祖譲りの天邪鬼で、幼い時から損ばかりしている。
まだ両親がいた頃、欲しくも無いのに風車を買ってもらったことがある。両親から何か欲しいものがあるかと聞かれて、本当は子犬が欲しかったのだが自分の中のアマノジャクが許さなかった。だから赤べこがほしいとねだったら、両親もアマノジャクなので風車をくれた。それが本当に嬉しいわけではなかったが、アマノジャクなのでせいぜい嬉しいふりをした。それを見て両親は笑っていた。どのような笑いであったのかは、今となっては思い出せない。
鬼のような近所の悪童どもの中で、ガキ大将のようなこともやっていたから、ずいぶんとアマノジャクも満たされた。名前も忘れてしまったが気の弱いつるべ落としやがさつな輪入道などもいて、そいつらを手駒として悪戯三昧の日々を送った。軒先に干してある柿や芋は全部かっぱらったし、道端に埋めてあるものは全部引っこ抜いた。吾作の畑の横に何やら細い棒がたくさん立っていたので、引っこ抜いてちゃんばらをしていたら怒られた。どうも豆かなにかを育てる手はずだったらしい。道とも畑とも着かぬ場所に立てるのが悪い。
幼い頃はとかくやんちゃで、今思えば周りからは随分疎まれていたのだろう。旧都の一角に家を構えた我が家は、鼻持ちならない成金だったという。両親については最早顔すら覚えてはいないが、きっと性根の悪いアマノジャクだったに違いない。人を騙して詐欺まがいの商売を繰り返し、それで財を成したのだろう。そうでもなければ、事業に失敗したからといってあれほどあっさりと全財産を奪われることもなかったはずだ。そこそこ立派な普請の家から、すきま風吹きすさぶ長屋の一室に身を寄せることになったことを覚えている。幼い私はその全てをあまりよくは理解していなくて、ただほしかったものは手に入らなくなったのだとぼんやり感じていたに過ぎない。もしくは、一時は自分のものになったとしても、すぐ私の手からは去っていくものだと。それまではどんなに横暴にガキ大将をやっていてもみんな粛々と後についてきたものだが、没落してからは誰も私に従おうとはしなくなった。むしろ、私を従わせ、貶めようとやっきになっていた。従えと言われれば抗いたくなるのがアマノジャクというものである。やれ跳んでいった毬を取ってこいと言われれば石を拾っては投げつけてやり、かくれんぼで鬼をやれと言われれば初めから目を開けて隠れる姿を眺めていた。目を閉じたのを好機と砂をかけようとしてくるやからもいて、そんなやつには先手必勝とばかりに砂を握った手を弾いて砂まみれにしてやった。旧都生まれのクソガキどものことだから誰だって気が短くて、どう反抗してもすぐに手が出て喧嘩に発展し、殴り合いになっては叩きのめされた。石の多い旧都の地面は這いつくばるのに向いていない。しかも一人に対して三人も四人もいるのだから当然勝ち目もない。それでも私はアマノジャクだから抗し続けたし、実際悪い日々ではなかったのだ。アマノジャクがアマノジャクとして生きられるのは、概してよい環境ではありえないのだから。だからあの頃のことを思い返すとき、いつも甘やかな痛みが胸を刺す。柄でも無いことは重々承知している。混濁した記憶はいつだって現在を癒やしてくれる。懲りずにクソガキどもとつるんでは殴られ、抗っては地面に伏す。その繰り返しが、いつまで続くのだろうかとは思っていた。ある日帰ると両親はどこにもいなかった。僅かに残った家財もあらかたなくなっていた。代わりにいたのは下卑た小鬼で、説明されずとも状況は明らかだった。踵を返す間もなく腕をつかまれ、戸口の暗がりから野蛮そうな大男が姿を現した。
そうして、私は売られた。
通りに面した格子の中が私の居場所だった。風車だけはからからと回っていた。
まだ両親がいた頃、欲しくも無いのに風車を買ってもらったことがある。両親から何か欲しいものがあるかと聞かれて、本当は子犬が欲しかったのだが自分の中のアマノジャクが許さなかった。だから赤べこがほしいとねだったら、両親もアマノジャクなので風車をくれた。それが本当に嬉しいわけではなかったが、アマノジャクなのでせいぜい嬉しいふりをした。それを見て両親は笑っていた。どのような笑いであったのかは、今となっては思い出せない。
鬼のような近所の悪童どもの中で、ガキ大将のようなこともやっていたから、ずいぶんとアマノジャクも満たされた。名前も忘れてしまったが気の弱いつるべ落としやがさつな輪入道などもいて、そいつらを手駒として悪戯三昧の日々を送った。軒先に干してある柿や芋は全部かっぱらったし、道端に埋めてあるものは全部引っこ抜いた。吾作の畑の横に何やら細い棒がたくさん立っていたので、引っこ抜いてちゃんばらをしていたら怒られた。どうも豆かなにかを育てる手はずだったらしい。道とも畑とも着かぬ場所に立てるのが悪い。
幼い頃はとかくやんちゃで、今思えば周りからは随分疎まれていたのだろう。旧都の一角に家を構えた我が家は、鼻持ちならない成金だったという。両親については最早顔すら覚えてはいないが、きっと性根の悪いアマノジャクだったに違いない。人を騙して詐欺まがいの商売を繰り返し、それで財を成したのだろう。そうでもなければ、事業に失敗したからといってあれほどあっさりと全財産を奪われることもなかったはずだ。そこそこ立派な普請の家から、すきま風吹きすさぶ長屋の一室に身を寄せることになったことを覚えている。幼い私はその全てをあまりよくは理解していなくて、ただほしかったものは手に入らなくなったのだとぼんやり感じていたに過ぎない。もしくは、一時は自分のものになったとしても、すぐ私の手からは去っていくものだと。それまではどんなに横暴にガキ大将をやっていてもみんな粛々と後についてきたものだが、没落してからは誰も私に従おうとはしなくなった。むしろ、私を従わせ、貶めようとやっきになっていた。従えと言われれば抗いたくなるのがアマノジャクというものである。やれ跳んでいった毬を取ってこいと言われれば石を拾っては投げつけてやり、かくれんぼで鬼をやれと言われれば初めから目を開けて隠れる姿を眺めていた。目を閉じたのを好機と砂をかけようとしてくるやからもいて、そんなやつには先手必勝とばかりに砂を握った手を弾いて砂まみれにしてやった。旧都生まれのクソガキどものことだから誰だって気が短くて、どう反抗してもすぐに手が出て喧嘩に発展し、殴り合いになっては叩きのめされた。石の多い旧都の地面は這いつくばるのに向いていない。しかも一人に対して三人も四人もいるのだから当然勝ち目もない。それでも私はアマノジャクだから抗し続けたし、実際悪い日々ではなかったのだ。アマノジャクがアマノジャクとして生きられるのは、概してよい環境ではありえないのだから。だからあの頃のことを思い返すとき、いつも甘やかな痛みが胸を刺す。柄でも無いことは重々承知している。混濁した記憶はいつだって現在を癒やしてくれる。懲りずにクソガキどもとつるんでは殴られ、抗っては地面に伏す。その繰り返しが、いつまで続くのだろうかとは思っていた。ある日帰ると両親はどこにもいなかった。僅かに残った家財もあらかたなくなっていた。代わりにいたのは下卑た小鬼で、説明されずとも状況は明らかだった。踵を返す間もなく腕をつかまれ、戸口の暗がりから野蛮そうな大男が姿を現した。
そうして、私は売られた。
通りに面した格子の中が私の居場所だった。風車だけはからからと回っていた。
ふと思い返して、坊っちゃんの冒頭だけ見返して見ましたが、確かに主人公の反骨心は正邪につながるものがあるかもしれない。