「おもしろい話、ですか。そうですね……」
妖夢を博麗神社に招いた夜の事。
お酒も回ってほろ酔い気分なところで妖夢にネタを振ったら、彼女は少し考えた後にこう続けた。
「少し前の話になります。
ただ、この話はあなたにとって面白くない話になるかもしれません」
それでも「話して」とせがむと、妖夢は「分かりました」と前置きした後で話し始めた。
☆ ☆ ☆
あれはいつの話だったでしょうか。
何年前? 何十年前? 覚えていませんね。幻想郷にとって時なんてあってないようなもの。私も半人半霊になってからというものの、時という概念はだいぶ稀薄になりました。
ましてや、私の住まいは亡霊姫の住む白玉楼ですからね。いつごろに起きたのかはあまり定かではないんですよ。
あぁ、安心してください。いつごろ起きたのかは話の本筋に関係のない事ですから。
要はそういう出来事が私の目の前で起きたという事。結局はそれだけです。
――前置きが長くなりましたか。それでは早速始めますね。
今日のように木枯らしの吹く寒い夜の事でした。
いつも通りの修練を終えて、いつも通りに幽々子さまに食事を作って――あぁ、その時はまだお爺様がいらしたのでお爺様の世話をして ――まぁ、いつもの日常を送ったわけです。
やれやれ今日も一日終わる事ができた。さぁ、明日も早いのだからさっさと寝てしまおう。
そう思って、私は寝床に入りました。
すぐに眠気はやってきまして、体感ですが一、二刻は眠れたと思います。
ふと、私は目が覚めました。
その時、なんでしょうか。何か違和感のようなものを感じたんですよね。
寒い夜なのに生暖かい。そんな不思議な空気が私を襲いました。
でも、その時の私は幽霊の住む屋敷なのだから、それぐらいあってもおかしくないなぁ、と、そんな程度に考えていました。
もう一度目をつぶって寝ようと努力はするんですが眠れない。
不思議な感覚のせいで目が冴えてしまったんでしょうね。そうすると、今度は尿意が襲ってきました。
朝まで我慢しようか、なんて考えるんですが、一度来てしまった尿意はそう簡単には収まらないものです。
寝しょんべんなんてしたら幽々子さまに笑われてしまいますからね。私はやれやれと厠に向かう事にしました。
しかし、部屋はそれなりに暖かくしているものの、木枯らしの吹く深夜の事ですからね。
きっと寒くなるだろうと、私は寝間着の上に一枚羽織って部屋を出ました。
途端に厳冬の神髄とも言うべき冷たい空気が私に襲い掛かり、ぶるるっと身体を震わせた事を今でも覚えています。
外ではびょおうびょおうと風が吹き荒れて、雨戸がしきりにがたがたと音を立てていました。きちんと閉めたはずの雨戸と雨戸の間から隙間風が入ると、私の身体を神経ごと凍らせようと冷たく撫でていきます。
あの時は人生最大の寒さじゃないか、なんて思いましたね。寝冷えでもしてたんでしょうか。
それでも、私も剣士の端くれ。寒さ程度に負けていたら剣の道なんて歩めません。
「えい!」と腹の底から気合を入れると、私は厠目指して歩き始めました。
ぎし……ぎし……ぎし……
一歩、また一歩と進むたびに音を立てる床。
深夜ってなぜあんなにも音が響くんでしょうね。それとも普段から響いているのに気付かないだけなんでしょうか。
さらには自分が歩く少し後に音が反響して、さも誰かが私の後をついてきてるような気分にもなるのだから不思議なものです。
あぁ、そういえば白玉楼の間取りを説明しないといけませんでしたね。
すでに白玉楼を訪れた事のあるあなたの事ですから必要ないのかもしれませんが、念のために。
白玉楼は簡単に言えば横が長い長方形のような形をしてます。本当はもっと複雑な形なんですが、分かりやすく言えば長方形みたいなものです。
それで私の部屋が東の端。厠があるのが屋敷の中央辺り。あと、話に必要な部分なので先に話しておきますが、炊事場は西の端になります。
えぇ、次に私が言う事をおそらく予測できると思いますが、私の部屋から厠や炊事場に行くのは一番遠くなります。
……では、話を戻しましょうか。
歩みを進めるんですが、一向に厠に着かない。
こんなにも私の部屋から厠は遠かったっけ? それ以前に、白玉楼にはこんな長い廊下があったっけ?
そんな一抹の不安が頭を過りました。
不思議なものです。普段歩きなれているはずですから、深夜という時間帯としん、と張りつめた空気が私にそう錯覚させたんでしょうね。
でも、永遠と思える迷路にも必ずゴールは見つかるのが道理というものです。
ようやく厠に通じるドアの前までたどり着く事ができました。
私はほっ、と一安心して用を足します。
すっきりすると人は欲が出てくるものなんでしょうか? 厠を後にした私はふと水が飲みたくなりました。
我慢しようと思えば思う程に、喉が渇きを訴えてきます。水なんて普段飲み慣れているはずなのに、脳内で再生される水は砂漠で見つけたオアシスのように神秘的で潤しいものになっていきます。
――仕方ない、ここまで来たんだ。炊事場に水を飲みに行こう。
結局、私は炊事場に向かう事にしたんです。
これが全ての元凶でした。ここで渇きを我慢して寝床に戻っていればあんな事は起きなかったのですから。
……いや、ハードルを上げちゃいましたね。
あまり期待しないでくださいね。私にとってはおもしろい話であっても、あなたにとったらそうでない可能性もあるんですから。
まぁ、経験の一つと思って続きを聞いてください。あぁ、そんなかしこまる必要はないですよ。お茶でも入れましょうか? 羊羹でも食べます?
リラックスして普段のあなた通りの態勢で聞いてくだされば結構です。
――……さて、そろそろ話の本筋に戻りましょうか。
私は炊事場に向けて長い廊下を進んでいきます。
その時、私の耳がとある音をとらえました。
ざざっ……ざざっ……ざざっ……
妙な音です。
音が反響しているせいもあるんでしょうが、その時の私にはそれが何の音なのか検討もつきませんでした。
ですが、音はたしかに前方から聞こえてくるのが分かります。
最初は幽々子さまかお爺様がまだ起きていて何かをしてるのではないか、と考えました。
でも、それはありえないんですよね。
だって、最初に言いましたけど、私は幽々子さまとお爺様が部屋に入るのを見届けた後で自分の部屋に戻っているんですから。
次に思い当たったのが外部からの侵入者。
これもありえない選択肢です。なにせ場所が白玉楼ですから。こんな場所に簡単に侵入できる人物なんて紫さまくらいしか知りませんし、その紫さまがこの時間帯に来る必要性は一切ありません。
じゃあ、何か。
じゃあ、何か。
じゃあ、何が何の音を立てているのか。
……分からないんです。全く答えが出ないんです。
でも――音は、確実に、聞こえてくるんです。
背筋にいやぁな汗が流れてくるのが分かりました。否が追うにも緊張を強要されます。
ここで、私には二つの選択肢がありました。
一つは幽々子さまかお爺様を起こして一緒についてきてもらう選択肢。
もう一つは、部屋まで戻って剣を取ってくる選択肢。
さて、どちらを選ぼうか。そう考えている間にも音は鳴り響き、その訳の分からない事ゆえの恐怖が私の思考を乱していきます。
私が選んだのは、第三の選択肢。そのまま確認しに行く事でした。
今思えば若さゆえの過ちなのでしょう。剣がなくても私は剣士なのだから大抵の事には対処できると思ったのでしょう。
もしくはここで武勲をたてて、幽々子さまやお爺様に褒められたいと浅はかな考えが過ったのかもしれません。
ちなみに今の私なら剣を取りに戻ります。――いえ、怖いからではないです。最悪のケースを想定して、その場で最良の選択肢を選ぶという意味です。
とにかく、その時の私は丸腰のままで炊事場に向かいました。
ぎし、ぎし、ぎし、と歩くたびに床が音を立てます。
ざざっ、ざざっ、ざざっ、とソレの音は次第に大きくなっていきます。
さて、もう少しで炊事場というところで、それは起きました。
……音が止まったのです。
それに呼応して私の歩みも止まります。
心臓がどっくんどっくん、といつもより早鐘を鳴らしているのが分かりました。
そして、私は嫌な事に気づいてしまいました。
私が丸腰のまま炊事場に向かった最大の理由――それが、相手がまだこちらに気づいていないからという事に気づいてしまったのです。
相手が気づいていないのだからこちらが有利である、有利ならば、多少の事態にも対処できる。だから行くべきだ。――私はこう考えていたんですよね。
でも、音が止まったという事は、ソレは私に気づいたという事。
つまり、私のアドバンテージが消えてなくなった事になります。
途端に恐怖が腹の底から湧き上がってきました。
丸腰という自身の失態、そこから結論付けられるのは自身の肉体一つでは何の自信も得られないという事。
ソレには私の存在が気づいている上に、私にはソレの正体すらも掴めていないという不利極まりない状況。
それらが私の脳内を盛大にかき乱します。もうまともな思考なんて働いていませんでした。
私の脳内を占める言葉はただ一つ――恐怖です。
剣の道で例えるならば、丸腰で剣を喉先に突き付けられた、とでも言い表しましょうか。
長い時間が過ぎていきます。
本当は数分、いや数十秒、もしくは数秒だったのかもしれません。
でも、私にはゴールのない迷路のように感じていました。そんなものはない、と先ほど否定したばかりなのに、それすらも考えられない程に私の心は乱れきっていました。
この肌を突き刺すような冷たさは木枯らしゆえのものなのか。
音が何も聞こえてこないのは深夜ゆえのものなのか。
突き刺すような視線を感じるのはソレが見ているからなのか。はたまた気のせいなのか。
考えれば考える程に深淵の闇が私を奈落へと引きずりこみます。もがけばもがく程に闇から這い寄る手は私を捉え放そうとしません。
どうすればいいのか。どうすればいいのか。私はどうしたらいいのか。
絵本のようにヒーローが現れてくる事を願えばいいのか。
神様お願い、とこの私が願いを捧げればいいのか。
一目散に尻尾を撒いて逃げ出せばいいのか。
無策のまま現状を招いてしまった私に一体何ができるのか。
結局のところ、私にできる事なんて一つしかなかったのです。
開き直りです。行き過ぎた恐怖が臨界点を達した時に起こるのはハイになる事です。恰好のいい言い方をするならば無心です。
ソレの正体なんて考えて答えはでないのです。答えが出ないのだからソレの正体はソレのままでいいのです。
ソレが私に危害を加えてくるのならば、どんな事が起きるのか。どんな事が起きても命まで取られるには時間があります。だから叫べるのです。叫んだら幽々子さまとお爺様が呼べるのです。
ソレが私に気づいているならば開き直るべきです。これも経験のうちとポジティブに捉え突き進むしか方法がないのです。
そう考えると幾分か気持ちが落ち着きました。
私に今できる事は大声を出す準備をする事のみ。
そう考えて私は進み始めました。
もうここまで来たら恐れるものなんて何もありませんでした。
わずかに開いている炊事場のドアに手をかけて――一呼吸。
一気に開きました。
ばんっ!
そこにいたもの。
それは、果たして――!!
「あら、よーむ。あなたもお腹がすいたのかしら?」
握り飯を作る幽々子さまの姿でした。
☆ ☆ ☆
「は?」
妖夢の話を聞き終えて私が発した言葉がこれだった。
「いや、ですからこれで話は終わりです。
あ、ちなみにざざっいう音は幽々子さまが握り飯を握る音だったみたいです。
いやぁ、深夜の静けさっていうのは耳すらも狂わせるものなんですねぇ」
「え……? いや……終わり……なの?」
「はい、終わりです」
「オチが予想以上にひどいんだけど」
「幽々子さまって食べるだけじゃなくて料理も作れたんですよ。びっくりしません?
それに、最初にあなたが聞いても面白くない話ですけど、って言ったじゃないですか」
「や、でも普通何かしらのオチがつくものでしょ?
あれだけ話を盛り上げておいてオチがそれって、正直どうなの?」
結局、私は聞き損だったという事なんだろうか。
なんだ、このばかばかしい茶番は……。
「そうですね、オチをつけるならこういう続きがありましたね。
私は幽々子さまが料理をできた事にたまげてしまって、それで半霊が生まれたんです。
これがほんとの魂消た話。――なんちゃって」
そう笑いながら話を締めくくる妖夢に対して。
私は開いた口が塞がらなかった。エクトプラズムが出そうだった。
魂消そう……。なんちゃって♪
了。
妖夢を博麗神社に招いた夜の事。
お酒も回ってほろ酔い気分なところで妖夢にネタを振ったら、彼女は少し考えた後にこう続けた。
「少し前の話になります。
ただ、この話はあなたにとって面白くない話になるかもしれません」
それでも「話して」とせがむと、妖夢は「分かりました」と前置きした後で話し始めた。
☆ ☆ ☆
あれはいつの話だったでしょうか。
何年前? 何十年前? 覚えていませんね。幻想郷にとって時なんてあってないようなもの。私も半人半霊になってからというものの、時という概念はだいぶ稀薄になりました。
ましてや、私の住まいは亡霊姫の住む白玉楼ですからね。いつごろに起きたのかはあまり定かではないんですよ。
あぁ、安心してください。いつごろ起きたのかは話の本筋に関係のない事ですから。
要はそういう出来事が私の目の前で起きたという事。結局はそれだけです。
――前置きが長くなりましたか。それでは早速始めますね。
今日のように木枯らしの吹く寒い夜の事でした。
いつも通りの修練を終えて、いつも通りに幽々子さまに食事を作って――あぁ、その時はまだお爺様がいらしたのでお爺様の世話をして ――まぁ、いつもの日常を送ったわけです。
やれやれ今日も一日終わる事ができた。さぁ、明日も早いのだからさっさと寝てしまおう。
そう思って、私は寝床に入りました。
すぐに眠気はやってきまして、体感ですが一、二刻は眠れたと思います。
ふと、私は目が覚めました。
その時、なんでしょうか。何か違和感のようなものを感じたんですよね。
寒い夜なのに生暖かい。そんな不思議な空気が私を襲いました。
でも、その時の私は幽霊の住む屋敷なのだから、それぐらいあってもおかしくないなぁ、と、そんな程度に考えていました。
もう一度目をつぶって寝ようと努力はするんですが眠れない。
不思議な感覚のせいで目が冴えてしまったんでしょうね。そうすると、今度は尿意が襲ってきました。
朝まで我慢しようか、なんて考えるんですが、一度来てしまった尿意はそう簡単には収まらないものです。
寝しょんべんなんてしたら幽々子さまに笑われてしまいますからね。私はやれやれと厠に向かう事にしました。
しかし、部屋はそれなりに暖かくしているものの、木枯らしの吹く深夜の事ですからね。
きっと寒くなるだろうと、私は寝間着の上に一枚羽織って部屋を出ました。
途端に厳冬の神髄とも言うべき冷たい空気が私に襲い掛かり、ぶるるっと身体を震わせた事を今でも覚えています。
外ではびょおうびょおうと風が吹き荒れて、雨戸がしきりにがたがたと音を立てていました。きちんと閉めたはずの雨戸と雨戸の間から隙間風が入ると、私の身体を神経ごと凍らせようと冷たく撫でていきます。
あの時は人生最大の寒さじゃないか、なんて思いましたね。寝冷えでもしてたんでしょうか。
それでも、私も剣士の端くれ。寒さ程度に負けていたら剣の道なんて歩めません。
「えい!」と腹の底から気合を入れると、私は厠目指して歩き始めました。
ぎし……ぎし……ぎし……
一歩、また一歩と進むたびに音を立てる床。
深夜ってなぜあんなにも音が響くんでしょうね。それとも普段から響いているのに気付かないだけなんでしょうか。
さらには自分が歩く少し後に音が反響して、さも誰かが私の後をついてきてるような気分にもなるのだから不思議なものです。
あぁ、そういえば白玉楼の間取りを説明しないといけませんでしたね。
すでに白玉楼を訪れた事のあるあなたの事ですから必要ないのかもしれませんが、念のために。
白玉楼は簡単に言えば横が長い長方形のような形をしてます。本当はもっと複雑な形なんですが、分かりやすく言えば長方形みたいなものです。
それで私の部屋が東の端。厠があるのが屋敷の中央辺り。あと、話に必要な部分なので先に話しておきますが、炊事場は西の端になります。
えぇ、次に私が言う事をおそらく予測できると思いますが、私の部屋から厠や炊事場に行くのは一番遠くなります。
……では、話を戻しましょうか。
歩みを進めるんですが、一向に厠に着かない。
こんなにも私の部屋から厠は遠かったっけ? それ以前に、白玉楼にはこんな長い廊下があったっけ?
そんな一抹の不安が頭を過りました。
不思議なものです。普段歩きなれているはずですから、深夜という時間帯としん、と張りつめた空気が私にそう錯覚させたんでしょうね。
でも、永遠と思える迷路にも必ずゴールは見つかるのが道理というものです。
ようやく厠に通じるドアの前までたどり着く事ができました。
私はほっ、と一安心して用を足します。
すっきりすると人は欲が出てくるものなんでしょうか? 厠を後にした私はふと水が飲みたくなりました。
我慢しようと思えば思う程に、喉が渇きを訴えてきます。水なんて普段飲み慣れているはずなのに、脳内で再生される水は砂漠で見つけたオアシスのように神秘的で潤しいものになっていきます。
――仕方ない、ここまで来たんだ。炊事場に水を飲みに行こう。
結局、私は炊事場に向かう事にしたんです。
これが全ての元凶でした。ここで渇きを我慢して寝床に戻っていればあんな事は起きなかったのですから。
……いや、ハードルを上げちゃいましたね。
あまり期待しないでくださいね。私にとってはおもしろい話であっても、あなたにとったらそうでない可能性もあるんですから。
まぁ、経験の一つと思って続きを聞いてください。あぁ、そんなかしこまる必要はないですよ。お茶でも入れましょうか? 羊羹でも食べます?
リラックスして普段のあなた通りの態勢で聞いてくだされば結構です。
――……さて、そろそろ話の本筋に戻りましょうか。
私は炊事場に向けて長い廊下を進んでいきます。
その時、私の耳がとある音をとらえました。
ざざっ……ざざっ……ざざっ……
妙な音です。
音が反響しているせいもあるんでしょうが、その時の私にはそれが何の音なのか検討もつきませんでした。
ですが、音はたしかに前方から聞こえてくるのが分かります。
最初は幽々子さまかお爺様がまだ起きていて何かをしてるのではないか、と考えました。
でも、それはありえないんですよね。
だって、最初に言いましたけど、私は幽々子さまとお爺様が部屋に入るのを見届けた後で自分の部屋に戻っているんですから。
次に思い当たったのが外部からの侵入者。
これもありえない選択肢です。なにせ場所が白玉楼ですから。こんな場所に簡単に侵入できる人物なんて紫さまくらいしか知りませんし、その紫さまがこの時間帯に来る必要性は一切ありません。
じゃあ、何か。
じゃあ、何か。
じゃあ、何が何の音を立てているのか。
……分からないんです。全く答えが出ないんです。
でも――音は、確実に、聞こえてくるんです。
背筋にいやぁな汗が流れてくるのが分かりました。否が追うにも緊張を強要されます。
ここで、私には二つの選択肢がありました。
一つは幽々子さまかお爺様を起こして一緒についてきてもらう選択肢。
もう一つは、部屋まで戻って剣を取ってくる選択肢。
さて、どちらを選ぼうか。そう考えている間にも音は鳴り響き、その訳の分からない事ゆえの恐怖が私の思考を乱していきます。
私が選んだのは、第三の選択肢。そのまま確認しに行く事でした。
今思えば若さゆえの過ちなのでしょう。剣がなくても私は剣士なのだから大抵の事には対処できると思ったのでしょう。
もしくはここで武勲をたてて、幽々子さまやお爺様に褒められたいと浅はかな考えが過ったのかもしれません。
ちなみに今の私なら剣を取りに戻ります。――いえ、怖いからではないです。最悪のケースを想定して、その場で最良の選択肢を選ぶという意味です。
とにかく、その時の私は丸腰のままで炊事場に向かいました。
ぎし、ぎし、ぎし、と歩くたびに床が音を立てます。
ざざっ、ざざっ、ざざっ、とソレの音は次第に大きくなっていきます。
さて、もう少しで炊事場というところで、それは起きました。
……音が止まったのです。
それに呼応して私の歩みも止まります。
心臓がどっくんどっくん、といつもより早鐘を鳴らしているのが分かりました。
そして、私は嫌な事に気づいてしまいました。
私が丸腰のまま炊事場に向かった最大の理由――それが、相手がまだこちらに気づいていないからという事に気づいてしまったのです。
相手が気づいていないのだからこちらが有利である、有利ならば、多少の事態にも対処できる。だから行くべきだ。――私はこう考えていたんですよね。
でも、音が止まったという事は、ソレは私に気づいたという事。
つまり、私のアドバンテージが消えてなくなった事になります。
途端に恐怖が腹の底から湧き上がってきました。
丸腰という自身の失態、そこから結論付けられるのは自身の肉体一つでは何の自信も得られないという事。
ソレには私の存在が気づいている上に、私にはソレの正体すらも掴めていないという不利極まりない状況。
それらが私の脳内を盛大にかき乱します。もうまともな思考なんて働いていませんでした。
私の脳内を占める言葉はただ一つ――恐怖です。
剣の道で例えるならば、丸腰で剣を喉先に突き付けられた、とでも言い表しましょうか。
長い時間が過ぎていきます。
本当は数分、いや数十秒、もしくは数秒だったのかもしれません。
でも、私にはゴールのない迷路のように感じていました。そんなものはない、と先ほど否定したばかりなのに、それすらも考えられない程に私の心は乱れきっていました。
この肌を突き刺すような冷たさは木枯らしゆえのものなのか。
音が何も聞こえてこないのは深夜ゆえのものなのか。
突き刺すような視線を感じるのはソレが見ているからなのか。はたまた気のせいなのか。
考えれば考える程に深淵の闇が私を奈落へと引きずりこみます。もがけばもがく程に闇から這い寄る手は私を捉え放そうとしません。
どうすればいいのか。どうすればいいのか。私はどうしたらいいのか。
絵本のようにヒーローが現れてくる事を願えばいいのか。
神様お願い、とこの私が願いを捧げればいいのか。
一目散に尻尾を撒いて逃げ出せばいいのか。
無策のまま現状を招いてしまった私に一体何ができるのか。
結局のところ、私にできる事なんて一つしかなかったのです。
開き直りです。行き過ぎた恐怖が臨界点を達した時に起こるのはハイになる事です。恰好のいい言い方をするならば無心です。
ソレの正体なんて考えて答えはでないのです。答えが出ないのだからソレの正体はソレのままでいいのです。
ソレが私に危害を加えてくるのならば、どんな事が起きるのか。どんな事が起きても命まで取られるには時間があります。だから叫べるのです。叫んだら幽々子さまとお爺様が呼べるのです。
ソレが私に気づいているならば開き直るべきです。これも経験のうちとポジティブに捉え突き進むしか方法がないのです。
そう考えると幾分か気持ちが落ち着きました。
私に今できる事は大声を出す準備をする事のみ。
そう考えて私は進み始めました。
もうここまで来たら恐れるものなんて何もありませんでした。
わずかに開いている炊事場のドアに手をかけて――一呼吸。
一気に開きました。
ばんっ!
そこにいたもの。
それは、果たして――!!
「あら、よーむ。あなたもお腹がすいたのかしら?」
握り飯を作る幽々子さまの姿でした。
☆ ☆ ☆
「は?」
妖夢の話を聞き終えて私が発した言葉がこれだった。
「いや、ですからこれで話は終わりです。
あ、ちなみにざざっいう音は幽々子さまが握り飯を握る音だったみたいです。
いやぁ、深夜の静けさっていうのは耳すらも狂わせるものなんですねぇ」
「え……? いや……終わり……なの?」
「はい、終わりです」
「オチが予想以上にひどいんだけど」
「幽々子さまって食べるだけじゃなくて料理も作れたんですよ。びっくりしません?
それに、最初にあなたが聞いても面白くない話ですけど、って言ったじゃないですか」
「や、でも普通何かしらのオチがつくものでしょ?
あれだけ話を盛り上げておいてオチがそれって、正直どうなの?」
結局、私は聞き損だったという事なんだろうか。
なんだ、このばかばかしい茶番は……。
「そうですね、オチをつけるならこういう続きがありましたね。
私は幽々子さまが料理をできた事にたまげてしまって、それで半霊が生まれたんです。
これがほんとの魂消た話。――なんちゃって」
そう笑いながら話を締めくくる妖夢に対して。
私は開いた口が塞がらなかった。エクトプラズムが出そうだった。
魂消そう……。なんちゃって♪
了。
あと表現としては亡霊姫が正しいと思います。
予想通りのオチでしたね。流石ゆゆさま。
引き込まれたせいでオチが予想できんかったww
唖然としましたねwいい意味で
小腹が空いたからっておにぎり作っちゃうゆゆ様マジ食いしん坊。思う存分モグモグさせて差し上げろ。
まさにオチた。
しかし、妖夢の恐怖心は痛いほど分かります
真っ暗な家の中で正体不明な物音がしたら、心臓がひっくり返ってしまいますよ
そういう話じゃなかったか。
オチはたぶん妖夢の冗談だよね?ww
パンケーキ……お好きなんですね