Coolier - 新生・東方創想話

命短し墜ちろや地獄

2015/12/26 23:16:28
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 幼時の記憶の中に、誰にも言えない秘密がある。彼女の罪悪の秘密だ。

 十歳のころ、下女と一緒に豊年の祭りに出かけたことがあったが、阿求にとってはそれが罪悪の始めだった。浮き足立った祝祭の空気に、魂まで狂わされたせいだと今では少しだけ思っている。彼女は、そのときすでに幻想郷縁起の執筆に取りかかっていたけれど、祭りの日が近づくごとに街の人々や出入りの商人はおろか、稗田家の使用人たちでさえ男女を問わず浮き足立っていた。そのうえ、何かあれば阿求に対して祭りの楽しいこと、そのために一年の苦労も報われるのだと説くほどであった。

 皆の『お祭り自慢』があんまりうっとうしいので、阿求は子供ながらに名家の権威を振りかざし、父母に使用人たちの怠慢を大げさに讒(ざん)してやろうかと目論んだが、直ぐにやめた。いちいち目下の者をいじめて喜ぶのは、御阿礼の宿命を受けた人間としては恥であろうから。

 ただ、その代わり、黴(かび)のように少女の心に取りついたものは、果たして祭りというものへの好奇心である。

 別段、御阿礼の使命は彼女を文机の前に縛りつけてはいなかったが、誰も彼もから楽しいもの、好いところだと聞かされれば、歳に似合わず大人ぶる阿求でさえも、祭りに興味をそそられる。物心がついたときから、彼女はいちどもそうした華やかな所に行ったことはなかった。眼にしたものを忘れない彼女だからこそ、自信を持ってそう言える。つまり、阿求は自分でも知らず知らずと、毎年の祝祭でさえ『猥雑で下賤なもの、御阿礼が行くべきでないもの』と決めつけてしまっていたらしい。聞けば、父が母に対し、稗田の嫁にならぬかと意を決して述べた場所も、豊年の祭りであったということだ。

 祭りの直前、使用人の中でもひときわ当世の流行りに詳しいのに命じて、一番人気の図柄を採り入れた浴衣を仕立てさせると、気に入りの下女ひとりを伴って、ようよう阿求は夜の街にくり出した。

 稗田の屋敷の門を一歩出る前から、誰が奏しているのか、笛太鼓の囃子が絶えることなく風に乗って流れてくる。めいめいに着飾った人々は下駄や草履を突っ掛け突っ掛け、夕闇の中で阿礼乙女に気づくこともなく一心に歩みを進めていた。匂い立つような歓楽の空気。耐えきれない阿求は下女の袖を引いて、束の間の旅路を急かし始める。

 道のりはさして遠からず。瞬きごとに薄れていく黄昏どきの中に、群れを成して繋がりあった灯の群れが、阿求を無言で迎え入れた。口やかましいのは囃子の音と、周囲を取り巻く客たちの喧騒でしかない。祝祭は寡黙であり、誰そ彼れぞと問うこともない鷹揚さを持つ、夜の優しさの表象だった。紅や、青や、金の灯が燃える方へと、人並みは絶えず流れ続ける。出店や露店、屋台の群れは、さながらその流れを御する巨大な水門だ。豊年の祭りは、その年の豊穣をもたらしてくれた神との有縁(うえん)の祭祀ということであった。しかし神への礼拝(らいはい)は形ばかりで済まされていた。櫓の上に設えられた御座(みくら)の上で秋の神の姉妹が苦笑いし、しかし特に怒っているわけでもないらしいところを見ると、毎年がそういうものであるようだ。阿求もまた、下女と共に秋の神への礼拝を手短に済ませ、夕暮れの切れ端を振り落して唄う、祝祭の日へと踏み出した。

 若い男女が、輪となって大きな焚き火を取り囲み、これと決めた相手と踊るというのをまず最初に見た。けれども、未だ恋というのをその名前しか知らぬ阿求からすれば、さして面白くもない催しだった。名残惜しげにそちらを見つめる下女の手を引いて、さらに多くの人が集まる出店の方角へと進んでいく。あらあら、阿求さまもやはり……と言いかけて、下女は口をつぐむ。子供扱いされるのは、阿求にとっても不本意であった。

 出店の立ち並ぶ一角は、他所と比べても格段に混み合っている。
 老若男女が手を引き合い、眼を見交わし、灯りと匂いに誘われて、無数に立ち並ぶ店々へとめいめいに入り込んでいく。そうして客となった者たちが、何かの買い物をするために露店の幌(ほろ)の向こう側に頭を突っ込んでいるのだ。その様子は、下手くそが不恰好に活けた床の間の花のようではないか。阿求はそれを見て思わず笑ってしまったが、それ以上に面白いことは取り立てて存在もしなかった。綿飴や串焼きなど、稗田の財産に頼れば食べたいときにいくらでも食べられるし、チョコレート掛けの芭蕉(バナナ)だって、祭りの日を待たずとも、自分で取り寄せた材料を使えば済む話だ。射的や型抜きよりも楽しい遊びやそのための道具は自分の部屋にしまってある。金魚すくいだって、あんな貧相な痩せっぽちをがんばって獲らなくとも、最高級の蘭鋳(らんちゅう)を大きな水槽に何匹も入れて飼っている。

 なあんだ、みんなが楽しみにしていたお祭りというのも、結局はこんなものなのか。
 幼いは幼いなりに、幻滅する心を隠そうと必死であった。

 下女は、阿求お嬢様がどこの何の出店にも入ろうとしないのを、初めての祭りで勝手が解らぬせいだと好意的に解釈してくれたらしい。あれを食べますか、これを遊びますかと、なにくれとなく世話を焼いてくれる彼女には申しわけがつかないと思ったが、それでもつまらぬものはつまらぬ。あちこち目移りをしてなかなか決められぬふりをしながら、一刻も早く、この祝祭と称した下らない晩から脱け出してしまいたかった。

 そのうち、下女は焼きとうもろこしの香りに誘われて、そちらの屋台へと引き寄せられていった。一緒に食べましょう、と、ご丁寧に阿求の分まで買ってくれるらしい。けれども、阿求はそんなものはどうでも良かった。この下女の優しささえ痛々しかった。だから一策を講じた。店の親爺が、にこにこと愛想よくふたり分のとうもろこしを器に詰め込んでいる隙を見計らう。折よく、六、七人で連れ立って歩いていた、自分と同い年くらいの少年たちの陰に隠れて、阿求は屋台のそばから逃げ出してしまったのである。人の流れは留まることなく少女を押し遣り、下女からも、焼きとうもろこしの屋台からも遠ざけていってしまう。目論見は成功だ。

 後はもう、行くあてもなくめちゃくちゃに歩き回った。

 けれどもう、どこへ行って何を見ても、下らない大衆の下らない狂騒としか思えない。不用意に大人びて産まれてしまった彼女の心は、自分以外の何者をも湧き立たせる祝祭の場を、たちどころに卑しめる。いや、もしかしたら嫉妬していたのかもしれない。他の皆が楽しめるのに、自分だけが楽しめないということに。

 ならば、こんな下らない催しなど、どうかして筆誅を加えてやらなければいけないではないか。帰ったら、この不埒な祭りがいかに人間を堕落させるものであるかを書き立ててやる。そうして、どこでも良いから発表して世に問うのだ。幼く形ない苛立ちを、あえて我々にも解るように記せばそうなるだろうか。とにかく、阿求は平生を装いながら逃げ出した。行くべき当ても、行く先も定かならず。そのうちに祭りの途切れ目に突き当たり、そこを辿れば稗田の屋敷に帰れるだろうと踏んで。

 彼女の目論見は完璧だったかもしれないが、瑕疵はどこにでもあるものだ。
 順調な道行きを破綻させるものは、何も不愉快な出来事ばかりではない。快さが人の意志を絡め取ってしまうこともある。人影や人声がまばらになり始め、囃子や極彩色の灯の連なりさえも少なくなり始める、まさに祭りの端の端という一画に、見たこともない店が立っていた。

 幌を持たない露台の上に、品物が所狭しと並べられている。縦の一列ごとに違う種類を置くと定まっているらしく、それぞれの列の終端、ちょうど台の下端に当たる部分に『清盛』『道鏡』『将門』などと書かれた紙が垂れ下がっていた。いずれも史上に大悪人と呼ばれる者たちで、他にも『趙高』『秦檜』『景時』『頼綱』などの名が挙げられていた。品物は、小さな台の上に、子供の握り拳くらいの大きさをした硝子の珠がはめ込まれている構造である。その硝子珠の中に、さらに小さな人形が納まっているように見えた。それぞれの悪人を象った人形が、硝子珠の中に閉じ込められているとでも言ったら良いだろうか。それが、辺りを飾る灯の明かりを受けて、四方に蝶の鱗粉めいた光の粒をまき散らしている。時おり人が通ると、その幻の光の鱗粉が顔や身体に散らされて、火焔の中に踊り込んだ蝶のような、かなしき可憐さを一瞬ばかり宿らせる。光の鱗粉は同じ場所に留まるということがなく、阿求が瞬きをするたびにそれぞれまったく別の方向へと飛び散るのだ。眼にしたものを決して忘れることのない彼女をしても、いちど見た光の軌道が再び現れることはなかったと、確かに自信を持って言い得ただろう。

 阿求は、それを綺麗だと思った。

 祭囃子の笛太鼓も、猥雑な色を重ねる灯りの群れも、焚き火を囲んで遊び舞う男女も、美味くもない屋台の菓子に金を払う客たちも、皆ことごとく下賤で浮薄で愚か者たちだと考えていた。うかつにもそんな連中と同じ場所を歩いてしまったことを心底から後悔していた。けれども、この硝子珠の玩具だけは美しいと思ったし、手元に置いて愛でてみたいと思った。どんな灯りに照らされれば、いかなる光り方を返してくれるものだろうか。それを飽き果てるまで、試してみたい。忘れるということのできない自分のために、同じ姿のひとつとしてない千変万化の有り様を、夜の光の中に咲かせてみたい。

 少しばかり辺りをうろうろしながら、道沿いの木々に括りつけられた灯篭、提灯の飾りの影に身を隠し、誰かしらがあの玩具を手に取り、買って行ってはくれないものかと思案する。彼女は、どうしても御阿礼であった。いちど下賤だと思った祭りの場で買い物をすることは、たとえ後から欲しい品物が見つかっても、決してできるものではないという恥じらい――というよりは、子供っぽい意地があったのである。だから、自分より先に誰かが買って行ってくれれば、冷やかしなり恵みを垂れてやるなりで、自分に理由をつけることができるというわけだ。

 だが、彼女の期待通りには必ずしも運ばなかった。
 皆、こんな端っこにぽつんと居座っているようなちっぽけな出店ではなく、もっと人が多い祭りの中心部を目指して行ってしまう。たまに例の玩具を手に取る人が居たところで、彼の嗜好には合致しないのか、首を傾げながら露台に戻して遠ざかってしまうのだった。そのたび阿求は歯噛みしていたが、御阿礼とはいえただの小娘にはどうすることもできそうにない。

 そうこうするうち、囃子の切れ目を縫うようにか、露店で売り子をしている者たちの声が彼女の耳に入ってくる。黄昏はついに空から離れ、地平の果てまで夜に覆われていた。
そのため彼らの顔まではよく見えないが、どうやら若い男の二人組であるようだ。彼らは、溜め息混じりに愚痴を吐き合う。

「四季様も大概だぜ。こんな説教臭い玩具を売ってこいなんて」
「祭りの日にまで閻魔さまのお小言、お説教を聞きたい奴はいねえからな、しょうがねえよ。そんで、俺たちはクジ引きで負けて、その祭りの日に売り子の係に決められちまった。これもしょうがねえ」
「他の獄卒連中の楽しそうな顔、見たかよ。人間でもないのに人間の祭りに行くんだと張り切って休みを取りやがる」

 売り子たちの話しているところを信ずるなら、二人ともが地獄の獄卒だ。妖怪や何かが人里に入るのは法で禁じられてこそいないが、それでも人の振りをして入るものだという慣わしがある。彼らもその思惑の類か、頬かむりをしたおざなりな変装をしているのであった。しかし、変装もそうだが、こんな人の少ない適当な場所に店を出しているということからも、彼らに商売を真面目にやる気がないのは一目瞭然である。売り子たちはさらに会話を続ける。その手には、商品である硝子珠の玩具を手に取って。

「しかし良い代物だ、こいつは。誰も買わないってのを除けば」
「歴史上の極悪人が地獄に落ちてるとこなんて、そうそう家の中で見たいもんでもねえよな。それこそ、こういう祭りの晩に出てくる覗きからくりの見世物でもなけりゃあ」
「後は、坊主が得意気に見せる地獄絵かな」
「そうさなあ。要は、このおもちゃも地獄絵と似たようなもんなんだろう。おっそろしい地獄の光景を現世に見せつけることで、こんな場所に落ちたくなければ善行を積むようにせよっていう閻魔さまのお志よ」

 なるほど、そういう意図かと阿求は合点した。
 あの玩具は閻魔の説教に代わりに、地獄の怖ろしさと、善行、功徳の大切さを伝えるために作られたもので、売り子の二人は是非曲直庁から派遣された獄卒なのだ。おそらく自分たちも祭りに参加したかっただろうに、文字通り貧乏クジを引かされて、不本意な仕事を押しつけられたということだ。

 ならば、と、阿求は思案する。
 御阿礼は地獄の閻魔とも関わり深い。斯様な場所で現世の縁を繕っておくのも、決して意味のないことではないだろう。ようやくあの硝子珠の玩具を買う決心がついた。そう考え、自分を納得させたが、しかし。

「お金が、ないじゃない」

 祭りの浮薄さに苛立って、もっとも大事なことを忘れていた。
 お金は、一緒に来ていた下女に持たせていたのだ。稗田の令嬢という立場のことで、外に出て何かを買うとき自分で代金を持つことはほとんどなく、いつも同行の使用人に払ってもらっていたのだと。しかも、この晩はほんの好奇心から足を運んでみたまでの祭りだ。自分で何か欲しい物を買うために、とりたてて財布の中身を気にしながら準備をしていたわけでもない。だから、今の阿求には一銭たりとて持ち合わせがない。

 さて、ではどうしよう。

 財布を持っているのは下女ひとりだが、あの人混みの中に立ち戻るだけの勇気は今さらなかった。心に固く決めて逃げ出してしまった手前、欲しい物ができたからと、すごすごと戻るのは恥ずかしい。かと言って、辺りを行く者に頼み込んで買わせるのも恥だ。稗田の令嬢が、幻想郷縁起の紡ぎ手である御阿礼が、そう易々と見も知らぬ他人に頭を下げてなるものか。揺れる灯の下でまんじりともせず、露店を見つめる阿求。少女の煩悶に気づくはずもなく、取り留めのない会話を交わす売り子たち。露店には見向きもしない人々。

 どれほどの時を経たろうか、売り子の片方が、あくびをして立ち上がった。

「おい、どこ行くんだ。女引っ掛けにか……」
「バカ言え。ションベンだよ、ションベン……」

 そんな軽口を叩き合う獄卒たち。
 一方が用足しに行き、ただひとりだけ残された方は、相も変わらず客がつかぬというのに呼び込みもせず、ただ、ぼぅっと座ってばかりいた。だが、やがてのらくらと立ち上がると、相棒が消えていった方角に「おおい。俺、何かちょっと食べるもん買ってくるぞ」と言い置いて、足早に出店の群れへと歩いて行く。ややあって、暗がりの向こうからは「おお。酒も忘れんなよ!」という声が帰ってくる。

 それと同時に、ざしざしと下草を踏む足音が聞こえてきた。
 用足しを終えた一方が戻ってきたのだ。退屈な仕事に戻りたくないのか、足音の間隔はひどく緩慢である。不用心にもこの瞬間、ふたりの売り子はふたりともが、自分たちが任された店から離れてしまっていた。どうせ大した人気もない品物だし、盗られて困るだけの稼ぎもないという腹だろうか。事実、露台の上に飾られた玩具たちは一個たりとて売れた様子がない。興味を示している者も、阿求を除いてはひとりも居ない。否、人影すらも辺りにはなかった。夜の暗さが引き伸ばされたように、たださえまばらな人の気配が途絶えるという偶然。この晩がまとう華やかさの切れ端さえも、人がひとりもいなければ、夜の帳に描かれただけのただの戯画だ。地獄の硝子珠売りの露店に相対していたのは、いま、稗田阿求という少女がただひとりだけだったのだ。

 魔が差した、という言葉の意味を、阿求はそのとき初めて実感した。
 周りに誰か居るかもしれない、売り子の獄卒が戻ってくるかもしれない。いや、それよりもまず、こんなことをするのはいけないことだ。捕まって叱られ、咎めを受け、それこそ死後に地獄へ落とされるかもしれない。阿求は悪い子だ、と、彼女は念じた。それでもなお、止めようがなかった。心に巣食う御阿礼としての意地と、お金さえあればという後悔が、彼女の足取りをどうしようもなく早めてしまった。早鐘を打つ心臓を抑え込みたくて、ずっと浴衣の胸元をかき抱いていた。

 用足しに行った獄卒が戻ってきたときには、阿求はもう、露店の前から一目散に逃げ出してしまっていた。浴衣の袂には硝子珠の玩具が隠され、ずしりと痛々しい重みを伝えている。それが、阿求が為した罪悪のすべてだ。


――――――


 下女とは祭りの中で再会した。ちょっとはぐれてしまったと嘘をついて、彼女が買ってくれた焼きとうもろこしを頬張った。初めて食べる縁日の味はとうに冷えきっている。思っていたほど不味くはないが、予想を裏切るほど美味しくもない。一刻(いっとき)ほどの後に主従は稗田の屋敷に帰り着いた。祭りそのものも次第に散じており、浮世の垢を晴れの日に楽しく払い落とそうという人々の“真面目な”気持ちも、少しずつ弛緩しているのが見て取れた。禊ぎのつもりか阿求は真っ先に風呂に入って、それから寝床に潜り込んだ。硝子珠の玩具をつかんだ手を何度も何度も洗ったからか、少し、肌がひりついている。

 それから九日のあいだ、幼い阿求は密かに震えあがっていた。
 偸盗(ちゅうとう)の罪を犯した怖ろしさにである。

 仮にも御阿礼たる者が盗みを働いてしまった。父からは「稗田の娘として人々の模範たれ」と、母からは「御阿礼としての気構えを持たねばなりませぬ」と言い聞かされていたにも関わらず。いや、稗田だとか御阿礼だとか、そんな家や血筋や魂に戴いた宿命のことなどは何も関係がないではないか。人の物を盗むこと、お金を払わずに店の物を持って行ってしまうこと、これはどこの誰がやろうとも罪である。老若男女や貴賤、貧富に左右されない、人倫における一個の悪だ。それを、稗田阿求は一瞬の欲得の心、気の迷いから犯してしまった。何ということだろう。

 朝晩に布団にくるまってまどろんでいるとき、屋敷の庭先に迷い込んできた猫の尻尾を引っ張って遊んでいるとき、今日の食事が自分の口に合う合わぬでどの使用人が手掛けた料理かを推量するとき。日常のいずれにあるときでも、ふとしたことから少女は自身の罪を思い出した。年若い下女たちの噂話に「盗む」という言葉がしきりに出てくるときなど、すでに自分のやったことが広く知れ渡っているのだと恐怖したほどだ。秘密を知ってしまった下女たちを打擲(ちょうちゃく)してやろうかと思って、さらに話の内容に耳を傾けていると、それはただ単にいま流行りの芝居についての話題である。男女が紆余曲折を経て恋を実らせるというその物語において、女の心を男が「盗む」というのである。すっかり虚脱して、阿求は自身の部屋に戻るのだった。そんな諸々が、祭りの晩から九日間も続いたのである。

 では、肝心の硝子珠の玩具はどうなったのだろう。
 それもまた、阿求の罪とともに隠されてしまっていた。

 彼女がいつも部屋で書き物に使う文机は、脇に三段の抽斗(ひきだし)が備えつけられている作りであったのだが、その一番下にあの玩具はしまい込まれている。しまい込まれているというよりも、放り込んであると言った方が正しいだろうか。ともかくも大急ぎで奥に押し込め、そこへさらに、書き損じの紙や適当な書物を重ねて厳重に封印が施してある。九日間に渡る封印である。うかつに解き放てば、稗田阿求の罪悪の証拠がたちどころに世に知られてしまう。そんな焦りがさせたことだ。あれほど欲しくて盗んだのに、硝子珠に灯りを当てて光の鱗粉の散り様をまた見てみようとは、どうしても思えなかったのだ。

 祭りの晩から十日が経った。

 文机の前に陣取り硯で墨を擦っていると、これから書き物をしようというのに文鎮が手元になかったことに気がついた。盗みを働いてしまった夜から数日、動揺のあまり、御阿礼として史書を手掛けることもおろそかになっていたから、心機一転してがんばろうと思っていた矢先というのに。溜め息を吐き吐き、机の周りを引っくり返すように探すと――見つかった。文机の抽斗のもっとも下の段に、文鎮が入り込んでいた。

 丸めた紙くずや表紙の折れた読み本の向こうに、藤の花の彫刻をあしらった阿求の文鎮が確かに放り込まれている。たぶん、あの硝子珠の玩具を隠すとき、一緒くたにしてしまったのだろう。唇を噛みながら、文鎮を取り出すべく抽斗に手を突っ込んだ。嫌なことを思い出さないように、なるべくすばやくやるつもりで。

 しかし、不要なごみや紙くずに覆い隠されていてはっきりとは見えなかったが、文鎮の両端が抽斗の中に絶妙に引っ掛かってしまっているらしい。少しくらい力を入れて引っ張ったくらいでは、思うように取り出せない。ならば両手で引っ張り出そうと試みる。抽斗は、阿求の両手を容れると、その横幅いっぱいが埋まってしまうほどの大きさしかない。力を込めること、三、四度。ざりり、という、木の削れるような音がして、ようやく目当ての代物を取り出すことに成功する。

 文鎮ごときがこの御阿礼を手こずらせるなんて。もっとかわいい柄に買い替えてやろうかしら……と、文句にならぬ文句を口ずさむ。そうして舌打ちをしながら辺りを見回すと、文鎮と一緒に飛び出てきたごみや紙くずが辺りに散乱していた。筆を執る前にこれを片づけねばならないだろう。二度目の舌打ちをしながら、いちばん近くの紙くずに手を伸ばしたとき。阿求は、厭な物を見た。

 この数日の間ずっと隠され続けていた、地獄の硝子珠の玩具が、開け放たれた抽斗の中からその姿を覗かせている。文鎮を引っ張り出すとき、きっとこの玩具まで弾みで奥から飛び出てきたに違いない。あるいは、こいつが“つかえ”になって文鎮を引っ掛けてしまっていたか。

 何ということだと思い、急いで玩具を押し戻そうとする。けれど、指先で押し遣ったその拍子、珠の中に仕込まれた罪人の小像が、いかにも悪徳で肥え太ったというような傲岸な面構えを、屈辱と哀切で燃やしながら、こちらをちらと見たような気がしたのである。それは確かに、地獄の火焔で焼かれる悪人の醜貌(かお)であっただろうか。では、この罪人から散らされる灯のかたちは、いったいどんなものだろう。それを未だ、阿求は知らなかった。

 湧き上がる好奇心は彼女の手を止め、先ほどまでとは正反対の動きを見せる。
 この地獄からの玩具は、再び現世に引き戻された。


――――――


 灯の光るうつくしさを楽しむための玩具なら、暗いときに暗いところへ持って行くが良い。地獄の硝子珠に再度の命を吹き込むべく阿求がしたことは、まずは日が暮れるまで待つことである。

 夕食の後、今日は夜に史料の読み込みをしておきたいから、行灯と油を用意するよう下女に申しつける。すると傍らでそれを聞いていた父が、酒が入って赤くなった顔で「子供が一人で火の始末ができるものかな」と苦笑いを返してきた。火を消すときはまた誰か呼びますからと言って、その場を辞した。

 阿求が部屋に戻ると、時を置かずして下女がやって来る。火皿に満たされた油に火が灯り、薄暗い部屋に綿を敷き詰めたような柔らかな光が広がった。下女が火の扱いについての注意を二言三言も残していくのを、はい、はい、と生返事で切り抜ける。相手が帰ってしまうと、部屋の周りには誰も居らぬのを確かめた。いよいよ地獄の硝子珠を取り出すときだ。その寸前、一応はものを読んでいると装うために、適当な書物を手に取って、聞こえよがしにぺらりぺらりと頁をめくる。

 片手では書物を繰(く)る振りをして、もう一方の手では文机の抽斗を静かに開けた。
 不要なごみを取り除いてすっきりとした空間には、そこが自らのねぐらであることを存分に主張するかのように、硝子珠の玩具が鎮座しているのである。阿求は慎重に珠を取り出すと、改めてその形や大きさ、拵えをよく観察した。

 硝子珠を載せた台座は、蓮の花を模したような大振りの飾りで縁取られていたが、その色合いは蓮華にも似ず毒々しいまでの鮮紅である。洒落ているとはお世辞にも言い難い。気の弱い者が見れば、血で塗られていると思ってしまうかもしれない。なるほど、いかにも焦熱の地獄を写し取った色というべき風合いではあるけれども、確かにこれでは手に取る人が少ないのも道理だろう。

 そして、そんな不気味な台座に載った硝子珠である。

 昼間に見たときには気づかなかったが、この硝子珠は内側に切子細工のような切れ込みが幾重にも加えられた構造になっている。遠目に見てはまっさらでつるつるの、ただの硝子珠だ。だが、よくよく目を凝らすことで、ようやくその本当の姿が明らかになる。

 切子細工に比するとはいえど、この珠は切子細工の硝子製品そのものではなかった。内部に施された切れ込みは、それ自体が美しさを成すというよりも、むしろ取り込んだ光を四方に反射させるための鏡のような役目を果たす代物だ。硝子珠の内側の全面に施された“透明な鏡”は、相互に作用、補完し合って、どの角度から光が当たっても不規則に乱れさせ、踊らせ、反射させる。だから、いちどとして同じかたちで灯の色を散らすということがないのだろう。そんな仕組みを持ったこの細工が、大きな一個の珠を丸のままくり抜いて作られたのか、それとも大小ふたつの珠を組み合わせてこのかたちに仕上げたのか。工芸についての技術も知識もない阿求には知りようもなかった。

 その技術で包まれた、硝子珠の中の人形を見た。

 直垂(ひたたれ)を身に着けた男は肥え太り、着物の内から肉がこぼれ落ちそうな体型をしている。そんな『彼』は短刀を逆手に持っている。首を斬ろうか腹を刺そうかで、自害の手段を迷っているようにも感じられた。その哀れな姿を取り巻くようにして、火焔を象った飾りが足元に幾つも植えられていた。彼を主人公とした一時代が、悲惨な終わりを迎えたところを想起させる主題だった。だが、阿求はこの『彼』を知らない。露店から盗み取ってくるとき、人が来ないうちにと慌てて手を伸ばしたのが原因だ。歴史上の極悪人たちを題材としたこの玩具たちの中で、『彼』がいったい誰であったかを確かめるだけの余裕がなかったのだ。

 どこかに名前でも書いていないものだろうか。
 そう思って、珠を引っくり返すと、……こつん、と自分の鼻先に何かがぶつかった。驚いて硝子珠をよく見る。台座の一部が飛び出ていた。壊れてしまったのだろうか。そう思って、恐る恐る反対の角度に傾けてみる。飛び出ていた台座の一部は、また元の場所に引き戻っていった。ははあ、と、阿求は納得する。なるほど、この台座には抽斗のような仕組みが備わっているのだ。いま阿求の鼻先にぶつかったのは、その抽斗が傾いて滑り落ちてきたせいだ。

 だが、なぜこんな玩具に抽斗がついているのか。小物入れというわけでもないだろうに。
 
 抽斗を開けて戻してを何度か繰り返すうちに、その疑問は直ぐに解けた。台座の中には、一枚の折り畳まれた紙が入っていた。何かが書いてあるようだ。指先でそれを摘み上げ、行灯の光を頼りに読む。

 紙は、硝子珠の使い方を説明するものである。

 曰く、この玩具の抽斗の部分は火皿である。そこに火種を入れると、火の灯りが硝子珠を通して押し広げられ、辺りを照らし出すのだという。さらにまた、珠の中に飾られた人形が誰であるかも明かされていた。人形は、平頼綱(たいらのよりつな)を表している。頼綱というのは鎌倉時代の武士である。弘安二年、宿年の政敵を滅ぼして鎌倉幕府の実権を握った頼綱は、絶大な権勢を振りかざして恐怖政治を行った。だが主君である執権・北条貞時に危険視され、その軍勢に館を急襲されて自害したのだ。梗概を記すなれば、斯様な人物である。頼綱という男のことは同時代を生きた御阿礼も記載しており、それを稗田家の書庫から引っ張り出して読んだことのある阿求自身も当然に知っていた。人々に怖れられるあまり、生きながら地獄に落ちたとまで言い伝えられたらしいことも。

 その頼綱が、硝子珠の中に閉じ込められている。
 否、頼綱を象った人形がだ。もちろん、阿求自身は平頼綱という人物の顔を直には知らない。が、いかにも独裁者らしいそのふてぶてしい面構えなるものは、身の内に溜め込んだ悪しき権勢の脂を地獄の浄火に投ぜられるには、確かに十二分の資格があろう。

 阿求は、読み終えた説明書を小さく捻じった。そして行灯の火をほんの少し頂くと、瞬く間に燃え始める紙を大急ぎで台座の中に放り込んだ。これが、この硝子珠の本来の楽しみ方ということである。紙の焼ける焦げくさいにおいが漏れ始め、辺りを塗りこめていく。息を止めて、『次』が起こるのをじっと待った。

 果たして、待ち望む『次』は暗がりに染むごとくに訪れる。

 硝子と台座の接する、珠の底ともいうべき箇所が淡い光を発した。それが小刻みに波打ちながら、少しずつ上を目指して上ってくる。火宅(かたく)の底で救いを待ち望む衆生の、何も掴み得ない哀れな手――そのような残酷絵を見せられたかのように、当てどもなき光の遊舞である。投ぜられた火はその尾を育たせ、珠の内側の切子に灯りと影とを埋め込み、進む。やがて底から頂きまでをもすべて覆った火は、複雑かつ不規則に彫り込まれた幾多の曲面と平面とを滑り、転がり、夜の部屋の薄暗がりを燃やし始めた。硝子珠の全面に投影されたものが、そのまま周囲の全空間に拡大されたのかと阿求は思った。灯火は乱れ飛び、赤々と輝く焦熱地獄が一室の内にやって来たのかと。

 硝子珠を通って育ちきった火は、眩いばかりの幻の火の粉と成って闇の中に軍勢を結んだ。そしてまた、揺らめき回る火群(ほむら)の槍が大小となく阿求の眼を突き、鋭い残像を刻んでいく。ひとつとして同じかたちの火焔はなく、そのいずれにもまるで異なる陰影(かげ)が棲んでいる。史上に幾多も在ったであろう悪人たちが、それぞれの罪科に応じた火で焼かれ、生き返らされ、そしてまた火で滅ぼされているところを何度も何度も繰り返す。地獄の絵図では言外に説かれてきたであろう醜悪な浄罪の様が、絵筆も塗料も用いることなく語られている。どんな紙も画布も必要ではない、ただ闇さえ萌えているのであれば、一瞬ごとにすべてを描きつけてしまう。火とは斯様なる天才である。その天才の力量を、硝子珠は声高に叫んでいるのである。

 その叫びの中心に立つ、平頼綱の小像。
 短刀を手にした悲憤の独裁者は、自害する間もなく生きながらにして地獄の底の底に取り込まれ、その焦熱に焼き尽くされるという救いも得られぬまま、晒し者となっている。頼綱の影は絶えず踊り狂う火焔の群れに取り込まれるが、影なるがゆえに血も流せず悲鳴も上げられず、永劫の責め苦に遭い続けるのだ。

 阿求は感嘆した。声を出すこともままならなかった。
 呼吸さえをも忘れかけていたかもしれない。
 こんなにもうつくしいもの、綺麗なものを、少女は未だ見たことがなかった。どんなに怖ろしい地獄絵でも、どんなに神々しい仏画でさえも、この人工の地獄には決して敵うことはないだろう。彼女は思いつめ、そして歓喜した。未だ十でしかない幼さの中で、ひとつの達観が彼女に覚醒した。この先、きっとこれほどの『地獄』を見ることはできないに違いない。それは、何と怖いことだろう。だけれども、何と嬉しいことだろう。

 こんなにもすてきな地獄を見ることができるというのなら――否。こんなにもすてきな地獄にいずれ落ちるということができるなら。御阿礼の子が盗みを働いてしまったことも、甲斐がなかったとは言えないではないか。

 産まれて初めてというくらいに、稗田阿求は腹の底から笑ってしまった。
 嬉しい、ということは、可笑しい、ということでもあると気づいたのだ。
 暗中に閃く彼女だけの地獄は、やがて台座の中で火種を燃やし尽くし、静かに、静かに、なっていく。



――――――


 稗田の家の、とりわけ御阿礼の子に向けられる視線は羨望と畏怖のそれであると、幼い阿求は思っていた。彼女は名家の出にふさわしい権勢と傲慢さを持っていたし、それを周囲のだれもが是とするのを普通だと思っていた。王者は、ただひとりでは王者であり得ない。王者の威厳を人々が望む限りにおいて、王者でなければならないのだ。彼女は、ただ我がままでいれば良かった。大きな屋敷の、小さな暴君でいれば、何もかもがこと足りた。

 けれど、彼女も人の子だ。
 人の子は、どうしようもなく成長(おお)きくなっていく。
 そうして虚しいばかりの知識を身に着け、己が何ほどの者であるかを知ってしまうのだ。

 三十余年だ、その中ですべてを済ませねばならぬ。
 代々の御阿礼に言い伝えられてきた心得を、父母は毎日のように阿求に説く。他の子が義経や正成や曾我兄弟の絵を下手くそな筆致で紙に描いているころ、彼女はもう手習いによって文字の読み書きを覚えた。他の子が手習いを始めるころ、彼女はもう家伝の史書を読みこなしていた。他の子が家業の手伝いに携わり始めるころ、彼女はもう稗田の家業である幻想郷縁起の編纂を始めて久しかった。かくも彼女は稗田の令嬢であり、それ以上に阿礼乙女であった。三十余年だ、その中ですべてを済ませねばならぬ。阿求が長ずるに連れ、父母はそれを口癖にしていく。

「お前は、三十余年しか生きられぬのだから」

 たまたま親の前で歌を口ずさんだら、そう言われてたしなめられたことがある。
 使用人たちの間で流行っていたゴンドラの唄というのを阿求もたまたま覚えていて、それが何となく口から出てきてしまったのだ。命短し、恋せよ乙女。赤き唇、褪せぬ間に。何ということのない、男女の恋の機微を託した詞であるに過ぎない。それがどうして両親の気に障ったのか、阿求は直ぐには理解できなかった。とはいえ、娘が歌うのを両親が嫌うのなら、あえて口ずさむ理由もない。阿求は、二度とゴンドラの唄を歌わなかった。

 それから、ほどなくして。
 使用人たちから男女の別なく好かれていた、あの恋の唄を、誰ひとりとして歌わなくなったのだ。最初は流行りが過ぎただけかとも思った。しかし阿求の顔を見るたび、皆はどこかよそよそしい笑い方をして頭を下げる。そしてお嬢様が向こうに行った振りをして聞き耳を立てていると、またあの「命短し、恋せよ乙女……」の一節が聞こえてくる。彼らは、阿求に遠慮して歌わなかったのである。

 その遠慮というのが単なる同情ではないということには、否応なしに気づかざるを得ない。皆は言う。「阿求さまは、三十余年しか生きられぬ。おかわいそうな御方なのだからね。旦那様も奥様も、御阿礼の後先を思い出させるものがお嫌いなのだ」。無用の気遣いをする者たちだと、密かな舌打ちをした。短命なる者が短命ゆえの悲劇を演じている、ただそれだけの下らぬ『役者』であることを、どうして誰もが期待する?

 幻想郷縁起編纂の役を負うた歴代の御阿礼は、いずれも三十余年の齢しか持たない。それは、初代阿礼からの軛(くびき)である。しかし紛れもなく、稗田阿求を人々に崇拝させるための神秘の帳であった。

 崇拝とは、聖なる忌々しさである。
 誰かが死んだとか、長生きの秘訣とか、そういう話を人々は阿求の前でしなかった。近くに阿求がやって来ると、ばつの悪そうな顔をしてたちどころに口をつぐんでしまう。生死についての事柄が、御阿礼の一生にとってはとりわけ重大事であると思い込んでいるのだ。

 老人は、自分より若くして死ぬ阿求に大人の楽しさを教えない。若者もまた、将来の夢を語るということがない。坊主は輪廻転生について説くことをしない。言葉で語るのは野暮なことだ。何よりもまず、目の前に生死の思想を体現した稗田阿求が居るのだから。だから、自分たちが何も語ることはない。人々はそう思っていた。

 阿求が歳を重ねるごとに、縁起の編纂のため為すべきことは増えていく。あるときは史料ごとの内容に見られる相違を検証し、あるときは既述のないものを想像で補い、あるときは新顔の妖怪に話を聞きに行く。その片手間には次代の御阿礼に残すべき物を選び、是非曲直庁の顔色を窺いながら転生の備えを積み上げていく。その合間を縫うようにして聴く音楽や、飲む紅茶に、人々はどうしようもない憐れみを抱いた。三十余年の、短命の生涯。光輝ある御阿礼の生きるにおいて、束の間の暇を食むことのなんと麗しきかなしさだろうか? 

 そのような噂が、毎日のように阿求の耳を洗いに来る。
 誰もが御阿礼を尊び、憐れんだ。幻想郷のために命を捧げる学者の、避け得ない天命に悲嘆を隠さなかった。稗田の令嬢が抱く死について考えを巡らし、その犠牲を尊んだ。阿求はそれに応えねばならない。皆の聞き知った御阿礼の子として振る舞わなければならないのだ。

 彼女は忙殺されていた。学問や労働、使命にではなく、ただ生きるということに生の年数をどうしようもなく消費させられていた。人々のための使命を果たし、人々の期待するだけの悲しい生き方を演じるために。少女は、もう我がままではない。否、周囲の人はもう彼女が何を言っても、ただの我がままだとはみなしてくれないだろう。紅茶の淹れ方が下手な下女を罵倒しても、いちど袖を通しただけの着物をもう要らないと突き放しても、それでも皆は許してくれるだろう。早くに死する運命の少女に、今生の生を楽しませてやろうと。

「お前は、三十余年しか生きられぬのだから」

 書き物に嫌気が差し、部屋で何枚も何枚もレコードをかけっ放しにしていると、何でもないときに両親のそんな言葉が蘇ってくる。命短し恋せよ乙女……、と、レコードからは、この世の悦にいかれたような間延びした声が響いている。結界の外のある物語では、死を見据えた老人が、自身の生きた証を前にこの唄を口ずさむのだという。それは、幸せなことだと阿求は考える。企てを得ぬまま訪れる自らの死に対し、かろうじてつくり上げた何かを示して見せる。そうやってゴンドラの唄を口ずさむ瞬間、彼はすべての束縛から自由になるのだ。自明の死に対して何を示すか。それだけが、その人の自由のかたちである。

 皆の優しさは、腫れ物に触るようなやり方だと阿求はもう気づいていた。
 ゴンドラの唄を、阿求の前では絶対に口にしないくらいには。

 十の齢に五つを加えた今の阿求は、天命の半分を使い果たしたも同然だ。それを人々はかなしみ、またそれでも、幻想郷のために一生を捧げることのできる御阿礼の立場を称揚して止まない。だからこそ、残った生涯においては多少の我がままも許してやろうではないか。そういう傲慢を感じるのだ、阿求に対する人々の目からは。そして、それに応えることが、稗田阿求という阿礼乙女が生涯かけて行うべき事業なのである。人々の望むままに悲劇の主人公を演じ、幻想郷のために働き、少しの我がままを謳歌する。

 三十余年しか生きられぬのだから――と、父母が言ったとき、次には必ずこう続く。

「命を無駄に使ってはいけないのだよ」

 そう定められたなら、無駄に使ってはいけないのだ。王者は人々の望むままに振る舞わなければならない。王者は人々を支配しない。人々が常に王者を支配しているのだ。その関わりの中において、阿求は確かに豊かである。なに不自由もない幸福であろう。けれども、彼女には未だ何もなかった。御阿礼としての自分以外には、彼女は何も持っていない。それが、彼女の十余年だ。

 これからの半分の人生で、いったい何を成し得るのだろうか。
 何ものも成し得ないであろう。それが、齢十五にして至った阿求の人生の諦観だから。御阿礼に産まれた者は、御阿礼として生き、御阿礼として死なねばならない。一種の呪いだ、弥栄(いやさか)に溢れた。栄光を飲み干して溺れ死ぬよう、彼女を生ましめた世界は告げている。後には幾代も続く誉れとして、その名は語り継がれていくだろう。御阿礼の九代目としてであり、しかし、阿求としてではない。

 虚しい事実であった。
 だから、阿求は地獄の硝子珠の玩具に火を投ずるのだ。

 夜な夜な行灯の火を戴き、頼綱が業火に焼かれる様を部屋の壁に映じて楽しむ。地獄は悪人が落ちるところ。悪人が浄火に焼かれる場所。多くの人々が恐怖するその場所が、今の阿求にとってはただひとつ逃げ込める聖所。御阿礼の子という条理や秩序が阿求の生を縛りつけるのなら、自ら脱け出してやろうと思う。というよりも、彼女はもう脱け出してしまっている。豊年の祭りのあの晩に、地獄の硝子珠の玩具を露店から盗み取ってしまったときからだ。

 悪徳とは、自由なことである。地獄に落ちるもまた、自由の行き着く先である。
 誰もそれだけは言葉にしないから、阿求の地獄は空想の中で自由なのだ。
 生き方を人々の期待に縛られ、命の使い方もまた御阿礼の宿命で絡め取られた阿求にとっては、幼時に犯してしまったいちどきりの偸盗の罪だけが、自分がただの操り人形ではない、累代(るいだい)の悲劇役者ではない、ひとりの意思ある人間なのだという証拠に他ならない。悪を為して、地獄に落ちる。阿求が自分の死を見据えてつくり上げた宝が、それである。彼女は地獄を愛していた。手の中で灯の色に光る硝子珠――美しい焦熱の地獄に自分も落ちて、そこで魂まで焼き尽くされるなら。御阿礼の子もまた、れっきとした人間であると解ることができるのに。

 地獄はきっとうつくしいのだと、彼女はずっと思っている。
 うつくしくもないものを、人々が絵に描いたり話に伝えたりするはずがないではないか。だからこそ、その酸鼻を極める有り様に自ら浴したいと願うことは、尊い志だろう。地獄の色が暗い部屋に灯るたび、阿求はゴンドラの唄を口ずさむ。彼女は、地獄に恋をしていたのかもしれなかった。


――――――


 けれども、時間の流れは否応なしに現実を破綻させていく。
 阿求の求めた自由の似姿は、少しずつ形を歪めていった。

 陳腐な比喩ではない。文字通り、あの地獄の硝子珠が壊れ始めたのである。
 異変に気づいたのは、もう何度目か判らなくなるほどに灯を投じたある晩のことだ。
 いつものように行灯から火種を頂き、硝子球の火皿に投じたまでは良かった。瞬きをするごとに湧き上がってくる灯の色の群れ。幾度見ても決して飽きない地獄美の粋だ。そのはずだった。

 火事を起こさぬよう燃えやすいものを遠ざけた上で、部屋の真ん中に地獄の硝子珠を置き、部屋の壁や天井の前面に灯を投ずるというのが阿求のやり方だった。そのとき床に寝転んで、自分もまた珠の中の頼綱と同様に、地獄の底に落ち果てる気持ちを体験するのが好きなのだ。その『底』から見上げる火焔の空。真っ暗な闇と、闇を裂く明々とした地獄の対比こそが、この玩具の要といえる。阿求が気づいたのは、暗闇と灯の色とが、いつしか境を失くし始めているということだった。

 映し出される火の姿に“切れ味”とでも呼ぶべき鮮烈さがなくなり、どこかぼやけたようになっていく。泡(あぶく)じみた大小の丸い跡がそこかしこに生ずるのは、桶の中の濁った水を見るようである。やがて地獄の『底』から『天』の部分に向けて、数条の枯れ木の影が生えていく。それがどんどん大きくなり、自害せんとする平頼綱の足元に絡みついた。火に巻かれても燃えることのない枯れ木たちは、それが焦熱地獄の代物であるにしては、異様な格好の悪さである。

 阿求は直ぐに台座の蓋を開け、火を吹き消した。

 行灯の光のもとでよく眼を凝らすと――台座に接した硝子珠の底の部分が、波打つように歪んでいるのが見えたのだ。所々に黒い焦げが斑点のようになっているのは、火種の燃え残りがこびりついているのだろうか。かたちとともに色まで歪んでいるようで、土色、黄色に染まるのはもちろん、大部分はそもそも硝子の透明さを失くして濁りきってしまっている。十年前、豊年の晩の夜店で見た、あのうつくしい姿とは似ても似つかないほどに醜く劣化した玩具が、いま阿求の手の中には在った。あまりに長い間、硝子が火に焼かれ過ぎたせいだろう。

 その晩は、もうそこまでである。
 再び火種を食べさせる気にもならず、せっかくの宝を文机の抽斗にしまってしまう。
 ずっと大事にしていたものが、時を経て壊れ始めている。罪を犯してまで手に入れた、何者にも触れない自由の火が。この恐怖は杞憂だと自分に言い聞かせようとしても、欠けのない阿求の記憶はすべてが事実だと雄弁に告げていた。彼女の恋が、少しずつ色あせているのだと。


――――――


 努めて彼女は、劣化し始めた地獄の玩具のことを思い出さないようにしていた。代わりに、縁起の編纂に昼と夜とを問わずに打ち込むようになった。ものを忘れることのない御阿礼とはいえ、何かに没頭しているときは意識が一点に向くので、余計なことを考えずに済むからである。その邪な熱心さを両親や使用人たちは褒めそやしたが、当の阿求はこれっぽっちも嬉しくない。それどころか、皆が望む『命を削って執筆に打ち込む稗田阿求』という鋳型に、大事な宝物を失いかけて弛緩しきった自分自身の魂を流し込み、世間に対して都合の良いかたちに整えているような気持ちしかない。ただ不快であった。

 阿求の本心とは裏腹に、その仕事ぶりは実を結ぶ。
 おかげで多くの仕事が手早く片づけられ、以前より暇な時間が多くなった。書き上がった原稿の束を褥(しとね)と化すかのように昼寝をしたり、完結させる気のないいい加減な内容の小説を書き散らして遊んだりしていた。あるいは、気紛れにやって来る客の相手をするだけで半日を過ごしたこともあった。

 とは申せ、運命の絶妙な帳尻合わせか、どうしても急がねばならぬ書き物をしているときに限って珍客がやって来ることがある。

 胸元に青いひとつ眼を抱いた、心読まずの覚り妖怪。
 古明地こいしが今日の客である。

 この珍客、こちらから呼び寄せたわけではなし。何を考えているのか解らない地底の住人など、取材以外で顔を合わせるのは、なるべくなら御免被りたいというのが本当のところである。だから、こいしにも茶の一杯でも飲んでもらってさっさと帰って欲しかったのだが、下女に命じて紅茶を持って来させるあいだ、相手は阿求の部屋をあれこれと物色し始めた。

 曰く、「ペットがこっちに迷い込んだ」らしい。
 ペットといえば、あの二又の尾を持つ黒猫――見るからに縁起でもない姿をした火車猫のことだろうか。そう問うと、こいしは「ううん、違うよ。最近新しく飼った子でね。角の煙草屋さんのお婆ちゃんの膝の上で寝てたのを連れてったんだ」と言い出した。どう考えても誘拐だ。たぶん、元の飼い主の所に帰ったのだろうと阿求は考えることにした。

 奔放が過ぎるこいしの言に冷や汗をかかされている間にも、相手は猫探しと称して好き勝手に阿求の部屋を荒らしていく。衣装箪笥や書架や、積み上がったレコードの山の向こう、終いには襖(ふすま)が通る敷居の溝の上にまで声を掛けていた。そんなところに猫が居るわけもない。猫を探すと称した暇潰しなのかもしれない。

 そんな道楽など、できる限り無視しているつもりだった。こちらの仕事の邪魔をしないのなら、何をしても構わない。後々で幻想郷縁起にあることないこと書き散らしてやるだけだが。そう思って溜め息を吐いていると、いつの間にかこいしが阿求の直ぐ隣にやって来ていた。無意識の死角に入り込まれたのだろうか。ぎょっとして筆を落としかけ、飛び散った墨が原稿を汚す。部屋の主の醜態にも頓着することなく、珍客は文机をあちこち興味深げに観察すると、最後には脇の抽斗三段を思いきり開け放つ。

 はっ――、と、阿求は気づく。
 そこに在るものを見られるのはまずい。

 抽斗の中には、あの地獄の硝子珠の玩具が隠してあるのだ。見つかったとしても、盗品だというのが知れるわけではない。自分の内なるところで秘していたものが、誰かに触れられるのがたまらなく気持ち悪いだけなのだ。机の上に筆を放り投げると、勢い、阿求はこいしを制止しようと手を伸ばす。だが、寸前で間に合わなかった。こいしの動きの方が一瞬すばやく、抽斗の奥に押し込めてあった玩具を探り当て、外に引っ張り出してしまったのである。

「あなたって、意外と浪漫主義者(ロマンチスト)なんだよね。こんな古臭いおもちゃ、今どき地底じゃ誰もありがたがらないよ」

 へえぇー、と、いかにも感心したという風で、こいしは自らの所感を述べる。
 他人(ひと)の宝物に向かってずいぶんと悪しざまに言ってくれる。幻想郷縁起の古明地こいしの項に、やはり悪口のひとつでも加筆しておこうと阿求は決めた。一方、なお手の中の硝子珠を眺めていたこいしは、それが抱える瑕疵にも気づいたようである。「古いには、古いなりの“味”があるんだねぇ」と、皮肉とも嫌味とも取れるような言葉を口にする。

「……い、嫌味を言うなら帰ってくれませんか。五年も前に豊年の祭りで“買った”物ですが、それでも愛着のある品なので」

 もしや、こいしには自分の罪を見透かされているのではないだろうか。
 阿求が自身の生死の運命の前で、偸盗の罪悪を糧として自由になった気がするのは、それが誰にも打ち明けたことのない彼女だけの秘密だからだ。ひとたび他人に知られれば、自由は単なる犯罪に堕する。だが、御阿礼の怖れは杞憂だった。こいしは阿求の狼狽ぶりをいささか不思議に感じて小首を傾げたが、どうでも良いというように小さく笑う。もし今ここに居るのが古明地こいしではなく、彼女の姉のさとりだったら。そう思うと、阿求の背筋には冷たいものが走るのである。

 阿求の焦りを知りもしないこいしは「未だ帰らないよ。紅茶、ごちそうしてくれるんでしょう? 何といっても、わたしはお客様だからね。もてなされるのがお仕事なんだよ」と、うそぶいて見せる。それならそれで構わない。舌打ちをしたい気持ちを押さえながら、阿求は筆を再び手に取ろうとした。すると、伸ばされたその手を押し留めるかのように、こいしが言った。

「ああ、そうそう。阿求の趣味をばかになんてしないよ。この玩具の中の地獄はね。今はもう使われなくなった場所だから。ずいぶんと古風な趣味だなって思ったんだ」

 果たして、筆に触れていた指先が凍りついた。
 それは……と言いかける唇を震わせながら、こいしの方へと向き直る阿求。心読まずの覚り妖怪は、硝子珠の玩具を片手にして、部屋の隅にまで歩き出す。その足取りは、舞踏のように幻惑的だ。

「どういうことです。あなたの姉、古明地さとりが地霊殿で管理するという、あの巨大な旧地獄に統合されているということですか」

 阿求の指摘に、こいしは「ううん」とかぶりを振った。

「そのままの意味。こんな、ただ火が燃えているだけの地獄は、本当はもう何百年も前に使うのをやめちゃったってこと。わたし、これでも宮仕えをしてるお姉ちゃんがいるんだもの。是非曲直庁が運営する今の地獄がどうなってるのか、人脈(コネ)を使ってシャカイカケンガクに行くくらいのことはできるよ」

 阿求は、思わず膝を乗り出した。

 聞いてはいけない類の話だということは察しがついたが、それでも逆らえない。背骨に鋭い快感が走り、これを記すが御阿礼の役目と何かが囁く。稗田阿求は御阿礼として『振る舞う』ことに辟易としてはいたが――御阿礼として『生きる』ことをしなければ、何でもない、ただの子供だ。自由とは、それが生き方の枷にならない限りにおいて尊ばれるものなのである。抗うこと以外に何の目的も持たない自由は、ことを終えた途端に牢獄と化す。今こいしの手の中にある阿求の自由、かつて彼女が偸盗の罪悪を以て自らが一個の人間だと証明した、その象徴である地獄の硝子珠の玩具は、客人の話す続きを聞けば、本当にただの牢獄に成り下がってしまうことだろう。

 こいしは語った。
 それが何でもないことだというように。

「今の本当の地獄はね。こんな風に誰かを特別扱いして罰するなんてことはない。同じなら同じ刑罰の同じ刑期だけ、ぜんぶひとかたまりにして、大きな火の海に投げ込まれるの。名前すらも獄卒さんには呼ばれることがないんだよ。番号さえもね。だって、その方が合理的でしょう? 燃やさなきゃいけない罪人は何千人と居るんだから、誰がいつごろ入ってきた、誰が何をしでかしたのかなんてこと、気にしてたってしょうがない。それに、焼け死んでも刑期が終わるまでは何度も生き返らされるんだし。炎だって、あちこち好き勝手に燃えてたら、“焼き加減”にむらができる。地獄は概ね何万由旬かの奥行きのある大きな立方体がたくさん繋がってできているけど、その上下左右に空いた穴から、別の地獄の罪人から搾った脂を燃料にして、絶えず焔が噴き出すの。刑期が済んだら、牛頭(ごず)や馬頭(めず)が何班かに別れて、大きな熊手みたいな道具で罪人たちを掻き出して、また次の罪人を放り込む。その作業は結構キツいらしいから、特別手当も出るんだって案内役の獄卒さんは言っていたっけ。それからね……」

 問われずとも、こいしは語り続けた。
 味気なく、機械的で、俗っぽい、焦熱地獄の内幕を。

 彼女にとっては悪意ない、ただ土産話以上の意味を持たない話題だったことだろう。けれども、そこから発される一語一句が、矢となって阿求の心を傷つけていった。渇いた唇を何度も何度も舌で舐め、笑いとも悲嘆とも判らない気持ちで筆を執る。詳らかに聞き知った地獄のあらましは、史上の画家が精魂を傾けて描いてきた地獄図を、ほんの数分で無意味にした。そこに描かれていたような代物は、しょせん、人間が想像した『華やかな』ものだったからだ。少なくとも、現代の地獄ではない。現代の地獄は、こいしに拠ればもっと効率的である。罪人は、ただ地獄を維持するために投ぜられる燃料と同じだけの意味しか持たず、生前の悪行や個々の悔悛といった、功徳のために語り伝えられるべき物語でさえも一顧だにされない。

 悪徳は自由ではなかった。
 地獄もまた、どこかに群れ集う大いなる善を維持するための足がかりに過ぎないのだ。
 そこに落ちるということに、今さらいったい何の意味があるだろうか。

 溜め息を吐く阿求に、こいしは皮肉げな顔を見せる。
 世の中の道理が解らない小さな子に、さも、その一端を授けてくれようとするお姉さんぶって。

「昔の人が絵に描いたような――この古臭い玩具で象られたような――地獄は、何だか綺麗すぎてお尻がむずむずしちゃうな。それともまさか、阿求は本当にこんな地獄に“落ちられる”と思っていたの」


――――――


 阿求の自由も悪徳も、それでも未だ生き続けていた。

 こいしから聞いた現代の地獄についての覚え書きを、彼女はその日のうちにすべて破棄してしまった。自分の中の空想を守り抜きたいと思ったから、ではない。むしろその反対である。空想が死んでしまったから、世に数多ある他の空想までも、稗田阿求と道連れにしよう。そう心に決めたからである。

 いま阿求の手元には、一枚の真新しい地獄絵が在る。

 命蓮寺の寅丸星が手すさびに描いたもので、寺が何かの行事を催すたびに販売しているというものだ。人々はその見事な筆致と鮮やかな色彩の感覚に魅了され、買えば功徳、飾れば善行としてこぞって浄財する心意気である。けれども、本当の地獄はうつくしくない。阿求はそのことを知っている。こいしに教えられて、知ってしまった。だから、誰にも知らせないのだ。自分の幻滅を他の誰かにも味わわせるために、あえて秘密にしておくのだ。

 彼女の新しい悪徳は、今は額に入れられて部屋の一隅を占めている。
 父母や使用人が何かの用事で入ってくるたび、その見事な地獄絵に心奪われるのだ。それをこそ快いと思い、阿求はほくそ笑む。周りの誰も知らない秘密をひとつ、いつまでも抱えていられるから。彼女は今でも、確かに自由だった。街角の、どこかの辻に放り捨ててきた硝子珠の玩具を愛でていたときに比べれば、今の方が幾らか窮屈ではあったかもしれないが。それでも御阿礼としての意地にかけて、愛でるべき悪が今も生きる。

 稗田阿求が夜の闇に、平頼綱が焼かれる様を見ることももはやない。
 けれどもその代わりに見るようになった夢の中では、依然としてうつくしいままの焦熱の地獄のただなかで、十年前、豊年の祭りに出かけたときの幼い阿求が、仏頂面のまま浄火に焼かれているのである。
http://karinihita.wix.com/yumeno-tyoujin-tag

二〇一五年十二月三十日、東京ビッグサイトで開催されるコミックマーケット89で頒布予定の、サークル『カリニヒタ』様による東方タッグ小説合同誌『かきかぞふ ふたり うしろかげ』に、
妹紅と慧音の掌編を寄稿させて頂きました。

こちらの同人誌は、スペース『西-こ-07b』、サークル『天麩羅ショコラ』様への委託となります。
よろしければぜひ。
こうず
http://twitter.com/kouzu
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コメント



0.810簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい作品でした。読んでいる途中から没入してしまいました。
作者様の実力の高さに感服します。
2.100名前が無い程度の能力削除
幼い頃の過ちと、幻想的な玩具と、それをしまい込む阿求と。
じっと読み行っていました。宣伝の作品も期待しています。
3.100奇声を発する程度の能力削除
面白くとても良かったです
4.100名前が無い程度の能力削除
阿求が阿求で、御阿礼ではあるが、それだけではないと証明するものとして執着するのも納得できますね。
鮮やかな描写もあって、魅せられました。
5.30名前が無い程度の能力削除
性格悪いあきゅうよね
どうでもいいことをぐちぐちぐちぐちと
地獄に憧れるようなやつはやっぱりそれなりなんだろう
だから地獄を信じる宗教がこの世に何度も何度も地獄を現実に召喚してるんでしょう
6.10名前が無い程度の能力削除
うーん...
10.100名前が無い程度の能力削除
くすぶっていた火が風に吹かれて燃え上って、けれど身を焼き尽くしてはくれなくて、こんな生焼けの身を嗤え。
そんな声が文中から聞こえてきました。
13.30名前が無い程度の能力削除
微妙

いやまあまあかなあ…
16.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。語りが美しい。
17.70名前が無い程度の能力削除
いつもと変わらず評価の難しい作品でした
良作とは思いますが、これは俺は好きじゃないです
19.90名前が無い程度の能力削除
良かったです
20.100智弘削除
阿求は糞餓鬼可愛い。

>十年前、豊年の晩の夜店で見た
ここ、五年前の間違いでしょうか。
22.90名前が無い程度の能力削除
御阿礼の身にある阿求の心情を鮮烈に描いたことも、そして地獄への思いも、歪ではありますがだからこそ美しくあり、ただ素晴らしいと感服することしかできませんでした。
しかし、こいしが現れたところからその幻惑的な世界が霧散してしまうようで、どうにも身勝手ではありますが期待していたのとは違う方向に話が逸れていってしまったように思え、残念でなりません。

前半は同じ物書きとして羨望するしかない、溜息を吐くほど素晴らしい物に思えました。
23.100名前が無い程度の能力削除
終わり方がすごく好き。阿求とおなじく額に入れしまいたいくらいに。
24.100名前が無い程度の能力削除
こいしのどうしようもない浅さとか阿求のやたら斜に構えて語りたがりな所は原作へのリスペクトに思える。よかった。
25.90名前が無い程度の能力削除
前半は「これちょっとピンクな本拾った中学生だ!」といった風に微笑ましくなるようにさえ思われましたがそれだけに後半の展開は強烈でした……
等身大の少女としての阿求を意識させられる、印象に残る一本でした
26.80名前が無い程度の能力削除
誰だったかも、最近の人殺しは芸が無くていけない、みたいなことをいっていましたが、死んだ後にも芸が無いのではたまらない。
27.10名前が無い程度の能力削除
陰険なやつだなあ
作者も陰険そう
29.50名前が無い程度の能力削除
素晴らしいようにみえるがこのような感性には距離をおきたい
文芸も宗教と似たようなものだ
無防備でいればとりかえしがつかなくなる 洗脳される 社会が変わる
距離をとって心を武装して触れるべき
特にこの作品はそういうものだと思う
30.90名前が無い程度の能力削除
 これは面白い。
33.100名前が無い程度の能力削除
ベネ
35.100星鍛冶鴉削除
人々の思うようにあらねばならぬ、妖怪のことを綴るうちに阿求も妖怪になってしまったのか…と思いました。
39.100名前が無い程度の能力削除
話に没入することができて、面白いと感じました