こうも長く生きていれば、季節によって住む所が決まってくるし、ちょうど皐月のこの時期は、森の近くの空き小屋を住処にしている。住み心地はというと、寝床を確保できれば満点の私からすれば、十分快適といったところで、春の終わりにやってくるからか、毎回迎え入れてくれるのは、決まって桜の花びらだった。
小屋に滞在するのは、藤の花を楽しむ間。持ち主がいなくなってから勝手に使っているけれど、内装はそのままでおいてある。特に、大きな四角いテーブルと、木くずのささくれだった丸い椅子は、来た当初から動かしていない。その椅子に腰を下ろすと、向かい側にある窓がまるで額縁のようになって、藤の花を切り取り映すのだ。壁を置き、手の届かない場所から、全体像を眺めては、ゆったりと風にたゆたう優雅さに、私は息を漏らすのだった。
さて、普段の私の日課となると、その半分以上が花の世話になる。だから、今日みたいにお天道様が元気に泣くと、テーブルに頬杖をつく外ないわけで。火起こしに便利な河童も、気の利いた器用な人形師も近場にはおらず、お茶を楽しむことも出来ないから、ぽたりぽたりと申し訳無さそうに落ちる雨漏りを横目に、慰めもせず、太陽が泣き止むのを待つことにした。じっと見つめていれば、そのうちばつが悪くなったのか晴れ間が出てくるので、それまでこうして、手持ち無沙汰を満喫してみる。
「退屈していると思いまして」
「菓子折りくらい持って来なさいよ」
「もてなすつもりもないくせに」
そんな感じに、ぼうっと空と根比べをしていたら、呼んでもいない、客とも呼べない輩がやってきたらしい。窓から少しでも目を離せば私の負けになってしまうので、垂れる雨粒を追いながら生返事で済ませた。が、相も変わらず癪に触る返答をされたから、右隣の腐りかけた椅子を日傘で押しやった。
「かけなさいな」
「千万もあればよくて?」
椅子は引き戻した。
雨は止む気配を見せません。
彼女に言わせれば、空の機嫌が悪い、というものなのでしょうけれど、それは硝子越しに自分を見返しているのかしら。このまま夜更けまで降り続けたとして、目前の向日葵は太陽を待ち続けるでしょうし、なんとも頑固で融通が利きませんこと。
雨漏りの音を避けつつカップを机に置いてから、隙間に身体を預けます。真似して頬杖をついてみても、彼女はこちらに目配せもしませんから、至極退屈この上ない。声をかけてやろうにも、どうせまともな答えをよこしはしませんし。だからといって、雨の日以外に押し掛けたところで、相手をしてもらえるわけでもないので、こうやって横顔を眺められるだけ良しとするしかないのです。
ところで、埃と黴のカーペットが敷かれたこの家は、外にある藤に惚れ込んだ人間の持ち物でした。瘴気の溢れる森の近くに、わざわざ自分で家を建てて住むだなんて、自殺行為に等しいのですけれど。抱けないとわかっていて、なおも寄り添うことを求めるだなんて、人間というのはひどく陳腐で頭の悪い生き物です。
その男は、最期まで藤を見て生きたのでしょうか、頭は窓を向いたまま、彼女の左に座っています。いいえ、実際はもうほとんど跡形も残っていません。頭蓋の花瓶は、ひ弱で陰湿な、背の低い草を乗せ、雨漏りを受けています。眼孔からは、ひょろひょろと伸びた茎の先に、分相応な小さな葉をつけて、生命の神秘を訴えかけているようです。
『瘴気に当てられて、魔女にでもなるおつもり?』
『白骨は肥料にいいのよ』
なんて彼女は嘯いていましたわね。
ちなみにその花瓶、テーブルの高さにも満てませんので、きっと窓の向こうなんて見えないと思うのですけれど。
人間のことなんて、私達には分かりませんわね。
眠たげな声が聞こえた。
依然空は泣きっぱなしで、むしろどんどん声を上げる。花瓶からは水が溢れ、根腐りしては困るので、日傘で匿ってやる。風もなく、どんよりとした空気が落ちていき、外は次第に暗くなっていく。それにつれ、窓の向こうの世界は薄まって、代わりに私達を色濃く映し始める。
「雨、止まないですわね」
「ええ」
硝子の上で、藤に重なる妖怪は、退屈そうに手遊びながら、時折かちゃりとわざとらしく音を立てる。陽を待ちぼうけた向日葵は、無愛想に紫の花に見守られて、額の中に収まっている。
隙間から騒がしそうな声が漏れている。おそらく何か面倒事でもあったのだろう。式が主を呼び求め、彼女は露骨に不機嫌そうな顔をした。カップを投げ入ると、余計に甲高くなった声がこちらまで響いてきたので、よっぽどの事態なのかもしれない。諦めが付いたのだろうか、彼女は一つ嘆息して、扇を閉じる。
「ねぇ、今年も藤は綺麗?」
「私が面倒見ているもの」
その答えに満足したのか、さよならもなくあっけなく、彼女は帰っていったので、ようやく私は、頬杖をつく腕を変えられた。雨に打たれ、上下に揺れる藤の花は、雨を跳ね返す力強さよりも、その芯の弱さを露わにしているように感じる。空いた手で、花瓶をそっと持ち上げて、窓の向こうのよく見える、テーブルの真ん中に据わらせた。
けれど、あの絵だけは、あなたにも見せない。
小屋に滞在するのは、藤の花を楽しむ間。持ち主がいなくなってから勝手に使っているけれど、内装はそのままでおいてある。特に、大きな四角いテーブルと、木くずのささくれだった丸い椅子は、来た当初から動かしていない。その椅子に腰を下ろすと、向かい側にある窓がまるで額縁のようになって、藤の花を切り取り映すのだ。壁を置き、手の届かない場所から、全体像を眺めては、ゆったりと風にたゆたう優雅さに、私は息を漏らすのだった。
さて、普段の私の日課となると、その半分以上が花の世話になる。だから、今日みたいにお天道様が元気に泣くと、テーブルに頬杖をつく外ないわけで。火起こしに便利な河童も、気の利いた器用な人形師も近場にはおらず、お茶を楽しむことも出来ないから、ぽたりぽたりと申し訳無さそうに落ちる雨漏りを横目に、慰めもせず、太陽が泣き止むのを待つことにした。じっと見つめていれば、そのうちばつが悪くなったのか晴れ間が出てくるので、それまでこうして、手持ち無沙汰を満喫してみる。
「退屈していると思いまして」
「菓子折りくらい持って来なさいよ」
「もてなすつもりもないくせに」
そんな感じに、ぼうっと空と根比べをしていたら、呼んでもいない、客とも呼べない輩がやってきたらしい。窓から少しでも目を離せば私の負けになってしまうので、垂れる雨粒を追いながら生返事で済ませた。が、相も変わらず癪に触る返答をされたから、右隣の腐りかけた椅子を日傘で押しやった。
「かけなさいな」
「千万もあればよくて?」
椅子は引き戻した。
雨は止む気配を見せません。
彼女に言わせれば、空の機嫌が悪い、というものなのでしょうけれど、それは硝子越しに自分を見返しているのかしら。このまま夜更けまで降り続けたとして、目前の向日葵は太陽を待ち続けるでしょうし、なんとも頑固で融通が利きませんこと。
雨漏りの音を避けつつカップを机に置いてから、隙間に身体を預けます。真似して頬杖をついてみても、彼女はこちらに目配せもしませんから、至極退屈この上ない。声をかけてやろうにも、どうせまともな答えをよこしはしませんし。だからといって、雨の日以外に押し掛けたところで、相手をしてもらえるわけでもないので、こうやって横顔を眺められるだけ良しとするしかないのです。
ところで、埃と黴のカーペットが敷かれたこの家は、外にある藤に惚れ込んだ人間の持ち物でした。瘴気の溢れる森の近くに、わざわざ自分で家を建てて住むだなんて、自殺行為に等しいのですけれど。抱けないとわかっていて、なおも寄り添うことを求めるだなんて、人間というのはひどく陳腐で頭の悪い生き物です。
その男は、最期まで藤を見て生きたのでしょうか、頭は窓を向いたまま、彼女の左に座っています。いいえ、実際はもうほとんど跡形も残っていません。頭蓋の花瓶は、ひ弱で陰湿な、背の低い草を乗せ、雨漏りを受けています。眼孔からは、ひょろひょろと伸びた茎の先に、分相応な小さな葉をつけて、生命の神秘を訴えかけているようです。
『瘴気に当てられて、魔女にでもなるおつもり?』
『白骨は肥料にいいのよ』
なんて彼女は嘯いていましたわね。
ちなみにその花瓶、テーブルの高さにも満てませんので、きっと窓の向こうなんて見えないと思うのですけれど。
人間のことなんて、私達には分かりませんわね。
眠たげな声が聞こえた。
依然空は泣きっぱなしで、むしろどんどん声を上げる。花瓶からは水が溢れ、根腐りしては困るので、日傘で匿ってやる。風もなく、どんよりとした空気が落ちていき、外は次第に暗くなっていく。それにつれ、窓の向こうの世界は薄まって、代わりに私達を色濃く映し始める。
「雨、止まないですわね」
「ええ」
硝子の上で、藤に重なる妖怪は、退屈そうに手遊びながら、時折かちゃりとわざとらしく音を立てる。陽を待ちぼうけた向日葵は、無愛想に紫の花に見守られて、額の中に収まっている。
隙間から騒がしそうな声が漏れている。おそらく何か面倒事でもあったのだろう。式が主を呼び求め、彼女は露骨に不機嫌そうな顔をした。カップを投げ入ると、余計に甲高くなった声がこちらまで響いてきたので、よっぽどの事態なのかもしれない。諦めが付いたのだろうか、彼女は一つ嘆息して、扇を閉じる。
「ねぇ、今年も藤は綺麗?」
「私が面倒見ているもの」
その答えに満足したのか、さよならもなくあっけなく、彼女は帰っていったので、ようやく私は、頬杖をつく腕を変えられた。雨に打たれ、上下に揺れる藤の花は、雨を跳ね返す力強さよりも、その芯の弱さを露わにしているように感じる。空いた手で、花瓶をそっと持ち上げて、窓の向こうのよく見える、テーブルの真ん中に据わらせた。
けれど、あの絵だけは、あなたにも見せない。
短い話の中に語られないストーリーがありありと描かれている。花瓶ね、なるほどね。
今の時期、野山に咲く藤の淡い青が本当に綺麗ですよね