※このお話は作品集185『メイド愛記』の続編となります。
読まれていない方はこちらを先にお読みいただくことを推奨いたします。
私、レミリア・スカーレットは、ひとりの妖精に恋をした。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「レミリアお嬢様、お慕い申しております! 是非私と結婚前提でお付き合いを!」
私室へとやって来た妖精メイドから突然告白された。
彼女は先月入った新米だったか。
「……あなたの気持ちは嬉しいけれど、私には心に決めた相手がいるの。だから、あなたとは付き合えないわ」
「そう……ですか。その方が羨ましいです。突然、申し訳ありませんでした」
ハッキリと告げると、彼女は沈痛な面持ちで頭を下げた。
部屋を後にするその背中を見送って、近くの椅子に深く腰掛けると私は息を吐き出す。
これがここ最近、私の日課のようになっていた。
「今日も幾多の女を泣かせているのですね、お嬢様」
「咲夜、その言い方は止めてちょうだい」
まるで私が女の子を取っ替え引っ替えしている様じゃない。悪女とか最高の響きだけど、そんな不誠実な女になる気は無いわ。
時でも止めたのか、入れ替わるように音も無く入ってきた私の従者に、頭を抱える。
「この三日程でもう既にメイドの過半数を超えているのですよ。お嬢様に告白した後の娘はその後は暫く使い物にならなくなるので、少しは自重して下さい」
「え、なに、私が悪いの?」
「お嬢様がさっさと思いの丈を口に出して頂ければ、もっと被害は少なくて済む問題なのです」
「ぐむっ」
結局自身の不甲斐無さが招いた結果とはいえ、耳の痛い話だ。
私がメイドの遼棟を訪れていると噂になってから後、時計塔の元管理人室でも告白未遂の一件辺りから脈有りとでも思ったのか、妖精メイド達が挙って私へと告白合戦を仕掛けて来る様になっていた。
どうやら私が妖精メイドの誰かを好きという情報を意図的に流した者がいる様で、犯人は目下捜索中だ。
「嫌われるよりは良いけれど、これは流石に疲れるわね」
「でしたら今直ぐにでも覚悟を決めてしまえばよろしいのですわ。そうすれば私への被害も減って万事解決です、ヘタレ当主様」
「私の扱いひどくない!?」
「これまで放置してきた附けが廻ってきたのですから、当然の帰結ですわ。それよりも、こちらの書類に判子を頂きたいのですが」
「はいはい、分かったわよ」
机の引き出しの中から判子を取り出して、咲夜の差し出した書類の束一枚一枚に判を押していく。
その中の一枚を目にして、私は手を止めた。
「……珍しいわね。咲夜が休みの申請だなんて」
「はい、明日人里まで美鈴とデ……発注していた家具の引き取りと買い物に行くことになっていますので」
「美鈴と?」
次の書類を手に取ってみれば、確かに咲夜と同じ明日一日休みの申請になっていた。
「完全な私用ですが、荷運びの要員として美鈴をお借りいたします」
「分かったわ。もう一日休みを追加してあげるから、家具の引き取りだけと言わずにそのまま一緒に羽でも伸ばしてきなさい。特に咲夜は放っておくと倒れるくらいに働き過ぎるのだから、たまにはゆっくりすると良いわ」
以前咲夜が熱を出して倒れて、ちょっとした騒ぎになったのは忘れてはいない。
「……はい、ありがとうございます」
「それじゃ、明日からふたりとも二日間のお休みにするわ。一切の仕事を禁止するからそのつもりで」
それぞれの書類にもう一日を書き加えて判を押す。
そして全ての書類に判を押し終え、それを持って咲夜が退室してからはたと気が付いた。
「ご飯どうしよう……」
私の呟きを聞く者はその場には居なかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「あなたが居てくれて良かったわ。今ならあなたと結婚できるわ」
ダイニングルーム。普段家族と食事をするこの部屋で、テーブルの上に並ぶ料理の数々に私は感動すら覚えていた。
「そんな大袈裟ですよ、レミリアお嬢様」
「結婚云々は置いておくとして、そんなこと無いわよ大ちゃん。お姉様ったら料理に関係する生活能力は皆無なんだから」
「フ、フランも似たようなものでしょう?」
「私、最近料理を始めて少しは作れるようになったもんね」
「な、なんだってー!?」
「ふふん、愛のなせる技よ」
大袈裟に驚いた私に、我が妹は得意げに鼻息をならした。
「わ、私だって料理くらい練習すれば」
「そんなこと言って大失敗していたのは誰だったかしら? 目玉焼き一枚焼くだけでどうしてマーブル色の何かが出来上がるのよ」
「うぐっ」
あれは嫌な事件だった。かつて私の料理を食べた者がバタバタと倒れていき、一時的に紅魔館の機能が麻痺してしまった。結局美鈴が作った漢方薬のおかげで事なきを得たが、嫌な思い出だ。その後、料理は紅魔館の裏手に穴を掘って埋められ、その一角は今なお草一本生えない不毛の地となっている。
「紅茶を淹れるのは上手いのに、何で料理はあんなにダメなのか不思議でならないわ」
「レミリアお嬢様も紅茶を淹れられるのですか?」
「意外そうな顔ね、大妖精。咲夜に紅茶の淹れ方を教えたのは私なのよ。あの娘が覚えてからはほとんど自分では淹れなくなったけど」
「これでもお姉様の紅茶は咲夜の次には美味しいんだから、本当に訳が分からないわ」
「それなら、たまには私が紅茶の用意でもしようかしら」
「お嬢様が自らされなくても、私が用意いたします」
「放っておけばいいのよ、大ちゃん。どうせ良い格好を見せたいだけなんだから」
「は、はあ、そうなのですか?」
「フラン、何言ってるのよ!? そんなことあるわけ無いじゃない!」
何故分かったし。
フランの推察に内心焦りを覚えつつ、私は厨房へと足を向けたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「随分と噂になっている様ね、レミィ」
食事を終えた私は大図書館へと来ていた。
訪れた私を一瞥すると、彼女は再び手元へと視線を戻す。
机の上でインクを付けた羽ペンが紙の上を走る。ただし、そのペン先を取る手は存在しない。羽ペンだけが踊るように紙の上に文字を綴っていく。
操るのは私の友人だ。
「あら、暫く籠もりっぱなしだったパチェも聞いているの? 噂を流した者は目下捜索中よ。流石に館内の業務に支障が出るレベルで問題になっているのだから、犯人には一つお仕置きが必要ね」
「研究中も私の使い魔が嬉々としてメイド達から噂を仕入れてくるのよ」
小さく切った指先で机に直接魔法陣を描きながら、彼女は口を開く。
そうして完成した魔法陣の上に、その場で絞った白葡萄の果汁の入ったコップを置く。
それから小さく何事かを呟くと魔法陣を発動させ、彼女はコップの中身を一口煽る。
無言で差し出されたそれを私もまた一つ口付けた。
「味が単調、若いワインね。……ん?」
ワイン?
「パチェ、あなた今白葡萄を目の前で絞っていたわよね?」
「気付いたようね。今の魔法は特定の空間内の時間を早める魔法よ」
「何、咲夜の真似事?」
咲夜がよく自身の能力を使って、葡萄ジュースを時間を進めてワインを作っているけれど、つまりはそれと同じ事をしたということだ。
「時間への干渉は本来大規模な儀式を必要とするものなの。それを何の準備も無く行うあの娘が異常なのよ。それはともかく、今回はその時間操作の魔法を儀式を必要とせずに発動させる為の実験よ」
「へえ、それで成功したわけ?」
「とりあえずは成功ね。今後は問題点の洗い出しをしつつ術式の改良になるわ」
そう言うと、彼女は別の魔法陣を展開させ口を開いた。
「こぁ、来てちょうだい」
『パチュリー様? すぐ参りますので少々お待ち下さい』
陣から小悪魔の声が響く。
今のは任意の相手に声を届ける為の魔法のようだ。
机の上では更に別の魔法が展開しており、一冊の本が出来上がるところだった。
「さて、レミィ。用件を聞こうかしら」
「あら、聞いてくれるの?」
「当然よ。私に何か相談事でもあるのでしょう?」
彼女は小さく笑みを浮かべる。
普段、表情を動かすことの少ない彼女だけれど、その変化を見極めるのは私にとっては難しいことではない。決して短くない年月を共に過ごしてきたし、それが分からないなどという浅い仲でも無いのだから。
「流石親友、話が分かるわ」
「最近の噂と関係がある話かしら?」
「関係が無い、とは言えないわね」
あの噂も結局は私自身が原因なのだから。
私を見据える双眸に、一つ息を吸い込んでからゆっくりと口を開いた。
「私、告白をしようと思うの」
「……相手は誰?」
「だ、大妖精」
「本気なの?」
黙って大きく頷く。
少しだけ、彼女の瞳が寂しげに揺れた気がした。
「パチェ?」
その様子に首を傾げた私に、彼女は軽く首を横に振る。
既にそこからは友人の感情を読み取ることは出来なかった。
「まさかレミィが恋をするなんて思わなかったわ」
「私だって恋の一つくらいするわよ」
私だって女だし、枯れたつもりは一切無い。
今回はたまたま相手が同性だっただけに過ぎないのだから。
「それに今回の噂は私自身が招いたことでもあるのだから、私自ら収めるべきでしょう」
「お待たせいたしました、パチュリー様。何か面白いことを始めるつもりですか、レミリア様?」
「盗み聞きとは趣味が悪いんじゃないかしら、小悪魔?」
「こんな開けた場所でするから聞かれるのですよ」
私の言葉に、司書用の服に身を包んだ小悪魔が悪びれた様子も無く肩をすくめた。
「こぁ、この本を私の部屋まで運んでおいてちょうだい」
「承知いたしました」
パチュリーから先ほど書き上げられた本を受け取ると、小悪魔は私達に背を向ける。
しかし彼女は数歩歩いたところでこちらへと振り返った。
「今回はありがとうございました、レミリア様」
私に意味の分からない礼の言葉を贈るその顔は、実に悪魔らしい笑みをしていた。
「何の事かしら?」
「楽しい余興を頂きましたので、ささやかながら後ほどお礼をさせていただきます」
そう言って言葉とは裏腹にこれから悪戯を施すかのような顔をしてから、今度こそ去っていった彼女の背中を釈然としない気持ちで見送ったのだった。
「それでレミィ、直ぐに行動に移すつもりなのかしら?」
「ん、そうね。色々相談しようかと思っていたんだけど、パチェと話していたらなんだか決心が着いちゃったわ。ちょっと行ってくるわね」
「決まったのなら、それで良いわ。後で結果くらいは教えてほしいものね」
「ええ、真っ先に報告に来るわ」
背後から掛かった言葉に、私は軽く手を振って答えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
誰もいない静かな石造りの廊下を音も無く進む。
普段であれば誰かしらメイドの姿が見受けられるはずなのに、今は人っ子一人いない。
その事に内心首を傾げながらも、メイド用の寮棟内を目的の場所へと目指して歩く。
やがて一枚の扉の前で立ち止まる。これまで細心の注意を払いながら何度も足を運んだ場所。
コツンコツン、と扉を叩いてから少しして、私と部屋を隔てていた板が開かれた。
私の姿に部屋の住人である大妖精は驚いた顔をして見せた。
「お嬢様!?」
「こんばんは、大妖精。入っても良いかしら?」
「は、はい、どうぞ。あ、こんな姿で申し訳ありません」
「気にすることは無いわ。押し掛けたのは私なのだから」
大きめのワイシャツ一枚を纏った彼女は頭を下げた。ワイシャツの隙間から小高い二つの丘が顔を覗かせる。
その大きさに羨望と少しの嫉妬の混ざった感情が沸き上がるが、それを意志でもって頭の片隅から追い出す。
足を踏み入れ、室内をグルリと視線を巡らせる。
衣装棚と机と椅子、視界に収まる読める限りのタイトルを見るに、手引書の類ばかりの収まった小さな本棚。
何とも飾り気の少ない部屋だと思う。机の上の花瓶に一輪だけ活けられた薔薇の花がこの部屋の唯一の装飾だろう。
今度ぬいぐるみの一つでも渡してあげようかしら。
「こんな場所までいったいどうされたのですか?」
「そうね、夜這いに来たのよ」
「え、え!? 夜這い!?」
眼を白黒させる姿に思わず吹き出してしまう。
「お嬢様、からかうのは止めてください!」
私の様子に赤ら顔で頬を膨らませる。
「悪かったわ。……少し座って話をしましょう」
表情を引き締めて椅子に腰掛ける。大きさが合わなくて足が床に付かないけれど気にしない。
私と向かい合うように大妖精はベッドの縁に腰掛けた。
「お話とは一体なんでしょうか?」
不安そうな表情で私を見る愛らしい姿に、内心今直ぐにでも襲ってしまいたくなる衝動を抑える。
「大妖精、紅魔館で働くのは好き?」
「はい」
目の前の少女は迷うこと無く即答する。
「そう、それは良かったわ」
本当に。嫌いなんて言われたら泣いていたところだった。これでも働きやすい環境作りにはいつも気を配っているつもりだ。その甲斐あってか、寿退職を除いては毎年紅魔館を去る者はほとんどいない。もともと飽き易い妖精達を雇い入れている以上、ゼロではないのはどうしようもない。
「私は……」
大妖精はそこで言葉を切る。
「私は、レミリアお嬢様のお側にいたいです」
「うへぁ!?」
思わず変な声が漏れた私に大妖精は首を傾げた。
そんなことを言われたらつい結婚を申し込みたくなってしまうじゃない。無自覚って怖い。
「何でも無いわ。うん、何でも無いから」
「そう、ですか?」
「でも、その発言は今の咲夜の地位を奪い取る気なのかしら? 私に最も近い場所にいるのは咲夜なのだから」
「ええ!? いえ、私そんなつもりはありません!」
「あら、そうなの」
「メイド長は私の憧れです。だから、あの人裏切るような真似は出来ません」
「咲夜は幸せ者ね。こんなに慕っている部下がいるのだから」
私の感情に、少しの嫉妬の色が混ざる。それは、じわりと心を染めていくように感じられた。
「だけど、咲夜は人間よ。老いて、死んでいく脆弱な人間。いつかはメイド長という地位を退いて、誰かにそれを譲らなくてはいけなくなるわ。そこにあなたが就く。どうかしら、魅力的な話だと思わない?」
咲夜は、恐らくその生涯を人間として終えるだろう。そうと決めた彼女の意志を、私は知っている。そして、それは私には覆すことは出来ないということも。
「そうなれば、ずっと私の側にいることも出来るわよ」
「……私は嫌です」
悲しげに、眼を伏せながら大妖精は話を進める。
「私はこの紅魔館に来てからまだ日は浅いですが、それでもお嬢様が咲夜メイド長のことを大切にされていることは、おふたりの様子を見ていれば分かります。例えメイド長が亡くなったとしても、私がそこに収まるつもりはありません。それは、いつかお嬢様が咲夜メイド長と同じくらい大切な方が出来た時に就かせてあげてください」
その言葉に我慢できずに、椅子から立ち上がり手を伸ばす。
頬に触れる。
自身では得ることの出来ない温もりが指先から伝わる。
「大妖精、そこにあなたが入るという可能性は考えないのね」
「え?」
「私が何故あの時計塔の管理人室を訪れていたか、考えてみたことはある?」
「それは、ただのお嬢様の気まぐれだと」
「そんなはず無いでしょう」
大妖精の頬を両手で挟み込む。
「あなたに会うために、私はあそこを訪れていたの。他ならない、あなただけに会うために」
きっとこれを言ってしまえば、私はもう引き返すことは出来ない。
「あなたが大切なのよ、大妖精。私はあなたが欲しい。その何もかもを私の物にしてしまいたいほどに」
「お、お嬢様、からかわないでください!」
「からかってなんて無いわ」
「でも、メイド長は」
「もちろん、咲夜も大切よ。だけどそれは家族としての愛情」
同じ愛情でも、それは別種の物だ。
私の言葉に、少女はころころと表情を変えていく。
「私の側にいてくれないかしら、大妖精?」
「私がそこにいてもよろしいのですか?」
「あなたでなければ許さないわ」
この館の主である私自身がそう望んでいるのだから、他を認めてやる気なんて無い。
「……これからよろしくお願いいたします、お嬢様」
しばらくの沈黙の後、ベッドから降りて大妖精は静かに頭を下げた。
「こちらこそよろしく、大妖精」
微笑みかけた私に、頭を上げた彼女は赤ら顔で笑って見せたのだった。
END
読まれていない方はこちらを先にお読みいただくことを推奨いたします。
私、レミリア・スカーレットは、ひとりの妖精に恋をした。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「レミリアお嬢様、お慕い申しております! 是非私と結婚前提でお付き合いを!」
私室へとやって来た妖精メイドから突然告白された。
彼女は先月入った新米だったか。
「……あなたの気持ちは嬉しいけれど、私には心に決めた相手がいるの。だから、あなたとは付き合えないわ」
「そう……ですか。その方が羨ましいです。突然、申し訳ありませんでした」
ハッキリと告げると、彼女は沈痛な面持ちで頭を下げた。
部屋を後にするその背中を見送って、近くの椅子に深く腰掛けると私は息を吐き出す。
これがここ最近、私の日課のようになっていた。
「今日も幾多の女を泣かせているのですね、お嬢様」
「咲夜、その言い方は止めてちょうだい」
まるで私が女の子を取っ替え引っ替えしている様じゃない。悪女とか最高の響きだけど、そんな不誠実な女になる気は無いわ。
時でも止めたのか、入れ替わるように音も無く入ってきた私の従者に、頭を抱える。
「この三日程でもう既にメイドの過半数を超えているのですよ。お嬢様に告白した後の娘はその後は暫く使い物にならなくなるので、少しは自重して下さい」
「え、なに、私が悪いの?」
「お嬢様がさっさと思いの丈を口に出して頂ければ、もっと被害は少なくて済む問題なのです」
「ぐむっ」
結局自身の不甲斐無さが招いた結果とはいえ、耳の痛い話だ。
私がメイドの遼棟を訪れていると噂になってから後、時計塔の元管理人室でも告白未遂の一件辺りから脈有りとでも思ったのか、妖精メイド達が挙って私へと告白合戦を仕掛けて来る様になっていた。
どうやら私が妖精メイドの誰かを好きという情報を意図的に流した者がいる様で、犯人は目下捜索中だ。
「嫌われるよりは良いけれど、これは流石に疲れるわね」
「でしたら今直ぐにでも覚悟を決めてしまえばよろしいのですわ。そうすれば私への被害も減って万事解決です、ヘタレ当主様」
「私の扱いひどくない!?」
「これまで放置してきた附けが廻ってきたのですから、当然の帰結ですわ。それよりも、こちらの書類に判子を頂きたいのですが」
「はいはい、分かったわよ」
机の引き出しの中から判子を取り出して、咲夜の差し出した書類の束一枚一枚に判を押していく。
その中の一枚を目にして、私は手を止めた。
「……珍しいわね。咲夜が休みの申請だなんて」
「はい、明日人里まで美鈴とデ……発注していた家具の引き取りと買い物に行くことになっていますので」
「美鈴と?」
次の書類を手に取ってみれば、確かに咲夜と同じ明日一日休みの申請になっていた。
「完全な私用ですが、荷運びの要員として美鈴をお借りいたします」
「分かったわ。もう一日休みを追加してあげるから、家具の引き取りだけと言わずにそのまま一緒に羽でも伸ばしてきなさい。特に咲夜は放っておくと倒れるくらいに働き過ぎるのだから、たまにはゆっくりすると良いわ」
以前咲夜が熱を出して倒れて、ちょっとした騒ぎになったのは忘れてはいない。
「……はい、ありがとうございます」
「それじゃ、明日からふたりとも二日間のお休みにするわ。一切の仕事を禁止するからそのつもりで」
それぞれの書類にもう一日を書き加えて判を押す。
そして全ての書類に判を押し終え、それを持って咲夜が退室してからはたと気が付いた。
「ご飯どうしよう……」
私の呟きを聞く者はその場には居なかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「あなたが居てくれて良かったわ。今ならあなたと結婚できるわ」
ダイニングルーム。普段家族と食事をするこの部屋で、テーブルの上に並ぶ料理の数々に私は感動すら覚えていた。
「そんな大袈裟ですよ、レミリアお嬢様」
「結婚云々は置いておくとして、そんなこと無いわよ大ちゃん。お姉様ったら料理に関係する生活能力は皆無なんだから」
「フ、フランも似たようなものでしょう?」
「私、最近料理を始めて少しは作れるようになったもんね」
「な、なんだってー!?」
「ふふん、愛のなせる技よ」
大袈裟に驚いた私に、我が妹は得意げに鼻息をならした。
「わ、私だって料理くらい練習すれば」
「そんなこと言って大失敗していたのは誰だったかしら? 目玉焼き一枚焼くだけでどうしてマーブル色の何かが出来上がるのよ」
「うぐっ」
あれは嫌な事件だった。かつて私の料理を食べた者がバタバタと倒れていき、一時的に紅魔館の機能が麻痺してしまった。結局美鈴が作った漢方薬のおかげで事なきを得たが、嫌な思い出だ。その後、料理は紅魔館の裏手に穴を掘って埋められ、その一角は今なお草一本生えない不毛の地となっている。
「紅茶を淹れるのは上手いのに、何で料理はあんなにダメなのか不思議でならないわ」
「レミリアお嬢様も紅茶を淹れられるのですか?」
「意外そうな顔ね、大妖精。咲夜に紅茶の淹れ方を教えたのは私なのよ。あの娘が覚えてからはほとんど自分では淹れなくなったけど」
「これでもお姉様の紅茶は咲夜の次には美味しいんだから、本当に訳が分からないわ」
「それなら、たまには私が紅茶の用意でもしようかしら」
「お嬢様が自らされなくても、私が用意いたします」
「放っておけばいいのよ、大ちゃん。どうせ良い格好を見せたいだけなんだから」
「は、はあ、そうなのですか?」
「フラン、何言ってるのよ!? そんなことあるわけ無いじゃない!」
何故分かったし。
フランの推察に内心焦りを覚えつつ、私は厨房へと足を向けたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「随分と噂になっている様ね、レミィ」
食事を終えた私は大図書館へと来ていた。
訪れた私を一瞥すると、彼女は再び手元へと視線を戻す。
机の上でインクを付けた羽ペンが紙の上を走る。ただし、そのペン先を取る手は存在しない。羽ペンだけが踊るように紙の上に文字を綴っていく。
操るのは私の友人だ。
「あら、暫く籠もりっぱなしだったパチェも聞いているの? 噂を流した者は目下捜索中よ。流石に館内の業務に支障が出るレベルで問題になっているのだから、犯人には一つお仕置きが必要ね」
「研究中も私の使い魔が嬉々としてメイド達から噂を仕入れてくるのよ」
小さく切った指先で机に直接魔法陣を描きながら、彼女は口を開く。
そうして完成した魔法陣の上に、その場で絞った白葡萄の果汁の入ったコップを置く。
それから小さく何事かを呟くと魔法陣を発動させ、彼女はコップの中身を一口煽る。
無言で差し出されたそれを私もまた一つ口付けた。
「味が単調、若いワインね。……ん?」
ワイン?
「パチェ、あなた今白葡萄を目の前で絞っていたわよね?」
「気付いたようね。今の魔法は特定の空間内の時間を早める魔法よ」
「何、咲夜の真似事?」
咲夜がよく自身の能力を使って、葡萄ジュースを時間を進めてワインを作っているけれど、つまりはそれと同じ事をしたということだ。
「時間への干渉は本来大規模な儀式を必要とするものなの。それを何の準備も無く行うあの娘が異常なのよ。それはともかく、今回はその時間操作の魔法を儀式を必要とせずに発動させる為の実験よ」
「へえ、それで成功したわけ?」
「とりあえずは成功ね。今後は問題点の洗い出しをしつつ術式の改良になるわ」
そう言うと、彼女は別の魔法陣を展開させ口を開いた。
「こぁ、来てちょうだい」
『パチュリー様? すぐ参りますので少々お待ち下さい』
陣から小悪魔の声が響く。
今のは任意の相手に声を届ける為の魔法のようだ。
机の上では更に別の魔法が展開しており、一冊の本が出来上がるところだった。
「さて、レミィ。用件を聞こうかしら」
「あら、聞いてくれるの?」
「当然よ。私に何か相談事でもあるのでしょう?」
彼女は小さく笑みを浮かべる。
普段、表情を動かすことの少ない彼女だけれど、その変化を見極めるのは私にとっては難しいことではない。決して短くない年月を共に過ごしてきたし、それが分からないなどという浅い仲でも無いのだから。
「流石親友、話が分かるわ」
「最近の噂と関係がある話かしら?」
「関係が無い、とは言えないわね」
あの噂も結局は私自身が原因なのだから。
私を見据える双眸に、一つ息を吸い込んでからゆっくりと口を開いた。
「私、告白をしようと思うの」
「……相手は誰?」
「だ、大妖精」
「本気なの?」
黙って大きく頷く。
少しだけ、彼女の瞳が寂しげに揺れた気がした。
「パチェ?」
その様子に首を傾げた私に、彼女は軽く首を横に振る。
既にそこからは友人の感情を読み取ることは出来なかった。
「まさかレミィが恋をするなんて思わなかったわ」
「私だって恋の一つくらいするわよ」
私だって女だし、枯れたつもりは一切無い。
今回はたまたま相手が同性だっただけに過ぎないのだから。
「それに今回の噂は私自身が招いたことでもあるのだから、私自ら収めるべきでしょう」
「お待たせいたしました、パチュリー様。何か面白いことを始めるつもりですか、レミリア様?」
「盗み聞きとは趣味が悪いんじゃないかしら、小悪魔?」
「こんな開けた場所でするから聞かれるのですよ」
私の言葉に、司書用の服に身を包んだ小悪魔が悪びれた様子も無く肩をすくめた。
「こぁ、この本を私の部屋まで運んでおいてちょうだい」
「承知いたしました」
パチュリーから先ほど書き上げられた本を受け取ると、小悪魔は私達に背を向ける。
しかし彼女は数歩歩いたところでこちらへと振り返った。
「今回はありがとうございました、レミリア様」
私に意味の分からない礼の言葉を贈るその顔は、実に悪魔らしい笑みをしていた。
「何の事かしら?」
「楽しい余興を頂きましたので、ささやかながら後ほどお礼をさせていただきます」
そう言って言葉とは裏腹にこれから悪戯を施すかのような顔をしてから、今度こそ去っていった彼女の背中を釈然としない気持ちで見送ったのだった。
「それでレミィ、直ぐに行動に移すつもりなのかしら?」
「ん、そうね。色々相談しようかと思っていたんだけど、パチェと話していたらなんだか決心が着いちゃったわ。ちょっと行ってくるわね」
「決まったのなら、それで良いわ。後で結果くらいは教えてほしいものね」
「ええ、真っ先に報告に来るわ」
背後から掛かった言葉に、私は軽く手を振って答えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
誰もいない静かな石造りの廊下を音も無く進む。
普段であれば誰かしらメイドの姿が見受けられるはずなのに、今は人っ子一人いない。
その事に内心首を傾げながらも、メイド用の寮棟内を目的の場所へと目指して歩く。
やがて一枚の扉の前で立ち止まる。これまで細心の注意を払いながら何度も足を運んだ場所。
コツンコツン、と扉を叩いてから少しして、私と部屋を隔てていた板が開かれた。
私の姿に部屋の住人である大妖精は驚いた顔をして見せた。
「お嬢様!?」
「こんばんは、大妖精。入っても良いかしら?」
「は、はい、どうぞ。あ、こんな姿で申し訳ありません」
「気にすることは無いわ。押し掛けたのは私なのだから」
大きめのワイシャツ一枚を纏った彼女は頭を下げた。ワイシャツの隙間から小高い二つの丘が顔を覗かせる。
その大きさに羨望と少しの嫉妬の混ざった感情が沸き上がるが、それを意志でもって頭の片隅から追い出す。
足を踏み入れ、室内をグルリと視線を巡らせる。
衣装棚と机と椅子、視界に収まる読める限りのタイトルを見るに、手引書の類ばかりの収まった小さな本棚。
何とも飾り気の少ない部屋だと思う。机の上の花瓶に一輪だけ活けられた薔薇の花がこの部屋の唯一の装飾だろう。
今度ぬいぐるみの一つでも渡してあげようかしら。
「こんな場所までいったいどうされたのですか?」
「そうね、夜這いに来たのよ」
「え、え!? 夜這い!?」
眼を白黒させる姿に思わず吹き出してしまう。
「お嬢様、からかうのは止めてください!」
私の様子に赤ら顔で頬を膨らませる。
「悪かったわ。……少し座って話をしましょう」
表情を引き締めて椅子に腰掛ける。大きさが合わなくて足が床に付かないけれど気にしない。
私と向かい合うように大妖精はベッドの縁に腰掛けた。
「お話とは一体なんでしょうか?」
不安そうな表情で私を見る愛らしい姿に、内心今直ぐにでも襲ってしまいたくなる衝動を抑える。
「大妖精、紅魔館で働くのは好き?」
「はい」
目の前の少女は迷うこと無く即答する。
「そう、それは良かったわ」
本当に。嫌いなんて言われたら泣いていたところだった。これでも働きやすい環境作りにはいつも気を配っているつもりだ。その甲斐あってか、寿退職を除いては毎年紅魔館を去る者はほとんどいない。もともと飽き易い妖精達を雇い入れている以上、ゼロではないのはどうしようもない。
「私は……」
大妖精はそこで言葉を切る。
「私は、レミリアお嬢様のお側にいたいです」
「うへぁ!?」
思わず変な声が漏れた私に大妖精は首を傾げた。
そんなことを言われたらつい結婚を申し込みたくなってしまうじゃない。無自覚って怖い。
「何でも無いわ。うん、何でも無いから」
「そう、ですか?」
「でも、その発言は今の咲夜の地位を奪い取る気なのかしら? 私に最も近い場所にいるのは咲夜なのだから」
「ええ!? いえ、私そんなつもりはありません!」
「あら、そうなの」
「メイド長は私の憧れです。だから、あの人裏切るような真似は出来ません」
「咲夜は幸せ者ね。こんなに慕っている部下がいるのだから」
私の感情に、少しの嫉妬の色が混ざる。それは、じわりと心を染めていくように感じられた。
「だけど、咲夜は人間よ。老いて、死んでいく脆弱な人間。いつかはメイド長という地位を退いて、誰かにそれを譲らなくてはいけなくなるわ。そこにあなたが就く。どうかしら、魅力的な話だと思わない?」
咲夜は、恐らくその生涯を人間として終えるだろう。そうと決めた彼女の意志を、私は知っている。そして、それは私には覆すことは出来ないということも。
「そうなれば、ずっと私の側にいることも出来るわよ」
「……私は嫌です」
悲しげに、眼を伏せながら大妖精は話を進める。
「私はこの紅魔館に来てからまだ日は浅いですが、それでもお嬢様が咲夜メイド長のことを大切にされていることは、おふたりの様子を見ていれば分かります。例えメイド長が亡くなったとしても、私がそこに収まるつもりはありません。それは、いつかお嬢様が咲夜メイド長と同じくらい大切な方が出来た時に就かせてあげてください」
その言葉に我慢できずに、椅子から立ち上がり手を伸ばす。
頬に触れる。
自身では得ることの出来ない温もりが指先から伝わる。
「大妖精、そこにあなたが入るという可能性は考えないのね」
「え?」
「私が何故あの時計塔の管理人室を訪れていたか、考えてみたことはある?」
「それは、ただのお嬢様の気まぐれだと」
「そんなはず無いでしょう」
大妖精の頬を両手で挟み込む。
「あなたに会うために、私はあそこを訪れていたの。他ならない、あなただけに会うために」
きっとこれを言ってしまえば、私はもう引き返すことは出来ない。
「あなたが大切なのよ、大妖精。私はあなたが欲しい。その何もかもを私の物にしてしまいたいほどに」
「お、お嬢様、からかわないでください!」
「からかってなんて無いわ」
「でも、メイド長は」
「もちろん、咲夜も大切よ。だけどそれは家族としての愛情」
同じ愛情でも、それは別種の物だ。
私の言葉に、少女はころころと表情を変えていく。
「私の側にいてくれないかしら、大妖精?」
「私がそこにいてもよろしいのですか?」
「あなたでなければ許さないわ」
この館の主である私自身がそう望んでいるのだから、他を認めてやる気なんて無い。
「……これからよろしくお願いいたします、お嬢様」
しばらくの沈黙の後、ベッドから降りて大妖精は静かに頭を下げた。
「こちらこそよろしく、大妖精」
微笑みかけた私に、頭を上げた彼女は赤ら顔で笑って見せたのだった。
END
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