「あちゃー。またやったよ、いやまだいけるかな……」
菫子が時計をほっぽり出してベッドから転げ出る。夢の中での幻想郷はあまりに刺激的で、よく寝過ごしてしまう。それに比べて起床後の生活の平凡さときたら……学校が潰れるくらいの非日常アクシデントが一つや二つ起きてほしいものである。
でも今日は学校に間に合いそうな時分だ。眼鏡を掛け、重たい体に鞭を打ち這うように動く、殺人的な冷水の洗顔を終え、牢獄の囚人服もとい学校指定の制服に着替える。すると登校してやらなくもないぞ、という気になる。こんな騙し騙しの生活をしているのはいつからだったか覚えていない。朝食は時間が無いからパス。
「いってきまーす」
誰に言うでもなく言葉にしてドアを押せば、つまらないと思っていても、戻る方が面倒になってしまうものだ。
腹ぺこになった代わりに、余程のことがなければもう遅刻しない状況になっていた。
女子高生といえば、遅刻しそうなときに食パンかじって曲がり角で異性にごっつんこ、そんな形式美のアクシデントがある。でも主たる高校生は生活態度やら内申書を気にしてしまう生き物なわけで、登校中は何事も無いことを祈るばかり。
昔からオカルト超常現象を夢見ていた菫子も、その辺りから完全に目をそらすことはできない。結局危なげも無く階段を上がって四階の教室に到着した。
「おはようー」
有象無象の顔見知りに気のない挨拶をして、鞄を机の袖フックにかけて席に着く。菫子の席は窓際の最後尾という一等席で気に入っている。主に寝やすいから。
初めは四階からの景色も期待していたが。近くにはマンションや狭い土地に無理して建てた三階建てやら、見ているだけで窮屈。遠景もビルに阻まれ、四季の移ろいも乏しい。ビルの合間から奇跡的に海が見え、それをオーシャンビュー等とのたまう輩もいるが、横より縦に長くトリミングされた斬新すぎるビューはとても菫子の琴線には触れない。むしろ人工物に囲まれた中の不純物という方が幾分正確だ。
「今日は転校生を紹介する、一日でも早く学校になじめるように助けてあげるように」
いつの間にか初老の眠そうな担任教師が到着していた。彼は古典の教師でもあり、その古びた感性からか事を荒立てず淡々と説明している。
教室は色めきだっていたが、菫子も淡白なハプニングに思えた。元より孤独に趣味に耽る体質であったし、もっと興味を惹くものがぶら下がっていれば誰でもそうなる。
猫の額ほどの海に船が横切るのを眺めているうちに、うつらうつら自分も船を漕いでいた。
転校生よりも幻想郷を見た方が、よほど面白い……夢にまで見た夢の世界の魅力に……現実世界はかなわないよ……
「あんた、まーた来たの」
ゆっくり振り向く紅白巫女のなびいた髪が菫子の目端に映った。
夢の中ではまず神博麗社が何をするにも都合が良いのだ。安全だし色んな状況が分かるし、運が良ければお茶も出てくる。今回もそのセオリー通り。
「おはよう霊夢!」
「寝てこっち来てるんだから、おやすみじゃないの」
「じゃあおやすみ?」
「はい、また明日ね。今は構ってる暇ないんだから」
とてもお茶が出る雰囲気ではなかった。よく見ればお祓い棒を持っていて何処かに行く前の装い。
「何かあったの? 私も一緒に行ってみようかな」
「里のすぐ外に妖怪がいるらしいのよ、あんたは神社でゆっくり休んでて。箒なら倉にあるから、はたきは茶の間の引き出し、雑巾はそこの竿に干してある」
「うわー、ゆっくり感ゼロじゃん」
「博麗流ゆっくり休むはそうなの、じゃあね」
雑巾を投げ渡されて霊夢は飛んでいってしまった。
「ちぇっ」
幻想郷に来ることは基本的にそんなに歓迎もされてはないようだ。一応正式に招待されたらしいが、その招待というのも上から目線で気にくわない。その前に自力で幻想郷に繋がったのに。褒めてくれやしない。勝手にやってるから仕方ないが。
「まあ、郷に入っては何とやら……なんて古い言葉に従うのも癪だ」
菫子は縁側の一部分を雑巾で撫でただけで霊夢の後を追うことにした。幻想郷にいられる限られた時間を掃除でつぶすなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある。 テレポートでこっそりと後ろに着きたかったが、飛ぶとあまりにも遮蔽物が無くてバレそうで、地上の方から小刻みに追跡した。ただでさえ勘の良さそうな霊夢を尾行するんだから、慎重な位が丁度良い。俄然面白くなってきた。
木陰を縫い進み、長屋のひさしの影に潜み、物見櫓らしき所の上から様子をみる。里の人にやたら白い目を向けられたが仕方がない、制服が目立ち過ぎるのだ。学校では没個性なのに幻想郷では最高に自己主張が激しいから困る。
尾行って周りの人に見られるのが恥ずかしい。菫子がやきもきしていると霊夢が降下していくのが見えた。
巫女が出動する妖怪が出る。その場所にわくわくしていたが、霊夢が降り立ったのは里から少し外れた所にぽつんとある土蔵だった。濃色の灰色っぽい屋根瓦が妙に厳かさを出している。霊夢は辺りを確認して引き戸を開けて入っていった。
「あそこに居るのかな?」
菫子は物見櫓から身を乗り出して様子をうかがう。
倉の隣に土を盛った細長いドームみたいなのがあって、煙突が飛び出ている。歴史の教科書や資料集から得た朧気な知識によると何かの窯だろうか。
どちらにせよ里外とはいっても生活圏ではありそう。もし恐々とした化け物が出るなら確かに一大事。
しかし霊夢が入ってから特に動きが無い、サザエさんのエンディングばりに倉が飛び上がると思ったのにおとなしいもんだ。
どうするか悩んでいると、下から石が飛んで来た。危うく落っこちそうになるが、冷静に見ると当たりようも無い角度だ。届かずに重力落下する石を目で追うと、里の人が群がって来ていた。身を乗り出してよく見よう
「馬鹿野郎、石なんて投げて刺激したら喰われるかもしれないぞ」
「バザーに行こうと思っていたのに、家財が心配だし家に居よう」
「あの倉から出てきた妖怪にちがいないさ。見てごらんあの眼鏡、返り血で赤く染まってるよ」
ひどい言われようだ。赤いフレームの眼鏡は精一杯のオシャレだというのに。とはいえ近くに妖怪が出ているから里の人も警戒心が強くなるのも道理かもしれない。
「あの、違いますー。直ぐ居なくなりますからー」
倉の前までテレポートで移動した。
「妖怪じゃ無いっての。私ってそんなに怖い顔してるのかな」
への字口のまま菫子は倉の外周を歩く。近くでみるとなかなか立派な土蔵で、妖怪が鎌首をもたげているとは思えない。中にお宝でもありそうな気配さえする。
菫子は開け放たれた幾つかの窓を発見した。音を殺し、忍者の気分でその中の一つからそっと中を覗く。
「あ、菫子! なんで居るのよ!」
「うわ、バレたでござる」
ギラついた霊夢の声が飛んでくる。
これは失敗。少ない光源の前を遮ったらバレバレだ。板張りの床に自分の影がくっきりとシルエットを作っていた。
自分と霊夢以外の影が地面に蠢いているのを見て菫子は首を傾げる。
「あれ、他に誰かいるの?」
「居ないわよ、それより掃除は」
菫子は後ろを振り向いた、雲一つ無い澄みわたる青。辺りを見回しても他に影を生む物なんてない。
「霊夢! たぶん後ろに何かいるよ!」
「むっ」
霊夢が振り向くと謎の影溜まりが滑るように動き始めた。影から黒くて大きなナイフのような物が出ている。それが地面を斬り開くが如く、動いているのだ。
「この三角お化けめ!」
霊夢お得意の御札を飛ばすが、影は地を這って難なく躱し、間合いをとるようにぐるぐると霊夢の周りを旋回し始めた。素早く狙いが定めにくい。
「なんだろう、何処かで見たような光景だなぁ……映画みたいというか、ヒレ?」
「菫子、居るんならちょっとこいつの動き止めといてよ」
「ふっふっふ、御意」
要望に応えて菫子はESPカード手裏剣を窓から投げ込む。忍者の気分はまだ抜けていない。
しかし動かれるとそう当たる物でもなく、空しく地面に突き刺さって終わった。
「なら火遁で脅かしてやる!」
本当はパイロキネシスだけど。
心の中で突っ込みつつ中に炎を出現させようとしたが、湿気た煙が一筋出て終わってしまった。
「あら、なんか調子悪いかも……」
「ちょっと、こんな所で火使って万一焼け死んだらどうするのよ」
確かに。菫子は無意識の自制心に感謝した。
影はうねって怒り露わで霊夢に向かい、影から闇のように黒い頭を出した。大きく尖った顔に大口を開いた顎、鋭い歯、まごうこと無く鮫そのものだ。
「思い出した、ジョーズっぽい!」
菫子が驚きと合点で声を上げるが、霊夢の方は冷静に身を翻していた。影の鮫はそのまま床板にダイブするように沈み、また背ビレだけ出して霊夢と間合いをとっている。
想像以上にヤバイ状況と確信し、菫子はもう一度カード手裏剣を手に構えた。
「菫子窓から離れて」
「え、何で?」
「影、影!」
必至に指をさす霊夢。見ると鮫が旋回を外れ明後日の方向に向かっている。
「あ、私の……」
影に向かって来てるんだ。菫子は窓から頭を引っ込めた。視界の端に口を開けてかぶり付こうとしている鮫の姿が流れた。
「うひぃっ」
頭の芯を寒気が襲い菫子は宙でよろめいてしまった。
ちょっと囓られたのだろうか。頭を抱えている間に表の扉が開き霊夢が飛び出て来た。
「ほら、ぼさっとしない」
菫子は霊夢に手を引っ張られ、強引に瓦屋根に上った。斜面に着地してがちゃがちゃ瓦を踏み鳴らし、菫子はバランスが取れず座り込んだ。
「く、くらっと来たけど大丈夫……ってまだ居るし!」
寒気はすぐに治まったが屋根は安地でも無いらしく、向かいから瓦屋根でもお構いなしに背ビレが急速に突進していた。
「飛んで逃げ……」
「まって、今飛んだら影が食べられる」
陽を背負っていた。上に行ったら影は鮫まっしぐらになってしまう。かといって座った状態から俊敏にはとても動けそうに無い。普段の運動不足が恨めしい。
「ピンチじゃん!」
「あんたも便利なのあるでしょ、隣の窯に行くのよ」
「あ、そっか」
いざという時、普段思いつくことが出てこない物だ。菫子は目を瞑って念じた。
「テレポート、ガチ便利!」
ぱっと視界が移り変わり、隣にあった窯の上。肩すかしを食らった鮫は屋根の上で狼狽している。空を咬みながら自分が食べたのか確認している姿は実に滑稽で愉快だ。
「口に火突っ込んで爆ぜさせてやる! ジョーズのようにね!」
菫子は今度こそ炎で焼き払うつもりだったが、またも上手く火が熾きず、くすんだ煙が少し出ただけだった。しかも要らぬ口上で気づかれて、鮫が威嚇するように暴れている。
「あ、あれー? ご立腹に」
菫子は己の自制心を呪った。
「何やってんだか」
隣に出てきた霊夢が睨んでいるうちに、鮫が憤りつつも屋根に沈んだ。こっちまでは来られないようだ。霊夢がほっと息を吐いて菫子の頭を小突く。
「掃除しとけって言ったのに、大丈夫?」
「あたっ、掠っただけだから平気。びっくりしたよー、なにあのジョーズ」
「ジョーズってなによ」
「鮫だよ、BGMの重要さを教えてくれる偉大な鮫さ」
「ああ、鮫なのね……アイツ」
「そっか幻想郷は海無いもんね、実際見るとびっくりだよね」
鮫の背ビレなんて菫子も生で見たことはないが、自分の知識が役に立つのなら嬉しさが芽吹く。
「図鑑で見たけど動きまではね。別に鮫が服着て月の姫やってたとしても驚きはしないけど」
なんだそれ、基準がぶっ壊れてる。嬉しさは枯らしておこう。
「でも影の鮫なんてあれだよね、厨二病がそそられるというか……何なんだろう」
「鮫ならカゲワニって奴かしらね」
「カゲワニかぁ、名前は凄くそれっぽいや」
ワニのこと鮫と言っていたというのは、古文の授業でやった記憶がある。
そういえば今日は古文の小テストがあるんだったな……こんな時にも嫌なこと、もとい学業を案じてしまうのが高校生なのである。テストなら尚更。
「それでどんな妖怪なの?」
「海面に映った船乗りの影を喰って、喰われた方は死んじゃうって奴よ」
それを聞いて菫子は改めて冷や汗をかいた。あのまま頭を丸飲みされたらどうなったことか。
「海の奴がこんな水も無いような所に現れるなんて何かあると思うんだけど」
霊夢は難しそうな顔で窯を物色し始めた。
菫子も興味深そうに後ろからのぞき見る。窯の横には瓦礫としか呼べないような焼き物が散乱していた。
「これって何かの窯なのかな、見たこと無いけど」
「瓦窯よ、それくらい常識でしょ」
「普通の女子高生はテスト範囲じゃなければ瓦窯なんて知らなくて良いの。妖怪と関係ありそう?」
「さてね。ここは瓦職人の土蔵なのよ。先代が亡くなって若い二代目が切り盛りしてたんだけど急に行方不明になって、客が探しに来たらアイツがのさばってたってわけ」
「やっぱり里を一歩出たら自己責任ってやつなんだ……瓦職人はガブッと……」
菫子はおろか霊夢でも容易くない奴だ。倉の主がどうなったか想像に難くない。里の外はかくも恐ろしいのか。
「そこまで厳密に区切られてないわよ。今まで雑魚は近寄りもしなかったらしいし、カゲワニだって新手なんでしょう、あんたが幻想郷に来たみたいにね」
成果が出ないので霊夢は物色を諦めて里の方に歩き出した。菫子も黙ってとぼとぼと後ろを歩く。
「って菫子はそろそろ帰りなさいよ、勝手に着いて来て……」
「そんな殺生な……私鮫なら詳しいし役に立つよ。頭が二つある鮫とか半分タコになってる鮫とか知ってるよ!」
菫子はオカルトと親和性の強いB級映画の知識は割とあるほうなのだ。
「それにドッペルゲンガーのオカルト持ちが影を食われて黙ってられないでしょ」
「余分なストックが無くなっても知らないわよ」
ドッペルゲンガーは残機じゃないんだけど。菫子はズレた眼鏡を直して霊夢の後を追った。
霊夢が向かったのは奇しくも尾行の時に菫子が物陰として隠れた長屋だ。
先ほどの倉は工房兼倉庫という扱いで、こちらの一間が瓦職人の店なのだという。
「お店にしてはボロっちいね」
店構えはかなり控えめ。隣と寸分変わらぬ引き戸の入り口に表札と無地の木札が掛かっているだけ。
菫子が裏返った木札を返すと商い中と書いてあった。
「職人は基本表通りに面した長屋を使うのよ。こんな普通の借家でやって人が来るのかしら」
霊夢が呆れているが、あの神社に居る人が言えたことかと菫子は思った。
「隠れ家的お店なんだよ」
大家から預かった鍵を使い二人は店に踏み込んだ。中は下足を脱ぐだけの玄関と六畳間といった感じ。接客スペースなのか手前の方は仕切り板で区切られ、座布団と丸机が小綺麗に置いてある。
顧客名簿と書かれたノートを菫子が見るが、何も書いてなかった。
「こっちも意外と綺麗よ、趣味は……悪いけど」
恐る恐る奥を覗いた霊夢が言う。
仕切りに隠された奥には、古びた箪笥や本棚と簡素な作業台があって瓦がいくつか置いてある。瓦が持ち込まれたり、見本で見せたりするのだろうか。
意外なことに水着グラビアアイドルのポスターやら、ボトルシップやら外来品と思わしき物も飾られ、寝床はやや隅に追い込まれていた。
生活部を最小限にした部屋作りは菫子も覚えがある。似た性格の人物かもしれない。
「このポスター誰だろ、なんとまあ大きいね。拝んだら御利益とか無いかな」
一通り見回した後、思わずもう一度凝視してしまったポスター。少し古い物らしいが、扇情的な水着で大きな胸が強調されている。女子高生たるもの、少しくらいは気になる要素である。
「見てるだけで肩が凝るわ……目の毒よ。それにしてもあんまり職人らしい趣味じゃないわね」
ばっさり言う霊夢に、やっぱり巫女は根本的に違う生き物の気がした。
「趣味のこと言うのは良くないよ、私も女子高生だけどオカルト趣味が高じてここに居るしね」
幻想郷に来たのは結構頑張ったと思う。菫子はえへんと威張って見せたが、霊夢はそれも興味が無さそうだった。
「魔理沙のゴミ屋敷よりは良いけど。あら、この瓦は綺麗ね……」
霊夢がぱっと明るい声になる。霊夢が見つけたのは澄んだ青い陶器瓦だった。
「へー、間近で見ると瓦も中々乙なもんだね」
屋根なんてソーラーパネルにでもした方が有意義と思う菫子だが、その目からしても綺麗な物として映った。視線を吸われるような青に、優雅でダイナミックな曲線が荒々しくも柔らかい。美術品のようだ。
「紙に何か書いてあるわね」
霊夢が瓦の下敷きになっていたメモを手に取る。上薬や材質の配合が並んでいて、その下に殴り書きが一つ。
「セイロク瓦。色味が濃い、実用にも耐えかねる、やり直し……」
「もっと良い物を作ろうとしてたんだね。それなのにカゲワニに……」
殴り書きには次こそはという熱意がある気がした。なのに理想を追い求める道中、カゲワニに喰われてしまった。そう実感してしまうとやるせない。彼にとっては世界が終わったのと同義なのだから。
「結構危ないのよ、幻想郷ってね」
「わかってるって。こっちにもメモあるよ。瓦を砕いた物で植物を育てる方法。瓦を地面に敷くと調湿機能が高まる可能性……職人ってより研究者みたいだね」
菫子は無造作に置いてある本を見つけ手に取る。瓦の専門書だった。捲っても殆ど興味がないものだったが、青緑瓦とあったのが目にとまる。
先ほどの紙と近しい単語の羅列と説明書きが載っている。陶器で作った瓦で外の世界で昭和と呼ばれる頃から人気を博した瓦、ということらしい。外と明記されているということは、この本は外を知る幻想郷の人物の書だ。
菫子は俄然興味が沸いて奥付を開いた。著者は無く河童印刷とだけあり、一枚のメモ用紙が挟まっていた。
これを読んでいる人が居たらこの本を河童に返して欲しい、出来れば人には知られないように。
そう書き残されていた。
「何かあったかしら?」
「ううん、なんにも」
菫子は手を合わせるように本を閉じた。おいそれと人に見せてはいけない気がする。偶然でも自分が見たのだから、残した人の想いに沿って上げたい。
それに霊夢に言うとややこしい気がした。この残し書きは明らかに遺書めいている。自分がカゲワニに喰われることを知っていたのだろうか。まだ理想が、野心があったはずなのに。
菫子の興味はカゲワニよりも家主に移っていた。
「さて、もう少し周りを聞き込みしてみようかしら、あのカゲワニは倉から出てこなかったし、きっと瓦屋にも何かあるのよ」
その後は特に面白い物も発見できず手詰まりを感じた。
「な、なるほど……私は疲れたし、少し散歩しようかな?」
「勝手についてきた癖に、掃除でもなく散歩しようってわけ?」
「最近の若者はこんなもんだから」
「それもジョシコーセーの症状かしら」
「霊夢も分かってきたね、んじゃねー」
菫子は手を振って歩き出した。例の本を懐に隠したまま。
河童といえば読んで字の如く川だが、今日はバザーがあると里の人が言っていたのを思いだし、菫子は命蓮寺へ向かった。最近境内を解放して場を提供しているらしい。
河童はすぐに見つかった、しかも顔見知りのにとりがいたのが幸運だ。こういう時、河童は大抵テキ屋で小銭を稼いでいる。今日も人通りの多いところで、焼きそばを売っているらしい。水色の服が実に目立っていた。
「本を返したいって、お前に貸した物なんて無いぞ。新手の還付金詐欺か?」
「私は代理なんだよね。河童に返してってさ」
難なく話しかけることが出来たが、あまり歓迎はされていないようだ。
「こっちだって暇じゃない、そうだなあ。焼きそば作るの手伝ってくれたら良いよ」
「そんな事言われても……」
自慢じゃないが菫子は目玉焼きでも成功率五割を切って焦がす腕前だ。安請け合いは危険過ぎる。
「最初に超能力で火を付けてくれれば良いからさ。後はどうせガス使うし」
それに何の意味があるのだろうか。しかもさっきからパイロキネシスも失敗してるので自信が無い。
「うーん、それならいいけど……先に取りあえず本受け取ってよ」
「良かろう」
本を渡すと、にとりは中身を見て唇を尖らせた。
「これ私が貸した奴じゃん! 又貸しすんなよなー。しかも替え玉に返させるって……あいつは何処行ったんだい、まさか逃げたのか」
今度は目も三角に尖らせて菫子を威嚇している。
「そ、そんなグルみたいに言われても……持ち主がもう居ないんだよ」
菫子はカゲワニに喰われてしまい、メモに従って返しに来たと宥めるように説明した。
「はぁ、そうかい……まったく。これは見る奴によっては怒りそうだから取り扱い注意の代物なんだよ」
外の記録だし、幻想郷的にヤバい筋の物でも書かれていたのだろうか。人一人が居なくなってるのに、にとりは変わらず仏頂面で唇を尖らせていた。やっぱり妖怪なんだな。
「まあ、返そうって気概を評価してやったげてよ」
「けっ、育つ技術があったから教えたのに。勝手にどっか居なくなるなんて詐欺だよ詐欺。お前もこれ読んだのか?」
「まさか、瓦に趣味ないし。それよりカゲワニ退治の為に、瓦屋で気になることあったら教えてよ」
本の話は地雷が多そうだ。菫子は話題を変えた。
「そうだなぁ、海に憧れてたから、カゲワニもそれに釣られて来たのかね」
「海ってあの塩辛い海?」
「そう、塩吹臼が沈んでるあの海だよ」
「それで青い瓦を作ってたのかな、今思うとマリンブルーな色合いだった」
「完成したら見せて貰う約束でいくらか本を貸したんだ。結局完成したのかね」
「里にあったのは凄く綺麗だったよ。本人は納得してなかったみたいだけど」
「そうか。それは後で私も見たいな」
にとりはようやく人なつっこそうな笑顔を見せた。「職人って時々変なことするもんだね、屋根を海色にしようなんて」
ボトルシップもあったし、海が好きというのは少し理解できるが、屋根をいじくる感覚はわからなかった。ただ、センスが暴走した珍妙なオブジェクトは意識高い場所には付き物だ。
「瓦屋根のことなんも知らないんだな。屋根瓦には海の装飾があるだろう」
「えーと、鬼瓦とかシーサーとかガーゴイルとか?」
にとり首を横に振ると、「これとか」と言って、突然地面にうつぶせになって体を反らした。頑張って足も反らしているが、意味不明だ。
「かっぱえびぞり?」
「ちがう! しゃちほこだよ、しゃちほこ」
「なんだ、渾身のギャグかと……言われればお城の屋根にはついてるや」
「あれは海の物だから、水に縁があって防火の力がある。民家には少ないけど他にも宝船とか亀とかな、うにゃうにゃしてる装飾は海藻がモチーフだったりする。何で海の装飾が多いかわかるかな?」
にとりは立ち上がって服をはたいた。何やら馬鹿にした風だったので菫子は真面目に考えた。
最初から瓦には海を連想させる要素があるのだろう。色で無いから形しかない。
「あの葺いた屋根の曲線や重なりが波に見えたんだね。それで海に縁のある物を防火の信仰と併せて作ったと」
「うむ、満点の回答だな」
「ふふん、そこまでヒントを貰えればね。つまりカゲワニが出てくる土台はあったのね」
高校生たるもの、満点と評価されると自然と口元が緩んでしまう。
思えば幻想郷では基本はよそ者扱いだし褒められることは少ない。
「それじゃあ、そろそろ焼きそば手伝ってよ、火を付けるだけで良い。後で焼きそばもあげる」
「う、うん……」
忘れかけていた厄介ごとに、菫子は顔を曇らせる。 いつの間にか目の前の鉄板に立方体の木片が置かれた。これに火を付けろという事らしい。
「さあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい、世にも奇妙なエスパー焼きそば始まるよー! 食べればあなたも超能力が芽生えるかも? しかもお肌ツルツル・滋養強壮・血液サラサラ……かも!」
にとりの嘘八百客引きで通行人の視線が菫子達に集まる。どうせこんなことだろうとは思った。
失敗覚悟で慎重に念じると小さな煙と同時に興味を示す声、焦げ付くのと同時にざわめく声、着火と同時に程々の歓声がわき上がる。心配していたのが嘘のように難なく火がついてしまった。
「ふー、さっきは上手くいかなかったから心配してたんだ」
「瓦職人の所か? あそこは防火のまじないが死ぬほどあるから超能力じゃ無理だよ。あいつの技術と信仰心は一流だからな」
「ああ、そういうことか」
もうバイロキネシスを使うつもりはないが、それだけの効果があるなら、あの瓦屋根に海の妖怪が居るのも道理に思える。
にとりは燃える木片をコンロに突っ込んでガスを供給して調理再開した。ただの焼きそばにしか見えないが、最後に銀箔を乗せていた。鰹節ばりにうねうね動く銀箔が生き物みたいで気色悪い。とても買いたいとは思えない
「曲がるスプーンをイメージしてみました」
「シェフの気まぐれって奴だね」
予想に反し人が群がってきて菫子も売り子せざるを得なくなる。
「味も原料も変わらないのに、意外と興味持って貰えるもんだねー」
「きっかけがあれば後は勝手に膨らむもんさ。それに応えて焼きそばも美味しくなる」
「エスパーなんて名前付けられて焼きそばも苦労するね」
「外の世界では未確認飛行物体焼きそばが流行っていると聞いたぞ。あ、真似しよ」
「別にネーミングの問題じゃ無いと思うけどね」
にとりは屋台の焼きそばという文字の前に手書きのESPを書き足して満足気だ。
野菜が無くなり、にとりが買い足しに行く準備をしていると霊夢が飛んできた。菫子を探しに来たようだが、にとりを見ると思い出したように袖口から本を見せた。
「これ、瓦屋が河童に返せって本。あんた達妙なことしてないでしょうね」
二冊目の忘れ形見があったらしい。霊夢はにとりの背負うリュックに乱暴に突っ込んだ。
「勝手にさわんな! べつに変なことはしてないぞ」
「海老反ってただけだよね」
「阿漕なテキ屋やったり、外の技術に詳しすぎて怪しいのよ……」
霊夢は訝しげに睨むとにとりは苦笑いだった。
「それよりも霊夢! 海の妖怪が出てこれた理由は分かったかも! 私なら上手く退治も出来ると思うんだ」
菫子はVサインを突きつけるが、霊夢は不思議そうに首を傾げた。
まだ青い大空の下、にとりとした話を説明し土蔵に向かう。霊夢もそれには納得を示してくれたが、腑に落ちない点もあるのか考えているようだ。
菫子は選別に渡されたESP焼きそばのパックを開封。割り箸を咥えて片手で割った。何だか持って行くのも荷物になるし、消費しておきたい。銀箔はもう死んだように焼きそばに張り付いていた。
「そういや霊夢は周りの人を調べていたんだっけ、そっちはどうだったの?」
「海好きはこっちも皆知ってた。半年前まで表通りで店を開いてて変人で有名みたい」
「なんだ、結構オープンだったんだね」
じゃあ霊夢について行っても分かったかもしれないなと考えつつ焼きそばをすする。
焼きそばは奇妙な見た目に対し、ビックリするほど普通の味だった。普通に美味しい。
「そっちはやれ貝だ珊瑚だ海の物だらけだったとか。しかも他人に一緒に海を作ろうとか言ってたみたい」
「そりゃなんというか……理想の変人だね」
「腕はあっても世迷い言ばかり、耳にタコができる位聞かされたわ」
「難儀な人だったんだね……」
焼きそばが詰まったわけでもないのに、スムーズに言葉が出ない。
少し前の自分と完全に一致するじゃないか。変人を演じて周りに壁を作り、生半可な奴らを自分の領域に入れさせない。その上で自分の思うことに没頭するのだ。菫子の場合はオカルトじみた部活に勧誘するとものだったが。人ごとにも思えない。
「でもさ、新しい所はそんなに海ってイメージでもなかったね。隠れキリシタンみたいにしてたのかな?」
「変人扱いに嫌気がさしたんでしょ」
霊夢は素っ気なく言って唇を噛んでいた。
きっと変人扱いは学校で腫れ物を演じるのとは別次元なのだろう。
菫子も状況が特殊とはいえ格好が奇抜なだけで石を投げられたくらいだ。深入りするのは気が重い。脂ぎった人間関係は苦手だ。
「とにかくそれだけ好きだったならカゲワニが出てきても不思議じゃない」
「海好きとカゲワニが関係あるの?」
「カゲワニは影を食うけど、それは海面に身を乗り出して影を落とすような奴しか食わないってことなのよ。瓦職人は海に対して前のめりになりすぎたのよ」
「そっか、身を乗り出すと海に落ちて鮫にでも喰われるっていうのが元凶なのかな」
妖怪は得てして教訓めいた意味も持つという。カゲワニもそんな戒めの具現化かもしれない。
「必要があって覗くこともある。でも魅入られてるような奴にも、カゲワニみたいな奴は寄ってくるのよ」
幻想郷で瓦に海を見て、海の妖怪を引き寄せたなら、これほど真意の証明は無い。例え変人と揶揄される人でも、菫子には尊敬できる人物に見える。
菫子は焼きそばのパックをその場に捨てた。河童特製で雨で溶けて栄養になるそうだ。人間関係もこの位エコだと助かるのに。
戻った土蔵の入り口前で二人は扉と対峙する。
見上げた灰の瓦屋根にカゲワニの姿はなく静まりかえっている。海と縁があると思うと、色こそ違うが屋根瓦は青い空に繋がって果てが無い気がした。
扉を開け放して中も確認するがカゲワニは身を潜めているのか見当たらない。
「で、どうやって退治するって」
「簡単だよ、瓦を全部落とせばいい。サメじゃ無くて土台を壊すの!」
「なんだ、アナログね」
「コペルニクス的転回と言って貰いたい。私ならESPで落とすから霊夢は見てるだけ。やってもいい?」
「退治しないと土蔵も死物同然だしね。良いでしょう」
霊夢は面倒くさそうに頷いている。早く片を付けたそうだ。
「んじゃ、私流の寸勁瓦割り見せてやる!」
菫子は念を込め瓦を屋根の隅から順に落とした。
屋根を丸ごと剥がすのは難しくとも、瓦なら少しずつ力業で剥がして連鎖のように地面に叩きつける事ができる。カチャンと瓦同士のぶつかる音が小気味良い。
「うっひゃっひゃへっへ、何か面白くなってきた」
「女子高生の笑い方って怖いのね」
普通の瓦は割れにくいそうだが、日々の小さな鬱憤晴らしもかねて地面に叩きつけていたのでそこそこ割れている。瓦を落とし続けていると、全体が少しズレた。
「あんた敷いてある土ごと落としてない? あんまり落としすぎると……」
「あっ、やばい」
基礎となってる部分を壊していたらしい。想像を超えた量の瓦が雪崩のように滑りはじめた。このままでは菫子の居るところも無事かは怪しい。
菫子は咄嗟に手で頭部を守ろうとしたが、霊夢に襟首を掴まれ一緒に土蔵の中に突入させられて尻餅ついた。
「全部落っこちるわよ」
「ごめん。でもできたらもうちょっと早く言って貰えたら嬉しかった」
雷が落ちたような凄まじい破砕音が一気に轟く。菫子は思わず目を瞑る。ものの数秒で元の静寂を取り戻した。
菫子が居たところにも瓦の破片が転がっていて、霊夢の勘の良さが骨身にしみる。
首だけ外に出すと、砂埃が薄く舞っているが視界はある。
「……やったかな」
「そういうのフラグって言うんじゃない?」
「いやー、言ってみたくなっちゃって」
背に呆れた声を受けつつも、菫子は視界の端にカゲワニを捉えた。ダメージはあるのか、背ビレは色が薄くなっていて、ふらふらと動いた後、菫子の方を向き治った。
「げっ……」
鬼気迫る勢いで身構えたが、カゲワニはそっぽ向いた後、勝手に色が薄くなって消えてしまった。
「見た見た見た!? 今の絶対やっつけたよね! 私凄くない?」
菫子が満面の笑みで振り返ると、霊夢が真剣な顔でカゲワニの背ビレと睨み合っていた。
「まだいるじゃん!」
「最初見たのは中だったし、二匹いたみたいね。中の瓦も全部外に出して!」
土蔵内の元気なカゲワニが手に負えないのは一度経験している。霊夢は牽制の札を投げつけて時間稼ぎに転じたようだ。
菫子は辺りを見回した。板張りの床にキューブ状にみっちり積まれた瓦の塊がたくさん。そのほかにも点々と瓦や装飾が置かれている。
流石に土壁をぶち破って外に出すことは難しい。全部入り口から出さねば。菫子は念力でブロックを戸口に通るサイズまで小分けにして外に出す。
「ちょっと時間掛かるかも」
どんどん瓦が排出され、外から瓦の割れる音がする。遠目から見たらさぞ奇妙な光景だろう。
飛ばしている物の中に凝った細工がある鬼瓦や、にとりの言っていたように船や亀といった瓦製の装飾も見えた。さっきはストレス解消にしたが、意匠があると気が咎める。でも丁寧に扱える余裕もなく心を鬼にして放り出していった。
隅に落ちている最後の一個を拾って手で窓に放り投げた。
「これで、全部だよ!」
気疲れを振り払って霊夢を見るが、どう見てもカゲワニはまだやる気に満ちている。
「まだどっかあるはず、探して」
霊夢が結界で阻み、あっかんべしてカゲワニを煽っている。いつまでもやらせるのは酷だ。
菫子は入り口で必至に頭を絞る。
中と外のカゲワニが別物なら、同じ所に二匹は出ないみたいだ。屋根のカゲワニは瓦を落としたら消えた。しかもその時は瓦と一緒に落ちていたのだから、土蔵内のカゲワニだって瓦の上にいると考えるべきだ。
そういえば店のメモに瓦を床に敷くという奇抜な物があった。
「ということは、うりゃあぁ」
菫子は奇声を上げながら床板を剥がす。
下には屋根瓦が整然と敷き詰まっていた。きっと床の瓦も実験した内容なのだろう。
「床板全部剥がすから飛んで!」
霊夢がべろべろばーしながら飛び上がってる隙に全部の床板を剥がし、その下の瓦も全部外に放り出した。土台ごと動かすのは屋根でも予習していたので楽勝だ。
地面は耕したようにぐすぐずになった。菫子はやりきった疲労で大きく息をついたが、カゲワニはゆらゆらと弱ったそぶりを見せつつもまだ動いている。 先ほどの物と違って色も濃くて、禍々しい。霊夢もその様子に少し驚いたらしく入り口まで引いた。
「な、なんかやばくない? 瓦が無くなったのにどうして消えないんだろ、上の奴と違うのかな」
「きっと上のカゲワニは瓦職人の海への信仰心に寄ってきただけ。放っておいても信仰する奴が居ないから消えたかも。でもこっちは他にも糧になる物があるみたいね」
「瓦職人以外にここに海の信仰を持ってる人が居るってこと? でも瓦が無い今何が残ってるの?」
「妖怪って最初は決まった場所に決まった条件が無いと出てこないのよ。退治されたらそこで終わり。でも人に見聞きされてると、そのうち話がブレて条件や事実を超えてまた出てくる」
霊夢はやたら遠回しに言っているようだった。
強い妖怪は退治しても復活するというのは聞いたことがある。残り香の恐怖が信仰のようになって再び顕現するとか。
カゲワニもそうだというなら、海への信仰ではなく、怖がられていたということだ。だがそれはカゲワニその物でもない。
「里の人たちは居なくなった瓦職人の土蔵を今でも……」
海好きなおかしな人物が住んでいて、海の怖い妖怪でも出そうな場所。そう認識してしまっている。
「取りあえず退治する。それでも出てきたら土蔵ごとつぶすしかないわね」
満身創痍のカゲワニに霊夢が大きめの札をぶつけると一瞬ひどく暴れたが跡形も無く溶けるように消えた。土蔵は全くのがらんどうになってしまって、菫子は少し心が痛んだ。
霊夢はその後に妖怪は退治したと周辺に触れ回って土蔵の中も散々見させた。もう妖怪なんていない。そう思わせることが本当の退治なのだという。
何故かその際にとりも一緒に来て、菫子が割った瓦の中から綺麗な物を見繕い河童瓦そばを土蔵で売る計画を持ちかけてきた。
商魂のたくましさに菫子の開いた口はふさがらないが、もしかすると河童なりの弔いかもしれない。
霊夢と菫子は再び長屋の店に来ていた。身寄りも無く片付けて欲しいとせがまれてしまったのだ。まだ里の人は瓦職人に疑心があるので、放ってはおけない。
霊夢はぶつくさ言うが、菫子は悪い気がしなかった。プライバシー的には良くないが、瓦職人の事をもう少し知りたい。
片付けている内に瓦職人の写真も見つけた。絶妙に平凡かつ特徴の無い顔で、逆に親近感が沸いてきた。
そんな中、またもグラビアポスターが菫子の目にとまる。
「あんたコンプレックスありすぎじゃない?」
「違うって、これもきっと海が映ってるから飾ってたんだろうなって」
最初は気がつかなかったが後ろに海も見える。もちろん水着のアイドルが殆どを占めるが、わざわざ南国だ撮ったらしく青というより鮮やかな緑色だ。
「確かに綺麗な海ね。本当に隠れキリシタンみたい」
「瓦職人は夢を見すぎて食べられちゃったのかな、それとも里の人たちに怖がられ過ぎて食べられちゃったのかな」
屋根と床のカゲワニは信仰と恐れが生んだのだ。菫子はそう言い換えたくなった。
「さてね、お腹に入ったら全部一緒でしょ」
「そうかな……私だったらせめて屋根の方に食べられたいな。誰にも褒められず認められなかったけど、夢が叶ったからこそカゲワニは出てきたんでしょ」
「喰われたら終わりよ。せめてとかどうせなら、そんなの考えるだけ無駄」
霊夢は散らかっているメモを手際よく屑箱に詰め込んでいる。
「そうなんだけどさ……」
「それに瓦職人は周りに会わせる気がなさ過ぎたのよ、指弾されるような立ち振る舞いをしたのは本人」
霊夢は正当化するなと言いたいのだ。それは理解できても菫子にはモヤモヤとした感情が頭に渦巻いて離れない。
それなら自分もそんな目に遭ってしまうのだろうか。何かに喰われて滅びる運命なのか。考えずには居られない。
悩める菫子を見て、霊夢は背を丸くするほど深く息をした。
「意外と感傷的なのね……私は別の所で気になっていることが幾つかあるのよ」
「気になること?」
「表の長屋にあった海関係の物が殆ど処分されてるのが腑に落ちないのよ。それに店を縮小しすぎ、新しい客を呼び込むつもり無かったんでしょうね」
「身辺整理したんでしょ、本のメモだってあったし」
「その河童の本が気になるのよ。返す機会は十分あったはずなのに返してないでしょ」
探せば菫子でも見つけられた河童に、直接返さずに一か八かのメモに残すの不思議ではある。
「河童に本を返したかったけど、返す理由を説明できなかったんだわ」
「約束した瓦が完成してなかったんだから当然だよ。死ぬからな返すなんて言えないし」
「かもね。ただ巫女の勘というか、こういう奴は時々変な事しだすから」
不敵な笑みを向けられて菫子は反応に困るが、もっと困ったことに視界がぼやけてきた。
現実世界の方で目が覚めそうとしている証だ。
「う、なんか、もう起きちゃいそう、またね霊夢……」
「え! ちょっと片付け一人でさせる気?」
「ぐ、ぐえー」
霊夢が引き留めようと胸ぐらを掴んで乱暴に揺するが、むしろ覚醒が促進されているようだった。
「ふがっ」
眩しい日差しが寝ぼけ眼に染みる。見知り過ぎた学校の教室だ。起きたのは丁度古典の小テスト前だった。意外と実時間は経っていない。
多少暗記していれば解ける内容で、菫子はさっさとシャーペンを走らせ、見直しも二回して時間を持て余した。
やっぱり学校で寝てしまうのは良くないだろうか。気怠いし不真面目に思われるだろう。もっとも、先生もテスト中見回りもせずうとうとして本気で反省できないが。
自分を程々に戒めつつ、菫子は窓の外を見た。相変わらず猫の額程で縦長の海。だけど本物の海だ。
誰かの望んだ景色と思うと、好きでも無い自分が感動もなく見るのは酷く浪費に思える。だからって興味が無ければありがたく思うのは難しい、それは女子高生じゃなくて人間の性だ。
「オーシャンビューで良い眺めだね」
しかし心にも無いことを平気で言う奴も居る。隣の席で、しかもテスト中。
怒られろ。先生に視線を送るが。意識を手放して完全にタイマーに委任している。全く職務怠慢である。
「あんな切れっぱしの海、つまんない景色だよ」
「どんな景色だったら面白いのさ」
菫子は考えるまでもなく答えた。
「巫女が飛んだり、屋根に鮫がいたりすると面白いと」
「そんなの見飽きたけど」
「は? あなたも随分と適当なこというね」
きっと相手からすれば菫子にこそ相応しい言葉だったはず。振り向いたら見慣れない男子生徒が居た。制服を来た不審者ではなく、今日入ってきた転校生だ。
その瞳は菫子を映していなかった。窓の外、縦長の海をおもちゃの詰まった宝箱でも見るような、希希望の目で見ている。
そして気づいてしまった。平凡かつ特徴の無い顔。夢でみたあの写真に瓜二つだ。
「えぇ! その、あの……」
もしかして幻想郷から? 喉から出かかった。けれどその先は確かめないでおいた。彼と自分で一つだけ違う物がある。
彼はきっと幻想郷を捨てたのだ。
興味で幻想郷に行きたがる自分とは逆に、興味で外に出てくる奴がいる。それは自分が一番望んでいた共感を持ち合わせている人物だ。
いや、そうじやなくて。もっと単純に私しか言ってあげられない言葉を言ってあげたい。
菫子は小さくはにかんだ。
「おめでとう」
菫子が時計をほっぽり出してベッドから転げ出る。夢の中での幻想郷はあまりに刺激的で、よく寝過ごしてしまう。それに比べて起床後の生活の平凡さときたら……学校が潰れるくらいの非日常アクシデントが一つや二つ起きてほしいものである。
でも今日は学校に間に合いそうな時分だ。眼鏡を掛け、重たい体に鞭を打ち這うように動く、殺人的な冷水の洗顔を終え、牢獄の囚人服もとい学校指定の制服に着替える。すると登校してやらなくもないぞ、という気になる。こんな騙し騙しの生活をしているのはいつからだったか覚えていない。朝食は時間が無いからパス。
「いってきまーす」
誰に言うでもなく言葉にしてドアを押せば、つまらないと思っていても、戻る方が面倒になってしまうものだ。
腹ぺこになった代わりに、余程のことがなければもう遅刻しない状況になっていた。
女子高生といえば、遅刻しそうなときに食パンかじって曲がり角で異性にごっつんこ、そんな形式美のアクシデントがある。でも主たる高校生は生活態度やら内申書を気にしてしまう生き物なわけで、登校中は何事も無いことを祈るばかり。
昔からオカルト超常現象を夢見ていた菫子も、その辺りから完全に目をそらすことはできない。結局危なげも無く階段を上がって四階の教室に到着した。
「おはようー」
有象無象の顔見知りに気のない挨拶をして、鞄を机の袖フックにかけて席に着く。菫子の席は窓際の最後尾という一等席で気に入っている。主に寝やすいから。
初めは四階からの景色も期待していたが。近くにはマンションや狭い土地に無理して建てた三階建てやら、見ているだけで窮屈。遠景もビルに阻まれ、四季の移ろいも乏しい。ビルの合間から奇跡的に海が見え、それをオーシャンビュー等とのたまう輩もいるが、横より縦に長くトリミングされた斬新すぎるビューはとても菫子の琴線には触れない。むしろ人工物に囲まれた中の不純物という方が幾分正確だ。
「今日は転校生を紹介する、一日でも早く学校になじめるように助けてあげるように」
いつの間にか初老の眠そうな担任教師が到着していた。彼は古典の教師でもあり、その古びた感性からか事を荒立てず淡々と説明している。
教室は色めきだっていたが、菫子も淡白なハプニングに思えた。元より孤独に趣味に耽る体質であったし、もっと興味を惹くものがぶら下がっていれば誰でもそうなる。
猫の額ほどの海に船が横切るのを眺めているうちに、うつらうつら自分も船を漕いでいた。
転校生よりも幻想郷を見た方が、よほど面白い……夢にまで見た夢の世界の魅力に……現実世界はかなわないよ……
「あんた、まーた来たの」
ゆっくり振り向く紅白巫女のなびいた髪が菫子の目端に映った。
夢の中ではまず神博麗社が何をするにも都合が良いのだ。安全だし色んな状況が分かるし、運が良ければお茶も出てくる。今回もそのセオリー通り。
「おはよう霊夢!」
「寝てこっち来てるんだから、おやすみじゃないの」
「じゃあおやすみ?」
「はい、また明日ね。今は構ってる暇ないんだから」
とてもお茶が出る雰囲気ではなかった。よく見ればお祓い棒を持っていて何処かに行く前の装い。
「何かあったの? 私も一緒に行ってみようかな」
「里のすぐ外に妖怪がいるらしいのよ、あんたは神社でゆっくり休んでて。箒なら倉にあるから、はたきは茶の間の引き出し、雑巾はそこの竿に干してある」
「うわー、ゆっくり感ゼロじゃん」
「博麗流ゆっくり休むはそうなの、じゃあね」
雑巾を投げ渡されて霊夢は飛んでいってしまった。
「ちぇっ」
幻想郷に来ることは基本的にそんなに歓迎もされてはないようだ。一応正式に招待されたらしいが、その招待というのも上から目線で気にくわない。その前に自力で幻想郷に繋がったのに。褒めてくれやしない。勝手にやってるから仕方ないが。
「まあ、郷に入っては何とやら……なんて古い言葉に従うのも癪だ」
菫子は縁側の一部分を雑巾で撫でただけで霊夢の後を追うことにした。幻想郷にいられる限られた時間を掃除でつぶすなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある。 テレポートでこっそりと後ろに着きたかったが、飛ぶとあまりにも遮蔽物が無くてバレそうで、地上の方から小刻みに追跡した。ただでさえ勘の良さそうな霊夢を尾行するんだから、慎重な位が丁度良い。俄然面白くなってきた。
木陰を縫い進み、長屋のひさしの影に潜み、物見櫓らしき所の上から様子をみる。里の人にやたら白い目を向けられたが仕方がない、制服が目立ち過ぎるのだ。学校では没個性なのに幻想郷では最高に自己主張が激しいから困る。
尾行って周りの人に見られるのが恥ずかしい。菫子がやきもきしていると霊夢が降下していくのが見えた。
巫女が出動する妖怪が出る。その場所にわくわくしていたが、霊夢が降り立ったのは里から少し外れた所にぽつんとある土蔵だった。濃色の灰色っぽい屋根瓦が妙に厳かさを出している。霊夢は辺りを確認して引き戸を開けて入っていった。
「あそこに居るのかな?」
菫子は物見櫓から身を乗り出して様子をうかがう。
倉の隣に土を盛った細長いドームみたいなのがあって、煙突が飛び出ている。歴史の教科書や資料集から得た朧気な知識によると何かの窯だろうか。
どちらにせよ里外とはいっても生活圏ではありそう。もし恐々とした化け物が出るなら確かに一大事。
しかし霊夢が入ってから特に動きが無い、サザエさんのエンディングばりに倉が飛び上がると思ったのにおとなしいもんだ。
どうするか悩んでいると、下から石が飛んで来た。危うく落っこちそうになるが、冷静に見ると当たりようも無い角度だ。届かずに重力落下する石を目で追うと、里の人が群がって来ていた。身を乗り出してよく見よう
「馬鹿野郎、石なんて投げて刺激したら喰われるかもしれないぞ」
「バザーに行こうと思っていたのに、家財が心配だし家に居よう」
「あの倉から出てきた妖怪にちがいないさ。見てごらんあの眼鏡、返り血で赤く染まってるよ」
ひどい言われようだ。赤いフレームの眼鏡は精一杯のオシャレだというのに。とはいえ近くに妖怪が出ているから里の人も警戒心が強くなるのも道理かもしれない。
「あの、違いますー。直ぐ居なくなりますからー」
倉の前までテレポートで移動した。
「妖怪じゃ無いっての。私ってそんなに怖い顔してるのかな」
への字口のまま菫子は倉の外周を歩く。近くでみるとなかなか立派な土蔵で、妖怪が鎌首をもたげているとは思えない。中にお宝でもありそうな気配さえする。
菫子は開け放たれた幾つかの窓を発見した。音を殺し、忍者の気分でその中の一つからそっと中を覗く。
「あ、菫子! なんで居るのよ!」
「うわ、バレたでござる」
ギラついた霊夢の声が飛んでくる。
これは失敗。少ない光源の前を遮ったらバレバレだ。板張りの床に自分の影がくっきりとシルエットを作っていた。
自分と霊夢以外の影が地面に蠢いているのを見て菫子は首を傾げる。
「あれ、他に誰かいるの?」
「居ないわよ、それより掃除は」
菫子は後ろを振り向いた、雲一つ無い澄みわたる青。辺りを見回しても他に影を生む物なんてない。
「霊夢! たぶん後ろに何かいるよ!」
「むっ」
霊夢が振り向くと謎の影溜まりが滑るように動き始めた。影から黒くて大きなナイフのような物が出ている。それが地面を斬り開くが如く、動いているのだ。
「この三角お化けめ!」
霊夢お得意の御札を飛ばすが、影は地を這って難なく躱し、間合いをとるようにぐるぐると霊夢の周りを旋回し始めた。素早く狙いが定めにくい。
「なんだろう、何処かで見たような光景だなぁ……映画みたいというか、ヒレ?」
「菫子、居るんならちょっとこいつの動き止めといてよ」
「ふっふっふ、御意」
要望に応えて菫子はESPカード手裏剣を窓から投げ込む。忍者の気分はまだ抜けていない。
しかし動かれるとそう当たる物でもなく、空しく地面に突き刺さって終わった。
「なら火遁で脅かしてやる!」
本当はパイロキネシスだけど。
心の中で突っ込みつつ中に炎を出現させようとしたが、湿気た煙が一筋出て終わってしまった。
「あら、なんか調子悪いかも……」
「ちょっと、こんな所で火使って万一焼け死んだらどうするのよ」
確かに。菫子は無意識の自制心に感謝した。
影はうねって怒り露わで霊夢に向かい、影から闇のように黒い頭を出した。大きく尖った顔に大口を開いた顎、鋭い歯、まごうこと無く鮫そのものだ。
「思い出した、ジョーズっぽい!」
菫子が驚きと合点で声を上げるが、霊夢の方は冷静に身を翻していた。影の鮫はそのまま床板にダイブするように沈み、また背ビレだけ出して霊夢と間合いをとっている。
想像以上にヤバイ状況と確信し、菫子はもう一度カード手裏剣を手に構えた。
「菫子窓から離れて」
「え、何で?」
「影、影!」
必至に指をさす霊夢。見ると鮫が旋回を外れ明後日の方向に向かっている。
「あ、私の……」
影に向かって来てるんだ。菫子は窓から頭を引っ込めた。視界の端に口を開けてかぶり付こうとしている鮫の姿が流れた。
「うひぃっ」
頭の芯を寒気が襲い菫子は宙でよろめいてしまった。
ちょっと囓られたのだろうか。頭を抱えている間に表の扉が開き霊夢が飛び出て来た。
「ほら、ぼさっとしない」
菫子は霊夢に手を引っ張られ、強引に瓦屋根に上った。斜面に着地してがちゃがちゃ瓦を踏み鳴らし、菫子はバランスが取れず座り込んだ。
「く、くらっと来たけど大丈夫……ってまだ居るし!」
寒気はすぐに治まったが屋根は安地でも無いらしく、向かいから瓦屋根でもお構いなしに背ビレが急速に突進していた。
「飛んで逃げ……」
「まって、今飛んだら影が食べられる」
陽を背負っていた。上に行ったら影は鮫まっしぐらになってしまう。かといって座った状態から俊敏にはとても動けそうに無い。普段の運動不足が恨めしい。
「ピンチじゃん!」
「あんたも便利なのあるでしょ、隣の窯に行くのよ」
「あ、そっか」
いざという時、普段思いつくことが出てこない物だ。菫子は目を瞑って念じた。
「テレポート、ガチ便利!」
ぱっと視界が移り変わり、隣にあった窯の上。肩すかしを食らった鮫は屋根の上で狼狽している。空を咬みながら自分が食べたのか確認している姿は実に滑稽で愉快だ。
「口に火突っ込んで爆ぜさせてやる! ジョーズのようにね!」
菫子は今度こそ炎で焼き払うつもりだったが、またも上手く火が熾きず、くすんだ煙が少し出ただけだった。しかも要らぬ口上で気づかれて、鮫が威嚇するように暴れている。
「あ、あれー? ご立腹に」
菫子は己の自制心を呪った。
「何やってんだか」
隣に出てきた霊夢が睨んでいるうちに、鮫が憤りつつも屋根に沈んだ。こっちまでは来られないようだ。霊夢がほっと息を吐いて菫子の頭を小突く。
「掃除しとけって言ったのに、大丈夫?」
「あたっ、掠っただけだから平気。びっくりしたよー、なにあのジョーズ」
「ジョーズってなによ」
「鮫だよ、BGMの重要さを教えてくれる偉大な鮫さ」
「ああ、鮫なのね……アイツ」
「そっか幻想郷は海無いもんね、実際見るとびっくりだよね」
鮫の背ビレなんて菫子も生で見たことはないが、自分の知識が役に立つのなら嬉しさが芽吹く。
「図鑑で見たけど動きまではね。別に鮫が服着て月の姫やってたとしても驚きはしないけど」
なんだそれ、基準がぶっ壊れてる。嬉しさは枯らしておこう。
「でも影の鮫なんてあれだよね、厨二病がそそられるというか……何なんだろう」
「鮫ならカゲワニって奴かしらね」
「カゲワニかぁ、名前は凄くそれっぽいや」
ワニのこと鮫と言っていたというのは、古文の授業でやった記憶がある。
そういえば今日は古文の小テストがあるんだったな……こんな時にも嫌なこと、もとい学業を案じてしまうのが高校生なのである。テストなら尚更。
「それでどんな妖怪なの?」
「海面に映った船乗りの影を喰って、喰われた方は死んじゃうって奴よ」
それを聞いて菫子は改めて冷や汗をかいた。あのまま頭を丸飲みされたらどうなったことか。
「海の奴がこんな水も無いような所に現れるなんて何かあると思うんだけど」
霊夢は難しそうな顔で窯を物色し始めた。
菫子も興味深そうに後ろからのぞき見る。窯の横には瓦礫としか呼べないような焼き物が散乱していた。
「これって何かの窯なのかな、見たこと無いけど」
「瓦窯よ、それくらい常識でしょ」
「普通の女子高生はテスト範囲じゃなければ瓦窯なんて知らなくて良いの。妖怪と関係ありそう?」
「さてね。ここは瓦職人の土蔵なのよ。先代が亡くなって若い二代目が切り盛りしてたんだけど急に行方不明になって、客が探しに来たらアイツがのさばってたってわけ」
「やっぱり里を一歩出たら自己責任ってやつなんだ……瓦職人はガブッと……」
菫子はおろか霊夢でも容易くない奴だ。倉の主がどうなったか想像に難くない。里の外はかくも恐ろしいのか。
「そこまで厳密に区切られてないわよ。今まで雑魚は近寄りもしなかったらしいし、カゲワニだって新手なんでしょう、あんたが幻想郷に来たみたいにね」
成果が出ないので霊夢は物色を諦めて里の方に歩き出した。菫子も黙ってとぼとぼと後ろを歩く。
「って菫子はそろそろ帰りなさいよ、勝手に着いて来て……」
「そんな殺生な……私鮫なら詳しいし役に立つよ。頭が二つある鮫とか半分タコになってる鮫とか知ってるよ!」
菫子はオカルトと親和性の強いB級映画の知識は割とあるほうなのだ。
「それにドッペルゲンガーのオカルト持ちが影を食われて黙ってられないでしょ」
「余分なストックが無くなっても知らないわよ」
ドッペルゲンガーは残機じゃないんだけど。菫子はズレた眼鏡を直して霊夢の後を追った。
霊夢が向かったのは奇しくも尾行の時に菫子が物陰として隠れた長屋だ。
先ほどの倉は工房兼倉庫という扱いで、こちらの一間が瓦職人の店なのだという。
「お店にしてはボロっちいね」
店構えはかなり控えめ。隣と寸分変わらぬ引き戸の入り口に表札と無地の木札が掛かっているだけ。
菫子が裏返った木札を返すと商い中と書いてあった。
「職人は基本表通りに面した長屋を使うのよ。こんな普通の借家でやって人が来るのかしら」
霊夢が呆れているが、あの神社に居る人が言えたことかと菫子は思った。
「隠れ家的お店なんだよ」
大家から預かった鍵を使い二人は店に踏み込んだ。中は下足を脱ぐだけの玄関と六畳間といった感じ。接客スペースなのか手前の方は仕切り板で区切られ、座布団と丸机が小綺麗に置いてある。
顧客名簿と書かれたノートを菫子が見るが、何も書いてなかった。
「こっちも意外と綺麗よ、趣味は……悪いけど」
恐る恐る奥を覗いた霊夢が言う。
仕切りに隠された奥には、古びた箪笥や本棚と簡素な作業台があって瓦がいくつか置いてある。瓦が持ち込まれたり、見本で見せたりするのだろうか。
意外なことに水着グラビアアイドルのポスターやら、ボトルシップやら外来品と思わしき物も飾られ、寝床はやや隅に追い込まれていた。
生活部を最小限にした部屋作りは菫子も覚えがある。似た性格の人物かもしれない。
「このポスター誰だろ、なんとまあ大きいね。拝んだら御利益とか無いかな」
一通り見回した後、思わずもう一度凝視してしまったポスター。少し古い物らしいが、扇情的な水着で大きな胸が強調されている。女子高生たるもの、少しくらいは気になる要素である。
「見てるだけで肩が凝るわ……目の毒よ。それにしてもあんまり職人らしい趣味じゃないわね」
ばっさり言う霊夢に、やっぱり巫女は根本的に違う生き物の気がした。
「趣味のこと言うのは良くないよ、私も女子高生だけどオカルト趣味が高じてここに居るしね」
幻想郷に来たのは結構頑張ったと思う。菫子はえへんと威張って見せたが、霊夢はそれも興味が無さそうだった。
「魔理沙のゴミ屋敷よりは良いけど。あら、この瓦は綺麗ね……」
霊夢がぱっと明るい声になる。霊夢が見つけたのは澄んだ青い陶器瓦だった。
「へー、間近で見ると瓦も中々乙なもんだね」
屋根なんてソーラーパネルにでもした方が有意義と思う菫子だが、その目からしても綺麗な物として映った。視線を吸われるような青に、優雅でダイナミックな曲線が荒々しくも柔らかい。美術品のようだ。
「紙に何か書いてあるわね」
霊夢が瓦の下敷きになっていたメモを手に取る。上薬や材質の配合が並んでいて、その下に殴り書きが一つ。
「セイロク瓦。色味が濃い、実用にも耐えかねる、やり直し……」
「もっと良い物を作ろうとしてたんだね。それなのにカゲワニに……」
殴り書きには次こそはという熱意がある気がした。なのに理想を追い求める道中、カゲワニに喰われてしまった。そう実感してしまうとやるせない。彼にとっては世界が終わったのと同義なのだから。
「結構危ないのよ、幻想郷ってね」
「わかってるって。こっちにもメモあるよ。瓦を砕いた物で植物を育てる方法。瓦を地面に敷くと調湿機能が高まる可能性……職人ってより研究者みたいだね」
菫子は無造作に置いてある本を見つけ手に取る。瓦の専門書だった。捲っても殆ど興味がないものだったが、青緑瓦とあったのが目にとまる。
先ほどの紙と近しい単語の羅列と説明書きが載っている。陶器で作った瓦で外の世界で昭和と呼ばれる頃から人気を博した瓦、ということらしい。外と明記されているということは、この本は外を知る幻想郷の人物の書だ。
菫子は俄然興味が沸いて奥付を開いた。著者は無く河童印刷とだけあり、一枚のメモ用紙が挟まっていた。
これを読んでいる人が居たらこの本を河童に返して欲しい、出来れば人には知られないように。
そう書き残されていた。
「何かあったかしら?」
「ううん、なんにも」
菫子は手を合わせるように本を閉じた。おいそれと人に見せてはいけない気がする。偶然でも自分が見たのだから、残した人の想いに沿って上げたい。
それに霊夢に言うとややこしい気がした。この残し書きは明らかに遺書めいている。自分がカゲワニに喰われることを知っていたのだろうか。まだ理想が、野心があったはずなのに。
菫子の興味はカゲワニよりも家主に移っていた。
「さて、もう少し周りを聞き込みしてみようかしら、あのカゲワニは倉から出てこなかったし、きっと瓦屋にも何かあるのよ」
その後は特に面白い物も発見できず手詰まりを感じた。
「な、なるほど……私は疲れたし、少し散歩しようかな?」
「勝手についてきた癖に、掃除でもなく散歩しようってわけ?」
「最近の若者はこんなもんだから」
「それもジョシコーセーの症状かしら」
「霊夢も分かってきたね、んじゃねー」
菫子は手を振って歩き出した。例の本を懐に隠したまま。
河童といえば読んで字の如く川だが、今日はバザーがあると里の人が言っていたのを思いだし、菫子は命蓮寺へ向かった。最近境内を解放して場を提供しているらしい。
河童はすぐに見つかった、しかも顔見知りのにとりがいたのが幸運だ。こういう時、河童は大抵テキ屋で小銭を稼いでいる。今日も人通りの多いところで、焼きそばを売っているらしい。水色の服が実に目立っていた。
「本を返したいって、お前に貸した物なんて無いぞ。新手の還付金詐欺か?」
「私は代理なんだよね。河童に返してってさ」
難なく話しかけることが出来たが、あまり歓迎はされていないようだ。
「こっちだって暇じゃない、そうだなあ。焼きそば作るの手伝ってくれたら良いよ」
「そんな事言われても……」
自慢じゃないが菫子は目玉焼きでも成功率五割を切って焦がす腕前だ。安請け合いは危険過ぎる。
「最初に超能力で火を付けてくれれば良いからさ。後はどうせガス使うし」
それに何の意味があるのだろうか。しかもさっきからパイロキネシスも失敗してるので自信が無い。
「うーん、それならいいけど……先に取りあえず本受け取ってよ」
「良かろう」
本を渡すと、にとりは中身を見て唇を尖らせた。
「これ私が貸した奴じゃん! 又貸しすんなよなー。しかも替え玉に返させるって……あいつは何処行ったんだい、まさか逃げたのか」
今度は目も三角に尖らせて菫子を威嚇している。
「そ、そんなグルみたいに言われても……持ち主がもう居ないんだよ」
菫子はカゲワニに喰われてしまい、メモに従って返しに来たと宥めるように説明した。
「はぁ、そうかい……まったく。これは見る奴によっては怒りそうだから取り扱い注意の代物なんだよ」
外の記録だし、幻想郷的にヤバい筋の物でも書かれていたのだろうか。人一人が居なくなってるのに、にとりは変わらず仏頂面で唇を尖らせていた。やっぱり妖怪なんだな。
「まあ、返そうって気概を評価してやったげてよ」
「けっ、育つ技術があったから教えたのに。勝手にどっか居なくなるなんて詐欺だよ詐欺。お前もこれ読んだのか?」
「まさか、瓦に趣味ないし。それよりカゲワニ退治の為に、瓦屋で気になることあったら教えてよ」
本の話は地雷が多そうだ。菫子は話題を変えた。
「そうだなぁ、海に憧れてたから、カゲワニもそれに釣られて来たのかね」
「海ってあの塩辛い海?」
「そう、塩吹臼が沈んでるあの海だよ」
「それで青い瓦を作ってたのかな、今思うとマリンブルーな色合いだった」
「完成したら見せて貰う約束でいくらか本を貸したんだ。結局完成したのかね」
「里にあったのは凄く綺麗だったよ。本人は納得してなかったみたいだけど」
「そうか。それは後で私も見たいな」
にとりはようやく人なつっこそうな笑顔を見せた。「職人って時々変なことするもんだね、屋根を海色にしようなんて」
ボトルシップもあったし、海が好きというのは少し理解できるが、屋根をいじくる感覚はわからなかった。ただ、センスが暴走した珍妙なオブジェクトは意識高い場所には付き物だ。
「瓦屋根のことなんも知らないんだな。屋根瓦には海の装飾があるだろう」
「えーと、鬼瓦とかシーサーとかガーゴイルとか?」
にとり首を横に振ると、「これとか」と言って、突然地面にうつぶせになって体を反らした。頑張って足も反らしているが、意味不明だ。
「かっぱえびぞり?」
「ちがう! しゃちほこだよ、しゃちほこ」
「なんだ、渾身のギャグかと……言われればお城の屋根にはついてるや」
「あれは海の物だから、水に縁があって防火の力がある。民家には少ないけど他にも宝船とか亀とかな、うにゃうにゃしてる装飾は海藻がモチーフだったりする。何で海の装飾が多いかわかるかな?」
にとりは立ち上がって服をはたいた。何やら馬鹿にした風だったので菫子は真面目に考えた。
最初から瓦には海を連想させる要素があるのだろう。色で無いから形しかない。
「あの葺いた屋根の曲線や重なりが波に見えたんだね。それで海に縁のある物を防火の信仰と併せて作ったと」
「うむ、満点の回答だな」
「ふふん、そこまでヒントを貰えればね。つまりカゲワニが出てくる土台はあったのね」
高校生たるもの、満点と評価されると自然と口元が緩んでしまう。
思えば幻想郷では基本はよそ者扱いだし褒められることは少ない。
「それじゃあ、そろそろ焼きそば手伝ってよ、火を付けるだけで良い。後で焼きそばもあげる」
「う、うん……」
忘れかけていた厄介ごとに、菫子は顔を曇らせる。 いつの間にか目の前の鉄板に立方体の木片が置かれた。これに火を付けろという事らしい。
「さあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい、世にも奇妙なエスパー焼きそば始まるよー! 食べればあなたも超能力が芽生えるかも? しかもお肌ツルツル・滋養強壮・血液サラサラ……かも!」
にとりの嘘八百客引きで通行人の視線が菫子達に集まる。どうせこんなことだろうとは思った。
失敗覚悟で慎重に念じると小さな煙と同時に興味を示す声、焦げ付くのと同時にざわめく声、着火と同時に程々の歓声がわき上がる。心配していたのが嘘のように難なく火がついてしまった。
「ふー、さっきは上手くいかなかったから心配してたんだ」
「瓦職人の所か? あそこは防火のまじないが死ぬほどあるから超能力じゃ無理だよ。あいつの技術と信仰心は一流だからな」
「ああ、そういうことか」
もうバイロキネシスを使うつもりはないが、それだけの効果があるなら、あの瓦屋根に海の妖怪が居るのも道理に思える。
にとりは燃える木片をコンロに突っ込んでガスを供給して調理再開した。ただの焼きそばにしか見えないが、最後に銀箔を乗せていた。鰹節ばりにうねうね動く銀箔が生き物みたいで気色悪い。とても買いたいとは思えない
「曲がるスプーンをイメージしてみました」
「シェフの気まぐれって奴だね」
予想に反し人が群がってきて菫子も売り子せざるを得なくなる。
「味も原料も変わらないのに、意外と興味持って貰えるもんだねー」
「きっかけがあれば後は勝手に膨らむもんさ。それに応えて焼きそばも美味しくなる」
「エスパーなんて名前付けられて焼きそばも苦労するね」
「外の世界では未確認飛行物体焼きそばが流行っていると聞いたぞ。あ、真似しよ」
「別にネーミングの問題じゃ無いと思うけどね」
にとりは屋台の焼きそばという文字の前に手書きのESPを書き足して満足気だ。
野菜が無くなり、にとりが買い足しに行く準備をしていると霊夢が飛んできた。菫子を探しに来たようだが、にとりを見ると思い出したように袖口から本を見せた。
「これ、瓦屋が河童に返せって本。あんた達妙なことしてないでしょうね」
二冊目の忘れ形見があったらしい。霊夢はにとりの背負うリュックに乱暴に突っ込んだ。
「勝手にさわんな! べつに変なことはしてないぞ」
「海老反ってただけだよね」
「阿漕なテキ屋やったり、外の技術に詳しすぎて怪しいのよ……」
霊夢は訝しげに睨むとにとりは苦笑いだった。
「それよりも霊夢! 海の妖怪が出てこれた理由は分かったかも! 私なら上手く退治も出来ると思うんだ」
菫子はVサインを突きつけるが、霊夢は不思議そうに首を傾げた。
まだ青い大空の下、にとりとした話を説明し土蔵に向かう。霊夢もそれには納得を示してくれたが、腑に落ちない点もあるのか考えているようだ。
菫子は選別に渡されたESP焼きそばのパックを開封。割り箸を咥えて片手で割った。何だか持って行くのも荷物になるし、消費しておきたい。銀箔はもう死んだように焼きそばに張り付いていた。
「そういや霊夢は周りの人を調べていたんだっけ、そっちはどうだったの?」
「海好きはこっちも皆知ってた。半年前まで表通りで店を開いてて変人で有名みたい」
「なんだ、結構オープンだったんだね」
じゃあ霊夢について行っても分かったかもしれないなと考えつつ焼きそばをすする。
焼きそばは奇妙な見た目に対し、ビックリするほど普通の味だった。普通に美味しい。
「そっちはやれ貝だ珊瑚だ海の物だらけだったとか。しかも他人に一緒に海を作ろうとか言ってたみたい」
「そりゃなんというか……理想の変人だね」
「腕はあっても世迷い言ばかり、耳にタコができる位聞かされたわ」
「難儀な人だったんだね……」
焼きそばが詰まったわけでもないのに、スムーズに言葉が出ない。
少し前の自分と完全に一致するじゃないか。変人を演じて周りに壁を作り、生半可な奴らを自分の領域に入れさせない。その上で自分の思うことに没頭するのだ。菫子の場合はオカルトじみた部活に勧誘するとものだったが。人ごとにも思えない。
「でもさ、新しい所はそんなに海ってイメージでもなかったね。隠れキリシタンみたいにしてたのかな?」
「変人扱いに嫌気がさしたんでしょ」
霊夢は素っ気なく言って唇を噛んでいた。
きっと変人扱いは学校で腫れ物を演じるのとは別次元なのだろう。
菫子も状況が特殊とはいえ格好が奇抜なだけで石を投げられたくらいだ。深入りするのは気が重い。脂ぎった人間関係は苦手だ。
「とにかくそれだけ好きだったならカゲワニが出てきても不思議じゃない」
「海好きとカゲワニが関係あるの?」
「カゲワニは影を食うけど、それは海面に身を乗り出して影を落とすような奴しか食わないってことなのよ。瓦職人は海に対して前のめりになりすぎたのよ」
「そっか、身を乗り出すと海に落ちて鮫にでも喰われるっていうのが元凶なのかな」
妖怪は得てして教訓めいた意味も持つという。カゲワニもそんな戒めの具現化かもしれない。
「必要があって覗くこともある。でも魅入られてるような奴にも、カゲワニみたいな奴は寄ってくるのよ」
幻想郷で瓦に海を見て、海の妖怪を引き寄せたなら、これほど真意の証明は無い。例え変人と揶揄される人でも、菫子には尊敬できる人物に見える。
菫子は焼きそばのパックをその場に捨てた。河童特製で雨で溶けて栄養になるそうだ。人間関係もこの位エコだと助かるのに。
戻った土蔵の入り口前で二人は扉と対峙する。
見上げた灰の瓦屋根にカゲワニの姿はなく静まりかえっている。海と縁があると思うと、色こそ違うが屋根瓦は青い空に繋がって果てが無い気がした。
扉を開け放して中も確認するがカゲワニは身を潜めているのか見当たらない。
「で、どうやって退治するって」
「簡単だよ、瓦を全部落とせばいい。サメじゃ無くて土台を壊すの!」
「なんだ、アナログね」
「コペルニクス的転回と言って貰いたい。私ならESPで落とすから霊夢は見てるだけ。やってもいい?」
「退治しないと土蔵も死物同然だしね。良いでしょう」
霊夢は面倒くさそうに頷いている。早く片を付けたそうだ。
「んじゃ、私流の寸勁瓦割り見せてやる!」
菫子は念を込め瓦を屋根の隅から順に落とした。
屋根を丸ごと剥がすのは難しくとも、瓦なら少しずつ力業で剥がして連鎖のように地面に叩きつける事ができる。カチャンと瓦同士のぶつかる音が小気味良い。
「うっひゃっひゃへっへ、何か面白くなってきた」
「女子高生の笑い方って怖いのね」
普通の瓦は割れにくいそうだが、日々の小さな鬱憤晴らしもかねて地面に叩きつけていたのでそこそこ割れている。瓦を落とし続けていると、全体が少しズレた。
「あんた敷いてある土ごと落としてない? あんまり落としすぎると……」
「あっ、やばい」
基礎となってる部分を壊していたらしい。想像を超えた量の瓦が雪崩のように滑りはじめた。このままでは菫子の居るところも無事かは怪しい。
菫子は咄嗟に手で頭部を守ろうとしたが、霊夢に襟首を掴まれ一緒に土蔵の中に突入させられて尻餅ついた。
「全部落っこちるわよ」
「ごめん。でもできたらもうちょっと早く言って貰えたら嬉しかった」
雷が落ちたような凄まじい破砕音が一気に轟く。菫子は思わず目を瞑る。ものの数秒で元の静寂を取り戻した。
菫子が居たところにも瓦の破片が転がっていて、霊夢の勘の良さが骨身にしみる。
首だけ外に出すと、砂埃が薄く舞っているが視界はある。
「……やったかな」
「そういうのフラグって言うんじゃない?」
「いやー、言ってみたくなっちゃって」
背に呆れた声を受けつつも、菫子は視界の端にカゲワニを捉えた。ダメージはあるのか、背ビレは色が薄くなっていて、ふらふらと動いた後、菫子の方を向き治った。
「げっ……」
鬼気迫る勢いで身構えたが、カゲワニはそっぽ向いた後、勝手に色が薄くなって消えてしまった。
「見た見た見た!? 今の絶対やっつけたよね! 私凄くない?」
菫子が満面の笑みで振り返ると、霊夢が真剣な顔でカゲワニの背ビレと睨み合っていた。
「まだいるじゃん!」
「最初見たのは中だったし、二匹いたみたいね。中の瓦も全部外に出して!」
土蔵内の元気なカゲワニが手に負えないのは一度経験している。霊夢は牽制の札を投げつけて時間稼ぎに転じたようだ。
菫子は辺りを見回した。板張りの床にキューブ状にみっちり積まれた瓦の塊がたくさん。そのほかにも点々と瓦や装飾が置かれている。
流石に土壁をぶち破って外に出すことは難しい。全部入り口から出さねば。菫子は念力でブロックを戸口に通るサイズまで小分けにして外に出す。
「ちょっと時間掛かるかも」
どんどん瓦が排出され、外から瓦の割れる音がする。遠目から見たらさぞ奇妙な光景だろう。
飛ばしている物の中に凝った細工がある鬼瓦や、にとりの言っていたように船や亀といった瓦製の装飾も見えた。さっきはストレス解消にしたが、意匠があると気が咎める。でも丁寧に扱える余裕もなく心を鬼にして放り出していった。
隅に落ちている最後の一個を拾って手で窓に放り投げた。
「これで、全部だよ!」
気疲れを振り払って霊夢を見るが、どう見てもカゲワニはまだやる気に満ちている。
「まだどっかあるはず、探して」
霊夢が結界で阻み、あっかんべしてカゲワニを煽っている。いつまでもやらせるのは酷だ。
菫子は入り口で必至に頭を絞る。
中と外のカゲワニが別物なら、同じ所に二匹は出ないみたいだ。屋根のカゲワニは瓦を落としたら消えた。しかもその時は瓦と一緒に落ちていたのだから、土蔵内のカゲワニだって瓦の上にいると考えるべきだ。
そういえば店のメモに瓦を床に敷くという奇抜な物があった。
「ということは、うりゃあぁ」
菫子は奇声を上げながら床板を剥がす。
下には屋根瓦が整然と敷き詰まっていた。きっと床の瓦も実験した内容なのだろう。
「床板全部剥がすから飛んで!」
霊夢がべろべろばーしながら飛び上がってる隙に全部の床板を剥がし、その下の瓦も全部外に放り出した。土台ごと動かすのは屋根でも予習していたので楽勝だ。
地面は耕したようにぐすぐずになった。菫子はやりきった疲労で大きく息をついたが、カゲワニはゆらゆらと弱ったそぶりを見せつつもまだ動いている。 先ほどの物と違って色も濃くて、禍々しい。霊夢もその様子に少し驚いたらしく入り口まで引いた。
「な、なんかやばくない? 瓦が無くなったのにどうして消えないんだろ、上の奴と違うのかな」
「きっと上のカゲワニは瓦職人の海への信仰心に寄ってきただけ。放っておいても信仰する奴が居ないから消えたかも。でもこっちは他にも糧になる物があるみたいね」
「瓦職人以外にここに海の信仰を持ってる人が居るってこと? でも瓦が無い今何が残ってるの?」
「妖怪って最初は決まった場所に決まった条件が無いと出てこないのよ。退治されたらそこで終わり。でも人に見聞きされてると、そのうち話がブレて条件や事実を超えてまた出てくる」
霊夢はやたら遠回しに言っているようだった。
強い妖怪は退治しても復活するというのは聞いたことがある。残り香の恐怖が信仰のようになって再び顕現するとか。
カゲワニもそうだというなら、海への信仰ではなく、怖がられていたということだ。だがそれはカゲワニその物でもない。
「里の人たちは居なくなった瓦職人の土蔵を今でも……」
海好きなおかしな人物が住んでいて、海の怖い妖怪でも出そうな場所。そう認識してしまっている。
「取りあえず退治する。それでも出てきたら土蔵ごとつぶすしかないわね」
満身創痍のカゲワニに霊夢が大きめの札をぶつけると一瞬ひどく暴れたが跡形も無く溶けるように消えた。土蔵は全くのがらんどうになってしまって、菫子は少し心が痛んだ。
霊夢はその後に妖怪は退治したと周辺に触れ回って土蔵の中も散々見させた。もう妖怪なんていない。そう思わせることが本当の退治なのだという。
何故かその際にとりも一緒に来て、菫子が割った瓦の中から綺麗な物を見繕い河童瓦そばを土蔵で売る計画を持ちかけてきた。
商魂のたくましさに菫子の開いた口はふさがらないが、もしかすると河童なりの弔いかもしれない。
霊夢と菫子は再び長屋の店に来ていた。身寄りも無く片付けて欲しいとせがまれてしまったのだ。まだ里の人は瓦職人に疑心があるので、放ってはおけない。
霊夢はぶつくさ言うが、菫子は悪い気がしなかった。プライバシー的には良くないが、瓦職人の事をもう少し知りたい。
片付けている内に瓦職人の写真も見つけた。絶妙に平凡かつ特徴の無い顔で、逆に親近感が沸いてきた。
そんな中、またもグラビアポスターが菫子の目にとまる。
「あんたコンプレックスありすぎじゃない?」
「違うって、これもきっと海が映ってるから飾ってたんだろうなって」
最初は気がつかなかったが後ろに海も見える。もちろん水着のアイドルが殆どを占めるが、わざわざ南国だ撮ったらしく青というより鮮やかな緑色だ。
「確かに綺麗な海ね。本当に隠れキリシタンみたい」
「瓦職人は夢を見すぎて食べられちゃったのかな、それとも里の人たちに怖がられ過ぎて食べられちゃったのかな」
屋根と床のカゲワニは信仰と恐れが生んだのだ。菫子はそう言い換えたくなった。
「さてね、お腹に入ったら全部一緒でしょ」
「そうかな……私だったらせめて屋根の方に食べられたいな。誰にも褒められず認められなかったけど、夢が叶ったからこそカゲワニは出てきたんでしょ」
「喰われたら終わりよ。せめてとかどうせなら、そんなの考えるだけ無駄」
霊夢は散らかっているメモを手際よく屑箱に詰め込んでいる。
「そうなんだけどさ……」
「それに瓦職人は周りに会わせる気がなさ過ぎたのよ、指弾されるような立ち振る舞いをしたのは本人」
霊夢は正当化するなと言いたいのだ。それは理解できても菫子にはモヤモヤとした感情が頭に渦巻いて離れない。
それなら自分もそんな目に遭ってしまうのだろうか。何かに喰われて滅びる運命なのか。考えずには居られない。
悩める菫子を見て、霊夢は背を丸くするほど深く息をした。
「意外と感傷的なのね……私は別の所で気になっていることが幾つかあるのよ」
「気になること?」
「表の長屋にあった海関係の物が殆ど処分されてるのが腑に落ちないのよ。それに店を縮小しすぎ、新しい客を呼び込むつもり無かったんでしょうね」
「身辺整理したんでしょ、本のメモだってあったし」
「その河童の本が気になるのよ。返す機会は十分あったはずなのに返してないでしょ」
探せば菫子でも見つけられた河童に、直接返さずに一か八かのメモに残すの不思議ではある。
「河童に本を返したかったけど、返す理由を説明できなかったんだわ」
「約束した瓦が完成してなかったんだから当然だよ。死ぬからな返すなんて言えないし」
「かもね。ただ巫女の勘というか、こういう奴は時々変な事しだすから」
不敵な笑みを向けられて菫子は反応に困るが、もっと困ったことに視界がぼやけてきた。
現実世界の方で目が覚めそうとしている証だ。
「う、なんか、もう起きちゃいそう、またね霊夢……」
「え! ちょっと片付け一人でさせる気?」
「ぐ、ぐえー」
霊夢が引き留めようと胸ぐらを掴んで乱暴に揺するが、むしろ覚醒が促進されているようだった。
「ふがっ」
眩しい日差しが寝ぼけ眼に染みる。見知り過ぎた学校の教室だ。起きたのは丁度古典の小テスト前だった。意外と実時間は経っていない。
多少暗記していれば解ける内容で、菫子はさっさとシャーペンを走らせ、見直しも二回して時間を持て余した。
やっぱり学校で寝てしまうのは良くないだろうか。気怠いし不真面目に思われるだろう。もっとも、先生もテスト中見回りもせずうとうとして本気で反省できないが。
自分を程々に戒めつつ、菫子は窓の外を見た。相変わらず猫の額程で縦長の海。だけど本物の海だ。
誰かの望んだ景色と思うと、好きでも無い自分が感動もなく見るのは酷く浪費に思える。だからって興味が無ければありがたく思うのは難しい、それは女子高生じゃなくて人間の性だ。
「オーシャンビューで良い眺めだね」
しかし心にも無いことを平気で言う奴も居る。隣の席で、しかもテスト中。
怒られろ。先生に視線を送るが。意識を手放して完全にタイマーに委任している。全く職務怠慢である。
「あんな切れっぱしの海、つまんない景色だよ」
「どんな景色だったら面白いのさ」
菫子は考えるまでもなく答えた。
「巫女が飛んだり、屋根に鮫がいたりすると面白いと」
「そんなの見飽きたけど」
「は? あなたも随分と適当なこというね」
きっと相手からすれば菫子にこそ相応しい言葉だったはず。振り向いたら見慣れない男子生徒が居た。制服を来た不審者ではなく、今日入ってきた転校生だ。
その瞳は菫子を映していなかった。窓の外、縦長の海をおもちゃの詰まった宝箱でも見るような、希希望の目で見ている。
そして気づいてしまった。平凡かつ特徴の無い顔。夢でみたあの写真に瓜二つだ。
「えぇ! その、あの……」
もしかして幻想郷から? 喉から出かかった。けれどその先は確かめないでおいた。彼と自分で一つだけ違う物がある。
彼はきっと幻想郷を捨てたのだ。
興味で幻想郷に行きたがる自分とは逆に、興味で外に出てくる奴がいる。それは自分が一番望んでいた共感を持ち合わせている人物だ。
いや、そうじやなくて。もっと単純に私しか言ってあげられない言葉を言ってあげたい。
菫子は小さくはにかんだ。
「おめでとう」
ストーリーの妖怪退治だけでも面白いのに、その後ろに見え隠れた幻想郷への愛憎がたまらない
菫子ならではの不穏な視点を穏やかな語り口で表現できたのはなんか原作らしくてすごく上手いと思う
サメとのバトルシーンがテンポよく楽しかったです。
ラストも最高でした