てかてかと光るでこぼこした赤黒い触手の先端に、私を待つ蓮子の姿があった。
なんともそそられる……じゃなかった。別に蓮子が耽美で淫靡でねっちょねっちょな幻想的エロ生物に狙われているわけじゃない。
ただ、そういう卑猥な形をしたオブジェクトが設置されているだけのこと。
小学生が図案し、匠の技でアレンジメントされたエキセントリックな造形が目を引く噴水である。
タコなのかイカなのか深淵に潜む何かなのか全く見当のつかないものの足が縦横無尽に張り巡らされ、幾多と空いた穴から水が不規則な方向に飛び散る。
匠曰く、シンプルに海洋生物を表現しようとしたらしい。
どこがシンプルだ。
おどろおどろしさのみを抽出して何倍にも解釈したこの姿のどこが。
子供たちからはもっぱらお化け呼ばわりだし。正直キモい。
この噴水をネタにしたオカルトなんて調べるまでもなくいくつもあるし。
それにしても、もう蓮子がいるなんて珍しい。
いつもの蓮子は時間単位で遅れてくるものだ。
真冬、片田舎に現地集合と言いながら当日になっても音沙汰なく結局3時間待たされたこともある。
あの時は温厚で淑女なこのメリーさんもさすがにブチギレた。延髄に重いハイキックを食らった蓮子は昏倒し、その日の活動は中止。
それ以降、連絡だけは欠かさなくなった。それと、蓮子がハイキックのよけ方を会得した。相変わらず遅刻癖は治らないのが不満だけど。
なのに、今日はどうだ。
集合時間は14時。今は大体13時30分。来る途中、到着時間が早すぎるかもと気づいたときは今日は何時間待たされるのかと案じていたのだけど、杞憂だったらしい。
どうせ早く来ているなら、蓮子のところに向かわない理由はない。
私は足を急がせた。
あくまで、ほんの少しだけ。
今日のヒールは割と高い方だから、うまく走れない。
多分ハイキックも出来ない。
やるなら、ローキックかな。
そう、今日は秘封倶楽部の活動じゃなくて、普通のお出かけ。
場所は町はずれの水族館。
幻想的神話タコ噴水も、水族館だからタコがモチーフなのだ。
タコに謝れ。タコに。
「あ、メリー。気合い入ってるじゃん」
私に気づいた蓮子が手を振ってくる。
さすが蓮子。私のおしゃれに気が付くとはお目が高い。
せっかくのデートなんだし、いつもよりも気を使ってフリフリなお洋服を着てきたつもりだ。化粧もしたし、口紅もばっちりラメ入り。
つまりいわゆるロリータファッション。
そういう趣味はないけど、不思議と自分に似合う気がした。自分でいうのもなんだけど、私ってお人形さんみたいだし。
可愛いのよ私。くるくる回ってみようかしら……あっ。
足ひっかけた。危ない危ない。
対して蓮子は特に変化なし。いつも通りのモノクローム洋服だ。うっすらと化粧してるみたいだけど、特に口紅とかしてるようには見えない。
前に、「白黒写真から出てきたの?」とか突っ込んだこともある。
蓮子は「肌は肌色だ」とぷりぷり怒っていた。そこじゃないんだってば。
「いつもの活動の時はいいけど、デートでくらい女の子らしい格好しなきゃね」
「ちょ、え、デートって……ち、違うでしょ。ただのお出かけじゃない!」
二人っきりで水族館に行く。これがデート以外の何物だというのよ。
仲睦まじい二人が水族館に行って、ワイワイ楽しんで、じゃあこれで解散、ってあっさり帰るの?
帰っちゃうのよね。はぁー、同性同士ってそんなもの。
認められないわぁ、メリーさん文化の中じゃ女の子同士で朝帰りが基本なのに。
「それに、これが動きやすくていいじゃない」
デートかどうかはこの際おいておくとして、水族館に行動力はいらないんじゃないかな、ってメリーさん思う。
サメが襲ってくるわけでもあるまいし。あっ、でもあのタコはあるかも。ポテンシャルはある。
「……もしかして、似合ってない?」
「大丈夫。似合ってるし可愛いわ」
そう言ったら、蓮子は顔を赤らめてそっぽを向いてしまった。
この子可愛いなぁ。
メリーさん、蓮子の事大好きなの。
もちろん友達としても、そしてそれ以外の意味でも。
キャッ恥ずかしい。
……大学生になってまでキャッとか言うのホント恥ずかしいわ、人間として。
でもなぁ、うん。
こういう反応とか、日ごろの反応を見るに、多分蓮子も私の事が好きだと思うんだけどなぁ。断定はできないけど、8割方はそうかなって思ってる。
例えば、私がアイスキャンディをペロペロテロテロと食べてると顔真っ赤にして止めようとするし。
週刊誌とかの露出多い服見て「馬鹿じゃないの」とか言って笑うくせに、私が前衛的な服装すると顔真っ赤にして目をふさぎつつその隙間から私のことみてるし。
妙に間接キスとか気にするし。
どうしてこう顔に出やすいのか。へたれか。思春期の中学生か。って突っ込みたくなってくる。
ちなみに私は蓮子に突っ込まれたい方。ネコネコメリーさんだよ。
ま、今の関係でも不足してないしいいんだけど。
いじるの楽しいし、それに、残りの2割が怖いし。8割は外れるから。
「あらあら宇佐見さん。顔がお赤いですわよ」
「も、もう行くよメリー!」
顔はそっぽを向いたまま、私の手を取って、蓮子は水族館の入口へ走り出した。
ふふ、握り返してあげよーっと。
昔の水族館は生きた魚を展示していたらしい。
ここの水族館でも、海洋ほ乳類のショーをやったり、生き物に触れるプールを用意したり、とかやってたってパンフレットの隅っこの方に小さく書いてあった。
あくまで、昔は。
環境変化、設備の劣化、新しい技術の導入などなど、さまざまな要因が兼ねあった果てに、今の水族館はほとんどホログラム展示になっている。
ホログラム。正直、あんまり感動しないと思う。
過去の魚を忠実に再現したニセモノがふわふわしてるだけじゃん。
本物が見たいけど、いまだ展示してる本物ってどこにでもいる生物だけだし。
それこそ、ナマコだの、クラゲだの、ヒトデだの……そんな物ばっかし。マナマコとシカクナマコの違いに興奮し、キュビエ器官に想いを馳せるような人、くらいしか楽しめないって。
秘封倶楽部の活動を兼ねようにも、人工物の中の境界は少ないし、クラゲブースにある境界とか、見るからに毒ありそうで触りたくないし。
つまりは、ここには本当にデートしに来ただけってこと。うん、デート。蓮子がなんて言おうとも、私はけっしてこの主張を曲げないわ!
実際、ほかにも何組かのカップルがいる。生き物を見る場所として面白いかどうかは別としても、ほの暗い館内はどことなくムードがあるし、よほど斜に構えない限りなんだかんだ言って楽しいものは楽しい。
だから、入口の噴水のわかりやすさもあって、いいデートスポットになるわけだ。
あ、男同士で来てる人もいる。
あの二人近い。いい雰囲気だ。もしかしてそういう関係なのかな。大丈夫、私は味方よ。応援してる。念でも送ってあげましょうかしら。そうら、メリーさんのラブラブパワーよ! めりめりめりめりー。
「メリー、見て!」
「めりめり――うん?」
蓮子に袖を引かれて足を止めると、そこは一際大きな水槽があった。
縦は大体7、8m、横がその二倍くらい。奥行きもかなりあって、沢山のホログラムが光っている。
つまり、この水族館の目玉水槽ということだ。カップルがそこらじゅうで黄色い声を上げてるし、さっきの男二人組もここの魚を遠巻きに眺めていた。
にしても何で平日なのに、こんなに人がいるの。困ったものよねほんと。
……大学?
休講よ。
ウソじゃないわ。ホントに休講だから。
「このおちょぼ口、面白くない?」
蓮子が一匹の魚を指差した。
あれは確か河豚の仲間。毒がある、ってことくらいしか知らない。
確かになんか四角いし、ピコピコ泳ぐ姿は愛らしい。そう、まるで――
「まるで、一限の時間通りに来たのに休講だった時の蓮子の渋い顔みたい」
「えっ私こんな顔してるの!? ウソでしょ!? ……どっちかっていうと、便器に境界を見つけた時のメリーみたいな顔してる」
なんと不名誉な。
「そんな経験ないじゃない! 迷子になって空を見上げたら曇り空だった時の蓮子よ!」
「いやいやいやいや! それを言うなら、あっ――」
応酬の途中で、蓮子が固まった。
首をかしげる私と、目をそむける蓮子。はっはーん、また変なこと考えたな、この思春期め。
「どうしたの、蓮子」
「い、いやその……なんでもない、そうね、曇り空見上げた時の私の顔そっくり!」
何を隠してるんだろう。きっと変なスイッチが入っちゃったんだと思うけど。
案外初心だから、真顔で変なこと考えられないところが蓮子の欠点でありかわいいポイントだと思う。
メリーさんが日ごろどんなこと思ってるか教えてあげたら、三日くらい眠れなくなるんじゃないかな。青少年には有害なのよ。
それはそれで面白そうだけど。
しかし、河豚かぁ。河豚。ふぐぐぐぐ。私の前で右往左往してる泳ぎ下手な奴。
たまに食べるけど、今食べる河豚って合成河豚なのよね。
つまりは、河豚の風味がする河豚の刺身の形をした白い何か。
昔は簡単には食べられなかったんだよ、ってよく言われるけど、そんなこと知ったこっちゃない。
私は現代人だからね。
ただ、現代に生きる弊害もあるんだと思う。
形を似せて動きを似せて――そこまでしても、やっぱり違う。
限りなく近づけたとしても、生物という極限値に接することはない。
ホログラムは漸近線を描く。どんなに技術が進もうと、光が生物になることはない。
ふと、その河豚がまたこちらに顔を向けた。愛らしいおちょぼ口だが、それよりも河豚の目が気になった。
こちらを、見ている。
ホログラムでできた生き物が、たまたまプログラミング通りに向きを変えただけ。そう言ってしまえばそこでお終い。
それだけなのに。
私たちは、見られている。
そんな気がした。
水族館は、人が魚を見る場所だ。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいていると哲学者は言った。
私たちがホログラムに観察されている?
ありえない話だ。生まれてすらいない光が、何かの意図を持ってこちらを見るはずがない。
だけど、薄気味悪い。
極限値に達しないと、本当に言いきることができるのか。
この水槽に居るのは河豚だけじゃない。本当にたくさんの魚がいる。
カラフルな魚たちだ。
あるものは、銀色。
あるものは、青色。
あるものは、茶色。
あるものは、黄色。
あるものは、白色。
その瞳は皆、黒色。
何かに引き込まれるような気がした。
怖い。怖い。怖い。
瞳が怖い。こちらを眺める魚の瞳が、心の底から怖い。
この感覚一生抜け出せないのではないか。
もしかしたら、私の周りにはもう誰もいないのではないか。
私の視界には魚しかいない。
今、近くにカップルはいるの?
今、遠くに男二人組はいるの?
今、隣に蓮子は本当にいるの?
いるに決まっている。
私がホログラム酔いをしているだけのはず。
間違いなく、いる。
でも、絶対とは言い切れない気がして――
頬に、やわらかいものが触れた。
思わず、振り返った。
先程と何も変わらぬ光景に、安堵する。
男二人組が手をつないでいて。
カップルたちが抱き合っていて。
そして、蓮子が河豚みたいな口を――
「あっ……」
「……ん?」
河豚みたいな口をした蓮子の唇に、うっすらと粉がかかっていた。
もしかして、私がぼうっとしている間にきなこ餅でも食ったか……いや違う。
……私のファンデ?
河豚の口、ファンデーション、頬に触れた柔らかみ……あ。
私、キスされた?
よく見れば、河豚の口ってキスをする時の唇に似てる。
でも蓮子が?
本当に?
「蓮子」
「メ、メリー、その、違くて」
ハッと口を押える蓮子の目はうるんでいた。
カップル達は己の愛に忙しい。
でも、ここには沢山の邪魔者がいる。魚の目はまだ健在だ。
「ごめん、メリーごめん!」
「落ち着いて、蓮子」
走り出した蓮子の腕を慌てて掴む。
私の出来る限りの力を込めて。
「逃げないで」
今にも泣きそうにしながらも、蓮子は足を止めた。
辺りを見渡して、順路の矢印を探す。
「こっちよ、蓮子」
残念ね、お魚さん。
これ以上は見せないわ。
生物展示ゾーン。
漸近線を描かない、本物の生き物達が展示されている。
幾人かいるクラゲブースを越えた先、ナマコゾーンで足を止めた。
ここなら安全。誰もナマコを見ようなんて人はいないし、ナマコに目はない。
「蓮子」
「はっ、はいっ! ごめんなさい!」
泣き顔の蓮子は、頭を下げる。
私の中のサディスティックメリーさんが刺激されるけど、このままいじめるのは、違う。
8割が99%になったんだ。
せっかくの機会なのに、虐めるわけにはいかない。
それに、向こうから仕掛けてくれた。
ネコネコメリーさんとしては、嬉しい限りだ。
でも、欲を言えばもう二つよね。
「蓮子には二つ、間違いがあったわ」
うつむいたままの蓮子。
足が出口の方を向いている。
腕を離したら絶対逃げるだろう。
させるものか、と腕を抱え込んだ。
「まず一つ」
蓮子の肩がびくりと震えた。
「皆、見てたでしょ」
「そ、そんなことはなかっ――」
一瞬、蓮子が顔をあげた。
その時を見逃さない。
腕を思いっきり引っ張る。
私の方につんのめった蓮子を体で受け止めて、背中から抱き寄せた。
そして、唇を――
蓮子は呆然としていた。
「……え」
みるみる顔を赤くしていく蓮子。その唇はラメできらきらと光っていた。
でもまだ終わりじゃない。
どうしても、やってもらわなきゃいけないことがある。
そっと抱き寄せて、耳元で囁いた。
「もう一つ」
私はネコネコメリーさんだからね。
自分から、なんて満足できないの。
「キスは、口と口でするものよ」
水槽に映る私の唇は、まるで河豚の口の様だった。
なんともそそられる……じゃなかった。別に蓮子が耽美で淫靡でねっちょねっちょな幻想的エロ生物に狙われているわけじゃない。
ただ、そういう卑猥な形をしたオブジェクトが設置されているだけのこと。
小学生が図案し、匠の技でアレンジメントされたエキセントリックな造形が目を引く噴水である。
タコなのかイカなのか深淵に潜む何かなのか全く見当のつかないものの足が縦横無尽に張り巡らされ、幾多と空いた穴から水が不規則な方向に飛び散る。
匠曰く、シンプルに海洋生物を表現しようとしたらしい。
どこがシンプルだ。
おどろおどろしさのみを抽出して何倍にも解釈したこの姿のどこが。
子供たちからはもっぱらお化け呼ばわりだし。正直キモい。
この噴水をネタにしたオカルトなんて調べるまでもなくいくつもあるし。
それにしても、もう蓮子がいるなんて珍しい。
いつもの蓮子は時間単位で遅れてくるものだ。
真冬、片田舎に現地集合と言いながら当日になっても音沙汰なく結局3時間待たされたこともある。
あの時は温厚で淑女なこのメリーさんもさすがにブチギレた。延髄に重いハイキックを食らった蓮子は昏倒し、その日の活動は中止。
それ以降、連絡だけは欠かさなくなった。それと、蓮子がハイキックのよけ方を会得した。相変わらず遅刻癖は治らないのが不満だけど。
なのに、今日はどうだ。
集合時間は14時。今は大体13時30分。来る途中、到着時間が早すぎるかもと気づいたときは今日は何時間待たされるのかと案じていたのだけど、杞憂だったらしい。
どうせ早く来ているなら、蓮子のところに向かわない理由はない。
私は足を急がせた。
あくまで、ほんの少しだけ。
今日のヒールは割と高い方だから、うまく走れない。
多分ハイキックも出来ない。
やるなら、ローキックかな。
そう、今日は秘封倶楽部の活動じゃなくて、普通のお出かけ。
場所は町はずれの水族館。
幻想的神話タコ噴水も、水族館だからタコがモチーフなのだ。
タコに謝れ。タコに。
「あ、メリー。気合い入ってるじゃん」
私に気づいた蓮子が手を振ってくる。
さすが蓮子。私のおしゃれに気が付くとはお目が高い。
せっかくのデートなんだし、いつもよりも気を使ってフリフリなお洋服を着てきたつもりだ。化粧もしたし、口紅もばっちりラメ入り。
つまりいわゆるロリータファッション。
そういう趣味はないけど、不思議と自分に似合う気がした。自分でいうのもなんだけど、私ってお人形さんみたいだし。
可愛いのよ私。くるくる回ってみようかしら……あっ。
足ひっかけた。危ない危ない。
対して蓮子は特に変化なし。いつも通りのモノクローム洋服だ。うっすらと化粧してるみたいだけど、特に口紅とかしてるようには見えない。
前に、「白黒写真から出てきたの?」とか突っ込んだこともある。
蓮子は「肌は肌色だ」とぷりぷり怒っていた。そこじゃないんだってば。
「いつもの活動の時はいいけど、デートでくらい女の子らしい格好しなきゃね」
「ちょ、え、デートって……ち、違うでしょ。ただのお出かけじゃない!」
二人っきりで水族館に行く。これがデート以外の何物だというのよ。
仲睦まじい二人が水族館に行って、ワイワイ楽しんで、じゃあこれで解散、ってあっさり帰るの?
帰っちゃうのよね。はぁー、同性同士ってそんなもの。
認められないわぁ、メリーさん文化の中じゃ女の子同士で朝帰りが基本なのに。
「それに、これが動きやすくていいじゃない」
デートかどうかはこの際おいておくとして、水族館に行動力はいらないんじゃないかな、ってメリーさん思う。
サメが襲ってくるわけでもあるまいし。あっ、でもあのタコはあるかも。ポテンシャルはある。
「……もしかして、似合ってない?」
「大丈夫。似合ってるし可愛いわ」
そう言ったら、蓮子は顔を赤らめてそっぽを向いてしまった。
この子可愛いなぁ。
メリーさん、蓮子の事大好きなの。
もちろん友達としても、そしてそれ以外の意味でも。
キャッ恥ずかしい。
……大学生になってまでキャッとか言うのホント恥ずかしいわ、人間として。
でもなぁ、うん。
こういう反応とか、日ごろの反応を見るに、多分蓮子も私の事が好きだと思うんだけどなぁ。断定はできないけど、8割方はそうかなって思ってる。
例えば、私がアイスキャンディをペロペロテロテロと食べてると顔真っ赤にして止めようとするし。
週刊誌とかの露出多い服見て「馬鹿じゃないの」とか言って笑うくせに、私が前衛的な服装すると顔真っ赤にして目をふさぎつつその隙間から私のことみてるし。
妙に間接キスとか気にするし。
どうしてこう顔に出やすいのか。へたれか。思春期の中学生か。って突っ込みたくなってくる。
ちなみに私は蓮子に突っ込まれたい方。ネコネコメリーさんだよ。
ま、今の関係でも不足してないしいいんだけど。
いじるの楽しいし、それに、残りの2割が怖いし。8割は外れるから。
「あらあら宇佐見さん。顔がお赤いですわよ」
「も、もう行くよメリー!」
顔はそっぽを向いたまま、私の手を取って、蓮子は水族館の入口へ走り出した。
ふふ、握り返してあげよーっと。
昔の水族館は生きた魚を展示していたらしい。
ここの水族館でも、海洋ほ乳類のショーをやったり、生き物に触れるプールを用意したり、とかやってたってパンフレットの隅っこの方に小さく書いてあった。
あくまで、昔は。
環境変化、設備の劣化、新しい技術の導入などなど、さまざまな要因が兼ねあった果てに、今の水族館はほとんどホログラム展示になっている。
ホログラム。正直、あんまり感動しないと思う。
過去の魚を忠実に再現したニセモノがふわふわしてるだけじゃん。
本物が見たいけど、いまだ展示してる本物ってどこにでもいる生物だけだし。
それこそ、ナマコだの、クラゲだの、ヒトデだの……そんな物ばっかし。マナマコとシカクナマコの違いに興奮し、キュビエ器官に想いを馳せるような人、くらいしか楽しめないって。
秘封倶楽部の活動を兼ねようにも、人工物の中の境界は少ないし、クラゲブースにある境界とか、見るからに毒ありそうで触りたくないし。
つまりは、ここには本当にデートしに来ただけってこと。うん、デート。蓮子がなんて言おうとも、私はけっしてこの主張を曲げないわ!
実際、ほかにも何組かのカップルがいる。生き物を見る場所として面白いかどうかは別としても、ほの暗い館内はどことなくムードがあるし、よほど斜に構えない限りなんだかんだ言って楽しいものは楽しい。
だから、入口の噴水のわかりやすさもあって、いいデートスポットになるわけだ。
あ、男同士で来てる人もいる。
あの二人近い。いい雰囲気だ。もしかしてそういう関係なのかな。大丈夫、私は味方よ。応援してる。念でも送ってあげましょうかしら。そうら、メリーさんのラブラブパワーよ! めりめりめりめりー。
「メリー、見て!」
「めりめり――うん?」
蓮子に袖を引かれて足を止めると、そこは一際大きな水槽があった。
縦は大体7、8m、横がその二倍くらい。奥行きもかなりあって、沢山のホログラムが光っている。
つまり、この水族館の目玉水槽ということだ。カップルがそこらじゅうで黄色い声を上げてるし、さっきの男二人組もここの魚を遠巻きに眺めていた。
にしても何で平日なのに、こんなに人がいるの。困ったものよねほんと。
……大学?
休講よ。
ウソじゃないわ。ホントに休講だから。
「このおちょぼ口、面白くない?」
蓮子が一匹の魚を指差した。
あれは確か河豚の仲間。毒がある、ってことくらいしか知らない。
確かになんか四角いし、ピコピコ泳ぐ姿は愛らしい。そう、まるで――
「まるで、一限の時間通りに来たのに休講だった時の蓮子の渋い顔みたい」
「えっ私こんな顔してるの!? ウソでしょ!? ……どっちかっていうと、便器に境界を見つけた時のメリーみたいな顔してる」
なんと不名誉な。
「そんな経験ないじゃない! 迷子になって空を見上げたら曇り空だった時の蓮子よ!」
「いやいやいやいや! それを言うなら、あっ――」
応酬の途中で、蓮子が固まった。
首をかしげる私と、目をそむける蓮子。はっはーん、また変なこと考えたな、この思春期め。
「どうしたの、蓮子」
「い、いやその……なんでもない、そうね、曇り空見上げた時の私の顔そっくり!」
何を隠してるんだろう。きっと変なスイッチが入っちゃったんだと思うけど。
案外初心だから、真顔で変なこと考えられないところが蓮子の欠点でありかわいいポイントだと思う。
メリーさんが日ごろどんなこと思ってるか教えてあげたら、三日くらい眠れなくなるんじゃないかな。青少年には有害なのよ。
それはそれで面白そうだけど。
しかし、河豚かぁ。河豚。ふぐぐぐぐ。私の前で右往左往してる泳ぎ下手な奴。
たまに食べるけど、今食べる河豚って合成河豚なのよね。
つまりは、河豚の風味がする河豚の刺身の形をした白い何か。
昔は簡単には食べられなかったんだよ、ってよく言われるけど、そんなこと知ったこっちゃない。
私は現代人だからね。
ただ、現代に生きる弊害もあるんだと思う。
形を似せて動きを似せて――そこまでしても、やっぱり違う。
限りなく近づけたとしても、生物という極限値に接することはない。
ホログラムは漸近線を描く。どんなに技術が進もうと、光が生物になることはない。
ふと、その河豚がまたこちらに顔を向けた。愛らしいおちょぼ口だが、それよりも河豚の目が気になった。
こちらを、見ている。
ホログラムでできた生き物が、たまたまプログラミング通りに向きを変えただけ。そう言ってしまえばそこでお終い。
それだけなのに。
私たちは、見られている。
そんな気がした。
水族館は、人が魚を見る場所だ。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいていると哲学者は言った。
私たちがホログラムに観察されている?
ありえない話だ。生まれてすらいない光が、何かの意図を持ってこちらを見るはずがない。
だけど、薄気味悪い。
極限値に達しないと、本当に言いきることができるのか。
この水槽に居るのは河豚だけじゃない。本当にたくさんの魚がいる。
カラフルな魚たちだ。
あるものは、銀色。
あるものは、青色。
あるものは、茶色。
あるものは、黄色。
あるものは、白色。
その瞳は皆、黒色。
何かに引き込まれるような気がした。
怖い。怖い。怖い。
瞳が怖い。こちらを眺める魚の瞳が、心の底から怖い。
この感覚一生抜け出せないのではないか。
もしかしたら、私の周りにはもう誰もいないのではないか。
私の視界には魚しかいない。
今、近くにカップルはいるの?
今、遠くに男二人組はいるの?
今、隣に蓮子は本当にいるの?
いるに決まっている。
私がホログラム酔いをしているだけのはず。
間違いなく、いる。
でも、絶対とは言い切れない気がして――
頬に、やわらかいものが触れた。
思わず、振り返った。
先程と何も変わらぬ光景に、安堵する。
男二人組が手をつないでいて。
カップルたちが抱き合っていて。
そして、蓮子が河豚みたいな口を――
「あっ……」
「……ん?」
河豚みたいな口をした蓮子の唇に、うっすらと粉がかかっていた。
もしかして、私がぼうっとしている間にきなこ餅でも食ったか……いや違う。
……私のファンデ?
河豚の口、ファンデーション、頬に触れた柔らかみ……あ。
私、キスされた?
よく見れば、河豚の口ってキスをする時の唇に似てる。
でも蓮子が?
本当に?
「蓮子」
「メ、メリー、その、違くて」
ハッと口を押える蓮子の目はうるんでいた。
カップル達は己の愛に忙しい。
でも、ここには沢山の邪魔者がいる。魚の目はまだ健在だ。
「ごめん、メリーごめん!」
「落ち着いて、蓮子」
走り出した蓮子の腕を慌てて掴む。
私の出来る限りの力を込めて。
「逃げないで」
今にも泣きそうにしながらも、蓮子は足を止めた。
辺りを見渡して、順路の矢印を探す。
「こっちよ、蓮子」
残念ね、お魚さん。
これ以上は見せないわ。
生物展示ゾーン。
漸近線を描かない、本物の生き物達が展示されている。
幾人かいるクラゲブースを越えた先、ナマコゾーンで足を止めた。
ここなら安全。誰もナマコを見ようなんて人はいないし、ナマコに目はない。
「蓮子」
「はっ、はいっ! ごめんなさい!」
泣き顔の蓮子は、頭を下げる。
私の中のサディスティックメリーさんが刺激されるけど、このままいじめるのは、違う。
8割が99%になったんだ。
せっかくの機会なのに、虐めるわけにはいかない。
それに、向こうから仕掛けてくれた。
ネコネコメリーさんとしては、嬉しい限りだ。
でも、欲を言えばもう二つよね。
「蓮子には二つ、間違いがあったわ」
うつむいたままの蓮子。
足が出口の方を向いている。
腕を離したら絶対逃げるだろう。
させるものか、と腕を抱え込んだ。
「まず一つ」
蓮子の肩がびくりと震えた。
「皆、見てたでしょ」
「そ、そんなことはなかっ――」
一瞬、蓮子が顔をあげた。
その時を見逃さない。
腕を思いっきり引っ張る。
私の方につんのめった蓮子を体で受け止めて、背中から抱き寄せた。
そして、唇を――
蓮子は呆然としていた。
「……え」
みるみる顔を赤くしていく蓮子。その唇はラメできらきらと光っていた。
でもまだ終わりじゃない。
どうしても、やってもらわなきゃいけないことがある。
そっと抱き寄せて、耳元で囁いた。
「もう一つ」
私はネコネコメリーさんだからね。
自分から、なんて満足できないの。
「キスは、口と口でするものよ」
水槽に映る私の唇は、まるで河豚の口の様だった。
蓮メリちゅっちゅごちそうさまでした。
ホログラムの水族館とかしっかりSFやってるのも素敵です
蓮メリいいですよねぇ。同性同士で苦悩しながらの恋愛は本当に純愛って感じがしてたまりませんね。ごちそうさまでした