久しぶりに川に行くとわかさぎ姫が座礁して動けなくなっていた。私を見ると必死の形相で両手を振る。
「ちょうど良いところに来た、カモンカモン。助けて蛮奇ちゃん」
「大変そうね、頑張って。じゃ」
「待ってよ、この冷血! 薄情者! ろくでなし! ろくろ首!」
踵を返して立ち去りかけたが、最後に呼ばれたのでしょうがなく戻ってやる。
「いつからなの?」
「5日くらい? わかんないよう。川がもうずっとせき止められてほら」
彼女が後方を指さす。たしかに色んなものが引っかかっていて、ゴミだまりのようになっている。なんだか据えた臭いを放っていて嫌な感じだったが、見慣れないものへの興味が僅かに勝って、鼻を押さえながらそのうちの一つを水からつまみ上げる。糸くずのようにほつれている。
「何これ」と私は訊いた。
「なんか映画が終わったみたいでエンドロールが延々流れてくるのよ。誰かの名前じゃない?」
「ふうん」
両手で糸くずを広げて名前を確かめてやろうと思ったが、糸から垂れる淀んだ川の水が何だかネバネバとしていてためらわれた。私はわかさぎ姫の前の水にそれを流した。それは流れに洗われて、水の中で花弁のようにゆっくりと開いていった。「終」と読めた。
「終わったよ」
「何がよ。ちょっと両手ゆっくり引っ張ってみてくれない。たぶんお腹の辺りが引っかかってるのよ」
「しょうがないわね」
私は彼女の両手を掴んでゆっくりと引き上げてみた。
「痛い痛い痛い痛い」とわかさぎ姫が叫んだ。私は力を抜いた。
「鱗がひっかかってるみたいなこと?」
「わかんない……」
私は自分の首の一つをわかさぎ姫の顔の前に置いた。
「え、これなに?」
「じゃ、頑張って」
「ちょっと! 諦め早すぎない?」
「大丈夫、Bluetoothの距離結構遠くまで届くから。『地蔵』は私の首の中で一番聞き上手だし」
「訊いてないわよ! 手がなきゃ気休めにもならないわ、この裏切り者! 冷酷! ろくでなし! ろくろ首!」
「いや冗談だって」
「もう……まさか私一生このままなのかな、ライン川のローレライみたいに……」
「自己評価高くない?」
「うっさい、ちょっとは慰めろ!」
「あなたがたは、地の塩である。 - マタイ5:13」と足下の『地蔵』が低い声で言った。
「あのさ、地蔵が聖書の引用するのほんとやめてくれない? 解釈違いなんだけど」と急に真顔になった姫が冷たい目をして言った。
彼女が川を塞いでいるのが魚たちの噂となって、下流にまで伝わっていったのだろう。流れを遡りながら魚たちとその噂をすべて平らげたミケが川下からやってきて、私たちに向けて露天を広げた。
「さあ安いよ、安いよ。ほらお嬢さん、カードいらないかい?」
「何のカードよ」と姫がふくれっ面で訊いた。
「映画のチケット!」
「だからここから動けねえっつってんのよ」と姫が吠えた。
「ほら、この川映画流れてくるし」と私は川上を指さした。川では新たな映画のシーンが細切れに裁断されてわかさぎ姫の後方に溜まり続けていた。聖書の引用を怒られて傷ついた『地蔵』はもう単なるBluetoothスピーカーになっていて、映画の音声だけを口から発し続けていた。それが姫の神経をさらに逆撫でしていた。
「そんなこと言わないで、お願い、買ってよ」と言ってミケは突然泣き崩れた。「ぜんぶで80枚もあるのよ、誰も買ってくれないの」
「なんでそんなことになったのよ」
「わかんないよ、こんなことになるなんて……教えてくれた人がまったく新しいビジネスモデルだって言うから……」
「自分で観に行ったの?」
「うん、一回」とミケは言った。「でもつまんなかった」
「そりゃ仕方ないんじゃない」と私は言った。「なんてタイトル?」
「んーなんだっけ」ミケはこちらに歩いてきて、わかさぎ姫の後ろに溜まり続けている映画の画面を見た。「あ、これこれ!」
「一回みんなで観てみようよ、それから考えよう」と私は言った。
それから私たちは車座になって、わかさぎ姫は首を後ろになんとか捻って、『地蔵』は私のあぐらの中に収まって、ミケは80枚の不良債権の束を抱えて、みんなで一緒に映画を観た。つまらなかった。
「ちょうど良いところに来た、カモンカモン。助けて蛮奇ちゃん」
「大変そうね、頑張って。じゃ」
「待ってよ、この冷血! 薄情者! ろくでなし! ろくろ首!」
踵を返して立ち去りかけたが、最後に呼ばれたのでしょうがなく戻ってやる。
「いつからなの?」
「5日くらい? わかんないよう。川がもうずっとせき止められてほら」
彼女が後方を指さす。たしかに色んなものが引っかかっていて、ゴミだまりのようになっている。なんだか据えた臭いを放っていて嫌な感じだったが、見慣れないものへの興味が僅かに勝って、鼻を押さえながらそのうちの一つを水からつまみ上げる。糸くずのようにほつれている。
「何これ」と私は訊いた。
「なんか映画が終わったみたいでエンドロールが延々流れてくるのよ。誰かの名前じゃない?」
「ふうん」
両手で糸くずを広げて名前を確かめてやろうと思ったが、糸から垂れる淀んだ川の水が何だかネバネバとしていてためらわれた。私はわかさぎ姫の前の水にそれを流した。それは流れに洗われて、水の中で花弁のようにゆっくりと開いていった。「終」と読めた。
「終わったよ」
「何がよ。ちょっと両手ゆっくり引っ張ってみてくれない。たぶんお腹の辺りが引っかかってるのよ」
「しょうがないわね」
私は彼女の両手を掴んでゆっくりと引き上げてみた。
「痛い痛い痛い痛い」とわかさぎ姫が叫んだ。私は力を抜いた。
「鱗がひっかかってるみたいなこと?」
「わかんない……」
私は自分の首の一つをわかさぎ姫の顔の前に置いた。
「え、これなに?」
「じゃ、頑張って」
「ちょっと! 諦め早すぎない?」
「大丈夫、Bluetoothの距離結構遠くまで届くから。『地蔵』は私の首の中で一番聞き上手だし」
「訊いてないわよ! 手がなきゃ気休めにもならないわ、この裏切り者! 冷酷! ろくでなし! ろくろ首!」
「いや冗談だって」
「もう……まさか私一生このままなのかな、ライン川のローレライみたいに……」
「自己評価高くない?」
「うっさい、ちょっとは慰めろ!」
「あなたがたは、地の塩である。 - マタイ5:13」と足下の『地蔵』が低い声で言った。
「あのさ、地蔵が聖書の引用するのほんとやめてくれない? 解釈違いなんだけど」と急に真顔になった姫が冷たい目をして言った。
彼女が川を塞いでいるのが魚たちの噂となって、下流にまで伝わっていったのだろう。流れを遡りながら魚たちとその噂をすべて平らげたミケが川下からやってきて、私たちに向けて露天を広げた。
「さあ安いよ、安いよ。ほらお嬢さん、カードいらないかい?」
「何のカードよ」と姫がふくれっ面で訊いた。
「映画のチケット!」
「だからここから動けねえっつってんのよ」と姫が吠えた。
「ほら、この川映画流れてくるし」と私は川上を指さした。川では新たな映画のシーンが細切れに裁断されてわかさぎ姫の後方に溜まり続けていた。聖書の引用を怒られて傷ついた『地蔵』はもう単なるBluetoothスピーカーになっていて、映画の音声だけを口から発し続けていた。それが姫の神経をさらに逆撫でしていた。
「そんなこと言わないで、お願い、買ってよ」と言ってミケは突然泣き崩れた。「ぜんぶで80枚もあるのよ、誰も買ってくれないの」
「なんでそんなことになったのよ」
「わかんないよ、こんなことになるなんて……教えてくれた人がまったく新しいビジネスモデルだって言うから……」
「自分で観に行ったの?」
「うん、一回」とミケは言った。「でもつまんなかった」
「そりゃ仕方ないんじゃない」と私は言った。「なんてタイトル?」
「んーなんだっけ」ミケはこちらに歩いてきて、わかさぎ姫の後ろに溜まり続けている映画の画面を見た。「あ、これこれ!」
「一回みんなで観てみようよ、それから考えよう」と私は言った。
それから私たちは車座になって、わかさぎ姫は首を後ろになんとか捻って、『地蔵』は私のあぐらの中に収まって、ミケは80枚の不良債権の束を抱えて、みんなで一緒に映画を観た。つまらなかった。
ペンライトを振っていたところです、もしこれがライブならば。
ルートビア片手に読むのにぴったりだと思いました