何故か、と考える事はしない。他人の評価は他人の評価であって、僕の考えが及ぶ範囲ではないからだ。
単に事実として述べるならば、僕は非力という目で見られることが多い。
――もっと肉を食えよ、肉を。肉を食ってでっかくならなきゃなめられるぜ。
魔理沙に言わせればそんな具合だ。僕の目方が魔理沙よりも重いことは言うまでも無い。それでも、魔理沙に言わせれば僕は非力な男に見えるようだ。自分よりも大きな男を見て非力だと思う理由は、魔理沙にしかわからない。
非力とは何か? それもまた、考えるだけ無駄だ。鬼と比べれば僕は力がないだろう。小人よりはあるだろう。
自分で承知していることは、仕事に必要十分なだけの膂力は持ち合わせていると言うことだ。決して軽くない電化製品を運ぶなどは日常だ。もっとも、物を運ぶのに重要なのは膂力では無い。肝要なのは持ち方だ。重心を把握し、負荷を分散することに比べれば、力など些末なことにすぎない。
「……それはそれは、ためになる知識を教えてくれてありがとうございます」
ラジカセを目の前に、菫子は言った。外来人である彼女は、時折香霖堂に訪れる。外の世界の品と共に。
「気にすることではないよ。別段、教えればなくなるものではないから」
講義というほど大げさでは無いが、重い物を持つコツを教えてあげたのだ。
「……で、私に運べというの?」
「ああ、倉庫まではすぐだ。さっき言ったように重心を掴めば、持ち上げるのも容易だ」
にもかかわらず、何故彼女は大きなため息をついて、僕を睨み付けるような表情なのだろう。それもまた、彼女にしかわからないことだ。
ラジカセのハンドルを持って、倉庫に向かっていく。僕の教えた効率的な持ち方は何一つ生かされていないが、それは彼女の都合だろう。
菫子がラジカセを倉庫に運ぶ間に、僕はラジカセと今月の売り上げを思った。買い主には買い主の仕事があり、売り主には売り主の仕事がある。
こんなものか、と値付けを済ます。彼女が戻ってくるには、値付けよりはだいぶん時間がかかった。
「……それにしても疲れたわ。10kgもあったのよ、10kgも」
彼女の表情は確かに、心底から疲れているようなものに見えた。持ち方を考える事はやはり重要だ。
「君には念力があるのだろう? わざわざ手を使って持ち上げずとも用は足りると思うが」
「両手で持つのが人間らしい生き方だと思わない?」
「手で持てない重さなら道具を使う。それが人間らしい知恵じゃ無いのかな」
「時計は機械式、本は紙の本、音楽を聴くならレコード。そういうのが、現代人の好む生き方なのよ、なんだって不便で面倒な方が高級に思われるわ……ラジカセはまあ、ゴミだけどね。いや、ゴミは失言か。とても人気があるのよ。いい値段を付けても罰はあたらないわ」
値付けは終わっている。もう帳簿も付けてしまった。
「はあ?」
酷く渋い顔をされたが、こればかりは致し方のないことだ。需要と供給の問題でしか無い。
「おかしいでしょう? 10kgもあったのよ、10kgも。こんなのじゃサイダー一本も買えやしないわ」
「うちは屑鉄屋じゃないよ。重さで値段を決めてるわけじゃ無い」
「この間はラジカセにいい値段を付けてくれたじゃない」
「あれは電池で動く……電池はこの間大量に仕入れることが出来てね。それにあのラジオはこの世界の電波を掴むことが出来る。だけどこのラジカセは電池では動かないし、この世界のラジオを掴むことが出来ない。この家には電気なんてない。そういうことさ。無理に売って欲しいとは言わないよ。持って帰るのも、君の自由だ」
「こんなのを持って帰れって。足下見ちゃって、まっくろくろすけね。ワタミもびっくりだわ」
不承不承を絵に描いたような表情を浮かべつつ、彼女はサインをした。僕は箱からお金を取り出して、帳簿を付けた。
「助手さんもよくこんなところで働くわね。今日はお休み?」
「ああ」
「すき家よりはましかしら」
すき家とはなんなのだろうか。僕にはわからない意味が含まれてはいる言葉なのだろう。
菫子は店内をぼんやりと物色していた。暫し、店内を回ると、腕時計の前で足を止めていた。
「あら凄い、アキュトロンね。しかも音叉が入ってる。音叉時計の実物なんて初めて見たわ」
感嘆したように声をあげる。音叉式時計を手に取りながら。
「ああ。だけど、それは入れる電池が無いんだ。もっとも、当世の外来人は腕時計なんて使わないんだろう? 君が言ってたじゃないか」
彼女は普段、時計を付けていない。さりとて、時間を気にしないわけでも無い。
「ええ、スマホがあれば事足りるもの」
自らの情報を無償提供する箱――スマートフォンには、あらゆる情報が詰まっている。時刻も、無論含まれている。
「それに、付けたとしても玻璃で動く、もっと正確な時計があるんだろう? そいつは電池がないと動かないくせに、精度も悪い」
僕の目の前にも時計がある。百円もしたという時計だ。樹脂で作られたそれは軽く、同時に、軽さ故の丈夫さを兼ね備えている。落としても、何一つ動きに問題は無かった。
百円とまではいかないが、中々の金額で買い取った品だ。日頃は何銭という単位で値付けをしている身とは言え、外の世界とは一円の価値が違うとは聞く。しかし、それでも百円の品。誠意を見せるには足りた。
これは驚異の精度を誇っている。玻璃、つまり水晶で動く時計だ。……もっとも、どこに玻璃が入っているのかはわからない。分解してみたが、どこにも見あたらなかった。僕の力が水晶で動く時計と伝えてくれるのだから、間違いはないのだが。
外来の品は売れ行きが思わしくないことが殆どだが、水晶式時計は飛ぶように売れる。今香霖堂に有る品も、非売品のこれ一つだ。
当然だろう。この世界で作られる機械式時計から見れば、その精度は比較にならない。一月に数十秒ずれるかどうかといった精度だ。一日に数十秒ずれる機械式時計と違い、ネジを巻く手間も無い。いつ電池がきれるかわからないことが難点だが、それを差し引いても垂涎の品と言っていい。
「精度が悪いからいいのよ。さっきも言ったでしょう? 時計は機械式、音楽はレコード。不便な物こそみんな欲しがるの。それこそが高級で高尚。本物で本格的ってね」
「そんなに気に入ったのなら、その時計と交換でもいいよ」
手に入れた当初は動いていたが、あいにく電池のあてが無い。もはやただのブレスレットだ。別段、手放しても惜しくは無い。
「本当に!? ブローバの時計よ?」
そんな企業の時計だとは承知している。僕の能力が教えてくれた。もっとも、彼女の驚きはわからない。ブローバの価値は、僕の能力でもわからない。何百円……ひょっとしたら千円、二千円とするのかもしれないが……動かせない時計も、動かせないラジカセも、大差は無い。どちらも、使い道は無い。
「……まあ、ブローバだからね。今度来るときに、何かを持ってきてくれるかな? この水晶式時計……とまでは言わないが」
しかし、ブローバなのだから、今少し交渉の余地はあるだろう。僕に意味は無くても、彼女にその名は意味があるのだから。
「そんなの一ダースだって買ってくるわ」
菫子は嬉しそうに笑っていた。何故か、僕が損をしてしまったような気分になった。……使えない時計よりも、新品の時計一ダースの方が遙かに正確で、売れ行きもいいのだが。
小さく、首を振る。どうも、あんまりにも強欲な気がしてしまった。互いに納得して、喜べる取引が出来たならそれに越した事は無い。霊夢のように常にツケは取引とは言わないので常に苦い顔を浮かべるが。
立ち上がり、お茶を淹れに向かう。湯を沸かし、棚からお茶を取り出す。棚の奧には特別な日に飲むためのお茶が入っている。棚の中間にはなかなかのお茶が入っている。僕が楽しむためのお茶だ。もしくは、お客様に振る舞うためのお茶だ。棚の前面にはそれなりの茶が入っている。霊夢や魔理沙が来たときに出すお茶だ。
僕は中間のお茶を取り出して、急須に注いだ。向こうからは、賑やかな音楽が聞こえてくる。菫子が、僕のラジカセをいじっていたらしい。
「ラジオは、あるのよね」
「ああ、放送が始まって、もう随分になる」
「それにしたって、酷いノイズ」
雑音に塗れた音楽を耳にしながら、急須を彼女の前に置いた。
「ラジオは不思議ねえ。……この世界の殆どは、本当に時が戻ったように思えるのに、ラジオはあって。不思議だと思わない? ここにいない人の声や音楽が届くって」
「君が不思議だと思うなら、僕にも不思議さ」
「私にとってのラジオはスマホのアプリで聞くものだけど……ここにもラジオがあるのは本当に不思議。でも、片道だからね。スマホで聞いてTwitterに感想を書かなきゃとはならない。そういう片道な感覚っていいな」
彼女はお茶を飲み、僕もお茶を飲む。悪くない淹れ方だった。自分で納得できる味だ。
「そのくらいの距離がいいのよねえ。独りぼっちは寂しいし、でも繋がっててもめんどくさいし。片思いが一番心地よい的な感じ? そうそう、この間小鈴ちゃんの家に行ったときに霊夢さんもいて、霊夢さんのハードルの高さと恋に恋する乙女っぷりがもの凄くて、それはもう片思いが心地よいの次元すら飛び越えていて――」
話は聞き流しつつ、お茶を堪能する。まあ、霊夢にも慕ってくれる人間が増えるのはよいことだろう。
「それにしても、お茶が美味しい。……お茶だけじゃ無くて、この世界の食べ物はみんな美味しいわ。森近さん。人間って進化してるのかしら? それとも、退化しているのかしら?」
「それは、問いかけなのかな?」
「それは……」
彼女と初めて出会った日。彼女は憤りを露わにしていた。スマートフォンがどれほど人の能力を低下させたのか、社会問題なのかと感情を露わに憤っていた。
「君の中では答えはあるんじゃないかな? 人間は、退化していると」
「……そこまでは言い切らないわ。昔はよかったって理屈は馬鹿馬鹿しいと思うし。メソポタミアの石版には『最近の若者は』って書いてあったってみたいに、キリが無い話だし。うん、でも、まあ」
菫子は小さく首を振って、息を吐く。
「なんでだろうなとは思うの。私の世界の食べ物は、食べやすく美味しく。そして作りやすく改良されてきたわ。そうね、この世界のトマトは酸っぱくて堅い。私の世界のトマトは甘くて柔らかい。美味しくするために、長い時間を改良されてきたトマトだから。でも……酸っぱくて堅いトマトが、口に合うの」
彼女の世界のトマトは、僕には想像することしか出来ない。この世界のトマトの味はわかるが。
「答えはないだろうね。君がこの世界の食べ物が口に合うなら、トマトの改良は退化の積み重ねかもしれない。ただ、トマトは一つの品種しか作ってないわけでは無いだろうし、トマトは君一人のために作られているわけでも無い」
先ほど、彼女は言っていた。時間の合わない機械式時計の方が珍重されると。僕には理解できない価値観だ。時計とは時刻を知るための道具だ。ならば正確な水晶式時計の方が道具本来の目的に即している。
「……いつかも言ったように、道具は人を成長させる物ではあっても、人を退化させる物では無いと思っている。どんな道具であれ、使うのは人だ。退化させる物を避けるのも自由だ」
しかし、それは時計に限った話だ。意味の無いことを求める。そんな価値観は重々承知している。
「それはやっぱり懐疑的かなあ。スマホはそんな甘っちょろい物じゃ無いわよ? こう言ってる私だって、なんだかんだ手放せないし。こうやってる時にも、ああ、ソシャゲのスタミナが溢れてしまうと思ったり。ほんと、時間の浪費なのに」
「時間の浪費。結構じゃないか」
僕は笑った。きっと幸福なことに、世の中には生きる上で必要の無い物が溢れている。香霖堂のほぼ全てはそれで作られている。
ラジカセから音楽が流れている。ラジオの電波に乗せて、音楽が流れている。音楽は、生きる上で必要なのだろうか? 必要なわけがない。
酒も、煙草も、珈琲も――あらゆる嗜好品は、生きる上で必要のないものだ。そして、嗜好品の無い人生など生きる必要のないものだ。
「時間を無駄にする余裕もない人生なんて、生きる意味があるとは思えないよ。少なくとも、世界がそこまで無駄を厭えば、こんな店はなくなってしまう」
「この店の経営がどうやって成り立っているか不思議で仕方ないわ。お客さんなんて見たこと無いもの」
この店の経営は関係の無い話だ。
「だから、やはり外の世界は進歩しているし、道具もまた、人を成長させているのだろう」
「最後にお客さんが来たのは何日前?」
「衣食足りて礼節を知る、と古来より言う。嗜好品を楽しめるのは、生活にゆとりがあるからだ。機械式時計を好んで身につけるなど、まさに余裕が有るからだろうね。生きる上で役に立つ便利な道具より、不便で古い道具を好むというのは、不便を受け入れられるだけの余裕を持っている証拠だ」
残念だが、この郷はまだゆとりが足りない。外の世界のように、古く役に立たない道具を受け入れるだけの余裕はない。聞けば、外の世界では童に「ゆとり教育」を施すらしい。余裕を持った心を育てる教育。素晴らしいことだ。
「君はこの郷のトマトが口に合うかもしれない。だけど、この郷の誰かは、堅く酸っぱいトマトが口に合わないかもしれない。君が普段食べている、甘く柔らかなトマトを好むかもしれない……ならば、外の世界は優れている。選択肢があるんだから。新しく優れた物を選ぶも、古く不便な物を選ぶのも、選択肢がある者の特権だ」
「この世界のみんなが時間に追われているとは思えないけれど……まあ、不便な物を選べるのは悪いことじゃ無いかもしれないわ。不便な物を選ぼうなんてのもデカダンで、結局はあんまりにも進歩してしまったから、そういう所でバランスを取りたいのかもしれないけれど。頭を下げて覗き込む小さな画面で吹き込まれたうんちくに洗脳されて」
お茶を飲み干し、首を振って、彼女は言った。
「なんかごちゃごちゃになった気分。私は何が言いたかったのかしら。まあ……デカダンなんて百年前の言葉は大昔に死語ね。それは確かよ。人類はずっと進歩を続けて、退化を望んでるのかしら。TwitterにLINE。既読スルーを気にすれば面倒だし、でも、通知が空っぽもなんだか寂しくて。誰かと近づくために進歩して、人間関係はふんわり退化して」
彼女は何かを続けようとしていたように見えた。口だけを動かし、しかしそれきりだった。口を閉ざして、不必要な物に満ち溢れた店内を回っていた。僕にとっては使うことも叶わない新しい道具。彼女には、たぶん不便で古めかしい道具を。
僕にとっては新しい道具を、彼女の価値観は古い道具と見る。その価値観は理解できる物では無い。その価値観を生んだ世界は、精々が片鱗に触れられる程度だ。
外来の本に目を通す。彼女の価値観を生んだ世界で記された書物を、読み進めていく。
――カランカラン。
「こんにちは」
鈴の音が鳴って、紅魔館のメイドが姿を見せた。僕も頭を上げて、「いらっしゃいませ」と声をかける。彼女は間違いなくお客だ。
「お嬢様が部屋の飾り付けをしたいそうでしてね……ああ、これは中々。赤くて、不安定そうなのもいい感じで。お嬢様の部屋に合いそうですわ」
三脚の付いた道具――バーチャルボーイを手にとって、即座に「くださいな」と言ってくれた。
「バーチャルボーイなんて置いてどうするんですか? いや、バーチャルボーイなんて言ってもわからないと思いますけれど」
菫子は半分呆れたように言っていた。
「どうもしませんよ。ただのオブジェです。でも、これがいかに素晴らしい品かでっち上げて、部屋に飾り付けるのも中々面白いものです。パチュリー様にそれらしいことを言わせられれば尚更。……ああ、これもいいですね。未来的で」
「MD……」
「これも愛らしいですね。どうやって部屋に飾り付けようかしら。数が結構あるからお嬢様の羽に付けて見たり……」
「何これ? たまごっち? ……ちょっと違うな。私も知らないですよ」
ぎゃおッPi。架空の世界で生き物を育てる道具だ。無より生き物を作り出す道具と言ってもいい。初めて用途を知ったときは戦慄したが、僕も学んだ。このように架空の世界を作り出す道具は、外の世界には有り触れているのだと。あのゲームボーイのように。
咲夜は、本当に道具の名も意味も知らないのだろうか。彼女も外来の民と聞く。菫子をからかって、遊んでいるのかもしれない。
いずれにしても、菫子は呆れ半分の顔を浮かべつつ、愉快そうに見えた。咲夜はいくつもの道具を買ってくれた。それでいいだろう。
「ああ、菫子さん。お暇なら家で食事でもどうでしょう? このところ、お嬢様が暇を持てあましているので。あなたなら珍しい話題には事欠きませんから、お嬢様も満足すると思いますわ」
僕は道具を包み紙で包んでいく。
「いいんですか? 最近いいもの食べてなかったから、食いだめしちゃいますよ」
「腕を振るいますよ。森近さんもどうですか?」
「僕ですか?」
「ええ。普段見ない人がいれば、それだけでお嬢様はご満悦ですから」
珍獣のようだな、と思い、内心で苦笑した。チュパカブラのように、珍獣を愛でる趣味とは聞く。僕もチュパカブラも、珍しさでは大差ないかもしれない。
「もう少し読み進めたい本があるので、今日は遠慮しておきますよ」
外出することに気が乗るときは希有だ。香霖堂以外で僕を見るのは、珍獣を見るようなものかもしれない。珍獣扱いが気に触ったわけでは無いが、今日も気は乗らなかった。外来の本を、もう少し読み進めたい。気になる点があった。
「そうですか。機会があれば是非。お嬢様はきっと喜びますから」
菫子を連れて、咲夜は香霖堂を後にした。
ラジカセが付けっぱなしだった。雑音塗れの音楽を消して、静かに本を読み進める。
紙巻き煙草を取り出して、火を付けた。百害があるかもしれないが、一利はある。美味だからだ。一利があれば、嗜好品には足りる。最近目にするようになった紙巻き煙草は水煙草ほど大げさでは無い。煙管と違って、時間をかけて楽しむことも出来る。
煙草を吸い、灰皿に置き、本を読み進め、再び煙草を吸う。
来客の姿は見えない。本を読み進めるには悪くない。孤独は時間を与えてくれる。
……少し、空腹を覚えた。気が付けば日も暮れている。夕食には鳥肉でも食べようか。目方を増やしたいわけでも無いが、そんな気分だった。
とはいえ買い出しに行くのも億劫だ。やはり常備してある物で済まそう。
また煙草に火を付ける。微かな甘みが美味い。煙を美味と感じるのは不思議なものだと思った。
――人恋しい気分なのだろうか。
不意に思った。紅魔館では豪勢な食事があり、賑やかな晩餐が行われているのだろう。賑やかな場は合わない。気疲れする。
わかってはいるが、少し、魅力を感じたのも確かなことだった。
外来の本を捲り、外の世界に思いを馳せる。外の世界を知る彼女がいれば、僕の問いになんと答えてくれるのだろう。
他人の価値観を理解することは出来ない。僕には関係の無い話だ。しかし、考える事は無駄ではないのかもしれない。価値観を生み出した世界を思うことは、意味のあることかもしれない。
――人との繋がりが自分の思考を広げ、成長させる。
ふと、初めて彼女と出会ったときに感じたことを思い出した。暫しの間孤独を満喫していた僕に、人と繋がる意味を教えてくれたのは外の世界の少女だった。
ラジカセのスイッチを付ける。誰かの送る電波に乗せて、誰かの奏でる音楽が流れている。他人の音が流れる世界は、静寂の世界よりも心地よかった。
ひどく、人恋しい気分だった。果たして、よいことなのだろうか。他人と関わることは僕の世界を広げてくれるかもしれない。しかし、一人、思索に耽る時間が無ければ、僕の世界に満たされる物もない。
……音楽は止まった。雑音に混じり、誰かの声が聞こえてきた。明日の天気を知らせてくれているらしい。雑音が酷く、天気を把握するのも難しい。しかし、それは心地よく思えた。そして、厄介だとも思えてしまった。
単に事実として述べるならば、僕は非力という目で見られることが多い。
――もっと肉を食えよ、肉を。肉を食ってでっかくならなきゃなめられるぜ。
魔理沙に言わせればそんな具合だ。僕の目方が魔理沙よりも重いことは言うまでも無い。それでも、魔理沙に言わせれば僕は非力な男に見えるようだ。自分よりも大きな男を見て非力だと思う理由は、魔理沙にしかわからない。
非力とは何か? それもまた、考えるだけ無駄だ。鬼と比べれば僕は力がないだろう。小人よりはあるだろう。
自分で承知していることは、仕事に必要十分なだけの膂力は持ち合わせていると言うことだ。決して軽くない電化製品を運ぶなどは日常だ。もっとも、物を運ぶのに重要なのは膂力では無い。肝要なのは持ち方だ。重心を把握し、負荷を分散することに比べれば、力など些末なことにすぎない。
「……それはそれは、ためになる知識を教えてくれてありがとうございます」
ラジカセを目の前に、菫子は言った。外来人である彼女は、時折香霖堂に訪れる。外の世界の品と共に。
「気にすることではないよ。別段、教えればなくなるものではないから」
講義というほど大げさでは無いが、重い物を持つコツを教えてあげたのだ。
「……で、私に運べというの?」
「ああ、倉庫まではすぐだ。さっき言ったように重心を掴めば、持ち上げるのも容易だ」
にもかかわらず、何故彼女は大きなため息をついて、僕を睨み付けるような表情なのだろう。それもまた、彼女にしかわからないことだ。
ラジカセのハンドルを持って、倉庫に向かっていく。僕の教えた効率的な持ち方は何一つ生かされていないが、それは彼女の都合だろう。
菫子がラジカセを倉庫に運ぶ間に、僕はラジカセと今月の売り上げを思った。買い主には買い主の仕事があり、売り主には売り主の仕事がある。
こんなものか、と値付けを済ます。彼女が戻ってくるには、値付けよりはだいぶん時間がかかった。
「……それにしても疲れたわ。10kgもあったのよ、10kgも」
彼女の表情は確かに、心底から疲れているようなものに見えた。持ち方を考える事はやはり重要だ。
「君には念力があるのだろう? わざわざ手を使って持ち上げずとも用は足りると思うが」
「両手で持つのが人間らしい生き方だと思わない?」
「手で持てない重さなら道具を使う。それが人間らしい知恵じゃ無いのかな」
「時計は機械式、本は紙の本、音楽を聴くならレコード。そういうのが、現代人の好む生き方なのよ、なんだって不便で面倒な方が高級に思われるわ……ラジカセはまあ、ゴミだけどね。いや、ゴミは失言か。とても人気があるのよ。いい値段を付けても罰はあたらないわ」
値付けは終わっている。もう帳簿も付けてしまった。
「はあ?」
酷く渋い顔をされたが、こればかりは致し方のないことだ。需要と供給の問題でしか無い。
「おかしいでしょう? 10kgもあったのよ、10kgも。こんなのじゃサイダー一本も買えやしないわ」
「うちは屑鉄屋じゃないよ。重さで値段を決めてるわけじゃ無い」
「この間はラジカセにいい値段を付けてくれたじゃない」
「あれは電池で動く……電池はこの間大量に仕入れることが出来てね。それにあのラジオはこの世界の電波を掴むことが出来る。だけどこのラジカセは電池では動かないし、この世界のラジオを掴むことが出来ない。この家には電気なんてない。そういうことさ。無理に売って欲しいとは言わないよ。持って帰るのも、君の自由だ」
「こんなのを持って帰れって。足下見ちゃって、まっくろくろすけね。ワタミもびっくりだわ」
不承不承を絵に描いたような表情を浮かべつつ、彼女はサインをした。僕は箱からお金を取り出して、帳簿を付けた。
「助手さんもよくこんなところで働くわね。今日はお休み?」
「ああ」
「すき家よりはましかしら」
すき家とはなんなのだろうか。僕にはわからない意味が含まれてはいる言葉なのだろう。
菫子は店内をぼんやりと物色していた。暫し、店内を回ると、腕時計の前で足を止めていた。
「あら凄い、アキュトロンね。しかも音叉が入ってる。音叉時計の実物なんて初めて見たわ」
感嘆したように声をあげる。音叉式時計を手に取りながら。
「ああ。だけど、それは入れる電池が無いんだ。もっとも、当世の外来人は腕時計なんて使わないんだろう? 君が言ってたじゃないか」
彼女は普段、時計を付けていない。さりとて、時間を気にしないわけでも無い。
「ええ、スマホがあれば事足りるもの」
自らの情報を無償提供する箱――スマートフォンには、あらゆる情報が詰まっている。時刻も、無論含まれている。
「それに、付けたとしても玻璃で動く、もっと正確な時計があるんだろう? そいつは電池がないと動かないくせに、精度も悪い」
僕の目の前にも時計がある。百円もしたという時計だ。樹脂で作られたそれは軽く、同時に、軽さ故の丈夫さを兼ね備えている。落としても、何一つ動きに問題は無かった。
百円とまではいかないが、中々の金額で買い取った品だ。日頃は何銭という単位で値付けをしている身とは言え、外の世界とは一円の価値が違うとは聞く。しかし、それでも百円の品。誠意を見せるには足りた。
これは驚異の精度を誇っている。玻璃、つまり水晶で動く時計だ。……もっとも、どこに玻璃が入っているのかはわからない。分解してみたが、どこにも見あたらなかった。僕の力が水晶で動く時計と伝えてくれるのだから、間違いはないのだが。
外来の品は売れ行きが思わしくないことが殆どだが、水晶式時計は飛ぶように売れる。今香霖堂に有る品も、非売品のこれ一つだ。
当然だろう。この世界で作られる機械式時計から見れば、その精度は比較にならない。一月に数十秒ずれるかどうかといった精度だ。一日に数十秒ずれる機械式時計と違い、ネジを巻く手間も無い。いつ電池がきれるかわからないことが難点だが、それを差し引いても垂涎の品と言っていい。
「精度が悪いからいいのよ。さっきも言ったでしょう? 時計は機械式、音楽はレコード。不便な物こそみんな欲しがるの。それこそが高級で高尚。本物で本格的ってね」
「そんなに気に入ったのなら、その時計と交換でもいいよ」
手に入れた当初は動いていたが、あいにく電池のあてが無い。もはやただのブレスレットだ。別段、手放しても惜しくは無い。
「本当に!? ブローバの時計よ?」
そんな企業の時計だとは承知している。僕の能力が教えてくれた。もっとも、彼女の驚きはわからない。ブローバの価値は、僕の能力でもわからない。何百円……ひょっとしたら千円、二千円とするのかもしれないが……動かせない時計も、動かせないラジカセも、大差は無い。どちらも、使い道は無い。
「……まあ、ブローバだからね。今度来るときに、何かを持ってきてくれるかな? この水晶式時計……とまでは言わないが」
しかし、ブローバなのだから、今少し交渉の余地はあるだろう。僕に意味は無くても、彼女にその名は意味があるのだから。
「そんなの一ダースだって買ってくるわ」
菫子は嬉しそうに笑っていた。何故か、僕が損をしてしまったような気分になった。……使えない時計よりも、新品の時計一ダースの方が遙かに正確で、売れ行きもいいのだが。
小さく、首を振る。どうも、あんまりにも強欲な気がしてしまった。互いに納得して、喜べる取引が出来たならそれに越した事は無い。霊夢のように常にツケは取引とは言わないので常に苦い顔を浮かべるが。
立ち上がり、お茶を淹れに向かう。湯を沸かし、棚からお茶を取り出す。棚の奧には特別な日に飲むためのお茶が入っている。棚の中間にはなかなかのお茶が入っている。僕が楽しむためのお茶だ。もしくは、お客様に振る舞うためのお茶だ。棚の前面にはそれなりの茶が入っている。霊夢や魔理沙が来たときに出すお茶だ。
僕は中間のお茶を取り出して、急須に注いだ。向こうからは、賑やかな音楽が聞こえてくる。菫子が、僕のラジカセをいじっていたらしい。
「ラジオは、あるのよね」
「ああ、放送が始まって、もう随分になる」
「それにしたって、酷いノイズ」
雑音に塗れた音楽を耳にしながら、急須を彼女の前に置いた。
「ラジオは不思議ねえ。……この世界の殆どは、本当に時が戻ったように思えるのに、ラジオはあって。不思議だと思わない? ここにいない人の声や音楽が届くって」
「君が不思議だと思うなら、僕にも不思議さ」
「私にとってのラジオはスマホのアプリで聞くものだけど……ここにもラジオがあるのは本当に不思議。でも、片道だからね。スマホで聞いてTwitterに感想を書かなきゃとはならない。そういう片道な感覚っていいな」
彼女はお茶を飲み、僕もお茶を飲む。悪くない淹れ方だった。自分で納得できる味だ。
「そのくらいの距離がいいのよねえ。独りぼっちは寂しいし、でも繋がっててもめんどくさいし。片思いが一番心地よい的な感じ? そうそう、この間小鈴ちゃんの家に行ったときに霊夢さんもいて、霊夢さんのハードルの高さと恋に恋する乙女っぷりがもの凄くて、それはもう片思いが心地よいの次元すら飛び越えていて――」
話は聞き流しつつ、お茶を堪能する。まあ、霊夢にも慕ってくれる人間が増えるのはよいことだろう。
「それにしても、お茶が美味しい。……お茶だけじゃ無くて、この世界の食べ物はみんな美味しいわ。森近さん。人間って進化してるのかしら? それとも、退化しているのかしら?」
「それは、問いかけなのかな?」
「それは……」
彼女と初めて出会った日。彼女は憤りを露わにしていた。スマートフォンがどれほど人の能力を低下させたのか、社会問題なのかと感情を露わに憤っていた。
「君の中では答えはあるんじゃないかな? 人間は、退化していると」
「……そこまでは言い切らないわ。昔はよかったって理屈は馬鹿馬鹿しいと思うし。メソポタミアの石版には『最近の若者は』って書いてあったってみたいに、キリが無い話だし。うん、でも、まあ」
菫子は小さく首を振って、息を吐く。
「なんでだろうなとは思うの。私の世界の食べ物は、食べやすく美味しく。そして作りやすく改良されてきたわ。そうね、この世界のトマトは酸っぱくて堅い。私の世界のトマトは甘くて柔らかい。美味しくするために、長い時間を改良されてきたトマトだから。でも……酸っぱくて堅いトマトが、口に合うの」
彼女の世界のトマトは、僕には想像することしか出来ない。この世界のトマトの味はわかるが。
「答えはないだろうね。君がこの世界の食べ物が口に合うなら、トマトの改良は退化の積み重ねかもしれない。ただ、トマトは一つの品種しか作ってないわけでは無いだろうし、トマトは君一人のために作られているわけでも無い」
先ほど、彼女は言っていた。時間の合わない機械式時計の方が珍重されると。僕には理解できない価値観だ。時計とは時刻を知るための道具だ。ならば正確な水晶式時計の方が道具本来の目的に即している。
「……いつかも言ったように、道具は人を成長させる物ではあっても、人を退化させる物では無いと思っている。どんな道具であれ、使うのは人だ。退化させる物を避けるのも自由だ」
しかし、それは時計に限った話だ。意味の無いことを求める。そんな価値観は重々承知している。
「それはやっぱり懐疑的かなあ。スマホはそんな甘っちょろい物じゃ無いわよ? こう言ってる私だって、なんだかんだ手放せないし。こうやってる時にも、ああ、ソシャゲのスタミナが溢れてしまうと思ったり。ほんと、時間の浪費なのに」
「時間の浪費。結構じゃないか」
僕は笑った。きっと幸福なことに、世の中には生きる上で必要の無い物が溢れている。香霖堂のほぼ全てはそれで作られている。
ラジカセから音楽が流れている。ラジオの電波に乗せて、音楽が流れている。音楽は、生きる上で必要なのだろうか? 必要なわけがない。
酒も、煙草も、珈琲も――あらゆる嗜好品は、生きる上で必要のないものだ。そして、嗜好品の無い人生など生きる必要のないものだ。
「時間を無駄にする余裕もない人生なんて、生きる意味があるとは思えないよ。少なくとも、世界がそこまで無駄を厭えば、こんな店はなくなってしまう」
「この店の経営がどうやって成り立っているか不思議で仕方ないわ。お客さんなんて見たこと無いもの」
この店の経営は関係の無い話だ。
「だから、やはり外の世界は進歩しているし、道具もまた、人を成長させているのだろう」
「最後にお客さんが来たのは何日前?」
「衣食足りて礼節を知る、と古来より言う。嗜好品を楽しめるのは、生活にゆとりがあるからだ。機械式時計を好んで身につけるなど、まさに余裕が有るからだろうね。生きる上で役に立つ便利な道具より、不便で古い道具を好むというのは、不便を受け入れられるだけの余裕を持っている証拠だ」
残念だが、この郷はまだゆとりが足りない。外の世界のように、古く役に立たない道具を受け入れるだけの余裕はない。聞けば、外の世界では童に「ゆとり教育」を施すらしい。余裕を持った心を育てる教育。素晴らしいことだ。
「君はこの郷のトマトが口に合うかもしれない。だけど、この郷の誰かは、堅く酸っぱいトマトが口に合わないかもしれない。君が普段食べている、甘く柔らかなトマトを好むかもしれない……ならば、外の世界は優れている。選択肢があるんだから。新しく優れた物を選ぶも、古く不便な物を選ぶのも、選択肢がある者の特権だ」
「この世界のみんなが時間に追われているとは思えないけれど……まあ、不便な物を選べるのは悪いことじゃ無いかもしれないわ。不便な物を選ぼうなんてのもデカダンで、結局はあんまりにも進歩してしまったから、そういう所でバランスを取りたいのかもしれないけれど。頭を下げて覗き込む小さな画面で吹き込まれたうんちくに洗脳されて」
お茶を飲み干し、首を振って、彼女は言った。
「なんかごちゃごちゃになった気分。私は何が言いたかったのかしら。まあ……デカダンなんて百年前の言葉は大昔に死語ね。それは確かよ。人類はずっと進歩を続けて、退化を望んでるのかしら。TwitterにLINE。既読スルーを気にすれば面倒だし、でも、通知が空っぽもなんだか寂しくて。誰かと近づくために進歩して、人間関係はふんわり退化して」
彼女は何かを続けようとしていたように見えた。口だけを動かし、しかしそれきりだった。口を閉ざして、不必要な物に満ち溢れた店内を回っていた。僕にとっては使うことも叶わない新しい道具。彼女には、たぶん不便で古めかしい道具を。
僕にとっては新しい道具を、彼女の価値観は古い道具と見る。その価値観は理解できる物では無い。その価値観を生んだ世界は、精々が片鱗に触れられる程度だ。
外来の本に目を通す。彼女の価値観を生んだ世界で記された書物を、読み進めていく。
――カランカラン。
「こんにちは」
鈴の音が鳴って、紅魔館のメイドが姿を見せた。僕も頭を上げて、「いらっしゃいませ」と声をかける。彼女は間違いなくお客だ。
「お嬢様が部屋の飾り付けをしたいそうでしてね……ああ、これは中々。赤くて、不安定そうなのもいい感じで。お嬢様の部屋に合いそうですわ」
三脚の付いた道具――バーチャルボーイを手にとって、即座に「くださいな」と言ってくれた。
「バーチャルボーイなんて置いてどうするんですか? いや、バーチャルボーイなんて言ってもわからないと思いますけれど」
菫子は半分呆れたように言っていた。
「どうもしませんよ。ただのオブジェです。でも、これがいかに素晴らしい品かでっち上げて、部屋に飾り付けるのも中々面白いものです。パチュリー様にそれらしいことを言わせられれば尚更。……ああ、これもいいですね。未来的で」
「MD……」
「これも愛らしいですね。どうやって部屋に飾り付けようかしら。数が結構あるからお嬢様の羽に付けて見たり……」
「何これ? たまごっち? ……ちょっと違うな。私も知らないですよ」
ぎゃおッPi。架空の世界で生き物を育てる道具だ。無より生き物を作り出す道具と言ってもいい。初めて用途を知ったときは戦慄したが、僕も学んだ。このように架空の世界を作り出す道具は、外の世界には有り触れているのだと。あのゲームボーイのように。
咲夜は、本当に道具の名も意味も知らないのだろうか。彼女も外来の民と聞く。菫子をからかって、遊んでいるのかもしれない。
いずれにしても、菫子は呆れ半分の顔を浮かべつつ、愉快そうに見えた。咲夜はいくつもの道具を買ってくれた。それでいいだろう。
「ああ、菫子さん。お暇なら家で食事でもどうでしょう? このところ、お嬢様が暇を持てあましているので。あなたなら珍しい話題には事欠きませんから、お嬢様も満足すると思いますわ」
僕は道具を包み紙で包んでいく。
「いいんですか? 最近いいもの食べてなかったから、食いだめしちゃいますよ」
「腕を振るいますよ。森近さんもどうですか?」
「僕ですか?」
「ええ。普段見ない人がいれば、それだけでお嬢様はご満悦ですから」
珍獣のようだな、と思い、内心で苦笑した。チュパカブラのように、珍獣を愛でる趣味とは聞く。僕もチュパカブラも、珍しさでは大差ないかもしれない。
「もう少し読み進めたい本があるので、今日は遠慮しておきますよ」
外出することに気が乗るときは希有だ。香霖堂以外で僕を見るのは、珍獣を見るようなものかもしれない。珍獣扱いが気に触ったわけでは無いが、今日も気は乗らなかった。外来の本を、もう少し読み進めたい。気になる点があった。
「そうですか。機会があれば是非。お嬢様はきっと喜びますから」
菫子を連れて、咲夜は香霖堂を後にした。
ラジカセが付けっぱなしだった。雑音塗れの音楽を消して、静かに本を読み進める。
紙巻き煙草を取り出して、火を付けた。百害があるかもしれないが、一利はある。美味だからだ。一利があれば、嗜好品には足りる。最近目にするようになった紙巻き煙草は水煙草ほど大げさでは無い。煙管と違って、時間をかけて楽しむことも出来る。
煙草を吸い、灰皿に置き、本を読み進め、再び煙草を吸う。
来客の姿は見えない。本を読み進めるには悪くない。孤独は時間を与えてくれる。
……少し、空腹を覚えた。気が付けば日も暮れている。夕食には鳥肉でも食べようか。目方を増やしたいわけでも無いが、そんな気分だった。
とはいえ買い出しに行くのも億劫だ。やはり常備してある物で済まそう。
また煙草に火を付ける。微かな甘みが美味い。煙を美味と感じるのは不思議なものだと思った。
――人恋しい気分なのだろうか。
不意に思った。紅魔館では豪勢な食事があり、賑やかな晩餐が行われているのだろう。賑やかな場は合わない。気疲れする。
わかってはいるが、少し、魅力を感じたのも確かなことだった。
外来の本を捲り、外の世界に思いを馳せる。外の世界を知る彼女がいれば、僕の問いになんと答えてくれるのだろう。
他人の価値観を理解することは出来ない。僕には関係の無い話だ。しかし、考える事は無駄ではないのかもしれない。価値観を生み出した世界を思うことは、意味のあることかもしれない。
――人との繋がりが自分の思考を広げ、成長させる。
ふと、初めて彼女と出会ったときに感じたことを思い出した。暫しの間孤独を満喫していた僕に、人と繋がる意味を教えてくれたのは外の世界の少女だった。
ラジカセのスイッチを付ける。誰かの送る電波に乗せて、誰かの奏でる音楽が流れている。他人の音が流れる世界は、静寂の世界よりも心地よかった。
ひどく、人恋しい気分だった。果たして、よいことなのだろうか。他人と関わることは僕の世界を広げてくれるかもしれない。しかし、一人、思索に耽る時間が無ければ、僕の世界に満たされる物もない。
……音楽は止まった。雑音に混じり、誰かの声が聞こえてきた。明日の天気を知らせてくれているらしい。雑音が酷く、天気を把握するのも難しい。しかし、それは心地よく思えた。そして、厄介だとも思えてしまった。
香霖堂の空気が肌で感じられる素晴らしい作品でした!原作読みたくなりました。来春よはよ来い。
少し埃っぽい店内に外の空気が入ってきた感じが良かったです