フランドールの散歩
「ん~・・・」
深夜、静かになった紅魔館。
人里と交流するようになって昼型の生活になった館の主レミリアと違い、
フランドールは別に決められたわけでも無い夜型の生活を続けている。
吸血鬼が夜に活動すると言うのは固定概念だが、別に固定概念に従わない、と言う選択肢をわざわざ取る必要も無い。
そして、姉と生活時間帯を故意に分離しているわけではない。
ただあるがまま、自然に振る舞っていたらそうなっていただけ。
しかし、レミリアの起床と共に始まり、就寝と共に静かになる紅魔館を意外にもフランドールは気に入っている。
誰に憚るでもなく、自由に紅魔館を闊歩出来る。
メイド長の咲夜により拡張された紅魔館は、一日かけても全部回り切れないほど広い。
どれほどの妖怪妖精悪魔がこの紅魔館に住んでいるのだろう?数えたことも無い。
いつだったか開催された紅魔館のパーティーでは数十人分の食事が当たり前のように用意されていた。
その食材を保管する場所も調理する場所も、それを用意する妖精の寝食分も考えると相当な規模だ。
それはこの幻想郷においては自慢出来る規模であるとは思う。
もしかしたら咲夜が一人で用意したのかもしれないが。
「うん・・・しょ」
寝間着から何時もの服に着替える。
服は毎日洗濯された新しい物が衣装棚に入っている。
おそらく咲夜が洗濯しているのだろうが、衣装棚に入れている姿を見たことが無い。
いつの間にか洗われ、いつの間にか仕舞われている。
彼女なりに気を遣わせない為の配慮なのだろう。
「んっ・・・・」
ドアノブに手をかけ、下に引き下ろす。
ガシャン。
重々しく解錠する音と共に、魔力の込められた鉄の扉をぎいっと押し開け、地下から地上へ登る。
「んー!!」
背伸びをしながら紅魔館の廊下を歩く。
月明かりが館の中と外を照らす。
どこから手に入れたのか、館内にぽつぽつと設置されているガス灯の光が壁に反射して、幻想的な館を演出する。
この光景をフランドールは気に入っている。
誰とも知れることなく、夜の紅魔館の光景をフランドールは独占している。
今この瞬間、幻想郷のこの景色の支配者はフランドールだ。
ふと、目の前から細長い影が現れた。
ランタンを持ち、革靴を鳴らして館内を歩いてくるメイド姿。
眼光は鋭いような優しいような、どこを見ているのか分からないようでいて隙の無い不思議な瞳をしている。
「あら、妹様」
このメイドはいつ寝ているのだろう。
いつか聞いたことがある、いつ寝ているのか。
ちゃんと寝ていますよ、と言う答えになっていない答えを聞いたことがある。
本人がそう言うのだからそうなのだろう。
時が止まるほどに高速に動く世界に生きる彼女にとって、睡眠時間は実時間の世界において僅かな物だ。
人間は生き急ぐ生き物なのだから仕方ない。
「咲夜、おはよう」
「おはようございます」
「お腹空いちゃった」
「食堂に用意しておりますわ」
「ありがとう・・・・、ところで何をしているの?」
ふと疑問に思ったことを口に出す。
「館内の見回りですわ。例えばそこの」
そう言って手に持つランタンを廊下に備え付けているガス灯に近づける。
「このガス灯がちゃんと灯されているか、灯されていても弱まっていないか確認しなければなりません」
そう言って指を小さく鳴らすと弱まっていたガス灯の火は強く燃え出す。
何もそんな手品風の演出をわざわざしなくても、でもこれが咲夜と言う人間のちょっとした遊び心なのかもしれない。
ふと、このガス灯が紅魔館に導入された日を思い出す。
結局のところ仕組みは分からないが、どうにかこうにか咲夜やホフゴブリンの手によって導入したらしい。
幻想郷ではまだ珍しい仕組みである、と言う事実だけでレミリアお姉様は大満足だった。
他人と違う珍しい物を持つことに姉は心血を注いでいる。
その努力の方向性は逞しい事だと思う。
「そう、たくさんあって大変ね。いつもありがとう」
「メイド妖精も手伝ってくれますから、大丈夫ですわ」
咲夜はそう言ったが、メイド妖精がガス灯を点検している姿をフランドールは見たことが無い。
もしかしたら破壊的な力を持つフランドールを恐れてメイド妖精が避けている可能性も否定出来ないが、メイド妖精が担当しているのは極一部で大半は咲夜がやっている可能性も否定出来ない。
そうこう考えていると咲夜との距離は近くなる。
すれ違いざまに手を軽くあげて咲夜にお疲れ様、を意味する挨拶をした。
何を勘違いしたのか咲夜は微笑みながらいそいそと手を上げて優しくゆっくりとハイタッチしてくれた。
それは別に求めていた事では無かったが、予期しない動きをするこのメイド長をフランは気に入っている。
食堂の大扉を抜けて入るとそこには出来たての肉料理と、緑黄色のサラダ、何から作られているのか分からない紅いスープと甘味を誘う葡萄のジュースが注がれたグラスがある。
暗い室内に食事の湯気が湧き上がる光景は、とても美麗だ。
長いテーブルの、主人が座る席にその料理は置かれている。
その椅子はレミリアかフランドールしか座らない。
昼はレミリアが、夜はフランドールが交代に座る椅子。
しかし、食事を用意する咲夜の趣味なのか、昼と夜とではテーブルの装飾が違うらしい。
小悪魔からそう聞いたことがある。
それにどんな意味があるのかはフランドールには分からない。
いつか聞いてみようと思う。
今はこの香りに耐えられそうに無い。
「うんっ」
ぴんっと右手の人差指を小さく振ると、大きな椅子は少しだけ地面から浮き上がり、後ろへ下がる。
フランドールが机と椅子の間に立つと、再び椅子はゆっくりと優しく前進する。
「よしっ」
背中の羽根に住まう七色の宝石が、シャンシャンと鳴り響きながら椅子に座り終えたフランドールは、食事の前に決めていることがある。
まずは食べ物の色と香りを楽しむこと。
色も香りも、食事を作った人の想いが込められていることを知っているからだ。
「良い香り」
食事とは食事を作る人の想いを食べているのだ。
そう自分に言い聞かせるように、両手を合わせて食事に感謝の念を送る。
神や無形の超越的存在を信じているわけではないが、フランドールなりの気持ちの表現だ。
それは誰が見ているわけではなくても、自分に課せられた一つの生き方だと思っている。
「美味しいよ」
誰も居ない食堂で、フランドールは感想を述べる。
「このスープ、塩加減丁度いいね」
カチャカチャと食器と食器が僅かに触れる音が大きく響く。
ふと、こんこんっと食堂の扉から音がした。
「気にせず、入って来たらいいよ」
フランドールがそう扉の向こう側にそう薦めると、申し訳無さそうに小悪魔が入ってきた。
「あのー・・・・、とても良い香りがしたもので・・・・」
小悪魔を見て、フランは左手で自分の料理を指し示す。
「食べる?」
小悪魔は大げさに両手を前に突き出し、全力で否定する。
「いえいえ!それは遠慮申し上げます。多分、何か余っているはずです」
こそこそと、フランドールの食事を邪魔しないようにか、小悪魔は静かに入り、静かに壁際を歩いて厨房へ向かう。
「あったあった」
小悪魔はフィセルが入っている籠を見つけると二つほどパン皿に載せ、スープがまだ余っている鍋からスープ皿に少し移す。
千切ったパンをスープに浸して喰うのだろう。
小悪魔のちょっと上品ではないけど好きな食べ方、ちょっとした贅沢だ。
大きく長い机の、ほぼ真反対側に小悪魔は座ろうとする。
「ねえ、小悪魔」
フランドールに話しかけられて、緊張しているのだろうか。
頭と背中の羽根がぴーんと張り詰め、小悪魔は少し驚いたような顔でフランドールを見る。
「なんでしょう?」
「たまにはこっちで一緒に食べない?」
「わぁっ」
瞬間、小悪魔の全身がふにゃっと緩み、緊張感が抜けて行くのが目に見えて分かる。
フランドールに受け入れられて嬉しかったのか、小悪魔はにこにこと笑顔丸出しでこっちに近付いてくる。
犬の尻尾のようにパタパタと跳ね回る頭と背中の羽根が、小悪魔の心情を如実に物語る。
ここまで感情を露わにするなんて、本当にこの子は悪魔なんだろうか。
フランドールの右前に小悪魔は座り、いそいそと食べる準備をする。
「いただきまーす」
両手を合わせ、食前の合図を小悪魔はする。
このやり方は咲夜に教えて貰ったそうだが、人間の言うことを素直に受け入れそれを守る悪魔。
本当にこの子は悪魔なんだろうか。
「妹様は」
小悪魔はフィセルを千切った切れ端・・・・要するに一口サイズのパンをスープに漬け、もぐもぐと食べながら話を振ってきた。
「本とか読まれますか?」
「たまに図書館には行くよ」
「せっかくなら、声をかけて下さればいいのに」
小悪魔は残念そうに声のトーンを落とす。
「パチュリーの邪魔はしたくないから」
「それでしたら、大丈夫ですよ。パチュリー様は読書に集中すると私が真横に立っていても気付かないですから」
それはそれでどうなんだろうと思いながら、食事を止めて顔を上げ、小悪魔をすっと見据える。
小悪魔は顔を赤くし、明らかに動揺している。
「ど、どうされました?妹様」
「小悪魔、右」
「右・・・?」
小悪魔が右を向くと、フランドールは腰を浮かし、右手を伸ばして小悪魔の左頬に触れる。
「妹様!?」
「パンくず付いてた」
「うわぁ・・・・」
恥ずかしいのか、両手で小悪魔は顔を覆う。
本当にこの子は悪魔以下略。
「妹様」
恥ずかしさにもめげずに小悪魔は気を取り直して話しかけてくる。
「今度、図書館に来ましたら一緒に本を読みませんか?」
「小悪魔が本をお薦めしてくれるなら」
「ええ!ぜひ!」
小悪魔はガタガタと興奮して勢い良く椅子から立ち上がった。
よほど嬉しいのか、感情がそのまま外に出ている。
悪魔ってなんだっけ。
小悪魔はその後、4冊か5冊ほどの名前を上げた。
その本の概要を喋りたがってうずうずしていたが、それを聞くとネタバレになるような気がして小悪魔を静止した。
ともすれば恐れられる種族である悪魔出身の彼女の、純粋で本に寄った生き方をフランドールは気に入っている。
「それでは、お先に失礼しますね」
食事を終えた小悪魔はテーブルを軽く拭き、食器を片付けて食堂を後にした。
残されたフランドールはまだ食事が終わっていない。
一口一口が小さいから、食事は時間がかかるのだ。
「うん・・・・んっ・・・・」
少しずつ、食べ物を喉に通す。
再び食堂は静かになった。
小悪魔との談笑も楽しかったが、こうやって一人食べる空間も大好きだ。
自分のペースで物事を進められるのは、とても快適で心地よくて贅沢だ。
そう言う意味では、従者や使い魔、妖精、館の運営や人里との交流に振り回されるレミリアお姉様の立場を、それほど羨ましいと思ったことは無い。
むしろ自分以外のペースに巻き込まれ、乱されることが多いだろう。
そう言うストレスとは無縁の自分は、とても恵まれているのだと思っている。
ただお姉様はそう言うてんやわんやな出来事その物を楽しんでいる節があるが。
食事を終え、食器をそのままに食堂を後にする。
食器はいつの間にか消え、洗われ、仕舞われるからだ。
小悪魔が食器を片付けたのは本人の癖であって、別に遠慮してるわけでは無い。
じゃあフランドールは無神経なのかと言うとそうではない。
刃物も含めた食器を重ね持ちして片付けるのは危ないから私がやりますと咲夜に宣言されているからだ。
どうにも子供扱いされている気がする。
私の方が年上なのに。
今日は良い夜だ。
僅かに空気を揺らすような穏やかな風も素敵だし、心地良い。
こんな時に美鈴は何をしているんだろう。
廊下を抜け、吹き抜けのロビーを通り、玄関を出て正門に向かう。
少し気持ちが高まって軽く地面を蹴るとふわっと浮き上がり、そのまま正門の壁の上に降り立った。
「美鈴?」
声を出して見るが反応は無い。
正門には誰も居らず、美鈴の姿は無かった。
代わりにふわふわと光球が眼前に浮いてくる。
多分、フランドールが館の外に出ないように守ってくれているパチュリーの魔法だろう。
「おはよ、パチュリー。安心して、美鈴を探しに来ただけだから」
そう話し掛けると、しばらくフランドールの周りを漂った後に、ふわふわと光球はどこかへ行ってしまった。
ふと、思考を戻し美鈴を探す。
「別の場所にいるのかな」
何処かには居るんだ。
焦る必要は無い。
後でちょっと探してみよう。
とりあえず今は壁の上に腰掛け、天を見上げる。
美しいまでに光り輝く月は、その光を地面に落としている。
ふと月光を辿ると門前のガス灯が一つ消えているのに気付いた。
「咲夜に言わないと・・・」
再び館の敷地に飛び降り、フランドールは館の中へ戻った。
館の廊下を歩いているとランタンを持ったメイド妖精と出会った。
しきりに窓を確認しながら歩いている。
窓が開けっ放しになっていないか、戸締りの確認だろうか。
「おはよう」
フランが話しかけるとメイド妖精は少し驚いて、直ぐににっこりしてパタパタと走り寄ってきた。
「フランドール様、おはようございます。何か御用ですか?」
残念ながら用は無い。
ただ単に声を掛けてみただけで、別にそれ以上の意味は無い。
「用は特に無いんだけど、戸締りの確認?こんな時間にお疲れ様」
「ああ、窓ですか?たまに館内が暑いと言って勝手に開けて、夜に寝た後もそのままほっといてる妖精がいるものですから。土埃や虫が入って来ないように閉めないといけません」
「館内が暑いの?」
「構造上、換気が悪い部屋が一部ありまして、そこは少し暑くなっています」
そうなんだ、長いこと紅魔館に住んでいるのに知らなかった。
こう言うのは誰の領分なんだろう?咲夜かな?
「咲夜にはもう伝えたの?」
「メイド長にはまだ伝えてないです。特別深刻な悩みと言うわけではありませんし、窓を開ければ解決する事ですから」
「咲夜に伝えても良い?」
「あっ、それでしたら私どもが直接伝えますので、お手間は取らせません」
「そう、貴女はどこの担当だっけ」
「デビル真紅ナイトメア区画担当です」
その区画名は誰がつけたんだろう。
いや、言うまでも無い。一人しかいない。
「うん、ありがとう。窓の管理、これからもよろしくね」
「はい、フランドール様は今は・・・」
メイド妖精は言い淀んでフランドールの答えを待つ。
「散歩中だよ」
「分かりました。行ってらっしゃませ」
散歩にそこまでの挨拶は必要なのかなと思いつつ、フランは散歩を再開した。
メイド妖精と別れて思う。
妖精は本当に千差万別だ。
いい加減な妖精も居れば、きっちりと咲夜をサポートするようにあくせく働く妖精もいる。
それでも全ての妖精に共通するのは食事とお菓子だ。
妖精は食事をしなければ消えて無くなるわけではないが、人間の真似事をして食事を繰り返すうちにその楽しみと喜びを知ってしまった。
そのせいで、この食事とお菓子のどちらかが欠ければたちまち不平不満を叫び、大声で飛び回る。
たまに様々な事情が重なり、不手際が起きてそのような事態になっても、それでも妖精達が紅魔館を去ることは無い。
咲夜の作るお菓子は幻想郷でも絶品だからだ。
そんな多種多様で個性豊かで少しわがままなメイド妖精達をフランドールは気に入っている。
「あっ・・・・」
角を曲がった廊下からは中庭が見える。
そこには中庭をうろついている美鈴が見えた。
何かを悩むようにうろうろして、立ち上がったり座ったりを繰り返している。
「ん~、うん」
少し悩んで、話し掛ける事に決めた。
「おはよう、めーりん」
「おや、妹様。おはようございます。散歩ですか?」
「うん、散歩。美鈴は何しているの?」
「ここの花の色をですねえ、悩んでいるんですよ」
「色?」
「ええ、あちら側には」
美鈴が右手を伸ばした先には赤色の花があった。
「赤色、反対側は黄色、対角線上には青、そしてここは何色にしようかなぁと」
「美鈴が好きな色で良いんじゃない?」
「赤系ばっかりになっちゃいますよう」
冗談っぽく言って美鈴は笑う。
少し砕けた対応をしてくれる美鈴を、フランドールはとても気に入っている。
丁寧な対応も嫌いではないが、少し距離感を覚えて寂しいとも思う。
かといって、どれぐらい砕けた対応が良いのかはフランドールにも分からない。
感覚的な物だ。
いずれにしろ、美鈴のような対応を、フランドールは気に入っている。
「そうだ、妹様は何色が好きですか?」
「うーん・・・?」
「妹様の好きな色ですよ」
ニコニコと美鈴は聞いてくるが、正直考えたことも無かったので戸惑う。
答えあぐねて、ふと空を見上げると、月が輝いていた。
月は好きだ。
なぜ月が好きなのかを聞かれても、正直それを正確には答えられない。
でも、好きな物は好きなのだ。
お姉様も好きな物は好きとハッキリ言う。
人からなぜと聞かれたら、ただ珍しいとか、可愛いとか、そう答えるけど、本当は理由が無くても良いのだ。
お姉様はそう答える。
私もそう答える。
好きと言うのは、そう言うことなんだと思う。
「月の色が好き」
「月の色ですかー、難しいですねー」
右手をあげ、困り顔で後頭部をかりかりと美鈴は引っ掻く。
「月は色んな色に変化しますからね、妹様の背中の羽根みたいに」
そう言いながらにっこりと微笑んでくる美鈴の笑顔はフランドールにとって癒しだ。
特別何かしたわけでも無いのに、こっちまで笑いたくなってくる。
美鈴はそうやって押しつけがましく無い自然な幸福を振りまいてくれる。
「今日みたいな、白い色も好き」
「白ですか、うん!いいですね!ここの花の色は白にしましょう!」
美鈴は大きく頷き、口を大きくにやりと曲げて笑顔を作った。
「でもいいの?庭師は美鈴の領分なんでしょう?」
「領分を気にしていたら紅魔館は回りませんよ」
さらっと美鈴はそう言ってのけるが、フランドールは驚いた。
そうなんだ。
紅魔館は、自分達が自分達だけのことだけしか考えないのなら、決して存続しないのだ。
従者が従者でしかないのなら、使い魔が使い魔でしかないのなら、
妖精が妖精でしか無いのなら、それは紅魔館ではないのだ。
みんなが紅魔館を考えて動いているから、成り立っているんだ。
ぽーっと美鈴を見とれていると、美鈴は困ったように恥ずかしがりながら指で頬を引っ掻く。
「妹様、あまり出歩くと身体を冷やしますよ?」
「美鈴はずっと外でしょう?」
「私は慣れてますから」
すっと視界の端から影が伸びてくる。
肩ぐらいしか覆わない小さなケープを羽織ったメイド長、十六夜咲夜がランタンを持って中庭を見回りながらこちらに歩いてくる。
さっき出会った時とは少しだけ服装が違う。
服の裾からは羽毛が見える。
多分、外出用の服装なのだろう。
「美鈴、中庭はどう?」
「ええ、無事に刈り込みも終えて、ああ、あとここに植える花の色も妹様の進言で決まりましたよ」
「そう、それは良かったわ」
ふっと咲夜がこちらに視線を移してくる。
「またお会いしましたね」
相変わらず何を考えているのか分からない不思議な顔を咲夜はしている。
視線があったかと思うと、キリッと真顔で見つめたかと思えば、ふにゃっと顔を崩して笑って来るかと思えば、気付いたらどこか別の所を見ていて、それでいてこちらの動きは一挙手一投足全てしっかり見ている。
この不思議な表情を見せる咲夜の顔は何時間見つめていても飽きない。
お姉様が咲夜をお気に入りな理由も、多分こう言うことなのだろう。
「咲夜」
「なんでしょう?」
「食事美味しかった。ありがとう」
「お粗末さまでした」
「あと、正門のガス灯が一つ消えていたよ」
「あら?そうでしたか」
そう言うと咲夜は中庭から見えるはずのない正門側の壁に向かって顔向け、少しだけ静止すると再びフランドールに視線を戻す。
「ありがとうございます。今ガス灯を直して来ましたわ」
刻を止めて行って来たのだろう。
またも説明の無い手品ショーが始まったが実際に直す現場を見てないので確認はしていない。
ここは咲夜を信じよう。
「あと、デビル真紅ナイトメア区画のメイドだけど」
「はい」
「何か咲夜に話すことがあるみたいだったから、後で聞いといてあげて」
「かしこまりましたわ」
その後、美鈴と咲夜は種や園芸具の購入の話に移った。
正直、その話題にフランドールはついていけない。
自分が会話に入り込む余地が無いと思ったので、フランドールはそっと身を引いて館へ向かう。
館に入る直前、ふと視線を二人に移すと美鈴はこっちを見て笑顔で手を振り、咲夜はお辞儀をしている。
こう言う細やかな気付きが、紅魔館を保たせているのかもしれない、そう思って二人に笑顔を返して中に入った。
館内は静かだ。
背伸びをしながら紅魔館の廊下を歩く。
月明かりが館の中と外を照らす。
どこから手に入れたのか、館内にぽつぽつと設置されているガス灯の光が壁に反射して、幻想的な館を演出する。
さっき見た時とは、少しガス灯の装飾が変わっているようにも思える。
この日々変わる光景をフランドールは気に入っている。
誰とも知れることなく、夜の紅魔館の光景をフランドールは独占している。
それは最高の贅沢なのだと思う。
いつかは外に出て、もっと刺激的な出会いや未知の出来事と遭遇するのだろう。
でも、今はまだ、この終わりの見えない日々変化する紅魔館をもっと楽しもうと思う。
そろそろ自分の部屋に戻ろうかな。
来た道をなぞるようにまた戻る。
途中で本を運ぶ小悪魔に出会った。
「あっ!妹様。またお会いしましたね!」
本を両手で抱え、大事そうに歩く小悪魔。
「手伝おうか?小悪魔」
「慣れてますから大丈夫ですよ、それに明日は一緒に読書ですからね!準備しておきますよ!」
ふんっ、と胸を張る小悪魔。
小悪魔に近付き、手を何気なく触る。
ぷにょっと柔らかい感触が伝わり、暖かい小悪魔の体温を感じ取る。
「わわっ!妹様?どうされました?」
小悪魔の両手は本でふさがっていてどうすることもできない。
「小悪魔の手って、暖かいね」
「そうですか?それは良かったです」
自分で言っておいて何が良いのか分からないけど、とりあえず褒められた気がして小悪魔は気分が良くなった。
そこへ、再び館内向けの服装にいつの間にか着替えている咲夜が現れた。
「あら、小悪魔。妹様も今日はよく会いますね」
そう言って咲夜はフランドールの両肩にそれぞれ手を置く。
「今日は何度もお会いしますので、これ、差し上げますね」
すると、小気味好い音と共に木の実に糸を通して出来たネックレスがいつの間にかフランドールの胸元に現れる。
「わぁっ、咲夜がこれ作ってくれたの?」
「私は糸を通しただけ。作ったのは美鈴です。木の実は美鈴が妹様の為に集めておりましたわ」
それを見て小悪魔も羨ましそうに腰を揺らして発言する。
「わー!いいないいなー。咲夜さん、私も何か欲しいです!」
「実はあるのよ、プレゼントが」
「えっ!本当ですか!」
小悪魔の持つ本の上に白い絹の手袋がポンっと現れる。
「本を持つ時に便利よ、後でつけて見て」
「〜〜ッ!!」
小悪魔は声にならない声を上げ、感極まって目元を潤わせている。
咲夜は小悪魔に近付いて耳元で囁く。
「本、手伝いましょうか?小悪魔」
なぜだか気が大きくなった小悪魔は、顔を少し赤らめながら大きな声で言った。
「ふふーん、咲夜さんやりますねぇ、悪魔の心を射止めてしまうなんて。でもこの仕返しはきっと紅茶や素敵な本でしますよ!プレゼントありがとうございます!」
てててててっと足早に小悪魔は歩き出す。
本当に嬉しくてたまらなくて足早になっている小悪魔を見るのは久々かもしれない。
小悪魔が居なくなっても歩き去った方向を向いてニコニコして居た咲夜は、突然首をひゅっと回転させてこちらを見る。
あまりに予期しない動きにフランはビクッと驚くが、
咲夜は不思議そうな顔をしながら聞いてきた。
「妹様はまだお散歩中ですか?」
ふるふると顔を左右に振ってフランは答える。
「今日はもうそろそろ、寝ようと思うの」
「それはお疲れ様ですわ。また明日、宜しくお願い致します」
そう言って丁寧に頭を下げると、突然パチンっと指を鳴らしたかと思えば姿が消えて居た。
咲夜が居た場所にはほのかに清潔感ある甘い香りが漂う。
何かの香水か花の香りだろうか。
また咲夜に聞かなきゃいけないことが増えた。
本当に飽きさせない素敵なメイド長だ。
明日は小悪魔とパチュリーに会いに行こう。
そう思って、地下へ降りて鉄の扉を開け、自分の部屋に戻る。
ガシャン。
自分の意思で重々しく施錠する音と共に、フランドールの部屋は外界から隔絶され、真の意味で静寂を得る。
小さなハイテーブルにリボンで飾り付けられた箱がちょこんと置いてある。
「ん・・・・」
それを手に取ると、紙が添えられている事に気づいた。
『妹へ』
そう一言書かれただけで差出人は分かった。
本人は今頃、すやすやと寝息を立てながら良い夢を見ているのだろう。
だからこれはきっと、食事中にそっとフランの部屋に置いておけと本人が咲夜に命じたに違いない。
なぜそんなことを命じたのか?この贈り物にちょっとした演出があるのだろう。妹だけに見て欲しい演出が。
「何か欲しいなんて言ったかなぁ」
箱を開けると、そこには自分の名前が彫られたティーカップが入っていた。
ティーカップを取り出すと、底にまた紙があった。
面倒臭い演出をする。
紙を取り出して、それを読む。
『明日一緒にパチェの居る図書館で、本を片手にお茶会をしましょう、夜にね』
まるで自分が明日パチュリーのところに行くと知っていたようだ。
自分の行動が先読みされたようで少し負けた気分になり、フランドールは悔しい気持ちに晒される。
しかし、それも一瞬のことだ。
「お姉様も素直じゃないんだから」
カップを持ち上げ、誰も見ないような底を見ると、そこには愛する妹へ、とメッセージが刻まれていた。
ティーカップを受け取った時、妹は満遍なく丁寧にカップを見るだろうと、レミリアは信じている。
だから底に書かれたメッセージも本人しか気付かないだろうと思っている。
そう言う一方的な信頼と情愛を押し付けてくる表現は、我儘な姉、と言うにはぴったりのやり方だ。
「今度、仕返しをしなきゃ」
ベッドに入る前に、フランドールは机に向かい紙を取り出してあれこれと書き始める。
お姉様にどんな仕返しをするか。
咲夜にお願いして一緒にケーキでも作るか、ぬいぐるみでも作るか、何かアクセサリーを作るか。
単純に作るだけじゃ面白くない、手紙、パズル、なぞなぞでちょっとした知恵比べみたいに挑発的な演出もしてみたい。
ともかく、お姉様を少し驚かせる内容にしたい、アイデアを忘れないように紙に書き留める。
お姉様に仕返しすることを考えている時、それはとっても楽しい。
目の前にお姉様が居なくても、あのころころ変わる表情は手に取るように思い返すことが出来る。
お姉様は好きとか嫌いとかそう言う存在じゃ無い。
たまに鬱陶しく感じる時もあるし、妙に親愛を示してきて不気味に感じることもある。
なんとか支えてあげなきゃ、と思わせる時もあるし、特別に何かして欲しいわけじゃ無いけど近くにいて欲しいと思わせる時もある。
でもそんなコロコロと姿形を変えて来るお姉様をフランドールは最大限気に入っている。
どうしてやろう、こうしてやろう。
あれこれお姉様への仕返しを考えている内に、朝も近付く。
机に向かうフランドールも、こくりこくりと船を漕ぐ。
「いけない、もうそろそろ寝なきゃ・・・」
明日は図書館に行かなきゃ。
このティーカップを持って。
あれこれ思いながら、フランドールは寝間着に着替えベッドに入る。
明日はきっと楽しいお茶会になるんだろう。
パチュリーからもオススメの本を聞いてみたい。
もし本人が乗り気なら、魔法を教えて貰うのもいいかもしれない。
小悪魔とは先約があるから本を一緒に読む時間を作らないといけない。
お姉様とは何を話そうかな、どんな話をしてくれるのかな。
お姉様がいるのなら、その横には咲夜もいるのだろう。
咲夜にも聞いてみたい事がまだまだある。
せっかくみんな集まるのだから、美鈴も呼ぼう。
お花の事についてもっと喋りたい。
美鈴の知っている事を私も知りたい。
部屋が暑いと言っていたメイド妖精も呼ぼう。
メイド妖精も、たまには図書館で涼むのも良いはず。
誰が来るかはともかく、みんなで一緒にお茶会をしよう。
明日はいつもよりちょっと忙しい日になりそう。
誰に頼まれたわけでも無いけど、明日はみんなを楽しませる日にしたい。
こうして今日のフランドールの散歩は終わり、同時に大量のメイド妖精やホフゴブリン達が起き出して紅魔館は別の姿を見せる。
自分の知らない紅魔館の姿がまだまだある、それはそれはとても幸せなことなんだろうと、フランドールは思った。
期待を膨らませつつ、フランドールはあれこれ考えながら木の実のネックレスを触って幸せな気分になっていると、いつの間にか眠りに落ちた。
「ん~・・・」
深夜、静かになった紅魔館。
人里と交流するようになって昼型の生活になった館の主レミリアと違い、
フランドールは別に決められたわけでも無い夜型の生活を続けている。
吸血鬼が夜に活動すると言うのは固定概念だが、別に固定概念に従わない、と言う選択肢をわざわざ取る必要も無い。
そして、姉と生活時間帯を故意に分離しているわけではない。
ただあるがまま、自然に振る舞っていたらそうなっていただけ。
しかし、レミリアの起床と共に始まり、就寝と共に静かになる紅魔館を意外にもフランドールは気に入っている。
誰に憚るでもなく、自由に紅魔館を闊歩出来る。
メイド長の咲夜により拡張された紅魔館は、一日かけても全部回り切れないほど広い。
どれほどの妖怪妖精悪魔がこの紅魔館に住んでいるのだろう?数えたことも無い。
いつだったか開催された紅魔館のパーティーでは数十人分の食事が当たり前のように用意されていた。
その食材を保管する場所も調理する場所も、それを用意する妖精の寝食分も考えると相当な規模だ。
それはこの幻想郷においては自慢出来る規模であるとは思う。
もしかしたら咲夜が一人で用意したのかもしれないが。
「うん・・・しょ」
寝間着から何時もの服に着替える。
服は毎日洗濯された新しい物が衣装棚に入っている。
おそらく咲夜が洗濯しているのだろうが、衣装棚に入れている姿を見たことが無い。
いつの間にか洗われ、いつの間にか仕舞われている。
彼女なりに気を遣わせない為の配慮なのだろう。
「んっ・・・・」
ドアノブに手をかけ、下に引き下ろす。
ガシャン。
重々しく解錠する音と共に、魔力の込められた鉄の扉をぎいっと押し開け、地下から地上へ登る。
「んー!!」
背伸びをしながら紅魔館の廊下を歩く。
月明かりが館の中と外を照らす。
どこから手に入れたのか、館内にぽつぽつと設置されているガス灯の光が壁に反射して、幻想的な館を演出する。
この光景をフランドールは気に入っている。
誰とも知れることなく、夜の紅魔館の光景をフランドールは独占している。
今この瞬間、幻想郷のこの景色の支配者はフランドールだ。
ふと、目の前から細長い影が現れた。
ランタンを持ち、革靴を鳴らして館内を歩いてくるメイド姿。
眼光は鋭いような優しいような、どこを見ているのか分からないようでいて隙の無い不思議な瞳をしている。
「あら、妹様」
このメイドはいつ寝ているのだろう。
いつか聞いたことがある、いつ寝ているのか。
ちゃんと寝ていますよ、と言う答えになっていない答えを聞いたことがある。
本人がそう言うのだからそうなのだろう。
時が止まるほどに高速に動く世界に生きる彼女にとって、睡眠時間は実時間の世界において僅かな物だ。
人間は生き急ぐ生き物なのだから仕方ない。
「咲夜、おはよう」
「おはようございます」
「お腹空いちゃった」
「食堂に用意しておりますわ」
「ありがとう・・・・、ところで何をしているの?」
ふと疑問に思ったことを口に出す。
「館内の見回りですわ。例えばそこの」
そう言って手に持つランタンを廊下に備え付けているガス灯に近づける。
「このガス灯がちゃんと灯されているか、灯されていても弱まっていないか確認しなければなりません」
そう言って指を小さく鳴らすと弱まっていたガス灯の火は強く燃え出す。
何もそんな手品風の演出をわざわざしなくても、でもこれが咲夜と言う人間のちょっとした遊び心なのかもしれない。
ふと、このガス灯が紅魔館に導入された日を思い出す。
結局のところ仕組みは分からないが、どうにかこうにか咲夜やホフゴブリンの手によって導入したらしい。
幻想郷ではまだ珍しい仕組みである、と言う事実だけでレミリアお姉様は大満足だった。
他人と違う珍しい物を持つことに姉は心血を注いでいる。
その努力の方向性は逞しい事だと思う。
「そう、たくさんあって大変ね。いつもありがとう」
「メイド妖精も手伝ってくれますから、大丈夫ですわ」
咲夜はそう言ったが、メイド妖精がガス灯を点検している姿をフランドールは見たことが無い。
もしかしたら破壊的な力を持つフランドールを恐れてメイド妖精が避けている可能性も否定出来ないが、メイド妖精が担当しているのは極一部で大半は咲夜がやっている可能性も否定出来ない。
そうこう考えていると咲夜との距離は近くなる。
すれ違いざまに手を軽くあげて咲夜にお疲れ様、を意味する挨拶をした。
何を勘違いしたのか咲夜は微笑みながらいそいそと手を上げて優しくゆっくりとハイタッチしてくれた。
それは別に求めていた事では無かったが、予期しない動きをするこのメイド長をフランは気に入っている。
食堂の大扉を抜けて入るとそこには出来たての肉料理と、緑黄色のサラダ、何から作られているのか分からない紅いスープと甘味を誘う葡萄のジュースが注がれたグラスがある。
暗い室内に食事の湯気が湧き上がる光景は、とても美麗だ。
長いテーブルの、主人が座る席にその料理は置かれている。
その椅子はレミリアかフランドールしか座らない。
昼はレミリアが、夜はフランドールが交代に座る椅子。
しかし、食事を用意する咲夜の趣味なのか、昼と夜とではテーブルの装飾が違うらしい。
小悪魔からそう聞いたことがある。
それにどんな意味があるのかはフランドールには分からない。
いつか聞いてみようと思う。
今はこの香りに耐えられそうに無い。
「うんっ」
ぴんっと右手の人差指を小さく振ると、大きな椅子は少しだけ地面から浮き上がり、後ろへ下がる。
フランドールが机と椅子の間に立つと、再び椅子はゆっくりと優しく前進する。
「よしっ」
背中の羽根に住まう七色の宝石が、シャンシャンと鳴り響きながら椅子に座り終えたフランドールは、食事の前に決めていることがある。
まずは食べ物の色と香りを楽しむこと。
色も香りも、食事を作った人の想いが込められていることを知っているからだ。
「良い香り」
食事とは食事を作る人の想いを食べているのだ。
そう自分に言い聞かせるように、両手を合わせて食事に感謝の念を送る。
神や無形の超越的存在を信じているわけではないが、フランドールなりの気持ちの表現だ。
それは誰が見ているわけではなくても、自分に課せられた一つの生き方だと思っている。
「美味しいよ」
誰も居ない食堂で、フランドールは感想を述べる。
「このスープ、塩加減丁度いいね」
カチャカチャと食器と食器が僅かに触れる音が大きく響く。
ふと、こんこんっと食堂の扉から音がした。
「気にせず、入って来たらいいよ」
フランドールがそう扉の向こう側にそう薦めると、申し訳無さそうに小悪魔が入ってきた。
「あのー・・・・、とても良い香りがしたもので・・・・」
小悪魔を見て、フランは左手で自分の料理を指し示す。
「食べる?」
小悪魔は大げさに両手を前に突き出し、全力で否定する。
「いえいえ!それは遠慮申し上げます。多分、何か余っているはずです」
こそこそと、フランドールの食事を邪魔しないようにか、小悪魔は静かに入り、静かに壁際を歩いて厨房へ向かう。
「あったあった」
小悪魔はフィセルが入っている籠を見つけると二つほどパン皿に載せ、スープがまだ余っている鍋からスープ皿に少し移す。
千切ったパンをスープに浸して喰うのだろう。
小悪魔のちょっと上品ではないけど好きな食べ方、ちょっとした贅沢だ。
大きく長い机の、ほぼ真反対側に小悪魔は座ろうとする。
「ねえ、小悪魔」
フランドールに話しかけられて、緊張しているのだろうか。
頭と背中の羽根がぴーんと張り詰め、小悪魔は少し驚いたような顔でフランドールを見る。
「なんでしょう?」
「たまにはこっちで一緒に食べない?」
「わぁっ」
瞬間、小悪魔の全身がふにゃっと緩み、緊張感が抜けて行くのが目に見えて分かる。
フランドールに受け入れられて嬉しかったのか、小悪魔はにこにこと笑顔丸出しでこっちに近付いてくる。
犬の尻尾のようにパタパタと跳ね回る頭と背中の羽根が、小悪魔の心情を如実に物語る。
ここまで感情を露わにするなんて、本当にこの子は悪魔なんだろうか。
フランドールの右前に小悪魔は座り、いそいそと食べる準備をする。
「いただきまーす」
両手を合わせ、食前の合図を小悪魔はする。
このやり方は咲夜に教えて貰ったそうだが、人間の言うことを素直に受け入れそれを守る悪魔。
本当にこの子は悪魔なんだろうか。
「妹様は」
小悪魔はフィセルを千切った切れ端・・・・要するに一口サイズのパンをスープに漬け、もぐもぐと食べながら話を振ってきた。
「本とか読まれますか?」
「たまに図書館には行くよ」
「せっかくなら、声をかけて下さればいいのに」
小悪魔は残念そうに声のトーンを落とす。
「パチュリーの邪魔はしたくないから」
「それでしたら、大丈夫ですよ。パチュリー様は読書に集中すると私が真横に立っていても気付かないですから」
それはそれでどうなんだろうと思いながら、食事を止めて顔を上げ、小悪魔をすっと見据える。
小悪魔は顔を赤くし、明らかに動揺している。
「ど、どうされました?妹様」
「小悪魔、右」
「右・・・?」
小悪魔が右を向くと、フランドールは腰を浮かし、右手を伸ばして小悪魔の左頬に触れる。
「妹様!?」
「パンくず付いてた」
「うわぁ・・・・」
恥ずかしいのか、両手で小悪魔は顔を覆う。
本当にこの子は悪魔以下略。
「妹様」
恥ずかしさにもめげずに小悪魔は気を取り直して話しかけてくる。
「今度、図書館に来ましたら一緒に本を読みませんか?」
「小悪魔が本をお薦めしてくれるなら」
「ええ!ぜひ!」
小悪魔はガタガタと興奮して勢い良く椅子から立ち上がった。
よほど嬉しいのか、感情がそのまま外に出ている。
悪魔ってなんだっけ。
小悪魔はその後、4冊か5冊ほどの名前を上げた。
その本の概要を喋りたがってうずうずしていたが、それを聞くとネタバレになるような気がして小悪魔を静止した。
ともすれば恐れられる種族である悪魔出身の彼女の、純粋で本に寄った生き方をフランドールは気に入っている。
「それでは、お先に失礼しますね」
食事を終えた小悪魔はテーブルを軽く拭き、食器を片付けて食堂を後にした。
残されたフランドールはまだ食事が終わっていない。
一口一口が小さいから、食事は時間がかかるのだ。
「うん・・・・んっ・・・・」
少しずつ、食べ物を喉に通す。
再び食堂は静かになった。
小悪魔との談笑も楽しかったが、こうやって一人食べる空間も大好きだ。
自分のペースで物事を進められるのは、とても快適で心地よくて贅沢だ。
そう言う意味では、従者や使い魔、妖精、館の運営や人里との交流に振り回されるレミリアお姉様の立場を、それほど羨ましいと思ったことは無い。
むしろ自分以外のペースに巻き込まれ、乱されることが多いだろう。
そう言うストレスとは無縁の自分は、とても恵まれているのだと思っている。
ただお姉様はそう言うてんやわんやな出来事その物を楽しんでいる節があるが。
食事を終え、食器をそのままに食堂を後にする。
食器はいつの間にか消え、洗われ、仕舞われるからだ。
小悪魔が食器を片付けたのは本人の癖であって、別に遠慮してるわけでは無い。
じゃあフランドールは無神経なのかと言うとそうではない。
刃物も含めた食器を重ね持ちして片付けるのは危ないから私がやりますと咲夜に宣言されているからだ。
どうにも子供扱いされている気がする。
私の方が年上なのに。
今日は良い夜だ。
僅かに空気を揺らすような穏やかな風も素敵だし、心地良い。
こんな時に美鈴は何をしているんだろう。
廊下を抜け、吹き抜けのロビーを通り、玄関を出て正門に向かう。
少し気持ちが高まって軽く地面を蹴るとふわっと浮き上がり、そのまま正門の壁の上に降り立った。
「美鈴?」
声を出して見るが反応は無い。
正門には誰も居らず、美鈴の姿は無かった。
代わりにふわふわと光球が眼前に浮いてくる。
多分、フランドールが館の外に出ないように守ってくれているパチュリーの魔法だろう。
「おはよ、パチュリー。安心して、美鈴を探しに来ただけだから」
そう話し掛けると、しばらくフランドールの周りを漂った後に、ふわふわと光球はどこかへ行ってしまった。
ふと、思考を戻し美鈴を探す。
「別の場所にいるのかな」
何処かには居るんだ。
焦る必要は無い。
後でちょっと探してみよう。
とりあえず今は壁の上に腰掛け、天を見上げる。
美しいまでに光り輝く月は、その光を地面に落としている。
ふと月光を辿ると門前のガス灯が一つ消えているのに気付いた。
「咲夜に言わないと・・・」
再び館の敷地に飛び降り、フランドールは館の中へ戻った。
館の廊下を歩いているとランタンを持ったメイド妖精と出会った。
しきりに窓を確認しながら歩いている。
窓が開けっ放しになっていないか、戸締りの確認だろうか。
「おはよう」
フランが話しかけるとメイド妖精は少し驚いて、直ぐににっこりしてパタパタと走り寄ってきた。
「フランドール様、おはようございます。何か御用ですか?」
残念ながら用は無い。
ただ単に声を掛けてみただけで、別にそれ以上の意味は無い。
「用は特に無いんだけど、戸締りの確認?こんな時間にお疲れ様」
「ああ、窓ですか?たまに館内が暑いと言って勝手に開けて、夜に寝た後もそのままほっといてる妖精がいるものですから。土埃や虫が入って来ないように閉めないといけません」
「館内が暑いの?」
「構造上、換気が悪い部屋が一部ありまして、そこは少し暑くなっています」
そうなんだ、長いこと紅魔館に住んでいるのに知らなかった。
こう言うのは誰の領分なんだろう?咲夜かな?
「咲夜にはもう伝えたの?」
「メイド長にはまだ伝えてないです。特別深刻な悩みと言うわけではありませんし、窓を開ければ解決する事ですから」
「咲夜に伝えても良い?」
「あっ、それでしたら私どもが直接伝えますので、お手間は取らせません」
「そう、貴女はどこの担当だっけ」
「デビル真紅ナイトメア区画担当です」
その区画名は誰がつけたんだろう。
いや、言うまでも無い。一人しかいない。
「うん、ありがとう。窓の管理、これからもよろしくね」
「はい、フランドール様は今は・・・」
メイド妖精は言い淀んでフランドールの答えを待つ。
「散歩中だよ」
「分かりました。行ってらっしゃませ」
散歩にそこまでの挨拶は必要なのかなと思いつつ、フランは散歩を再開した。
メイド妖精と別れて思う。
妖精は本当に千差万別だ。
いい加減な妖精も居れば、きっちりと咲夜をサポートするようにあくせく働く妖精もいる。
それでも全ての妖精に共通するのは食事とお菓子だ。
妖精は食事をしなければ消えて無くなるわけではないが、人間の真似事をして食事を繰り返すうちにその楽しみと喜びを知ってしまった。
そのせいで、この食事とお菓子のどちらかが欠ければたちまち不平不満を叫び、大声で飛び回る。
たまに様々な事情が重なり、不手際が起きてそのような事態になっても、それでも妖精達が紅魔館を去ることは無い。
咲夜の作るお菓子は幻想郷でも絶品だからだ。
そんな多種多様で個性豊かで少しわがままなメイド妖精達をフランドールは気に入っている。
「あっ・・・・」
角を曲がった廊下からは中庭が見える。
そこには中庭をうろついている美鈴が見えた。
何かを悩むようにうろうろして、立ち上がったり座ったりを繰り返している。
「ん~、うん」
少し悩んで、話し掛ける事に決めた。
「おはよう、めーりん」
「おや、妹様。おはようございます。散歩ですか?」
「うん、散歩。美鈴は何しているの?」
「ここの花の色をですねえ、悩んでいるんですよ」
「色?」
「ええ、あちら側には」
美鈴が右手を伸ばした先には赤色の花があった。
「赤色、反対側は黄色、対角線上には青、そしてここは何色にしようかなぁと」
「美鈴が好きな色で良いんじゃない?」
「赤系ばっかりになっちゃいますよう」
冗談っぽく言って美鈴は笑う。
少し砕けた対応をしてくれる美鈴を、フランドールはとても気に入っている。
丁寧な対応も嫌いではないが、少し距離感を覚えて寂しいとも思う。
かといって、どれぐらい砕けた対応が良いのかはフランドールにも分からない。
感覚的な物だ。
いずれにしろ、美鈴のような対応を、フランドールは気に入っている。
「そうだ、妹様は何色が好きですか?」
「うーん・・・?」
「妹様の好きな色ですよ」
ニコニコと美鈴は聞いてくるが、正直考えたことも無かったので戸惑う。
答えあぐねて、ふと空を見上げると、月が輝いていた。
月は好きだ。
なぜ月が好きなのかを聞かれても、正直それを正確には答えられない。
でも、好きな物は好きなのだ。
お姉様も好きな物は好きとハッキリ言う。
人からなぜと聞かれたら、ただ珍しいとか、可愛いとか、そう答えるけど、本当は理由が無くても良いのだ。
お姉様はそう答える。
私もそう答える。
好きと言うのは、そう言うことなんだと思う。
「月の色が好き」
「月の色ですかー、難しいですねー」
右手をあげ、困り顔で後頭部をかりかりと美鈴は引っ掻く。
「月は色んな色に変化しますからね、妹様の背中の羽根みたいに」
そう言いながらにっこりと微笑んでくる美鈴の笑顔はフランドールにとって癒しだ。
特別何かしたわけでも無いのに、こっちまで笑いたくなってくる。
美鈴はそうやって押しつけがましく無い自然な幸福を振りまいてくれる。
「今日みたいな、白い色も好き」
「白ですか、うん!いいですね!ここの花の色は白にしましょう!」
美鈴は大きく頷き、口を大きくにやりと曲げて笑顔を作った。
「でもいいの?庭師は美鈴の領分なんでしょう?」
「領分を気にしていたら紅魔館は回りませんよ」
さらっと美鈴はそう言ってのけるが、フランドールは驚いた。
そうなんだ。
紅魔館は、自分達が自分達だけのことだけしか考えないのなら、決して存続しないのだ。
従者が従者でしかないのなら、使い魔が使い魔でしかないのなら、
妖精が妖精でしか無いのなら、それは紅魔館ではないのだ。
みんなが紅魔館を考えて動いているから、成り立っているんだ。
ぽーっと美鈴を見とれていると、美鈴は困ったように恥ずかしがりながら指で頬を引っ掻く。
「妹様、あまり出歩くと身体を冷やしますよ?」
「美鈴はずっと外でしょう?」
「私は慣れてますから」
すっと視界の端から影が伸びてくる。
肩ぐらいしか覆わない小さなケープを羽織ったメイド長、十六夜咲夜がランタンを持って中庭を見回りながらこちらに歩いてくる。
さっき出会った時とは少しだけ服装が違う。
服の裾からは羽毛が見える。
多分、外出用の服装なのだろう。
「美鈴、中庭はどう?」
「ええ、無事に刈り込みも終えて、ああ、あとここに植える花の色も妹様の進言で決まりましたよ」
「そう、それは良かったわ」
ふっと咲夜がこちらに視線を移してくる。
「またお会いしましたね」
相変わらず何を考えているのか分からない不思議な顔を咲夜はしている。
視線があったかと思うと、キリッと真顔で見つめたかと思えば、ふにゃっと顔を崩して笑って来るかと思えば、気付いたらどこか別の所を見ていて、それでいてこちらの動きは一挙手一投足全てしっかり見ている。
この不思議な表情を見せる咲夜の顔は何時間見つめていても飽きない。
お姉様が咲夜をお気に入りな理由も、多分こう言うことなのだろう。
「咲夜」
「なんでしょう?」
「食事美味しかった。ありがとう」
「お粗末さまでした」
「あと、正門のガス灯が一つ消えていたよ」
「あら?そうでしたか」
そう言うと咲夜は中庭から見えるはずのない正門側の壁に向かって顔向け、少しだけ静止すると再びフランドールに視線を戻す。
「ありがとうございます。今ガス灯を直して来ましたわ」
刻を止めて行って来たのだろう。
またも説明の無い手品ショーが始まったが実際に直す現場を見てないので確認はしていない。
ここは咲夜を信じよう。
「あと、デビル真紅ナイトメア区画のメイドだけど」
「はい」
「何か咲夜に話すことがあるみたいだったから、後で聞いといてあげて」
「かしこまりましたわ」
その後、美鈴と咲夜は種や園芸具の購入の話に移った。
正直、その話題にフランドールはついていけない。
自分が会話に入り込む余地が無いと思ったので、フランドールはそっと身を引いて館へ向かう。
館に入る直前、ふと視線を二人に移すと美鈴はこっちを見て笑顔で手を振り、咲夜はお辞儀をしている。
こう言う細やかな気付きが、紅魔館を保たせているのかもしれない、そう思って二人に笑顔を返して中に入った。
館内は静かだ。
背伸びをしながら紅魔館の廊下を歩く。
月明かりが館の中と外を照らす。
どこから手に入れたのか、館内にぽつぽつと設置されているガス灯の光が壁に反射して、幻想的な館を演出する。
さっき見た時とは、少しガス灯の装飾が変わっているようにも思える。
この日々変わる光景をフランドールは気に入っている。
誰とも知れることなく、夜の紅魔館の光景をフランドールは独占している。
それは最高の贅沢なのだと思う。
いつかは外に出て、もっと刺激的な出会いや未知の出来事と遭遇するのだろう。
でも、今はまだ、この終わりの見えない日々変化する紅魔館をもっと楽しもうと思う。
そろそろ自分の部屋に戻ろうかな。
来た道をなぞるようにまた戻る。
途中で本を運ぶ小悪魔に出会った。
「あっ!妹様。またお会いしましたね!」
本を両手で抱え、大事そうに歩く小悪魔。
「手伝おうか?小悪魔」
「慣れてますから大丈夫ですよ、それに明日は一緒に読書ですからね!準備しておきますよ!」
ふんっ、と胸を張る小悪魔。
小悪魔に近付き、手を何気なく触る。
ぷにょっと柔らかい感触が伝わり、暖かい小悪魔の体温を感じ取る。
「わわっ!妹様?どうされました?」
小悪魔の両手は本でふさがっていてどうすることもできない。
「小悪魔の手って、暖かいね」
「そうですか?それは良かったです」
自分で言っておいて何が良いのか分からないけど、とりあえず褒められた気がして小悪魔は気分が良くなった。
そこへ、再び館内向けの服装にいつの間にか着替えている咲夜が現れた。
「あら、小悪魔。妹様も今日はよく会いますね」
そう言って咲夜はフランドールの両肩にそれぞれ手を置く。
「今日は何度もお会いしますので、これ、差し上げますね」
すると、小気味好い音と共に木の実に糸を通して出来たネックレスがいつの間にかフランドールの胸元に現れる。
「わぁっ、咲夜がこれ作ってくれたの?」
「私は糸を通しただけ。作ったのは美鈴です。木の実は美鈴が妹様の為に集めておりましたわ」
それを見て小悪魔も羨ましそうに腰を揺らして発言する。
「わー!いいないいなー。咲夜さん、私も何か欲しいです!」
「実はあるのよ、プレゼントが」
「えっ!本当ですか!」
小悪魔の持つ本の上に白い絹の手袋がポンっと現れる。
「本を持つ時に便利よ、後でつけて見て」
「〜〜ッ!!」
小悪魔は声にならない声を上げ、感極まって目元を潤わせている。
咲夜は小悪魔に近付いて耳元で囁く。
「本、手伝いましょうか?小悪魔」
なぜだか気が大きくなった小悪魔は、顔を少し赤らめながら大きな声で言った。
「ふふーん、咲夜さんやりますねぇ、悪魔の心を射止めてしまうなんて。でもこの仕返しはきっと紅茶や素敵な本でしますよ!プレゼントありがとうございます!」
てててててっと足早に小悪魔は歩き出す。
本当に嬉しくてたまらなくて足早になっている小悪魔を見るのは久々かもしれない。
小悪魔が居なくなっても歩き去った方向を向いてニコニコして居た咲夜は、突然首をひゅっと回転させてこちらを見る。
あまりに予期しない動きにフランはビクッと驚くが、
咲夜は不思議そうな顔をしながら聞いてきた。
「妹様はまだお散歩中ですか?」
ふるふると顔を左右に振ってフランは答える。
「今日はもうそろそろ、寝ようと思うの」
「それはお疲れ様ですわ。また明日、宜しくお願い致します」
そう言って丁寧に頭を下げると、突然パチンっと指を鳴らしたかと思えば姿が消えて居た。
咲夜が居た場所にはほのかに清潔感ある甘い香りが漂う。
何かの香水か花の香りだろうか。
また咲夜に聞かなきゃいけないことが増えた。
本当に飽きさせない素敵なメイド長だ。
明日は小悪魔とパチュリーに会いに行こう。
そう思って、地下へ降りて鉄の扉を開け、自分の部屋に戻る。
ガシャン。
自分の意思で重々しく施錠する音と共に、フランドールの部屋は外界から隔絶され、真の意味で静寂を得る。
小さなハイテーブルにリボンで飾り付けられた箱がちょこんと置いてある。
「ん・・・・」
それを手に取ると、紙が添えられている事に気づいた。
『妹へ』
そう一言書かれただけで差出人は分かった。
本人は今頃、すやすやと寝息を立てながら良い夢を見ているのだろう。
だからこれはきっと、食事中にそっとフランの部屋に置いておけと本人が咲夜に命じたに違いない。
なぜそんなことを命じたのか?この贈り物にちょっとした演出があるのだろう。妹だけに見て欲しい演出が。
「何か欲しいなんて言ったかなぁ」
箱を開けると、そこには自分の名前が彫られたティーカップが入っていた。
ティーカップを取り出すと、底にまた紙があった。
面倒臭い演出をする。
紙を取り出して、それを読む。
『明日一緒にパチェの居る図書館で、本を片手にお茶会をしましょう、夜にね』
まるで自分が明日パチュリーのところに行くと知っていたようだ。
自分の行動が先読みされたようで少し負けた気分になり、フランドールは悔しい気持ちに晒される。
しかし、それも一瞬のことだ。
「お姉様も素直じゃないんだから」
カップを持ち上げ、誰も見ないような底を見ると、そこには愛する妹へ、とメッセージが刻まれていた。
ティーカップを受け取った時、妹は満遍なく丁寧にカップを見るだろうと、レミリアは信じている。
だから底に書かれたメッセージも本人しか気付かないだろうと思っている。
そう言う一方的な信頼と情愛を押し付けてくる表現は、我儘な姉、と言うにはぴったりのやり方だ。
「今度、仕返しをしなきゃ」
ベッドに入る前に、フランドールは机に向かい紙を取り出してあれこれと書き始める。
お姉様にどんな仕返しをするか。
咲夜にお願いして一緒にケーキでも作るか、ぬいぐるみでも作るか、何かアクセサリーを作るか。
単純に作るだけじゃ面白くない、手紙、パズル、なぞなぞでちょっとした知恵比べみたいに挑発的な演出もしてみたい。
ともかく、お姉様を少し驚かせる内容にしたい、アイデアを忘れないように紙に書き留める。
お姉様に仕返しすることを考えている時、それはとっても楽しい。
目の前にお姉様が居なくても、あのころころ変わる表情は手に取るように思い返すことが出来る。
お姉様は好きとか嫌いとかそう言う存在じゃ無い。
たまに鬱陶しく感じる時もあるし、妙に親愛を示してきて不気味に感じることもある。
なんとか支えてあげなきゃ、と思わせる時もあるし、特別に何かして欲しいわけじゃ無いけど近くにいて欲しいと思わせる時もある。
でもそんなコロコロと姿形を変えて来るお姉様をフランドールは最大限気に入っている。
どうしてやろう、こうしてやろう。
あれこれお姉様への仕返しを考えている内に、朝も近付く。
机に向かうフランドールも、こくりこくりと船を漕ぐ。
「いけない、もうそろそろ寝なきゃ・・・」
明日は図書館に行かなきゃ。
このティーカップを持って。
あれこれ思いながら、フランドールは寝間着に着替えベッドに入る。
明日はきっと楽しいお茶会になるんだろう。
パチュリーからもオススメの本を聞いてみたい。
もし本人が乗り気なら、魔法を教えて貰うのもいいかもしれない。
小悪魔とは先約があるから本を一緒に読む時間を作らないといけない。
お姉様とは何を話そうかな、どんな話をしてくれるのかな。
お姉様がいるのなら、その横には咲夜もいるのだろう。
咲夜にも聞いてみたい事がまだまだある。
せっかくみんな集まるのだから、美鈴も呼ぼう。
お花の事についてもっと喋りたい。
美鈴の知っている事を私も知りたい。
部屋が暑いと言っていたメイド妖精も呼ぼう。
メイド妖精も、たまには図書館で涼むのも良いはず。
誰が来るかはともかく、みんなで一緒にお茶会をしよう。
明日はいつもよりちょっと忙しい日になりそう。
誰に頼まれたわけでも無いけど、明日はみんなを楽しませる日にしたい。
こうして今日のフランドールの散歩は終わり、同時に大量のメイド妖精やホフゴブリン達が起き出して紅魔館は別の姿を見せる。
自分の知らない紅魔館の姿がまだまだある、それはそれはとても幸せなことなんだろうと、フランドールは思った。
期待を膨らませつつ、フランドールはあれこれ考えながら木の実のネックレスを触って幸せな気分になっていると、いつの間にか眠りに落ちた。
紅魔館のみんなの優しい感じが伝わって来て幸せな気分になれる。そんな素敵な作品でした!
フランちゃんへのみんなのまなざしも、フランちゃんのみんなへのまなざしもとても柔らかくて、読んでる自分もふにゃっと幸せになれた気がします。
素敵な紅魔館のハーモニーに包まれた心地がしました。