藤原妹紅は陽光と頭を金槌で叩れ続けているような痛みで目が覚めた。
なぜ頭痛がするのだろうか、頭を抑え昨日のことを思いだす。そうだそうだ上白沢慧音と呑みに出掛けたのだ。そしていつも通り呑みすぎた。女将さんが1人で営むこぢんまりとしたお店で料理がとても美味しかった。特にキュウリを醤油、酢、にんにくで付けたおつまみで酒が進んだ。
ガンガンと頭痛が酷く起き上がるのすら辛かったが何とか身体を持ち上げて靴を履くこともままならず裸足でよろよろと歩き何とか井戸までたどり着いた。
頭痛を少しでも和らげるために冷たすぎる水を顔に何度も打ち付け、水もぐびぐびと大量に飲んでようやく気分的に落ち着いた。
気持ちが落ち着くと肌寒さを感じたが二日酔いで迎えた朝にはちょうど良かった。
しかし、頭痛はちっとも収まらない。朝食を取る気にもなれずまた布団で横になる。
いやはやしかし、こういう日はだいたい慧音が家まで介護してくれるし泊まって看護してくる。今日は寺子屋で朝早くから用事でもあったのか、それとも別件か何かで先に帰ったのだろうか、いずれにせよ、慧音と呑みに行く時は私を気遣って次の日は休みにしているだけに珍しい。
それにしても、なにか重要なことを忘れている気がする。
また頭痛が酷くなってきた。両手で頭を抑え、昨夜の記憶のことを懸命に思い出す。いつも通り夜遅くまで呑み、お会計を済ませ、お店を出て、冬に入りかけで夜風が冷たいが呑み過ぎで火照った身体には涼しいくらい。寒くなってきたな、とささやかな会話を慧音といつも通り交わしていた。そして次に……何かがきっかけでキツい言葉を投げかけた気がする。慧音も応戦して口論になり喧嘩となった。
しかし、喧嘩の原因だけがすっぽり思い出すことができない。
ただ最後に「慧音のわからずや」と言葉を投げて別れたことだけは思い出せた。
何で口論に発展したのだろうか、慧音と喧嘩をすることも思い当たらないしやはり思い出せない。
だが喧嘩の原因はどうでも良い。
自分の経験則からしてこういう時は10割私が悪いのだ。
だから慧音に謝ろう。
布団から飛び上がり着替え、決意して朝早くから人里へ向かった。
肝心なことを人里についてから気づいた。
普段、慧音は寺子屋で子どもたち相手に授業で忙しい。
そして昼もそこまで時間があるわけでもなく午後からもまた授業。夕方頃になるまで暇はない。
遠目に寺子屋の門前でいつも通り子供達を出迎える慧音を眺める。
仕方ない、人里で時間でも潰そうと財布を取り出したが昨日の呑みで財布は素寒貧、お茶一杯あるかないか、これでは慧音が暇になる夕方まで待つこともままならない。
朝早く人里まで来てもったいない気もしたが結局帰ることにした。
やはり二日酔いならば自宅で大人しくすべきだった。足元の小石を蹴って来た道を戻った。
帰り道、竹林はひとっこひとりおらず落ちた竹の葉を自分が踏みしめる音しかしない。
歩きながらふと今までの自身の悪事を思い出す。
呑みすぎてその辺に寝た時はまだ何も無かった。人里の大通りのど真ん中でぐっすり寝ていた。朝になり目覚めると行き交う人々に奇異の目で見られつつ周りを見渡して現状に気づいた。慌てて立ち去った。幸い、そのときは慧音戒められた程度で済んだしその辺で寝てしまった以外に迷惑は掛けていなかったがしばらくは深酒を控えた。
水路に落ちた時はまずかった。季節は真冬、いつもどおり居酒屋を出て慧音の肩を借りなければ歩くこともままならないほど呑みすぎたことを慧音に咎められた。
酔いの勢いがそうさせたのか、そのことばにムッとなった自分は慧音の肩を振り切り1人でふらふらと歩きはじめた。「こら妹紅、そんなふらふらじゃ危ないから」「大丈夫だって」と啖呵を切ったところで小石に躓いた。
躓いた時点で素直に転べばよいものを、変にふらふらと踏ん張りいつの間にか水路の手前まで来てしまった。そしてとうとうバランスを崩して水路に向かい転んだ。運悪く普段は落下防止の策を設けているのだが老朽化による建て替えでちょうど柵は取り壊されていた。そして水路に落ちた。
真冬のせいか水は凍るほど冷たく酔いのおかげで水の中では上か下かの判断もつかず沈むばかりだった。口、鼻に水が流れ込み苦しかった。
死んでも問題ないとはいえ息ができず死ぬかと思った。
真夜中なので暗いせいか慧音も水路に落ちた私を視認できずどうしようも無かった。数分してから助けを呼び、助けが来た頃には私も何とか浮かぶことができてことなきことを得たが慧音は春になるまで口を利く※。
思い出せば出すほど恥ずかしさで自分の頭を掻きむしる。今回は何をしでかしたのだろうか、思い出そうと頭を使えば使うほどまた二日酔いの頭痛はガンガンとまた増し思い出すのは困難だった。
それに幾ら思い出そうとしてもお店を出てからの会話の内容の記憶がすっぽり抜けている。ささやかなな会話をしているうちに口論になり慧音に酷い罵詈雑言を浴びせたことだけは思い浮かぶ。
最後、慧音は何も言い返さずぷいと後ろを向いて去って行く。慧音の分からず屋と悪態をついてふらふらの足取りで帰路についた。
いつのまにか自宅についた。座敷に上がり何もする気も起きずごろりと横になる。
せめて慧音にどう謝るか言葉ぐらいは考えておこう。そんな考えをめぐらしているうちに目を瞑り眠ってしまった。
目が覚めると陽が沈みかけ空は橙色に染まっていた。この時間なら慧音もちょうど暇になる頃のはずだ。再び人里へ出向くため済ませると戸を叩く音がした。
「おーい妹紅、いるのかー大丈夫か」
慧音だ。なぜ、昨夜喧嘩したばかりのはずだ。普通なら来ることはない。しかし訪ねている慧音を待たせるわけにもいかずすぐさま戸を開け慧音を迎える。
やあ、ぎこちない挨拶で迎えた。
「その様子なら大丈夫だな。昨日は飲みすぎたようだから心配していたんだ」
はて、心配か、昨夜は喧嘩をしただけにその言葉が慧音の口から出るとは思わなかった。それに普通の挨拶で怒った様子も無い。
これは本心なのだろうか、それとも私を試しているのだろうか、以前、持ち金が足りず慧音に建て替えてもらったことがある。にも拘わらず私は酔った勢いでそれをすっかり忘れていた。これも慧音にこっぴどく怒られた。だから今回も覚えているのか試しているのかもしれない。
「立ち話もなんだし上がりなよ。実は二日酔いで立ったままいるのはしんどいんだ」
「やっぱりか、まったく、そんなところだと思ったよ」
座敷に上がり慧音と向かい会って互いに楽な姿勢になる。慧音の意図はなんだ、さきほどの会話はいつも通りで喧嘩の様子は微塵もない、もしかしたら慧音も呑み過ぎで昨日の記憶が無いのだろうか、いやいや慧音がそんなヘマをするわけがない。やはり私を試しているはずだ。
それならば今すぐ謝るべきか他愛も無い話から頃合いをみて本題に映って謝るべきか、意図を探るうちに慧音とどう接すれば良いのかわからず顔を下に向け黙りこんでいると慧音は体調を気遣ってくれたのか「おい、本当に大丈夫か?」と顔を近づけてきた。
ええい、もう面倒だ。楽な姿勢を但し土下座になる。
「慧音、昨日は本当にごめん。私が悪かった」
床に額をこすりつけて謝った。
◆
上白沢慧音は目の前でいきなり土下座して謝る妹紅を眺め、今起きている状況を飲み込めずにいた。
喧嘩……昨日は確かぐでんぐでんに酔った妹紅を介護して自宅まで送ってあげようかと考えていたものの明日は寺子屋の授業で用意する教材を準備するために早めに家をでなければならない思い出して「何とかなるだろう」とお酒が入っていたせいか変に楽観していた。
それにたまにはヘマでもしてお灸をすえさせよう。いつも介護させられるのだからたまには楽をしよう。
酔いが判断を鈍らせそうさせた。
しかし、朝起きお酒が抜けるとそれが間違いということに気づいた。
何を考えているのだ昨夜の私は、酔った妹紅は何をしでかすのか分かったもんではない。
そのへんで寝てしまったり、水路に落ちたり、数えれば両手の指どころか足の指を折っても足りない。
今すぐにでも妹紅の無事を確認したかったが今すぐ走って寺子屋に向かわなければ間に合わない時間で今日は一日中予定が詰まっている。
「妹紅、無事でいてくれよ」
何事もないことを祈り浮つきながら夕方までを過ごした。
ようやく子供達を見送りすぐさま妹紅の自宅へ向かった。幸い人里で変な噂を耳にしなかったことから大事には至らぬようだった。
戸を叩き、妹紅を呼ぶと妹紅から戸を開けてくれた。
二日酔いでまだ気分が優れぬのか変にぶっきらぼうだったが安心した。二日酔い以上は何事もないようだ。
座敷に上がりこの様子だと夕食を作ることもままならないだろうから、今日は夕食を自分で作り泊めて貰おうか、そんなことを考えていると妹紅が顔を下へ向け、もしかして気分が悪くなったのだろうかと声をかけるといきなり土下座して誤ってきた。
そもそも喧嘩とは何だろうか、昨日は新規開拓がてら訪れた居酒屋は料理がとても美味しく橋とお酒がどんどん進んでしまい妹紅も自分も妹紅も結構飲んでしまった。さすがに2人で潰れるのは不味いと気づいて自分は止めたが妹紅は止まらなかった。
居酒屋に行くのは久しぶりでお酒もあって会話は盛り上がったが喧嘩をした覚えはない。考えられるとしたら……まさかとは思う。だが、これしか考えられない。喧嘩をした夢でも見たのではないだろうか、それを現実に喧嘩したものと思い込んでいる。
アホな話かもしれないが十分に有り得る。酔いつぶれた次の日、妹紅に昨日のことを聞くと殆ど覚えていないことが多い。それどころか私が呑み代を建て替えたことすら忘れたこともあった。
こじつけがましいがそう考えなければありもしない喧嘩で私に対して土下座までしてなぜ謝っているのか、説明がつかない。
仕方ない、少し騙ってみるかコホンと咳払いをしてから、口を開いた。
「ああ、全くだ。あんな罵詈雑言、うっかり手を出してしまうところだったぞ」
妹紅は土下座して額を床にこすりつけたまま。
「本当にすまん」と謝り続けている。
それを見ていると少し気の毒になってきたので許すことも無いが許すことにした。
「喧嘩のことは許そう。私も大人気なかった」
許すなり妹紅は顔を上げた。
「本当か」
「ああ、よく考えたらお互いさまだからな」
「良かったあ~」
それで気が抜けたのか妹紅は土下座から楽な姿勢になるどころか後ろへ倒れ込み大の字になった。
ああ、もう少しいじめても良かったかもな、1日中心配しただけにそう思った。
◆
大の字になりながら先程のやり取りを思い出す。
慧音には変な癖があるのだ。
なにか嘘をつく時は必ず左手で握りこぶしを作り親指を必ずこぶしの中にいれる。
土下座をして謝る自分を目の前に、慧音はコホンと咳払いをしてから
「ああ、全くだ。あんな罵詈雑言、うっかり手を出してしまうところだったぞ」
その時の慧音の顔までは見えなかったがチラりと目だけを動かすと慧音の左手が握りこぶしを作っていた。そして親指をこぶしの中に入れている。
慧音は嘘をついている。確信した。
しかしながら何の嘘をついているのか、土下座をしながら謝り考えていると慧音が何故か許してくれた。喧嘩の内容もどんな口論をしたのかも覚えていない。だが酔った自分と考えれば相当酷いことを言ったに違いないと自分でも確信しているだけにあっさり慧音が許してくれて驚愕した。
何はともあれ助かった。今度こそは年単位で口を利いてくるかもしれぬと危惧していただけに身体中の力が抜けた。
しかし、慧音は何故許してくれたのか、嘘をついているのだろうが、その部分はどこなのか……いやはやまさか、喧嘩をしたこと自体が嘘なのか……そんなわけ、そんなわけが。
すぐさま身体を持ち上げどこが嘘か聞こうと口を開きかけると慧音から喋りだした。
「まったく、心配してたんだぞ。あんなに酔いつぶれた妹紅を放置して、またなにか粗相でも起こしたのではないかと気になって今日は1日中ヒヤヒヤしていたのだ。まだ二日酔いは残ってそうだが元気そうで安心した。さて、夕食でも用意してあげるよ。その様子じゃ無理そうだからな」
慧音の右手を確認すると握り拳の親指は拳の中にない、今度は嘘をついていなかった。
なるほど、そういうことか、次の休みは私の奢りでまたあのお店に2人で行こう。
今度こそは喧嘩をしないように。
なぜ頭痛がするのだろうか、頭を抑え昨日のことを思いだす。そうだそうだ上白沢慧音と呑みに出掛けたのだ。そしていつも通り呑みすぎた。女将さんが1人で営むこぢんまりとしたお店で料理がとても美味しかった。特にキュウリを醤油、酢、にんにくで付けたおつまみで酒が進んだ。
ガンガンと頭痛が酷く起き上がるのすら辛かったが何とか身体を持ち上げて靴を履くこともままならず裸足でよろよろと歩き何とか井戸までたどり着いた。
頭痛を少しでも和らげるために冷たすぎる水を顔に何度も打ち付け、水もぐびぐびと大量に飲んでようやく気分的に落ち着いた。
気持ちが落ち着くと肌寒さを感じたが二日酔いで迎えた朝にはちょうど良かった。
しかし、頭痛はちっとも収まらない。朝食を取る気にもなれずまた布団で横になる。
いやはやしかし、こういう日はだいたい慧音が家まで介護してくれるし泊まって看護してくる。今日は寺子屋で朝早くから用事でもあったのか、それとも別件か何かで先に帰ったのだろうか、いずれにせよ、慧音と呑みに行く時は私を気遣って次の日は休みにしているだけに珍しい。
それにしても、なにか重要なことを忘れている気がする。
また頭痛が酷くなってきた。両手で頭を抑え、昨夜の記憶のことを懸命に思い出す。いつも通り夜遅くまで呑み、お会計を済ませ、お店を出て、冬に入りかけで夜風が冷たいが呑み過ぎで火照った身体には涼しいくらい。寒くなってきたな、とささやかな会話を慧音といつも通り交わしていた。そして次に……何かがきっかけでキツい言葉を投げかけた気がする。慧音も応戦して口論になり喧嘩となった。
しかし、喧嘩の原因だけがすっぽり思い出すことができない。
ただ最後に「慧音のわからずや」と言葉を投げて別れたことだけは思い出せた。
何で口論に発展したのだろうか、慧音と喧嘩をすることも思い当たらないしやはり思い出せない。
だが喧嘩の原因はどうでも良い。
自分の経験則からしてこういう時は10割私が悪いのだ。
だから慧音に謝ろう。
布団から飛び上がり着替え、決意して朝早くから人里へ向かった。
肝心なことを人里についてから気づいた。
普段、慧音は寺子屋で子どもたち相手に授業で忙しい。
そして昼もそこまで時間があるわけでもなく午後からもまた授業。夕方頃になるまで暇はない。
遠目に寺子屋の門前でいつも通り子供達を出迎える慧音を眺める。
仕方ない、人里で時間でも潰そうと財布を取り出したが昨日の呑みで財布は素寒貧、お茶一杯あるかないか、これでは慧音が暇になる夕方まで待つこともままならない。
朝早く人里まで来てもったいない気もしたが結局帰ることにした。
やはり二日酔いならば自宅で大人しくすべきだった。足元の小石を蹴って来た道を戻った。
帰り道、竹林はひとっこひとりおらず落ちた竹の葉を自分が踏みしめる音しかしない。
歩きながらふと今までの自身の悪事を思い出す。
呑みすぎてその辺に寝た時はまだ何も無かった。人里の大通りのど真ん中でぐっすり寝ていた。朝になり目覚めると行き交う人々に奇異の目で見られつつ周りを見渡して現状に気づいた。慌てて立ち去った。幸い、そのときは慧音戒められた程度で済んだしその辺で寝てしまった以外に迷惑は掛けていなかったがしばらくは深酒を控えた。
水路に落ちた時はまずかった。季節は真冬、いつもどおり居酒屋を出て慧音の肩を借りなければ歩くこともままならないほど呑みすぎたことを慧音に咎められた。
酔いの勢いがそうさせたのか、そのことばにムッとなった自分は慧音の肩を振り切り1人でふらふらと歩きはじめた。「こら妹紅、そんなふらふらじゃ危ないから」「大丈夫だって」と啖呵を切ったところで小石に躓いた。
躓いた時点で素直に転べばよいものを、変にふらふらと踏ん張りいつの間にか水路の手前まで来てしまった。そしてとうとうバランスを崩して水路に向かい転んだ。運悪く普段は落下防止の策を設けているのだが老朽化による建て替えでちょうど柵は取り壊されていた。そして水路に落ちた。
真冬のせいか水は凍るほど冷たく酔いのおかげで水の中では上か下かの判断もつかず沈むばかりだった。口、鼻に水が流れ込み苦しかった。
死んでも問題ないとはいえ息ができず死ぬかと思った。
真夜中なので暗いせいか慧音も水路に落ちた私を視認できずどうしようも無かった。数分してから助けを呼び、助けが来た頃には私も何とか浮かぶことができてことなきことを得たが慧音は春になるまで口を利く※。
思い出せば出すほど恥ずかしさで自分の頭を掻きむしる。今回は何をしでかしたのだろうか、思い出そうと頭を使えば使うほどまた二日酔いの頭痛はガンガンとまた増し思い出すのは困難だった。
それに幾ら思い出そうとしてもお店を出てからの会話の内容の記憶がすっぽり抜けている。ささやかなな会話をしているうちに口論になり慧音に酷い罵詈雑言を浴びせたことだけは思い浮かぶ。
最後、慧音は何も言い返さずぷいと後ろを向いて去って行く。慧音の分からず屋と悪態をついてふらふらの足取りで帰路についた。
いつのまにか自宅についた。座敷に上がり何もする気も起きずごろりと横になる。
せめて慧音にどう謝るか言葉ぐらいは考えておこう。そんな考えをめぐらしているうちに目を瞑り眠ってしまった。
目が覚めると陽が沈みかけ空は橙色に染まっていた。この時間なら慧音もちょうど暇になる頃のはずだ。再び人里へ出向くため済ませると戸を叩く音がした。
「おーい妹紅、いるのかー大丈夫か」
慧音だ。なぜ、昨夜喧嘩したばかりのはずだ。普通なら来ることはない。しかし訪ねている慧音を待たせるわけにもいかずすぐさま戸を開け慧音を迎える。
やあ、ぎこちない挨拶で迎えた。
「その様子なら大丈夫だな。昨日は飲みすぎたようだから心配していたんだ」
はて、心配か、昨夜は喧嘩をしただけにその言葉が慧音の口から出るとは思わなかった。それに普通の挨拶で怒った様子も無い。
これは本心なのだろうか、それとも私を試しているのだろうか、以前、持ち金が足りず慧音に建て替えてもらったことがある。にも拘わらず私は酔った勢いでそれをすっかり忘れていた。これも慧音にこっぴどく怒られた。だから今回も覚えているのか試しているのかもしれない。
「立ち話もなんだし上がりなよ。実は二日酔いで立ったままいるのはしんどいんだ」
「やっぱりか、まったく、そんなところだと思ったよ」
座敷に上がり慧音と向かい会って互いに楽な姿勢になる。慧音の意図はなんだ、さきほどの会話はいつも通りで喧嘩の様子は微塵もない、もしかしたら慧音も呑み過ぎで昨日の記憶が無いのだろうか、いやいや慧音がそんなヘマをするわけがない。やはり私を試しているはずだ。
それならば今すぐ謝るべきか他愛も無い話から頃合いをみて本題に映って謝るべきか、意図を探るうちに慧音とどう接すれば良いのかわからず顔を下に向け黙りこんでいると慧音は体調を気遣ってくれたのか「おい、本当に大丈夫か?」と顔を近づけてきた。
ええい、もう面倒だ。楽な姿勢を但し土下座になる。
「慧音、昨日は本当にごめん。私が悪かった」
床に額をこすりつけて謝った。
◆
上白沢慧音は目の前でいきなり土下座して謝る妹紅を眺め、今起きている状況を飲み込めずにいた。
喧嘩……昨日は確かぐでんぐでんに酔った妹紅を介護して自宅まで送ってあげようかと考えていたものの明日は寺子屋の授業で用意する教材を準備するために早めに家をでなければならない思い出して「何とかなるだろう」とお酒が入っていたせいか変に楽観していた。
それにたまにはヘマでもしてお灸をすえさせよう。いつも介護させられるのだからたまには楽をしよう。
酔いが判断を鈍らせそうさせた。
しかし、朝起きお酒が抜けるとそれが間違いということに気づいた。
何を考えているのだ昨夜の私は、酔った妹紅は何をしでかすのか分かったもんではない。
そのへんで寝てしまったり、水路に落ちたり、数えれば両手の指どころか足の指を折っても足りない。
今すぐにでも妹紅の無事を確認したかったが今すぐ走って寺子屋に向かわなければ間に合わない時間で今日は一日中予定が詰まっている。
「妹紅、無事でいてくれよ」
何事もないことを祈り浮つきながら夕方までを過ごした。
ようやく子供達を見送りすぐさま妹紅の自宅へ向かった。幸い人里で変な噂を耳にしなかったことから大事には至らぬようだった。
戸を叩き、妹紅を呼ぶと妹紅から戸を開けてくれた。
二日酔いでまだ気分が優れぬのか変にぶっきらぼうだったが安心した。二日酔い以上は何事もないようだ。
座敷に上がりこの様子だと夕食を作ることもままならないだろうから、今日は夕食を自分で作り泊めて貰おうか、そんなことを考えていると妹紅が顔を下へ向け、もしかして気分が悪くなったのだろうかと声をかけるといきなり土下座して誤ってきた。
そもそも喧嘩とは何だろうか、昨日は新規開拓がてら訪れた居酒屋は料理がとても美味しく橋とお酒がどんどん進んでしまい妹紅も自分も妹紅も結構飲んでしまった。さすがに2人で潰れるのは不味いと気づいて自分は止めたが妹紅は止まらなかった。
居酒屋に行くのは久しぶりでお酒もあって会話は盛り上がったが喧嘩をした覚えはない。考えられるとしたら……まさかとは思う。だが、これしか考えられない。喧嘩をした夢でも見たのではないだろうか、それを現実に喧嘩したものと思い込んでいる。
アホな話かもしれないが十分に有り得る。酔いつぶれた次の日、妹紅に昨日のことを聞くと殆ど覚えていないことが多い。それどころか私が呑み代を建て替えたことすら忘れたこともあった。
こじつけがましいがそう考えなければありもしない喧嘩で私に対して土下座までしてなぜ謝っているのか、説明がつかない。
仕方ない、少し騙ってみるかコホンと咳払いをしてから、口を開いた。
「ああ、全くだ。あんな罵詈雑言、うっかり手を出してしまうところだったぞ」
妹紅は土下座して額を床にこすりつけたまま。
「本当にすまん」と謝り続けている。
それを見ていると少し気の毒になってきたので許すことも無いが許すことにした。
「喧嘩のことは許そう。私も大人気なかった」
許すなり妹紅は顔を上げた。
「本当か」
「ああ、よく考えたらお互いさまだからな」
「良かったあ~」
それで気が抜けたのか妹紅は土下座から楽な姿勢になるどころか後ろへ倒れ込み大の字になった。
ああ、もう少しいじめても良かったかもな、1日中心配しただけにそう思った。
◆
大の字になりながら先程のやり取りを思い出す。
慧音には変な癖があるのだ。
なにか嘘をつく時は必ず左手で握りこぶしを作り親指を必ずこぶしの中にいれる。
土下座をして謝る自分を目の前に、慧音はコホンと咳払いをしてから
「ああ、全くだ。あんな罵詈雑言、うっかり手を出してしまうところだったぞ」
その時の慧音の顔までは見えなかったがチラりと目だけを動かすと慧音の左手が握りこぶしを作っていた。そして親指をこぶしの中に入れている。
慧音は嘘をついている。確信した。
しかしながら何の嘘をついているのか、土下座をしながら謝り考えていると慧音が何故か許してくれた。喧嘩の内容もどんな口論をしたのかも覚えていない。だが酔った自分と考えれば相当酷いことを言ったに違いないと自分でも確信しているだけにあっさり慧音が許してくれて驚愕した。
何はともあれ助かった。今度こそは年単位で口を利いてくるかもしれぬと危惧していただけに身体中の力が抜けた。
しかし、慧音は何故許してくれたのか、嘘をついているのだろうが、その部分はどこなのか……いやはやまさか、喧嘩をしたこと自体が嘘なのか……そんなわけ、そんなわけが。
すぐさま身体を持ち上げどこが嘘か聞こうと口を開きかけると慧音から喋りだした。
「まったく、心配してたんだぞ。あんなに酔いつぶれた妹紅を放置して、またなにか粗相でも起こしたのではないかと気になって今日は1日中ヒヤヒヤしていたのだ。まだ二日酔いは残ってそうだが元気そうで安心した。さて、夕食でも用意してあげるよ。その様子じゃ無理そうだからな」
慧音の右手を確認すると握り拳の親指は拳の中にない、今度は嘘をついていなかった。
なるほど、そういうことか、次の休みは私の奢りでまたあのお店に2人で行こう。
今度こそは喧嘩をしないように。