- 分類
- 博麗霊夢
- 射命丸文
- あやれいむ
「いやぁ、今回も我ながら良い手際でしたね」
懐から扇子を取り出して、ぺちんと自分の額を弾いている『加害者』は、満足げにそうやってカラカラ笑った。
胡乱な目で見上げているこちらなど意にも返さず、堂々と視線を合わせたあとに、口角を綺麗に歪ませてくる。
妖怪の山から一里ほど離れた小山に突き出した、松の枝の上。
そこが今、霊夢が腰掛け、文が佇立している場所だった。
「人攫いっていうのは、あんたの上司の専売特許じゃなかったかしら」
「おや、博麗の巫女とあろうものがご存じない。古来より、秘境たる山中に入りし人の行方を眩ますは、天狗の仕業であるというのに」
「……山中どころか、縁側で茶を飲んでいただけのはずだけど」
「あそこは立派な秘境ですからねぇ」
「あん?」
「いやいや、これは失言」
肩をすくませて、大仰におどける。
芝居がかった仕草だった。
霊夢は深く嘆息した。
「そろそろ夕飯の支度に取り掛かろうかって時分に、いきなり連れてこられるのはいい迷惑だわ」
「しょうがないですよ。だって急に攫いたくなったんですから」
「そんな刹那的な理由で実行するな! あと何度目だと思ってるのよ」
「しかし霊夢さん。人攫いは天狗で言うと睡眠欲のようなものですよ。私に寝不足になれとおっしゃるんですか? 実にひどい」
どう考えてもひどいのはあんたでしょう、という言葉を投げつけても、このしたたかな鴉はどこ吹く風だった。
まあまあ霊夢さん、とまるで子供に対してするように宥めすかせようとする。
「だいたい人攫いが睡眠欲だっていうんなら、そこらの天狗はみんな寝不足でしょうに」
「そこはそれ、色々と代替品があるんですよ」
「だったらあんたもそっちで我慢しなさい」
「絵に描いた餅と、実物と、霊夢さんはどっちがお好きですか?」
「実物のほうがいいに決まってるじゃない」
「よく判ってらっしゃる」
「私が実物を貰うから、あんたは絵のほう持っていきなさい」
「あやややや、いつから山分けの話になったんですか?」
やはり芝居がかった様子で、文は驚いたように目を丸くする。
とりあえず付き合ってやるか、と霊夢はしっしっと猫の子を払うように手を振って応じた。
自分も加わっておいてなんだが、このやりとりすら全部ひっくるめて、ずいぶんとちゃちな茶番劇のようだ。
(まあ、茶番で当然でしょうね)
ただの時間稼ぎだから、無理もない、と霊夢は思う。
そう、時間稼ぎだ。
霊夢はそれを知っているし、それがもうすぐ不要になることも知っている。
やれやれ、と息をついているうちに、その『もうすぐ』が来たようだった。
不意に、文が顔をあげた。
前方の妖怪の山を、目を細めて眺めやる。
霊夢も倣ってそちらに顔を向けた。
太陽が、山の向こうに沈もうとしていた。
あかがね色に染まった山の端に、眩しい光を放つ半球が溶けてゆく。
山の淵は暗く澱んで、薄墨色の夜に駆逐される空模様の中で、ただ光線の周囲だけが、紅く紅く、賑やかな昼の名残を惜しんでいた。
そしてそれも、終わり始める。
まばゆい紅はオレンジに変わり、紫に転じて、ゆっくりと熱量を霧散させていった。
一日の終焉。
ほぅ、と息を漏らし、霊夢は思う。
――『写真で見た通り』、綺麗な光景だ、と。
朝に夕にと、新聞を『無償提供』という名の『不法投棄』に訪れていたブン屋が、撮り溜めた写真をついでとばかりに披露し始めたのは約半年前からだ。
最初はただの雑談から派生した『話の種』だった気がする。
(どうせなら、お見せしましょうか)
そんな文の言葉から溢れてきたのは、色とりどりの写真たち。
――紅葉の人里。
――ゆったりとティータイムを楽しむ紅魔館の面々。
――闇を湛える地底の洞。
様々な場所や場面を切り取ったそれらを、しげしげと霊夢は眺めた。ずいぶんとたくさんあるわねぇ、と感心しながら写真に目を通す。
そうやっていくつもの写真の上を漂っていた目が、とある一点で停止した。
――朝日で白銀に輝く湖面。
それに目を奪われた時の気持ちは、今でもよく覚えている。
綺麗だった。
一度、自分の目で見てみたい。
心の底からそう思った。
もともと喜怒哀楽ははっきりしているほうだから、表情に出ていたのだろう。
翌々週の朝、目が覚めた霊夢がいたのは、湖畔の砂の上だった。
太陽が姿を消したあとも、しばらく沈黙を保っていたふたりだが、
「さって、日が沈んだことですし、神社にお送りしましょう」
文がさくりと切り出した。
「送り届けてくれるなんて、変わった人攫いね」
「ぐっすり眠って、元気はつらつですからね! 今の私は寛容です」
「あっそ」
「安全運転でお届けしますよ」
そう言ったあと、文は行きもそうしたように、霊夢を抱えて宙を舞った。
驚くほどのスピードで、博麗神社を目掛けて翔けてゆく。
突然の加速に、身体が一瞬ひるんだが、すぐに馴染んで落ち着いた。人外の速度のはずなのに、不思議と身体に負担はない。風を操っているせいだろうか。
強いて言うならば、抱きかかえられている状態だから、心情的な居心地は悪いのだが。
まあ、それも若干の辛抱だろう。神社までの道のりは遠くないから、数分ほどで着くはずだ。
その数分ほどを持て余し、霊夢は頭上の横顔を見上げた。
楽しそうに笑っている彼女に、もう芝居がかった雰囲気はない。
「ねえ、文」
「なんでしょう?」
「攫った先が、あの松だった理由は?」
「特にありません。風の向くまま、気の向くまま。私らしいでしょう?」
「そう」
「ええ」
少しの間、風の音だけが周囲を支配した。
「ねえ、文」
「なんでしょう?」
「ひとつ言うけど、」
ふと、言い澱む。
口の端まで取り出した台詞は、胸に戻して、ころころと転がした。
文と霊夢の関係。
人攫いの加害者と被害者。
この状態を終わらせるのは簡単だ。たった一言こう言えばいい。
『もう写真は持ってこなくていいわよ』
それだけで、しまいのはずだ。
ふたりの関係は半年前の状態に立ち戻る。
それでも別にかまわない気もするのだが、なんとはなしに、もう一度、文の横顔を盗み見る。
彼女の横顔。
緩んだ目元と、緩んだ口元。
(…………ま、そのうち飽きるでしょう)
霊夢は嘆息して、変わりに別の言葉を提示した。
「夕飯の支度、あんたも手伝いなさいよね」
あがった悲鳴は、もちろんすまし顔で黙殺した。
-終-
- 作品情報
- 作品集:
- 1
- 投稿日時:
- 2011/04/01 01:00:02
- 更新日時:
- 2011/04/01 01:00:02
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