【参加者】
○霧雨魔理沙:ホットにホットな普通の魔法使い。
●アリス・マーガトロイド:クールにホットな七色の人形遣い。
●パチュリー・ノーレッジ:ホットにクールな七曜の魔女。
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「貴方はどうしてそう、いつもいつも私の言いつけを守らないのかしら」
「すみません! 忘れてました!」
「今月に入ってから貴方が見当違いの場所に本を片付けた回数、積んである本にぶつかって崩した回数、こっそりと私のおやつを盗み食いした回数。――その合計は?」
「えっ!? あ、いえ、そのぅ……?」
紅魔館の地下にある大図書館。
小悪魔を叱りつけるパチュリーの声をBGMに、今日も今日とて魔理沙とアリスは本に読みふけっていた。
夕方頃から集まったのだが、面白い本を読んでいると時間があっという間に経ってしまう。
「なんと496回よ、496回! 完全数よ。実にうつくしい。良かったわね、うふふ」
「あ、はい。ええと……あはは」
「何が可笑しい!!」
「ひぇぇ!」
小悪魔は単純計算で1日につき16回もやらかしているらしい。使役するパチュリーとしてはストレスもマッハだろう。
ページをペラリと捲り、アリスが話し掛けてくる。
「パチュリーは調子いいみたいね」
「ん、ああ。そうだな」
アリスが言うのは、パチュリーの気管支のことだろう。
薄暗く埃っぽい図書館に住まう魔女は喘息気味で、体調の悪い日に居合わせようものなら、会話の8割が咳になる。
「げほっ」と「ごほっ」しか発さないため、いっそ言葉ではなくモールス信号で意思疎通をしてはどうかと魔理沙は提案したことがある。返答は無言でのセントエルモピラーだった。あの時はついにパチュリーが無詠唱魔術を会得したかと感心したものだ。
「でも、ちょっとおかしくない?」
「何がだ?」
魔理沙が顔をあげると、アリスは訝しげな表情で向こうを見ていた。
つられて目をやれば、モグラ叩きみたいにリズミカルに、ぶ厚い本で頭をぶたれる小悪魔の姿があった。あんな調子で叩かれてはバカ度が増してしまうのではないかと、他人事ながら魔理沙はハラハラする。
「確かに折檻としてはやり過ぎだな。適当なところで止めてやるか」
「は? 別にいいんじゃない? 他所様の教育に口を挟まないほうがいいわよ」
「えぇ……」
さすが手塩にかけて作った人形を豪快に爆発させる女の言うことは違う。
しかし、あれはさすがに目に余る。というか、なぜか殴っているパチュリーのほうがヘロヘロになっており、殴られている小悪魔はケロリとしていた。
「おーい、パチュリー。この本の続きはどこにあるんだ?」
魔理沙が声を掛けると、パチュリーは肩で息をしながらこちらを振り向いた。
あごを突き出すようにして魔理沙の掲げた本を一瞥すると、「小悪魔」と一言。
「はい! かしこまりました!」
元気よくお辞儀をして、小悪魔は書架の間へと姿を消す。ご丁寧にも、その際に横へ積んであった本を崩して。
パチュリーは頭を抱えたが、そのまま魔理沙たちのほうへと滑るように移動してきた。
「やれやれ……」
よいしょ、と小さな掛け声と共に椅子へ座ったパチュリーに、アリスが「ねぇ」と話し掛ける。
「前々から思っていたんだけど、おかしくない?」
そういえば、今しがたアリスが何をおかしいと言っていたのか、それを聞いていなかった。
パチュリーは小首を傾げるようにしてアリスを見る。
「あの娘なんだけど、ちょっと無能過ぎる気がする」
「おいおいおい……」
火の玉ストレートかよ、と魔理沙は思った。
もうちょっと柔らかい言い方がないのか。『言われたことをきちんと遂行する程度の能力が著しく不自由な方』とかそんな感じで。
「貴方の使い魔でしょ? あの娘。こう言っちゃなんだけど、貴方ほどの魔女が使役するにしては能力が低過ぎない?」
「あー、そういうことか」
続くアリスの言葉に、魔理沙は合点がいった。
一般的に、呼び出せる使い魔の能力は、主(マスター)の魔力に左右される。優れた魔術師や魔女であれば強力かつ有能な使い魔を、そうでなければ弱くあまり役に立たない使い魔を使役することとなるのだ。
術者本人の弱さを補うための使い魔ですら、本人の力に左右されるとは、なかなか世知辛い話だ。まさに、『持てるものはますます与えられ、持たざるものはさらに奪われる』といった状況である。
しかし、パチュリーは生粋の魔女であり、その魔力は後天的な魔転者とは比べものにならない。
魔理沙やアリスは彼女の位階を正確に把握しているわけではなかったが、大雑把に見積もっても、悪魔なら幹部クラスを招聘することだって可能だろう。間違ってもクソ雑魚小悪魔しか選べない程度の力量の持ち主ではない。
「一度契約を終了させて、改めて呼び出したほうがいいんじゃないの?」
もちろん、術者本人が強くても使い魔が弱いことはある。
たとえばアリスが示唆したように、まだ魔力が弱い頃に使い魔契約を結び、強大な魔力を持つようになってからも契約が続いているケースだ。
使い続けているうちに愛着が湧いて、弱くても手許に置いておくということは珍しくない。
契約を一度終了させるとは、地味にドライなアリスらしい意見といえた。
ところが、パチュリーは苦々しい顔で首を横に振った。
「ご忠告痛み入るわ。……けれども、私は自分の魔力を踏まえた上で召喚したし、別に召喚ミスをやらかしたわけでもないらしいのよ」
歯切れ悪いその返答に、魔理沙は思わずアリスと顔を見合わせた。
「やらかしたわけでもない『らしい』?」
「ええ。――ああ、そうだ。こうしましょうか。今からちょっとした昔語りをするわ。それに関して私が問いを投げ掛ける。見事正答を出せたら……」
「出せたら?」
「そうね、今夜のティータイムのお菓子をちょっとだけ豪華にする。いかが?」
「乗ったぜ」「OKよ」
咲夜の用意するお菓子の味は折り紙付きだ。
ただ、たまに実験的なものを出してくることもあり、要注意なのだった。
本に読みふけっているときのパチュリーはあまり細かい味にこだわらないため、図書館には実験的な味のお菓子(の残り)が回されることも多い。必然的に、魔理沙やアリスもその味に付き合わされることとなる。
とはいえ、食客たるパチュリーの要望はそれなりに受け入れられるようで、彼女がきちんとオーダーすれば、お菓子も真っ当なものになるのだった。
「じゃあ始めるわよ。――これは、私が小悪魔を召喚してからしばらく経った日のこと……」
◇ ◇ ◇
「はぁぁぁぁぁぁぁ…………」
パチュリーは大きなため息を吐いた。
この図書館を管理するために召喚した小悪魔は、恐るべきドジっ娘だったのだ。
最初はボヤ騒ぎを起こした。書物に火は厳禁だ。
パチュリーは小悪魔の頬を張り、慌てて本に耐火魔術を掛けた。
次には盛大に紅茶をぶちまけた。書物に水は厳禁だ。
パチュリーは小悪魔の腹を殴り、慌てて本に防水魔術を掛けた。
さらに禁呪の封印を解き、黒光りする魔物たちを涌かせた。書物に魔物は厳禁だ。
パチュリーは小悪魔の尻を叩き、慌てて本に退魔術を施した。
もう安心と思っていたら、今度はなぜか幽霊を招き寄せた。書物に霊は厳禁だ。
パチュリーは小悪魔を逆さ吊りし、慌てて本に除霊術を施した。
さすがにこれ以上は何もやらかさないかとは思うものの、小悪魔はその斜め上をいく可能性があった。
パチュリーは業を煮やし、徹底的に本を守り切る魔法を掛けた。『効果○すべて』だ。
その甲斐もあって、後年紅魔館の地下図書館がスペル戦の舞台になった際も本を傷める心配は要らなかったのだが……この時のパチュリーには、完全に魔力の無駄遣いをさせられたとしか思えなかった。
パチュリーは吊られた小悪魔を睨みつけた。
「貴方ね、いったいどういう教育を受けてきたわけ!?」
「ひーん、すみませぇん……許してつかぁさいぃ……」
「もう今度という今度は我慢の限界。光よりも速く貴方を魔界に叩き返す」
「うううう……ですよね。私なんかが成績優秀だなんて、やっぱり何かの間違い――」
「は???」
言葉を交わしながらクーリングオフ用の魔法陣を描き掛けていたパチュリーは、思わず手を止めた。今、こいつは何と言った?
「成績優秀? 誰が?」
「えっ、あ、ワタクシですけど……?」
「ちょっと待って。成績って何? どういうこと?」
「はぁ。ええと、何からご説明したものか――」
小悪魔が言うには、悪魔にも学校というものがあり、そこを一定以上の成績で修了した者のみが人間や魔術師などとの「取引」や「契約」に携われるらしい。
その学校で、目の前の小悪魔は優秀な成績を収めたというのだ。
「もしかして、その学校の教師たちって、揃いも揃って目ン玉腐り落ちてたの? fusianasanなの?」
「いえいえ、私だって普段の成績はあまりパッとしなかったんですよ。ただ、卒業試験で下駄を履かせてもらったっぽいというか」
「やっぱり不良品じゃないの!!」
パチュリーは激昂した。
こんなのは、ろくにバック駐車もできないような輩に飛行型戦車免許を与えてしまうようなもので、被害を受けるのは本人よりも周りの者である。
ここに至り、パチュリーにはただ単に小悪魔を返品して事を済ませる気はなくなった。
直接魔界のその学校とやらに乗り込み、こいつのどこがどう優秀だったのかを問い質してやろうと決意したのだ。
◇ ◇ ◇
「お前にしてはなかなかアクティブだな」
「それだけ腹が立っていたということかしら」
魔理沙とアリスが口々に言う。
パチュリーは肩をすくめた。
「まあ、私も若かったからね。怒りだけじゃなくて好奇心と……嗜虐心もあったかも」
「好奇心ってのはわかるぜ。ドジっ小悪魔がなんで成績優秀なのかってことだろ。だけど嗜虐心は?」
「もし成績優秀ってのが嘘だったら、徹底的にとっちめてやろうってことでしょ? ね、パチュリー」
アリスの言葉に、パチュリーは頷く。
「まあね。とにかく、気になるものは気になるじゃないの。そうでなければ本なんて読んでいないわ」
これには魔理沙もアリスも首肯した。
魔法使いなど、あらゆるものに対する好奇心がなければやっていけない。そういえば、日頃あまり動こうとしないわりに、異変が起きたら活動的になるのがパチュリーだった。
「お待たせしました~」
「遅かったわね。ほら、魔理沙」
「おうサンキューな、小悪魔」
戻ってきた小悪魔に口実代わりの本を手渡され、魔理沙は礼を言う。
パチュリーは首だけで小悪魔のほうを振り向き、口を開く。
「次は鉱床学の棚と錯体化学の棚、そして生命起源論の棚の整理。今朝指示したとおりに。覚えているわね?」
「あ……は、はい。ばっちりですよ! ……たぶん」
「あ゛?」
「完璧です! いや~、本棚の整理ってたーのしー!」
パタパタと駆け去っていく小悪魔の後ろ姿を眺めつつ、おそらく歴史は繰り返すだろう、と柄にもなく魔理沙は思った。
「さて、と。話を戻すけど、貴方たちに考えてもらうのは、あの娘の卒業試験について。もっと言うなら、小悪魔がどんな解答をしたかということよ。まず試験内容から説明するわ」
パチュリーの言葉に、魔理沙とアリスは微かに身を乗り出した。
無論、ティータイムのお菓子の豪華さが懸かっているからだが、正答が出せなかった時のリスクも気になるためだ。
正解すれば褒美が得られる。しかし、それは裏を返せば不正解の時には何が出されるかわからないということでもあるのだ。リスクとリターンは表裏一体のもの。魔法使いの常識である。
◇ ◇ ◇
「うむむ……そうでしたか。この学生が……」
パチュリーの眼の前では、立派なヒゲを生やした厳つい顔の校長が困った顔をしていた。
おたくでは一体全体どんな教育をしているのか。この学生が卒業時に成績優秀だったというのは本当なのか。もし虚偽だった場合いかなる責任を取ってくれるのか。
小悪魔の首根っこを掴んで振り回しながら(風魔法で重さを軽減した)難詰するパチュリーの勢いに、防戦一方といった様子である。
そもそも悪魔の通う学校は、就職先の斡旋にも携わっている。
当然、魔術師や魔女はお得意先の一つであり、そこからクレームが入ったとなれば学校全体の信用問題にも関わる。
対応を誤れば、今期以降の卒業生が軒並み割りを食うことにもなりかねない。
「わかりました。本来なら卒業試験内容及びその評価の仕方は開示しないのですが、状況の重大さに鑑みてお教え致しましょう。……君、ちょっと席を外してくれ給え」
元学生である小悪魔が秘書に連れられて校長室を出ていく。
おもむろに校長は口を開いた。
「卒業試験はその期ごとに変わります。彼女のときは……ふむ、これですな」
校長の太い指先で示された資料には、このような内容が書かれていた。
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《第○○××□期 卒業試験内容》
・卒業予定者(以下、αとする)を、対象者(以下、βとする)の元へと派遣する
・βは死病を理由として残り三箇月程度の寿命の人間の中から選定される
・βは人種・性別を問わない
・βは一定年齢以上、一定年齢以下のものとする
・βの意識は正常であり、意思能力を有すものである
・βは自らの死が間近に迫っていることを知り得るものである
・βは身寄りのないものである
・αはβが死亡するまで身の回りの世話・介助等を行うものとする
・αによる世話・介助等の開始からβの死亡後までの振る舞い等により評価を行う
《禁則事項》
・βにαの正体を明かすこと
・βに試験内容を明かすこと
・事実を偽るために魔法・魔術・その他人間界において超常的な力を行使すること
(正体の隠蔽目的の場合を除く)
以上
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要は【病気で死期が迫っている人間と、死ぬまでの間を過ごしましょう】という内容の試験である。
「なるほど。この対象者との関わり方で悪魔としての適性を見る、ということね」
「左様。いろいろな答えの出し方が考えられるわけですが、あの学生の場合は――」
◇ ◇ ◇
「はい、出題編がここまで。悪魔的な解答を示してご覧なさい。特に魔理沙」
パチュリーの言に、魔理沙は眉を軽く上げた。
「ああ? なんで特に私なんだよ」
「今後、本格的に使い魔を使役しようとする際に役立つわ。悪魔の思考プロセスを知っておくことはね」
「へいへい、お優しいことで」
軽く肩をすくめて返す魔理沙だったが、内心ではわりと興味を惹かれていた。
悪魔の価値観は、当然ながら人間のそれとは異質なものだ。
そうでありながら、人間の想像力や思考と紐付けられた存在であるため、理屈で説明が不可能とまではいえないのが悪魔というものの思考なのである。
その上で、悪魔として優秀だと評価されるような行動でなければならない。
劣等でも普通でもダメなのだ。これはなかなか難しいのではないか。
「よし、じゃあ早速解答するぜ」
沈思黙考するアリスを尻目に、魔理沙はビシッと手を上げた。
魔理沙のポリシーはパワーとスピード。解答も力押しである。
「あ、そういや回数制限とかはあるのか? 解答の」
「とりあえず1回で。いい加減な答えはNGよ」
「OKだ」
ぺろりと唇を舐め、魔理沙は口を開く。
「結論から言うと、『小悪魔は対象者に寿命間近だということを告げ、さっさと殺してしまった』んだ」
「……ほう。その心は?」
「こういうことだ。対象者は『自らの死が間近に迫っていることを知り得る者』。つまり、確実に知っているわけじゃないってことだよな。だけど薄々は感づいている。そんな中で、自分の寿命が間近に迫っていることを告げられたらショックを受けるはずだ」
「ふむ。続けて」
「そこで、その残り僅かの余命すらも剥ぎ取ってしまうわけだな。これは悪魔的だろう。あと、禁則事項に『殺してはならない』とは書かれていないし」
「これでQ.E.D.だぜ!」と魔理沙が自信満々に言い切ると、横合いから失笑が漏れてきた。
「なんだよアリス、おかしいところでもあったか?」
「ふふふ、ああいえ、馬鹿にしたわけじゃないわ。ただ、想定される中でもっとも安直な答えだったから、つい、ね?」
「お前、『馬鹿にする』って言葉を辞書で調べたほうがいいぞ」
魔理沙がむくれると、アリスは微苦笑を浮かべながら席を立った。
「魔理沙、貴方の考えにはちょっと物足りない点がある。……指摘しても?」
「ええ、任せたわ」
パチュリーが頷いてみせたので、魔理沙も不承不承聞くことにした。
「まず、『寿命間近だと告げ』って言ったけれど、どうして対象者はそれを鵜呑みにしてしまうの? エビデンスは?」
「そりゃあ、人ならぬ悪魔の言うことだから……あっ」
「そう、禁則事項にあるわよね。『βにαの正体を明かすこと』と。あかの他人が『お前はもうじき死ぬ』とか言ってきたとして、それを頭から信じ込むほうが不自然だわ」
アリスの指摘に、魔理沙は渋い顔をする。
「んっ、じゃあそうだな、信頼のおける医者か家族にでも化けて……もダメか」
「対象者にバレないほどの变化の術も、虚偽を禁じた禁則事項にあたるでしょうね」
腕組みをして唸る魔理沙に、アリスは続ける。
「それだけじゃないわ。貴方の解答は根本的に甘いのよ。和三盆なみに」
「えー、どこがだよ」
「対象者は身寄りのない、いわば孤独な人間よね。この選定条件からだけじゃわからないけれど、この世に未練がなかったらどうするの? 『え? もうすぐワシ死ぬんスか? まあ、しゃーないっスね!』って笑って死んでいったら? 別に悪魔が傍にいようといまいと関係ないじゃない」
「むむむ……」
言われてみれば、確かにそうだ。
対象者が死ぬ前の約3箇月、悪魔が傍につくことで、より悪魔的な結果にならなければ、優秀と評価されることは考えにくいのではないか。
「――と、以上の指摘を踏まえて、私の意見はこう。『小悪魔は対象者に寿命間近だということを示唆して、残りの時間を対象者に尽くした』」
アリスの解答に、魔理沙はパチュリーの顔をうかがう。
「その理由は?」
パチュリーが促すと、アリスは説明を始める。
「人間というのは、基本的に孤独を避けたがる存在よ。独りでいれば寿命も短くなる傾向にあるという研究結果もある。薄々自分の死期を悟っていればなおさらだわ。だから、優しくしてくれる相手にコロッとまいっちゃうの」
「お、実体験かな?」
「黙れ小僧!」
咳払いをしてアリスは続ける。
「より悪魔的とはどういうことか。それは、死にたい人間や死を受け容れた人間を死なせることではないわ。死にたくない人間、生に未練のある人間の命を奪うこと。それこそが真に悪魔的な行為なのよ。だから未練を作り出してやればいい。貴方に欠けていたのはその視点ね」
言い切って、アリスは「どう?」とパチュリーを見やった。
パチュリーは椅子に腰掛けたまま、お腹のあたりで両手を重ねていたが、ややあって口を開く。
「……今夜のお菓子は咲夜特製のベラドンナ入りマフィンかしらねぇ」
魔理沙とアリスは顔を見合わせる。それはどう考えても地雷系お菓子だ。むしろお菓子系地雷なのではないか。
ややあって、こらえ切れず魔理沙は噴き出した。
「んん~? なんだったかな? 『それこそが真に悪魔的な行為なのよ!(キリッ』だっけ。うぷぷぷぷ」
「な、な、なんでよ!? とりあえず魔理沙は後で○す! ねぇパチュリー、間違いだって言うわけ? どうして!?」
アリスがデータを超える反応を見せられたデータ論者のような狼狽を見せる中、パチュリーは軽く息を吐いた。
「実はね、私も考えてみたのよ。実際の小悪魔の行動を聞く前に」
パチュリーの言い草からすると、やはり正解はしなかったようだ。
が、それはそれとしてパチュリーの解答も気になるところである。魔理沙は続きを促した。
「私はこう答えたわ。『小悪魔は対象者に寿命間近だということを明示し、残りの時間は対象者に好き勝手させた上で、死病を治癒させた』」
その答えに、魔理沙は首を傾げる。
何かがおかしいような気がするのだが……。
考えているうちに、アリスが先に疑問を発した。
「それ、変じゃない? まず魔理沙の答えにも当てはまるけど、どうやって寿命間近だと対象者に明示したの?」
「簡単よ。『βは自らの死が間近に迫っていることを知り得るもの』、つまり自分の体調の悪化には薄々感づいていると思われる。なら、医者に診せて検査してもらえばいい」
「あ……」
盲点だった。別に小悪魔が医者に化けなくとも、正規の医者に診察させればいいのだ。
病気で余命3箇月というなら、さすがに検査すればわかるだろう。それでエビデンスとしては事足りる。
「だが、『死病を治癒させた』というのはまずいんじゃないか? 超常的な力の行使はいけないんだろ?」
「『事実を偽るため』ならね。死病を治すというのは事実を偽ることにあたるかしら?」
言われてみると、特に何かを偽っているわけではない。
幻覚を見せて余命3箇月だと騙したわけでもなく、ただ本当に病気だったのを後から治したというだけの話だ。
「治せるなら『死病』の定義から外れるんじゃない?」
「人間界のその時点の定義で治療不可能なら、死病と呼んで差し支えないわ。たまたま未知の治療薬が存在したとしても、一般的には死病として扱われるでしょう。それと同じ」
アリスの指摘にも、パチュリーは淡々と応える。
ふたりの想定した疑問くらいは、とうに解消済みだったようだ。
「つまりこういうこと。間近に迫る死を前に、対象者はやけになる。身寄りがなければ財産を残すような相手もいない。浪費も飽食も自由だし、借金をしても構わない。なんとなれば犯罪すらできる。禁じられている薬物の類などね」
「あー、現実逃避ってやつだな。もうじき死ぬなら、法とか倫理とかに縛られない奴も出てくるだろう。そういう奴ばかりじゃないとは思うが」
「そうして散々浪費する。金も信用も、後には退けないくらいのところまで。けれども……」
「病気が治ってしまったことをそのうち知る、というわけか。エグいわね」
アリスが言葉を継ぐと、パチュリーは苦笑する。
「ポイントはあれだ。小悪魔側の行為としては、『死病を治す』という本来なら善良なものだってことか。勝手に自滅したのは人間側だからな」
そう考えるなら、自らは何も悪い働き掛けをせず、人間の自滅を誘うというのが「悪魔的」なのだといえそうだ。思えばアリスの解答も似たようなところがあった。
「くそっ、私はまだまだってことだな……」
「でも、その解答も正解ではなかったのよね。結局答えは何だったの?」
アリスが再び着席しながら訊ねる。
すると、パチュリーの顔がいっそう苦々しいものとなった。
「あの娘は――何もしなかったのよ。特別なことは何も、ね」
◇ ◇ ◇
「――我々は、学生の行動だけではなく、本人への最終的な聴き取り調査も実施しました。その上で評価を行ったのです」
校長の瞳が微かに揺れた。
パチュリーも戸惑っていた。小悪魔の行動には、おかしなところが何一つとしてなかったからだ。
「直接・間接的に対象者を殺めた者もおりましたし、未練を残させるために振る舞った者も、事実と弁舌のみで対象者を嵌めた者もおりました」
言いながら校長は目を細める。
顔つきは厳ついが、教育者として学生たちのことは大切に思っているのだろう。
その様は、妙に人間的にも見えた。
「ただ、亡くなるまでの3箇月を共に過ごしたことで、やはり思い入れというものが出てくるのでしょうな。どの子も、自分のパートナーがどのような人間だったのかを、事細かに語ってくれましたよ。その経験が、今後の『取引』や『契約』の際に学生たちの糧となるのです」
物の本で読んだ、遺体の解剖実習のようなものだろうか、とパチュリーは思った。
あれも亡骸に黙祷し、礼を行ってから始めるという。
悪魔たちにとっても、卒業がかかった重要な試験だけに、対象者へ愛着めいたものが湧いてもおかしくない。
「いや、失礼。話が逸れました。ただ、そんな中で、あの子は特殊でした。私は今でも覚えています。卒業試験を終えて戻ってきて数日後に実施した、あの子との面談を」
――えっ? 対象者について、ですか? ……すみません! 忘れちゃいました
――あの、本当に私、忘れっぽくて……どうでもいいこととか、すぐに忘れちゃうんです
――はい、あの、それじゃあ失礼します
「3箇月です。長くはないが、決して短くもない。しかも濃い時間だ。彼女の行動記録によれば、特別なことはしていないものの、それなりに親身に接し、交流していたようです。それを『もう忘れた』と。『どうでもいいことだった』と。……あっさりそう言ったのです」
「それは……」
パチュリーも言葉に詰まった。
決して悪辣ではない。興味のないことをすぐに記憶から消去してしまう者も珍しくはない。だが、あまりにも無情だった。
「……とても悪魔的、なのかも知れないわね」
結局、パチュリーはそう結ばざるを得なかった。
◇ ◇ ◇
話を聴き終えて、魔理沙とアリスは言葉を発せずにいた。
衝撃的、というほどでもないが、もやもやとしたものが残る解答だった。
「対象を突き放して捉えられる客観性が高く評価されたらしいわ。まあ、パッとしない成績の反動というか、救済措置だったのかも知れないけれど」
「その、なんだ、それにしても悪魔的というには弱いというか、それでお前が引き下がるのか? って気はしたんだが……」
パチュリーのしつこさや煩さは、魔理沙もよく知るところである。
わざわざ魔界まで乗り込んだわりには、物分かりが良過ぎるのではないか。
するとパチュリーは「まあね」と言いつつ、魔理沙とアリスの顔を見た。
「でもね。……ねぇ、ふたりに訊きたいのだけれど。今、仮に私が死んだとしたら。……あの子はどれだけの間、私のことを覚えていてくれると思う?」
その問い掛けに、辺りは静まり返った。
今まででもっとも長い静寂だった。
パチュリーはまたしてもため息を吐き、続ける。
「……そこで私は思ったのよ。あの子が忘れっぽいのは、周りの全てに興味をもっていないから。楽しいこと、哀しいこと、怒るべきこと、喜ばしいこと。そういうのがないから、記憶に残らない。――度し難いことだわ」
そこで、パチュリーはゆらりと立ち上がる。
「世界に対する好奇心を持たずに、虚無に満ちた目で日々をただただ流れるように過ごす。何を見ても誰と話してもすぐに忘れてしまう。……そんなのがこの私の使い魔だなんて、絶対に許せない」
魔理沙とアリスには、パチュリーの全身から憤激と共に魔力が立ち昇っているのが感じ取れた。
「いいわ。どうでもいいことを忘れてしまうというのなら、決して忘れられなくしてしまえばいい。何もかも覚えていられるようになれば、きっと使えるようになるわ。それが『躾け』というものでしょう?」
力強く発されたその言葉に、魔理沙は内心で思わず苦笑する。
結局、こういう奴なのだ、パチュリーというのは。
素っ気ない顔をして、いつも本ばかり読んでいて、ボソボソ小声で喋って。
だけど、それでいて存外寂しがり屋。
こんなこと、本人にはとてもじゃないが直接言うことなどできやしないけれども。
ふと横目でアリスを見ると、向こうもこちらを見ていた。
どうやら思ったことは同じなようだった。
◇ ◇ ◇
「さて、そろそろティータイムにしましょうか。喋り続けで喉が渇いたわ」
そう言って、パチュリーは手許のベルを鳴らす。
次の瞬間にはポットと湯気の立つカップが目の前に置かれているのだから、大したものだ。
「今夜のお茶菓子は、私め特製のマドレーヌでございます」
音もなく現れた咲夜が、三名の前に皿を並べてゆく。
世の中の悲しみを集めて凝縮させたような、ちょっと形容のし難い色をしていた。
「お嬢様への気持ちをたっぷり込めて焼き上げたものです」
「ほ、ほう……。喜んでもらえたか?」
「ええ。なんと今回は、二口も召し上がっていただけましたわ!」
その咲夜の喜びと自信がどこから湧いてくるのかわからず、魔理沙は困惑する。
「まあ、お嬢様は元々少食でいらっしゃいますからね。三口目を勧めると『もう(咲夜の愛情で)いっぱいいっぱいだから、やめておくわ』と」
「お前がそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな」
謎の補完がされていたようだが、被害を受けるのはもっぱらレミリアだ。体調の心配は要らないだろう。
「おっと、呼び出しがありそうですね。それではひとまず失礼――」
そう言い残して咲夜は消えた。
「呼び出しがあった」ではなく「ありそう」の時点で動くのは、紅魔館の誇るメイド長ならではといったところか。オリジナリティではっちゃけるのもやむなしというべきである。
後には、世界の悲しみマドレーヌが残された。
「……まあ、私もアリスも正解できなかったしな。仕方ないか」
「というか、正解するの無理じゃない? あれ」
アリスは不平を漏らすが、だからといって目の前に置かれた物体が消え失せてくれるわけではない。
諦めて手に取ろうとした時、パタパタという足音が聞こえてきた。
「パーチュリー様ぁー。言いつけ通り整理してまいりました!」
「あら、頑張ったわね。こちらへいらっしゃい」
心なしかパチュリーが優しい声を出す。
小悪魔も嬉しそうだ。
駆け寄ってくる小悪魔に、「はい、これ」とパチュリーは皿ごと差し出した。
「ご褒美よ。よく味わって食べなさい」
『あっ……』
魔理沙とアリスは異口同音に小声を漏らす。
ずるい。これはずるい。
「うわぁーい! ありがとうございま――うぐーっ!?」
目を白黒させて崩れ落ちる小悪魔を、やはり心なしか優しい目で見下ろすパチュリー。
「ええ。こうして思い出をたっぷり作っていけば、きっと――」
「逆効果のような気もするが……」
呆れる魔理沙とアリスを尻目に、小悪魔はパッと立ち上がる。
「悪くないですねこれ! 斬新な味に思わず気を失いかけましたよ。おかわりありませんか?」
「え、なら私のもやるぜ」「ついでに私もどうぞ……」
マドレーヌ的な何かをニコニコ顔でパクつく小悪魔を前に、一筋縄ではいかないなこいつ、と魔理沙は思う。
何気なくパチュリーやアリスのほうに目をやる。
複雑な顔で小悪魔を見ていた。
きっと、同じことを思っているのだろう。
◇ ◇ ◇
夜も更けて、そろそろ解散しようかということになった。
ずいぶん長いこと話し込んでいたような気がする。
魔理沙は大きく伸びをし、立ち上がった。
アリスも肩に手をやりながら借りる本を確認している。
ボーン ボーン ボーン
遠くから柱時計の鳴る音が聞こえてくる。
「なあ、小悪魔」
ふと気になって、魔理沙は訊ねる。
「はい?」
「お前さ、私たちとか……パチュリーがもしどっか行って――いなくなっちゃったら、やっぱり忘れちゃうか?」
「ちょ、ちょっと魔理沙」
アリスが肩に手を掛けてくるが、気にせず小悪魔を見つめる。
パチュリーの表情は、はっきりと見えない。
「はぁ……」
小悪魔はきょとんとした顔をしたが、ややあってニンマリと笑う。
そして答えた。
「――ふふ、そうですね。すぐ忘れちゃうかも知れません」
~完~