「だから見せてください。ナズーリンのそっぷ型の相撲を。
なっず・ざ・そっぷを」
「ご主人、そっぷ型というのはやせ型の体系の事で、別に相撲の型の事じゃない」
「はい、えっ」
「えっじゃなくて」
こういう会話をしなければならなくなった、いや勝手にご主人がし始めただけなのは必要性も意味は全くないのだが、なんかそんな流れになったのは理由がある。
幻想郷ちびっ子相撲大会。
交流を深めるために、里でそんな大会が催される運びになったのだ。勝手にやったらいい、出店でも出すのかな。小耳にはさんだ時はその程度の感想だった。ただ、このちびっ子というのが厄介であった。普通年齢であるはずなのに、事もあろうに身長制限であったのだ。里にいるちびっ子達にも、年齢が見た目通りだったりしない色々な事情があるからという配慮らしい。じゃあ無理に交流しなくて良かったのでは? とは思うのだが、命蓮寺の微妙な立場を考えると、そうも言っていられないし、聖は「それは良い事ですね」と全面的に協力を約束したらしい。
まあ、とはいえ、代表で一名も出場すればいいわけで、それなら微妙な立場の命蓮寺の中でも微妙な立場の私ではなく、下っ端の響子が出ることになるだろう。私は、ロッドを小手に持ち換えて出店で焼きそばでも焼いてポイントを稼ぐつもりでご主人を通じて「できることがあれば私も協力させてもらうから、なんでも気軽に申し付けてくれ」と伝えておいた。
「やあ、ご主人、響子の調子はどうだい?」
「ええ。順調ですよ。あの通り」
「かたやぁ! 山田ぁ山ぁ! 山田ぁ山ぁ! こなたっ! 北のぉ川ぁっ! 北のぉ川ぁっ!」
こな……た……?
「呼び出し兼行司を仰せつかってこのようにやる気満々です。軍配も既に発注したとか」
「そ、そうかい。じゃあ、ぬえかな。ぬえが出るのかな?」
「あ、嫌だと断られました」
ノーと言えるタイプの妖怪か。女苑……は既に寺を抜けている。
残ったちびっ子候補は……おや? あれ? おやおや?
「ご主人、ケモ耳って身長に入ったりしないかな?」
「うーん、まあ頭頂部までだと思いますよ」
へー、じゃあ小さな賢将は出場資格者か。協力を申し出ているし、これは出るほかないね。大変だなあ。いやー、大変大変。
「……はぁ」
そんなわけで、ケモ耳入れても結局十分にちびっ子判定だった小さな賢将ナズーリンこと私は見事命蓮寺代表選手となったわけだ。
はぁ。
まわしは、腰に帯を巻くと適度に締まって外れることもない、妖怪の賢者スペシャルの物が提供されているのでフェティッシュな感じにはならないよという仕様らしい。気が利いている……のか?
「取り組みが決まりましたよ」
一輪が駆け込んでくる。思わず固唾をのむ。勝ち抜き戦方式ではなく、各人、一番ずつ取って奉納するという形らし。一番で解放されるというのはありがたい。問題はその相手である。
「ええと、最初の取り組みが里の鈴奈庵から本居小鈴と……」
パッと目の前が明るくなる。なんだ、そうか。いや当然だ。里のちびっ子相撲なのだから、当然相手もその程度の範疇に収まるというわけだ。いやあ、無用な心配をしていた。一輪が読み上げを続ける。聞いたことがあるようなないような、里の子供達ばかり。仮にも妖怪である私にとっては楽勝楽勝。
「で、結びの一番が我が命蓮寺からナズーリン、鯢呑亭から伊吹萃香と」
ん?
「私と何だって?」
「鯢吞亭の伊吹萃香」
は?
「勝つと、大きい杯でうまい酒が飲めるし出ちゃえば? 誰かに吹き込まれたらしい」
どうして? だれが?
「……外の世界にも精通した飲み仲間の狸?」
ぶんぶくちゃがまぁ……。
「こなたっ! 伊吹ぃやぁまぁ! 伊吹ぃやぁまぁ」
きょうこはだまって……。
鉄砲、すり足、ぶつかり稽古、チーズ丼による体重増狙い。
過酷な稽古……は始まらなかった。チーズ丼だけはいただいた。
いや、鬼とどうしろと。高すぎる目標は毒なのだ。目標でもないし。
別荘として残してある掘っ立て小屋で枕元に置いた、参加選手であることを証明する木札からプレッシャーを受けつつ、布団をかぶっていると聖と星が訪ねてきた。
正直、伊吹萃香が出てくるとは思わなかったし、辞退して良いとの事だった。
「入れ知恵した狸、いえ、入れ知恵した方とはお話してきました」
語る聖の横で、ご主人が腕を思わずさすっている。“極”めたのかな?
狸の腕を生贄に現れた思わぬ救いの手。
が、何かが引っかかって。
「私が出なかった場合どうなるのです?」
「……出場者がいなくなりますし、時間はあるので取り組みを組み直す事になるでしょう」
「そうすると伊吹萃香は」
「別の子が相手になる、かもしれません」
伊吹萃香である。節分では愛想よく振舞っていたような気もするが、しかし、寺的にはなんか因縁をつけて強襲してきた因縁の相手。しかも酔っ払い。粘稠泥酔のチェーンドランカー。手加減はするだろうけどしかし。取り組みでは何かしないまでも、祝勝会と理由を付けて羽目を外しすぎて建物破壊ぐらいはあるかもしれない。取り越し苦労かもしれないが、伊吹萃香という概念の巻き起こしてきた事象がフラッシュバックしていく。うーん。あー。はぁ……。
「出るよ」
「えっ?」
「私が出て止める」
私はそう宣言した。
そして過酷な稽古は、始まらなかった。
私は賢将である。溢れる知性で返り討ちにする方向で進めたい。
聖は言った。出場者がいなくなれば時間はあるので取り組みを組み直す事になると。
ならば答えは簡単である。伊吹萃香を出場できなくすればいいのだ。
伊吹萃香の目的は何か? 勝って大きい杯で酒を飲みたいというものである。じゃあ大きい杯をこちらで準備してやればいいのではないか? 考えた私は、諸悪の根源の元へと向かった。
マミゾウのところである。折れてるかな? と思っていた腕は無事のようである。なんでも外してはハメ、外してはハメのハメ殺しにあったとか。
「単刀直入に言うけど、伊吹萃香に飲まれてくれない?」
「性的な意味で?」
「体だけ貸せって話だよ」
「つまり性的な意味じゃろ?」
埒が明かないが、まあ、デカイ器に化けてそれで伊吹萃香に酒を飲んでもらってそれで手打ちにしようという話である。
「断ればもう一度、聖とお話してもらうよ」
それで一発であった。お話してもらうもんだね。
ところが、話はうまく行かないものである。
「知り合いを器に酒を飲む気分にはなれない」
という返答があったという。
それはそう。
「参加を妨害する奴がいるとは、余計に闘志が燃えてきた。大会までにしこたま馬力をかけておくから待ってろ」
というメッセージもいただいてきたという。
あっ、はい。
その後も一応策は練り続けた。
「賢」者と「賢」将、「リン」と「琳」つながりのいわば八意先生にソウルメイトとして相談に乗ってもらった。小兵らしく猫騙しで戦ってみたらとアドバイスを受けたけどいや、相手も小兵だよなと思ったりとか、聖にネズミ耳をつけて私だと言い張って出場してもらったら夢のカードが実現するんでは? とか、鬼を止めるなら鬼とか、飲み過ぎた伊吹萃香が木札をうっかり厠にでも落としてくれないかとかその他諸々と。
楽しい現実逃避タイムだったなあ。
そんなわけでちびっ子相撲当日がやってきた。
やるべきことはやったという充実感はない。鬼との相撲なんてなんかもう遠い話であって、具体性もない。なので、できることはやったがとにかく不安という状態である。今は、ぬえに背中を押してもらって柔軟運動をしている。
控室では子供達が緊張したり、はしゃいだりしている。あ、こら、耳を引っ張るな。
まあ、なんかこの子らが鬼と相撲しないだけでもいいかあ。
そんなことを考えていると、私に挨拶したいという客が来ているという。これは取り組み前の挨拶か。小細工をしてくれたじゃないか、どうなるか分かってるよな? というお話なのか。
正直ビクビクとうつむきながら、「ど、どうぞ」と来客を促す。
「どうも」
意外と大人しく入ってきた。まともに顔が見られないので、胸のあたりを見る。私と体格自体はそれほど変わらないはずなのに、オーラなのか威圧感なのか、妖気なのか、質量を伴ったような、いうなれば鯨のような迫力がある。意を決して、顔を上げる。その表情は、特に感情を表に出していないが、茫洋とした印象を受ける。そうこれまた鯨のようで。なんか青くて、ファーとかついてて……あれ?
「私、鯢吞亭の奥野田美宵と言います。今日は萃香さんの代理で挨拶に参りました」
「ええと、どういったご用件で」
挨拶というか謝罪に来たのだという。ああこれからひどいことになるのを前もって謝罪しておくという流れかな。
「ええ。萃香さん、あれ以来、馬力だ馬力だと、あっ、馬力ってお酒の事ですね。連日連夜、飲んでない姿見てないんじゃ? いくら萃香さんとはいえ、チェーンドリンカー過ぎるんじゃ? というぐらいにお酒を飲んでまして。それで、厠に行った時にですね、こう、声を掛けたら驚いてしまってポチャンと」
おや? おやおや?
現実から逃げた先は、
「木札を落としてしまいまして」
現実だった。
「えっ、でも事務局に言えば再発行でもしてもらえるんじゃ?」
「はあ、私もそうは言おうとしたんですけど。なんかもう萎えちゃったって、別に誘われていた用事もあったからそっちの方に行くわって話されて、今日は来られないんです」
「別の用事って?」
「なんでも旧地獄の知り合いの方に、おいしいお酒を手に入れたって誘われたとか」
そして相談の成果が出た。八意先生曰く、大きい器はともかくうまい酒ならとある伝手で手に入れた酒虫の酒はあるからそれを提供してあげるとのことだった。それを探し物無料券と引き換えで女苑に星熊勇儀に繋いでもらい、星熊勇儀から伊吹萃香にお誘いをかけて貰っていたのだ。正直それ単体では効果が出なかったかもしれない。だが、厠落ちの幸運を得たことで、気まずさから拗ねモードに入った彼女にとって俄然輝きを増したのだ。正直、やらない方がマシなのでは? 程度の事だったがやってはみるもんだ。
「勇儀さんから連絡貰ったので、少し大きめに声出して見せたら一発でしたよ」
「うん?」
なんだろう。美宵のその笑顔は、被り物同様、どことなく鯢のような大物感を醸し出している。
「いえいえ、まあ。そういうわけで、今日は萃香さんは欠場という事になります。大変申し訳ございません。じゃあ、柿のフルコースを仕込まないといけないので、これで」
どんなコースなんだろうと思いながら、美宵を見送ると、ドッと体の力が抜けた。
直前での辞退という事で、私の取り組みはなくなった。
へたり込んでいると、はしゃいだ子供に、また耳を引っ張られた。
こら、やめろ。もう。しかたないなあ。
かくして平穏は取り戻された、
「ナズーリン、ちびっ子相撲が好評という事で、今度はちびっ子プロレスが開催されることになりました」
はずだった。
「だから見せてくださいね。ナズーリンのアームロック」
それ以上いけない。
「なっず・ざ――」
ここで終わって何が悪い。
なっず・ざ・そっぷを」
「ご主人、そっぷ型というのはやせ型の体系の事で、別に相撲の型の事じゃない」
「はい、えっ」
「えっじゃなくて」
こういう会話をしなければならなくなった、いや勝手にご主人がし始めただけなのは必要性も意味は全くないのだが、なんかそんな流れになったのは理由がある。
幻想郷ちびっ子相撲大会。
交流を深めるために、里でそんな大会が催される運びになったのだ。勝手にやったらいい、出店でも出すのかな。小耳にはさんだ時はその程度の感想だった。ただ、このちびっ子というのが厄介であった。普通年齢であるはずなのに、事もあろうに身長制限であったのだ。里にいるちびっ子達にも、年齢が見た目通りだったりしない色々な事情があるからという配慮らしい。じゃあ無理に交流しなくて良かったのでは? とは思うのだが、命蓮寺の微妙な立場を考えると、そうも言っていられないし、聖は「それは良い事ですね」と全面的に協力を約束したらしい。
まあ、とはいえ、代表で一名も出場すればいいわけで、それなら微妙な立場の命蓮寺の中でも微妙な立場の私ではなく、下っ端の響子が出ることになるだろう。私は、ロッドを小手に持ち換えて出店で焼きそばでも焼いてポイントを稼ぐつもりでご主人を通じて「できることがあれば私も協力させてもらうから、なんでも気軽に申し付けてくれ」と伝えておいた。
「やあ、ご主人、響子の調子はどうだい?」
「ええ。順調ですよ。あの通り」
「かたやぁ! 山田ぁ山ぁ! 山田ぁ山ぁ! こなたっ! 北のぉ川ぁっ! 北のぉ川ぁっ!」
こな……た……?
「呼び出し兼行司を仰せつかってこのようにやる気満々です。軍配も既に発注したとか」
「そ、そうかい。じゃあ、ぬえかな。ぬえが出るのかな?」
「あ、嫌だと断られました」
ノーと言えるタイプの妖怪か。女苑……は既に寺を抜けている。
残ったちびっ子候補は……おや? あれ? おやおや?
「ご主人、ケモ耳って身長に入ったりしないかな?」
「うーん、まあ頭頂部までだと思いますよ」
へー、じゃあ小さな賢将は出場資格者か。協力を申し出ているし、これは出るほかないね。大変だなあ。いやー、大変大変。
「……はぁ」
そんなわけで、ケモ耳入れても結局十分にちびっ子判定だった小さな賢将ナズーリンこと私は見事命蓮寺代表選手となったわけだ。
はぁ。
まわしは、腰に帯を巻くと適度に締まって外れることもない、妖怪の賢者スペシャルの物が提供されているのでフェティッシュな感じにはならないよという仕様らしい。気が利いている……のか?
「取り組みが決まりましたよ」
一輪が駆け込んでくる。思わず固唾をのむ。勝ち抜き戦方式ではなく、各人、一番ずつ取って奉納するという形らし。一番で解放されるというのはありがたい。問題はその相手である。
「ええと、最初の取り組みが里の鈴奈庵から本居小鈴と……」
パッと目の前が明るくなる。なんだ、そうか。いや当然だ。里のちびっ子相撲なのだから、当然相手もその程度の範疇に収まるというわけだ。いやあ、無用な心配をしていた。一輪が読み上げを続ける。聞いたことがあるようなないような、里の子供達ばかり。仮にも妖怪である私にとっては楽勝楽勝。
「で、結びの一番が我が命蓮寺からナズーリン、鯢呑亭から伊吹萃香と」
ん?
「私と何だって?」
「鯢吞亭の伊吹萃香」
は?
「勝つと、大きい杯でうまい酒が飲めるし出ちゃえば? 誰かに吹き込まれたらしい」
どうして? だれが?
「……外の世界にも精通した飲み仲間の狸?」
ぶんぶくちゃがまぁ……。
「こなたっ! 伊吹ぃやぁまぁ! 伊吹ぃやぁまぁ」
きょうこはだまって……。
鉄砲、すり足、ぶつかり稽古、チーズ丼による体重増狙い。
過酷な稽古……は始まらなかった。チーズ丼だけはいただいた。
いや、鬼とどうしろと。高すぎる目標は毒なのだ。目標でもないし。
別荘として残してある掘っ立て小屋で枕元に置いた、参加選手であることを証明する木札からプレッシャーを受けつつ、布団をかぶっていると聖と星が訪ねてきた。
正直、伊吹萃香が出てくるとは思わなかったし、辞退して良いとの事だった。
「入れ知恵した狸、いえ、入れ知恵した方とはお話してきました」
語る聖の横で、ご主人が腕を思わずさすっている。“極”めたのかな?
狸の腕を生贄に現れた思わぬ救いの手。
が、何かが引っかかって。
「私が出なかった場合どうなるのです?」
「……出場者がいなくなりますし、時間はあるので取り組みを組み直す事になるでしょう」
「そうすると伊吹萃香は」
「別の子が相手になる、かもしれません」
伊吹萃香である。節分では愛想よく振舞っていたような気もするが、しかし、寺的にはなんか因縁をつけて強襲してきた因縁の相手。しかも酔っ払い。粘稠泥酔のチェーンドランカー。手加減はするだろうけどしかし。取り組みでは何かしないまでも、祝勝会と理由を付けて羽目を外しすぎて建物破壊ぐらいはあるかもしれない。取り越し苦労かもしれないが、伊吹萃香という概念の巻き起こしてきた事象がフラッシュバックしていく。うーん。あー。はぁ……。
「出るよ」
「えっ?」
「私が出て止める」
私はそう宣言した。
そして過酷な稽古は、始まらなかった。
私は賢将である。溢れる知性で返り討ちにする方向で進めたい。
聖は言った。出場者がいなくなれば時間はあるので取り組みを組み直す事になると。
ならば答えは簡単である。伊吹萃香を出場できなくすればいいのだ。
伊吹萃香の目的は何か? 勝って大きい杯で酒を飲みたいというものである。じゃあ大きい杯をこちらで準備してやればいいのではないか? 考えた私は、諸悪の根源の元へと向かった。
マミゾウのところである。折れてるかな? と思っていた腕は無事のようである。なんでも外してはハメ、外してはハメのハメ殺しにあったとか。
「単刀直入に言うけど、伊吹萃香に飲まれてくれない?」
「性的な意味で?」
「体だけ貸せって話だよ」
「つまり性的な意味じゃろ?」
埒が明かないが、まあ、デカイ器に化けてそれで伊吹萃香に酒を飲んでもらってそれで手打ちにしようという話である。
「断ればもう一度、聖とお話してもらうよ」
それで一発であった。お話してもらうもんだね。
ところが、話はうまく行かないものである。
「知り合いを器に酒を飲む気分にはなれない」
という返答があったという。
それはそう。
「参加を妨害する奴がいるとは、余計に闘志が燃えてきた。大会までにしこたま馬力をかけておくから待ってろ」
というメッセージもいただいてきたという。
あっ、はい。
その後も一応策は練り続けた。
「賢」者と「賢」将、「リン」と「琳」つながりのいわば八意先生にソウルメイトとして相談に乗ってもらった。小兵らしく猫騙しで戦ってみたらとアドバイスを受けたけどいや、相手も小兵だよなと思ったりとか、聖にネズミ耳をつけて私だと言い張って出場してもらったら夢のカードが実現するんでは? とか、鬼を止めるなら鬼とか、飲み過ぎた伊吹萃香が木札をうっかり厠にでも落としてくれないかとかその他諸々と。
楽しい現実逃避タイムだったなあ。
そんなわけでちびっ子相撲当日がやってきた。
やるべきことはやったという充実感はない。鬼との相撲なんてなんかもう遠い話であって、具体性もない。なので、できることはやったがとにかく不安という状態である。今は、ぬえに背中を押してもらって柔軟運動をしている。
控室では子供達が緊張したり、はしゃいだりしている。あ、こら、耳を引っ張るな。
まあ、なんかこの子らが鬼と相撲しないだけでもいいかあ。
そんなことを考えていると、私に挨拶したいという客が来ているという。これは取り組み前の挨拶か。小細工をしてくれたじゃないか、どうなるか分かってるよな? というお話なのか。
正直ビクビクとうつむきながら、「ど、どうぞ」と来客を促す。
「どうも」
意外と大人しく入ってきた。まともに顔が見られないので、胸のあたりを見る。私と体格自体はそれほど変わらないはずなのに、オーラなのか威圧感なのか、妖気なのか、質量を伴ったような、いうなれば鯨のような迫力がある。意を決して、顔を上げる。その表情は、特に感情を表に出していないが、茫洋とした印象を受ける。そうこれまた鯨のようで。なんか青くて、ファーとかついてて……あれ?
「私、鯢吞亭の奥野田美宵と言います。今日は萃香さんの代理で挨拶に参りました」
「ええと、どういったご用件で」
挨拶というか謝罪に来たのだという。ああこれからひどいことになるのを前もって謝罪しておくという流れかな。
「ええ。萃香さん、あれ以来、馬力だ馬力だと、あっ、馬力ってお酒の事ですね。連日連夜、飲んでない姿見てないんじゃ? いくら萃香さんとはいえ、チェーンドリンカー過ぎるんじゃ? というぐらいにお酒を飲んでまして。それで、厠に行った時にですね、こう、声を掛けたら驚いてしまってポチャンと」
おや? おやおや?
現実から逃げた先は、
「木札を落としてしまいまして」
現実だった。
「えっ、でも事務局に言えば再発行でもしてもらえるんじゃ?」
「はあ、私もそうは言おうとしたんですけど。なんかもう萎えちゃったって、別に誘われていた用事もあったからそっちの方に行くわって話されて、今日は来られないんです」
「別の用事って?」
「なんでも旧地獄の知り合いの方に、おいしいお酒を手に入れたって誘われたとか」
そして相談の成果が出た。八意先生曰く、大きい器はともかくうまい酒ならとある伝手で手に入れた酒虫の酒はあるからそれを提供してあげるとのことだった。それを探し物無料券と引き換えで女苑に星熊勇儀に繋いでもらい、星熊勇儀から伊吹萃香にお誘いをかけて貰っていたのだ。正直それ単体では効果が出なかったかもしれない。だが、厠落ちの幸運を得たことで、気まずさから拗ねモードに入った彼女にとって俄然輝きを増したのだ。正直、やらない方がマシなのでは? 程度の事だったがやってはみるもんだ。
「勇儀さんから連絡貰ったので、少し大きめに声出して見せたら一発でしたよ」
「うん?」
なんだろう。美宵のその笑顔は、被り物同様、どことなく鯢のような大物感を醸し出している。
「いえいえ、まあ。そういうわけで、今日は萃香さんは欠場という事になります。大変申し訳ございません。じゃあ、柿のフルコースを仕込まないといけないので、これで」
どんなコースなんだろうと思いながら、美宵を見送ると、ドッと体の力が抜けた。
直前での辞退という事で、私の取り組みはなくなった。
へたり込んでいると、はしゃいだ子供に、また耳を引っ張られた。
こら、やめろ。もう。しかたないなあ。
かくして平穏は取り戻された、
「ナズーリン、ちびっ子相撲が好評という事で、今度はちびっ子プロレスが開催されることになりました」
はずだった。
「だから見せてくださいね。ナズーリンのアームロック」
それ以上いけない。
「なっず・ざ――」
ここで終わって何が悪い。
忘れてやらない。
(弾は節分豆)