恐慌焦燥話

虚報「四月一日の号外」

2017/04/01 23:47:37
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 四月一日の号外という概念が、特殊な文脈を持ちはじめたのはごく最近のことだった。少なくとも、私の感覚においてはそうである。正確な記録を確かめたければ新聞のバックナンバーを当たれば良いが、その情報にどれほどの価値があろう。私はただ経験と曖昧な記憶を辿る。昔の天狗の中にも外の習俗に詳しいのがいくらかいたのだが、そうした者たちがまったくの虚報を同じ日に発表したので、当時の社会は――とりわけ頭の固い老天狗たちは――混乱し、あるいは罵倒し、あるいは無視した。真実や品位といった言葉を彼らはしきりに用いた。私はどちらの立場が正しいのか懐疑的だったが、結局のところ、お互いに虚偽を並べ立てているという点ではきっと同じだと結論した。

 ゆえに、初めの方こそ私は傍観者に徹していたものの、今では気晴らしも兼ねて欠かさずその習慣をこなすようにしている。半ば無責任な遊びに堂々と興じられる機会は、皆が思っているより貴重な物なのだ。

 それだというのに、私は今年の四月一日を困惑とともに迎えていた。その原因は言うまでもなく、先日出版を断念したあの週刊誌にあった。地獄の女神の言葉が、今もなお楔のように私のあらゆる行動を妨げていた。もし彼女の言が真実ならば、普段のような虚報をうかつに出すわけにはいかないのだから。

 もちろん、地獄も月も信用ならないという点では同等のだが、敵の敵はというやつである。月についてはいまだ知りえないことが多いので、どんな情報でも参考にはしてみた方が良い。

 そのようなことを考えていると、呼び鈴が鳴った。何となく応じる気にはならなくて放っておくと、やがて戸を開く音が聞こえた。号外の件に気を取られていて、鍵を閉め忘れていたのを思い出した。

「花果子念報でーす」
 悩みとは無縁そうな涼やかな声。姫海棠はたてがそこにいた。

「いらない」
「まあ、号外だから」
「そこに置いといて」

 彼女は難しい顔で応じた。このような応対の仕方では無理もない。

「急いで来たから、喉が渇いたかも」
「そこの棚の一番上のやつから使って」
「客に茶を淹れさせるのはどうなの」
「新聞の押し売りは客扱いされないのよ」
「説得力があるわね」

「……あんたが訪ねてくるなんて珍しい」
 あまりに自然と言葉が零れたために、独り言か否か、自分でも判別が付かなかった。

 はたては棚を探る手をしばし止めると、「そりゃあ、いつもは文の方から来るし」と返した。

 例年、私は四月一日の朝日とともにはたての家へ押しかけていた。すべての準備を夜の内に済ませて、目覚まし代わりに虚報にまみれた号外を浴びせてやるのだ。あるいは、まだネタが思い浮かばず焦る彼女の様子を見物するという楽しみもあった。

 だから彼女は今年も私を待っていたのだろう。時計を見ると、時刻はもう正午に差し掛かりつつある。仲間たちは皆とうに書き終えているかもしれない。

「何考えてるの」
 はたての声に呼び起こされて、私は現実へ帰った。彼女の差し出す湯呑みを受け取る。

 どう答えたものかと迷いながら、お茶を飲んだ。はたての淹れるお茶はなぜだかいつも美味しい。気になったので前にそういう趣味でもあるのかと尋ねてみたが、どうやらそうでもないらしい。ならば生まれや育ちといった、習慣的なところに原因があるのかもとそのときの私は思った。

 二口目を味わってから、私は立ち上がった。回りくどいやり方は、私たち二人のあいだではやめた方が良い。週刊誌の草稿の山を崩し、あるページを取り出してはたてに見せた。地獄の女神との対談――今の私の状況を最も上手く説明してくれるのは、過去の私の言葉だと判断したのだ。

 はたては一通り読み終えると、私の顔をじっと見つめてきた。何か思いついたのだろうか。

 意味ありげな沈黙の末に、彼女は口を開いた。

「なら、害が無いような嘘を書けばいいじゃない」

 私は呆れた。

「それが出来れば苦労してない」

「えー」とはたては口を尖らせる。それはこっちの台詞だ。

 とにかく、具体的な案を出さないと仕方ない、と私は言った。具体的で、できればすぐに実行できそうなものがいい。四月一日という時間に縛られる以上、手間の掛かるものはどうしても難しかった。

 それから私たちは案を言い合った。だが、所詮はその場の思いつきである。ほんとうにその嘘が無害かどうか、また、そもそも面白いかどうか検討してみたところ、結果としてすべての案は却下された。月に対して害となるような嘘を吐けば良いのではという案もあったが、それが彼らにとって実際に不利に働くのか否かが私たちには分からない以上、月への言及自体を避けるべきだという穏当な意見が最後に残った。

 もう今年は諦めるしかないかなと、とうに空になった湯呑みを持ち上げる。はたてはまだ考えようとしていたが、先程から唸っているばかりで、秩序ある言葉は長いあいだ得られていない。私は立ち上がって、彼女の分の湯呑みも片付けてしまおうとした。しかし、その瞬間、彼女は顔を上げた。

「だったら、嘘を書かなければいいのよ!」

 彼女が何を言っているのか、私は理解できなかった。形式も内容もあまりに唐突で、不意を衝かれたのだ。

「それってどういう……」
「徹底的に真面目な記事を書くの。事実だけの記述を。流石に毎年やられたら飽きるけど、今回限りの一発ネタならきっと受けるはずよ」
「ネタはどうするのよ」
「それは没ネタを引っ張り上げてくればいいのよ。別に内容はつまらなくてもいい――というか、あんたがそれを大真面目にやっている風を装うというのが面白いの」
「はあ……」

 正直、半信半疑だったが、他に策があるわけでもない。私ははたての案に乗ることにした。時計を見るともう夕方だ。今日中に間に合う希望は限りなく無かったが、はたてがやけに熱心だったので諦めるという選択肢も存在していなかった。

 それから二人で手分けして作業を進めた。ほとんど準備の無いところから始めたので、仕上がる頃には既に夜明けが近かった。だが、それでも驚異的な速度だったと思う。はたてが泊まり込みで手伝ってくれなければ、いや、そもそも彼女の発想が無ければ、この号外は完成しなかっただろう。なぜそんなに協力してくれるのか、と私は何度も尋ねたが、「まあ、私にも責任があるだろうし」としか彼女は答えなかった。

 朝日よりも早く私は家を飛び出して、出来たばかりの号外を届けに行く。はたては「印刷したい物があるから」と言っていたので留守番を任せておいた。ここまで手伝ってもらったのだから、小型印刷機を貸すくらい訳ないことだ。

 夜明け前の闇を縫って、私は号外を知り合いの郵便受けに片端から投函していく。第三者から見れば嘘も娯楽もほとんど見当たらない、一度限りの号外を。

 そう、そこには「ほとんど」偽りは無いのだ――ただ一つを除いては。そして、その唯一の嘘が、結果的に新聞のすべての娯楽を保証している。号外の日付には「四月一日」と印字されていた。

 彼らは私たちの冗談を正しく受け取ってくれるだろうか。私は不安だったが、もう配ってしまったものはどうしようもない。それは次に会ったときに尋ねれば良いことだ。

 それよりも今は他にやるべきことがあった。私はまだはたての号外を読んでいない。表立って言うつもりは無いが、私はここのところ、彼女の新聞を楽しみにしているのだ。今も家では彼女が待っているはずだ。帰ったら眠気覚ましにコーヒーでも飲みながら、あの新聞をゆっくり読もう。そして改めてお礼を言おう。そう考えながら、速度を上げて山を行く。地平線の向こうに朝日が見えつつあった。
お詫び


 先の四月一日付本紙号外記事「『文々。新聞』、脱捏造へ」につきまして、報道後に記事の内容が一部現実の物となってしまいました。

 虚報のみを報じ、読者に娯楽を提供するという四月一日の共通理念に反する事態が生じたことを、関係者と読者のみなさまに深くお詫び申し上げます。

 以後同様の事態が起こらぬよう、厳しい第三者の目によるチェック体制を強化するなど、読者のみなさまの安心のために努める所存です。

 今後とも『花果子念報』をよろしくお願いいたします。

(文責・姫海棠はたて)
空音
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コメント



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3.2890一本の蝋燭削除
はたてちゃんナイスゥ!(本音)
4.2890一本の蝋燭削除
「厳しい第三者の目によるチェック体制を強化」つまりあやはた強化ですね。やったね!
7.2890智弘削除
エイプリルフールのお題目にぴたりと当て嵌まった話でした。お見事!