へぷちッ!
いやね、風邪でもひいたのかしら。こっちは病気に付き合ってる暇はないっていうのに。
だって、そうでしょう。一日を寝て過ごせるのは魅力的だけど、その間に境内の掃除をいったい誰がしてくれるのよ。
私が掃除をしないと、ここはいつまでたっても片付かないまま。都合よく誰かが来ていれば、そいつに代わりを任せて、心おきなく枕を汗で濡らせるんだけどね。
だから、誰か来ないかな、早く来てくれないかなって、私、毎日考えてるの。
べつに、掃除を頼みたいからってわけじゃないわ。私にだって、誰かと話をしたくなるときくらいあるのよ。
縁側でお茶を飲んでるときにね。知らないうちに紫がとなりに座ってないかな、とか。いつもみたいに魔理沙が飛んでこないかな、とか。そんなことばっかり考えてる。
ちょっと変かしら。
でも、名前を呼べば返事がくるって、すてきなことだと思わない?
私がよくお賽銭を催促するのも、また来てもらうために言ってるのよ。次こそ入れていきなさいよ、ってね。
回りくどいなって自分でも思うけどさ。こんなやり方くらいしか私にはできないの。まったく、自分のことだけど素直じゃないわよね。
……ちょっと待って。おかしいじゃない。
自分でも素直じゃないってわかってるのに、どうして見ず知らずのあんたにこんなことを打ち明けているのかしら。こんな恥ずかしいこと、誰にも話せるはずがないんだもの。
だけど、ごまかしたりしようって気がまるで湧いてこないの。どうしてかしら。本当に、おかしな話ね。
ところであんた、どこのだれ?
へぷちッ!
ん、みてみてー。これが誰か私のうわさをしているなって自分の知名度の高さを信じて疑わない表情!
最強の称号をかけて宗教家たちと闘った日々は、この私を人気の絶頂へと導いてくれたの! おかげで行く先々でいろんな人が、ご飯とかお菓子とか貢物を捧げてくるので、お腹はいつも幸せ。やったね。
ところが、我が宿敵こいしにその話をしたら「ああ、わかるわかる。こころちゃん、なんか餌付けしたくなるもんね」って言われた。
温厚な私もさすがにお面に、あいや頭にプッツンときて、失礼なやつめ! 最強の称号に今もっとも近い私を、ペット感覚で扱うとは何事だ! って言い返してやった。
そうしたら、こいしは私の言葉に心を動かされたようで、イチゴ味のキャンディをくれたの。ほっぺがとろける甘さに免じて、彼女の無礼は許してあげたよ。
でも、たしかに私はまだまだ自分の感情と表情を学び足りない未熟者。
もっと強くなって、感情を平定させ、新しい希望の面も克服したい。だから、こいしに聞いてみたの。強くなるにはどうすればいいのかって。
それでね。こいしが言うには、女の子にとって最強の存在は、白馬の王子様なんだって!
さっそく、馬がほしいって神子様に頼んだ。神子様は会うたびにいろんなものをくれる、優しい方だから。
でも、神子様はなにを勘違いしたのか「ふむ、よかろう。我が子の頼みとあらば、この聖徳王、自ら馬となってみせよう! ほーら、こころ。パパ、お馬さんになったぞ!」なんて言って、四つん這いになりだしたの。日なたに長くいすぎたのかな。
それでもせっかくだから、とりあえず背中に乗ってみたの。そうしたら、これがおどろくほど快適!
生みの親でもあり、いつもお世話になってる……そんな方を馬代わりにしてるって考えると、なんだかお腹が熱くなって、体は跳ねるようにご機嫌になった。
そのときにね、いつも神子様の近くにいる青色おばさんが「あら、蘇我様。そんなに怖い目をして、どうしたんです? あの子がうらやましいんですか?」って屠自古さんに話しかけたの。
屠自古さんは、いつものむずかしい顔のまま「べつに。私だって毎晩、太子様に乗ってるし」って言った。だけどすぐに、となりの青色おばさんと同じ呆けた表情を浮かべて、それから茹だったみたいに顔を真っ赤にさせた。ひそかに最強の座を目指してることがばれて、恥ずかしかったのかな。
その後、部屋中が真っ白になった。雷鳴がとどろき、稲妻が走り、神子様が床の上で痙攣して……あっ、しまった、この話は秘密にしておかないといけないんだった!
なんということだ。雷のお仕置きは嫌なのに。なんで会ったばかりの人にこんな話をしてしまったんだ!
うっかり。うっかり。
だけど、おかしいなぁ。誰かに話し出してもごまかせるように、空吹の面を用意していたのに最後まで言ってしまうなんて。
それにこの面、なんだか静かすぎる。こんなこと、今まではなかったのに。むうんむん。
……それであなた、だれだっけ?
へぷちッ!
ううん。だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。風邪なんかじゃないってば。
お姉様ったら心配性ね。でも私たち、吸血鬼なのよ。ちょっとくらいの病気なんか、すぐに治っちゃうでしょう。
それでも気になるの? 妹のことを気にしない姉なんて、それこそ病気のようなものだから?
へえ。ふうん。
でもさ、それってもう手遅れじゃないのかな。お姉様は私をこじらせてるんだもの。私って病気をこじらせてる!
だから、私がお姉様のこと、心配してあげるね。ちゃんと、ずっと、みててあげるから。
それでおあいこってものでしょう、ね?
それに、病気だって私がやっつけてあげる。
お姉様の頭のねじをしめたり、お腹をぐるぐるかき回すやつがいたら、すぐにキュッてしてあげるよ。
でも、今は無理かな。今日はなんだか調子が悪いから。
どの目もちょっと前から縮んでいってね、今だともう、すごくちいさいの。だから、手のなかでつかめないのよ。
放っておけば、そのうち治るとは思うけどね。だから、お姉様。病気になるなら今はだめだよ。
今の私だと、お姉様が白目をむいて地べたに這いつくばって苦しんでも、とどめをさしてあげることしかできないんだから。
ええ、なあに。今日はやけに素直じゃないかって?
そう、そうなの。
なんだかふしぎな気分でね。いっつもお姉様に思ってたことが、今日はすらすら出てくるの。
舌の上で、気持ちが転がせられなくてね。言葉に羽がはえて、そのまま外に飛び出していくみたい。
普段だったら、飛び出すのは拳のはずなのに。お姉様が私の前にいて、鼻血を流さずに済んでるなんておかしいよね。あなたも、そう思うでしょう。
いったい、どうしてなのかしら。ふしぎだね。おかしいね。
ところであなた、いつからいたの? ここまで、いったいどうやって? お姉様はこの人のこと、知ってる?
そうだね、知らない。私もだよ。
ねえ、あなた、お名前は?
へぷちッ!
やーん、風邪かなあ。
それとも妖精症? あったかくなると鱗粉をまき散らすから、妖精って嫌い。今度見かけたら潰しておこうっと。
ああ、でもでも、ひょっとしたら私のことを思い出してくれてるのかも。紅茶を淹れて、カップを二つ用意してるかも。お姉ちゃんがさ。
だったら、地底に帰らないとね。
顔のむずむずは、お家の門限だもの。頭の上に浮かんでるうちにお家に帰れば、お姉ちゃんをびっくりさせられるし。私、あの顔が好きなんだー。
へぷちッ!
んく、またくしゃみ。
お姉ちゃん、そんなに待ちきれないのかな。それとも本当に風邪なのかも。この前の決闘でも、くしゃみがひどかったからね。
宗教家のみんなの闘いに、混ぜてもらった頃だったかなあ。
相手の懐にもぐりこんだところで、とびきりのくしゃみがちょうど出てきてね。相手の人、ぴーんって跳ねあがってのけぞってたよ。
それに、スキップして思いきり飛び上がったら、私の膝がちょうど相手のお腹にめり込んで、葉っぱみたいに吹き飛んだり!
なんだか闘ってる間は、妙なクセがついたみたいで面白かったなあ。それで、そのときのクセがまだ続いているのかもね。
へぷちッ!
んくく、もう、もうっ。やっぱり風邪ー?
帰ったら甘いシロップを飲んておこうかな。知らないうちにいろんなところで風邪をうつしてました、なんてことになったらお姉ちゃんに叱られるもの。
帰ろう、帰ろう、お家に帰ろう。
あなたにも、私の風邪がうつっちゃったかもね。ごめんなさーい。あなたも私も、どうぞお大事に。
それじゃあ、またね。知らない人。
へぷちッ!
くそ、くそ、このくそったれが。
なんだ、本当にただの病か。それにしたって……ああ、気分がわるい。頭がねじれそうだ。
姫、姫、水をくれ。あ、いや、もうあいつはいないんだった。今はあの巫女のところだったか。なんで、あいつのことなんか。
いや、それよりも今はこの体だ。思えば、前から妙だった。
人をからかうにしても、舌が上手く回らなかった。騙すことができないんだ。いや、騙そうとする気になれない。
わかるか。嘘のひとつもつけない天邪鬼が、どれだけみじめなものかをだ。その間抜けが私なんだ。
ぐ、ぐ、ぐ。
だめだ、きもちわるい。このまま、ねじ切れてしまいそうだ。汗もひどい。
手ぬぐいを、姫、持ってきてくれ。姫、どうした、姫!
いや、いや、だからあいつは。そうだよ、なんだ、なにをやってるんだ、私は。
ああ、くそ。
おい、お前。私が馬鹿に見えるだろう?
わかるよ。私だってそう思ってるんだから。
私の気持ちは、どこへ向いていたって構わない。姫のこととかな。それが自分に似合わないものでも、ただそれだけの話なんだ。
だがな、今の私は本心を吐いている。そりゃ、気分も最悪になろうってものだよ。
本心はな、体にわるい。のどもかわく。
水をくれよ、姫、姫、姫! くそっ、だから姫はいないんだって! それがどうしてわからないんだ、え、この間抜けな頭は!
そうだ。お前、姫を呼んでこいよ。そうすれば、私も少しはマシになるってもんだ。
だから、呼んできてくれ。なあ、いいだろう。お前、えっと……。
そういえば、お前、いったいだれだ?
へぷちッ!
失礼。こういうのを、医者の不養生というのかしら。まあ、私は薬師ですけど。
あなたもこの風邪のことを聞いて、ここに来たの? もう大分知れ渡ってるのかしら。
それとも、知らないの? だったら、言わなければよかったわ。こんなこと、あまり教えたくないんだもの。
でも、教えないわけにはいかないの。私も、すでにそうなっているからね。
お察しの通り、もうだれもが嘘をつけなくなってるわ。
そもそもの原因はわからないけれど、なにか菌のような形で広がっているみたい。嘘がつけないという働きが、あらゆるものに移り渡ってる。
より正確にいうなら、嘘をつこうと思えなくなってる、かしらね。もはや、私たちはスーパーエゴの作用から放れてしまった。つまり、自我の抑圧がなされてないのよ。
これがどれほどおそろしいことか、あなたにはわかるかしら。いえ、愚問ね。わかっていたらここに来てなどいないもの。
それでも準備はした方がいいわよ。ここから出る準備。
鈴仙たちにさせてるけど、間に合うかしら。まったく、面倒なことになったものね。
本当にわからないの? 進行はもう、目に見えるまでになっているのよ。
さっきもね、宵闇に襲われたって人が来たけど、自分は貧血だと信じてたのよ。ほかにも、似たような人が増える一方。
ああ、もう、本当に間に合うかしら。
うどんげ。ちょっと、うどんげ。進捗はどうなの。ちょっと、うどんげー?
聞こえてないのかしら。仕方のない。ねえ、あなたも、もう帰った方がいいわよ。なるべく早く。
……あら、でもあなた、あまり里の人らしくないわね。今になって気づいたけど。
あなた、いったいどこの人なのかしら?
へぷちッ!
ああ、少し揺れてしまいました。
私の肌の上でぴょんぴょん跳ねる、あの愛しい住民たちが怖がらないといいのですが。私にだって、愛着というものがありますからね。
当然ですよ。私はただ横たわるだけの大地ですが、それでも考える力はあるのです。私の上で、あるいは中で、日々を愉快に過ごす彼女たちを、どうして愛さずにいられますか。
私は、彼女たちが好きなんですよ。その気持ちに、なにひとつ偽りはありません。
……ですが、それでも嘘は私のなかで息づいているのです。
名前をつけてくれた彼女の、あのとき私についた嘘が。
今や、嘘と現実は奇妙に混じり合い、そして打ち消し合おうとしている。そうして残るのがどちらかなど、いうまでもありません。
常に真実を口にしていれば、ついた嘘を覚えている必要はどこにもないというのに。今、その嘘が暴かれようとしている。彼女たちが、私の嘘が、もう消えようとしているのです。
いや、それよりも、もっとひどい。消えた上で、私はそのことを自覚しなければいけないんだから!
あなたは、はじめからわかっていたでしょうね。
そんなあなたに、私はじつに滑稽に見えたはずだ。でも、いいじゃないですか。退屈しのぎにはなったでしょう。
わからない?
いや、いや、そんなはずがないんだ! あなたにはすべて、わかっていたはずだ!
だってあなたは、私を、私たちを、よ
……………………
……………………
………………………………………………………………
へぷちッ!
あなたはくしゃみをひとつして、ふたたび画面に視線を戻した。
いやね、風邪でもひいたのかしら。こっちは病気に付き合ってる暇はないっていうのに。
だって、そうでしょう。一日を寝て過ごせるのは魅力的だけど、その間に境内の掃除をいったい誰がしてくれるのよ。
私が掃除をしないと、ここはいつまでたっても片付かないまま。都合よく誰かが来ていれば、そいつに代わりを任せて、心おきなく枕を汗で濡らせるんだけどね。
だから、誰か来ないかな、早く来てくれないかなって、私、毎日考えてるの。
べつに、掃除を頼みたいからってわけじゃないわ。私にだって、誰かと話をしたくなるときくらいあるのよ。
縁側でお茶を飲んでるときにね。知らないうちに紫がとなりに座ってないかな、とか。いつもみたいに魔理沙が飛んでこないかな、とか。そんなことばっかり考えてる。
ちょっと変かしら。
でも、名前を呼べば返事がくるって、すてきなことだと思わない?
私がよくお賽銭を催促するのも、また来てもらうために言ってるのよ。次こそ入れていきなさいよ、ってね。
回りくどいなって自分でも思うけどさ。こんなやり方くらいしか私にはできないの。まったく、自分のことだけど素直じゃないわよね。
……ちょっと待って。おかしいじゃない。
自分でも素直じゃないってわかってるのに、どうして見ず知らずのあんたにこんなことを打ち明けているのかしら。こんな恥ずかしいこと、誰にも話せるはずがないんだもの。
だけど、ごまかしたりしようって気がまるで湧いてこないの。どうしてかしら。本当に、おかしな話ね。
ところであんた、どこのだれ?
へぷちッ!
ん、みてみてー。これが誰か私のうわさをしているなって自分の知名度の高さを信じて疑わない表情!
最強の称号をかけて宗教家たちと闘った日々は、この私を人気の絶頂へと導いてくれたの! おかげで行く先々でいろんな人が、ご飯とかお菓子とか貢物を捧げてくるので、お腹はいつも幸せ。やったね。
ところが、我が宿敵こいしにその話をしたら「ああ、わかるわかる。こころちゃん、なんか餌付けしたくなるもんね」って言われた。
温厚な私もさすがにお面に、あいや頭にプッツンときて、失礼なやつめ! 最強の称号に今もっとも近い私を、ペット感覚で扱うとは何事だ! って言い返してやった。
そうしたら、こいしは私の言葉に心を動かされたようで、イチゴ味のキャンディをくれたの。ほっぺがとろける甘さに免じて、彼女の無礼は許してあげたよ。
でも、たしかに私はまだまだ自分の感情と表情を学び足りない未熟者。
もっと強くなって、感情を平定させ、新しい希望の面も克服したい。だから、こいしに聞いてみたの。強くなるにはどうすればいいのかって。
それでね。こいしが言うには、女の子にとって最強の存在は、白馬の王子様なんだって!
さっそく、馬がほしいって神子様に頼んだ。神子様は会うたびにいろんなものをくれる、優しい方だから。
でも、神子様はなにを勘違いしたのか「ふむ、よかろう。我が子の頼みとあらば、この聖徳王、自ら馬となってみせよう! ほーら、こころ。パパ、お馬さんになったぞ!」なんて言って、四つん這いになりだしたの。日なたに長くいすぎたのかな。
それでもせっかくだから、とりあえず背中に乗ってみたの。そうしたら、これがおどろくほど快適!
生みの親でもあり、いつもお世話になってる……そんな方を馬代わりにしてるって考えると、なんだかお腹が熱くなって、体は跳ねるようにご機嫌になった。
そのときにね、いつも神子様の近くにいる青色おばさんが「あら、蘇我様。そんなに怖い目をして、どうしたんです? あの子がうらやましいんですか?」って屠自古さんに話しかけたの。
屠自古さんは、いつものむずかしい顔のまま「べつに。私だって毎晩、太子様に乗ってるし」って言った。だけどすぐに、となりの青色おばさんと同じ呆けた表情を浮かべて、それから茹だったみたいに顔を真っ赤にさせた。ひそかに最強の座を目指してることがばれて、恥ずかしかったのかな。
その後、部屋中が真っ白になった。雷鳴がとどろき、稲妻が走り、神子様が床の上で痙攣して……あっ、しまった、この話は秘密にしておかないといけないんだった!
なんということだ。雷のお仕置きは嫌なのに。なんで会ったばかりの人にこんな話をしてしまったんだ!
うっかり。うっかり。
だけど、おかしいなぁ。誰かに話し出してもごまかせるように、空吹の面を用意していたのに最後まで言ってしまうなんて。
それにこの面、なんだか静かすぎる。こんなこと、今まではなかったのに。むうんむん。
……それであなた、だれだっけ?
へぷちッ!
ううん。だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。風邪なんかじゃないってば。
お姉様ったら心配性ね。でも私たち、吸血鬼なのよ。ちょっとくらいの病気なんか、すぐに治っちゃうでしょう。
それでも気になるの? 妹のことを気にしない姉なんて、それこそ病気のようなものだから?
へえ。ふうん。
でもさ、それってもう手遅れじゃないのかな。お姉様は私をこじらせてるんだもの。私って病気をこじらせてる!
だから、私がお姉様のこと、心配してあげるね。ちゃんと、ずっと、みててあげるから。
それでおあいこってものでしょう、ね?
それに、病気だって私がやっつけてあげる。
お姉様の頭のねじをしめたり、お腹をぐるぐるかき回すやつがいたら、すぐにキュッてしてあげるよ。
でも、今は無理かな。今日はなんだか調子が悪いから。
どの目もちょっと前から縮んでいってね、今だともう、すごくちいさいの。だから、手のなかでつかめないのよ。
放っておけば、そのうち治るとは思うけどね。だから、お姉様。病気になるなら今はだめだよ。
今の私だと、お姉様が白目をむいて地べたに這いつくばって苦しんでも、とどめをさしてあげることしかできないんだから。
ええ、なあに。今日はやけに素直じゃないかって?
そう、そうなの。
なんだかふしぎな気分でね。いっつもお姉様に思ってたことが、今日はすらすら出てくるの。
舌の上で、気持ちが転がせられなくてね。言葉に羽がはえて、そのまま外に飛び出していくみたい。
普段だったら、飛び出すのは拳のはずなのに。お姉様が私の前にいて、鼻血を流さずに済んでるなんておかしいよね。あなたも、そう思うでしょう。
いったい、どうしてなのかしら。ふしぎだね。おかしいね。
ところであなた、いつからいたの? ここまで、いったいどうやって? お姉様はこの人のこと、知ってる?
そうだね、知らない。私もだよ。
ねえ、あなた、お名前は?
へぷちッ!
やーん、風邪かなあ。
それとも妖精症? あったかくなると鱗粉をまき散らすから、妖精って嫌い。今度見かけたら潰しておこうっと。
ああ、でもでも、ひょっとしたら私のことを思い出してくれてるのかも。紅茶を淹れて、カップを二つ用意してるかも。お姉ちゃんがさ。
だったら、地底に帰らないとね。
顔のむずむずは、お家の門限だもの。頭の上に浮かんでるうちにお家に帰れば、お姉ちゃんをびっくりさせられるし。私、あの顔が好きなんだー。
へぷちッ!
んく、またくしゃみ。
お姉ちゃん、そんなに待ちきれないのかな。それとも本当に風邪なのかも。この前の決闘でも、くしゃみがひどかったからね。
宗教家のみんなの闘いに、混ぜてもらった頃だったかなあ。
相手の懐にもぐりこんだところで、とびきりのくしゃみがちょうど出てきてね。相手の人、ぴーんって跳ねあがってのけぞってたよ。
それに、スキップして思いきり飛び上がったら、私の膝がちょうど相手のお腹にめり込んで、葉っぱみたいに吹き飛んだり!
なんだか闘ってる間は、妙なクセがついたみたいで面白かったなあ。それで、そのときのクセがまだ続いているのかもね。
へぷちッ!
んくく、もう、もうっ。やっぱり風邪ー?
帰ったら甘いシロップを飲んておこうかな。知らないうちにいろんなところで風邪をうつしてました、なんてことになったらお姉ちゃんに叱られるもの。
帰ろう、帰ろう、お家に帰ろう。
あなたにも、私の風邪がうつっちゃったかもね。ごめんなさーい。あなたも私も、どうぞお大事に。
それじゃあ、またね。知らない人。
へぷちッ!
くそ、くそ、このくそったれが。
なんだ、本当にただの病か。それにしたって……ああ、気分がわるい。頭がねじれそうだ。
姫、姫、水をくれ。あ、いや、もうあいつはいないんだった。今はあの巫女のところだったか。なんで、あいつのことなんか。
いや、それよりも今はこの体だ。思えば、前から妙だった。
人をからかうにしても、舌が上手く回らなかった。騙すことができないんだ。いや、騙そうとする気になれない。
わかるか。嘘のひとつもつけない天邪鬼が、どれだけみじめなものかをだ。その間抜けが私なんだ。
ぐ、ぐ、ぐ。
だめだ、きもちわるい。このまま、ねじ切れてしまいそうだ。汗もひどい。
手ぬぐいを、姫、持ってきてくれ。姫、どうした、姫!
いや、いや、だからあいつは。そうだよ、なんだ、なにをやってるんだ、私は。
ああ、くそ。
おい、お前。私が馬鹿に見えるだろう?
わかるよ。私だってそう思ってるんだから。
私の気持ちは、どこへ向いていたって構わない。姫のこととかな。それが自分に似合わないものでも、ただそれだけの話なんだ。
だがな、今の私は本心を吐いている。そりゃ、気分も最悪になろうってものだよ。
本心はな、体にわるい。のどもかわく。
水をくれよ、姫、姫、姫! くそっ、だから姫はいないんだって! それがどうしてわからないんだ、え、この間抜けな頭は!
そうだ。お前、姫を呼んでこいよ。そうすれば、私も少しはマシになるってもんだ。
だから、呼んできてくれ。なあ、いいだろう。お前、えっと……。
そういえば、お前、いったいだれだ?
へぷちッ!
失礼。こういうのを、医者の不養生というのかしら。まあ、私は薬師ですけど。
あなたもこの風邪のことを聞いて、ここに来たの? もう大分知れ渡ってるのかしら。
それとも、知らないの? だったら、言わなければよかったわ。こんなこと、あまり教えたくないんだもの。
でも、教えないわけにはいかないの。私も、すでにそうなっているからね。
お察しの通り、もうだれもが嘘をつけなくなってるわ。
そもそもの原因はわからないけれど、なにか菌のような形で広がっているみたい。嘘がつけないという働きが、あらゆるものに移り渡ってる。
より正確にいうなら、嘘をつこうと思えなくなってる、かしらね。もはや、私たちはスーパーエゴの作用から放れてしまった。つまり、自我の抑圧がなされてないのよ。
これがどれほどおそろしいことか、あなたにはわかるかしら。いえ、愚問ね。わかっていたらここに来てなどいないもの。
それでも準備はした方がいいわよ。ここから出る準備。
鈴仙たちにさせてるけど、間に合うかしら。まったく、面倒なことになったものね。
本当にわからないの? 進行はもう、目に見えるまでになっているのよ。
さっきもね、宵闇に襲われたって人が来たけど、自分は貧血だと信じてたのよ。ほかにも、似たような人が増える一方。
ああ、もう、本当に間に合うかしら。
うどんげ。ちょっと、うどんげ。進捗はどうなの。ちょっと、うどんげー?
聞こえてないのかしら。仕方のない。ねえ、あなたも、もう帰った方がいいわよ。なるべく早く。
……あら、でもあなた、あまり里の人らしくないわね。今になって気づいたけど。
あなた、いったいどこの人なのかしら?
へぷちッ!
ああ、少し揺れてしまいました。
私の肌の上でぴょんぴょん跳ねる、あの愛しい住民たちが怖がらないといいのですが。私にだって、愛着というものがありますからね。
当然ですよ。私はただ横たわるだけの大地ですが、それでも考える力はあるのです。私の上で、あるいは中で、日々を愉快に過ごす彼女たちを、どうして愛さずにいられますか。
私は、彼女たちが好きなんですよ。その気持ちに、なにひとつ偽りはありません。
……ですが、それでも嘘は私のなかで息づいているのです。
名前をつけてくれた彼女の、あのとき私についた嘘が。
今や、嘘と現実は奇妙に混じり合い、そして打ち消し合おうとしている。そうして残るのがどちらかなど、いうまでもありません。
常に真実を口にしていれば、ついた嘘を覚えている必要はどこにもないというのに。今、その嘘が暴かれようとしている。彼女たちが、私の嘘が、もう消えようとしているのです。
いや、それよりも、もっとひどい。消えた上で、私はそのことを自覚しなければいけないんだから!
あなたは、はじめからわかっていたでしょうね。
そんなあなたに、私はじつに滑稽に見えたはずだ。でも、いいじゃないですか。退屈しのぎにはなったでしょう。
わからない?
いや、いや、そんなはずがないんだ! あなたにはすべて、わかっていたはずだ!
だってあなたは、私を、私たちを、よ
……………………
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へぷちッ!
あなたはくしゃみをひとつして、ふたたび画面に視線を戻した。
面白かったです
聞き手はこいしかと思いきやミスリード?
あと、太子にライドしてる屠自古の様子を早く詳しく
ただ、最後の人は概ね分かったものの、それでもすっきりしない印象でした
負けました。完敗です。
みんなかわいい、それだけかと思いきや不思議な締めかたを。
面白かったです。