Coolier - 新生・東方創想話

3度も覗ける万華鏡

2014/04/24 10:35:18
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 万華鏡とは、筒の中に張られた鏡とビーズなどの鮮やかな欠片が織りなす、幾何学的で美しい模様を見て楽しむ玩具である。その形状は望遠鏡に近いと言えるだろう。大抵の場合は華やかな着物のような柄をしている。また百色眼鏡、錦眼鏡、カレイドスコープと呼ばれることもある。お土産として購入したことがある人も多いだろう。
 その日本的美しさを持つ見た目と名前のせいで、日本の伝統工芸だと思われがちだが、発祥は残念ながら1816年のスコットランドである。考案したのはブリュースターという物理学者であり、「美しい」「形」「模様」を意味するギリシャ語を組み合わせてカレイドスコープ(Kaleidoscope)と名付けられた。
 それからたった3年後の1819年(江戸時代の文政二年)には、摂陽奇観という書物の中で日本でも自作されるようになったことが確認できる。この伝来の早さを鑑みると、「江戸時代の日本は鎖国のせいで非常に文化的に閉鎖的であった、という従来の認識は誤りである」とする説も正しいものに感じられる。

「なんだよー。ちょっとくらい見せてくれてもいいじゃんかよー」

 さて、幻想郷が隔離されたのは明治初期のことである。とすれば南蛮渡来の万華鏡といえども、江戸時代中期には既に流入していたのだから、幻想郷に万華鏡が定着しても何らおかしくはないはずだ。
 とはいえ市場がそこまでは大きくない幻想郷の人里では、万華鏡を大量生産しているとは思えない。人里で気の向いた人がたまに手作りするくらい、とするのが妥当であろう。だとするなら出回っている万華鏡は極少数であり、それなりに珍しいものになっているはずである。

「だから見ちゃダメなの!」

 人里の子供がもし寺小屋に万華鏡を持ってきたなら、その子は少なくとも皆が飽きるまではヒーローになるに違いない。しかし本日のところは、そうはならなかったようだ。
 寺小屋の教室の後ろの方で少年少女が言い争っている。女の子の方は煌びやかな万華鏡をがっしりとつかんでいて、男の子の方がそれを見せるように言うも、彼女は首を決して縦には振らない。

「そんな嘘までついて俺には見せたくないのかよ!」

「嘘じゃないもん!」

 言い争う二人の周りを取り囲むようにして、何人もの子供たちがそれを見守っている。大体女の子は女の子の方の、男の子は男の子の方の味方をしているようにも見える。
 ただ取り巻きの殆どは、二人がいつ取っ組み合いの喧嘩を始めてしまうのかと、心配そうな顔をしている。

「どうしたんだ、お前ら」

 慧音が声をかけると、言い争っていた二人は一先ず静かになる。とはいえ一応黙っただけであって、今にも噛みつきかねない雰囲気である。対照的に取り巻きの子供たちは、先生が来てくれたからこれで一安心だ、とでも言うようにほっとした表情をしている。

「だって、コイツが万華鏡を拾ったって自慢してきたのに、見せてくれないんだ!」

 男の子の方がそう慧音に訴えると、女の子の方が食い気味に反論してくる。

「自慢なんかしてないもん!」

「こらこら、二人とも落ち着きなさい」

 この女の子は近所でも気が強いことで有名で、男の子にも物おじせずにずけずけものを言う。とりあえず慧音は女の子の方に事情を聞くことにした。

「どうして見せてあげないんだ?」

 つとめて理性的に慧音は彼女に話しかける。彼女の性格であれば、拾った万華鏡の一つや二つ、貸してやるのにいちいち文句は言わないはずだが、と慧音は不思議に思った。

「だって……拾った万華鏡を見たら目がつぶれるってお兄ちゃんが言ってたもん!」

「そんなわけないだろ!」

 男の子の方がそのセリフに噛みついて、再び口喧嘩に突入する。わーきゃーと再び口論になる二人を尻目に、慧音はひどく驚いたような、気まずそうな表情をしているのだが、周りの子供たちは二人に気を取られて、先生の表情に気づく様子はない。

「はい、止め止め!」

 慧音がパン、パンと両の手を叩くと、二人はまた一時的に静かになる。

「みんなは万華鏡の落とし物の話を知っているか?」

 騒いでいた少女と数人が頷き、他の子供たちは全員首を横に振る。

「その話は先生も知っているから、私から話そうと思うんだが……いいかな?」

 少女に向かってそう聞くと、彼女はこくりと頷いた。
寺小屋の教室の中で帰らずにだらだら残っていた生徒も集まってきて、紙芝居屋のような光景になる。
 慧音は皆が静まるのを待ってから、その昔話を語り始めた。










 此処じゃない何処か、今じゃないいつか、小松某という男がいたそうだ。
 小松は所帯も持たず、ろくに仕事もしないものだから、いつも貧しかった。稼いだお金もすぐに博打で溶かしてしまう。貧しい彼はいつも空腹をかかえて、町をふらふらとしていた。
 そんな彼はあることで、嫌な方向に有名だった。
 彼は落ちているものを何でもかんでも拾ってしまうことで有名だったんだ。
 長屋に置いてあるものは大体拾い物で、空腹を満たすため落ちている食べ物があれば何でも口に放り込んでしまう。極めつけは誰かが何かを落とすところに出くわすと、「落としましたよ」などと優しく言葉をかけるような真似は決してしないで、すぐに自分の懐に入れてしまうんだ。たとえそのことに本人が気づいて小松に返してくれと言っても、彼は「落とす方が悪い。落ちているものは誰のものでもなく、拾った持ち主のものになるのさ」と開き直る始末だ。
 町の人は当然小松のことを嫌い、彼が近づくと決して持ち物を落としてはならないと気を使うのだった。

 彼がいつものように博打で財布の中を空っぽにした後、人気のない道を不機嫌そうな顔で闊歩していると、足元に何かが落ちていた。
 それは万華鏡だった。
 赤を基調に、煌びやかな装飾が施された美しい万華鏡だ。
 「これはしめたぞ」と彼はにやりと笑った。質屋辺りにでも売り飛ばせば、そこそこの金にはなるだろう。そう考えると、自然と彼の口角は緩んでしまったという。
 折角だからどんな模様が見えるか覗いてみることにした。これだけ綺麗な装飾なら、きっと中身も美しいだろうと考えたのだ。
 小松は左目をつむり、もったいぶるようにゆっくりと右目を万華鏡に近づけた。
 そっと万華鏡を回しながら、中を覗くと――――

『あぐぅううう⁉』

 右目が火を噴いたかのような熱さを感じた。その激痛に耐えきれず、彼はごろごろと地面の上をあがき苦しむ。全身からは汗が止まらず、喉から声にならない悲鳴が漏れる。
 たまたま近くを通りかかった男が、小松を見てこれはただ事じゃない、と急いで町医者のもとに連れて行った。
 町医者はたいそう驚いた。しかもどう治療したらいいかもわからない。一先ず彼の右目を冷やし続けているうち、何とか激痛は引いた。
 しかし小松の右目はこの時以来、ずっと見えなくなってしまった。

 それからというもの、この一件ですっかり懲りたのか、彼は何でもかんでも拾うことをやめたという。拾い食いをしなくなったのでお金を大切にするようになり、前よりかはいくらか勤勉に働くようになったそうだ。失ったものは大きいが、彼の人生は右目が潰れたことで大きく変わったということだ。
 どのくらい昔の話か分からないから、案外今頃小松は酒屋で酔っぱらって、相手に眼帯を見せびらかしながらこの話をしているのかもしれない。
 ああ、そうそう。一つ言い忘れた。彼の目が潰れる原因となった万華鏡は、気づけば何処かへ消えてしまっていたという。その万華鏡はどこいぞの道端で、また誰かに拾われるのを待っているのだろう。
 







「だからお前たちも落ちているものをむやみに拾うんじゃ……あれ」

 したり顔で慧音が語り終えると、子供たちはすっかり縮こまってしまっていた。男の子はそれ程怖がる様子を外には出さないものの、顔色が明らかに悪い。女の子の方はもっと悲惨で、お互いに抱き合って震えている子もいれば、ほとんど泣き出してしまっている子もいる。
 
「そ、そんなに怖かったか?」

 子供たちは言葉を発さぬまま、揃って強く首を縦に振る。
 慧音としてはそんな怖い話をしたつもりはなかったのだが、幼い彼らには刺激が強すぎたようだ。
 覗く、という行為は人間にとってそれなりに不安や恐怖を感じるものである。人間が何かを覗くとき、意識はその見るべき対象物に向けられ、周りを見ることができなくなってしまう。そんなときにいきなり声をかけられたり、激痛が走ったりすれば誰だって驚くだろう。
 ホラー映画を見ているときも、「来るぞ来るぞ」と思っているときはそれ程怖くないが、一応ハッピーエンドで終わってほっと胸を撫で下ろしているときに怖いシーンが来ると、恐怖はより一層増す。人が何かを覗いているとき、その人は周りに対する警戒心を捨てざるを得ないのだ。

「だから言ったじゃない……」

 万華鏡を拾った女の子はぽつりと呟く。彼女は話の筋を知っていたのでさして怖がってはいなかったが、万華鏡を恐れているのに変わりはなかった。

「それじゃーこの万華鏡は先生が預かっといていいよな?」

 またしても子供たちは無言で揃って強くうなずく。そんなものには触りたくない、と一同の顔には出ている。さっきまで万華鏡に興味津々だった男の子も、手のひらを返したかのように拒否反応を見せている。
 慧音が「気を付けて帰れよ」と言うと、ようやく彼らは「先生さようなら」と喋った。もっともそれは反射に近いものなのだが。いつも交わしているやり取りだからこそ、子供たちもそう返すことができただけだ。

「そんなに怖かったかなぁ……」

 寺小屋の縁側を歩きながら彼女は呟く。子供たちを驚かしすぎてしまったことを気に病んでいるようで、苦虫をつぶしたような表情をしていた。子供たちが拾い食いをしないようにと話したので思惑通りなのだが、流石にあそこまで怖がられると良心が痛む。

「そういえば」

 ふと万華鏡の中がどうなっているのか気になった。これを覗いたらどんな美しい景色が広がっているのだろうかと、彼女は立ち止まってそれを見つめた。
 本当に目が潰れるとは彼女も思っていないが、目を近づけて見るのが嫌らしく、腕を伸ばし上体をそらして四十センチほど距離を空けて、口をへの字にしながら中を覗こうとする。ゆっくりと何週か万華鏡を回してみるものの、流石に距離が遠すぎたのか、ほとんど中は見えなかった。

「いや……そんなハズはないと分かっているんだがな……」

 慧音にはあの話が創作であるという確信がある。しかしそれでも何となく気味が悪くて、目を近づけることができない。
 万華鏡な華美な装飾も、今では人を陥れようとする得体のしれないもののように思えてきた。

「どうしたもんかな」

 このまま捨てるのが順当なのだろうが、バチに当たりそうでそれはしたくない。万華鏡を実際に覗いてみれば、それがただの万華鏡だと証明できるが、慧音は胸の内にあるひょっとしたら、という不安を捨てきれずにいた。
 一応不死の友人に覗いてもらって確かめるという手段があるのだが、誠実な彼女には思いつきもしないし、思いついたところで実行には移さないだろう。
 ぐるぐると色んな事を考えていると、頭の上で豆電球が光るように、彼女はあることを思い出した。

「あ」

 適任がいるじゃないか、と彼女は胸中で呟く。何でこんな簡単なことに気づかなかったのだろうと悔しく思う以上に、綺麗な解決策が見つかって嬉しくなってしまう。
 道具の事なら専門家がいるではないか。人里と魔法の森の中間に住まう、偏屈な男が。











 天井まであるすすけた本棚、ひょうきんな狸の置物、さびた止まれの交通標識、やたら大きい旧型のコンピューター、値打ち物のように見える宝剣。何の統一感もない商品たちが、所狭しとその店にはひしめき合っていた。基本的には日本家屋の典型ではあるが、ドアやベッドなど西洋の文化もごちゃまぜになっている。
 カーテンから透ける光以外には、店内に差し込む日の光はない。代わりに豆電球が天井からつりさげられているが、それがかえってこの店を一層暗く感じさせた。雑多で狭い店内だが、人によってはそれを風情に感じるのかもしれない。
 そんな奇妙な商品たちに囲まれて、眼鏡をかけた銀髪の男が安楽椅子に揺られている。
 彼の名は森近霖之助。この道具屋である香霖堂の店主だ。

「と、いうわけなんだ」

 丁度慧音からの説明が終わったところだった。話したのは主に万華鏡に目を潰されたという男の物語と、寺小屋の少女が拾った万華鏡の処分に困っているという相談だ。
 ぎしり、ぎしり、と椅子に揺られながら、店主は眼鏡をかけなおす。

「成程。その万華鏡を見てほしくて僕のところへ来たと」

「ええ、店主殿に力になっていただければと」

「しかし妙だね」

「?」

 慧音が首をかしげると、彼は「その小松某という男の話さ」と続ける。

「それなりに僕もこの辺のフォークロアというか、伝承には詳しいつもりなんだが、万華鏡の話なんて聞いた時がない。まあ僕が知らなくてもそれ程おかしくないが……いまいち話の背景が見えてこないというか、矛盾はないが話の筋が妙というか……一言でいえば、それっぽくないな……」

 霖之助がブツブツと考え込むのを見て、慧音は伏せていたことを明らかにすることにした。彼女は頬を人差し指でかきながら、曖昧に笑った。

「流石に慧眼をお持ちでおられる……貴方がそう感じるのも当然かもしれない。何せあの万華鏡の話は私の創作だからな」

 彼は目を丸くして呆けた後、数秒遅れてくっ、くっ、と喉を鳴らして笑った。

「ははは、それなら話に違和感があって当然だ。というかアレかい? 君は自分の作った怪談が怖くなったということか」

 安楽椅子の上で腹を抱えて笑う彼を見て、慧音は耳まで真っ赤にする。
 あの拾い物がやめられない男の話、実は万華鏡を拾った女の子の兄を諭すときに作った話なのだ。彼女の兄もまた何でもものを拾う癖があったのだが、それを止めさせようとして慧音が考えたものである。万華鏡が関わってくるのは、単にその日に慧音の友人が気まぐれで自分にプレゼントしてくれたからだ。
 だからこそ女の子の口から目潰し万華鏡の話を聞いたとき、慧音は驚きと恥ずかしさと懐かしさがないまぜになったような気持ちを味わったのだ。一教師の創作とはいえ存外にそういう話は、世代を超えて語り継がれるものらしい。

「そ、そこまで笑わなくてもいいだろ。最近読んだ外の世界の書物似たような話あったんだよ」

 もごもごと言い訳が転がる。
 ひとしきり笑ってから店主は笑いすぎで出た涙を拭いて、話を進める。

「笑いすぎたね、すまない。それじゃあその万華鏡とやらを見せてくれないか?」

「ああ」

 慧音が懐から件の万華鏡を取り出すと、店主は「外の世界のものだな……」と呟いた。素人目には分からなかったが、彼からすると見るだけで使っている素材が全くの別物だとわかるらしい。
 あまり万華鏡に触りたくないのか、彼女はそれをつまむようにして霖之助に渡す。
 外の世界のものと分かって楽しそうにしていた彼だったが、万華鏡を受け取ってから表情が曇り始めた。

「これは……」

 彼は左手で万華鏡を持ちながら、右手を顎に当てて黙り込んでしまう。しばらく何か考えているようだったが、慧音が先に痺れを切らした。

「それで、どうだったんだ?」

 不安そうな彼女の問いに、彼はまた別の質問を返す。

「誰かこの万華鏡を覗いた人はいるかい……?」

「いいや。結局怖がって誰も見ていないが」

 すると彼は胸を撫で下ろして「それは良かった」と呟く。安楽椅子に浅く腰掛けなおし、背を丸めて彼は切り出した。

「結論から言おうか。これは万華鏡だけれど、ただのそれだけではないよ」

「どういうことだ?」

 慧音が尋ねると、店主は眉間にしわを寄せて話を続ける。

「これは目を潰す仕組みが搭載された万華鏡だ。これを水平にして目に当てたまま一定回数ゆっくりと回すと、内蔵された小さい鉄球が転がり、スイッチを押す。すると覗いている部分から針が飛び出てきて、使用者の目を潰すんだ」

「ど、どうしてそんなものが!」

 慧音が声を荒げる。
 彼女には全く理解できなかった。何の必要性があって、そんな道具が作られたのか。 
 
「寛政時代の江戸の話だ。幼い子供が苦しんでいるところを見るのに興奮するカラクリ師がいてね……彼がそういう仕組みの万華鏡を作り上げたんだ。結構有名なんだけど、聞いたことはないかな? そういう怪談というか言い伝えがあるんだ。もしかしたら、君の万華鏡を拾った男の話も、どこかでこの話を聞いて、それが反映されているのかもしれないね。」

 彼がひとしきり語り終えると、コチ、コチという長時計の針の音だけが、香霖堂の中に響く。
 人里を守る半獣は、ただただ言葉を失っていた。そんな悪意を持った人間がいることが、彼女には理解できなかったのだ。
 少しの間を置いてから、店主はまた話し続ける。

「まさか現代の外の世界にも、同じギミックのものがあるとは知らなかったよ。素材と製法こそ違えど、使っている仕組みは同じものだし、恐らくは目的も――――」

「いや。店主殿、それで十分だ。ありがとう」

 それ以上はあまり聞きたくなかったのか、慧音は彼の話を途中で遮った。そこから先を聞いても恐らく収穫はないだろうし、聞いていて気持ちの良い話ではない。

「そうだね、あまり喜々として話すものでもないしね。この万華鏡、僕が処分しても構わないかな?」

「ああ」

 慧音としてはこれ以上あの万華鏡と関わりたくはなかった。あれはもう、悪意の塊のようなものにしか見えない。
 彼女は逃げるように別れを告げた。
 
「協力してくれた礼はまた今度するよ。それでは失礼する」

「礼なんていいよ、僕は自分の薀蓄を披露したいだけなんだから。それじゃあ道中気を付けて」

 日本建築に妙に馴染んだドアを開くと、ベルの音がからんからん、と寂しげに鳴る。
 後ろ手でドアを閉める慧音の顔は、口角が下がり、眉間にしわが寄っている。目線を足元に落としたまま、複雑な思いを抱えて彼女は帰り始めた。











 夕焼けの照らす田道を、慧音は俯いたまま歩く。その足取りは何処か重そうに見えた。
 ちら、と彼女は目線を上げて、日の光に眉間にしわを寄せて目を細める。夕焼けの赤を、血をこぼしたような色と表現する小説を昔に読んだが、今ならそう表したくなる気持ちもわかる気がする。カラスの鳴く声が、何かとてつもなく不吉なものに思われ、妙に息が詰まる。
 慧音はまるで質量を持ったかのように重い溜息をついた。

「何なのだろう、な」

 独り言が漏れる。その声にいつもの背筋を伸ばしているような雰囲気はない。
 ただひたすらにショックだったのだ。あの万華鏡に込められた悪意が。己の愉悦のために子供を痛みつける人間がいることが、慧音には信じられなかった。
 その悪意が万華鏡という玩具に込められていたことが、尚更に気持ち悪い。子供にとってちょっとした憧れのような万華鏡に、むき出しの醜い欲望が隠されていたというギャップが、余計に人の醜悪さを感じさせた。

 それに比べれば、人を食う妖怪の方が幾分かまともに思える程だ。食欲は本能だし、それは原初からあるもので、人里を守る慧音ですらも、妖怪の捕食行為自体については否定する気はあまりない。人間が魚や肉を食べるのと、本質的にはそこまで差がないからだ。
 しかしこの万華鏡のいたずらは違う。少なくとも原初の時代には、子供を苦しめる様を見て愉しむ文化はなかったのではないだろうか。それは社会が発達し、人の精神がより複雑化することで生まれた歪な願望なのだろう。クローン人間だとか、遺伝子の改造だとかに対する生理的な嫌悪感にも似ている。

 思考はとどめなくあふれ出る。考えたくないような厭な考えが、頭蓋の中を這い回る。
 人里の外から襲ってくる妖怪を退治することは、私にもできる。しかし真に人を傷つけているのが人だったとき、自分に一体何ができるだろうか。半人半獣である私に、それをどうにかする権利と意志はあるのか。本当の脅威が外から襲う悪意ではなく、内から生じる悪意だったとき、私は人間を――――
 
「いや……悪い冗談だ」

 これ以上考えても仕方ないと慧音は判断した。胸糞悪くなる話を聞いて、気分を少し害しただけだ。そんな思い悩む必要はない。気分を切り替えよう。
 そうそう、店主に礼をしなくては。彼は知識も豊富だし、時には良いアドバイスをくれる。加えてあの道具の名前と用途が判る程度の能力は、彼特有のもので、今回のように頼りになることもある。

「ん?」

 自分の思考に違和感がある。何かがおかしくはないか。慧音はさっきまでの自分の思考を、丁寧になぞってみることにする。
 店主には礼をしなくてはいけなくて、中々の博識で、能力は――――

「あ」

 喉から間抜けな声が漏れる。
 数秒遅れて、彼女は完全に事態を理解した。

「やってくれたな、あの店主……!」

 慧音の口もとがひきつる。
 彼の能力は「道具の名前と用途が判る程度の能力」である。だとするなら、あの万華鏡に触れたところで、万華鏡ということがわかっても、人の目を潰す仕組みがあるとはわからないのではないだろうか。よしんば名称が「目潰し万華鏡」のようなものだったとしても、詳細な仕組みまでは、店主の能力では知ることができない。
 とはいえこれは大した矛盾点ではない。あれの名称が「目潰し万華鏡」で、店主がそれについての詳しい知識を持っていた、とすれば何も問題はない。
 が、しかし、一度疑い始めると、他にも色々とおかしい点に気づく。

 彼は「万華鏡を水平にして目に当てたままゆっくりと回すと、内蔵された小さい鉄球が転がり、スイッチを押して、針が出てくる」と説明した。しかし慧音は一度だけそれを行っている。ここに来る前、寺小屋の縁側を歩いている最中に、万華鏡から目は離していたものの、それを水平にしてゆっくり回転させているのだ。店主の説明が本当であれば、その時に作動しているはずなのだ。
 そう考えると、説明を始める前に「誰かこの万華鏡を覗いた人はいるかい……?」と確認したことも、別の意味を持ってくる。慧音は万が一自分の目が潰れるのが怖くてこの万華鏡が見られないと言った。その発言からすると、まだ誰も万華鏡を覗いていないことは容易に察せられる。誰かが覗いて毒見役になっているのなら、彼女もそう覗くことを恐れたりはしない。
 事前に誰かが覗いたのなら、店主の目潰しの仕組みの嘘は成り立たなくなってしまう。覗いたときに針が出てきていない、となれば誰だって彼の話に疑問を抱き始めるだろう。覗きこそしていないものの、カラクリが作動するような行為をした慧音は、現にこうして疑念を抱いている。彼はそれを防ぐために確認していたのだ。

 加えてその仕組みを実演していないのも妙に思えてくる。目から離して作動させれば、針が飛び出しても危なくはない。店主の性格上、その場で実演しながら説明しそうなものだが、彼はそれをしていない。

 冷静になってみれば、江戸の変態カラクリ師が作ったという話ですら矛盾点がある。彼はあの目潰し万華鏡が作られたのは寛政時代といっているが、寛政時代は西暦1789年から1801年である。しかし万華鏡がスコットランドで生まれたのは1816年である。万華鏡そのものが生まれていない年代に、改造万華鏡が開発されたというのはおかしな話だ。「知らないのかい?」と言っておきながら、あの話は彼の創作だったのだ。
 慧音も教育のためとはいえ、小松という架空の男を主人公にした嘘の話をしたのだ。嘘の話で騙されても、自分だってやっていたのだからあまり文句は言えない。

「動機は恐らく……」

 単純にあの万華鏡が欲しかったのだろう。店主はあれを見て、外の世界のものだと言っていた。外の世界のマニアである彼としては、嘘をついてでも手に入れる価値はあるだろう。
 自分が処分しようか、という質問に慧音が「ああ」と答えた瞬間、彼は心の中でガッツポーズをとっていたのだろう。もっとも彼女が首を横に振ったとしても、詭弁をこねくり回して手に入れていただろうが。

「まったく……」

 結果として慧音は万華鏡をだまし取られたことになるのだが、彼女は怒りに燃えるどころか、ある種すがすがしい気持ちになっていた。恐らく古来、人間に知恵比べで負けた妖怪とはこんな気持ちだったのだろう。とはいえ二人とも半妖半人であるのだから、妖怪に知恵比べで負けた人間でも成り立つのだが。
 あくまで慧音の推測だが、店主としてもそういう気概だったのではないだろうか。外の世界の万華鏡を見て欲しくなったのだが、わざわざ嘘をついてまで手に入れる気はなかった。しかしふっと頭の中に嘘のストーリーが思いついたので、知恵比べをする気分で試しただけだった。多分ばれてしまえば、自分の負けだと言ってすごすごと引き下がったのだろう。
 博識な店主が万華鏡の生まれた年代を間違えたとは考えにくい。目潰し万華鏡の生まれた年代を寛政としたのは、慧音に対するヒントだったと考えた方が筋通る。慧音が気づくなら万華鏡は諦め、気づかなければ自分のものにするという、ちょっとした賭けのつもりだったのだろう。

 森近霖之助という人物は、良識はあれど決して善人ではない。相手の足元を見ることはしょっちゅうだし、一度魔理沙からアメノムラクモを騙し取ったこともあるくらいだ。彼が嘘の話をしたとしても、さして驚くべきことでもない。
 これから来た道を引き返して嘘を問い詰めることもできるが、それは何だか無粋なような気がした。慧音自身それほど万華鏡に執着していたわけではないし、自分の敗北をわざわざ言いに行く必要もない。
 
「今日のところは私の負けだな」

 その言葉は、暗に次があるかもしれないということを示していた。その時が慧音には待ち遠しく感じられた。負けっぱなしは彼女の流儀ではない。どんな仕返しをしてやろうか、と考えると柄にもなくわくわくしてしまう自分が何だかおかしかった。

 顔を上げて人里の方を眺めると、夕日の赤さが染みて目が細くなる。その輝きが、彼女にはどこか暖かく感じられた。カラスの鳴く声を聞くと、郷愁のようなものが胸の中にあふれる。あの万華鏡を覗いてみたい、と思っていたことも彼女はすっかり忘れていた。わざわざそんなものを覗かなくても、この夕焼けの景色だって十二分に美しいからだ。あまりに綺麗すぎて目が潰れそうだな、と彼女はらしくもない冗談を思いついて、思わずニヤついてしまう。
 夕焼けの照らす田道を、慧音は真っ直ぐに前を見据えて歩く。その足取りは妙に軽そうに見えた。
4/1に投稿したかったんですが同人誌の原稿で手一杯で無理でした、無念
万華鏡を題材にしたフォークロア的なものを書きたかったんですが、中々どうして難しいです
一応これ霖之助の話が嘘だったという保証はないんですが、私はそのつもりで書いてます……が、どちらの解釈でもありだと思ってます
批評苦情非難感想アドバイス、何でも良いのでコメントがもらえるとうれしいです
真坂野まさか
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コメント



0.1340簡易評価
2.80名前が無い程度の能力削除
3つのストーリー、3つの由来。一本で3回美味しい万華鏡です。霖之助はこんなヨタ話を考えるのが大好きですから、さしもの慧音も騙されてしまった、というところでしょうか。
5.90奇声を発する程度の能力削除
面白く読んでて楽しかったです
10.100名前が無い程度の能力削除
あっぱれです!
11.10名前が無い程度の能力削除
結局この話は何が言いたかったんだろう、理解力が足りないから良く解んないや
慧音が自分の作り話を自分で恐れてる理由もよく解んないし、あんまり面白くないなー
12.10名前が無い程度の能力削除
霖之助の話が嘘だったとしたら、慧音に対して子供をだしにするとかちょっと酷い話かなと感じますね。
14.10名前が無い程度の能力削除
設定自体が作者の思い込みを一般常識扱いで進めてるのが何だかなぁ。
22.100名前が無い程度の能力削除
皆さんのコメントがわかれているように見方によって感じが変わる話だと思いました
万華鏡のように
慧音みたくなんか後味が悪いような逆にいいようにも感じれる日常でよくありそうな引っかかりというか湿り気を感じます
まずこーりんが嘘をついているとしても嘘が深刻な嘘ですし、自分の商売のため言ったとあれば陰湿ですね
謎かけとしてもギャグやそういうところにその人の本当の価値観が出ると思いますし
それをお茶目と感じる慧音も子供らのことは割とどうでもいいのかと冷たい感じがしますね
ですが慧音は悪辣な子供に一生の傷を負わせること自体喜びを見出す人間がいなかったと思えたのでスッキリした気持ちになれたんでしょうね
でもそれも推測に過ぎないですし、なんていうかこの話は気持ち悪い気持ち良さに対する気持ち悪さを扱っていると思いますね こうして書くとギャグみたいでしが
良く世の中見方によって姿が違うといいますが、最近それは気持ち悪いのを気持ちいいという気持ち悪さが気持ちいいのか悪いのかがポイントな気がしますね
23.80名前が無い程度の能力削除
万華鏡の以前にも類似するものがあったりなかったり、と発明者は言ってましたね
フォークロアというよりは単に歴史という感じ。
でも数枚の鏡で多くの虚像が見える万華鏡のように、嘘が嘘を見せる不思議な話で惹かれました
24.100名前が無い程度の能力削除
気の利いたプロット。
霖之助の話にはすっかり騙されました。面白かったです。
25.80名前が無い程度の能力削除
ちょっとオチが見え透いていたことも覗いて、いや除いて欲しかった……
それにしても霖之助はいい性格してますねー
26.90名前が無い程度の能力削除
かつて自らの吐いた嘘を理想されまんまと騙されてしまう。そんな慧音にどこか人間臭さが感じられました。
結局は霖ノ助の一人勝ちなんですよね。他の者も万華鏡こそ盗られてしまったものの、誰も損はしてませんし。そう考えると、慧音のとった行動はある意味では正しかったのかな、なんて思いました。
なんと言うか、懐かしい感じのするお話でした。
28.60名前が無い程度の能力削除
お話としては面白かったのですが、どうしても登場人物の言動に違和感というか嫌悪感が。
慧音にしてもタチの悪いホラ話をした霖之助に憤りながらも、その場で気付けなかった自分の不明と
子供に危険な事はなかったという安堵から渋々糾弾は諦める、という反応の方がらしいかな、と。
その上で霖之助が手に入れた万華鏡は針が飛び出る事はなくてもろくでもないもので、それに気付いた霖之助が慧音のホラ話を利用して手に入れた、という話ならしっくりきたかもしれません。
お話は楽しく読ませていただきましたが、ちょっと私には合わない結末だったかな、という感じでした。
31.40名前が無い程度の能力削除
矛盾点その① 女の子はなぜ危険と分かっていながら万華鏡を寺子屋に持ってきたのか。
矛盾点その② なぜ慧音はその場でこれは自分が作った話であることを打ち明けなかったのか。

それと、フォークロア的なものを作りたかったのなら後半部分は不要だと思います。
騙し騙されの話になってしまって、テーマが曖昧になってしまいますので。
あと、これは重箱の隅をつつくようですが、ホラーの最後にどんでん返しが来て後味の悪いまま終わるのは恐怖を余韻として残すためです。恐怖を一層際立たせるためではないのでご注意を。
そういう意味では最後に霖之助が万華鏡で本当に痛い目にあった方がオチとしてはよかったのかも。
32.90名前が無い程度の能力削除
商売人としての性か、単にコレクターなだけか、とにかく霖之助もやってくれますねぇ
作り話が人々に信じられることでいつしか現実に影響を及ぼしていたかもしれない、
など幻想郷的な解釈を慧音が持っていたりすると良かったかもしれませんね
35.80名前が無い程度の能力削除
幻想万華鏡
36.90名前が無い程度の能力削除
まずタイトルが秀逸だと思いました。
どんな内容の話なのか想像が勝手に膨らんでしまって、クリックせずにはいられません。
露骨なタイトルホイホイとは一線を博す、言葉の響きの美しさも感じられます。

それだけに読む前の期待が大きすぎて、作品自体は決して悪くはないものの、こぢんまりと纏まりすぎているなという印象が強かったです。
慧音の日常ものとして楽しくはありましたので、この作品はこれで十全なのでしょうけど、タイトルが良すぎたのが作品自体の印象を地味にしてしまっているという。
作者さんとしては喜んでいいのやら悲しむべきなのやら、ですね。
38.60名前が無い程度の能力削除
万華鏡の蘊蓄、やりとりは面白いのですが、読後がスッキリしないです。やはり慧音が配役ミスな気がします。教え子を諭すのに浅はかな怖い話で脅かし、話した自分が恐怖で騙されるのは、万華鏡の由来年を覚えてる程聡明な彼女らしくない。騙され役は適任の金髪の子がよかったかな?(意外性がない?
39.80名前が無い程度の能力削除
流石ですね。
霖之助にも半分は妖怪の血が流れていると言うことを再認識させられるお話でした。
他の世界のお話では表せない奇妙なストーリーが東方らしくて良かったと思います。
40.50愚迂多良童子削除
これは逆襲編もあって成り立つ話かな。
霖之助視点で続編があると良いなあ。

>>その万華鏡はどこいぞの道端で、
どこぞの?
>>最近読んだ外の世界の書物似たような話あったんだよ
書物に
41.70名前が無い程度の能力削除
うーん後味が悪い
50.100名前が無い程度の能力削除
香霖の話は結局嘘だったけれども、そういう奴は居るんだろうなあと思うとモヤモヤしますね