東方人機喰 〜ALICE-IN-EAT-MAN〜

作品集: 1 投稿日時: 2011/04/01 01:47:50 更新日時: 2011/04/01 07:18:14 評価: 1/2 POINT: 17777 Rate: 1186.80

 

分類
アリス
ボルト・クランク
EAT-MAN
 東方×EAT-MANのクロスオーバーです。
 怪奇談の設定とEAT-MANの世界を用いています。











――A――



 麗らかな陽光が、窓辺から差し込んで人形達を照らし出す。
 小鳥の鳴き声を耳に留めながら飲む紅茶が、身体に染み渡った。
 一日の始め、朝の準備はこれで終了。人形達にトーストやスープの皿を片付けさせて、これから新しい人形の事でも考えながら、緩やかに午前を過ごすのだ。

 まぁ、そういって成功した試しはない。
 こうしてのんびりしようと思った時に限って、元気の良い声が響いてくるのだ。

――…………!
「はぁ、やっぱり」

 破られてはたまらないので、窓辺に近寄り鍵を開ける。
 そして二歩三歩と下がると、窓を開け放って、黒白に黄金を添えた少女が飛び込んできた。モノクロなのに、彼女はいつもカラフルな空気を振りまいている。これでもう少し大人しければ、いう事はないのだけれども。

「ようアリス!邪魔するぜ」
「偶には扉から入ってきなさい」

 霧雨魔理沙というこの職業魔法使いは、どうにも図々しい面がある。
 それでも相手が本気で嫌がることはしないので、私も神社の巫女も図書館の魔女も、なんだかんだで許してしまうのだ。

「アリスー紅茶ー」
「はいはい、上海」

 私と一番長く一緒に居る人形、上海人形に紅茶を持って来させる。
 その間に蓬莱人形が、魔理沙の帽子を受け取って預かっていた。

「で?何の用よ?」
「おぉ、居心地が良いからすっかり忘れてたぜ」

 男勝りな口調でも、陽光を浴びて顔を蕩けさせる仕草は可愛らしい。
 なんというか、猫とか犬とか、たぶんそんな動物的な可愛らしさだ。

 上海が持ってきた紅茶に、いつものように角砂糖を三つ入れてやる。
 こんなに入れたら甘くて紅茶の味が分からないと思うのだが、魔理沙は甘ければ甘いほど良いようだ。本当はもっと入れたいらしいのだが、身体に悪いので止めている。

「やっぱりアリスの紅茶は旨いなぁ」
「淹れたのは上海よ」
「教えたのはアリスだろ?」
「まぁそうだけど」
「じゃあ、アリスの紅茶だ」

 こうやって心の底から喜ばれたら、なんというか憎めない。
 私にも無邪気な子供時代はあったはずだが、もっと生意気だった気がする。
 今度手紙で神綺様に聞いてみようか。いや、聞くなら夢子姉さんの方が良いかも。

「そうそう、また忘れるところだった」
「すぐ忘れるのはどうでも良い事よ」
「どうでも良くないぞ。どうでも良いけど」
「いいんじゃない」

 魔理沙は紅茶を一口飲んで、唇を湿らせる。
 湿らせたそれを舌で舐め取る仕草は、やっぱり猫っぽい。

「アリスにさ、聞きたい事があったんだ」
「聞きたい事?改めてなによ、急に」

 魔理沙は、努力家だ。
 調べたいことがあったら自力で調べ、実践していく。
 死ぬまで返さないと嘯いてパチュリーの所から本を強奪し、恥ずかしいのか後日こっそり返しに行く。それを見てニヤニヤしているパチュリーには、いったいいつ頃気がつくのだろうか。

「アリスってさ、魔界にいた頃は、私たちよりも小さかったよな?」
「そうだったかしら?」
「そうだぜ」

 魔理沙が黒白ではなく紫色で、霊夢の腋が閉じていた頃だろうか。
 あの頃のことは魔理沙としても思い出したくない記憶だと思ったのだが、克服したのか。

「あの頃の魔理沙って、確か」
「それは忘れて良いぜ」
「なんだかとてもメルヘンな」
「それは忘れてくれ。頼むから」

 頬を赤く染めて、魔理沙は机に突っ伏した。
 どうやら克服した訳ではないようだ。
 でもだったら、何故自分の傷を抉るような真似をしたのだろうか。

「話を戻すが、アリスはあの頃もっと小さかったんだ」
「断定したわね」
「断定したぜ」

 私が混ぜ返すと、魔理沙はゴホンとわざとらしく咳き込んだ。
 こうしていたらいつまで経っても話が進まないので、大人しく聞くことにする。

「……で、ほんの一年だか二年だかで、私よりも大きくなってた」
「大丈夫。魔理沙もそのうち大きくなるわ」
「え?ほんとう……じゃなくて!」
「どうどう」

 椅子から飛び上がった魔理沙を、宥めて落ち着かせる。
 心なしか疲れているように見えるが、普段振り回されるのは私なのだから、これくらいは許して欲しい。

「ふぅ……んで、どうしてそんなに、急に大きくなったんだ?」
「そうねぇ」

 どうしてと言われて、話すかどうか迷う。
 別に隠す気は無いのだが、信じて貰えるかは怪しい。
 というか自分でも、どこの“おとぎ話”なんだって、思ってしまう。

 それでも、なんだか久々に、思い出したくなってしまった。

「いいわ。折角だから、即興で人形劇風にしてあげる」
「おぉー」

 手のひらを叩いて喜ぶ魔理沙に、思わず頬を綻ばせる。
 意図的ではないのだろうが、魔理沙は表情で人を乗せるのが上手いのだ。

 人形劇といっても、本当に役柄を演じさせた人形を、昔話と共に動かすだけ。
 突拍子もない話しなので、想像しやすいようにするだけだ。

「さて、魔界から幻想郷へ渡ろうとする一人の少女。その少女に、いったい何が起こったのか?はじまり、はじまり――」

 さぁ、昔話をしよう。
 色褪せることのない、私と“彼”の物語を。













東方人機喰 〜ALICE-IN-EAT-MAN〜













 究極の魔法を以てしても、敵わなかった。
 お母様――神綺様にいただいた、究極の魔法が記された魔導書。
 そこに記された魔法を使って戦って、結局負けて逃げ帰ってきたという事実は、幼かった私をひどく苛立たせた。

 何度挑んでも勝てないような、大きな壁。
 実力差についてはそこまで開いているとは、思っていなかった。
 けれど私は、未熟な精神故に負けたということに気がつかないまま、拾虫捨食の法を己に施し魔法使いになると、幻想郷へ渡る道を選んで、母に頼み込んだことを覚えている。

「お母様、いえ、神綺様!」
「アリスちゃん……。寂しくなったら、いつでも帰ってくるのよ?」
「……あいつらを打ち負かせるくらい立派な魔法使いになったら、ご連絡します」

 初めのうちは、神綺様も私のことを止めていた。
 けれど私が諦めはしないのだと知ると、心配しながらも送り出してくれたのだ。
 見送りには姉さん達まで来てくれて、むずがゆさと共に自立しきれない自分に、どこか歯がゆさを覚えたものだ。

 そうして私は、自分で封印を施した魔導書を持って、魔界を出た。
 ……えぇ、この頃はまだ、私はあの当時のまま。何も変わらない、小さな少女だったわ。
 けれどね、予想もできなかった事態が起こったの。

 魔界から幻想郷へ渡るには、細い道を通らなければならない。
 始めは大きくて広い道だったのだけれども、封印が施されたせいで、神綺様にこっそり開けて貰った小さな抜け道しかなかった。
 その中はまるで紫のスキマみたいにうねうねしていて、どうにも気持ちが悪い道だったわ。今思えば、好奇心だけで良くもまぁ下も見ずに歩けたものだ、って思うくらい。

「うぇ、気持ち悪い」

 でもやっぱり、中腹まで来るとやる気よりも疲れの方が表に出始めて。
 だんだん飛ぶ気力もなくなって、とりあえずそこで休憩を取ることにしたの。
 紫色の空間に足を着けて、腰を下ろしてね。

「はぁ、あとどれくらい行けばいいのかしら」

 先は見えなかったわ。
 まっすぐにしか進めない、細い道。
 道に迷う心配がない代わりに、息苦しさがつきまとう。
 その頃気が短かった私は、同じ風景ばかり見るのに飽きちゃったのよ。

「うーん、ショートカットとかないのかしら?」

 それで、回りを手触りで調べてみたの。
 押してみたり、撫でてみたり、掴もうとしてみたり。
 そうやっている内に楽しくなって、どうしてだかその紫色の壁に身体を預けたくなった。

「わぁ、変な感じだけど、ちょっと良い感触……って、わわ?!」

 音に現すなら、ずぶりって感じかな。
 壁に呑み込まれるみたいに身体が落ちて、足掻いても足掻いても、掴めるものは周囲にない。やがて目の前が真っ暗になってもそれは変わらず、気がついた頃には完全に呑み込まれていたわ。

「た、助けて!やだ、神綺様……お母様!!」

 声は届かず、ただ焦燥と絶望だけが背に張り付く恐怖感。
 痛みもなく感触もなく、私はただ闇の狭間に落ちていった。
 その先に何があるのかも解らない、深い境界の淵へと。













――B――



 瞳の奥がじりじりと灼けつくような、熱。
 馴染みのない、けれど二度目の敗北を味わったあの日に幻想郷で覚えた熱に、それはよく似ていた。

「う、ん」

 身体の下はごつごつとしていて、妙に痛い。
 私はベッドから転げ落ちるほど寝相が悪かったのだろうかと考えてみたが、そんなことはないはずだという憶測しか出てこなかった。

 いつも神綺様か姉さん達と寝るから、寝相の悪さとか解らないし。

「あぅ、なんなのよ。もう」

 身体を起こして、目元を擦りながら背筋を伸ばす。
 それからゆっくりと目を開いて、思わず声を上げた。

「は?」

 右を見れば、砂漠。
 左を見れば、砂漠。
 正面も当然砂漠で。
 空には雲一つ無い蒼天と、やけに大きな太陽が浮かんでいた。

「太陽?それじゃあここ、幻想郷?!」

 立ち上がって首を回して、辺りに何もないことに愕然とする。
 私は確かに幻想郷に向かっていたはずなのに、これはいったいどういうことか。
 こんな砂漠だらけの場所が幻想郷とは思えないけれども、魔界に太陽はないから、馴染んだ世界ではないということだけしか、解らなかった。

「魔導書!……は、あるか」

 足下に変わらず落ちていた魔導書に、思わず息を吐く。
 全然知らない場所に迷い込んで、かつ魔導書も無くしたとなれば、目も当てられない。
 これが噂の“外の世界”というやつだろうか。

「で、ここどこ?」

 そうしてまた、周囲を見る。
 感じたことの無いほどの暑さで、この中を動くのは億劫だった。
 動かなきゃどうしようもないのは解っているのだけれども、身体は動こうとしてくれない。だから結局、砂がつくのを気にかけることなく、座り込むしかなかった。

「目が覚めたか」
「え?」

 私を覆うようにさしかかった、大きな影。
 淡々とした声に振り返ってみると、そこには一人の男性が立っていた。
 深い緑色のコートに長い白髪。それから、やぼったい丸サングラス。

 何この人、見るからに怪しい。

「水だ」
「あ、うん」

 投げつけられた水筒を受け取って、そこで初めて私は、自分が喉が渇いているということに気がついた。正直混乱してて、自分の欲求にまで気が回らなかったのだ。
 捨食の法で必要ないとはいえ、欲はある。

「えーと、ねぇこれどうやって開けるの?」
「蓋を回せば、開く」

 見たこともない形だったんだから、仕方が無いじゃないか。
 男が私に文句を言った訳でもないのに、私は一人でそう呟いていた。
 聞かれていたら恥ずかしいが、男は私の仕草になんか興味がないようだ。

 それはそれで、腹が立つ。

 水筒の水は、魔界のものとは大違いだった。
 冷えてもいないし、美味しくもないし、なんか苦いし。
 私があからさまに嫌な顔を浮かべてみせても、男はなにも反応しなかった。
 ひょっとしてこいつ、人形なんじゃなかろうか。

「ねぇ貴方は誰?ここはどこ?あーそうね、こういう時は私から名乗るべきね」

 いけないいけない。
 立派なレディを目指すには、礼儀を弁えなければならないって夢子姉さんが言っていたわね。まぁ、私が目指すのは立派なレディなんかじゃなくて立派な魔法使いだけど。

「私はアリス。魔法使いよ」
「……ボルト・クランク。冒険屋だ」

 胸を張って名乗る私と、変わらず淡々と答えるボルト。
 この何とも味気ない出逢いが、私とボルトのファーストコンタクトだった。













――A――



 一休みして、人形に紅茶のおかわりを淹れさせる。
 あれからまださほど時間は経っていないのだが、私は時間が巻き戻ったかのように“あの頃”の回想をしていた。

「ボルトねぇ、変な名前だな」
「失礼ね。私も思ったけど」
「思ったのかよ」

 上海が紅茶を持ってきてくれたので、もう一度角砂糖を入れる。
 あんまり入れすぎても身体に毒なので、二杯目から二個半だ。
 これでは甘いと言われても仕方がないのだが、そこは甘くさせる甘いフェイスで紅茶を眺める魔理沙が悪い、ということにしておこうと思う。

「しっかし、それってどこだったんだ?」
「正確な地名までは解らないわ。それから、けっこう色んな場所へ行ったし」
「ふーん、そいつと?」

 魔理沙が指さすのは、深い緑色のコートに丸いサングラスをかけた、蓬莱人形だ。
 蓬莱がボルトの役、上海が幼い頃の私の役を演じている。これから登場人物も増えるので、和蘭や西蔵に衣装を着せておかないと。なに、相応しい衣装は、組み合わせでいくらでも作ることが出来る。

「そ、彼と」
「なんだ?それなら、アリスはずいぶん高圧的だったみたいだけど……」
「知らないところに一人で居ようとは思えないでしょ?」
「着いていったのか。無理矢理」
「着いていったのよ。無理矢理」

 私の言葉に“なるほど”と頷いてみせるが、正直無理矢理というのはどうかと思う。
 けれど彼は、“着いてくるな”と口では言いつつも、無理に拒絶しようとはしなかった。

「それで?それからどうなったんだ?」
「そうね……それじゃあ、続きをお話ししましょうか」

 私がそういって人形を立たせると、魔理沙は行儀良く姿勢を伸ばした。
 動作の節々に見られる丁寧さが、彼女の育ちの良さを伺わせる。
 もっとも、意地っ張りだから、感づかれているとは知られたくないのだろうけれど。

 さて、ボルトの後を着いて歩く少女、アリス。
 その旅路の続きは――。













――A――



「ねぇ、どこへ行くの?」
「君には関係ない」
「そ。けち」

 自己紹介を終えて、聞いたこともない土地名を並べられて、魔界も幻想郷も“外の世界”も知らないのだとあり得ないことを言われて。

 それでも私は他に頼る術が無いから、ボルトの後に着いていた。
 だいたい、年端もいかない女の子が道に迷っていたらエスコートを申し出るのが、神士の役目じゃないのか。まったく。

「近くの街までは連れて行く。そこでお別れだ」
「小さな子供を知らない街へ置いていくの?呆れた」

 私がどう挑発しても、ボルトは無反応だ。
 なんというか、怒らせたい訳じゃないけれど、もっと私の方を見て欲しい。
 誇り高き魔法使いとはいえ女の子なのだ。それを、ボルトはまったく解っていない。

「ねぇ、ボルト。冒険屋ってどんなことをするの?」
「依頼を受けて達成する。殺しはやらないがな」

 依頼を受けて、それでそれを達成する。
 それはようは“何でも屋”とか“便利屋”とか、万屋ってことなんだろう。
 なんとも仕事の幅が広そうで、面倒そうで、楽しそうな仕事だ。

「それならさ、ボルト。私に雇われてよ」
「タダじゃないぞ」
「報酬なら払うわよ」

 神綺様に“借り”で、だけど。
 もちろん、借りた分は自分で稼いで神綺様に返す。
 そうしてまでボルトを雇いたいって思ったのは、きっと“心細い”とか、そんな理由だけじゃないと思う。なんだかボルトは、全然違うのに似ているのだ。

 私たちのお母様、神綺様に。

「高くつくぞ」
「絶対払うわ」

 あんなに街に置いていくって言ったはずなのに、もう依頼を受けようとしてくれている。
 ここまで内側が読めない人も、珍しいと思う。
 なんせ、何を考えているのかちっともわからないんだから。

「私を幻想郷か魔界に送り届ける。完遂したら望むものをあげるわ。どう?」
「……いいだろう」
「ふふ、それじゃあ成立ね」

 そう私が得意げに笑うと、ボルトは鼻で笑った。
 小馬鹿にしている感じじゃないんだけど、でもきっと私のことをこれ以上ないほどに“子供扱い”している。本当に、レディを前に失礼な男だ。

 こうして私は、この無愛想な男と旅に出ることになったのだ。













――A――



 無愛想な表情を作る蓬莱の後ろに、上海が着いていく。
 その先に見えるのは、灰色で彩られた、オイルの匂いが充満する街だ。
 即席で作られた灰色の街からは、魔法でたかれたスモッグを吹き出していて、その無骨さを表現している。今でも正確に思い出せる、“外”とはまた違った無粋で暗い街。

「よくわからないな。なんでボルトは、あっさりアリスを受け入れたんだ?」
「さぁね。ボルトは何時も、仕掛けを教えてくれなかったから」

 何を考えているか、解らない。
 意味の分からない行動が全部意味のある行動になる。
 かと思えば、本当にただうっかりしていただけなのに、それすらも利用してみせる。

 底が読めないという意味では、カリスマ溢れてる時の神綺様みたいだった。

「意味のないことをしてると思えば、それが解決の糸口になってるの」
「シンプルじゃないな」
「シンプルじゃないわ」

 スマートでは、あったけど。
 私がそう付け加えると、魔理沙は「ふーん」と頷いて、紅茶を一口嚥下した。
 よほど真剣に劇を見ていてくれたのか、紅茶の中身はほとんど減っていない。

 そのことがどうにも可愛らしくて、私は棚からクッキーを出して魔理沙の前に置いた。

「お、サンキュー」

 魔理沙はクッキーを見ると、嬉しそうに手にとって口に放り込む。
 サクサクとした食感が気に入ったのか、頬を綻ばせる様はまるっきり子供だ。

「さて、ここからちょっと長くなるわよ」
「おう」

 再び姿勢を正した魔理沙を見て、私は頬が緩むのをぐっと我慢した。
 生暖かい視線で見ていると、魔理沙は直ぐに拗ねてしまうからだ。

「旅を始めたボルトとアリス。彼女はボルトの仕事に同伴します」

 そこで待っていた出逢い。
 本当に沢山の思い出が生まれていった、そのワンシーンを、私は簡易舞台に投影する。
 効果音も照明も魔法で演出し、残りは思い出で彩る舞台。

 私は指先に僅かな力と魔力を注ぐと、上海と蓬莱に命を吹き込んだ。













――B――



 困ったことが、幾つかある。
 地名を聞いても解らない、灰色の建物も、どんな素材でできているのか解らない。
 空は飛べるけど、魔力が極端に減ったみたいに長く飛べない。
 魔法もそれは同様で、見習い魔法使いみたいな魔法しか使えない。
 そうなると当然、私が全力で施した魔導書の封印なんて、解けるはずもなかった。

「ボルト、もっとゆっくり歩きなさいよ」

 だから歩いて着いていくしかないのに、ボルトはちっとも歩幅を緩めてくれない。
 というか、私の話を聞いているのかも怪しいくらいだ。
 仕方がないので、私は小走りでボルトに駆け寄って、手を掴んだ。手を握られていたら、この無愛想な男も歩幅を緩めないと、きっと歩きにくいことだろう。

「ねぇ、これからどこへ行くの?」
「先約がある」
「冒険屋の依頼ね!」

 私は、ボルトの言う“冒険屋の依頼”を見てみたくて仕方がなかった。
 だってそうじゃないか。見たこともない“キカイ”で溢れるこの街で、いったいどんなことをしていくのか。魔法使いならば、好奇心を刺激されないはずがない。

 それに、ある程度危険なことならば、その方が都合が良かったりもする。
 少ない魔力で如何にやりくりするか。なんにしてもまずは、実践で感触を確かめなければ自分で理解することも、難しい。

「危険だぞ」
「魔女を嘗めない事ね!」

 言っていることだけとれば、私は心配されているんだろう。
 でもその口調も声色も本当に淡々としていて、なんだか社交辞令めいた言葉に感じられた。本当に、無愛想だ。

「大きい建物ね。ここが目的地」
「いいから行くぞ」
「ちょっと、待ってよ!」

 ボルトの後について、灰色の建物に入る。
 中には乗ると上まで運んでくれる箱があって、私はそれにボルトと一緒に乗り込んだ。

「どんな依頼なの?」
「道案内だ」
「冒険屋って、そんなことまでするのね」

 何でも屋だから、仕方がないのか。
 殺人以外はやらないらしいが、それが冒険屋の証明なんだろうか?
 よくわからないけれど、着いていけばそのうち解るだろう。
 そう思ってボルトを見上げて、私は恥ずかしいことに大口を開けて固まってしまった。

「ちょっとボルト、それって螺子じゃないの?」

 そう、螺子だ。
 灰色の螺子を口に含んで、クッキーみたいにかりかりと食べてる。
 私もキノコとか苦手だったりするけど、アレはない。

「身体に悪いわよ」
「人とは食生活が合わない」
「合わないって次元じゃないわよ!」
「着いたぞ」
「ちょ、ちょっと!もう」

 どうにか止めようとしたけど、無駄みたいだ。
 私がどんなに声を上げようと、ボルトは気にせず螺子を食べる。
 箱から出て一緒に歩きながら観察していると、螺子以外にも鉄の板やなんかも食べているのがわかった。なにそれこわい。

「竜の山に入ったものは、二度と帰っては来られないそうです」

 石の椅子に腰掛けたボルトを観察していると、私たちに声がかかった。
 触覚みたいな髪飾りと顔にペイントを施した、民族衣装風の女の子だ。

「で?」

 突然声をかけられても動じない。
 しかも意味不明な話をされているのに。
 いや、先客だって言ってたから、事前に遣り取りがあったのか。

「山頂には伝説の剣が眠っています。竜を従わせられるほどの」
「竜を?!なにそれ凄いじゃない!」
「……ボルトさん、彼女は?」

 思わず声を張り上げた私を、女の子は気まずげに一瞥した。
 いや、まぁ、螺子食べる冒険屋にこんな小さな女のが付随してたら、怪しさが増してたりするんだろうけど。

 というか、ボルトの名前知ってるんだ。
 やっぱり、私に出会う前に交渉があったみたいだ。

「気にするな。おまけだ」
「ちょっと、オマケ呼ばわりはないんじゃないの?」
「は、はぁ、気にするなと言うのなら気にしませんが」
「気にしなさいよ。されても困るけど」

 私だって大事な依頼人だろうに。
 いや、後払いしかできないけど。
 あれ?そう考えると私って……いや、これは考えないでおこう。まだ。

「こほん……ボルトさんは、ボイヤーの名をご存じ?」
「ああ」

 女の子は、咳き込み一つで軌道修正して話し始める。
 なんでもそのボイヤーという人は、この女の子のおじいちゃんらしい。
 竜を従えることができるって、冒険屋は奇人変人超人の集まりだったりするんだろうか。

 後継者は、この女の子だけだったようだ。
 それが彼女のおじいちゃんは残念だったというのだけれども、そこがいまいち理解できない。だった、女の子か男の子かなんて、どんな理由になるのだというのだろうか。

「性別なんて、関係あるの?」

 だから素直にそう聞くと、女の子は目を丸くした。

「貴女にはまだ解らないかも知れないけれど、男の人と女の人は“違う”のよ」
「違うって、なにが?」
「だから、その、力だって男の人の方が強いし」

 腕力で全部左右される?
 でも、魔界に攻め込んできた巫女や魔法使いや怨霊や妖怪たちは、腕力も魔力も態度も尋常じゃなく大きくて、強かった。みんな、女の子なのに。

「女も男も関係ないわ。必要なのは“研鑽”だって、夢子姉さんも言ってたし」
「必要なのは、研鑽……。努力で、覆す?」

 当たり前だろう。
 魔法使いとして名を馳せるには、それに見合った研鑽が必要だ。
 そうして努力を重ねていけば、少なくとも私を打ち破ったうふふ魔女程度には強くなれるんだろう。そうやってみんな強くなる……なんて語れるほど、私は経験を積んでいないけど。

「それなら、でも、尚更私にはあの剣が必要です」

 女の子はそういうと、今一度ボルトに向き直る。
 ボルトは私たちの会話に口を挟むことなく、口で螺子を挟んでいた。
 どれだけ食べるつもりなんだ。むしろ、食べてどうするつもりなんだろう。

「私を山頂まで連れて行ってください!あの剣があれば、私だって……!」

 彼女の叫びは、何故だかボルトを通り越して私に響いた。
 伝説の剣を持ってすれば、竜を従えて祖父の後継者に――冒険屋に、なることができる。

「やめておけ。冒険屋が冒険屋を雇うようじゃサマにならない」
「道具に縋り付いても意味はないわ。結局必要なのは、自分の腕だけなんだから」

 私とボルトが重ねてそういうと、女の子はぐっと黙り込んでしまった。
 なんというか、その気持ちは痛いほどわかる。
 だって私も、そうやって道具に縋り付いて、望みを果たそうとしたのだから。

「ほっほっほっ!道具に頼る冒険屋ほど、あてにならないものはない」

 杖が床を打つ音が静かに響き、同時に厭らしい声が届いた。
 なんというか、すごく小物っぽい男性の声で、振り返った先にいたのは私の身長とさほど変わらない小柄な老人だった。見た目からして成金っぽい。

「そこのお嬢さんの方が、まだ道理を弁えているようだ」
「一緒にされたくないわ。ものすごく」
「……口の利き方がなっていないな」

 老人は、私の賛同を得られなかったことに腹を立てているようだった。
 子供扱いされたいとは思わないけど、私の外見はどう見ても子供。
 大人げないにもほどがあると思う。

「フン……まぁいい。レインさん、ボイヤーの剣は私がいただきますよ」

 老人は、気を取り直して女の子に言い放つ。
 というか、レインという名前だったのか。覚えておこう。

「たいした剣じゃないが、ライオネルズコレクションに加えてあげようと思いましてね」
「竜を従えさせる剣が?」
「眉唾だろう?竜を従える剣なんて、あるはずがない」

 老人……ライオネルズコレクションということは、この人はライオネルという名前なのだろう。カッコイイ名前だ。似合わないけど。

 まぁ信じられないという気持ちも、わかる。
 でもそう謂われるからには、それ相応の伝承や能力があるのは定石だ。
 眉唾と斬って捨てるには、もったいない。

「しかし、それほどの名のある剣ならば、私のコレクションに加わるに相応しい」

 ライオネルはそう、悦に浸った表情で言う。
 この人、コレクターなのか。私もコレクションは好きだが、こうはなりたくない。

「もう諦めな、レイン。竜の山の所有権は、ライオネル様が買い占めた!」
「そ、そんなっ!」

 ライオネルの後ろ、雇われたのであろう沢山の冒険屋の中から出て来た一人の男が、馴れ馴れしくレインの肩を抱きに行く。
 カウボーイハットの男で、髪はM字に後退していた。幸薄そうな男である。

「ねぇボルト、襲われてるけど助けなくていいの?」
「冒険屋なら、自分で何とかするもんだ」
「助けるなってこと?」

 ボルトは、答えてくれない。
 まぁ迫られているだけで、見ようによってはじゃれつかれているようにもとれる。
 でもやっぱり同じ女性としては、非常に腹立たしい光景だ。

「おまえはここで俺の帰りを待ってりゃいいんだよ、レイン!」
「はぁ、こんなところで止めなさいよ」
「なんだ、このガキ」

 言うに事欠いて“ガキ”とはなんだ。
 これじゃあ、無愛想だがボルトの方がよっぽど紳士的だ。

「子供に注意されるとか、恥ずかしくないの?」
「……どうやら、痛い目をみなきゃわからないみてぇだな」
「や、止めてください!相手は子供ですよ?!」

 レインが男を止めて、私は変わらず睨み続ける。
 それだけで騒然とし始めた場の空気を変えたのは、ライオネルとボルトだった。

「ミスター・ボルト!……やはりそうですか」

 ボルトの名に心当たりがあるのだろうか。
 ライオネルは、見定めるように目を眇めていた。

「ほっほっほっ!まさか“伝説の冒険屋”に出会えるとは。貴方も、竜の山に?」
「伝説ぅ?ボルト、そんな有名人だったの?」
「俺はただの冒険屋だ」

 クールに言ってはいるが、いまいち信用ならない。
 私の中のボルトのイメージは、“螺子を食べる無愛想な冒険屋”で固められているのだから。

「で?まぁここまで来たら行くんでしょ?」
「あそこはいいところだ」

 私が訊ねると、ボルトはそんなことを嘯いた。
 なんだ、行ったことあるんじゃないか。

「まるで一度山に行ってきたみたいな口ぶりだな」
「信じるか信じないかは、おまえの自由だがな」
「はっ……信じないね」

 一々険悪にならなくても話は進むだろうに。
 どうして大人って、妙な因縁が多くなるのかしら。
 まぁ、好奇心だけで魔界を荒らす頭がお花畑な大人よりは、マシだけど。

「どうです?私に雇われる気はありませんか?」
「まっ……待ってください!彼は私が雇ったんです!」
「まだ雇われちゃいない」

 雇われてなかったんだ。
 私はこの人達の事情がよくわからないから、口を挟めない。
 ……なんて、大人しくしているつもりはないが。

「やること変わらないんならあっちよりこっちのほうが好感が持てそうなものだけど」
「同じ内容の仕事であれば、報酬の高い方へつくのが当然だ」
「あぁ……むぅ、なるほど」

 魔法使いは、それなりにお金がかかる。
 節約しつつやりたいことをやるには先立つものが必要だ。
 ボルトの主食は螺子みたいだけど、きっとお金がかかるのだろう。

「食生活を見直せ、とは言えないもんね」
「……なにか、勘違いをしていないか?」
「ううん、いいの。わかっているわ」

 偏食家として生まれてしまった、冒険屋。
 食料を買うにも、やはり一苦労なのだろう。
 螺子ならまだしも、鉄とか高いし。

 私がボルトへの境遇に涙していると、さっきのセクハラ男がボルトにL字型の道具を向けていた。あれはたぶん、外の世界の“銃”だろう。一度、神綺様にみせて貰ったことがある。

 それにしても、また喧嘩か。
 血の気が多いのは鉄分の摂りすぎだと思う。
 螺子ばっかり食べているからダメなんだ。野菜も食べないと大きくなれないって、神綺様もおっしゃっていた。

「さっきの道具に頼る冒険屋ほどアテにならないという意見には賛成だ」
「ほう……丸腰の冒険屋もアテにはならないと思うが?」
「その銃が役に立つとも思えない」

 ボルトはそう、不敵に笑ってみせる。
 たまに笑ったと思えばこれだ。もっと楽しそうに笑えないのだろうか。

「なるほど……それじゃあ……試してみよう!」

 ドウンという大きな音と共に、引き金が引かれた。
 その音に驚いて思わず目を閉じてしまったが、それはまずい。
 ボルトのヤツ、ちゃんと避けたんでしょうね!

「って……うぇ、どんな歯してるのよ」

 見上げれば、ボルトは自分の歯で弾丸を受け止めていた。
 そのまま飲み込んでみせるなど、これでは変人どころでは無く変態だ。
 旅が好きなルイズ姉さんは、よく“自分が想像している以上に、世界は広い”といっていたが、なるほどこんな時に実感するのか。

「さて、アイサツは終わりとするか」
「さ……さあ!行きますよ!」

 依頼主よりも前に立って、ボルトは歩き始めた。
 その後に、私たちもついていく。

 ところで、なんでボルトは銃を向けられていたんだろう?
 まぁ、あのセクハラ男がどーせ要らぬ事をしたんでしょうけど。





 魔力も使わずに浮く、大きな船。
 その操舵室で、私はボルトのそばにいた。
 通気口から侵入してきたレインと一緒に、ボルトの呆れた生態を見ていたのだ。

「その工業用アルコールって、お酒とは違うんじゃないの?」
「純度百パーセントの酒だ」
「そう、もういいわ」

 達観し始めてる私と違って、レインは慌てている。
 やっぱり魔界育ちだと、色々と心の許容量に余裕ができるのだろうか。
 いや、間違いなく究極の魔法を打ち破ってくれやがった、彼女のせいだろう。

「工業用アルコールだなんて、そんな」
「相手にするなレイン、そいつはイカレてんだ」
「うわ、セクハラ男だ」
「こんなところまで着いてきたのか、このガキ」
「子供に優しくできないと、モテないわよ」
「なんだと」

 セクハラされてる女の子を黙ってみていられるほど、薄情になったつもりはない。
 いざとなればこんなやつ、私の魔法で消し炭に……できるほど魔力あったっけ?
 どうしよう。魔力が減ってからどの程度使えるようになったのか、まだ試してない。

「フン、途中下車でもするか?」
「へぇ?大人げないわね」
「やめて!相手は子供よ!」

 懐から銃を取り出すセクハラ男を、真っ正面から睨み付ける。
 これでも魔法のメッカ、魔界の住人。
 たとえ上手く力が使えなくとも、こんなやつはちょちょいのちょいだ!

 私が睨みを利かせていると、ボルトが不意に私を掴んだ。
 猫を捕まえるように、服の襟を掴んで持ち上げる。
 女の子に、この扱いはない。

「ちょっとボルト、いったい……」
――ガキッ
「うん?」

 ボルトの足が操舵にかかり、船が大きくバランスを崩した。
 その衝撃でセクハラ男が吹き飛び、レインはパイプを掴んで辛うじてその場に残る。

「きッ……貴様!」
「スマンな、ちょっと酔った」

 事前に私を掴んでいたし、あからさまにわざとだ。
 最初の時に水をくれたのといい、ボルトは案外優しいのだろう。
 それを上回るほど、無愛想なだけで。





 竜の山と呼ばれる場所に入り、日が暮れた頃。
 変わらず操舵室にいたボルトが、ふらりと立ち上がった。

「運転はいいの?」
「見ろ」
「うぇ……なにあれ」

 白い眼孔に二足方向のモンスターが、操舵室に近づいていた。
 この場にいたら、確実に乗り込まれて巻き込まれるだろう。

「行くぞ」
「え、あ、ちょっと!」

 さっさと歩き始めてしまったボルトに追いつき、手を握る。
 そろそろ歩幅を合わせるということを学習して欲しい。

 甲板に出ると、操舵室に襲いかかってきたのと同じモンスターがいた。
 モンスターはセクハラ男に銃で撃たれても動じた様子はなく、のっそりと近づいてきている。

「五合目ってところか……もう少し、山頂に近づけると思ったんだが……」
「本当に一度来たことあるのね。で?どうするの?」

 ボルトの手を握ったまま、隣りに立つ。
 知性の片鱗も見えない低級モンスター程度に後れを取るほど、私は未熟ではない。

「操縦室に戻りなさい!急いで反転しなければ……」
「そうしたいところだが」
「操舵室?もうモンスターに入り込まれているわよ」

 私の言葉と、次いできた部下の報告に、ライオネルは絶句する。
 というか、竜の住む山に乗り込みたいって言うのなら、事前に情報くらい集めておけばいいのに。準備が足らないから、動揺するんだ。

「ボルトさんと、それから貴女も早く逃げないと!」
「どうするの?ボルト」
「ちっ!ここまでか!」

 セクハラ男は、あれほどアプローチしていたレインを置いてさっさと逃げる。
 命が大事なら的確な行動かも知れないけれど、神士としてはマイナスだ。

「おい」
「アリス」

 おい、じゃ解らない。
 訂正してやると、ボルトはあからさまにため息をついた。
 失礼なヤツだ。

「アリス、火を持っていないか?」
「そうね……出せないこともないけど、どうすればいいの?」

 私たちが余りにも冷静だからか、レインは脱出を促すこともなく成り行きを見守っていた。

「俺の手の前に出してくれ」
「いいわ……っはい」

 私が手を前に出すと、小さな火炎球が浮かび上がった。
 初歩の初歩だけあって出すのに辛くはないが、ほんの僅かに時間がかかってしまったようだ。効率化なんてしてこなかったけど、これからは必要だろう。これじゃあ見かけ倒しで威力もないし。

「どうするの?」
「こうする」
――ゴォォォォォ!!

 ボルトの右手、その指先から火炎放射が放たれる。
 よく見れば、指先の前まで浮かび上がった火炎球に、液体が噴出して炎になっているようだ。

「工業用は、よく燃える」
「食べたものを、手から出せるの?」

 そんな芸当ができる人間、聞いたことがない。
 私と同じように妖怪なのだろうか?本当に解らない男だ。

「降りるぞ」
「飛べるの?」
「問題ない」
「え?ここから!?」

 ボルトは右手で私を抱え、左手でレインを担ぐ。
 船は既に山から伸びた巨大な蔦に絡め取られており、さっさと逃げなければ非道い目に遭うだろう。墜落とか。

「きゃあああ!」
「ちょ、ボルト?飛ぶんじゃなくて落ちるの?!」

 この高さから落ちたら死ぬ!
 冗談じゃない!なんとか飛行制御して……三人分も支えられないってば!

 風を肌で感じながら、落下する。
 結局ボルトは、私の混乱を余所に事も無げに着地してみせるのだが、始めに飛べるか質問した時に答えておいて欲しかった。





 その後、なんとか全員無事だったので、山登りを再開。
 あんな目にあっても折れずに山頂を目指す辺り、流石はコレクターといったところか。
 もっとも、ただ意地を張っているだけということもあるのだろうが。

 そうしてモンスターを退けながら再開された登山。
 私はボルトの隣に立っていた。
 ボルトは縄を持っていて、その先にはレインがいる。

 密航がばれて銃を抜き、さっさと捕まってしまったのだ。

「貴女は、どうしてここに?」
「私?私は“ついで”よ」

 道中暇だったのか解らないが、レインが私に話を聞いてきた。
 自分でも場違いなのは解っているが、ボルトが無言で手を引いていたから誰も訊ねることができなかったのだろう。

「私は彼に依頼をしていて、彼は承諾したけど先約があった」
「だから同行しているの?こんな、危ない場所に……」
「何かを成したいならどこだって危ない場所よ。気を抜いたら墜とされる」

 私は殺す気で行って、結果殺されなかったのは運が良かったから。
 たぶん、たまたまあの魔法使い達の機嫌が良かったりしたのだろう。
 そうでなければ、本気で殺しに来た相手を生かしておくとは、思えない。

 こうして生きているのは、運が良かっただけなんだ。
 これからも、とくにアイツラの住む幻想郷で“運良く生き延びられる”とは限らない。
 いや、むしろ可能性は低いだろう。

 だから私は、小さなチャンスを逃がさないように。
 変人とはいえ実力はあると思われる冒険屋を逃がさないように、現状を乗り越えなければならないんだ。

「どうしたの?」
「なんでもないわ」

 気を遣われてしまったのだろうか。
 まぁ、別に困らないからそれはいい。

 それよりも、ボルトはセクハラ男と和解でもしたのか、彼から銃を受け取って食べていた。あれは、レインが抵抗した時に使った銃だろう。

 もう、食べ物を分け与えて貰えるほど仲良くなったのか。
 あの無愛想なボルトが、どうやって和解したのか、気になる……。





 それからまたしばらく歩き、私たちはついに山頂に辿り着く。
 薄く霧に包まれた空間は、空気が澄んでいるのに息苦しさを覚える。
 確実に、ここには“なにか”がいるのだ。

「お、おお!やっとついたか、山頂に……!」
「おい!伝説の剣はどこにあるんだ!?」

 ライオネルの言葉に、ボルトはそっと指を立てる。
 その先にあるのは、無骨な鉄の棺だった。

「おおォ!剣だ!!あの中に私の剣が……!!」

 喜び勇んで、ライオネルが駈けだした。
 よほど嬉しいのか小躍りしているようにも見えたが、それもすぐに無粋な銃撃音によって潰されてしまう。

「ドッ……ドグラ!?」
「おーっと、全員動くな!」

 セクハラ男……もといドグラは、銃を構えながら剣に歩み寄る。
 というか、そんな名前だったのか。誰も呼ばない上に名乗らないから、てっきり呪術の類を警戒して名前を隠しているのかと思った。名字は“マグラ”だろうか?

「この剣は俺がいただく。換金すれば、あんたに貰う報酬よりも儲けが大きいんでね」
「キサマ、始めから……!」

 ぬか喜びまでさせられた裏切られた、ライオネル。
 いけ好かない老人だとは思っていたけれど、こなると哀れだ。

「くっ!」
「おっと!手出しはするなよ、ボルト!悪いが山分けする気はないんでね」

 レインは飛び出そうとするが、それをボルトは抑える。
 まだ彼の手に縄があるのだから、仕方がないだろう。

「おまえもだ、ガキ。動いたら額に風穴が開くぜ」
「気にするな。俺の仕事はここに案内するまでだ」
「私のことは気にしなさいよ!依頼人でしょう!?」
「ちっ!いいか、大人しくしてるんだぞ!」

 正直、竜を従わせるような剣をあの男に奪われるのは惜しい。
 だけど、魔法で障壁を張ったとして、銃弾を防げるか解らないから傍観しているしかなかった。物理防御もできるように、盾になるものも考えておかなければならないだろう。

「ちょっとボルト、どうにもならないの?」

 コートを引いて小声で訊ねても、ボルトは無言で立っているだけだ。
 そうしている間にもドグラは縦に置かれた鉄の棺に歩み寄り、その蓋を蹴り開けた。

「さァーて……ご対面と行くか!」
――ガンッ

 扉が吹き飛び、開かれる。
 だがその中には、伝説の剣など……なかった。

「何ィ!?」
「そ、そんな……」
「ちょっとボルト、空じゃない!」

 何も入っていない箱。
 中身を持たない棺など、いったいどれほどの価値を持つのか。

――ゴゴゴゴゴ
「何だ!?」

 地鳴りの音と、ドグラの叫び。
 身を焦がすようなプレッシャーと、地の底から響くような呻り声。
 山頂の奥から出現する……巨大な、竜。

「りゅ、竜だぁぁぁぁ!!!」

 散り散りになって、ライオネルや他の冒険屋たちが逃げる。
 残されたのは、ドグラとレインと私と、それからボルトだ。

「竜とか、冗談じゃないわ!ちょっとボルト、どうするのよ!?」
「慌てるな」
「なんでそんな冷静なの?!さっきから!」

 魔力は極端に少なく、この場をどうにかできそうな究極の魔導書は解けない封印により“アクセサリー”になっている。

「もう、魔導書さえ使えれば!」
「道具に頼る冒険屋は、アテにならない」
「私は冒険屋じゃないわよ!」

 ボルトは、どうしてだか一々ずれている気がする。
 まだ竜は私たちを様子見している段階だが、攻撃に移られたらお終いだ。
 消し炭にされるのか、魂すら残してくれないのか。

 龍神様には会ったことがないからわからないけど、竜とは最強の幻想種なのだと、神綺様から聞いたことがある。本気でも、逃げられるかどうかすらわからない。

「ホラ吹きヤローめ!やっぱりおまえはここに来たことはない」
「信じるか信じないかはお前の自由だと、言ったはずだ」
「なんであんた、この状況でそんなのんきなのよ」

 レインは落ち込んで俯いてるのに。
 諦めたくはないし、足掻くべきだとも思う。
 でも、魔導書も使えないし魔力もへっぽこだし、どうしようもないんじゃないかって、そんな諦めが胸を締め付けた。

「おまえだけは生かしとく気がしないな……」
「そいつは……残念だ」

 ボルトがドグラに向けたのは、レインが持っていた銃だ。
 先程ドグラから貰っていた、あの銃だろう。

「さっき食った銃か?それならおあいにくさまだ」

 ボルトが引き金を引こうにも、弾丸が入っていないのか、カチカチと空振りするばかり。
 こんな状況でも変わらず喧嘩を続けてしまうのが、男というものなのだろうか。

「なるほど」
「フン!工業用アルコールのときにわかったのさ。おまえは食ったモノをそのまま手から出すことができる、変態ヤローだってな!」

 見ていれば、わりと誰にでもわかりそうなものだが。
 そんな自信満々に言われても、その、困る。

「アルコールは全部使っちゃったの?けっこう飲んでたけど」
「ああ、だが問題はない」
「さっきからずぅーっと余裕だけど、なにか手段があるんでしょうね!」

 激昂しても仕方がないのは解っているのに、言わずにはいられない。
 命の危機じゃないのか?そういう時って、もっと焦るんじゃないのか?!

「俺はお前に、返さなければならない借りがある」
「ま、まさか!」
「手おくれだ」

 出した銃に、後から弾丸が装填される。
 それはあの広場で、ボルトが食べたドグラの弾丸だった。
 ドグラが焦るも間に合わず、放たれた弾丸がその肩を穿つ。

 勝敗は、本当にあっけなく決まった。

「まさか、誰かが剣を持ち去っていたなんて……ごめんなさい、おじいちゃん」
「あーもー、何やってるのよ!逃げなさいよ!」

 レインに駆け寄って、手を掴む。
 見捨ててさっさと自分たちだけ逃げればいいのに、どうして走ってしまったんだろう。

「もうダメよ。おじいちゃんの後も継げず、剣もない」
「剣なんか!道具に頼る冒険屋はアテにならないって、ボルトも言ってたじゃない!」

 あぁそうだ、これはレインに言っているんじゃない。
 私に言ってるんだ。
 究極の魔導書に頼って、それでも負けて、どうしようもないほどに全力だった私は、全力ゆえに退路を断たれた。自身の生死を、運に頼るほどに。

「立ちなさいよ!立って生きなさいよ!剣がないなら、変わるモノを創ればいい!」

 究極の魔導書がない?
 だからどうした。だったら、私自身の“究極”を生み出せばいい。
 私は神綺様の、お母様の、魔界神の娘なんだ!

「貴女……そう、ね。生きれば、生きてさえいれば、また立てる」
「よし!ボルト!逃げるわよ!」

 レインのためを思っていった訳ではない。
 結局これは全部、私のために言ったことだ。
 だから、その、恥ずかしい。

「逃げる必要はない。……祖父の職業を、孫が継がなければならない必要も、ない」
「なっ……あ、あなたにはわからない!……けど今は、逃げないと!」

 私に手を引かれて立ち上がったレインが、そう叫ぶ。
 だがボルトは動じることなく、鉄の棺の側に立った。

「確かにそうだが……二つだけわかったことがある」

 鉄の棺の中を覗き込むように身体を屈め、ボルトはそこに手を伸ばす。
 なにをしようというのか、今からではもう逃げられる気はしない。
 あんな啖呵をきってしまったのに!

「お前が本気で冒険屋になりたいと思っていることと……」

 そして、持ち上げてこちらに見せてみるのは……一本の、螺子だった。

「食べ残しはよくないってことだ」

 ボルトが螺子を食べると、歯車が組み合ったような音がした。
 右の手のひらを上に向けて、そこから光が溢れ出す。
 私と出会った時からずっと食べていた、螺子の正体。

「完成!」

 光を纏って顕れたのは、一振りの巨大な剣。
 伝説の剣と言うよりは、なんとも“キカイ”チックな剣だった。
 私が何をどうしようと関係ない。ボルトは最初から、これを狙っていたんだ。

「お……おじいちゃんの剣……!!」
「もう、なんなのよ!あぁ、もうっ」

 竜がゆっくりと退き、姿を消す。
 本当に竜を従える剣だなんて、思っても見なかった。

「あの竜はお前のものだ」
「なるほど、“先約”ね」
「ある人物に依頼されたのさ。本気で冒険屋になりたいと思っている奴に、この剣を受け継がせてくれとな」

 なんだ、結局そういうことか。
 レインのおじいちゃんも、結局は望んでいたんじゃないか。

「ま……まさか……おじいちゃん!?それじゃ、おじいちゃんは……!!」
「信じるか信じないかは、お前の自由だがな……」

 背を向けて歩き出したボルトの、後ろに続く。
 手を握って、なにをしようとしているのか言おうともしないこの人を、逃がさないように。

「ねぇ!……貴女の名前、聞いてなかった」
「……私はアリス。魔法使いよ!」

 それだけ名乗って、小走りになる。
 もう、後ろは振り返らない。

 朝焼けの中、突き立った剣。
 私とボルトの、不思議な国の旅。

 これが私たちの、最初の一歩だった。













――A――



 話し終えて、一礼をする。
 ここでもう一度休憩を入れないと、また長くなるからだ。

「しっかし奇妙な奴だな。手から何でも出すのか?」

 すっかり冷めてしまった紅茶を、魔理沙は一気にあおった。
 すでに皿のクッキーも空になっていて、魔理沙はどこか満足げだ。

「えぇ、そうよ。機械に限らず、心を斬る剣や湖を支配するモンスターまで」
「なんでもありだな」
「そうね、なんでもあり。……昼ご飯、なにがいい?」
「剣と工業用アルコール以外だったらなんでもいいぜ」
「ふふ、わかったわ」

 人形の指示を出して、昼ご飯を作らせる。
 簡単にパスタでいいだろう。
 新鮮なバジルがあったから、ジェノベーゼソースのほうれん草スパゲッティでも食べようか。

「その頃はまだ、“昔のアリス”って感じだな」
「えぇ、まぁね」

 この時に、私は魔導書に頼ろうとする心を、封じ込めた。
 最後は結局道具頼りだった気がしないでもないが、自分でレインに叫んで、気がついたのだ。自分の努力に因らない力は、いざという時に役に立ちはしないと。

 私が直接新しい紅茶を淹れてくると、魔理沙はそれを笑顔で受け取る。
 砂糖はやっぱり二つだけ。一つにすると嫌がるから、二杯目以降はずっと二つだ。
 魔理沙はそれを両手で抱え込むように掴むと、一口飲んでソーサーに置いた。暖かい紅茶にうっとりと眼を細める仕草は、やはり幼いと思う。

「でも、そんな短期間でこんなに変わったのか?」
「あら、短期間じゃないわよ。こっちと時間の流れが違うみたいで、何年もいたわ」
「よく焦らなかったな」
「ボルト相手に焦るのは、体力と魔力と精神力と、なにより時間の無駄よ。無駄」

 もちろん最初は焦った。
 明らかに私より後の依頼も、“先約”で誤魔化すし、怒って見せた時に限って、本当に何年も前からの先約だったりする。

 それでも決して私を捨てようとはせず、ボルトはなんだかんだで手を貸してくれた。

「で、二人で旅してたのか?」

 魔理沙は頬杖をついて、爛々と輝く目で私の話をせがむ。
 彼女はこういう、心躍る冒険譚みたいなお話が好きだった。
 決して好きだとは口にしないが、その態度はいっそわかりやすい。

「ええ。記憶を失った人形の恋、戦争で男のいなくなった国でのクーデター、電気で大きな建物を吹き飛ばす姉妹、そうそう、湖を丸々吐き出したこともあったわ」

 私たちが旅路で出会ったのは、沢山の“自立人形”たちだった。
 その頃私は、自立人形を生み出したいと思ってはいなかった。
 けれど、材料や見本の豊富さから、人形を操る事を選択したのだ。

 出来上がったスパゲッティを二つ、持って来させる。
 魔理沙と私の前に置くと、バジルの香りがふわりと舞い上がった。

「いただきます」
「はいどうぞ。……いただきます」

 緑色のパスタは微かに湯気を上げていて、突き刺したフォークによく絡む。
 そのままそっと持ち上げて口に運ぶと、独特な癖の効いた味が、舌の上で綺麗に纏まった。うん、上出来だ。

「おお、美味いな」
「そう、ありがとう」

 新鮮なバジルが手に入らないと作ることが出来ないので、魔理沙は運が良かった。
 口調はがさつだが、魔理沙はこれでけっこう行儀のいい食べ方をする。研究に夢中になって食べるのを忘れて、本を取りに来た私にご飯を作ってもらっても、それは変わらない。

 上品に、というほどでもないが、行儀良く美味しそうに食べてくれるならそれでいい。
 嬉しそうに食べられるからついつい何度も作ってしまうのが、私の甘いところなのだろう。

「ふぅ、ごちそうさま」
「お粗末様でした」

 人形に食器を片付けさせて、一息。
 淹れなおした温かい紅茶を喉に流し込むと、腑に落ちた熱が昇ってきた。
 どうやら私も、回想を重ねる内に気分が高揚してきたようだ。

「さて、続きを頼むぜ」
「はいはい、まったく。そうねぇ……それなら次は、口の悪い友達の話をしましょうか」

 魔理沙を見て思い出した、なんてことは言えない。
 まぁ“彼”の方がずっと下品だったから、魔理沙と同列に扱う気はないが。

 でもまぁ、魔理沙も“彼”も、私の“口の悪い友達”には変わりない。

「砂漠と鉄の世界を旅する二人。その道程で立ち寄った、小さな廃村」

 もう会うことができない友達。
 いずれ会ってみせると決めた仲間。
 その出会いと別れの物語の、始まりだ――。













――B――



 朝の砂漠、その中を私はボルトと二人で歩く。
 私の肩に乗っているのは、試作人形体第二十号。
 見た目は普通のビスクドールだが、魔法補助媒体として私が用いていた。

「またいつ依頼を受けたのか知らないけど、死んでるらしいわよ?ルディさん」

 今回この廃村じみた小さな村に来たのは、ボルトが受けた依頼のためだった。
 なんでも、自分で作ったキカイの制御を、ボルトに頼んでいたらしい。

「依頼は完遂する。それだけだ」
「はいはい。まぁ、ついていくわよ」

 ボルトに着いて歩いて行くと、丘の上で一人の少女が墓を建てていた。
 簡素な鉄の棒を刺しただけの、小さな墓だ。

「アンタ誰」
「ボルト・クランク」
「プラス、アリス」

 少女は鋭い瞳でボルトを見ると、スコップを墓に突き立てた。
 どうやら私のことは、眼中にはないらしい。

「父ちゃんならここだよ!」
「……そうらしい」

 墓の下を指す少女。
 どうやら彼女は、死んだ依頼主の娘なのだろう。

「今頃来たって遅いのよ!世界一の冒険屋が聞いてあきれるわ!!」

 激昂し、目尻に涙を溜める。
 私たちは間に合わなかった。
 それだけのことなのだろうけど、でも胸は痛む。

 そうして見上げてみれば、ボルトはやはり何時もどおりの顔で佇んでいた。

「父ちゃんはずっと……ずっとアンタを待ってたんだから……」

 俯く少女は、私たちを鋭く睨む。
 いや、相変わらず私に視線は向けられていないのだが。

「食え!それとアレも!あっちのも!全部食え!!それが父ちゃんへの、償いだあッ!!」

 それだけ叫ぶと、少女は肩で息を切らしながらボルトを睨む。
 そりゃ、急いで来たとは言えないけれど、全部私たちの責任という訳ないじゃないか。
 ……って、思えないこともないけど、彼女と同じ状況だったら、私もどうなるか解らないので口を噤んだ。

「それはいいが、その前に報酬を貰おう」
「ボルト……あんたってホント何時もニュートラルなのね」

 わざわざ少女の前まで歩いて、言う事はそれだ。
 でも彼がこうあってくれるから、私も自然体に戻ることができるのだろう。

「ンなモンあるか!食えないってんなら出てけェッ!」
「おねーさん、ボルト、もう食べ始めてるわよ」
「え?」

 私の言葉に、少女は先程自分で指したキカイに目を向けた。
 そこでは、ボルトがキカイにかぶりついて、すごい速さで食べている。
 彼は食器は使わない。でも、一度使わせてみよう。

「次はどれだ」
「ホントに食った」

 怒っていたのも忘れて、少女は呆けた。
 まぁボルト相手に怒っても仕方がないということは、私も常々実感させられている。
 いつの間にか、彼に怒る方が無駄だと言うことに気がつかされるのだ。
 いや、悪い意味ではなく。





 朝から食べ始めたのに、気がついたら空には三日月が浮かんでいた。
 その頃にはもうほとんど食べ終わり、廃村に転がっていた鉄くずも姿を見せなくなってきた。

「驚いたわ。ホントに居たなんて。父ちゃんはアンタの噂をヒントに“テロメア”を作ったんだよ」

 地図を広げて、少女はそう言った。

「ほう……」
「それはまた、いいご趣味で」
「どういう意味だ、アリス」
「さぁ」

 きっと、無愛想なキカイが出来上がったに違いない。
 ボルトをヒントにしたのに陽気な奴がでできたら、気持ちが悪いじゃないか。

「“テロメア”は“口”から“材料”を食って“胃袋”で製造できる。つまり、機械の修理なんかが簡単ってワケ」
「そいつは便利だ」
「いやボルト、あんたもでしょうが」

 彼女の持っていた設計図を、横から覗き込む。
 丸い球体から間接を持った鉄の柱が飛び出していて、その先が鰐口になっている。
 目玉の部分に取り付けられたペンのようなライトで、モノを認識するようだ。
 こちらの世界で時折見かける、“ショベルカー”のショベル部分によく似ている。
 キカイの蛇、といったところだろうか。

「村の人たちも重宝がったわ。でもある日、“テロメア”が故障して暴走し始めた。村人たちの車や飛空挺を食べたままね……」
「車も船も食べられたんじゃ、どこにも行けない、か」
「そう、生きていくのに必要なモノだからね」

 こんな砂漠のど真ん中で、足を奪われた。
 その結果なんて、見えてしかるべきだろう。
 村人たちはそのまま、テロメアを破壊しようとしたらしい。

「散々便利に使っておいて……いや、私たちに言えた事じゃないか」

 人は人。道具は道具。人形は人形。
 使い捨てるにしても愛情を与えたい。でもそれは、自己満足に過ぎないのかも知れない。

 その最中で、暴走した“テロメア”を止めようとして、彼女の父は死んだのだという。

「その後村人たちは“テロメア”を解体して、それぞれ持ち帰った。スクラップになった、自分たちの車や飛空挺のかわりにね……。その時村人たちは、死んだ父ちゃんに見向きもしなかった……」

 屋根の上で、並んで座る。
 左から、私、ボルト、少女の順だ。

 だから彼女はあの時、死んだ父親を一人で埋めていたのだろう。
 誰からも見向きされなかったから、たった一人で供養していたのだ。

「さっきはごめんね、八つ当たりして。あたしトゥーラップ」

 一時はどうなるかと思ったけど、どうにか和解できて良かった。
 依頼主に睨まれたままじゃ、仕方なく助手をしている私としてもバツが悪い。

「トゥーラップ!そこで何をしている!!」
「ヤバ……」
「はぁ……マラソンよ、ボルト!」

 鐘が鳴らされ、人が集まり始める。
 屋根の上を走り抜けるが、私たちは地理には疎い。

「あとは俺一人で……」
「一人?」
「……二人でいい」

 睨みを利かせてやったら、ボルトは渋々と訂正した。
 だったら始めから二人といっておけばいいのに、面倒な男だ。

「何言ってんのよ!アンタたちには分かんないでしょ!……あ!それも!」

 道中に落ちていたスクラップを、ボルトは食べていく。
 確かにこんな無造作に置かれていたら、私たちにはわからない。

「鉄を食ってる!ボルトだ!」
「ルディが言ってたヤツか!」
「“テロメア”を再生する気か!」
「何のつもりだトゥーラップ!」
「勝手だろ!父ちゃんの形見は返してもらうよ!」

 次々と集まってくる村人に、トゥーラップが一喝する。
 だが、挑発めいた叫びはむしろ、逆効果だ。
 村人の一人が、トゥーラップに躊躇いもなく銃を向けた。

「試作人形体第二十号!煙幕魔法起動……三、二、一、照射!」

 人形が指を向けると、そこから光線が放たれる。
 その光が地面に着弾すると同時に、周囲に煙幕が満ちた。

「アンタ、何者?」
「魔法使い兼冒険屋助手よ!」

 トゥーラップの声を聞きながら、ボルトと一緒に走る。
 最後の場所は、小さな塔の上だった。

「ここは私に任せて、早く!」

 村人たちが、私たちが入ったドアを何度も叩く。
 私は魔力で人形を動かすと、最後のパーツまで先行させて、それをボルトに投げ渡した。

「食べて!」
「ああ!」

 ボルトは大口を開けると、“テロメア”の最後のパーツにかぶりついた。
 これで完成、私たちの勝ちだ!

「って、あれ?」

 だが、周囲から途端に音が消えた、
 追いかけてくる人もなく、誰の声も聞こえない。
 まるで突如として人間が居なくなってしまったかのような、静寂に包まれる。

「ボルト、なんか変」
「……降りるぞ」
「う、うん」

 塔から降りるボルトに追従し、扉の前までやってくる。
 先程まで勝ち気に指示を出していたトゥーラップの瞳に、光はない。

「トゥーラップ?」
「見ろ」

 ボルトがトゥーラップの服を引きちぎる。
 すると、その腹にむき出しになった“キカイ”の姿が見えた。

「キカイ……人形?」

 扉を開けると、追いすがってきてたはずの村人たちが、倒れ込んできた。
 地に伏せた衝撃で腕や足がとれ、その全ては等しくキカイでできている。

「なに、これ?なんのよ、いったい!」

 村を歩いてみても、一人として人間はいない。
 そうして私たちは、あの墓の前まで来た。

「ねぇ、まさか」
「ああ」

 鉄の棒を引き抜くと、その先端には人形が突き刺さっていた。
 人間の骨格を模した、キカイだ。

「全部、偽物?……ボルト?」

 佇むボルトから、感情の色は伺えない。
 一喜一憂する質ではないとはいえ、それなりに感情を宿しているのがボルトなのに。

『楽しかったか?ボルト・クランク……』
「だ、誰!?」

 声が聞こえる。陽気な声だ。
 口調は平坦なのに、明るく不気味な声色だった。

『どこを見ている。俺はここだ!』
「ボルト、右手!」
「……!」

 ボルトの右手から、鉄の柱が伸びる。
 カチカチと音を立てて組み上がっていくのは、鰐口のキカイ。
 トゥーラップが持っていた設計図に描かれていた、キカイを食べるキカイの姿。

『答えろボルト!楽しかったか?』
「……お前は」

 ボルトの右手から飛び出した、キカイ。
 不気味に笑う、鰐口と目を模したライト。

「ちょっと、切り離せないの?」
『俺を追い出そうったってムダだぜィ。俺の頭脳は常にお前の“体内”にある』
「いくらでも、再生できるってことかしら?」
『ヒェッヒェッヒェッ!よくわかってるじゃねぇか、ガキ』
「アリスよ!」

 キカイで作られた合成音声。
 誰の趣味か知らないけれど、とりあえずボルトがモデルでないことは確かだ。
 彼がモデルなら、もっとクールなはずなのだから。

「何のつもりだ」
『俺には口と胃袋しかねェからな。お前が居ねェと歩けねェんだ』

 それなら、暴走した時も動けなかったはず。
 ということは、トゥーラップの話自体に、虚偽があったのだろう。
 いや、そもそも彼女は……。

『ヒェッヒェッヒェ!娘の名は何と言った?』
「トゥーラップ……」
『そうだガキ!トゥーラップ……“トラップ”!つまり“罠”だ』
「だから、ガキじゃなくてアリスよ!」

 私の話を聞こうとしない。
 本当に失礼なヤツだ。

『全部俺が造った造りモンさァ。あの村も、村人たちも……楽しかっただろ?』
「お芝居だったって訳ね。回りくどい」
『一芝居しねェと、ボルトは俺を食いやしねェからな!』
「そりゃそうでしょ。あんたみたいな怪しいヤツ」

 ボルトがしゃべらないから、私ばっかりこいつとしゃべる事になっている。
 ボルトはもっと積極的に、他者とのコミュニケーションを取るべきなんだ。

「悪いが俺はタクシーじゃない」

 ボルトはそういって、左手で生み出した銃をキカイ……テロメアに向ける。
 だがテロメアは、瞬く間にボルトの中に戻り、そして背中からひょっこり出て来た。

『心配すんな。目的が済めば出て行くさァ』
「目的ってなによ?」
『テメェには関係ねェ事だ、ガキ』
「だからアリスだって言ってんでしょうが!」

 テロメアは、私を無視して話を進める。
 コイツ、実はすごく頭が悪いんじゃないだろうか。

「目的……」
『そうだよぉ“レオン”』
「レオン?それって、なんかみんな言ってるわよね」

 昔からボルトを知っていそうな人たちは、みんな彼を“レオン”と呼ぶ。
 電気を操る姉妹、リベットとエレナなんかがそうだ。
 ボルトはいっつも自分は“ボルト”だって言っているけど、なんなんだろう?

『十二年前の仕事を忘れたとは言わさねェぜ!』
「俺はボルトだ」
「私はアリスよ」
『知ってるよぉ、世界一の冒険屋だ。そのクセ仕事をやり残してる』

 流された……。
 こんなのにスルーされるとか……く、悔しい。

『ステラを殺せと依頼されたハズだ!!だがステラはまだ生きている……これはどういう事だ?』
「冒険屋は殺しはやらないのよ。人違いじゃない?」
「気のせいだろう……」
『ふざけるな!!食われてェのか!!』

 テロメアが巨大化して、ボルトに大口を開けた。
 私は食べられたらひとたまりもないが、ボルトは違う。
 ウロボロスの蛇みたいになるだけだろう。間抜けだ。

「好きにしろ……」
「いや、そこは護りなさいよ」
『夢みんな』
「あんたに言われたくない!」

 さっきからコイツは、私のことをなんだと思ってるんだ!?
 テロメアは私にため息を吐いた後、小さい姿に戻った。

『ちっ。お前さえ仕事をしてりゃ俺が造られることはなかった。俺はお前に仕事を完成させるようにプログラムされている』
「ほう……」
『分かるよなぁ。つまり、俺を造ったのは……』

 テロメアは、囁く。
 ボルトの耳に、しっかりと届くように。

「“あの男”……か」
『“あの男”……だ』
「誰よそれ」
「そういうこと……か」
『そういうこと……だ』
「いや、流さないでよ」

 男二人……二人?は、私を無視して話を進める。
 眼中にないかのような態度だ。むぅ、腹立たしい。

『つまり、お前と俺の依頼人は同一人物ってワケだ。ついでに言やぁ“食うもの同士”仲良くやろうや』
「迷惑な話だ」
「ホントにね」

 私を“仲良く”にはカウントしていないようだ。
 されても迷惑だが、無視されるというのも腹立たしい。

『ヒェヒェヒェ!なあボルト、まだ答えを聞いてない』
「何だ」

 ぽっかりと浮かぶ三日月が、目を眇めて私たちを覗き照らす。
 砂塵の舞う砂漠の中、キカイの笑い声が響いていた。

『楽しかったか?』

 それに、ボルトは答えない。
 だから代わりに、楽しそうに笑うテロメアに、私はただため息で返した。





 それからどれほど歩いたか。
 道中でテロメアの愚痴に付き合うのは、何故だか私の役目だった。
 いや、理由は分かってる。ボルトが無口だからいけないのだ。

 その途中に立ち寄った、大きな屋敷。
 私たちはそこでひげ面の男性に、一つの依頼を承った。

 この屋敷から三キロほど離れた街で、突如人間達が正気を失い暴走し始めたのだという。
 正気の人間なんかもう一人もいなくて、原因は不明。
 でも怪しいモノがあったので、それを調査することになったのだ。

「で、その“怪しいモノ”が、あの球体ね」

 街の中央に鎮座する、巨大な球体。
 確かにあからさまに怪しいモノだ。
 というか、何故今まで調べなかったのか分からないくらい、怪しい。

『何かと思やァ、仕事か?』
「ああ」
『“ああ”じゃねェんだよ!寄り道するヒマがあったらさっさとステラを捜して殺せ!!』

 ボルト相手に怒っても、空回りするだけ。
 そのことを、テロメアはまだ学んでいないらしい。
 早く理解して置いた方が、良さそうなモノだけど。

『いいか!何度も言うが俺はお前がステラを始末するまで出ていかねェようにプログラムされている!早く出て行って欲しけりゃとっとと……』

 言い切る前に、ボルトはテロメアを食べ始めた。
 いやだから、それはお互いの尻尾を食べるのと変わらないんじゃ。

『うめェかコラ』
「美味しくないと思うなぁ」
『ガキには俺の旨さはわかんねェよ』
「いや、普通の人は分からないわよ。あと、私はアリス」

 すっかり食べられて、テロメアは静かになる。
 そうなると、ちょっと気になることがあった。

「美味しかった?」
「普通だ」
「面白味がないわね」
『うるせェ、ガキ』
「わぁっ!?」

 ずいぶんと小さくなったテロメアが、ボルトの背中から顔を出した。
 こうなってみると、不思議と可愛らしい。

『今、気持ちの悪ィこと考えなかったか?ガキ』

 ……前言撤回。
 どんな姿でもテロメアはテロメア。
 腹立たしいことこの上ない。

『ちっ!どうせ歩くのはお前だ!俺はちっとも疲れねェ。好きなだけ歩け!』

 それだけ言い放ち、テロメアはボルトの中に戻る。
 この調子じゃ、正直先が思いやられる。





 球体周辺を歩き回り、気がついたら日はどっぷりと沈んでいた。
 また空に月が浮かび上がった頃、私たちは漸く球体そのものの調査を開始する。

『こいつァなんだ?……生命反応だ。中に誰かいる。何者かは、分からんがな』
「この球体の中に?へぇ……」

 感心して、球体を見上げる。
 二階建ての家屋を縦に五戸並べても、まだこの球体の方が大きいだろう。
 そんな球体に、生命反応があるというのだ。

「アリス」
「うん……って、二十号!レーザー!」

 ボルトに声をかけられて、漸く周囲を把握する。
 ボルトが生み出した銃から放たれた弾丸と、私の人形から照射されたレーザーが、私たちに襲いかかろうとしていたキカイを破壊した。

「正気を失った人間?人間じゃ、ないじゃない」
『こいつは驚いた』

 私だって驚いた。
 次々と出現する人間、その全てがキカイなんだから。

≪まだ生きていたか、ボルト・クランク……いやレオン≫
「またレオン!というかこの声、依頼主じゃない!」
≪ああ君か、巻き込んでしまったのはすまないと思うが、レオンに私と同じ痛苦を味あわせるためには、好都合だったのだよ≫
「はぁ?」

 何を言っているのかは分からないが、マズイ事を言っているのはわかる。
 同じ痛苦ってなんだ。依頼主の事情なんか、私は知らない。

≪名前を変えても無駄だ。お前はステラの最愛の男……レオン・フィールド。そして私が、憎むべき男≫
「あんたに会った覚えはない」
≪それはこっちもだ。だがステラに聞いた。ステラの計画を妨害したのはお前だとな!≫

 誰かの“最愛の男”であるボルトが、想像できない。
 女性に対して甘い言葉を囁くボルトとか、絶対別人だ。

『ほほ〜う!水臭ェなボルト!』

 大人しくしていたテロメアが、顔を出してきた。
 ずっと大人しくしてればいいのに。

『ちゃんとステラを追っていたのか!えらいぞほめてやろう』
「あんたは黙ってなさいよ。出てくるとややこしいことになるわ」

 テロメアの声に、ボルトの手のひらから聞こえていた声が驚いていた。
 というか、通信機を腕から生やしていたのか。気がつかなかった。
 一々気にしてもいられないのだけれど。

≪誰だ!?≫
『ンなこたァどうでもいい!ステラの下僕なら居場所を知っているはずだ!ステラはどこに居る!』
≪知らんね。計画を妨害されてから、姿を見ない≫

 襲いかかってくるキカイたちを、撃ち続ける。
 もっと効率のいい方法はないモノだろうか。
 今度、外装を整えた人形に爆散の術式でも込めてみるか。

≪ステラの計画は素晴らしいものだった……なぜ妨害したのか、こっちが聞きたい≫
『素晴らしいだ!?人間を機械にすることがか!!』
「趣味悪……」
≪機械化すれば永遠に生きることができる!人は永遠に滅びない!私も……私の家族もそうなるはずだった!≫

 魔法使いには目的がある。
 それぞれみんな、自分の研究を持っていて、高みを目指している。
 だからこそ、永遠という言葉にだけ縛られる人間たちが、私には分からない。

「ただ生き続けることに、なんの意味があるのかしら」
≪この崇高な計画が分からんか?サンリードの住人は喜んで計画に参加したよ。タダで永遠の命がもらえるとな≫

 あらかたレーザーの照射が終わると、辺りはしんと静かになった。
 魔力切れの一歩手前、もうこれ以上、魔法は放てない。

≪だが脳の情報を機械に移す途中、お前はステラのメインコンピュータを破壊した!≫

 何年かは、それでも問題はなかったそうだ。
 それでも一年ほど前、突如として暴走を始めてしまった。
 だから彼は、私を“ボルトに近い少女”と定義づけて、八つ当たり君に一緒に殺そうとしているのだろう。まったく、冗談じゃない!

≪この国の大統領は無能でね。ここへのミサイル攻撃が決定した。レオン・フィールド、君にはここで死んで貰う≫
「はぁっ!?ちょっと、どういうことよ!」

 キカイをけしかけるだけじゃなかったか!
 ボルトの名を知るヤツほど、こうして手の込んだ手段を講じてくるから嫌なのよ!

「パ…パ。パパ……パパも、こっちに……オイデヨ……」
――ドン

 女の子型のキカイが、ボルトによって撃ち抜かれる。
 それと同時に、回線が切れた。

「どうするの?ボルト」
『こんなに早く見つかるとはな。間違いねェ、ステラはあの球体の中にいる。早いとこ片付けちまおうぜ』
「ミサイルが飛んでくるなら、ボルトが行くこともないんじゃないの?」
『あの女が、それしきのことで死ぬか』

 私たちの問答を余所に、ボルトは女の子の側でしゃがみ込んでいた。
 そして、何のつもりか、頭のチップを食べ始める。

「ボルト?」
『おい何のつもりだ?やめろ!!そいつを再生してどうする!機械は機械のままだ!!』

 テロメアが何を言おうとも、ボルトは止まらない。
 ただひたすら、チップを集めて食べていた。

『この野郎!いくらお前でも……生身の人間に戻すこたぁ出来ねェんだよ!!』
――ドガァ

 そんなテロメアを、ボルトは左手で殴り飛ばした。
 激昂か、うっとうしかったのか、私には分からない。
 でも私は、彼を止める気にはなれなかった。

『ケッ!懺悔のつもりか?償いでもするのか?』
「はぁ……集めてくるの、手伝うわ」
「頼む」
『世界一の冒険屋が、みっともないことするんじゃねェよ!』

 テロメアの声は、ボルトには届かない。
 ボルトはただひたすらチップを集めて、食べる。
 私が人形と一緒に集めてきたのも、同様に。

「完成」
『不甲斐ねェ!お前が殺らねェんなら、俺が殺るまでだ!!』
「だったら……」
『お?』

 大きく呻り声を上げるテロメアを、ボルトは掴む。
 そして何を思ったのか、力強く投げ飛ばした。

「ノックをするんだな」
『おォおおー!!』
「激しいノックね。家の中の人も出づらいわ」

 球体の外壁を突き破り、テロメアがその中身をさらけ出した。
 ずいぶん派手にぶつかったが、中は大丈夫なのだろうか。

『これは!あの女……肉体を保存していたのか……!』
「うわぁ、なんでもありね」

 無数に並ぶカプセル。
 その中には、裸体の人間が保存されていた。
 ボルトの狙いは最初から、これだったのだ。

 いい加減、その秘密主義は何とかして欲しい。

「データを移すにはまだ時間がかかる……」
「別に時間なんて……ってミサイルは?!ど、どうするのよ!?」

 あの男は、ここにミサイルを発射すると言っていた。
 ということは、もうすぐこの辺りが吹き飛ぶということだ。
 ここに保存されている肉体も、纏めて全部。

『へへ……へへ。ヒッヒッヒッヒッヒッ!ハッキリ言ったらどうだ!?』
「テ、テロメア?」
『“ミサイルが飛んできます。何とかしてくださいテロメア様ァ”ってなァ!!』
「こ、こんな時まであんたは!」

 うぅ、コイツをサマ呼ばわりとか冗談じゃない!
 でも、ボルトはデータを移すのに夢中で、私は魔力が枯渇してて、今頼りになるのはこいつしかいないのなら、もう!

「うぅ……ミサイルを何とかしてください!テロメア様ぁっ!!」
『ヒェッヒェッヒェッ!しょうがねェからなんとかしてやるよ!“アリス”!』
「ぁ……名前」

 テロメアがボルトから伸びて、ミサイルに向かっていく。
 そして夜空の下で、ミサイルをくわえ込んで爆発した。

 そのまま爆散してくれるとありがたいんだけど、まず無事だろう。
 なにせ、テロメアの命はボルトの内側にあるのだから。





 その後、やっぱり無事だったテロメアと、私たちは旅を再開することになった。
 他にも機械化された人間についてテロメアは危惧していたようだが、どうやら今回のが最後だったらしい。

 二十八個あった、人間の肉体が保存された球体。
 その最後が今回のであり、例の如く終わる間際まで私は知らなかった。

 でも、まぁ。
 いけ好かないヤツだけど、名前で呼んでくれるようになったんだから。
 ……まぁ今だけは、それを収穫としておこう。うん。













――A――



 長く話してしまったせいか、少し喉が渇いた。
 紅茶ばかりでも飽きるので、今度はコーヒーを淹れてくる。
 魔理沙はミルクたっぷりな上に砂糖も多めでないと飲めないので、一応訊ねてから。

「コーヒー飲むけど、どうする?」
「いつもどおりで頼む」
「ふふ、はいはい」

 湯気が立ち上り、黒い液体がミルクを受け入れ波紋を立てる。
 混ざり合った白と黒はやがて茶色に変わっていき、魔理沙のそれは白に近いほど色が薄くなっていた。

 そこへ、角砂糖を三個投入する。
 二個、と言いたいところだけど、それだと魔理沙は眉をしかめてしまうのだ。
 魔法を使っている時は、目を瞠るほど格好良くもなっていたりするのに、普段の彼女は誰よりも“女の子”をしている。

「テロメアだっけ?けっこう面白いヤツだな」
「始めは確かに腹立たしかったけど、長く一緒に居て飽きない機械ではあったわね」

 ボルトと二人で旅をしていた時よりも、ずっと賑やかな旅になった。
 ステラステラと煩くはあったけど、それでも結局私たちに力を貸してくれる。
 本当に、素直じゃない。

 上質な香りを堪能しながら、ブラックコーヒーを流し込む。
 コーヒーに含まれているカフェインが脳に回って、自然と眠気が冴えていた。
 魔界産のコーヒーは、香りが豊かで味が深い。

「それから、どんなことがあったんだ?」
「そうねぇ……」

 詰めが甘い冒険屋、ハード。機械に自分を接続する天才ハッカー、オリヴィエ。ステラに囚われたボルトの影、シャドウ。
 そう、シャドウと名乗っていたあの男も、私の記憶に色濃く残っていた。

「その、シャドウってのは結局、なんだったんだ?」
「超能力者、というヤツよ。ステラに利用されていて、セカンドプランを進める手伝いをさせられていたの」

 人類全てを機械化する、セカンドプラン。
 ステラが進めていたこの計画も、ボルトに妨害されることになる。

「シャドウの恋人に依頼されて、私たちは彼を助けに行ったわ。長くなるけど、聞く?」
「いや。聞きたいけど、全部聞いてたら何日かかるか分からないぜ」
「ふふ、それもそうね」

 魔理沙が、残念そうに肩を竦めた。
 そんなに見たいと言ってくれるのなら、今度、きちんとした人形劇に仕立て上げてこよう。もう会えるかも分からない人たちだけれど、その姿は私の記憶に鮮明に刻まれている。

「シャドウを助け出してステラを追い詰めたんだけど、その後が大変だったわ」

 横目で時計を見れば、もうすぐ三時になろうとしていた。
 午後のお菓子は何にしようか?そういえば、林檎があった。
 折角なので、人形に指示を出してアップルパイを焼かせることにする。
 手際よくやれば、さほど時間はかからないだろう。

「外の世界の“式神”……コンピュータが沢山ある世界なのに、そのコンピュータ同士を繋ぐ回線の中に、ステラが入り込んでしまうの。彼女も、機械だったのよ」

 そこら中でステラのクローンが量産されて、大変なことになってしまった。
 少し目を向ければ、そこかしこでステラがボルトを手中に収めようとしていたのだ。

 新聞屋の娘、ドリー。娘を思う敏腕編集長、不死身の能力者、エイミー。
 レオンとボルトは結局別人で、レオンを失い狂ってしまったステラを倒すことをボルトに依頼したのは、レオンだった。

「好きだった奴に、殺されるってか?」
「好きだったから、狂って欲しくなかったのよ」

 砂糖を入れれば、コーヒーはこんなにも甘くなる。
 ミルクを入れれば、黒いコーヒーも白に近づく。
 それでも完全に白が消えず、苦みも僅かに残るのは、コーヒーの本質が苦みのあるモノだからだ。

 香りだけでも、こんなに楽しめるのに、飲んでみたらこんなにも苦い。
 それでもその深みのある味が忘れられなくて、砂糖もミルクもないのに飲んでしまう。

 恋だの愛だのも、行き着くところは変わらないのだろう。

「新聞屋の娘、ドリー。彼女を庇って、ボルトは倒れてしまうの」
「おいおい、大丈夫なのかよ。雲行きが怪しいぜ」
「凶弾に倒れたボルト。それからどうなったのか、アップルパイができるまでの間に、少しお話ししましょうか」

 倒れて運び込まれたボルト。
 姿を見せないテロメア。
 激動の最中の一幕を短めに、でもほどよく、スパイスを利かせて。













――B――



 人のひしめき合う街。
 その一角で、私はボルトのそばに座っていた。
 ドリーを庇って凶弾に倒れ、こうしてベッドに寝かされている。

 でも私は、彼が銃弾程度でどうにかなってしまう姿が、どうしても想像できなかった。

「レオンは冒険屋だった……でもある日引退し……ステラを造った」
「フン!じゃあこのレオンってヤツはボルトじゃない。ボルトは引退してないからな」
「あんた目が悪いの?コレってどう見てもボルトじゃん!」

 コンピュータのモニターをハードに見せながら、オリヴィエがそういった。
 そこに映っているのは、確かにボルトの顔だ。
 でもどうしても、私には彼らが同一人物だとは、思えない。

「ボルト……早く起きなさいよね、もう」

 試作人形体第二十八号が、濡れたタオルを持ってくる。
 それをボルトの額に乗せて、私は彼の目覚めをじっと待っていた。

――ガチャ!
「!!」

 突然扉が開き、コートの男が入ってくる。
 ハードが銃を向けるが、男は動じることなく佇んでいた。

「誰だ?」
「来るんだ、ドリー」
「パパ!?」

 フードとマスクを外した姿。
 眼鏡を掛けた、平凡そうな中年男性だった。
 彼はドリーの、父親だ。

 私は彼がドリーを連れて行くのを、ただ呆然と見ていた。
 次いでハード、オリヴィエと出て行くが、私はまだボルトのそばにいた。

 一つ、気になることがあったからだ。

「ねぇ、いい加減出て来たら?」

 答えはない。
 このままだと私が“イタい”人になってしまうから、どうにかして欲しい。

「私、あんたが大人しくしているとは思えないんだけど?」

 撃たれて、倒れて、そして居なくなった?
 冗談じゃない。なにせあいつは、ボルトがいないと立って歩くこともできないのだから。

「起きなさいよ……“テロメア”!」
『うるせェな、アリス』

 ボルトの胸から這い出てきた、テロメア。
 その頭には、鉛玉が突き刺さっていた。

「テロメア!」
『ちっ、おい、離せ!』

 私が抱きつくと、テロメアは身を捩る。
 口は悪いしシャワーの覗き――被害者はオリヴィエだが――はするしでどうしようもないヤツだけど、居なくなるのは嫌だった。

「テロメア、ボルトは?」
『呼ばれてるぞ、ボルト。いつまで狸寝入りしてるんだ?』

 テロメアに呼ばれて、ボルトはゆっくりと目を開けた。
 その瞳に宿る知性の色は、彼が何の問題もないという証だ。

「ボルト!」
『お前はいったい何を考えている?なぜ動かない!!畜生め!!』

 テロメアは叫び散らすと、そのまま伸びて部屋のキカイを食べ始める。
 まったく、せっかく心配してあげたんだから、一言くらいあってもいいじゃない!

「え?」

 と、私がそんな風に思っていたら、ボルトは私の頭に手を乗せた。
 こちらには相変わらず目を向けようとしないが、慰めてくれているのだろう。
 本当に不器用で、本当に無愛想で、それなのにこんなにも安心させてくれる。

「ボルトは、不思議な人だね」
「……そんなことはない」
『意味が分からない野郎だってんなら同意だぜ』

 食べながらも悪態を吐くことを忘れないのは、さすがだと思う。
 というか、そんなにお腹が減っていたのだろうか。

「腹が減ったか」
「あ、やっぱりそう思うわよね」
『ここのところロクなものを食ってない!本当はお前を食いたいところだが……それはこの仕事が終わってからのお楽しみだ!!』

 テロメアは度々ボルトを食べようとしているが、それは結局食べ合いになって終わりが来ないと何度言えばいいのか。自分の尻尾にかぶりつかなくてもいいじゃないか。

「なるほど……そういうことか……」
「ボルト?」
『あン!?』

 ボルトはそう呟くと、不敵に笑う。
 だから楽しそうに笑えと、何度も言っているのに。
 あんなちょっと捻くれた笑みが、ボルトにはどうしようもなく似合うのだ。

「“あの男”の考えそうなことだ……」
「あの男って……あ、ちょっと!」
「行くぞ」

 ボルトはコートを羽織ると、そのまま外へ出る。
 私はそれに、慌てて着いていった。

「どこへ行くの?」
「ひとまず援護だ」
「え?」

 屋上に上ると、右手を前に出す。
 そこから巨大なランチャーを生み出して、狙いを定めた。

――ドン
「っ……誰を狙ったの?ステラ?」
「ミサイルだ」

 よくわからないが、これ以上聞いても無駄だろう。
 どうせ、こちらか若しくは仲間に飛んできたミサイルを迎撃でもしたか。
 どちらにせよ、意味のないことにいつの間にか意味を持たせている、というのはボルトの得意技なのだ。

「なぜ“あの男”がお前を造ったのか……本当の理由を考えたことがあるか?」
『何!?何のことだ!!』

 ボルトは何か知っているのか、それとも何かに気がついたのか。
 テロメアはボルトの言葉の意味を知ろうとするが、その前に背後の扉が開け放たれた。

「レオン……」
「ステラ!?……って、泣いてるの?」

 腹からキカイを出して、ステラは泣いていた。
 痛みで泣いているのではないのだろう。
 キカイは、痛みを感じない。

「レオンは……死んだの?」
「さあな」
「あなたは……ダレ?」
「ボルト……ボルト・クランク」

 ステラは、ボルトにゆっくりと近づいてくる。
 それに対して人形を浮かばせて警戒するが、ステラから敵意は感じられない。

「お願い……ボルト。私を、助けて……私が……ワタシじゃナイ……」

 そうしてステラは、ボルトに抱きついた。
 頬から人工の涙を流しながら、ただただ己の想いを訴える。

「私はレオンを愛しただけ……レオンを愛するために造られただけ……他には何もイラナイ……。ワタシ……を、タスケ……テ」
「もちろんだ……」

 ボルトの言葉を聞き受けると、ステラは虚ろな目で弛緩する。
 その身体をボルトは、ただそっと抱きかかえていた。

「食えない男だ……」

 その言葉にどれほどの想いが込められているのか、私にはわからない。
 けれど彼が“揺れて”いるようには、見えなかった。





 オリヴィエたちと合流した後、テロメアはひたすら周囲のモノを食べていた。
 オリヴィエのコンピュータも、他の様々なキカイも、なにもかも。

「私の人形は食べないでよ?」
『俺が食うのは機械だけだ。ンなモン食ったら腹を壊しちまうぜ!!』

 テロメアが嫌がっているのは、魔力のことだろう。
 ボルトは普通の食べ物以外だったらなんでも食べるが、テロメアはキカイだけしか食べないのだ。

 やがて、ステラの身体からハッキングしてドリーの居場所を見つけたことにより、彼女の父親とハードが出て行く。それに、オリヴィエも続いた。

『行かねぇのか?ステラが居るかもしれねェ』
「居ない」
「行かないじゃなくて、居ないの?」

 その言葉を不審に思ったのか、テロメアもボルトに顔を向けた。
 何故、いないだなんて断言できるのだろう。

「居たとしても、それは複製だ」
「それって……どういう」

 私が言いきる前に、動かなくなっていたはずのステラが、ふらりと立ち上がった。
 その瞳に正気の色はなく、虚ろだ。

「私はレオンをアイシタだけ……それなのに……」
「お前は増殖し暴走した」
『いわば欠陥品だ!!』
「違う!ワタシはコワれてなんかいない!」

 狂った人間は、自分を狂っていると認識できないのだという。
 それはキカイにも言えることだったのだろう。
 ステラは、ただ自分は狂っていないのだと、虚ろな瞳で叫び続けた。

『よく聞け!お前は十五年前に狂い始めたんだ!そして“あの男”はボルトに依頼した……“ステラを始末しろ”ってな!』
「アノ男……」
『つまりレオンだ……レオン・フィールド』

 レオンはボルトに依頼をした。
 ということは、やっぱりボルトとレオンは別の人間だったのだ。
 あんまり疑ってはいなかったけれど、でも胸に溜まった凝りが軽くなった気がする。

 ステラは、黙り込んでただ一筋涙を流す。
 そんなステラを、テロメアは一口で食べ、咀嚼し、そうして嚥下した。

『満腹だ』
「そいつは良かった」
「それだけ食べてやっと?呆れた」
『デザートにまだお前が残って……ぐっ!?』

 急に苦しみだしたテロメアに、慌てて駆け寄る。
 急に食べるから腹を下すのだ。ホントに世話の焼ける!

「腹痛か?」
「お腹、さすろうか?」
『焼けつく!何じゃコリャ――』

 テロメアは、叫び声を上げたかと思うと、そのままショートして倒れた。
 今までとは毛色が違うが、テロメアはしょっちゅう斬られたり叩かれたりしているから、今回もこの程度はなんの問題もないだろう。

「行くの?」
「ああ」

 テロメアを引き摺って歩き出すボルト。
 私はその左手を握って、隣を歩く。

 遠くで、なにかがせり上がる音が聞こえた。





 街外れの荒野。
 そこにそびえる、巨大な像。
 沢山の兵器を身に宿したそれこそが、狂ったキカイ……ステラの、なれの果てだった。

『もう少しだったのに!皆……許さない!皆、消えてしまえ!』

 街に設置された巨大モニターの中で、ステラが声を荒げる。
 己の研究所で不死にした少女、ドリーを使って、彼女は人間になりたかった。
 愛する人……レオンと同じ、永遠を生きる人間に。

 そうして彼女は、狂ったのだろう。

「やめるんだステラ。俺はここに居る」
「ボルト?って、え?今の声は……」
「俺は何も言っていない」

 ボルトは動かない。
 だがその代わり、テロメアの目に光が宿った。
 キカイのくせに、気絶でもしていたのだろうか。

『……!ぐッ!!ぐあアァッ!!』
「テロメア?!」

 テロメアの胴体部分、そこに繋がるコードが膨れあがる。
 まるで赤子の出産でもするかのように、オイルと洗浄液に包まれた物体。

 その形は……。

『レ……レオン!』

 ……ボルトにうり二つの顔。
 レオン・フィールドが、キカイの身体で“生まれ変わった”のだ。

『何でアンタが俺から出て来るんだ!!』
「そうプログラムした。俺が機械の身体になるために」

 ボルトがあの時に言った、テロメアが造られた本当の意味。
 それは、彼の創造主であるレオンが、創造“される”ためのものだった。

 ステラのために、人間の身体を捨てた。
 けれど、狂ったステラに、レオンの声は……届かない。

「俺は機械になった。君と同じ、機械の身体に」
『ふざけないで!私の知ってるレオンは機械じゃない!レオンじゃない!』

 地鳴りが響き、街から警告音が鳴り始める。
 街をネットワークにより支配したステラによる、ミサイルでの一斉攻撃。
 その準備は、着実と進められていた。

「どうして、ステラを造ったの?」

 ドリーの言葉に、レオンはそっと目を向ける。
 その瞳は哀愁に満ちていて、感情が溢れ出ようとする度に、彼がボルトとは別人なのだと示していた。

「生きるのに疲れた。長く生きすぎた。友人は皆俺より先に死ぬ。気がつくと俺は、いつも一人だった……だから、永遠のパートナーが欲しかった。それがステラだ」

 どれほど生きたのか、忘れるほど長く。
 その絶望は、私にはまだ分からない。
 けれどどうしてか、自分で造った存在で寂しさを埋めようとした彼の気持ちは、分かったような気がした。

「ボルト……何故ステラを始末しなかった」
「したさ」

 ボルトはそういうと、右手を差し出す。
 そこからテロメアがレオンを生んだ時と同じように、液体に覆われた機械人形が出現する。その姿は、モニターに映る彼女よりもずっと澄んだ瞳をした、ステラだった。

「オリジナルの、ステラ!?」
「狂う前の、ステラ……」

 どこで彼女を手に入れたのか、分からない。
 けれどドリーの父親の叫びが確かなら、彼女こそが“ホンモノ”のステラなのだろう。

「ボルト、七兆リドだ。ダシールの銀行にある……“あのステラ”を始末してくれ」
「断る」

 レオンが示したのは、暴走する巨大な像だった。
 ボルトはそれを、躊躇いもなく断る。

「このままだとこの街は砂漠になる」
「もともとここは砂漠だった」
「知ってるさ……それとも……お前もステラが欲しいか?」

 レオンの目に、言葉に、ボルトは応えない。
 ただどこを見ているのか分からない丸いサングラスで、彼方に顔を向けていた。

「世界一の冒険屋なら、仕事は最後までやってもらおう」
「食えない男だ……」

 巨大な像に向かって、ボルトは歩き始める。
 そんな彼を引き止めようと、ドリーが一歩踏み出した。

「待ってよ!一人で行く気!?」
「一人じゃないわ。私とテロメアも一緒」
「アリス!?ちょっと、待ちなさい!」

 静止も聞かず、私はボルトの隣を歩く。
 ミサイルの群れ程度が怖くて、世界一の冒険屋の助手は務まらない。

「エレナ!アリスを止めなくてもいいの?!」

 電気体質の女性、エレナにドリーが言う。
 何を言うつもりなのかは分からないが、恥ずかしいことは止めて欲しい。

「彼女はボルトが受け入れている。きっと、あれが正しい形なの」

 ……恥ずかしいことだった。
 私はボルトに、依頼を完遂して貰っていないのだ。
 ここで離れたりするはずが、ないじゃないか。

 もう、彼女たちの声は聞こえない。
 この場には、私たちだけとなった。

『あの男め、俺様の胃に隠れていやがったとはな。一杯食わされたぜ!』
「いつまでついて来る気だ。お前の役目は終わったはずだ」
「私たちに付き合うこと無いわよ」
『いいやまだ残ってる。最後にお前を食うと決めてあるんだ!』
「ご苦労なことだ」

 言いつつ、一緒に居てくれる。
 ボルトも、テロメアも、私も。
 本当に不器用で、救いようがない。

『ヒヒヒ!“食われる”って感覚がどんなもんか教えてやる。そして!お前ともオサラバだ!……もう二度と、俺を食うんじゃねェ』

 ミサイル攻撃が始めると、周囲に轟音が響き渡る。
 近づくミサイルだけ人形のレーザーで迎撃し、残らず墜としていった。

『なぁボルト、わかるか?あの男、レオンはお前だ』
「ほう」
「ほう、じゃないわよ。もっと驚く所じゃない?……二十八号!照射!」

 それは、テロメアの推測に過ぎない。
 そのはずなのに、何故だか胸に強く残る。

『ヤツがどうやって俺やステラを造ったと思う?右手だ!』

 ボルトが何かを生み出す時、決まって右手から出すのを優先する。
 やろうと思えば左手や胸からも出せるようだが、基本的に右手だ。

 レオンがボルトの複製か、はたまた逆か。
 私は、何故だか前者のような気がしていた。
 だってボルトは、誰よりも自然体で、その姿がどこか神綺様に似ているように感じられたから。

 魔界でただ一人の“オリジナル”である、お母様に。

『おい、そろそろとどめを刺した方がいいんじゃねェのか?』
「そうよ、ボルト!まずいわよアレ!」
『おい!時間がねェんだぞ!!』

 私たちの制止も聞かず、ボルトは巨大な像に歩み寄る。

『私はダレ?』
「さあな」
『あなたはダレ?』
「ボルト。ボルト・クランク」

 ボルトはまだ、とどめを刺そうとしない。
 いや、そもそもとどめを刺す気がないようにも見える。

『そう……来てくれたの……アリガトウ、ボルト』
『ボルト……!?てめェまさか……死ぬ気か?!アリスも居るんだぞ!!』
「そ、そうよ!正気に戻りなさい!ボルト!!」

 機械がせり上がり、ステラの形を作る。
 私はステラによってボルトが連れて行かれてしまうような気がして、必死でボルトの左手を握った。

『ヒャハ……ヒャッハッハッ――!!』

 暗転、轟音、衝撃。
 何故だか直接ではなかったが、その攻撃によって私は気を失う。

 意識が途切れようとする中、誰かが私を抱き締めたような……そんな、気がした。













――A――



 焼き上がったアップルパイを切り分けて、魔理沙と私の前に置く。
 飲み物は、もう一度紅茶だ。砂糖を入れないストレートティーの方が、アップルパイには合う。

「強力な爆弾に囲まれたんだよな?どうして、無事だったんだ?」

 アップルパイを一口頬張ると、魔理沙は疑問を口にした。
 焼き上がったばかりのアップルパイは、サクサクとしていて美味しい。
 火が通されたことで甘味が増した林檎が、甘くない紅茶によく合う。

「テロメアがね、私たちを庇ってくれたの」

 最後の最後で私とボルトを、彼は“食べて”みせたのだ。

「それじゃあ、その……テロメアは」
「ええ、もう動かなくなっていたわ」

 その時私は、声を上げて泣いた。
 二度と自分を食うなと言った彼を、ボルトは食べなかった。
 それは理解しているのだ。テロメアの気持ちを、踏みにじってはならないという事も。

 それでも泣いて、泣いて、泣いて。
 私が持っていても仕方がないのに、彼の“メモリーチップ”だけ、お守りのように抱き締めて。

「なぁアリス……もし私が――」
「泣くわ。だから、そんなこと言わないで」
「――なんでもないぜ」
「そう。ならいいわ」

 魔理沙はアップルパイの最後の一口を、押し込むように口に放り込んで、顔を逸らした。
 その頬にうっすらと差している赤色には、気がつかないことにしてやる。

 アップルパイを食べ終わると、人形たちに食器を片付けさせる。
 食後の一杯は、少し甘めにしておいた。

 あの後も、沢山の冒険があった。
 七兆リドを使った奴隷の解放、人形と恋に落ちた人間。
 あの後に、沢山の出逢いがあった。
 女装冒険屋、ドイル。未熟な冒険屋と熟練冒険屋、マックスとイーサン。
 他にも宿屋の陽気な冒険屋、チャックや、愛と平和の冒険屋、ロバートなんかも。

「そろそろ、アリスがどうして成長したのか……だな」
「そういえば、そんな始まりだったわね」
「おいおい忘れてたのかよ。私も忘れてたけど」
「忘れてたんならいいじゃない。まぁ私も忘れてたけど」

 小さく笑みを交わしながら、最後の舞台を築き上げる。
 上海も蓬莱も和蘭も倫敦も西蔵も、他の人形たちも。
 この最後の舞台に向けて、ぐっと手を握りしめていた。
 プログラミングをしたのは私だから、きっと私の高揚を感じ取っているのだろう。

 私たちの冒険の、最後の最後。
 終着の場所は、大きな街だった。

「そこで出会ったのは、一人の少年。数千の時を超える依頼が、全ての始まりだった」

 頭を働かせる甘いものも、胸に残る熱い想いも。
 全部が全部装填済みで、だから糸を操る指に、魔力に、心が通る。

 最後の舞台の、開幕だ――。













――B――



――ガタタ

 大きな音と共に、ボルトが倒れる。
 どんな夢を見たのか、ベッドから滑り落ちてきたのだ。

「なにやってんのよ」
「居眠りか?」
「ひゃーっひゃっひゃっひゃっ!」

 マックスとイーサン、それからチャックが笑い声を上げる。
 何をやっているんだろう。本当に。

「っくしゅん」
「どうしたの?アリス。風邪?」
「あ、うん、わかんない」

 ボルトは本当にいつもどおりだが、私はというとここのところどうもおかしい。
 咳き込んだり、背筋に寒気が走ったり、急に眠くなったり。
 ボルトと旅をしていて、今まで一度もこんなことはなかったのに。

「ボルト?どこへ行くの?」
「仕事だ」
「あ、待って!私も行く!」

 部屋を出て行くボルトに着いて、歩く。
 私が手を差し伸べると、ボルトはいつもどおり左手を向けてくれた。

 思えばボルトは、今まで一度も私を振り払ったことがない。
 どんな時でも、隣りに立つことを享受してくれていた。
 相変わらず私の依頼を果たしてくれるようなそぶりはないが、あんまりにも居心地がいいから言いそびれているので、お互い様だと思う。

「けほっ……」
「大丈夫か?」
「うん、風邪って感じじゃないと思うんだけど……」
「そうか」

 裏路地の掲示板、そこにかがみ込んで依頼を漁る。
 私はそんなボルトと一緒に、ボルト宛ての仕事探しを手伝っていた。

「アンタ宛ての仕事なら、そこには無いわよ」
「オリヴィエ……ハード……」
「よう、ボルトにアリス」

 私たちの後ろに立っていた二人は、アタッシュケースを手に持っていた。
 そこに、ボルト宛ての依頼があるのだという。

「アナタに聞きたいことがあるの」

 そう言うオリヴィエの目には、訝しげなモノが宿っていた。
 疑問を抱いているというのなら当然ではあるが、それとはまた少し違うような。





 街のバーで、オリヴィエは机の上に書類を置いた。
 データを主に扱う彼女にしては珍しく、すべて紙媒体の依頼書だ。

「これ!アナタ宛ての仕事の一部。これだけで八十万件以上はあるわ」
「八十万件……どうするの?ボルト」
「こいつは忙しくなりそうだ」
「真面目に聞いて!これは全部、過去のデータなの」

 オリヴィエは、データの中に存在する彼女の友人、ミームと一緒にネット世界で遊んでいたらしい。そこで彼女の名を知る謎の少年に、ボルト宛てのデータを渡された。
 そうして開いてみれば、広範囲に渡って出されていた、ボルトへの依頼だったのだという。

「場所は様々で、他の惑星や他の銀河系……とにかく、人が住んでる場所は全部!」
「世界一の冒険屋だからな」

 ハードは本当に、ボルトのことが好きなんだなぁ。
 厳つい男なハズなのに、どこか子犬っぽい。

「到底一人じゃ処理しきれない量だわ。で、アタシが知りたいのはその年数。古い物で、五千年以上前の物がある。これって……」
「五千年!……ボルトって何歳なの?」
「考え過ぎだろう。こいつがそんなに長生きしているように見えるか?ただの、手の込んだイタズラだ」

 ボルトは答えない。
 本当とも、嘘とも言わない。
 いつもどおりの秘密主義、なのに何故か今は、そんなボルトを見ていると不安になった。

「かもね。でも一つだけ、奇妙な依頼があるの」

 オリヴィエはそういうと、一枚の書類を手に取った。

「二千三年前の依頼よ。“我らの村に明日の晩盗賊が娘を奪いに来る……阻止されたし。ドラソル村からボルト・クランクへ”」
「手遅れだな」
「今から行く?たぶん、村も残ってないでしょうけど」
「ハッハ!」

 ボルトと私で茶化してみても、オリヴィエは笑わない。
 よりいっそう視線を険しくして、書面に目を通していた。

「この依頼は、毎年一回更新されている」
「同じ依頼が、二千三件あるってこと?よほど足の遅い盗賊なのね」
「現在進行形ってわけか。すでに“娘”じゃないだろう」
「娘の娘かもしれないわよ。何代目かは知らないけど」
「茶化さないで」

 怒られた。
 だってしょうがないじゃない。言葉を連ねてないと、“終わって”しまいそうで。
 ……って、うん?何が終わるんだろう?

「ちなみに……一番新しい依頼は、今夜よ」
「アホらしい。無視しろよ、ボルト」
「そうよ、ボルト」

 私たちがそういうも、ボルトは聞かずに立ち上がる。
 そしていつものように、ポケットから螺子を取り出した。

「いや……そろそろ行っても良いだろう」
「おいおいおい……」
「そろそろって、やっぱりアナタこの依頼のこと……知ってたのね?」

 ボルトは答えない。
 答えず、ただ螺子を噛む。
 その顔に、不敵な笑みを浮かべて。





 夜空に浮いた三日月の下。
 私たちは、廃工場に来ていた。
 ボルトに先導されるまま来たので、ここが二千三年前のドラソル村なのだろう。

「娘さんの子孫はどこにいるのかしら?」
「大遅刻もここまでくれば、立派な物だ」
「ん……そうね……何だかアタシもアホらしくなってきた」

 ボルトの手を握って、一緒に歩く。
 向かう先は、廃工場の中だ。
 ボルトの歩みに迷いはなく、いつものように依頼を受ける姿勢を崩さない。

 そして。

「おお、お待ちしておりましたよ。ボルトさん」

 ボロ布を被った老人が、姿を現した。

「ボルト!おい!!」

 背後から、ハードとオリヴィエの声が聞こえる。
 それでもボルトは、何も変わらない。
 私の手を握ったまま、奥へと歩いて行く。

「ボルト?これって、いったい……けほっ、けほっ」

 大事なところなのに。
 色々聞かなければならないのに。
 どうしてだか私は、咳き込んでしまった。

「私をお護り下さい。ボルト様……」
「悪いが……面倒な芝居に付き合うつもりはない」

 ボロ布を纏って現れた少女の言葉を、ボルトは一蹴する。
 普段なら、騙してくるような依頼にもひとまず付き合ったりするのに。
 依頼に反った形で裏切って、依頼を完遂させるのに。

「……そう、残念です。二千三年もお待ちしていたのに」
「ゲームをしたいならさっさと始めたらどうだ」

 どこか遠くへ行ってしまうような。
 そんな気がして、私はボルトの手を強く握った。

「どういう風の吹き回し?二千三年も僕のことを無視しておいて……」
「そろそろ……行かなきゃならないんでね」
「ボルト?」

 頭がぼうっとする。
 額に手を当てれば熱を帯びているという事が分かり、自覚した途端に目眩を覚え始めた。

「どこへ?」
「知りたいか」
「うーん……どうでもいいや。どうせキミはそこへは行けない」

 ダメ、ボルト。ダメだよ。
 そっちに行ったら、きっとダメ。

「僕がもっと素敵なところへ連れて行ってあげるよ」

 周囲の空間が、ボルトが、私の試作人形が。
 どろどろと、溶け始めた。

「あれ?キミは……“僕”を持っている?いや、少し違う……まぁ、いいや。今はキミだよ、ボルト。さぁ、行こうよ」
「まだだ」

 ボルトの身体から、ランチャーが出現する。
 そうして放たれた一撃は、急激に巨大化した少女の身体を打ち砕いた。

「拒絶か……まぁ、無視よりもマシかな。でも、本番はこれからだ」

 少女の姿が少年になり、かき消える。
 後に残されたのは、私とボルトと、崩壊した建物だった。

「けほっ、けほっ」
「……彼女も、“ここ”から弾き出されようとしているのですね」
「だ、れ?」

 ぼんやりとしてきた意識の中で、私は宙に浮かぶ女性の姿を捉えた。
 いや、女性か、少女か、その中間か。どこか、姉さんたちに似た空気を持っている。

「彼は……あなたを死の世界に連れて行こうとしています……」
「ああ……可愛いヤツだ」
「けほっ……可愛いの?」

 体勢を崩した私を、ボルトは左手で抱きかかえる。
 少年と、少女と、ボルトが揃ってから、どうにも体調が悪化したように思えた。

「あなたも不死身ではないのです。お気をつけください……彼の、虜にならぬように」

 少女が投げた球体を、ボルトが受け取る。
 そしてボルトはそれに、迷い無くかぶりついた。

 そして、光が溢れ出し……私の意識はここで、途切れた。





 次に目が覚めた時、私は宿の一室にいた。
 気怠い身体を持ち上げて、魔導書を片手に立ち上がる。
 相変わらず体調は悪いままだけど、でも身動きはとれるようになっていた。

 人形を浮かべるだけの力が出ないので、肩に乗せて部屋を出る。
 すると、他のみんながテーブルを囲んで座っていた。

「アリス?おい、大丈夫なのか?」
「うん……たぶん、動いてたほうが楽」

 気持ちが、である。
 じっとしているのは、どうにも気が乱れる。

「これ、なに?」
「ボルトに懸賞金だ。殺したら、三十億リドだってよ」
「けち臭いわね。レオンは七兆リド払ったのに。……で、誰が?」

 レオンは、ボルトへの報酬に七兆リドの大金を払った。
 ボルトはそれを全部奴隷の子供たちの解放に使ってしまったが。

「僕だよ」
「っ!?」

 始めからそこにいたかのように、あの時の少年がテーブルを囲んでいた。
 まったく違和感のない侵入は、彼がこの場に在ることを世界が享受しているように、感じる。根拠なんか、無いけれど。

「お前は何者だ?どうしてボルトを付け狙う」
「キミたちには言っただろう?僕は死神だって。ボルトの命を貰いに来たのさ」
「ほほう!死神か!こいつはサインをもらわなくちゃな!」

 ハードが銃を突きつけても、チャックが茶化して見せても、少年は動じない。
 ただそうであるのが当然であるように、自然体で佇んでいた。

「信じられないのも無理はない。キミたちには僕の存在など理解できないよ」
「話してみろよ。ガキの言うことくらいわかるつもりだぜ!」

 少年は、銃口を覗き込むようにハードに目を向ける。
 彼の目に恐れはなく、どこまでも不自然で、それでいて自然だった。

「ボルトは……あの男は不自然な存在なんだ。いつまで経っても歳をとらない。変化をしない。とにかく目障りなんだ」
「それが理由か?」
「そうだよ。僕の仕事は万物に“終わり”を与えることなんだ。キミらの中にも、僕は居る」

 ハードは、引き金に力を入れながらも、撃たないよう気を配りながら少年を見ているようだ。他のみんなからの視線も、少年に集まっている。

「絶滅因子って言えばいいのかな?全てには終わりがある。ただそれだけのことをあの男は受け入れない。あの男一人のために、僕は具現化しなきゃならなかった。まったく……頭に来るよ」

 具現化……ならば彼は、人々の“死”の要素が固まった、妖怪だということだろうか。
 なるほど、それは死“神”だ。死への畏れを、信仰にでもしているのだろう。

「ん!わかった!よーくわかった!家に帰って寝ろ!な?ここは大人が集まる公園なんだからさ!」
「チャック!ダメ!」

 私の制止も間に合わず、チャックは少年が一睨みしただけで窓からたたき出された。
 だいぶ手加減はされていたようだけど、大丈夫だろうか。

「大人か……大人になったら次は老人になり死んでゆくものだ。いや、老人になる前に死ぬ奴だっている。そこにはいつも、僕が居るんだ」

 少年が立ちあがり、ハードに視線を移した。
 たったそれだけで、彼の持つ銃が溶けて無くなる。

「!!」
「つまり僕は“破滅”という概念の一部なんだ。わかる?」

 鼓動が聞こえる。
 いや、これは躍動か。
 少年の周囲から溢れ出した赤い肉塊が、触手になって私たちに襲いかかった。
 ハードも、オリヴィエも、マックスも、イーサンも、みんな囚われる。

「彼だけどうして特別な存在なのか、それが理解できない。全てに公平な死があるはずなのに……彼はその辺の惑星よりも長生きしてる……おかしいと思わないか?」
「くそッ!何のマネだ!!」

 ハードが叫び声を上げる。
 この場で武器を取り上げられていないのは私だけなのに、身体が動かない。

「悪く思わないでくれよ、ボルトのせいなんだ。あの男は殺そうとしても死なない。病気にすることもできなかったし、自然死すらしそうにない。もう、待てないんだ」

 少年はそう、笑う。
 目を光らせて、昏く、笑っていた。

「友達が死ねば、ボルトも考えるだろう。僕がどれだけ本気かってことも……うん?」

 少年は、急に動きを止めた。
 そして、ゆっくりと、体調不良で転がる私に目を向ける。

「キミは……どうして僕に囚われていないんだ?」
「どう、して?」
「おいやめろ!相手は子供だぞ!?」

 私に歩み寄る少年を、ハードが止めようとする。
 けれど少年は、止まることなく私の側まで来て、かがみ込んだ。

「キミの中に滅びはある。けれどそれは僕じゃない?」
「なに、言ってんのよ……けほっ、けほっ」
「分からない。でも、キミもまた不自然だ……ここで、どうにかしておいた方がいい」

 少年の手が私の首を掴み、持ち上げられる。
 その手に徐々に力が込められていき、息が詰まり始めた。
 ただでさえ体調が悪いのに、締め付けられた死んでしまう。

 こんなところで、死ぬのは嫌だ。
 幻想郷にも行けず、お母様や姉さんたちにも二度と逢えず。
 こんなところで、死にたくない!

「くっ……ぁ、ぅ……ボル、ト」
「テメェ!いい加減に……」
――バン

 身体が軽くなり、誰かに抱きかかえられる。
 深い緑色のコートに包まれた、大きな左手。
 右手から放たれた弾丸のせいか、硝煙の匂いが鼻につく。

「けほっ、こほっ……ボルト?」
「大丈夫か?」
「う、ん。ありがとう……ボルト」

 頭を撃たれて弾き飛んだ少年は、ボルトから離れた場所で再生する。
 あの程度じゃ、消えてはくれないようだ。

「安心しろ。お望みどおりこの世から消えてやる」
「本当かい?」
「……ああ」
「ダメだよ、ボルト……そんな、だって」
「……じゃあ、今すぐ行こうよ」

 少年は、ボルトの言葉に途端に嬉しそうな表情を浮かべる。
 どこか、愁いを帯びた瞳で。

「まだだ。まだ……オードブルが残っているんでね」

 傍らに浮かぶ少女が、また球体を取り出した。
 私はそんなボルトから一度離れて、壁際まで下がっておいた。
 そしてボルトはその球体に、最初の時と同じように、かぶりつく。

――ボッ!
「何だ……!?何を食った!?」

 球体から眩い光が溢れ出し、ハードたちを捕らえていた肉塊を崩す。
 いったい何を食べたのか、何を再生しようとしているのか、彼の右手から何が創造させられるのか。

「光……」
「光?」
「もうじき、全部揃う。それまで待ってもらおうか……」

 ボルトが右手を前に出すと、そこから光が溢れ出した。
 熱に侵された頭でぼんやりと眺めると、少年が驚愕の表情を浮かべて崩れていく。
 眩い光、どこかで私は、あの光を視たことがある。

 いや、確か、パンデモニウムで、神綺様に……。

「タダでは退けられない!彼女も、連れて行く!!」
「え……?」
「アリス!」

 ハードの叫びを耳にしたまま、私はあの肉塊に包まれる。
 私に伸ばされた、深い緑色の左手を、掴むことも叶わぬままに。





 誰かの声が聞こえる。
 私は、ぶよぶよとしたベッドの上に寝かされているようだ。
 正直、良い感触とは到底言えない。非常に気色が悪い。

「どこ、だろう」
「アリス?!」

 右手で目を擦りながら、身体を起こす。
 魔導書を抱き枕に、眠っていたようだ。
 相変わらず体調は悪いけれど、慣れてきたのか起き上がれた。

「ドリー……なんでハダカなの?」
「知らないわよ!」
「暴れるな!!」

 声のした方を見ると、そこにはあの少年がいた。
 ずっと持っていた余裕は見られず、焦っているように見える。

「いや!来ないで!」
「もう待てないんだ……キミを先に滅ぼしても良いんだぞ!」
「やめ、なさいよ!」

 人形は、側にいない。
 魔導書の封印も解けないし、魔力も目に見えて減ってきている。
 それでも、私は立ち上がった。

「えい!」

 簡単な魔法、ただ火の玉を投げつけるだけの魔法。
 けれども人形の操作で培った最低限の力で魔法を操る技術は、少ない魔力でも放たれた火の玉に威力を持たせた。

――ドンッ
「ぐあっ!?」

 少年の身体が燃え上がり、衝撃でドリーが解放される。
 ドリーを再び捕まえようと手を伸ばすが、その手は飛来した電撃によって弾かれた。

「ドリーとアリスは返してもらうからね。アリス、こっち!」
「させるかァ!!」

 ドリーを抱えるリベットと私が、肉塊によって分断される。
 もう魔力もほとんど残っていなくて、これ以上魔法を使うなと魂が悲鳴を上げていた。

「僕の知らない力を使う。僕の知らない滅びを宿す。キミは一体誰なんだ!?」
「わたし、は、私は……アリス。魔法使い兼……冒険屋の助手よ!!」

 それでも、こんなところで屈したくない。
 私は、ボルトとずっと一緒に居た。
 世界一の冒険屋の左側に、ずっと居たんだ!!

「なにッ!?」

 人形を操る魔力の糸で、少年の身体と肉塊を拘束する。
 ほんの僅かでも良い。時間を作れば、リベットの“溜め”ができる!

「リベット!先に行って!!」
「アリス……後でみんなで飲みましょう。ちゃんと、ボルトも連れてきてよね!」
「うん……任せて!」

 リベットが渾身の力で電撃を放ち、肉塊の巣から飛び出した。
 そこで魔力も完全に尽きて、膝を付く。

「やってくれたね。だけど、構わない。キミさえいれば、彼は来る」

 ボルトは来るだろう。
 だって私は彼に、依頼をしてるんだ。
 損得勘定なんかじゃない。彼はただ、依頼をこなす。
 情も親愛もなにもかも、全てにかぶりついて彼は依頼を完遂するのだ。

 だって彼は――――ボルト・クランクは、“世界一の冒険屋”なのだから。

――ボンッ
「!?」

 少年の身体がはじけ飛ぶ。
 その影から悠然と歩み寄るのは、私の求めたひとだった。

「……ボルト」

 いつものように差し出された左手を、私は掴む。
 彼はいつもそうだ。そうやって、優しげな光を色つき眼鏡で隠すのだ。

「僕はもう具現化していられない。僕は……消えるんだ。一緒に……行こう」

 少年が伸ばした肉塊の触手を、傍らに浮かぶ少女が一蹴する。
 誰も彼も捕らえて放さなかった肉塊も、少女の手にかかれば塵に等しかった。

「くそっ!何だよお前!!」
「あなたとは、すいぶん前に会ってますよ」
「……え?どういうことだ?前にも会っている?」

 滅びの象徴、破滅の具現、死の妖怪。
 彼と以前にも会っているというのなら、ボルトは何故生きているんだろう?
 死ぬ間際にしか言葉を交わせないのが、彼ではないのか。

「そろそろお別れだ……さあ……こっちに来てくれよ」

 一歩踏み出したボルトの手を、触手が貫く。
 一歩一歩と歩み寄る度に貫かれるが、ボルトはそれが私に当たらないように、深く抱え込んでくれていた。

「ボルト、手が……」
「大丈夫だ」

 まただ。
 こんな時に限って、そんなに優しい目をするんだ。
 そんな目をされたら、私はどうしていいかわからない。

「最後に教えてくれよ……一体何を再生しようとしていたんだ?」

 ボルトは答えない。
 代わりに答えたのは、あの少女だった。
 思えば、彼女が何者なのか、私には理解できていない。

「新世界……」
「……?新世界?ふん……そんなものはすぐに滅びる。いくらやっても無駄だよ」

 殺到する触手の海の中を、ボルトは悠然と進んでいた。
 ひび割れて崩れかける少年に、歩み寄るように。

「キミはそうやってたくさんの人を救ってきたつもりだろうが……いずれ死んでなくなるのは同じなんだ」
「滅びません……この方の再生される世界にはあなたが居ない。つまり……滅びの要素がないのです」

 終焉のない存在は、いない。
 なぜならそれは、不自然だからだ。
 でも、それが“自然”だというのならば、果たして不老不死は罪となり得るのだろうか。

 それはきっと、死んでいないだけだ。
 それはきっと、生きてもいないんだ。

 私は熱に浮かれた頭で、そんな事を考えていた。

「僕が……居ない?そんな世界など……」
「あります。新しい宇宙です」
「新しい……宇宙……?」

 いつの間にか、ボルトに殺到していた触手は止まっていた。
 でもボルトは、変わらずに佇んでいる。

「時間、空間、光、生命……そしてあなたが闇。何度も……何度も繰り返しているのです」

 少年が、目を瞠る。
 それは確かに、驚くべき事だろう。
 新しい世界を造るのが、ボルト……彼だということは……。

「それじゃ……今の世界を造ったのも……キミか?キミが……“創造主”か!?」

 でも、私の中に驚きはなかった。
 むしろ、ずっと胸に凝りを作っていた疑問が、すぅっと晴れたんだ。

 どこかで会ったような気がした。
 もっと深いところで、繋がっていたような気がした。
 だって彼は、似てるんだ。

 神綺様に――――魔界の、“創造神”たる、私たちのお母様に。

「いや」

 ボルトはそれでも、否定する。
 私は、彼が続ける言葉が、分かっていた。
 だって彼は、世界一の……。

「俺はただの、冒険屋だ」

 ボルトは少年の首を掴む。
 冒険屋たる彼は、滅びをどうするつもりなのか。

「な……何のつもりだい?僕を……排除するつもり?滅びのない世界なんて不自然だ。ただ膨張するだけで何も入れ替わらない。何も変化せず、ただ全てが永遠に続く……」

 少年は、ボルトに掴まれたまま、彼の瞳を覗き込む。
 だがボルトは決して、揺るがない。

「そんな世界が、面白いか?」
「面白くないね」

 そうしてまた、不敵に笑った。

「お前も来い」
「僕も……?どうして……?」
「行きたくないのか?」

 そうか、ボルトはもうずっと、これを繰り返してきたんだ。
 ずっとずっと、こうやって世界を回してきたんだ。

「はは……ははははは!!僕は……僕はこれを、何回繰り返したんだ?」
「さあ……覚えてないね」

 少年が、ボルトが、少女が、私が。
 全てが光に呑み込まれて、消えていく。

 世界を構成する全ての要素に呑まれて、消えていった。





 息が、苦しい。
 魔力を使い切ったせいか、私の体調は急激に悪くなっていた。
 もう声を出すこともままならなくて、額に手を当ててくれるボルトにお礼を言うこともできない。

「彼女は、この世界にとって異物です。今まではあなたが側にいたことで耐えられていたのでしょうが、最早元の世界に戻しても、助かるかどうか」

 少女の声が、耳に届く。
 それでボルトは、ずっと私に左手を貸してくれていたのか。
 ずぅっと私に、気を掛けてくれていたんだ……。

「いっそ楽にしてあげるのが、一番ではないのですか?」

 死にたくはない。
 でも、本当にどうしようもならないのなら、ボルトの手で眠りたい。
 ボルトの手なら、安心して眠れるような気がするから。
 でもその前に、なんとか口を開いた。

「リベット、が、みんなで……飲もう、って。だか、ら……もう、一度、だけ」

 消えてなくなってしまう前に。
 もう一度だけ、あなたたちと笑い合いたい。
 そう願った私の頬に伝った雫を、ボルトはそっと拭いとった。

「いや、まだ依頼を完遂していない」
「依頼?」

 ボルトは私に右手を差し出した。
 その手が私の口に触れると、身体が楽になる。

「あれ?私……死んだ、の?」

 自分の身体を見下ろすというのも、変な感覚だ。
 ボルトは私の口から私の魂を引き抜いて、手に掴んだのだ。
 本当に何でもアリ、だけど今更驚いたりはしない。

「いいや、まだだ」
「え?ボルト……って、ちょ、ちょっと!」

 ボルトの口が、私に近づく。
 これはもしかして、アレだろうか?
 え?いや、ほんとうに?どうしよう、心の準備ができてない!

「ぁ……ボ、ボルト」

 そしてボルトは……私に、かぶりついた。
 うん、分かってたけどね。いや、本当に。

 ボルトの中は、暗かった。
 暗くて、それからすごく、温かかった。
 まるでお母様の腕の中で眠っているかのように。

 もしかしたらこれが、“お父様”の温もりなのかも知れない。

 自分の中の何かが、変わっていく。
 それは決して不快なものでは無くて、むしろ心地の良い変化だった。
 優しさをたっぷりと注ぎ込まれているかのような、変化。

「お父、様?」
「あら?彼女の父親になったのですか?あなた様は」
「……」

 疲れの無くなった身体で、目を開ける。
 痛みも、熱も、息苦しさも、なにもない。
 けれど、大きく変わったことがあった。

「え?あ、あれ?」

 私の身体が、成長していたのだ。
 拾虫の法により、成長しなくなったはずの身体。
 その身体が、確かに大きくなっていた。

「適応、かしら?」
「どこにでもな」
「えーと……とにかく、助かったの?!」

 妖怪の身体は、精神によって在り方が左右される。
 魂をボルトによって“加工”された私は、肉体に戻った時、精神に合わせて成長したようだ。

 前の服が着られなくなったので、ボルトの深い緑色のコートが被せられていた。
 私は肌を隠すために、それを羽織って立ち上がる。裸でいられる度胸はない。
 というかそれは、露出狂の変態だ。

「ボルト……これから、どうするの?」
「送り届ける」

 ボルトの言葉に、少女が指を鳴らす。
 すると、無限に広がる砂漠の空に、長方形の穴が生まれた。

「そこから行け」
「また……会える?」

 魔導書と、前の服のポケットに入れていた私物を拾う。
 あまり長く止まっていたら、迷惑を掛けてしまうだろう。
 漠然とだが、ここに居座ってはならないような、気がした。

 それでも、どうしても、これだけは聞いておきたかったのだ。

「ああ」
「そう……なら、信じるわ」

 長方形の穴に歩み寄り、最後にもう一度だけ振り向いた。
 これからきっと、ボルトはみんなの下に戻ったりはしないのだろう。
 彼はいつだって、新しい冒険を続けていたのだから。

「さようなら、また会いましょう――お父様!!」
「……ああ」

 本当に、滅多に見せてくれない、ボルトの笑顔。
 心から笑って見せてくれる、彼の“本当”を、私は受け取った。

 だから、私も、心の底から笑って……穴に、飛び込んだ。
 いつか彼に並び立てるよな、立派な魔法使いになるのだと、心に決めて――。













――A――



 上海と蓬莱が、揃って一礼をする。
 これにてお話は終わり。私と彼の、大切な思い出の一部だ。

「ふぅ……それで、幻想郷に来たのか?」
「いいえ、魔界に送り届けられたから、一度戻ってから幻想郷に来たの」

 私が成長していたのを見て、姉さんたちは驚いていた。
 でも神綺様はただ眼を細めて微笑み、私の一時的な帰還を歓迎してくれたのだ。
 あの深い緑色のコートは、今でも魔界の自室に保管してある。

 あの後、何度捜してもボルトたちの世界へ行く道は見つけられなかった。
 そんな道は、最初から存在していなかったように。

 すでに外は暗くなっていて、いつかのような三日月を浮かべていた。
 話し続けていたら、いつの間にか日が暮れていたようだ。
 そう考えると、なんだかお腹がすいてきた。

「夕飯、食べていくでしょう?」
「ああ、サンキュ。螺子以外で頼むぜ」
「ええ、わかったわ。螺子以外ね」

 ボルトは、機械の配線をパスタみたいに食べていたことがあった。
 チャックに、麦を食べてビールを出せないか頼まれていたとき、嫌がっているだけだったからできないこともないのだろう。確かに、出せて再生できてしまうのなら、普通の食べ物は食べたくないか。

「キャベツがあるわね。ロールキャベツでも作りましょうか」
「手伝うぜ」
「あら、ありがとう」

 上海が持ってきたエプロンを、魔理沙が身につける。
 彼女はこれで手際が良いから、一緒に作ってくれるとより美味しくなるのだ。
 気がついたら、少し和風な味付けがされていたりもするけれど。

「どうだった?」
「スケールが大きすぎて、どうにも夢心地だ」

 キッチンに並ぶと、私よりも頭一つ低い魔理沙の頭頂部が伺えた。
 あの当時、リベットやマックスにとって、私はこんな感じだったのだろうか。
 そう考えると、なんだか少し、感慨深くなる。

「だって、冒険屋?……が、創造主って言われてもなぁ」

 確かに、あんなにそこら中をぶらぶらと旅をしている創造神は、想像できない。
 事実私が聞く立場だったら、話半分に呑み込んでいただろう。

「そうねぇ……ああ、そうだ」
「アリス?」

 ボルトがいつも浮かべていた、あの笑み。
 そこにどんな秘密が隠されているのか分からない、不敵な笑み。

 それを思い浮かべて、精一杯真似してやる。

「――――信じるか信じないかは、あなたの自由よ」

 私の笑みを見て、魔理沙はきょとんと目を丸くする。
 だがその目もやがて楽しそうに細められていって、私なんかよりもずっと上手に、不敵に笑って見せた。

「そうか。それなら私は――――」

 その言葉に、その笑顔に、万感の想いを込めて。













――C――



 行けども行けども、砂漠のみ。
 太陽も月もない青空の下、無限に続く地平線。

 その中で、一組の男女がテーブルを囲んでいた。

 場にそぐわない、アンティーク調の白いテーブル。
 湯気の立つ紅茶が注がれたティーカップには、きめ細やかな装飾が施されている。
 テーブルの中心には、クッキーと螺子が並べられていた。

「ご苦労様。報酬は?」

 女が、口を開く。
 幼い声、だがそこに込められた力は、計り知れない。
 衆生をひれ伏せさせる、強大な威厳の込められた声だ。

「もう、もらった」

 対して、男の声は極めて“フラット”だ。
 何に対しても平坦に放たれる、自然体の声。
 だがそこには、無知では伺えない優しさがあった。

「“生命”の更新。それだけで良かったの?」
「ああ。更新は苦手でね」
「そう。満足したのなら、良かったわ」

 一つに結ばれた銀の髪を跳ねさせて、女はたおやかに笑う。
 引き込まれたら、もう戻って来られないと錯覚するような、慈愛の笑みだ。

「依頼は完遂した」
「あら?期限って、設けたかしら?」
「……」

 イタズラが成功した童女のように、女は口元に手を当てて笑い声を上げた。
 それに男は答えず、ぐっと黙り込む。

「“アリスちゃんを気に掛けて”……ほら、どこにも期限はないわ」
「……食えない女だ」

 誰を指した訳でもない言葉。
 アリスという少女を、気に掛けるという抽象的な依頼。

「あの子はいずれ、ここに来るわ。今はまだ、未熟だけれどもね」

 男は螺子を掴むと、立ち上がる。
 紅茶には手をつけていないが、それは彼女も承知していることだった。
 彼は、他人とは食生活が合わないのだから。

「さて」

 螺子を咥えて、立ち上がる。
 彼女が持っているはずのコートと“同じ”ものを、羽織って。

「仕事を始めるとするか」

 そうして、世界から男が消える。
 まるで始めから、そんな男など存在していなかったかのように。

「いってらっしゃい、ボルト・クランク」

 後には、なにも残らなかった。
 男も、女も、テーブルも、紅茶も。

 いや、テーブルがあった場所。
 その中心部に僅かに残っている物があった。

 鈍色に輝く、一本の螺子。
 砂漠の荒野に、彼の“食べ残し”が輝いていた――。














――了――
 世界一の冒険屋:ボルト・クランク
 種族:不明
 能力:ありとあらゆるものを食べて再生する程度の能力
 危険度:極低
 人間友好度:最高
 主な活動場所:どこでも




 後書き

 EAT-MANが好きで、東方が好きで、アリスが好きです。
 どうにかこれらの要素を放り込んだ小説が読みたかったのですが、見つからず。
 ならば自分で書けばいいじゃない、ということで書いてみました。
 ロバートは私の嫁。いや、全然出せませんでしたがw
I・B
作品情報
作品集:
1
投稿日時:
2011/04/01 01:47:50
更新日時:
2011/04/01 07:18:14
評価:
1/2
POINT:
17777
Rate:
1186.80
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2. 10000 名前が無い程度の能力 ■2011/04/01 22:54:55
うーむ、原作通りのシナリオにアリスがちょこんと居座ってるだけで、クロスオーバーさせた意味がほとんど無いような……しかもEAT-MANの本筋のネタバレしまくり……。
EAT-MANを題材にするなら本筋に関係無い依頼か、オリジナル依頼でやった方がよかったと思います。
アリスがボルトに食われて大人になったというアイディアは面白かったです。
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