書きかけを五作

作品集: 1 投稿日時: 2011/04/01 00:44:16 更新日時: 2011/04/01 00:44:16 評価: 0/2 POINT: 2110 Rate: 142.33

 

分類
フランちゃん
 今日は宴会だ、いや今日も宴会と言った方が良いだろう。霊夢はここ一週間ほど明りと騒ぎ声が消えない神社で一人溜息を吐いた。
 きっかけは単純なもので、霊夢の友人である霧雨マリサが誕生日を迎えた。それを祝おうと関わりの有る妖怪や人間を集めたのだが……霧雨マリサという人間を少し舐めていたらしい、元々声をかけた奴らでも多かったのだが、噂を聞きつけた霊夢も知らない人々まで集まりだし会場である神社は人妖が入り乱れ大宴会となったのだ。その場は日本酒、ワインにウイスキー古今東西様々な種類のお酒が乱れ飲まれ、もうある種の異変となっていた。
 しかし一週間と経つと流石に人は減っていき、今はお酒に強い妖怪共しか残ってはいない、ちなみにマリサは主賓なので即行で潰されており霊夢の寝室にて倒れ寝ている。つまり人間で生き残っているのは霊夢、唯一人であった。
 周りを見渡す、鬼は天狗と河童を相手取り日本酒を飲みながら相撲をしているし、吸血鬼は寝ている従者の股間にワインを垂らしながら大笑いしている、何かが壊れていた。落ち着いて飲んでいる妖怪も居るが、例えば隙間と幽霊は二人桜の木の下で扇子を片手にうふふと笑っている、桜の花びらが舞いとても雅である。ただ今は秋だ、それに神社に桜の木は無い、またスキマか。
 神社から出て外へと歩く、そこかしらに妖怪が幸せそうな或いは死にそうな顔で倒れている、そんな妖怪たちを霊夢は邪魔だと言わんばかりに踏み歩いた、もう嫌だ。
 一人、階段に腰をかける。空は煌びやかな星と月が浮かびとても綺麗で……後ろから聞こえる下品な叫び声さえなければなと思った、その時だった。
 
「――少し臭いますねえ」

「えっ」

 急に後ろからかけられた声にびくりとし振向く。さとりであった。他人の心を読む妖怪、忌み嫌われ地下へと追いやられた妖怪。そういえばこいつも来ていたなと考えて、瞬間さとりに言われた言葉を理解し顔を染めた。

「……そんなに臭う?」

 巫女装束の胸の部分を少し引き隙間に鼻を近づける、確かに汗臭かった。しかし当然であった、実は霊夢はこの一週間お風呂に入っていない。普段からそこまでお風呂に入らず濡れた手ぬぐいで体を清めることが多い、しかも宴会で忙しかったことも有りそれすらしなかった霊夢の体は普段の優しい爽やかな臭いは微塵もなく、今は博麗霊夢自身の本質的な臭いをさらけ出していた。
「……ええ、正直に言いますととても臭いです。もしかして霊夢さん腋臭ですか?」

「なっ、なんてこと言うのよっ!! そこまで臭くないもん!! ……多分」

 霊夢とて恥を知る乙女である、余り知らない相手とはいえ、いや知らない相手だからこそ臭いとしかも腋臭だと指摘されたことがショックであった。そういえば昔にマリサから『霊夢は独特の臭いがするなあ』と言われたのを思い出し、少し泣きたくなった。

「くすくす、冗談ですよ。あっ、霊夢さんが臭いというのは本当ですよ。腋臭は嘘です、多分。……マリサさんもそんなに深い意味で言った訳では無いと思いますよ、これは本当」

「ううぅ、やっぱり臭いんだ……。どうしよう」

 霊夢は悩んだ、時間である。今はもう月が昇る刻、何時も借りているお風呂屋さんは閉まっており使えない。手ぬぐいで拭くという選択肢はさとりに臭い臭いと連呼されているので消えている。最悪、湖にでも入って垢を落とすか……。としょげた霊夢にさとりは最高の笑顔で話し始めた。

「ええ、ええ。安心して下さい、霊夢さん。地下に来てくれれば良いのです、地霊殿には温泉が湧いてましてね、これが何と美肌効果に肩こり腰痛、何でもござれなんですよ。……しかもですよ、うふふ。聞いて驚くなかれ、体にフローラルな匂いを染み付けてくれるんです。凄いでしょう、完璧でしょう、さあ行きましょう、さっさと行きましょう」

 さとりは慌てる霊夢の返事も聞かず、手を握り空へと飛び立った。


 地下、幻想郷の暗い闇。嫌われ者達の住処、そんな所に温泉が湧くというのはどういった趣向なんでしょうね、とさとりは霊夢に聞かせる訳でも無く言いながらもしっかりと手を握る。
 さとりの住んでいる地霊殿を少し過ぎた所に温泉は有るらしく、大きな看板でこの先スグと書いてあり霊夢は少し驚いた。霊夢の想像では地下にある温泉=人気のない所に有りこじんまりしていると思っていたのだ。

「そんなことは無いですよ。地下は娯楽が少ないですからね、折角ある温泉は活用しなければと思い立ちまして、ペット達で色々としましたら……何と地下の一大人気スポットとなった訳です」
 さとりの説明に霊夢は下を向く、何やら体も震えている。何か今の説明で恐怖を覚える事でもあっただろうかと、さとりは霊夢を視た。
 ああ、なるほど。とさとりは心の中で納得して……笑みを浮かべた。

「どうかされましたか、霊夢さん? ……ちなみに今はこんな時間なのでお客は誰も居ないんですけどねえ。後、私は少し用事がありますので地霊殿に寄ってから温泉に向かいます。なので……悪いのですが霊夢さんには一人で行って貰う事になるんですが、よろしいですか?」

 えっ、と驚いた顔をし、直ぐに何故か嬉しそうに表情を崩す霊夢。手を横にばたばたと振る。

「そ、そうなんだ。す、少し寂しいけどそれならしょうがないよね。……わかった、一人で行くわ。用事何だから仕方ないわよね。あっ、えーと、その用事はどのくらいかかるのかしら?」

「はぁ、まあ最低でも一時間はかかるかと思います」

「そっか、うん。わかった、大丈夫」

「何がですか?」

「な、なんでもないわよ。は、はやく行きなさいよ。私は一人で楽しんでくるから」

「うふふ、そうですね。では……場所は看板に従えば迷いはしませんから。では後ほど」

「はいはい、じゃあね」

 さとりと別れ看板に沿って歩いていた霊夢は程なくして目的地に到着した。人気スポットだけ有り綺麗に整備されたその場所はちょっとした高級温泉宿を思わせる外見で美しい。霊夢が明りの消えた正面玄関に立つとガチャリと音がして勝手に扉が開いた。

「へえ、凄いわねえ。警備とか大丈夫なのかしら?」

 普段は鍵が有りちゃんと閉まっているが、さとりの命令でペットの猫が先に来て扉を開けていたのである、そう先に来ていたのだ。
 そんな事は露知らず霊夢は感心しながら中へと進む。入ると受付のホールがあり、さらに進むと『女湯入口』という暖簾が見えた、男湯は無い。
 暖簾を



『ゆうれいゆかりきこう』

 八雲紫は冬に眠る。
 いわゆる冬眠というものだ。
 境界を操る、その強大な能力を結界の修復やらに日々フル活用している為、体を休めているのである。
 冬眠している間は休ませている体に護符を貼り、体を生贄に結界を存続させている。
 その護符の効力は多大な物があるのだが何分と体が痛い、激痛である。
 体を休める為に寝ているのに体が痛むのでは意味が無いのでは? 式である八雲藍はそう尋ねたかったが、妖怪にとって身体的なダメージは死をもたらすものではない事を知っていたので何も言わなかった。
 

 紫は思っていた。
 死にはしないが痛いものは痛い。
 痛いけど寝ているので起き上がることも出来ない、これは拷問である。
 どうにか痛みを軽減できないかと少し考える。
 護符が貼られているのは、おでことお腹で合計二枚。
 今まで何も考えずにこの場所達に貼ってきたので今回も余り考えずに貼ったが……よくよく思えばそれは浅はかでは無かったか。
 もしかしたらだが、腕や足にしていたらもう少しましな結果になっていたのではないだろうか。
……しかしもう遅い話で、今更に変更することは出来ない。
体は動かせないし声は出せないのだ。
起きた時に寝ぞうと寝言が忙しなかったと藍に言われたら恥ずかしい。
頭が痛む、おでこに貼られた符からは絶え間ない痛みが流され続けている。
何時もなら寝ている筈だったが、今回は頭を使いすぎたのか寝ることも出来なかった。
なので考える。
八雲紫、妖怪の中では賢者と崇められるほどの大妖怪である。
少し考えれば、並みの者では考えつかない様な方法を思いつく筈である。
 で、思いついた。
 体と精神を切り離せば良いのではなかろうか。
 能力は来春の為に温存しとかなければならないが一度の使用くらいなら別に構わないだろう。
 早速と紫は境界を操り己の体を分断した。

「……幽霊ってこんなかんじなのかしらねぇ、体が軽くなった気がするわ」

 浮いているという表現が当てはまるだろう、普段飛んでいる時には重力を感じ下に下にと引っ張られる感触が有ったのだが……今は違った。ふわりふわりと風に流されるような、漂う雲にでもなった様な気持ち良さが有るのだ。

「なるほど、幽々子の気持ちが解らなくもない。これは気持ち良い、けれど少し怖くなるわね」

 何物にも縛られない自由と同時に誰かに手を掴んでいて欲しい恐怖感を覚える。
 何処かへ縛り付けておいて貰わなければいつの間にか川の岸へと引っ張られそうであった。
 そんな事はさておきと、下で横になっている自分の体を見る。
 体には今でも痛みを感じているだろうが、それを覚える精神は既に離れているのだ。

「可哀想な私の体。待っていてね……来年の春には迎えに来るわ、それまで私は精神修行してくるから」

 とりあえず何処かで休もう。



 紫が向かったのは友人の幽霊でも娘のように可愛がっている巫女の所でも無く、嫌われ者達が住む地面の下であった。
 普段、幻想郷の創始者にして他に莫大な影響力のある紫は、決まりを自ら破っては周りのものに示しがつかないと完璧に守ってきた。
 それは地下の町に入らないも含まれていたが……そう含まれていたのだが、今は幽体であり妖力のほとんどは体に張り付けて来た、そうしないと生贄の意味が無くなるからだ。
 それにより、姿さえ変えれば……この通り、何処の誰かも解らぬただの幽霊へと成り下がるのである。

「まあ、掟破りには変らないのでしょうけど……偶には温泉でのんびりしたいわよ、私だって」
 
 紫は我慢をしてきた、そして又と無い機会が現れた。それならば仕方のない事である。
 


 地下のお世辞にも繁栄しているとは言えない寂れた旧都。
 日本家屋が建ち並ぶ景色をふわふわとした足取りで過ぎ去って行く。
 周りにはゾンビやら今ではお仲間である幽霊等が居るので、目立つ事は無かった。
 ふよふよとしていたら、茶屋が一つ目に留まる。
 看板の下にはデカデカと『地獄名物 温泉卵あります!』と書いてあった。
 目的の温泉の前に少しお腹を膨らますのも良いかもしれない、紫は茶屋の中に並べられている椅子の一つに腰を落ち着かせると、店の奥に居るであろう店員を呼んだ。

「誰か居ないかしらー、お茶と温泉卵を持ってきて頂戴」

「はーい」

 奥の方から返事が聞こえたので安心して待つ。
 ……待つ。
 待つ、待つ、待つ。
 待つ事、一時間。一向に現れない地獄名物。
 そろそろ何かおかしいのではないだろうかと疑問に思い、もう一度声をかける。

「先の注文はまだかしらー」

「はーい」

 店員は居るらしい、安心して待つ。
 ……待つ。
 待つ、待つ、待つ。
 待つ事さらに一時間、紫は自分の気の長さに感動を覚えたので、このまま待ってみる事にした。時間はまだまだ有るのだ。
 一人瞑想する、紫以外誰も居ない寂れた茶屋の空間が一つの宇宙へと姿を変貌させる。
紫は無想の境地に達しようとした、その時。
大きな声がそれを遮った。

「邪魔するよー」

 入ってきたのは赤髪の人猫。
紫の式の式である橙と種類は似ているが雰囲気は違った。
紫の視線を気にする風も無く、そのまま奥の方へと消えていき――怒声が鳴り響いた。

「ア、アンタ、何で寝てるのさっ!! え、え? お客さんが来ないから暇だった? 今そこでアタイ見たんだけど、椅子に座ってるお客さん見たんだけどっ! あーもーだから嫌だったんだアンタに店番させるのっ、さとり様はホントに人、いや妖怪が悪いよ全く。……こんな事してる場合じゃなかった、早くお茶出さなきゃ、何注文されたか覚えてる、訳ないよね。はぁ、溜息しか出ないよ……何よその目はっ、アンタが悪いんだからねっ……しょうがないから今回はアタイが謝ってくるけど、もう今回だけだからね、ふぅ。泣かないの、アタイに謝られても意味無いでしょ。良いから、後は何とかしてくるから顔を洗って来な、可愛い顔が台無しじゃないのさ……いいから、ほれっ、さっさと行け……はぁ」

 奥から聞こえてくる慌しい会話、どうやら店員は寝ていたらしい。
 少し腹立だしくもあったが泣いているのならしょうがない。

「……あの、お客さん? 実は、その、店員がですね、あの……た、体調が悪くてですね、注文を、えーと――」

「――お茶と温泉卵を下さいな」

「えっ? は、はいな。ありがとうございますっ、最高のものを最速で持ってきますよっ」

 怒鳴られる事くらいは考えていたのだろう、脅えた表情がびっくりした顔に変わり、それからぱぁっと明るくなった。
 ころころと変わる表情を見て紫も顔が緩んだ。なので円滑な幽霊関係を築く為にささやかな会話を楽しむステップを踏む。

「それと、貴方の名前を教えてくれないかしら?」

 猫は好きなのだ、名前で呼びたくもなる。

「へ? はぁアタイは火焔猫 燐だけど……失礼、お前さん幽霊だよね? 一応ここの怨霊管理を任せられてるアタイを知らないってのは……まさかとは思うが地上の幽霊か?」

 一歩目からしくじったかと紫が思い、言い訳しようとした瞬間。燐はにぱーと笑い、

「まぁまぁ、そんなのはどうでも良い事さね。直ぐに注文の品持って来ますんで、もう少々お待ちをー」

 何故か機嫌よく耳をぴょこぴょこさせながら奥へと行ってしまった。
 はて、何か機嫌が良くなる事でもいったかしら? 何て事を思いながらも紫は察していた。
 先ほど言っていた仕事である怨霊管理、つまりは自分のことも管理する心算だろう、ノルマが有るか知らないが仕事の足しになると踏んでいるのだろうか。
 今は大した妖力も無いが紫はにはこれまで生きた経験がある、まあ最悪逃げることには自信があるので深く考えるのを止めた。
 それより今は温泉卵である。
 二時間、いや、瞑想している時間もあったのでそれ以上の時を待ってして得られる至福の卵。
待てば待つほど恋しく、そして美味しくなるのが食べ物。
今、紫の体は温泉卵を迎え入れるだけの器に成ろうとしていた。
紫が卵入れになろうとしていたその時、奥から燐がお盆を携えて歩いてきた。

「お待たせいたしましたー、こちらがお茶でございます。湯呑が熱くなってますのでお気を付け下さいね……そしてっ、こちらが地獄名物温泉卵でございます!」

 現れたのは待ち望んだ卵。器に映えるは黄金の黄身、溢れだしたる白身よ、葱よ、黒く染めるは出汁醤油。
 完璧である、完璧な見た目のそれは、まさに恋い焦がれた温泉卵であった。
 燐と目が合う、どちらともなく頷き、紫にその神の所業が手渡される。
 机に置き、一つ溜息。
 目を閉じ、もう一度息を吐く。
 そっと肩を叩かれ目を開けると、机には木製のスプーンが……何も考えられず手を伸ばす、触れる、感じる、スプーンの質量を感じる、震える。手の震え止まらず、だが意を決してスプーンで狙いを定める、出来ない。カタカタと照準が逸れるそれは、まるで初めての戦争で銃を手にした兵士の様で……いやこれは戦争なのだ、紫と卵の二人ぼっちの大戦争なのだ。
 そういえば、と紫は思いだす。
 あれは何時だったか、昔まだ若かった頃、紫は月と戦争をした。
『月面戦争』幻想郷に住む荒くれ者達を率いて攻め込んだのだ、あの頃は何でも出来ると思っていた。……だが結果は惨敗、酷く手痛くやられたあの戦争、今それを思い出して、紫は、

「今はあの頃とは違う、負ける怖さを知った、負けた屈辱で泣いた、だが負けて得る物があった。……だから、私は――」
 
 もう、迷いは無かった。
 スプーンを握りなおす。
もう震えは止まっている。

燐からの悲哀な視線を、むしろ心地の良いものに感じながら紫はとうとう卵をすくった。
ぷるんとした感触がスプーンから伝わる、多く取り過ぎたのか皿状の部分から白身が溢れて零れ落ちそうになるが、それを許すほど紫は優しくは無い。上手くバランスを取り、それと同時に出汁醤油と絡ませ、葱も取り過ぎない様に少なすぎない様にと調整する。
その身のこなしはまさに歴戦の勇者、伝説の剣を容易く扱い、そして遂に……あーんと開けた口の中へと運びこまれていく。
 ぷるんと、舌の上で何かがはじけた。

「……美味しい」

 ただ一言、ただ一言だけそう呟いた。
 それ以上の言葉は必要なのだろうか、いや無い、出来ない。
 紫がいくら万の言葉、億の詩を歌ったとしても納得することは無い、断言できた。
 だから、今できることは、

「燐さん、ありがとう。本当に、本当に美味しかったわ」

 店員さんに御礼を述べる事だけだった。
 お客に喜ばれて嬉しくない店員は居ない、が燐は何処か複雑そうな表情をして言った。

「……いや、喜んで貰えて非常に嬉しいんですが、えーと、うーん。……実は作っているのがですね、あの、先ほど体調が悪いと言った、お客さんに失礼な事した奴でして。そ、それで、これはそいつが腕によりをかけて作った温泉卵でして……あ、あの出来ればで良いんですが、そいつが謝りたいと言ってまして――」

 瞬間、紫の眼が光る。

「連れて来なさい」

「は、はいっ!」

 普通の幽霊の筈なのに何故か威厳、プレッシャーがある紫に正直ビビりながら燐はすたこらさっさと奥へと走る。

「おくうーっ! お客さんがお呼びだよっ。……何してるの? はぁ? 今更怖いとか何言ってんだい、……い、良い幽霊さんだよ、多分。み、見てたの? 大丈夫だから、うん、大丈夫な気がするから。早く行っておくれ、アタイはここで待っとくからね……い、いやじゃ無いっ、さっさと行くの、ほらっ!」
 
 紫の耳にドンと何かが蹴られる音がしたかと思うと目の前に泣き腫らした眼をした女の子が慌てた表情をしながらつっ立って居た。
 
「じー」
 
 紫は観察した。
 女の子、そう言い現わしたのはその幼い表情の為だった。
 立ち姿だけ見れば中々の長身でスタイルも良い、腕や脚は細く胸やお尻は出ている。理想の体型だと言えるだろう、だがそれを持ってしても幼く見させているのが今の表情という訳であった。
 女の子は紫に見られてどうしたらいいか解らないのか、奥の隙間から覗いている燐に助けての眼差しを送り無視されて、また涙が溢れだしそうになった時、紫が声を発した。

「ねえ、名前を教えて下さるかしら?」
 
 一介の幽霊には出せそうもない雰囲気を醸し出し、優美な声で紫が尋ねる。手にはいつの間にか扇子が握られていた。
 
「わ、私は、おくう。い、いえ霊烏路 空、です」

 空のたどたどしい自己紹介に紫も返した。

「そう、良い名前ね。私は、やく……いえ、ハーン、マエリベリー・ハーンと言いますの。よろしくね、おくうさん」

 友好的な気配を動物的勘で感じ取ったのか、空は少し表情が和らいだが、自分が何をしに来たのかを思いだし真面目な顔になると一気に頭を下げた。

「ごめんなさいー、……実はお燐が言ってた体調不良は、う、嘘だったんです。そ、その私余り頭が良くないって言うか、物忘れが激しいというか、ハーンさんが注文した事をすっかり忘れちゃって、そのまま寝ちゃってて。あ、あの、それで……やっぱりごめんなさいー」
 
 そしてもう一度大きく頭を下げる。
 お腹とくっつきそうなほど下げた空の頭を……紫は撫でた。

「そんな些細な事は何も気にしてはいないわよ、頭を上げなさいな。私が空さんを呼んで貰ったのは……御礼を言いたかったからなの、美味しい温泉卵を食べさせてくれてありがとう、とね」
 
 あっと声を出し、空は顔を上げた。
 釈然としない表情を隠しもせずに紫を見つめるその目は何処か不安そうで、迷子になった幼子のそれを彷彿とさせた。
 誰かが助けの手を差し伸べなければ、永遠と道に迷ってしまいそうなそんな子供に、紫はただ優しく微笑み、微かに震えるその唇に指をそっと触れさせた。
 十秒くらいだろうか、空にはもっと長く感じられたかもしれない、そんな時間が過ぎ紫は指を離す。
  
「ほら、もう大丈夫。……落ち着いたでしょう」

「あ、ありがとうございます……。い、いえ、すいませ――」

「謝らないの」

「ご、ごめんなさ――あ、いえ、その、えーと……そ、そうだ、あの――」

 また謝ろうとしてしまい紫にジト目で見られ、あたふたと焦り何か思いついたのか話を切り出そうとする空を差しおいて、紫は長居し過ぎたかと溜息を吐いた。
何か余計な気を使わせそうな気がすると考え、紫がもう一度お礼を言って店を出ようかしらと椅子から立ち上がろうとすると、店の奥から燐が飛び出してきた。

「ちょ、ちょっと待った、お客さんっ!」

 もじもじと何か言いたそうな空、よっこらしょと椅子からお尻が浮きかけている紫、待っておくれと扉に回り込む燐。
無言で硬直した時間が経ち、微妙な空気が店内を包み、三人で顔を見合わせて笑った。


ひとしきり笑い終えた後、とりあえず話を聞こうと紫は席に座りなおし、それを見た燐と空も机を挟んだ椅子にちょこんと座る。
先の間抜けな事があってか緊張の解けた様子の二人がこそこそと『にゃー』やら『うにゅう』としか紫には聞こえない会話を始めた、何やら内緒の相談事であるらしい。両手を上げて『にゃーにゃー』首を振りながら『うにゅにゅん』見た目は白熱とした話し合いだが目を閉じれば何とも可愛らしいものか、紫は椅子の背にもたれかかり癒しの歌に耳を傾ける。帰ったら藍と橙の式を外して同じ事でもさせてみよう、紫が動物の森を創る決意を固めていると、どうやら二人の秘密の相談が終わったようだ。
 二人は一度顔を見合わせて頷き合い同時に言った。

「「今日、家に遊びに来てくださいっ!!」」

 紫は考えた、今の時間は幽体になって約八時間程度過ぎている、特に制限も無いのだが不安も有る、何しろ余り考えずに適当に施した術式で体から抜け出したのだから。なので夜に一度体のチェックをする為に帰ろうと思っていた。今から家にお呼ばれしたら多分帰れないだろう……と一瞬でそこまで思考をまとめ、今回は断ろうと言葉を紡ぐ。

「ごめんなさいね、今日は帰ってしなけれ――」

「家にある温泉はとっても気持ちいいんですよお」

「――行くわ」

「……そ、そうですか。良かったです。ね? おくう」

「うんっ!」

紫は忘れていた、自分が何をする為に此処まで来たのかという事を。
そうだ、温泉だったのだ。日頃の疲れを癒す旅に出ていた筈だったのだ。
思いださせてくれた二人に感謝の意を心の中で表わし、家で眠っている相方に別れを告げる。『また、明日』と。
閉店の作業が有るので先に行って下さいと言う燐を店に残し、空に連れられて来たのは


 
『棺桶の中にいる』


 棺桶の中にいる。
 いや棺桶が中にいる。
 ……棺桶と中にいる?
 いや、棺桶と共にいる。
 まあ何でも良い、今私は棺桶だった。
 事の発端は一時間前、夕食の時だった。
 何を隠そう私は人参が大嫌いであり、むしろ憎んでいる。
 そんな奴がサラダとして出て来た日には驚きを通り越し笑いが出たものだ。
 どうにか惨劇を回避できないかと考える。
 壊す事も思いついたのだが咲夜が腕によりをかけて作ってくれたご飯を無下に扱うのもどうかと思う。
 どうしたもんやらと溜息を吐いたら口から蝙蝠が出てきた。
 そうだ、と思い付く。
 こいつに食べさせよう。
 嫌がる蝙蝠の口に人参を突っ込み自身にそれを戻す。
 蝙蝠=私。
 人参は私に吸収された。
 つまり人参は敵じゃ無かった訳だ。
 何とかなるものだなと考えメインのカレーにスプーンを伸ばそうとした時に気付いた。
 指が人参になっている。
 指が人参になっている。
 指が、人参に、なっている。
 結構自慢だったちっこくて綺麗な指がオレンジ色した先細り野郎になっていた。
 取りあえず被害を受けたのは右手の指だけのようだ。
 左手は無事。
 どうしてこんなことになったんだろう。
 ……多分蝙蝠が人参を消化する前に戻したからかな。
 もう一度右手を見る。
 指が……人参か。
 将来的にはそれを治す手段が見つかるかもしれない。
 前向きに考えるとして左手はどうしようか?
 とんがるコーン。
 とんがるコーンにしようか……。
 もう一度口から蝙蝠を出し、お菓子に取っておいたコーンを与えてから体に戻す。
 どうだ、と左手を見るが元のままだった。
 まさか、と靴下を脱いで足を見るが変わり映えせず。
 どういう事だと考えて嫌な予感がした。
 さっきから口の中がしょっぱい。
 口に手を入れ歯を触るととんがるコーンだった。
 歯が歯の役目を果たさない歯になった。
 食べ物は止めよう。
 少し考え方の幅が狭まっていたようだ。
 部屋を見渡す。
 机、椅子、本、箪笥、棺桶。
 
 ……まあつまりはそういう事である。
 一時間程前の私は何を思ったか体を棺桶にしようと思ったのだ。
 で、結果見事に棺桶になることに成功した。
 今私がどんな状態であるかというと。
 まず顔は無い、棺桶の中に有る。つまり何も見えない。
 次に腕は有る、人参もまだ存在している。
 まだ足は無い、何故か無い。
 でも羽は有る、飛べる。
 つまり見た目の八割は棺桶だった。
 棺桶として一生を過ごす事も一つの人生なのかもしれない。
 

 
 棺桶として生きていくのも慣れてきたある日。
 



『無題』

 偶に友人から言われる『フランドールはこんな所で篭っていて良いのか?』という言葉には正直飽き飽きしている。
 495年、人にしてみれば長い長い期間、時間、年月であろうが吸血鬼にしてみれば……まあ長い事は長いが今後続いて行く人生に置き換えれば一瞬である。
 確かに好き好んで地下に居る訳ではない、しかし噂になっているように姉に監禁されている訳でもないのだ。
 簡単に言えば『風習』である。習わし、先祖代々とかである。
 事実、姉も495歳までは地下に篭っていたのだ。父も母もである。
 幻想郷に来た時も私と姉は仲良く地下でお茶をしていた。外で色々とごちゃごちゃしていたのは両親だった。
 そんな二人も姉が上に行ったと同時に引退して、今は私の部屋である地下室の更に地下で篭っていて出てくる気配は無い。
 先に習わし等と言ったが、スカーレット家の者達は基本的に引き籠り体質なのかもしれない。
 例外は姉だけであった。
 姉は外に出られる年になると、家で篭る時間が減った。
 友人も増えて、悪い遊びも知り、何か事件も犯したようだ。
 この前には、警察らしき人間達が姉を逮捕しようと家まで来たものである。
 危うく私まで捕まりそうになった、似ているからだろうか?
 その後、色々とお話した結果、今では友人と呼べるような類のものになった気がする。誘ってくるのは何時も悪い遊びばかりだが……。
 基本的に地下で生活するというのが普通だった為に、設備は案外と充実している。
 一番に肝心なのはやはり娯楽施設であろう。昔は図書館しか無かった我が家であるが、瀟洒で従者な看板娘が喫茶店、


『無題』

 不思議そうな顔をしてくれるなよ、人間。
 とは思うがそれはそれで難しい事だというのは解っている。
 何せ此処は地下の地下の更に地下。
 人間にとっては未知なる世界だろう。
 陽は無く日は無く火は無く灯は無い。
 ただ秘は有る。
 非は非ず。
 ひっひっひ。
 ……まあそんな事はさて置きと目の前に居る人間を見る。
 先ほど上から降ってきた彼女、名前はまだ無い。
 知らないので聞いていないし、聞いていないから知らない。
 見た目は少女、女の子。
 髪は私と同じ金の髪、長さは長い髪。
 黒い大きな帽子を頭に被せている。
 服も大半が黒くて残りは白い。
 そんな人間だ。
 じろじろと見られているのが解ったのだろうか
 向こうもこちらを覗いている。
 見やすいように立ち上がってみると驚いたのか二歩下がった。
 一歩踏み出す。
 二歩下がる。
 二歩踏み出す。
 三歩下がる。
 五歩踏み出す。
 下がれない、後ろは壁だ。
 ひっひっひ。
 笑ってみる。
 眼で眼を見ながら笑ってみる。
 ひっひっひ。
 私だけ笑った。
 女の子は難しそうな顔をしている。
 
 取りあえずどうしたものかと考える。
 これからの予定は特に無い。
 朝食でも食べようか。
 机にはワインとパン。
 特に合う訳でも無いが特に味に煩い訳でも無い。
 お腹が膨れれば何でもいいのだ。
 パンを一口大に千切り口に運ぶ。
 中にはカレー、カレーパンだった。
 ふと視界をずらすと、まだ少女は居た。
 金髪の女の子だ。
 何をしているのかと見れば、足をもじもじとさせている。
 顔が紅い、少し汗も掻いている様だ。
 ワインが入ったグラスを差し出してみると
 首をふるふると振った。
 要らないらしい。
 要らないなら飲もう。
 ぐびぐび。
 美味しい。
 ぐびぐび。
 美味い。
 ぐびぐび。
 美味。
 ごちそうさまでしたと手を合わせると
 机に有ったお皿やグラスが消えた。
 瀟洒で役者な従者が片づけてくれたのだろう。
 女の子を見るとさっぱりとした顔をしていた。
 やっぱり咲夜は凄いな。
 
 しかしする事が無い。
 ベッドに寝転び天井を見る。
 
さっぱり
arca
http://twitter.com/torah_3
作品情報
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2011/04/01 00:44:16
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