警視庁捜査一課の佐々木警部のもとに、第六の事件の発生が伝えられたのは、捜査本部の置かれた所轄の仮眠室に足を向けようとしたそのときだった。
徹夜続きでしょぼくれた目を擦りながら、警部は現場に向かう。現場は都内の一等地に建つ洋館だった。
「なるほど、こりゃ例の犯人の仕業だな……。いくら世も末とはいえ、こんな奇天烈なコロシをするような頭のイカレた連中が何人もいてたまるか」
凄惨な現場を目の当たりにし、警部は苦虫を噛み潰した顔でそう呟く。
被害者は胸に槍を突き刺され、昆虫標本のように洋館の室内の壁に縫い止められていた。服は真っ赤に染まり、その足元にはなぜかコウモリの死骸が大量にばらまかれている。部屋の中にはティーセットが置かれ、淹れられた紅茶がカップの中で冷め切っていた。
「服を赤く染めているのは、血じゃなくてペンキですね」
鑑識官の報告に、警部は「この匂いを嗅ぎゃわかる」と答えた。血の匂いを掻き消すほど有機溶剤の刺激臭がする。しかし、なぜ死体に赤いペンキをぶちまけなければならないのか。まさか槍を刺した傷口からの出血が思ったより少なく、もっと被害者を血まみれにしたかった……などというふざけた理由なのか?
「ペンキといや、最初の事件もそうだったな」
「ええ、あれは黒いペンキでしたが……」
この一ヶ月、奇天烈な連続殺人が都内を震撼させていた。
最初の被害者は、公園で発見された。十字架に磔にされたように両手を広げて横たわった死体は、腹部が切り裂かれ臓物がはみだした上から、黒いペンキを大量にぶちまけられて、人相もわからないほど真っ黒に染め上げられていた。
第二の被害者は、生鮮食品を扱う冷凍倉庫の中で凍死体となって発見された。死体の下には⑨という文字が描かれおり、犯人が描き残したものと思われるが、未だにその意味は不明である。
第三の被害者は、都内の別の屋敷の門の前で殺害されていた。全身に暴行を受けた痕跡があり、死因は内臓破裂。睡眠薬が検出され、眠らされて暴行を受けたものと思われる。なぜか華人服を着せられていたが、これも理由は不明。
第四の被害者は、都内の図書館で本棚の下敷きとなって死亡していた。直接の死因は喘息の発作によるものとされ、現場は密室状態で何らかの事故かとも思われたが、本棚を倒したのは明らかに他者による人為的な行為であり、また本棚の激突によるものと思われる後頭部の傷には生活反応があった。現場にはカレンダーが残されていたが、この意味も不明。
第五の被害者は、メイド服姿で全身に大量のナイフを突き刺されて殺害された。現場には『ジョジョの奇妙な冒険』第三部のコミックスが残され、《1341398》という謎の数字が血文字で残されていたが、いずれも意味は不明だ。
そして、これが第六の事件である。またマスコミの警察批判がやかましくなるな、と警部は顔をしかめた。
六つの事件はいずれも、死体やその周辺に過剰な装飾が見られる。犯人はこれらに何らかの意味を持たせているものと思われるが、未だその解明には至っていない。
どう考えても頭のおかしな犯人だが、現場に大量の遺留品を残しているにも関わらず、決定的な手がかりを掴ませない。むしろその大量の遺留品の追跡に時間を取られて捜査が滞っているような状態であり、そこまで計算している可能性もある。
おそらく今回も、犯人に繋がる決定的な手がかりは残されていないのだろう。
「警部、だからこれは絶対に何かの見立て殺人なんです!」
警部の部下の田中巡査が、傍らでそう力説する。この若い巡査、ミステリーマニアが高じて刑事になったという輩で、何かと事件を推理小説的に解釈したがる悪癖がある。だが現実の殺人は小説とは違うのだ。警部はやれやれと首を振った。
「お前は推理小説の読み過ぎだ。いいから付近の聞き込みをしてこい」
適当にあしらわれ、不満げな顔をしながら田中巡査は外へ出て行く。現場検証が続く中を、佐々木警部はゆっくりと歩き回った。巡査の妄言はともかく、ホシはいったい何がしたいんだ? 六人も殺して、死体におかしな飾り付けをして――。頭のおかしい犯人の動機を考えるのは無意味かもしれないが、しかし犯人の行動原理の一端でも掴めれば、きっと大きな手がかりになるはずなのだ。
だが事件の発生日時に規則性はなく、殺害方法は見ての通りてんでバラバラ。これだけ近場で連続して起きていなければそれぞれ別個の事件だと思われても仕方ない。いったいこの事件は何なんだ――?
推理を巡らせながら屋敷の中を歩いていた警部は、鑑識が「何かあるぞ」と騒いでいるところに出くわした。
「なんだ?」
「あ、警部。どうもここに隠し扉がありまして、地下への階段が……」
「隠し扉?」
それこそ田中の好きな推理小説じゃあるまいし。訝しみながらも、警部はその階段を鑑識を伴って降りていき――。
階段を下りた先に、小さな部屋の扉があった。隠し部屋? 鑑識のひとりが、そっとその扉を開ける。
次の瞬間、地下の隠し部屋に仕掛けられた大量の爆弾が、現場検証をしていた警察官たちごと、屋敷を吹き飛ばした。
爆発現場からは、巻き添えを食った佐々木警部ら警察関係者の中に混ざって、細切れになった死体が発見され、連続殺人第七の被害者と断定された。
細切れになった死体は、その右手にアガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』を手にしていたが、これが何を意味するのかはやはり不明である。
外へ聞き込みに出ていて難を逃れた田中巡査は、相変わらず何らかの見立て殺人説を主張し続けているが、誰も聞き入れることなく、事件は迷宮入りの様相を呈し始めている。
徹夜続きでしょぼくれた目を擦りながら、警部は現場に向かう。現場は都内の一等地に建つ洋館だった。
「なるほど、こりゃ例の犯人の仕業だな……。いくら世も末とはいえ、こんな奇天烈なコロシをするような頭のイカレた連中が何人もいてたまるか」
凄惨な現場を目の当たりにし、警部は苦虫を噛み潰した顔でそう呟く。
被害者は胸に槍を突き刺され、昆虫標本のように洋館の室内の壁に縫い止められていた。服は真っ赤に染まり、その足元にはなぜかコウモリの死骸が大量にばらまかれている。部屋の中にはティーセットが置かれ、淹れられた紅茶がカップの中で冷め切っていた。
「服を赤く染めているのは、血じゃなくてペンキですね」
鑑識官の報告に、警部は「この匂いを嗅ぎゃわかる」と答えた。血の匂いを掻き消すほど有機溶剤の刺激臭がする。しかし、なぜ死体に赤いペンキをぶちまけなければならないのか。まさか槍を刺した傷口からの出血が思ったより少なく、もっと被害者を血まみれにしたかった……などというふざけた理由なのか?
「ペンキといや、最初の事件もそうだったな」
「ええ、あれは黒いペンキでしたが……」
この一ヶ月、奇天烈な連続殺人が都内を震撼させていた。
最初の被害者は、公園で発見された。十字架に磔にされたように両手を広げて横たわった死体は、腹部が切り裂かれ臓物がはみだした上から、黒いペンキを大量にぶちまけられて、人相もわからないほど真っ黒に染め上げられていた。
第二の被害者は、生鮮食品を扱う冷凍倉庫の中で凍死体となって発見された。死体の下には⑨という文字が描かれおり、犯人が描き残したものと思われるが、未だにその意味は不明である。
第三の被害者は、都内の別の屋敷の門の前で殺害されていた。全身に暴行を受けた痕跡があり、死因は内臓破裂。睡眠薬が検出され、眠らされて暴行を受けたものと思われる。なぜか華人服を着せられていたが、これも理由は不明。
第四の被害者は、都内の図書館で本棚の下敷きとなって死亡していた。直接の死因は喘息の発作によるものとされ、現場は密室状態で何らかの事故かとも思われたが、本棚を倒したのは明らかに他者による人為的な行為であり、また本棚の激突によるものと思われる後頭部の傷には生活反応があった。現場にはカレンダーが残されていたが、この意味も不明。
第五の被害者は、メイド服姿で全身に大量のナイフを突き刺されて殺害された。現場には『ジョジョの奇妙な冒険』第三部のコミックスが残され、《1341398》という謎の数字が血文字で残されていたが、いずれも意味は不明だ。
そして、これが第六の事件である。またマスコミの警察批判がやかましくなるな、と警部は顔をしかめた。
六つの事件はいずれも、死体やその周辺に過剰な装飾が見られる。犯人はこれらに何らかの意味を持たせているものと思われるが、未だその解明には至っていない。
どう考えても頭のおかしな犯人だが、現場に大量の遺留品を残しているにも関わらず、決定的な手がかりを掴ませない。むしろその大量の遺留品の追跡に時間を取られて捜査が滞っているような状態であり、そこまで計算している可能性もある。
おそらく今回も、犯人に繋がる決定的な手がかりは残されていないのだろう。
「警部、だからこれは絶対に何かの見立て殺人なんです!」
警部の部下の田中巡査が、傍らでそう力説する。この若い巡査、ミステリーマニアが高じて刑事になったという輩で、何かと事件を推理小説的に解釈したがる悪癖がある。だが現実の殺人は小説とは違うのだ。警部はやれやれと首を振った。
「お前は推理小説の読み過ぎだ。いいから付近の聞き込みをしてこい」
適当にあしらわれ、不満げな顔をしながら田中巡査は外へ出て行く。現場検証が続く中を、佐々木警部はゆっくりと歩き回った。巡査の妄言はともかく、ホシはいったい何がしたいんだ? 六人も殺して、死体におかしな飾り付けをして――。頭のおかしい犯人の動機を考えるのは無意味かもしれないが、しかし犯人の行動原理の一端でも掴めれば、きっと大きな手がかりになるはずなのだ。
だが事件の発生日時に規則性はなく、殺害方法は見ての通りてんでバラバラ。これだけ近場で連続して起きていなければそれぞれ別個の事件だと思われても仕方ない。いったいこの事件は何なんだ――?
推理を巡らせながら屋敷の中を歩いていた警部は、鑑識が「何かあるぞ」と騒いでいるところに出くわした。
「なんだ?」
「あ、警部。どうもここに隠し扉がありまして、地下への階段が……」
「隠し扉?」
それこそ田中の好きな推理小説じゃあるまいし。訝しみながらも、警部はその階段を鑑識を伴って降りていき――。
階段を下りた先に、小さな部屋の扉があった。隠し部屋? 鑑識のひとりが、そっとその扉を開ける。
次の瞬間、地下の隠し部屋に仕掛けられた大量の爆弾が、現場検証をしていた警察官たちごと、屋敷を吹き飛ばした。
爆発現場からは、巻き添えを食った佐々木警部ら警察関係者の中に混ざって、細切れになった死体が発見され、連続殺人第七の被害者と断定された。
細切れになった死体は、その右手にアガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』を手にしていたが、これが何を意味するのかはやはり不明である。
外へ聞き込みに出ていて難を逃れた田中巡査は、相変わらず何らかの見立て殺人説を主張し続けているが、誰も聞き入れることなく、事件は迷宮入りの様相を呈し始めている。