」
その後の数瞬の光景は、鮮烈な絵画として私の中に永遠に焼き付けられた。
木漏れ日の中、彼女が歩いてくる。
足元に生えた緑の絨毯と、色鮮やかな青いドレスのコントラスト。
長旅の中で履き慣らされた革のブーツ。
風に吹かれて揺れる長いブロンド。
彼女は顔に掛かる前髪を手で振り払いながら、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
師は椅子より立ち上がり、普段よりしっかりとした足取りで客を出迎えに行く。
その背中は普段よりスラリと伸びている気がしたし、若干、浮き足立っているようにも思えた。
二人の距離は見る間に近付く。ここからでは死角になり、二人がどんな表情をしているかは分からない。
ただ二人が手を伸ばせば届く範囲に来た時、ほんの一瞬だけ時間が止まったような気がした。
師がまず第一声を発した。
「よぉ久しぶりだな、アリス。少し大人っぽくなったな」
くすくすと笑い声。続いて懐かしい声がした。
「そういう貴方も魔理沙、少し歳を取ったんじゃない?」
少しどころではなく歳を取っている筈の師は、しかし往年の霧雨魔理沙らしい快活な声で答えた。
「よせよ。歳の話はレディに対して失礼だぜ」
そうして師は自然にアリスの手を取ると、こちらへ向かって来る。アリスは私の姿を見て、実に嬉しそうに目を細めた。
「元気にしているかしら。体の調子はどう?おかしな所はない?」
「大丈夫です、アリス。定期的に師匠にも見て貰っていますから」
「そうそう、大丈夫。お前の設計は完璧だぜ。それより積もる話といこうじゃないか。野点を楽しみながらな。茶の用意だ。頼むぜ」
師のウィンク。
私は頷き、逸る心で茶会の準備を始める。
アリスがいないだけで、他は以前と何の変わりもない日々が続いた。平和で生温い幻想郷の日々だ。
その頃の魔理沙は『何か』になりたくて仕方が無かったのだと思う。
でもその『何か』が分からず苦しみ悶えた。キノコの研究だけは相変わらず続けたが、それだけでは心の空白は満たされなかった。漠然とした力だけがあった。方向性の定まらないパワーだけが。
アリスは自分の夢の為に幻想郷を出た。
霊夢は巫女の修行を確実にこなし、博麗の巫女としての義務感や責任感というものを感じ始めるようになっていた――あの霊夢が、だ。
友人達の成長の中で、一人置いていかれるという焦燥感に駆られ冷静でいられなくなる。
しかしある日、燻り続けるだけの毎日に転機が訪れた――意外にも、手紙という形で。
From A to M.
お元気ですか?こちらはちっとも新しい生活に慣れません。
知らない事、見たこともない物ばかりで驚きよりもストレスばかりが溜まります。こんな状態で研究が出来るかどうか不安です。
ごめんなさい。落ち着いたらもう少しマシな手紙を書きます。
P.S. 貴方がくれた宝物は私の貴重な心の慰めになっています。離れていても変わらぬ友情に感謝を。
見覚えのある筆跡で書かれた宛名と、聞いた事もない土地の消印が押された封筒。
一体どういうルートで魔理沙の家に配達されたかも知れないが、その手紙からは確かに外の世界の気配がした。
「全く余裕ぶっておいて、平気で弱音を吐くんだからな。相変わらずだと思ったよ」
「そんな手紙書いたかしら。忘れてしまったわ」
「御希望なら現物を見せてやろうか。それともソラで暗誦の方がいいかな。何度も読み返したせいで一字一句覚えちまったよ」
「恥ずかしい奴ね。そんなこと言うなんて」
昔と変わらないアリスの素っ気無い物言いに、かつて少女であり今はもう少女ではない霧雨魔理沙は苦笑した。アッサムの香りを楽しみながら。その優雅ともいえる所作はかつての魔理沙には無かったものだ。
「実際、お前の手紙には助けられたからな」
「初めて聞いたわよ。そんな話」
「そりゃ初めて言ったからな。初耳だろうぜ」
「そんなことより、貴方の話よ。貴方は私がいない間、何をやっていたの?手紙じゃ八面六臂の大活躍をしているみたいに大袈裟に書いてたけど」
黒白魔女は不適に微笑む。
「脚色なんてしてないさ。ただ、今までよりもちょっとばかしパワフルにやっただけの話でな」
その頃の魔理沙の行動は半ば伝説と化している。
道端で会う妖怪の有名無名を問わず弾幕ごっこを仕掛けたのだ。
多くの妖怪達は喜んで応じた。勝つ時もあったし負ける時もあった。問題はその頻度が一日に十戦を下回る日は無かったという事だ。傍目から見てその執心ぶりは正直異常だったという。
ただ魔理沙は弾幕ごっこにこれまで以上に熱を上げると同時に、研究の方にも精を出した。未知のキノコを求めて森の中を右往左往。観察し、分類し、効能を調べる。新種のキノコのに有効な成分が発見され、薬師との協力で実用に漕ぎ付けたこともあった。
充実した研鑽の日々――努力の天才は長い時間を掛けて自らの限界を突き抜け、突破したのだった。
霧雨魔理沙――与えられた多くの二つ名。
普通の/魔法使い/黒白/メイガス/音速の/知識の探求者/求道者/蒐集家/茸博士/人の身のまま魔導の深淵に辿り着いた/努力の人。
そして繰り返される手紙のやり取り――。
From A to M.
From M to A.
一ヶ月に一度は届くアリスからの手紙。消印はその時々で変わった。知らない国の、知らない街の名前。
数年の後、Bukarestと消印を押された手紙に、この土地は古く住みやすい場所です。ここに腰を据えようと思っています、と書かれていた。
「その後、大分経ってからだったな。ある日突然、手紙の代わりにそいつがやって来た。ビックリしたぜ」
「私もビックリしました。生まれていきなり親から家を追い出されてド田舎に行けと、おまけに魔女に弟子入りしろと言われるなんて思いもしませんでしたから」
私はアリスのカップに紅茶を注ぎながら、彼女の顔を覗う。私の生みの親である人形師はクスクスと笑いを堪えていた。
「だって、ビックリさせたかったから。私の研究の成果を魔理沙に見て貰いたかったから」
それは特別印象的な日ではなかった。嵐の夜だったり、雪の降る日だったりした訳ではない。
埋没し続ける日常の一頁であり、私はそれを破る刺客として、アリスより送り込まれたも同然だった。
扉を三回ノック。出てきた黒白魔女に軽く会釈し、自己紹介。
「はじめまして、魔理沙。それともお久しぶりというべきでしょうか?」
アリスのお下がりの青いサテンドレスに身を包んだ私を見て、魔理沙は絶句したまま棒立ちになった。さらに追い討ち。
「アリスより貴方に弟子入りするように命令されました。分かりますか?私は――」
スパーン、と頭を上から叩かれた。
「よぉく分かったよ。お前さんの顔と来たら、始めて会った頃のアリスとソックリだ。まるで親子だ。そうかい。ついにやったんだなアイツは」
「ええ、やったんです。ねぇ魔理沙、どうして泣いているのですか?」
スパーン、ともう一度頭を叩かれる。
「お師匠様だ。私に弟子入りするなら気なら、そう呼びな!」
アリスは堪えきれずに笑い出した。
「その子、そんなに私に似ているかしら?」
「ソックリだぜ。昔のお前に」
「そうかしら?どちからと言えば、昔の貴方をイメージして創ったのだけど」
「おいおい冗談だろう。私はこんなに綺麗な顔は――」
「してたのよ。全身黒ずくめの癖に、やたらと快活で無邪気でそれでいてお人形みたいな可愛い顔をしていて。バカみたいよ。私なんてお母さんに作って貰ったドレスで精一杯お洒落気取ってたっていうのに」
「恥ずかしい奴だな。そんなこと言うなんて」
「今だから言うの。時効だから」
「もしかしてそれは――」
と、私が口を挟む。
「『ソコマデヨ!』『ナニヨナマイキナ!』っていうあの事件ですか?」
長らく封印されていた過去を蒸し返され、二人は虚を突かれた様にお互いを見合った。
二人の魔女のファーストコンタクト。出来れば忘れていたかった子供の日の思い出。
二人は同時に赤面した。
「あーっ、弱い魔法使い!」
突然、声がしたので見上げてみると、紅白の巫女が浮いていた。
この記念すべき麗しき日にまで現れるなんて、なんて因果な奴なのだろうと思いながらも、私の腹は一瞬にして決まっていた。
「師匠!箒借りていいですか!」
「いいが、今のままじゃ勝てないぞお前」
そう言いながらも自分の帽子を私の頭に被せて、頑張れよという風にわしゃわしゃと髪を掻き混ぜてくれる。
「お願いです。勝つ為のアドバイスを下さい」
「ふむん。弾幕はパワーだ。パワーの源は気持ちだよ。人形のお前にだってあるだろ?そんでもって、実はお前の心臓は、私の宝物で出来てたりするんだ。だからパワーでなら勝てるさ。意味、分かるか?」
何かを隠している含み笑い。去来する直感。思い浮かぶ幾つかの単語――黄金の心臓/定期メンテナンス。
「あれれ、師匠、それってもしかして」
「ほら、お守りもやるから早く行って来い。アリスも見てるぜ」
私のお尻を叩いて急かす師匠。
私は箒に跨り青いドレスを翻しながら急上昇する。
待ち受ける紅白。武器はホーミングする座布団と黒白玉。
対してこちらは虎の子レーザーと――ハートか。
下を見るとマグノリアの下で優雅に見物している二人の魔法使いの姿が見える。魔理沙が大きく手を振り、アリスが心配そうにこちらを見ている。
私は軽くサムズアップして二人に応える。
「随分と余裕なのね。新しいスペルでも覚えた?」
「そんな所。究極の魔法――いや、魔砲かな。たぶん、覚えた」
飛び立つ間際に師がスカートのポケットにねじ込んでくれたお守り――スペルカード。
その存在を感じながら、ギュッと箒の柄を握り、体を縮めて加速準備をする。
「行くわよ、紅白」
「来なさいよ、黒白――いや、今日は青いのね」
エーテルの波に乗って箒が滑り、亜音速まで一瞬で加速した。
「もしかしてあの子、霊夢の?」
「そう。博麗の巫女。今代のな」
頭上で踊る後輩達を二人の魔女は懐かしそうに見上げる。過去の自分達と重ね合わせて。
「そういや、アリス。お前の研究は結局、失敗だったのか」
「まぁね」
「どうして?あの子はどこからどう見ても自律している。アーティフィシャル・チルドレン。お前が望み、作り出した生きた人形だ」
「それがね。ダメなのよ、魔理沙。私は確かにあの子を作ったのだけど、あの子しか作れなかった。再現できないのよ。同じ設計、同じ材料を用いても魂が宿ったのはあの子一人だけだった」
魔理沙は紅茶をゆっくりと飲み、一息吐いてから、何故?と聞いた。アリスが苦笑いする。
「こっちが聞きたいわよ。何度実験しても原因不明。部品の精度?組み上げる途中の外部条件?よく分からないまま突き詰めて、突き詰めて、ようやく行き着いたのが、あの子の心臓。心臓だけがこの世に一つしかないオンリーワンの部品だった」
速度を限界まで上げて引っ張る。
唯一勝っている機動力というアドバンテージを生かすにはこれしかない。遠心力の負荷に耐えつつ、高速度下で暴れる箒をコントロールする。
日頃の地道な努力が実を結び、それは上手く行っていた。巫女は付いて来られない。
私は大旋回で逃げ続け、今や逆に相手の後ろを取りつつある。これまでの勝負では一度もなかった展開。
しかし憎き我がライバルは、悠々と振り返ると、パンッ、と拍手を打ち鳴らした。
一瞬で周囲の空気が変化する。スペルカードの宣言――夢符「二重結界」。
突如として現れた位相の異なる空間が障壁となり私の進行方向に現れる。停止/回避――不可能。数秒と待たずぶつかって試合終了。
相手としては私を引き付け、罠に嵌めたつもりなのだろうが、しかしこれこそが私の狙い。
「二重結界」は師のグリモアの言葉を借りるなら演劇タイプ――術者は動かない/動けない。停止した巫女はどんな下手くそにも当てられる絶好の的だ。
間髪いれずにスカートからカードを抜き出し、スペルを宣言。
恋符――霧雨魔理沙の代名詞だったスペル。
トクントクンと胸から聞こえる永久機関の駆動音。
術の発動に必要なのは、魔力を受け止め、圧縮させる事に耐えうる容器だった。
心臓のビートを跳ね上げろ。気持ちを熱く持て。体を巡るマナとエーテルを圧縮し、前面に収束させ、開放しろ。
秒速三十万キロで飛来し、一切合切、結界だろうが境界だろうが撃ち抜いてペンペン草も残らぬほどに吹き飛ばす黄金の光が顕現する。
私が魔砲使いになった瞬間だった。
「あの子の心臓は私のミニ八卦炉なんだろ?」
アリスが旅立つ朝にプレゼントしたものだ。魔理沙の一番の宝物で、自分の代名詞的だった存在。
故に友への形見分けとしてはこれ以上ない存在。
「気付いてた?」
「メンテナンスの時に見たからな。心臓は火廣金で出来ていた。だから、もしかしたらと思ったんだ」
「他の火廣金でも試したけどダメだった。貴方のミニ八卦炉を鋳潰して作ったあの心臓にしか魂は宿らなかった」
「何故?そりゃ香霖が作った特別製のアイテムには違いないけどさ」
「あの夜の事は憶えている?貴方が魔法使いになりたいって言って、霊薬を作った夜。あの時、貴方は霊薬の入ったカップを投げ付けたでしょう?」
ああ、と魔理沙が気の抜けた声を出す。
「確かに――かかったな。霊薬が八卦炉に。でも、そんな事で八卦炉に魂が宿ったのか?いくら人を魔法使いに変えてしまう様な奇跡の薬であっても。いや、違うな。私はあの時――」
魔理沙は遠い記憶を呼び覚ますように顔をゆっくりと撫でた。
「お願いしたんだ――。星に。奇跡を起こして下さい。どうか、アリスの夢を叶えてやって下さいって」
アリスは力強く親友の手を握り、よく言い聞かせるように言った。
「奇跡は起きたのよ、魔理沙。貴方の魔法があの子に魂を与えた。凄い事なのよ。無から有を作り出すのは神様にしか出来ない芸当なのに――魔理沙は本当に凄い魔法使いなの――知ってた?」
空が黄金食に染まり、大気が震えた。余波が森の木々を揺らす。魔理沙が口笛を吹いた。
「やりやがった、アイツ本当に。流石は私の弟子だ」
「流石は私の娘よ」
「魂を作ったのは私だ。さっき自分でそう言ったじゃないか」
「体を作ったのは私よ。ねぇ魔理沙、そんな事より私の話をもっと聞いてくれないかしら?私がどれだけ苦労してあの子を作ったか――」
「そんな事より弟子の初勝利を祝って祝勝会と行こうぜ。そうだ、霊夢も呼ぼう。私の弟子が勝った。私が霊夢に勝ったも同じだ」
「何言ってるのよ!今日は二人でガーデンティーパーティーでしょう!?」
「そうだ、宴会しようぜ、アリス。皆を呼んで昔みたいに!お前が帰ってきた事を皆にも知らせないと――」
「――ねぇ、あんな事言ってるけど?」
最後の瞬間にスペルを紙一重で交わし、しかし袖を焦げ付かせ、青褪めた顔で渋々と負けを認めた巫女が憮然とした表情で言った。
「好きにやらせたらいいんじゃないかしら。あの二人はいつもあんな感じだし」
地上ではしゃぐ二人を見ながら、ただの人形だった頃、ずっとアリスの傍で魔理沙を見ていた事を思い出す。
その頃の記憶はおぼろげだけど和やかな雰囲気だけはよく憶えていた。
「じゃああの人達は放っておいて、もう一回相手してくれない?弾幕ごっこ」
紅白は負けを認めるのが悔しいのか、そんな事を言い出した。いいわよ、と私は勝者の余裕でそれに応じる。
「そういや貴方、名前聞いてなかったわね」
「私は上海。アリスと魔理沙、二人の魔法使いの娘よ。たぶん」
「たぶん?」
紅白が人懐っこく笑った。昔の誰かさんにそっくりな、人も妖怪も分け隔てなく引き付ける笑み。血の継承はここでも行われている。
その後、夕方まで勝負し続け、私達は友達になった。
それから私は箒で空を飛び、森に下りてキノコを集めて、時々弾幕ごっこをし、異変が起きれば紅白と一緒に解決に行き、服を汚して帰って魔理沙に怒られる。
アリスは何だかんだで魔法の森に再び居つき、研究を再開した。
何せ、私にはたくさんの姉妹がいるのだし、皆を自律した存在へと変えるまでアリスの仕事は終わらないのだ。
何でもない日々が過ぎて行く。
最近の魔理沙は、私にやたらとキノコ研究家になるように勧め、一方のアリスは人形師になれと口喧しい。
ただ、熱心な二人には悪いのだけど、私もまた自分の道を探すつもりでいる。他でもない、私を生み出してくれた二人の魔法使いを見習ってだ。
一応これで、霧雨魔理沙とアリス・マーガトロイドの話は一旦終わり。
もちろんこの後も二人の物語はしばらく続いていくし、二人がいなくなった後も私が続けることになるだろう。
何故なら、私は二人の娘――魔女の愛の結晶なのだから。
俺の名はウィザード。きりゅう・ザ・ウィザードだ。 故有ってこの祭りに馳せ参じた――。
やぁ、エイプリルフールだからとんでもなくおバカな話だと思ったかい?
すまないね。これはマリアリ合同誌に書いた作品の再録修正版なんだ。
本当はゼロから書きたかったんだけどなにせ明日も仕事だからね(しろめ
桐生
こんな良作をお持ちとは、流石の一言です。大変面白かったです。
こういうマリアリもいいなぁ……いいなぁ
あとおっぱいが大きいのはよくわかったんで具体的なサイズを(