恐慌焦燥話

酉京都大学教養科目「酒と文化2」⑤近代の安酒

2017/04/01 00:13:31
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「やっほー」
「あらメリー、遅かったじゃない」
「授業が長引いたのよ。教授が酷く話を脱線しちゃって……」
「それは災難。間に合ってよかったわね」
「全くだわ」
金曜5限の大講義室は、大学構内のカフェ、正門向かいの古本屋、お互いの自宅と並ぶ秘封倶楽部の待ち合わせ場所である。

大学生の本分は学業であり、こと大学1・2年生では大学での学業とは主に授業の受講で構成されている。若き学生たちは進級要件や己の興味に応じて授業を選び、時には必修科目を否応なしに選ばされ、時間割を埋めることから大学生活を始めることになる。
そんな時間割の右下端、集中講義や資格課程を履修していない者ならば週の最後となる金曜5限というコマは、受験時の忍耐力をどこかへ置いてきてしまった大学生たちにとってすこぶる履修意欲が低く、出来れば空欄のままにしたい領域となっている。そのため、この時限は教養科目の中でも優先度の低い選択科目が並んでおり、授業内容も学科や研究室のPR、関係深い企業の出張講座、リベラル全開な現状批判と、蘊奥の窮理に応じ自由独立自治を求める大学らしい教員の趣味趣向が色濃く出ている講義がひしめき合っている。無論、中にはこの時限に必修科目を容赦なく詰め込む学科もあるが、その評判は推して知るべしである。

蓮子とメリーが履修している授業もそんな週末の全学教養科目の1つである。講義名は「酒と近代文化」。古代から嗜好品として人類と共に歩んできた酒類、技術革新や育種など科学分野、販売制度や税制など政治、さらには発癌性や依存性といった健康リスクが複雑に絡み合い、時代の流れに大きく翻弄されてきた酒と言う存在についてその扱われ方を学ぶ、という講義である。内容は正直に書くと担当者の趣味、専門的な知識はほぼ不要、それでいて最近のバー通いを考えると秘封倶楽部の活動に対する大きな資料となり得る。さらに理系の蓮子にとっては、進級要件の1つである文系教養科目の履修がクリアできるというおまけまで付いている。二人にとっては取らなければ損な講義であり、そのため教室の中央やや左よりの座席を定位置として、二人で一緒に講義を受けるのが恒例となっていた。

「今日はどんな人が来るのかしら」
「さあ?声が聞き取りやすい人だといいわね」

教養科目にありがちだが、この講義はその回その回で檀の上に立つ者が異なる、いわゆるオムニバス形式となっており、評価は出席点と各講義で課せられるレポート課題のうち2つを選んで提出する、という方式で行われている。

「そうね。先週来たおじいちゃんは酷かったわ」
「日本酒製造の権威らしいけれども、肩書よりも声の通りやすさを考えてほしかったわね」
「まあ、今の時代は記録ソフトがあるからいいんだけど」

大学生のノートも日々進化しており、現在は端末に搭載した記録ソフトを使うのが一般的だ。講義中に立ち上げておけば、居眠りしていようが内職していようが講義情報が残る優れものである。

「そうは言っても、講義中の生の情報は大事じゃない。それに聞き取りにくい声だと眠くて眠くて……」

そう話していると照明は暗くなり、スライドがスクリーンに映し出された。教官とみられる背の低い女性が壇上へと昇ったのを確認すると、メリーは記録ソフトを立ち上げた。

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