Coolier - 新生・東方創想話

香霖堂耳嚢 ~隨紅有孚事

2013/12/22 12:30:33
最終更新
サイズ
217.4KB
ページ数
1
閲覧数
5117
評価数
18/52
POINT
3280
Rate
12.47

分類タグ

1.
 いつも、このあたりで邪魔が入る頃だ。 

 僕は商品にもならない古銭を軽く弾いては、反古紙にその面を書き込みながら、そんなことを思う。
 まぁ、こんなことを考えながら占っている点で、この占いが当たる訳がない。筮竹すら用いない擲銭法ではあるが、そこは当たるも八卦、当たらぬも八卦。

 裏、表、表。
 表、裏、裏。
 表、裏、裏。

 まだ邪魔が入らない。やはり珍客はなし、か。

 裏、裏、裏。
 裏、表、表。
 裏、表、裏。

 なるほど、老陽。
 第四爻変。
 とすると、第四爻が陰に変じる、と。

 紙に結果を書き写しながら、ぼんやりと眺める。
 結局、邪魔が入ることなく、最後まで占いを終えてしまった。心のどこかで、占いの途中にでも邪魔が入るんじゃないかと思ってたんだが。
 うん、やっぱり、ここ数日の平穏は続いているようだ。

 邪魔が入る頃だと思っても、邪魔が入ることがないとは。無事これ名馬、とでも言うべきだろうか。
 などと、独りごちに占いまでしてしまえたのは、いつもなら普通の魔女や暇な妖怪、有閑神様や、茶飲み巫女など、客なのかどうかも判然としない来訪者があって、大抵商売とは異なる時間の過ごし方をすることになるのだけれど、ここ最近、どういうわけか、そうした来訪者がないからだ。

 となれば、これ幸い、商売に専念できるということで、倉庫の整理や帳簿付け、掛け売り金の回収や商品の修復・補修に掃除と充実した毎日を送ることができた。それはそれで有り難いことなので、暇な時間を十分に満喫する。
 積んでいた書物を紐解いたり、道具に触れて修理したり、新しく作成に取りかかってみたり。色々、没頭すべきことは多い。
 まぁ、だからこそ、それほど気にはなってはいなかったつもりだったんだが。
 あるいは、そうではなかったのかもしれない。
 きちんとした「お客様」に道具や骨董品を売却し、ときに持ち込まれた商品を鑑定する。そんな日々を過ごしながら、少し気にし始めていたのかもしれない、俗に言う無意識の中で。

 それはつまり。

 そろそろ、なにごとかあっても良いのではないか、と。
 別に退屈だとか寂しいとか言うことでもないのだけれど、なんとなくそれまでの風習というか、習わしというべきか。そんなことを思ってしまう。
 ときに窓の外を見つめてみたり、ときに湯呑みを拭いてみたり。そういえば、彼女は、あるいは彼女たちは何をしているのかな、と。
 そんなことを考えていたからだろう。
 久しぶりに来訪者があって、珍しく気分が浮き立ったのは。









「こんにちわー。霖之助さんはいらっしゃいますかー」

 元気な、本当に元気な声が店先から聞こえてくる。

「いるよ、どうぞ」

 僕が答えると、「すいませーん」と、これまた大きな快活な声が返ってきた。

「ごめんくださいね~」

 そう言いながら入ってきた女性は、器用におかもちを抱えたり、頭上に上げたりして店内を進んでくる。雑伎団の曲芸じみたしなやかな動きなのだけれど、店内の壊れ物のギリギリを掠めていくようにおかもちが動き回るのは、店主の僕には見ていてハラハラするものだ。

「おいおい、気をつけてくれよ」

 さすがに道具屋の店主としては注意せざるを得ないのだが、言われた方は余裕の面もちで、微笑みさえ浮かべてみせた。

「大丈夫ですって、問題……」

 ありません、と言い掛けておかもちが上下をそのままに宙を舞う。

「おっとっとっと」

 と彼女は転倒しそうな姿のまま、おかもちの落下点に手をのばした。

「やっ」

 そう言うと、にっこり笑っておかもちの取っ手を掴み、落下の衝撃を直前で回避してみせた。ちなみに、その真下には、恐ろしく高価な青磁が鎮座している。

「ちなみにそれを壊したら、君は100年くらいうちの店でただ働きだよ」

 僕が指さした青磁に、ちらっと彼女は目を向ける。

「門番のいる道具屋、ですか。格好良いですねぇ」

 おかもちを掴む腕をまっすぐに突き出しながら、彼女は笑った。それでもなお、おかもちは青磁の上に漂っている。

「ただ働き、の方にこそ反応して欲しいんだけどね」

 呆れ半分に呟くと、彼女は「だって、今の働き場所と変わりありませんからね」と、笑っていいのか悪いのか、判断に困る返事をしてきた。

「いやぁ、商店に住み込みで働けて、三食おやつ、昼寝付きなら有り難いくらいですよ」
「どうして弁償させる相手に、そこまで僕が気を使わなきゃならないんだい?」

 ただ働きする側からの厚かましい条件提示に、僕は皮肉めいて答えた。彼女は微笑みながらおかもちを手元に引き寄せ、またこちらへ歩き出す。

「まぁまぁ、実際には割れなかったんですから良いじゃないですか」

 そう言うと、彼女は勝手知ったる様子で店の奥までやって来てしまった。満面の笑みに毒気を抜かれつつ、僕はそれでも言い返す。

「なるほど。その様子だとお客様というわけじゃなさそうだね」
「あっ、やっぱり分かっちゃいますかぁ?」

 彼女はうんうん、と頷く。

「さすがは、香霖堂店主、お目が高いですね」
「いや、お客なら商品をちらっとでも見てくれるからね。誰でも分かることさ」

 おかもちを持参して店主のもとへ一目算にやってくる様子からは、商品を見る様子は伺えない。ついでにこの程度のことで誉めてもらっても、ちっとも嬉しくない。

「いえいえ、ご謙遜を」

 彼女はそう言うと、よっ、とかけ声をして店主席の前に置いてある、来客用の椅子に腰掛けた。
 すると店主の机の上の紙をちらっと一瞥して、興味深げに美鈴は見つめる。

「おや、「隨」ですか。何を占ったんです」
「今日、良い客があるか、さ。悪ければマジックアイテム造りに専念しようかと思っていたものだから」
「なるほど」

 彼女は一瞬、思慮深い顔を浮かべてざっと見渡す。

「これは、良い、のかな?」
「そんな風に読めるのかい?」

 読めないと思うけれどな。沢雷隨、とはいえ、第四爻変。
 貞凶、なのだから良くはないだろう。
 之卦は屯、一見、良さそうだが、卦辞は余り良くないところがある。
 あるいは、何か中華の奥義によれば良い解釈があるのだろうか。

「あ、いや、そういう意味じゃないんですが……」

 そう言いかけて、美鈴は首を振った。

「いえ、易の話をしに来たわけじゃなくてですね」

 彼女は何かを思い出したかのように、そう答えて拳で手のひらを打った。

「そういや、そうだったね。それで、お客でないなら、何の用だい?それに、いつもの門番の仕事をさぼって来て良いのかい?」

 僕の前に座った女性、紅魔館の門番、華人妖怪の紅美鈴だ。動きやすい拳法着に白いズボン、動きに靡く美しい長髪、なにより快活な笑みと表情が印象的な少女、あるいは妖怪だ。

「ご心配なく。今は私の代わりが門番してますから。まぁ、それも含めての相談なんですが……」
「代わりの門番?」

 奇妙な単語が飛び交う。

「ええ。立派に勤めてくれてますよ。私は守るのが専門ですが、たまには攻めるのが専門の人が門番をするのも、良いものなんじゃないですかね」

 代わりの門番に心当たりがないせいで、僕は首を傾げてみせる。

「咲夜君かい?」
「咲夜さんはメイド長ですよ?門番なんかしませんって」

 自分で「なんか」と言ってみせるのは、謙遜なのか、慇懃なのか。

「でも、妖精たちに門番を任せるわけにいかないだろう?」

 咲夜に言わせると、妖精たちはものの役に立たないのだそうな。その主な仕事は賑やかしという奴であって、ほとんどの仕事は咲夜がしているらしい。とはいえ、あの大きな紅魔館は住人が少ない、ので枯れ木も山の賑わい、妖精メイドがいる方が良いのだという。確かに、格式にこだわりそうなあの吸血鬼の女主人にしてみると、大きな館にはそれなりの勤め人が必要なのだろう。
 まぁ、仕事については十六夜咲夜の能力をもってすれば、一人で全てを賄うことも可能なのだろうし、第一、それほど仕える相手がいるわけでもない。
 あんなもので良いのかもしれない。僕がそんなことを考えていると、彼女も力強く肯定してきた。

「勿論です。あれですよ、門番は凡百の素人がこなせる仕事ではありませんからね?ましてや妖精たちになんて。……さすがに分かってますよね、その辺のことは?」

 確かに、本来、門番とか警護役というのは非常に専門性の高い職業ではある。
 絶えず侵入者を予期し、その侵入経路や方法を想定し、対処法をあらかじめ検討しておく。そして侵入の場合に備えて肉体的・組織的訓練を行い、どのような行動をすべきか、頭だけでなく身体にもたたき込んでおく。いつ、なにが起こっても、気が動転していても、身体は動いているようにするためにも。
 こうした訓練は、肉体的な部分だけでなく、誰に連絡し、誰に指示し、誰がどう対応するべきか判断するような組織的な部分にまで及ぶのが通常だ。
 そうして出来あがった警備体制、それこそが専門的知識の大系なのであり、それは日頃の訓練だけでなく、過去の反省による温故知新の結果として訓練教本として、情報の共有などが行われ、さまざまな手続きを踏んで伝えられる、真に専門的な職業なのである。
 門番、それは古くから存在する専門的職業なのだ。

 ……なのだが。
 ただ、最近は外の世界にしろ中の世界にしろ、素人同然の連中がその警備という大切な仕事に、頭数にそろえるためだけに就いている傾向がある、らしい。
 外の世界では部分時間給で働く、そこに立っているだけの「警備員」がいたり、中の世界では昼寝をしながら警護する「門番」がいたりと、専門性を問われる昨今である。
 嘆かわしい風潮というべきだろう。
 最近の警備は、と警備職種の専門離れが囁かれて久しいこのごろだ。

「それで、誰がやっているって言うんだ?その門番の代わりを」
「はぁ。それが、その。……容疑者が、でして」

 容疑者。
 また、素っ頓狂な言葉が美鈴の口から飛び出した。

「……ごめん、美鈴、話が全然、飲み込めないんだが」
「そう言うと思っていました。それで立ち話もなんなんで、是非、奥で膝を詰めて座り話といきたいんですが」

 いや、今も座っているんだから、奥の住居部まで上がらせる必要はないだろう。
 そう言いかけた言葉を飲み込んだのは、美鈴が邪気のない笑みを浮かべて、おかもちの板をスライドさせたからだ。

「どうでしょうか、手みやげもございますし」

 おかもちの中には丁寧に何段か蒸籠が入っているとともに、白磁のポッドが納まっている。中に、何が入っているかは一目瞭然だ。
 飲茶か。
 確かに、悪くないなぁ。
 こっちを窺うように、上目遣いをする美鈴に、僕は苦笑する。

「まぁ、魚心あれば水心、だね」

 僕は重々しく頷いてみせて、顎をしゃくった。
 すると、美鈴は顔をぱっと輝かせるや否や、おかもちをぽんっと軽く放り投げ、勝手に住居部分へと入り込んでしまった。

「お、おい!」

 そしてまた、落下地点でおかもちの取っ手をつかみ、にっこり微笑む。

「さ、どうぞ」
「中身は無事なのかい?さっきもそうだったけど」

 憮然と答えながら、僕も店から住居部分へ上がる。

「多分、大丈夫ですよ。全部、底をしっかり張り付けときましたから」

 美鈴が僕に微笑み返し、楽しそうに、勝手に卓袱台の上に蒸籠を並べ始めた。
 ぺりっ、ぺりっ、とおかもちから取り出す度に音がするのは、もち米か何かで皿や蒸籠をを糊付けしていたからだろうか。
 ついでに言うと、白磁に入っていたと思しきウーロン茶は、ちょっとずつ中からこぼれていたようで、おかもちの最下層は水浸し一歩手前になっていた。そりゃ、もち米で糊付けしても、お茶は白磁器から出て行くよなぁ。液体だもの。

「少し、烏龍茶は減ってしまいましたが」

 しかし、そんなことは関係ない、とでも言いたげにおかもちの中をうちの布巾で拭きながら、美鈴が言ってよこした。

「蒸籠は大丈夫そうですよ?」

 蒸籠をあけると、まだ熱いのか少し蒸気のようなものが立っている白い饅頭たちが、転がりながら僕に挨拶してくる。

「見事に転がってるけれどね、中の饅頭たち」
「まぁ、あれだけ投げたりすれば、慣性も万能じゃないですからねぇ。運動とか、重力とかで、ほら」
「ほら、じゃないだろ、ほら、じゃ」

 最初からおかもちを投げなければいいだけなのだ。
 僕がつっこむと、悪びれた様子もなく長い箸を取り出して、無惨に転がっていた小さい桃饅頭を並べ直した。その器用な箸裁きにより、次々と桃饅頭が息を吹き返していく。

「見てください、何事もなかったようになったでしょう?」

 なんということでしょう、匠の箸使いにより桃饅頭の蒸籠が、出来上がりのときのように美しく並んでいるではありませんか。
 なら、最初からそうしておけ、と思う。

「うん、何事があったかは、すでに僕は知っているんだけどね」

 美鈴が鮮やかな箸裁きで、次々と蒸籠の中の桃饅頭やニラ饅頭、胡麻団子などを並べ直す。そのたびに、まるでさっきまでの乱雑さが嘘のように、綺麗な飲茶が姿を現した。

「どうです?おいしそうでしょ?」

 美鈴は得意げに言った。

「最初から、その姿で出逢いたかったな」

 僕の言葉に、美鈴が首を振る。

「駄目ですよ、殿方がそんな要求ばかり多いと。あるがままを受け入れる寛大さが重要ですよ?」
「いや、君があんなに曲芸まじりに振り回さなければ良かったんじゃないかな、って言外に言ってるつもりなんだよ?」
「もう、はっきりかっきり、直球で言ってるじゃないですかっ!」

 美鈴が不満そうに僕に言ってよこす。

「だって、伝わらないから」
「……だって、って言うんですね。霖之助さんって。ちょっと子供っぽくて可愛いですね」
「……」

 思わず黙り込む僕に、美鈴は婉然と笑う。

「君はあれかな、僕を怒らせるために来たのかい?」
「まさか!それなら、手みやげなんか持参しませんって」

 ねぇ、とこちらを伺ってくる。

「その手みやげ、みんな転倒していたんだけどね。ついでに烏龍茶も、少しこぼれていたけどね」

 僕が皮肉いっぱいに答えて返すと、それでも美鈴は気にする風でもなく、くすくすと笑い出した。

「何だい?」
「いえ、霖之助さんも、ふてくされるんですねぇ」

 感心したような、面白がるような声色で言ってくる。

「……良い年して、悪かったね」
「いえ、私から見たら、まだまだ若いですからね、可愛いですって」
「……可愛いって言われて喜ぶほど、子供じゃないはずなんだけどな」

 いい加減、目の前の人物の余裕というか、暢気さというか、そういうものに負けて、僕はぶっきらぼうに答えた。第一、男子たるもの、可愛いというのは誉め言葉ではない、……はずだ。
 勿論、その人の価値観にもよるだろうけれど。

「で、僕はこれに、手をつけて良いのかい?」
「勿論ですよ。食べてもらおうと思って作ったんですからね」

 あんまり色々、こちらをからかってくるので、さすがに手を出しかねる僕が尋ねると、彼女はうん、と両腕で握り拳を作って、あははと笑ってから答えた。
 そうか、僕はこういう邪気のなさには弱いのか。
 いかに周囲に邪気の塊が多いかと慨嘆する。
 一通り慨嘆したので諦め半分に黙って箸を握ると、僕は合掌した。

「いただきます」
「どうぞどうぞ」

 美鈴はにこにこ笑って、白磁から小さい飲茶用のカップに烏龍茶を淹れる。

「君は食べないのかい?」
「勿論、私の分も入ってますよ?それで、量多めに作ったつもりなんですが……」

 そう答えて、卓袱台の上に所狭しと並んだ蒸籠を見て、目を丸める。

「霖之助さん、全部、食べる気なんですか?……男の子ですねぇ」

 だから、「男の子」じゃねぇ。
 もとい、「男の子」じゃない。その子供扱いはなんとかならないものか。どうしてそんなに、お姉さん風を吹かすのだろう。僕の認識の中でも、彼女にしてはかなりの追い風参考記録だと思う。

「いや、勿論、独占する気はないよ。君は自分の箸、持ってきてるのかい?」
「ええ。借りるわけにもいきませんからね」
 さすがに男物の塗り箸を貸すのもどうかと思って聞くと、自分用のだろうか、朱い塗り箸を持ったまま彼女も合掌した。
「いただきます」

 彼女は烏龍茶を淹れ終わるとそう言って、さっそく自分で作った蒸し餃子に手を出す。ほうれん草だろうか、中身の緑色が白い皮から透けて、大変、美しい。

「おお、予想通り、おいひい」

 美鈴がにこにこ微笑み、頬に手を当てた。

「……、本当においしそうに食べるね」
「おいしそう、じゃないですよ。おいしいんです」

 彼女は得意げにそう答えて、蒸し餃子をつついて、下に手を添えてこちらへ突きだしてみせた。

「はい、どうぞ」
「……、君、何をしてるんだい?」
「いえ、どうぞ」

 肯定形の文章が、否定形の文章に変わる。ちなみに、文意自体は「勧誘」を意味する命令文の形態から変わっていない。

「どうぞ、おいしいですよ?」

 さらに付加文を加えて、美鈴は小首を傾げる。どうしました?とでも言いたげに。

「いや、自分で食べられるんで」

 僕はそう答えて、突き出された蒸し餃子を回避しつつ、緑色が透けた蒸し餃子を突っつく。

「あらあら、照れちゃって」

 美鈴は僕を見透かすようにそう言って、僕の前につきだしていた蒸し餃子を、またほおばり、頬に手を当てた。

「うまい」

 僕も咀嚼の途中であるにも関わらず、呟く。

「でしょう?」

 得意げな笑みの美鈴が少々気に障るような気もするけれど、確かにおいしかった。
 ほうれん草と挽き肉に海老、それに玉葱に白菜だろうか、丁寧に刻まれて叩かれて練り込まれた具材が、肉汁とともに甘みを……。
 ちなみに、海老あたりの海鮮は、きっと外部から紫あたりが結界をいじくって流入させているんだろう。海産物取り扱いの商人が「外の世界」から持ってくるのかもしれない。
 一体、どうやってるかは皆目見当もつかないが。

「何で、そこで無言になるんですか」
「本当においしかったので、少し自分の世界に、ね」

 おいしいものはおいしい、で良いのだけれど、こういうものは孤独で満たされていないといけないと、どこかで聞いたことがある。
 ついでに、解説付きでないと、伝わらないだろうし。

「ほらほら、もっと食べてくださいよ。まだまだ蒸籠はあるんですからね」

 飲茶というと、甘いものもしょっぱいものも、どちらもおやつ感覚でつまみながら、お茶を飲み続ける、という感覚がある。
 緑茶を片手に甘い和菓子や塩辛い漬け物を食べるのと似たようなものと言えようか。……いや、言えないか。
 烏龍茶は少し冷めてしまっているけれど、蒸籠はしっかり熱していたのか、いまだほっこり暖かい。

「確かに、これは嬉しい手みやげだけれど……」

 僕は次々と開かれては、新しく登場する華のような点心に目を細めながら、しかし美鈴の意図が分からず、そう切り出した。

「いったい、どういう風の吹き回しだい?」

 今更聞くことでもないのだけれど、良く出来た手みやげの数々に段々怖くなっている自分がいる。うまい話には裏がある。
 文字通り、うまい話、だ。
 決してうまいことは言っていないが。

「あれ、霖之助さん、飲茶、お嫌いでしたか?」
「僕の食べ方で分かるだろう?」

 そう言って、また少し大きめの肉饅頭を頬張ってみせた。

「いやぁ、男の子の食べ方って、本当に見てて気持ち良いですよねぇ」

 美鈴はそう言って笑う。
 だから、男の子じゃね、……ない。
 これだ、このペースだ。
 このペースに巻き込まれると本題に入れなくなる。生産性が0に近づいていくわけで。

「そうじゃなくてだね。君は確か、僕に聞かせたい話があったんじゃなかったかい?」

 そう、そのはずだ。
 確か、その話をするために手みやげを持ってきた、……と言っていた。
 ……言っていたよな?

 目の前で僕同様、点心をほおばりながら、「あ、これはうまくいった」「あ、これは次に餡の中に香辛料入れた方が良いかも」「あ、これはもう少しごま油が多い方が良い」とか言いながら、自分の料理を食べて喜悦の表情を浮かべてる姿を見ていると、自信がなくなってくる。
 案外、飲茶を一緒に食べてくれる人を探していた、とかかもしれない。紅魔館でも十分見つけられる気がしたが、虫の居所が悪いと危険になる人物が多いのも事実だしなぁ。女主人や図書館の主は少食だし、メイド長は不機嫌だったら困るし。
 彼女の様子を見ていると、そんな気すらしてくる。

「ああ、ああ?……あ~、あ~、そうでした、そうでした。そうそう」

 僕の言葉を聞いて、ようやくそんな風に自分だけで合点した美鈴は、今度は桃饅頭を頬張った。答える前に頬張りましたよ、彼女は。
 うんうん、と頷きながら咀嚼すると、その中華あんの甘さにご満悦なのか、笑みを漏らした。

「これは、大成功でしたね」
「確かに、この桃饅頭、よくできてると思うよ」

 ごま油の入ったあんこの甘さが、ちょっとクドいような、後を引くような感じがして、とてもおいしい。

「で、なんでしたか」

 またそれか。話が進まないなぁ。

「……君は、何をしにうちに来たんだったっけね?」
「……ああ、そうなんですよ。それでした、それでした」

 そういいながら、今度はゴマ饅頭に手を伸ばそうとする。

「美鈴、それに手を付けると、また繰り返しになるよ」

 小さい茶飲み用の白磁を傾けつつ僕が指摘すると、美鈴が箸を止める。

「そうですねぇ、確かに。繰り返しって怖いですよね」

 そう答えて美鈴は、名残惜しそうにゴマ饅頭を手前の小皿に置いて、こちらを真剣な目で見据えてきた。さっきとは打って変わって真剣な表情になる。

「それでですね、霖之助さん」

 強い口調でいう。

「ああ」

 僕も頷き返した。

「どこから話したものか、それが難しくて悩むんですが」

 美鈴は言葉を探すように腕を組んでいう。

「そもそも、私、何しに来たんでしたっけ?」
「……それを僕に聞くのかい?」

 僕は美鈴に答えながら、先ほどとてもおいしかった海老蒸し餃子に手をやることにした。今の美鈴に真面目に取り合うと、損をするように思えたからだ。
 美鈴の意図、これがわからない。

 だいたい、蒸籠の中身が奇数であることに、美鈴の意図を疑う。これだと、どっちかが必ず、一つ多く取ることになるじゃないか。偶数個なら半分ずつにすれば良いんだが。
 1個だけ残っている蒸籠の多さに、あの残っている一つ、自分が食べちゃって良いのかな、と思っているのだけれど、さすがに口には出せないでいる。意地汚いと言われるのも嫌だし、「あ~、それ狙ってたんですよ、食べちゃいましたか~、そうですか~、霖之助さん、ってそういう人ですか~」とか美鈴に言われたくないし。
 それで許してくれるだろうが、それはそれで僕がへこむ。
 そんなことを僕がぼんやり美鈴の回答を待ちながら考えていると。

「ああ、そうでした、代理の門番の話までは、したんですよね」
「確かに、されたね。僕も忘れかけてた」

 僕も決断して残り一つとなった海老餃子を突っつく。
 すると、僕が取り去っていくのを美鈴は目で追っかけてきた。まずい、やはり彼女もこれを狙っていたのだろうか?

「いるかい?」

 突き刺してしまった海老餃子を見せて、尋ねる。
 突き刺してしまってからでは無礼窮まりないのだけれど、致し方がない。

「いえいえ、どうぞ食べてください。残ってるの、全部食べてくださってもいいんですよ?」

 しかし美鈴はそう答えて、逆ににこにこと微笑んだ。
 どうやら、こちらの視線を見透かされていただけのようだ。食い意地が張っていて恥ずかしい話ではある。

「じゃ、遠慮なく」
「どうぞどうぞ」

 そう答えるのをみて、僕は蒸籠の中身を浚っていく。その様子を美鈴は何がうれしいのか、じっと追ってきていた。

「ええっと、代理の門番、の話の続きは?」

 僕が彼女の視線に耐えかねて話を促すと、彼女はうなずいた。

「そうでした、そうでした。代理の門番の話ですね」

 繰り返しって怖いね。
 そろそろ話を進めないと、もう飲茶だけで良いんじゃないか、ってことになりそうだ。ところが、美鈴の目的はそうでないらしい。実際、そうでなければ門番の仕事を置いて、香霖堂くんだりにまで訪れたりはしまい。
 今、美鈴は香霖堂にて飲茶をしている。
 とすると、現在、門番はどうなっているのか?代理の「攻める専門の門番」がいる、という。
 まぁ、それを聞いて、半ば誰が門番として詰めているかは、推理できるんだけど。

「それがですね、話はだいぶ、遡るんですが、良いですか?」
「どうぞどうぞ」

 僕は自分の取り皿でいっぱいになっている、残り一つだった点心たちに囲まれて、鷹揚に答えた。ようやく、話が進む。繰り返しから脱出できる。
 何事か、八回も同じことを繰り返すという伝説の儀式は必要なかったということで、結構なことだ。

「それが、昨日の午前中のことなんですが……」
「うん」

 僕は海老餃子の味を噛みしめながら答える。
 何をそんな大仰に、と思われるかもしれないが、「海鮮」で「中華」な料理を食べられる機会が、恐ろしいほど少ない僕にとって、これはご馳走以外の何者でもない。つまり、美鈴の言葉を聞き流すように答えていたので、真剣さに多少問題があってもしょうがない。

「あの日、私は麗らかな春の日差しと爽やかな薫風をその一身に受けながら、太極の示す陰陽の道を得んが如く、瞑想に耽って功夫を積んでいたところ……」
「日向ぼっこしながら、うたた寝をしていた?」
「まぁ、俗に言ってしまうと、そういう感じですかね」

 重々しく美鈴はうなずき、創作点心であろうチョコ入り饅頭を口に入れた。ちっとも真剣じゃない気がする。

「あ、これ、意外においしいですね」
「チョコ饅、意外にあるのかもねぇ」

 僕の答えに美鈴がうなずく。危ない、また繰り返しかけた。

「で、そのときなんですが」
「昼寝してたのに、そのとき、って分かるものかい?」
「私ほどの門番の猛者になると、はっきり分かるんですよ。昼寝していてもね」

 美鈴はふふん、と鼻で笑って自慢げに言った。
 なんだか僕も同情して、頷いてみせることにした。

「それで?」
「ええ。その日は、お嬢様が妹様とお茶会をされるということで、咲夜さんも忙しくて、パチュリー様も、それに付き合わされるのね、と愚痴をおっしゃっていました」
「愚痴?」
「まぁ、ご姉妹の間には色々ありましたから、なんかあったときのために、一応、パチュリー様も呼ばれていたんです」

 動かない大図書館も、友人からのお呼びとあれば赴かないわけにいかないらしい。

「雨を降らすことができるのはパチュリー様だけですからね。姉妹喧嘩が始まったときに止められるのはパチュリー様だけ、となれば致し方ありません。本人は嫌がってますけれども」
「そりゃ、そうだよなぁ」

 パチュリーにしてみれば、姉妹喧嘩に付き合わされるのは御免蒙りたいところだろう。とはいえ、彼女もあれで、幻想郷にあっては面倒見が良い方だろう。
 幻想郷のレベルの低さが良く分かる。
 どんだけ面倒見の悪い奴ばっかりなのか。
 まぁ、面倒見が悪いというより気分屋が多い、というべきなのか。

「でも、まぁ、最近は妹様も安定されてますし、何の問題もない、そんなお茶会のように思われたんですが……」
「そうじゃなかった?」
「ええ。と言っても、お茶会は普段通りだったようですよ?いつも通り、妹様がお嬢様に甘えてて、甘やかしすぎるわけにはいかないわ、とか言いながらなんだかんだで、お嬢様が妹様を甘やかすのを、パチュリー様が砂糖吐きながら紅茶で砂糖を回収する、みたいな」

 ……パチュリー、本当にかわいそうだな。
 姉妹ののろけ話を延々聞かされるわけか。ついでに言うと、ときに痴話喧嘩が入る、みたいな。やってられないだろうな。
 その方向性に特化してる紳士ぐらいじゃないかね、それをご褒美にできるのは。

「私からすると、とても平和で暖かい光景なんですけどねぇ。パチュリー様にしてみると、勝手にやってなさいよ、ってことになるんですよ」

 あ、ここにいた。
 ……淑女だったが。

「パチュリーの主張の方が正しいと思うけどなぁ」

 僕のぼやきに、美鈴は首を振る。

「そうですか?私なら、そこでじっとご姉妹の様子を見ていたいですけどねぇ」

 そう言って、美鈴が得意げに続ける。

「咲夜さんなんか、このご様子を記録しておけないかしら、とかはしゃいだ感じで言ってますよ。だから私も言ってやりましたよ、「できますとも。……心のフィルムに、ですけどね」って。すぐにナイフが複数襲ってきましたね」

 ここまでテンプレートだそうな。
 確かに紅魔館の従僕連は、あの女主人たちが好きでくっついているんだから、そんなものかもしれない。

「まぁ、人それぞれ、ってことだね。それで、お茶会は恙ないとしてじゃあ、何が起こったって言うんだい?」

 胡麻饅頭を口にほおばりつつ、僕が聞く。外側の油で揚がった胡麻が、非常に香ばしく、歯触りも良い。

「ああ、そうでしたね。……ほら、お茶会で主要メンバー、みんな紅魔館の主賓室にいたんですよ。そのせいですかね。気付かなかったんです」
「何に?」
「侵入者、……ですかね?」

 美鈴は首をひねってそう答える。いや、門番が一番、不思議がってはいけない単語なのだけれど。

「どういうことだい?」
「それなんですが。残りの紅魔館の人々、なんですけど。当時、メイド妖精たちはいつも通り仕事をサボってましたし、小悪魔さんはパチュリー様にくっついていたんです。なので、その当時、紅魔館内は確かに手薄だったんです」

 いつだって、紅魔館は手薄だと思っている。
 なぜって、警護されるべき人こそが、もっとも恐ろしい存在だからだ。
 正直、目の前にいるこの暢気な門番は、侵入者から主人たちを守っているのではなく、主人たちから侵入者を守っている存在なのだ。
 本人はそのことに気付いているのだろうか?

「で、それが起こったんです」
「それ?」
「ええ。それは図書館で……」
「よし分かった!美鈴、つまり、魔理沙が犯人だね、この話は解決だな」

 僕は最後まで敢えてとっておいた、フカヒレスープ入り蒸し餃子を口に含み、答えた。なんということだ、事件はもう解決してしまったではないか。あと、この餃子、本当に絶品だと思う。

「あ~、やっぱり、霖之助さんもそういう反応ですかぁ」
「正直、それ以外の反応のしようがないだろう」

 僕はそう答えて、口に広がる上質なスープの味と、プツプツするフカヒレの弾力を味わっていた。いや、もう、二度と食べられないかも分からない。

「紅魔館の図書館、侵入者。スリーヒントじゃなくても、答えが分かるよ」
「いやいや、それなんですけど」

 美鈴はあわてて首を振って続ける。

「そこからが問題なんです」

 必死に言い募るように言う。美鈴らしくないその姿に、僕はうなずいた。

「だ、ろうね」

 もし、犯人が魔理沙なら、彼女は飲茶を片手に僕を訪ねたりなど、しないだろうから。

「良かった、聞いてくれるんですね」
「聞かせたかったくせに」

 僕が敢えて子供のように言うと、美鈴は笑った。

「そうでしたね。それで、続きなんですが」

 美鈴はそう言うと、頭で整理しているのか、少し黙る。

「最初は、図書館で爆発音がしたんです」

 ……、う~ん、犯人が魔理沙、で良いような気がするんだけど。

「で、私もあわてて目が覚めました。ぜんぜん、侵入者の悪意とか感じなかったので、正直、心の底から驚いたんです」

 美鈴の言葉に、嘘はないようだ。悪意があれば目を覚ましたはずだ、と力説する。

「でも、確かに図書館に駆けつけると、一部に爆発した後がありました。幸い、火事には至りませんでした。それに、パチュリー様もこあ……小悪魔さんもいなかったんで、人的な被害はでませんでした」

 良かったです、と美鈴が胸をなで下ろすように言う。

「ただし、爆発があった結果、壁に穴が穿たれてますし、書物は散らかり放題、書棚は破壊されて、図書館の一部ではありますが、整理に時間がかかりますし、書物自体のダメージはどれほどになるか、とこあちゃ、もとい、小悪魔さんは頭を抱えていました」

 美鈴にとっては、人が無事なら良かったのだろうが、司書を勤めている小悪魔にしてみれば、これは致命的な打撃かもしれない。

「それで、咲夜さんがすぐに周囲を調べたんです」

 美鈴はそう言って、ぐっと拳を握った。

「そこで、咲夜さんが捕まえてきたのが、なんと!」
「やっぱり、魔理沙だったと」
「あ、わかります?」

 美鈴がちょっと、気をそがれた風に言う。

「さっき、僕はそう言ったじゃないか」
「咲夜さんが時間を止めて周囲を見回ったところ、魔術書を風呂敷に包んで抱えた魔理沙さんが見つかったそうで」

 問答無用で、御用となったそうだ。それにしてもこの魔女、のりのりである。

「じゃぁ、本来なら「もう解決した」、で良いはずだね」

 本来なら、と言ったのは、美鈴の行動がそれを認めていないように思えたからだ。事実、美鈴はうなずいて返す。

「そうなんですが。でも、今回は不思議なんです」
「不思議?」

 図書館で爆発が起こり、その周辺で魔術書を抱えた魔理沙が見つかった。
 何の不思議もない。
 薔薇の木に薔薇の花咲く、の類だ。

「普段、捕まっても悪びれない魔理沙さんが、今回は怒ってるんですよ」
「普段は、悪びれないのか」
「いつもの言い訳で強弁するだけですからね」

 美鈴が言う「いつもの言い訳」は、あの「私が死ぬまで借りてくだけだ、貸し主に迷惑かけたくないから勝手に持って行っただけだ、死んだら返すから窃盗じゃない」の論理である。
 魔理沙がこの論理を一般村人に適用していないところを見ると、本気で相手の方が寿命が上の妖怪からなら、この論理で借りられると信じているのかもしれない。
 但し、彼女が老人になったら、村人相手にも立派に適用できる論理だけに、少し怖いところがある。そうなったら、本当に人間の心を持たない、魔女の誕生になるな。

「今回は、魔理沙は言い訳しなかったのかい?」
「いえいえ、言い訳はしましたよ?でも、今回の言い訳はいつもと違うんです。「窃盗なんか一度もしたことがない、いつもの無断借りもしていない、今回はたまたま近くを通りがかっただけ」って言うんですよ」
「おお、本当に無実を主張している」

 いつもは無実の主張ではなく、窃盗の事実における悪意の有無を争っているのが魔理沙だ。
 今回は、窃盗の事実、あるいは悪意の有無を争っているのではなく、自分が窃盗を犯していないことを主張している。
 これは確かに、珍しい。

「じゃあ、魔理沙の持っていた魔術書は、魔理沙所有のものだった、ってことかい?」

 それなら、限りなく無実に近い。もちろん、図書館を爆破だけして帰っていった可能性もあるが、少なくともそれは窃盗犯ではなく破壊魔である。

「いえ、それがまた、ややこしいんですが」

 そう言って美鈴は中華帽を脱いで、髪を掻いた。綺麗な長髪がやや乱れるが、美鈴はそれを気にせず、苦笑した。

「えっとですね、魔術書は、やっぱり大図書館所蔵のものだったんです」
「……ええ~」

 思わず、失望の声が漏れる。やっぱり、盗んだんでは?

「それが、魔理沙さんが言うには、それは昔に無断で借りてきて、今、読んでいる最中のものだ、って言うんです。分からない箇所があるんで、パチュリー様に聴きに来たのが、今日紅魔館に向かった目的だった、と」
「昔に借りてきた?」

 僕が口を挟むと美鈴が頷いた。

「もちろん、こあ、小悪魔さんは知らないですよ?司書にも聴かずに持って行ってますから、貸出票みたいなものもないですし」
「それじゃ、明らかに言い訳っぽいなぁ」
「ですよね。咲夜さんも呆れてました。もう少し、考えて言い訳しなさい、と。でも、魔理沙さんが言うところも尤もなんです」
「尤も?」

 魔理沙の言うことが尤もだ、というのは酷く珍しい気がする。勢いがあるのが魔理沙の言い訳の特徴であって、適切さが重要ではないからだ。

「ええ。その言い訳を聴いていたパチュリー様が、じゃあ、何が聴きたかったの?って尋ねたんですよ。そしたら、魔理沙様が何事か言うんです」
「何事か?」
「あ~、私にはああいう西洋かぶれな言葉とか魔法的な何かは、少し弱くてですねぇ」

 たはは、と美鈴は中華帽をぎゅっと絞りながら苦笑する。

「ああ、そういうことか。何にせよ、魔理沙が聴きたかったことを尋ねたわけだね」
「ええ、そういうことだと、思います。で、パチュリー様が魔術書を開いて読んだ後で、お答えになったんですけど……」

 ん?すると?
 魔理沙は「自称借りていった本」を読んでいる?

「そうなんですよ。魔理沙さんが言う通り、盗んだ本に目を通していることになるんです。もし、爆破した後に盗んでいったんなら、咲夜さんみたいな能力がなければ、読めるわけがないんです」

 そうすると、俄然、魔理沙が言うとおり、事前に盗んで、もとい「借りていった」ことが正しい可能性が残る。

「でも、咲夜さんが言うには、事前に魔術書の内容を確認しておいて、盗みに入った可能性は否定できないですね、と」
「ああ、なるほど、彼女らしい」

 十六夜咲夜は奇術師でもある。種なしの手品はおいておいて、種がある手品のパターンは彼女にとって親しみのあるものだろう。考え方がひっくり返っている可能性を指摘させたら、右に出るものはいない。
 今回の魔理沙の主張は「あらかじめ盗んでいた魔術書を持って近隣にいあわせた」というものだ。これに対するのは「図書館を爆破して盗み去ったから近隣にいた」だ。
 魔術書がいつ盗まれたか立証されなければ、どちらの主張も正当性があるだろう。そして、咲夜は魔理沙の証言だけでは立証不能、と言っただけである。このあたり、彼女らしい。

「で、魔理沙は結局、どうなったんだい?」
「それで、ずっと聴いてらしたレミリアお嬢様が、おっしゃったんです。このままでは埒が開かないわね、と」

 まぁ、魔理沙は無実だというし、周囲は疑わしいといっている。もちろん、魔理沙が犯人である証拠はないんだけど、これまでの行動からして、「疑わしい」。
 疑わしきは罰せず、という外の世界の現代法の概念なら、無実としても良いかもしれないが、この幻想郷は中世世界的な法観念がある。
 強いものが正しい。
 それが弾幕勝負というルールだとすれば、今回もそれで決すべきところだが。

「それで、魔理沙さんに言ったんです。そこまで言うなら、無実を証明してごらんなさいな、と」
「無実?」
「そうです。レミリア様が言うには、無実なら無実で良いけど、このままでは信じられないと。実際、魔理沙さんが言っていることは、前に盗みました、って告白しているわけですから、仮に前に盗んでいたことを認めるなら有罪ですよね。それを、今回の無実を証明したら、前のことは不問にするわ、と」

 レミリアの言い様はなんともおもしろい。
 この際、無実かどうかはどうでも良いが、魔理沙が無実を証明できるかについては、おもしろそう、ということだろう。

「咲夜さんも、お嬢様がそうおっしゃるなら、と。で、レミリア様が無実を証明するまでは紅魔館で働きなさい、証明できるか、犯人だと認めて謝るなら紅魔館から出て行っていいわ、と」

 ……負けず嫌いの魔理沙なら、絶対謝りそうもないな。それに、その条件を飲まないとレミリアやフラン、咲夜やパチュリーら紅魔館勢と弾幕勝負となるわけだ。
 魔理沙といえど、確かに、面倒くさいかもしれない。

「じゃ、魔理沙はその条件を飲んだのかい?」
「ええ。そのかわり、条件を付けてきましたね。三食昼寝付き、おやつあり、残業なし、紅魔館の中で自由にする権利もついでに、とのことで。まぁ、自分の無実を証明するために捜査しなくちゃいけないですからね」

 魔理沙も魔理沙で、図太いことだ。

「自営業の僕より、好条件じゃないか」
「さすが魔理沙さんですよね。長年仕えている私よりも良い条件じゃないですかね」

 恨めしげに美鈴が僕をみる。

「とはいえ、一応、働くことになったわけか」
「ええ。それで、レミリア様があっさりと、じゃ、魔理沙、あなたフラン付きね、と」

 ああ。
 つまり。
 運命を操る程度の能力を使ってでもしたかっただろうこと。
 彼女にとって、正直、図書館が爆破されたかどうかなど、些細なことだったのだ。

「妹様も殊の外お喜びで、魔理沙さんに抱きついてましたよ。魔理沙さん、しばらく、レミリア様を恨みがましく見てましたが、すぐに気を取り直したのか、妹様の首根っこを捕まえて、よし、捜査にいくぞ、フランと」

 ああ、なんか目に見えるようだ。

「咲夜さん、口元に拳を当てて笑ってましたよ。あれ、魔理沙さんのことが犯人だとは思ってない感じですよ、きっと」
「……魔理沙が一杯、食わされたってことかな」
「ですかねぇ。でも、魔理沙さんもまんざらじゃないみたいですし、二人で探偵ごっこと洒落込んでるみたいです。妹様も面白がって二人で色々紅魔館の中を歩き回っているみたいですよ?」
「それはそれで、牧歌的な光景じゃないか」

 破壊魔二人で探偵ごっこ、世はすべてこともなし。

「ええ。まぁ。そっちはそれで良いんですが……」

 美鈴はそう言って、中華帽をかぶり直す。

「ここで問題が生じます」
「……もし、魔理沙が犯人じゃないとすれば」

 僕が答えると、美鈴はうなずいた。

「そうです、誰が犯人なのか。私が悪意を感じることができず、パチュリー様やレミリア様、咲夜さんを出し抜くような爆破犯とは誰なのか?」

 そう言って、目をすっと細くする。

「もともと、目的は何だったのか?咲夜さんが見回ったときにはすでに周辺には陰さえ見せなかったのは何故なのか?」
「魔理沙を見つけたから、咲夜はほかに人を探さなかったんじゃないのか?」
「いえ、咲夜さんは周辺を見回っています。もともと、紅魔館に近寄る物好きは多くはありませんよ。それでも、魔理沙さん以外の可能性もあるので、見回ったみたいです。でも、いなかった」
「それで、魔理沙に白羽の矢が立った」
「でも、魔理沙さんは無実を主張しています。一応理屈も通っていますし、それに……」

 美鈴が顎に指を当てて続ける。

「私から見ても、魔理沙さんではない気がするんです」
「その理由は?」
「その、それなんですが……」

 美鈴は途端に表情を情けないものに変える。

「実は、女の勘、というやつで……」
「ああ、なるほどね」

 一般に勘というのは、その人の持つ経験や知識が直感として出てくるものだ。良く熟年の漁師や農民が気象を当てたり大漁や豊作を当てるのも、猟師が獲物の行動を追跡できるのも、大工が木材の微少な撓みに気付くのも、刑事や探偵が犯人に目星を付けるのも、皆、こうしたものだ。
 精度が高い反面、なんら理論的ではないために他人を説得する能力に欠けてしまう。しかし、決して無碍に扱って良いものでもない。

「それで、お嬢様に魔理沙さんが無実ではないか、と申し上げたんですが……」

 情けない表情で続ける。

「それなら、あなたも立証してみなさいな、と。それでなくても、何者かに図書館を爆破される失態を犯したんだから、あなたも捜査してみたらどう?と」

 楽しそうに、サディスティックに微笑むレミリアの顔が思い浮かぶ。もちろん、美鈴を虐めて楽しんでいるわけではなく、良い暇つぶしになる、と思っただけだろう。

「女の勘では駄目なんだそうで、なにか、理屈をちゃんと作ってきなさい、と言われてしまいまして」
「理屈、ねえ」
「そうなんです。「女の勘」で他人を説得して良いのは霊夢だけよ、とおっしゃいまして」
「ああ、確かに」

 他は置いて、霊夢だけはそれが可能だ。彼女の勘は当たる。それが世界の法則であり、世界の選択だからだ。
 ただし、霊夢の勘は普段、有効に活用されない。彼女の興味が向かないことには、からきし役に立たないのだ。
 もちろん、それは良いことなのだろうが。彼女の暢気さがそれを許しているが、もし、本気で彼女がその勘を金儲けや信者増加に使い出したら、それはそれで世界の法則が乱れるだろう。

「それで、なんと言いますか、理屈をこねてくれそうな人を探していまして」
「……なるほどね」

 僕は平らげた食器と蒸籠に目をやり、上目遣いの美鈴に目をやる。

「で、ですね。お嬢様がおっしゃるには、あなただけでは難しいでしょうから、助っ人を連れて来ていいわよ、と。面倒くさくて、傲慢で、理屈がこねられる人間で、紅魔館に来ることに意外性があると良いわね、……私が楽しいから、と」
「それを聴いて、僕を訪ねてきてくれたわけだね」

 あは、あはは、と冷や汗を浮かべながら笑う美鈴に、僕はため息をついた。

「レミリアに言われたことをバカ正直に言わなくても良いだろうに。なんで君はそう、誠実なんだろうかね」

 僕は皮肉混じりにそう答えて、蒸籠を片づけ出す。それぞれ重ねて、一番上に蓋をしていく。

「あの、怒りました?」
「いや、ちっとも」

 僕はそう答えて皿を重ねて、磁器をもって台所へ向かう。本当に怒ってはいない。ただ、なんだか面倒ごとに巻き込まれそうだ、と心底思っているだけだ。

「ええ~、怒って見えますよ」
「怒ってないって。……食器は水洗いで良いかい?」
「あ、私も手伝います」

 そう言って僕を追っかけてくる。

「機嫌直してください、って」
「いや、本当に怒ってないよ。つまり、僕も一緒に紅魔館に行け、ってことだろ?」
「ええ、まぁ、そのぅ、捜査をしろ、と」

 お嬢様が、とすかさず美鈴が付け加える。
 やっぱりか。
 あの吸血鬼、本当に暇潰しがしたいらしい。
 そんなことを考える僕の横で、おっかなびっくり僕の様子を伺う美鈴が皿に水を浸けて洗い始める。
 二人で台所に立って水洗いする様は、一人暮らしの家ではなんとも狭い。
 その上、機嫌なおしてくださいよ、と美鈴がちらちら、こちらを伺うものだから、なおさらだろう。

「自営業者に仕事をほっぽり出して紅魔館に滞在しろ、と君は言う」
「ええ、まぁ、その厭がるだろう反応も、あらかた予期しておりまして」

 美鈴はそう言うと、水洗いを終わった食器を僕に渡す。僕はそれを受けて手布巾で拭いていく。

「予期?」
「ええ。その、霖之助さんには泣きつきは通じないでしょうね、と咲夜さんが」

 言いそうだな。と僕は皿を拭き終えてため息をつく。

「あの人は変わり者だから、金も女も駄目、とは言っても男でも駄目だし、泣き落としや人情話も駄目、人の心があるかも分からないものね、と」
「半人だからね。半人の心があるのかもしれないね」

 僕が皮肉混じりに言うと、美鈴はあっけらかんと笑う。

「いえいえ、それ言ったら私は妖怪の心しかないですから」

 美鈴にしてみると、半分あるだけ人間に近いです、ということになるそうだ。一方、咲夜にしてみると、かなり棘があるようで。

「なんだか彼女の中で僕はひどいことになっているな」

 花見を断ったくらいで、僕は人格攻撃をされるらしい。別に彼女に悪意を抱くほどの理由もないし、そう言われて腹が立つわけでもないけれど、それはそれとしてなかなかの言われようだ。

「で、咲夜はその後、なんと?」
「なので、賄賂を効果的に使え、と」

 そう言って、えいっ、と皿を拭き終えて手布巾を絞る僕の横腹を、いきなり突っついいた。いきなりだ。
 良い年した華人妖怪が、良い年した半人半妖に、である。
 咄嗟に変な声が出そうになった。
 辛うじて笑い出しそうになるのをこらえ、思わず美鈴をにらむ。そりゃ、誰だって睨むだろう。少なくとも僕は睨んだ。

「あ、少し怖い」

 美鈴はすすっと、視線をそらした。ちなみに「少し」だった。

「僕も半分は妖怪、なんでね」

 そう答えて、何故か照れ笑いする美鈴を見る。

「つまり、何が言いたいんだい?」
「えっと。今、胃袋の中ですね。その賄賂」

 そう言って、舌を出して悪戯っぽく笑った。
 なんだろう、オノマトペとして言うなら「てへぺろ」ってやつだろうか。流行する前から、魔理沙が良くしてたような気がする。悪戯とか見つかった後で。
 しかし、美鈴は十分に大人なわけだが。

「ねっ」

 美鈴は大人としてはどうだろう、その笑みを浮かべている。

 うん。
 ……僕は紳士だ、僕は紳士だ。
 だから、言わないし、思わない。
 絶対にだ。そんなことは許されないが。
 ……殴りたい、この笑顔。

「食べてしまったものは、返せないですよね?」

 あれ、手みやげと言っていたはずだけれど。
 純粋な善意ではなかったと申すか、この妖怪は。

「返せるとしたら、僕はプライドを捨てる必要があるね」

 そして、それは返したことにはならない。
 あの見事な点心と、返されるものは同一の構成物であっても別のものだ。汚い話はやめておこう。
 飲み込んだ後に、そう来るのは、反則じゃないだろうか。悪徳商法の手口だ。
 それも古代から伝わる類の。

「……全く。僕は君の寿命を延ばせないんだけどな」

 十九の上に、もう一つ九、というわけだ。
 さしずめ趙顔は、80歳の余命を儲けたわけだが。

「北斗と南斗の仙人にも通じた、中華四千年の伝統ある賄ですからね」

 効果はばつぐん、ということだろうか。
 困ったものだ、古来から完成された官僚社会を構成した中華では、古来から賄賂の手段も発達したのだろう。
 管輅は二度とこの手を使っては行けない、と説教されたはずなんだが。
 ついでに言えば、僕は白い服も赤い服も着ておらず、桑の木の下で碁を打ってもいない。ついでに、鶴に化けたりもできないのだが。

「分かったよ。僕の負けだ。でも、僕は彼ら仙人と違って、官僚機構にいるわけじゃないからね。報酬はちゃんと要求するからね?」

 僕は再び食器を重ねてちゃぶ台へ戻る。その様子に、慌てて彼女も追ってきた。

「えっと、それほどお支払いできるものが……」

 おかもちの中に洗って水気を拭き取った食器を入れながら、僕は答える。

「次は、飲茶だけじゃなく、本格的な中華料理が良いな」

 僕は彼女の賄賂に乗ってやること決めて、ぶっきらぼうに答えた。何、仙人たちに比べれば、たいしたことでもないだろう。魔理沙が無罪であることの証明くらい。
 段々、不安になってくるな。

「……さらなる賄賂の要求ですね、悪い人です。でも大丈夫です。私に任せておいてください」

 そんな僕をよそに、美鈴は人聞きの悪いことを大声で言って、嬉しそうに胸を叩いた。

「僕は悪徳官僚か何かか……」

 その様子に、僕は自嘲気味につぶやく。
 これはあれだ。物語冒頭に出てきて、むち打たれたり、処刑されたりする類の人物像だ。固有名詞すら出ず、役職名で片づけられる類の。
 苦笑する僕に、彼女はまた、少し弱くなった口調で言った。

「あ、でも、満漢全席とか、無理ですよ」
「大丈夫、そこまで要求するのは、もっと後になってからだから」

 彼女の余計な心配に、僕は投げやりに答えた。

「いつか、要求する気なんですねぇ」

 美鈴が遠い目で答えるのを、なんとなく、僕はうなずいて返したのだった。
 とはいえ、これで紅魔館に行かなければいけなくなった。なるほど、良い客があるか、の占いについては貞凶か。
 とはいえ、隨えば獲る有り、かな。
 あるいは、当たるも八卦かな、と僕が思っているのを美鈴が不思議そうに見つめていた。








2.
 僕が紅魔館に来るのは先日手に入った西洋甲冑を納品して以来になるから、かなり間が開いているように思う。

 納品する際は、何人かの人足を雇う必要があるのだけれど、村人などが好き好んで吸血鬼の根城に来るはずもなく、妖怪の知り合いを調達する必要があるわけだ。
 幸運なときは博麗神社で霊夢に懐いている伊吹萃香嬢などに頼むことができて、これは日本酒数本で安請け合いしてくれて大変、有り難かったりする。彼女に言わせれば、同じ鬼同士だからね、仲良くしないとね、ということになるそうだ。
 霊夢に言わせると、萃香は寂しがり屋なので、仕事なども嫌がらず積極的に手伝ってくれるのだという。泣いた赤鬼の青鬼を彷彿とさせるわけだが、確かに裏表のない態度は非常に助かる。
 普段、隙間の大妖怪みたいな裏表の境界自体が曖昧な存在や、白玉楼の捉え所のない幽冥禅女などを相手としていると、神経がすり減る感じがあるのだ。
 周囲に言わせれば、僕だって変わり者なんだから良い勝負っじゃないか、などと言ってくるけれど、それは全く違う。

 西洋の哲学者に言わせれば、それはカテゴリーエラーだ。
 僕と彼女たちの間には溝があると思う。多分、物の理解の概念が違うのだと思う。所詮、僕は半人半妖の変わり者にすぎないが、彼女たちは曖昧な「何か」なのだ。

 で、そういう意味では彼女たちに比べてはるかにわかりやすい、但し命の危険で言うならほとんど差はない紅魔館の主人を、ひょんなことから訪ねることになった。
 いつもの商売なら何の問題もないのだが、今回は立場がやや異なる。
 正直、自分の待遇が全く分からないのだ。

 清く正しい招待客か、招かれざる客か、意図せざる異邦人か、あるいは余計者、まかり間違えば侵入者。
 まさか、いきなり攻撃されたり、吸血されたりはしないだろうが。もちろん、館の主は男の半人半妖の血など、所望されないことは十分承知している。

「本当に、レミリアは大丈夫なのかい?」
「お嬢様が連れてこい、って言ったんですから」
「だけどね、僕を連れてこい、って言った訳じゃないだろう?」
「ええ、そりゃ、そうですが」

 美鈴と連れだって話ながら歩く。紅魔館の前の湖を大きく迂回し、ぶらぶらと歩く。日差しが気持ちいいので、普段なら美鈴は昼寝している頃だろうか?

「それに、一応、女だらけの紅魔館、ではないのかい?」
「あれ、霖之助さんって、そういうこと気にするんでしたっけ?」
「……まぁ、多少はね」

 ひどい誤解があるようなので、僕は言葉少なめに答えた。
 一応、男女の差などは考えているのだけれど。男女七歳にして席を同じゅうせず、だったか。

「大丈夫ですよ、妖精メイド以外は、みんな霖之助さん以上に強いですから」
「……それが本当のことだからなぁ」

 ため息混じりに答える。それにしても、他にも理屈こねる奴に心当たりはなかったのだろうか?なんとなく、口に出してみる。

「えっとですねぇ、八雲藍さんとか、稗田阿求さんとか、本居小鈴さんとか、候補はいたんですよ?でも、意外性が重要なわけですよ」
「意外性で、僕だと?」

 非常に異論があるんだが。
 意外性の男、という単語は言われた方としても喜んで良いのか、悲しんで良いのか反応に困るな。

「まぁ、香霖堂から外へ出てきた霖之助さん、って意外性があるじゃないですか」
「失礼な。僕は納品や買い付けの際には店を閉めて、外に出ているよ」

 その抗議に、美鈴はうなずく。

「いや、それは知っていますよ。でも、パチュリー様が外出している際の意外感、みたいなのあるじゃないですか。あれで、外出することも結構あるんですが、全くそんな印象、ないでしょ?」
「何せ、動かない大図書館、だからねぇ」

 確かに、それはあだ名なのだけれど、そのあだ名に象徴される印象が強いのも事実だ。

「それと一緒ですよ。霖之助さんの印象。よっ、動かない大道具屋」

 かけ声が飛ぶ。
 初めて聴いたな、その屋号。

「大道具屋、って書くとあれだね。まるで大道具を扱っている舞台の裏方みたいな印象があるね」

 彼女と話をしていると、決して彼女は馬鹿ではないし、僕も馬鹿ではないつもりだが、なんだか僕たちは馬鹿なんじゃないか、という気がしてくる。
 ちなみに、本当の「馬鹿」は、馬鹿じゃないから馬を鹿だと答える必要があったんだけれど。
 独裁権力を持った宦官は、歴史上では何度も現れるけれど、その記念すべき第一号が、あれだからなぁ。
 なんにせよ、そんな馬鹿な話をしていると。

「あ、あれです、攻めの門番」
「守りの門番に攻めの門番か……。次に第三の門番が現れそうだね」

 守り、攻めと来たら、中立の門番だろうか。
 あるいは、誘い受けとかか。他に総攻めとか、なんか色々あった気がする。誰に言われたのか、阿求か、小鈴か。
 ……いや、知るものか。
 本当なら、力の門番に技の門番、の方が様になる気がする。
 ……いや、それもおかしいな。
 これは早苗君だったか?

「こりゃ、珍しいな。香霖?」
「お帰り、美鈴。それに……。お客様?」

 魔理沙と、日傘をしたフランドール・スカーレットのお出ましだった。どちらも可愛らしいメイド服に袖を通し、長いスカートの端を泥で汚して門に立っていた。
 普段、なかなかお目にかかれない紅魔館の女主人の妹に礼をする。
 一瞬、驚いたようなおびえたような顔をしたが、魔理沙がぽんと髪の毛に手をおくと、すぐに笑みに変わった。

「こいつは香霖堂の店主だ。ほら、紅魔館にアンティークとか納品している奴だよ。変わり者だが、決して悪い奴じゃないぜ」

 魔理沙に言われて、フランドール嬢が微笑みながら頭を優雅に下げた。日傘を差しているからスカートの裾をあげられなかったようだが、普段ならそうしたのかもしれない。ひどく上品な態度だ。

「こんにちわ、店主さん」
「こんにちわ、フランドール様」

 僕も西洋風にひざまずいて挨拶する。確か、これで良いはずだが。

「ああ、そんな畏まらなくてもいいぜ、フラン。こいつは呼び捨てで十分だ」

 そう言ってから、僕に白い目を向ける。

「それから、香霖、おまえもだ。何、恥ずかしいことしてるんだよ。あと、おまえもフランはフランで良いって。良いよな、フラン」
「うん、良いよ。魔理沙がそう言うならかまわないもの」

 そう言って、僕を見つめる。悪魔の妹、と言われた吸血鬼とは思えない穏やかさだ。
 ……多分、普段こうだからこそ。
 いや、やめておこう。
 今はとても、気さくな娘じゃないか。

「では、フラン。僕も霖之助、でお願いできるかな」
「ええ、よろしく、霖之助」

フランはそう言って、にっこり笑う。
 その様子に、美鈴はほえ~、とつぶやいた。

「魔理沙さんは本当に卒がないというか」
「魔理沙がいて助かった」

 僕も小声で美鈴に返す。

「ちなみに私は……」

 美鈴が意味ありげに僕を伺う。

「君は今まで通りさん付けで」
「やっぱり」

 美鈴がくたっと悄げてみせる。
 そんな僕たちの様子に気付くこともなく、魔理沙とフランはまた、何か喋っている。どうやら、二人は門番を美鈴に代わってしながら、周囲を捜査していたらしい。
 しかし、それにしても。

「暑くないのかい、その格好」
「めちゃくちゃ暑いよ。なんか、冷たいものなんかあると助かるんだが?」

 そう答える魔理沙の横で、フランがかいがいしく汗をタオルでふき取っている。
 それはそれで、ほほえましい姿だ。

「まぁ、その格好は良くないですよねぇ。ほら、門番に適した格好をしないと」
「チャイナドレスか?まぁ、確かにこれよりはなぁ」

 そう言って、自分の完全武装のメイド服を見る。厚手の生地といい長袖・長いスカートといい、全身白黒基調の楚々としている姿は魅力的だが、外出時の作業着としては如何なものか。

「あ、じゃぁ、私の着ますか?」

 魔理沙はしばらく美鈴を上から下まで、なめ回すように見ると、ふっとため息を付いてみせる。

「サイズ、あるんならな。美鈴のサイズじゃ、私にはちと厳しいだろうな」

 そう答えて、僕の方を見る。

「香霖、何か言いたそうだな?」
「いや。その服、似合ってると思って」

 魔理沙はふむ、と背筋をのばしてみせる。

「そんなに魔女の服装と違うかな?」
「違うよ、全然。魔理沙、とっても可愛いもの」

 フランがそう言って、また甲斐甲斐しく額を拭こうとして……、少し背伸びした。小さいメイドさんが背伸びしている後ろ姿は、なんだか健気で愛らしい。

「普段は男の子っぽいけど、今はとっても女の子っぽいわ」

 少女のストレートな感想に、魔理沙はいやな顔一つせず微笑む。

「こう、かしら?」

 魔理沙がお淑やかな振りをして品を作ってみせると、フランは笑った。

「ちょっと、似合わないかも」
「ちょっと、で良かった。すっごくって言われてたら、傷ついたからな」

 そう言って、僕たちに笑ってみせる。

「まぁ、お淑やかなメイドさんたちは、スカートを泥で汚しませんけどね」

 そう言って美鈴が二人に近づくと、スカートの裾を払う。

「いやなに、門番をやっていた間、ついでに周辺の捜査もしていたのさ」

 魔理沙はそう答えてから、何かに気付いたように僕に視線をやる。

「そういや、香霖は事情を知っているみたいだな」
「私から話しました」

 美鈴の言葉に僕がうなずくと、魔理沙はふぅ、とまた、ため息をついてみせた。今度はこれみよがしに。

「情けない話だろ?無実の罪で今や紅魔館に囚われの身、ってわけさ。ちょっとした岩窟王だろ?」
「にしては、自由にやらせてもらっているみたいじゃないか」

 呆れ顔で僕が答える。どこの世界に拘束一つなく館の外で門番やってる囚人がいるだろうか?ついでに言うなら、主人の妹の甲斐甲斐しいご奉仕付きで。

「私の無実を勝ち取るためさ。真実は負けない、ってね」

 魔理沙はそう答えると、腕を伸ばして見せる。

「それで、美鈴は門番に戻るのか?」
「いえ、もうしばらく自由行動です。魔理沙さんと妹様に、もう少しお願いしますね」

 美鈴の言葉に魔理沙はうなずくと、フランの方に目をやる。

「だ、そうだ。もう少しこのあたりで暇をつぶさないとな」
「咲夜が淹れておいてくれた、冷たい紅茶、また飲む?」

 フランがそう魔理沙に尋ねる。

「アイスティー?」

 多分、僕は間抜けな顔で言ってしまったのだろう、魔理沙がおかしそうに笑ってうなずいた。

「ほら、あっちだ」

 魔理沙が門の奥のバルコニーのような日陰を指さす。そこには、パラソルとともに丁寧にいすとテーブルが設置されていて、ティーセットも用意されていた。白磁に水滴を浮かべた冷たそうなティーポットと、二つのティーカップ、ケーキスタンド、それにボウルには冷たそうなゼリーがシロップの上に浮かんでいる。

「あ~、なんですかね、この待遇の違いは」

 美鈴が僕を恨めしげに見つめる。同じ門番のはずなのに。

「主人の妹に対する態度、だからね。別に君に他意があるわけじゃないだろうが……」

 それにしても、ご丁寧に作られたそのテーブルセットは、とても使用人へのそれではない。

「なかなか良いもんだな、門番、ってのも」
「いえいえ、こんな優雅なの、門番っていいませんって」

 思わず美鈴が突っ込む。さしもの暢気な美鈴も、これには納得がいかないご様子だ。

「美鈴も、食べる?」

 フランが小首を傾げて言う。

「そうしたいんですけどねぇ」

 そう良いながら、美鈴が館の方を眺める。

「どうしたんだい?」
「いえね、こっちの方を見ている気配がしたんです」

 窓がない、あるいはすべての窓がふさがれている紅魔館を見て、美鈴が言う。何だろうか、気でも察したのだろうか。

「ああ、なるほど。いつ、ナイフが飛んで来てもおかしくないよな」

 魔理沙が委細承知、というように美鈴に答えた。

「殺気、ってほどじゃないんですが、分かってるわよね、美鈴、みたいな空気、って奴ですか?」

 美鈴が僕を見て言う。

「僕に聞かれてもな」
「美鈴はこないの?」

 フランが再び躊躇している美鈴を見つめる。

「えぇ、お仕事がまだ残っているので」

 咲夜に見張られている、とは言わないのは、それなりに情操教育に気を遣っているからだろうか。
 僕もなんとなく館の窓を見てみるが、すべて板のようなものが打ち付けてあって、とても美鈴のように、咲夜の気配を感じることはできなかった。
 そんな僕たちの様子を、フランはしばらく不思議そうに見つめていたが、しょうがないわねぇ、と首を振って、それから魔理沙の腕を引いた。

「さぁ魔理沙。またお茶会にしましょ。美鈴も、お仕事が終わったら、いらっしゃいね。そうそう、霖之助、あなたもどうぞ」

 彼女はメイド服姿にも関わらず、優雅にそう言うと、いそいそと魔理沙とテーブルへ向かう。

「じゃ、香霖、後でな。どうせ、私に聞きたいこともあるだろうし」
「なんとなく、察してもらったようで、有り難い」

 手をひらひら振ってくる魔理沙を一瞥すると、僕は美鈴に首を向けた。

「さ、行こうか?」
「ええ。行きましょう」

 美鈴もフランに手を振って、僕を館へと導いていく。商売で来るときには感じなかったが、西洋風の紅魔館の持つ重圧感が、なんとも気を重くする。
 勝手知ったる紅魔館の庭園を抜けると、美鈴は館の正面玄関のドアをノックした。しばらくして、メイド妖精たちが大きな扉を開いていく。荘重な様子のドアと良い、玄関から広がる西洋式の佇まいといい、幻想郷にあっては異質そのものだ。
 さらに中の陰鬱な様子も。
 窓を防いで日差しを入れないようにする、吸血鬼ご用達の建築物。

「それじゃ、霖之助さん、付いてきてくださいね。下手すると、咲夜さんあたりに叱られますからね」
「頼むよ」

 それを避けたい身としては、とりあえず美鈴から離されないよう付いていくだけだった。











 古い、暗い、静まりかえった様子の洋館の中を歩き、ようやくたどり着いたのか、美鈴は足を止めた。

「はい、到着です」

 そう言って美鈴がドアに手をかける。紅魔館の女主人の部屋に到着したということで、美鈴は早速ドアをノックした。

「どうぞ、お入りなさい」

 少女特有の高い声が聞こえ、美鈴は恭しい態度でドアを開ける。そうすると、ちょうど僕は女主人の真正面に立つことになった。

「あら、これは珍しいお客様ね」

 目を細めてレミリアは微笑むと、さぁ、っと手で僕たちを招く。

「お嬢様のおっしゃる通りに、意外な人を招待してきました」
「美鈴、これは珍しいけれど、意外というほどではないわ。予想通りすぎて驚いたくらいよ。でも、あなたにしては上出来だわね」

 レミリアは笑ったまま、卓上の鈴を鳴らす。か細い、チリンチリン、という澄んだ音が聞こえるが、こんな音で通じるのだろうか。

「今、あなたたちのお茶を持ってこさせるわ。尤も、もう咲夜は用意しているでしょうけれど」

 レミリアはそう言って、先ほどまで目を通していたのであろう、色彩に満ちた書物を閉じる。僕はそれを横目に、彼女の机の前にある来客用の椅子に腰掛けた。

「読書中だったんですか?」
「いいえ、暇つぶしに絵だけを眺めていたのよ。内容はとうに覚えてしまったから」

 レミリアは美鈴に答えて、ふぅ、とため息をついてみせる。

「ほら、あなたも座るのよ、美鈴。ずっと横で立っていられたら、店主も落ち着かないでしょうに」

 主人に促された門番は、ちらっと僕を伺う。良いんですかね?と目で言ってくるんだが、僕にその辺の主人と家来の機微が分かるわけがなく。とりあえず僕はうなずき返すと、美鈴は「では」と微笑んで座った。

「さて、香霖堂の店主さん。なぜ、ここへ招かれたかはもう聞いたのかしら?」
「ええ。まぁ、あらかたは。但し、何で「僕が」呼ばれたのかはいまいち掴みかねますが」
「美鈴が連れて来るとなると、あなたくらいが丁度良いからではなくて?協力的だといっても、天狗の記者では面倒になるし、紫の式神ではにべもなさそうだし」

 レミリアはそう言って、小さな白磁のような指を折って数える。

「私としてはあなたか稗田の当主か、あるいは貸本屋の少女か、そんなところではないかと思っていたのだけれど。意外な人と言っておかないと、霊夢やアリスを連れてきたでしょうからね」
「僕が来るのはお見通し、ってことですか?」
「可能性は高いと思っていただけだわ。魔理沙が絡んでいるから、あなたが来ると話が早い、ぐらいには思っていたけれど。霊夢が来てたら、「何でこんな関係ないことに巻き込むのよ」って愚痴を言われそうだもの、あなたに白羽の矢が立ったのは当然かもしれないわね」

 レミリアはそう言って、僕を品定めするような目で見る。

「当然、ねぇ。僕はあまり紅魔館に縁がないと思っていたけれど」
「これを縁にしたら良いのではなくて?お花見に誘っても来てはくれないけれど、魔理沙が起こした事件とあれば、そうでもないようだし」

 レミリアが意地を突つくように言った。

「あのときには先約があったんだ、別に悪意があってやったわけじゃない。それに、商品を納めたりはしているんだから、完全に縁がないわけでもないのであって」
「でも、あなたとこうして長く世間話をするのは滅多にないことだわ」

 僕の言葉に対して、噛んで含めるように女主人は言う。

「そりゃ、館の主人の前で世間話をするなんて、恐れ多い」
「あら、そんなことを気にしていたの?本来、商品を売り込むのなら、主人に気に入られることが重要なのじゃなくて?」
「巧みな話術で売り込む商人も多いけどね。僕はその手の能力で劣るからね。少なくとも君を飽きさせないほど、言葉巧みというわけじゃないから」

 自分で言うのも何だけれど、うちの商店に来てくれる客は、僕の愛想の良さや言葉の巧みさではなく、目利きを信頼してくれてるんだと思ってる。じゃなければ、僕のような不愛想で偏屈な男の店を訪れたりはしまい。

「でも、紅魔館の主人相手に、命の危険も感じず、無礼に思うがまま言いたいことを言えるのは、すばらしい才能よ」

 お茶目な女主人が、ウィンクしてみせた。そういえば、僕の口調は早くも崩れ去っていた。

「お嬢様は、霖之助さんが良い意味で変わり者なのだ、とおっしゃってます」

 美鈴が気配りするように僕に耳打ちをするが。

「分からいでか」

 僕は思わず美鈴を一瞥した。しかし、美鈴はしれっとした顔をする。

「ね、なかなかこんな話ができることはないものよ。霊夢が何かの拍子で来てくれたときとか、紫が呼ばれもしないのに面倒ごとを抱えてきたときとか、魔理沙が珍しくパチュリーのところにだけじゃなく私のところへ寄ったとき、とかね」

 だから、貴重なのよ、とレミリアは僕を指さして言う。

「そう、思わなくて?」
「君ほどの存在なら、運命を操ってどうとでもできるんじゃないのかい?」

 運命を操って、そういう奴を呼び込めばいい気もするけれど。

「ああ、私を誤解する典型的なパターンだわ」

 ナンセンスね、とレミリアが嘆く。気を悪くさせたのか、と美鈴を伺うと、彼女はくすくす忍び笑いを浮かべていた。

「運命を操るというのが、あなたの思うほど簡単なものなら、私も色々苦労する必要がないわ。それこそ、運命が私にすべてを与え、すべてを私がみんなに与えることも可能になるのだから。言わば、全知全能、ということになるけれど、勿論、そんなことはできないわ」

 レミリアがそう言って、肩をすくめる。

「あくまで操れるのは、因果関係の中にある運命だけなのよ。それこそ、選択肢を操るようなものね。あなたを死に至らしめる運命を、いきなり与えることはできないけれど、あなたがどちらの足から歩き始めて、どこへ向かって行って、踏み外しやすい場所を通るようにし向けて、小雨みたいなものが降って足元が濡れるようにして、バランスが悪くなるような歩き方に仕向けて、あなたの注意を足下から頭上に引くような何かが通るようにして、あなたが転倒するように仕向けて……、これだけやっても、あなたが死ぬ運命に至るかは、分からないでしょ?」

 レミリアがドミノを倒すように掌を交互に倒す。ちなみに、彼女が本当に僕を殺す気なら、運命を操る必要もないのだが。

「それでも、細かい運命なら操ることはできる。だから細かい運命を連鎖させて、徐々にコントロールしていければ、大きな運命も操ることが可能かもしれない。まぁ、この程度の能力にすぎないわ」

 そう答えて、レミリアが目を閃かせる。

「そうでもなければとうに、私が悩む必要など無くなっているでしょう?」

 しかし、実際はそうではない、と。

「フランにも色々不憫なことをしたし、霊夢と争う羽目に陥ったし、紫や萃香や輝夜なんかと揉めたりしたわね。ああ、そうそう、月にも行ったし」

 鬱陶しそうに髪を払って、こほんと咳払いする。

「まぁ、私も吸血鬼、時間はあるから決して苦にするものじゃないけれど、ときどき面倒に思うことはあるわね。もっと、こう、スマートにいかないものかしら」

 レミリアが不満げに言って、それから僕を横目で見る。

「だから、別に私が運命を操って、あなたをここに招いたわけでもないのよ?」

 僕の表情を見て、彼女はしてやったり、と楽しそうに笑った。僕の考えを見抜いて楽しんでいるらしい。

「私には、あなたを招く意志はなかったわ。ただ、予測をして楽しんでいただけよ?美鈴が誰を連れてくるか、ね」

 彼女がそんなことを楽しげな表情で言っていると、扉がノックされ、咲夜の入室を求める声がした。

「お入りなさい」

 レミリアの声とともに扉が開き、カートを押して咲夜が入ってくる。そこには人数分のティーカップと二つのポット、それに暖かく焼けたスコーンに蜂蜜がたっぷり添えてあった。

「失礼します」

 そう僕たちに向かって礼をすると、手際よく紅茶やスコーンを並べていく。一瞬だけ、美鈴のところにお茶を置くときに躊躇いがあったように見えたが、あれはわざとだと思う。
 それが証拠に、美鈴は少し涙目だ。

「カップが一つ、多くないかい?」

 思わず僕が声をかけると、咲夜は首を振った。

「いえ、これで人数分ですわ」

 そう言って、カップを3つ、机の上に置く。レミリアはすでにティーカップを持っていたのだが、それを取り替えるでもなく、咲夜は空になっていたレミリアのカップに紅茶を注ぐ。
 多分、紅茶でいいのだろう、少し濃淡と粘度のある朱い滴、血液を薄めたような、そんな色の紅茶をぼんやり見つめていると、やがて注ぎ終える。そして、続けて咲夜はバスケットに入っていた暖かいスコーンを配り始めた。
 そう、つまり、四人分。

「それでは」

 配り終えて、レミリアのスコーンにだけ、たっぷり蜂蜜をかけた後、彼女は優雅に一礼すると、いつの間にか用意されていた自分用の椅子に座る。
 その位置はしっかり、レミリアのすぐ横だ。

「この館では、主人とメイドもご相伴するものなのかい?」

 僕が不思議に思って完全で瀟洒であるメイドを見つめる。すると、彼女は言下に言った。

「まさか」

 そう言って咲夜が美鈴を見つめると、美鈴はカタカタ震え出す。

「本来、おそばに控えているものですわ」

 その言葉とは裏腹に、美鈴と咲夜は座っているわけだが。

「ただ、主人の酔狂でそれを許すこともある、そういうわけよ、店主」

 レミリアが美鈴と咲夜の様子を、楽しそうに目で追って笑った。

「なるほどね」

 レミリアがそう言うんだから、きっとそうなんだろう。そう納得して、僕は紅茶に手をかける。

「それに、私がいた方が話も早いでしょうから」

 咲夜が続けると、美鈴が、ですよねー、と追従するように笑った。

「確かに、集まってもらった方が助かるね」

 こっちとしては、証言とやらを聞かなきゃ行けないので、その方が助かる。

「パチュリーと小悪魔はいつも通り大図書館にいるし、魔理沙とフランは、……もう会ったのかしら?」

 レミリアが伺うように、顎をしゃくってみせる。

「ああ、会うことは会ったよ。楽しそうに門番ごっこをしていた」
「あら、お昼寝でもしてたの?」

 門番ごっこ、でいきなり「それ」を連想したレミリアが、塞がれている窓の方へ目を向ける。

「いやいや、ちゃんと門の傍にはいたよ。館の周囲を歩き回ってたみたいだけどね」

 僕が言うと、咲夜は眉一つ上げずにうなずく。

「なるほど、普段の門番より、余程、仕事熱心ですね」
「いやいや、門番って仕事にも、効率がありますから。門から離れるのはあまりよくないんですよ?」

 美鈴がカップから口を離し、慌てて咲夜に言う。

「でも、昼寝しているよりは良いんじゃないかしら?」
「あ、あれはですね。門番の長年の勘によってですね」

 美鈴の弁解を聞き流しながら、咲夜が紅茶を嗜む。さっきまで外へ目をやっていたレミリアがこちらに向き直った。

「まぁ、あの子達は楽しそうにやっているようだし、大変、結構なんだけど」

 レミリアはそうつぶやいてから、僕を値踏みするように見る。

「こちらはこちらで、しっかりやってもらいたいのよ」
「とはいってもね。話は聞いたけれど、実際はどうしていいものやら」

 首をすくめると、レミリアも苦笑した。

「でしょうね。私も話を聞いたときには魔理沙が犯人で、なにか問題でもあるかしら、って思ったもの」

 レミリアはそう言ってスコーンに口を付ける。と言っても、あんなおちょぼ口では、かじる程度でしかないだろう。

「でも、美鈴は犯人とは思えない、というのよ?女の勘、だそうよ」
「門番の勘、ですから当てになるかは分かりませんけれど」

 メイド長が主人の言葉に注釈を加える。

「そうかしら、咲夜。私は俄然、女の勘というものに興味があるのよ。まぁ、私としては「女の勘が正しい」と証明して欲しかったのだけれど」

 レミリアは美鈴を見るが、美鈴は困ったように視線をそらした。

「あくまで、勘だから理屈じゃない、らしくてね」
「それで、理屈を付けるために、僕が呼ばれたわけか。本当に、「僕じゃなきゃいけなかった」理由なんてないんだな」

 愚痴を言うと、咲夜が微笑んだ。

「あら、でも、あなたは買収されたのでしょう?」
「……君の入れ知恵かい?」

 恨みがましく見ると、咲夜は首を振った。

「私は、あの人は説得しにくいでしょう、と言っただけです。そこから考えたのは、美鈴の手柄です」
「あら、すごいわね。この朴念仁をどうやって動かしたの?」

 レミリアが好奇の瞳を閃かせる。

「有り体に言いますと、食事を奢って、恩に着せました」
「恩を着せられたね」

 美鈴と僕がなんとも言えぬ表情で見つめ合うと、レミリアがうなずいた。

「なるほど、店主も胃袋については普通の人間と同じわけね。今度、参考にしなさいな、咲夜」
「勉強になります」

 咲夜がレミリアに頭を下げる。どういう意味か、それは。

「で、あなたは今、図書館爆破の犯人を追うことになった、わけね」

 レミリアの言葉に僕はうなずく。

「それで、一つ質問なんだがね」

 僕は重々しく言って、レミリアと咲夜を見た。

「何かしら?」
「犯人は誰だろう?」

 しばらく二人は、僕の顔を見つめていたが、やがてレミリアは笑い出し、咲夜はあきれ果てた、という風に手を額にあてて、首を振って見せた。

「あなた、仮にも探偵ごっこをしにきたのでしょ?それをいきなり聞くかしら?」
「いや、けどね。僕は全くの部外者だからね。犯人が分かっているなら、その方が話が早いのだし」

 言い訳じゃなくて、本気でそう思っているから聞いたのだけれど。

「私たちとしては、「魔理沙が犯人である」、と言っているわけですよ」

 笑っている主人を置いて、咲夜が淡々と答える。

「でも、美鈴を送り込んで来た、ってことは魔理沙じゃない可能性も、考えているわけだろう」

 僕の言葉に、美鈴が首を縦に振ってうなずく。

「お嬢様が、疑問があるなら調べてみたらどうか、と」
「まぁ、そういうことね」

 レミリアが笑いを納めて話しに戻ってくる。

「女の勘じゃ困るけれど、なにか証拠があるなら解放してあげる、ということね」

 人差し指を立てて、自分の意図を説明する。

「証拠、か……」
「確かに、魔理沙が犯人だとすると、色々不可解なところもありますからね」

 咲夜は主人のカップの様子を伺いながら、自分のカップに口を付けた。

「というと?」
「そのくらいは、あなたが自分で考えるべきでは?」

 目を閉じた咲夜に平然と答えられる。

「美鈴からは、日頃の魔理沙らしくなく、罪を認めずに、自分じゃないと抗弁していると聞いたけどね」

 いつもの魔理沙なら悪びれず、自白するんじゃないか、という意味だろう。

「ええ。今回は珍しく自分じゃない、って言ってたものですから」

 咲夜はそこで言葉を切って女主人に目をやる。

「お嬢様が面白がってしまって」
「あら、珍しいじゃないの。ああもムキになるんですもの、構いたくもなるでしょ?」

 結果、レミリアに乗せられて、魔理沙は紅魔館で働くことになったわけか。ちなみに、あの労働条件だとお客様と変わらない気がするけれど。

「フランも喜んでいるし、たまには良いんじゃないかしら。いつもは便宜を図ってあげているんですもの、あっちが便宜を働いても良いはずよ」

 少なくとも、罰は当たらないでしょう、と敬虔さに疑いのある吸血鬼が答える。

「便宜?」
「仮にも紅魔館に無断侵入し、一応、紅魔館の備品を無断で持ち出しているのを見逃しているわ」

 流麗に言われるその台詞に、返す言葉がない。

「それに、あの場面では魔理沙が犯人の疑いが濃いのは確かでしょう?」

 レミリアはそう言うと、咲夜に向かって顎をしゃくる。

「はい、お嬢様。あの時点で犯行現場に最も近く、かつ他人から証言がない者は魔理沙だけです。また、動機として魔術書を盗むためであった可能性が過去の行動からも判断できます。物証として、確認されてはいませんが、盗まれたと思しき魔術書が手元にあり、手段として図書館を爆破する力があるのも魔理沙だけでした」
「う~ん、もう魔理沙が犯人、じゃ駄目なのかい?」
「それでも私は構わないのだけれど」

 投げやりな僕の言葉にそう返したレミリアが、美鈴を指さす。美鈴は、半泣きで僕を見つめた。

「いや、そんな目をされても」
「それじゃあ、霖之助さん。あなたも魔理沙さんが犯人だと思っているんですか?」

 すがりつくように言われて、戸惑って周囲を見る。
 レミリアはニヤニヤ、楽しそうに笑っており、咲夜は興味なさげに量の減った僕と美鈴のカップに紅茶を注ぎ足している。

「いや、そうは思ってないさ」

 僕がそう答えると、美鈴は安心したのか、レミリアに言った。

「ほら、お嬢様、女の勘が当たっているみたいですよ」
「あら、どうしてそう思うの、店主さん?」

 悪戯っぽくレミリアが僕を伺う。

「魔理沙が犯人だとしたら、咲夜が言う通り、色々不可解だからだよ」

 僕が答えると、おや、と咲夜が片目でこちらを伺う。

「まず、アリバイについて。魔理沙が一番近くにいた、って言ってるけど、それはただ物理的な距離のことじゃないか。現場で確保されたわけじゃない。本人はきちんと紅魔館に寄る理由を説明している。怪しいと言うほどのものじゃないだろう。動機と言ったって、もう魔術書は今までも十分盗んで……、もとい、拝借しているんだ。今更、こんな荒事をしてまで盗……、拝借するほどの動機があるのかい?物証だって、魔理沙が言った通りなら過去に盗……、拝借したものだと言っているし、実際中身を読んでいることをパチュリーが確認しているんだろう?盗んで行ったとしたら中身を読む暇があったかどうか?だいたい、一冊だけ盗むために、こんな派手な方法を?それに、手段というけれど、八卦炉で紅魔館の外壁を破壊して進入するなんて、派手すぎる。門番もメイド長も図書館の主も、いや、それどころか、それ以上に恐ろしい女主人とその妹と遭遇する可能性を濃くするような進入の仕方を敢えて選ぶだろうか?ついでに、進入できたのなら図書館を爆破する必要はもっとないだろう?」

 まくし立てるように言うと、レミリアはへぇ、っと一言言って黙り、咲夜はさっきとは微妙に異なる優しげな表情で聞いており、美鈴は、おおっ、と嬉しそうにガッツポーズをする。

「だ、そうよ、咲夜?」

 レミリアが楽しそうに笑い、咲夜を伺う。
 咲夜はしばらく僕の顔を品定めするように見つめていたが、やがて席を立って背筋を延ばしてから口を開いた。

「霖之助さんの言うことには一理あります。私にも不可解な点ですから。何故、今更、こんな手で、という点で。しかし、それ以外は十分反論できます。……口で言うだけでしたら。それこそ、アリバイは立証されていません、動機だって「その一冊がどうしても欲しかった」とすれば理由になりますし、物証の魔術書の内容を知っていたのは、盗む前に内容を確認していたからだとすれば通ります。事前に読んでいることは、「その一冊がどうしても欲しかった」という動機にも繋がりますし、敢えてこういう荒っぽい手段を使ったのは、そうすることで自分から注目を逸らそうとしたのかもしれません」

 今度は咲夜が立て板に水、とばかりに答える。その様子にレミリアがうんうん、と嬉しそうに両手を合わせて頷き、美鈴が、そうなのか~、と肩を落とし、ついでに僕は軽く呻いた。
 さすがだね、物証なしである以上、簡単にこちらの論理的に弱い場所を破壊してくる。

「とすると、君は犯人が魔理沙だと思っている?」

 まるで検事かなにかのように、敢然と立ってこっちを見下す、もとい、見下ろす咲夜に聞いてみる。

「……」

 しばらく、咲夜にしては珍しく逡巡した後、彼女はレミリアを見る。

「良いわよ、咲夜」

 レミリアがうなずくと、咲夜は軽く頭を下げてから僕を見た。

「多分、犯人は魔理沙ではないでしょうね」

 ……。
 僕が何か言う前に、美鈴が前のめりになった。

「ええ~、なんですか!それ!私が言ったときには、何も言わなかったじゃないですかぁ」

 泣き出しそうな美鈴のその反応に、レミリアは声を出して笑い、咲夜は微苦笑をもらした。

「まぁ、そう言わないであげて、美鈴。咲夜にも、あなたに言えなかった理由があるのだから」

 そう言うと、レミリアは咲夜を促した。

「ええ、その理由ですが」

 咲夜はしばらく言葉を躊躇った後、重々しく言った。

「女の勘、だからです」

 しれっと答える咲夜。

「……ええ~、それ、ありなんですか!それ!ありなんですか!」
「美鈴、二回言っている」

 僕が思わず突っ込むが、美鈴は聞いていない。
 美鈴は咲夜とレミリアの顔を交互に見ながら詰め寄る。苦笑いする咲夜とは対照的に、爆笑するレミリア。

「ね、おかしいでしょう、美鈴。咲夜はね、あなたよりも前にあなたと同じようなことを私に言ってきたのよ」

 あちゃ~、とでも言いたげに、咲夜は額に手を当ててみせた。その様子すら、芝居じみていて見事な「胡散臭い」仕草だ。

「ええ~、そうだったんですか?」
「だから、あなたに誰か連れてきたら、って言ったときに、色々相談に乗ってくれたでしょうね?」

 レミリアの言葉に、そういえば、と美鈴が咲夜を見る。

「美鈴、これだけは言うまい、と思っていたけれど……」

 咲夜はあの、ときに無感情なのではないかと思えるほどの冷たい瞳で言った。

「実は、あなたと同意見よ」
「良いじゃないですか!いつでも言ってくださいよ!すっごく心強いですから!」

 美鈴が半泣きになった。

「でも、あなたと同意見だって言うと、あなたが自分の意見を引っ込めてしまうのではないかと思ったものだから」
「いや、すっごく力説しますよ。てっきり、私だけ孤立しているのかと思ったじゃないですか?」
「そんなことはないわ」

 そう答えると、咲夜が今度は女主人に視線をやる。すると、レミリアもまた、視線を見えない窓の外へ逸らした。

「お嬢様も、魔理沙が犯人ではないわね、と」
「……どうして、そう最初から言ってくれないんですかぁ!お嬢様ぁ!」

 今度はレミリアに詰め寄る美鈴。レミリアはどうしようかしら、と冷や汗でも流しそうにつぶやく。

「落ち着いて、美鈴。これには理由があるのだから」

 運命を操る程度の能力を持つレミリアは、美鈴から視線を逸らし続けながら、そう答えた。

「魔理沙が犯人じゃない、っていう理由。それが……」

 てへっ、という擬音すら感じさせるように、レミリアは笑って美鈴を見た。

「女の勘、だったからよ」

 あ、これは酷い。酷い奴が入った。
 第三者目線で僕は思う。

「ひ、ひどいですよ、仲間外れじゃないですか!」
「違うわ、美鈴。あなたが言い出したから、あ、これで面倒なことを全部、美鈴に押しつけられる、なんて考えてないわ」
「お嬢様、考えてるじゃないですかっ!」
「ついでに、誰かに捜査させれば一石二鳥ね、なんて決して考えてないわ。考えるわけがないもの」

 レミリアが美鈴に、優しく慰めるように言う。

「考えてますよ、それ、絶対に考えてますから」

 だが、効果はなかったようだ。勿論、慰めになっていないからね。

「私も、「お嬢様、それは良い考えですね」、なんて同意してませんし」

 よせばいいのに、咲夜が楽しげなその会話に混ざる。

「あ、同意したんですね、咲夜さんも。あ~、も~、みんなで私の純情を弄んだんですね!酷いですよ、それ!」

 美鈴が、どう考えてもほほえましく美鈴を見ている二人の前で、緊迫感のない怒りを表現している。端で見ていると、楽しそうだが。 

「あの、僕、もう帰って良いですかね?」

 紅魔館の幹部たちが俗に言う「キャッキャ、ウフフ」状態、つまるところ「女三人よれば姦しい」の状態になったので、部外者としては居たたまれないわけで。

「いやいや、霖之助さん!」

 美鈴が今度は僕に詰め寄る。

「これ、どういうことなんです!」
「僕が聞きたいくらいだけどな」

 そう答えてから、レミリアと咲夜を見ると、二人はすっとぼけたようにカップを傾けていた。

「つまり、最初から魔理沙が犯人じゃないな、っていう直感はあったけれど、それを立証するのも面倒くさい、どうしようかな、って考えてたら、君が動いたから、これ幸いにと君に押しつけた、かな?」

 僕が詰め寄って泣きつかんばかりの美鈴から視線をそらして二人を見る。

「……正解」

 咲夜がぼそっと、答えた。

「さすがね、店主」

 レミリアがティースプーンで僕を指してほめる。

「いや、今の会話を聞いていれば、それ以外に答えがない……」
「ええ~、じゃ、みんな同じ意見だったわけですね、そんなぁ」

 と途中まで寂しそうに言っておきながら、あっ、でも、みんな同じ意見だったのか、と気を取り直している美鈴は、なかなかに健気だ。
 というか、その美鈴をなま暖かい目で見つめる主従コンビは、これが楽しくて送り出したのかと疑いたくなる。
 ……疑い?
 事実だと思いますがね。

「じゃ、じゃあ、犯人は魔理沙さんじゃない、んですね?」

 自信なげに僕を見る美鈴。

「いや、そうとは決まっていないさ。全員の根拠が女の勘、なんだからね」

 僕が答えると、レミリアと咲夜がうなずいた。

「ついでに言えば、物証を見つける、ってのは結構、大変だと思う。魔理沙が無実だ、とするための証拠を見つけるのは、かなり面倒なんじゃないかな?」

 僕の言葉に、再び主従コンビがしっかり、うなずいた。よくわかってるわね、あなた、とでも言いたげな表情で。

「で、面倒くさいから、誰かに任せようとした」

 主従コンビが……。
 いや、もう、この主従、どうにかして欲しい。

「ええ~、それで私と霖之助さんが選ばれたんですか!?」
「僕がここにいるのは、間違いなく君のせいだけどね?」

 レミリアの口振りからは、僕が選ばれる可能性を感じていても、必ずしも僕である必要性は感じられなかった。
 そうすると、僕が選んだのは間違いなく、ここで「ある陰謀的な側面」にようやく気付いた美鈴その人になるわけだが。

「そう、卑下したものではないわ。この事件を解決する運命は、あなた達に委ねられたということなのだから」

 非常に格好良い言葉を、掌を上にして、人差し指だけで僕らを指さしてレミリアが言った。

「美鈴、あなたにしか出来ないことよ」

 咲夜が重々しく続ける。
 この主従、格好良い言葉と雰囲気を利用して、勢いで押し切る気だ。毎回、こんな感じで説得してるんじゃないだろうな?

「お、お嬢様、さ、咲夜さん」

 そして、この門番、毎回、こんな感じで納得するんじゃないだろうな?

「霖之助さん。なんとしても魔理沙さんの無実を証明しましょう!」

 良し、もう説得されている。さっきまでの泣きべそはどこ吹く風、力強く僕の両手を取った。その様子にレミリアと咲夜が頼もしげに、いや、ちょろいぜ、とでも言わんばかりに重々しく頷いた。

「……別に証明しなくても良い気がしてきたな」

 この雰囲気に置いて行かれている僕が投げやりに答えると、しかしレミリアは首を振った。

「それは違うわ」
「なぜ?関係者は魔理沙が犯人ではない、で一致しているんだろう?女の勘とやらで」

 幸い、僕は男なので理解しなくて済むわけだが。

「ええ。それは、そうだけれど。でも、魔理沙が犯人でないとすると、誰がやったかは一応、心配になるわ。私たちに気配を感じさせず、大図書館の壁を爆破するなんて、犯人の心当たりがほとんどないもの」

 レミリアがそう言って、腕を組んでみせる。
 つまり、魔理沙が犯人でない場合、それをした誰かがいることになる。
 その何者かがまた事件を起こすとしたら、紅魔館の誰かが傷つくかもしれない。確かに、館の主人としては看過しえないだろう。

「とはいえ、一番、犯人として適切な紫あたりに動機がないから、そうするとなおさら不気味だわ」

 最初に思いつく犯人は、やはりあの隙間妖怪らしい。これは幻想郷の共通見解である。小さい犯罪は魔理沙、大きい犯罪は八雲紫を疑っておけば、まぁ、たいていは正解だ。この括りから外れたものが、「異変」となるのだろう。
 だいたい、紫のせい。
 これはある意味、至言である。

「そうね、またぞろ余所者が来たのかもしれいないけれど、そうだとしても何らかの説明が欲しいのよ。余所者の正体が分からないと安心できないものね」

 最近は新しい神社、新しい寺院、新しい道教廟と続いて宗教戦争の観を呈している。それでも正体が分かれば対処の仕方もあるわけだ。一番困るのは正体が分からないことであって、鵺的な存在こそが最も対応に困るのだ。

 ちなみに、封獣ぬえ的な存在なら命蓮寺のさる高僧にお願いすれば、なんとかなることが判明しているので安心である。ついでに言えば、さる高僧とは「さ、ある」徳の高い尼僧のことであって、断じて「猿高僧」ではない。このことは惜しみなく力説しておく。

「それに捜査するのは、部内者じゃない人の方が良いかとも思ったのよ」

 レミリアはそう言って、咲夜に目配せしてみせる。

「私たち内部の者では、どうしても常識が邪魔をします。今でも、女の勘をおいておくと、犯人はやっぱり魔理沙じゃないかしら、くらいの気持ちではいますので」

 咲夜が真顔で言う。
 だいたい魔理沙のせい。
 これは紅魔館での鉄則だ。

「つまり、この館で犯人が魔理沙じゃない可能性を心の底から信じているのは、美鈴とフランくらい、ってことになるのよ」

 レミリアがそう言って微笑み、彼女は立ち上がった。両手を机に突いて、僕に顔を近づけて言葉を付け足す。

「魔理沙本人ですら、自分がやったんじゃないかって疑ってるんじゃないかしら?」

 少女に似つかわしくない艶やかな笑みで、息のかからんばかりの至近距離で彼女は囁いてみせた。

「無意識のうちに図書館を爆破していました、か。そんな自供されたら、師匠が泣くなぁ」

 レミリアのその囁きをよそに、僕は思わずぼやいてしまう。あの師匠なら、悲しむだろうか、憤激するだろうか、呆れ果てるだろうか、呵々大笑するだろうか。
 つい、師匠の姿を思い返してしまった僕の様子に、レミリアがやれやれと呆れたように首を振ってまた腰掛けた。

「あなた、多少は動揺しても良いのよ?」
「命の危険を感じて、かい?」

 至近距離の吸血鬼、となれば、牙に恐怖しても良かったか。その小さく上品な口を大きく牙を見せて開いて。でも、彼女、少食の上、グルメを自称しているはずなのだから、僕なんぞの血は吸ったりはしないだろう。
 半人半妖の青年の血では、ゲテモノと言って過言はないだろうから。
 しかしそんな僕の言葉に、レミリアは書斎の机に肩肘を突いて、鼻で笑ってみせた。

「本当に、困った変わり者ね」
「お嬢様、この人は自分に興味があることしか、心を動かさないのですよ」

 咲夜が訳知り顔で言うと、カップをまた傾けた。
 そんな様子に、美鈴も笑う。

「ですんで、食事とかお酒とかが良いんですよ、霖之助さんには」

 全て知っているとでも言いたげに、美鈴が得心して言う。
 一体、君たちに僕の何が分かるというのか。

「幻想郷は俗物だらけで困るわ……」

 レミリアが天を仰ぐようにそう言って、嘆いてみせた。

「……今の正解は、なんだったんだい?」

 なんだか興を殺いでしまったらしいので、僕が下手に出て尋ねる。

「お嬢様の美しさに畏怖し足下にひざまずく、でしょうか?」
「お嬢様の愛らしさに思わず抱きつくとか、どうです?」
「少なくとも、私に対するエクスキューズが、一つもないのは不思議よね」

 主従たちは口々に思ったことを言ってのけた。

「せめて動揺してみせたり、羞恥に頬を染めたりしても良いのにねぇ?」

 レミリアは自分の家来たちの言葉にうなずいて、問いかける。

「そんな初な少年みたいな態度を取る年齢でもないよ、僕は」

 とはいえ、人間である咲夜を除く妖怪の目には、そんな風に映っていないとも限らないが。

「ああ、そうそう。そういう、どこか醒めた態度よ」

 ふと誰かを思い出したように、レミリアは言った。

「霊夢も、そんな反応なのよね。幻想郷って、そういうところなのかしら」

 残念、誰かではなく霊夢ちゃんでした。
 博麗神社の巫女と同列とは恐れ多い。
 少なくとも、あそこまで僕は全ての存在に等しく接している自信はない。

「彼女と同じ扱いされるとなると、それは過大評価だと思うがねぇ」
「二人とも、残念なところは一緒だわ。あの娘の場合、みんな平等に見ているからなんだろうけれど」

 レミリアにとって、霊夢がお気に入りなのは周知の事実だ。それだけに、誰が来ても態度が変わらない、素敵な巫女の有り様はお気に召さないのかもしれない。レミリアに言わせれば霊夢に目を付けたのは私が先、ということになるのだが、それを言ったら紫あたりは私は先代以前から目をつけてました、とかそんな子供じみた喧嘩をしそうで頭が痛い。
 とはいえ、霊夢についてはその性格ゆえに、紫や萃香あたりが可愛がっているわけだけれど、そう考えると霊夢はやはり、厄介なのにしか好かれないな。

 それでも好かれているだけ、良いのかもしれない。羨ましいことなのだろう。
 ……いや、ちっとも羨ましくないな。
 これは、本心から言える。せめて選ぶ権利が欲しいだろうに。

「まぁ、僕のことは置いて、だ。魔理沙が犯人じゃないとすると、誰か別の犯人がいることになる。けれど、咲夜、君が見回りしたときには見なかったんだったね?」

 僕はとりとめがなくなる話から脱するように、自分の頭を整理する。

「ええ。時間を止めて紅魔館の周囲、上空と見て回りましたけど、魔理沙以外、誰もいませんでしたね」

 咲夜は答えながら、スコーンに蜂蜜を少量だけ乗せ、口に含んだ。

「じゃあ、仮に魔理沙以外に「犯人」がいるとしたら、どうやって爆破の後にいなくなったんだろう?」

 一番、基本的なことを指摘してみる。すると、レミリアが口を開いた。

「隙間を使って移動したとか、距離を瞬時に縮めたとかでなければ」

 仮想犯人として、紫・小町と上がったわけだが、彼女たちには動機がない。紫に動機が必要かは、全く分からないが。

「犯人はまだ紅魔館にいる、あるいは、犯人など存在しない」

 あっけらかん、とレミリアは言い切った。

「まだ紅魔館にいる、としたら、家捜しが必要になるんじゃないか?」
「ところが、それらしい気配もないようでして」

 咲夜はそう言って、目を閉じた。

「あれから、思いつくところは探してみたのですが、やはり隠れている者などいませんでした」

 もちろん、「煙ら煙ら」とか、「まおうの影」とか、そういう実体のない存在が、隠れていたらお手上げなんですけどね、と咲夜が笑う。

「あるいは、紅魔館の内部犯行、とか?」

 僕の言葉に、レミリアがすごみのある笑みを浮かべる。

「あら、それなら私自らが探し出して、お仕置きしないと」

 なぜ、そんなにうきうき心躍るのか、この女主人は。

「いや、そんな勇気のある奴はいないだろうね」

 僕は彼女の緋色の瞳を見て首を振った。咲夜や美鈴も即座に同意するので、レミリアは不満そうに舌打ちする。

「それに、メイド妖精たちに、そんな能力も勇気もありませんよ。仮にしたとして、自分ごと爆破で吹き飛んでいるでしょう」

 僕の言葉に咲夜が続けると、美鈴もうなずいた。
 じゃあやっぱり、なんで雇っているんだあのメイド妖精たちは。
 いや、わりと本気でそう思う。

「でも、咲夜や美鈴、あるいはパチェや小悪魔なら可能でしょ?」

 だが、レミリアはそう答えて、悪戯っぽく二人を交互に見た。

「確かに、可能ではありますが、動機がありません。美鈴には当然、動機があるでしょうが、残念ですがあのときは昼寝をしています」

 残念ですが、と咲夜が重ねて言い添える。

「私にも動機なんてありませんよ!っていうか、何で残念なんですか!?」

 意地悪く言う咲夜と、慌てて打ち消す美鈴の言葉に、レミリアが軽くうなずいた。

「パチェも小悪魔も、図書館を破壊されて困るだけでしょうしね。フランはあのとき一緒にいたし……」

 そこまで言って、レミリアが考え込むように首をひねる。

「いえ、分裂していたとしても、動機がないかしら。……残念ねぇ」

 何が残念なのか、レミリアはそう言って自己完結する。

「そうすると、さっきの仮説だと?」
「犯人がいない、可能性ですかね?」

 美鈴が首を捻る。
 そんな可能性があるんだろうか?
 爆破があったのに、犯人がいない。

「自然災害、みたいなものでしょうかね?」

 美鈴が何かを思いついたように言った。

「ほら、あれですよ。龍が天に昇るとき、竜巻に雷鳴が起こりますからね。あれみたいなもんでしょうか」

 あれですよ、と言われても、実際にその現場を見たことがないので、なんとも言えない。だが、確かにそうした自然災害が起こらないとは、限らないのだろうか。
 いや、でも、地下の、館内の、図書館で?

「河童あたりが妖怪の山で携わっているエネルギー革命、あるだろう?あの関係で色々使っている技術で、爆破装置を作ったり爆破事故があったりしたみたいだけれど、そっちの方がまだ可能性がないかい?」

 偶然、紅魔館の図書館で伏龍が天に昇るよりは、確率が高くないだろうか。
 火薬とか、ダイナマイトとか。
 あるいは、なんらかの原因でガス爆発とか、粉塵爆発とか。

「図書館の片隅で、粉塵爆発、ですか?」
「もともとあの周辺に、誰かがいた可能性がないのに、ですかぁ……」

 咲夜と美鈴に両方から、即座に言われる。
 僕は押し黙ってスコーンに手を伸ばした。
 あくまでこれは、推理にすぎないのだ。とりあえず、口に出して言ってみただけにすぎない。だから、言下に却下されても別に悔しいとか、そんな気持ちはない。ない、ないものはないんだよ、分かるだろう?

「でも、ほら、あれだ。時限発火装置とか、そういう外部から操作できる装置があれば、それが魔法的なものであれ、技術的なものであれ……」
「つまり、あなたは事前に侵入者がいたと言いたいわけですか?もし、それが事実なら……」

 咲夜は横目で美鈴を伺った。

「門番の失態、ですわ」
「霖之助さんっ!!」

 美鈴が恨みがましくこちらを見る。

「あ~、つまり、その可能性はない、のかい?」
「少なくとも、最近にはいませんよ。いたとしたら、魔理沙さんだけです!」
「……と、まぁ、振り出しに戻ってしまいますわね」

 咲夜がそう言って引き取る。
 なるほど、四面楚歌だな。
 主に魔理沙が。
 周囲から他国の歌しか聞こえない場面だが、魔理沙は案外、その方が燃えるとか言い出しそうだけれど。今、蘇る逆転、といった感じで。

「まぁ、みんなから聞いて分かったことは、だ」

 全員の話をまとめてみるか、と僕は言ってみる。
 周囲が頷き返すのを見て、僕は少し黙ってスコーンを手に取った。
 スコーンを口に入れてみると、固い外側の生地の歯触りに、続けて中のしっとりとした感触が伝わる。
 あと、甘い。
 凄く甘い。
 これに蜂蜜をたっぷりかけるのか、レミリアは。

「爆破があったときには、みんな、ここにいた。怪しげな影は魔理沙しか見なかった。にも関わらず、内部犯行の可能性が低いから、なんらかの事故の可能性も含めて、調べてみる、ってことで良いのかな」

 ざっと、思ったことを口にすると、レミリアは鷹揚にうなずいた。

「良いんじゃないかしら」

 そして、咲夜の方を見る。

「仮に、犯人がどこかにいるなら、私たちが相手にすべきだろうし……。もし、紫あたりのちょっかいだとしたら、その証拠があれば良い。どちらでもないなら、説明が付けば、二次被害はないだろうから……」

 そう言ってしばらく、レミリアは空を見るように何かを考えていた。

「任せるわ。まぁ、せいぜい頑張って探偵ごっこに努めることね?」
「なんか、黒幕みたいな言い方をするね」

 苦笑して出た僕の言葉に、レミリアは笑い返してくれた。

「あら、それも良いわね」
「なんとか、辻褄を合わせてみましょうか?」

 咲夜が平然とそう言ってのけるのを見て、僕は呻いた。

「……お願いだから、これ以上、面倒なことにはしないでくれ」
「あなたからお願いされるなんて、とっても珍しいことね。素敵だわ」

 レミリアが両肘を付いたまま、両手の甲で頬を支えて、優しく囁いた。

「これからはこの手でいきましょうか、お嬢様」

 咲夜はそう言うと、立ち上がって僕たちの前にある空になった食器を片づけ出す。もちろん、レミリアの前にはまだスコーンが残っている。
 至って、少食のご様子だ。

「そうね、それが良いわね」

 悪戯っぽく僕に微笑みかけると、今度は穏やかに手を振った。

「さ、行ってらっしゃい、探偵さん」
「了解しました、淑女殿」

 そう言って僕は、頭を下げて一礼して、大げさに腕を胸の前にする。彼女特有の貴族風の演技に付き合ってみたわけだ。
 そんな僕に、レミリアは鷹揚に頷いてみせた。こういう芝居じみた仕草が、なにより彼女のお気に召すらしい。
 とすれば、お気に召すまま。

「それでは参りますか、助手君」

 そのまま、慌てて立ち上がった美鈴に僕は言う。

「あいさー」

 慌ててレミリアに一礼してから僕に追い付いてくる美鈴とともに、この部屋を出て現場である図書館に向かうことにする。
 まずは現場検証ということだ。

「楽しみにしてるわね、二人とも」

 レミリアは僕らが出て行くまで手を振ってくれて、またゆっくりした仕草で金色のスコーンに手を伸ばした。
 あれ、どのくらいかけて食べきるのだろうかね。
 出て行く僕らに、咲夜が後ろから声をかけてくれる。

「ご健闘を」

 ……何と戦うんだろうかね、僕らは。
 美鈴より先に部屋を出ておきながら、結局、美鈴に先導されて大図書館に向かったのだった。








3.
 紅魔館地下大図書館。

 美鈴の後をついて、かび臭い、鬱蒼とした地下へと向かっていく。
 まるで何かの地下迷宮に案内されるような気分になってくる。古代の遺跡か、王家や帝室の墓標か、はたまた不思議な謎の施設か。
 古来より、地下にはさまざまな言い伝えが残る。それは死や蘇りと分かち難く結びついている。バビロンの女神もギリシアの詩人も我が国のイザナギも、皆地下に死んだものを迎えに行ったものだ。
 また、魔術師は塔に籠もるだけではなく、地下に潜って討伐隊を迎え討った者もいると聞き及ぶ。それはさまざまな魔物と罠が待ちかまえた地下迷宮だったという。
 地下迷宮といえば半人半牛の化け物が封印され、糸を手繰って討伐から帰ってきた物語も残っている。

 なにせ、「地下」という暗い世界が指し示すのは。

 もう、戻れないのではないか、そんな不安な気持ちなのだろう。暗闇に対する根元的な恐怖。また、次第に密閉した空間へと降りていく圧迫感。そして戻ることが段々と難しくなっていく心理的な距離感。
 地下を降りるということは、そうしたことの全てを印象として与えてくる。
 しかしそんなことにお構いなく、美鈴は勝手知ったる場所ということで半ば鼻歌交じりで僕を先導してくれる。彼女の存在こそが、言ってみれば僕のアリアドネの糸ということなのだろう。

 そんな彼女の様子があればこそ、安心して付いていけるのだが、普段、魔理沙や霊夢はこんな場所をどうどうと進んでいくのだろうか?
 一人だけで地下を降りていくとき、少女たちにそうした恐怖感はないのだろうか。あるいは、空を飛ぶという経験は、地下への恐怖も振り払うのかもしれない。

 それにしても。
 美鈴とともに進んでいくほどに、いつもここについて思うところがある。
 いつも、抱く疑問。

 この図書館の規模は、一体、なんなんだ、と。

 面積・容積の広さは、「この館にいる人」がそういうのが得意であるらしい。
 空間を広げることができるそうで、そのおかげで拡大しているらしい、と霊夢から聞いたことがある。霊夢や魔理沙によれば、十六夜咲夜あたりがいろいろ操っているのだろうと言っていた。

 てっきり、パチュリーがしているんじゃないか、と踏んで霊夢に尋ねたところ、霊夢に言わせると「パチュリーが他人事で言ってたんだから、パチュリー自身がしているじゃないんでしょ」という答えが帰ってきた。
 なんでも、パチュリーにしてみると、この大図書館をして自分の書斎にすぎないということになるのだそうだ。

 書斎。

 なんとも拡張された概念ではある。
 こんな大きさの施設を、書斎と呼ぶとは聞いたことがない。
 書斎がいつしか、書庫になっていて、気づくと図書室になり、やがて図書館へと成長して、今では大図書館となっている。
 出世魚の類か何かだろうか。そのうちに、ここは世界七不思議のアレクサンドリア大図書館も越えていくのかもしれない。

 まぁ、とはいえ、ここをパチュリーが書斎と呼ぶということは、咲夜が来る前にはここは小さな書斎に過ぎなかった、ということになる。
 そうなると、この膨大な書籍は咲夜が来た後に、ここに収納された、ということなのだろうか?
 だが、どんなに広げても中に置かれ続けるこの本の数々は、どこから来るというのだろう?
 容積は咲夜が広げることができるとしても、中に置かれる本が増える速度はそれに比例して、増えていくものなのだろうか?

 もともと、幻想郷において製本施設が大量にあるわけでもなく、また出版業が大量生産を行っているわけでもない。
 にも関わらず、この大図書館には凄まじい量の本が存在する。ところで、これらの本が幻想郷で生産されていないとすれば、これはやはり「外の世界の本」ということになるだろう。
 確かに、鈴奈庵みたいな場所で取り扱われている「外の世界の本」はどこからか流入していることは考えられる。だが、それらの「外の世界の本」は「無限に」こちらの世界に「いつのまにか」やってくるというのだろうか。

 その可能性は考えられるけれど、だとしてこれらをどこに収納するのか?それが、この大図書館だというのだろうか?
 流入してきた「外の世界の本」、向こう側の世界からやってきた本を保管していけば、このような大図書館が出来るのだろうか?

 圧倒的なまでに巨大な書架、所狭しと収蔵されている本。いや、本と限らず、書物、書籍、というべきか。
 見慣れた和綴じ本、羊皮紙製の写本、西洋の大量生産された活版印刷の本、パピルスの束に、巻き取られた長大な反物、場所を大きく取っている粘土板に石板、獣骨に亀甲、木の皮、それ以上に貴重な宝石板。
 およそ、文字を「何か」に書き付けたものが書物なのだとすれば、外の世界にある「書物」の、なんと凄まじい量になることか。そして、それを収蔵することが、どれほど膨大なものになることか。

 正直、これらがこの大図書館できちんと整理されているとは到底思えない。
 小悪魔が異常な能力者だとしても、これらに書誌情報を付け、分類し、位置情報をつかむなど、絶対に無理なのではないだろうか。ましてや、その貸借や移動までを把握することなど。

 第一、どうやって分類するというのか?

 デューイの十進法だとでも?
 これらの膨大な書籍の内容をどう把握するというのか?
 内容ごとに順番を振ることが可能なのか?
 それとも五十音順にするか?
 いや、アルファベット順にすべきか?
 ひらがなやカタカナだけならともかく、漢字やローマ字、楔型文字、マヤ文字、トンパ文字に、線文字、フェニキア文字、ギリシア文字、キリル文字、アラビア文字にディーヴァナーガリー文字、蒙古文字、女真文字、西夏文字、タイ文字、クメール文字、西蔵文字、などなど。
 文字だけでも異様な数があるのに、一体、どうやって音の順番を決めて「並べる」というのか。発音順表をまず作って、それから整理するとでも?
 だが、発音の順番とはどんな順番になるのか?第一、発音の分からない文字はどうすれば良い?
 文字にコード表でも振って順番を決めて並べるというのか?
 なら、文字や言葉の分類は諦めるか?
 あるいは、書物の大きさか?
 あるいは、書物の材質?
 あるいは、書物の出版時代順?
 あるいは、図書館に入ってきた時間順?
 あるいは、文字の分量か?

 どれをとっても、全ての書誌情報を作るだけで無駄な時間を要するだろう。その上並び順を決めてから整理して配本するなど。 
 人間ならば、分類するだけでその人生を終わらせてしまうほどの量だ。
 そう考えると、この膨大な本の量は、本当に「外の世界」だけのものなのだろうか。勿論、その時間と空間と人口は莫大な本を作製したろうが。

 しかし、あるいは「外の世界」だけでなく、「外の外の世界」からも本が流入したりしていたら、どうなるだろう?

 恐ろしい書物の密林で行方不明になる恐怖を感じながら、この大図書館特有の慄然とする気配を味わう。
 正直、言ってしまおう。
 どうして、美鈴や魔理沙は、この図書館に気軽に入室できるのだろうか?住処同然のパチュリーや小悪魔はおいておいても。

「さ、ここから大図書館中心部ですからね、気をつけてくださいね」

 僕の長く重たい空想を余所に、美鈴は先ほどから楽しそうに僕を案内していた。
 彼女のその明るさは、本当に助かる。ところで、何をするにも楽しそうな美鈴の言葉は構わないんだが、図書館で「何を」気を付けると言うのだろう。
 いや「遭難」だな、きっと。

「この辺、野良魔導書とかがいるんで、危ないんですよ~」
「……野良魔導書?」

 予想外の答えが来た。

「ええ。野良魔導書ですよ?……何か?」

 聞き慣れない言葉に、僕はしばらく視線をさまよわせた。そんな僕をいぶかしむように、美鈴が振り向く。

「それは、かみついたりするのかい?」
「弾幕くらいは放ってくるみたいですねぇ」

 美鈴が僕の言葉になにも感じずに、至って淡々と答えた。感情表現の多い彼女にしては、かなり事務的な対応と言えよう。

「外の世界で言う、保健所とかで注射する類、じゃないのかい?」
「狂書病になると、書物狂いになって身代を潰すらしいですよ?」

 美鈴が相変わらず淡々と返すが、彼女、意味分かって言ってるんだろうか?パチュリーや魔理沙あたりの皮肉の丸覚えかもしれない。

「もともとはパチュリー様やそれ以前の方が作った防御システムの暴走だとも、魔導書そのものの本能だとも言われています」
「誰が言ったんだい、それ?」

 パチュリーが自分自身で言ったことじゃないのだろうか?

「こあちゃんですよ」

 美鈴が答える。
 こあちゃんというのは「小悪魔さん」の愛称だそうで、美鈴はそう呼んでいるらしい。いつもパチュリーが使役している、召喚された使い魔のことのようだ。

「彼女、ここの司書だったっけか」
「いつの間にか、そんな感じですよねぇ」

 最初は何で召喚されたんでしたっけねぇ、と美鈴は思い出すように首を捻ったが、すぐに諦めたようだ。そしてまた、歩き始める。

「で、野良魔導書にはどうやって気をつけるんだい?」
「出てきたら、逃げるか、それが無理なら退治してください」

 ……う~ん、やっぱり彼女は体育会系だなぁ。穏健で暢気だが、実際は武断派なのだろう。

「逃げられるなら、逃げるけどね」
「しかし、まわりこまれてしまった、っていうような場合もありますので、その辺も気をつけてください」

 8回、逃げたら会心の一撃がでますよ~、とこあちゃん、もとい小悪魔あたりから聞いたというガセネタを得意げに話す。それは違う世界の話だろう。
 それと、何度も言うが、どう気をつけろと。

「でも、学者さんが本で殴ると、それはそれで大ダメージだそうですよ」
「……本自体にも大打撃で、痛むだろうな」

 何を言ってるのか良く分からないことを、門番は無邪気に言った。多分、小悪魔あたりにいろいろ知恵を付けられているのだろう。
 確かに、分厚い書物は鈍器になるが、愛書家がして良い行為ではない。古本屋にしてみれば、「返品不可、傷大、わけあり商品」になってしまうだろう。
 ノークレーム、ノーリターンということで一つ。
 最近、八雲紫女史が「何か」を押しつけてくるときに言う常套句だ。ちなみに、「文句なんて言わないわよね、言ったら帰ってこれない世界に消すわよ」程度の意味だと思っている。

「僕は、いのちをだいじにするよ」
「いえいえ、ガンガンいきましょうよ」

 美鈴は、8回逃げる前から会心の一撃でも出しそうな勢いで言う。まぁ、彼女が付いててくれれば、とりあえずは安心だろうか。

 書架のダンジョンを進むほどに、段々自分の居場所に自信が持てなくなってくる。
 風景で変わっていくのは、あくまで書架に整理された書物の背表紙や様態だけで、書架ごとに作る背表紙のモザイク画以外で、位置が判明する方法がないのだ。なんだか先ほどから同じ書架の間をただただ、何度も通り抜けているような印象すらある。

「ここは、どこなんだい?」

 段々、不安が募っていく僕に、美鈴は親が赤ん坊あやすような笑みを浮かべた。

「大丈夫ですよ。そのうち、現場に到着しますから。安心してくださいよ」

 何事にも、先達のあらまほしきことかな。
 彼女がいなかったら今頃僕は、失踪者になっているのだろう。
 あれだ、やはり糸なり小石なりパン屑なり、用意しておけば良かったろうか。いや、パン屑は食べられてしまうのだったか。

「しかし、こんなに広かったのかな、ここは」

 いくら不思議な能力で広げているとはいえ、広すぎないだろうか?まだここは、あくまで大図書館、の大きさに過ぎないはずじゃないのだろうか。
 あるいは、地面を歩きながら進む場所ではないのかもしれない。空を飛んで初めて利用可能になる場所なのかもしれない。

「まぁ、外観と一致してないですからね。きっとこう、魔法的な、あるいは超能力的な、こう、凄い何かで広げているんじゃないですかね」

 美鈴がう~ん、と周囲を指さし確認しては、しっかりした足取りで進んでいく。それにしても、ちっとも具体的ではない説明だ。
 何故広いのか、その原理とか、少しも興味ないんだろうな、この様子だと。

「能力、ねぇ……」
「ええ。ですから、きっと上空から見た建物としての紅魔館の一部である地下「図書館」と、実際の「図書館」の図面は、全然異なるんじゃないですかね?大きさだけじゃなくて、形とか、質的な概念とか」

 そう答えて、また少し立ち止まる。何度か、その辺りにある本の背表紙を確認し、腕組みする。

「概念?」
「パチュリー様とか咲夜さんが言うには、東西南北とか上下左右とか、裏表や手前・奥とか、そういう、なんですか、位置概念、ってやつですか?」
「ああ、なるほど」

 そういう概念すら、空間的にいろいろ、手を加えてくるかもしれない、のか。
 とすると、メビウスの輪とか、クラインの壷とか、そういう位相空間的な何かまで考えなきゃ行けなくなる可能性があるのか。
 こりゃ、迷うな、確実に。もう、人間の直感ですら、把握できない可能性があるわけで。

「こっち、だったと思うんですけどねぇ」

 実際、目の前の住人が悩んでいるわけだ。

「いや、僕に聞かれても……」

 段々、ダンジョンの奥に入り込んで行く感覚は、まるで後戻りのできない密林に入り込む感覚なのだ。

「……、迷ってはいないと思うんですよ。ちょっと、待っててくださいね」

 美鈴はそう行って、身体を浮かび上がらせ、図書館内部を上空から見下ろす。

「あ~、あ~、なるほど、そっちかぁ」
「合ってたのかい?」

 上空の美鈴に声をかける、と彼女は軽く髪の毛を掻いて笑った。

「いえ、二つほど前の書架を左でした」

 あっけらかん、と自分の誤りを認める。どうやら、迷ってたらしい。

「……なんにせよ、到着するなら良いけれど」

 一瞬、美鈴を責め掛けて、自分にその資格がないことに気づいて止める。そんな気持ちを知ってか知らずか、彼女は無頓着な微笑みで僕を見つめ返していた。
 考えてみれば、地図もないこの図書館で、上空から俯瞰できなかったら、実はかなりまずいことになるんじゃないだろうか。

「すいません、私あんまりここに慣れているわけじゃないんで」
「門番って、館内の見回りはしないのかい?」

 警備員とは違う、ということかな、と僕が聞いてみる。

「館内はまた、別の担当者がいるんですよ」
「縦割りの弊害、かい?」

 僕がうなずいて聞くと、美鈴は苦笑した。

「いえ、図書館はパチュリー様とこあちゃんの縄張りですから。下手に書物を汚したり壊したり、移動したりするのは申し訳ないじゃないですか」

 美鈴なりの配慮なのか、そう言う。

「本が借りたくなったら、こあちゃんに言えば持ってきてくれますからね。勝手の分からない私が変なことをするより、実際にそっちの方が良いんですよ」

 なるほど、確かにその通りなのだろう。
 余所者がやってきて勝手に本を持って行くなんて、下の下のすることだ。大きな図書館になればなるほど実際に書架を歩いて本を探すのではなく、書物を司書に頼んで取ってきてもらうものだ、という。
 書架を勝手に歩かれて整理された本の配置を混乱されたり、勝手に持ち出されたりすることを防げるのだから。

「それにですね」

 美鈴はさっき行っていた書架に検討を付けると、そこを右折した。さっき来たときには左折すべきだったのだから、右折で正解、なのだろう。

「さっきは野良魔導書と言いましたけど」
「ああ、弾幕打ってきたりする、って奴だね」

 美鈴はうなずくと、今度はぽんぽん、と書架を叩いた。

「他にも、暴れ書架とか、出没しますんで」
「……暴れ、なんだって?」

 耳を疑う言葉を美鈴は平然と言う。

「暴れ書架ですよ。ときどき書架が動き出すことがあるんですよ。そのせいで、図書館が迷宮になったりします」
「本当に、迷宮になるのか」

 いちいち、書架が場所を移動していたとすれば、書架ごとに振られた番号も意味をなさないだろう。ダンジョンマップを作っても、常に壁が動くとすれば、何の意味もない。

「こあちゃんが言うには、ローグ型図書館です、だそうです」
「……パチュリーの不思議な図書館、ってわけだね」

 僕が呆れ半分につぶやくと、美鈴が微笑んだ。

「まぁ、上空に出られれば、それほど問題はないんですけれど。それに、魔法のおかげだと思うんですが、本を探すことや、自分の位置を把握するのは難しいんですが、図書館から出て行くのは簡単ですので」

 出て行くときはそう念じて進めば、自然と図書館から紅魔館への入り口へ戻っているらしい。

「しかし、そういう、マジックアイテムというか、アーティファクト的な道具が多いんじゃ、いろいろ危険だなぁ」

 自動防衛システムとしての魔導書、位置を変更する書架。これをマジックアイテム、あるいはアーティファクトと言わずして、なんと言おうか。

「ええ。なので、気を付けないといけないんですが……、なにしろここを訪れる人は、ある程度魔法に詳しい人が多いので、今までは大丈夫だったんだと思うんですよね」

 美鈴はそう言ってから、やや声のトーンを落とす。

「ただ、未だこの図書館に迷い込んだ人の声がする、なんて噂もありますからね。どこまで本当なのか」

 こあちゃんが言ってたんです、友達の友達から聞いた、って。
 非常に信憑性に欠ける気がするのはなぜだろう。あれだ、文あたりが言いそうな言葉だ。

「今回の件も、そうした魔法の道具や迷い込んだ人のせい、なんじゃないか?」
「あ、それはありそうですね」

 僕の言葉に美鈴が嬉しそうにうなずく。そして、すぐに、指を唇の前に立てた。

「しっ、声が聞こえます」

 美鈴はそう言うと、じっと耳を澄ます。
 僕にはまだ聞こえていないが、美鈴には何か聞こえているのだろう。

「……、良かった、こあちゃん、……みたいで、……す?」
「みたい?」

 僕の言葉に美鈴はうなずく。

「いえ、それがですね」

 美鈴は耳に掌を添えて、しばらく黙り、やはり首を傾げた。

「こあちゃんだと思うんだけどなぁ」
「なんなんだい?」
「いえ、それがですね」

 美鈴が、また同じ言葉を言う。大事なことなので二回言ったようだが、間投詞的なせりふが二回続くのは、大事なことと思えない。
 とはいえ、美鈴はその声のする方へ進み始めたので、慌ててその後を追う。

「おかしんですよ。こあちゃんの声が」
「風邪でもひいているのかい?」
「いえ、どちらかというと」

 美鈴はしばらく進んで行くと、やがて僕にもその声が聞こえだした。

「たくさんいるみたいに聞こえるんです」
「僕にも、そう聞こえる」

 確かに、そこでは同じ者が出す声が響き合っている。
 谺でしょうか、いいえ、誰でも。
 谺のように声が交互に応酬されるのではなく、それぞれ指示やそれに対する返事が飛び交っている。とてもではないが、1人や2人の声ではない。

 指示を出している声、それに対する返事、指示の詳細を求める声、慌てて指示を変更する声、現状報告する声、それを復誦する声。
 怒声に罵声、泣き声に喚き声、急かす声や焦る声、愚痴る声に悪口など、様々な感情まで行き交っている。
 にもかかわらず、それらの声、それがみんな、同じ声だ。違うのはそのトーンとか、内容だけで。
 僕たちが進んでいくと、その声はいよいよはっきりしてくる。

「そっちの無事な本は籠に入れて!」
「入れてる!籠の色はその書架間の記号ごとで良いわね!?」
「落丁している本、ページはすべて回収して別の籠に集めて」
「ページはピンセットで回収して!破れているものがあったら出来る限り一緒の籠に入れること!」
「落丁している本は、必ず回収したページと合わせるて籠に入れること!照合班に持参して!」
「照合班より連絡!回収班、せめてページの上下は合わせてよ!」
「でも、面倒くさいわ!照合班でやってよ!」
「ち、違うんだからね、こっちが面倒くさいから、回収班にやらせたいわけじゃないんからね!」
「ツンデレか!照合班、いい加減にしなさい!」

 上空の小悪魔が下で働く「小さい」小悪魔たちに指示を出す。
 そして、下の「小さい」小悪魔の返事にも、また答える。
 喧々顎々、なんだかお祭り騒ぎみたいな雰囲気だ。

「隊長、準備が整いました!書架ギメル、ご指示ください!」
「書架ギメルは、書架ごと動かす作業を開始して!右の重機用ゴーレムは、書架をしっかり持ち上げている!?」
「どっちのゴーレムもスタンバイOKです!」
「じゃ、書架ギメルは位置グザイへ!そーれ!」

 小悪魔のかけ声とともに、「小さい」小悪魔、及び巨大なゴーレムが一斉に動き出す。

「右!」
「左!」
「右!」
「左!」

 小悪魔の声に調子を合わせて、「小さい」小悪魔が合唱し、重機用ゴーレムと呼ばれた巨大な木偶人形が書架を動かしていく。

「左、停止、右、回転!」

 小悪魔のかけ声で、左のゴーレムが停止、くるっと右側のゴーレムだけが動くと、書架が90度回転する。

「右、回転!」

 すると再びまた90度回転を行い、事実上、180度、つまり反対側に向く。

「よし!そこから前方3m移動!」
「前進!」

 「小さい」小悪魔たちがそうはやし立てると、ゴーレムが重低音を響かせつつ、書架を引きずっていく。
 なんだか、激務の作業現場がそこにあった。しかし、そこで働いているのはすべて、小型小悪魔とゴーレムが複数。それらを上空から指揮しているのが、多分、本物の小悪魔なのだろう。
 ところで、あの小型小悪魔は何なのか?

「こあちゃ~ん!」
「あ、美鈴さ~ん!」

 美鈴が上空の小悪魔に手を振ると、小悪魔も元気に手を振り返してくれる。

「忙しいところ、ごめんね~、ちょっと降りてきてもらって良い」

 美鈴の言葉に、小悪魔が「小さい」小悪魔たちとゴーレムに「みんな適当に続けて」と指示すると、小さい翼をはためかせて降りてくる。

「はい、なんですかぁ?」

 多忙の中、彼女は嫌な顔一つせず、微笑みかけてくる。

「お嬢様に言われて、現場検証に来たのよ」
「現場検証って、門番のお仕事なんですねぇ」

 小悪魔は感心したように軽く頷くと、周囲を見渡した。

「でも、今、修復中なんです。そのぅ、現場、めちゃくちゃ荒らしちゃいましたよ?」
「ああ、ここが現場なのかい?」

 言葉を挟む僕に、小悪魔はキョトンとした顔をしたが、やがてまた、人好きのする笑みを浮かべた。

「ええ、霖之助さん。ここが、爆破された場所なんです」

 何がそんなに嬉しいのか、胸を張って外壁の部分から書架にかけてを、ざっと掌で示してみせる。
 外壁、といっても地下図書館の外壁であり、深い位置であるから外と繋がっているわけではない部分であるらしい。この外見からは不明な地下図書館は高層部の外壁は外と繋がり得るが、下部は当然、地下の中ということになるのだろう。
 となると、今回、爆破されたこの箇所は外部に繋がらない部分だったわけだ。
 そこでは、「小さい」小悪魔たちが、次から次へと石煉瓦をバケツリレーの要領で送り、最後の小悪魔が小さな小手で壁に塗り込めていた。
 万能だなぁ、「小さい」小悪魔。

「でも、とっても珍しいですね、霖之助さんが、ここにいらっしゃるなんて」
「ああ、君の主人の、その友達、に言われてね」

 レミリアはパチュリーの友人だから、そんな言い方になる。

「それで、美鈴さんと霖之助さんが調べに来たんですか」

 はぁ、と小悪魔が納得したのか分からないような声を出した。

「あれですか、いよいよ、霖之助さんは呼び出しですか?」
「僕が?」
「魔理沙さんの、保護者枠、ってことですよね?」

 この子はそう言って、大変ですねぇ、と同情してくれた。

「そうだったのかい、僕は?」
「あながち間違いじゃないですよね」

 問いかけられた美鈴が頷く。

「でも、今日は説教されに来たわけじゃないみたいだよ?一応、ここを調べて来い、って言われてね」
「そうなんですか。でも、もう、当時の状況とは違いますからねぇ」

 小悪魔が腕を組んで唸る。実際、すでに外壁の修復作業は進んでいて徐々に真新しい石煉瓦の外壁が出来つつある。

「でも、こあちゃんがある程度、覚えているでしょう?」
「ええ、まぁ、一応は」

 そう答えると、小悪魔はにっこり微笑む。

「なんでも聞いてください」
「じゃ、聞くんだけど」

 僕がおもむろに切り出したのは。

「この「小さい」小悪魔、なんだい?」
「そっち、ですか!?」

 小悪魔が目を丸くした。
 だって、気になるし。

「まぁ、良いですけど。これ、昔、パチュリー様が作った図書館防衛システムの名残です」
「防衛システム?」
「ええ。魔理沙さんの度重なる襲撃に対抗するために作った小型ゴーレムシステムですよ。あとで、魔理沙さんが、お馴染みの鮮やかな手口で、全く同じシステムを窃盗して襲撃してきたやつですね」

 そう言えば、前に魔理沙が言ってたっけか。
 パチュリーが作った小型ゴーレムの作成システムを盗み……、もとい、拝借して同様のゴーレムを利用して正々堂々図書館を襲撃した、という。
 当時のゴーレム戦争は、静かに静かに行われ、通称「ぱちゅこん」と呼ばれたという。何の省略形なのかは聞いたことはないけれど。

「それで、存外、優秀なので、私が人手がいるときに借りているんです。自立式に見えるのは、私の魂のクローンみたいのがそれぞれに展開しているからで。えっと、あれです、分け御霊、システムでしたっけ?」

 西洋悪魔から「分け御霊」とか言われると、少し驚くな。

「パチュリー様にお願いすると、作ってくれるんですよ。それから少しの間、私、貧血気味になるんですけどね」

 そう言って小悪魔が、あはは、と笑った。この娘の無邪気な笑みは、しかし、多少デモニッシュというか、デュオニソス的というか、少々、狂気的なものを感じるのはなぜだろう。

「貧血、かい?」
「ええ。しばらくすると、また戻るんで、今は陣頭指揮に立ってたんです。この子たち、ほっておくと、悪戯始めたり、好奇心に負けてどっかに行ってしまったりするんで」

 そいつは確かに、問題だ。

「可愛いねぇ、こあちゃん。一匹、もらって行って良い?」

 そう言って、好奇心に負けたのか、不思議そうに美鈴を見上げていた「小さい」小悪魔を、思わず抱き抱えてしまって美鈴が言う。

「それが駄目なんです。一応、図書館内のみが生存範囲ということで、パチュリー様が魔法をかけているので」

 何でも、彼らを飼うとすると、厳密なルールが適用されるというのだ。水をあげてはいけない、夜間に食事をさせてはいけない、など難しい飼育条件があるらしい。本当かどうかは、小悪魔の反応からは伺いしれない。ただの冗談の可能性すらある。

「ほら、お仕事に戻りなさい」

 小悪魔がそう言うと、美鈴の腕に抱えられていた「小さい」小悪魔が全員に敬礼してふよふよ飛んでいった。
 なるほど、その姿は愛らしいかもしれない。

「霖之助さん、興味あるんですか?魔理沙さんのゴーレムとか、作ってもらいます?」

 小悪魔が僕に気を使うように聞いてきた。

「それで、僕が何をすると?」
「えっ?何かする気なんですか?」

 小悪魔が無邪気に聞き返してくる。美鈴、少し引き気味に僕を見た。

「何もしやしないよ。……それで、話を戻すけどね」

 なんだか、酷い疑いをもたれたようだが、小悪魔はニコニコ頷く。どうも、この娘はどこまで本気でどこまでが冗談なのか、いまいち計り知れないところがある。
 さすがに小「悪魔」ということなのだろう。

「ええ、爆発のことですよね」

 今度は真面目な表情で小悪魔が頷く。小悪魔は僕たちに背を向けて指さした。

「だいたいですが、外壁を含めて、このあたりからこのあたりまで、球状に被害がありました」

 小悪魔ははきはきと事実を続ける。

「しかし、不思議なことですが、爆心地は図書館内部です。つまり、書架のある一部を中心に爆発し、外壁まで届く勢いで爆風が及んだようです」

 そのまま、小悪魔は長いスカートのポケットからメモを取り出す。

「書架のうち、この区画のベートからヘットまでがダメージを受けました。中でも、ダレットは棚の高さ中程から破壊されて本が散乱していました」
「それが、あの本なわけかい?」
「ええ、そうです。特に中心部のものは破損が激しく、落丁が多かったようです。ただ……」

 小悪魔が不思議そうに首を傾げる。

「落丁などは多いんですが、切り裂かれたり、焼けたりといったものはほとんどありませんでした。なんというか……」
「爆発というよりは、衝撃波、みたいなものか」

 火がでていれば、そんな結果にはならないだろう。

「そうですね。火やエネルギーをともなった爆発、という感じじゃないんですよ。温度が高温になれば、紙は発火しますから……」

 血塗れ苺、でしたっけ?と小悪魔が微笑む。なぜか木苺の類の言葉を、唐突に小悪魔はつぶやいた。

「華氏451度になれば、紙でも発火します。にも関わらず発火に至りませんから、衝撃だけがあって、本が落丁した、というのが一番妥当ですかねぇ」
「つまり、書架は壊れていて本は散乱した、本の状況によれば落丁していた。衝撃を受けた外壁の煉瓦は剥落した。この辺りが被害状況、ってわけだね」

 そんな自然現象、聞いたことがないな。

「はい。なんで一回書架を入れ替えて、本を整理し直して、さらに落丁した本のページを合わせなきゃいけないんです。中でも、ページのない本が大変でして」

 小悪魔が天を仰いだ。

「実は、昨日から照合班は大変なんですよ。ページのない本の順序を決めなきゃいけないで、みんなで本を読み合わせているようなものなので」
「……地味に大変な仕事だね」

 落丁した部分と前後を読み合わせて意味的な繋がりを見つける、ということなのだろうが、これは相当に骨のいる仕事だ。

「本当ですよ。これさえなければ、ただの肉体労働なんで、普通のゴーレムで良いんですけどね」

 そう答えて、重機用だろう、書架を移動させているパペットゴーレムやストーンゴーレムの方を眺める。

「まぁ、それでも、数日あれば大丈夫だと思うんです。何事も人海戦術に勝るものはありませんから」

 人じゃないけどね、と心の中で言う。

「そうすると、気になるんですが」

 そんな僕を置いておいて、今度は美鈴が言葉を挟んだ。

「はい?」
「外壁を破壊して侵入した、わけじゃないんですか?」
「そうですね。外壁は内側から破壊されていました。ついでに、こちら側からだと、穴が開いても外には出られません」

 小悪魔が壊れた壁を指さすと、そこには土がつもっていた。紅魔館地下から外に出るうち、土側の方向ということになる。
 この小悪魔の答えに、美鈴の表情が明るくなる。

「霖之助さん、ほら、これが証拠じゃないですか?」

 つまり、外部から侵入したわけじゃない。従って、魔理沙が外部から八卦炉で外壁を破壊して侵入したわけではない、ということだろうけれど。

「いや、魔理沙がきちんと入り口から入って、図書館のこの場所で衝撃波を起こした可能性はまだ残っているよ」

 何でそんなことを魔理沙がするのか、という気は確かにする。
 確かにするけれど、その可能性は否定できていない。
 この外壁の破壊は、魔理沙が犯人ではない証拠ではなく、外部からの侵入ではない証拠でしかないのだ。
 とはいえ、美鈴の言うとおりこれで十分、無実が証明された気もするけれど。それに、実際に重要なのは魔理沙が無実であることじゃない。魔理沙じゃないとすれば、誰がやったのか、なのだ。

「そうなんですか……?でも、魔理沙さんがここで衝撃波を起こす方法って、ありまあすかね?爆心地から球状、ってことは八卦炉じゃないんですよね」

 八卦炉なら直線になってしまうはずだ。「マスタースパーク」とは直線上に発射されるエネルギー型弾幕、とでも言うべきか。
 幽香あたりが色々、指摘してきそうではあるけれど。

「……確かに、魔理沙が出来るかと言われれば、あんまり思いつかないけどね」
「あの~」

 僕たちが話していると、小悪魔が声をかけてくる。

「可能性なら、ありますよ?」
「「可能性?」」

 美鈴と二人で振り向くと、小悪魔が頷いた。

「あの、ここで衝撃波の魔法を使った、とすれば良いわけですよね?」
「……いや、それはそうだろうけど」

 僕が小悪魔の意見に首を振る。それなら、魔理沙だけでなく、誰でも可能性はあるのだし。

「あ、いえ、そういう意味じゃなくてですね」

 小悪魔はそう言うと、散乱した紙を指さした。

「あれ、なんです」
「あれ?」

 美鈴が首をひねる。

「ええ。あの散乱した紙の中に、確かに衝撃波を起こす魔法があったんだそうです」
「……つまり?」

 嫌な予感のする二人を前に、小悪魔が微笑んだ。

「ですから、衝撃波の中心地に、衝撃波を起こす魔法の記載のある紙が散乱していたらしいんです」
「……?つまり、どういうことになるんです?」

 美鈴が僕を見つめる。
 あ~、だから、だ。

「こういうことかい、小悪魔君。衝撃波を起こす魔導書のページを読んでいた「犯人」はその魔法を試しに使ってみたところ、衝撃波を起こしてしまって爆破が生じた」
「あくまで、可能性ですけどね」

 小悪魔が頷く。

「今、回収して魔導書の復旧作業中なんで、復旧し終えたら持って行きますね」
「……、ちなみに、その魔法は誰でも使えそうかい?」

 僕の問いに、小悪魔はこれ以上ないほど素敵な笑みで返した。

「勿論、魔導書を「読める」ことが必要です。それから、それを行使できること。つまり、魔法の素養が必要です。それこそ、魔女と言われるほどでないと」
「つまり、私には無理ですね」

 美鈴が頷く。
 そりゃそうだ。そして、魔理沙には可能、という意味でもある。

「でも、あくまで状況証拠、だね。衝撃波の魔法だと知っていれば、この魔法をその場で行使するかい?中心地からすべてのものに衝撃波を与えるんだろう?術者や術者の持ち物だって危ないだろうし」
「術者には無効なんじゃないですかね?詳しくはパチュリー様に解析してもらった方が良いとは思いますけど」

 小悪魔がそう答える。

「一番、可能性があるのは、この魔法を行使した人は途中から中途半端に読んだ、ということじゃないですか?」
「とりあえず、使ってみたら、大惨事。ですか」

 まるで川柳のように美鈴が言う。きれいな5・7・5調なので、標語に使えるかもしれない。

「それなら、気をつけて、知らぬ魔法は、事故の元、ですかねぇ」

 小悪魔が美鈴と同じ次元で答えた。

「図書館の標語はおいておいてだね。魔法の痕跡、とかそういうのは調べられるのかい?」
「ああ、それなんですが」

 歯切れ悪く小悪魔が答える。

「ここだと、あまり意味がないんです。魔法だらけ、といいますか。魔法の濃淡しか分からないんで、事件直後でもないと、はっきりとした魔法の分布状況とか痕跡は分からないんです」

 赤外線カメラで見た温度の分布状況みたいなものです、と小悪魔が言う。だから、ルミノール反応みたいにはっきりと出たりしなんですよ、困りますよね、と小悪魔が続けて言う。線条痕みたいなものが、魔法にもあれば良いんですが、そう言ってまた笑った。立て板に水、流れるような説明だ。だが、難解な単語が散りばめられていて良く分からない。

 勿論、美鈴はちんぷんかんぷん、お国の言葉で「チンプトンカンプトン」のご様子で、疑問符を周辺に浮かべている。
 う~ん、感動的だ、だけど、無意味だなぁ。
 しかし、この小悪魔、ときどき色々なことを超越した説明をしてくる。

「なんにせよ、はっきりとは分からない、という意味だね?」
「そういうことですね。ただ、魔理沙さんが犯人だとするなら、なんでここで衝撃波の魔法を行使したのか、その影響を受けずに済むものなのか、どうやって逃げたのか、あたりが問題になりますね」

 小悪魔がざっと、まとめてくれる。

「前の二者はパチュリーの解析結果次第だとして。逃げるのは、普通に図書館の入り口を出て、紅魔館の外に出た、で済むんじゃないか?」

 僕が小悪魔に言うと、小悪魔は首を振った。

「魔理沙さんは図書館に向かっている位置で咲夜さんに捕まってますからね。本来、逃げているなら、余程の速度じゃないと、紅魔館から逃げる方向で捕まりそうですけど」

 外壁が外へ出られる方向に穴を開けていなかったとすると、地下図書館の入り口から出て行く必要がある。そして紅魔館を抜けて外へ。さらに一回出てからまた引き返し、紅魔館を目指して方向へ転じてからその途中で、咲夜に捕まった。
 どう考えても面倒な手順だ。
 可能性は、かなり小さく思える。

「やっぱり、魔理沙さんが犯人じゃない、そんな気がしますよね?」

 美鈴が僕を伺う。

「小悪魔君は、どう思うんだい?」

 僕は美鈴の問いを、そのまま小悪魔にぶつけた。

「そうですねぇ。魔理沙さんにしてはらしくないですよね。犯行が素人っぽいです」

 まぁ、魔理沙は前科者、玄人はだし、だからなぁ。

「根拠はあるかい?」

 小悪魔の表情を伺うと、彼女はいたずらっぽく笑みを浮かべた。

「悪魔の勘、ですね」

 その言葉に、美鈴ともども「あ~」と頷く。
 こんなんばっかだな、紅魔館。

「あ、いや、根拠、でしたね」

 小悪魔は僕たちの反応の薄さに、慌てて続けた。

「せっかく、こっそり侵入できたんですから、こっそり魔導書を回収して逃げていきますよ。わざわざこっそり侵入して、そこで魔導書の魔法を行使する必要、全然、ないですからね。それこそ、魔導書読んでて魔法を行使しちゃった、なんて素人以下ですし」

 そこまで言っても、ふ~ん、と聞き流されているのを見て、小悪魔が必死で続ける。十分、根拠と言えなくもないが、冗談のお返しに、少し冷たい反応をしただけなんだけど。

「いえいえ、それだけじゃないですよ?なにせ、パチュリー様が現場を見て、少し気になることがある、と仰ってたんですから」

 いつもなら「面倒ね」の一言で済ますパチュリー様がですよ、と「忠実な小悪魔」らしく暴言を吐いた。

「多分、何かに気づいて、昨日は、調べ物をされてたんじゃないでしょうか?」
「そういえば、パチュリー様はどうしているんです?」

 小悪魔の言葉に、美鈴が尋ねる。

「昨日、現場をしばらく調べられた後、私に整理の指示を出して、ゴーレムを作成されたので、今はお休みされています。回収作業が終わったら、その資料を持って起こすように指示を頂いてます」

 つまり、パチュリーは睡眠中、ということか。魔力を使ったとすれば、しばらく回復に時間がかかるのかもしれない。

「何かに、気づいた、か」
「ええ。パチュリー様のことです。もう、真相に気づかれているのではないですかね?」

 全幅の信頼を置いているのか、小悪魔が力説してくる。

「魔女の勘、じゃないと良いけどな」

 僕がため息混じりに言うと、美鈴が励ますように言った。

「大丈夫ですよ。パチュリー様は理屈っぽいですから」
「……もしかして、君はさっきから、誉め言葉のつもりで言ってたのか?」

 美鈴としばらく視線を合わせて見つめ合っている。個人的には呆然と見つめていたつもりだったが、美鈴は何やらはにかんで返した。
 いや、そういうことではなくて。
 ついでに、横で小悪魔がひゅーひゅー、よっ、いろおとこ、とか言っているのも、無視することにする。

「とにかく、パチュリーが起きるまでは、まだ時間があるわけか」

 小悪魔に、パチュリーが起きたら話を聞きに来る旨伝えると、すぐ連絡しますよ、と快諾してくれる。あとはパチュリー次第だろうか。彼女は何に気づいたのか。
 それはともかく、小悪魔に謝辞を述べると、彼女は「いえいえ、お構いなく」と微笑んで、また元気よく陣頭指揮に戻っていった。

「あんまり、収穫なしですかね?」

 残念そうに言う美鈴に、僕は首を振った。

「いや、もう、9割方解決なんじゃないかな」

 僕の言葉に美鈴が目を丸くする。

「犯人は、やっぱり魔理沙さんだと?」
「いや、犯人は魔理沙じゃない、という方向で」

 そう答えて図書館を去ろうとして、すぐに美鈴を見る。

「あの、どうしました?」
「迷ったら困るので、お願いできるかい?」

 僕が情けない表情で言うと、美鈴が悪いことをした、と冷や汗を浮かべたような表情をする。いかに、魔法的な効果で帰りは楽だとしても、先に行って孤立してしまったら迷ってしまうだろう。
 半人半妖の干物の出来上がり、というのでは洒落にもならない。

「……あ~、分かりました」

 ごめんなさい、恥をかかせたみたいで、と小さい声で言う。
 バツが悪そうに僕の前にたった美鈴が、振り払うように笑う。

「はい、じゃあ、手を離さないでくださいね」

 そう言って、左手で僕の右手を引っ張った。

「出発しますよ~!」
「お、おい」

 彼女はそう言うと元気よく、力強く僕を引きずっていく。

「じゃ、またね~、こあちゃん」

 美鈴が右手を思いっきり振る。
 僕は引きずられていきながら後ろを見ていると、意味ありげな笑みを浮かべて小さく手を振る小悪魔本体と、数多の「小さい」小悪魔ゴーレムたちが全員いっぱいに手を振ってくれたのだった。ある意味、壮観な風景に見送られて、僕はそのまま妖怪機関車に出口まで引っ張られていったのだった。









4.
 紅魔館の入り口へ向かっていたのは、まだ時間があったからだ。

 パチュリーが何かに気づいている。

 それが分かった以上、その話を聞く方が良いと思ったのだ。そして、パチュリーが睡眠を取っているということは、この事件の真相がたいして深刻ではない可能性を示唆していた。

 もし、深刻な問題なのだったら、彼女はとっくに親友である紅魔館の主に話をもっていっているだろう。
 だが、彼女はそうしていない。
 と、なると問題の真相はもう少し緊迫感のないものなのだろう。

 とはいえ、僕に何かが分かっているわけでもないのだが。

 そんなことを考えながら、さっきから手を引きずられて紅魔館の中を進んでいく。窓をすべて塞いでいるその館は薄暗く、ときに恐怖感すら覚えさせる。
 だが、館の中をメイド妖精が駆け回り、あっちでいたずら、こっちでおしゃべりしている様は、そういった陰鬱さを払拭するのに十分だった。
 全く役に立たない妖精メイドも、そういう意味では役に立っているのかもしれない。少なくとも館の主の妹の精神にとっては非常によい影響を与えるのではないか?あるいは、悪影響かもしれないが。

 もしかすると、そうした意味で妖精メイドを雇っているのかもしれない。

「次はどこに行きますか?」

 僕を引きずりながら、彼女はそんなことを言う。じゃあ、今まで、どこに向かってたというのだろう?図書館から出るまでは絶対に必要だった彼女の案内だが、とりあえずそこから出たことで僕にも多少、余裕は戻っていてそんな突っ込みを心の中でいれる。とはいえ、口に出すほど恩知らずではないわけで。

 それに、図書館から出た後もしっかり握られた手は、確かに妖怪の力強いものだったが決して不愉快な感じではなかった。そのためか、僕は甘える駄々っ子のような姿で、そのまま引きずられていたのだった。あるいは、彼女が手加減しているのかもしれない。

 そんな僕らを、時折通りかかる妖精メイドが意味ありげに微笑んでくる。あの小悪魔にしても、こういう笑みを浮かべるのが流行なのか、この館では。

「そうだな、パチュリーが起きるまで時間があるから」

 僕の言葉に美鈴が歩きながらふむふむ、と頷く。

「容疑者に事情聴取、といこうか」

 僕が続けると、美鈴がまた、ふむふむ、と頷き、そして。

「魔理沙さんに聞き込み、ですね」

 そう言うと、ぱっと手を離した。慣性に従った僕はそのまま彼女の横を通り過ぎていく。

「そういうことだね」

 僕は壁に体をしっかりたたきつけてから、頷いた。

「霖之助さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫、かな?」

 他人事のように僕が答えると、美鈴が微笑んだ。

「良かった、壁には傷がないですし」

 そう言って、壁の心配を合わせてする美鈴。
 急に手を離さなければ、こうはならなかったんだけどね。
 そう言い掛けて、止める。図書館を怖がっていたのは僕なんだし、それを助けてくれたのは彼女なのだから。
 それに、図書館を出てからも、手を離さなかった責任の一端が僕にあることも否めないわけだし。

「さて、壁も大丈夫なようだから、魔理沙の所へ向かおうか?」
「はい」

 美鈴はそう答えると、今度は僕の後ろに付いてくる。

「玄関のところかな?」
「もうすっかり暗いですからね」

 そろそろ夜警と交代ですかね、と美鈴が言う。

「じゃ、あそこへ行ってみて、いなかったらフランのところか」

 僕の言葉に美鈴は頷き、そのまま玄関近くに設定されていた、パラソルのあったお茶会の現場に向かった。












 そのお茶会の場所では、テーブルに小さな燭台が置かれて、か細い炎が付いていた。
 そこに、ティーポット、ティーサーバー、ケーキ台が置かれているが、もうケーキはほとんど残っていない。
 テーブルを囲んでいるのはメイドのカチューシャを外して、マッドハッターのように魔女の帽子をしている魔理沙と、夜になって目を怪しく光らせているにも関わらず、無邪気に楽しそうに笑っている「人形遣いではない」アリスのような少女だった。
 二人はティーカップを片手に、魔理沙は行儀悪く肘を付いて、フランは両手でティーカップを抱えて、交互にお茶を飲みながら話をしている。

「それで、私は言ってやったね、動くと撃つ、いや、撃つと動く、ってね」
「で、撃ったの?」
「撃ったさ。そしてすぐに動いたね。相手が動いたかどうかは、覚えてないが」

 紅茶を持っていない方の手で、ピストルの形をした手で銃を撃つまねをする。いや、八卦炉だろう、その場合。

「正解は、撃つ、だったのね?」
「まぁな。撃ってからでも、挨拶はできるからな。」

 魔理沙は男らしく豪快に笑って言う。いや、何を言っているのだろう。その問題設定を教えていただきたい。

「妹様、楽しそうですね」

 美鈴が二人の空間に、自然と入っていく。夜目が利くのか、フランは美鈴に気づくと、両手をあげて見せた。

「美鈴、遅いよ~!!」
「おお、そうだぞ。時間を守れよ、香霖」

 僕に気づいた魔理沙は、あんまり怒る様子もなく手を振って僕たちを手招きした。

「時間、約束していたかな?」
「あとで来るって、言ったじゃない」

 フランが不満そうに頬を膨らませて僕たちに言った。美鈴が苦笑する。

「すいません、妹様。レミリアお嬢様とこあちゃんに会いに行ってたんです」
「お姉さま?」

 首を傾げるフランに、美鈴が頷く。

「そうです。お嬢様も、魔理沙さんが犯人ではないだろう、とおっしゃって」
「もう~、お姉さまはいつもそうなんだから~」

 フランは美鈴の言葉に、怒っているのか笑っているのか、親しくない僕には分かりかねる曖昧な表情をした。その様子を察したのか、それとも全然関係ないのか、フランは僕に向かって話しかけてきた。

「いつも、みんなを試すようなことをするのよ?お姉さま、本当は優しいのに、いつもは人をからかったり試したり、そんなことばっかりするの」

 困ったお姉さま、と言って怒ってみせるのだが、どこまで本気なのか、分かりかねる。まぁ、決して姉妹仲が悪いわけではないことは伝わるので、良しとしよう。

「そういえば、僕も試されたな」
「でしょう?でも、怒っては駄目よ。お姉さまは何か考えてるんでしょうから。最初から、教えてくれれば良いのに」

 フランはそう続けて言う言葉には、実感が込められている。なにか、色々、思うところがあるらしい。

「まぁ、そう言うなって。あいつにはあいつの考えがあるのさ。で、香霖、私たちが胃の中を紅茶タンクにするまで、調べて回ったんだ。私の無実は証明された、ってことで良いのか?」
「いや、それがさっぱりでね」

 僕が有り体に答えると、魔理沙は首を振ってフランを見た。

「な、言った通りだろ?」

 その魔理沙の言葉にフランがえへへ、と笑って頷く。

「何だい、何か言ってたのかい?」
「香霖はあんな風に見えて、役に立たないぞ、って、魔理沙が」

 フランが魔理沙の、あまり似ていない物まねをして言う。

「……魔理沙、君はあれか、そんな風に」
「私を見てたなんて、悲しいぜ?香霖」

 僕の言葉を途中で打ち切り、魔理沙が大げさに嘆いてみせる。

「なぁ、フラン」
「ねぇ、魔理沙」
「……どういう意味だい?」

 僕が二人に声をかけると、魔理沙がフランに目配せをした。すると、フランが今度は姉の真似をするように、コホンと咳払いした。

「良い、霖之助。私がさっき、「役に立たないぞ、って、魔理沙が」って言ったら、あなたは「魔理沙がそんなこと言うはずないさ」っていうのが紳士的な態度なのよ」

 そう言ってフランが翼を動かして、得意げに言う。その仕草があまりに姉に似ていたのか、美鈴が声を出して笑った。

「そっくりですよ、妹様」
「あら、そう?」

 とフランが気をよくして、これも姉の真似をして返した。つん、と澄まして見せて腕を組んでみせると、なるほど良く似ている。

「つまり、なんだ、僕の返答は紳士的ではない、と」
「そういうことね、霖之助」

 そう言って、フランは腕を解いて、今度は幼い笑みを浮かべた。こちらは彼女特有のものだろう。

「魔理沙が可哀想だわ」
「な、香霖。世間には、こう見えてるんだぜ?」

 フランの言葉に気を良くして魔理沙が意地悪い笑みを浮かべる。

「そうは言ってもなぁ。今までが今までだしね」

 ぼやく僕に魔理沙は気怠そうにひらひら手を振った。

「おいおい、これでも私は、日頃の行いが良くて評判なんだ。地獄に堕ちても、ヤマメが糸を吊して助けてくれるレベルだぜ?」
「地獄に堕ちてる前提ですよね、それ」

 得意げに言う魔理沙に、美鈴が突っ込む。
 カンダタ並の善行の積方に、四季映姫様もお喜びだろう。カンダタ並、ということは勿論、善行の最底辺を意味している。潰せたはずの蜘蛛を潰さなかった、ということにより極楽浄土へのチャンスが与えられるというのだから、仏の心は有り難いものであるといえよう。
 その上で、その最後のチャンスをダメにするのがカンダタな訳だが。
 それと同じレベルとなると、魔理沙には猛省を促したい。
 この普通の魔女、そのうち覆面して黒胡椒でも盗みかねないからな。そうなったら本当に、奇行と言わざるを得ない。僕も師匠に合わせる顔がない。

「その上、その糸は絶対に切れるの前提だろう」

 僕も合わせて言うと、魔理沙が首を振った。

「まぁ、それなら、映姫に極楽入りの言質を取った方が簡単かね……」

 どうやって、と聞きかけて止めることにする。魔理沙が真剣に考えているわけでないことは「確定的に」明らかだし。

「で、魔理沙は実際に僕についてなんと?」
「あれはあれで、役に立つときもあるんだ、って」

 フランが悪意なく言う。なんだか迂遠な言い回しから、魔理沙の信頼を漠然と感じた。その仄かに伝わる信頼感は遠赤外線効果とか、そのレベルであって、直接的なものではない。

「で、役に立たなかったわけだな?」

 魔理沙が空のカップを右手に吊しながら、あきれ半分に聞いてくる。

「いえいえ、一応、みなさんから聞き込みとか現場検証とか、してきたんですよ?」

 美鈴が言い訳がましく言うと、魔理沙はカップを置いて腕を後ろに組んで背をそらした。

「ってことはあれか、地下図書館は見てきたわけか?」
「まぁ、一応は、ね」

 僕の言葉に魔理沙は頷く。

「でもあれだろ。もう、小悪魔が片づけていたろう」
「大作業になってたよ。人海・突貫作業だね、あれは」

 僕が頷いてフランが指し示した席にかけながら答える。

「凄いよな、あのゴーレムの数といい、それを運用する小悪魔といい。さすが紅魔館の大図書館、と言ったところだな」
「小さいこあ、かわいかったね?」

 フランが不器用にカップにアイスティーを注ぎながら、魔理沙に微笑む。夜の時間帯になって、吸血鬼の血が騒ぐのか、より元気になっているようだ。

「ああ、一、二匹、拝借したかったな」
「私もそう思いました」

 美鈴が嬉しそうに頷き、フランが手ずから淹れてくれた紅茶に口を付ける。

「おいしい?美鈴」
「ばっちりおいしいですよ~。妹様が淹れてくれるから、なおさらです」

 美鈴はそういうと、フランには見えないよう僕の腕を突っついた。

「ああ、とってもおいしいね」

 僕は如才なく紅茶に口を付けて答える。

「そう?じゃ、まだお代わりはあるから言ってね?」

 はしゃいでフランはそう言うと、テーブルの上にあったクロスをはがす。すると、そこにはまだ2つほど、白磁のティーポットが姿を現した。

「……、これは?」
「ああ、咲夜が持って来るんだ。私たちが飲み終わりそうな頃を見計らったように来るんだ」

 おかげで、私の胃袋は紅茶で満たされている、と魔理沙は苦笑した。魔理沙曰く、この結果として、僕たちを待っている間中、一杯の紅茶と二杯の紅茶に不自由しなくなったのだという。

「ある意味、わんこ紅茶というべきだろうな」

 どうやら、先ほどまでフランの給仕を受けていた魔理沙がそう言う。なかなか断りにくかったのか、魔理沙なりの努力でティーポット一つを空にしたらしい。だが、そこが限界だった、というのが現状らしい。

 今、新たなお客様の登場に、フランは大喜びでティーポットを抱えて、自分の椅子に座っている。

「で、なんか見つかったか?」
「いや。図書館で調べるべきものは何もなかったよ。壁が剥落してたのは修復が始まってたし、書架は移動してたし。落下して散乱した書籍は回収していたしね」
「だろうな。私がフランと行ったときには、まだ現場はそのままでね。酷い惨状だったよ。あれじゃ人が住めないな」

 もともと図書館は人が住むところじゃないが。

「で、魔理沙は何か見つけたのかい?」

 僕の言葉に魔理沙は、う~んと腕を伸ばして宙を見る。

「そうだなぁ。今度借りていこうかな、と思った本はあったけどなぁ」

 調査と称して、何をしていたんだろう。
 ……品定め、か。

「そういや、散乱している本の中に、変なのがあったな。あれだ、パチュリーが目を付けて不思議がってたやつ」

 そう言って、フランを見る。

「ああ、あれね。変な記号がいっぱい書かれていた本ね」

 フランが頷き返した。

「変な記号?」

 美鈴が首をひねる。

「そうだ。と言っても、どこかの文字なんだと思うんだけどな。字が読めない者にとっちゃ、文字は記号とか絵とか、模様にすぎないだろ?それと一緒で、私にはさっぱり読めない文字が書かれた本、というより、紙が散乱してたんだ」
「妹様も読めなかったんですね?」
「あれ、文字なのかしら。あんな変な書き方の文章、見たことがないわ」

 そう言ってフランは首を傾げた。

「変な書き方?」
「ああ。ほら、文章って、こう順番に書くだろ?」

 そう言って魔理沙は、よっ、というかけ声とともに身を乗り出して、文字を書くそぶりをする。

「右から左、あるいは左から右。上から下、あるいは下から上。牛耕文なんてやつなら、上から下、改行して下から上、なんてな。普通、こう順番に書いていくのが文章の基本だろ?」

 そう言いながら、今度は魔理沙は円を書き始めた。

「まぁ、文字は読めないんで、何とも言えないんだが、その文章は、こう円状にぐるぐる書いてあるんだ。それも円の大きさが全部違う。その円がひたすら並んでいるんだ。変な感じだぜ?一つの円の大きさが違うから、小さい円・大きい円があって、それも外側から内側へ繋がっているんだ。外周ほど文字と思える記号が大きくて、中に向かうほど小さくなる」

「……ちょっと、想像できないな」

 正直、イメージし難いものがある。

「だろうな。私もなんだこりゃ、って思ったからな。とはいえ、読めない書物なんて、山のようにあるだろ?ヴォイニッチ写本の類は、世につきないわけだ。自分に向けての暗号で書かれた自分言語の類なんかを含めたら、読めない言語は無限にあるだろうからな」

 魔理沙はそう言って、頬杖を付いた。

「それと同じで、なんかの文章なんじゃないかな、とは思うんだが、何にも分からなかった。だいたい、この円が内側から外巻きで書かれているのか、外側から内巻きに書かれているのかすら、さっぱり分からないんだぜ?渦巻いた文字列なんて、見飽きた図像だけど、変な記号が大小さまざまに渦巻きになって並んでいるなんて、結構、不思議な感じがするもんだ」

 確かに、文字を図像にしたものは決して少なくない。

 アラビア文字の書道はまさに文字を図像にすることを芸術にしたものだし、かな文字や漢字を崩して描く書道もまた、図像としての美しさと言えなくもない。

 表意言語のような絵となっている文字はなおさら、文字としてよりも「絵」として鑑賞されることが多いという。マヤ文字の類はその最たるものだ。

 実際、漢字も読めない人にとって、漢字は奇妙な絵に見えるのだという。そして漢字を読める者ですら、漢字の印象を語ることができるのだ。

「で、それが散乱してたもんだから、小悪魔が嘆いていた。これのページとか、さっぱり分からないんですけど、ってな」

 ああ。
 確かに、読めない文字が乱丁していても、それを正当に並べ直すことは難しいだろう。頁数でも振っていなければ。

「そうだ、頁数は振っていなかったのかい?」
「ああ、小悪魔と一緒に見てたんだがな、どれが数字なのか、良くわからないんだから、どうしようもないな」

 普通、欄外に頁数が振ってあるんじゃないか、というのが常識的な考え方だろうが、そういう文字が記載された本が、常識通りに書かれているとは限らない。

「幻想郷では常識にとらわれてはいけない、んだそうだぜ?」

 魔理沙が皮肉まじりに僕に言う。

「でも、そんな本まであるのか、あの図書館は」
「まさに、玉石混淆だな」

 そう言った後、魔理沙は鋭い顔に変わる。

「問題は、あの奇妙な本が玉なのか、石なのか、だがな」

 そう。読めないからと言って、石であるとは限らない。多くの読めない「魔導書」が実は玉であることは良く知られた事実だ。
 読めば発狂すると言われたさまざまな書物が、魔導書としてはすべて超一級品であったりする。
 アル・アジフ、無名祭祀書、エイボンの書。
 どれをとっても、魔術師垂涎の、そして「読めない」本ではなかったか。

「でも、あの本、変な本だったけど、ちょっと可愛かったものね」

 フランが思い出したように言う。

「可愛かった?」
「そうねぇ、お姉さまの絵本に書いてあった、巻き貝とかヤドカリの貝を、上から見た感じだったわ」

 なるほど、魔導書だったとしても、そんな風に見ることもできるのか。
 確かに、読んで意味が分からないとしても、絵本としては楽しめるのかもしれない。ヴォイニッチ写本がそうであるように。
 また、レミリアが今日、眺めていたように、たとえ本を読まなくても眺めることで楽しむことができないわけではない。

 本には本の、十人十色の楽しみがあるわけだ。

「今度、一緒に図書館めぐりしましょうか?こあちゃんにガイドをお願いして」

 美鈴がそんなことをフランに言うと、彼女は楽しそうに頷いた。

「良いわねぇ。魔理沙も霖之助も一緒に行きましょう」

 機嫌良く彼女が答える。

「良いのかね?野良魔導書や暴れ書架が出る図書館なんかで」

 僕がつぶやくと、魔理沙が頷いた。

「全くだ。フラン相手じゃ、奴らの身の保証ができかねるからな」

 奴ら、つまりマジックアイテム、アーティファクトの類の方が危険だ、ということか。無邪気に微笑むフランを見ていると、とてもそんな印象は受けないんだが、魔理沙が前に言っていたところが本当であれば、彼女はその外見とは全く違う代物、だということになる。
 しかし、そう言っていたわりに、魔理沙はフランを恐れていないのだから不思議だ。

「なんにせよ、図書館では特に何も見つからなかった、と」

 まとめるように僕が言うと、魔理沙はまた頷く。

「ああ。結局、あそこで見つかるのは書物だけだからな。それ以外が見つかりゃ、と思ったんだが、特に爆弾とか芭蕉扇とか、そういうものはなかったな」

 そんなものを探していたのか、と魔理沙の想像力の奔放さに驚かされる。いや、爆発物は僕も考えないではなかったが。

「火が出ていなかったし、球状の衝撃だったとすればだ。結局、なんかの魔法なんじゃないかな、と思うんだ。とはいえ、魔法を使いそうな連中はみんなお茶会にいたから、確かに残る容疑者は私なんだがなぁ」

 魔理沙はそう言って額に指を当てて、悩んでみせる。

「だが、肝心のこの私に、心当たりがないんだ」
「良かった、犯人の魔理沙なんて、いなかったんだ」

 僕も混ぜっ返す。
 少なくとも、本人が犯人でその事実を忘れている、とか、そういう展開はごめん願いたい。

「記憶は確か、なんだろうね?」
「私の記憶を疑いだしたか、香霖」

 魔理沙が心外だ、と言わんばかりに答える。

「いや、一応、確認だよ。記憶が曖昧だとか、混濁しているとか、記憶が飛んでいるとか、あるかもしれないだろ?」
「そんなことがあったら、いよいよ私も年貢の納め時だな」

 魔理沙はしばらく腕を組んで考えていたが。

「いや、最近は精神関係の魔法は扱ってないな。酒や魔法の薬の類も飲んではいなかったし。ついでに、記憶は正常で、時間軸もつながっている。さらに言えば、多分、この世界で私より正常な奴はいないと思う。香霖、お前ですら少しおかしいからな」

 最後に魔理沙は、非常に不遜なこと及び非常に失礼なことを断言してみせた。僕は同意しかねるので、その言葉は蛇足だと思う。

「それで、図書館以外にも調べたんだろう?その辺はどうだったんだい?」

 魔理沙の記憶を疑っても得るものは少ないだろうし、僕はそちらの方を促すことにする。空になったカップには、またいそいそと近寄ってきたフランが紅茶を淹れてくれた。その仕草は甲斐甲斐しくて可愛らしい。

「ああ。紅魔館の中に誰か潜んでないかと思ったがね、特に見つからなかった」
「あれ、隠れん坊みたいで楽しかったね」

 フランが明るい表情で言う。

「おまえ、本当に楽しそうに隠れん坊の鬼をするのな?」
「だって、隠れているのを追っかけていくのって、楽しいじゃない」

 貴族のたしなみの一つに、狐狩りというのがあって。つまり、それと同じだと言いたい、のだろうか?

「どこに隠れているのかしら、どんな気持ちでいるのかしら、どんな手段を思いつくのかしら……」

 フランが夢見るような表情で続ける。

「自分の吐息が、心臓の音が、追っ手に聞かれはしないかしら、このままずっとここで待っていていいのかしら……」

 両手を指でからませて、祈るような仕草で言う。

「移動した方が良い?反撃する?でも相手に勝てるかしら?でも、このままずっといたって……。お腹は空くし、喉は乾くし、トイレにだって、行きたいし……」

 ……なんとなく、思う。
 たぶん、これは狐狩りではない。

「フラン、君は隠れん坊、強い方かい?」
「これでも無敗よ!」

 そう言って、フランが胸を張る。さっきまでの主張とはうって変わって、非常にかわいらしい。

「妹様は本気で隠れん坊の鬼をされますからねぇ」

 美鈴がうんうん、と頷いて答える。

「本気?」
「最悪、私が見つからなかったときは、四人がかりで攻めてきました」

 そのときの光景を思い出したのか、美鈴が頭を抱えた。

「あれは優雅さに欠ける、ってお姉さまに叱られたわね」

 てへっ、とフランが額に拳を当てた。

「あ~、「フォーオブアカインド」か。なるほどな」

 魔理沙が何か思い出しのか、しみじみと頷いた。

「でも、あれからは使ってはいないわ」
「今回は二人で探したもんな?」

 魔理沙と二人で、「ね~」という感じで頷きあう。

「で、誰か見つかったのかい?」

 その不幸な「狐」は。

「いや、それがサボっていた妖精メイドなら巨万といたんだがな。部外者はいなかったな」
「そうねぇ。メイドたちが私を見るなり、ひぃっ、お助け~、とか言ってただけよ?」

 気を悪くしたわけでもないのか、フランがにこやかに言う。

「鬼に見つかったらからって、あんなに驚かなくても良いのにねぇ」

 フランが首を傾げる。
 もしかすると、フランを見たときの反応は、妖精メイドのそれが正常なのだろうか。僕たちがおかしいのかもしれない。

「サボっていたのが見つかったら、そんな風になりますよ。私だって、咲夜さんに見つかったらそうなりますから」

 何を威張ってか、門番がそんなことを言った。ひぃ、お助け~、ってなるのか。良い年した妖怪なのに。

「だとすると、本当に部外者はいなかったのか?」
「ああ。門番の代わりをしながら、この辺も見て回ったんだがな。そこにも足跡は特になかったし、不審なものもなかったよ。あ、いや。怪しい家庭菜園にあった怪しい西瓜を一個、分析したくらいだな」
「……、それ、私の育ててるやつですっ!」

 急に憤然と美鈴が言う。

「そうだったんだってな?あんまり丸々と太って、瑞々しくて怪しかったんで、フランと一緒に、色々分析してみたんだが」
「甘かったね、魔理沙」

 フランが西瓜の味を思い出したのか、幸せそうに言う。

「ああ。驚くほどにな。水分たっぷり、糖分もあって、良い西瓜だったぜ。さすが、美鈴。「緑の指」の持ち主だな」
「ね、美鈴は凄いんだよ!」

 フランが美鈴に代わって威張る。
 それを見ていた美鈴は、毒気を抜かれたのか、今後は言ってくださいね、と言うのがせいぜいだった。

「私も仲間に入れて欲しいんで」

 ああ、なるほど、そっちで悄気たのか。
 美鈴がちょっと可哀想だったかもしれない。

「ごめんね、美鈴。次はみんなで西瓜割、しようね?」

 西洋吸血鬼のやんごとない淑女から出る言葉として、不適切な単語が聞こえる。

「魔理沙、君か?」
「西瓜割。それは夏を祝福する正式な儀式だろ?丸まると熟れて、氷水に冷やされた、水滴を数滴浮かべた緑と黒の縞模様、その西瓜の周囲を民衆が取り囲み、砂地の上で目隠しをした木刀片手に挑戦者が、割ってみせるべく精神一到、周囲がその位置を囃し立てながら、その目指す果実を叩き割る。割れれば息災、紅き果肉が流れ出し。割れずば次の挑戦者へ木刀が手渡される。まさに夏の儀式、盛夏を称える風景だ。そう思わんかね、香霖」
「なんだか、非常に小難しいことになってるな」

 そんなに大仰なものじゃないだろうに。

「分からないかなぁ。……おまえに合わせたんだよ」

 皮肉めいた魔理沙の言葉に、僕は言葉を詰まらせる。そんな目で見ていたのか。失敬な。……なるほど、確かに僕はそんなことを言うかもしれない。

「なるほど、魔理沙は僕を良くみているな」
「なっ!!」

 ぼそっと囁いてしまうと、ばん、と魔理沙がテーブルを叩いた。美鈴とフランが驚いて魔理沙を見る。

「あ、いや、何でもない」

 そう言うと、魔理沙は帽子で顔を覆ってふてくされたように座る。

「付き合いが長いだけさ。……香霖、変なことを言うの禁止な」

 そう答えると、機嫌をなおしたのか帽子をかぶりなおした。

「感心しただけなんだけどな」

 僕の言葉もどこ吹く風、しばらく魔理沙はつーんとこちらを無視する。

「で、なんだったけか。そうそう、館内にも館外にも、不審な跡はなかった、って話だったな」

 魔理沙が取り繕うに言うと、フランもそれを受けて頷いた。

「そうだったね。だから、もう、犯人はいないんじゃないかな、って」

 犯人はいない、か。

「でも、だとすると、いよいよ、何が原因なんでしょうかね?」

 美鈴の言葉に、魔理沙がそうだなぁ、と空を仰ぐ。
 すでに空には夜の帳が降りていた。星の瞬きが、月のぼんやりとした光が地上を照らしている。
 もう、お茶会などという時刻でもない。夏だからこそ夜でも寒くはないが、本来なら館の中でするべきだろう。

「さぁ、なぁ。色々、邪推は出来るが、何にも証拠はないからなぁ」
「それ、咲夜さんも言ってましたね」

 美鈴が困ったように笑うと、フランが頷き、魔理沙が笑い返した。

「でっちあげるならな。文あたりなら、面白い話を思いつきそうだが」
「文?烏天狗の記者の?」

 フランが「文」という名前に興味を示した。

「ああ。……知り合いか?」

 魔理沙が不思議そうに聞くと、フランが頷き返した。

「色々、良くしてくれてるの。文は、とても面白くて、とても良い天狗だわ」

 フランが言う「面白い」という言葉にはすべて、「面白い」という部類をやや危険側に突き抜けた観があると思う。
 個人的に、友人は選んでいただきたい。ちなみに、面白くて、という意見にはやや同意できるところがあるが、とても良い天狗という部分には全然同意できない。
 どちらかと言えば、大反対だ。

「妹様も顔が広くなりましたねぇ」

 感慨深げに美鈴が吐息を漏らす。

「そうねぇ。館から外に出て、最初は色々、怖かったり不思議だったりしたけど……」

 フランもまた、懐かしそうに夜の漆黒の紅魔館を見上げる。

「怖かった?」

 僕がなんとはなしに言う。紅魔館の吸血鬼にも怖いものがあるのか。

「外には出たかったけど、外ってなんだか、よく分からなかったもの。お姉さまから、何でも壊すのは良くないことだ、って聞いてたから、なおさらね。何で壊すのが悪いのか、壊す能力を持つのが私なんだし、でも壊すからお姉さまに怒られるのね?きっと、壊すから外に出してもらえないのかなぁ、って。そう思うとみんな怖かったし、よく分からなかったし、だからいつも私、怒ってたなぁ。何もかもが嫌だったし、憎かったし、壊してしまいたかったし」

 フランが少女らしくない笑みを浮かべた。

「……私は何でも破壊することができる、らしいのね?私も壊すことが普通のことだと思っていたから、壊さないということが不思議だったの。でも、壊れないから壊さないんじゃなくて、壊れるから壊さない、っていうことに気づいたらね、とってもこの世界って、不思議で素敵なものになったのよ?」

 そう言ったフランの顔は、本当に輝いていた。世の中が楽しくてしょうがない、そんな表情だ。それは本当の意味で子供の表情かもしれない。まだ、世の中を知った風でもなく、すべてが不思議に満ちている。そんな、生まれてからある一時期にしか許されない、幸せな時期の。

「ほら、あのとき、魔理沙や霊夢に会ったでしょ?壊せるはずなんだけれど、壊せなかったのよ。でも、壊せなかったけど、壊せない、壊れないって、とってもとっても素敵なことなのよ。壊せないから、壊さないから、とっても素敵なのね」

 言葉が少ないのか、それでも彼女の感じた思いはなんとなく、伝わってくる。それは彼女の感動がよほど大きいから、言葉で表現できなくて、なんだかもどかしくなっている、ということなのだろう。

「で、お姉さまにそう言ったの。そしたら、お姉さま、とても喜んでくれたの。あ、でも、お姉さま、泣いてもいたのよ?悲しくないのに泣くんですって。普段、人前じゃ泣いては駄目よって言っているのに、泣いて喜ぶのよ?」

 その言葉に、美鈴がふと顔を下げる。魔理沙も、らしくもなく表情で夜空を見上げた。

「でね、言うの。お姉さまは運命を操れるのだけれど、本当の淑女は操れるから操るのではないのよ、って。それでは運命を操る能力の奴隷になってしまうんですって。全部操れるから全部操るのでなくて、操るべきもののみを操るのが貴婦人なのですって」

 凄く難しいでしょ、とフランは無邪気に言う。確かに、禅問答の一歩手前のような言葉ではあるが。

「それで、お姉さまに言われたわ。あなたも、全部壊せるから全部壊すのでなくて、壊すべきもののみを壊すことを、これから覚えていくのよ、って。そうしたらね、私も」

 そう言って、自分の胸に両手を置く。

「私もお姉さまみたいに、素敵な貴婦人になれるんですって。だから、咲夜とか美鈴とか、魔理沙とか文とか、誰かが付いていてくれたら、外出して良いのですって。だから今、とっても楽しいのよ!」

 僕に抱きつかんばかりに、そう少女はテーブルに身を乗り出して言う。

「見るもの全て、新しい、かな?」
「そう、みんな、違って見えるんだもん。あの星も、月も、昔はみんな壊せるものと、壊れているものと、その2つとしか思わなかったけど、今は違うわ」

 この少女には、星すら破壊することができるものなのか。
 そして、星すら壊れているものなのか。
 勿論、星そのものに触ることはできないから、破壊することは出来ない、はずだが。あるいは、彼女はその能力で本当に「スターボウブレイク」することができるのだろうか。

「お星様が瞬いているのが、とても綺麗だと分かるわ。魔理沙が言う通り、生きている星が、死んでいく星が、みんなそれぞれ違った色をして、違う瞬きで、違う位置で光っているのよ。とっても美しいじゃない」

 ふと見ると、魔理沙がこちらをちらりと見て苦笑する。がらにもないことを、とでも言いたいのだろうか。
 そんなことはない、魔理沙らしいロマンチシズム溢れる話じゃないか。

「そう思ったら、みんなね、素敵で楽しいの。だから、みんなで一緒に色々なものを見て回るのが、とても楽しいわ」

 そして、フランは僕を見つめて、にっこり笑った。

「ね、だから霖之助も、私にも色々教えてくれると嬉しいわ」

 彼女はメイド服のまま、優雅にスカートの裾をあげてお辞儀する。

「こちらこそ。たいしたことはできないけれど」

 僕に出来るのは、せいぜいうちの商品でも見せてあげることくらいだろうか。

「そんなことないわ。あなたがしてくれた話も、見せてくれたものも、全て楽しかったって、そう言ってたもの」

 フランがそう言って、魔理沙に微笑みかけた。

「ね?」
「……あ?ああ、まぁな」

 ぶっきらぼうに魔理沙が言って、そっぽを向いた。

「魔理沙、とても楽しそうにあなたがしてくれた話をするのよ?星の話、神様の話、花の話、動物の話、おとぎ話に昔話……」
「退屈な話だよ。特に女の子には」

 僕が苦笑すると、魔理沙が軽く首を振った。

「そんなことは、なかったぜ」
「そう、だったかい?」

 僕も、魔理沙を見つめる。今度は、視線を逸らさなかった。

「ああ、勿論」
「それなら、良かった」

 僕も頷いた。フランが「ねっ」、と微笑み、美鈴も頷く。

「僕が子供の頃の君にした話は、少し難しかったんじゃないかと思ってたんだが」
「ああ、そりゃ、もう、難しかったな」

 過去を懐かしむように、魔理沙が目を瞑った。

「今思えば、何をあんなに一生懸命に話してたんだ香霖は、って思うな」
「僕もそう思うよ」

 魔理沙と同様、僕も懐かしく思い出す。
 毎日、何か不思議なことを見つけては、香霖、香霖、不思議なの、教えてよ、と飛びついて来る、好奇心旺盛な子供。
 僕の膝の上に座って、今日は星の話、動物の話、花の話、虫の話、と色々せがんでくる子供。お気に入りの童話やお伽噺、時には怪談や故事説話に神話などを聞きながら、ときに笑い、ときに泣き、ときに怒り、ときに驚く。ときに興奮して、ときに飽きて、ときに眠って、ときに暴れて。
 座って話を聞いていた魔理沙が、ときに振り返って見せる表情は千変万化、ときにあげる喚声は百の音色。
 暗い話を聞いた後は、立ち上がって腕を振って怒り出すこともあれば、明るい話を聞いた後は楽しそうに抱きついたりもする。
 それに彼女がしてくる質問は、いつも楽しく、いつも僕を困らせたものだ。

 あの光っているものは何?
 あの星はなんていう名前なの?
 なんでそんな名前なの?

 どうして紫陽花は赤い花と青い花があるのに、何で同じところで、二つの色がどっちも咲いていないの?
 どうして蝸牛は角を生やしているの?あの背負っているお家はどこから拾ってくるの?
 どうして鶏はあんなに早く起きて、あんなに大声で鳴くの?
 どうして熊は冬眠するの?
 どうしてお日様は毎日登って、毎日沈むの?毎日、同じ、お日様なの?
 どうしてお月様は欠けたり満ちたりするの?
 どうしてあんなに形が変わるのに、全部同じお月様だってわかるの?
 どうして虹は七色なの?

 あれは何ていう名前なの?
 あの絵は何?
 あの壷は何?
 あの楽器は何?
 あの人形は何?

 どうして子供は生まれてくるの?
 どうして妖怪は生きているの?
 どうして妖怪は生まれてくるの?

 それに。

 どうして香霖は半人半妖なの?

 無垢な笑みで、毎日、それこそ毎日、色々な不思議を発見してくる魔理沙が、今日は何を尋ねるのか、どう答えたら良いのか?
 それを考えるのが、毎日面倒のような、嬉しいような、そんな気分だったあの頃。
 師匠の元から独立しても、師匠の娘に厳しい質問をされていたあの頃。

 僕が師匠の店に行けば、待ってましたとばかりに飛びついて。
 彼女が僕の店に訪ねて来れば、どうして最近は来ないのか、と不機嫌そうに文句を言ってから切り出してきたものだ。
 彼女が大きくなるにつれ、彼女と師匠の関係が複雑になればなるほど、魔理沙はうちに入り浸ったりしたものだった。
 しかし、それは充実していた頃だったのかもしれない。

 ……そういえば、いつから魔理沙は自分で疑問を調べて解決することができるようになったのだろうか。
 いつから、僕の店に来なくても好奇心を満たせるようになったのだろうか。
 その記憶は僕のなかでは曖昧で。

 あるいは、彼女が師匠の元から飛び出して魔女の森に家を構えた頃だろうか。いや、それよりももっと前だったろうか。
 確かに彼女は人間で、僕らとは比べものにならない速度で成長してしまった。人間の成長の早さのせいで、僕のなかの彼女の姿はときに曖昧になるのだ。
 僕の膝の上で無邪気に微笑んでいた魔理沙は、いつしか僕に向かい合って挑戦的に笑うようになり、今では一端の魔女として「そこ」で不敵に座っている。
 そう、確かに僕とは違う時間が、彼女には流れているのだろう。

「だけど、楽しかったよ」

 僕が過去に思いを馳せてそう正直に白状すると、魔理沙もまた微笑んだ。

「ああ、楽しかったな」

 そんな僕らを見て、フランが羨ましそうに言う。

「私も、お姉さまとか咲夜とか美鈴とかに、もっと色々お話してもらうべきかしら」
「そうしろ、そうしろ。そっちの方が、絶対に楽しいから」

 魔理沙があの頃を思い出しているのか、そんなことを言う。

「少なくとも、子供相手に掛け軸の幽霊の話をするよりは楽しいはずさ」

 僕を横目に魔理沙がフランに語る。

「あれは、君が僕にせがんだんだけどな」
「小さい女の子に、あんなに真剣に幽霊の話をするとはなぁ。良い趣味だよ」
「それで僕は君が眠っている間中、ずっと横で起きている羽目になったんじゃないか」

 よほど怖かったのか、小さい魔理沙が僕の手を握って眠っていた。わざわざ師匠の店に来て怪談までし、ついにはその店に泊まり込む羽目になったわけだ。
 しかしその肝心の魔理沙はといえば、眠りが浅いのか、すぐに起きては僕に聞くのだ。
 「香霖、起きている?」と。その度に、彼女の背中を優しく叩いて眠らせたものだった。
 次の日に、僕は師匠の前に寝不足の姿で現れたため、説教されたことを思い出す。

「子供心には怖い話だったのさ」

 照れ隠し気味にぶっきらぼうに答える魔理沙に、フランが目を丸くした。

「魔理沙も、小さい頃は幽霊が怖かったの?」
「私にも、そういう頃はあったのさ。ただ、「掛け軸の幽霊」が怖かったっていうよりは、それを真剣な顔で臨場感たっぷりに話していた香霖の方が怖かったんじゃないか、って気がするなぁ」

 顎に手を置いて、悩むそぶりで魔理沙が言う。

「まるで僕の存在が、怪談そのものだったかのような言い方だな」

 まぁ、半分、妖怪ではあるんだが。

「そう言っても過言じゃないな」

 魔理沙は重々しく頷き、僕は憮然としてみせる。その様子に、楽しげに美鈴は身を乗り出した。

「それで他には、どんな話をしてたんです?」

 美鈴が興味津々といった表情で聞く。僕が魔理沙に目を向けると、やれやれ、といった表情で魔理沙が頷いてくれた。

「そうだな……。星の話が好きだったかな。そう、良く、星の話をしたよ。星の見方、星座の見方、星の種類、星の名前とその由来、星の位置、星の魔力、星の神話。でも、今じゃ魔理沙の方が専門家だけどね」

 天文学、占星術、星辰、暦。

 これらは魔法使いの基礎教養だ。僕みたいな素人の適うところじゃないだろう。

「仕事にすると、詳細に知ることが楽しい反面、ちょっとばかり興趣が削がれて事務的になるんだよな。ロマンが減ってしまって、いけないのさ」

 魔理沙が苦笑半分で答える。

「でも魔理沙は、子供の頃から好きだったことを、今もしていることになるのね。羨ましいわ」

 フランがそう言うと、魔理沙が満面に笑みを浮かべた。

「おいおい、フラン、私はまだまだこれから長いんだぞ?もっと色んなことをする気なんだ。それに、お前もそうだろう?他人事じゃないぜ」

 魔理沙の言葉にフランが顔を輝かせる。

「すぐに見つけられないかもしれないし、実際、見つからないもんさ。だから、ずっと探し続けるわけだしな。ある時は、これだ、って思ったものがやっぱり違うなんてこと、良くあることだろうし」

 な?と美鈴と僕を交互に見る。

 僕は店主としての道を見つけたし、美鈴は門番として働いている。
 だが、確かに、いつ、何かがあって違う道を行くのかもしれない。そんなことは少なくとも全知全能である人以外には分かるまい。あるいは明日には僕が門番になり、彼女が店主をしているかもしれない。
 未来なんてわからない、少なくとも僕ら程度の存在の間では、そういうことになっている。
 それは運命を操る「この少女の姉」をしてすら、そうだろう。

「絶対に、妹様にも見つかりますよ」

 美鈴は落ち着いた表情でそう言った。まるで、母親か、祖母か、そんな口振りで。

「そう、かしら?」
「ああ、見つかるね。そして、またそれが違った、って言って悩むんだろう。それが実は違っていなかったり、違っていたらいたで、また新しいものが見つかったりするんだろうけどね」

 僕もまた、父親か、祖父か、そんな口振りで答えてしまう。
 ……ああ、これは端から見たら恥ずかしい光景なんじゃないだろうか。

「おお、ほら、人生の先達たちのありがたい言葉だぞ」

 魔理沙がからかうように僕たちを指さす。
 ちなみに、字義通りならフランの方が年上だが、そういう意味でないことはわかる。フランもうんうん、と嬉しそうに首を縦に振っていた。

「だからな、フラン。無駄だと思うような話でも、聞いておくものだし、見ておくものさ。いつしか、それが本当に役に立たなかったなぁ、って思い返すまでは、決して役に立たなかったかは分からないんだから」

 魔理沙はそう答えて、僕に向かって悪戯っぽく片目をつぶった。

「香霖から聞いた話は、本当に小難しい話ばかりだったぜ?子供相手に理屈っぽい話ばっかりだったよ。どうして、空が青いのか?青い海の色を鏡写しにしている、って良い答えだったと思うがね、そう答えた後で香霖は続けるのさ」

 魔理沙は急に僕の物まねをする。

「だが、どうだろう?幻想郷には海がないはずだ。青い湖の色が鏡写しになっているのか?そうすると、夜の湖の色は黒いから、空の色も黒いのだろうか?夕焼けのときは、湖の赤さが空に写っているんだろうか?海や湖の色が緑色のところがあると言うけれど、そこでは空は緑色なのだろうか?なにより、なんで海の色は鏡写しになるのに、陸地の色は空に写らないのだろうか?だから、何か違う理由があるんだ、きっと虹の七色の中に「青」があるように、その色だけが空の色になった理由が」

 ……そんな風に僕が話をしたのだろうか?
 確かに、西瓜割の話を笑えないな。

「ほら、見てごらん、魔理沙。ガラスに光が反射すると、虹みたいに見えるだろう?光の中に、きっと青色があって、その色だけが、空の色になったんじゃないだろうか?空にガラスのようなものがあって、青色だけを見せているんじゃないだろうか」

 そこまで言うと、魔理沙が自分の砕けた口調に戻った。

「このころには、私はもう、眠くて眠くてしょうがないわけだよ。なにせ、香霖の静かな口調は心地良いし、背中は暖かいだろう?眠くなって、結論の頃にはもう、うとうと、こっくりこっくり、ってね。船を漕ぐわけさ」

 魔理沙の言葉に、美鈴が苦笑する。何もそこまで子供相手に本気にならなくても、っていうことだろう。
 全くだ。
 当時の僕に注意したいと思う。猛省する。

「とはいえ、それでも、あのころはそれが楽しかったんだぜ?それは本当さ。だから、香霖の話が本当に立たなかったかは、私が死ぬときに決めることにするよ」

 魔理沙が楽しそうに自分の死期に触れた。まだまだ長いはずの余命。しかし、僕らに比べれば、きっと取るに足らない。それにしても、魔理沙は自分の死期を盛んに口にする悪い癖がある。本を借りるときとかね。

「で、どうだい。賭率の方は?」

 僕は混ぜっ返すように尋ねた。

「役に立たない話だった方に、9:1かな」
「割の合わない賭だね」

 僕は魔理沙に愚痴るように言った。

「それでも、僕は1に賭けることにしよう。じゃないと、当時の僕に失礼だからね」
「勿論さ。私も1に賭けるね。当時の私に失礼だからな」

 僕に応じるように魔理沙が答え、美鈴が笑った。

「じゃ、賭けは不成立ですね」
「……良いなぁ、そういうの」

 フランが羨ましそうにつぶやいた。

「これから、いくらでもフランはすることになるさ」

 魔理沙はそんなフランに快活に声をかけた。

「割の悪い賭けを、かい?」
「うんにゃ、こういう馬鹿話と懐古譚だな」

 少女が言う「懐古」の言葉に苦笑しかけたが、思い直して僕は真面目に頷き返すことにする。

「なるほど。僕たちが傍にいたら、そうなるね。朱に交われば、赤くなる、だ」
「不思議ね、朱なのは私たちだと思ってたけど」

 フランドール・スカーレットは紅美鈴に向かって、微笑みかけた。

「私たちより、赤いんでしょうね。魔理沙さんや霖之助さんは」
「ほら、こいつら以上に赤い認定されたぞ、香霖」
「いやいや、僕が含まれるのはいただけないね。魔理沙、君だけだろう?」

 僕の返答に、魔理沙は肩をすくめた。

「見たかい、これが幼いときから、大切にお話を聞かせてくれた大人の態度だぜ?」
「まるで、僕が大人として失格のようじゃないか」

 やけに楽しそうに僕を見つめる魔理沙に、僕は真顔で返した。

「ほら、霖之助さんは、みんなが思っているほど、駄目人間なわけじゃないですから」

 見かねたのか、慰めるように美鈴が口を出してくれる。

「君はそんな風に、僕を見ていたのか」
「いや、そいつは驚いたな、私もそこまでは言ってないんだが」
「美鈴は、霖之助にとても厳しいのねぇ」

 僕たちの目が一斉に美鈴に向けられると、えっ、悪いの私ですか、とキョトンとする。
 その様子に魔理沙が吹き出し、フランが続いた。

「まぁ、駄目半人半妖だからね」

 僕はそう答えて、ぽんっと美鈴の肩を叩いて、にっこり笑いかけた。

「君との付き合い方は今後、考えることにするよ」
「え、何ですか、その素敵な笑みは!?」

 美鈴が慌てて僕の方に向き直る。

「ああ、そいつ、本当に怒ると、怒りを欠片も見せずに、素敵な笑みを浮かべ出すぜ?」

 魔理沙がニヤニヤ笑いながら茶化してみせる。

「えっ、いや、そのぅ、ちょっとした冗談じゃないですか、冗談ですって」
「思っていないことは口から出ないものだけどね」

 紅茶を傾けながら答えると、魔理沙が重々しく頷いた。

「まぁ、美鈴は優しいからな。心の片隅にあった言葉を今までは口にしてなかったんだろう。私ならすぐに言っちゃってたからな」
「知ってる」

 僕が即答するのを、魔理沙がまた楽しそうに悪戯っぽく笑い返した。

「さすが香霖、私のことは何でもお見通しだな」
「魔理沙には適わないけれどね」

 僕がそう言って笑い返すと、美鈴が慌てて続けた。

「あっ、今、からかったんですね!?」

「いや」
「そんなつもりはないな」
「からかって、いないんじゃないかしら?」

 三人で同時に答えると、美鈴はがくん、と首を曲げて言った。

「みなさん楽しそうで、良いですねぇ」
「勿論、美鈴も一緒よ」

 フランがそう言って、美鈴の腕を取った。

「そうだったのか……」

 魔理沙が真剣な顔で悩んだので、僕が続けた。

「そうだったようだね」
「もう!魔理沙さんも霖之助さんも、あとで倍返しですからねっ!!」

 あんまり怖くないなぁ、と思っていた僕と魔理沙は、しかしすぐに驚くことになった。
 背後からいきなり声がしたからだ。

「みなさま、ご歓談中、申し訳ありませんが」

 そう、咲夜が突然僕らの後ろに立っていたのだ。

「お食事の準備が出来ていますから、どうぞ、食堂にお越しください」
「……相変わらず、心臓に悪い登場の仕方だね」
「お客をもてなす気があるのかね、このメイド長」

 僕に続けて魔理沙も言ったが、その非難めいた言葉に咲夜が顔をにこりともせずに答える。

「お客、というのは、誰のことでしょうか?」

 しれっと、そう答えると、再び咲夜が消え失せる。

「あいつ、ああいうところがきついよなぁ」
「まぁ、少なくとも、魔理沙、君はお客扱いじゃないはずだろう」

 僕は、一応、お客のはずだった気がしたが……、そんなことはなかった。……ぜ?
 咲夜がいなくなった後、さっきのお詫びなのか、フランは美鈴と腕を組んで食堂に向かう。その後ろを、僕と魔理沙は並んで付いていった。

「なぁ、香霖?」
「なんだい、魔理沙」

 小声で囁きかける魔理沙に、僕は頷いた。

「そのうち、また質問に行くからな」
「……首を洗って待っていよう」

 小声でささやき返した僕に、魔理沙は頷いていた。





5.
 お昼からずっと、紅茶を飲んだりおやつを食べたりしていれば、空腹にならないんじゃないか。そう思っていた僕に提供された夕食は、貴族の食事、コース料理ではなく、身内だけの食事だから「質素なもの」だったらしい。

 らしい、というのは、いまいちその違いが僕には分からないからだ。

 手作りで上質、まだ熱いくらいに焼きたてのふっくらした白パンに、贅沢に量が置かれた黄金色のバター、丁寧にじっくりと煮込まれてとろけたチーズを乗せられ、スープをたっぷり吸収したパンが浮かぶ濃い琥珀色のオニオンスープ、それに別の皿には様々な種類のチーズとソーセージがふんだんに置かれ、大皿には生野菜のサラダがたっぷりと盛られている。

 もう、ここまで揃っていればこれは「ただのご馳走」だ。
 僕たちの観点から言えば、十分に贅沢といえるだろう。

 とはいえ、贅を尽くした西洋料理のフルコース、というのでもないのだという。もはや「フルコース」なるもののイメージが掴めないが、とにかく凄い代物なのだろう。ロケットのお披露目の時にも「披露宴」、つまり盛大な立食パーティーはあったけれど、あのときの献立も今回と同じかやや豪勢なものであったから、これを越えるという「着座式フルコース」とは、如何なるものなのか。
 単純に想像を絶する。

 世の中に、想像を絶するものは尽きないものだ。

 とはいえ、そんな豪勢な「粗食」を前に、屋敷の主人たちが姿を現す。

 テーブル席の上座には当主たるレミリアが鎮座し、そのすぐ隣の席に当主の妹、フランが身内として行儀良く座っている。
 僕はレミリアに相対する席にでも座るべきなのだろうが、あんまり遠くなっても良くないということで、フランの対面側、つまりレミリアの向かって右手に座ることになった。とはいえ、洋式の着座順位なんて、僕にはさっぱり分からない。

 本来、主人とお客はこれで全てなのだが、ここにお情けで当屋敷の門番が僕の隣に、臨時メイドがフランの横に座って一緒に食事をしている。臨時メイドは一向に気にしない雰囲気で食事を楽しんでいたが、門番の方はというと忙しそうに給仕しているメイド長の一挙手一投足に、可愛らしい恐怖の声を上げていた。おそらく、給仕する度に耳元で色々囁かれているのだろう。
 具体的に何を言っているのか、お客である僕に聞こえないくらいには、メイド長は完全で瀟洒だった。

「美鈴、悲鳴をあげるなら、もう少し小さい声で優雅になさいな」

 あまりの回数に、レミリアがそう呆れ果てて言わなければいけないほどだった。

 まぁ、だったら美鈴を食事の席に座らせなければ良いのにと思ったのだけれど、僕も場の雰囲気を読んで言わなかったのは事実だ。当主たるレミリアこそが美鈴の様子を一番楽しげに観察しているのだから、しょうがないだろう。

 空気を読む文化というのは、我々の伝統として最も良いところでもあり、また最も悪いところでもあると改めて実感する。具体的に言えば、憔悴した美鈴の横顔を見たので、少し同情したわけだが。

 ところで、紅魔館の夕食ということで西洋式の行儀作法なんてどうしたものかと気を揉んでいた僕にとって、レミリアが指示してくれた無礼講は大変ありがたかった。

 さて、その女主人といえば。

 血液なのかワインなのか、やけに濁った「ワイン」を嗜んでいるレミリアは終始、ご機嫌麗しい様子であり、お客である僕も安心して食事を楽しめるほどだった。グラスを傾けつつ今日の捜査の成果を、それぞれから聞き出してはご満悦の様子である。

 途中、給仕の仕事が一段落した咲夜も座らせると、レミリアは全員との歓談を楽しむと、特にフランの言葉に耳を傾けていた。
 なるほど、これがパチュリーが味わっているのろけ話なのか、と白パンに信じられないほどのバターを塗り込めながら、僕は納得した。姉妹仲が良いのだから放っておくに限るが、なかなかに楽しげな、幸せそうな、あるいは鬱陶しい話でもある。

 さて、一方の臨時メイドのはずの魔理沙は、荒々しく自分の取り皿に略奪の成果を並べている。ところどころ零れ落ちたご愛敬の食材の欠片を、咲夜だろうか、いつの間にか片づけられていくのを、僕は白パンを頬張りつつ漠然と眺めていた。

 そうそう、今回の食事では空席が一つ残っていた。
 きれいにナプキンが畳まれて、美しい銀食器が整然と並べたままになっている席に座るべき人物は、本日はこのまま欠席するようだった。それでも席が用意してあるのは、いつ到着しても良いようにという配慮なのだとういう。

 そのパチュリーだが、彼女はまだ眠っているということで、あとで僕と美鈴で咲夜から預かったバスケットを図書館まで持参することになった。
 私たちの食事が終わってから持って行っても間に合うでしょう、無理に起こすことはないわ、とのレミリアの意見で、実際に持参するのは深夜くらいになってしまいそうな雰囲気ではある。

 とはいえ、レミリアはフランの少しはしゃいだような、楽しそうな態度に終始ご機嫌の様子で、挙げ句の果てにはフランが楽しそうに話した僕と幼い魔理沙の話にまで、興味を示す始末だった。
 紅魔館の女当主は、僕たちの懐古譚に興味をもたれたようです。
 しかし、どこの世界に吸血鬼に怪談をするような馬鹿がいるというのだろう。
 紅魔館の吸血鬼を相手に、水墨画の幽霊の怪談をするなんて恐ろしい体験は、そうそうできるものじゃないだろう。本来、思い出話なら怪談じゃなくても良かったはずなんだが、魔理沙があの怪談にすると良いんじゃないか、などと無責任なことを言うもんだから、僕は昔覚えただけの、たいして練られているわけでもない怪談を話す羽目になってしまった。

 実際、怪談を強制された僕を眺めていた魔理沙の、そのニヤついた笑みを見ていると、僕が語った話が怪談なのか笑い話なのか、全く分からなくなる有様だった。
 ちなみに、結論から言えば、フランと美鈴は、まぁまぁ、怖がってくれたようだ。ただ、二人できゃぁきゃぁ言って抱きついているのは、怖がっているというより面白がっていると言うべきか。
 一方、完全で瀟洒なメイド長は、「なるほど、ふぅん」と言って感心するに留まり、紅魔館の女主人はと言えば「なるほどね、ふぅん」と言って感心する程度という始末だった。

 ご覧の有様だよ。

 この主従、相変わらす反応がご一緒だ。全く、仲の良いことで。
 勿論、感心してみせた後で、微笑を浮かべるところまで一緒なので、性質が悪いと思っている。
 だいたい、まだ年端もいかぬ少女を怖がらせた程度の怪談が、外見はともかくとして年長者がほとんど、それも普通の人を怖がらせる程度の能力の水墨画の幽霊ごときを怖がるわけがない。
 いや、水墨画の幽霊の方が、ここにいる連中を怖がるべきであろうか。水墨画から出てきたところで、たいして感銘を与えられるか、疑問が残る。せめて、呪いの水墨画とか、見たら誰か3人に見せないと1週間以内に死ぬとかいう話にすれば良かったか。因縁話とかを付けて、幽霊に名前も付けて。
 お貞さんとか、良いかもしれない。

 いや、これなら、よっぽど水墨画の妄人の話をすれば良かったなぁ、などと思いもしたが、あの風水を描いた物語は壮大すぎて、非常に長くなるものだ。正直、全部物語れる記憶力も自信もない。
 鬘や剥き海老はどの場面で入手したのだっけか。
 こんなことなら、阿求でも連れてくれば良かった。彼女なら一字一句間違えずに、見事に話終えるだろうに。

 そんなことを考えさせられる。

 だが、仮にあの風水師の話をするとしても、それこそ、毎日紅魔館で話をする羽目になるし、その時点で僕はもう道具屋ではなく、ただの噺家か講談師、あるいは紙芝居屋だ。
 本末転倒も甚だしい。その辺は貸本屋に任せる領分だ。

 まぁ、なんにせよ、こんな感じで時間が過ぎ行き、主人が楽しんでくれた夕食も無事に終わった。

 魔理沙は自分の宿泊する部屋に案内され、フランも眠るために自室に戻ることになった。とはいえ、魔理沙はフランに話をせがまれていたから、フランの所へ行くのかもしれない。
 一方、レミリアと咲夜はいつも通りの過ごし方に戻るということで、僕と美鈴のみが図書館に向かうべく、小悪魔の連絡を待って食堂に待機していた。
 しばらく、今日の話を美鈴と整理したり、例の「隨」の解釈の話をしていたり時間を潰していたが、やがて時刻が午前0時を指す頃、小悪魔が真剣さと緊張感の欠乏した表情で僕たちを呼びにきたのだった。
 小悪魔に先導されると今度もまた僕は、美鈴に引っ張られて図書館へ向かった。












「パチュリー様、二人をお連れしました」

 小悪魔が図書館のバルコニー席の奥、読書室かあるいは閲覧室か、そのような場所に僕らを案内する。ありがたいことに、野良魔導書も暴れ書架に遭うこともなく安全な旅路で済んだ。

 小悪魔曰く、聖水を撒いたから大丈夫とのことなんだが、いや、君は悪魔じゃなかったか、と疑念が沸く。あるいは、悪魔にとっての聖水を撒いたのか。それは聖水と言えるのだろうか。あるいは「魔水」とでも言うべきなのだろうか。

「どうぞ、お入りなさい」

 そんなくだらない思索を遮って、小悪魔のノックの返答が聞こえる。
 返答を確認してから小悪魔が恭しくドアを開けると、そこには陰鬱で気怠げな気配を漂わせた魔女が、書類をテーブル一杯に広げて椅子に掛けて待っていた。

「遠慮はいらないわ、お掛けなさい」

 パチュリー・ノーレッジ、動かない大図書館の異名を取る魔女は、決して大きいとはいえない声で言う。弱々しいとは言わないが、決して強い声でもないのは、気管支系に問題があるからだろう。そう、魔理沙が言ってた。

 つまり、喘息持ち、ということである。

「パチュリー様、お食事、持ってきましたよ」

 美鈴がバスケットを掲げてみせる。

「ありがとう、そこに置いてもらえるかしら」

 パチュリーは軽く頷いて一部の書類を無造作に端に寄せ、バスケットを目の前に置かせた。中を確認すると、入っていただろうワイン瓶とグラス、それにチーズだけ取り出して、小振りな瓶からワインだけ注ぎながら僕らに言う。

「で、レミィや小悪魔から話は聞いているってことで良いわね」

 ワインを注ぎ終えると、僕らの顔を撫で回すように一度見た。
 僕へのコメントもなく、世間話もなく、さっさと話を始めるその態度は、面倒なことを嫌う彼女らしい。

「まぁ、だいたいはね。それで、君が気づいたことについて聞けるんだろう?」
「そのつもりよ」

 パチュリーは上目遣いで、僕らを眺める。
 とはいえ、別に上目遣いをしたかったのではなく、再び本に目を落としながらこちらを一瞥したから、そのようになっただけなのだが。

「さて、これについては聞いている?」

 そう言ってパチュリーが示したのは、あの渦上の記号列の書類だった。

「ああ。魔理沙から聞いたよ。何かの書物の落丁だろう、ってことだった」
「その通りよ」

 さっきまで眠っていたであろうに、目の下に隈が見える不健康そうな魔女は、また言葉少なに続けた。

「この記号列の書類は、結局、魔導書の落丁、ということで良いようね」

 そう言ってパチュリーは机の上にある、比較的大きな書物を指さす。樫材のような大仰な木で頑丈に作られた表紙を開くと、羊皮紙のようなものに書き付けられた渦上の文字列が、何個も浮かび上がってきた。

「この魔導書の筆跡と落丁の筆跡が一致したわ。問題は、どこから落丁したのかが分からない、ということ」

 そう言って立ち上がると、パラパラと頁を流して見せる。

「どう?」
「確かに、前後が分からないな」

 落丁したはずなら、どこかが外れている跡があるか、あるいは空間があって、書類の前後関係くらいは分かるはずなんだが。

「それとね?」

 パチュリーは促すように後ろの方の頁を開いてみせる。

「白紙?」
「そうなのよ。この魔導書は、未完成に見えるの」

 パチュリーはそう答えて羊皮紙をなでた。それは確かに前後及び落丁と同じ程度に日焼けし、羊皮紙には染みが入っている。

「見える、というのは?」

 僕の質問に、パチュリーは満足げに口元だけ笑った。魔理沙なら満面の笑みを浮かべたような場面だが、彼女は口元だけだった。

「これ、どう思うかしら、店主?」

 そう言って彼女が指さした頁。
 そこは。

「何です、これ!?」

 ギョットした美鈴が、思わず声をあげる。確かに、これは。

「不思議でしょう?」

 そう呟く魔女には、しかし、少しも意外そうな雰囲気がなかった。

「白紙の頁が、どんどん渦で埋まっていく……」

 そう。
 僕らの前にある魔導書は、目の前でどんどん記載を続けていた。具体的には、空白のある部分から文字が染みだし、内側から渦が描かれていき、どんどん拡大していくのだ。
 一方で、大きくなったかと思うと、急に外側から記号列が消えていき、小さくなる。
 そんな大きくなったり、小さくなったりを繰り返した後、ある程度の大きさになると、また隣に渦が浮かび上がる。

「まるで、生きているみたいですねぇ」

 美鈴のつぶやきに、パチュリーが口元で微笑した。

「その通りよ、美鈴。この魔導書は生きている、……そのようなものだわ」

 書物の中で渦はどんどん増えたり消えたりする。そして、頁が一杯になると、また次の頁へ。

「一体、これは何なんだい?」

 僕の言葉にパチュリーが首を振る。

「分からないわ」

 非常に簡潔な言葉だった。失望する隙すら与えないような即答だ。

「分かるのは、自動書記システムを内在した魔導書らしい、ということくらいよ。自分自身に記号列を記載していく、ね」

 パチュリーがそう言っている間にも、記号列が成長していく。

「……つまり、どういうことです?」

 美鈴が弱ったように僕とパチュリーを交互に眺めた。いや、「ように」ではなく、本当に当惑しているらしい。

「そうね。簡潔に言うわ。私は今回の犯人は、これじゃないかと思ってる」

 パチュリーはそう答えると、ふぅ、とまた椅子に腰掛けた。
 そして、ワイングラスを傾けて喉を潤す。

「正直、断定しないで未だ疑いの水準を越えないのは、この文字列が読めないからよ。ただ、この文体は特徴的でしょ?」

 そう言うと、パチュリーが床にあるいくつかの籠と文箱を指さした。

「これ、この図書館が保管している「落丁」や破砕された本の残骸なんだけれど」

 美鈴がひょい、と拾い上げて中を見てみる。

「あれ、これ……」
「そう。同じ文体の書類よ。これはずっと昔に見つかったものだとされているけれど」

 そう言われて見ると、何種類かまとまりになっている同じ文体の書類があった。

「それぞれ、まとまりになっているのは発見された年代ごとに別々にしてあるかららしいわ」

 そう言うと、いくつかのまとまりごとに、付箋のような紙が張ってある。

「これは、200年くらい前のものらしいわね。こっちはもっと前でしょうね」

 そう付箋を読みながら呟いていく。

「つまり、どんな周期か知らないけれど、期間をある程度空けて、書類のまとまりが落丁しているらしいのよ。こっちがこの本のインデックスらしいのだけれど」

 そう言って、彼女は羊皮紙だけで綴られた、小さいサイズの書物を見せる。こちらも同じ文体で出来ているが、自動書記する本のように大きくも頑丈でもない。非常に簡素なもので、付録みたいな書類なのだと彼女は言う。

 そして、その付録、つまり、「インデックス」が落丁部分と本体である自動書記の書物との関係を示しているらしい、のだが。

「いや、その理屈はおかしい。同じ文体のインデックスを、どうやって読解したって言うんだ?この文字が読めないのが問題なのに」
「良い質問ね」

 魔女は婉然と微笑んでみせる。

「でも、それは、おいおいね」

 パチュリーは人差し指をたてて、僕を制止した。いや、それこそが肝心なことのはずなんだが。付録の文体が読めるなら、本体である自動書記部分や落丁部分も読めるはずなのに。

「後で、説明してもらえるのかい?」
「ええ、もちろん」

 彼女は自信ありげに答える。今にも魔女の勘だと言いそうな顔で。

「では、仮にその付録が正しいとして……」

 美鈴が間に入るように言う。

「そうすると、どうなるんです?」

 仮に付録の内容が正しく、きちんと落丁を記録する機能がある「自動筆記」魔導書、ということは?

「自動筆記し、ある周期に一度、落丁することが想定されている?」

 僕の言葉に、魔女は満足げに頷いた。段々、興が乗ってきたのか、パチュリーは彼女らしくもなくこの状況を楽しんでいるようだ。

「でも、ある周期、っていうのは?」
「完全にランダムのようね。まるで乱数表でも振ったかのように、ね。付録によると、前回は200年くらいかかっているけど、その前はさらに20年くらい前。その前のはそこに80年くらい期間を足すことになる」

 どうやって読解したのか分からない付録ではなく、付箋の方に目を通してパチュリーが答える。

「何年かに一回、決まった周期で落丁するわけじゃ、ないわけだね」

 僕はてっきり、ある程度同じ周期で定期的に落丁すると思ったのだが。

「ええ。落葉樹のように、というわけではないようね」

 パチュリーはチーズを小さくかじってから言った。

「……えっ?ってことは、200年くらい前にも、今回と同じような爆発があったんですか?」

 美鈴が思わず声をあげる。

「それが、そうじゃないらしいわ。その記録は、付録に残っていないし」

 客観的な資料としては残ってないんだけど、とパチュリーが続ける。

「ここで起こったことかどうかも分からないもの。だいたい、ここがこんな風になってしまったのは最近のことよ?当時この魔導書がここにあったとしても、その記録自体が残ってるかも疑わしいわ」

 そう言って、パチュリーは首を振る。彼女に言わせると、付録に残っている記載からは爆発は類推できないとのことだ。しかし、それはあくまでこの魔導書に付属している資料なのであって、付録に爆発の情報が記載されていないだけかもしれない。

 しかし、資料に残っていない以上、過去の落丁時に爆発などの有無は不明としか言えないだろう。
 とはいえ。

「なるほど、君はこの過去の落丁した文書を知っていたから、現場でこれを見て驚いていたのか」
「もともと、保管庫にあるものも、この図書館になぜあるのか分からないものが多いから、ただ放ってあるだけなのだけれど」

 ところが、その保存庫にあったものと、今回発見された魔導書が、文字によって同じものと推定できたから、パチュリーは驚いたわけだ。

「今回も同じ渦上の記号列、それも落丁が見つかった。保存庫にあるものと似ていたから、不思議だったんで調べてみた、わけかい?」

 僕の言葉にパチュリーが頷く。

「そう。結果として、落丁の本体となる魔導書が見つかった、ってわけね」

 それ自体はありがたいことなのよ、とパチュリーは続ける。

「それで、仮に200年前にも落丁して、今回も落丁したんだとすると、この落丁した文章のまとまりに、何か意味があるんじゃないか、と思ったのだけれど」

 そう言うとパチュリーは、全てのまとまった書類の最後段を示した。
 そこには一つだけ大きな点のような記号があって、後は余白になっている。

「これを見て」
「全部に、大きな黒点と余白があるね」

 逆に言えば、それ以外の頁は全てぎっしりと渦で満ちている。

「そういうことね。つまり、ある文章は完結した時点か、未完成かは不明だけれど、なんにせよ大きな黒点と余白を残して落丁する、と考えられるわ」

 そう言いながらパチュリーがまとまりを全て、丁寧にテーブルに並べた。

「で、見てほしいのだけれど」

 彼女が積んだ文書は、紙としての大きさこそ一緒だったが、積まれた高さはまちまちだった。つまり、一つのまとまりごとの文書量が違う、ということだ。文書量が多ければ高くなるし、少なければ低くなる。

「もし、ある一定の頁量になったら落丁するシステムだとすると、全て同じ高さになるか、あるいは同じ高さで終わっているまとまりが、いくつかないといけない。でも、これを見るとそうじゃない。では、全ての高さがランダムだとすると?」
「つまり、全部、文書が完結した時点で落丁している?」

 僕の答えに、パチュリーが頷いた。

「話が早くて助かるわ。それから、これを見てもらって意見をいただきましょうか?」

 パチュリーは全ての落丁文書を、積み上げていった。その高さは、軽く本体の魔導書の数冊分になろうかというものだ。

「元の書物より、頁数が多い」
「ご名答。いつもこうだと、助かるわね」

 魔理沙だと話を混ぜっ返されるものだから、とパチュリーがため息を付いた。

「となると、この魔導書の意味合いが見えてこないかしら?」
「つまり、この魔導書は普段は自動筆記しているが、文章が完結すると文章のまとまりとしてその部分が自動的に落丁するようになっている?」
「そう。結果として、今回は落丁時に爆発が起こったんじゃないかしら。と、すると?」

 彼女はそう言って、今回落丁したまとまりを指さす。

「そういうことか。小悪魔君が言っていた、衝撃波を起こした魔法ってのは……」
「この落丁文書そのもの、じゃないかしら?」

 パチュリーがにやりと笑うと、ああ!と美鈴は大声をあげてから言った。

「……えっと、つまり、どういうことです?」

 僕らの言葉に、美鈴が首を傾げておずおずと尋ねる。じゃあなんで、ああ!って叫んだのか。おそらく、雰囲気だろうか。

「そうねぇ。あなたが良く見かけている野良魔導書って、あるでしょ?」

 パチュリーは美鈴に向かって答える。

「ええ、あの、勝手に弾幕撃ってきたりするやつですね」

 そういえば、弾幕ばらまかれたとき、図書館の清掃は誰がするんだろう?弾幕の打撃というのは、勝手に修復されるものなのだろうか?この図書館なら可能そうだし、あるいは小悪魔が頑張るのかもしれない。あらゆる意味で、精神的に。

「あれは魔導書自体に魔力があって、魔力が供給される限り、術式に従って稼働していると考えられるでしょう?」

 つまり、魔力がある限り、自動探知しつつ移動し、敵を発見次第迎撃するという術式が行われる、ということだ。八雲の大妖怪風に言うと、エネルギーが供給される限りプログラムが機能し続ける、式神みたいなものと言うことになるだろう。

「あれですよね、こあちゃんが使っていた、小さいこあちゃんゴーレム軍団、みたいな」
「まぁ、あれは魂を利用しているから自律行動可能なんであって、ちょっと違うんだけれど……」

 厳密に言うと違うらしいが、そこまで説明する気はないのかパチュリーが続ける。

「だけど、それと同様な、あるいは類似的なシステムは作製できるわけね。自律的な行動体系を術式として与えて、その術式に従って常に動いているシステムなら、自立的に魔法を使う存在と類似したものが作れるわけね」

 魂がなくても、魂があるように見える術式を与えておけば、まるで自律しているように見える、ということらしい。
 問いかけに対して正しい回答をする箱の後ろには、人間がいると判断して良いか?
 典型的な思考実験だ。

「あとは、その術式を作製した後に、なお完全に他律型にすればゴーレムみたいに逐次命令型で運用できるし、完全に自律型にすれば野良魔導書みたいになるわね。そして、その術式に魂や憑き物といった自我的な何かを存在させるとすれば……」
「それが使い魔とか、式神とか、そういうものになる、というわけだね」
「ええ、そういうこと。小悪魔にしても、八雲の式神にしても、もともと魂のあるものを契約により使役しているだけ。つまり、人間が人間を契約で縛っているのとたいして代わりがないわけね。それが魔力的なものか、金銭的なものかの違いに過ぎないわ」

 精神的なつながりを重視しない、大変辛辣なご意見ではある。ただ契約だけで従っていると言われた方は、悲しむこともあるかもしれないけれど。

「一方、術式で作られた自律型存在は、原則的に術式に従うわ。魔力が供給される限り、その術式を運用し続ける。野良魔導書が仮に、図書館の防衛システムだったとすれば、その術式に従って魔力が供給される限り、弾幕を打ち続けるわけね」

 そこまで言って、パチュリーが軽くせき込む。長く話をしたからだろうか、彼女はワインを再び傾けて落ち着くように深呼吸する。

 つまり、パチュリーが言いたいことを、今度は河城にとりが言うような不思議な箱「こんぴゅうた」風に言うと、「ぷろぐらむ」を入れておくと、エネルギーが供給される限り、その計算をしてくれる機械、そういうことになるのだろう。
 ここで「こんぴゅうた」を「魔導書」に、「ぷろぐらむ」を「術式」に、「エネルギー」を「魔力」に変えれば、だいたい理解できる、はずだ。
 僕が誤解している可能性もあるので、断言できないが。

「今回の、この魔導書も、同様になんらかの術式で動いている、自立的な魔導書なんじゃないかしら」
「そうすると、この魔導書の目的は?」

 多分、もっとも重要であろう部分を聞くとパチュリーが目を細めた。

「あなたたちは、どう思うの?」
「えっ?弾幕の代わりに衝撃波を撃つ野良魔導書。で、これはその落丁、って話じゃないんですか?」

 美鈴が目を丸くして言う。

「今回は衝撃波を放ったとするわよね?では、前回もそうだったのかしら?」
「前回のその落丁した部分について、何かわからないのかい?」

 僕の言葉にパチュリーが頷く。

「ええ。そう思ったんで、小悪魔に頼んでおいたのよ。鈴奈庵のお嬢さんに、内容を見てもらってきて、って」

 眠る前にね、とパチュリーは添えた。僕たちが来る前には、すでに鈴奈庵に落丁頁は向かっていたのだろうか。

「そうか、その付録を読んだのも」
「そう、彼女よ。まぁ、インデックスについては、日付やページ数との対応、この術式のタイトル表記だったから、すぐに読解できたのだそうだけれど……」

 パチュリーはそう言って、ふぅ、と今度は深いため息をついた。

「結論から言うと、本体の内容はさっぱり分からなかったそうよ?」
「彼女でも、かい?」

 本居小鈴、彼女はその判読眼で本を読むことができる、そういう能力があるはずだ。
 実際、付録を読んでいるのに、本文は読めない?
 おかしな話に聞こえる。

「正確に言えば、本は読めたわ。でも、意味が分からない、そういうことよ」

 パチュリーはそう言うと、そうねぇ、と何か考えるように宙を見た。

「あなた、カバラーや易経、密教真言や錬金術書、古代呪術書や祈祷文、黙示録、そうしたものを読んだことはある?」
「教養程度には、ね」

 さっきまで易について美鈴と話をしていたが、それは遊び、嗜み程度のことに過ぎない。易者や学者のように易を極めているわけではない。素人易というのが本当のところだ。

「それで結構よ。それで、そうした本についてその真意、つまり「意味」って、分かったかしら?」

 パチュリーがからかうように聞いてくる。

「いや、さっぱりだよ。文章は読んでいるはずだし、一応、意味も伝わってるんだけれど、それが実際には何を意味しているのかなんて、さっぱり分からなかった」
「そうですよねぇ、易なんて、いろんな意味がとれますからねぇ」

 と、美鈴も易経なら分かるのか、頷いてくれる。

「そういうことよ。多くの魔導書とか奥義書とかの類は、曖昧で特殊な用法の用語に満ちていて、特殊な解読方法がある、そういうことになってるのよ。その上、そこから更に意味を読みとって、現実の技術と組み合わせることになるわ。正直に言えば、これらの書物は、書物だけでは成立しない、解釈できないことの方が多いものよ」

 パチュリーが言うと、美鈴も頷く。

「そうですよね。易経を知っている人は多くても、実際に当たる易者なんて、本当に少ないですもんね」
「易者にもいろんな流派や流儀があるしね。解釈本の類なんて星の数だしな」

 僕たちがそう言うと、パチュリーが苦笑して返した。

「まぁ、そういうことね。書物の解釈を師匠から聞きながら、弟子が創意工夫して奥義を極める。この時点で、書物は読めていると考えて良いのかしら?それとも、奥義を知らないから読めていないと考えるべきなのかしら?」
「君が言いたいのは、こういうことか。書物の文字を読めても、理解したことにならない」

 本を読むこと。
 つまり、識字者であり文法を理解し、ある程度の発話状況や言語習慣を理解できるものであったとしても。
 それは「魔導書のようなもの」を読めること、と同じことではない。
 「本を読むこと」と「本を理解すること」は違う、ということだ。

「原則的には、そういうことね。そして、魔導書の類というものは、魔法が使えない限り理解したと言ってはいけない、ということね。「魔法が使えない程度の理解では魔導書を読んだということにはならない」、と言い換えればわかりやすいかしら」

 パチュリーは暗い笑みを浮かべて続ける。

「有り難いお経を読んだ僧侶は、すべて悟りを開いたかしら?聖書を読んだ信徒たちはすべて最後の審判で天国へ行けるのかしら?クルアーンを読んだ信者たちはすべてあの楽園へたどり着くのかしら?」

 彼女は言ってから、皮肉混じりに言う。

「疑うなかれ。とはいえ、本を読むことと理解したことは違う、とは言えるのではなくて?」

 パチュリーは興が乗ってきたのか、ふと思い出したように続ける。

「たとえば、鈴奈庵の彼女は、ネクロノミコンを所有していると言うのよ?でも、彼女はネクロノミコンの理解をしていないし、その神話大系の力を扱うこともできないでしょう。なぜなら、彼女は発狂していないのだから。彼女はとても、可愛らしい女の子ですもの、彼女があの本を理解することはできないのよ」

 残念ね、いえ、良かったと言うべきかしら、とパチュリーがおどける。

「だが、本としてなら「読める」だろう?」
「そうね。きっと彼女にはネクロノミコンすらも、ちょっとグロテスクな絵本の類にしか過ぎないのね。あるいは、門前の小僧のお経と一緒かもしれないわ。それは素敵なメロディーに過ぎないのかもしれない」

 パチュリーが肩をすくめる。

「これを豚に真珠と思うか、適材適所と思うかは物の見方次第ね」

 小鈴のような愛書家にとっては、魔法が使えることが「魔導書の意味」ではないのだろう。だとすれば、あんな物騒な書物を「理解できない」人間が保管してくれているのだ、逆にありがたいと思うべきではないか。

「結論を言うなら、彼女はこの自立型魔導書については「書物としては読めたけど、意味は理解できない」と回答したわけね。ある文章をのぞいて」
「ある文章?」

 僕が身を乗りだす。

 すると、パチュリーが落丁の一番最後の渦を指さす。それは、インデックス、つまり付録についている索引目録に記載のある魔法の「タイトル」と同じ記号だった。

「ここ、表題部分かい?」
「そう、付録についているタイトルと最後の渦の記号。ここだけが、意味が分かるのですって」

 そう言うと、パチュリーが笑った。
 あの陰鬱な魔女が、本当に楽しそうに笑う。

「ちなみに、内容は「明日の大根の価格」だそうよ」
「うん……?」
「はぁ……」

 僕たちの顔を見てパチュリーは非常に満足そうに頷いた。

「……この膨大な術式は、つまり?」
「明日の大根の価格を予言できる魔法、なんじゃないかしら?」

 今度こそ、パチュリーは鮮やかに笑った。その笑みは凄惨さすら漂わせて。

「あ~、それは便利……」

 美鈴はそこまで言って、僕を真面目な顔で見た。

「ですかね?」
「さぁねぇ。少なくとも、あれだけの分量の魔導書を使って得る結果がそれってのは、割に合うのかねぇ」
「勿論、明日の大根の価格を予言する魔法なのではなく、何かを予言する魔法、を目指していたのかもしれないけどね」

 茶目っ気たっぷりにパチュリーが言った。

「そして、こちらに、1枚、同じ書式の羊皮紙があるわ。ついでに、付録にも付属結果1枚、って書いてあったそうだから、それと一致するものね」

 彼女は楽しそうに、その1枚だけの羊皮紙を示す。
 そこには、2つ渦があった。

「上は、タイトルと同じね。「明日の大根の価格」よ。そして、下の渦だけれど」
「下は?」
「4893419194114514436くらいまでは数字として読めたのだそうだけど。単位はなんなのか、不明だったみたいね。この魔導書の世界の価格なのかもしれないわ。まぁ、正直、これが10進法であるかどうかすら、不安だけれど」

 そう言って魔女はくすくす笑った。
 確かに、そうなのか。
 人類は十進法を採用したかもしれないが、「彼ら」がそれを採用したかは不明だ。

「で、この紙が、同じ術式の文書のまとまりに一緒についていたわけね。この1枚だけ、「術式じゃないもの」として、付録に記載されて術式の後にくっついていたの」
「この1枚だけが?」
「そう。つまり、この1枚の羊皮紙は、タイトルが示した術式の結果、なんじゃないかしら。だから、付属1枚、なわけね」

 明日の大根の結果が、印字されて落丁した、ということか?

「多分、この魔導書は、術式が完成すると、その都度、魔法を発動させてるんじゃないかしら?このときは明日の大根の価格、そして昨日の……」

 ここで、ついにパチュリーが言いたかったことの核心部分にたどり着く。

「あの衝撃波も?」
「ええ、この自立型魔導書が、衝撃波についての術式を完成させた際に発動させた魔法だと、私は考えているわ」

 パチュリーは力強く頷いた。なるほど、いつもは弾幕を撃つ野良魔導書が、今回は衝撃波を撃った。
 そして、前回は明日の大根の価格を予言した。

 ん?つまり?

「前回と今回で、魔法が違うのは?」
「この魔導書が、完全に自立型の、術式を作成するシステムだからよ」

 パチュリーが、今も記号列を書き続ける頁を示して言う。

「そんなこと、可能なのかい?」
「私が聞きたいわ」

 パチュリーが肩を竦めて言う。

「えっと、何度もすいませんけど、どういうことです?」
「猿がタイプライターで沙翁を打てるか、ってことさ」

 美鈴に答える。

「……さっぱりですが」
「つまりだね。出鱈目に印字機を叩いて、実在する書物と同じ内容を打つことができるか、という思考実験だよ」
「……それは無理ですよぅ。漢字だけで何万字あると思っているんですか?」

 そう、僕や美鈴のような、漢字文化圏の人には無理に思える。
 正字、旧字、誤字、略字、俗字、譌字。
 隷書、行書、楷書、篆書。
 追求したら、文字にきりがない。

 けれど。

「でも、アルファベットに限るなら、可能性はぐっと高くなるわ。ついでに言えば、改行規則や空白部分をあらかじめ決めておけば、なおさらね」

 パチュリーがそう、応じる。

「勿論、それだって確率的には極めて小さいわ。実際、そんなことは起こらないでしょうね」
「けど、確率論的には完全に0じゃない、のが厄介でね」

 僕がパチュリー言葉を混ぜっ返す。

「そういうことね。だから、たとえば文字数が少なくて、ある程度規則ができている大系で、ランダムに記号列を作り、その記号列が一定に達する度に魔力を使って「発動するかしないか」をチェックする魔導書があれば、確率的には無限小でも、無限の時間の中で魔法を発見できる可能性があるわね」

 無限の時間。
 それこそ、何百年どころではない、何万年、何臆年という悠久の時間があったとすれば。

「それに、そういう書物が一冊だけ作製したとは限らないでしょう?そういう書物がそれこそ宇宙全体のような大きさを持つ書庫に保管されていて、同時進行で自動書記していたとしたら?それに、術式を記載するシステムに、もっと改良される余地があったとしたら?」

 パチュリーが夢想の翼を羽ばたかせる。
 宇宙規模に巨大な並列自動書記装置。

「なるほど。辞書機能があったり、落丁する魔法の評価システムが内在していたり、そういう改良機能が整備されるってことか」
「ええ。そうすれば、どんどん術式を作る速度は向上するでしょうね」

 パチュリーはそう言って、魔導書を示した。

「さて、ここで問題ね。この魔導書がそういう書物だと、なんとかして証明できないかしら?」
「まぁ、確かにね。今までのはあくまでパチュリーの推理に過ぎない、からね」

 僕が呟くと、美鈴がえ~、と不満げに言う。

「これだけ考えてもあくまで仮説、なんですかぁ?」

 いや、考えていたのは主にパチュリーだけどね。
 しかし、そんな美鈴の言葉に、パチュリーは呆れるように僕たちの顔を見た。

「まるで、馬鹿を見るような目で私たちを見てますよ、パチュリー様」

 美鈴が僕の胸を肘で突っつく。

「馬鹿を見るような、じゃないわ。本物の馬鹿を見ているのよ」

 パチュリーはそう言うと、はぁ、とため息をつく。そして、バスケットの中の丸い白パンを取り出して、両手で掴むと小さな口でかじり始めた。まるで、興味が失せた、とでも言わんばかりに。

「いや、パチュリー?」
「頭を冷やしなさいな、店主。私、てっきりそのためにあなたがここにいるのだと思っていたのよ?」

 彼女はそう答えると、遅い夕食に入ってしまう。にべもない感じだ。魔女はそのまま籠の中からマリネを取り出してフォークでつつき始める。

「僕がいる理由?」

 呟いて美鈴を見ると、美鈴も手を振って分からない、という顔をした。
 しばらく二人で間抜けな顔で見つめ合う。
 僕が、いる理由。僕たち、ではなく。

「あっ」

 思わず低い声を漏らしてしまった。
 気づいた。
 そうか。
 そういうことか。

 とすれば、あの女主人、やっぱり運命を操ったんじゃないか?

「何ですか、霖之助さん。早く教えてくださいよぅ」
「ああ、つまり、なんだ。パチュリーが言いたいのは」

 僕はそう言って、彼女の示した渦上の魔導書に手を触れる。
 羊皮紙なのか、それとももっとおぞましい皮の紙なのか、それは分からない、ざらざらとした、あるいはときとしてつるつるとした、ときにまるで脂が混じったような肌触りが、まじまじと伝わって悪寒が走る。

「僕の、能力だ」
「気づくのが遅すぎるわね」

 生ハムとチーズ、それにレタスの挟まっていた丸パン、つまり、ただのサンドイッチをもそもそ咀嚼して、パチュリーが呟いた。

「……パチュリー、君が正解だよ」
「やはり私達は馬鹿でしたか」

 美鈴が呟くと、僕は一瞬、美鈴を睨む。

「そりゃ、そうだったけど、そっちじゃない。こっちだよ。この魔導書だ。新しい魔法を作る能力。ランダムに魔法の術式を作り、その術式を生産する能力」
「良くできました、店主。これで九分九厘解決ね」

 楽しそうにパチュリーが微笑んで、僕に頷いた。まだ、サンドイッチは残っているが、彼女は軽く拍手をしてくれる。

「ああ、霖之助さんの能力は……」
「道具の目的が分かる程度の能力。つまり、使い方はさっぱり分からないが」

 僕が肩を竦めると、パチュリーが哀れむように言った。

「とはいえ、自分の能力を忘れるべきではないわね」
「返す言葉もないよ」

 僕が神妙に言うと、パチュリーはこくん、と喉をならした後、大げさに首を振った。

「反省することは良いことだわ。是非、あなたの妹分にも見習わせたいわね」

 パチュリーは笑みを浮かべた。

「それは出来そうもないなぁ」
「それが一番、重要なのだけれど」

 パチュリーが困ったわね、と呟くと、美鈴が今度は恐る恐る言った。

「あの、これでもまだ、九分九厘解決、ってことですが」
「ええ。この魔導書が衝撃波を放ったと言えれば、九分九厘解決したと言えるわ。つまり、付録のタイトルには「衝撃波の魔法」と書かれていても、この本が本当に衝撃波を放つ落丁部分なのか」
「まだ、それが言えないんですか?」

 パチュリーがしばらく考え込むように顔を落とす。

「それが出来るかどうかは分からないけれど、確実性は高められるわね」

 そう答えてパチュリーがひとくくりにされた羊皮紙を、いくつか僕に差し出す。

「分かりそう?」
「分かるかなぁ」

 羊皮紙一枚一枚なら、「情報を残すもの」とかになってしまう気がするけれど。
 まぁ、減るものではないし、便宜的に分かることを祈るのみ。

「……おいおい、本当なのか?」
「どうしたの?」

 パチュリーがいぶかしげに僕を見る。

「これ、本当に「明日の根菜の価格を予想する」ものだ」

 決して大根限定ではないらしい。いや、範囲が広くても困るだろうが。

「……確かにだれも開発しない魔法だわ」

 呆れ半分にパチュリーが答える。自立式魔導書が何百年かけて開発する魔法が、明日の根菜の価格の、それも「予想」って。農業関係者の人間の方が、正確に予想できる気がするけれど。

「うん。こっちは……。ええっ、これ必要かな」
「今度は何よ?」

 パチュリーのやる気が削がれつつあるのが良く分かる声だ。

「11フィート先を叩く棒が出てくる」
「迷宮の罠への対策用、かしらね」

 ぞんざいにそう答えると、パチュリーが付録を解読した付箋を見て言う。
 あれか、落とし穴だったり、いしのなかにいたり、するやつか。

「付録に記載があるわ。木材の棒、添付って。ついでに、図書館にも保存庫に落とし物として3m程度の木の棒があったそうよ」

 僕はいよいよ、本題の羊皮紙の束に触れる。

「どうなんです?」

 美鈴が興味津々にこちらを見る。

「衝撃波を球状に撃ち出す魔法だ」
「ようやく、魔法らしい魔法ね」

 パチュリーが頷く。少し安堵したように言う。

「これで衝撃波の原因は証明できたわね」
「じゃ、魔理沙さんは無実でいいんですよね?」

 美鈴の言葉に、僕は頷きかけて……、そして、首をひねる。

「そうか、小悪魔君が言っていた、これを読めれば魔法が使える、と言っていたのは」

 僕は小悪魔君が言っていた言葉をいまさらに思い出す。
 パチュリーが小悪魔に言ったとおぼしき言葉。
 この魔導書が読めるなら。

「この渦上の記号列を読めて、かつ、魔法の知識があるものなら、衝撃波を起こすことができるわね」

 パチュリーが僕の言葉に答える。

「だとするとだ。パチュリーは魔導書が、術式の完成時に放つ魔法が、あの衝撃波だと考えている」
「ええ」

 こちらは簡単にパチュリーは頷いた。

「でも、魔法使いがこの落丁した魔法を発動させた可能性も、微少の水準でなら存在している?」
「そうね。魔理沙があの魔導書を読めたら、ね」

 動かない大図書館ですら、見当の付かない文字。それを魔理沙が読める可能性。それが最後に残った1厘程度の可能性。

「なるほど、魔理沙には不可能で良さそうだね」
「この魔導書が、魔理沙の書いたものじゃない、ならね」

 パチュリーが微苦笑を浮かべて言った。
 ちなみに、この落丁は200年以上前から発見されている。
 そして、残念ながら魔理沙は普通の人間の少女だ。

「じゃ、魔理沙さんは無実!」
「私はそう思っているわ」

 パチュリーが、女の勘ではない理屈で返答し、美鈴が万歳、と手を挙げた。

「でも、この書物が本当に衝撃波を撃ったのかの証拠は、やっぱりないんはないか?」

 僕が尋ねると、美鈴がええ~、と不満げに言った。

「まだ粘るんですかぁ」
「いや、一応ね。考えられることは全て確認しておきたいし」

 僕の言葉にパチュリーが答える。

「確かに、今回の物証はないけれど、さっきの大根の明日の価格のメモ、それに図書館の記録に残っている11フィートの棒。多分、魔導書が完成時に放つ、という仮説は問題ないと考えられるわ。仮説がある程度、説得力を持つ物証を示したのだし、魔理沙が犯人である確定的な物証もない以上、原則に戻るべきでしょうね」

 彼女は一つ呼吸をおいた。

「疑わしきは罰せず、ね」

 パチュリーの言葉に美鈴がガッツポーズする。
 とりあえず、彼女は「無罪」と言ってくれたのだ。
 しかし、すぐに美鈴は首をひねった。

「これじゃなんだか、パチュリー様の方が弁護してくれてるみたいですね?」
「僕の方が責めてるみたい、かい?」
「……そんな気がします」

 美鈴の恨みがましい目に、パチュリーが微笑んだ。

「よしなさいな、美鈴。その人の性分なのよ」
「誉めてもらったのかな?」

 いいえ、とパチュリーは首を振る。

「魔理沙にそっくりね、って感心したのよ。困ったものだわ」

 パチュリーはそう言うと、不意に書物に目を向けた。

「ところで、この物証をどうするか、が問題ね」
「犯人はこの物証そのもので良いとして、この魔導書はそのまま放っておくべきじゃないな」

 パチュリーが言わなくても、この魔導書の問題点は分かる。

 全く条件に囚われず「ランダム」に、とにかく無目的に新しい術式を作る自立型魔導書。それも、この自立型魔導書の行動指針となる術式の構成が、全く不明な。
 言ってみればこの術式には、東風谷早苗が言っていたような「ロボット三原則」が含まれているのかも不明なわけだ。
 もし仮に、この魔導書が「周囲全ての物を破壊する」魔法や「全ての生き物を殺す」魔法、「全てを消滅させる」魔法を作ってしまったとしたら。

 いや、そんな荒唐無稽な、と思われるかもしれない。

 でも、これが、外の世界の、あるいは外の外の世界の魔導書なのだとしたら?
 いや、それどころか、そうした内外的な概念すら超越した世界の魔導書、全知全能の魔導書だとしたら?
 僕たちにはこの魔導書がどこまで可能で、どこまで不可能なのかは不明だ。
 いつまでも同じように不条理な魔法を作り続ける保証が、どこにあるだろう。

 「根菜の明後日の価格」、「根菜の来週の価格」、「根菜の来月の価格」を予想するような、人畜無害な魔法を作り続けるとは限らないのだ。実際、この魔導書は衝撃波を打ち出す魔法を作ったと「みなされる」。もし、その規模がもっと大きなものになったりしたら?

 完全な乱数とは、少なくとも思考したり想像したりする者にとって、完全に「不明」なものなのだ。そこには確率の濃淡しか存在しない。いやそれでも、無限に大きい数しかない確率の空間に、無限に小さな確率があるとして、それは意味をなすのだろうか?

 トンネル効果で人のような大きさを持つ物体が、厚い壁を通り抜ける可能性はない。そこで、無限小になら確率があると言ったとしても、生きている僕たちの実感としてはやはり実際には壁を通り抜けることは不可能なのだ。そういうことは、境界を操る能力でもなければ意味をなさないのだから。
 とすれば。

「封印するかい?」
「そして、いつの日か遠い未来に、あるいは早くて明日には、その封印を解く魔法を作っていたりしてね?」

 パチュリーが意地悪く微笑む。

「そうなのよ。この魔導書について恐れるのはただ一点、「不条理さ」なのよ。でも、恒河沙に一つ、阿僧祇に一つ、あるいは那由多に一つ、もしくは無量大数に一つ。何かとんでもない事態が起こる可能性もまた、否定できないわよね?今回みたいに人を傷つけないとは限らないということは……」

 そこまで言って、魔女は少し黙った。
 やっぱり下らない心配なのかしら、とパチュリーが続けた。

「不安は少ないに限るね」

 僕はそう言って、そのまま書物を手に取った。
 先ほども感じた、悪寒が襲うようなぞわっとした肌触りがしたが、なに、耐えられないほどではない。

「これ、僕が持って行こう。そうすれば、すぐに隙間妖怪が取りに来るだろう。まぁ、取りに来るのが遅くても、ここと違って魔力の供給は絶たれるだろうし」

 少なくとも、魔力の充満するこの図書館よりはよっぽど良いだろう。

「あら、あなたもマジックアイテムを作るでしょう。それなりに魔力源があるのではなくて?」
「少なくとも、ここよりは魔力を管制できているはずだ」

 僕の言葉にパチュリーは物憂げに図書館を見渡した。

「そうねぇ、その点は認めざるを得ないかしら」
「まぁ、でも、僕が悪用しないとは確信できないと言われると反論はできないな」

 マジックアイテムの作成を生業とする者を疑う気持ちはわかる。

「この魔導書を僕が解明して悪用する可能性も、ゼロじゃない」
「ああ、そういう危険性もあったのね」

 パチュリーは今気づいた、というように態とらしく手を叩いて見せた。

「そんな、霖之助さんはそんな人じゃないですよ」
「いや、そうとも限らないよ」

 美鈴が助け船を出してくれるが、僕自身であっさり言い返してしまう。

「職人には職人の「業」、ってものもあるからね。君にもあるだろう?門番には門番の、魔女には魔女の」

 門番の業、ですかぁ、……ええっとあったかなぁ、と美鈴は首を愛らしく捻ってみせる。心当たりがないらしい。
 一方、魔女の業については思うところだらけのパチュリーは艶やかに微笑んで見せた。

「とはいえ」

 パチュリーはそのまま静かにうなずく。

「ここに置いておくのは危険だし、見ず知らずの人の手に渡すべきでもない。ついでに言えば、この問題の本質や危険性くらいは知っている人である必要がある」

 彼女はそこまで言ってから、僕を見据えた。

「あなた、適任よ」
「それは、過分な言葉だなぁ」

 ぼやくように答えると、彼女は我が意を得たとばかりに笑う。

「その自己認識が肝心なのよ。残念だけれど、魔女の業は「身の程を知らない」ことなのだから」

 パチュリーはそう答えて大図書館を指さす。

「すべての知識を、すべての真理を、すべての真実を我が手に。こればかりは魔法使いの病癖ね」

 私の手元にあるよりは安全じゃないかしら、と彼女は韜晦してみせる。

「そう言ってもらえるのは有り難いけれど……。本当に、良いのかい?」

 改めてそう尋ねてみる。
 動かない大図書館、種族が魔女たるパチュリーは、先ほどの自分の言葉を反芻するように、彼女ならではの物憂い視線でしばらく魔導書を見つめていたが、やがて頷いた。

「良いわ。不安感を持って何百年も生きていくのは趣味じゃないもの」
「不安感、ですか?」

 美鈴が聞くと、パチュリーは困ったように言葉を選んで言った。

「ええ。この魔導書が暴走する不安、そしてこの魔導書を解明したい自分の探求心への不安、なにより、この魔導書の暴走を見てみたいという好奇心への不安」

 彼女はそこまで言って、力強い笑みに変わる。

「好奇心は猫を殺す、よ。なにも、こんな理不尽な魔導書に頼るまでもないわ。何か術式を作るっていうなら、自分の手で作るべきだもの」

 そう言って魔女の誇りと傲慢さを湛えた大見栄を切ってみせた。
 そして、やや苦笑混じりにパチュリーは続ける。

「でも、こんな独創性の高い魔法、私には無理でしょうね」

 そう言って、根菜の値段を表示しているらしき落丁を指さした。

「そう思うと、少し惜しいわ」
「惜しいですかぁ……」

 美鈴が不思議そうにパチュリーを見つめると、魔女は自然な笑みを浮かべていた。

「ええ、惜しいのよ」

 彼女はそう言うと、さっ、と手を叩いた。

「そうと決まれば一件落着ね。それと、この落丁資料はうちで保管しておくわ」

 パチュリーの言葉に僕もうなずく。
 あくまで、危険性があるのはこの魔導書だけだ。この落丁資料はすでに危険性が薄いことが証明されている。なにせ、誰一人、この魔術を行使することはできそうもないのだから。

 そして、この魔導書本体。
 これについては、僕の家に保管されれば魔力の供給も止まってしまうだろう。
 あとは、紫に任せれば良いさ。
 いつも犯人は彼女ということにしてしまっておきながら、都合が良すぎるとは思うが、たまには黒幕側じゃなくて協力者側というのも乙なものだろう。彼女なら、幻想郷の維持のために一番良い方法を取るはずだ。
 まぁ、「はずだ」というのは、彼女の意図など僕たちが考えるだけ無駄だという意味なのだけれど。僕たちが彼女の意図を慮るなど、愚の骨頂だ。幻想郷の住人が、その概念を超える「何か」を想像するなんて。そんなことは、隙間の大妖怪に任せておくべきことだ。

 非想天則は電気羊の夢を見ないだろうから。

「じゃ、じゃあ、これで、本当に魔理沙さんは無実!」
「そういうことで、良いんじゃないかな?」

 僕がパチュリーに言うと、パチュリーが重々しく頷いた。

「良いんじゃないかしら」

 やはり他人事に返す魔女の言葉を聞いて、今度は本当に美鈴が両手で拳を作って喜ぶ。飛び上がらんばかりだ。

「やりましたね、霖之助さん。これで魔理沙さんは無罪放免ですよ」
「ああ。まぁ、誰も魔理沙を有罪だと思ってなかったけどね」

 しかし、そんな僕の言葉に美鈴が首を振った。

「いえいえ、女の勘にここまで付き合ってもらったんですもん、助かりました」

 美鈴はそう言って、僕の両手を取る。

「霖之助さんのおかげです」
「いや、本当に、僕、何もしてないんだけどな」

 しかし、彼女に両手を上げ下げされながら上げた僕のぼやき声に、冷めた声でパチュリーが答えてくれる。

「あら、あなたは役に立たなかったけれど、あなたの能力は役に立ったわよ?」

 皮肉を言って、パチュリーが空になったグラスに再びワインを注ぐ。

「なるほど、そういうことか」
「そんな!少なくとも、私はとても心強かったですし」

 まぁ、美鈴が喜んでいるのだから、良いか。
 そう思えてくれるくらい感謝してくれる。これはこれで、嬉しいものだ。両手を握って上下に振る仕草に辟易しながらも、僕は悪い気はしなかった。

「あぁ、でも、ちょっとだけ待ちなさいな」

 パチュリーが水を差すように、今にも手を取って洋式舞踏会でも始めんばかりの僕たちに声をかけた。

「解決の報告をレミィにするのは、そうねぇ、あと3日くらいお待ちなさいな」
「ええっ、どうしてです?」

 美鈴の言葉にパチュリーは、直接答えないで黙って澄ました顔でワインに口を付ける。自分で考えろ、ということであって。

「ああ、そういうことか。分かったよ」

 僕が頷くと、美鈴が不思議そうに僕を見つめる。しかし、パチュリーはさも当然、というように頷いた。

「僕がこの本を分析するのに、それくらい掛かる、ってことで良いかい?」
「助かるわ」

 パチュリーはワインを飲み干すと、満足げに答える。

「霖之助さん?」
「魔理沙にお灸を据えるのと……」

 そう言って、僕は不器用に微笑んでみせた。僕みたいに愛想がない人間でも、こういうときにどういう表情をすべきかは分かる。いや、本来なら魔理沙のように片目を閉じてみせるくらい、茶目っ気があれば良いんだろうが、こういうのには得手不得手がある。少なくとも僕には似合いやしない。

「ああ。なるほど、そうでしたか」

 美鈴がパチュリーの意図に気づいたのか、嬉しそうに頷いた。
 そう。これで、魔理沙は少なくとも3日は紅魔館でメイド暮らしだ。フランと一緒に捜査を続けることになるだろう。
 そう、フランと一緒に。

「そうですね。1日で解決しちゃう事件なんて、味気ないですもんねぇ」
「まぁ、もともと事件なんて、大層なものじゃなかった、ってことよ」

 パチュリーが混ぜっ返すように言う。こんな病弱の身体なのに、ワインをまたおかわりというわけで、今度は別の瓶を取り出してグラスに注ぐ。

「それを言ったら、ご足労だったのはあなたの方だったわね、店主」

 労るように、あるいは皮肉を言うように、パチュリーが言った。

「いや、たまには良いもんだよ。紅魔館を巡る案内付き、食事付きの観光なんてね。十分洒落ているじゃないか」

 僕が冗談まじりに答えると、パチュリーが意地の悪い笑みを浮かべた。

「あら、それならまだ3日はあるわけね。美鈴、店主がご満足いただけるまで、十分にご案内してさしあげなさいな」
「あっ!それは良いですねぇ。そうしたら、お嬢様も妹様も喜びますよ」

 美鈴はパチュリーとは違って、本心から無邪気に笑った。

「いや、多忙なメイド長に迷惑をかけるといけないから」

 僕が丁寧にお断りを述べると、美鈴はなおさら激しく首を振って答える。

「それなら明日は、お約束通り私が中華料理を振る舞いましょう!」
「あら、それも良いわねぇ」

 パチュリーが面白がるように美鈴に言った。彼女は事態の推移を楽しんでいるらしい。このあたり、親友やその従者と全く一緒の精神性をお持ちのようで。

「いやいや、僕も仕事があるからね。非常に残念ながら。いや、本当に残念なんだがね。断腸の思いで、店を開けなきゃいけない」

 親愛なる門番殿にも伝わるように、慇懃に、かつ遠回しに遠慮の辞を述べる。ここまで慇懃無礼なら、単刀直入に答えているのと一緒だと思うんだが。

「勿論、そうでしょうねぇ。なら、店を閉めた後にいらっしゃいな。紅魔館は夜の方が本番と言えるもの」

 どんどん僕を追いつめていく動かない大図書館。

「あ~、そのぅ、あれだな、うん。深夜頃まで千客万来で忙しいかもしれないだろう」
「そうねぇ。それは確かに、お店が「そこまで」忙しいのに、無理矢理とはいかないわねぇ」

 パチュリーがそう残念そうに言うと、美鈴が駄目ですか~、と肩を落とした。結局、この魔女さえ説得できれば、あるいは。

「良いわ、美鈴。あなたが香霖堂にお迎えに上がりなさいな。レミィには私から言っておくから。夜まで来客で忙しそうだと言うなら、その日は遠慮しましょう」
「……ちなみに、忙しくなかったら?」
「あなたが紅魔館の招待を断る事情が、奈辺にあるのかしらね?」

 微笑むパチュリーに、僕は完全に白旗をあげた。なるほど、小悪魔の主人、というわけだ。
 魔女、か。

「そこまで言われては、ご厚意、ありがたく頂戴することにしようかな」
「たまには、ね」

 パチュリーは少し罪悪感を感じているのか苦笑気味にそう言ってから、今度は意味ありげに美鈴を見た。

「あとは任せたわよ、美鈴」
「お任せください、パチュリー様。首に縄をつけても連れてきます」

 ああ、それ、もうお客じゃないな。うん、お客とは言わない。
 それは俘虜とか捕虜とか言うんだ。
 うん?

 俘? 

「それにもう、私たちは相棒じゃないですか」
「……君は急に何を言っているんだ?」

 一瞬、何かが閃いた僕は、しかしすぐに美鈴の言葉に引き戻される。その言葉の禍々しい響きに、思わず彼女の顔をのぞき込んだ。
 すると、僕の視線を感じた美鈴は、満面に笑みを浮かべて僕の顔を見つめ返した。

「力を併せて難事件を解決。これで、名探偵コンビ、香霖・美鈴の名も上がるってもんです」
「えっ!?」

 彼女は何を言ったのかな?
 ……ん。
 なんだったんだ、今の。
 僕が一瞬、理解できない顔でいると、パチュリーが、「あの」パチュリーが大声で笑い出した。

「……め、美鈴、もう一回お願い」
「えっ?ああっ!その、名探偵コンビこーりん、めーりんですっ!!」

 今度はポーズまでつけて、美鈴は言い切った。
 火薬担当が、背景に爆発効果をつけそうな感じに。
 そんな美鈴を見てパチュリーは机を軽く平手で叩いて感情を表現し、しばらくして目に浮かべた涙を拭き始めた。

「失礼したわね。その、ああ~、あれよ。韻を踏んでいて素敵な名前ねぇ」

 本当にそう思っているのか、パチュリーはまだ笑みを含んだ声で言う。その口元には未だ笑いの残滓があってときどき震えるように見える。

「ええ。我ながら、なかなか良い響きですよねぇ」

 パチュリーの素朴な感想に、美鈴も自信ありげに頷いた。
 美鈴、それ、誉めていない、皮肉だ。
 しかし、その美鈴の表情に、またパチュリーが笑い出す。

「いや、全然、僕は聞いてないんだが。その、なんだ。えっと、なんていうか、なんだい、それ。その恥ずかしい名前は」
「照れなくても良いですって。また、次の難事件のときもお願いしますよ、霖之助さん」

 頼もしい相棒を見るように、美鈴が僕の肩を叩いた。
 全然、場違いだと思う。
 少なくとも頼もしい相棒は僕の役柄じゃないし、今回もそんな役を演じてすらいない。

「いや、今回の事件、解決したのはパチュリーだし。僕らは聞いて回っただけだから。そういう意味じゃ、彼女こそ……」
「いえいえ、その栄誉は遠慮するわよ。名探偵なんて称号、私には恐れ多いもの」

 パチュリーが笑いをなんとか抑えて、ようやくそう言う。言われれば言われるほど、僕が恥ずかしい。頼むからパチュリーとコンビで名探偵、「パチュ美鈴」とかで良いじゃないか。どこかで聞いたような響きだし。

「なに言ってるんですか、霖之助さん」

 美鈴はそう言うと、僕の腕を取った。

「満漢全席まで、付き合ってもらうつもりですからね」

 なるほど、そう来るのか。
 腕を引きずられながら、僕はあのときなぜ自分がそんなことを言ったのか、思い出そうとして図書館を後にする。
 そんな僕がぼんやりと見上げると、意地の悪い笑みを浮かべてゆらりゆらりと手を振って僕を見送るパチュリーがいた。小悪魔のときもそうだったが、ここの連中はこういう表情を浮かべないといけない種類の存在なのだろうか。

「パチュリー様、また明日!」
「ええ、また明日。店主も、また明日、ね」

 今度は一転、どこか優しい表情で魔女が微笑む。
 そうだった。
 彼女に組まれた腕に温もりというか、強引さというか、なにやら不思議なものを感じながら、ようやく僕は気づいた。

 あと、3日。

 少なくとも、店から紅魔館に通い、夜を「捜査ごっこ」で過ごすことになるんだった。とはいえ、「事件」は解決してるんだが、何をするんだか。
 何もすることはないのに、この紅魔館で何をして回るというのだろう。それこそ美鈴に案内してもらって歩き回るとでも言うのか。この里の人々が恐れる吸血鬼の館、紅魔館を。

 だがそれは、決して嫌だと思うほどの拒否感もなく。
 あるいは、レミリアの言った通りなのかもしれない。
 これも「縁」というものかもしれない。
 それにしても、本当に運命を操っていないのだろうか。
 そして、運命といえば。

「そうだ、美鈴!あの卦、あの卦だ!」
「け、ですか?」

 僕は閃いた何かをたぐり寄せるように言う。

「沢雷隨。あれの第四爻変だ。九四の爻辞」
「ああ!隨の屯に之く、ですか?」

 美鈴が腕を引きながら答える。

「あれ、どう読んだんだい?」
「えっと、どうしてです?」
「君、あのとき言ったな、あ、これは良い、って」
「はて、言いましたっけ?」
「言った。貞凶、良いわけがないんだ。なのに君はなぜか、良い、って呟いた」

 そう、ずっと引っかかっていたんだ。それで、夕食の後にも話していたんだった。

「隨の卦辞は元享貞利。无咎。じゃないですか。良いでしょう」
「卦辞はね。でも、第四爻変だよ。爻辞は隨有獲。有孚、在道以明、何咎。だからてっきり、誠実にやれば凶は回避できる、と思ってたんだが」
「それで間違いなかったじゃないですか」

 簡潔にさっぱりと答える美鈴。

「本当のところ、君はどう読んだんだ?特に、孚だ。まこと、の部分」
「あ~、さては気づきましたかぁ」

 美鈴はこちらに振り向かず、そのまま続ける。

「怒りません?」
「聞いてから考えるさ」
「じゃ、言いません」
「……怒らないよ」
「約束ですよ?」
「約束だ」
「破ったら嫌ですからね?」
「くどいぞ」

 僕が即答すると、彼女はえへへ、と照れたような声で答えた。

「隨の九四、随従したら獲物にされてしまう、と読んでですね。孚は俘虜の俘、つまり捕虜と読んで、捕虜となって道にあったとしても、聡明さがあれば何の咎もない、と。ですから、私に従うと捕虜にされちゃうけど、霖之助さんは聡明な人なんで、災難はなく済むなぁ、って。ついでに、之卦の屯も元享利貞ですし」
「いや、屯の卦辞は勿用有攸往だ。つまり……」

 続ける僕に、あはは、と彼女は誤魔化すように笑い飛ばそうとする。
 かくて僕は美鈴に従った結果、紅魔館の俘となったが、咎はなく済んだ、と。僕はこれから、少なくとも3日は紅魔館に通うことになった。なるほど。
 とはいえ、それはこの際、良いだろう。
 しかし、咎があったらどうしてくれるんだ。

「当たるも八卦、当たらぬも八卦、ですよぅ」

 彼女はそんな言い訳をしてみせる。
 まぁ、確かに、僕も彼女も易の専門家じゃない、ただの素人に過ぎない。
 ついでに言えば、擲銭法で占った。それも本来、易には絶対必要とされる真剣さにすら欠けた占いだったんだから、易として当たるわけもない。
 あくまで、趣味の範囲の「占いごっこ」に過ぎなかったんだが。

「占断は全部、僕にとって悪かったんじゃないか……」

 とはいえ、美鈴にそのことを隠されていたのは気になるところだ。あるいは、美鈴に秘密にされて少し傷ついているとも言える。
 ……馬鹿みたいなことを考えているとは、自分でも思う。
 子供並の感想だ。

「いえいえ、以明、ですよ。霖之助さんが「震」、紅魔館を良い方向に導く原動力だったんですよ。だからこその「屯」に之く、ですから」

 それは紅魔館についての占いなら、そうだろうけど。
 そう言い掛ける僕に、美鈴は肩越しに振り向いて邪気のない笑みを浮かべてみせた。それは僕への信頼感に溢れていて、少し落ち着かない気持ちにさせる。あるいは、母親が赤ん坊を見るような表情で。

 ……どうしてそんな顔が出来るんだろうか。

 僕にはこうした、あけすけな感情表現はできそうもない。
 あるいは、そういう笑みを浮かべることができる妖怪、なのだろうか。あるいはこの表情の奥に、まだ妖怪としての「何か」が残っているのだろうか。

「さ、霖之助さん、次はどうしますか?」

 しかし、まるで占いのこと、あるいは美鈴について考えたことを忘れさせるように、彼女は慈愛に満ちた笑みを浮かべて言う。
 深夜の地下大図書館という中で聞くには、少し穏やか過ぎるその言葉の調子に、僕は物憂げにうなずいた。
 魅力的な、陽気に満ちたような華人妖怪。彼女の前では僕の方が陰になりそうだ。
 本来、男女が司る陰陽は逆のはずなのだけれど。
 あるいは陰の気を彼女も持っているのだろうか。いや、もちろん、持ってはいるだろう。彼女は女性で、少なくとも妖怪でもあるのだし。
 でも、彼女の笑みからはそうした暗さは見あたらない。文字通りの「陰気さ」については、彼女には無縁なのだろうか。

「そうだな、美鈴」

 僕に伺いをたててくる相棒に、その明るい陽気さを眩しく見つめながら、なんだかぼんやりと僕は答えていた。
 そう、逆に言って、僕は文字通りの「陰気な」奴、と言えなくはない。
 そんな僕の呟きに、彼女はどこか期待に満ちたような表情をする。

 あるいはその彼女の表情は、今日一日の展開に疲れた僕が見た、ただの幻視、あるいは願望に過ぎないのかもしれない。
 やっぱり彼女の明るさは魅力的だ。
 それは今更、確認する必要なんてないだろう。

 なるほど、「隨」。

 紅魔館の俘になる、という意味だけじゃないのかもしれない。
 しかし、それでもどこか、半人半妖である僕にはひねくれた部分が残っているのだろうと思う。

「とりあえず……」
「はい、霖之助さん!」

 力強い元気な返答を受けて、僕は美鈴の眩しい表情を見上げながら言った。

「僕は……、香霖堂に帰るかな」



-了-
最後までお読みくださってありがとうございました。

初投稿になります。
私がコメディ好きだったので、書いたものになります。
読んでくれた友人は暫しの沈黙の後、死んだ魚の目で「アッハイ」と快く答えてくれました。

……これ、コメディでいいですよね?

追記
投稿して半日の時点であるにも関わらず、ご感想、ご意見いただき、ありがとうございます。
皆様ご指摘のとおり、「くどい」「冗長」な文章でしたが、読んでいただいてとても嬉しく感じております。
また、誤字脱字等のご指摘ありがとうございました。改めて修正いたしました。
特に、二箇所にわたって名前を誤記されるという不祥事を起こしたことにつきまして、本居小鈴様に謝罪いたします。
本当に申し訳ございませんでした。

追記2)2014年3月9日
 あれから多くの方にお読みいただき、ありがとうございました。
 元ネタのご指摘、全て正解でございます。指摘を受けるたび、同志諸君、と呼びかけたい気持ちでいっぱいです。
 また、誤字・脱字・誤用の指摘も、本当にありがとうございます。r様のご指摘に顔を真っ青にして訂正いたしました。
 特に五万。本気で五万だと思っておりました。巨万なのですね。巨万の富、の。巨万の呉音ということで勉強になりました。
 日々、是、勉強。作品を出してから勉強している自分の迂闊さを嘆くばかりです。私、抜けております。
 他にもお気づきの点がありましたら、誤字脱字誤用、元ネタや不審の点などご指摘いただければ幸いです。どうか寛大なお気持ちでお願いいたします。
右の人('A` )
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.1590簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
実に面白かったです。
干し肉と酒の代わりに飲茶を差し出す美鈴のあたりから完全に引き込まれました。

第2節のレミリアとの謁見のシーンなんかはおそらく余計な部分を省くと十行程度で済むのではないかという内容。
ですが、その十行で済むような内容に肉付けされた余計な部分が実に魅力的。
美鈴との天丼問答、霖之助の大図書館への杞憂、魔理沙の昔語りなど、
物語の本筋と無関係なはずの部分がとても面白く感じられて素敵でした。必要でない物を決して蛇足と感じさせない文章力に敬服します。
もちろん、本筋の面白さあっての事ですが。

「本来しなくてもいい苦労を背負わされて東奔西走した挙句、主人公が登場した時には事件はほぼ解決済みでしたとさ」
実にすばらしいコメディ。

あと、誤字?報告。
第2節、本居鈴奈→本居小鈴
第3節、何回→難解
2.90名前が無い程度の能力削除
初めてでこれほどの大作でお疲れ様でした
冒頭の美鈴と霖之助の部分が個人的にちょっとくどいかなとか思いましたが概ね面白かったです
次回も期待します
3.100名前が無い程度の能力削除
美鈴、霖之助、フラン、魔理沙が非常に可愛らしく、そしてきちんとそれぞれの個性を持って描かれていました。
少し物語としては冗長とは思いましたが、しかしそのくどさを感じないほどに引き込まれる語りと描写。
素晴らしかった、文句なしの100点です。
ところで、「恒河沙、那由多、あるいは阿僧祇」ではなく「恒河沙、阿僧祇、あるいは那由多」の順番じゃないかな、と思いましたが違っていたらすみません。
5.無評価名前が無い程度の能力削除
引き込むための導入部分であれだけくどくてつまらないやりとりをダラダラと続けるのは致命的じゃないかと
6.100名前が無い程度の能力削除
紅魔館の日常が微に入り細に入って描写されていて、悪魔の館系ホームドラマのような作品でした。面白そうな設定や場にフィットした小道具、何よりそれぞれのキャラクターの性格がはっきりとしていて、生き生きとしていることが、素晴らしい。会話の回し方も、東方らしくて良かったです。
7.無評価名前が無い程度の能力削除
小鈴「私そんな名前じゃない」
の歴史
本当にに
8.無評価名前が無い程度の能力削除
小鈴「私そんな名前じゃない」
の歴史
本当にに
9.100名前が無い程度の能力削除
容量見ずに読んでみたら、予想以上に長かった!
初投稿で200KBってのも凄いですねw
のっけから美鈴というのが意外でしたが、ワトソン役には最適でした。
魔理沙がところどころで可愛いのが良かったです。
10.90奇声を発する程度の能力削除
大作でとても面白かったです
15.100名前が無い程度の能力削除
小者並みの感想で済ませんが、面白うございました。
18.100名前が無い程度の能力削除
久々に読み応えのある作品でした
創想話で面白いと感じたのは1年振りくらいです
ただオチ、というか真相にインパクトが足りなかった感もあります
これからの貴方に期待しています。
20.9019削除
ただのコーリンメーリンものですませず、探偵ネタを絡めているのが良い所。
そして、さりげなく、こそっとクーロンズゲートのネタが入っているのも個人的に嬉しい所w。
21.100名前が無い程度の能力削除
面白かったー。読み応えがあってようございました。
22.100名前が無い程度の能力削除
これで初投稿というのだから恐れ入る
最初は香霖に少しだけ違和感があった
でも読むうちに自然になって行くように感じた
あなたの書くキャラクターはどれも素敵でした
所々挟まれるパロディもくどくなくていい
途中で銀髪のエルヴァーンが被って見えたのもまた楽しかった


次回も期待しています
24.100名前が無い程度の能力削除
初投稿とは思えないクオリティ。
小じゃれた文章に違和感のない布石と回収。
終盤の謎解きや落ちも軽快で楽しかったです。

正に期待の新人。ようこそ創想話へ。
29.100名前が無い程度の能力削除
このくどい文章、大好きです。
登場人物一人一人がとても魅力的な素晴らしい作品。
個人的に霖之助さんの描写がツボでした。
これからのご活躍を大いに期待しております。
30.60名前が無い程度の能力削除

各キャラを生かした話に、小難しくなくさっぱりとした文章。
独自の世界観にその見せ方、実に良かったです。
ただ、閑話が少々長い。
どんなにさっぱりとしていても、量が伴えば胃もたれの一つも感じちゃいます。
話の導入や切り替わりに閑話が入るのは心地よい。
でも、物語の終盤にそれだと味が薄くて、口寂しく思いました。

いい食材にいい調理方法はある、後は量の加減と調味料が揃えば…っと感じました。
それでもすっかり次回作に期待してますけど!
次も期待してます。ご馳走様でした。
36.70名前が無い程度の能力削除
キャラクター同士の掛け合いが生き生きと表現されててよかったです。
霖之助は結局話を聞いて回っただけで存在意義をイマイチ示せてなかったなと感じました。
彼独特の考察による迷推理に対して美鈴がツッコミを入れる、といった展開もあれば自分の好み的にはよかったと思います。
40.100冬と哀の境界削除
冒頭の銭投げが最後に繋がる描写が良かったと思う。
個人的にクトゥルフネタも良いぬ!
48.90r削除
レミリアに言わせれば霊夢に目を付けたのは私がが先、
→が、が多い

 それと同じレベルとなると、魔理沙には猛省を流したい。
→促したい

気宇壮大:度量が広い事
ちょっと違和感

「いや、それがサボっていた妖精メイドなら五万といたんだがな。
→ごまんと

しおれる [萎(凋・悄)れる]
しょげる [悄気る]

貴族の食事、コース料理ではなく、身内だけの食事だから「質素なもの」ったらしい。
→だったらしい

 実際、付録を読んだいるのに、本文は読めない?
→読んでいる

小気味の良い文章で、読みごたえがあり、楽しかったです。
49.100名前が無い程度の能力削除
分量に負けず劣らず素晴らしいストーリーでした