はじめに
二十一世紀半ばまで日本で常識だった物質主義は、経済格差の拡大と共に衰退した。代わりに勃興したのが今日の精神主義だが、その内実は人工調整段階に入った日本経済を持続するために物的充実を事実上の上流階層の占有物とし、中流階層以下に精神充実こそ理想とさせた国策であり国家保障型資本主義に他ならない。
しかし、それが国民の多くに精神研究への関心をもたらし、かつての理系文系を問わない教育・研究費の削減に伴い空洞化した国内大学の宣伝材料として、大学・大学院レベルでの精神学研究の進歩を促した。
それにもかかわらず、唯一の国立大学である酉京都大学ですら精神学分野の論文数はアメリカの全大学平均に及ばない。世界的にも稀有なオカルト大国である日本が霊的資源が限られるアメリカにすら劣るのが日本精神学研究の現状である。
その原因は、既に死に体で優秀な研究者が国外に活動の場を移していた中で、それまでの学問とはまったく異なる新たな精神学という分野を牽引するだけの力が国内に残されていなかったことや、発展途上の精神学が科学的オカルトブームと安易に結び付けられ、商売道具として無残に利用されてしまったことで、特に岡崎夢美氏の『非統一魔法世界論』の評価が正当に為されなかったことが大きい。未だに日本における精神学が、国際的に主流のオカルトを主軸としたものではなく、従来の精神医学から各分野へと派生した科学的根拠を持つ前時代的な学問であるのは、先に述べた『非統一魔法世界論』が長らく否定されてきたことが大きい。
ところで、精神学の本流であるオカルトを主軸とした研究を続けてきたのは旧来からの霊能者達である。彼らは、科学的根拠のある不思議を精神学であるとされてきた時代の中でも地道に活動を続け、日本における精神学の本流を絶やさぬよう努めてきた。酉京都大学でのオカルトサークル活動の容認はその一例である。また、斜陽であった卯京大学が安易に科学的精神学に走らず、母体である清華大学で既にアジア最先端となっていた本来の精神学を素直に受け入れ、一分野ではあるが日本の最高学府の地位を取り戻したことにも、霊能者達が深く関わっている。
さて、そうした霊能者達の活動実績として広く知られているのは、霊の存在証明である。イタコブームの契機にもなった八咫鏡事件は、精神主義への転換点ともなっている。
しかし、霊の存在証明は副次的なものであり、本来注目しなければならなかったのは八咫鏡が境界として作用し皇祖神の神託を此岸にもたらしたことにある。これをきっかけに各地でいわゆる結界暴きが行われ、多摩百鬼夜行事件や弘川寺桜事件を引き起こしている。その中でも黎明期の事件かつ規模が大きいにもかかわらず矮小に語られているのが、A県X郡の幻想郷想起事件である。幻想郷の推定範囲を所管するN町史にも記録されていなかった地域が断片的ながら確かに存在していたことは明らかで、にもかかわらず現在に至るまで霊能者達の多くが研究対象とせず、幻想郷鎮守と考えられる博麗神社が発見されているのみである。
そこで本稿では、現在までに再発見されている幻想郷資料を基に幻想郷地域の成立過程となぜ結界にこれほど広大な地域が隠蔽されていたのかを解明、考察しようとするものである。
ただその際に注意するべき点として、幻想郷がその関連情報も含めて極めて高度に隠蔽されていたことからA県史など既存の公的資料と相違する点が多々あることや、参考文献として偽書の可能性が示唆されている博麗神社社務所編『幻想郷風土記』や八ヶ岳出版『懐かしの小笠原氏』、上白沢慧音氏『稗田氏と源氏』やつくね氏『鈴仙を見守って366日』などの出店不明の書籍に多く頼っている。これらを用いることは本来あるべき姿ではないが、どうせ教授方に提出するものでもない我らが卯京大学一の研究型オカルトサークルである「蓮刈注中」の会報誌に載せるだけなのだから問題はないと判断した。
第1章 幻想郷の誕生
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二十一世紀半ばまで日本で常識だった物質主義は、経済格差の拡大と共に衰退した。代わりに勃興したのが今日の精神主義だが、その内実は人工調整段階に入った日本経済を持続するために物的充実を事実上の上流階層の占有物とし、中流階層以下に精神充実こそ理想とさせた国策であり国家保障型資本主義に他ならない。
しかし、それが国民の多くに精神研究への関心をもたらし、かつての理系文系を問わない教育・研究費の削減に伴い空洞化した国内大学の宣伝材料として、大学・大学院レベルでの精神学研究の進歩を促した。
それにもかかわらず、唯一の国立大学である酉京都大学ですら精神学分野の論文数はアメリカの全大学平均に及ばない。世界的にも稀有なオカルト大国である日本が霊的資源が限られるアメリカにすら劣るのが日本精神学研究の現状である。
その原因は、既に死に体で優秀な研究者が国外に活動の場を移していた中で、それまでの学問とはまったく異なる新たな精神学という分野を牽引するだけの力が国内に残されていなかったことや、発展途上の精神学が科学的オカルトブームと安易に結び付けられ、商売道具として無残に利用されてしまったことで、特に岡崎夢美氏の『非統一魔法世界論』の評価が正当に為されなかったことが大きい。未だに日本における精神学が、国際的に主流のオカルトを主軸としたものではなく、従来の精神医学から各分野へと派生した科学的根拠を持つ前時代的な学問であるのは、先に述べた『非統一魔法世界論』が長らく否定されてきたことが大きい。
ところで、精神学の本流であるオカルトを主軸とした研究を続けてきたのは旧来からの霊能者達である。彼らは、科学的根拠のある不思議を精神学であるとされてきた時代の中でも地道に活動を続け、日本における精神学の本流を絶やさぬよう努めてきた。酉京都大学でのオカルトサークル活動の容認はその一例である。また、斜陽であった卯京大学が安易に科学的精神学に走らず、母体である清華大学で既にアジア最先端となっていた本来の精神学を素直に受け入れ、一分野ではあるが日本の最高学府の地位を取り戻したことにも、霊能者達が深く関わっている。
さて、そうした霊能者達の活動実績として広く知られているのは、霊の存在証明である。イタコブームの契機にもなった八咫鏡事件は、精神主義への転換点ともなっている。
しかし、霊の存在証明は副次的なものであり、本来注目しなければならなかったのは八咫鏡が境界として作用し皇祖神の神託を此岸にもたらしたことにある。これをきっかけに各地でいわゆる結界暴きが行われ、多摩百鬼夜行事件や弘川寺桜事件を引き起こしている。その中でも黎明期の事件かつ規模が大きいにもかかわらず矮小に語られているのが、A県X郡の幻想郷想起事件である。幻想郷の推定範囲を所管するN町史にも記録されていなかった地域が断片的ながら確かに存在していたことは明らかで、にもかかわらず現在に至るまで霊能者達の多くが研究対象とせず、幻想郷鎮守と考えられる博麗神社が発見されているのみである。
そこで本稿では、現在までに再発見されている幻想郷資料を基に幻想郷地域の成立過程となぜ結界にこれほど広大な地域が隠蔽されていたのかを解明、考察しようとするものである。
ただその際に注意するべき点として、幻想郷がその関連情報も含めて極めて高度に隠蔽されていたことからA県史など既存の公的資料と相違する点が多々あることや、参考文献として偽書の可能性が示唆されている博麗神社社務所編『幻想郷風土記』や八ヶ岳出版『懐かしの小笠原氏』、上白沢慧音氏『稗田氏と源氏』やつくね氏『鈴仙を見守って366日』などの出店不明の書籍に多く頼っている。これらを用いることは本来あるべき姿ではないが、どうせ教授方に提出するものでもない我らが卯京大学一の研究型オカルトサークルである「蓮刈注中」の会報誌に載せるだけなのだから問題はないと判断した。
第1章 幻想郷の誕生
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