暑さで目が覚めた。外では鳥が囀っており、その声が寝起きの頭に妙に響く。窓からは淡い光が斜めに差して僕の足先を照らしている。どうやら朝らしかった。壁に引っ掛かっている時計を見たら7時前だった。
二度寝しようにも暑苦しくて敵わないから、起き上がって蒲団を押入れにしまった。それからしょぼくれた顔を洗い、汗で湿った寝巻きを着替え、のそのそ歩いて奥から店の方に行った。動いたおかげで眠気が飛んで、頭は妙に冴えざえとしている。また一日が始まるのだと思った。
店の中は相変わらず雑然としている。右を見ると商品が転がり、左を見ると道具が積み重り、正面を見ると雑貨がごみごみしている。一見整理を怠っているだけに見えるが、僕にとってはこれがちょうどいい状態である。不揃いの道具が醸し出す調和性。この良さが分からない客が多いので困る。
僕は棚の間を見て回った。店主たるもの、店内に置かれた商品がどこにあるのか把握しておかなくてはならない。だから僕は毎日起き抜けに店の中を一通りぐるりと回る。色々な道具は見ているだけでも愉快である。あと掃除はあまりしていない。置かれている商品は皆ホコリをかぶって化粧をした風に見える。人によっては眉をひそめる光景かも知れないが、しかしそんなことは僕の知ったことじゃあない。道具にホコリはご愛嬌である。
店内の点検が済んだから、簡単に朝食の支度をした。朝食の献立は、白米と味噌汁と焼き魚、それと漬物である。それらを居間のちゃぶ台の上に乗せ、それから手を合わせて「いただきます」と呟き、あとは黙々と食べた。まずくもなければうまくもない。まあ自分で作る料理なぞこんなものだろうと思う。
食べ終わったから食器をまとめ、流しに持って行って洗い物をした。長年の習慣なので考え事をしながらでも機械的にこなすことができる。僕は今日一日何をしようかを考えた。無縁塚にはこの前行ったから、道具も無縁仏も転がっていないだろう。買い物に行く用事もない。何より今日は暑いから、出かけるのは億劫である。そこまで考えたところで洗い物が終わった。今日はいつものように店番をして過ごすことにした。
僕は店の隅にある帳場に腰を据え、読みかけていた本を開いた。最初は誰か来るやも知れぬと店の入口に注意を向けたりしていたが、そのうちに本に没頭してしまった。読んでいるのは外来本だから内容は解りづらいけれど、その分興味深いことが書かれていて面白い。
外から蝉の鳴きわめく声が聞こえてくる。その五月蝿い中で窓に吊るした風鈴が涼やかな音を立てた。そしてしばらくするとそれらの音すら耳に入らなくなった。今この世界には、僕と僕の呼んでいる薄汚れた本とだけがあるように思う。
どれだけ時間が経ったか分からないけれど、蝉の声と風鈴の音の合間に、ドアの軋む音とドアベルの音が聞こえた。どうやら客が来たらしい。本を読むのを中断して音のした方を見てみると、最近この店によく訪れる覚妖怪、古明地さとりが立っていた。さとりは真っ直ぐこちらに歩いてきて、帳場正面にある丸椅子に座り、ただ一言「暑いです」と言った。言われた僕は、さとりの後方にある柱時計を見た。いつの間にか昼前になっていた。
外はカンカン日が照っていて、窓ガラス越しに見ても暑そうである。よく見てみると、さとりは顔に玉のような汗をかいていた。この炎天下の中を、地底からここまで移動すればそうもなろう。わざわざご苦労なことだ。そんなことを思っていると、さとりが「そう思うなら冷たい水でもください。気が利きませんね」と言ってきた。どうらや心を読まれたらしかった。
僕は水を持ってくるために席を立ったが、そこでまだ昼食を摂っていないことを思い出した。思い出したら急に腹が減ってきて、何やら切ない気持ちになった。
「お腹がすいているんですか?」
思わず腹を押さえたら、さとりがそのようなことを尋ねてきた。
「ああ、まだ昼食を食べていないんだ」
「それなら作って食べればいいじゃないですか」
「言われなくともそうさせてもらう。……そうだ、君は昼食をどうする予定なんだい?」
「いえ、何も考えていませんが」
「じゃあ一緒に食べよう。ちょうど素麺が余っていてね。どう消費したものかと悩んでいたんだ。さとりも食べてくれると有難い」
「……」
さとりは黙っている。誘いを受けるかどうか考えているのだろうか。僕はさとりの返事を待った。するとそのうちにさとりが「はい、ではご一緒させていただきます」と言った。何故か薄く笑っている。昼食に誘われたのが嬉しかったのだろうか。僕はおかしくなって、微笑みながら台所へと向かった。そしたら、「何がおかしいんですか」と後ろからおっかない声が追ってきた。僕はそれでますます面白くなり、声を上げて笑ってしまった。
昼食はあっという間に食べ終わった。僕も多く食べたが、さとりが思いのほかたくさん食べるのには驚いた。ずるずると麺を啜るさとりをじっと見ていると、「見世物じゃありませんよ」と怒ったふうする。それでもなお見続けていると、さとりは身を縮こませ、ぼそぼそと「お腹がすいているんです。仕方ないじゃありませんか」と恥ずかしげに呟いた。だから僕はそれ以上さとりを見ることをやめ、あとは二人共黙って食べた。
食べ終わってからは午前中と同じく本を読んだ。さとりも商品棚から適当に本を引っ張り出してきて読み始めた。僕とさとりの関係は大体こんな感じである。お互い好きに本を読み、気が向いた時にポツポツ話す。僕はこの関係に居心地の良さを感じていた。
「スイカが食べたいですね……」
ちょっと経ってから、さとりが脈絡もなくそのようなことを言った。顔を上げて時計を見たら午後の2時だった。日差しがさらに厳しくなり、部屋の温度もそれに伴って上昇している。僕もさとりも薄く汗をかいていた。
「いきなりどうしたんだい?」
「いえ、今読んでいる小説にスイカを食べるシーンが出てきまして」
さとりは読んでいる本をこちらに向けてきた。本は夏を舞台にした外来の小説で、僕も前に読んだことがある。確かにその本の中にはスイカが出てきたように記憶している。
「スイカならちょうど今あるよ。魔理沙が食べきれないとかで持ってきてくれたんだ。冷やして一緒に食べようか?」
「ええ、そうしましょう」
僕は台所に行ってタライに水を張り、その中にスイカを浸けた。水がちゃぷちゃぷ音を立てて涼しげである。水に濡れたスイカもツヤを放ってうまそうに見える。
僕は店に戻って、さとりに「今水で冷やしているから、もう少ししたら食べよう」と言った。彼女は黙って頷いたけれど、その顔は楽しげである。いつものジト目からは想像もつかない可愛らしさだ。さとりの顔を見て思わずそう思ったら、彼女が「可愛いとは何ですか、可愛いとは」と、顔を赤く染めて怒り出した。悪気はない、ただ見た印象をそのまま思ってしまっただけだ。僕は心の中で弁解した。するとさとりがさらに顔を赤くしてぷんぷん怒る。よく分からないけど、また心中で言い訳をする。またさとりが怒る。そんなことを何回か繰り返した。
さとりが騒いでいるうちに時間が経ったから、僕は台所に行ってスイカをたらいから出した。いい具合に冷えている。ずっしりと重いそれを台の上に置き、よく研いである包丁を当てて力を込めた。するとスイカはあっさりと二つに割れた。僕はさらに幾度か刃を落とし、スイカを食べやすい大きさに切り分けた。そしてそのうちの2片を持って、僕はさとりのもとに戻った。僕の持っているスイカを見たさとりは、はっきり嬉しそうに笑った。見た目通りに幼いところもあるものだ。そう思ったら、やはり怒られた。
スイカを食べ終えて後片付けをした後も、僕とさとりは飽きもせずに本を読み続けた。外では蝉がせわしなく鳴き続けている。開け放った窓から涼風が舞い込んできた。でも相変わらず暑い。僕は本の頁をめくりながら、こんな暑い中こんなところに来て本を読むなんて、君も物好きだねと思った。
「どうしようが私の勝手です」
さとりが言った。僕は続けて、でも来る理由があるんだろうと思った。
「貴方がいるからですよ」
さとりがポツリと呟いた。思わずそちらを見たら、彼女は自身の顔を持っている本で隠していた。本からはみ出して覗く耳が、よく熟れたトマトのように真っ赤になっている。僕はそんなさとりを怪訝に思いながら、そんなに僕はからかいがいがあるのかな、僕の他にもからかう相手はいるだろうにと思った。するとさとりは顔を上げて溜息を吐き、いつものジト目で「この鈍感眼鏡は……」と言った。もう顔は赤くなく、ただただ呆れたような様子である。実に解せない。
その後は二人共黙って本を読み続けた。するといつの間にやら夜になっていた。蝉の声は聞こえなくなり、代わりにほかの虫が静かに鳴いている。日中に比べて気温も下がり、少しだけ過ごしやすくなった。
僕とさとりは当たり前のように一緒に夕食を食べた。献立は昼の素麺の残りである。さとりは「さすがに飽きましたね」と言いつつも、絶え間なくずるずるとやっていた。僕もずるずると麺をすすった。昼に食うほどうまくはなかった。
食後、例の如く後片付けをしたら、急に手持ち無沙汰になった。昼間に散々読んだから、もう本を読む気がしない。僕は帳場に座って頬杖をついた。さとりもやることがないようで、丸椅子に腰掛け足をぶらぶらさせながら、店内の道具を見回している。
しばらくそうしていると、さとりが「あっ」と何かを見つけたような声を出した。彼女は立ち上がって店の一角に向かい、そこから何かを持ってきた。それは手持ち花火の束だった。
「霖之助さん、花火をしましょう」
「それは一応売り物なんだけどね」
「じゃあこれ全部私が買取ります。だから大丈夫です」
「はあ……」
さとりは花火をしたくて堪らないらしく、しきりに僕を誘ってくる。しょうがないから、僕は奥から蝋燭と燐寸を引っ張り出し、バケツに水をくんだ。さとりは待ちきれないとばかりに外へと行ってしまった。ドアベルがカランと音を立てた。
外に出てみると、さらに虫の鳴き声がよく聞こえるようになった。空にはけぶる程の星々が浮かんでいて、それが非常に綺麗である。月もはっきり見えた。
さとりは僕の少し先で、虫の声と星あかりに包まれて立っていた。手持ち花火の束をしっかりと持って、僕に早く来いと手招きしている。その姿を、僕はとても可愛らしいと思った。僕の心を読んだであろうさとりが一瞬狼狽えたが、すぐさま「早く花火をしましょう」と言った。僕はさとりに歩み寄った。
取り敢えず燐寸で蝋燭に火を点け、早速花火を始めた。さとりはしゃがみこんで、じっと花火を見つめている。花火の光に照らされた彼女の顔が、花火の色に応じて様々に変化した。赤くなったり青くなったり緑になったりして、まさしく七変化といった風である。それを見た僕もさとりに倣い、しゃがみこんでじっと花火を見つめた。おそらくこちらの顔も赤くなったり青くなったり緑になったりしたろうと思う。だから僕は、これでこちらも七変化を遂げたかなと益体もないことを考えた。それを読んだらしいさとりがころころと笑った。そうして夏の夜が過ぎた。
最後に線香花火をして、花火は終わった。バケツには花火の残骸が何本も入っていて、変にもの哀しげに見える。星明りも憂いを帯びたような気がする。
さとりは「では私はそろそろ帰ります」と言った。僕は「そうかい」と何でもないように言った。そう言った途端に寂しくなってきて、それで僕は戸惑ってしまった。でもそんな内心を悟られるのは癪な気がしたから、僕は涼しい顔をしてさとりを見つめた。
さとりは目を見開き、何やら驚いたふうにしていたけれど、すぐに嬉しそうに笑った。僕は急に居心地が悪くなった。それを知ってか知らずか無視してか、さとりはゆっくりとこちらに近づき、僕の目の前で止まって「少ししゃがんでください」と言った。僕は言われたとおり膝を曲げて、さとりの前にしゃがみこんだ。するとさとりの顔が真正面に来た。そのジト目には優しさが満ちていて、見ていて気恥ずかしくなる。
さとりは僕の頭を撫でた。ゆっくりと、慈しむような手つきだった。
「では、また明日」
彼女は最後にそう言って、さっと身を翻して歩き去った。その歩きぶりがすごく機嫌よさげに見えた。さとりの去ったあとには、バケツと虫の声と星明り、それと手の感触だけが残った。僕は星空を見上げた。そうしてそのまま、顔の熱が冷めるのを待った。
二度寝しようにも暑苦しくて敵わないから、起き上がって蒲団を押入れにしまった。それからしょぼくれた顔を洗い、汗で湿った寝巻きを着替え、のそのそ歩いて奥から店の方に行った。動いたおかげで眠気が飛んで、頭は妙に冴えざえとしている。また一日が始まるのだと思った。
店の中は相変わらず雑然としている。右を見ると商品が転がり、左を見ると道具が積み重り、正面を見ると雑貨がごみごみしている。一見整理を怠っているだけに見えるが、僕にとってはこれがちょうどいい状態である。不揃いの道具が醸し出す調和性。この良さが分からない客が多いので困る。
僕は棚の間を見て回った。店主たるもの、店内に置かれた商品がどこにあるのか把握しておかなくてはならない。だから僕は毎日起き抜けに店の中を一通りぐるりと回る。色々な道具は見ているだけでも愉快である。あと掃除はあまりしていない。置かれている商品は皆ホコリをかぶって化粧をした風に見える。人によっては眉をひそめる光景かも知れないが、しかしそんなことは僕の知ったことじゃあない。道具にホコリはご愛嬌である。
店内の点検が済んだから、簡単に朝食の支度をした。朝食の献立は、白米と味噌汁と焼き魚、それと漬物である。それらを居間のちゃぶ台の上に乗せ、それから手を合わせて「いただきます」と呟き、あとは黙々と食べた。まずくもなければうまくもない。まあ自分で作る料理なぞこんなものだろうと思う。
食べ終わったから食器をまとめ、流しに持って行って洗い物をした。長年の習慣なので考え事をしながらでも機械的にこなすことができる。僕は今日一日何をしようかを考えた。無縁塚にはこの前行ったから、道具も無縁仏も転がっていないだろう。買い物に行く用事もない。何より今日は暑いから、出かけるのは億劫である。そこまで考えたところで洗い物が終わった。今日はいつものように店番をして過ごすことにした。
僕は店の隅にある帳場に腰を据え、読みかけていた本を開いた。最初は誰か来るやも知れぬと店の入口に注意を向けたりしていたが、そのうちに本に没頭してしまった。読んでいるのは外来本だから内容は解りづらいけれど、その分興味深いことが書かれていて面白い。
外から蝉の鳴きわめく声が聞こえてくる。その五月蝿い中で窓に吊るした風鈴が涼やかな音を立てた。そしてしばらくするとそれらの音すら耳に入らなくなった。今この世界には、僕と僕の呼んでいる薄汚れた本とだけがあるように思う。
どれだけ時間が経ったか分からないけれど、蝉の声と風鈴の音の合間に、ドアの軋む音とドアベルの音が聞こえた。どうやら客が来たらしい。本を読むのを中断して音のした方を見てみると、最近この店によく訪れる覚妖怪、古明地さとりが立っていた。さとりは真っ直ぐこちらに歩いてきて、帳場正面にある丸椅子に座り、ただ一言「暑いです」と言った。言われた僕は、さとりの後方にある柱時計を見た。いつの間にか昼前になっていた。
外はカンカン日が照っていて、窓ガラス越しに見ても暑そうである。よく見てみると、さとりは顔に玉のような汗をかいていた。この炎天下の中を、地底からここまで移動すればそうもなろう。わざわざご苦労なことだ。そんなことを思っていると、さとりが「そう思うなら冷たい水でもください。気が利きませんね」と言ってきた。どうらや心を読まれたらしかった。
僕は水を持ってくるために席を立ったが、そこでまだ昼食を摂っていないことを思い出した。思い出したら急に腹が減ってきて、何やら切ない気持ちになった。
「お腹がすいているんですか?」
思わず腹を押さえたら、さとりがそのようなことを尋ねてきた。
「ああ、まだ昼食を食べていないんだ」
「それなら作って食べればいいじゃないですか」
「言われなくともそうさせてもらう。……そうだ、君は昼食をどうする予定なんだい?」
「いえ、何も考えていませんが」
「じゃあ一緒に食べよう。ちょうど素麺が余っていてね。どう消費したものかと悩んでいたんだ。さとりも食べてくれると有難い」
「……」
さとりは黙っている。誘いを受けるかどうか考えているのだろうか。僕はさとりの返事を待った。するとそのうちにさとりが「はい、ではご一緒させていただきます」と言った。何故か薄く笑っている。昼食に誘われたのが嬉しかったのだろうか。僕はおかしくなって、微笑みながら台所へと向かった。そしたら、「何がおかしいんですか」と後ろからおっかない声が追ってきた。僕はそれでますます面白くなり、声を上げて笑ってしまった。
昼食はあっという間に食べ終わった。僕も多く食べたが、さとりが思いのほかたくさん食べるのには驚いた。ずるずると麺を啜るさとりをじっと見ていると、「見世物じゃありませんよ」と怒ったふうする。それでもなお見続けていると、さとりは身を縮こませ、ぼそぼそと「お腹がすいているんです。仕方ないじゃありませんか」と恥ずかしげに呟いた。だから僕はそれ以上さとりを見ることをやめ、あとは二人共黙って食べた。
食べ終わってからは午前中と同じく本を読んだ。さとりも商品棚から適当に本を引っ張り出してきて読み始めた。僕とさとりの関係は大体こんな感じである。お互い好きに本を読み、気が向いた時にポツポツ話す。僕はこの関係に居心地の良さを感じていた。
「スイカが食べたいですね……」
ちょっと経ってから、さとりが脈絡もなくそのようなことを言った。顔を上げて時計を見たら午後の2時だった。日差しがさらに厳しくなり、部屋の温度もそれに伴って上昇している。僕もさとりも薄く汗をかいていた。
「いきなりどうしたんだい?」
「いえ、今読んでいる小説にスイカを食べるシーンが出てきまして」
さとりは読んでいる本をこちらに向けてきた。本は夏を舞台にした外来の小説で、僕も前に読んだことがある。確かにその本の中にはスイカが出てきたように記憶している。
「スイカならちょうど今あるよ。魔理沙が食べきれないとかで持ってきてくれたんだ。冷やして一緒に食べようか?」
「ええ、そうしましょう」
僕は台所に行ってタライに水を張り、その中にスイカを浸けた。水がちゃぷちゃぷ音を立てて涼しげである。水に濡れたスイカもツヤを放ってうまそうに見える。
僕は店に戻って、さとりに「今水で冷やしているから、もう少ししたら食べよう」と言った。彼女は黙って頷いたけれど、その顔は楽しげである。いつものジト目からは想像もつかない可愛らしさだ。さとりの顔を見て思わずそう思ったら、彼女が「可愛いとは何ですか、可愛いとは」と、顔を赤く染めて怒り出した。悪気はない、ただ見た印象をそのまま思ってしまっただけだ。僕は心の中で弁解した。するとさとりがさらに顔を赤くしてぷんぷん怒る。よく分からないけど、また心中で言い訳をする。またさとりが怒る。そんなことを何回か繰り返した。
さとりが騒いでいるうちに時間が経ったから、僕は台所に行ってスイカをたらいから出した。いい具合に冷えている。ずっしりと重いそれを台の上に置き、よく研いである包丁を当てて力を込めた。するとスイカはあっさりと二つに割れた。僕はさらに幾度か刃を落とし、スイカを食べやすい大きさに切り分けた。そしてそのうちの2片を持って、僕はさとりのもとに戻った。僕の持っているスイカを見たさとりは、はっきり嬉しそうに笑った。見た目通りに幼いところもあるものだ。そう思ったら、やはり怒られた。
スイカを食べ終えて後片付けをした後も、僕とさとりは飽きもせずに本を読み続けた。外では蝉がせわしなく鳴き続けている。開け放った窓から涼風が舞い込んできた。でも相変わらず暑い。僕は本の頁をめくりながら、こんな暑い中こんなところに来て本を読むなんて、君も物好きだねと思った。
「どうしようが私の勝手です」
さとりが言った。僕は続けて、でも来る理由があるんだろうと思った。
「貴方がいるからですよ」
さとりがポツリと呟いた。思わずそちらを見たら、彼女は自身の顔を持っている本で隠していた。本からはみ出して覗く耳が、よく熟れたトマトのように真っ赤になっている。僕はそんなさとりを怪訝に思いながら、そんなに僕はからかいがいがあるのかな、僕の他にもからかう相手はいるだろうにと思った。するとさとりは顔を上げて溜息を吐き、いつものジト目で「この鈍感眼鏡は……」と言った。もう顔は赤くなく、ただただ呆れたような様子である。実に解せない。
その後は二人共黙って本を読み続けた。するといつの間にやら夜になっていた。蝉の声は聞こえなくなり、代わりにほかの虫が静かに鳴いている。日中に比べて気温も下がり、少しだけ過ごしやすくなった。
僕とさとりは当たり前のように一緒に夕食を食べた。献立は昼の素麺の残りである。さとりは「さすがに飽きましたね」と言いつつも、絶え間なくずるずるとやっていた。僕もずるずると麺をすすった。昼に食うほどうまくはなかった。
食後、例の如く後片付けをしたら、急に手持ち無沙汰になった。昼間に散々読んだから、もう本を読む気がしない。僕は帳場に座って頬杖をついた。さとりもやることがないようで、丸椅子に腰掛け足をぶらぶらさせながら、店内の道具を見回している。
しばらくそうしていると、さとりが「あっ」と何かを見つけたような声を出した。彼女は立ち上がって店の一角に向かい、そこから何かを持ってきた。それは手持ち花火の束だった。
「霖之助さん、花火をしましょう」
「それは一応売り物なんだけどね」
「じゃあこれ全部私が買取ります。だから大丈夫です」
「はあ……」
さとりは花火をしたくて堪らないらしく、しきりに僕を誘ってくる。しょうがないから、僕は奥から蝋燭と燐寸を引っ張り出し、バケツに水をくんだ。さとりは待ちきれないとばかりに外へと行ってしまった。ドアベルがカランと音を立てた。
外に出てみると、さらに虫の鳴き声がよく聞こえるようになった。空にはけぶる程の星々が浮かんでいて、それが非常に綺麗である。月もはっきり見えた。
さとりは僕の少し先で、虫の声と星あかりに包まれて立っていた。手持ち花火の束をしっかりと持って、僕に早く来いと手招きしている。その姿を、僕はとても可愛らしいと思った。僕の心を読んだであろうさとりが一瞬狼狽えたが、すぐさま「早く花火をしましょう」と言った。僕はさとりに歩み寄った。
取り敢えず燐寸で蝋燭に火を点け、早速花火を始めた。さとりはしゃがみこんで、じっと花火を見つめている。花火の光に照らされた彼女の顔が、花火の色に応じて様々に変化した。赤くなったり青くなったり緑になったりして、まさしく七変化といった風である。それを見た僕もさとりに倣い、しゃがみこんでじっと花火を見つめた。おそらくこちらの顔も赤くなったり青くなったり緑になったりしたろうと思う。だから僕は、これでこちらも七変化を遂げたかなと益体もないことを考えた。それを読んだらしいさとりがころころと笑った。そうして夏の夜が過ぎた。
最後に線香花火をして、花火は終わった。バケツには花火の残骸が何本も入っていて、変にもの哀しげに見える。星明りも憂いを帯びたような気がする。
さとりは「では私はそろそろ帰ります」と言った。僕は「そうかい」と何でもないように言った。そう言った途端に寂しくなってきて、それで僕は戸惑ってしまった。でもそんな内心を悟られるのは癪な気がしたから、僕は涼しい顔をしてさとりを見つめた。
さとりは目を見開き、何やら驚いたふうにしていたけれど、すぐに嬉しそうに笑った。僕は急に居心地が悪くなった。それを知ってか知らずか無視してか、さとりはゆっくりとこちらに近づき、僕の目の前で止まって「少ししゃがんでください」と言った。僕は言われたとおり膝を曲げて、さとりの前にしゃがみこんだ。するとさとりの顔が真正面に来た。そのジト目には優しさが満ちていて、見ていて気恥ずかしくなる。
さとりは僕の頭を撫でた。ゆっくりと、慈しむような手つきだった。
「では、また明日」
彼女は最後にそう言って、さっと身を翻して歩き去った。その歩きぶりがすごく機嫌よさげに見えた。さとりの去ったあとには、バケツと虫の声と星明り、それと手の感触だけが残った。僕は星空を見上げた。そうしてそのまま、顔の熱が冷めるのを待った。
さと霖最高‼︎
パルパル…
さとり様には幻想郷の少女達の中でいちばん母性を感じさせられる・・・