「卵が切れてたから買いに行ってくるね」
「そうですか。ああ姫、雨が降る予報なので傘を持って行った方が良いですよ」
「ふうん」
針妙丸は逆さ城の外から見える雲の様子を見た。多少雲はあるが、雨を降らせるような雲ではない。いつもの正邪の口から出まかせだろう。嘘をつくにしても、もう少しバレにくい嘘をつけばいいのに。当然彼女は雨具を持たず買い出しに出かけた。
一時間後。針妙丸は雑巾と化した着物を洗濯に出して炬燵の中で震えていた。
「どうして今日に限ってにわか雨が降るのさ……」
「むしろ何で傘を置いて行ったんですか。雨予報だって言いましたよね?」
「あんたが忠告したところで誰も信用しないわよ。……いや、逆に信用できるわね。忠告は嘘だって。それで信用した結果がこれなんだけど、何か申し開きはある?」
針妙丸は炬燵に入りに来た正邪に針を向けた。
「姫。今日が何月何日かご存知ですか?」
「四月一日ね。暦の上では春だけど、気温は上がりきってはいない。そういう日につく冗談としては命に関わるわよ、これは」
針妙丸は自分が今寒い思いをしているのは全部正邪のせいだと言わんばかりに毒づいた。
「そう、四月一日。エイプリルフールなんですよ」
「エイプリルフール。ああ、あれね、最近流行っている、一日だけ嘘をついてもいい日ってやつ。そんな日をありがたがるんだから、みんなあんたと違って正直者なのよ」
「姫がおっしゃるように、エイプリルフールでは噓をつくという行為に免罪符が発行されてしまうのでみんな嘘をつく。これでは天邪鬼としてのアイデンティティを保てない」
「一日くらい天邪鬼休業してもいいじゃない。むしろ半年くらいの長期休暇でもとったら?」
「天邪鬼には天邪鬼なりの誇りがあるのです。真面目に四月一日という記念すべき日にふさわしい行動を考えました」
針妙丸の皮肉百パーセントの返しも正邪には全く効いていない。面の皮の厚さには定評がある。
「噓をつくのが許されない人々に噓をついても良い日として与えられるからエイプリルフールは特別な日となる。であるならば、噓つきにとって特別な日にするにはどうするか。これはもう、一日だけ正直者を演ずる日とするしかないでしょう」
「別に誰もあんたが正直者になることは止めようとしていないし、そもそも誰もあんたが嘘つきであることは許してないわよ」
「私が正直なことを言うことを許されている。つまり問題ないということですよね、それは」
針妙丸はとんだ屁理屈だと思ったが、確かに正邪が心を入れ替えた起点が偶々今日だったということなだけで、論理的には問題ない。
しかし、と思った。急に正邪が正直者になったせいで騙されたという私怨もあるが、それ以前に嘘をつかない正邪というのは、いざ実際見てみると正直気持ち悪い。チャラチャラした後輩が急に真面目になったのでこちらも居住まいを正さなければいけなくなる、その究極みたいなものだ。
「いややっぱ問題あるわ。論理的にではなくて感情的に。あんたに正直者になられると窮屈になって居心地が悪い」
「人が嫌がることを進んでする。実に天邪鬼冥利に尽きます」
「なんでそういうところは改心しないのさ! いや本当に、気持ちとしては耐えられなくなって城を飛び出す五秒前くらいまできてるから」
「真面目に考えた案がこうも一蹴されてしまうというのは心外ですが……。そうですね。私としても姫に出て行かれると困ります」
本当に出て行かれると困るのだろう。なんせ正邪は家事をろくにしない。一人で長期間逃避行をしていたことがあるのだから正邪の生活スキルはそれなりに高いはずなのだが、同居人がいると徹底的にサボる。クズだ。これで数秒前までは正直者を演じようとしていたのだから、正直者正邪というのには確かにエイプリルフール的な滑稽さがある。
「……」
針妙丸はようやく炬燵から腕を出せるくらいまで体温を取り戻したので、炬燵の上のミカンを一個とった。そしてそれを完食するまで正邪の様子を眺めていたのだが、あれほど饒舌だった彼女は腕を組んで唸ったまま、一言も言葉を発さなくなっていた。
「どうしたのさ、急に黙って」
「いや、いざ意識的に嘘をつこうとすると意外と難しいなと」
「普通に喋ればいいじゃない」
「解禁されて最初の嘘ですよ。つまらないことで消費したくはないじゃないですか」
「そんなことで渋ってたら嘘をつけなくなって、それこそアイデンティティ消失でしょ」
それもそうですね、と正邪は呟いて、息を吸った。
「オオカミが来たぞー!」
余りにもベタな嘘だ。解禁一発目をつまらない嘘に使いたくないとか言っておきながらそれでいいのかと針妙丸は思った。
「ごめんくださーい」
玄関の方から声が聞こえた。その声の主は、影狼だった。
***
「え、なんで本当にオオカミが来るの」
「おかしいですよね。私としてもこんな筈ではなかったのですが……」
針妙丸も正邪も困惑した。偶々正邪が発言したタイミングで影狼が来ただけかもしれない。しかし、こんな辺鄙なところに幻想郷ですら希少なニホンオオカミの狼女が来る。そんな偶然あるだろうか。
針妙丸は、さっきのにわか雨も不自然だったと思った。降水確率がどんなに高く見積もってもせいぜい二割といった空模様から、真夏の夕立かのような土砂降りになった。誰かが因果律を捻じ曲げているとしか思えない。
誰か……。
「正邪。あんたにとって『正直者になる』ということは並大抵の努力じゃできないわよね」
「それはそうです。なんせ私は生まれ持っての天邪鬼ですから」
「そうだよね。そもそもあんたは努力なんてしないね。もっと楽な方法を選ぶ筈だ。正直者を演じるために、自分の嘘つきであるという要素を能力でひっくり返したんじゃないの?」
「そうなんですかね……? 確かにそうかも……」
「あーもう! 煮えきらない! あんたが能力を使ったとでも考えないと状況の説明がつかないでしょうが!」
「なんなの! さっきから来客を怪異現象か何かみたいに!」
影狼が勢いよく襖を開けて、二人が入っている炬燵に突撃してきた。
「姫、玄関の鍵閉め忘れてません?」
確かにどうやって影狼は玄関を突破したのか。針妙丸は記憶を辿った。どっかの誰かのせいでびしょ濡れになったから、戸締まりを気にしている余裕はなく忘れてたかも。いや、今日は鍵を開けておかないとと思っていた気もするし、その前に影狼に合鍵を渡していた気もする。なんでだっけ……。
「あっ」
「思い出したかしら。私達は普通の来客よ。遊びの約束してたでしょ」
影狼は呆れ顔をしつつ、土産の菓子の箱を炬燵の上に置いた。その背後で襖がもう一度開き、赤蛮奇とわかさぎ姫も居間に入った。イヌ科動物の聴覚を持たない二人は針妙丸と正邪がしていた失礼な会話が聞こえず、普通に歩いて(あるいは浮遊して)居間まで来たのだ。
「ごめんごめん。今日の人狼会はうちでやるんだったね」
「今日の集合先が針妙丸のお城で良かったわ。他でやる予定だったらあんたすっぽかしてただろうね」
「確かに」
「何ですか姫。いつの間にこんなに女の子侍らしてイケナイ遊びを」
正邪が会話に割り込んできた。
「言い方よ。私はあんたと違って社交的なの。それと人狼ゲーム知らないの? 最近流行ってるのよ」
「知ってて言ってますが?」
「こいつ……」
正邪の様子はいつも通りだ。やはり明らかに嘘と思ったオオカミが来たぞ発言が本当になったのは、ただの偶然なのだろうか。
どうやら正邪も人狼のルールは知っているらしく、どうせならということでこの日の人狼会は正邪も交えて行われることになった。
そして、ここで正邪の舌が猛威を振るった。いつものような口八丁の出任せで場を狂わせるという方向でてはない。逆に言う事全てが事実のリアル預言者と化してゲームを崩壊させたのである。
最初の数戦はそれほど問題ではなかった。唯一人狼を始める前から正邪の口に疑念を抱き続けていた針妙丸のみ、何かがおかしいと薄々勘づいてはいたが、草の根組はあまり気にしている様子ではなかった。単に正邪はプレイヤースキルが高いだけという認識のようだった。
しかし、スキルの高低だけでは説明がつかない精度で当ててくるのと、推理が困難な初手の初手のような状況ですら確実に役職を当ててくることに皆が気が付き始め、空気が変わり始めた。
そしてゲームそのものも壊れ始めた。幻想郷変種ルールでは、正邪が呟いた出任せ(のつもりの真実)のせいで、本来一人しかいない筈の博麗の巫女が二人に増えた。結局そのゲームは二人の博麗の巫女が通常の二倍の早さで無垢な妖怪を退治しつくして決着した。
似たようなことが数回起こり、疑心暗鬼を募らせた赤蛮奇が「人狼なんていないんだよ!」と叫び、それを聞いた正邪が「いるさ! ここに一人な!」と返して自滅したのだけは皆面白がった。が、遊びとしてはそこがピークで、その後数戦で一通りデバッグをするがごとく色々試して、「初手で正邪を吊るのが安定」という結論で一致した。
「ま、いつもの正邪だったもしても初手で吊ってただろうけどね」
とは針妙丸の言。
なお初手正邪吊りから入ってからも吊られた正邪が外部から茶化すせいでゲームの崩壊は続き、「大預言者は怪物よりも社会を壊す」という妙に生々しい教訓を残してこの日の人狼会は閉幕となった。
***
夕方になり三人の妖怪が帰ると、逆さ城はまた広くなった。中には一人の小人と、一人の正直者のみ。
「いやあ、凄まじかったね……」
「悪気はありましたけど、わざとではないんですよ?」
「悪気ある段階でギルティじゃない。まあ私達は大丈夫よ。前に覚妖怪を同席させたこともある猛者だし」
「人のこと言えませんが、姫達って少なくとも人狼に関しては結構クレイジーですよね」
「まあまあ、それよりさ……」
針妙丸は目を輝かせていた。先程まで得体のしれない能力を有した正邪を警戒していたが、懸念していたよりは危険でもなさそうと思い始めた。そうなると次にどんなことを考えるか。能力の悪用である。
「宝くじ買ってない?」
正邪に宝くじのことを考えさせるように誘導尋問をする。正邪だって宝くじが外れているよりは当たっている方が嬉しいだろうから、自分の意図に気がつけば「当たっている」と答える筈だ。あとは現実が帳尻を合わせてくれる。
もっとも針妙丸にとってこれはジャブだ。本命の狙いは小槌の魔力の方。しかし、それを最初から狙うのはリスクが高すぎるし、正邪を誘導するには弱い。だから他の願いを囮に使って正邪をその気にさせ、世界を自分が望むままに書き換える。かつて自分が正邪にされたことの意趣返し。逆様異変第二章。
「宝くじなんて買っていませんよ」
針妙丸の野望は、そのジャブが外れたことで早々に頓挫した。
「嘘でも買って当たっているって言うべきでしょそこは」
「気が付かなかったな……。まあでももう遅いです、姫。どうも既にした発言と矛盾することは言えないらしく、喉が上手く動きません。お金は諦めて下さい」
敗因は二つ。第一に正邪が鈍感過ぎた。そしてもう一つの敗因は、正邪がギャンブルを嫌うことだ。
生き様が分の悪い賭けみたいな所がある割に正邪は賭け事をしない。堅実に本命に賭けるのは哲学に反するのだろうと思いきや、大穴狙いすら嫌うらしい。曰く「賭け事に弱者が強者を挫く展開はない。生まれるのはいつだって勝者と敗者で、敗者はいつまでも負け続ける構造になっている。ひっくり返すことができなくてつまらん」だそうだ。昔その話を聞いた針妙丸は、正邪は賭け事をして延々と負け続けた経験があるのだろうという所まで理解したが、それを口にすることは余りにも痛々しくて控えていた。
まあ過去はどうあれ、今の正邪はその刹那的な生き様からすればやや意外なほどに堅実だということだ。針妙丸は正邪に夢を潰されてはかなわないと、大仰な願いを叶えさせるのは諦めた。
結局針妙丸が正直者正邪から引き出したのは、にわか雨のせいで買いそこねていた卵だけだった。最近は卵も高くなっているから、これはこれで家計の足しにはなったのかもねと、夕食のオムライスにスプーンを刺しながら思うのだった。
***
四月二日になり、正邪は嘘つきに戻った。正々堂々と嘘をつけるようになったことで性根の悪さに磨きがかかった気がしないでもないが、まあ元々正邪は性格が悪いし、言霊に怯える必要がなくなったからむしろ気が楽だと針妙丸は安心した。
そうして、幻想郷でも桜が散り始め、正邪が正直者だった日があったことも二人の記憶から失われつつあった頃、次の人狼会に参加するために針妙丸は香霖堂に行くことになった。
「というわけで、夕方まで帰らないから」
「そうですか。ああ姫、雨が降る予報なので傘を持って行った方が良いですよ」
「ふうん」
針妙丸は窓の外を見た。雲はあるが、雨を降らせるような色や量ではない。だが、ここから雨が降ったこともあった。油断はならない。
いや、あのときは正邪が正直者だったから雨が降ったのだ。今の正邪ならば、きっと口から出任せを言っているだけだろう。そう、これは油断ではなく論理的判断だ。針妙丸は傘を置いて出かけた。
針妙丸は致命的な勘違いをしていた。正直者にひっくり返った正邪は正直なことしか言えなくなっていたが、いつもの正邪が嘘しかつけないというわけでは決してないのだ。むしろ、虚実ないまぜの言葉で人を惑わせる。それこそが天邪鬼の本質。
夕方、にわか雨に打たれた針妙丸がずぶ濡れで帰ってきたことは言うまでもない。
「そうですか。ああ姫、雨が降る予報なので傘を持って行った方が良いですよ」
「ふうん」
針妙丸は逆さ城の外から見える雲の様子を見た。多少雲はあるが、雨を降らせるような雲ではない。いつもの正邪の口から出まかせだろう。嘘をつくにしても、もう少しバレにくい嘘をつけばいいのに。当然彼女は雨具を持たず買い出しに出かけた。
一時間後。針妙丸は雑巾と化した着物を洗濯に出して炬燵の中で震えていた。
「どうして今日に限ってにわか雨が降るのさ……」
「むしろ何で傘を置いて行ったんですか。雨予報だって言いましたよね?」
「あんたが忠告したところで誰も信用しないわよ。……いや、逆に信用できるわね。忠告は嘘だって。それで信用した結果がこれなんだけど、何か申し開きはある?」
針妙丸は炬燵に入りに来た正邪に針を向けた。
「姫。今日が何月何日かご存知ですか?」
「四月一日ね。暦の上では春だけど、気温は上がりきってはいない。そういう日につく冗談としては命に関わるわよ、これは」
針妙丸は自分が今寒い思いをしているのは全部正邪のせいだと言わんばかりに毒づいた。
「そう、四月一日。エイプリルフールなんですよ」
「エイプリルフール。ああ、あれね、最近流行っている、一日だけ嘘をついてもいい日ってやつ。そんな日をありがたがるんだから、みんなあんたと違って正直者なのよ」
「姫がおっしゃるように、エイプリルフールでは噓をつくという行為に免罪符が発行されてしまうのでみんな嘘をつく。これでは天邪鬼としてのアイデンティティを保てない」
「一日くらい天邪鬼休業してもいいじゃない。むしろ半年くらいの長期休暇でもとったら?」
「天邪鬼には天邪鬼なりの誇りがあるのです。真面目に四月一日という記念すべき日にふさわしい行動を考えました」
針妙丸の皮肉百パーセントの返しも正邪には全く効いていない。面の皮の厚さには定評がある。
「噓をつくのが許されない人々に噓をついても良い日として与えられるからエイプリルフールは特別な日となる。であるならば、噓つきにとって特別な日にするにはどうするか。これはもう、一日だけ正直者を演ずる日とするしかないでしょう」
「別に誰もあんたが正直者になることは止めようとしていないし、そもそも誰もあんたが嘘つきであることは許してないわよ」
「私が正直なことを言うことを許されている。つまり問題ないということですよね、それは」
針妙丸はとんだ屁理屈だと思ったが、確かに正邪が心を入れ替えた起点が偶々今日だったということなだけで、論理的には問題ない。
しかし、と思った。急に正邪が正直者になったせいで騙されたという私怨もあるが、それ以前に嘘をつかない正邪というのは、いざ実際見てみると正直気持ち悪い。チャラチャラした後輩が急に真面目になったのでこちらも居住まいを正さなければいけなくなる、その究極みたいなものだ。
「いややっぱ問題あるわ。論理的にではなくて感情的に。あんたに正直者になられると窮屈になって居心地が悪い」
「人が嫌がることを進んでする。実に天邪鬼冥利に尽きます」
「なんでそういうところは改心しないのさ! いや本当に、気持ちとしては耐えられなくなって城を飛び出す五秒前くらいまできてるから」
「真面目に考えた案がこうも一蹴されてしまうというのは心外ですが……。そうですね。私としても姫に出て行かれると困ります」
本当に出て行かれると困るのだろう。なんせ正邪は家事をろくにしない。一人で長期間逃避行をしていたことがあるのだから正邪の生活スキルはそれなりに高いはずなのだが、同居人がいると徹底的にサボる。クズだ。これで数秒前までは正直者を演じようとしていたのだから、正直者正邪というのには確かにエイプリルフール的な滑稽さがある。
「……」
針妙丸はようやく炬燵から腕を出せるくらいまで体温を取り戻したので、炬燵の上のミカンを一個とった。そしてそれを完食するまで正邪の様子を眺めていたのだが、あれほど饒舌だった彼女は腕を組んで唸ったまま、一言も言葉を発さなくなっていた。
「どうしたのさ、急に黙って」
「いや、いざ意識的に嘘をつこうとすると意外と難しいなと」
「普通に喋ればいいじゃない」
「解禁されて最初の嘘ですよ。つまらないことで消費したくはないじゃないですか」
「そんなことで渋ってたら嘘をつけなくなって、それこそアイデンティティ消失でしょ」
それもそうですね、と正邪は呟いて、息を吸った。
「オオカミが来たぞー!」
余りにもベタな嘘だ。解禁一発目をつまらない嘘に使いたくないとか言っておきながらそれでいいのかと針妙丸は思った。
「ごめんくださーい」
玄関の方から声が聞こえた。その声の主は、影狼だった。
***
「え、なんで本当にオオカミが来るの」
「おかしいですよね。私としてもこんな筈ではなかったのですが……」
針妙丸も正邪も困惑した。偶々正邪が発言したタイミングで影狼が来ただけかもしれない。しかし、こんな辺鄙なところに幻想郷ですら希少なニホンオオカミの狼女が来る。そんな偶然あるだろうか。
針妙丸は、さっきのにわか雨も不自然だったと思った。降水確率がどんなに高く見積もってもせいぜい二割といった空模様から、真夏の夕立かのような土砂降りになった。誰かが因果律を捻じ曲げているとしか思えない。
誰か……。
「正邪。あんたにとって『正直者になる』ということは並大抵の努力じゃできないわよね」
「それはそうです。なんせ私は生まれ持っての天邪鬼ですから」
「そうだよね。そもそもあんたは努力なんてしないね。もっと楽な方法を選ぶ筈だ。正直者を演じるために、自分の嘘つきであるという要素を能力でひっくり返したんじゃないの?」
「そうなんですかね……? 確かにそうかも……」
「あーもう! 煮えきらない! あんたが能力を使ったとでも考えないと状況の説明がつかないでしょうが!」
「なんなの! さっきから来客を怪異現象か何かみたいに!」
影狼が勢いよく襖を開けて、二人が入っている炬燵に突撃してきた。
「姫、玄関の鍵閉め忘れてません?」
確かにどうやって影狼は玄関を突破したのか。針妙丸は記憶を辿った。どっかの誰かのせいでびしょ濡れになったから、戸締まりを気にしている余裕はなく忘れてたかも。いや、今日は鍵を開けておかないとと思っていた気もするし、その前に影狼に合鍵を渡していた気もする。なんでだっけ……。
「あっ」
「思い出したかしら。私達は普通の来客よ。遊びの約束してたでしょ」
影狼は呆れ顔をしつつ、土産の菓子の箱を炬燵の上に置いた。その背後で襖がもう一度開き、赤蛮奇とわかさぎ姫も居間に入った。イヌ科動物の聴覚を持たない二人は針妙丸と正邪がしていた失礼な会話が聞こえず、普通に歩いて(あるいは浮遊して)居間まで来たのだ。
「ごめんごめん。今日の人狼会はうちでやるんだったね」
「今日の集合先が針妙丸のお城で良かったわ。他でやる予定だったらあんたすっぽかしてただろうね」
「確かに」
「何ですか姫。いつの間にこんなに女の子侍らしてイケナイ遊びを」
正邪が会話に割り込んできた。
「言い方よ。私はあんたと違って社交的なの。それと人狼ゲーム知らないの? 最近流行ってるのよ」
「知ってて言ってますが?」
「こいつ……」
正邪の様子はいつも通りだ。やはり明らかに嘘と思ったオオカミが来たぞ発言が本当になったのは、ただの偶然なのだろうか。
どうやら正邪も人狼のルールは知っているらしく、どうせならということでこの日の人狼会は正邪も交えて行われることになった。
そして、ここで正邪の舌が猛威を振るった。いつものような口八丁の出任せで場を狂わせるという方向でてはない。逆に言う事全てが事実のリアル預言者と化してゲームを崩壊させたのである。
最初の数戦はそれほど問題ではなかった。唯一人狼を始める前から正邪の口に疑念を抱き続けていた針妙丸のみ、何かがおかしいと薄々勘づいてはいたが、草の根組はあまり気にしている様子ではなかった。単に正邪はプレイヤースキルが高いだけという認識のようだった。
しかし、スキルの高低だけでは説明がつかない精度で当ててくるのと、推理が困難な初手の初手のような状況ですら確実に役職を当ててくることに皆が気が付き始め、空気が変わり始めた。
そしてゲームそのものも壊れ始めた。幻想郷変種ルールでは、正邪が呟いた出任せ(のつもりの真実)のせいで、本来一人しかいない筈の博麗の巫女が二人に増えた。結局そのゲームは二人の博麗の巫女が通常の二倍の早さで無垢な妖怪を退治しつくして決着した。
似たようなことが数回起こり、疑心暗鬼を募らせた赤蛮奇が「人狼なんていないんだよ!」と叫び、それを聞いた正邪が「いるさ! ここに一人な!」と返して自滅したのだけは皆面白がった。が、遊びとしてはそこがピークで、その後数戦で一通りデバッグをするがごとく色々試して、「初手で正邪を吊るのが安定」という結論で一致した。
「ま、いつもの正邪だったもしても初手で吊ってただろうけどね」
とは針妙丸の言。
なお初手正邪吊りから入ってからも吊られた正邪が外部から茶化すせいでゲームの崩壊は続き、「大預言者は怪物よりも社会を壊す」という妙に生々しい教訓を残してこの日の人狼会は閉幕となった。
***
夕方になり三人の妖怪が帰ると、逆さ城はまた広くなった。中には一人の小人と、一人の正直者のみ。
「いやあ、凄まじかったね……」
「悪気はありましたけど、わざとではないんですよ?」
「悪気ある段階でギルティじゃない。まあ私達は大丈夫よ。前に覚妖怪を同席させたこともある猛者だし」
「人のこと言えませんが、姫達って少なくとも人狼に関しては結構クレイジーですよね」
「まあまあ、それよりさ……」
針妙丸は目を輝かせていた。先程まで得体のしれない能力を有した正邪を警戒していたが、懸念していたよりは危険でもなさそうと思い始めた。そうなると次にどんなことを考えるか。能力の悪用である。
「宝くじ買ってない?」
正邪に宝くじのことを考えさせるように誘導尋問をする。正邪だって宝くじが外れているよりは当たっている方が嬉しいだろうから、自分の意図に気がつけば「当たっている」と答える筈だ。あとは現実が帳尻を合わせてくれる。
もっとも針妙丸にとってこれはジャブだ。本命の狙いは小槌の魔力の方。しかし、それを最初から狙うのはリスクが高すぎるし、正邪を誘導するには弱い。だから他の願いを囮に使って正邪をその気にさせ、世界を自分が望むままに書き換える。かつて自分が正邪にされたことの意趣返し。逆様異変第二章。
「宝くじなんて買っていませんよ」
針妙丸の野望は、そのジャブが外れたことで早々に頓挫した。
「嘘でも買って当たっているって言うべきでしょそこは」
「気が付かなかったな……。まあでももう遅いです、姫。どうも既にした発言と矛盾することは言えないらしく、喉が上手く動きません。お金は諦めて下さい」
敗因は二つ。第一に正邪が鈍感過ぎた。そしてもう一つの敗因は、正邪がギャンブルを嫌うことだ。
生き様が分の悪い賭けみたいな所がある割に正邪は賭け事をしない。堅実に本命に賭けるのは哲学に反するのだろうと思いきや、大穴狙いすら嫌うらしい。曰く「賭け事に弱者が強者を挫く展開はない。生まれるのはいつだって勝者と敗者で、敗者はいつまでも負け続ける構造になっている。ひっくり返すことができなくてつまらん」だそうだ。昔その話を聞いた針妙丸は、正邪は賭け事をして延々と負け続けた経験があるのだろうという所まで理解したが、それを口にすることは余りにも痛々しくて控えていた。
まあ過去はどうあれ、今の正邪はその刹那的な生き様からすればやや意外なほどに堅実だということだ。針妙丸は正邪に夢を潰されてはかなわないと、大仰な願いを叶えさせるのは諦めた。
結局針妙丸が正直者正邪から引き出したのは、にわか雨のせいで買いそこねていた卵だけだった。最近は卵も高くなっているから、これはこれで家計の足しにはなったのかもねと、夕食のオムライスにスプーンを刺しながら思うのだった。
***
四月二日になり、正邪は嘘つきに戻った。正々堂々と嘘をつけるようになったことで性根の悪さに磨きがかかった気がしないでもないが、まあ元々正邪は性格が悪いし、言霊に怯える必要がなくなったからむしろ気が楽だと針妙丸は安心した。
そうして、幻想郷でも桜が散り始め、正邪が正直者だった日があったことも二人の記憶から失われつつあった頃、次の人狼会に参加するために針妙丸は香霖堂に行くことになった。
「というわけで、夕方まで帰らないから」
「そうですか。ああ姫、雨が降る予報なので傘を持って行った方が良いですよ」
「ふうん」
針妙丸は窓の外を見た。雲はあるが、雨を降らせるような色や量ではない。だが、ここから雨が降ったこともあった。油断はならない。
いや、あのときは正邪が正直者だったから雨が降ったのだ。今の正邪ならば、きっと口から出任せを言っているだけだろう。そう、これは油断ではなく論理的判断だ。針妙丸は傘を置いて出かけた。
針妙丸は致命的な勘違いをしていた。正直者にひっくり返った正邪は正直なことしか言えなくなっていたが、いつもの正邪が嘘しかつけないというわけでは決してないのだ。むしろ、虚実ないまぜの言葉で人を惑わせる。それこそが天邪鬼の本質。
夕方、にわか雨に打たれた針妙丸がずぶ濡れで帰ってきたことは言うまでもない。
ホントのことを言ってくれる正邪、かわいい...!
最後のオチまで面白かったです。
正邪らしくて面白かったです。