「よいしょ、よいしょ」
「あら、フラン。何をしているの?」
「あっ、お姉さま! あのね……」
ぱっと顔を上げて笑顔を浮かべた彼女は、その隣で同じように手を動かしているメイドに肩をとんとんされて『あっ』という顔を浮かべる。
「えへへ~、ないしょ!」
「ふーん?」
「いまね、ハロウィンの準備してるんだよ!」
「ハロウィン。ああ、そういえば、そんなお祭りもあったわね」
今思い出しました、という口調の彼女はレミリア・スカーレット。
ここ、幻想の郷で多分トップクラスに有名な紅のテーマパークこと紅魔館の主――という名のマスコット――である。
その正面で、床に何やら色々広げてちっちゃな手を動かしているのが、彼女の妹であるフランドール・スカーレット。
「もうすぐできるの! だけど、何をつくってるかはないしょだよ!」
「そう。まぁ、頑張りなさい。
そういえば、そのお祭りの時は幻想郷も賑やかになるのだったわね」
この世界、娯楽の少ない閉鎖的な場所はとかく『祭り』という言葉には敏感だ。
『やあ、どこそこでこんな祭りがやっているぞ』という噂が立てば一日経たないうちに四方八方にそれが知られるほどである。
それだけ、日頃、人々は退屈を持て余しているのである。
「うん!
だから!」
「そう」
そして、このフランドールもそうしたお祭りは大好きな類いである。
理由は簡単。みんなと一緒に遊ぶのが楽しみで、かつ、とても楽しいのだ。
「それにね、それにね!
ハロウィンって、おかしがもらえるんだよ!」
「……お菓子?」
「そう!」
「……ふぅん。
一杯もらえるといいわね」
「うん!」
「じゃあ、頑張ってね」
ばいばーい、と手を振ってくる妹に手を振りながら、姉は去って行く。
廊下を渡り、曲がり角を曲がったところで、
「咲夜」
「何でしょうか、お嬢様」
「ハロウィンってお菓子をもらえるお祭りだったかしら? 確か、あれってただの仮装パーティーみたいなものだと記憶しているのだけど」
「お嬢様にしては珍しく、半分当たってます」
「あなたわたしのこと馬鹿にしてるでしょ」
「いいえそんなことは」
突然現れるメイド――十六夜咲夜の、慇懃無礼にも程のある発言にはツッコミのジャブを叩き込んでから、
「確かに、半分当たってます。
しかしながら、祭りとは年々様変わりするもの。今では、子供たちがお化けの格好をして家々を練り歩き、お菓子をもらうイベントになってます」
「へぇ」
その表現もかなり曲解された表現ではあるのだが、レミリアにはそれだけが伝われば――あるいは、伝えればよかったのかもしれない。ともあれ、咲夜の言葉にレミリアはうなずいた。
「変わったものね。
わたしも500年も生きているのだもの。世の中の流れに、時たまついて行けないことがあるわ」
「そういえば、お嬢様ってそういう設定でしたね」
「設定言うな!」
どこからどう見ても年齢7~8歳のちんまいようじょの彼女は、羽をぴんと立たせて怒り、びしっと咲夜を指さす。
「命令よ、咲夜。わたしに似合う衣装を作りなさい。
わたしもハロウィンに参加するわ」
「承知しました」
「まぁ、これには別に他意はないの。
長年の時を経て、風変わりした祭りに参加して知識を蓄えるというのも悪くないと思っただけよ」
ふふんと威張って、レミリアは「じゃあ、楽しみにしているわ」と去って行く。
その後ろ姿を見ずとも、咲夜は……いや、恐らくレミリア以外には、全員、彼女の真意などわかっている。
「お菓子をもらえると聞いてやる気を出す辺り、お嬢様らしいわね」
ちらりと見たレミリアの背中では、羽がぴょこぴょこ上下に動いている。
彼女の感情を表現するあれが示すものは『わたし、お菓子楽しみで仕方ないです!』以外の何物でもなかった。
「さて、幽香。そろそろハロウィンよ。
当然だけど、我が『かざみ』も……」
「もうお菓子のアイディアは出来ているわ」
「……珍しいわね。普段なら、私が言わないと『え? そんなのあったっけ?』って言うくせに」
「だって、子供たちにお菓子を配るイベントでしょ?
私が忘れるわけないじゃない」
「……あなた、本当に子供好きよね」
さて、ところ変わって、ここは太陽の畑――季節はもう秋の盛りでもあるため、向日葵はほとんど姿を見せていないのが難点ではあるが――に佇む喫茶『かざみ』本店。
今日もお客さんで大賑わいのここであるが、その経営者でありパトロンのアリス・マーガトロイドの言葉に店の主である風見幽香は『何を当然』という顔をしている。
「今年はね、美味しいチョコレートをあげようと思うの」
「チョコレートね。子供たちは好きだものね」
「そうよ。
けど、あまり量を多くしたら、あなた怒るでしょ?」
「当然。キャンペーンというのは『損して得取れ』ではあるけれど、許容できる損には限界があるもの」
「だから、量はちょっと少ないかもしれないけど、十分満足できるものを用意しようと、ね」
「ふぅん。
まぁ、こういうことにかけては、あなたのセンスとかは確かだから。
信じるわ。頑張って、うちの売り上げ、伸ばしてちょうだいね」
「任せなさい」
と答える幽香であるが、その顔からは『店の売り上げ』なんてどうでもいいという雰囲気しか漂っていない。
妖怪である彼女にとって、日頃の生活を充実させるための銭など不要なのだ。
彼女にとって重要なのは『子供たちを喜ばせる』ことなのである。
「……ちょっと不安だけど、まぁ、幽香らしいといえばらしいか」
そして、その向かう対象が『子供』であることからアリスもあまり強くは言えない。
結局、いつもこうしてイベントが起きるたびに大赤字を叩き出し、その後の日々の努力で巻き返すのが『かざみ』の日常なのだから。
――さて、時は巡り巡って。
「ごきげんよう、霊夢」
「何、華扇」
「何、とはまたずいぶん挨拶ですね。あなたは他人に対する礼儀というものをもっと身につけるべきだと思いますよ」
「いや、あんたがそれを言うのはいつものことだけどさ。
何、その格好」
「ああ、これですか。今日はハロウィンでしょ? ちょっと茶目っ気を出してみたの。
仙人というのは世間一般から離れて生きるものではあるけれど、たまには俗世に阿るのも悪くないんじゃないかなってね」
「ふぅん」
現れたピンク頭の仙人は、普段は右手だけにつけている包帯を両手両足、ついでに顔にも巻いていた。
さながら『ミイラ女』というところだろうか。
「そういうあなたこそ。多少は衣装を変えているのね」
「まぁね。
紫がさー、『そんなの興味ない』って言ったら『こういうイベントの時にこそ、人の信心を掴むチャンスでしょう』とか何とか言って」
「それで、その帽子と」
「魔理沙が普段かぶってるのに似てるよね」
縁側に座ってお茶を飲む、この博麗神社の主、博麗霊夢。
その脇には『どうぞご自由に』と書かれたお盆の上に大福が積み上がっていた。
「ま、どうせここにはお客さんなんて来ないだろうし。
これは全部、私の胃袋に入るのよ」
和菓子が好きな彼女にとって、それは嬉しいことなのだろうが、ちょっと納得できないところもあるのか、声音は少し寂しそうだ。
ともあれ、
「それにしても、この手のお祭りが幻想郷にやってくるのを、あの妖怪の賢者は何も言わないのかしら」
「そういうのも含めて幻想郷なんですって。
それに、あっちはあっちで、橙が『紫さま、お菓子ください!』って言ってくるとか」
「子供のネットワークは侮れないわね」
その子供に対して『はいはい』と笑いながらお菓子を差し出している妖怪の賢者の姿を想像すると、ちょっとだけ頬も緩んでしまう。
華扇は、「誰かに来て欲しいなら宣伝とかしたら?」と霊夢に言う。
「めんどい」
そして返ってくるのは予想通りの言葉だった。
はぁ、と華扇はため息をつくと、
「あなたね……」
と続けようとしたところで、『そういえば』と霊夢。
「ハロウィンがあるってことを喜んでる人がいたなぁ」
「あら、誰?」
「里の南の方に住んでいるジャックさん」
「誰」
「名前通りよ、ジャック・オー・ランタンの妖怪」
「ああ」
西洋妖怪の一つ、ジャック・オー・ランタン。
かぼちゃの頭を持つ彼は、あちこちに『カボチャ』がオブジェとして飾られるハロウィンの、文字通り主役である。
確かにそれは嬉しいだろう、と華扇。
「自分のところの風習が、こんな東の果ての国に伝わってるなんて、って感激してたわ」
「そう」
「まぁ、自分は参加しないらしいけどね」
「あら、もったいない。文字通り、ハロウィンのメインじゃない」
「昔はやんちゃしてたから、それをしっかり償うまではあんまり大っぴらなことはしたくないんだって」
ジャック・オー・ランタンとは西洋ではいわゆる『悪霊』である。
そんな彼も幻想郷にやってきて、そこの生活に馴染むに連れて丸くなっていったらしいのだが、昔やってしまったことに対して、きちんと罪滅ぼしをしてからでなければ『仲間入り』は出来ないと考えているのだとか。
「そんなこともないのにね」
「そうね。
あ、でも、娘さんが参加するって言ってるらしくて。それは喜んでいたわね」
「娘さん」
「そう。写真もらった。これこれ」
「あら、かわいらしい」
そこに写っているのはかぼちゃ頭の妖怪――これが恐らく『ジャック』さんだろう――とその隣に佇むおしとやかかつ育ちの良さが伺える美女。そんな彼女にだっこされてにこにこ笑っている、かわいらしい少女である。
「奥さんに似たらしいわ。
喜んでいたわよ、『俺に似たら、こんな間抜けなかぼちゃ顔になってしまうだろう』って」
「笑ってしまってはいけないけど、笑ってしまうわ」
それは多分に、相手をあざ笑う意味の『笑い』ではない。心がほっこりと温かくなることで思わず漏れる『優しさの笑み』だ。
「あーあ、それにしてもお客さん来ないなー。
さっさと大福しまって、この寒い縁側からぬくぬくのこたつに帰りたい」
霊夢は『ん~』と伸びをしながら言う。
「ああ、そうだ、霊夢。
ハロウィンというのは『お菓子くれなきゃいたずらするぞ』と言う相手に対してお菓子を差し出すのが風習だったでしょう?」
「まぁね」
「お菓子くれなきゃいたずらするぞ」
「何言ってるのよ、華扇。それは子供限定よ」
「お菓子くれなきゃいたずらするぞ」
「いやだから」
「お菓子くれなきゃいたずらするぞ」
「あの」
「お菓子くれなきゃいたずらするぞ」
「えっと」
「お菓子くれなきゃいたずらするぞ」
「だからね?」
「お菓子くれなきゃいたずらするぞ」
「……はい、どうぞ」
「ありがとう」
にっこり笑いながら右手を突き出して『お菓子』を要求するピンク仙人を前に、あっさり根負けする霊夢であった。
「ねーねー、めーりん、めーりん、みてみてー!」
紅魔館に元気な声が響き渡り、今日も一日、館の外で警備――という名のお客様案内係――を務める紅美鈴が後ろを振り返る。
「あら、かわいい」
「えへへー」
そこにいたのはフランドール。
今日のハロウィンのために用意した衣装を身にまとう彼女のミニマムなかわいらしさは大したものである。
かぼちゃを象ったスカートに、黒と橙をベースにした衣装。それを着て嬉しそうににこにこ笑うフランドールは大層かわいらしかった。
「んしょ」
そして、背中に隠し持っていたかぼちゃを模したマスクをかぶる。
彼女の体のサイズに比して少々大きめであるが、SD感マシマシで愛らしさが大幅アップだ。
「かぼちゃー」
触ってみると、どうやら本物のかぼちゃをくりぬいて作ったらしいことがわかる。
こういう器用なことがフランドールに出来るはずもないので、恐らく、彼女おつきのメイドが作ったのだろう。
「かわいいお化けですね」
「えへへー。
めーりん! おかしちょーだい!」
「はいどうぞ」
本日の美鈴のお仕事は、紅魔館にやってくる『お客様』を迎えると共に彼にお菓子を手渡すことである。
脇の台に用意してあるそれを手に取り、フランドールのちっちゃな手に乗せてあげる。
「わーい、おかしだー!」
「美味しいですから。ただし、食べた後はちゃんと歯磨きしないとダメですよ」
「はーい!」
にこにこ笑顔のフランドールは、早速、渡されたお菓子――甘いキャンディ――を口の中にぽんと放り込む。
「あっ、フランドールだ」
その声が頭上から聞こえてくる。
振り仰ぐと、フランドールと仲のいい氷精がお目付役――というより保護者の妖精を伴って舞い降りてくるところだった。
「チルノ!」
「あ、何それ! フランドールのお面、かっこいいな!」
「でしょー!」
えっへん、と胸を張るフランドール。
チルノは『いいな、いいなー』とフランドールの周りをぴょこぴょこしている。
「チルノもかぶる? はい!」
「やった!
へっへっへー! かぼちゃー!」
「かぼちゃー!」
きゃっきゃとはしゃぐ二人。
美鈴は、チルノの保護者――大妖精とみんなには呼ばれている妖精の彼女を振り向くと、「お二人とも、どうぞ」とキャンディを手渡す。
「ありがとうございます」
「チルノちゃんも、今日はハロウィンですか?」
「どこかで知識を仕入れてきたみたいで。
『おやつ食べに行こう!』って」
そのチルノが身につけている『仮装』は、ただその辺に落ちていた枯れ葉を服にぺたぺた貼り付けただけというものである。
しかし、それはそれでとてもチルノらしい。
「あちこちを回れば、おなかいっぱい、お菓子が食べられると思いますよ」
「そうですね。
ただ、食べ過ぎには気をつけないと」
「全くですね」
はしゃぐ二人を暖かい目で見つめる二人。
やがて、ちびっ子たちは『お菓子を食べに行こう』と意気投合し、走り出す。
「じゃあ、大妖精さん。フランドール様をお願いします」
「わかりました。
こら、チルノちゃん、フランドールちゃん。はしゃぎすぎないの。転んで怪我をするよ」
「はーい!」
「わかったー!」
「フランドール様、あんまりお菓子を食べ過ぎると晩ご飯が食べられなくなりますからね」
「はーい!」
かくて、紅魔館からは二人のちびっ子お化けが出陣する。
ちなみにもう一人のちびっ子お化けは、すでに今より一時間以上早く、おつきのメイドを伴って人里に向かって出発していたりするのだが、
「子供は甘い物が大好きだから。ま、いいか」
恐らく今日の晩ご飯、ちびっ子たちの分は少なめに用意されていることだろう。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん! お菓子ちょーだい!」
「お菓子くれないといたずらしちゃうぞー!」
「実に大賑わいですね」
喫茶『かざみ』人里支店。
そこは現在、子供たちの集いの場となっていた。
やってくるたくさんの子供たちに、幽香が『はいはい、慌てないでね。一列に並んでねー』と笑顔で声をかけている。
「楽しそうですね」
「実際、楽しいと思うわよ。本人は」
それを横から眺めるのはアリスと、この店の広報担当射命丸文である。
「おかげで店はほったらかしだけど」
事前に幽香に『今日は、あんた、役に立たないんだから在庫分用意しといて』と言っておいたからいいようなものの、そうでなければ開店から二時間後には『本日売り切れ』の告知を出さなくてはいけないのがこの店の難点である。
「山の方も、子供たちがあちこちでお菓子をせびってましたよ。
大人の側としては『ダメ』なんて言えないこと、わかってるんですね」
「賢いわね」
「上の連中は『うーむ、このような祭りが今は流行っておるのじゃのぅ』『わしらも、もっと世の中のことを知らなくてはならぬな』なんて言ってました。
あの辺りは孫バカ多いので」
年寄りにとって孫より大事にするものはない。
自分の無知がきっかけで『おじいちゃんなんて嫌い』なんて言われたりしないように努力するのだろう、と文は大笑いする。
「にしても、幽香のやつ。
子供たちが喜ぶように、なんて。こんなことをするなんて聞いてなかったわ」
さて、『かざみ』の打ち出したキャンペーンは、『ハロウィン当日、仮装してやってきた子供には、お店のチョコレート、好きなものを一つプレゼント』というものであった。
もちろん、ハロウィン用のパッケージであるため、普段販売するものよりは量が少ないのだが、子供たちにとっては『自分の好きなチョコレートがもらえる』ということでいたく好評である。
「あんまり手の込んだものが売れないことを祈るのみだわ」
「上下の値段差、すごいですもんね」
「そうよ。
安いやつは子供でも簡単に買えるくらいだけど、上は贈答用とかだもの。値段なんて10倍以上違うわ」
幸いなことに、この店にやってくる子供たちは『高いもの』の味を知らない子供が多い。
彼らは、普段自分が食べ慣れたものを『これ!』と持って行く。だが、中には『高いもの』に挑戦しようとする、あるいはその味を知っている子供もいるようで、アリスの顔もなんとも言えない笑顔である。
「けど、仮装したらチョコレート、何でも一つかぁー。
それって、ロイヤルショコラもそうなんですかね」
文が口に出す、そのロイヤルショコラというのは、甘さ控えめ、ちょっとビターの香り強いものの味わいの深さで主に大人に人気のチョコレートである。
割と男性にもよく売れており、これが食べたい、しかし買いに行くのは少し恥ずかしいという彼らは子供をだしによくやってくる。
曰く、『うちの子供がこいつを食べたがっていてさぁ。はっはっは』と。
「まぁ、ね。『何でも』って言ってるでしょ」
「じゃあ、私が仮装してきたから、私ももらえますかね?」
目をきらきらさせて訊ねてくる文。
こいつ、大酒飲みのくせに甘い物大好きという、少々変わった嗜好をしている。
「子供限定」
「ちぇー」
それをアリスはすげなく追い払う。
文はほっぺた膨らませると、しかし、すぐに何かを考えついたのか、ぽんと手を打つ。
「よし、椛さんならいいですよね!?」
「……まぁ、あの子なら」
「ちょっと今から連れてきますから! ロイヤルショコラ、残しておいてくださいねー!」
「……悪賢いというか、何というか」
文の友人たちの中で、恐らく最も幼く、そして最も食いしん坊を連れてくる飛び立つ彼女を見て、アリスはやれやれと苦笑する。
「二人分、用意しといてやるか。一つはミルク多めにして」
そして、こういうところでちょっとした慈悲を見せるから、彼女は案外、誰にでも好かれるのかもしれなかった。
「ハロウィン、ってお菓子もらえるんですか!? すごいです、響子もお菓子欲しいです!」
「うむ。響子殿、我と一緒にお菓子をもらいにいこう!」
「はい!」
またもやところ変わって、ここは命蓮寺。
そこにやってきたちびっ子が、これまたちびっ子と『ハロウィン』の話題を出して盛り上がっている。
「ねぇねぇ、何の話? お菓子もらえるって聞いたけど」
「あっ、ぬえさん!
あの、これから一緒にお菓子をもらいにいきませんか!?」
「お菓子? 行く行く! けど、何するの?」
「ぬえ殿、『ハロウィン』という祭りを知っているか?
何でもお化けの格好をしていけばお菓子がもらえるらしいぞ」
「へぇ。
それは面白そうだ。お化けの格好ってどんなのがいいの? 本格的な格好がいいかな? 手足が取れかかってて、全身血まみれの死体とかさ」
「そ、そういうのはちょっと……だな……」
三人目のちびっ子が話しに加わり、話の輪が大きくなっていく。
彼女たちは『どんな格好をしていこうか』と思索を巡らせる。
「響子、かわいいお化けさんがいいです」
「えー? それじゃ、お化けの意味ないじゃん。怖いのでいこうよ」
「それよりは、わかりやすい感じがいいのではないだろうか」
という具合に、その話題はなかなかかみ合わない。
「あの子達、何やってるの」
「何でも『ハロウィン』というお祭りの知識を仕入れてきたみたい。
お化けの格好して人里に行けばお菓子がもらえる、って」
「ふぅん。
まぁ、いいんじゃない? ここにいたら、そんなもの、そうそうもらえないもの」
「まあ、一輪ってばひどいのね。子供にお菓子の一つもあげないなんて」
「何を言うの、村紗。あんたが『お菓子は毎日食べるものじゃありません!』って厳しくしてるのが原因じゃない」
「あっれー? そうだっけ?」
それを遠巻きに眺める二人――雲居一輪と村紗水蜜がそんな話をしている。
ここ、命蓮寺では戒律に従って、それなりに質素な食生活が基本である。当然、甘くて美味しいお菓子など、そんなには用意されない。それを探して戸棚をあさるのが、響子と、先ほど話しに加わったぬえの日課である。
「またお菓子を食べ過ぎて歯医者に連れて行かれても知らないぞ、全く」
「あら、屠自古さん。
厳しいのね」
「布都は甘い物が大好きだからな。食べ過ぎたらご飯が食べられなくなるといつも言っているのに」
「まあまあ、いいじゃないか。屠自古。布都も年頃の子、甘い物が大好きなのだから」
「太子がいいのなら、わたしは何も言いませんけど」
「わたしもお菓子大好きです」
にっこり笑うのが、豊聡耳神子。屠自古や布都の、ある意味、『同類』である。
彼女たちは時たま、この寺へとやってくる。その目的は千差万別なのだが、今日は単に『お茶会しましょ』とやってきただけだったりする。
「普段、廟ではどんなお菓子が出るんですか?」
「色々ですよ。
青娥さんがあれこれ色々作ってくれますから」
「それは、うちの響子やぬえが聞いたら羨ましがりそうだ」
「村紗。だったらもう少し甘くしてあげたら? 雲山も『もう少しくらいいいと思うのじゃが』とか言ってたわ」
「わたし、そんなに厳しくしてる?」
「してる」
普段、割とちゃらんぽらんしてる感じの村紗であるが、こう見えてその根っこの部分はかなり真面目である。
寺のちびっ子達にとっては『怒らせたら怖いのは一輪だが、普段から厳しいのは村紗』という認識だ。
「そうか。ちょっと手加減すっかなー」
「わたしは、村紗さんのそういうところ、好きですけどね。うちは誰も彼もが布都に甘い」
「まあまあ、いいじゃないですか」
なんとなく『子供を持つお母さんの井戸端会議』という感じである。
『マミゾウ殿。確かにあまり甘い物ばかり食べるのはよくないとは思うのじゃが、子供には好きなものをおなかいっぱい食べさせてあげたいと思ってしまうなぁ。そうではないか?』
「雲山殿、それは確かじゃ。
せっかくだから、わしらで買い集めてくるか?」
『それも悪くないのじゃが、この祭りを楽しもうとしている矢先、それは水を差すようなことにならぬかの?』
「わはは。あやつらにとって重要なのは『お菓子を食べること』じゃ。
がっかりはされぬじゃろう」
それをまた遠くから見ているのが雲山と二ッ岩マミゾウ。命蓮寺の保護者たちのまた保護者、という立場の二人である。
「わしは酒があればよいが、子供には、お菓子がわしにとっての酒と同じもの。
ならば、お菓子が食べられないというのは辛いことかもしれぬのぅ」
『寺という環境上、しょうがないところもあるがのぅ』
「なかなか難しい問題じゃな」
そんな二人は、どことなく『茶飲み友達のじいさんばあさん』という感じであった。
雲山はともかくマミゾウは、かわいがっている子供達以外に『おばあちゃん』扱いされると怒るのだが。
「そういえば、白蓮殿と寅丸殿はどうしたのかの?
こういう場には真っ先に出てきそうなものじゃが」
『先ほど、炊事場の方に入っていくのを見たが……』
「何をしているのやら。
あの二人は、少々、浮き世から離れすぎているきらいがある」
『それは言い換えれば、世間ずれということになるのじゃろうが』
「はっは、さすがじゃな、雲山殿。察しがいい」
『なぁに、マミゾウ殿とも長いつきあいじゃ。お互い、ある程度は腹の内も読めるようになってきたということじゃよ』
「うむうむ、その通り」
そんな風に、この二人、割と仲がいい。
親しげに話をしている様を横から見ていると、『茶飲み友達』から『長く連れ添った伴侶』にも見えてくるほどだ。
「しかし、気になるな」
『ちょっと見てこようか』
「うむ、そうしよう。
ついでに、戸棚の中を探ってくるか。あと小遣いも持ってきてやらねばな」
『いつもすまぬのぅ、マミゾウ殿。わしも手持ちがあればいいのじゃが』
「なぁに、気にするでない。わしが命蓮寺の財布を預かっているのじゃ、それくらいは当然の役目よ」
二人はてくてく、命蓮寺の中を歩き、炊事場へ。
「白蓮殿、寅丸殿。ちびどもが『お菓子が欲しい』と騒いでおるぞ。何か……」
「えっと……次に、チョコレートを溶かすそうですが……」
「普通に鍋に火をかけたらいいのかしら?」
『二人とも、何をしておるのじゃ』
炊事場では話題の二人が割烹着を着て、『お菓子作り』の本を広げて何やらやっている。
漂う甘い香りに、マミゾウは『お菓子でも作っておったか』と察する。
「ああ、マミゾウさん、それに雲山。
いえ、実はそうだろうと思って、彼女たちのためにお菓子を用意しようとしていたのですが……」
「洋菓子というのは作ったことがなくて。苦戦しているところなのです」
『うーむ。わしもさすがに洋菓子はわからぬのぅ……。あんこの練り方ならいくらでも指導できるのじゃが……』
困ったような顔をしているのは、この寺の主、聖白蓮。そしてその隣で本とにらめっこしているのが寅丸星。
勘違いしてもらっては困るが、この二人、料理はかなり上手な部類に属している。特に星は命蓮寺の料理当番を担当しているほどだ。毎日美味しいご飯で、寺のもの達のおなかを満足させるのが星の任務である。
ちなみに白蓮にはその手の役目が任されることはない。とにかく料理にはこだわるのが、この彼女。料理を作らせたら『まずは、お味噌汁を作るために必要な味噌を造るために必要な大豆を育てるために必要な土を作るために大切な里山を育てるのに必要な木々を育てるのに重要な苗木を作る』ところから始めかねないのである。
「早く用意してあげないと、あの子達が悲しむのはわかっているのですが……」
「どれ、じゃあ、わしが手伝ってやろう」
『なんと、マミゾウ殿、洋菓子も作れるのか』
「昔取った杵柄、亀の甲より年の功、よ」
「大したものですね」
「寅丸殿、褒めても何も出ぬぞ。せいぜい、酒の席でわしが饒舌になるくらいじゃ」
冗談を口にして、『どれ』と腕まくりする仕草を見せるマミゾウ。雲山が、『ならば、わしも手伝うか』と炊事場に入ってきたことで、その場が手狭になってしまう。
――それからしばらくして、いらない布団のシーツを頭からかぶって、目元に穴を空けたちびっ子三人が「ん? 何だ、一輪、村紗。にやにやしてわぁぁぁぁぁぁ!?」とやってきたとある賢将を驚かせたところで、美味しいお菓子が完成するのだが。
それはまた別の話である。
「ねーねー、こころちゃん」
「何、古明地こいし」
「ハロウィンって知ってる?」
「知らない」
「ハロウィンしようよ!」
「やだ」
「どうして?」
「何ででも」
「何で?」
「どうしてでも」
「やろう!」
「やだ」
「やろうよ!」
「絶対やだ」
「やろうってば!」
「あっかんべー」
「美味しいお菓子もらえるよ?」
「やる」
ハロウィンの波は幻想郷だけに留まらない。
ここ、地底でもそんな空気は存在していた。
その空気を醸成するのに一役買った――早い話、その話題を拾ってきてばらまいた――古明地こいしが、友人の妖怪、秦こころをたきつけている。
「お菓子ってどうやってもらうの?」
美味しいお菓子というフレーズにぱっくり食いついたこころがこいしに訊ねる。
こいしは『えっとねー』と小首をかしげた後、
「お化けの格好をして、誰かを驚かせるといいんだって」
「それでいいの? 怒られると思うんだけど」
「ちょっと違ったかもしれないけど、多分、合ってる」
「よし、じゃあ、そうしよう」
「お姉ちゃんを驚かせて、美味しいお菓子をもらおー!」
「おー」
ただし、その知識は伝聞になっていたことに加え、こいしからばらまかれた時点で人づてに情報は変化していき、巡り巡ってこいしの元に返ってきた時にはだいぶ変質していたりもするのだが。
「……あなた達、何かしら」
「おばけだぞー!」
「だぞー」
「えーっと……」
「お姉ちゃん、お菓子をよこせー!」
「よこせー」
「……」
「がおー」
「がおー」
「……あなた達、ハロウィンを勘違いしてるわ」
『えっ?』
頭の中に『ハロウィンといえばかぼちゃ』という知識だけは残っていたのか、こいしはこころのスカートを勝手にジャック・オー・ランタン風味に改造し、かぼちゃ顔の隙間から顔を出す感じでこころを肩車し、姉である古明地さとりを迎え撃った。
よくわからん変なトーテムポールを前に微妙な顔を浮かべるさとりは、『ハロウィンとは』と彼女たちにレクチャーをする。
「そうなんだ」
「脅かすかお菓子もらうか、なんだ」
「まだちょっと勘違いしてるみたいだけど、おおむね、間違ってはいないわ」
「じゃあ、お姉ちゃん、お菓子ちょうだい!」
「ちょうだい」
「はいはい」
彼女たちの目的はお菓子をもらうことである。
相手を脅かすことはどうでもよく、ただお菓子をもらえれば目的は達成されるのである。
「お姉ちゃん、お菓子の用意してたの?」
「普段から、うちは戸棚にいくつか用意してるでしょ」
「そうだっけ」
「そうよ。
ただし、あなた達が食べ過ぎないように、普段は鍵をかけているだけ」
「そっか」
「全くもう。変なことしてないで、お菓子食べたいならそう言いなさい」
「だけど、お祭りには参加しないと」
用意されたお菓子を持って、近くの部屋に三人、移動する。
ケーキをもぐもぐ、美味しそうに頬張るこいしとこころ。
そのうちに『こころちゃん、そのいちごちょうだい』『絶対やだ』とにらみ合いが始まるのはいつものことである。
「あ、そうだ」
「何」
ケーキを食べながら、ぽんとこいしは手を打つ。
「ハロウィンやろう!」
「今、やったでしょう」
「そうじゃなくて」
また何か突拍子もないことを考えついたらしい。
こいしは、どこかからA4のフリップを取り出すと、それにペンを走らせる。
「こいしちゃんが『やろう』と思ったのは、すなわち、ハロウィンイベントなのです」
とん、とテーブルに置かれたフリップ。
それにはイベントの骨子がつらつらと書かれている。
「我らが地底温泉、日頃から、お客さんをたくさん呼び込む努力を怠ってはいけないのです。
殊にお祭りには積極的に参加し、お客さんを引っ張ってこないといけません」
「……」
「さとりさん、難しい顔してる」
「……ああ、いや、うちっていつから旅館経営がメインの仕事になったのかなぁ、って」
しかし、このこいしが思いつきと気まぐれで、しかしその実、用意周到に裏側に手を回して始めた『地底温泉』が地底の財政を潤し、ここしばらくの間、赤字経営を続けていた地霊殿を救った原動力となったのは事実である。この功績を否定することは出来ないのだ。
「そのために、ハロウィンイベントに、遅ればせながら参加します。
まずは、定番の、仮装してきたお客さんに対するサービス割引き、内装をハロウィン風味にしたお部屋の用意に、お料理プランの策定、温泉も『かぼちゃ温泉』とか楽しいかも」
「そういう大がかりなことを始めるのには、基本、時間がかかるものなのだけど……」
「大丈夫、勇儀さんに言えば建物関係は一日二日で急ごしらえだけど何とかなるよ。
お料理はヤマメさんに声をかけたら人を集めてもらえるはずだし。
あとはプラン周りの料金かなぁ。投資分を回収することを考えたら少し割高になるだろうけど、それはしょうがないとみて……」
何やら経営者の眼差しになったこいしがぶつぶつとつぶやいている。
さとりはため息をつき、こころは自分の分のケーキをぺろりと平らげる。
「あとは、これを幻想郷の人たちに教えないと。
すぐにチラシを作ろう。今から作れば、明日の朝までに百くらいは出来るはず。
よーし、頑張ろう!」
思い立ったら即実行。
この決断力と行動力、そして素早さこそが古明地こいしの武器であった。
「さとりさん、止めないの?」
「止めても無駄だってわかってるから。無駄なことはやらないようにしたの」
「そうなんだ」
「こころちゃんも、早く逃げた方がいいわよ。じゃないと、こいしに余計なことを……」
「あ、こころちゃん、ちょっときて-」
「ぎゃー、さらわれるー」
「……遅かったか」
かくて、地底温泉『ちれいでん』ハロウィン特別プランがスタートするのである。
「お嬢様、るんるんですね」
「は、はぁ!? そ、そんなことないわ!
これは、ただ、外を歩いていたら、わたしのあまりのカリスマにひれ伏した連中が貢ぎ物を差し出してきただけよ!」
祭りというのはあっという間に終わってしまう。
紅魔館に戻ってきたレミリアの両手には溢れんばかりのお菓子の山が築かれていた。
どれから食べようかと、誰から見てもうきうきした顔を浮かべているレミリアに横から咲夜が声をかければ、予想通りに怒ったりするのだが。
「冷蔵庫に入れておきますから」
「い、いいわ。ちゃんと入れておきなさいね。他の人に食べられないように、わたしの名前を書いておくのよ!」
びしっと丸っこい指を咲夜に突きつけ、レミリアは去って行く。
頭にぴょこんと猫の耳生やし、猫のしっぽふりふりし、にくきゅうぷにぷにと足音を立てながら。
「あら、メイド長。そのお菓子は?」
「あのかわいい生き物の戦利品よ」
咲夜に別のメイドが声をかける。
その『かわいい生き物』は廊下の角を曲がろうとして、たまたま、今回の彼女の仮装を知らなかったメイド達に見つかり『きゃー! お嬢様、かわいいー!』ともみくちゃにされていた。
「ちゃんと袋に入れて名前を書いておかないと、誰かに食べられてしまいますね」
「そうなの。だから、ちゃんと名前書いておけ、って」
「そういうところには聡いのがお嬢様です」
じたばたするレミリアがメイド達の手を逃れて逃げ出した。
逃げる子猫を追いかけて、メイド達が走って行く。
「あれ、メイド長の趣味ですか?」
「そうよ。悪い?」
「いいえ、別に」
「もうちょっと子猫っぽい雰囲気があったらよかったかなって思ってるのだけど……」
「首輪に鈴をつけたらよかったかもしれませんね」
「あ、それだ」
そして自分の至らなさに気づき、『来年はそうしよう』と心に誓う。
「ところで、今日のハロウィンセールの客入りは?」
「上々ですね。
ただ、幻想郷あちこちで同じようなイベントが組まれましたから。
予想以上とはなりませんでした」
「予想通りの客入りがあったのなら十分だわ」
さて、と咲夜。
「このお菓子、このままだと溶けてしまうものもあるから、冷蔵庫に入れに行きましょうか」
「そうですね」
お嬢様の今日一日の『戦利品』片手に、にこっと笑うのだった。
「あら、フラン。何をしているの?」
「あっ、お姉さま! あのね……」
ぱっと顔を上げて笑顔を浮かべた彼女は、その隣で同じように手を動かしているメイドに肩をとんとんされて『あっ』という顔を浮かべる。
「えへへ~、ないしょ!」
「ふーん?」
「いまね、ハロウィンの準備してるんだよ!」
「ハロウィン。ああ、そういえば、そんなお祭りもあったわね」
今思い出しました、という口調の彼女はレミリア・スカーレット。
ここ、幻想の郷で多分トップクラスに有名な紅のテーマパークこと紅魔館の主――という名のマスコット――である。
その正面で、床に何やら色々広げてちっちゃな手を動かしているのが、彼女の妹であるフランドール・スカーレット。
「もうすぐできるの! だけど、何をつくってるかはないしょだよ!」
「そう。まぁ、頑張りなさい。
そういえば、そのお祭りの時は幻想郷も賑やかになるのだったわね」
この世界、娯楽の少ない閉鎖的な場所はとかく『祭り』という言葉には敏感だ。
『やあ、どこそこでこんな祭りがやっているぞ』という噂が立てば一日経たないうちに四方八方にそれが知られるほどである。
それだけ、日頃、人々は退屈を持て余しているのである。
「うん!
だから!」
「そう」
そして、このフランドールもそうしたお祭りは大好きな類いである。
理由は簡単。みんなと一緒に遊ぶのが楽しみで、かつ、とても楽しいのだ。
「それにね、それにね!
ハロウィンって、おかしがもらえるんだよ!」
「……お菓子?」
「そう!」
「……ふぅん。
一杯もらえるといいわね」
「うん!」
「じゃあ、頑張ってね」
ばいばーい、と手を振ってくる妹に手を振りながら、姉は去って行く。
廊下を渡り、曲がり角を曲がったところで、
「咲夜」
「何でしょうか、お嬢様」
「ハロウィンってお菓子をもらえるお祭りだったかしら? 確か、あれってただの仮装パーティーみたいなものだと記憶しているのだけど」
「お嬢様にしては珍しく、半分当たってます」
「あなたわたしのこと馬鹿にしてるでしょ」
「いいえそんなことは」
突然現れるメイド――十六夜咲夜の、慇懃無礼にも程のある発言にはツッコミのジャブを叩き込んでから、
「確かに、半分当たってます。
しかしながら、祭りとは年々様変わりするもの。今では、子供たちがお化けの格好をして家々を練り歩き、お菓子をもらうイベントになってます」
「へぇ」
その表現もかなり曲解された表現ではあるのだが、レミリアにはそれだけが伝われば――あるいは、伝えればよかったのかもしれない。ともあれ、咲夜の言葉にレミリアはうなずいた。
「変わったものね。
わたしも500年も生きているのだもの。世の中の流れに、時たまついて行けないことがあるわ」
「そういえば、お嬢様ってそういう設定でしたね」
「設定言うな!」
どこからどう見ても年齢7~8歳のちんまいようじょの彼女は、羽をぴんと立たせて怒り、びしっと咲夜を指さす。
「命令よ、咲夜。わたしに似合う衣装を作りなさい。
わたしもハロウィンに参加するわ」
「承知しました」
「まぁ、これには別に他意はないの。
長年の時を経て、風変わりした祭りに参加して知識を蓄えるというのも悪くないと思っただけよ」
ふふんと威張って、レミリアは「じゃあ、楽しみにしているわ」と去って行く。
その後ろ姿を見ずとも、咲夜は……いや、恐らくレミリア以外には、全員、彼女の真意などわかっている。
「お菓子をもらえると聞いてやる気を出す辺り、お嬢様らしいわね」
ちらりと見たレミリアの背中では、羽がぴょこぴょこ上下に動いている。
彼女の感情を表現するあれが示すものは『わたし、お菓子楽しみで仕方ないです!』以外の何物でもなかった。
「さて、幽香。そろそろハロウィンよ。
当然だけど、我が『かざみ』も……」
「もうお菓子のアイディアは出来ているわ」
「……珍しいわね。普段なら、私が言わないと『え? そんなのあったっけ?』って言うくせに」
「だって、子供たちにお菓子を配るイベントでしょ?
私が忘れるわけないじゃない」
「……あなた、本当に子供好きよね」
さて、ところ変わって、ここは太陽の畑――季節はもう秋の盛りでもあるため、向日葵はほとんど姿を見せていないのが難点ではあるが――に佇む喫茶『かざみ』本店。
今日もお客さんで大賑わいのここであるが、その経営者でありパトロンのアリス・マーガトロイドの言葉に店の主である風見幽香は『何を当然』という顔をしている。
「今年はね、美味しいチョコレートをあげようと思うの」
「チョコレートね。子供たちは好きだものね」
「そうよ。
けど、あまり量を多くしたら、あなた怒るでしょ?」
「当然。キャンペーンというのは『損して得取れ』ではあるけれど、許容できる損には限界があるもの」
「だから、量はちょっと少ないかもしれないけど、十分満足できるものを用意しようと、ね」
「ふぅん。
まぁ、こういうことにかけては、あなたのセンスとかは確かだから。
信じるわ。頑張って、うちの売り上げ、伸ばしてちょうだいね」
「任せなさい」
と答える幽香であるが、その顔からは『店の売り上げ』なんてどうでもいいという雰囲気しか漂っていない。
妖怪である彼女にとって、日頃の生活を充実させるための銭など不要なのだ。
彼女にとって重要なのは『子供たちを喜ばせる』ことなのである。
「……ちょっと不安だけど、まぁ、幽香らしいといえばらしいか」
そして、その向かう対象が『子供』であることからアリスもあまり強くは言えない。
結局、いつもこうしてイベントが起きるたびに大赤字を叩き出し、その後の日々の努力で巻き返すのが『かざみ』の日常なのだから。
――さて、時は巡り巡って。
「ごきげんよう、霊夢」
「何、華扇」
「何、とはまたずいぶん挨拶ですね。あなたは他人に対する礼儀というものをもっと身につけるべきだと思いますよ」
「いや、あんたがそれを言うのはいつものことだけどさ。
何、その格好」
「ああ、これですか。今日はハロウィンでしょ? ちょっと茶目っ気を出してみたの。
仙人というのは世間一般から離れて生きるものではあるけれど、たまには俗世に阿るのも悪くないんじゃないかなってね」
「ふぅん」
現れたピンク頭の仙人は、普段は右手だけにつけている包帯を両手両足、ついでに顔にも巻いていた。
さながら『ミイラ女』というところだろうか。
「そういうあなたこそ。多少は衣装を変えているのね」
「まぁね。
紫がさー、『そんなの興味ない』って言ったら『こういうイベントの時にこそ、人の信心を掴むチャンスでしょう』とか何とか言って」
「それで、その帽子と」
「魔理沙が普段かぶってるのに似てるよね」
縁側に座ってお茶を飲む、この博麗神社の主、博麗霊夢。
その脇には『どうぞご自由に』と書かれたお盆の上に大福が積み上がっていた。
「ま、どうせここにはお客さんなんて来ないだろうし。
これは全部、私の胃袋に入るのよ」
和菓子が好きな彼女にとって、それは嬉しいことなのだろうが、ちょっと納得できないところもあるのか、声音は少し寂しそうだ。
ともあれ、
「それにしても、この手のお祭りが幻想郷にやってくるのを、あの妖怪の賢者は何も言わないのかしら」
「そういうのも含めて幻想郷なんですって。
それに、あっちはあっちで、橙が『紫さま、お菓子ください!』って言ってくるとか」
「子供のネットワークは侮れないわね」
その子供に対して『はいはい』と笑いながらお菓子を差し出している妖怪の賢者の姿を想像すると、ちょっとだけ頬も緩んでしまう。
華扇は、「誰かに来て欲しいなら宣伝とかしたら?」と霊夢に言う。
「めんどい」
そして返ってくるのは予想通りの言葉だった。
はぁ、と華扇はため息をつくと、
「あなたね……」
と続けようとしたところで、『そういえば』と霊夢。
「ハロウィンがあるってことを喜んでる人がいたなぁ」
「あら、誰?」
「里の南の方に住んでいるジャックさん」
「誰」
「名前通りよ、ジャック・オー・ランタンの妖怪」
「ああ」
西洋妖怪の一つ、ジャック・オー・ランタン。
かぼちゃの頭を持つ彼は、あちこちに『カボチャ』がオブジェとして飾られるハロウィンの、文字通り主役である。
確かにそれは嬉しいだろう、と華扇。
「自分のところの風習が、こんな東の果ての国に伝わってるなんて、って感激してたわ」
「そう」
「まぁ、自分は参加しないらしいけどね」
「あら、もったいない。文字通り、ハロウィンのメインじゃない」
「昔はやんちゃしてたから、それをしっかり償うまではあんまり大っぴらなことはしたくないんだって」
ジャック・オー・ランタンとは西洋ではいわゆる『悪霊』である。
そんな彼も幻想郷にやってきて、そこの生活に馴染むに連れて丸くなっていったらしいのだが、昔やってしまったことに対して、きちんと罪滅ぼしをしてからでなければ『仲間入り』は出来ないと考えているのだとか。
「そんなこともないのにね」
「そうね。
あ、でも、娘さんが参加するって言ってるらしくて。それは喜んでいたわね」
「娘さん」
「そう。写真もらった。これこれ」
「あら、かわいらしい」
そこに写っているのはかぼちゃ頭の妖怪――これが恐らく『ジャック』さんだろう――とその隣に佇むおしとやかかつ育ちの良さが伺える美女。そんな彼女にだっこされてにこにこ笑っている、かわいらしい少女である。
「奥さんに似たらしいわ。
喜んでいたわよ、『俺に似たら、こんな間抜けなかぼちゃ顔になってしまうだろう』って」
「笑ってしまってはいけないけど、笑ってしまうわ」
それは多分に、相手をあざ笑う意味の『笑い』ではない。心がほっこりと温かくなることで思わず漏れる『優しさの笑み』だ。
「あーあ、それにしてもお客さん来ないなー。
さっさと大福しまって、この寒い縁側からぬくぬくのこたつに帰りたい」
霊夢は『ん~』と伸びをしながら言う。
「ああ、そうだ、霊夢。
ハロウィンというのは『お菓子くれなきゃいたずらするぞ』と言う相手に対してお菓子を差し出すのが風習だったでしょう?」
「まぁね」
「お菓子くれなきゃいたずらするぞ」
「何言ってるのよ、華扇。それは子供限定よ」
「お菓子くれなきゃいたずらするぞ」
「いやだから」
「お菓子くれなきゃいたずらするぞ」
「あの」
「お菓子くれなきゃいたずらするぞ」
「えっと」
「お菓子くれなきゃいたずらするぞ」
「だからね?」
「お菓子くれなきゃいたずらするぞ」
「……はい、どうぞ」
「ありがとう」
にっこり笑いながら右手を突き出して『お菓子』を要求するピンク仙人を前に、あっさり根負けする霊夢であった。
「ねーねー、めーりん、めーりん、みてみてー!」
紅魔館に元気な声が響き渡り、今日も一日、館の外で警備――という名のお客様案内係――を務める紅美鈴が後ろを振り返る。
「あら、かわいい」
「えへへー」
そこにいたのはフランドール。
今日のハロウィンのために用意した衣装を身にまとう彼女のミニマムなかわいらしさは大したものである。
かぼちゃを象ったスカートに、黒と橙をベースにした衣装。それを着て嬉しそうににこにこ笑うフランドールは大層かわいらしかった。
「んしょ」
そして、背中に隠し持っていたかぼちゃを模したマスクをかぶる。
彼女の体のサイズに比して少々大きめであるが、SD感マシマシで愛らしさが大幅アップだ。
「かぼちゃー」
触ってみると、どうやら本物のかぼちゃをくりぬいて作ったらしいことがわかる。
こういう器用なことがフランドールに出来るはずもないので、恐らく、彼女おつきのメイドが作ったのだろう。
「かわいいお化けですね」
「えへへー。
めーりん! おかしちょーだい!」
「はいどうぞ」
本日の美鈴のお仕事は、紅魔館にやってくる『お客様』を迎えると共に彼にお菓子を手渡すことである。
脇の台に用意してあるそれを手に取り、フランドールのちっちゃな手に乗せてあげる。
「わーい、おかしだー!」
「美味しいですから。ただし、食べた後はちゃんと歯磨きしないとダメですよ」
「はーい!」
にこにこ笑顔のフランドールは、早速、渡されたお菓子――甘いキャンディ――を口の中にぽんと放り込む。
「あっ、フランドールだ」
その声が頭上から聞こえてくる。
振り仰ぐと、フランドールと仲のいい氷精がお目付役――というより保護者の妖精を伴って舞い降りてくるところだった。
「チルノ!」
「あ、何それ! フランドールのお面、かっこいいな!」
「でしょー!」
えっへん、と胸を張るフランドール。
チルノは『いいな、いいなー』とフランドールの周りをぴょこぴょこしている。
「チルノもかぶる? はい!」
「やった!
へっへっへー! かぼちゃー!」
「かぼちゃー!」
きゃっきゃとはしゃぐ二人。
美鈴は、チルノの保護者――大妖精とみんなには呼ばれている妖精の彼女を振り向くと、「お二人とも、どうぞ」とキャンディを手渡す。
「ありがとうございます」
「チルノちゃんも、今日はハロウィンですか?」
「どこかで知識を仕入れてきたみたいで。
『おやつ食べに行こう!』って」
そのチルノが身につけている『仮装』は、ただその辺に落ちていた枯れ葉を服にぺたぺた貼り付けただけというものである。
しかし、それはそれでとてもチルノらしい。
「あちこちを回れば、おなかいっぱい、お菓子が食べられると思いますよ」
「そうですね。
ただ、食べ過ぎには気をつけないと」
「全くですね」
はしゃぐ二人を暖かい目で見つめる二人。
やがて、ちびっ子たちは『お菓子を食べに行こう』と意気投合し、走り出す。
「じゃあ、大妖精さん。フランドール様をお願いします」
「わかりました。
こら、チルノちゃん、フランドールちゃん。はしゃぎすぎないの。転んで怪我をするよ」
「はーい!」
「わかったー!」
「フランドール様、あんまりお菓子を食べ過ぎると晩ご飯が食べられなくなりますからね」
「はーい!」
かくて、紅魔館からは二人のちびっ子お化けが出陣する。
ちなみにもう一人のちびっ子お化けは、すでに今より一時間以上早く、おつきのメイドを伴って人里に向かって出発していたりするのだが、
「子供は甘い物が大好きだから。ま、いいか」
恐らく今日の晩ご飯、ちびっ子たちの分は少なめに用意されていることだろう。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん! お菓子ちょーだい!」
「お菓子くれないといたずらしちゃうぞー!」
「実に大賑わいですね」
喫茶『かざみ』人里支店。
そこは現在、子供たちの集いの場となっていた。
やってくるたくさんの子供たちに、幽香が『はいはい、慌てないでね。一列に並んでねー』と笑顔で声をかけている。
「楽しそうですね」
「実際、楽しいと思うわよ。本人は」
それを横から眺めるのはアリスと、この店の広報担当射命丸文である。
「おかげで店はほったらかしだけど」
事前に幽香に『今日は、あんた、役に立たないんだから在庫分用意しといて』と言っておいたからいいようなものの、そうでなければ開店から二時間後には『本日売り切れ』の告知を出さなくてはいけないのがこの店の難点である。
「山の方も、子供たちがあちこちでお菓子をせびってましたよ。
大人の側としては『ダメ』なんて言えないこと、わかってるんですね」
「賢いわね」
「上の連中は『うーむ、このような祭りが今は流行っておるのじゃのぅ』『わしらも、もっと世の中のことを知らなくてはならぬな』なんて言ってました。
あの辺りは孫バカ多いので」
年寄りにとって孫より大事にするものはない。
自分の無知がきっかけで『おじいちゃんなんて嫌い』なんて言われたりしないように努力するのだろう、と文は大笑いする。
「にしても、幽香のやつ。
子供たちが喜ぶように、なんて。こんなことをするなんて聞いてなかったわ」
さて、『かざみ』の打ち出したキャンペーンは、『ハロウィン当日、仮装してやってきた子供には、お店のチョコレート、好きなものを一つプレゼント』というものであった。
もちろん、ハロウィン用のパッケージであるため、普段販売するものよりは量が少ないのだが、子供たちにとっては『自分の好きなチョコレートがもらえる』ということでいたく好評である。
「あんまり手の込んだものが売れないことを祈るのみだわ」
「上下の値段差、すごいですもんね」
「そうよ。
安いやつは子供でも簡単に買えるくらいだけど、上は贈答用とかだもの。値段なんて10倍以上違うわ」
幸いなことに、この店にやってくる子供たちは『高いもの』の味を知らない子供が多い。
彼らは、普段自分が食べ慣れたものを『これ!』と持って行く。だが、中には『高いもの』に挑戦しようとする、あるいはその味を知っている子供もいるようで、アリスの顔もなんとも言えない笑顔である。
「けど、仮装したらチョコレート、何でも一つかぁー。
それって、ロイヤルショコラもそうなんですかね」
文が口に出す、そのロイヤルショコラというのは、甘さ控えめ、ちょっとビターの香り強いものの味わいの深さで主に大人に人気のチョコレートである。
割と男性にもよく売れており、これが食べたい、しかし買いに行くのは少し恥ずかしいという彼らは子供をだしによくやってくる。
曰く、『うちの子供がこいつを食べたがっていてさぁ。はっはっは』と。
「まぁ、ね。『何でも』って言ってるでしょ」
「じゃあ、私が仮装してきたから、私ももらえますかね?」
目をきらきらさせて訊ねてくる文。
こいつ、大酒飲みのくせに甘い物大好きという、少々変わった嗜好をしている。
「子供限定」
「ちぇー」
それをアリスはすげなく追い払う。
文はほっぺた膨らませると、しかし、すぐに何かを考えついたのか、ぽんと手を打つ。
「よし、椛さんならいいですよね!?」
「……まぁ、あの子なら」
「ちょっと今から連れてきますから! ロイヤルショコラ、残しておいてくださいねー!」
「……悪賢いというか、何というか」
文の友人たちの中で、恐らく最も幼く、そして最も食いしん坊を連れてくる飛び立つ彼女を見て、アリスはやれやれと苦笑する。
「二人分、用意しといてやるか。一つはミルク多めにして」
そして、こういうところでちょっとした慈悲を見せるから、彼女は案外、誰にでも好かれるのかもしれなかった。
「ハロウィン、ってお菓子もらえるんですか!? すごいです、響子もお菓子欲しいです!」
「うむ。響子殿、我と一緒にお菓子をもらいにいこう!」
「はい!」
またもやところ変わって、ここは命蓮寺。
そこにやってきたちびっ子が、これまたちびっ子と『ハロウィン』の話題を出して盛り上がっている。
「ねぇねぇ、何の話? お菓子もらえるって聞いたけど」
「あっ、ぬえさん!
あの、これから一緒にお菓子をもらいにいきませんか!?」
「お菓子? 行く行く! けど、何するの?」
「ぬえ殿、『ハロウィン』という祭りを知っているか?
何でもお化けの格好をしていけばお菓子がもらえるらしいぞ」
「へぇ。
それは面白そうだ。お化けの格好ってどんなのがいいの? 本格的な格好がいいかな? 手足が取れかかってて、全身血まみれの死体とかさ」
「そ、そういうのはちょっと……だな……」
三人目のちびっ子が話しに加わり、話の輪が大きくなっていく。
彼女たちは『どんな格好をしていこうか』と思索を巡らせる。
「響子、かわいいお化けさんがいいです」
「えー? それじゃ、お化けの意味ないじゃん。怖いのでいこうよ」
「それよりは、わかりやすい感じがいいのではないだろうか」
という具合に、その話題はなかなかかみ合わない。
「あの子達、何やってるの」
「何でも『ハロウィン』というお祭りの知識を仕入れてきたみたい。
お化けの格好して人里に行けばお菓子がもらえる、って」
「ふぅん。
まぁ、いいんじゃない? ここにいたら、そんなもの、そうそうもらえないもの」
「まあ、一輪ってばひどいのね。子供にお菓子の一つもあげないなんて」
「何を言うの、村紗。あんたが『お菓子は毎日食べるものじゃありません!』って厳しくしてるのが原因じゃない」
「あっれー? そうだっけ?」
それを遠巻きに眺める二人――雲居一輪と村紗水蜜がそんな話をしている。
ここ、命蓮寺では戒律に従って、それなりに質素な食生活が基本である。当然、甘くて美味しいお菓子など、そんなには用意されない。それを探して戸棚をあさるのが、響子と、先ほど話しに加わったぬえの日課である。
「またお菓子を食べ過ぎて歯医者に連れて行かれても知らないぞ、全く」
「あら、屠自古さん。
厳しいのね」
「布都は甘い物が大好きだからな。食べ過ぎたらご飯が食べられなくなるといつも言っているのに」
「まあまあ、いいじゃないか。屠自古。布都も年頃の子、甘い物が大好きなのだから」
「太子がいいのなら、わたしは何も言いませんけど」
「わたしもお菓子大好きです」
にっこり笑うのが、豊聡耳神子。屠自古や布都の、ある意味、『同類』である。
彼女たちは時たま、この寺へとやってくる。その目的は千差万別なのだが、今日は単に『お茶会しましょ』とやってきただけだったりする。
「普段、廟ではどんなお菓子が出るんですか?」
「色々ですよ。
青娥さんがあれこれ色々作ってくれますから」
「それは、うちの響子やぬえが聞いたら羨ましがりそうだ」
「村紗。だったらもう少し甘くしてあげたら? 雲山も『もう少しくらいいいと思うのじゃが』とか言ってたわ」
「わたし、そんなに厳しくしてる?」
「してる」
普段、割とちゃらんぽらんしてる感じの村紗であるが、こう見えてその根っこの部分はかなり真面目である。
寺のちびっ子達にとっては『怒らせたら怖いのは一輪だが、普段から厳しいのは村紗』という認識だ。
「そうか。ちょっと手加減すっかなー」
「わたしは、村紗さんのそういうところ、好きですけどね。うちは誰も彼もが布都に甘い」
「まあまあ、いいじゃないですか」
なんとなく『子供を持つお母さんの井戸端会議』という感じである。
『マミゾウ殿。確かにあまり甘い物ばかり食べるのはよくないとは思うのじゃが、子供には好きなものをおなかいっぱい食べさせてあげたいと思ってしまうなぁ。そうではないか?』
「雲山殿、それは確かじゃ。
せっかくだから、わしらで買い集めてくるか?」
『それも悪くないのじゃが、この祭りを楽しもうとしている矢先、それは水を差すようなことにならぬかの?』
「わはは。あやつらにとって重要なのは『お菓子を食べること』じゃ。
がっかりはされぬじゃろう」
それをまた遠くから見ているのが雲山と二ッ岩マミゾウ。命蓮寺の保護者たちのまた保護者、という立場の二人である。
「わしは酒があればよいが、子供には、お菓子がわしにとっての酒と同じもの。
ならば、お菓子が食べられないというのは辛いことかもしれぬのぅ」
『寺という環境上、しょうがないところもあるがのぅ』
「なかなか難しい問題じゃな」
そんな二人は、どことなく『茶飲み友達のじいさんばあさん』という感じであった。
雲山はともかくマミゾウは、かわいがっている子供達以外に『おばあちゃん』扱いされると怒るのだが。
「そういえば、白蓮殿と寅丸殿はどうしたのかの?
こういう場には真っ先に出てきそうなものじゃが」
『先ほど、炊事場の方に入っていくのを見たが……』
「何をしているのやら。
あの二人は、少々、浮き世から離れすぎているきらいがある」
『それは言い換えれば、世間ずれということになるのじゃろうが』
「はっは、さすがじゃな、雲山殿。察しがいい」
『なぁに、マミゾウ殿とも長いつきあいじゃ。お互い、ある程度は腹の内も読めるようになってきたということじゃよ』
「うむうむ、その通り」
そんな風に、この二人、割と仲がいい。
親しげに話をしている様を横から見ていると、『茶飲み友達』から『長く連れ添った伴侶』にも見えてくるほどだ。
「しかし、気になるな」
『ちょっと見てこようか』
「うむ、そうしよう。
ついでに、戸棚の中を探ってくるか。あと小遣いも持ってきてやらねばな」
『いつもすまぬのぅ、マミゾウ殿。わしも手持ちがあればいいのじゃが』
「なぁに、気にするでない。わしが命蓮寺の財布を預かっているのじゃ、それくらいは当然の役目よ」
二人はてくてく、命蓮寺の中を歩き、炊事場へ。
「白蓮殿、寅丸殿。ちびどもが『お菓子が欲しい』と騒いでおるぞ。何か……」
「えっと……次に、チョコレートを溶かすそうですが……」
「普通に鍋に火をかけたらいいのかしら?」
『二人とも、何をしておるのじゃ』
炊事場では話題の二人が割烹着を着て、『お菓子作り』の本を広げて何やらやっている。
漂う甘い香りに、マミゾウは『お菓子でも作っておったか』と察する。
「ああ、マミゾウさん、それに雲山。
いえ、実はそうだろうと思って、彼女たちのためにお菓子を用意しようとしていたのですが……」
「洋菓子というのは作ったことがなくて。苦戦しているところなのです」
『うーむ。わしもさすがに洋菓子はわからぬのぅ……。あんこの練り方ならいくらでも指導できるのじゃが……』
困ったような顔をしているのは、この寺の主、聖白蓮。そしてその隣で本とにらめっこしているのが寅丸星。
勘違いしてもらっては困るが、この二人、料理はかなり上手な部類に属している。特に星は命蓮寺の料理当番を担当しているほどだ。毎日美味しいご飯で、寺のもの達のおなかを満足させるのが星の任務である。
ちなみに白蓮にはその手の役目が任されることはない。とにかく料理にはこだわるのが、この彼女。料理を作らせたら『まずは、お味噌汁を作るために必要な味噌を造るために必要な大豆を育てるために必要な土を作るために大切な里山を育てるのに必要な木々を育てるのに重要な苗木を作る』ところから始めかねないのである。
「早く用意してあげないと、あの子達が悲しむのはわかっているのですが……」
「どれ、じゃあ、わしが手伝ってやろう」
『なんと、マミゾウ殿、洋菓子も作れるのか』
「昔取った杵柄、亀の甲より年の功、よ」
「大したものですね」
「寅丸殿、褒めても何も出ぬぞ。せいぜい、酒の席でわしが饒舌になるくらいじゃ」
冗談を口にして、『どれ』と腕まくりする仕草を見せるマミゾウ。雲山が、『ならば、わしも手伝うか』と炊事場に入ってきたことで、その場が手狭になってしまう。
――それからしばらくして、いらない布団のシーツを頭からかぶって、目元に穴を空けたちびっ子三人が「ん? 何だ、一輪、村紗。にやにやしてわぁぁぁぁぁぁ!?」とやってきたとある賢将を驚かせたところで、美味しいお菓子が完成するのだが。
それはまた別の話である。
「ねーねー、こころちゃん」
「何、古明地こいし」
「ハロウィンって知ってる?」
「知らない」
「ハロウィンしようよ!」
「やだ」
「どうして?」
「何ででも」
「何で?」
「どうしてでも」
「やろう!」
「やだ」
「やろうよ!」
「絶対やだ」
「やろうってば!」
「あっかんべー」
「美味しいお菓子もらえるよ?」
「やる」
ハロウィンの波は幻想郷だけに留まらない。
ここ、地底でもそんな空気は存在していた。
その空気を醸成するのに一役買った――早い話、その話題を拾ってきてばらまいた――古明地こいしが、友人の妖怪、秦こころをたきつけている。
「お菓子ってどうやってもらうの?」
美味しいお菓子というフレーズにぱっくり食いついたこころがこいしに訊ねる。
こいしは『えっとねー』と小首をかしげた後、
「お化けの格好をして、誰かを驚かせるといいんだって」
「それでいいの? 怒られると思うんだけど」
「ちょっと違ったかもしれないけど、多分、合ってる」
「よし、じゃあ、そうしよう」
「お姉ちゃんを驚かせて、美味しいお菓子をもらおー!」
「おー」
ただし、その知識は伝聞になっていたことに加え、こいしからばらまかれた時点で人づてに情報は変化していき、巡り巡ってこいしの元に返ってきた時にはだいぶ変質していたりもするのだが。
「……あなた達、何かしら」
「おばけだぞー!」
「だぞー」
「えーっと……」
「お姉ちゃん、お菓子をよこせー!」
「よこせー」
「……」
「がおー」
「がおー」
「……あなた達、ハロウィンを勘違いしてるわ」
『えっ?』
頭の中に『ハロウィンといえばかぼちゃ』という知識だけは残っていたのか、こいしはこころのスカートを勝手にジャック・オー・ランタン風味に改造し、かぼちゃ顔の隙間から顔を出す感じでこころを肩車し、姉である古明地さとりを迎え撃った。
よくわからん変なトーテムポールを前に微妙な顔を浮かべるさとりは、『ハロウィンとは』と彼女たちにレクチャーをする。
「そうなんだ」
「脅かすかお菓子もらうか、なんだ」
「まだちょっと勘違いしてるみたいだけど、おおむね、間違ってはいないわ」
「じゃあ、お姉ちゃん、お菓子ちょうだい!」
「ちょうだい」
「はいはい」
彼女たちの目的はお菓子をもらうことである。
相手を脅かすことはどうでもよく、ただお菓子をもらえれば目的は達成されるのである。
「お姉ちゃん、お菓子の用意してたの?」
「普段から、うちは戸棚にいくつか用意してるでしょ」
「そうだっけ」
「そうよ。
ただし、あなた達が食べ過ぎないように、普段は鍵をかけているだけ」
「そっか」
「全くもう。変なことしてないで、お菓子食べたいならそう言いなさい」
「だけど、お祭りには参加しないと」
用意されたお菓子を持って、近くの部屋に三人、移動する。
ケーキをもぐもぐ、美味しそうに頬張るこいしとこころ。
そのうちに『こころちゃん、そのいちごちょうだい』『絶対やだ』とにらみ合いが始まるのはいつものことである。
「あ、そうだ」
「何」
ケーキを食べながら、ぽんとこいしは手を打つ。
「ハロウィンやろう!」
「今、やったでしょう」
「そうじゃなくて」
また何か突拍子もないことを考えついたらしい。
こいしは、どこかからA4のフリップを取り出すと、それにペンを走らせる。
「こいしちゃんが『やろう』と思ったのは、すなわち、ハロウィンイベントなのです」
とん、とテーブルに置かれたフリップ。
それにはイベントの骨子がつらつらと書かれている。
「我らが地底温泉、日頃から、お客さんをたくさん呼び込む努力を怠ってはいけないのです。
殊にお祭りには積極的に参加し、お客さんを引っ張ってこないといけません」
「……」
「さとりさん、難しい顔してる」
「……ああ、いや、うちっていつから旅館経営がメインの仕事になったのかなぁ、って」
しかし、このこいしが思いつきと気まぐれで、しかしその実、用意周到に裏側に手を回して始めた『地底温泉』が地底の財政を潤し、ここしばらくの間、赤字経営を続けていた地霊殿を救った原動力となったのは事実である。この功績を否定することは出来ないのだ。
「そのために、ハロウィンイベントに、遅ればせながら参加します。
まずは、定番の、仮装してきたお客さんに対するサービス割引き、内装をハロウィン風味にしたお部屋の用意に、お料理プランの策定、温泉も『かぼちゃ温泉』とか楽しいかも」
「そういう大がかりなことを始めるのには、基本、時間がかかるものなのだけど……」
「大丈夫、勇儀さんに言えば建物関係は一日二日で急ごしらえだけど何とかなるよ。
お料理はヤマメさんに声をかけたら人を集めてもらえるはずだし。
あとはプラン周りの料金かなぁ。投資分を回収することを考えたら少し割高になるだろうけど、それはしょうがないとみて……」
何やら経営者の眼差しになったこいしがぶつぶつとつぶやいている。
さとりはため息をつき、こころは自分の分のケーキをぺろりと平らげる。
「あとは、これを幻想郷の人たちに教えないと。
すぐにチラシを作ろう。今から作れば、明日の朝までに百くらいは出来るはず。
よーし、頑張ろう!」
思い立ったら即実行。
この決断力と行動力、そして素早さこそが古明地こいしの武器であった。
「さとりさん、止めないの?」
「止めても無駄だってわかってるから。無駄なことはやらないようにしたの」
「そうなんだ」
「こころちゃんも、早く逃げた方がいいわよ。じゃないと、こいしに余計なことを……」
「あ、こころちゃん、ちょっときて-」
「ぎゃー、さらわれるー」
「……遅かったか」
かくて、地底温泉『ちれいでん』ハロウィン特別プランがスタートするのである。
「お嬢様、るんるんですね」
「は、はぁ!? そ、そんなことないわ!
これは、ただ、外を歩いていたら、わたしのあまりのカリスマにひれ伏した連中が貢ぎ物を差し出してきただけよ!」
祭りというのはあっという間に終わってしまう。
紅魔館に戻ってきたレミリアの両手には溢れんばかりのお菓子の山が築かれていた。
どれから食べようかと、誰から見てもうきうきした顔を浮かべているレミリアに横から咲夜が声をかければ、予想通りに怒ったりするのだが。
「冷蔵庫に入れておきますから」
「い、いいわ。ちゃんと入れておきなさいね。他の人に食べられないように、わたしの名前を書いておくのよ!」
びしっと丸っこい指を咲夜に突きつけ、レミリアは去って行く。
頭にぴょこんと猫の耳生やし、猫のしっぽふりふりし、にくきゅうぷにぷにと足音を立てながら。
「あら、メイド長。そのお菓子は?」
「あのかわいい生き物の戦利品よ」
咲夜に別のメイドが声をかける。
その『かわいい生き物』は廊下の角を曲がろうとして、たまたま、今回の彼女の仮装を知らなかったメイド達に見つかり『きゃー! お嬢様、かわいいー!』ともみくちゃにされていた。
「ちゃんと袋に入れて名前を書いておかないと、誰かに食べられてしまいますね」
「そうなの。だから、ちゃんと名前書いておけ、って」
「そういうところには聡いのがお嬢様です」
じたばたするレミリアがメイド達の手を逃れて逃げ出した。
逃げる子猫を追いかけて、メイド達が走って行く。
「あれ、メイド長の趣味ですか?」
「そうよ。悪い?」
「いいえ、別に」
「もうちょっと子猫っぽい雰囲気があったらよかったかなって思ってるのだけど……」
「首輪に鈴をつけたらよかったかもしれませんね」
「あ、それだ」
そして自分の至らなさに気づき、『来年はそうしよう』と心に誓う。
「ところで、今日のハロウィンセールの客入りは?」
「上々ですね。
ただ、幻想郷あちこちで同じようなイベントが組まれましたから。
予想以上とはなりませんでした」
「予想通りの客入りがあったのなら十分だわ」
さて、と咲夜。
「このお菓子、このままだと溶けてしまうものもあるから、冷蔵庫に入れに行きましょうか」
「そうですね」
お嬢様の今日一日の『戦利品』片手に、にこっと笑うのだった。