放課後の寺子屋で、慧音先生のこの世界に対する講義が始まった。
「まず先に聞いておくが、きみは本当に別の世界から来たんだな?」
「ええ、たぶん」
「そして、自分が幻想郷の八雲紫だと認識しているが、ここに来るまでの記憶がないと?」
「そうよ」
慧音は目を細めて私を見る。だが疑いを抱いていそうな目つきはすぐに消え、もとの雰囲気に戻った。
「……そうか、失礼、ではこの世界についての授業を始めよう」
「懐かしい雰囲気だなー」 とチルノが足をばたばたさせている。
「ここは昔、幻想郷の賢者達による、幻想の存在達がやって来る楽園、というか一種の避難所だったんだ」
それはこっち側の幻想郷も同じだ。慧音先生は黒板に図を描いて、外の世界で忘れ去られたり、否定されたりした何かが自動的に幻想郷にやってくるシステムがあるのだと私たちに説く。そのシステム維持の中心人物はこの世界の八雲紫だ。
「でも、昨年から急に幻想郷と外界を隔てる博麗大結界が力を弱め、現実の要素が入り込んできた、あるいは幻想が流れ出ていったんだ。まるで水を張った桶に穴が開いて、水が流れ出してしまったように」
「霊夢は、博麗の巫女はどうしたの?」
「わからない、私も力を失って、歴史をのぞけなくなってしまった」
「それは……」
そこまで言うと、慧音は口ごもり、視線を逸らす。それからゆっくりと独り言のように打ち明けた。
「正直、霊夢はその前後から行方知れずになっていた。妹紅もだ」
「それは……」
私は何か言葉をかけようとしたが、なにも言えなかった。もちろん自分はこの異変に関与していないはずだが、この世界の私が関わっているであろうこの事象に、ただただ打ちのめされるだけだった。
「それでも有志の努力で結界がいくらか修復され、幻想の流失は緩やかになっていったんだ。これで復興かと思いきや、今度は君らが戦った、あのもや、『外界の風』が現れた。そいつらは、幻想成分の多い妖怪や妖精をはじめとして、人間でも霊感の強いものを次々に……捕食していった」
温かい季節なのに、さらに空気が冷たく重くなる気がした。
私は生徒のように慧音に発言の許しを求めた。
「私たちがあの黒いもやをやっつけた時、体内には誰もいませんでした。ただ幻想成分が解放されていくのを感じました。その力の一部が私とチルノに入ってきて、力が回復したんだけど、これでは人を喰ったも同然……」
元の世界の霊夢が聞いたら何て言うだろう。
「ユカリ、なんで落ち込むの? みんなを食べたのはあいつ等じゃん」
もう人を食べる事はしないつもりだったのに、そのタブーを自ら破ってしまった。
見るに見かねたのか、慧音がこう言ってくれた。
「たぶんだけど、君たちが外界の風を退治した時、それに食われてエネルギーにされた者たちは解放されて、幻想郷のどこかで何者かに転生した、そう私は信じるよ。物質もエネルギーも循環していくものだからな」
「んでその時、みんながお礼に力を分けてくれた……つー解釈はどうかな」
「ありがとう、そう、きっとそうね」
私はそのように応えたが、都合の良い解釈ではある。でも少しだけ楽になった。
何百年も前とは言え、私も人を喰らっていたのにね。
「話は変わるが、君たちは、これからどうするんだい」
「私は元の世界に帰る手がかりを見つけたい。とりあえず、博麗神社に行ってみようと思うの」
「あたいは大ちゃん達を探したい。神社のほうはまだ探してないから、ついでにユカリと一緒に行ってもいいよ」
「ありがとうチルノ」
「もし困ったことがあったら、いつでもこの里に戻ってくるといい、こちらも生活は楽とは言えないが、できるだけの事はする」
この世界の慧音も責任感あふれる人里の守護者だった。悲しみを抱えつつもそうあろうとしている。現状では私なんかよりずっと幻想郷の賢者にふさわしい、そう思えた。
「ホントにこっちで合ってるの?」
「確かに石段があるんだけど、木が邪魔で通れない」
神社への道のりは想像を絶する厳しさだった、最初は軽いピクニック気分でいけるかと思いきや、あちこちに木々が生い茂り、石段はもちろん、神社に続く山道も通れない。歩いているだけで服や肌が擦り傷だらけになりそうだ。
「いててて、ここまで破れると弾幕ごっこで負けたみたいになっちゃう」
「空さえ飛べればいいんだけど」
「そうだった、少しは力も戻ってるっぽいからいけるかも、そ~れっ」
思い切って私たちは飛ぼうとしたが、まだ力の消耗が激しい。本来大した事のないはずの距離で息が上がりそうになる。
「はあ、はあ。もうエネルギー切れなんて」
「ユカリ、あそこで休もう」
木々の隙間に着地して一休みするが……。
「よし、出発。そういえばあたい達、今どこにいるんだっけ?」
「ごめん、完全に現在地が分からなくなっちゃったみたい」
「ユカリのバカー、どうすんだよ」
「チルノも飛んでみようって言ったじゃないの」
「まさかあたいもここまで飛べなくなってるって思わなかったんだよ。そもそも神社に行くって言いだしたのはユカリだろ」
「ついていくって言ったのはチルノでしょ」
「ん~あたいも悪かったよ」
「ごめん私も言い過ぎたわ、とりあえず貴方は休んでいて、私がちょっとだけ飛んで位置を確かめるから」
今は神社に行くのは諦めよう、少し飛び上がってあたりを見ると、里の方角はすぐに分かった。
「ああ、妖怪的にはすぐ近くなのに。人間はこんな苦労をしているのか」
私とチルノはぴょんぴょんと跳躍と休憩を繰り返して,どうにか里に帰り着いた。
「服がボロボロだよ」
「動きやすい服が欲しいわね」
仕方なく慧音にこの事を報告した後、紹介された仮の寝床へとぼとぼ歩く。神社の方角を見やるが、青々と茂る木々以外には何も見えなかった。いったい幻想郷に、博麗神社に何があったのだろう。慧音に尋ねてみたが、私たちと同じように能力が減衰してよくわからないと言っていた。今はただ、疑問より疲労感の方が強かった。
「動きやすい服装だね。布は最近手に入りにくいけど、いくつか見繕ってあげるよ」
里の古着屋で、人の良さげな中年の女性はそう言って私のサイズを測った。
売り物の服の中から私のサイズに合うものを選び、いくつか試着させてくれた。
その中で私の好みと動きやすさをできるだけ兼ね備えた服を選ぶ。
「そちらの妖精の子はいいの?」
「あたいはもともとこういう姿で世に現れたからいいの」
チルノの服はなんだかんだで再生していた。わたしも動きやすい格好の姿を念じればその服が生成されるはずだけど、あまり服に対するイメージがわかないのか、力が衰えたためなのかうまくいかなかった。それを慧音に相談したらここを紹介されたのだ。
若草色のシャツと白い半ズボン、黒い長めの靴下を選び、そして服のお店なのに、その女性が昔使っていた薄茶色の靴を履かせてくれた。そして頭にはいつもの帽子に羽飾りのアクセントをつけてもらった。
「里の恩人だからお代は結構、と言いたいところだけど、うちも結構きついから、ある時払いでお願いできるかしら」
きついと言いつつ『ある時払い』と言ってくれる。種族を超えて、素直にいい人だと思う。
「もちろんです、なるべく早く払います。ありがとうございます」
私はぺこりとお辞儀をして店を出る。チルノはおばさんまたね、とラフにあいさつした。けっこう動きやすい良い感じの服だ。いつか必ずお礼しなければね。
旅の目的と言えば、私は元の世界に帰るための手がかり、チルノは散り散りになったらしい友達を探す事。一人で行っても良いのだけど……。
「チルノ、あなたも一緒に来るかしら」
「あたいもユカリと一緒に行くよ」
「本当? また迷惑をかけちゃうかも知れないけど」
「こんなご時世だし、ユカリはアタイがいないと危なっかしいからな、ついて行ってやるよ」
「言うようになったわね」
こうして軽口を叩きあうのは久しぶりだ、私は特に精神面でこの子に助けられている。
その後、慧音に仕立屋を紹介してくれたお礼を言い、またこの里を離れるが特に行先は決まっていない事を告げると、もし余裕があるなら、と用事を頼まれる。
「紅魔館のメイド長にこの食べ物と、ちょっとした雑貨を届けてやってくれないか」
「十六夜咲夜かしら、彼女も生きているのね」
「そう、彼女は主たちが消えた後もずっと一人で暮らしている。里で暮らさないかとたびたび勧めたんだが、主たちが帰ってくるまでここを離れるわけにはいかないの一点張りでね、人間の守護者として放って置けないんだ」
紅魔館すらもこうなっていたとは。この世界の霊夢や、幽々子、藍や橙は無事だろうか。
そして、慧音がこうするのは、もちろん単に義務感だけでなく、大切な誰かを失った者どうし、他人事には思えないからに違いない。
「もちろん、この里に置いてくれたお礼もしたいし、承ります」
「ありがとう、念のため地図を渡しておくよ」
個人的なことをいえば情報収集にもなるしね。
「行きましょう、チルノ。イベント開始よ」
「おっけー」 チルノは相変わらず元気だ。
私は食料や雑貨の入った背嚢を背負い、チルノに地図を持たせて出発した。
湖に通じる林は、私が目を覚ました地点に比べて、どこか物理的な生命力も衰えているように見受けられた。単純に言うと枯れかけた木が多いのだ。こうした領域が広がる前に手を打つ必要があるが、どうすれば良いのだろうか。
チルノはどう感じるか聞こうとすると、歩きながら地図を見て首をかしげている。
「どうしたの?」
「ユカリ、これなんなんだろう?」
「どれ、見せて」
「ほら、里から湖に向かって、ムカデみたいな線が引いてある」
それは少し曲がりくねった線にトゲトゲが付いているもので、地図の里から湖に向かって伸びており、また里から別の場所にもいくらか伸びていた。
これはもしや、と思って辺りを見回すと、すぐにそれが見えた。
まばらな草花や乾いた土に線路が埋もれている。運行されなくなってからだいぶ時間がたっている。
「これ鉄かなんかの細長い金属が続いているよ」 チルノも気が付いた。
「これは鉄道の線路ね」
「てつどう? せんろ?」
「基本的に細長い鉄の棒が二本あって、それがこの枕木という材木でくっついていて、その上を大きな車輪付きの箱とかが走るの、人や物を運ぶ道具ね」
チルノは線路に興味を持ったらしく、片方のレールに乗って両手でバランスを取りながら歩きだした。
「よっ、と。人間はこんな細長いところを荷物とかもって歩くのかあ?」
「二本のレールにまたがって進むのよ」
「そっかぁ」
やがてチルノがレールの上を歩くのに飽きて、とんっと音を立ててレールから降りた。大体その時に森が終わって視界が開けてきた。
線路の先には外界のバスや路面電車の停留所に似た施設があって、その少し手前から枝分かれした線路の先には車庫らしき建物があり、いずれにしろそこで線路は終わっていた。終端には×の字が書かれた板を貼った丸太が差してある。森の外は茶色い地面が広がっていて、地図上はとっくに見えているはずの霧の湖はまだ見えてこない。
「もう湖が見えてきても良さそうなんだけど」
「あれ、この地面変だぞ、茶色くて、ひびが入ってて、干からびた魚が落ちてる」
チルノに言われて地面を見て合点がいった。湖だったかなりの部分が乾いていたのだった。
「湖、なんでこんなになっちゃったんだろう」
「わからん、でも妖精仲間は少なさそう」
そういえば、どうやって湖を渡るかの算段を忘れていた。空を飛べば何とかなるだろうと思っていたが、長距離を飛べなくなっていたんだった。これを不幸中の幸いと言って良いのか。それでも他に方法もないので乾いた湖をひたすら歩く、歩く。干からびた魚たちが哀れに思える。そしてようやく水のある所にたどり着く。紅魔館へはまだ距離がある。飛んでいけるかは微妙だ。
「あっ、小舟があるよ」 チルノが指さす。そこに三艘の手漕ぎ船があった。
私達はその小舟の一つに穴が開いていないことを調べてから乗り込み、オールを漕ごうとすると、湖面から二人の妖怪が顔を出した。
「やあ、この先のお屋敷に行くのかい、霧で迷って結構危ないから私が案内するよ」
河童の河城にとりが言う。妖怪の山から移住してきたのだろう。
彼女を遮るようにもう一人の妖怪が喋った。
「いやいや、この湖は私の方が住んでいて長いから、私の案内の方が確実です」
彼女は下半身が魚になっている、確かわかさぎ姫だったか。
「仕事を取らないでおくれよ」
「ここは私とお魚さん達の領域だって言ったでしょ」
「私ら河童だって水の住人だよ、差別するな」
「あんた達の機械のせいで水が汚れそうで嫌なのよ」
「水を汚すなんてしない、それに機械造りは私らのライフワークだ、やめるわけにいくか」
二人は口論を始めた。それぞれ私に同意を求めてくる。
「妖怪さん、この河童ひどいのよ、よそからやってきてもっと湖の領域よこせって」
とわかさぎ姫。
「こっちだって居候の自覚ぐらいあるよ、なのに狭い範囲で暮らせっていうんだ」
「河童は陸でもある程度生きられるでしょう?」
「この幻想郷じゃ、人が居るか、謂れのある場所じゃなきゃ存在を維持するのが大変なんだ。君も分かるだろ、河童が水から離れたら、河童という存在があやふやになって、消えてしまうかも知れないじゃないか」
「私達だって自分の種族だけでいっぱいいっぱいなのよ」
チルノが割って入る。
「おい、けんかよりも弾幕ごっことかで、スマートにけりをつければいいじゃん」
「チルノ、今それどころじゃないのよ」
「妖精のあんたには関係ないよ!」 にとりが言う。
「何だと! 妖精をバカにするな」
「バカにしないが、この場はお呼びじゃないんだよ」
こんなギスギスした空気は辛い。
「もう、いい加減にしなさい!」
私はとりあえず三人を黙らせ、事情を聞いてみる事にした。
河城にとりの住んでいた妖怪の山も幻想成分が少なくなり、仲間が消えるなり幻想郷の外に脱出するなりして数が減ったという。
「それで、こいつがこの湖に流れてきた時、かわいそうに思ってここに置いといたんだけど、仲間を呼んできて、私たちの領域が狭くなっちゃったんだ」
「そりゃ、ここの住人には悪いなと私も思うさ、でもここにたどり着くまでに消えた仲間もいたし、人里で商売しようにも、たどり着く前に幻想成分が薄くなって消滅しかかったんだ」
これにはわかさぎ姫も驚いたようだ。
「……それは初めて聞いたわ、そっちにもいろいろ追い詰められていたのね、でもごめん、河童の機械にお魚さん達が怖がっているの」
一応最悪の事態は避けられそうだけど、うまく棲み分ける方法はないかしら?
「じゃあ、機械だけでも普段は岸に上げておくのはどう」 私は提案した。
「それくらいならできると思う」
生きるためのリソース不足による軋轢を根本的に解決するのはとても難しい。
「ところでさ、君らは紅魔館に行くのかい」 にとりが尋ねた。
「忘れていた、これをそこのメイドに届けるよう頼まれたんだった」
「そのメイドは人間でね、時々里へ買い出しに行くときにここを通るんだけど、私らは人間に存在を認識されないと消えるからさ、どっちがメイドを先導するかで取り合いになるんだよ。」
「ねえ、河童さん、この前貴方が案内したんだから今度は私にやらせて下さいな」
「でもなあ……」
ここでまた険悪な雰囲気になったら困る。何より私とチルノのテンションが下がる。
どうしたら……と考えていると、ざざざ、と湖から何か大きなものが盛り上がってきて……。
「あいつが来た!」 にとりが叫んだ。
そのころ式たちは……
「なんて進みにくいんだ、木がまとわりついてくるみたいだ」
「にゃあ」
「いや大丈夫だ橙、紫様が神社に向かったそうだからな」
なんとか突破を試みる一人と一匹。
「いっそ狐火でここいら一帯を……いや今やったら盛大な焼身自殺だ」
「にゃあ」
神社への道のりで悪戦苦闘し、結局神社訪問は断念した。
「まず先に聞いておくが、きみは本当に別の世界から来たんだな?」
「ええ、たぶん」
「そして、自分が幻想郷の八雲紫だと認識しているが、ここに来るまでの記憶がないと?」
「そうよ」
慧音は目を細めて私を見る。だが疑いを抱いていそうな目つきはすぐに消え、もとの雰囲気に戻った。
「……そうか、失礼、ではこの世界についての授業を始めよう」
「懐かしい雰囲気だなー」 とチルノが足をばたばたさせている。
「ここは昔、幻想郷の賢者達による、幻想の存在達がやって来る楽園、というか一種の避難所だったんだ」
それはこっち側の幻想郷も同じだ。慧音先生は黒板に図を描いて、外の世界で忘れ去られたり、否定されたりした何かが自動的に幻想郷にやってくるシステムがあるのだと私たちに説く。そのシステム維持の中心人物はこの世界の八雲紫だ。
「でも、昨年から急に幻想郷と外界を隔てる博麗大結界が力を弱め、現実の要素が入り込んできた、あるいは幻想が流れ出ていったんだ。まるで水を張った桶に穴が開いて、水が流れ出してしまったように」
「霊夢は、博麗の巫女はどうしたの?」
「わからない、私も力を失って、歴史をのぞけなくなってしまった」
「それは……」
そこまで言うと、慧音は口ごもり、視線を逸らす。それからゆっくりと独り言のように打ち明けた。
「正直、霊夢はその前後から行方知れずになっていた。妹紅もだ」
「それは……」
私は何か言葉をかけようとしたが、なにも言えなかった。もちろん自分はこの異変に関与していないはずだが、この世界の私が関わっているであろうこの事象に、ただただ打ちのめされるだけだった。
「それでも有志の努力で結界がいくらか修復され、幻想の流失は緩やかになっていったんだ。これで復興かと思いきや、今度は君らが戦った、あのもや、『外界の風』が現れた。そいつらは、幻想成分の多い妖怪や妖精をはじめとして、人間でも霊感の強いものを次々に……捕食していった」
温かい季節なのに、さらに空気が冷たく重くなる気がした。
私は生徒のように慧音に発言の許しを求めた。
「私たちがあの黒いもやをやっつけた時、体内には誰もいませんでした。ただ幻想成分が解放されていくのを感じました。その力の一部が私とチルノに入ってきて、力が回復したんだけど、これでは人を喰ったも同然……」
元の世界の霊夢が聞いたら何て言うだろう。
「ユカリ、なんで落ち込むの? みんなを食べたのはあいつ等じゃん」
もう人を食べる事はしないつもりだったのに、そのタブーを自ら破ってしまった。
見るに見かねたのか、慧音がこう言ってくれた。
「たぶんだけど、君たちが外界の風を退治した時、それに食われてエネルギーにされた者たちは解放されて、幻想郷のどこかで何者かに転生した、そう私は信じるよ。物質もエネルギーも循環していくものだからな」
「んでその時、みんながお礼に力を分けてくれた……つー解釈はどうかな」
「ありがとう、そう、きっとそうね」
私はそのように応えたが、都合の良い解釈ではある。でも少しだけ楽になった。
何百年も前とは言え、私も人を喰らっていたのにね。
「話は変わるが、君たちは、これからどうするんだい」
「私は元の世界に帰る手がかりを見つけたい。とりあえず、博麗神社に行ってみようと思うの」
「あたいは大ちゃん達を探したい。神社のほうはまだ探してないから、ついでにユカリと一緒に行ってもいいよ」
「ありがとうチルノ」
「もし困ったことがあったら、いつでもこの里に戻ってくるといい、こちらも生活は楽とは言えないが、できるだけの事はする」
この世界の慧音も責任感あふれる人里の守護者だった。悲しみを抱えつつもそうあろうとしている。現状では私なんかよりずっと幻想郷の賢者にふさわしい、そう思えた。
「ホントにこっちで合ってるの?」
「確かに石段があるんだけど、木が邪魔で通れない」
神社への道のりは想像を絶する厳しさだった、最初は軽いピクニック気分でいけるかと思いきや、あちこちに木々が生い茂り、石段はもちろん、神社に続く山道も通れない。歩いているだけで服や肌が擦り傷だらけになりそうだ。
「いててて、ここまで破れると弾幕ごっこで負けたみたいになっちゃう」
「空さえ飛べればいいんだけど」
「そうだった、少しは力も戻ってるっぽいからいけるかも、そ~れっ」
思い切って私たちは飛ぼうとしたが、まだ力の消耗が激しい。本来大した事のないはずの距離で息が上がりそうになる。
「はあ、はあ。もうエネルギー切れなんて」
「ユカリ、あそこで休もう」
木々の隙間に着地して一休みするが……。
「よし、出発。そういえばあたい達、今どこにいるんだっけ?」
「ごめん、完全に現在地が分からなくなっちゃったみたい」
「ユカリのバカー、どうすんだよ」
「チルノも飛んでみようって言ったじゃないの」
「まさかあたいもここまで飛べなくなってるって思わなかったんだよ。そもそも神社に行くって言いだしたのはユカリだろ」
「ついていくって言ったのはチルノでしょ」
「ん~あたいも悪かったよ」
「ごめん私も言い過ぎたわ、とりあえず貴方は休んでいて、私がちょっとだけ飛んで位置を確かめるから」
今は神社に行くのは諦めよう、少し飛び上がってあたりを見ると、里の方角はすぐに分かった。
「ああ、妖怪的にはすぐ近くなのに。人間はこんな苦労をしているのか」
私とチルノはぴょんぴょんと跳躍と休憩を繰り返して,どうにか里に帰り着いた。
「服がボロボロだよ」
「動きやすい服が欲しいわね」
仕方なく慧音にこの事を報告した後、紹介された仮の寝床へとぼとぼ歩く。神社の方角を見やるが、青々と茂る木々以外には何も見えなかった。いったい幻想郷に、博麗神社に何があったのだろう。慧音に尋ねてみたが、私たちと同じように能力が減衰してよくわからないと言っていた。今はただ、疑問より疲労感の方が強かった。
「動きやすい服装だね。布は最近手に入りにくいけど、いくつか見繕ってあげるよ」
里の古着屋で、人の良さげな中年の女性はそう言って私のサイズを測った。
売り物の服の中から私のサイズに合うものを選び、いくつか試着させてくれた。
その中で私の好みと動きやすさをできるだけ兼ね備えた服を選ぶ。
「そちらの妖精の子はいいの?」
「あたいはもともとこういう姿で世に現れたからいいの」
チルノの服はなんだかんだで再生していた。わたしも動きやすい格好の姿を念じればその服が生成されるはずだけど、あまり服に対するイメージがわかないのか、力が衰えたためなのかうまくいかなかった。それを慧音に相談したらここを紹介されたのだ。
若草色のシャツと白い半ズボン、黒い長めの靴下を選び、そして服のお店なのに、その女性が昔使っていた薄茶色の靴を履かせてくれた。そして頭にはいつもの帽子に羽飾りのアクセントをつけてもらった。
「里の恩人だからお代は結構、と言いたいところだけど、うちも結構きついから、ある時払いでお願いできるかしら」
きついと言いつつ『ある時払い』と言ってくれる。種族を超えて、素直にいい人だと思う。
「もちろんです、なるべく早く払います。ありがとうございます」
私はぺこりとお辞儀をして店を出る。チルノはおばさんまたね、とラフにあいさつした。けっこう動きやすい良い感じの服だ。いつか必ずお礼しなければね。
旅の目的と言えば、私は元の世界に帰るための手がかり、チルノは散り散りになったらしい友達を探す事。一人で行っても良いのだけど……。
「チルノ、あなたも一緒に来るかしら」
「あたいもユカリと一緒に行くよ」
「本当? また迷惑をかけちゃうかも知れないけど」
「こんなご時世だし、ユカリはアタイがいないと危なっかしいからな、ついて行ってやるよ」
「言うようになったわね」
こうして軽口を叩きあうのは久しぶりだ、私は特に精神面でこの子に助けられている。
その後、慧音に仕立屋を紹介してくれたお礼を言い、またこの里を離れるが特に行先は決まっていない事を告げると、もし余裕があるなら、と用事を頼まれる。
「紅魔館のメイド長にこの食べ物と、ちょっとした雑貨を届けてやってくれないか」
「十六夜咲夜かしら、彼女も生きているのね」
「そう、彼女は主たちが消えた後もずっと一人で暮らしている。里で暮らさないかとたびたび勧めたんだが、主たちが帰ってくるまでここを離れるわけにはいかないの一点張りでね、人間の守護者として放って置けないんだ」
紅魔館すらもこうなっていたとは。この世界の霊夢や、幽々子、藍や橙は無事だろうか。
そして、慧音がこうするのは、もちろん単に義務感だけでなく、大切な誰かを失った者どうし、他人事には思えないからに違いない。
「もちろん、この里に置いてくれたお礼もしたいし、承ります」
「ありがとう、念のため地図を渡しておくよ」
個人的なことをいえば情報収集にもなるしね。
「行きましょう、チルノ。イベント開始よ」
「おっけー」 チルノは相変わらず元気だ。
私は食料や雑貨の入った背嚢を背負い、チルノに地図を持たせて出発した。
湖に通じる林は、私が目を覚ました地点に比べて、どこか物理的な生命力も衰えているように見受けられた。単純に言うと枯れかけた木が多いのだ。こうした領域が広がる前に手を打つ必要があるが、どうすれば良いのだろうか。
チルノはどう感じるか聞こうとすると、歩きながら地図を見て首をかしげている。
「どうしたの?」
「ユカリ、これなんなんだろう?」
「どれ、見せて」
「ほら、里から湖に向かって、ムカデみたいな線が引いてある」
それは少し曲がりくねった線にトゲトゲが付いているもので、地図の里から湖に向かって伸びており、また里から別の場所にもいくらか伸びていた。
これはもしや、と思って辺りを見回すと、すぐにそれが見えた。
まばらな草花や乾いた土に線路が埋もれている。運行されなくなってからだいぶ時間がたっている。
「これ鉄かなんかの細長い金属が続いているよ」 チルノも気が付いた。
「これは鉄道の線路ね」
「てつどう? せんろ?」
「基本的に細長い鉄の棒が二本あって、それがこの枕木という材木でくっついていて、その上を大きな車輪付きの箱とかが走るの、人や物を運ぶ道具ね」
チルノは線路に興味を持ったらしく、片方のレールに乗って両手でバランスを取りながら歩きだした。
「よっ、と。人間はこんな細長いところを荷物とかもって歩くのかあ?」
「二本のレールにまたがって進むのよ」
「そっかぁ」
やがてチルノがレールの上を歩くのに飽きて、とんっと音を立ててレールから降りた。大体その時に森が終わって視界が開けてきた。
線路の先には外界のバスや路面電車の停留所に似た施設があって、その少し手前から枝分かれした線路の先には車庫らしき建物があり、いずれにしろそこで線路は終わっていた。終端には×の字が書かれた板を貼った丸太が差してある。森の外は茶色い地面が広がっていて、地図上はとっくに見えているはずの霧の湖はまだ見えてこない。
「もう湖が見えてきても良さそうなんだけど」
「あれ、この地面変だぞ、茶色くて、ひびが入ってて、干からびた魚が落ちてる」
チルノに言われて地面を見て合点がいった。湖だったかなりの部分が乾いていたのだった。
「湖、なんでこんなになっちゃったんだろう」
「わからん、でも妖精仲間は少なさそう」
そういえば、どうやって湖を渡るかの算段を忘れていた。空を飛べば何とかなるだろうと思っていたが、長距離を飛べなくなっていたんだった。これを不幸中の幸いと言って良いのか。それでも他に方法もないので乾いた湖をひたすら歩く、歩く。干からびた魚たちが哀れに思える。そしてようやく水のある所にたどり着く。紅魔館へはまだ距離がある。飛んでいけるかは微妙だ。
「あっ、小舟があるよ」 チルノが指さす。そこに三艘の手漕ぎ船があった。
私達はその小舟の一つに穴が開いていないことを調べてから乗り込み、オールを漕ごうとすると、湖面から二人の妖怪が顔を出した。
「やあ、この先のお屋敷に行くのかい、霧で迷って結構危ないから私が案内するよ」
河童の河城にとりが言う。妖怪の山から移住してきたのだろう。
彼女を遮るようにもう一人の妖怪が喋った。
「いやいや、この湖は私の方が住んでいて長いから、私の案内の方が確実です」
彼女は下半身が魚になっている、確かわかさぎ姫だったか。
「仕事を取らないでおくれよ」
「ここは私とお魚さん達の領域だって言ったでしょ」
「私ら河童だって水の住人だよ、差別するな」
「あんた達の機械のせいで水が汚れそうで嫌なのよ」
「水を汚すなんてしない、それに機械造りは私らのライフワークだ、やめるわけにいくか」
二人は口論を始めた。それぞれ私に同意を求めてくる。
「妖怪さん、この河童ひどいのよ、よそからやってきてもっと湖の領域よこせって」
とわかさぎ姫。
「こっちだって居候の自覚ぐらいあるよ、なのに狭い範囲で暮らせっていうんだ」
「河童は陸でもある程度生きられるでしょう?」
「この幻想郷じゃ、人が居るか、謂れのある場所じゃなきゃ存在を維持するのが大変なんだ。君も分かるだろ、河童が水から離れたら、河童という存在があやふやになって、消えてしまうかも知れないじゃないか」
「私達だって自分の種族だけでいっぱいいっぱいなのよ」
チルノが割って入る。
「おい、けんかよりも弾幕ごっことかで、スマートにけりをつければいいじゃん」
「チルノ、今それどころじゃないのよ」
「妖精のあんたには関係ないよ!」 にとりが言う。
「何だと! 妖精をバカにするな」
「バカにしないが、この場はお呼びじゃないんだよ」
こんなギスギスした空気は辛い。
「もう、いい加減にしなさい!」
私はとりあえず三人を黙らせ、事情を聞いてみる事にした。
河城にとりの住んでいた妖怪の山も幻想成分が少なくなり、仲間が消えるなり幻想郷の外に脱出するなりして数が減ったという。
「それで、こいつがこの湖に流れてきた時、かわいそうに思ってここに置いといたんだけど、仲間を呼んできて、私たちの領域が狭くなっちゃったんだ」
「そりゃ、ここの住人には悪いなと私も思うさ、でもここにたどり着くまでに消えた仲間もいたし、人里で商売しようにも、たどり着く前に幻想成分が薄くなって消滅しかかったんだ」
これにはわかさぎ姫も驚いたようだ。
「……それは初めて聞いたわ、そっちにもいろいろ追い詰められていたのね、でもごめん、河童の機械にお魚さん達が怖がっているの」
一応最悪の事態は避けられそうだけど、うまく棲み分ける方法はないかしら?
「じゃあ、機械だけでも普段は岸に上げておくのはどう」 私は提案した。
「それくらいならできると思う」
生きるためのリソース不足による軋轢を根本的に解決するのはとても難しい。
「ところでさ、君らは紅魔館に行くのかい」 にとりが尋ねた。
「忘れていた、これをそこのメイドに届けるよう頼まれたんだった」
「そのメイドは人間でね、時々里へ買い出しに行くときにここを通るんだけど、私らは人間に存在を認識されないと消えるからさ、どっちがメイドを先導するかで取り合いになるんだよ。」
「ねえ、河童さん、この前貴方が案内したんだから今度は私にやらせて下さいな」
「でもなあ……」
ここでまた険悪な雰囲気になったら困る。何より私とチルノのテンションが下がる。
どうしたら……と考えていると、ざざざ、と湖から何か大きなものが盛り上がってきて……。
「あいつが来た!」 にとりが叫んだ。
そのころ式たちは……
「なんて進みにくいんだ、木がまとわりついてくるみたいだ」
「にゃあ」
「いや大丈夫だ橙、紫様が神社に向かったそうだからな」
なんとか突破を試みる一人と一匹。
「いっそ狐火でここいら一帯を……いや今やったら盛大な焼身自殺だ」
「にゃあ」
神社への道のりで悪戦苦闘し、結局神社訪問は断念した。