「村紗」
「なに」
特に何をするでもなく、部屋の中でベッドに腰を掛け、手にした本のページを捲っていたところ、
ぬえが私を呼びながら入室してきた。ノックがないのはいつものことで、咎めるつもりも特にない。
「別に」
「そう」
後ろ手に扉を閉めつつぬえは言う。用事もないのに名前を呼ぶ意味は判らないけれど、
読んでもいないのに本をめくっている私も人のことを言えたものでもないし、追及するつもりも特にない。
短い会話と、扉が閉まる音が小さな部屋に鳴って響く。そんな取り留めもない音の残滓が中空に溶け込んだ頃、
ぬえは部屋の中を一瞥してから、私の傍へ歩み寄り、何を言うでもなくただ黙したまま隣に腰を下ろした。
後はそのまま、だんまりぬえ。本とぬえを視線だけで交互に見つつ、私はどうしたものかと考える。
用もないのに、部屋を訪ねて、こうして私の隣に座るぬえの意図が理解できず、私はちょっと意地悪を言う。
「隣いいなんて、言ってないけど」
「隣いい?」
「いいよ」
意外と素直だったのでご褒美に了承。いいよ、と、それだけ聞くと、ぬえはまた黙ってしまう。
ただ、最初と少し違うのは、お互いの肩が触れる程度に僅かに寄りかかっていることくらい。
別に触れられることに不快感はないので、拒むつもりも特にない。
「……、ハートフルってあるじゃない?」
「うん」
「あれって和製英語で、同じ発音の英単語は、有害な、って意味らしいよ」
「そりゃハートフルな話ね」
英語に縁のない生活を送っているくせに、どこからそんな知識を得てくるんだか。
相も変わらずの突拍子もない会話。その意図が正体不明すぎて、私に出来ることは、
サイズの合わない服を無理矢理ベルトで合わせるような、それっぽい相槌を打つことだけ。
「村紗」
「なに」
「呼んだだけ」
「そう」
今度は頭を肩に預けてきた。眠いんだろうか。それなら、一も二もなくベッドを目指したことにも得心が行く。
うん、そうじゃないってことくらい判ってる。ぬえは私に何も言わないし、私もぬえに何も聞かない。
この状況、ぬえは私に何をして欲しくて、私はぬえに何をしてやればいいのか。不明瞭な要求と、不確定の課題。
合致する答えを手探りで見つけるそれは、まるで心と心のトランプで、神経衰弱をするかのよう。
ただし、お手付き一回で即終了。時間制限も設けられた、なんともシビアな駆け引きだ。
尤も、私は別にぬえのために何かしてやる義理なんてないんだけども。ただ、どういうわけだか、
義理はなくても義務があるような気がして放っておけないのも事実だし、突っ撥ねるつもりも特にない。
読んでもいない活字だらけの退屈極まりない本に視線を落としていた私に、ぬえが再び声をかけた。
丁度いいので、攻勢に出る。
「村紗」
「待った」
「なに」
「私にも呼ばせて」
「いいよ」
「ぬえ」
「なに」
「別に」
「そう」
「で」
「うん」
「なに」
「別に」
「そう」
視線は交えず、言葉を交わす。用もないし、意味もない。ただ名前を呼びたかった、それだけのこと。
ぬえは変わらず躰を寄せてくる。私もややして力を抜いて、寄りかかるぬえに躰を預けた。
お互い、相手に向かって傾いていて、正面から見れば、人の字を模しているように見えたかもしれない。
二人とも妖怪の身であることを考えれば、冗談か皮肉でしかないけれど。ただ、人と同じ温もりは感じられた。
正体不明の妖怪も、暗い厚手のカーテンを開けてみれば、そこには意外なほど愛らしい少女がいるものだ。
そんな折に、件の正体不明な妖怪少女が、これまた正体不明なことを言いだした。
「村紗」
「なに」
「私は村紗のことが好き?」
「どうだろう」
「好きだと嬉しい?」
「ずっこいやつ」
「嬉しいんだ」
顔を見なくても判る。きっとぬえは可笑しそうに、そしてそれ以上に、嬉しそうに表情を緩めてる。
自分の好意を隠したまま、相手の心情を推し量ろうとするなんとも姑息な問答だ。実に面白くない。
こういうのはリスクがあってなんぼのもの。だから、私が仕返しをしてしまうのは、仕方のないことだと思う。
「じゃあぬえ」
「うん」
「私はぬえのことが好き?」
「どうだろう」
「好きだと嬉しい?」
「そういうのずっこいよね」
「嬉しいんだ」
鏡を見なくても判る。きっと私は可笑しそうに、そしてそれ以上に、嬉しそうに表情を緩めてる。
なんだかんだ言っても、満更でもない。誰かに好かれるのは勿論嬉しいことだけど、相手がぬえだと特に嬉しく感じる。
きっと、それは私もぬえが好きだから。素直になれなかったのも気恥ずかしかったから。ぬえもきっとそう。
天邪鬼で、我が儘で、そのくせ意気地なしで、だけどぬえのそんなところが無性に愛らしくて。
そんなぬえの名前をもう一度呼びたくて、私は何の用も、意味もなく、ただ隣に寄り添うぬえの名前を口にする。
「ぬえ」
「村紗」
それは同時だった。私もぬえも、名前を呼び合ってすぐに口を噤む。お互い、相手が先に切り出すと思ったんだろう。
しばらくの沈黙。躰を寄り添わせる二人の息遣いだけが、静かな空間に小さく小さく木霊した。
このまま黙って寄り添っているだけでもいいけれど、ぬえに話があったのなら、それを潰してしまうのも忍びない。
私はもう一度、ぬえの名前を呼んだ。
「ぬえ」
沈黙を打ち破る小さな一言。私の言葉に反応して、ぬえの躰がぴくりと跳ねる。ただそれだけ、返事はない。
肩が触れ合っているだけだと言うのに、静まり返った部屋の中では、相手の心臓の鼓動さえ肌で感じるられるような気さえした。
異なるリズムのぬえの鼓動が私の鼓動と重なる瞬間に感じ入っていたとき、ようやくぬえが私の名を呼んだ。
「村紗」
「なに」
「もっかい呼んで」
「ぬえ」
「もっかい」
「ぬえ」
「もっかいって言ったら怒る?」
「怒んない」
「もっかい」
「ぬえ」
「へへ」
ささやかな我が儘を聞き入れて、私はぬえの名前を呼んでやる。それだけで、ぬえは緩んだ口元から笑みをこぼした。
突拍子もないのは相変わらず。でも、ぬえの我が儘は今に始まったことではないので、斥けるつもりも特にない。
それで、ぬえが嬉しそうに笑ってくれるのであれば、なおのこと。自分では確かなことは判らないけれど、
ぬえが笑顔になることで、私も自然と笑顔になっているんだと思う。ちょっと面白くないのは、きっと照れ隠し。
「村紗」
「なに」
「またね」
「またね」
ベッドから腰を上げて立ち上がると、ぬえはそれだけ言って扉のノブに手をかけた。
ぬえの温もりが失われるのは惜しかったけど、突拍子もない行動はいつものことなので、引き留めるつもりも特にない。
扉を開けて部屋から退散するぬえの背中に、私も変わらない挨拶を抛って、扉が閉まるまで見送った。
結局、ぬえが何をしに私のもとへやってきたのかは判らなかったけれど、その背中は確かに満足気だったと思う。
私がぬえにしてあげたことと言えば、隣に座り、身を寄せることを許したことと、名前を呼んであげたことだけ。
ああ、そうか、なるほど。つまりは、そういうことだったのかもしれない。
最期の最期までぬえと交えなかった視線を、手に持ったままだった本に落とす。
いつの間にか全てのページをめくっていた。
次の日、雑務を終えて既にやることがなくなり、何をするでもなく、ベッドに腰を掛けくつろいでいた。
本を読むでもなく、寝転がるわけでもなく、部屋の入り口側に一人分のスペースを開けて、私はただベッドの上に座っていた。
ややあって、扉の向こうに感じる気配。それは静かに扉を開けて、私の名前を呟いた。
「村紗」
「なに」
ノックがないのはいつものことで、咎めるつもりも、特にない。
終わり
良いじゃねーか畜生!
そしてタイトルww
展開としてはただ寄り添って名前呼び合ってただけなのに、なんだこの幸せ空間は。
二人とも可愛過ぎだろぼけ。
雰囲気だけでお互いの気持ちが通じている関係がじれったく素敵でした。
また「好き」の感情もいろんな意味の「好き」で捉えられる正体不明なところがあると思いました。
最初から頬が緩みっぱなしでしたよ。
とてもよかったです。
チルノ×幽香で描かれてた奴のキャラ変えただけのものだよね
パクリで人釣って、評価もらって楽しい?幸せ?
タイトルくらい自分で考えようよ、折角書いてるんだからさ
いつものネコ輔さんの描写が凝縮されていて、行間で色々想像させられました。
微妙な距離感もよかったです。
「てぶくろの反対~その発想はなかった」の元ネタはずっと以前からありました。
というか古典的なナゾナゾをあたかも一個人の創作物のように捉えてしまうのは如何なものかと。
それと、有名な言い回しや文言を流用する事自体、別段悪くもないし古今東西で散見される手法であります。
仮にタイトルが気になって多くの人が読み始めたとしても、内容が伴っていなければ評価は得られないのが道理。
翻って本作はムラサとぬえの微妙な距離感を表現した佳編であることは私を含め多数の意見からも証明されています。
よってこの作品に対する今の評価は、私は自然なものだと考えます。
得点は既につけたのでフリーレスにて。
失礼しました。
まああんま有名じゃないから知らない人も多いと思うけど
作品はまあまあでした