長く厳しい冬もようやく終わり、日差しは次第に暖かくなりつつある。
雪見から花見への移行は幻想郷の風物詩。無論その傍らには酒がある。
が、当然ながらそうした風雅とは無縁な者もいる。
その代表格がこの地下図書館に鎮座する魔女であった。
「たまには外へ出たらどうなんだ。こんなところに引きこもってないで」
呆れ顔の魔理沙が言うが、パチュリーは石像のごとく微動だにしない。
かろうじて動いているのは指先と視線だけだ。
「何言ってるのよ」
と代わりに口を開いたのは、たまたま図書館を訪れていたアリスだった。
その腕には数冊の本を抱えている。
「あんただって『こんなところ』に来てるんじゃない。ひとのこと言えるわけ?」
「私は研究資料を探しに来ただけだ。それに失礼だろ、こんなところだなんて」
「はぁぁぁ? 先に言ったのあんたのほうですけどぉ!?」
一触即発、アリスが戦闘モードに入りそうになったそのとき。
ふたりの間を小悪魔がバタバタと駆け抜けていった。
――えっほ、えっほ! あの本とその本とこの本をはやいとこ片付けなくちゃ!
そんな掛け声だけを残して遠ざかる背中に、魔理沙とアリスは思わず顔を見合わせた。
小悪魔が真面目そうに仕事をしている様子を見せるのは珍しい。
そして、たとえ仕事だとしても、騒がしく駆け回る小悪魔をパチュリーが見逃すのはもっと珍しい。
タイミング次第では四季折々のスペルで吹き飛ばされてもおかしくないところだ。
「……そういや、今日はなんかバタバタしているな」
魔理沙が辺りを見回すと、小悪魔だけでなく妖精メイドたちもそこかしこで何やら作業をしている様子。これはどうしたことだろうか。
「――除却よ」
読んでいる本の内容に一区切りついたのか、そこでようやくパチュリーが顔を上げる。
短い応えに、アリスが「あー、もうそんな時期だものね」と頷いた。
魔理沙はよくわからず、目をしばたたかせる。
「除却、って廃棄処分か? えっ……本の?」
魔理沙が意外に思うのも無理はない。
なにせ、紅魔館の地下図書館は実質的にスペースが無限だ。
完璧にどこか少し抜けているメイド長がいくらでも空間を広げてくれるものだから、書籍の整理こそ欠かせなくとも、捨てる必要性はまったくないはずである。
「捨てるくらいなら私が引き取ってやってもいいが」
「アホ魔理沙」「未熟者」
何の気なしに発した言葉に、しかし人形遣いと魔女の反応は冷たい。
魔理沙はちょっとうろたえた。
「な、なんだよぅ……」
「下手に繁殖した本を持ち帰った日には、あんたの家の蔵書も無茶苦茶になるわよ」
脅すように言うアリスだが、魔理沙は首を傾げる。
「繁殖?」
「呆れた。魔理沙、貴女もしかして本が繁殖することも知らなかったりする?」
アリスはパチュリーと視線を交わし、話し手が切り替わった。
「書物には魔力や妖力、霊力が、そして何より筆者の情念が籠もる。そうした力は書物に疑似的な生命を与える。ここで言う『生命』の意味、わかるわね」
「……子を成し、殖えること?」
「そのとおり。魔導書や妖魔本の類を一つ所に集めておくと、いつの間にか増殖するの。これを俗に『繁殖』と称する」
そこでパチュリーが咳き込みだし、アリスが続けた。
「だけど困るじゃない、混ざりモノの本なんて。内容がぐちゃぐちゃにミックスされるものだから偽書どころか完璧なフェイクよ。しかもそれが周りの本にも影響を及ぼすとなれば――」
「あ、悪夢だぜ」
本とは、「本当」のことをまとめたものだから本と呼ばれる(諸説あり)。
それがデタラメとなると何を信じてよいやらわからなくなるだろう。
「そんなわけで、本が繁殖しだす時期には除却――というか駆除かしら――をしないといけないってこと」
アリスがそう締め括ると、魔理沙は何度もコクコクと頷いた。
そう言えば、と魔理沙は思い返す。
慧音にせよ阿求にせよ、蔵書家と呼ばれるような連中は揃いも揃って似たようなことを言っていたものだ。
――やれやれ、また本や巻物が増えてしまったよ。
――困ったものです。本って勝手に増えちゃうんですよねー。
「……あれって自分で買ったんじゃなくて、本当に増えてたやつだったのかよ!」
てっきり自分の欲望に駆られて見境なく本を買い込んだやつが、とぼけて言うことだと魔理沙は思っていた。なるほど、実際に増えているなら話はちょっと変わってくる。
「いや、そういうのは彼女ら自身で買ってるのもあると思うけどね?」
アリスが苦笑気味に言うが、魔理沙は渋い顔をした。
「じゃあ、たとえば鈴奈庵とかもまずいわけなのか……?」
「ああいう商売で昔からやってるところはまず大丈夫でしょ。繁殖期の本の除却だなんて、本屋や貸本屋にとって基本中の基本だろうし。むしろあんたが知らなかったことこそびっくりよ」
抱えていた本をテーブルに置きながら、アリスは片手の指をくるくると動かす。
彼女の肩の近くに浮かぶ上海人形が器用に肩をすくめてみせた。
「まあ、私の十分の一程度しか生きていない人間が知らなくともおかしくはない。それに、大した数の本を持っていないからこそここから盗っていくんだろうし」
と、パチュリーはじろりと見てくる。
魔理沙が抗議の声を上げようとしたタイミングで、書架の奥のほうから何やら爆発音のような物音が聞こえ、床の微かな振動が伝わってきた。
パチュリーが微かに舌打ちをする。
「あの娘……」
――あぁぁあぁぷぅわちゅりぃぃさまぁぁー! にさつ、にさつそっち行きますうぅ!
余程慌てているのか、その念話は魔理沙やアリスにも聞こえた。
受信先を絞らずに発したようだ。
魔理沙が見ていると、二冊の本がまるで鳥のように羽ばたいてこちらへ向かってきた。
館に侵入したときに弾幕を張ってくるセキュリティシステムと似ているが、その動きは機械的なものではなく、妙に生物めいていた。
「おー、もしかしてアレか。なあ、あれって読めな――」
魔理沙が言い終わらないうちにパチュリーが素早く火弾を放ち、哀れな二冊は炎に包まれた。床に墜ちたその本たちは、ページをひらひらとさせる。それが魔理沙には、身悶えしているように見えた。
かつてパチュリーは、地下図書館の本について耐火、防水、退魔、除霊をすべて備えていると言っていた気がするが、生まれたての本だとそれには含まれないのかも知れない。
「あーあ、ひどいことをしやがって。見ろよ、焼き鳥ならぬ焼き本だぜ」
「当たり前でしょ。何? 貴女コレを読むつもりだったの?」
鼻を鳴らして言うパチュリーに、魔理沙は「だって面白そうだろ」と返す。
「希少な力を帯びる本と本が混ざり合って生まれる本だなんて、どんなことが書かれているか、見てみたいと思わないのか」
「そこにあるのは空虚な情報のノイズ、あるいはゴミ。益になるようなことは何もない」
パチュリーはにべもなく言う。
本の虫どころか書物のリグルとも称される彼女とも思えない。そのすげない態度に内心で魔理沙が訝っていると、いつの間にか本を読んでいたアリスが笑う。
「気持ちはわかるわよ。何か研究のヒントにでもならないのかって思ったんでしょ。だけどダメ。読まないほうがいいんじゃなく、読んじゃダメなの」
「なんでさ?」
「意味がなかったらまだいいけど、問題は意味を持っちゃった場合ね。わかるでしょ」
「うえぇぇぇすみませんでしたパチュリー様ぁぁ!」
魔理沙が口を開くより早く、よろけるようにしてやってきた小悪魔がパチュリーに哀れがましく縋り付く。
パチュリーは穏やかに言った。
「もう全部終わったの?」
「あっ、いやっ、その――ッス。ちょっと今季は数が多いっていうか大量発生してるっていいますか……」
「そうなの。大変ね」
「で、そのですね、期限とか、延ばしていただけたりとかって」
「例年どおり、今日中ね。除却・オア・ダイだから」
「ひゃあぁぁぁ作業に戻りますうぅ!」
脱兎のごとく駆け去る小悪魔に、魔理沙は少し同情した。
「相変わらず、しもべ遣いの荒いやつだな。そこまで急ぐ必要あるのか?」
「それはもちろんよ。……仕方ない、簡単に説明してあげるわ」
ふと、紅茶の香りがふわりと漂う。
いつの間にか、テーブルの上に湯気の立ち昇る三つのティーカップが置かれていた。
姿を見せぬ彼女の仕業に、魔理沙は少し笑って席に着いたのだった。
「要するに、噓に力を与えてはいけないってことなのよ」
紅茶を飲みつつ、パチュリーは述べた。
魔女の『要するに』は閻魔様の説教などとは違い、本当に要する形となっている。
つまり、それだけ聞いてもよくわからない。
見かねた様子のアリスが口を開く。
「あのさ、正しくないこと――嘘のことが本当だと思われちゃったら困るわよね。魔法薬の調合の配分とか、呪い返しを受けない時間帯とか」
「そりゃあ、まあそうだな」
「じゃあ、たとえばそうね、『魔理沙は霊夢の足袋をこっそり蒐集していて、夜な夜なその匂いを吸引している』という噂があったとして」
「おい待て誰だそんな噂を流したやつは!?」
「あくまでも例えよ。本当のことじゃない……わよね?」
「ないよ! ちょっと不安そうな顔するなよ!」
アリスは咳ばらいをして、続ける。
「その話を誰かが一度きり、口で言っただけなら本当だと思われるかしら」
「それで信じ込むやつは守矢の良いカモだぜ」
「なら、新聞に書かれていたら?」
「口で言われるだけよりは増えそうだな、信じるやつ」
「でしょ。それでもまだ信憑性には疑問が大いにある。じゃあ、しっかりした装丁の本に記されていたらどう?」
「しかも――」
そこでパチュリーも口を挟んだ。
「――その本が、昔からあるものだったらより『本当らしい』と思わないかしら。それが繁殖本をできるだけ早く除却すべき理由」
「本に書かれた内容は、読まれることによって真実味という力を帯びる。その存在期間が長いほど、強固になるわけよ」
パチュリーとアリスの説明に、魔理沙自身も腑に落ちるものがあった。
阿求の『幻想郷縁起』などもそうだが、かつて人と妖の争いが今とは比較にならないほど熾烈だった頃は、人間同士が妖の弱点を共有し、広く知らしめるための手段として文字で書き付けたのだという。
弱点を明記されてしまった妖は、その内容に縛られる。とんでもない契約だが、いわば真名を知られるのに近いようなものだろうか。
つまり、文字として本に書かれるというのは、それだけ強力な呪(まじな)いとなり得ることなわけだ。
そのような力を持つ本が、でたらめな内容をもって勝手に増えるのは、とりわけ幻想郷において致命的な事態を引き起こしかねない。
「嘘は嘘。本は本。そこの境界を揺るがしてはならない――なんてどっかの誰かさんなら言うかもね」
「いや、あの性悪なら嬉々として弄りまくりそうだけど」
ルールを策定する側とは、得てして横暴かつ身勝手なものである。
その根底にあるのが愛だとしても。
いずれにせよ、放置しておいていいものではないということは魔理沙にもわかった。
「そっか、大変なことなんだな」
「奴らはミントよ。書物界のミント! 放っておいたら辺り一面に蔓延って、庭ごと潰さなきゃならなくなるんだから!」
そう言えば昔、アリスの洋館にあるご自慢の庭を彼女自身でめちゃくちゃにしていたこともあったな、と魔理沙は思い出す。
「よっぽど変な力をもった本を、一箇所に複数集めているとかでなければ大丈夫だとは思うけどね」
アリスはちょっと嫌なことを思い出したような顔でテーブルの上のクッキーに手を伸ばし、「あ、チョコミント味……」うなだれた。
「とにかく、見かけたらすぐさま処理すること。それに尽きるわね」
パチュリーがそう締め括り、なんとなくの流れで始まった三人のお茶会は終わったのだった。
陽が落ちる頃、魔理沙は魔法の森の自宅へとようやく帰ってきた。
例によって一生借りる予定の本も、何冊か鞄に忍ばせてあった。
「いやはや、本って増えるのか。埃及人もびっくりだぜ」
ひとり言が多いのは、一人暮らし特有の病理だ。
「それにしても、世界にはまだまだ不思議なことがたくさんあるんだな。本が勝手に増えてくれるなら本屋さんも売り物に困らないんじゃないかと思ったが」
いや、そうでもないか。
魔理沙は思い直し、首を横に振った。
仕入れてもいない謎の本を売って、お客からクレームでも入ったらたまらない。
「まあ、それはともかく、そろそろご飯にするか。クッキーだけだとさすがにお腹が空いちゃうからな」
台所へ向かおうとしたそのとき、隣の部屋から何か物音が聞こえた。
魔理沙は一人暮らしである。今はペットも飼っていない。
すなわち、物音を立てる存在は魔理沙を除いてはいないはずである。
「なんだなんだ、賊か? 泥棒か? この魔理沙さん相手にふてぇやつだ。ふん縛ってスターダストレヴァリエ引き回しの刑に処してやる!」
熟練の整理業者も舌を巻くほどの鮮やかさで自分を棚に上げ、魔理沙は箒を構えて隣室へと飛び込む。
そこにいたのは――
「え、本!?」
二冊の小さい、生まれたてと思しき本だった。
少なくとも魔理沙の記憶にある装丁ではなかったし、傍らに落ちているブックカバーは脱皮の跡のようにも見えた。
偶然にも、魔理沙がとりあえず積んでいた複数の魔導書が作用してしまったのか。
「お前らだったのか、物音を立てたのは……」
二冊は寄り添って細かく震えている。仔鹿のようだった。
もし、この本を読んでみたら。
ゴクリと喉が鳴る。
――とにかく、見かけたらすぐさま処理すること
そのとき、パチュリーの言葉が蘇る。
魔理沙は勢いをつけて頭を振った。
「ダメだからな。読んじゃダメ、絶対だからな。とんでもないことになってしまう……」
目の前の本が、つぶらな瞳でこちらを見上げてくるように思えて、魔理沙は唸った。
「処分だぜ。処分するぜ。ほら処分する、すぐ処分する」
怯えるようにページを弱弱しくはためかせる本。
気のせいか、きゅうん、くぅん……と鳴き声を上げているようにすら思える。
「はぁ、はぁ……こういうときはシンプルに考えないとダメだ。こいつらは悪い本。見かけたら処分する。それでOK。完了。――よし決めたぜ。ああ、でもっ……!」
魔理沙はしばらく頭を抱えた。
そして、やがて息を大きく吸い、二冊の本へと手を伸ばした。
~完~