超大作を書こうとした残骸たち

作品集: 1 投稿日時: 2011/04/01 00:17:09 更新日時: 2011/04/01 00:17:09 評価: 2/6 POINT: 2031108 Rate: 58032.37

 

分類
秘封倶楽部
蓮子
メリー
八雲藍
 部屋に入ると、ピリリと張り詰めた空気が肌を刺激した。
 暖炉には赤い炎が揺れている。ぼんやりと赤く照った火が、薄暗い室内をぼんやりとあいまいに照らし出している。じりじりと静かに燃える暖炉の火をちらと見やったメリーは、思わずその場で踵を返したい衝動に駆られた。

 男の私室に足を踏み入れることが出来る人間は限られている。部屋の内部には所狭しと豪華な調度品が並べられ、部屋の中心には小さなテーブルが据え置かれているものの、重く滞留する空気はこの部屋の外見にふさわしいものではない。
昼間だと言うのにブラインドを閉ざし、一切の日光を遮った部屋は薄暗く、この部屋に滞留する空気そのものを腐らせている気がした。

「少し、背が伸びたんじゃないか。マエリベリー」

 しわがれた声が発して、メリーは遊離しかけていた意識を元に戻した。
 マエリベリー、という耳慣れない言葉に、そう言えばそれが自分の本名だったなと思い出したメリーは、背広の男が着席を促すのも無視して、部屋の奥に鎮座する人影を注視した。

「……なぜ、突然呼び出されたのです?」

 かつては自分そのものであったはずの異国の言葉は、久方ぶりに発音してみるとひどく奇妙な響きに感じられた。
発音がおかしかったのか、それとも心の中の動揺を早くも気取ったのか。ティーカップを傾けて本を読んでいた老人が失笑した。

「なぜ、とはな」男が失笑すると、その顔が奇妙に歪む。

「祖父が可愛い孫娘を愛でるのは当然じゃないのかね?」

 そう言って本から視線を上げた老人は、落ち窪んだ眼窩の奥に笑みを湛えた。
 七十を越えているはずの老人の実年齢からすれば、皺も少ないその顔は実に若々しく見える。白髪頭をきっちりと撫でつけ、品のよいセーターに身を包んではいても、しかしその体から発せられる隠微な空気は隠しようがない。
 
「まず、座ったらどうだ。私がここで何を言うにしても、そのままでは具合が悪いだろう」

 老人がテーブルを指先で叩いた。メリーが促されるままに席に着くと、老人は本を閉じて車椅子に座らせた体をこちらへ向けなおした。

「五年ぶりだな。お前と会うのは」
「そんなになっていましたか。ちっとも気がつきませんでした」
「この歳になっても、いまだに自由になる時間は限られていてね。私の方から会いに行かなかったことは許してほしい」

下手な強がりを看破するかのように笑った老人の顔を、老いのために浮き出た染みが汚していた。思わず唾を飲み込んだメリーは、「皮肉、と取ればいいのかしら」と隠さぬ棘を投げつけてみた。

「私が日本に来ることも最後まで反対したあなたです。もう顔も見たくないと思われていたのかと」
「そんなことをまだ気にしていたのかい。あくまで私はお前の一人暮らしに反対しただけだ。日本人は勤勉だからな、お前がやりたい勉学について心配などしたことはないよ」
「同じことですわ。日本人は大学にまでSPを出張らせるような人間を好きませんし」
「それは単純な結果だよ。お前が望んだことの結果だ」

 どきりとしたメリーの顔を、老人が可笑しそうに眺めた。「そうじゃないのか?」。
 メリーが普段感じている疎外感、どこかで見張られている違和感を知り尽くした紅い瞳だった。それはどこまでも獲物を追いかける蛇のそれを連想させて、メリーは直視できずに視線を落とした。

メリーはこの男の目が好きではなかった。これほどまで――すでに齢は80を越し、もはや車椅子でなければ動くこともままならぬ肉体を引きずるほど――に老いてなお、全く衰えない老人の眼光。
それは単に怜悧というだけでも足りない。権力や金に汚れ切り、差し向けられる憎悪に相応の狡猾さや非情さで応え続けてきた年月は、老人の中に消えない氷を形成させたのだと思う。そんな浮世の汚濁を吸い切った老人の顔は、数少ない肉親のものとも、血を分けた祖父のものとも思えなかった。これが世界の政財界に一大閨閥を築く閨の一族、ハーン家の現当主の顔なのだという、他人事のような感想しか抱けないのが常だった。

 しばし沈黙しているメリーの前に、給仕が紅茶のカップを置いた。口をつけるべきか迷っていると、「どうだね、学問のほうは」と老人が話題を変える一言を発した。

「知っているんじゃありません? 私の動向を常に監視しているような人なら」
「侵入者がいたら噛み付く、番犬にそれ以外の教育を施した覚えはないぞ」

 くっ、と唇を噛んだ。悔しいが、祖父の方が一枚上手なのは認めるしかないようだ。
カップを手に取り、せめてもの反逆として「別に……」と言葉を濁すと、老人は「順調らしいな」と苦笑してみせた。

 老人が分厚い本の一ページをめくる音が、やけに大きく響いた。

「実はな、お前が精神学を専攻すると言い出したとき、私は嬉しかったのだよ。相対性精神学――まだ若い学問だがな。他の馬鹿どもは揃いも揃って政治学やら金融工学やら、何の益もない学問で私の気を惹こうとする」

 老人は吐き捨てるように言った。

「そんなものは所詮は砂上の城だ。現実などあっけなくひっくり返ってしまうことを理解せぬ愚か者に、私はハーンの名前を名乗らせようとは思わん。その点、お前は全く自慢の孫娘だよ」
「褒められたとは思えませんわね。あなたの意向で精神学を学んでるわけではありませんから」
「言ってくれるな。私は学問について反対した覚えはないと言ったろう。しかし、孫娘を手元に置いておけぬ老人の気持ちも、少しは酌んでほしいものだ」
「手元に置いておきたいのは、私の中に流れてる血だけでは?」

 その言葉に、老人が纏った隠微な空気が凍りついた。薄ら笑いを消し、濁った紅の瞳をこちらに向けた老人に、メリーは同じ紅の瞳で答える。

「父も母も死んで、あなたの直系子孫はもはや私だけですからね。ハーン家の当主の座は他の誰かに譲ることが出来ても、血族だけはどうにもならない。心情を酌んでくれというならば、まず愛されているのが血だけである孫の気持ちも酌む努力が必要ですよ」

 隠さぬ棘、というより、ほとんど決別宣言に近い台詞に、ダークスーツの大柄がぴくりと身じろぎする。
 老人の目は、いまだに元に戻らない。

 さまぁ見ろ。メリーは日本語で心中に吐き棄てつつ、紅茶のカップに口をつける。

目の前の男が、気分次第で世界の今後十年を左右できるほどの男であることは承知している。枯れ木のような体に、小国に匹敵するような発言力を秘めていることも知っている。しかし、それがどうした。目の前にいる枯れ木のような男は、どこぞの権力者である以前に自分の祖父だ。そしてその祖父が、今まで自分にどんな仕打ちをなし、祖父という存在をどのように失望させてきたか、知っているのも自分一人だけだ。
あの雪の舞い散るあの日。そう、確かにあの日なのだ。
私が祖父という存在を諦めたのも。
私がハーンの名前を呪い始めたのも。
どんな言葉よりも雄弁に、どんな映像よりも強烈に。あの日、雪に舞い散った真紅の飛沫が、私にそれを理解させた――。

「震えているな、マエリベリー」

低く、まるで呻きのような声が耳に飛び込んできて、メリーはあの瞬間から引き剥がされた。
祖父を見ると、祖父はすっかり元に戻っていた。再び鎧のような空気を身に纏った老人は、蛇を思わせる双眸をこちらに向けた。
ぱたり、と本を閉じた老人は、それからメリーの顔を注視し、言った。

「ハーン家の次期当主の座は、お前に譲ろうと思う。マエリベリー」

 聞いた瞬間、心臓が大きく脈打ち、カップを持つ手を硬直させた。
言われたことの意味がわからず、咄嗟に苦笑しようとしたメリーに、「冗談ではない」と念を押すように発した老人の声に、メリーは退路を絶たれるのを知覚した。

「そんないきなり、戯れを……!」
「戯れではないと言っている。そうでなければ、ここまでわざわざ呼び出したりはしない」

 落ち窪んだ眼窩の奥で、自分のものと同じ紅い瞳が奇妙に輝いていた。とても冗談を言っているとも思えない。
 メリーが辞退の言葉を吐こうとするより先に、老人が言った。

「お前にはその資質がある。先の大戦より数十年、私は様々な世界を覗いてきた。今ではそれなりに友人もでき、こうして食うには困らぬだけの蓄えもできた。それを私に代わって引き継ぐには、お前以外の人間はいない」
「……勝手に決めないでください。私にはそんな資格も力量もない。無理ですよ」

 老人の目が不快に光る。それはまるで魔性の者のそれであるかのように、メリーが視線を外すことを赦さない。

「私の目はまだ耄碌してはおらんよ。それなり以上に屈辱を噛んで、窮地を脱してきた覚えはある。……我が一族が継ぐべきものを継ぐことができる人間は、お前以外には居らん」


「いいえ、あなたは十二分に老いました。即刻、勇退なさったほうがこの世のためです。足元に這い寄る虫はごまんといるはずです。欲しがるだけくれてやればいい。そうすれば……」

 頭に浮かんだ最後の一言は、咽につかえて外に出なかった。
 硬直したままのメリーを、赤い瞳が嗤った。

「よくぞ、ここまで言えるようになったな。孫娘よ」

 何もかも見通し、手玉に取り続けるその一言に、メリーの脳髄を鮮烈な怒りが焼いた。久しく感じぬ激情に身を震わせながら、メリーは拳を握り締めて怒鳴った。

「いい加減にしてください……! 私はあなたの血を嫌ってこの家を出た人間です。そんな不出来な孫娘に、どうして……!」

 そのときだった。赤い双眸がすっと窄まり、メリーの中に燃え滾る激情に容赦なく冷水を浴びせかけた。

「老いぼれの気まぐれ……それでお前が納得するか?」

 それ以上は立ち入ることを許さない瞳が冷たく光り、メリーにそれ以上の台詞を吐かせる事を拒絶した。ほとんど殺気のそれと変わらない威圧感が祖父を中心に放出され、身体の中を錯綜する神経の束を思い切り鷲づかみにした。





(以下文章なし(笑))















「ねぇ、綺麗だね、蓮子」

 顔を向けた先に、いるはずの人がいなかった。

「蓮子……?」

 思わず呟いてしまってから、メリーははっとして周りを見た。
 見渡す限りの人、人、人……。人はいくらでもいるのに、自分が知っているあの人がいない
 蓮子がいない。そう理解した刹那、メリーは突然恐怖を覚えた。

「蓮子……? 蓮子!」

 多少声を大きくしても、それは歓声と太鼓のリズムにかき消されるばかりだった。
 いつから? いつからはぐれていた? メリーは記憶を漁ったが、浮かび上がってくるのは何故か直前の記憶ではなく、大学の学食で向かい合う蓮子の顔や、ここに来る途中で見た寂しげな横顔だけだった。

 見物客の列をふらふらと離れ、メリーは走り出した。
 浴衣姿のカップル、子供の手をひく親子連れ、ほろ酔い気分のはっぴ姿の男たちを掻き分け、人でごった返す歩道を走り出した。まだ遠くには行っていないはずだ、大丈夫、すぐ会える……そう言い聞かせているのに、メリーの心拍数はその言葉に反して早まるばかりだった。

「蓮子……! 蓮子ぉっ!!」

 思わず大声を出したメリーに、見物客が何事かと顔を上げる。
 歩道を走り回り、気だるそうに人の奔流の整理をする警官を押しのけ、メリーは走った。
 ひとりにしないで。
 どこに行ったの、どこへ……!
 心細さ、見捨てられたような寂しさがメリーの脳髄を焦がし、メリーは目から熱い滴が吹き零れるのを知覚した。
 なぜ泣いているのかわからなかった。ただ、今は一人になってはいけないのだと知っていたのだ。
 
 突然足から力が抜け、メリーは立ち止まった。
 息を吸おうとすると喉が詰まり、メリーは激しく咳き込んだ。
身体が言う事を聞かず、拍動はこれ以上早まらないほどに早まっていた。本人の自覚も無いままに、身体は疲れ果てていたらしい。

「蓮子……どこへ……?」

 膝に手をついて息を整えると、逆流してきた涙が顔を汚した。
 一体どこへ消えてしまったのか。会ったら叩いてやる。思いっきり、もうやめてって言うまで叩いてやる。
 その場にうずくまりたい衝動をこらえて、メリーは顔を上げた。
歩かなければ。そう思って顔を上げた瞬間だった。

 人ごみの中、ギラリと光る双眸がメリーの視界に焼きついた。
 え……? と呆けたメリーがもう一度目を凝らすと、人ごみの中にその目があった。
 人ごみを掻き分け、こちらを見据えて動かない二組の目。それは猛禽類の双眸に似た光を湛え、独りになったメリーを見据えていて、メリーは反射的に身を硬くした。
 がっしりと組みあがった体躯に、一切の感情が欠落したガラス球の目。それは電車の中で感じたのと同じ違和感をメリーに抱かせた。
ジーンズとTシャツというでいたちでも、全身から吹き出る殺気と垢抜けない雰囲気は見間違えようがない。
 ここに来るまでに感じていた、正体不明の違和感。その正体が、ついにメリーの目の前に姿を現したのだ。

 捕まってはいけない。何の証拠もなく確信したメリーは、立ち上がって男たちとは違う方向に歩き出した。
 なるべく平静を装って踵を返し、メリーはもときた道を引き返し始める。
 気温とは関係なく滲み出てきた汗が、メリーの額をじっとりと濡らした。
 思わず歩を早めても、喧騒に






(以下文章なし(笑))








 まず最初に目に入ったのは、端正に整った顔だった。ブロンドの髪は肩の辺りですっきりと切り揃えられ、カットソーの首元から除く喉首は輝くように白く、肩から胸にかけて優美な曲線を構成している。緩やかなカーブを描く眉、長いまつげに縁取られた目、すっと通った鼻筋と視線が降りてゆくと、形のよい桃色の唇が言葉を紡ぐのをメリーは見た。

「無事、ですか?」

きれいなひと。何の疑念もなくそう思えた。それも、そこらにいるのとはものの比較にならないほどの飛び切りの美人だった。反射で頷いてしまったメリーに、女は無表情で頷いた。
 あなたは誰? なぜ私を助けようとするの……? 百もの問いが明滅する頭がやっとそれだけの言葉をひり出した瞬間、メリーの頭がぐいと押さえつけられ、それから先の思考を霧散させた。

「頭を低くしていてください」

 異議も反抗も、質問すら許さぬ硬直した声が発せられ、メリーは三度アスファルトに頬を押し付けるはめになった。目を白黒させているところに「そのまま」と低い声が押し被せられ、メリーはわけもわからないままぎゅっと目を瞑った。
プシュッ、という控えめな銃声の後にくぐもった悲鳴が続き、人間の身体が倒れる湿った音が響く。
途端に頭を押さえつけていた負荷が消失し、「立って」という声と共に身体が引きずり起こされた。

「走ります。私がいいというまで後ろを振り返らないで」

 まるで管楽器のような、透徹した声だった。質問も反論も許さぬ声色に圧倒され、半ば引きずられるように走り出したメリーは、二、三歩よろけてからようやく走り出した。

「あっ、あなたは……!?」
「誰でもいいでしょう。とにかく、今は生き残ることが先決です」
「何が起こってるのか説明してよ……!」
「それは後でも出来ることです。とにかく、走る事に専念してください」
「答えてって……!」

 刹那、再びの銃声とともに頭上に兆弾の金属音が響き、メリーは言葉を飲み込んだ。
半身を回転させ、目の前の女も負けじと応射の引き金を引く。
一度、二度と銃火が迸り、暗闇に慣れ切ったメリーの網膜を焼いた。
あちこちに撒き散らされた銃弾の行方を確かめる間もなく、女は再びメリーの手を引いて走り出した。

「どこへ行くの……!?」
「迎えを手配しています。追っ手を振り切って合流地点まで全力で走ってください」
「待って……! 友達が……蓮子が……!」

 置いてゆくわけには行かない。そんな意地のままに叫ぶと、ちらとこちらを振り返った女の目が細められた。

「ご学友は無事です。私の連れが既に保護しているはずですから」
 
 それだけ言い捨てると、女は再び顔を背けてしまった。
真実なのか確かめる手段は無かったし、それ以上返答が返ってくるわけもなかった。今は引かれる手しか頼れるものがない自分を自覚して、メリーはただ走るしかなくなった。
 
湿気が滞留する路地を抜け、野良猫を蹴飛ばしながら表通りへ。
数百メートル走ったところですぐ裏道に入り、再び角を曲がって脇道へ。
闇雲に走っているように見えるが、メリーの手を引く女の動きに迷いはない。
退路など全て頭に叩き込まれているということか。今更ながらに女の出自が気になったメリーだったが、女についてゆくだけで精一杯の身体に質問を重ねる余裕は無かった。追いすがる銃声はすでに遠くなりかけていた。メリーは何個目かの角を曲がった。
隘路をしばらく走ると、急に視界が開けた。途端に、鼻を生臭さが刺激し、メリーは自分たちが川沿いの道に出た事を知った。
広い川原は公園として整備されているらしい。テニスコートやサッカーコートの長方形が漠と広がる川原を切り取り、黄土色の地面をむき出しにしている光景があった。
メリーは素早く公園に視線を走らせた。女は「迎えが来ている」と言っていた。バイク、車、あるいは船。要するに移動する物体だが、その類は何一つない。僅かに橋げたの影に放置された自転車が転がっているのがみえるだけで、漠と広がる川面には穏やかに月が揺れているばかりだった。
おかしい、どこに迎えがいるんだ。そう思った瞬間、急に女に手を引かれ、メリーは「ちょ、ちょっと!」とたたらを踏んだ。
何故かこちらを付け狙ってくる追っ手がいる中、一切の遮蔽物が無くなった川原に出て行く? 素人考えにも愚策だとわかる。一番やってはいけない危険な行為だとわからないはずがない。なおも手を引こうとする女に「待ってったら!」と怒鳴り声を重ねると、女は振り向いて怪訝な顔を向けてみせた。

「まだ何か?」
「こんなところに降りていってどうするつもり?! 迎えなんていないじゃないの!」
「必ず来ます。さぁ、走って」
「必ずって……!」

 メリーはつかまれた右手に掛かった負荷を無視し、その場に踏みとどまった。
手首を掴む女の手を振りほどいたメリーは、呼吸を整えるのも忘れて女の瞳をにらみつけた。

「今ここで説明して! 一体あれはなんなのよ!」
「後で説明すると何度も申し上げたはずです」

 この期に及んでの杓子定規な物言いが神経を爆ぜさせた。
 混乱と苛立ち、ここまで引きずりまわされた疲労が一気に灼熱し、メリーは今夜何度目かの怒鳴り声を上げた。

「どういうことか説明してって言ってるの! あいつらは一体何?! それにあなたも一体誰なの?! あなたは銃を持ってるし、あいつらだって……!」
「銃? あぁ、この種子島のことですか」

 女は手に握られていた物体を目の高さまで持ち上げ、玩具のように振って見せた。

「なかなか優秀な武器になったものです。格段に小型化されている上に殺傷力もそれなりにある。しかし弾込めという作業がある分、やはり扱いにくさが気になりますが……」
「そんなことを聞いてるんじゃないのよっ!」

 手を上げかねない勢いで怒鳴った瞬間だった。パシュッという音共に自分が立っている土手の地面が弾け、メリーはぎょっと言葉を飲み込んだ。

「あ……」

 銃弾がかすったのか、弾けた石礫か。ふくはらぎの皮膚が削られ、月下の下でも黒々しい液体が傷口を汚し始めたのを見てしまった。
 ぷっつりと何かが切れる音が発し、メリーはその場に棒立ちになった。
 
「追っ手が来ました! 急いで!」

 焦燥を滲ませた声で言い、女はメリーの手を取った。
その手に引かれるままよろよろと歩を進めたメリーは、三歩歩かないうちにその場に崩れ落ちてしまった。
 足に力が入らない。腰が抜けたとはことのことだった。手をついて立ち上がろうにも、まるで足は言う事を聞かない。じわじわと染み出してきた恐怖が胃の腑を満たし、下半身の神経を断絶させた結果だった。立てない。その結論に愕然となった瞬間、女が電撃的に動き、メリーの身体を抱え上げた。

 オートマチックを握っていない方の手を右手の脇の下に差し込み、肩を組む要領でメリーの身体を引きずり起こす。痩躯からは考えられないほどの力強さでメリーを引きずり上げた女は、そのままワルツを踊るように身を捻り、土手下の暗闇に向けて数度引き金を絞った。

 手ごたえは無かった。二度、三度と単発の銃声音が夜のしじまを騒がせたが、今度は悲鳴らしい悲鳴も聞こえない。ちっと舌打ちの音が聞こえたときだった。ぐい、と目の前に何かが押しつけられ、メリーはそれを漫然と視界に入れた。

 黒々と光る特徴的な形――女が握っていたオートマチックを視界に入れて、メリーは一瞬その意図を測りかねた。「早く」と女が言い、半ば押し付けられるようにしてオートマチックのグリップを握るはめになったメリーは、そのずっしりとした重さに戸惑った。

「使い方はわかりますね? スライドが後退したままになったら捨ててしまって結構です」

 余計な説明をする暇も惜しむように、女は説明しながらメリーを抱えて階段を駆け降りた。
自分のせいで女の負担が増えたことは間違いなかった。相変わらず他人のもの同然となった足を引きずって、メリーは女の肩にしがみつくことしか出来なかった。
さっきよりもずっと近くなった発砲音が背後に響き、地面にはじける着弾点は徐々に正確さを増しつつあった。女が河川敷の公園に素早く目を走らせ、ちっと舌打ちをひとつした。

「奴らは何をしてるんだ……」

悔しそうに歪められた女の横顔を見て、メリーは迎えがこないらしいということを朧に理解した。途端に銃声が轟き、メリーは絶望する間もなく思考を中断した。
咄嗟に銃声のした方に銃口を向けたメリーは、自分のとった行動にぞっとなって指先を凍りつかせた。
引き金を引くという行為が、どういう重さを持つかわからないほど馬鹿ではない。
何をしているんだ、自分は。引き金を引いてしまえと叫ぶ自分がいたが、果たせずに銃を持った手を下ろしたメリーは、無力感に震えた。
 影そのものの人影が土手を下り、こちらに走ってくる。メリーは目を閉じて、あの影に屠られるのを待つことにした。

 ぴちゃ。不意に、頬に生暖かい液体が触れた。
 何だ? 反射的にメリーが手を伸ばすと、血だった。はっとして女を見ると、肩口が血に濡れていた。

「あなた……!」
「平気です、この程度なら……」

 額に汗の珠を貼りつけながら、女が答える。肩口に開いた穴は白い肌を汚し、その下のブラウスまでを赤く染めていっている。
頭が真っ白になった。咄嗟にメリーは首のリボンを解いて傷口に押し付けると、女はわずかに苦悶の声を漏らした。
 私のせいだ。猛烈な自責の念が沸き、メリーは今度こそ悔し涙を溢れさせた。心臓の鼓動と共に、リボンはたちまち血を吸ってメリーの指をも汚してゆく。

「気になさらないでください……この程度の傷、すぐに完治しますから」

 不意に、優しくなった女の声が耳元で発し、メリーはその顔を見上げた。
 激痛にも揺らがない鳶瞳がまっすぐにこちらを見る。わけもなく胸を衝かれる思いを味わったメリーは、女の顔がふっと緩むのを見た。

「何を馬鹿なことを言っている、というような顔ですね」

 苦笑顔ではあったものの、それはメリーが始めて見た女の笑顔だった。

「しかし、あなたは知っているはずだ。私がそれが可能だということを。私が、いえ――『私たち』が何者であるかを」

 そうでしょう? というように向けられた柔和な表情に、メリーは思い当たるものがあった。
 この余裕の笑みは見たことがある――否、いつも見ている顔だ。
 いつも主の傍にいる式神。酔狂な主の思いつきに振り回されつつも、泣き言ひとつ言わない有能な従者。かつて三国一の大妖怪を謳われながらも、現代ではその牙の在り処を忘れて逼塞する怪異……。

「八雲……藍……?」

 思いつきのままに名を呼ぶと、女は微笑を返事の代わりにした。
ウソだ、と思った。ありえないことだと否定すべきだった。あれはただの夢で、現実の存在ではないのだから。
しかし、この直感は理性では否定できない。体が、細胞一個一個が、魂が、目の前の顔を覚えていた。



 何事か言おうとして開かれた藍の口が、銃声を聞いて閉じられる。
 ずいぶん長い間、喧騒を忘れていたような気がした。数人の追っ手が後方百メートルほどに散開し、暗い目を光らせてこちらに向かってくる。こちらに向けられた銃口に捕獲の意図はなく、ただ仕留めるためだけに放たれる銃弾は次々と足元に着弾して土煙を上げる。
メリーが「どうするの……?!」と見返すと、藍は微笑を消して言った。

「心配要りませんよ、迎えは必ず来ますから」
「でも……!」
「主から、あなたを守るように言われている者たちです。信用に足りますよ」

 その言葉に、メリーははっとした。主、という言葉を口にしたときだけ、藍の瞳に少しだけ影が生じた。

「主って……!?」

 どこからか遠雷のような爆音が聞こえたのは、その瞬間だった。
反射的に見上げた先に、闇とは違う黒点があった。轟音はそこから聞こえてきている。あれは……とメリーが思ったのと同時に、割れたスピーカーの大音声が空気を劈いた。

《避けろっ!》

 男の声、と理解するのが精一杯だった。
藍が地面を蹴ってその場を飛び退った刹那、ひときわ大きな咆哮が頭上に弾けた。

閃光と突風の嵐だった。タイプライターのような音と共に地面が弾け、抉れ、土煙の柱が一直線に河川敷を蹂躙してゆく。次々と噴き上がった土煙は、慌てて後退した追っ手までもを巻き込み、川原を縦断して川面にも水柱を屹立させていった。

「なんなのよアレは……!」

わずか数秒間、いや一瞬と言える間の出来事だった。ギュウン、という唸り声が鼓膜を震わせ、猛烈な爆風が頭上を行過ぎたのを知覚する。
メリーは、藍が呆然と呟く声を耳元に聞いた。

「来た……」

 藍の鳶色の目が、飛行船を追っていた。まさか、あれが「迎え」か? 何かを言わんとして口を開きかけたのと同時に再びの爆音が轟き、メリーは空に視線を戻した。

 スモークグリーンに塗り固められた機体が、一条の光となって闇夜を切り裂いて行く。まず目に入ったのは、「それ」の頭上で回転する二組のブレードだった。ヘリか? と思いついたメリーだったが、それは普段目にするそれとはあまりにもかけ離れていた。
魚類を思わせる流線型の機体に、直線で鋭角的に構成されたコクピット。機体の横に突き出た鰭の如き板の下にはごつい何かが束になって見える。
宇宙船……そうとしか形容しようがなかった。飛行機? 戦車? そのいずれとも違う。飛行戦艦、という言葉を思いついてしまったメリーは、「それ」が再び機種をこちらを向けたのを見た。

「伏せてっ!」

 理解する間もなく、藍に押し倒された。急激に変遷する世界の中で爆発音が連続するのを聞いた。爆炎が世界をオレンジ色に染め上げ、膨れ上がった爆風が夜の空気を焦がしてゆく。

同時に今朝見たニュース映像を思い出していた。

近頃、合衆国から舞鶴の航空基地に配備が進められているという戦闘ヘリ。控えめに言っても宇宙船としか思えないその機体の特徴を、メリーは憶えていた。
空を縦横無尽に駆け回る機体の資料映像。『空の戦艦』を渾名される最強の制圧兵器なのだと説明する軍事評論家の声。断片的な情報が錯綜する頭の中で、メリーは違う爆音を後方に聞いて反射的に振り返った。

 宇宙船とは違う、もっと丸みを帯びた影びたこちらに向かってくるのが見えた。
サイーチライトの暴力的な閃光が視界を染め上げ、メリーは思わず目をかばった。

《マエリベリー・ハーン、八雲藍、お会いできて光栄だ》

 再び割れたスピーカーの音が世界に響き渡り、ホバリングを続ける機体が猛烈なダウンウォッシュを吹き付けてくる。
 あわてて帽子を押さえると、ヘリが降下し、ランディングスキットを地面に接着させた。

 ヘリから降りてきたのは、背広の男だった。
 がっしりと組み上がった長身に、整髪剤で丁寧に整えられた頭。彫りの深い顔立ちは東洋人のものではなく、男にメリーと同じ国の人間の血が流れていることを暗に伝えていた。そして何より、こちらを射殺すような鋭い眼差し。それは、ダークスーツに身を包んだ男の装いと相まってどこか冷え冷えとしていた。この人は誰? 藍に聞こうとすると、背広の男の方が先に口を開いた。

「すまない、八雲藍。遅くなった」

 存外、しっかりとした発音の日本語が男の口から漏れてきた。
 無表情を保ったままの男が手を差し出す。その手を無表情に一瞥するに留めて、藍は「おかげで死に掛けた」と男を睨み付けた。

「そう言うな。我々だってこれでも腕によりをかけて大急ぎしてきたつもりだ」
「しかし、実際に奴らはここへ来た。頑張りましたではすまない」
「こちらの事情は知っているだろう。この国で我々が動くには限度があるということは――」
「それは人間の理屈だ。我々に関係のある話ではない」

 徹底的に怜悧な藍の声に、男は少しだけ顔の表情を険しくし、「すまない」と同じ言葉を繰り返した。

「知り合いなの?」
 呟いてみたメリーを、藍が肩越しに一瞥した。
「ええ、今のところは」

 今のところ。妙な言い回しにメリーが眉間に皺を寄せると、そこで初めて存在に気がついたというように、背広の男がメリーを見た。

「マエリベリー・ハーン、か?」

 



(以下文章なし(笑))
この間内輪で晒した恥ずかしい文章。いやぁこれが完成してたら世の中を変えられた自信がある。でも完成させられない自信の方が大きかった。
スポポ
作品情報
作品集:
1
投稿日時:
2011/04/01 00:17:09
更新日時:
2011/04/01 00:17:09
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2/6
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0. 31108点 匿名評価 投稿数: 4
1. 1000000 名前が無い程度の能力 ■2011/04/01 01:20:25
え、なにこれすっげぇ途中と続きを読みたいんだがwww
2. 1000000 名前が無い程度の能力 ■2011/04/01 01:24:22
最初の以下文章なし(笑)では心の中で全力で突っ込んでしまった。
シーンはぶつ切りだけど、どの場面もワクワクしました、いつか完成したこの作品を読んでみたいものです。
名前 メール
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