「よるな変態!」
「なんで逃げるのよ~。この前は触らせてくれたじゃん~」
幻想郷の夜を舞台に繰り広げられる追いかけっこ。それは私が夢で思い描いた、漫画の1ページのようだ。
「あれは目的のために懐柔しようとしただけ!別にお前に気を許したわけじゃないから!」
「やーん。ツンデレ可愛いー!」
「ぎゃー!やっぱ変態だー!」
こんなにかわいい幻想生物とじゃれ合えるなんて、誰が思っただろうか。
逃げるのだって愛情表現。背後には満月、なんてロマンチック。
ベタかもしれないけど、私はこういうの大好きだなぁ。これに憧れないっていうなら、それはよっぽどの天邪鬼か、変わり者よ。
そんな天邪鬼な私、鬼人正邪は、大樹の枝に腰掛けながらその光景を眺めていた。風情を愛でる心などこれっぽっちも持ち合わせちゃいないし、もちろん痴話喧嘩に首を突っ込む出歯亀根性があるわけでもない。今宵はまんじりとも眠くなかっただけだ。というより、
「五月蠅くって眠れやしねぇ」
幻想の夜に泥をぶん投げるが如きその精神は称賛に値するが、それとこれとは話が別だ。私は連日の逃亡生活で疲れてるんだ、頼むからそういうのは他所でやってくれ。
ようやく見つけた安住の地だったのだが、手放すしかないか。粗暴に頭を掻きながら、深いため息と共に重い腰を上げる。
「……じゃー!」
「あぁ?」
だがこういう時はとことんまで上手くいかないもので。
「正邪ー!助けてー!」
ほらな。向こうからぶつかって来るなんて誰が考えるんだよ、くそが。
「ちっ。ひめさ……針妙丸、どうして私の場所が分かった?」
「たまたま!それよりほら!あの変態どうにかして!」
針妙丸が指す先から、猛スピードで向かってくる人影が一つ。間違いなく面倒事だ。巻き込まれたくない一心で私は針妙丸に告げる。
「あのな、困った時だけ私を利用しようっていうのは流石に都合よすぎだと思わないか?」
「え、それはお互いさまでは?」
悪びれもせず答える針妙丸。
「それもそうか」
顧みれば、確かにわたしたちはそういう関係だった。そしてこいつにはまだ利用価値がある。ギブアンドテイクの関係を続けようというのなら、それも悪くない話である。
私は少し悩んでから、
「面倒くさいが、貸し一つってことで。それで、何すればいいんです?」
「そいつをぶっ飛ばしておくれ!」
目前に迫る人影。紫を基調とした衣装に身を包み、漆黒のマントをはためかせる、闇夜に溶けるような少女。宇佐見菫子である。
「あんたが針妙丸ちゃんの保護者?」
「保護者?そう見えるか?」
「どちらかというと誘拐犯」
いつものように幻想生物、もとい針妙丸を追いかけていたわたし、宇佐見菫子だったが、今日は少しこじれたことになってしまった。ちょっとだけ可愛がるだけでいいのに。まぁ、嫌がる様子も可愛いからいいんだけど。
それはさておき、目の前に立つのは汚れた服を纏う、少しやつれた少女。ガラの悪い目つきは、現代では絶滅したヤンキーを思わせる。
「保護者でも、誘拐犯でもねぇよ。ただの腐れ縁だ。で、そういうお前は何者だ?」
わたしは胸に手を当て堂々と名乗る。
「私はその子を可愛がりたいだけのJKよ。あとできたらお持ち帰りしたいだけ!」
「お前が誘拐犯じゃねえか」
針妙丸は少女の後ろに隠れてぷるぷると震えている。かわいい。
「ともかく、その子を渡しなさい!さもなくばぶっ飛ばす!」
わたしは少女に対して啖呵を切る。愛の前に存在する障壁は、壊しても法には問われないのだ。
「ふん。その方が分かりやすくていい。どうしても渡してほしければ私を倒してからにするんだな!」
対して少女も決め台詞を叫ぶ。あまりに堂に入った悪役の台詞は、わたしの胸に、何か熱いものを感じさせる。
「やめて!私のために争わないで!」
目に涙を溜めながら嘆く針妙丸。明らかに悪ノリである。
「「いくぞ!!」」
同時にぶつかり合う二人。
まばゆい閃光が、幻想の夜に咲き誇る。
「あなた、この間花火大会に乱入してきた天邪鬼でしょ。思い出した、っ!」
菫子が念力によって放つゼナーカード。扇状に広がるそれは、それぞれが意思を持つかのように正邪のもとへと殺到する。
「やれやれ。できれば忘れてくれてた方が助かるんだがね」
しかし、その悉くが正邪の目の前で止まり、そして跳ね返される。菫子はそれが自らに襲い掛かる前に念力を解除し、カードはぱらぱらと散っていく。
軽口をつぶやきながら正邪は上空へと身を捻る。そのまま上下反転の姿勢で弓を数射。正確に胸を狙うそれを菫子はテレポーテーションを使ったバックステップで躱す。
「あぁそういえば。お前も花火大会にいた外来人だな。ちょうどいい、私はお前に興味があったんだ」
「興味?わたしに?」
自身の行動を顧みる。しかし、天邪鬼に興味を持たれることなんて……。
いや、一つ心当たりがあった。レイムッチから、彼女の話は聞いていた。幻想郷の転覆を目論んだ、指名手配犯の存在を。
「あぁ。お前、外界との境界を壊そうとしたんだろ?最高にやばかったって、巫女が愚痴ってたのを聞いたよ」
菫子は目の前の天邪鬼を睨みつける。それでも正邪は挑発的に言葉を続ける。
「そう怖い顔するなって。ただ聞きたいだけなんだ、幻想郷をぶっ壊した、強者どもに一泡吹かせた気分はどうだった?」
「うるさい!」
手を掲げ、地上にマンホールを出現させる。そして二本の指を折り曲げることで起こる、視界を覆うほどの水柱。
「それは私の黒歴史なの。それ以上言うんだったら承知はしない」
「おっと危ない!」
飄々とした表情のまま、正邪はこれを余裕をもって避ける。大きく開いた距離。菫子はその隙にスマホと、1枚のカードを取り出す。
「メタモルフォーゼ!!」
張り上げた声は、夜へと響き渡る。
起動するのはサイコキネシスアプリ。そこにかざすのは、紅白の陰陽玉が描かれた一枚のカード。
宣言に呼応するように、わたしの周りを菫色のオーラが包む。東深見高校の制服が輝き、そして花弁のように消える。目を閉じて、その光に身を任せる。
飛び散った光の奔流は、再び形を持って私を包む。ショートベスト風の紅白の和装、機能性に寄った丈の真っ赤なスカート。頭には蝶のようなリボンが結われる。
オーラは紅白に輝き、そして弾け飛ぶ。
持っていたスマホはお祓い棒に、そして服は見慣れた巫女服に。
日曜朝の女児向けアニメよろしく、菫子の姿は大きく変化を遂げていた。
「なんだぁ、一体……」
目前で起きたことに理解が追い付かず、混乱する正邪。
それを知ってか知らずか、菫子は距離を詰める構えを見せる。だが先ほど開いた距離はかなり大きく、董子の飛行速度では数秒はかかる。であれば、それほどの脅威ではないと正邪は考える。
しかし、それは大きな誤算。
「なに!?」
ふっ、と視界から消える菫子。それは加速や先ほど使ったテレポーテーションのような予備動作すらなく、突然、音もなく世界から掻き消えたかのよう。
「こっちよ」
声は背後から。
突然の出現に数瞬身体が硬直する。
だが、長い放浪の末に研ぎ澄まされた正邪の感覚は少しの無防備な瞬間をも許さない。無理やり身体を捻るようにしてそれに対応する姿勢をとる。
しかし、
「―――甘い」
その努力は、無慈悲に振るわれる大幣の一撃によって打ち砕かれた。
「はー。ぶっつけ本番だったけど、うまくいって良かったー」
菫子はポップな擬音と共にお祓い棒を元のスマホに戻し、自撮りの要領で自分の姿を眺める。
そこに映るのは、腋が丸出しの服、際どい丈のスカート、とても目立つ大きなリボン……。
「う、うわー。レイムッチには申し訳ないけど、かなり恥ずいわ、これー!」
羞恥心にくねくねと身をよじらせる。
「何が起こった……?」
地表に叩きつけられ、よろよろと立ち上がる正邪。そこに勝ち誇った表情で降り立つ菫子。
「ふふん。これが幻想郷で手に入れた絆の力。アビリティカードを使った変身!」
高らかに宣言する。
「―――宇佐見菫子〈博麗霊夢〉モードよ!」
きらっ、と決めポーズをとる菫子。
「アビリティカード、だぁ?」
最近巷で流通するようになったカード。それぞれに絵柄と、それに対応する能力が込められている。しかしそれは所詮子供だまし程度のものでしかなく、ましてやこんな姿かたちが変わるようなものではない。
菫子はさらに言葉を続ける。
「どうもこのアビリティカード、オカルトボールと似たような構造してたからさ?もしかしたらサイコキネシスアプリと互換性持たせられるんじゃないかなーって考えてたんだよねー」
つまり、菫子はオカルトボールの技術を応用し、アビリティカードに込められた真の力、すなわち本人の魂の力すら引き出すことに成功したのだった。
「それで、まだやる?今なら許してあげるけど」
一転攻勢。今度は菫子が挑発的な態度を取る。
ぎり、と歯を鳴らす正邪。それは調子に乗る敵への怒りか、あるいは無力な自身に向けられたものか。
「姫!まだいますか!」
正邪の苛立ちに満ちた声が飛ぶ。
「ひっ。い、いるけどー?」
木陰に隠れていた針妙丸が顔を出す。
「頼みます、姫!今だけ小槌の力を授けてもらえませんか」
「どうして急に?」
その剣幕に押され、針妙丸がおずおずと尋ねる。
「あいつが『気に入りました』。あいつは、ここで叩きのめさないと気が済まない」
その言葉になにかを察し、針妙丸はため息を吐く。
「……分かった。あなたがそこまでいうのは何か理由があるんでしょ。なら力を貸してあげる。けどこれで貸し借り無しだからね!」
「元はといえばあんたの為に……ちっ、もうそれでいい!」
正邪は隠していた風呂敷包みを、針妙丸の前に無造作に置く。
しゃらん。
針妙丸のもつ小槌が振るわれる。光輝く力は、その風呂敷袋に吸い込まれていく。長い期間を経て回収された小槌の魔力が、再び注ぎ込まれる。中にしまわれていたものがかたかたと揺れる。付喪神化が始まったのだ。
「それにしてもこんなのまだ持ってたなんて、正邪も結構几帳面なところあるのね」
「へっ、そんなんじゃねぇよ」
風呂敷を担ぎ、正邪は菫子に向き直る。
「正邪、無理はしないでね」
針妙丸の声には正邪の身を案じるものが混じっている。
だが正邪は振り向くことも答えることもない。
「あら、わたしに勝つ準備は終わった?」
菫子は不敵な笑みを浮かべ、歩み寄る正邪を煽る。
「あぁ。ここからは出し惜しみ無し。なんでもありの果し合いだ」
正邪の口角が凶暴に吊り上がった。
菫子は様子の変わった正邪に少し違和感を覚えながらも、それを上回る全能感で満たされていた。
「そこまでいうのなら、わたしだって全力でいくよ!」
菫子が宣言する。
神籤 『反則結界』
菫子が知り得る、霊夢の放つ弾幕の中で最も凶悪で最も反則級の一撃。
隙間なく放たれる無数の呪符。そしてそれは虚空でぴたりと止まり、正邪を包囲する。その範囲を少しずつ狭め徐々に逃げ道を奪っていく、遅効性の毒のような結界。
「反則ギリギリのこの弾幕、あなたには避けられるかしら?」
圧倒的な密度で迫る呪符は、ごっことしての弾幕の域を超えている。
「これは……」
しかし。その弾幕の雨の中で、正邪は不敵に笑う。
「残念だったなぁ!この弾幕はもう知ってるんだよ!」
風呂敷から取り出したのは血に濡れたように真っ赤な陰陽玉。
極限まで追い詰め、そして間違いなく被弾する。その刹那。
正邪は菫子に向かって陰陽玉を全力で投げ放つ。
ひゅっ、と風を切り菫子へと迫る剛球。
一見、やけくその攻撃であるそれを、菫子は最低限の動作で迎撃する。
だが次の瞬間、目に飛び込んだのは何重もの弾幕を飛び越え、陰陽玉を受け止めるようにして現れた鬼人正邪の姿。
「……は?」
真っ赤な舌を出し、挑発的に笑う正邪。
「愚策だったな。お前は知らないかもしれないが、そいつは巫女が私を捕らえるために使った弾幕さ。そして、そっちが反則級の技を使うなら……」
正邪が取り出すのは、既に導火線に火が付いた、四尺はあろうかという巨大な花火玉。
「こっちは正真正銘の反則を使うだけだ!」
炸裂する閃光。
突然の爆風に、菫子は受け身を取ることもできず吹き飛ばされた。
「ちょっとやりすぎたか?」
黒煙と共にひゅるひゅると落ちていく菫子を、正邪は上空から見下す。その瞳は濁った嫌悪の色で染まっている。
「ま、容赦する気なんてさらさら無いがな!」
重力に身を任せ、猛スピードで追い打ちをかける正邪。突き出された手は、少女のか細い首をへし折るためにまっすぐと伸びている。
「これでしまいだ!」
勝利を確信した雄叫び。だが、
「恋符……」
声がする。叫びにかき消されそうなくらい小さく、しかし確かな力のこもった声。
「『マスター……』」
途切れる黒煙。その中から現れたのは、まばゆい白黒の光を纏った菫子。
構えられた両手から迸る、極光が弾け飛ぶ。
「『スパーク』!!」
上空に向けて放たれた、夜空を裂く一条の光。
それは地上に落ちた星の輝きのように、すべてを吞み込む。
「……!」
それは直上から迫り来る天邪鬼も例外ではなく。その姿は光の中に、音もなく消えてゆく。
「〈霧雨魔理沙〉メタモルフォーゼ!」
その叫びと共に、菫子の姿が再び変化する。
先ほどの鮮烈な紅白と対照的に、モノクロに染まった白黒の衣装。ロングスカートにエプロン。頭には尖った帽子。魔女の出で立ちそのものである。
「けほっ。危なかったぁ。にしてもあいつ、わたしを殺す気なの!?」
正邪の攻撃は、明らかにスペルカードルールを逸脱した、殺すための一撃。だからわたしも、その気で迎え撃つしかなかった。零距離で放たれる高火力の魔力砲。並の妖怪では跡形もなく消し飛んでいる。
菫子は地面に降り立ち、んー、と伸びを一つ。
「ま、妖怪なら大丈夫でしょ。それにそもそも」
視線を背後に向ける。
「まだ元気なんでしょ?」
虚空に投げられた声。その声に応える者などいるはずもない。だが、
「御明察。いやー今のは危なかったぜ」
そこには平然と立つ鬼人正邪の姿。その手には黒焦げになった地蔵が握られている。
「直前でこいつとすり替えておいて助かった。だがおかげで私の残機はゼロになっちまったがな」
片手で弄んでいた地蔵を、罰当たりにも投げつける正邪。菫子はそれをサイコキネシスで逸らして躱す。
「ここまでされる筋合いなんてないと思うんだけど?天邪鬼。どうしてあなたに殺されなくちゃいけないのかしら」
「さっき言ってたのが聞こえてなかったか?私はお前を『気に入った』のさ」
「天邪鬼の言葉を素直に信じろって方が無理ってもんじゃない?」
「くく、全くもってその通り」
正邪は劇がかった歩運びで語り始める。
「最初から『気に入って』たんだがね。ますます『気に入った』のはその変身とやらさ」
「そうね、あなたは気に入らないかもしれない。なんせあなたがひっくり返そうとした幻想郷のみんなの力だものね」
正邪の気配が変わる。これまでの飄々とした雰囲気とは打って変わって、重く何か決意めいた表情。
「はっ、それが幻想郷の力?笑わせる!それは一握りの強者の力じゃないか!お前の言う幻想郷は一部の強者によってつくられた仮初の楽園なんだよ!」
空気を張り詰めさせるほどの気迫。
「なぁ、外来人。どうしてお前は幻想郷に入ってこようと思ったんだ?幻想郷の何に憧れた?失われた大自然か?超常的な体験か?未知に対する好奇心か?
あぁ、どれもうんざりだ!お前が見ているものは、幻想郷の美しい一部分でしかない!この世界にだって、傷つけられている者が居る。虐げられている存在がある!
それを認めない奴が、幻想郷を語るな!」
ぜぇぜぇと息を切らせながら叫ぶ正邪。そこには浮かされた熱のような、鬼気迫るものがあった。
「正邪……」
木陰から見守る針妙丸。
彼女も一時期とはいえ志を共にした同志である。しかし、それでも彼女がここまで感情をあらわにするのを初めて見た。そして互いに道を違えた今、彼女に掛けられる言葉は既に持ち合わせていなかった。
「だから、私はお前を認めない」
正邪は真摯に菫子の瞳を見据える。
「わかった」
菫子もそれに応える。
「それでも、わたしは幻想郷を美しいと思う」
曲がらない菫子の信念。正邪はにやりと笑い、再び凶暴に吠える。
「そうだよな!私とお前は分かり合えないんだ!なら今ここで潰し合うしかない!」
ぱちん、と指を鳴らす菫子。それを起点に無数の爆発が広がる。
正邪はそれを曲芸のように躱し、すれ違いざまに鋭い爪による一閃。菫子はそれを出現させたコンクリート塊で受け止める。ごりっ、と何かの抉れる音。
念力を解くと、壁は跡形もなく消える。しかし、
「いないっ!?」
「こっちだ!」
器用に死角に回り込んだ、正邪の不意の一撃。
くらり、と意識が遠のく感覚。しかし菫子はそれを全力で繋ぎ止める。
ここで意識を失うのはまずい。態勢を整えるために、連続の高速転移で距離を開ける。それを逃すまいと正邪は猛進。
「逃がすか!」
「くっ。『サモンドッペルゲンガー』!」
菫子の前に、もう一人の菫子が現れる。直進する正邪に対し、斧のように叩きつけられる巨大な標識。これを避けるために正邪は大きくスピードを落とす。そこに間髪入れず横薙ぎの一閃。
しかし、そこまでだ。
ドッペルゲンガーは夢のように消えてしまう。
「驚かせやがって。だが、この術は数秒しか持たないみたいだな!」
正邪に手の内を知られた今、再び圧倒的不利に追い込まれる菫子。
だめだ。まだ足りない。もう少し時間が居る。突進を再開する正邪を押しとどめなくては。
「『サモンドッペルゲンガー』!」
再び現れるもう一人の菫子。本体はそれを盾に全速力で後退する。
「またこれか!だが、数秒しか保たないなら、無視すればいいだけの話!」
宣言通り本体に狙いを定める正邪。しかし、そこで異変に気付く。
ドッペル菫子が持つのは、武骨な大振りの斧ではない。代わりに、天高く掲げられるのはスマートフォン。
「〈豊聡耳神子〉メタモルフォーゼ!」
ドッペル菫子が光に包まれる。
弾ける輝きの中から現れたのは、神々しい聖人の衣装に身を包んだ菫子の姿。
『我こそが天道なり』
ドッペル菫子が宣言する。
彼女を中心に無数の光が集まり、そして数条のまばゆい光線となって放たれる。
その圧倒的な輝きは闇夜を照らし、全ての者の視界を奪う威光。
「くそっ、目くらましか!」
正邪は慌てて担いでいた風呂敷を広げ、身を隠す。
数秒であればこの『ひらり布』で問題なく防ぐことができる。加えて、正邪は勝ち誇った叫びを放つ。
「はははっ!馬鹿め、その弾幕だって私には通じなかったんだ!」
「なら、二人同時は?」
超人 『聖白蓮』
薄れ消えゆくドッペルの背後から、光速で現れる一迅の影。
厳かな僧服に身を包んだ菫子は、その超人的な力を以って正邪の腹部を殴り飛ばす。
「かは、っ!?」
物凄いスピードで吹き飛び、地面に叩きつけられ、地表を跳ね飛ばされる。
手に、足に力が入らない。既に立ち上がる気力もなく、空を仰ぎ見ることしかできない。
満月を背に、菫子は正邪を見下す。死神が如きその口から放たれる絶対零度の宣告。
「〈八雲紫〉メタモルフォーゼ」
*幻視せよ!異世界の狂気を*
世界が二つに割れたような、空間を引き裂く巨大なスキマが現れる。
それは音を立てて、軋みながら正邪へと迫り来る。
菫色に輝く電波塔。その圧倒的な質量を以って正邪を押しつぶす。
正邪が思い出すのは、幻想郷を相手に立ち回った10日間の記憶。
最終日に立ちはだかった、憎きスキマ妖怪の姿。
幻想郷を自分のものだと嘯く、不倶戴天の敵。
「く、そぉ!!!」
断末魔は短く。
大地を揺るがす激震と空気を震わせる轟音の中、矮小な天邪鬼の姿は、異世界の巨大建造物の影に埋もれ果てた。
「わたしの勝ち、っと」
賢者が纏う豪奢なドレスを際立たせるように、菫子はふわりと着地する。
つま先が地面に触れたとき、それは花弁のように弾け、元々着ていた制服を再び身に纏う。
鉄塔の残骸を仰ぎ見る。少しだけ罪悪感が心を苛む。
「これじゃあレイムッチや紫さんに怒られちゃうわ」
あなたの能力は本来幻想郷に無いものを呼び出す能力なのだから、云々と説教されたのを思い出す。
指を鳴らすと、残骸は跡形もなく消え去る。しかし、何かがぶつかったという痕跡は残ったまま。そして、ぐしゃぐしゃになった天邪鬼の痕跡も。
「あーもう。ほんとに、しつこい」
そこには何者の姿もない。
「っはぁ。はぁ」
ゆっくりと振り返る菫子。そこには瀕死の状態でうずくまる正邪。その手にはひしゃげた桃色の折り畳み傘が握られている。
「お前は。お前だけは……!」
「いい加減諦めたら?」
正邪が折り畳み傘を投げ捨てる。代わりに持つのは黄金色に輝く小槌。
菫子は冷徹に、残酷に歩み寄る。その手に持つのは一枚のカード。
「お前だけは、絶対に許せねぇ!!」
「〈少名針妙丸〉メタモルフォーゼ」
正邪の一撃が、音を立てて振り下ろされる。
菫子の一撃が、風を切って放たれる。
二つの小槌が、互いの命を刈り取るために振るわれる。
「そこまで!」
両者の動きがぴたりと止まる。
割り込んだのは、少名針妙丸。その小さな身体を呈して、争いを止める。
彼女は正邪の方を向き、その肩に手を置いて語りかける。
「正邪、もういい」
正邪は力無く振りかぶった手を下ろし、その場に項垂れる。
彼女は菫子の方に向き直り、頭を下げて懇願する。
「董子、今日はこのくらいで許してくれないかな」
無表情で硬直する菫子。その双眸は、これっぽっちの感情も含まれていない。針妙丸が止めに入らなければ、彼女は間違いなくその腕を振り切っている。そう感じさせる冷酷な眼。
だがやがて、その冷酷な瞳に熱が戻っていく。
「針妙丸ちゃんがそういうならもちろん!また今度会いに来るからね!」
マントを翻し、踵を返すようにその場を後にする菫子。
だが、その背中に投げかけられる、嘆きに似た叫び。
「お前のせいだっ。全部お前のせいだ!」
「正邪!」
針妙丸は暴れる正邪を制止する。だがそれを振りほどいて、鬼人正邪は叫び続ける。
「私は弱者救済を叫び、下剋上を目論み、そして失敗した。その後、幻想郷を敵に回して逃げ回る羽目になった。だが、そこに私の成したものはあった。幻想郷中に、弱者の存在が知れ渡った。革命は成功していたんだ。
そして、お前が現れ、幻想郷をひっくり返すかもしれないと知って、私の胸は高ぶったさ。ここで革命は真に為されると!
だがどうだ、その結末は!お前が来て、幻想郷は変わってしまった!現れるのは月の女神、幻想郷を牛耳る秘神、畜生界の実力者どもに山の大天狗!
強者どもの権力争いは激化し!弱者は依然虐げられ続け!度重なる未曽有の危機に、民衆の記憶からは『弱者救済』の文字など消え失せてしまった!
そして、幻想郷を揺るがして、私が成したものを塗り替えやがったお前は!幻想郷の強者どもに媚びへつらって仲良しごっこだ!?ふざけるな!
私がここまでして、成したものはどこに行ってしまったんだ!
返せよ!私の幻想郷を、返せ!」
その声は呪いのように。
夜に染みわたって、そして消えていく。
残るのは静かにむせび泣く声。
それすらも深い夜の闇に溶けて、やがて忘れられていくのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「やっほー。レイムッチにマリサッチ」
昼下がりの博麗神社。
相変わらず何をするでもなく縁側でお茶をすする霊夢と、相変わらず何をするでもなく縁側に寝転がる魔理沙を見つけ、軽くあいさつを交わす。
「あら、菫子じゃない。久しぶりね」
「久しぶりなんだぜー」
「久しぶり、ってそんなに来てなかったっけ、わたし?」
実感が無いので、疑問形で言葉を返す。
「そうね……。一週間は来てなかったんじゃない?」
「正確には6日と半日だなー」
間延びした言葉を繰り返す魔理沙に、霊夢が平手を浴びせる。
「いて!?あー分かった分かった、ちゃんとするって。そんで董子、なんかあったのか?良ければ相談に乗るぜ?」
霊夢と魔理沙の視線が真剣なものに変わる。
「いや、別に大したことはなかったはず……。一週間前?」
この一週間を思い返す。丁度一週間前は、満月のあの日。
わたしは針妙丸を追いかけて。
そのあと―――。
「あ、定期テストだったからだ!さすがにテスト中は寝かせてもらえないし、一夜漬けで勉強してたから夜もほとんど寝てないし!」
「なんだ、一時的なものならいいんだ」
「あんたの場合、急に来なくなるとかありそうだものね」
ほっ、と息を吐く二人。特殊な身の上であり、年も近い私のことを二人なりに案じてくれたのだろう。
ん、天邪鬼?ああ、そんなこともあったわね。
なにか言い残すとすれば……。
そうね、わたしが来たことで幻想郷が変わってしまった、とか言ってたけど。そんなのただのこじつけだし。それに、わたしが及ぼす影響だって、最初から全部分かってる。
私が紡ぐ物語。うん、最高じゃない。
それにほら、あなただってもし興味がないページがあったら読み飛ばすでしょ?
なにを選ぶのもわたしの勝手。弱者がなんだとか、言われる筋合いはこれっぽっちも無いわけ。
「そんなわけないじゃん!わたしの大好きな幻想郷だもの」
わたしは、『わたしの好きな幻想郷』が好き。
わたしの好きなみんながいて。わたしの好きな不思議がたくさんあって。
わたしの好きなものが詰まった、宝箱のような世界。それが幻想郷。
だけどまだ足りない。
わたしの目的は最初から変わってなんかいない。
この美しい幻想郷を、わたしの手で『わたしだけの幻想郷』にする。
それはまさしく、与えられた原作を思い描いたものに組み替える二次創作のように。
それが許されるのはわたしのような、特別な力を持つ者だけ。
それを厚かましくも、『私の幻想郷』だなんて。
世界を変える力すら持たないモブがそんなこと言うだなんて、あまりにも滑稽!
だからさ。
身の程をわきまえない、あのうざい天邪鬼は『わたしの幻想郷』からいなくなって然るべきよね。
「なんで逃げるのよ~。この前は触らせてくれたじゃん~」
幻想郷の夜を舞台に繰り広げられる追いかけっこ。それは私が夢で思い描いた、漫画の1ページのようだ。
「あれは目的のために懐柔しようとしただけ!別にお前に気を許したわけじゃないから!」
「やーん。ツンデレ可愛いー!」
「ぎゃー!やっぱ変態だー!」
こんなにかわいい幻想生物とじゃれ合えるなんて、誰が思っただろうか。
逃げるのだって愛情表現。背後には満月、なんてロマンチック。
ベタかもしれないけど、私はこういうの大好きだなぁ。これに憧れないっていうなら、それはよっぽどの天邪鬼か、変わり者よ。
そんな天邪鬼な私、鬼人正邪は、大樹の枝に腰掛けながらその光景を眺めていた。風情を愛でる心などこれっぽっちも持ち合わせちゃいないし、もちろん痴話喧嘩に首を突っ込む出歯亀根性があるわけでもない。今宵はまんじりとも眠くなかっただけだ。というより、
「五月蠅くって眠れやしねぇ」
幻想の夜に泥をぶん投げるが如きその精神は称賛に値するが、それとこれとは話が別だ。私は連日の逃亡生活で疲れてるんだ、頼むからそういうのは他所でやってくれ。
ようやく見つけた安住の地だったのだが、手放すしかないか。粗暴に頭を掻きながら、深いため息と共に重い腰を上げる。
「……じゃー!」
「あぁ?」
だがこういう時はとことんまで上手くいかないもので。
「正邪ー!助けてー!」
ほらな。向こうからぶつかって来るなんて誰が考えるんだよ、くそが。
「ちっ。ひめさ……針妙丸、どうして私の場所が分かった?」
「たまたま!それよりほら!あの変態どうにかして!」
針妙丸が指す先から、猛スピードで向かってくる人影が一つ。間違いなく面倒事だ。巻き込まれたくない一心で私は針妙丸に告げる。
「あのな、困った時だけ私を利用しようっていうのは流石に都合よすぎだと思わないか?」
「え、それはお互いさまでは?」
悪びれもせず答える針妙丸。
「それもそうか」
顧みれば、確かにわたしたちはそういう関係だった。そしてこいつにはまだ利用価値がある。ギブアンドテイクの関係を続けようというのなら、それも悪くない話である。
私は少し悩んでから、
「面倒くさいが、貸し一つってことで。それで、何すればいいんです?」
「そいつをぶっ飛ばしておくれ!」
目前に迫る人影。紫を基調とした衣装に身を包み、漆黒のマントをはためかせる、闇夜に溶けるような少女。宇佐見菫子である。
「あんたが針妙丸ちゃんの保護者?」
「保護者?そう見えるか?」
「どちらかというと誘拐犯」
いつものように幻想生物、もとい針妙丸を追いかけていたわたし、宇佐見菫子だったが、今日は少しこじれたことになってしまった。ちょっとだけ可愛がるだけでいいのに。まぁ、嫌がる様子も可愛いからいいんだけど。
それはさておき、目の前に立つのは汚れた服を纏う、少しやつれた少女。ガラの悪い目つきは、現代では絶滅したヤンキーを思わせる。
「保護者でも、誘拐犯でもねぇよ。ただの腐れ縁だ。で、そういうお前は何者だ?」
わたしは胸に手を当て堂々と名乗る。
「私はその子を可愛がりたいだけのJKよ。あとできたらお持ち帰りしたいだけ!」
「お前が誘拐犯じゃねえか」
針妙丸は少女の後ろに隠れてぷるぷると震えている。かわいい。
「ともかく、その子を渡しなさい!さもなくばぶっ飛ばす!」
わたしは少女に対して啖呵を切る。愛の前に存在する障壁は、壊しても法には問われないのだ。
「ふん。その方が分かりやすくていい。どうしても渡してほしければ私を倒してからにするんだな!」
対して少女も決め台詞を叫ぶ。あまりに堂に入った悪役の台詞は、わたしの胸に、何か熱いものを感じさせる。
「やめて!私のために争わないで!」
目に涙を溜めながら嘆く針妙丸。明らかに悪ノリである。
「「いくぞ!!」」
同時にぶつかり合う二人。
まばゆい閃光が、幻想の夜に咲き誇る。
「あなた、この間花火大会に乱入してきた天邪鬼でしょ。思い出した、っ!」
菫子が念力によって放つゼナーカード。扇状に広がるそれは、それぞれが意思を持つかのように正邪のもとへと殺到する。
「やれやれ。できれば忘れてくれてた方が助かるんだがね」
しかし、その悉くが正邪の目の前で止まり、そして跳ね返される。菫子はそれが自らに襲い掛かる前に念力を解除し、カードはぱらぱらと散っていく。
軽口をつぶやきながら正邪は上空へと身を捻る。そのまま上下反転の姿勢で弓を数射。正確に胸を狙うそれを菫子はテレポーテーションを使ったバックステップで躱す。
「あぁそういえば。お前も花火大会にいた外来人だな。ちょうどいい、私はお前に興味があったんだ」
「興味?わたしに?」
自身の行動を顧みる。しかし、天邪鬼に興味を持たれることなんて……。
いや、一つ心当たりがあった。レイムッチから、彼女の話は聞いていた。幻想郷の転覆を目論んだ、指名手配犯の存在を。
「あぁ。お前、外界との境界を壊そうとしたんだろ?最高にやばかったって、巫女が愚痴ってたのを聞いたよ」
菫子は目の前の天邪鬼を睨みつける。それでも正邪は挑発的に言葉を続ける。
「そう怖い顔するなって。ただ聞きたいだけなんだ、幻想郷をぶっ壊した、強者どもに一泡吹かせた気分はどうだった?」
「うるさい!」
手を掲げ、地上にマンホールを出現させる。そして二本の指を折り曲げることで起こる、視界を覆うほどの水柱。
「それは私の黒歴史なの。それ以上言うんだったら承知はしない」
「おっと危ない!」
飄々とした表情のまま、正邪はこれを余裕をもって避ける。大きく開いた距離。菫子はその隙にスマホと、1枚のカードを取り出す。
「メタモルフォーゼ!!」
張り上げた声は、夜へと響き渡る。
起動するのはサイコキネシスアプリ。そこにかざすのは、紅白の陰陽玉が描かれた一枚のカード。
宣言に呼応するように、わたしの周りを菫色のオーラが包む。東深見高校の制服が輝き、そして花弁のように消える。目を閉じて、その光に身を任せる。
飛び散った光の奔流は、再び形を持って私を包む。ショートベスト風の紅白の和装、機能性に寄った丈の真っ赤なスカート。頭には蝶のようなリボンが結われる。
オーラは紅白に輝き、そして弾け飛ぶ。
持っていたスマホはお祓い棒に、そして服は見慣れた巫女服に。
日曜朝の女児向けアニメよろしく、菫子の姿は大きく変化を遂げていた。
「なんだぁ、一体……」
目前で起きたことに理解が追い付かず、混乱する正邪。
それを知ってか知らずか、菫子は距離を詰める構えを見せる。だが先ほど開いた距離はかなり大きく、董子の飛行速度では数秒はかかる。であれば、それほどの脅威ではないと正邪は考える。
しかし、それは大きな誤算。
「なに!?」
ふっ、と視界から消える菫子。それは加速や先ほど使ったテレポーテーションのような予備動作すらなく、突然、音もなく世界から掻き消えたかのよう。
「こっちよ」
声は背後から。
突然の出現に数瞬身体が硬直する。
だが、長い放浪の末に研ぎ澄まされた正邪の感覚は少しの無防備な瞬間をも許さない。無理やり身体を捻るようにしてそれに対応する姿勢をとる。
しかし、
「―――甘い」
その努力は、無慈悲に振るわれる大幣の一撃によって打ち砕かれた。
「はー。ぶっつけ本番だったけど、うまくいって良かったー」
菫子はポップな擬音と共にお祓い棒を元のスマホに戻し、自撮りの要領で自分の姿を眺める。
そこに映るのは、腋が丸出しの服、際どい丈のスカート、とても目立つ大きなリボン……。
「う、うわー。レイムッチには申し訳ないけど、かなり恥ずいわ、これー!」
羞恥心にくねくねと身をよじらせる。
「何が起こった……?」
地表に叩きつけられ、よろよろと立ち上がる正邪。そこに勝ち誇った表情で降り立つ菫子。
「ふふん。これが幻想郷で手に入れた絆の力。アビリティカードを使った変身!」
高らかに宣言する。
「―――宇佐見菫子〈博麗霊夢〉モードよ!」
きらっ、と決めポーズをとる菫子。
「アビリティカード、だぁ?」
最近巷で流通するようになったカード。それぞれに絵柄と、それに対応する能力が込められている。しかしそれは所詮子供だまし程度のものでしかなく、ましてやこんな姿かたちが変わるようなものではない。
菫子はさらに言葉を続ける。
「どうもこのアビリティカード、オカルトボールと似たような構造してたからさ?もしかしたらサイコキネシスアプリと互換性持たせられるんじゃないかなーって考えてたんだよねー」
つまり、菫子はオカルトボールの技術を応用し、アビリティカードに込められた真の力、すなわち本人の魂の力すら引き出すことに成功したのだった。
「それで、まだやる?今なら許してあげるけど」
一転攻勢。今度は菫子が挑発的な態度を取る。
ぎり、と歯を鳴らす正邪。それは調子に乗る敵への怒りか、あるいは無力な自身に向けられたものか。
「姫!まだいますか!」
正邪の苛立ちに満ちた声が飛ぶ。
「ひっ。い、いるけどー?」
木陰に隠れていた針妙丸が顔を出す。
「頼みます、姫!今だけ小槌の力を授けてもらえませんか」
「どうして急に?」
その剣幕に押され、針妙丸がおずおずと尋ねる。
「あいつが『気に入りました』。あいつは、ここで叩きのめさないと気が済まない」
その言葉になにかを察し、針妙丸はため息を吐く。
「……分かった。あなたがそこまでいうのは何か理由があるんでしょ。なら力を貸してあげる。けどこれで貸し借り無しだからね!」
「元はといえばあんたの為に……ちっ、もうそれでいい!」
正邪は隠していた風呂敷包みを、針妙丸の前に無造作に置く。
しゃらん。
針妙丸のもつ小槌が振るわれる。光輝く力は、その風呂敷袋に吸い込まれていく。長い期間を経て回収された小槌の魔力が、再び注ぎ込まれる。中にしまわれていたものがかたかたと揺れる。付喪神化が始まったのだ。
「それにしてもこんなのまだ持ってたなんて、正邪も結構几帳面なところあるのね」
「へっ、そんなんじゃねぇよ」
風呂敷を担ぎ、正邪は菫子に向き直る。
「正邪、無理はしないでね」
針妙丸の声には正邪の身を案じるものが混じっている。
だが正邪は振り向くことも答えることもない。
「あら、わたしに勝つ準備は終わった?」
菫子は不敵な笑みを浮かべ、歩み寄る正邪を煽る。
「あぁ。ここからは出し惜しみ無し。なんでもありの果し合いだ」
正邪の口角が凶暴に吊り上がった。
菫子は様子の変わった正邪に少し違和感を覚えながらも、それを上回る全能感で満たされていた。
「そこまでいうのなら、わたしだって全力でいくよ!」
菫子が宣言する。
神籤 『反則結界』
菫子が知り得る、霊夢の放つ弾幕の中で最も凶悪で最も反則級の一撃。
隙間なく放たれる無数の呪符。そしてそれは虚空でぴたりと止まり、正邪を包囲する。その範囲を少しずつ狭め徐々に逃げ道を奪っていく、遅効性の毒のような結界。
「反則ギリギリのこの弾幕、あなたには避けられるかしら?」
圧倒的な密度で迫る呪符は、ごっことしての弾幕の域を超えている。
「これは……」
しかし。その弾幕の雨の中で、正邪は不敵に笑う。
「残念だったなぁ!この弾幕はもう知ってるんだよ!」
風呂敷から取り出したのは血に濡れたように真っ赤な陰陽玉。
極限まで追い詰め、そして間違いなく被弾する。その刹那。
正邪は菫子に向かって陰陽玉を全力で投げ放つ。
ひゅっ、と風を切り菫子へと迫る剛球。
一見、やけくその攻撃であるそれを、菫子は最低限の動作で迎撃する。
だが次の瞬間、目に飛び込んだのは何重もの弾幕を飛び越え、陰陽玉を受け止めるようにして現れた鬼人正邪の姿。
「……は?」
真っ赤な舌を出し、挑発的に笑う正邪。
「愚策だったな。お前は知らないかもしれないが、そいつは巫女が私を捕らえるために使った弾幕さ。そして、そっちが反則級の技を使うなら……」
正邪が取り出すのは、既に導火線に火が付いた、四尺はあろうかという巨大な花火玉。
「こっちは正真正銘の反則を使うだけだ!」
炸裂する閃光。
突然の爆風に、菫子は受け身を取ることもできず吹き飛ばされた。
「ちょっとやりすぎたか?」
黒煙と共にひゅるひゅると落ちていく菫子を、正邪は上空から見下す。その瞳は濁った嫌悪の色で染まっている。
「ま、容赦する気なんてさらさら無いがな!」
重力に身を任せ、猛スピードで追い打ちをかける正邪。突き出された手は、少女のか細い首をへし折るためにまっすぐと伸びている。
「これでしまいだ!」
勝利を確信した雄叫び。だが、
「恋符……」
声がする。叫びにかき消されそうなくらい小さく、しかし確かな力のこもった声。
「『マスター……』」
途切れる黒煙。その中から現れたのは、まばゆい白黒の光を纏った菫子。
構えられた両手から迸る、極光が弾け飛ぶ。
「『スパーク』!!」
上空に向けて放たれた、夜空を裂く一条の光。
それは地上に落ちた星の輝きのように、すべてを吞み込む。
「……!」
それは直上から迫り来る天邪鬼も例外ではなく。その姿は光の中に、音もなく消えてゆく。
「〈霧雨魔理沙〉メタモルフォーゼ!」
その叫びと共に、菫子の姿が再び変化する。
先ほどの鮮烈な紅白と対照的に、モノクロに染まった白黒の衣装。ロングスカートにエプロン。頭には尖った帽子。魔女の出で立ちそのものである。
「けほっ。危なかったぁ。にしてもあいつ、わたしを殺す気なの!?」
正邪の攻撃は、明らかにスペルカードルールを逸脱した、殺すための一撃。だからわたしも、その気で迎え撃つしかなかった。零距離で放たれる高火力の魔力砲。並の妖怪では跡形もなく消し飛んでいる。
菫子は地面に降り立ち、んー、と伸びを一つ。
「ま、妖怪なら大丈夫でしょ。それにそもそも」
視線を背後に向ける。
「まだ元気なんでしょ?」
虚空に投げられた声。その声に応える者などいるはずもない。だが、
「御明察。いやー今のは危なかったぜ」
そこには平然と立つ鬼人正邪の姿。その手には黒焦げになった地蔵が握られている。
「直前でこいつとすり替えておいて助かった。だがおかげで私の残機はゼロになっちまったがな」
片手で弄んでいた地蔵を、罰当たりにも投げつける正邪。菫子はそれをサイコキネシスで逸らして躱す。
「ここまでされる筋合いなんてないと思うんだけど?天邪鬼。どうしてあなたに殺されなくちゃいけないのかしら」
「さっき言ってたのが聞こえてなかったか?私はお前を『気に入った』のさ」
「天邪鬼の言葉を素直に信じろって方が無理ってもんじゃない?」
「くく、全くもってその通り」
正邪は劇がかった歩運びで語り始める。
「最初から『気に入って』たんだがね。ますます『気に入った』のはその変身とやらさ」
「そうね、あなたは気に入らないかもしれない。なんせあなたがひっくり返そうとした幻想郷のみんなの力だものね」
正邪の気配が変わる。これまでの飄々とした雰囲気とは打って変わって、重く何か決意めいた表情。
「はっ、それが幻想郷の力?笑わせる!それは一握りの強者の力じゃないか!お前の言う幻想郷は一部の強者によってつくられた仮初の楽園なんだよ!」
空気を張り詰めさせるほどの気迫。
「なぁ、外来人。どうしてお前は幻想郷に入ってこようと思ったんだ?幻想郷の何に憧れた?失われた大自然か?超常的な体験か?未知に対する好奇心か?
あぁ、どれもうんざりだ!お前が見ているものは、幻想郷の美しい一部分でしかない!この世界にだって、傷つけられている者が居る。虐げられている存在がある!
それを認めない奴が、幻想郷を語るな!」
ぜぇぜぇと息を切らせながら叫ぶ正邪。そこには浮かされた熱のような、鬼気迫るものがあった。
「正邪……」
木陰から見守る針妙丸。
彼女も一時期とはいえ志を共にした同志である。しかし、それでも彼女がここまで感情をあらわにするのを初めて見た。そして互いに道を違えた今、彼女に掛けられる言葉は既に持ち合わせていなかった。
「だから、私はお前を認めない」
正邪は真摯に菫子の瞳を見据える。
「わかった」
菫子もそれに応える。
「それでも、わたしは幻想郷を美しいと思う」
曲がらない菫子の信念。正邪はにやりと笑い、再び凶暴に吠える。
「そうだよな!私とお前は分かり合えないんだ!なら今ここで潰し合うしかない!」
ぱちん、と指を鳴らす菫子。それを起点に無数の爆発が広がる。
正邪はそれを曲芸のように躱し、すれ違いざまに鋭い爪による一閃。菫子はそれを出現させたコンクリート塊で受け止める。ごりっ、と何かの抉れる音。
念力を解くと、壁は跡形もなく消える。しかし、
「いないっ!?」
「こっちだ!」
器用に死角に回り込んだ、正邪の不意の一撃。
くらり、と意識が遠のく感覚。しかし菫子はそれを全力で繋ぎ止める。
ここで意識を失うのはまずい。態勢を整えるために、連続の高速転移で距離を開ける。それを逃すまいと正邪は猛進。
「逃がすか!」
「くっ。『サモンドッペルゲンガー』!」
菫子の前に、もう一人の菫子が現れる。直進する正邪に対し、斧のように叩きつけられる巨大な標識。これを避けるために正邪は大きくスピードを落とす。そこに間髪入れず横薙ぎの一閃。
しかし、そこまでだ。
ドッペルゲンガーは夢のように消えてしまう。
「驚かせやがって。だが、この術は数秒しか持たないみたいだな!」
正邪に手の内を知られた今、再び圧倒的不利に追い込まれる菫子。
だめだ。まだ足りない。もう少し時間が居る。突進を再開する正邪を押しとどめなくては。
「『サモンドッペルゲンガー』!」
再び現れるもう一人の菫子。本体はそれを盾に全速力で後退する。
「またこれか!だが、数秒しか保たないなら、無視すればいいだけの話!」
宣言通り本体に狙いを定める正邪。しかし、そこで異変に気付く。
ドッペル菫子が持つのは、武骨な大振りの斧ではない。代わりに、天高く掲げられるのはスマートフォン。
「〈豊聡耳神子〉メタモルフォーゼ!」
ドッペル菫子が光に包まれる。
弾ける輝きの中から現れたのは、神々しい聖人の衣装に身を包んだ菫子の姿。
『我こそが天道なり』
ドッペル菫子が宣言する。
彼女を中心に無数の光が集まり、そして数条のまばゆい光線となって放たれる。
その圧倒的な輝きは闇夜を照らし、全ての者の視界を奪う威光。
「くそっ、目くらましか!」
正邪は慌てて担いでいた風呂敷を広げ、身を隠す。
数秒であればこの『ひらり布』で問題なく防ぐことができる。加えて、正邪は勝ち誇った叫びを放つ。
「はははっ!馬鹿め、その弾幕だって私には通じなかったんだ!」
「なら、二人同時は?」
超人 『聖白蓮』
薄れ消えゆくドッペルの背後から、光速で現れる一迅の影。
厳かな僧服に身を包んだ菫子は、その超人的な力を以って正邪の腹部を殴り飛ばす。
「かは、っ!?」
物凄いスピードで吹き飛び、地面に叩きつけられ、地表を跳ね飛ばされる。
手に、足に力が入らない。既に立ち上がる気力もなく、空を仰ぎ見ることしかできない。
満月を背に、菫子は正邪を見下す。死神が如きその口から放たれる絶対零度の宣告。
「〈八雲紫〉メタモルフォーゼ」
*幻視せよ!異世界の狂気を*
世界が二つに割れたような、空間を引き裂く巨大なスキマが現れる。
それは音を立てて、軋みながら正邪へと迫り来る。
菫色に輝く電波塔。その圧倒的な質量を以って正邪を押しつぶす。
正邪が思い出すのは、幻想郷を相手に立ち回った10日間の記憶。
最終日に立ちはだかった、憎きスキマ妖怪の姿。
幻想郷を自分のものだと嘯く、不倶戴天の敵。
「く、そぉ!!!」
断末魔は短く。
大地を揺るがす激震と空気を震わせる轟音の中、矮小な天邪鬼の姿は、異世界の巨大建造物の影に埋もれ果てた。
「わたしの勝ち、っと」
賢者が纏う豪奢なドレスを際立たせるように、菫子はふわりと着地する。
つま先が地面に触れたとき、それは花弁のように弾け、元々着ていた制服を再び身に纏う。
鉄塔の残骸を仰ぎ見る。少しだけ罪悪感が心を苛む。
「これじゃあレイムッチや紫さんに怒られちゃうわ」
あなたの能力は本来幻想郷に無いものを呼び出す能力なのだから、云々と説教されたのを思い出す。
指を鳴らすと、残骸は跡形もなく消え去る。しかし、何かがぶつかったという痕跡は残ったまま。そして、ぐしゃぐしゃになった天邪鬼の痕跡も。
「あーもう。ほんとに、しつこい」
そこには何者の姿もない。
「っはぁ。はぁ」
ゆっくりと振り返る菫子。そこには瀕死の状態でうずくまる正邪。その手にはひしゃげた桃色の折り畳み傘が握られている。
「お前は。お前だけは……!」
「いい加減諦めたら?」
正邪が折り畳み傘を投げ捨てる。代わりに持つのは黄金色に輝く小槌。
菫子は冷徹に、残酷に歩み寄る。その手に持つのは一枚のカード。
「お前だけは、絶対に許せねぇ!!」
「〈少名針妙丸〉メタモルフォーゼ」
正邪の一撃が、音を立てて振り下ろされる。
菫子の一撃が、風を切って放たれる。
二つの小槌が、互いの命を刈り取るために振るわれる。
「そこまで!」
両者の動きがぴたりと止まる。
割り込んだのは、少名針妙丸。その小さな身体を呈して、争いを止める。
彼女は正邪の方を向き、その肩に手を置いて語りかける。
「正邪、もういい」
正邪は力無く振りかぶった手を下ろし、その場に項垂れる。
彼女は菫子の方に向き直り、頭を下げて懇願する。
「董子、今日はこのくらいで許してくれないかな」
無表情で硬直する菫子。その双眸は、これっぽっちの感情も含まれていない。針妙丸が止めに入らなければ、彼女は間違いなくその腕を振り切っている。そう感じさせる冷酷な眼。
だがやがて、その冷酷な瞳に熱が戻っていく。
「針妙丸ちゃんがそういうならもちろん!また今度会いに来るからね!」
マントを翻し、踵を返すようにその場を後にする菫子。
だが、その背中に投げかけられる、嘆きに似た叫び。
「お前のせいだっ。全部お前のせいだ!」
「正邪!」
針妙丸は暴れる正邪を制止する。だがそれを振りほどいて、鬼人正邪は叫び続ける。
「私は弱者救済を叫び、下剋上を目論み、そして失敗した。その後、幻想郷を敵に回して逃げ回る羽目になった。だが、そこに私の成したものはあった。幻想郷中に、弱者の存在が知れ渡った。革命は成功していたんだ。
そして、お前が現れ、幻想郷をひっくり返すかもしれないと知って、私の胸は高ぶったさ。ここで革命は真に為されると!
だがどうだ、その結末は!お前が来て、幻想郷は変わってしまった!現れるのは月の女神、幻想郷を牛耳る秘神、畜生界の実力者どもに山の大天狗!
強者どもの権力争いは激化し!弱者は依然虐げられ続け!度重なる未曽有の危機に、民衆の記憶からは『弱者救済』の文字など消え失せてしまった!
そして、幻想郷を揺るがして、私が成したものを塗り替えやがったお前は!幻想郷の強者どもに媚びへつらって仲良しごっこだ!?ふざけるな!
私がここまでして、成したものはどこに行ってしまったんだ!
返せよ!私の幻想郷を、返せ!」
その声は呪いのように。
夜に染みわたって、そして消えていく。
残るのは静かにむせび泣く声。
それすらも深い夜の闇に溶けて、やがて忘れられていくのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「やっほー。レイムッチにマリサッチ」
昼下がりの博麗神社。
相変わらず何をするでもなく縁側でお茶をすする霊夢と、相変わらず何をするでもなく縁側に寝転がる魔理沙を見つけ、軽くあいさつを交わす。
「あら、菫子じゃない。久しぶりね」
「久しぶりなんだぜー」
「久しぶり、ってそんなに来てなかったっけ、わたし?」
実感が無いので、疑問形で言葉を返す。
「そうね……。一週間は来てなかったんじゃない?」
「正確には6日と半日だなー」
間延びした言葉を繰り返す魔理沙に、霊夢が平手を浴びせる。
「いて!?あー分かった分かった、ちゃんとするって。そんで董子、なんかあったのか?良ければ相談に乗るぜ?」
霊夢と魔理沙の視線が真剣なものに変わる。
「いや、別に大したことはなかったはず……。一週間前?」
この一週間を思い返す。丁度一週間前は、満月のあの日。
わたしは針妙丸を追いかけて。
そのあと―――。
「あ、定期テストだったからだ!さすがにテスト中は寝かせてもらえないし、一夜漬けで勉強してたから夜もほとんど寝てないし!」
「なんだ、一時的なものならいいんだ」
「あんたの場合、急に来なくなるとかありそうだものね」
ほっ、と息を吐く二人。特殊な身の上であり、年も近い私のことを二人なりに案じてくれたのだろう。
ん、天邪鬼?ああ、そんなこともあったわね。
なにか言い残すとすれば……。
そうね、わたしが来たことで幻想郷が変わってしまった、とか言ってたけど。そんなのただのこじつけだし。それに、わたしが及ぼす影響だって、最初から全部分かってる。
私が紡ぐ物語。うん、最高じゃない。
それにほら、あなただってもし興味がないページがあったら読み飛ばすでしょ?
なにを選ぶのもわたしの勝手。弱者がなんだとか、言われる筋合いはこれっぽっちも無いわけ。
「そんなわけないじゃん!わたしの大好きな幻想郷だもの」
わたしは、『わたしの好きな幻想郷』が好き。
わたしの好きなみんながいて。わたしの好きな不思議がたくさんあって。
わたしの好きなものが詰まった、宝箱のような世界。それが幻想郷。
だけどまだ足りない。
わたしの目的は最初から変わってなんかいない。
この美しい幻想郷を、わたしの手で『わたしだけの幻想郷』にする。
それはまさしく、与えられた原作を思い描いたものに組み替える二次創作のように。
それが許されるのはわたしのような、特別な力を持つ者だけ。
それを厚かましくも、『私の幻想郷』だなんて。
世界を変える力すら持たないモブがそんなこと言うだなんて、あまりにも滑稽!
だからさ。
身の程をわきまえない、あのうざい天邪鬼は『わたしの幻想郷』からいなくなって然るべきよね。
原作への愛が感じられるよい作品だったと思います