Coolier - 東方曹操話

安酒をたずねて三里ちょっと

2021/04/01 03:07:43
最終更新
サイズ
22.65KB
ページ数
1
閲覧数
520
評価数
1/3
POINT
10782000
Rate
539101.25

分類タグ


 


 太陽が一日の仕事を終え、妖怪の山の後ろへ沈もうとする頃、人里でも大勢の人間たちが家路につこうとしていた。
 クワを抱え、泥にまみれた野良仕事帰りの一団、でっぷり肥えたイノシシを担いだ猟師連、皆一様に疲労を顔に塗りたくって歩いている。そんな彼らを待ち構えているのが、大通りの両側にところ狭しと並んだ呑み屋だ。
 あっちの若い客引きにフラフラ、こっちの酒の匂いにフラフラ。誘惑に揺れに揺れる大人を尻目に、寺小屋から帰る女の子たちが駆け抜けていった。

「やっぱり博麗の巫女様よ」
「いや、魔法の森の魔法使いでしょ」
「ここは間を取って山の巫女で」

 憧れのヒーロー談義に花を咲かせる彼女たちの前を一人の女が遮る。

「お、お嬢ちゃんたち、ちょっといいかな?」

 巫女に挑戦したことで一部の魑魅魍魎にカルト的人気が出た易者のお面を被り、けばけばしい虹色のマントを羽織った、まごうことなき不審者である。お面越しにも伝わってくる荒い息を感じ取り、少女たちが立ちすくんだ。

「なんでしょうか」

 勇気を振り絞って前に進み出た年長の子に、ホカホカの白米と壺が差し出される。

「こっ、このご飯を噛んで壺に吐き出してくれないかな……?」
「は?」

 両者の間に形容し難い沈黙が降りる。
 肩を怒らせる年長の子と肩を震わせる不審者。にらみ合いと呼ぶには滑稽な対決を続ける二人の周りに、ようやく異常に気づいた大人たちが集まってくる。

「うわぁあああああん!」

 先に音を上げたのは不審者の方だった。やけに可愛らしい叫び声を上げると一目散に駆け出し、野次馬を跳ね飛ばして小道の向こうへ消えていった。
 後に残された白米からは悲しげな湯気が上がっていた。

「大失敗だよ! もうこんなこと酒樽を積まれたってやらないからな!」

 小道を何度も曲がって人気のない蔵の影まで逃げてきた不審者、もとい赤蛮奇が易者のお面を地面に叩きつけ、宙に飛ばした顔を沸騰させながら怒鳴り散らす。

「あ、ありがとう、ありがとう。蛮奇は本当に良くやったよ」

 興奮して首を増やす赤蛮奇を、内心、じゃんけんに勝ってホッとしている影狼が慰める。あからさまに妖怪らしい装いは人里では忌避されるということもあり、影狼は手ぬぐいで耳を隠し、尻尾をスカートの中に忍ばせていた。

「でも、他に良い方法も思いつかなかわねぇ」

 二人の隣で横たわっていたわかさぎ姫が首をもたげた。
彼女の変装は『歳暮』と書かれた大きな紙で胴体を覆っただけである。驚くべきことに本人は新巻鮭に化けているつもりらしい。
 この初夏に現れた人面新巻鮭は、羞恥心にさいなまれる飛頭蛮などどこ吹く風、といった様子でうっとりと呟く。

「呑みたかったわぁ……口噛み酒」

 この妖怪たちにとってうら若き人間の少女の唾液収集はあくまでも通過点でしかない。本命はその先にある、唾液と白米から醸し出される古代の酒である。
 たまたま影狼が鈴奈庵で借りた外の雑誌に口噛み酒の特集が載っており、それを読んだわかさぎ姫が古代の酒というロマンの虜になってしまったのだ。影狼と赤蛮奇も手軽に酒を作れると乗り気だったのだが、完成したのは酒と形容するのもおぞましい液体。醸造の神は穢れ多き妖怪の唾液はお好みではないようだった。
 ならば巫女は無理でも、人間の子どもなら穢れが少ないだろうと悪戦苦闘した結果が不審者赤蛮奇なのである。

「あああ……しばらくその名前は聞きたくない。だいたい、唾液で作った酒なんて気持ち悪いよ」
「私は気にしないわ」
「と、とにかく、口噛み酒作戦はやめ! 他の酒を作れないか考えましょう!」

 吐き捨てる赤蛮奇と、あっけらかんと言うわかさぎ姫。その間に影狼が割って入り、場を納めた。
 三人が行動を共にするようになったのは輝針城異変が終結してからだ。わかさぎ姫と影狼は元々、草の根妖怪ネットワークの会員ということもあって顔見知りであった。そこへ異変解決後の宴会で知り合った赤蛮奇が加わったのである。

「作戦の練り直しだな」
「それならば、蛮奇さんのお店へ行きたいわ。せっかく人間の里まで来たのですし」
「今!?」

 ようやく元に戻っていた赤蛮奇の首が再び吹っ飛んだ。

「さっき騒動を起こしたばかりなのに!? もし不審者の正体が私だとバレたらもう里に……」
「そのための変装よ。大丈夫、きっとね」
「わかさぎ姫は楽観的過ぎよ……」
「まあまあ。お面を付けてたし、服を着替えていけばバレないって」
「うう、酒を安く呑みたいからって私を犠牲にしないでよ」

 渋る赤蛮奇をなだめすかし、お面とマントを道端のドブに捨てて証拠隠滅を図ってから二人と一本の新巻鮭は呑み屋へと繰り出した。
 野山で寝起きする生活と比べて、里で生活するのは便利である反面、やたらと金が入り用になってくる。そこで里暮らしの妖怪は人間のふりをして働いたり、能力を活かして商売をして金を稼いでいた。
 赤蛮奇の場合は酒屋が片手間に営業している呑み屋で日銭を稼ぐことが多かった。働いて金をもらえるだけでなく、店員ということで酒を割安で買うことができるのだ。

「蛮奇の奮闘に乾杯!」
「かんぱーい!」
「……乾杯」

 運河に面した荷降ろし場兼客席で三人はお猪口を傾けていた。周囲の席は既に酔客で埋まっており、中には明らかに人間ではない者も顔を赤らめていた。

「蛮奇ちゃーん! お酌しておくれよ」
「今日は休みだよ」

 常連のウワバミが声をかけてくるが、赤蛮奇はそちらの方を見もしない。
 人間の店員だと怖気づいてしまうこともある場面だが、同じ妖怪同士なら問題なくあしらえる。人外が訪れることが多い呑み屋としても、妖怪の店員を雇っておくとなにかと便利なのだ。

「蛮奇ちゃんですって」
「人気者だねぇ」
「助平なだけよ。それより」

 非番の店員が二人に酒を注ぐ。

「親父さんが新しく仕入れたお酒、どうかな?」
「美味しいわよ。さすが蛮奇ちゃんが選んでくれただけあるわ」

 運河から上半身を出している人魚は水に浸かることができて上機嫌なのか、一気にお猪口を空けた。

「影狼は?」
「んー」

 一方のワーウルフは一口含んだまま、目を閉じている。

「香りが弱いかなぁ。味も芯がない感じ」
「……狼の鼻は誤魔化せないか」
「あっ、でもでも、この値段のお酒にしては頑張ってる方だと思う」
「無理しなくていいよ。親父さんも良い線いってるけど、って評価だったから」
「私は好きよ。軽くてどんどんいけちゃう」

 嘆息する赤蛮奇の横でわかさぎ姫が手酌で酒を継ぎ足す。徳利はほとんど空になっていた。

「鯨の姫なんだっけ」
「いやだ、わかさぎの姫ですわ」

 袖で口元を隠すわかさぎ姫は呑み始める前とまるで変わっていない。それどころか、彼女を放っておくと、ふわふわ笑いながら片っ端から酒を空けてしまうのだ。酒豪揃いの妖怪の基準でもこれは強い部類である。

「お姫様は次のお酒はなにをご所望で?」
「お勧めの果実酒を」
「なら、桃酒がいっぱいある。以前、天人がツケの代わりに山ほど持ってきたやつを漬けておいたんだ」
「私は一番安い焼酎をそのままでお願い。今月は財布が厳しくて」

 注文を取った赤蛮奇は店の奥へ引っ込み、店主に声をかけてから桃酒が入った壺の蓋を開ける。天界の桃を使っているだけあって、すぐさま桃の芳醇な匂いが鼻腔をくすぐる。
 続いて影狼が頼んだ焼酎の瓶を開けた。こちらは値段相応の、実に経済的な香りする。
 赤蛮奇は黙ったまま、焼酎を桃酒で割った。注文通りではないが、これで楽しんで飲める味になったはずだ。

「安くて美味い酒、か。いったいどこにあるんだんだか……」

 赤蛮奇が自分の分のどぶろくを分身させた頭に載せ、客席へ戻ろうとした時、呑み屋の喧騒が聞き捨てならない情報を運んできた。

「ははは。そんなの夢幻か、新手の詐欺さ」
「嘘じゃねぇ。本当に妖怪しか呑めない格安の酒があるんだってよ」

 分身の髪にどぶろくが溢れたが、そんなことを気にしている暇はなかった。
 赤蛮奇はもう一つ首を出現させると、口角泡を飛ばして力説する酔客の足元へ転がした。



 妖怪と安酒は切っても切れない仲だ。特に、紅魔館や妖怪の山といった大規模で資金力のある組織に所属していない者にとっては隣人も同然だった。草の根妖怪ネットワークに加入する妖怪など言わずもがなである。
 毎月、幻想郷を支配している妖怪の賢者たちから“肉”と一緒に現金が支給されているが、そんなもの大酒飲みの魑魅魍魎にとっては雀の涙。酒は呑まなくても死にはしないが、かといって呑まずにいると様々な弊害が出て来る。具体的には弾幕ごっこに勝てなくなる、人間を驚かせなれなくなる、手が震えてくる、等々。
 かくて弱小妖怪たちは少しでも安い酒を求めて西へ東へ飛び回ったり、金稼ぎに奔走する。あるいは、この三人のように酒造りに手を出すのだった。

「妖怪しか呑めない安酒?」
「眉唾な話なんだけどね」
「私も聞いたことがあるわよ。確か、湖で遊んでいた妖精さんが教えてくれたわ」

 赤蛮奇たちは口噛み酒の汚名返上として臨んだどぶろく作りにも失敗すると、今度は梅酒作りに挑戦していた。
 季節柄、梅の収穫の手伝いの口はいくらでもあったので、赤蛮奇と影狼に背負われたわかさぎ姫はそのうちの一つに紛れ込んだのだ。そして、労働の対価として梅の実を手に入れると、早速、霧の湖の浜へ運んで仕込みを始めたのだった。

「噂をする客が一人だけならともかく、店に来てその噂話をする客が日に日に増えているんだよ」
「どんな味がするのかしら。呑んでみたいわぁ」

 湖に浸かって梅の実を一つずつ洗っているわかさぎ姫が興味津々といった様子で身を乗り出す。

「そういえば竹林の妖怪兎たちがそんな話をしていたっけ。なんでも、草花を持っていくと安く酒を売ってくれる店がどこかに開店したとか」
「似たような話は……付喪神たちがしていたな。そこら辺の野草じゃ駄目で、珍しいものしか受け付けないと話していた」

 洗った梅を影狼が手ぬぐいで拭き、赤蛮奇が切って壺に入れる。その作業の傍ら、分身の首がメモ帳を見返していた。

「珍しいもの? 竹の花みたいな?」
「以前は見かけなかった程度でいいらしい。例えば……ほら、この間の異変が終わった後に増えてきた変なタンポポが当てはまるそうだ」

 この間の異変とは、外の世界のオカルトが異常に流行した異変のことである。影狼たちには直接の影響こそなかったが、一部の人や妖にはオカルトが憑依し、それらを巡って弾幕ごっこが繰り広げられた。三人はそれを絶好の酒の肴にして観戦したせいで、酒代が大いにかさんで痛い目にあったのだ。ある意味、自分たちで酒を作って節約しようと思うようになった元凶である。

「あー。最近多いよね、あれ」
「タンポポ以外にも、いくつか見慣れない植物が増えている気がするわ。妖精さんたちが変な感じがするって話していたかしら」
「オカルトと一緒に外の世界の植物が流れ込んできたのかな?」

 赤蛮奇もあの異変の際、幻想郷と外の世界が繋がったという与太話を呑み屋でちらほらと耳にしていた。ある時など、天邪鬼と呑んでいた小人の少女が外の世界に行ったことを自慢し始めた場面に遭遇したことがある。もっとも、彼女はそのまま酔い潰れてしまったので、酒精が見せた幻覚だった可能性も否定できないが。
 ここで赤蛮奇は自分が切るべき梅が見当たらないことに気づいた。

「梅は?」
「もう全部片付いたよ」
「みんなでお話しながらだとあっという間ね」

 ちょうど影狼が氷砂糖を、わかさぎ姫が焼酎を用意しているところだった。焼酎は安物とはいえ、梅を多く手に入れた分、それなりに金がかかってしまった。しかし、梅酒作りが成功したら、この安酒の価値は何倍にも跳ね上がるはずだ。
 美味しくなーれ、とわかさぎ姫は歌いながら焼酎を壺に注いでいく。一升瓶から酒がほとばしる心地良い音は、たとえそれが安物だったとしても、酒呑みの喉を鳴らすには十分な威力を秘めている。

「わかさぎ姫、呑んじゃ駄目だからね」
「もちろんよ~♪ はい、これでおしまい」

 後は三人で手分けして壺にきつく蓋をして、湖底に沈めるだけ。この水中熟成という方法も外の雑誌で知った智慧だった。

「ふう。お疲れ様」
「半年後が楽しみね!」
「それじゃあ、美味しい梅酒ができることを祈って乾杯しましょ」

 待ちきれない様子で尻尾を振る影狼にガラス製のグラスが差し出された。

「もしかしてそれ、ワイン?」
「せいか~い」

 ワイングラスを受け取った赤蛮奇が目を見張るのも無理はない。わかさぎ姫が梅酒の壺と入れ替えに湖底から引き上げてきたのは、紅魔館のワインボトルだったのだ。幻想郷では紅魔館しかブドウ酒を醸造していないこともあり、館外に出回るものは金に糸目を付けない好事家たちによって買い占められてしまうのである。
 呑み屋で働いている赤蛮奇でさえ、呑んだ回数は片手の指で収まってしまうほどだ。

「すごーい! いくらしたの!?」
「うちの店でもめったに仕入れられないのに、どうやって……?」
「ふっふっふ。聞いて驚いてちょうだい。なんと、タダで手に入れたのよ!」
「ええっ!?」

 真相はいたってシンプルだった。
 ある日、湖畔で石を積み上げていたわかさぎ姫は大きな樽を抱えた紅魔館の門番、紅美鈴に出くわしたのだ。樽の中身を尋ねてみると、醸造を一手に引き受けている十六夜咲夜に失敗作の烙印を押されたワインたちであるという。
 いくら失敗作と言ってもそこは紅魔館謹製のワイン、きっと美味しいに違いないと判断したわかさぎ姫によって、湖に流される寸前だった酒は救われたのだった。
「蛮奇さん、栓抜きをお店から栓抜きを借りてきてくださらない?」
「そんなの必要ないよ!」

 一秒でも惜しいのか、影狼は樽の口を塞いでいたコルクに爪を突き刺すと、一気に引き抜く。軽い破裂音に似た音と共に、よだれを誘う濃厚な香りが湖に広がる。

「んー!」
「これは期待できそうだな」
「でしょでしょ!」

 フサフサの尻尾が離陸しそうな勢いで振られる。赤蛮奇も頭を増やして香りを楽しんでいた。
 影狼と赤蛮奇の様子を見てわかさぎ姫は満足そうにうなずくと、樽を抱えて岸辺の岩に飛び乗り、真紅の液体をグラスへ注いで回った。

「未完成に終わった酒たちに!」
「これからできる梅酒に!」
「美味しいワインを提供してくれた紅魔館に!」

 三者三様の乾杯が交わされる。
そして、三人同時にグラスを飲み干し、吹き出した。

「うえっ」
「酸っぱ!」
「およよよよ……」

 紅魔館のメイド長は正しかったのだ。やはり失敗作は失敗作でしかなかったのだ。
 樽に残ったワインは、大きく膨れて萎んだ期待と共に湖の一部となった。赤く染まった湖面が波に揉まれ、判別できなくなっていく様を、三人は湖畔に体育座りをして見つめていた。

「……タダより高いものはないね」
「ね」
「うん」

 口直しに呑み屋へ繰り出す気力もない三人だったが、その脳裏には共通のイメージが浮かんでいた。
 噂の、妖怪しか呑めない酒だ。

「例の安酒、どんな味がするんだろうなぁ」
「実際に呑んだと話していた化け狸によると、味はハッカに似ていて度数は非常に高く、いかにも玄人好みの味だった、らしい」

 赤蛮奇がけだるげにメモ帳をめくる。

「いずれにしても……」

 わかさぎ姫が彼女に似つかわしくない、重々しさで口を開いた。

「さっきのワインよりは美味しいに違いないわ」

 二人とも力なく、されど深々とうなずくのであった。



 季節が移り変わり、キンキンに冷えたチルノがもてはやされるようになった頃、呑み屋に異変が起きていた。氷精と同じようにもてはやされるはずのビールが脇役に追いやられていたのだ。
 飲ん兵衛たちがジョッキを握っても、心は黄金色の液体には向かわず、目に浮かぶのは例の安酒であった。

「二日前にルーミアと話したんだけど、彼女、たらふく呑んできたんだって」
「どんな味か言ってた?」
「緑色をしてて、天にも昇る酔い心地だったってさ」
「いいなぁ。私もせっかくタンポポとかを集めたのに、売ってる店が見つからなかったのよ」
「竹林の奥にあるって聞いたわ」
「私は九天の滝の裏って聞いた」
「ねえ、その店は実在するのかな?」
「実際に呑んだ子がたくさんいるんだから、実在するに決まってるじゃない」

 噂をするのは人外たちだけではない。その酒を呑めないはずの人間でさえ気もそぞろになっているのだ。

「聞いたか。団子屋の主人が例の酒を呑んだらしい」
「なに? 人間が呑むと死ぬはずでは?」
「主人のせがれの話では上機嫌で帰ってきたそうだ。だが……」
「だが?」
「あそこは一週間ほど理由もなく休んでいたことがあっただろう。どうも例の酒が原因らしい」
「むぅ。普通の酒とは違う副作用でもあるというのか」
「分からん。せがれに酒を奢ったんだが、最後まで口を割らなかった」
「くそっ、聞けば聞くほど呑みたくなる! 明日の仕事帰りにでも草を集めに行くか」
「おう」

 赤蛮奇の勤め先も同様で、酔客が目の前の酒をいくら呑んでも満たされないという滑稽な光景が広がっていた。
 彼女としてはお酌をせがまれなくなってせいせいしているのだが、ここまで噂に取り囲まれてしまうと、興味よりも気味の悪さが強くなってしまう。

「親父さん、噂の酒を呑んでみたいですか?」

 客が揃いも揃って上の空で注文が出ないため、暇を持て余していた赤蛮奇は、同じく暇そうにキセルをくゆらせていた店主に聞いてみることにした。

「嫌だね、呑んだ途端にお迎えが来るような酒は。俺はもっともっと酒を味わってから小町ちゃんの世話になりてぇ」

 これはこれで呑助らしい答えである。
 赤蛮奇が感心して店主の禿頭を眺めていると、ぎょろりとにらみ返された。

「なんだ、お前さん気になるのか? せっかく良い身体に生まれたんだ、呑んでみればいいじゃねぇか」
「うーん。私はどうにも人が呑めないってところが気になって。人に効く毒は妖怪にも効くことが多いし、妖怪だけ無事なのはあまり……」
「俺の仲間でその酒を呑んでひっくり返ったり、錯乱した奴はいるが、まだ死んだ奴はいねぇよ。ま、好きにしな」

 結局、その日はいっこうに酒も肴も注文されなかったので、早めに店じまいをすることにして、ぼんやりした客どもを外へ叩き出した。
 多少の例外はあるものの、基本的に妖怪の身体は人間のそれよりも遥かに頑丈である。八岐の大蛇や酒呑童子といった酒にまつわる退治話はいくつも残っているが、酔い潰れるか一服盛られて痺れたところを打ち取られているのであって、酒自体の毒に殺された例はほとんどない。

「そもそも、酒を呑んだ連中は皆元気に帰ってきたじゃないか。なにも怖がることはないのに」

 呑み屋からの帰り道、赤蛮奇は首の分身に耳元でささやかせ、自らに言い聞かせるようにして歩いていた。しかし、好奇心と不安の均衡を崩すには至らなかった。
そんな不審者になりかけの赤蛮奇は人気のない寺子屋の脇を通り、長屋が立ち並ぶ一帯に入る。自宅はもうすぐそこだった。

「おねーさん」

 突然、背後に妖気が現れた。
 赤蛮奇は振り向きざまに飛び退り、首を展開させる。普段は安全な里に住んでいるとはいえ、弾幕ごっこで培った感覚は衰えていなかった。

「私になにか用?」

 見ると、彼女より頭三つほど小さな少女が微笑みながら立っていた。緑色の帽子からは黒々とした耳が飛び出し、二つの尻尾をゆらゆらとさせている。間違いなく妖獣やその類であろう。
 警戒する赤蛮奇にまったく臆することなく、二股の妖獣は語りかけてくる。

「美味しいお酒を呑みたくなぁい?」
「もしかして、例の妖怪にしか呑めない酒のこと?」
「だいせいかーい! 今は太陽の畑で特別セール中だよ!」

 その場でクルリと一回転。

「私に伝えて、どうするつもり?」
「そろそろ店じまいだから、まだ来店してない妖怪たちに教えて回ってるの。みんなのおかげで、セイヨータンポポとか侵入者を随分減らせたからね」
「あなたはなにを企んで……」
「私はちゃんと伝えたから。じゃあねっ」

 問いかけを無視した妖獣は軽やかに飛び上がり、瓦屋根の向こうへ消えていった。
 一人残された赤蛮奇はしばらく動くことができなかった。

「確かに見つからない……」

 翌日、呑み屋の仕事を休んだ赤蛮奇は人里の外へ足を運んでいた。
 曲がりくねったあぜ道や田畑の先に広がる草地をくまなく探してみても、目につくのは昔から幻想郷に繁茂する野草ばかりだ。耕作をしている人間たちの目を盗んで首を増やしてみても、やはりススキやエノコログサといった見慣れた植物しか生えていない。
 汗をぬぐった赤蛮奇は強烈な日差しを避け、森の中へと入っていった。

「そういえばタンポポ食が流行ってるんだったな。あれでタンポポが乱獲されて……」
「あいたっ!」

 悲鳴が上がると同時に分身の一つが消えた。下ばかりに気を取られていて、誰かにぶつかってしまったようだ。

「なんだ、影狼か」
「なんだとは失礼ね! この石頭蛮!」
「悪かったよ」

 下草の中で頭を抱えていた影狼を助け起こし、彼女の頬を汗が幾筋も伝っていることに気づき、ハッとなる。

「もしかして、草を……」
「蛮奇も?」

 二人とも長い時間を費やして野山を駆けずり回っていたようだ。
 聞けば、暑さを避けて竹林に篭っていた影狼の元にもあの妖獣が現れ、好奇心を焚き付けられたらしい。

「どうにも気になっちゃってさ。いても立ってもいられなくなって、こうして汗だくになってるわけ」
「収穫は?」
「全然。先人に取り尽くされたみたい」

 影狼は肩をすくめて空の竹籠を見せる。

「例の安酒は正規価格だといくらになるんだろう」
「それより、赤蛮奇も出会ってたってことは、わかさぎ姫のところにも化け猫が現れたのかな」

 二人はうなずき合い、地を蹴って森を飛び出した。
 友人のことが気になるということもあったが、目下の敵である熱気を霧の湖で腹痛かったのだ。

「あら、お二人ともいらっしゃい」

 赤蛮奇と影狼を出迎えたのは、岸に並べられた大量の石と草花だった。それも、血眼になった二人が半日以上かけても探し出せなかった、外から流入したと思しき植物ばかりだった。
 呆気に取られる二人の前で、わかさぎ姫は誇らしげに地面を跳ねて見せる。

「ハイギョさんを見習って、ちょっと冒険してみたの。お節介だったかしら」
「そんなまさか! 凄いよ、わかさぎ姫!」
「きゃっ、ありがとう!」

 感極まった影狼がお姫様に抱きつく。傍目には襲いかかっているようにしか見えない光景である。いつもの赤蛮奇なら軽くからかったかもしれないが、今は驚くことに忙しいようだった。

「あれだけ探したのに、まだこんなに残っていたなんて」
「霧の湖一帯は紅魔館の影響が強いの。だから、ここまで立ち入って来る珍草ハンターさんは少なかったみたいね。さあ、太陽の畑へ行きましょう!」
「でも、これは全部わかさぎ姫のものでしょ。私たちがおこぼれに預かっちゃ悪いよ」
「私一人だと太陽の畑に行く途中で干からびてしまうわ。だから、運んでもらう対価としてお譲りするの。決して一方的な施しではないわ……ひとまず、湖に入って涼みましょう?」

 二人はわかさぎ姫の慈悲に溢れる言葉に甘えることにした。



「セイヨウタンポポにブタクサ、ニガヨモギ、セイタカアワダチソウ……よくこれだけ集めたね。今夜はくつろいでいって!」

 太陽の畑の入り口では、昨夜の化け猫が来店者から植物を集めていた。服が乾くのを待っている内に日が暮れてしまったため、畑に着いた頃には既に酒を心待ちにする妖怪たちの長い列ができていたが、竹籠いっぱいの草花を見せるとすぐさま通してくれた。まるでVIP待遇である。
 三人が化け猫の部下の三毛猫についてヒマワリの中を分け入っていくと、突然、テーブルと椅子、それから喧騒が出現した。中心部だけヒマワリが刈り取られ、広場となっていたのだ。ここの主である風見幽香は無闇に植物を傷つけることを嫌うはずだったが、主催者が上手いこと話をつけたらしい。

「ほへ~」
「綺麗ねぇ」
「呑み屋というより、カフェーかビアホールだな」

 空いたテーブルに案内された三人は目を丸くして“店内”を眺める。
 周囲をヒマワリに囲まれた広場では、美酒に酔う無数の魑魅魍魎、ほんの僅かな人間が妖光によって怪しく照らし出されていた。
 しかし、店に驚いている場合ではなかった。彼女たちの目的は店ではなく、店が扱っている酒なのだ。

「思っていたよりも安いな」
「これならお金の心配をしなくて済むね」
「今宵は一晩中、呑み明かしましょう!」
「待って待って、まずは味を確かめてからよ」

 草を持ってきた者だけの専用メニューには様々な種類の酒の名が記されて、どれも異様に安かった。

「例の酒は……これか」

 最も安い酒は“魔酒”だった。説明もなにもなく、ただ名前だけがそっけなく書かれていた。ただし、値段は赤蛮奇の呑み屋のいかなる安酒も下回っていた。これに勝るのは水くらいである。
 三人は迷わず魔酒を注文した。

「噂通り緑色だ」
「色んな匂いがする。ハッカだけじゃなくて何種類もハーブを混ぜているみたい」
「やだ、胸がドキドキしてきたわ」

 艶めかしい妖狐が運んできた魔酒はガラス製の小さなグラスに入れられていた。
赤蛮奇たちはじっくりと緑色の液体を観察した後、恐る恐るグラスを手に取った。

「乾杯」

 期待に比して控えめな祝杯を上げると、少しづつ、舐めるようにして魔酒を呑み干した。

「初めての呑む味だ」

 赤蛮奇が悪くないという表情でグラスを置く。

「香りも味も贅沢な感じ」

 影狼は目を閉じたまま、唇をチロリと舐めた。

「いくらでも呑めちゃいそうね!」

 わかさぎ姫はいつもと変わらぬふんわりした笑顔のままである。
 すぐさまおかわりが運ばれてきた。

「これはみんなが夢中になるのも無理はないなぁ」

 赤蛮奇がとろけた目で、もはや何杯目かも分からぬ魔酒を眺めていた。この神秘的な酒を見つめていると、自分が次第に緑に染まり、やがて跡形もなく溶けてしまいそうだった。

「その通り。よそから来た植物なんかすぐになくなっちゃうよ」

 影狼が深々とうなずくが、彼女が前にしているのは友人ではなく、一輪のヒマワリだった。

「鱗が三十二枚。鱗が三十三枚……はぁ、綺麗」

 わかさぎ姫はグラスを片手に自分の鱗を数えて悦に浸っている。見た目こそ変わらないものの、ろれつが回らなくなっている。
 目も当てられない惨状になっているのは彼女たちのテーブルだけではなかった。広場の全てのテーブルで客たちが酩酊を通り越してトロトロになっていた。皆、魔酒の虜になっているのだ。

「楽しんでる?」

 瘴気が立ち込める広場へ、不意に酒精をまったく感じさせない声が降りてきた。
 赤蛮奇だけが首を持ち上げて声に応えた。無作法極まりなかったが、声の主は満足してくれたらしく、空になっていたグラスに魔性の液体が注がれる。

「異物を排除する手伝いをしてくれて感謝してるわ」
「お安い御用れすよ、そんなこと」

 いきなり異物と言われて頭がこんがらがってしまったが、とにかく親指を上げておく。

「アブサンを用意した私が言うのもおかしいけれど、あまり呑み過ぎないようにね」

 赤蛮奇はなんと答えたか不明瞭だった。ひょっとすると『酒有別腸』だったかもしれない。
 気がついた時、赤蛮奇は人里の自室に大の字になって転がっていた。なぜか、満月の夜でもないのに毛玉になっている影狼と、天井の梁にぶら下がっているわかさぎ姫が一緒であった。


 
春日傘さんが主催した安酒合同に寄せた話になります。
問題があったら連絡してください。
なくても連絡してください。
驢生二文鎮
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.7188000簡易評価
3.3594000げぇっ、コメント!削除
酒を追い求める少女たちというシチュエーションが良いですね。わちゃわちゃしてる感じが楽しかったです