思えば、久しぶに開かれた宴会のような気もする。
私はいつもどおり幹事を務め、人や人ならざる者達を幻想郷中からかき集めた。そしていつものごとく会場は博麗神社に決まり、そこに私の集めた者、集めてない者達も一緒の宴会が始まった。
集める理由は適当でいい。今回もそうだ、酒を呑もうと皆を呼んだだけ。集まる理由も、適当でいい。時間など有り余っている奴らしか、この幻想郷にはいない。皆もまた、私と同じく酒と宴が大好きなのだ。久しぶりの宴会は集まっているもの全員が嬉しそうに、楽しそうに盛り上がっている。
だがそんな中、ここにいる皆を集めた幹事であるはずの私は輪から外れ、境内の裏で一人酒を飲んでいた。一体どうしたことだろうか。今夜の酒は、いつものように美味しく感じられない。いや、本当は分かっていた、どうして酒が不味いのか。あぁそうだ、今の私には、酒を楽しむ余裕なんて無い。
「……不味いな。」
思わず、八つ当たりに似た独り言が出てしまう。何かに当たり散らしでもしないと自分が保てない。
「みっともないぜ、宴会の幹事がこんなじゃあな。」
また、独り言。あいつらは幹事の不在など関係なく盛り上がるから本心では何も気にしてなどいない。ただ、言ってみただけ。誰かに言っているというわけでもない、本当に意味など無く一人で喋っているだけ。
無性に、物悲しい。いや、物恋しいのだろうか。どうにもわからない。なぜだろう、秋だからだろうか。特に意味もなく感傷に浸ってしまう。浸れば浸るほど、そんな自分が悲しく感じてしまう。完全に、負の連鎖だ。
「やれやれ、駄目だな……」
自分自身に宣言する。もう、駄目だと。もう少ししたらこっそりと先に帰らせてもらうとしよう、どうせ誰も気がついてなんか居ない。日も暮れて気温も下がってきた。酔いが完全に覚めれば、少し寒くなるだろう。
「あらあら、幹事が輪から外れて一人飲みですか?随分と寂しい話ですわね。」
「あぁ、今日はなんとなくそんな気分だったんでね。それに、幹事がどうとか誰も気にしちゃいないだろ?」
目の前の空間に亀裂が入り、音もなく人が出てきた。いや、正確には人ではないか。
紫か、珍しいこともあったものだ。こいつから私に話しかけてくることなんて滅多にない。言ってしまえば、お互いにお互いがどうでもいいと思っている程度の存在だと私の方は思っていたんだが。友の友なぞ、他人と同義だ。
「隣、よろしいですか?」
「よろしくないぜ。ここは満席だ。」
「あらら、つれないですわね。」
そういってこいつは私の隣に座った。ここではみな、こういうものなのだ。最初から言葉のやり取りに大きな意味など無く、それは意思の疎通と言うよりは、意思の表示といった方が正しい。そういうものだとわかっているのに、今日はそれすらも気に触ってしまう。
「やれやれ、歳を食って耄碌しちまったのかい?ご覧の通り、私は一人で飲みたいんだよ。絡むなら誰か他のやつにしてくれ。」
「嫌ですわ。私は貴方とお酒が飲みたいの。」
「……そうかい、じゃあ好きにしな。」
「えぇ、そうさせて頂きますわ。」
年寄りは頑固ですのよ、と。何がおかしいのか微笑みながらそんなことを言う。そんなふうに冷静に返されると、どうにも先程の自分が駄々をこねている子供のように思えて恥ずかしくなってしまう。
「あぁ、畜生。訂正するぜ、今のは忘れてくれ。……さすがに大人気なかったぜ。」
「あらあら、可愛気ならありましたわよ。それこそ歳相応の、ね。」
そう言って再び微笑む。やっぱり、こいつはどうにも苦手だ。会話をしていて、見透かされたような気になってしまう。別に気負うことなんてないし、そんなこと関係無いはずなのに落ち着かない。こんな気分の日では、それは尚更だ。
「一体全体、おまえさんが私なんかに何の用だ?」
「あら、用がなければ一緒にお酒を飲んでくれないのかしら?酷いわねぇ。」
よよよ、と泣き崩れたふりをする。面倒だ、面倒だが相手にしないと、もっと面倒くさいことになるのだろう。深い付き合いではないが長い付き合いだ、それぐらいは分かる。
「別にそんな事言ってないぜ。ただ、一緒に飲みたいってぐらいだから何かあるんだろう?それとも、本当にただの気まぐれなのか?」
「ありますけれど、野暮用ですわ。それこそ、酒の肴にもなりません。……だからそうねぇ、貴方のお話を聞かせて頂戴な。」
「意味がわからん、なんでそうなるんだ。さっきも言ったが私は一人で飲みたいんだ。お前に話すことなんて無いぜ。」
「別に、単なる私の我儘ですわ。それとも、年寄りのお願いも聞いてくれない程、霧雨魔理沙は狭量だというのかしら?」
こいつは参った、訳の分からん奴だとは思っていたが、まさかここまでとはな。こいつと私に共通の話題なんて無いし、何よりこんな気分じゃ人と話す気もあまり起きないというのに、本当に参ったものだ。
「本当にどんなお話でも構いませんのよ。私は、貴方とお話しながらお酒が飲みたいだけですので。」
「そう言われてもな……魔法のあれこれについてなんてお前に話すことでもないし、最近特に何かしたわけでもない。すまんが本当に何もないんだぜ。」
「うふふ……嘘が下手なのですね。」
また見透かしたような目で笑う。何が面白いのか、何が嬉しいのか、むかつく程に整った顔立ちに静かな微笑みを携えて、こいつは笑って私を見る。
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味ですわ。貴方は話すことがないんじゃなくて、誰とも話したくないだけ。」
「一緒だろ。話したく無いんだから、話すことなんて無いんだぜ。」
「いいえ、それは似てるようで、まったく違うの。お話しましょうよ魔理沙。なんでもいいのですよ、なんでも。たとえば……貴方、今何か悩んでいることがあるのでしょう?」
なんなんだこいつは。本当に人の心の中身でも見えてるんじゃないのか?
「別にそこまで驚かれるようなことではありませんわ。貴方のような人が輪から外れて、一人辛気くさい顔でお酒を飲んでいるのを見れば、誰だってそれぐらい察しがつくというものです。」
「あー……辛気くさい顔してたか?わるいな、折角の宴会だってのに。」
「ご心配なく、それこそ誰も気がついてなどいませんので。なんとも寂しい話ですわねぇ。」
そうか、顔にまで出ていたか。まぁ、当然といえば当然かもしれないが。今、私には悩みがある。こういうのもなんだが、我ながら馬鹿馬鹿しいことで悩んでいるとも思う。だからこそ、誰かに相談するわけでもなく一人でずっと考えていた。
「話して頂けませんか?悩み事を話す相手なら、私ぐらいの立ち位置が一番丁度いいと思いますの。」
「聞いて楽しいことでもなければ、話して嬉しいことでもない。愚痴ってのはそういうもんだぜ?」
「話せば楽になります。話す方は聞く方のことなんて考えない。それで充分、愚痴とはそういうものですわ。」
誰かに話すようなことでもないし、話したいことでもない。ましてやそれが、こいつ相手だというならそれは尚更というものだ。別に問題があるわけじゃないが、今日の私は、誰かと喋りたいという気分じゃないんだ。
「気恥ずかしいんだよ、言わせるな。それに、幾分かましになったとはいえ今は、あまり良い気分じゃないんだぜ。」
「気恥ずかしい?あらあら、もしかして恋のお悩みですこと?そうであるならば年長者としていくらでも相談に――」
「馬鹿も休み休み言えよ。私は何の魔法使いだ?」
「普通の変な魔法使いだったかしら。」
「普通の変なってなんだよ、普通なのか変なのか……っあぁ、もうっ。んなこたぁどうでもいいぜ!」
こいつは意外に頑固だ。こうなってしまったら、いくらはぐらかしても素直に話さない限りずっと追求してくるだろう。仕方がない、この際だから誰かに相談してみるというのもいいかもしれない。一人で悩むよりっていうのは考えていたことだしな。
もっとも、他人に話したあとに、馬鹿なことを言ったなと自己嫌悪に浸らないかの方が心配だが。
「しょうがないな……明日になったら忘れろよ?そんで誰にも言うんじゃないぜ。」
「約束しますわ。明日には忘れますし、それまで他の誰にもこの事は喋りません。」
意味があるかどうかも分からない口約束。それでも何も約束しないよりは、気分的に幾分かましだ。気持ちに保険をかけて安心した私は、息を大きく吸い込み、悩みとともに一気に紫に吐き出す。
「なぁ、紫。 教えてくれ。
お前にとって、生きるって、一体どういうことなんだ?」
くだらないことだよな、自分でも思わず笑ってしまう。私も思春期ってやつなんだろうな、改めて口に出してみれば自分でも、一体こいつは何を言っているんだ、となる。そんなことはわかっている、わかっているんだ。けれど私は、こんなくだらない悩みに囚われてしまった。
飯を食っても、魔法の研究をしても、誰かと弾幕ごっこをしても、酒を飲んでも、風呂に入っても、ベッドで寝ても、何をしていても、ふとした瞬間に考えてしまう。これが、こんなのが、生きているってことで、本当にいいのか?って。
そう思ってしまったら、もう駄目なんだ。上手に出来た夕飯も、大成功を収めた魔法の研究も、劇的な勝利も、とっておきの酒も、熱々の風呂も、ふかふかのベッドも、なにもかもが全部色あせてしまう。
今回の宴会もそうだ。私は心の何処かで期待していた、一人じゃなく皆で集まって酒を飲んで朝まで騒げば、この心の底に溜まったヘドロも綺麗に消えてなくなるのではないかと。
けれど駄目だった、何も変わりはしなかった。こんなにも色鮮やかな景色なのに、どうしようもなく、世界は灰色のままなんだ。
「笑ってくれてもいいんだぜ。実際そうだ、こんなくだらないこと。悩みなんて言うのもおこがましい。思春期によくある、青臭いなんの意味もない考え事だ。」
「けれど貴方は真剣に悩んでいる。真剣に悩むことなんかじゃないと笑い飛ばそうとしても、それは貴方にいつまでもまとわり付いて貴方を苦しめている。」
ならば私は、そんな貴方を笑うことなんてしませんわ。そう言ってこいつは、静かに私を見つめ続ける。何も言わず、只々静かに。ただでさえこいつは苦手なのに、今の私にこんな雰囲気が耐えられるわけない。
目をそらし、何かを誤魔化す様に酒をあおる。カラカラに乾いた喉を、少し甘味のある液体がゆっくりと通って行く、さっきまで気がつけなかったが、中々好きになれそうな味だ。けれどやはり、この空気はどうにも良くない。
そんな私の心情を察したのかはわからないが、紫は手に持った盃を床に置くと、語りかけるような声音でゆっくりと喋り始めた。
「結論から言いましょう。貴方の質問に対して、私の回答は今の貴方を救えるものではありません。何故か?簡単です、私は八雲紫で、貴方は霧雨魔理沙。その二人の間にどれだけの違いがあるかなど、私が何か説明しなくても貴方なら十分に解る筈ですわ。私達は存在として決定的に違う、だから私にとって生きるという事がどういうことなのか、説明しても貴方には理解できない。」
「それでも――」
「えぇ、それでも、いや、だからこそ、私は貴方の質問に答えましょう。私にとって生きるとは、どういうことなのか。」
そんな大層な話ではありませんがと紫は言う。先程よりも随分と空気が柔らかくなった。いや、実際は何も変わっていなくて、そう感じる私の心が少し軽くなったのかもしれない。なんにせよ、紫の話はとても興味深い。
「長い……いえ、永い時間を過ごしてきました。世界はまだ幼く、幻想が幻想ではなく、この星にあらゆる生命と神秘が共存する時代。ヒトという種がこの星の霊長に至るより遥か昔、私はこの星に生を受けました。
時には大いなる自然とともに、時にはまだ未熟なヒトに叡智を授ける偉大な者として、私は永い時をこの星で過ごしてきました。」
どうにも、途方も無い話だ。私が生まれてから今の歳になるまでの何倍の時間を、紫は過ごしてきたのだろうか。それはきっと、私の知識をもって想像できる太古の時代より、更に古い時代なのだろう。
「ヒトが成熟し、文明というものを持ち始めた頃から、ヒトという種はより高みへ上ろうとしました。言葉を創り、道具を造り、何かを成し遂げようと日々を生きる。
それを見ていた私は思いました。ヒトという種は、自分が思う”何か”の高みを目指す種なのだと。まるで瞬きの様な一瞬の命の中で、生きる為だけではなく生きた後の為に事を成すのだと。」
まるで熱に浮かされたように、まるで幼子が将来の夢を語る時のように、紫は話を続ける。
「そう気がついた時に私は、こうとも思いました。
嗚呼、なんて素敵なことなのでしょう。なんて愛おしいことなのでしょう。なんて、羨ましいことなのでしょう、と。
私も戯れでヒトに知恵を分け与えた時もありました、でも違う。そうじゃない、もっと明確に、私の意志をもって、何かを成し、何かを残したい。私は強く考えるようになりました。」
私は、黙って紫の話を聞き続ける。なんと言えばいいのかも分からない、言葉も無いとは正にこのことだ。只々、話の規模が大きすぎて、私は圧巻されるばかり。
手に持った酒を口に含み、息を整え落ち着いた紫は、今の熱弁を思い出して少し気恥ずかしいのか、少し赤くなった顔に照れた様な笑みを浮かべながら話を続けた。
「そしてヒトという種が文明を昇華させ、幻想を幻想とし、世界を担うようになった頃。私はヒト在らざる者の在り方についても、考える様になりました。いずれヒトは、今は自分より強い他の種族を、進歩の果てに滅ぼすであろうことは明確だったからです。
それを私は悪いことは思いませんでした。ですが、滅ぶ側の者としては堪ったものではありません。だから私は、この郷を作ることにしました。
……ごめんなさい、随分と前置きが長くなってしまいましたね。結論を言いましょう、私はね魔理沙、私にとって生きるということは、何かを成すことだと思うの。
とてもありきたりな結論だと自分でも思うわ。でもね、永い時を過ごし、ふっと今までの過去を振り返った時に、自分が何をして来たかを省みて思うの。嗚呼、私はこうやって生きてきたんだ、って。
この郷のことだって、全部自己満足かもしれないわ。この郷に不満がある者や、私自身に不満がある者だって沢山いるでしょう。
馬鹿なことだって沢山したわ。自分が成してきたことの成果を知りたくて、皆を巻き込んで、遥か昔にこの星を立った、月に御座す高貴な方々に喧嘩も売ったこともあった。どちらも愛するあまりどちらも幸せにできず、地上と地底で世界を区切ったこともあった。語り始めればキリがない程、とても様々なことがあったわ。でもね、あれもこれもそれもどれも、全部、全部、全部。私が生きてきたということなんだわ。」
話している内に感極まって来たのだろう。紫は静かに目を瞑り、そっと上を向きながら目尻に薄っすらと浮かんだ涙を拭った。
「ふふ……ごめんなさいね、歳を取ると涙脆くなってしまうというのは本当ですのよ。」
「いや……その……なんというか……。悪いな、どうにも、ことが大きすぎて私の頭じゃ話が理解できないぜ。」
私は、今の話の感想を正直に話すことしか出来なかった。とても、とても大事なことを教えてもらったということは漠然と理解できるのだが、それだけだ。
「いいえ、魔理沙。大切なのは、今ここで私の言ったことを理解することではありません。貴方が、私の話したことの中身を、ほんの一握りでもいいから覚えていてくれればそれでいいのです。
先ほどあなたに言ったとおり、私の答えで、貴方の悩みが綺麗サッパリ吹き飛ぶとは私も思っていません。けれどヒトというのは必ず、他者と意志を交えた時には、お互いに何らかしらの影響を与えます。
貴方の悩みは、貴方自身が答えを見つけるしか無い。けれど、貴方一人で答えを探す必要はどこにも無いの。魔理沙、貴方の周りには沢山の人妖が居るわ。それは、貴方自身が紡いで来た縁、それをどうか蔑ろにしないで頂戴な。」
少し離れたところに目をやれば、酒を酌み交わし楽しそうに話す皆が居る。今までに私と霊夢が解決してきた異変に携わった者達が、一堂に会して宴をしている。紫の言う”生きて”いると言うことを私に当て嵌めるならば、この光景は、私が確かに”生きて”きたという証なのだろうか。でも――
「……ははっ。なんだ。小難しいお小言を頂いたって、結局答えなんか分かりゃしないじゃないか。」
「ふふふ、ならば思う存分話して周りなさいな。ここは貴方が紡いだ縁の宴、何も気にすることなんてありません。納得のいく答えが見つかるまで意見を交わしてくればよいのです。」
「あぁ、そうさせてもらうぜ。考えてもみたら、死人にすら生きているということは何だと聞けるんだ、私は随分と恵まれてる。だったら思う存分私の答えを探させてもらうとするぜ。悪かったな、こんな小娘の悩み相談に付きあわせちまって。聡明な賢者であらせられる紫サマには、とてもじゃないが青臭くて付き合いきれたもんじゃなかっただろう?」
「いえいえ、お気遣いなく。道に迷ってしまった少女の手を繋いで、ほんの少しの時間一緒に歩く。その少女がまた、自分の道を歩けるように。これもまた、私の思う生きるということを実行しただけですわ。」
それでは、良い宴を。そう言い残し、紫は隙間に入っていってしまった。恐らくは自分の家に帰ったか、そうでないなら何事もなかったかのように輪に交わり宴を楽しんでいるだろう。
随分と、気が楽になった。まだ答えが見つかったわけではないが、私の心には少なくとも、酒と食事を会話とともに楽しむ余裕は十分にできた。それで充分だ、心の底にあったヘドロのような淀みは、もう殆ど無くなっている。
もしかしたら、結局答えが見つからないままかも知れない。でも今の私は、それでも笑っていられるような気がする。だって当然だ、人間、泣いたり笑ったり出来るのは生きている間だけなんだからな。
「さて、誰から聞こうかな。差し当たっては、幽々子や輝夜辺りが面白そうだ。」
私は笑いながら、宴の輪の中に戻っていった。
私はいつもどおり幹事を務め、人や人ならざる者達を幻想郷中からかき集めた。そしていつものごとく会場は博麗神社に決まり、そこに私の集めた者、集めてない者達も一緒の宴会が始まった。
集める理由は適当でいい。今回もそうだ、酒を呑もうと皆を呼んだだけ。集まる理由も、適当でいい。時間など有り余っている奴らしか、この幻想郷にはいない。皆もまた、私と同じく酒と宴が大好きなのだ。久しぶりの宴会は集まっているもの全員が嬉しそうに、楽しそうに盛り上がっている。
だがそんな中、ここにいる皆を集めた幹事であるはずの私は輪から外れ、境内の裏で一人酒を飲んでいた。一体どうしたことだろうか。今夜の酒は、いつものように美味しく感じられない。いや、本当は分かっていた、どうして酒が不味いのか。あぁそうだ、今の私には、酒を楽しむ余裕なんて無い。
「……不味いな。」
思わず、八つ当たりに似た独り言が出てしまう。何かに当たり散らしでもしないと自分が保てない。
「みっともないぜ、宴会の幹事がこんなじゃあな。」
また、独り言。あいつらは幹事の不在など関係なく盛り上がるから本心では何も気にしてなどいない。ただ、言ってみただけ。誰かに言っているというわけでもない、本当に意味など無く一人で喋っているだけ。
無性に、物悲しい。いや、物恋しいのだろうか。どうにもわからない。なぜだろう、秋だからだろうか。特に意味もなく感傷に浸ってしまう。浸れば浸るほど、そんな自分が悲しく感じてしまう。完全に、負の連鎖だ。
「やれやれ、駄目だな……」
自分自身に宣言する。もう、駄目だと。もう少ししたらこっそりと先に帰らせてもらうとしよう、どうせ誰も気がついてなんか居ない。日も暮れて気温も下がってきた。酔いが完全に覚めれば、少し寒くなるだろう。
「あらあら、幹事が輪から外れて一人飲みですか?随分と寂しい話ですわね。」
「あぁ、今日はなんとなくそんな気分だったんでね。それに、幹事がどうとか誰も気にしちゃいないだろ?」
目の前の空間に亀裂が入り、音もなく人が出てきた。いや、正確には人ではないか。
紫か、珍しいこともあったものだ。こいつから私に話しかけてくることなんて滅多にない。言ってしまえば、お互いにお互いがどうでもいいと思っている程度の存在だと私の方は思っていたんだが。友の友なぞ、他人と同義だ。
「隣、よろしいですか?」
「よろしくないぜ。ここは満席だ。」
「あらら、つれないですわね。」
そういってこいつは私の隣に座った。ここではみな、こういうものなのだ。最初から言葉のやり取りに大きな意味など無く、それは意思の疎通と言うよりは、意思の表示といった方が正しい。そういうものだとわかっているのに、今日はそれすらも気に触ってしまう。
「やれやれ、歳を食って耄碌しちまったのかい?ご覧の通り、私は一人で飲みたいんだよ。絡むなら誰か他のやつにしてくれ。」
「嫌ですわ。私は貴方とお酒が飲みたいの。」
「……そうかい、じゃあ好きにしな。」
「えぇ、そうさせて頂きますわ。」
年寄りは頑固ですのよ、と。何がおかしいのか微笑みながらそんなことを言う。そんなふうに冷静に返されると、どうにも先程の自分が駄々をこねている子供のように思えて恥ずかしくなってしまう。
「あぁ、畜生。訂正するぜ、今のは忘れてくれ。……さすがに大人気なかったぜ。」
「あらあら、可愛気ならありましたわよ。それこそ歳相応の、ね。」
そう言って再び微笑む。やっぱり、こいつはどうにも苦手だ。会話をしていて、見透かされたような気になってしまう。別に気負うことなんてないし、そんなこと関係無いはずなのに落ち着かない。こんな気分の日では、それは尚更だ。
「一体全体、おまえさんが私なんかに何の用だ?」
「あら、用がなければ一緒にお酒を飲んでくれないのかしら?酷いわねぇ。」
よよよ、と泣き崩れたふりをする。面倒だ、面倒だが相手にしないと、もっと面倒くさいことになるのだろう。深い付き合いではないが長い付き合いだ、それぐらいは分かる。
「別にそんな事言ってないぜ。ただ、一緒に飲みたいってぐらいだから何かあるんだろう?それとも、本当にただの気まぐれなのか?」
「ありますけれど、野暮用ですわ。それこそ、酒の肴にもなりません。……だからそうねぇ、貴方のお話を聞かせて頂戴な。」
「意味がわからん、なんでそうなるんだ。さっきも言ったが私は一人で飲みたいんだ。お前に話すことなんて無いぜ。」
「別に、単なる私の我儘ですわ。それとも、年寄りのお願いも聞いてくれない程、霧雨魔理沙は狭量だというのかしら?」
こいつは参った、訳の分からん奴だとは思っていたが、まさかここまでとはな。こいつと私に共通の話題なんて無いし、何よりこんな気分じゃ人と話す気もあまり起きないというのに、本当に参ったものだ。
「本当にどんなお話でも構いませんのよ。私は、貴方とお話しながらお酒が飲みたいだけですので。」
「そう言われてもな……魔法のあれこれについてなんてお前に話すことでもないし、最近特に何かしたわけでもない。すまんが本当に何もないんだぜ。」
「うふふ……嘘が下手なのですね。」
また見透かしたような目で笑う。何が面白いのか、何が嬉しいのか、むかつく程に整った顔立ちに静かな微笑みを携えて、こいつは笑って私を見る。
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味ですわ。貴方は話すことがないんじゃなくて、誰とも話したくないだけ。」
「一緒だろ。話したく無いんだから、話すことなんて無いんだぜ。」
「いいえ、それは似てるようで、まったく違うの。お話しましょうよ魔理沙。なんでもいいのですよ、なんでも。たとえば……貴方、今何か悩んでいることがあるのでしょう?」
なんなんだこいつは。本当に人の心の中身でも見えてるんじゃないのか?
「別にそこまで驚かれるようなことではありませんわ。貴方のような人が輪から外れて、一人辛気くさい顔でお酒を飲んでいるのを見れば、誰だってそれぐらい察しがつくというものです。」
「あー……辛気くさい顔してたか?わるいな、折角の宴会だってのに。」
「ご心配なく、それこそ誰も気がついてなどいませんので。なんとも寂しい話ですわねぇ。」
そうか、顔にまで出ていたか。まぁ、当然といえば当然かもしれないが。今、私には悩みがある。こういうのもなんだが、我ながら馬鹿馬鹿しいことで悩んでいるとも思う。だからこそ、誰かに相談するわけでもなく一人でずっと考えていた。
「話して頂けませんか?悩み事を話す相手なら、私ぐらいの立ち位置が一番丁度いいと思いますの。」
「聞いて楽しいことでもなければ、話して嬉しいことでもない。愚痴ってのはそういうもんだぜ?」
「話せば楽になります。話す方は聞く方のことなんて考えない。それで充分、愚痴とはそういうものですわ。」
誰かに話すようなことでもないし、話したいことでもない。ましてやそれが、こいつ相手だというならそれは尚更というものだ。別に問題があるわけじゃないが、今日の私は、誰かと喋りたいという気分じゃないんだ。
「気恥ずかしいんだよ、言わせるな。それに、幾分かましになったとはいえ今は、あまり良い気分じゃないんだぜ。」
「気恥ずかしい?あらあら、もしかして恋のお悩みですこと?そうであるならば年長者としていくらでも相談に――」
「馬鹿も休み休み言えよ。私は何の魔法使いだ?」
「普通の変な魔法使いだったかしら。」
「普通の変なってなんだよ、普通なのか変なのか……っあぁ、もうっ。んなこたぁどうでもいいぜ!」
こいつは意外に頑固だ。こうなってしまったら、いくらはぐらかしても素直に話さない限りずっと追求してくるだろう。仕方がない、この際だから誰かに相談してみるというのもいいかもしれない。一人で悩むよりっていうのは考えていたことだしな。
もっとも、他人に話したあとに、馬鹿なことを言ったなと自己嫌悪に浸らないかの方が心配だが。
「しょうがないな……明日になったら忘れろよ?そんで誰にも言うんじゃないぜ。」
「約束しますわ。明日には忘れますし、それまで他の誰にもこの事は喋りません。」
意味があるかどうかも分からない口約束。それでも何も約束しないよりは、気分的に幾分かましだ。気持ちに保険をかけて安心した私は、息を大きく吸い込み、悩みとともに一気に紫に吐き出す。
「なぁ、紫。 教えてくれ。
お前にとって、生きるって、一体どういうことなんだ?」
くだらないことだよな、自分でも思わず笑ってしまう。私も思春期ってやつなんだろうな、改めて口に出してみれば自分でも、一体こいつは何を言っているんだ、となる。そんなことはわかっている、わかっているんだ。けれど私は、こんなくだらない悩みに囚われてしまった。
飯を食っても、魔法の研究をしても、誰かと弾幕ごっこをしても、酒を飲んでも、風呂に入っても、ベッドで寝ても、何をしていても、ふとした瞬間に考えてしまう。これが、こんなのが、生きているってことで、本当にいいのか?って。
そう思ってしまったら、もう駄目なんだ。上手に出来た夕飯も、大成功を収めた魔法の研究も、劇的な勝利も、とっておきの酒も、熱々の風呂も、ふかふかのベッドも、なにもかもが全部色あせてしまう。
今回の宴会もそうだ。私は心の何処かで期待していた、一人じゃなく皆で集まって酒を飲んで朝まで騒げば、この心の底に溜まったヘドロも綺麗に消えてなくなるのではないかと。
けれど駄目だった、何も変わりはしなかった。こんなにも色鮮やかな景色なのに、どうしようもなく、世界は灰色のままなんだ。
「笑ってくれてもいいんだぜ。実際そうだ、こんなくだらないこと。悩みなんて言うのもおこがましい。思春期によくある、青臭いなんの意味もない考え事だ。」
「けれど貴方は真剣に悩んでいる。真剣に悩むことなんかじゃないと笑い飛ばそうとしても、それは貴方にいつまでもまとわり付いて貴方を苦しめている。」
ならば私は、そんな貴方を笑うことなんてしませんわ。そう言ってこいつは、静かに私を見つめ続ける。何も言わず、只々静かに。ただでさえこいつは苦手なのに、今の私にこんな雰囲気が耐えられるわけない。
目をそらし、何かを誤魔化す様に酒をあおる。カラカラに乾いた喉を、少し甘味のある液体がゆっくりと通って行く、さっきまで気がつけなかったが、中々好きになれそうな味だ。けれどやはり、この空気はどうにも良くない。
そんな私の心情を察したのかはわからないが、紫は手に持った盃を床に置くと、語りかけるような声音でゆっくりと喋り始めた。
「結論から言いましょう。貴方の質問に対して、私の回答は今の貴方を救えるものではありません。何故か?簡単です、私は八雲紫で、貴方は霧雨魔理沙。その二人の間にどれだけの違いがあるかなど、私が何か説明しなくても貴方なら十分に解る筈ですわ。私達は存在として決定的に違う、だから私にとって生きるという事がどういうことなのか、説明しても貴方には理解できない。」
「それでも――」
「えぇ、それでも、いや、だからこそ、私は貴方の質問に答えましょう。私にとって生きるとは、どういうことなのか。」
そんな大層な話ではありませんがと紫は言う。先程よりも随分と空気が柔らかくなった。いや、実際は何も変わっていなくて、そう感じる私の心が少し軽くなったのかもしれない。なんにせよ、紫の話はとても興味深い。
「長い……いえ、永い時間を過ごしてきました。世界はまだ幼く、幻想が幻想ではなく、この星にあらゆる生命と神秘が共存する時代。ヒトという種がこの星の霊長に至るより遥か昔、私はこの星に生を受けました。
時には大いなる自然とともに、時にはまだ未熟なヒトに叡智を授ける偉大な者として、私は永い時をこの星で過ごしてきました。」
どうにも、途方も無い話だ。私が生まれてから今の歳になるまでの何倍の時間を、紫は過ごしてきたのだろうか。それはきっと、私の知識をもって想像できる太古の時代より、更に古い時代なのだろう。
「ヒトが成熟し、文明というものを持ち始めた頃から、ヒトという種はより高みへ上ろうとしました。言葉を創り、道具を造り、何かを成し遂げようと日々を生きる。
それを見ていた私は思いました。ヒトという種は、自分が思う”何か”の高みを目指す種なのだと。まるで瞬きの様な一瞬の命の中で、生きる為だけではなく生きた後の為に事を成すのだと。」
まるで熱に浮かされたように、まるで幼子が将来の夢を語る時のように、紫は話を続ける。
「そう気がついた時に私は、こうとも思いました。
嗚呼、なんて素敵なことなのでしょう。なんて愛おしいことなのでしょう。なんて、羨ましいことなのでしょう、と。
私も戯れでヒトに知恵を分け与えた時もありました、でも違う。そうじゃない、もっと明確に、私の意志をもって、何かを成し、何かを残したい。私は強く考えるようになりました。」
私は、黙って紫の話を聞き続ける。なんと言えばいいのかも分からない、言葉も無いとは正にこのことだ。只々、話の規模が大きすぎて、私は圧巻されるばかり。
手に持った酒を口に含み、息を整え落ち着いた紫は、今の熱弁を思い出して少し気恥ずかしいのか、少し赤くなった顔に照れた様な笑みを浮かべながら話を続けた。
「そしてヒトという種が文明を昇華させ、幻想を幻想とし、世界を担うようになった頃。私はヒト在らざる者の在り方についても、考える様になりました。いずれヒトは、今は自分より強い他の種族を、進歩の果てに滅ぼすであろうことは明確だったからです。
それを私は悪いことは思いませんでした。ですが、滅ぶ側の者としては堪ったものではありません。だから私は、この郷を作ることにしました。
……ごめんなさい、随分と前置きが長くなってしまいましたね。結論を言いましょう、私はね魔理沙、私にとって生きるということは、何かを成すことだと思うの。
とてもありきたりな結論だと自分でも思うわ。でもね、永い時を過ごし、ふっと今までの過去を振り返った時に、自分が何をして来たかを省みて思うの。嗚呼、私はこうやって生きてきたんだ、って。
この郷のことだって、全部自己満足かもしれないわ。この郷に不満がある者や、私自身に不満がある者だって沢山いるでしょう。
馬鹿なことだって沢山したわ。自分が成してきたことの成果を知りたくて、皆を巻き込んで、遥か昔にこの星を立った、月に御座す高貴な方々に喧嘩も売ったこともあった。どちらも愛するあまりどちらも幸せにできず、地上と地底で世界を区切ったこともあった。語り始めればキリがない程、とても様々なことがあったわ。でもね、あれもこれもそれもどれも、全部、全部、全部。私が生きてきたということなんだわ。」
話している内に感極まって来たのだろう。紫は静かに目を瞑り、そっと上を向きながら目尻に薄っすらと浮かんだ涙を拭った。
「ふふ……ごめんなさいね、歳を取ると涙脆くなってしまうというのは本当ですのよ。」
「いや……その……なんというか……。悪いな、どうにも、ことが大きすぎて私の頭じゃ話が理解できないぜ。」
私は、今の話の感想を正直に話すことしか出来なかった。とても、とても大事なことを教えてもらったということは漠然と理解できるのだが、それだけだ。
「いいえ、魔理沙。大切なのは、今ここで私の言ったことを理解することではありません。貴方が、私の話したことの中身を、ほんの一握りでもいいから覚えていてくれればそれでいいのです。
先ほどあなたに言ったとおり、私の答えで、貴方の悩みが綺麗サッパリ吹き飛ぶとは私も思っていません。けれどヒトというのは必ず、他者と意志を交えた時には、お互いに何らかしらの影響を与えます。
貴方の悩みは、貴方自身が答えを見つけるしか無い。けれど、貴方一人で答えを探す必要はどこにも無いの。魔理沙、貴方の周りには沢山の人妖が居るわ。それは、貴方自身が紡いで来た縁、それをどうか蔑ろにしないで頂戴な。」
少し離れたところに目をやれば、酒を酌み交わし楽しそうに話す皆が居る。今までに私と霊夢が解決してきた異変に携わった者達が、一堂に会して宴をしている。紫の言う”生きて”いると言うことを私に当て嵌めるならば、この光景は、私が確かに”生きて”きたという証なのだろうか。でも――
「……ははっ。なんだ。小難しいお小言を頂いたって、結局答えなんか分かりゃしないじゃないか。」
「ふふふ、ならば思う存分話して周りなさいな。ここは貴方が紡いだ縁の宴、何も気にすることなんてありません。納得のいく答えが見つかるまで意見を交わしてくればよいのです。」
「あぁ、そうさせてもらうぜ。考えてもみたら、死人にすら生きているということは何だと聞けるんだ、私は随分と恵まれてる。だったら思う存分私の答えを探させてもらうとするぜ。悪かったな、こんな小娘の悩み相談に付きあわせちまって。聡明な賢者であらせられる紫サマには、とてもじゃないが青臭くて付き合いきれたもんじゃなかっただろう?」
「いえいえ、お気遣いなく。道に迷ってしまった少女の手を繋いで、ほんの少しの時間一緒に歩く。その少女がまた、自分の道を歩けるように。これもまた、私の思う生きるということを実行しただけですわ。」
それでは、良い宴を。そう言い残し、紫は隙間に入っていってしまった。恐らくは自分の家に帰ったか、そうでないなら何事もなかったかのように輪に交わり宴を楽しんでいるだろう。
随分と、気が楽になった。まだ答えが見つかったわけではないが、私の心には少なくとも、酒と食事を会話とともに楽しむ余裕は十分にできた。それで充分だ、心の底にあったヘドロのような淀みは、もう殆ど無くなっている。
もしかしたら、結局答えが見つからないままかも知れない。でも今の私は、それでも笑っていられるような気がする。だって当然だ、人間、泣いたり笑ったり出来るのは生きている間だけなんだからな。
「さて、誰から聞こうかな。差し当たっては、幽々子や輝夜辺りが面白そうだ。」
私は笑いながら、宴の輪の中に戻っていった。
私たち一般人にとってみれば、魔理沙の
>飯を食っても、魔法の研究をしても、誰かと弾幕ごっこをしても、酒を飲んでも、風呂に入っても、ベッドで寝ても、何をしていても、ふとした瞬間に考えてしまう。これが、こんなのが、生きているってことで、本当にいいのか?って。
この悩みって、すごい贅沢だよな、と。魔理沙くらい波乱万丈な人生を若い身空で経験している人間が、生きることが分からんって、一般人からしてみれば何言ってんだコイツ、ってな話だな、と。
もちろん、人間である以上そういう悩みは持つのでしょうが、幻想郷の住人は浮世離れしているところもあるので、この悩みをもっと自然に納得させるにはもうちょっと工夫が必要だったかな、と個人的には思います。
ともあれ、二人のやり取りが温かく感じられる話でよかったです。