Coolier - 東方曹操話

鈴仙・イナバ診療所 ~千里の盲点~

2021/04/01 00:37:34
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「先生、ありがとうございました」
「はい、お大事にね」

 患者は何度も頭を下げ、診療室から出ていった。
 襖が閉じられると鈴仙は机に向き直り、カルテを見返して確認する。

「……よし、問題なし」
「お疲れさま、先生」

 横から掛けられた言葉に、鈴仙は苦笑いしつつ顔を上げた。

「『先生』は勘弁してくださいよ、師匠」
「あら、先生は先生でしょう」

 ニコニコとニヤニヤの中間のような笑みを浮かべる永琳を見て、鈴仙は自らの耳をくいくいと引っ張る。困った時や気恥ずかしい時、ストレスを感じた時など、こうするのが癖になってしまっていた。
 狂気の波長を90%カットする眼鏡を外し、鈴仙は眉間を揉みほぐす。診療所での診察を永琳に時どき任せられるようになってかなり経つが、未だに慣れない。いざとなれば逃げ出すこともできる人里での薬売りとは違い、医師が診療室から逃げ出すわけにはいかないからだ。
 自分は「逃げ出せない状況」に弱いんだな、と鈴仙はつくづく思う。

「ウドンゲはよくやっているわ」

 鈴仙の悩みを知ってか知らずしてか、永琳はそんな言葉を投げかけてきた。何事もスマートにこなしてしまう“月の頭脳”からすれば十分な褒め言葉なのだろうが、鈴仙は素直に受け取る気にはなれない。知識も経験も師匠にはまだまだ及ばないし、患者を前にした時の対応も、やはり永琳のように冷静にはできないからだ。
 永琳に診察を任されるのは、あまり難しい患者ではないのが大部分である。また、顔見知りの診療も鈴仙の担当ではない。無茶振りをするようでいて配慮してくれている。もっとも、配慮を向けている対象は患者のほうかも知れないが。

「いつまで経っても師匠には追いつける気がしません」
「生涯現役のつもりだからね」

 そんなことを言う。蓬莱人のジョークは笑うに笑えない。鈴仙は愛想笑いをしようとして微妙に失敗した。またしても耳を引っ張る。くいくい。
 永琳は立ち上がり、ビーカーに珈琲を淹れて持ってきた。診療室の中に香ばしい匂いが広がる。

「けど、自信なくしちゃいますよ。私なんていなくても師匠さえいれば十分じゃないって」
「私とて肉体は一つなわけだし、同時多発的な怪我や流行病の治療を考えるなら、あなたも一通りの技術や知識は身に付けておくべきよ」

 永琳の言は正論だ。どんなに天才的な薬師だとしても、単独で紅魔館と命蓮寺に発生した傷病を同時に相手取ることはできない。人里にも医師はいるが、人・妖を問わず対応できるのは永遠亭をおいて他にはないだろう。

「そろそろウドンゲにも知り合いや急患の応対を任せたほうがいいかしら」
「えぇー! 勘弁してくださいよぉ」

 飛び込みでやって来る急患への対処が難しいのはいうまでもないが、知り合いの診療もなかなか大変だ。鈴仙の交友関係といえば癖のある連中ばかりだし、なまじ相手を知っていると先入観が判断を妨げるからである。あと、「センセイでござい」とばかりに対応するのが気恥ずかしい。からかって来そうな奴がたくさんいる。
 同じような想像でもしたのか、永琳がビーカー片手に低く笑った。

「そのうち先々代の巫女あたりは運び込まれてくるかも知れないわ。お餅とか喉に詰まらせて」
「あ、ありそう……」

 幻想郷の活気と賑わいの象徴ともいえた、先々代の博麗の巫女。寄る年波には勝てなかったか、もう相当前に後進へと地位を譲ったが、鈴仙の中では未だに紅白巫女といえば彼女であった。いや、鈴仙だけではないだろう。
 とはいえ、彼女が衰えを感じさせない元気さを見せているため、代替わりの実感が湧かないというのも事実だったが。

「でも、やだなぁー」

 鈴仙が座ったまま大きく伸びをした、その時だった。
 バタバタとにわかに廊下が騒がしくなり、診療室の襖が勢いよく開かれた。

「先生! いらっしゃいますか!」

 慌てて眼鏡を掛け直す鈴仙。これがないと、特に人間相手の場合は面倒なことになる。最初から精神的な患いで受診に来たのか、鈴仙の赤眼を見たことで治療を要する容態となってしまったのかがわからなくなってしまうからだ。
 改めて視線を向けると、入って来たのは2名の天狗だった。種族は白狼。一瞥しただけでもわかる特徴的な耳と尾がある。

 鈴仙はとっさに永琳のほうへ目をやったが、彼女は座したまま動こうとしない。どうやら鈴仙に任せるつもりのようだ。
 急患の話が出たばかりで、まさかこんなに早くと思うが、仕方ない。鈴仙は咳払いをし、口を開く。

「こほん。えー、私が、はい。その、薬師です」

 言いつつ、素早く白狼天狗たちを観察する。ふたりとも若そうだ。外傷だろうか。それとも内臓疾患か。見たところ目立つ場所に怪我はない。熱も――ないようだ。すると……。

「先生! もうすぐ診てもらいたい仲間が到着するんで、お願いします!」
「えあ!? は、はい」

(あんたらが患者じゃなかったんかい!)

 鈴仙は内心でツッコミを入れ、そこで視線に気づく。恐る恐る斜め後ろを振り返れば、永琳と目が合った。あれは笑いを堪えている顔だ。鈴仙は頬が熱くなるのを感じた。
 ややあって廊下から足音が聞こえてきた。襖は開かれたままだったが、一応「どうぞ」と声をかける。ひょいと顔を覗かせたのは、何と射命丸文であった。

「文じゃないの。何が……」

 鈴仙が言いかけると、文に肩をもたせかけるようにして表れたのは、またしても白狼天狗。だが、それが誰なのか鈴仙にはわからなかった。
 なぜなら、白狼天狗の両目を覆うようにして包帯が巻かれていたからである。

「目? もしかして見えなくなったの?」

 鈴仙が立ち上がると、文に支えられた白狼天狗は身じろぎをする。

「その声は、鈴仙殿か……?」

 そう言われたことで、鈴仙にもようやく患者がわかった。
 ――犬走椛。今や御山の警邏部隊を率いる、千里眼の持ち主である。






「椛、あなたけっこう慕われているのね」
「困った奴らですよ」

 椛はそう言うが、口調は柔らかい。
 文たちを先導していた2名の白狼天狗は椛の部下だったようだ。長居はできないらしく、あれから間もなく引き返していったが、去り際に何度も「隊長をどうか助けてください」と頭を下げていたのが印象的だった。

「まったく、目の見えない白狼天狗だなんて、咲夜さんが傍に控えていないレミリアさん並みに役立たずですからねぇ」

 そして、こちらはなぜか居残っている文の言葉である。わざわざ椅子を引っ張り出してきてまで椛の隣に座っているが、悪態しか吐いていない。しかも無関係のレミリアが被弾している。

「本当、困った椛です!」

 そこまで言うなら部下のほうをひとり残して、文は御山に戻ったほうがよかったのでは、と内心鈴仙は思ったが、おそらく文のほうがヒマだったのだろう。一兵卒として動く報道記者でありながら格はあるという、天狗の中でも独特の立ち位置にいるのが今の射命丸だ。名目上の上司はいるらしいが、どこまで命令に従わせられるのかは不明である。

「じゃあ……とりあえず患部を見せてもらって、あ、いや。まずは症状を聞かせてもらわないと」

 あわあわと段取りの悪い鈴仙だったが、斜め後ろに控えている永琳は一切フォローしようとしない。任せると決めたら、よほどの緊急事態が発生しなければ口を出すつもりはないのだろう。スパルタな師匠に、鈴仙は良くも悪くも慣れていた。

「ええと、半月ほど前からでしょうか。目に違和感を覚えるようになりました」
「違和感?」
「はい。視界が霞むというか、酷く見えにくくなるんです」
「ほう、見えにくく。それは、えー、時間帯とかあります?」
「夜……ですかね。暗くなると目に頼れなくなって、それが次第に酷くなってきまして」

 鈴仙はカルテに「夜 見えにくくなる」と書き入れた。確かにこれはおかしい。白狼天狗はどちらかといえば夜行性。夜間にはむしろ視界良好となるはずである。

「今では千里眼を用いない限り、もう身の回りの何もかもが霞むようになりました」
「そ、それは……」

 淡々とした口調で椛は言うが、このまま完全に見えなくなれば失明だ。白狼天狗は鼻も利くというから、仲間の力も借りれば最低限の生活には困らないかも知れない。しかし、警邏部隊としてはやっていけない可能性が高いだろう。
 鈴仙は診察室に差し込む光量が強くないことを確認し、椛の目を覆う包帯を慎重に解いてゆく。念のため永琳のほうも見たが、止められないということは問題ない処置だと考えられた。

 包帯の下からは、綺麗な瞼が現れた。白いまつ毛は長く整っていて、かすかに震えている。

「目を開いてもらっていい? そっとでいいわ。あ、痛みはないのよね?」
「はい。痛みは特に」

 椛の瞳は透き通った琥珀色で、じっと見ていると吸い込まれそうな感じのするものだった。目視したところでは、特に傷がついているなどの症状は確認できない。濁りもなければ、変形もないようだ。
 眼鏡がずり落ちないように押さえながら、鈴仙は椛の眼球をじっくりと観察する。傷に因るものでなければ、精神的なものだろうか。妖怪はメンタルの不調に弱いため、可能性としては考えられる。あるいは穢れによるものか。たとえば厄神様が水浴びをした後の水場でたまたま目を洗ってしまったとか。
 鈴仙がいろいろな可能性を考えていると、椛が二、三度大きく瞬きをした。

「鈴仙殿、いや先生。治る、でしょうか……?」

 か細い声。
 ああ、と鈴仙は思った。不安なのだ、彼女は。
 当然だ。こんな、急に見えなくなって、どうなるかわからないなどというのは。
 ましてや自分の能力を恃むところの大きかった千里眼の持ち主にとって、失明というのは社会的な死に等しい。
 鈴仙が思わず言葉に詰まった瞬間、椛の隣から声が上がった。

「治るわよ。そうでしょう、先生」

 口調こそ平静だったが、その顔は複雑な感情に満ちていた。怒りのようにも見えるし、悲しみのようにも思える。射命丸文の固く握られた両手は、小さく震えていた。
 鈴仙は無意識的に額を拭い、言った。

「な、何とか、します……!」

 治します、とは言えなかった。






 鈴仙は机に向かい、頭を抱えていた。めぼしい文献を引っ張り出してきたものの、突然周囲一帯が見えなくなる眼病など載っていない。痛みもないと言っていたし、眼球が膨らむなどの病態も見受けられなかった。いかなる病気にも該当しない。
 今、椛と文には休憩室で待ってもらっている。暗くなる前に帰すか、それとも入院させるか。難しい判断が要求されていた。

「多眼症、水晶眼、ルチーア・インフィリウメ……違う。症状が適合しない。じゃあ呪いの類かしら? それとも白狼天狗に特有の病? うううん、情報が足りない……!」

 ダン! と拳で机を叩く。
 永琳の診療を傍らで助手として見ていた時には覚えなかった感情。耳を強く握りしめ、鈴仙はギュッと目を閉じた。

 その肩を、軽く叩かれる。

「お疲れさま、鈴仙」
「し、師匠……」

 鈴仙は振り返って永琳を見上げ、ハッとした。
 彼女は、今自分を何と呼んだか。

「ま、まだやれます! 私は! まだ……!」
「落ち着きなさい。別にあなたを見限ったわけじゃありません」
「でも」
「真剣さは買うけれど、薬師が冷静さを失ってどうします。それでは治せるものも治せないわ」

 落ち着いた声音で言われ、鈴仙はしおしおと項垂れる。師匠の言うとおりだ。自分は冷静さを欠いていた。

「仕方ないわね。ヒントをあげる。あなたはさっき『情報が足りない』って言ったけど、今までの問診で解決へ導く情報は概ね揃っているわ」
「え、ええっ!?」
「患者が何を言っていたのか、じっくり思い返してみなさい」
「ってことは、治せるんですか!? 椛さんを!」

 鈴仙が大声を出すと、永琳は一瞬面食らったような表情をした。が、それはすぐに和らぎ、苦笑交じりの顔つきとなる。

「それも含めて考えるといいわ。――ああ、これが最大のヒントかも」

 そう言い残し、永琳は診察室から出ていった。






 ――それから数刻後。

「本当にッ! ありがとうございました……!」

 深々と頭を下げる犬走椛。その横では射命丸文が何とも言えない笑みめいた表情を浮かべている。
 鈴仙はというと、両手をブンブン振って恐縮の姿勢であった。

「とんでもない! 頭を上げてください。あくまでもそれは間に合わせだし! えっと、もう少し精度の高いものは用意できると思うので」
「それは河童たちにでも頼みましょうかね」

 文がそう言って、取り出した手帖に何事かを書き込む。

「先生は謙遜されるが、本当に助かった。このまま一切合財が見えなくなるのかと思うと、もう……。それが解消されただけでも、気が楽になりました。重ね重ね感謝申し上げる」

 椛は笑顔を浮かべる。
 その顔を、鈴仙は実に美しいと感じた。
 だから、微笑みを返し、こう言うのだ。

「はい、お大事にね」

 報酬は椛の部下たちから受け取っていた(てゐが)。
 文と連れ立って診察室を出ていく椛の顔には、鈴仙と永琳が即席で用意した『老眼鏡』が掛けられていた――。






「ししょぉ~、大変でしたぁ~」
「あらあら、先生が形なしね」

 鈴仙が永琳にすがりつくと、珍しく優しい感じで頭を撫でられた。少し気恥ずかしくなったが、そのまま顔に当たる柔らかさを享受する。

「それにしても、てっきり病気だと思っていたら、まさか老眼だったなんて。騙された気分ですよっ!」
「診察する上で、先入観に基づく決めつけは禁物よ」
「確かに病気じゃなければ治療はできませんものね。進行を食い止める生活や眼球運動なんかのアドバイスはできますけど。まいったなぁ」

 そう、犬走椛の視力減衰は老眼に因るものであった。一般的な老眼は近くのものが見えにくく、遠くのものが比較的しっかり見える、いわば遠視状態となるものだ。しかし椛は千里先まで見通す程度の能力、すなわち千里眼の持ち主である。言うなれば『超遠視』なのだ。
 その分、『見えにくくなる近く』の範囲も広くなる。身の回りのほとんどが見えなくなるのも道理といえよう。

 鈴仙が離れると、永琳は人差し指を立て、得意げな表情で言う。

「これこそ、『盲点』ってやつね。眼の問題だけに」
「……ハハッ」

 敬愛する師匠ではあるが、やはり蓬莱人のジョークは笑えない。
 そんなことを思う鈴仙であった。





   ~完~





ごきげんよう。
昨年ぶりです。

東方虹龍洞の体験版はもうプレイされましたか?
ソシャゲテイストも取り入れた、遊び心のあるスタイルのようですね。
4面以降がどうなるのか楽しみです。

あと、原作で鈴仙がたまに眼鏡を掛けていた気がしていたけど、そんなことはなかったっぽい。

ZUNさんと、お読みくださった方々に感謝を。
S.D.
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コメント



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7.3594000げぇっ、コメント!削除
良かったです