三途の河。
此岸と彼岸を別け隔てる河。
人は死を迎えると。やがてここにたどり着く。
生前の行いに応じた船旅の後、彼岸にたどり着いて裁きを受ける。
死者の魂。世界のシステム。そして私、四季映姫にとって、この行程は極めて重要だ。
当然、その船旅を担う死神とよばれる者達も、また然り。
「死神の仕事はつまり、この世界にとって大事な行いなのです」
「いやあ、流石は四季様。良いことをおっしゃる」
三途の河のほとり。此岸側の発着所に当たる場所。
そこに立つ部下の死神、小野塚小町は、私の言葉を聞いて嬉しそうに頷いている。
「では。その点を踏まえてまず、聞きます」
「何なりと」
「その頭に巻かれたネクタイは何ですか?」
ごくありふれた、量産品のネクタイだ。
落ち着いた色合いと柄から、仕事用だと推測出来る。
だが、私の知識が正しければ。
三途の渡し守は職務中、頭にネクタイを巻くべし。という規則は存在しない。
そして私の記憶が正しければ。
この身なりは、泥酔した中年男性に限り適用される、特殊な規則だったはずだ。
要するに私は、小町が職務中に飲酒したのではないか、と疑っている。
「その、実は昨日から頭痛がしましてね」
「それとネクタイに何の関係が?」
「紫色の頭巻きは頭痛に効くのですよ」
「確かに、染料のムラサキの根は、漢方薬の原料でもありますね」
だが、原料に薬効があるとはいえ、それで染めた物を巻くだけで効果があるかは疑問だ。
小町の場合は、それ以前の問題なのだけれど。
「でも、青です」
「え?」
「貴女の頭に巻かれたネクタイは、青色だと言っているのです」
「え、ウソ、なんで? 昨日のと違……ああいや、へへへ、色感覚の違いってやつですよ」
そもそも、地獄にしろ幻想郷にしろ、頭痛薬くらいは流通している。
あえて迂遠な薬効に頼るまでも無いし、もとより小町はせっかちな女だ。
「では、次にいきますが……その胸は何ですか」
「いやいや。これはあたいの身体の一部ですよ。俗に言うところのおっぱいです」
女性の平均寸法を大きく上回る、小町の胸部。
美人で豊満とは羨ましい限りだが、今回注目しているのは、胸そのものでは無い。
「俗称おっぱいの上に零れた、柿ピーと枝豆について尋ねているのです」
「うわ、なんじゃこりゃ……いや、ははは、これはあたいの身体の一部ですよ。俗に言う」
「俗に言うところの、おつまみ」
「……うーぷす」
信じられない事なのだが。小町を発見した際、彼女は地面で大の字になって寝ていた。
私が近づいたら、驚いた猫のごとく飛び起きた。当然だが、胸元に気を払っている訳は無い。
にも拘わらず、柿ピーや枝豆が胸に載ったままなのは、一体全体どういう事なのだろう。
小町のおつまみに対する執念か? それとも、あの大質量が重力を生んだとでも言うのか。
「では、これが最後です。貴女の足下にある空の一升瓶には、何が入っていたのですか?」
「はい! これは醤油です!」
「そんな、待ってました、みたいな顔しないの」
自称醤油の一升瓶から、日本酒の香りが漂っているのは言うまでも無い。
ラベルにはロマンスグレーと書かれているが、美少年あたりの亜種だろうか。あるいは彼女の好みの現れか。
「黒ですね。罪状は、職務中の飲酒」
「そんな! 青と茶と緑と灰で、黒などどこにも!」
本当に一升瓶が醤油だったなら黒では? と思ったが、言わないでおこう。ややこしくなる。
私は小町に近づき、つま先立って、彼女の口元に鼻を寄せる。
こういう時、身長差が大きいと煩わしい。
「し、四季様。公の場でそんな。いや、あたいはいつでもウエルカムですけど」
「よしんば私がその気だったとしても、萎えるでしょうね。酒臭いったらありません」
「ひどい」
あらゆる意味で酷いのは、小町の方なのだけれど。
「さて。何か言い分は?」
「おっしゃっている意味が分かりかねます」
「この期に及んでまだそんな事を」
まあ、それなりに長い付き合いだ。これくらいは想定内。
「あたいが酒を呑んでいた、明確な証拠はあるんですか!」
「山ほどありますが……ではその証拠、隠滅させてあげましょう」
「えっ?」
小町の前に差し出したのは、黒い液体で満たされた一升瓶。
「四季様。こ、これって」
「はい。これは醤油です」
「そんな、待ってました、みたいな顔で……」
そう、想定内だ。彼女の言い訳のパターン程度は。
「これを飲み干せば、晴れて貴女の証言通りね?」
「マジすかボス」
「明日の厠は、黒くなりそうね」
私らしからぬ、温情あふれる逃げ道の提示。是非とも喜んで欲しいところだ。
しかし小町は、天を仰いで膝から崩れ落ち、土下座の体勢をとって叫んだ。
「すいませんでしたァー! どうか引っ叩いてください!」
部下が自らそう言うなら、仕方が無い。
進んで差し出された後頭部。私はその前に屈み込み、平手の狙いを定める。
河岸に、小気味の良い快音と、短い悲鳴が響きわたった。
此岸と彼岸を別け隔てる河。
人は死を迎えると。やがてここにたどり着く。
生前の行いに応じた船旅の後、彼岸にたどり着いて裁きを受ける。
死者の魂。世界のシステム。そして私、四季映姫にとって、この行程は極めて重要だ。
当然、その船旅を担う死神とよばれる者達も、また然り。
「死神の仕事はつまり、この世界にとって大事な行いなのです」
「いやあ、流石は四季様。良いことをおっしゃる」
三途の河のほとり。此岸側の発着所に当たる場所。
そこに立つ部下の死神、小野塚小町は、私の言葉を聞いて嬉しそうに頷いている。
「では。その点を踏まえてまず、聞きます」
「何なりと」
「その頭に巻かれたネクタイは何ですか?」
ごくありふれた、量産品のネクタイだ。
落ち着いた色合いと柄から、仕事用だと推測出来る。
だが、私の知識が正しければ。
三途の渡し守は職務中、頭にネクタイを巻くべし。という規則は存在しない。
そして私の記憶が正しければ。
この身なりは、泥酔した中年男性に限り適用される、特殊な規則だったはずだ。
要するに私は、小町が職務中に飲酒したのではないか、と疑っている。
「その、実は昨日から頭痛がしましてね」
「それとネクタイに何の関係が?」
「紫色の頭巻きは頭痛に効くのですよ」
「確かに、染料のムラサキの根は、漢方薬の原料でもありますね」
だが、原料に薬効があるとはいえ、それで染めた物を巻くだけで効果があるかは疑問だ。
小町の場合は、それ以前の問題なのだけれど。
「でも、青です」
「え?」
「貴女の頭に巻かれたネクタイは、青色だと言っているのです」
「え、ウソ、なんで? 昨日のと違……ああいや、へへへ、色感覚の違いってやつですよ」
そもそも、地獄にしろ幻想郷にしろ、頭痛薬くらいは流通している。
あえて迂遠な薬効に頼るまでも無いし、もとより小町はせっかちな女だ。
「では、次にいきますが……その胸は何ですか」
「いやいや。これはあたいの身体の一部ですよ。俗に言うところのおっぱいです」
女性の平均寸法を大きく上回る、小町の胸部。
美人で豊満とは羨ましい限りだが、今回注目しているのは、胸そのものでは無い。
「俗称おっぱいの上に零れた、柿ピーと枝豆について尋ねているのです」
「うわ、なんじゃこりゃ……いや、ははは、これはあたいの身体の一部ですよ。俗に言う」
「俗に言うところの、おつまみ」
「……うーぷす」
信じられない事なのだが。小町を発見した際、彼女は地面で大の字になって寝ていた。
私が近づいたら、驚いた猫のごとく飛び起きた。当然だが、胸元に気を払っている訳は無い。
にも拘わらず、柿ピーや枝豆が胸に載ったままなのは、一体全体どういう事なのだろう。
小町のおつまみに対する執念か? それとも、あの大質量が重力を生んだとでも言うのか。
「では、これが最後です。貴女の足下にある空の一升瓶には、何が入っていたのですか?」
「はい! これは醤油です!」
「そんな、待ってました、みたいな顔しないの」
自称醤油の一升瓶から、日本酒の香りが漂っているのは言うまでも無い。
ラベルにはロマンスグレーと書かれているが、美少年あたりの亜種だろうか。あるいは彼女の好みの現れか。
「黒ですね。罪状は、職務中の飲酒」
「そんな! 青と茶と緑と灰で、黒などどこにも!」
本当に一升瓶が醤油だったなら黒では? と思ったが、言わないでおこう。ややこしくなる。
私は小町に近づき、つま先立って、彼女の口元に鼻を寄せる。
こういう時、身長差が大きいと煩わしい。
「し、四季様。公の場でそんな。いや、あたいはいつでもウエルカムですけど」
「よしんば私がその気だったとしても、萎えるでしょうね。酒臭いったらありません」
「ひどい」
あらゆる意味で酷いのは、小町の方なのだけれど。
「さて。何か言い分は?」
「おっしゃっている意味が分かりかねます」
「この期に及んでまだそんな事を」
まあ、それなりに長い付き合いだ。これくらいは想定内。
「あたいが酒を呑んでいた、明確な証拠はあるんですか!」
「山ほどありますが……ではその証拠、隠滅させてあげましょう」
「えっ?」
小町の前に差し出したのは、黒い液体で満たされた一升瓶。
「四季様。こ、これって」
「はい。これは醤油です」
「そんな、待ってました、みたいな顔で……」
そう、想定内だ。彼女の言い訳のパターン程度は。
「これを飲み干せば、晴れて貴女の証言通りね?」
「マジすかボス」
「明日の厠は、黒くなりそうね」
私らしからぬ、温情あふれる逃げ道の提示。是非とも喜んで欲しいところだ。
しかし小町は、天を仰いで膝から崩れ落ち、土下座の体勢をとって叫んだ。
「すいませんでしたァー! どうか引っ叩いてください!」
部下が自らそう言うなら、仕方が無い。
進んで差し出された後頭部。私はその前に屈み込み、平手の狙いを定める。
河岸に、小気味の良い快音と、短い悲鳴が響きわたった。
それは しょうゆです
短いのにきっちり落としていてとてもよかったです
これぞ彼岸の日常