古明地さとり。
古明地さとりは心を読むことができる。
地底で、地霊殿というお屋敷に住んでいる覚(さとり)妖怪。
古明地さとりには、古明地こいしという妹がいる。
古明地こいし。
古明地こいしは、以前は心を読む事が出来たけど、出来なくなった。
何故かというと、それはこいし本人にもよく分からない。
何故よくわからないかというと、こいしは自分自身の心も読めなくなったからだ。
心を読めなくなった代わりのように、『無意識を操る』という能力を彼女は持った。
古明地こいしが言うには、今の”古明地こいし”は”無意識の中を泳いでいる”らしく、常人のように見えることもあるし、ふらふらと夢遊病患者のように歩いていることもあるそうだ。
こいしの意思が出ることもあれば、無意識が出ることもある、ということ。
例えば少し前に■■は、■■自身を”古明地こいし”と表記していた。
つまり。
今、この書き言葉は■■の視点から見た、■■の言葉であって、三人称視点――他の誰かから見た言葉ではないのである。
実際の所、■■自身はこいしの無意識の中にいて、今こうやって言葉を発しているのに、『古明地こいし』という名詞をまるで三人称の言葉のように使う。
どうしてこんな分かりにくい事をするのか。その理由は古明地こいしの無意識に聞かないと分からない。
え? それが■■じゃないのかって?
■■とこいしが同値かどうかは分からない。第三者の観測者がいないからだ。
では■■とは何か? 古明地こいしの体を操っている何かなのは間違いない。
ということはやはり、広義で解釈すると■■がこいしの人格の一つということになり、それは古明地こいしであっていい、はずである。
しかし古明地こいしはそれを肯定しない。
もっともそれは古明地こいしの判断であり、客観的な事実ではなく。
本質的にはどちらが古明地こいしの体を動かしているかというと、それも分からない。
これも観測者がいない事に因る。
古明地さとりにも古明地こいしの心が読めないから、もうどうしようもない。
そうなると■■の意思もこいしの意思も、存在すら未確定。でも、存在しない事は証明するのが難しいから、えーと。
こういうの悪魔の証明って言うんだっけ。よく思い出せないから、お姉ちゃんに聞いてみようか。
今のはこいしの言葉だ。古明地こいしの意識が出始めているらしい。
勿論、妖怪だろうと人間だろうと、自分の心をはっきりくっきり理解してる生き物はいないと思う。
お姉ちゃんに聞くと、何事にも例外はあれど、人間は身体が弱いけど、精神的には妖怪よりも強いらしく、
妖怪は身体は丈夫だけど、心の方は人と比べて精神的に弱いらしい。
心は複雑で、繊細で、不鮮明で、人によって差がありすぎるのが問題だ。
心が読めるお姉ちゃんだって、その半分だって理解できているか分からない。
『古明地さとり』の代名詞が『お姉ちゃん』になりだした。 もう半分ぐらいはこいしの意識が目覚めてきている。
でも古明地こいしの心は、本当はまっくら。ぼんやりとさえ見えはしない。
いや暗いとかもうそんな優しいレベルじゃなくて、暗黒とか漆黒とか、深淵の闇みたいな――
なんかむず痒い言葉を使ってしまった。ああくすぐったい。死ぬほどくすぐったい。
もしペットやお姉ちゃんに聞かれていたらと考えるだけで顔が真っ赤だ。核融合だ。灼熱だ。
『私』はひとり、ベッドの上でのた打ち回っている。
ああ、ようやく私が戻ってきた感じだ。出来ればこんな戻り方はしたくなかったんだけど。
うーん、それにしてもお腹が減った。今何時かな。
と思ったら、ちょうど朝ごはんの時間だったみたいでほっとする。
急いで食堂に行ったら、いつも通りのことだけど、お姉ちゃんが私より早く席についていた。
髪も服装もちょっと素っ気ないけど乱れはない。几帳面なお姉ちゃんらしい。
私が急いで椅子に座ろうとすると、走って来たのをお姉ちゃんにたしなめられた。まあこれもいつも通りだ。
「お姉ちゃんの名前ってさ、”古明地さとり”だよね」
「どうしたのこいし、突然」
「覚(さとり)妖怪だからさとり、だなんて、あんまりじゃない。
猫の名前にねこ、って付けてるのとおんなじだよ」
「そういう人もいるんじゃないかしら」
「でもさ、もっと可愛らしい名前の方がいいでしょ? 名は体を表すって言うじゃない」
「名が体を表すのなら、”古明地さとり”は丁度良いでしょう」
「だからー、覚妖怪としての体じゃなくて、お姉ちゃん自身を表す名前だよ。
お姉ちゃんのイメージをこれ以上なく体現できて、言語学的にも心理学的にも形而上学的にも納得できるようなの」
「……ちゃんと分かってその言葉を使っているのよね、こいし?」
「なんとなくは。で、私が考えたお姉ちゃんの名前がねー」
結局、言う前に却下された。
よく考えたら、名前を変えるのは色々と問題があるからあだ名で妥協すべきだったと思う。
妥協は重要だ。
交渉において妥協しないでいいというのは、両者が対等でないという事だ。
でも、私とお姉ちゃんは対等であるべきかもしれないし、そうじゃないほうが良い気もする。
姉妹の関係は姉が上、というのが一般論で、たぶん私たちもそうなのだけど、逆の場合も結構あるらしい。
まあ他のみんながそうでないとしても、私たち姉妹のバランスは時々逆になる。例えばお酒を呑んだ時。
お姉ちゃんはお酒に弱いのだ、それはもう。
私もお酒に自信はないけど、お姉ちゃんほど弱くはない。
宴会やなんかで鬼が出す酒をお姉ちゃんが呑むとなると、えらく強い酒ばっかりだから一杯や二杯で頬が染まってしまう。
酔っぱらった時のお姉ちゃんの可愛さというともう、まさしく筆舌に尽くしがたい。
いや、普段のお姉ちゃんだって十分にかわいい。天衣無縫なクールとデレの超融合はもはや三國無双で数え役満。
それでいてエスプリの効いたシニカルさはスノビズムを感じさせず、もののあはれでさもありなん。
ゆるふわカールでやんわりパーマの癖っ気な髪がナチュラルビューティーでモテカワスリムのピュアアンドセクシーのハニートラップでロハスのスイーツなわけだ。
つまりお姉ちゃんは表情に乏しいように見えて実は心中目まぐるしくて、表情に出ないぶん余計他に出やすい。行動とか仕草とか。
そのくせ恥ずかしがる時は、特に顔によく出る。この前の――閑話休題、お姉ちゃんの酩酊時の態度へ戻ろう。
まずお姉ちゃんはほろ酔いの状態だと3割増し饒舌に語るようになり、いつもの堅苦しい雰囲気が解ける。
感情的にもなるし表情もよく変わるし、あんまり回らない舌を無理に回そうとしてよく噛む。これもかわいい。
いつもはこれ以上のラインを超えないようにしているらしく、特に大人数の時や、外の宴会の時はこのあたりで杯が止まる。
しかしそこへ更にお酒を入れると、今度は段々と静かになってカタコトになる。
「だめ。 こいし、もうだめ」って、ぼんやりした眼で言う。ほっぺをむにゅむにゅしても「むー」としか言わない。
いたずらで鼻をつまむと「にゅ」とか「ふみゅ」とか言って「んー」って言いながら怒るし、耳を触ってみたりするとこれまたやらしい感じの吐息を漏らす。
こうなるとお姉ちゃんは隙だらけ。うふふ。
いつものお姉ちゃんからは考えられないぐらい素直になって、さらにスキンシップも全く嫌がらないという確変状態。
むしろ甘えてくる。猫のお燐より猫らしく、猫撫で声さえ出した事がある。地上では音を保存する機械があるが地底には無いのを残念だと心底思った。今度探してこようと思う。
さらにさらに重要なのが、この時のお姉ちゃんにはそれ以降の記憶がほとんどないのだ。
酔いつぶれたお姉ちゃんを寝室まで運んだことがあって、その際に怒られるのを覚悟で――や、――なことや、――をやってみたのだけど、
翌朝には普通に起きてきて、一緒にごはんを食べた。恐る恐る昨日の事を聞いても、介抱してくれてたみたいねありがとう、みたいな事しか言わなかった。
つまり――
「こいし、大丈夫?」
はっ。
お姉ちゃんの声で我に返る。お姉ちゃんはすごく心配そうな顔で私を見ていた。
ぽっかり空いていた口を慌てて閉じる。うん、よだれは垂れていない。
私を心配してくれているのは嬉しいけど、そうでもない時に心配されるというのはなんか罪悪感がある。
「大丈夫だよ。お姉ちゃんの体について考えてただけだから」
と私が言うと、非常に微妙な顔で溜息をつかれた。 それはそれで悲しい。
でもデザートの蜜柑が結構甘かったので、気分的にはイーブン。中和。
お姉ちゃんは私をとても心配してくれている。
私が”第三の眼”を閉じて、私が何をしたのかよく覚えていないことがあっても、本気で怒るような事はなかった。
怒っても無駄だと見放されていたのかもしれないけど、お姉ちゃんは眼を閉じた私の事をどう思っているのだろう。
覚妖怪としての能力を失った私にはもう、お姉ちゃんの心が読めない。
心を読むのは好きじゃなかったけど、いざ読めないとなると余計に知りたくなってしまう。お姉ちゃんのことなら尚更に。
はて?
じゃあ私はどうして心を読むのを止めたんだろう?
人の心なんて読んでも落ち込むだけ。良い事なんか何一つない。
うん、前まではよくそう思ってた気がする。
でも私が「心を読んでません」なんて周りのみんなに言ったって、誰がそれを信じてくれる?
”第三の眼”が開いてないからって、心を読んでないとは限らないじゃない。
案の定、私が眼を閉じた後だって、心を読めなくなったことをほとんどの人が信じてくれなかった。ちょっとひどい事を言われた事もあった。
今だって、本当の意味で信じてくれているのはお姉ちゃんだけだと思う。
だけど”第三の眼”を閉じてから――私は他の人の事なんて、なんかどうでもよくなってきていた。そんなの、気にするだけ無駄な気がしてきて。
他人を気にしなくなったから、心を読むのを止めたのかもしれない、でもそれじゃ辻褄が合わないな。
うー。こんがらがってきちゃった。
いいや、ごはんも食べ終わったから遊びに行こう。
「こいし。出かけるのはいいけど――」
「うん、分かってる。 ちゃんと晩御飯までに帰るよ」
「そうしなさい。今日のおゆはんはハンバーグにするから」
「やった!」
私が心を閉じるまで、私とお姉ちゃんは一つだった。
覚妖怪どうしの意思疎通は、心が重なり合うみたいに鮮明で、直接的だ。
私とお姉ちゃんは、体はもちろん分かれているけれど、まるで二つで一つのように、お互いが溶け合っていた。
私はお姉ちゃんを理解していたし、お姉ちゃんだって私を理解していた。
なのに私は眼を閉じてしまった。私は一体誰の為に、何の為に目を閉じたのでしょう。
お姉ちゃんに心配をかけてまで、私が眼を閉じた理由。
思い出せない。
思い出せないなぁ。
思い出せなくていいかな。
思い出さなくていいかな。
古明地こいしは地霊殿を出て、ふわふわと遊びに行く。
古明地さとりは心を読むことができる。
地底で、地霊殿というお屋敷に住んでいる覚(さとり)妖怪。
古明地さとりには、古明地こいしという妹がいる。
古明地こいし。
古明地こいしは、以前は心を読む事が出来たけど、出来なくなった。
何故かというと、それはこいし本人にもよく分からない。
何故よくわからないかというと、こいしは自分自身の心も読めなくなったからだ。
心を読めなくなった代わりのように、『無意識を操る』という能力を彼女は持った。
古明地こいしが言うには、今の”古明地こいし”は”無意識の中を泳いでいる”らしく、常人のように見えることもあるし、ふらふらと夢遊病患者のように歩いていることもあるそうだ。
こいしの意思が出ることもあれば、無意識が出ることもある、ということ。
例えば少し前に■■は、■■自身を”古明地こいし”と表記していた。
つまり。
今、この書き言葉は■■の視点から見た、■■の言葉であって、三人称視点――他の誰かから見た言葉ではないのである。
実際の所、■■自身はこいしの無意識の中にいて、今こうやって言葉を発しているのに、『古明地こいし』という名詞をまるで三人称の言葉のように使う。
どうしてこんな分かりにくい事をするのか。その理由は古明地こいしの無意識に聞かないと分からない。
え? それが■■じゃないのかって?
■■とこいしが同値かどうかは分からない。第三者の観測者がいないからだ。
では■■とは何か? 古明地こいしの体を操っている何かなのは間違いない。
ということはやはり、広義で解釈すると■■がこいしの人格の一つということになり、それは古明地こいしであっていい、はずである。
しかし古明地こいしはそれを肯定しない。
もっともそれは古明地こいしの判断であり、客観的な事実ではなく。
本質的にはどちらが古明地こいしの体を動かしているかというと、それも分からない。
これも観測者がいない事に因る。
古明地さとりにも古明地こいしの心が読めないから、もうどうしようもない。
そうなると■■の意思もこいしの意思も、存在すら未確定。でも、存在しない事は証明するのが難しいから、えーと。
こういうの悪魔の証明って言うんだっけ。よく思い出せないから、お姉ちゃんに聞いてみようか。
今のはこいしの言葉だ。古明地こいしの意識が出始めているらしい。
勿論、妖怪だろうと人間だろうと、自分の心をはっきりくっきり理解してる生き物はいないと思う。
お姉ちゃんに聞くと、何事にも例外はあれど、人間は身体が弱いけど、精神的には妖怪よりも強いらしく、
妖怪は身体は丈夫だけど、心の方は人と比べて精神的に弱いらしい。
心は複雑で、繊細で、不鮮明で、人によって差がありすぎるのが問題だ。
心が読めるお姉ちゃんだって、その半分だって理解できているか分からない。
『古明地さとり』の代名詞が『お姉ちゃん』になりだした。 もう半分ぐらいはこいしの意識が目覚めてきている。
でも古明地こいしの心は、本当はまっくら。ぼんやりとさえ見えはしない。
いや暗いとかもうそんな優しいレベルじゃなくて、暗黒とか漆黒とか、深淵の闇みたいな――
なんかむず痒い言葉を使ってしまった。ああくすぐったい。死ぬほどくすぐったい。
もしペットやお姉ちゃんに聞かれていたらと考えるだけで顔が真っ赤だ。核融合だ。灼熱だ。
『私』はひとり、ベッドの上でのた打ち回っている。
ああ、ようやく私が戻ってきた感じだ。出来ればこんな戻り方はしたくなかったんだけど。
うーん、それにしてもお腹が減った。今何時かな。
と思ったら、ちょうど朝ごはんの時間だったみたいでほっとする。
急いで食堂に行ったら、いつも通りのことだけど、お姉ちゃんが私より早く席についていた。
髪も服装もちょっと素っ気ないけど乱れはない。几帳面なお姉ちゃんらしい。
私が急いで椅子に座ろうとすると、走って来たのをお姉ちゃんにたしなめられた。まあこれもいつも通りだ。
「お姉ちゃんの名前ってさ、”古明地さとり”だよね」
「どうしたのこいし、突然」
「覚(さとり)妖怪だからさとり、だなんて、あんまりじゃない。
猫の名前にねこ、って付けてるのとおんなじだよ」
「そういう人もいるんじゃないかしら」
「でもさ、もっと可愛らしい名前の方がいいでしょ? 名は体を表すって言うじゃない」
「名が体を表すのなら、”古明地さとり”は丁度良いでしょう」
「だからー、覚妖怪としての体じゃなくて、お姉ちゃん自身を表す名前だよ。
お姉ちゃんのイメージをこれ以上なく体現できて、言語学的にも心理学的にも形而上学的にも納得できるようなの」
「……ちゃんと分かってその言葉を使っているのよね、こいし?」
「なんとなくは。で、私が考えたお姉ちゃんの名前がねー」
結局、言う前に却下された。
よく考えたら、名前を変えるのは色々と問題があるからあだ名で妥協すべきだったと思う。
妥協は重要だ。
交渉において妥協しないでいいというのは、両者が対等でないという事だ。
でも、私とお姉ちゃんは対等であるべきかもしれないし、そうじゃないほうが良い気もする。
姉妹の関係は姉が上、というのが一般論で、たぶん私たちもそうなのだけど、逆の場合も結構あるらしい。
まあ他のみんながそうでないとしても、私たち姉妹のバランスは時々逆になる。例えばお酒を呑んだ時。
お姉ちゃんはお酒に弱いのだ、それはもう。
私もお酒に自信はないけど、お姉ちゃんほど弱くはない。
宴会やなんかで鬼が出す酒をお姉ちゃんが呑むとなると、えらく強い酒ばっかりだから一杯や二杯で頬が染まってしまう。
酔っぱらった時のお姉ちゃんの可愛さというともう、まさしく筆舌に尽くしがたい。
いや、普段のお姉ちゃんだって十分にかわいい。天衣無縫なクールとデレの超融合はもはや三國無双で数え役満。
それでいてエスプリの効いたシニカルさはスノビズムを感じさせず、もののあはれでさもありなん。
ゆるふわカールでやんわりパーマの癖っ気な髪がナチュラルビューティーでモテカワスリムのピュアアンドセクシーのハニートラップでロハスのスイーツなわけだ。
つまりお姉ちゃんは表情に乏しいように見えて実は心中目まぐるしくて、表情に出ないぶん余計他に出やすい。行動とか仕草とか。
そのくせ恥ずかしがる時は、特に顔によく出る。この前の――閑話休題、お姉ちゃんの酩酊時の態度へ戻ろう。
まずお姉ちゃんはほろ酔いの状態だと3割増し饒舌に語るようになり、いつもの堅苦しい雰囲気が解ける。
感情的にもなるし表情もよく変わるし、あんまり回らない舌を無理に回そうとしてよく噛む。これもかわいい。
いつもはこれ以上のラインを超えないようにしているらしく、特に大人数の時や、外の宴会の時はこのあたりで杯が止まる。
しかしそこへ更にお酒を入れると、今度は段々と静かになってカタコトになる。
「だめ。 こいし、もうだめ」って、ぼんやりした眼で言う。ほっぺをむにゅむにゅしても「むー」としか言わない。
いたずらで鼻をつまむと「にゅ」とか「ふみゅ」とか言って「んー」って言いながら怒るし、耳を触ってみたりするとこれまたやらしい感じの吐息を漏らす。
こうなるとお姉ちゃんは隙だらけ。うふふ。
いつものお姉ちゃんからは考えられないぐらい素直になって、さらにスキンシップも全く嫌がらないという確変状態。
むしろ甘えてくる。猫のお燐より猫らしく、猫撫で声さえ出した事がある。地上では音を保存する機械があるが地底には無いのを残念だと心底思った。今度探してこようと思う。
さらにさらに重要なのが、この時のお姉ちゃんにはそれ以降の記憶がほとんどないのだ。
酔いつぶれたお姉ちゃんを寝室まで運んだことがあって、その際に怒られるのを覚悟で――や、――なことや、――をやってみたのだけど、
翌朝には普通に起きてきて、一緒にごはんを食べた。恐る恐る昨日の事を聞いても、介抱してくれてたみたいねありがとう、みたいな事しか言わなかった。
つまり――
「こいし、大丈夫?」
はっ。
お姉ちゃんの声で我に返る。お姉ちゃんはすごく心配そうな顔で私を見ていた。
ぽっかり空いていた口を慌てて閉じる。うん、よだれは垂れていない。
私を心配してくれているのは嬉しいけど、そうでもない時に心配されるというのはなんか罪悪感がある。
「大丈夫だよ。お姉ちゃんの体について考えてただけだから」
と私が言うと、非常に微妙な顔で溜息をつかれた。 それはそれで悲しい。
でもデザートの蜜柑が結構甘かったので、気分的にはイーブン。中和。
お姉ちゃんは私をとても心配してくれている。
私が”第三の眼”を閉じて、私が何をしたのかよく覚えていないことがあっても、本気で怒るような事はなかった。
怒っても無駄だと見放されていたのかもしれないけど、お姉ちゃんは眼を閉じた私の事をどう思っているのだろう。
覚妖怪としての能力を失った私にはもう、お姉ちゃんの心が読めない。
心を読むのは好きじゃなかったけど、いざ読めないとなると余計に知りたくなってしまう。お姉ちゃんのことなら尚更に。
はて?
じゃあ私はどうして心を読むのを止めたんだろう?
人の心なんて読んでも落ち込むだけ。良い事なんか何一つない。
うん、前まではよくそう思ってた気がする。
でも私が「心を読んでません」なんて周りのみんなに言ったって、誰がそれを信じてくれる?
”第三の眼”が開いてないからって、心を読んでないとは限らないじゃない。
案の定、私が眼を閉じた後だって、心を読めなくなったことをほとんどの人が信じてくれなかった。ちょっとひどい事を言われた事もあった。
今だって、本当の意味で信じてくれているのはお姉ちゃんだけだと思う。
だけど”第三の眼”を閉じてから――私は他の人の事なんて、なんかどうでもよくなってきていた。そんなの、気にするだけ無駄な気がしてきて。
他人を気にしなくなったから、心を読むのを止めたのかもしれない、でもそれじゃ辻褄が合わないな。
うー。こんがらがってきちゃった。
いいや、ごはんも食べ終わったから遊びに行こう。
「こいし。出かけるのはいいけど――」
「うん、分かってる。 ちゃんと晩御飯までに帰るよ」
「そうしなさい。今日のおゆはんはハンバーグにするから」
「やった!」
私が心を閉じるまで、私とお姉ちゃんは一つだった。
覚妖怪どうしの意思疎通は、心が重なり合うみたいに鮮明で、直接的だ。
私とお姉ちゃんは、体はもちろん分かれているけれど、まるで二つで一つのように、お互いが溶け合っていた。
私はお姉ちゃんを理解していたし、お姉ちゃんだって私を理解していた。
なのに私は眼を閉じてしまった。私は一体誰の為に、何の為に目を閉じたのでしょう。
お姉ちゃんに心配をかけてまで、私が眼を閉じた理由。
思い出せない。
思い出せないなぁ。
思い出せなくていいかな。
思い出さなくていいかな。
古明地こいしは地霊殿を出て、ふわふわと遊びに行く。
面白い解釈のこいしちゃんでした。とてもよかったです。
こいしちゃんには無限の可能性があるとよく言われますが
その一端を見せられたような気がしました
こういう考え方もあるのですね
とてもよかったです