※一応は作品集153の「河童のクゥーラーと風祝」の設定を引き継いでますが、そっちは読まなくても大丈夫です。早苗とにとりがお互い好き合っているということだけふまえていただければ。
もし、にとりさんの声で起こしてくれる目覚まし時計があったなら
きっと私はアラームを止めずに布団の中でずっと聞き続けるでしょう。
そして寝る。
ふとそう思った
この発想のきっかけは枕元のデジタル時計が朝、自分の足元で真っ二つに破壊されていたことから始まる
寝相が悪い人は経験があるとは思うが、朝起きたら頭と足の位置が寝る前とは逆転している現象がある。
私だけじゃないはず。絶対。
今日はまさにその現象に襲われた日だった。それだけならまだよかったが、今日の私は勇ましかったらしい。恐らくイノシシを倒す夢をみたのだろう、私のかかと落としが何かを仕留めた衝撃で目が覚めたのだ。
私は、まだ完全に開けきらない目のまま、足下にある双子となったデジタル時計と対峙した
…うーむ、薄いとはいえ、なんて綺麗に割れているんだろう……これはモーゼさんの奇跡に少しでも近づけたってことでしょうかね。
奇跡の犠牲となった時計をまじまじと見つめ、なぜか誇らしげな気分で朝を迎えた私。
しかし時計が壊れてしまったのは残念である。外の世界から持ってきた数少ない私物だっただけに、夢のイノシシが大変憎らしい。とりあえず、新しい時計をにとりさんに頼もうかなぁ
と思ってたとこであの発想が天才的にひらめき、そして今に至る
「好きな人の声で起こされるなんて乙女の夢ですよね!しかし、どうしたら」
と思ったとこで、実に単純な答えに結びつく。
「そうだ!普通ににとりさんの声を録音しちゃえばいいじゃないですか!!そうすればあとは自由に使うことができる!!」
それをどうやって時計に搭載するかは今は考えず、とにかくブツを手に入れてからですね。まぁ専門じゃないでしょうけど、アリスさんにでも相談してみますか
「よし、なんだかテンションが上がってきました!ふふふ、短い文章でもすぐに噛んでしまうあの舌足らずな声で起こされたら…」
『早苗ー起きなって朝だよぉ…。もう!起きないと尻子玉抜いちゃうんだからね!本気で』
な、なんて素晴らしい!これはもう、今からにとりさんハウスに行くしかないです!
今の時刻は八時。
まぁ、昼まで待つことなんてありませんよね!
〝善は急げ、思いついたらすぐ行動〟をモットーに生きてきた私にとっちゃぁ些細なことです。おかげで小学校の通信簿は、『落ち着きのない子』で一貫してましたが。継続は力なり
とにかく、道具は前ににとりさんに作ってもらってたものがあるし準備は万端。
あとは、結構早い時間だから低血圧全開でだいぶ機嫌悪そうな気がしますが……まぁ愛しの私が来たら快く招き入れてくれるでしょう!
鏡で身だしなみを整えて、以前収録用に使っていたボイスレコーダーを袖に忍ばせる。
行く理由はともかくも、好きな人と朝から会えることにちょっとワクワクする。そんな浮きだつ気持ちを抑えながら守矢神社を後にした。
早苗が出て行ってから数分後、二柱の寝間で神が目覚める。
「…ふわぁ~あ……あれ?」
「むにゃ…おはよう、どうしたの?神奈子」
「神社から早苗の匂いが消えてる」
「朝からキモイ」
□
「にとりさぁぁーーん!!私ですよ私私!!にとりさぁぁあーーん!……あ、おはようございます!」
「…おはよう」
「あれ、元気ないですね。私ですよー?認識してます?」
「朝からそのテンションで家の前で叫ぶような人を早苗以外知らないから大丈夫だよ」
「それはよかったです!じゃあ家に入れてくれませんか?」
「知ったうえで断りたい」
うむ、予想以上に歓迎されていないみたいです。
家に着く直前までは普通にノックをしようと思っていたましたが、やっぱさっきの妄想みたいに、好きな人の声で起こしてもらった方が絶対イイと思ったんですけどね。
何か間違ってたかな
それにしても
眠そうなジト目でこちらを見ているにとりさん。髪を下ろしてるのが新鮮ですね。結んでいる時よりも幼くなった気がします。薄い黄色のパジャマも、袖から出てるちょこっとした指先も全て可愛いです愛しいです抱き締めたいです
「冷たいこと言わずに~。大好きなにとりさんに会いたかったんですよ」
「いや、会うのは勿論いいんだけどさ。知ってると思うけど、わたしはいつも夜に作業する派なんだよ」
「夜じゃないとテンション上がんないんでしたっけ?」
「うん。で夏も近いからクーラーの注文がいっぱいあって、ねーむいの。昼からじゃダメだった?」
「そこはほら、おはようからおはようまでにとりさんの暮らしを見つめたい私ですので」
「寝かせてよ」
眠気覚ましにちょっとボケてみたところ、ちゃんと朝からツッコんでくれるにとりさん。もう少し遊んでいたいですが、なるべく早く作戦を実行したいので切り上げにかかる
「まぁまぁアレです、色々相談したくてですね。ほら、最近の妖怪の山の状態だとか、守矢神社の信仰獲得についてとか。朝からくれば沢山お話できますから」
「…なにを今さら。はいはいわかったよ。もう家の前で大きな声出さないでね」
「にとりさんもね」
「なんなんだよもう!」
軽いやりとりを終え、さっそく家に入ろうとすると、さっきまで眠そうだったにとりさんの目が突然、ハッと見開いた。
あ、ち、ちょっと待ってて、と言って焦り気味にドアを閉められる。
閉じているドア越しに、ゴソゴソドタドタと何かを動かす音が聞こえた。あらあらうふふ、にとりさんったら、さては部屋が汚いから今片付けてるんですかね。なんとなく服や工具とかが無造作に置いてあるイメージですし。
脱ぎ捨ててあるパンツは見逃していますようにと私がちょうど星に願いをかけている時、ドアがガチャッと開き、苦笑いのにとりさんが入室の許可を下さった。ちゃっかりパジャマからも着替えてらっしゃるし。
普段の部屋の様子も見たかったですが、まぁにとりさんの目が覚めたようでよかったです。
ふふふ、ミッションをスタートしましょう
*
にとりさんの家の中は、まるでアパートの一室みたいな質素な部屋。入ってすぐの居間である畳に少し大きなちゃぶ台が置いてあるのと、引き戸の向こうに台所が見える。その横がおそらく洗面所でしょう。奥の方にも扉があるので、そっちがいつも機械をいじくっている作業部屋だと思われます。なんだか外の世界の友達の家みたいで落ち着きますね。
そして今私はちゃぶ台をはさみ、にとりさんと向かい合う形で座っている。
「全く、朝から唐突に…。早苗はもうちょっと常識にとらわれて欲しいよ」
「いやーなんかいてもたってもいられなくなりまして」
「なにいってんだかもう」
そう言いつつも、にとりさんは急須から私の湯のみにゆっくりお茶をついでくれていた。
お煎餅もそっと添えられているあたり、甲斐甲斐しい性格が滲み出てます。
そんな空間にほっこりしてしまっている私ですが、本日は崇高なミッションのために訪れたことを忘れてはいけません。
存在を確かめるため、バレないよう袖に仕込んだボイスレコーダーを指先でそっと触る
この子には今日頑張ってもらわないといけないですね。
しかし、にとりさんのチャーミングヴォイスをただ無心に録るだけではしょうがない。どうせ録るなら言ってもらいたい言葉を頂いたほうがいいに決まっている。だがたいした技術もない私は、後から編集して言葉ををつなぎ合わせることなんて無理に近いので、にとりさんに言ってもらいたい言葉を直接録らなくてはならない。
では、どうすればいいのか
その言葉を引き出せばいいのです!!
要はこれからにとりさんと普通に会話をして、録りたいセリフを言ってもらえるよう話を組みたて誘導する。
にとりさんのことを知り尽くしている私なら難しいことではない!ふふふ、どうしようかなぁ、目覚ましに使うのは当然として、アリスさんにいっそにとりさん人形を作ってもらってそれに搭載すればいつでもそばに置いておけるし、そうなったらもういっそ守矢神社の御神体にs
「おーいちょっと早苗、大丈夫?なんか頭悪い顔してるよ?」
ハッと気づくと、にとりさんが心配してるのか引いてるのかわからない表情でこちらを見ていた。
「あ、え、すいません!!ちょっと考え事をですね」
「考え事をしていてそんなアホっぽい顔になるのか。眠いんじゃない?」
「大丈夫です大丈夫です」
油断してしまいました。にとりさんの家にいるというだけでなんかこう、いつもより妄想がはかどってしまう気がするんですよね。ここで普段は生活している…お風呂に入ったり、料理を作ったり…ふふふ…いや、ここからは真面目にいきましょう。
お楽しみは帰ってからです!
さあ、かつて夜中のラジオだけを楽しみに青春を過ごしてきた私が身につけたであろう、ミラクルトークテクニックでまんまと言わされてしまうがいい!!!
Mission.1 「ねぇ、触っていい?」
うーむ最初にしては中々刺激的なワードですが、普段内気なにとりさんが私の溢れ出る魅力に我慢できず、私を求め、懇願してくる様子を妄想できる素敵な言葉ですね。朝からドキドキしながら起きるのもいいでしょう。是非とも成功させてみせます!
「そういえばですね、実は今日いい物を持ってきたんですよ」
「え、そうなの?」
「はい。気に入ってくだされば、是非ともにとりさんに差し上げたいんですが」
「ありゃーわるいね、なんか」
「流石に朝から来て手ぶらだなんて非常識ですからね」
「朝から君の非常識で起こされたけどね。でも、ありがと」
ちょっと照れくさそうな笑顔を向けてくる。な、なんだか騙してるような罪悪感が……ええい負けるか!
「いえいえ、礼には及びませんよ。気に入ってくれるといいですが……」
持ってきた袋を手繰り寄せ、中身をチラッと確認する。
そう、もちろん騙してはいない。
何を隠そうこの作戦のために、私がいつも抱いて寝てる〝ぬいぐるみ〟を持参したのでした!
これは可愛いですよ!きっとにとりさんもこれを見たら、例のワードを言ってしまうに違いありません。そのためならばぬいぐるみを献上するなんてわけないことです
私はサッと袋から出し、にとりさんに差し出す。
「どうぞ、お受取りください!!」
さあみるがいい!キュートな足と丸まった背中、そしてつぶらな瞳!!
今すぐ触ってみたいでしょうそうでしょう!
「……えーと、それは、なに?」
「グーちゃんです」
「いや、愛称じゃなくてさ、名称は?」
「ダイオウグソクムシのぬいぐるみですね」
「いらないかも」
あれ、目が引いてらっしゃる。外の世界じゃ結構有名になったやつなのですが……私が水族館で一目惚れして買った代物ですよ。
女子高生センスぱないはず
「遠慮しないでくださいよ。私だと思って大事にして頂ければ」
「それは無理があるというか…愛着湧かないというか」
「なんでですか!でっかいダンンゴムシみたいで可愛いじゃないですか!」
「でっかいダンゴムシを可愛いと思ってる時点でおかしいよ!!」
「この子は海に住んでるんですよ?つまり水生です。にとりさんと一緒の仲間」
「認めない!その子とは仲良くなれない!」
「まぁまぁそれでもぬいぐるみですからモフモフですし、ギュッとしてみて下さい。私はいつも抱いて寝てましたよ」
「ええぃ!!これだからヘビとカエルを祀ってる神社の巫女は!!」
「ひどいです!そんなのと一緒にしないでください!!」
「ひどいのはお前だ!!」
勢いよくツッコんだにとりさんは、肩で息をしつつ「まぁせっかく持ってきてくれたから貰っとくけど!」と言って受け取ってくれた。そういうとこが好きですよホント
しかし肝心の言葉は言ってもらえず、さらにこんなに不評だとは……!!
計算違いもいいとこですね……一回目のmissionは失敗といったところでしょうか。
ぐっ…へこむ…
ですが、まだまだチャンスはあります!!諦めませんよ
*
先程は失敗してしまいましたが、気を取り直していきましょう!!
Mission.2 「ずっと一緒にいようね」
いいですよねぇこの言葉。こんなこと言われたら離れられなくなること必須です!放すつもりもありませんが
今、にとりさんはお土産にあげたぬいぐるみを不思議そうにいじっている様子。
あれ?不評っぽかった割には意外と夢中なんじゃないですか?…まぁよくわかんないものはとりあえずいじってみるというのは性分なんでしょうねきっと。
ていうかぬいぐるみを触ってるにとりさん超カワイイ…小さな手が女の子っぽいなー…
いや、今は観察よりも言葉を録音することのほうが大切ですね!ここはサラッと話題を振ってみて今度こそ言わせてみせましょう
「あーところで、にとりさん。そばにいる、って素敵なことだと思うんです」
私なりに精一杯の真剣な顔と声でつぶやく。こういうのはやっぱ雰囲気作りが大事ですよね。どうですかにとりさん!
「(ん?あんま聞いてなかった、ソバ煮る?お腹すいたのかな)あ、うん。まぁ素敵かはわかんないけど、時々はいいかもね」
やった、いい感じに食いついてきた気がします!
私の真剣な雰囲気に飲み込まれてますよ!このままいきます!
「いえ、好きならば常にそうあるべきだと思うんです」
「(常に??早苗ってそんなにソバ好きだったのか…)そ、そうだね。人それぞれだとは思うけど、寒い時とか欲しくなるっていうか」
「ですよね!!心身寒くなると自然と求め合う…そんな関係に憧れます、にとりさん」
キリッと目を細め、にとりさんの顔を見つめる。
「(いきなり何!そのソバへの執着!早苗の目が怖い)ごめん、そこまで求めていたとは知らなくて………でも実は、わたしも好きな方だよ」
「私もです。好きな人のそば、これほど幸せなことはないですよ」
ここで本日最高のキメ顔。うーむ、とてもじゃないけど普通には言えないですねこんなこと
「(なんかさっきから変な顔してるけど、でもこんなに真剣にソバが好きなんだ…!知らなかった……!)うん。想い、伝わったよ」
にとりさんもなんだか決意を固めたような表情になってきましたね。
キマった……完全にキマりました
「嬉しいですよ」
「わたし、あの、早苗…」
言っちゃいますか!これは言いますね!
さぁ来い!」
「とびっきりのソバを作るよ!」
「ありがとうございます!!ってなんでそうなるんですか!?」
「早苗少し待っててね!お湯沸かしてくる!」
「あ、ちょっと!?にとりさーーーん!!?えっと、よくわかんないけどご馳走になりまーーす!!!」
*
現在、向こうの台所で鍋にお湯を沸かしつつ、ルンルンと鼻歌をうたいながらソバを戸棚から出しているにとりさんが見える。なぜこうなった…
でも朝早かったしそろそろお腹がすいた頃なので良しとしますか。にとりさんの手料理ですし。ふふふ
しかしまだ言葉を録音できていない。思ったよりも上手くいかないものですね…
今度こそっ!!今度こそやってみせます!!
Mission.3 「膝枕してあげようか?」
なんて憧れシチュエーション!言葉だけでも十分な威力を持っていると言えますね!しかもよく考えたら今回の作戦が成功しこの言葉をにとりさんが言った暁には、すなわち膝枕をしてもらえる状況にあるということでしょう!
これは頑張るしかありません!!
お、しかもちょうどソバの茹で時間を計っているところですね。
これはチャンス。ゴホンっと咳払いをし一声
「ああぁーーなんか頭がすごく痛いし吐き気がスゴイですぅー…これは危険かもしれませんー…」
ヨロヨロと体を傾け、台所に向かってわざと苦しそうな声を出してアピールをしてみる
「さて、あと六分…ん?どうしたの早苗!?大丈夫!?」
私の声を聞いて、パタパタと駆け寄ってきてくれたにとりさん。
かかった!
「すいません、持病のあの~、家酔いってやつでして…すぐ治ると思います」
「そうなんだ。まだ野生を捨てきれてないんだね。とりあえず安静にしてて」
「ありがとうございます…。ちょっと横になりますね…」
「うん。そうしたほうがいいよ。そこの座布団を枕に…あれ?無い?」
ふっふっふ。そう言われると思って座布団は洗面所の方に放り込んどいたのです!
これでにとりさんの膝に完全に近づきました!
私ってば策士!
「ああー頭が重いー」
「ち、ちょっと待ってて!なんかないかな…」
さぁさぁさぁ!!もう逃げ場はないですよ!!
とどめにもうひと押し!
「なるべく適度に柔らかいのがいいですね…例えばほら、にとりさんの」
「あ、そうか!アレか!」
「そうです!お願いします」
「はい、ダイオウグソクムシのグーちゃん」
「ちくしょう!!持ってこなきゃよかった!!」
□
「はーいできたよー。あったかいうちにどうぞ」
「……ありがとうございます」
「どうしたの?なんか元気ないような」
「いえ、ちょっとまぁ連敗が続くと落ち込むなぁって」
「?」
計三回。
ことごとく失敗してます。奇跡もなにもおきないなんて……モーゼ先輩すいません!全然近づいていませんでした
あーー…なんでだろう…まだまだにとりさんへの理解が足りないのか、私にトークテクニックがないのか…
それでも目の前の蕎麦からただよってくるカツオだしのいい匂いが、落ち込んでる心に染み込んでくるよう。まぁダメだったのはしょうがないですかね。せっかくにとりさんが作ってくださったんですから、いただきますか
「すいません、なんでもないです。にしても、いやー美味しそうですね!いただきますー」
ツユにつかないよう自分の左耳にかかってる髪を少しかきあげ、そのまま麺をすする。
「うわーおいしい!流石にとりさん、腕がイイです」
「どうも。基本はいつも自炊だから、料理は慣れてるんだよ。それに」
「それに?」
「早苗の情熱に応えるよう頑張ったって感じさ!」
なにかやりきったような表情をしている。はて、蕎麦について語った覚えもないのですが…なんかキラキラとして微笑ましいのでよしとしますか。
「自炊ってことは、選択も掃除も全部自分一人でですよね」
「そういうことになるね。……掃除は時々サボるけど」
「しかも日曜大工もこなす!」
「そこはまぁもともと趣味でいじってるだけなんだけどね」
「あぁ嫁に欲しいです。ついでに下着も欲しいです」
「そんなオマケみたいにやれるか」
呆れた顔で受け流しつつ、にとりさんもちゅるちゅると麺をすすっていく。
種族的に細かい作業が得意なんでしょうか……羨ましい限りです。
妖怪って大雑把なイメージがあったのに…
でもたしか、山の妖怪を集めての流しそうめんパーティーの時、にとりさんはそうめんやそれを流す台だけでなく、他の料理の方にも力入れて作ってました。根っからの職人肌ってやつかもしれません。
……そういえば、私もずいぶんお世話になってるなー
個人的な用事でも色々と頼ってきましたしね。神社にクーラー付けてもらったり、ラジオを作ってもらったり……他にもたくさん。
ふと、少し前のことを思い出す。
この地に来てまもなくのこと
――にとりさんは、幻想郷に来てからの一番最初のお友達だった。
ここに来た当時、冷淡で何事も無関心な性格だった私に、積極的に声をかけてくれた。
困ってることはないか、不便はないか。そう心配して毎日神社に足を運んでくれた。
本当は、臆病で人見知りなのに。
私が冷たい対応をする時もあった
それなのにいつも笑顔で接してくれていた。
人間は盟友だから、とそんな純粋な理由で接してきてくれた彼女には、感謝してもしきれない。
彼女のおかげで幻想郷を好きになれたから
もちろん、彼女のことも。
それに対するせめてものお礼にと外の世界の物や道具をお話してきましたが、ちゃんと役に立っているのでしょうか。楽しそうに聞いてくれる様子を見てると安心するけど、ちょっと不安にもなる。
でも私から与えられるものと言ったら、それしかないだろうし……
そもそも、よその世界から来た私には、この地でにとりさんにしてあげられることが果たしてどれだけあるのか。
友達として接してきた時からそれは変わらず、私の悩みでもある。
今の日常はとても楽しいが、そういえばにとりさんはどうなんだろう。
彼女はほかに、私に望んでいることがあるのだろうか。
今のままでいいんだろうか
――私は、返せているのかな
そう思って蕎麦をすすっていると、ふと視線を感じた。思い出にまわしてた意識をこっちに戻し、食べている蕎麦から少し顔をあげてみると、なぜか私のことをジっと見つめているにとりさんと目が合う。
「どうかひまひたか?」
「えっ!あ、いや」
にとりさんは慌てて視線を下に逸らした。そして一瞬間を置き、こちらを上目遣いで見つつポツポツとつぶやく
「なんだかその、髪…かきあげてるとさ…大人っぽいというか……綺麗、だなぁって…」
恥ずかしそうにそう言うと、
あ、あと食べながら喋んない!と、遅めのツッコミも残していった。
「……」
箸で掴んでいた蕎麦がスルリと箸を抜けて器の中へ落ちていき、行き場のなくなった口が開きっぱなしになる。
突然だったので言葉を見失なってしまった。
こういう時の返しはどうしたらいいんだろうか。
さっきまですっかり思い出モード全開だったので非常に困惑する。
二人しかいない空間だけになにか焦ってしまうというかいつもと違う空気感にたまらなくなった。
自分の髪を褒められたということに関しても、ふつふつと恥ずかしさと嬉しさが込み上げてくるのがわかる。何か見合う返答をしなくては、と思ったが、恥ずかしそうにうつむいているにとりさんを見て、動揺が先に反応した。
「なにをいってるんですか~!私だってもう十代も後半ですし大人ですよ!一人で買い物もできます」
「…それはたいがい子供の時にクリアしてると思うけど」
あ、それもそうですねと返すと、にとりさんは静かに笑ってくれた。
そんな様子をみて、私もさっきまで感じていた気恥かしさみたいなのが取り除かれていくのを感じた。いつもの空間に戻ったようでホッとする。
もう!調子狂っちゃうじゃないですか~!なんだかソワソワしちゃいましたよ。
すっかり安心し、蕎麦を食べようとした。
しかし、目の前で笑っているにとりさんの笑顔を見て
なにか、反応を間違えてしまったような
そんなちょっとした違和感を感じた。
なんだろう、この感じは。いつもと変わらないやりとりのはずだし、全然悪い空気でもないのに。
いや、きっとさっきまで少―し真面目なこと考えてたからかもしれない。脳がついてきてないだけですね。
私はそのままいつもと同じようににとりさんに話しかけた。
「でも本当、料理ができるっていうのは大人っぽいというか、羨ましいですね。私あんまレパートリーなくて」
「長く生きてれば自然と身に付くもんさ。普段はどんなの作ってるの?」
「基本は…魚のぬめりをとったり、野菜を洗ったり、米をといだり…ですね」
「それ料理じゃなくて下ごしらえ、というか全部洗ってばっかだけど!?」
「だって神奈子様が危ないからって台所に立たせてくれないんですもん」
「親バカだもんねぇ」
「それでも料理ができたら、早苗の洗った野菜は美味しいなぁ!って褒めてくれますよ?」
「…早苗がダメになっていく理由がわかるよ」
し、失礼な!最近はお皿に盛り付ける役目も担っているというのに!
□
その後もにとりさんの作ってくれた蕎麦を食べながら雑談をしていた。
二人でいつもするような、自然な会話。
巷で最近、宗教争いが起きて自分も巻き込まれただとか、
興味本位で滝修行したら風邪を引いたとか
お互いのニュースを話したり、
先日行われた博麗神社の宴会での出来事や
里で流行ってる水ようかんについてなど
そんな友達とするような他愛もない世間話を楽しんだ。
取り留めもなく、何も変わらない、そんな話。
ちょっと喋りすぎたのか、今の時刻はもうすぐで午後に差し掛かるかな、といったところ。
にとりさんはというと、使い終わった二人分の蕎麦の器を洗っている途中。つまり台所にいる。
そして私はさっきと変わらず、ちゃぶ台の前にいる。
さて、と
準備はできました。
Mission4 「ほら、起きて、早苗」
そうです!私はまだ諦めてませんよ!!何も録れず帰れますかってことです!
そんなの神様が許しても私が許しませんぜ。あれ、巫女としてどうなのかな?まぁいいや
でもおそらく最後のミッションになると思うので、シンプルな言葉を確実に録ることにしました。とりあえず本来の目的である目覚ましボイスとしては、なんだかんだ最適なんじゃないでしょうか。
そして肝心の作戦も実にシンプル!
・私がこのままちゃぶ台に突っ伏し、寝たふりをする。
・すると台所から戻ってきたにとりさんが寝てる私を発見。
・中途半端な時間に寝てる私を見かね、起こそうと声をかける。
・ゲットだぜ!
といったところですね!声をかけられた後は適当に起きて、ご迷惑をかけては悪いのでと言って帰ればミッション成功!!これはさすがに失敗しないでしょう
というかせめてこれだけは持って帰ることができますように!!あぁ運命の女神様よ、この私に微笑んで一度だけでも…!…でもそのお布施は神奈子様か諏訪子様にツケといて下さい……!
そんなことを思っているうちに、台所の水音が止んだ。
これは来るかっ!と即座にちゃぶ台に突っ伏し、スースー、とオプションにいびきをかいてにとりさんが来るのを待つ。
パタ、パタ、パタ
こちらに近づいてくる足音。
「あれ?早苗?」
すぐ後ろからにとりさんの声が聞こえた。
(よし、止まりましたね!)
右の袖の中に仕込んだボイスレコーダーから、突っ伏している状態からの左手で怪しまれないよう録音ボタンを確認する。
「もしかして、寝てる? 早苗―…」
(あれ、これは、くる!?)
思った以上の流れの早さに一瞬、焦った。しかし、そのあとのにとりさんのセリフは絶対にあのワードだ、と本能がそう告げている。
今までの失敗をとりもどすため。
今日の私の存在意義を示すため。
己の中の捨てきれない野生の勘に従い、私は素早く録音ボタンを押した。そして
「ほら、起きなよー早苗―」
天使の声が起床を告げる
よっしゃあああああぁぁ!!!!
言った!!今言いましたよ!!!
手に入れましたぁぁああああ!!!
ここまで頑張ってきてよかったですっ!!!
終わりよければすべて良し!!有終の美を飾ることができたのではないでしょうか!!!
ああぁ、どうしよう…次から朝起きるのが楽しみになりますね……!!
興奮冷めやらぬままのその様子を気取られないよう、震える指で録音の停止ボタンを押す。
さて、これからどうしましょうかね~!
とりあえずは起きて、名残惜しいけども帰る支度でもしますか。迷惑でしょうし。
もうちょっとこのまま声を聞いていてもいいですけどね~!ふふふ。
続けてにとりさんの声が後ろから聞こえた。
「早苗―風邪ひいちゃうよー?おーい」
あらあら心配までしてくださってる。これはやっぱもう起きるべきですね、まぁ明日からはこれが聴き放題ですからたまりません!
「………聞こえてない、よね? 本当に、寝てるんだ」
急にさっきとは明らかに違う声色になり、確認するかのようなささやき声。
一瞬バレたかと思ったが違うみたいだ。
「……」
静かな空間。なぜか一言も発さず、にとりさんがこちらをジっと眺めてるような気がする。
(あれ?声が聞こえない…なんとなく起きにくい空気ですね)
そう思った瞬間、後ろからトッ…トッ…とこちらへと近づいてくる足音が聞こえてきた。
恐る恐る歩いてくる気配を感じ、それが私のすぐ背後まで来たかと思うと、トスンっとその場で座ったのが、畳越しに崩した足から伝わる。
そして、優しく
ギュッと
後ろから抱きしめられた
(え……にとり、さん…?)
突然感じた、背中にかかる重みと暖かさ。
さっきまでしていたイビキの真似事どころか、呼吸を忘れるぐらいの衝撃だった
私の中のすべての神経がそこにあるかと思うほどに、彼女の頭や胸、呼吸を感じ取れる。お腹に回された腕も驚く程の熱を帯びていて、触れている横腹がムズムズと疼くような感覚にとらわれた。
それでもなお、この状況を理解するには時間がかかった
(なんで…にとりさんが私に…抱きついて…)
脈絡もない彼女の行動に困惑し、動揺する。
なぜ彼女がこのような行動を起こしているのかがわからなかった。
しかしそれも次第に、好きな人に抱きしめられているということへの緊張に変わっていく。
背中から伝わってくる強烈な存在感に、彼女を感じざるを得ない。時計の針の音、外の蝉の声が気にならなくなるほど、自分の鼓動が早く、大きくなっていっているのがわかる
ただただ、心臓の音がバクバクと身体中に響き渡っている。
「早苗…」
自分の心音が反響する中、ささやくような声がすぐ背中から聞こえた
「――恋人って、なんだろうね」
〝恋人〟という言葉に一瞬自分の肩がピクっと震えた。
動転してしまっている中、唐突な問いかけ。しかし、彼女は私が寝ているものとして認識しているはずなので、あくまでこれは独り言なのだろう。
「わたしは正直よくわかんないよ。いつも機械ばっかいじってて、全然意識してこなかったし、いままで人を好きになったことなんて……いや、もちろん人間は盟友だし好きだよ。でも、早苗は同じ人間でもきっとそういうことじゃない」
普段ならばとても小さな声。
それでも背中を通して伝わってくる彼女の声は、とても大きく私の体に響いてきた
「自分でも不思議なんだ。その……好きになって、いろんなことが変わってきた」
「早苗の喜ぶことをしてみたい。早苗に褒められたい。 早苗に……触れてみたい」
いままで溜まっていたものを吐き出すかのように、彼女は言葉を紡いでいく。内気な彼女がここまで包み隠さず話せるのは、誰も聞いていないというこの状況だからだろう。
そして、好きという単語に今さらながら
私たちが両想いである、ということを思い出した。
そして独白は続く
「だから、今日、わたしはすごくドキドキしたよ。自分の家で二人っきりなんてさ」
――そういえば、恋人同士になってから、初めてだった
お祭りやそういうイベントには神奈子様や諏訪子様も常に私達と一緒だったし、他にも椛さんや霊夢さん、魔理沙さん。山の妖怪達とも一緒にいた。
唯一、二人だけで遊ぶ場所は神社が普通だった私たちにとって、とても珍しいことなのに
こんな大事な事を、忘れていた
「でも、わたしはこんなに緊張してるのに早苗はいつも余裕で……もしかしたら、わたしだけが一方的に好きなのかなって」
「…不安になっちゃうよ」
そう言うと、お腹にまわされている彼女の腕がさらにギュッと力を入れてきた。
私の背中にも、彼女の頭の小ささがわかってしまうほどに顔を強く押し付けられる。
それに反して彼女から感じる情動はさっきよりも弱々しく、不安を誤魔化す為に必死にしがみついてるように感じる。
普段からは想像つかない行動にひたすら心が乱された。
目をつぶっているのに白い閃光がバチバチと瞼の中をひしめいているみたいだ。
おでこは火傷するかのように熱くなっているのが、触れている自分の腕から伝わってきて、
それと同じようにもしかしたら、自分の心臓の音がまわされている彼女の腕を通して伝わっているのではないかと、余計にドキドキしてしまう。
だがそれ以上に、彼女が感じている不安に気づけなかった自分をただただ、情けなく思った。
〝にとりさんのことを知り尽くしている私なら〟
あの時、家に来た直後、そんなことを思った。
(私はなにを考えてたんでしょうね……こんなことにも気づかず)
後悔と自責。特に今日の自分の行動がどれだけ傲慢かを噛み締める
右手で触れているボイスレコーダーがそれを物語っていた。
これで自分はなにをしようとした?
家で一人
彼女本人を、ほったらかしにしてなにを
(きっと無意識にわかっていたんだ。にとりさんが恋人らしいふれあいを望んでいたことを)
それでも自分から、踏み込むことをしなかった。
その理由は自分でしっかりわかっている。
――私もただ、余裕がなかったのだ
にとりさんが好きでしかたなく、いつだって会いたかった。
なのに、いざ目の前にしてしまえばいつものノリで接してしまうし、そういう空気をごまかしてしまう自分がいる。
緊張をそんな形でしか変えられず、その先へと進む勇気がなかった。
きっと一度も恋人らしいことなんて、していなかったんだ。
それが結果、好きな人をここまで不安にさせてしまっていたことに今、気づいた。
「……こんなふうに眠っている時にしか言えないし、触れないわたしを……許してね」
後ろから聞こえる最後の言葉はか細く、消えてしまいそうだった。聞いているだけで胸が痛ましく、チクチクと針が刺さっていくみたいだ
(そんな……私のほうが、もっと…)
彼女の本音をまじまじと見せ付けられたようで、内なる自分の臆病さに気づいてしまう。
違うんですよにとりさん
余裕なんか、本当に全然ないんです
貴女に触れる勇気が出ないし、
ちょっと肩を触られるだけで身体が沸騰しそうになる
今、逆の立場でも私はきっと緊張して抱きつくことなんてできない
〝会いたいから〟
その理由だけで貴女に会いにいくのが恥ずかしくて
今日だって、恋人のはずなのにこんな風に会う口実を考えてしまう
。
本当は
今も寝たフリなんかしないで、貴女を抱き締め返せたらよかったのに
そう思った瞬間
スルっと今まで抱きしめてくれていた彼女の腕が私のお腹から離れる。背中で感じていたぬくもりも同時に離れていった。後ろで立ち上がる気配、そしてだんだんと小さな足音が私から遠ざかっていく。
それに呆気にとられていると、途端に背中から体全体が冷えていくような感覚が襲い、そして
にとりさんが私から離れていくことが、とても怖くなった
(ぁ…にとりさん…)
行かないで!
不安でたまらなくなり思わず顔をあげようとした束の間、柔らかい布が私の背中を包む。
「おやすみ」
後ろで彼女の優しい声が聞こえ、パタンと向こうの部屋のドアが締まる音がした。
□
(……ほんと、甲斐甲斐しくて優しい人ですね)
にとりさんが部屋から出て行ったあと、静かに顔を上げて今の状況を確認する。
後ろを振り向き、背中にかかっているタオルケットを見つめた。
さっき一瞬でも焦っていた自分を思い出して、ちょっとした自己嫌悪に陥りつつも、少し安心した。
しかし先ほど彼女が抱えていた悩みを聞いてしまった手前、色々と思う事があることも事実。行動を含め、そのことについて自分のことをまだ許せそうにない
だがそれにしても
はぁ~……ドキドキした…
まだ背中に感触が残っているというか……
途端に緊張が解けドっと体の力が抜けていく。
それに加えて、かけられたタオルケットのあったかさが重なり本当に眠気が襲ってきた。いろいろ考えるべきことはあるけれど、ちょっと今は体とか心臓とか休ませないと。
心も、まだ整理が追いついてない。
ほんとに何から何までヘタレですね私…
でもやっぱ柔らかいものに包まれると安らぎます…
まぁ
さっきの温かさや柔らかさに比べれば、このタオルケットは頼りないかな~、なんて思っちゃいますけど。
でも、まだ今だけは、にとりさんの優しさに甘えさせていただきますね。
「…ひとまず、おやすみなさい。にとりさん」
あと
ごめんなさい
あなたの不安に
望みに
気づけなくて
□
優しさに包まれたお昼寝から、目覚めたのは夕暮れ時。
「ほら、日が落ちちゃったよ。起きなー」という、まるで今日初めて起こしに来たかのようなにとりさんの声で目が覚める。
普段のお昼寝ならばこんな時間まで寝てしまうと起きた時によくわからない後悔の念が襲ってくるはずだが、なぜかスッキリと起きることができた。あえて言うなら、机に突っ伏す体制で寝ていたので少し関節が痛いだけである。
ゆっくりと頭を起こした私に、親バカな神様が心配するよ、とちょっと呆れつつも微笑みながら声をかけてくるにとりさんは、いつもと変わらない様子。
背中に抱きつき、寂しげにつぶやいていたのが信じられないぐらいに普段通り。
彼女の中では無かったことになってるのかもしれない。
それはそうだ。私に聞かれてたなんて思ってもいないのだから
私もあえていつもと変わらない態度で、おかげさまでよく寝れました、と彼女に顔を向け、笑ってみせる。
寝起きにちょっとお茶を頂き、早々に帰り支度をすませて自分の靴を履き終えると、玄関まで見送ってくれたにとりさんにお辞儀をした。
「今日はありがとうございました。色々話を聞いてくださって」
「かまわないよ。でも今度来るときは朝早すぎるの勘弁ね」
「ふふ、考えときます。ではおじゃましました」
「はいはい。またね」
小さく手を振るにとりさんにこちらも笑顔で振り返したあと、静かにこの場をあとにする。
*
日の長い時期だから外は思いのほか暗くないが、周りに樹が多いためなんとなく夜のような心細さと薄暗さがある帰り道。
普段はきっとそう感じるような林道を歩いていても、ちっとも周りの様子が頭に入ってきていない
今思うのは昼の出来事。にとりさんの言葉。
〝もしかしたら、わたしだけが一方的に好きなのかなって〟
〝不安になっちゃうよ〟
「そうですよね。いつもこんな態度じゃ恋人とは言えませんよね…」
ましてやあれは自分から告白したのに、ちょっと前の勇気ある自分はどこへいったやら。あのときは友達から関係を変えるのがこんなにも難しいとは思いもしなかった。
「自分で気づけずにいたことも情けないです」
重い足取りでデコボコとした道をひたすら進んでいく。
そして歩きながら右袖に隠してあったボイスレコーダーを取り出した。最後にわずかながらにとりさんの声を録音できた機械を見つめ、ため息が溢れる。
「……私は今日これで、にとりさんの声を録ってその声を私物として使おうとした。それで、にとりさんがいつでも自分のそばにいてくれると、思い込んだんですね」
彼女自身を見ようともせずに。本人を放ったらかしにしてしまうような、そんなことをしようしていたんだ。勇気のない自分だけが満足するようなことを
「そんなの、また寂しい思いをさせるにきまってますよ」
私に何度も恋人としてのパスを投げかけてくれていたであろうにとりさん。それに対し、抱きしめ返すこともできず、それどころかちょっと触れることさえ恥ずかしくてできない自分自身。何度も冗談のような言葉でごまかして、そしてまた彼女と向き合おうとせずにいる。
「そんなんじゃ絶対、ダメです」
ザッとその場で立ち止まり、手に握った機械を睨みつける。そのまま静かに右手で電源を付け、カチャカチャと動かし、昼間に唯一録音できたにとりさんの声が入ってるファイルの項目にカーソルを合わせた。
そして今までの自分から目を覚ますため、
そのファイルを消去した。
「ふーっ…これでいいです。私は変わらないといけない。今朝のような発想は忘れなければ」
目を瞑りゆっくりと深呼吸をする。気持ちを入れ替え、生まれ変わるために。
こんなボイスレコーダーなんてなくたっていい。
だって、彼女にはいつだって会いに行ける、声を聞くことができる
「まぁそれでも、〝にとりさんの声〟で〝目を覚ます〟という本来の目的は、違った形で達せられたんでしょうかね」
――あの時、彼女につぶやかれた言葉の一つ一つが自分の目を覚ましていくのを感じた。このままではいけないと。
ふふっと自分で笑いながら、右も左も林の中、唯一夕陽が差し込む空を見上げて決意を固める。
「今更なことなのですが、にとりさん。あなたに後ろから抱きつかれたとき思ったんです。
暖かくて、安心できて、目いっぱいあなたを感じることができて、とてもドキドキしました。きっと好きな人と触れ合えたからなんでしょうね」
そして、これをお互いに〝共有〟するのが恋人なんだ。
「勿論、あの時の私では抱きしめ返す勇気はなかった。でもよく考えるとあの時、体制的にそもそも抱きしめ返すことはできないんですよね」
「それってなんだか、ちょーっとだけずるくないですか?」
まぁ、当然私が言えたことではないんですけど
茜色の夕日を見上げ、不敵に笑いながら、まるでそこに彼女がいるかのように話しかける
もう今までの私ではないんだ、と自分に言い聞かせながら。
ほとんどの人が郷愁を感じるようなこの夏の夕焼け空も、今は自分と同じ、くすぶっている情熱を表してるかのように思えた。
この溢れ出る愛をもはや隠す気も止める気もない。彼女の本音を聞いたからには
「ですので!これからたくさん、アプローチを仕掛けていきたいと思っています。今までの分を取り返しますよ」
「でも、まずはやっぱ、今日のお返しをしないといけないですよね」
だから 待っててください
三日も四日も待たせません
なんてったって、〝善は急げ 思いついたらすぐ行動〟 がモットーの私ですからね!
見ていてください!そしてお覚悟を!
にとりさん!
■
すっかり日も暮れた
早苗が笑顔で手を振っている。でも、どっか寂しげというか、思い悩んでいるような……
そんな風に見える。
守矢神社へと帰る早苗を我が家の玄関で見送り、その後ろ姿を眺めた。
まぁ、この時間がそう思わせるだけだよね。あの早苗に限ってそれはないか。
それよりも…
早苗の姿が見えなくなったのを確認し、わたしは玄関のドアを閉め、すぐにでも走り出したい衝動を抑えつつ小走りで居間へと向かった。
さっきまで早苗とお話したりお昼ご飯を食べた場所。
居間へと着くと、ソワソワしながらちゃぶ台のある場所まで近づいていく。先ほどまで飲んでいた二人分のお茶のグラスが置いてあった。
「大丈夫だった、よね…?」
しばらくそれらをジッと眺め
そしておもむろに、
ちゃぶ台の下に手を伸ばし裏に取り付けていた〝物〟を外す。
湧き上がってくる高揚を抑えつつ、息を飲んで手にした物を確認した。その
――小さなボイスレコーダーを。
ちゃんと録れているか、念入りにファイルを確認する。そして
「やったあああああぁぁ!」
録れた!!録れてたよ!!!
手に入れたぁぁああああ!!
まさに唐突な思いつきだったけど、やってみてよかった!!!
備えあれば憂いなし!!日頃の機械いじりが功を成したんじゃないかな!!!
ああぁ、どうしよう…次から朝起きるのが楽しみになるよ……!!
胸にギュッとボイスレコーダーを握り締め、ジタバタと小さく足踏みする。
ひとしきり喜んだあと、改めて朝の出来事を振り返る。
「それにしてもホント、朝突然来たのはびっくりだよ。ぶっきらぼうな対応になっちゃったかもなぁ…」
恐る恐る朝の様子を思い出す。
今思うとパジャマで、しかもボサボサの髪で出てきちゃったし…あぁ恥ずかしい…
「でも早苗を家にあげる前に思いついて良かった!わたしってやっぱ天才かも」
まさにビビっときたのを感じた。
朝、家にあげる手前でのこと
わたしは玄関のドアを開け、妙にウキウキとした様子の早苗を中へ入れようとした。
(まったく朝から驚かせるなぁ……けど、早苗の元気な声で起こされるのも悪くない……ハッ!!)
もう思いついたらいてもたってもいられなかった。
早苗の音声搭載目覚まし時計…これがあったなら、わたしはアラームを止めずにずっと布団で聴き続けてしまうだろうなぁ。そして起きない。
はぁ…早苗の声か…あの透き通った綺麗な声で言われたら
『にとりさーん朝ですよー!!ほらほら、起きないと……チュー、しちゃいますよ?……本気で』
そんなことを一瞬で妄想し、家に入ろうとする早苗をなんとか制止させ、
急いで部屋から収録用に作ってたボイスレコーダーを見つけたあと、居間のちゃぶ台に取り付けた。いやーあの時は焦ったよ…。
改めて招き入れたときに、ちょっと怪しまれたかなーと思ったけど多分大丈夫だったと思う。
「まぁそれを抜きにしても、いっぱいおしゃべりできたし、早苗の意外な好みも知れた。今日は楽しかったなぁ……それに」
目の前のちゃぶ台を見下ろし、自分が座ってた位置の向かい側、早苗の座ってた場所に移動する。ちょっと逡巡しつつも思い切って、なぜか正座でちょこんと座ってみた。
「えへへ、ここに早苗が座ってたんだよね……一緒にお蕎麦を食べて…お茶飲んで…」
自分でやっておきながら、なんだか気恥ずかしくなってソワソワしてしまう。
「あと、ここでお昼寝してたなぁ」
あれは予想外だった。でも朝早くから来てくれたわけだし、お腹もいっぱいになっただろうから眠くなるのはしょうがない。
発見した時ちょっと驚いたけど、こんなとこで風邪引いたら可哀想だし起こそうとしたんだよね。
そしたらなんかこう…ほら…
早苗の白い肩が上下にゆっくり動いてるのと、小さな声ですーすーいびきかいて寝てる姿が……さ。
可愛くておもわず抱きついちゃったんだよね…
「ああぁーだってだって!背中が無防備だし、寝てるからバレないと思ったんだもん!」
途端に恥ずかしくなって、早苗がしてたようにちゃぶ台に顔を突っ伏し、悶える。
それからガバっと起きて
「ていうか何!?あの腰の細さっ!む、胸が大きいのはわかってたけど、まさかあんな…くっ」
どうせわたしは幼児体型さ!抱きついてて嬉しさと虚しさがかわりばんこだったわ!
「それになんかいい匂いだったし…こう、フルーツみたいな……なんかつけてんのかな……それとも天然?いや、あれがフェロモンってやつでは!?くそー…わたしの方が何十倍も年上なのに…!」
いろんな意味で後悔が襲ってくる。ちょっとの間バタバタと悶えていたが
そういえば、と
ピタッと動きを止める
抱きついた時に出た自分の言葉を思い出した。
急に気持ちが沈んでくる
「……なんで、あんなこと言ったんだろ」
あの時は、一度つぶやいたら、次から次へと言葉が流れてくるようだった。
体温を直に感じて、普通に触れ合えない自分と、変わらない関係に急に不安になった
「…はぁ」
あの昼間のできごと。
――早苗に抱きついたとき、色んな感情が溢れた。
さっきの感触だとか匂いだとか、あれらも勿論本当のことなんだけど
その中でも特に思ったのは
体が邪魔に感じたこと。
触れてみて
もっともっと、早苗という存在を芯で感じたいのに
自分の体に、彼女の体に、阻まれているような気がした。
彼女と一つになることができない。
背中という薄い壁が邪魔をしている。
せめて、体温だけでも感じられたら
そう思って、腰に回した腕に力を入れて、顔を押しつけてみたけど
それでも本当は
温かさを感じているのはわたしだけで
眠っている早苗には、わたしの体温がきっと伝わっていない。
それが、たまらなく不安になったんだ。
――そのぐらいに、ずっと繋がっていたいと思うほどに、彼女のことが好きになっている
「切ないといえば、切ない…のかな」
ボーっと机に突っ伏して考えてしまう。恋人になってもずっと、このまま友達みたいな関係なのかと思うと、胸の奥がシュンと沈んだ。……今日お蕎麦を食べた時だって、軽く受け流されちゃった感じだったし……ちょっとはこう、意識してくれても良かったのになぁ。
伝わっていない自分の体温。それと同様に、恋人らしくありたいという想いも一方通行だったらどうしよう。
早苗はきっとこれでいいのかもしれない
でも、わたしは、もっと……
目頭と鼻の奥が少しジーンとうずくような感覚。
「いや、やめよう……そうだ、こんなことしてる場合ではないんだ」
気持ちを入れ替え、ザッとその場で立ち上がった。
そのまま奥の作業部屋へとボイスレコーダーを握りしめて入っていく。
部屋に入り、ガチャっと後ろ手にドアを閉めて中を見渡す。
自分のことながら、ドライバーやらの散らばった工具、積まれた木材と端材、油で汚れたシャツ…それらが無造作に置かれている綺麗とは絶対言えない部屋。
そんな中から、横長の作業机の上に置いてある、すでに作り上がった『目覚まし時計』を手にとった。
薄緑色の丸いフォルム。ちゃんと時計盤をはめ込んであり、チッ…チッ…と針が一定のリズムを刻んでいる。早苗に外の世界の道具について聞いていた時に、教えてもらった物だが、わりと伝え聞いたとおりになったと思う。あとは音声を編集し組み込むだけだ。
「ふふん。早苗が寝てる間に設計図おこして作ってみたけど、初めてにしては中々いい感じにできたんじゃないかな」
指先でコンコンっと叩いてみる。
細かいとこはほとんど想像だが、なんとなくでできてしまう自分が怖い…!
「さぁ録れた音声は、と。ふんふん……よし、ここをこうして…」
さっそく今日の会話の中で録れた音声を機械で編集してみる。わたしほどの腕ならば言葉をぶつ切りにつなぎ合わせてもほら、自然にこの通り!
「〝適度に柔らかい〟〝にとりさんの〟〝腕がイイです〟〝ギュッとしてみて下さい〟」
「そ、想像以上だ…!こんなの朝言われたらバッチリ目が覚めそう……!じゃあ、他のやつだとこれとこれ、あとこれを組み合わして………っと」
「〝私だってもう〟〝大人ですよ〟〝にとりさん〟〝嫁に欲しいです〟」
「テンション上がってきたぁぁーー!!!これは徹夜覚悟だね」
あとは、おはよう、とか、起きてー、とか定番のやつも作ろーっと!
……なんだか虚しいことをしてるような気がしないでもないけど……べつにいい、よね?これで早苗がそばにいるって思えるもん……でも
自分の手の平を見る。
――少し前、早苗と握手しお互いの想いを確認し合った時のことを思い出した。
「……ホントは朝、早苗がまた手を握ったりしてくれたら、きっと嬉しくてすぐ起きちゃうけどね……なんて」
まぁ理想は理想だから!
い、いや~声だけでも夢広がるってもんだよ
……
とにかく今日中にはセットできるだろうし
明日の朝から起きるのが楽しみだ!!
■
〝にとりさん。朝ですよー、起きて〟
「……ん、あ…早苗…?」
ぼんやりとした意識のまま目を開ける。その途端、
わずかに感じる日光の温かさや眩しさが、起き抜けの目を通して夏の朝を実感させた。
そして聞こえてくる早苗の目覚ましボイスが、つい昨日あった早苗の襲撃を思い出させ、思わず名前をつぶやいてしまった。
「ああそうか…目覚まし、か」
眠たい目をこすり、せんべい布団から背中を起こす。ついでにやった背伸びでピキっと肩が音を鳴らし、
そういえば結構遅くまで頑張ったっけ、となんとなくまだ疲れがとれてないことにちょっとガックリする。
スッキリしない気持ちのままゆっくりと振り返り、枕元の目覚まし時計を見つめた。
「うーむ…」
この目覚ましボイス、確か8時にセットしたんだよね。鳴ったってことは正常に動いてることは間違いないからこれの制作は成功したんだろう。しかし
実際に起きてみてちょっと思ったが、最初は嬉しいものがあるが後から悲しい何かが襲ってくるぞ、このボイス。
「そもそも自分で作ったものだし…変な感じ…」
〝にとりさん、起きてくださいよ。にとりさーん〟
わたしがまだ腑に落ちない中、
健気にわたしを呼んでいる目覚まし時計。そろそろ止めるか……
んー何がダメなんだろう。なんかいつもと同じで全然起きた感じしないんだよなぁ。想像だとバッチリ目を覚ませると思ったんだけど……あー眠い眠い
ブツブツ言って、onになってるスイッチをoffにしようと時計を裏返す。
すると
「あれ……?offになってる……?」
慌てて時計の時間を確認した。
よく見たら、いや、よく見なくても短い針は6時を指している。
「起き抜けで針が見えてなかったのか……でも、外は6時にしちゃ明るいし」
といって窓を見上げたところで思い出す。夏の朝はとても早いのだ。これぐらいの時間でも朝日はわりと照っているのが普通である。しばらく夜中の作業が続いて、昼起きが多かったから忘れてたみたいだ。
朝から色々と勘違いをしてしまっていたみたい。
だが、確実におかしいことが一つある。
手に掴んでいる時計を恐る恐る見つめた。
「え……じゃあなんでまだ、早苗の声が」
「にとりさああぁぁぁぁん!!起きてえぇぇぇぇ!!!朝ですってばああぁぁぁああ!!!」
時計からではなく〝外から〟とっっっても大きな声が聞こえてきた
「えええぇぇえ!?なになに!!?昨日も同じようなことが…あれー!!?」
驚いた衝撃で掴んでいた時計を布団に落とした。
どうやら、朝から聞こえていた声はこの時計から響いていたのではないようだ。
でも、まだ全く覚醒していない頭ではなにが起こっているのか、ちゃんとした整理ができない。
「と、とにかく出なきゃ……」
フラフラとおぼつかない足取りで玄関へと向かう。目も完全には開いておらず、もはや性格による無意識に近い行動。よって、自分が昨日と同じ装いのボサボサ頭とパジャマ姿であるということさえ忘れている。
「気持ちのイイ朝ですよーー!!!ほらほらぁー!!」
朦朧としている視界の先の玄関では、間違いなく早苗が外で叫んでいるのがわかる。
やっとのことでドアの近くまで来たが、いまだ覚めない眠気と、動揺のせいで靴さえまともに履けない。しまいには片方だけしか靴を履かずに、玄関のドアを開けてしまった。
そこには、ぼんやりとした視界の先で早苗らしき人が立っているのがわかる。
未だ意識ははっきりしないが、とにかく何か言わなきゃと口を開いた
「ぁ…早苗?あのー…アレ、えーと、そうだ、朝から大きな声で叫んじゃダメだって言っ」
そこまで言ったところで
目の前にいた早苗の姿が急にいなくなる。そして
ギューッと
正面から飛び込まれたように勢いよく抱きしめられ
その暖かく、柔らかいぬくもりに
――目が覚めた
夏の日差しはひたすら暑く、こんなに朝早くてもジリジリと容赦なく照りつけてくる。
だけど今、感じているのは人の体の暖かさ、満たされていく心の温かさ。
夏の暑さもきっとかなわない。
それでも、わたしの体は凍ってしまったかのように動けずにいた。
柑橘系のさわやかな香りに優しく包まれ、服越しにお互いの鼓動が叩き合う。
手を握るだけでは、寝ている背中を抱きしめるだけでは、感じきれない。体も心も一つになったような充実感
――これが…
声を出すことも忘れて只々、呆然とした。
それでもはっきりとしている意識の中
「目、覚めました?」
こちらの困惑など知ってか知らずか、耳元でそっとささやかれる
なんとかリアクションを取ろうと自分の腕を少し動かそうにも、抱きつかれているから当然動けない
「フフッ、ダメですよ?これは昨日のお返し、なんですから。今は私だけ堪能しちゃいます」
そう言うと、さらに強く身体を抱きしめられる。
(…ん…?いま、お返し…って)
なにか聞き逃せない単語が出てきたが、
彼女がささやくたび、耳にかかる吐息に脳がクラクラしてそれどころではない。
今までとは別人のような行動に余計に理解が追いつかず、それとさっきから自分の体を駆け巡る、よくわからない甘い疼きにも戸惑った。自分の体はどんどん熱くなっていく。
それでも、先ほどから動揺で出せなかった声を、喉から無理やりひねり出した
「あの、どう、したの?早苗、いつもと違うというか……いや!別にむしろ全然良いんだけど、その」
「いーえ、これぐらい当たり前なんですよ。 なんてったって私はにとりさんの恋人なんですから」
一瞬、目を見張った。でも
「……そ、そうか!そうだよね!」
あぁ――なんだ
わかっていたこと。
昨日まで、何を心配していたんだわたしは
あの時、言ってくれた。
早苗は言ってくれたじゃないか
好きだって
ちゃんと想い合えていたじゃないか。
疑うことなんてなにもなかったのに
自分の目が熱くぼやけた
昨日のうちに、早苗の中で何か変わるきっかけが生まれたのかもしれない。
こんなに急な変化だし。それがなにかはわからないけど、一つ言えることは
わたし達はすれ違っていなかった。
こうやって触れ合えたんだから
昨日まで不安になってた自分が、消えていく
「それにしても、やっぱあったかいですね、にとりさんは。体温が高いなんて子供みたいです。起きたばかりだからですか~?それとも夏だからですかね?」
そして伝わってる。今度こそちゃんと自分の体温が、早苗に。
――でも今、体温が高くなってるのは、夏だからじゃない。
起きたばかりだからじゃない。
「……早苗が好きだから、だよ」
きっと大好きなあなたに抱きしめられてるから、
なんてのはちょっと大げさだけど。
小さい声で言ってみた。
この距離じゃ聞こえちゃうけど、本音の想いを伝えてみた。
直に伝えるのは久しぶりでちょっと恥ずかしいかも。
でも、ちゃんと起きてるあなたにまた、言いたくて
「ふふ、私も同じです」
横で、早苗の頭がコツンっとわたしの方に寄りかかる。
「ところで今日はどうします?どこか行きますか?それとも、また家でお話します?」
「えと、家……じゃなくて!外でどっか…とか」
「じゃあ今日はデートしますか」
「は、はい!!いや、うん!」
「では昨日話した水ようかんの美味しいお店にでも。あぁ、そういえば夏祭りも近いですしそれも二人で行きましょうね!神奈子様にはバレないようこっそり」
「ふ、ふ、二人で…!」
「手だって繋いじゃいますよ。繋いだまま一緒にとなりで花火も見ちゃいます」
「ふぁぁ~…!!」
ずっと抱きしめられながらの会話。顔が見えなくても、なぜか今までにないほど安心している自分がいる。
――やっと前に進めた気がした。
ちょっと前もこんなことあったっけ
でもあの時みたいに、劇的に関係が変わったわけではない。
変わったんじゃなく、進んだんだと思う。
想われている実感が湧いてきた、なんて言ってもいい、のかな?
少しずつ、少しずつ、確実にわたしたちは進んでいけてる。
これからどんなことをしようか、どんなことを一緒に体験しようか。そんなことを考えているだけでこんなにも楽しい。楽しくなった。
きっとこれが
「あ、そういえばまだ言ってなかったですね」
パッと顔を起こし、わたしの目をまっすぐ見つめる。
突然だったので、耳まで真っ赤になってるであろう自分の顔を見られるのが恥ずかしくなり、思わず目を下にそらしてしまいそうになった。でも、抱きしめられているから逃げられないし、なにより
迷いのない彼女の瞳にわたしの視線は完全に捉えられてしまっていた。
そして、夏の暑さも消し去ってしまうほどの綺麗な微笑みと共に
語りかけられた
機械を通してではない、彼女の言葉
「おはようございます。にとりさん」
愛しい声が
改めてわたしだけに告げる
新しい、朝を
もし、にとりさんの声で起こしてくれる目覚まし時計があったなら
きっと私はアラームを止めずに布団の中でずっと聞き続けるでしょう。
そして寝る。
ふとそう思った
この発想のきっかけは枕元のデジタル時計が朝、自分の足元で真っ二つに破壊されていたことから始まる
寝相が悪い人は経験があるとは思うが、朝起きたら頭と足の位置が寝る前とは逆転している現象がある。
私だけじゃないはず。絶対。
今日はまさにその現象に襲われた日だった。それだけならまだよかったが、今日の私は勇ましかったらしい。恐らくイノシシを倒す夢をみたのだろう、私のかかと落としが何かを仕留めた衝撃で目が覚めたのだ。
私は、まだ完全に開けきらない目のまま、足下にある双子となったデジタル時計と対峙した
…うーむ、薄いとはいえ、なんて綺麗に割れているんだろう……これはモーゼさんの奇跡に少しでも近づけたってことでしょうかね。
奇跡の犠牲となった時計をまじまじと見つめ、なぜか誇らしげな気分で朝を迎えた私。
しかし時計が壊れてしまったのは残念である。外の世界から持ってきた数少ない私物だっただけに、夢のイノシシが大変憎らしい。とりあえず、新しい時計をにとりさんに頼もうかなぁ
と思ってたとこであの発想が天才的にひらめき、そして今に至る
「好きな人の声で起こされるなんて乙女の夢ですよね!しかし、どうしたら」
と思ったとこで、実に単純な答えに結びつく。
「そうだ!普通ににとりさんの声を録音しちゃえばいいじゃないですか!!そうすればあとは自由に使うことができる!!」
それをどうやって時計に搭載するかは今は考えず、とにかくブツを手に入れてからですね。まぁ専門じゃないでしょうけど、アリスさんにでも相談してみますか
「よし、なんだかテンションが上がってきました!ふふふ、短い文章でもすぐに噛んでしまうあの舌足らずな声で起こされたら…」
『早苗ー起きなって朝だよぉ…。もう!起きないと尻子玉抜いちゃうんだからね!本気で』
な、なんて素晴らしい!これはもう、今からにとりさんハウスに行くしかないです!
今の時刻は八時。
まぁ、昼まで待つことなんてありませんよね!
〝善は急げ、思いついたらすぐ行動〟をモットーに生きてきた私にとっちゃぁ些細なことです。おかげで小学校の通信簿は、『落ち着きのない子』で一貫してましたが。継続は力なり
とにかく、道具は前ににとりさんに作ってもらってたものがあるし準備は万端。
あとは、結構早い時間だから低血圧全開でだいぶ機嫌悪そうな気がしますが……まぁ愛しの私が来たら快く招き入れてくれるでしょう!
鏡で身だしなみを整えて、以前収録用に使っていたボイスレコーダーを袖に忍ばせる。
行く理由はともかくも、好きな人と朝から会えることにちょっとワクワクする。そんな浮きだつ気持ちを抑えながら守矢神社を後にした。
早苗が出て行ってから数分後、二柱の寝間で神が目覚める。
「…ふわぁ~あ……あれ?」
「むにゃ…おはよう、どうしたの?神奈子」
「神社から早苗の匂いが消えてる」
「朝からキモイ」
□
「にとりさぁぁーーん!!私ですよ私私!!にとりさぁぁあーーん!……あ、おはようございます!」
「…おはよう」
「あれ、元気ないですね。私ですよー?認識してます?」
「朝からそのテンションで家の前で叫ぶような人を早苗以外知らないから大丈夫だよ」
「それはよかったです!じゃあ家に入れてくれませんか?」
「知ったうえで断りたい」
うむ、予想以上に歓迎されていないみたいです。
家に着く直前までは普通にノックをしようと思っていたましたが、やっぱさっきの妄想みたいに、好きな人の声で起こしてもらった方が絶対イイと思ったんですけどね。
何か間違ってたかな
それにしても
眠そうなジト目でこちらを見ているにとりさん。髪を下ろしてるのが新鮮ですね。結んでいる時よりも幼くなった気がします。薄い黄色のパジャマも、袖から出てるちょこっとした指先も全て可愛いです愛しいです抱き締めたいです
「冷たいこと言わずに~。大好きなにとりさんに会いたかったんですよ」
「いや、会うのは勿論いいんだけどさ。知ってると思うけど、わたしはいつも夜に作業する派なんだよ」
「夜じゃないとテンション上がんないんでしたっけ?」
「うん。で夏も近いからクーラーの注文がいっぱいあって、ねーむいの。昼からじゃダメだった?」
「そこはほら、おはようからおはようまでにとりさんの暮らしを見つめたい私ですので」
「寝かせてよ」
眠気覚ましにちょっとボケてみたところ、ちゃんと朝からツッコんでくれるにとりさん。もう少し遊んでいたいですが、なるべく早く作戦を実行したいので切り上げにかかる
「まぁまぁアレです、色々相談したくてですね。ほら、最近の妖怪の山の状態だとか、守矢神社の信仰獲得についてとか。朝からくれば沢山お話できますから」
「…なにを今さら。はいはいわかったよ。もう家の前で大きな声出さないでね」
「にとりさんもね」
「なんなんだよもう!」
軽いやりとりを終え、さっそく家に入ろうとすると、さっきまで眠そうだったにとりさんの目が突然、ハッと見開いた。
あ、ち、ちょっと待ってて、と言って焦り気味にドアを閉められる。
閉じているドア越しに、ゴソゴソドタドタと何かを動かす音が聞こえた。あらあらうふふ、にとりさんったら、さては部屋が汚いから今片付けてるんですかね。なんとなく服や工具とかが無造作に置いてあるイメージですし。
脱ぎ捨ててあるパンツは見逃していますようにと私がちょうど星に願いをかけている時、ドアがガチャッと開き、苦笑いのにとりさんが入室の許可を下さった。ちゃっかりパジャマからも着替えてらっしゃるし。
普段の部屋の様子も見たかったですが、まぁにとりさんの目が覚めたようでよかったです。
ふふふ、ミッションをスタートしましょう
*
にとりさんの家の中は、まるでアパートの一室みたいな質素な部屋。入ってすぐの居間である畳に少し大きなちゃぶ台が置いてあるのと、引き戸の向こうに台所が見える。その横がおそらく洗面所でしょう。奥の方にも扉があるので、そっちがいつも機械をいじくっている作業部屋だと思われます。なんだか外の世界の友達の家みたいで落ち着きますね。
そして今私はちゃぶ台をはさみ、にとりさんと向かい合う形で座っている。
「全く、朝から唐突に…。早苗はもうちょっと常識にとらわれて欲しいよ」
「いやーなんかいてもたってもいられなくなりまして」
「なにいってんだかもう」
そう言いつつも、にとりさんは急須から私の湯のみにゆっくりお茶をついでくれていた。
お煎餅もそっと添えられているあたり、甲斐甲斐しい性格が滲み出てます。
そんな空間にほっこりしてしまっている私ですが、本日は崇高なミッションのために訪れたことを忘れてはいけません。
存在を確かめるため、バレないよう袖に仕込んだボイスレコーダーを指先でそっと触る
この子には今日頑張ってもらわないといけないですね。
しかし、にとりさんのチャーミングヴォイスをただ無心に録るだけではしょうがない。どうせ録るなら言ってもらいたい言葉を頂いたほうがいいに決まっている。だがたいした技術もない私は、後から編集して言葉ををつなぎ合わせることなんて無理に近いので、にとりさんに言ってもらいたい言葉を直接録らなくてはならない。
では、どうすればいいのか
その言葉を引き出せばいいのです!!
要はこれからにとりさんと普通に会話をして、録りたいセリフを言ってもらえるよう話を組みたて誘導する。
にとりさんのことを知り尽くしている私なら難しいことではない!ふふふ、どうしようかなぁ、目覚ましに使うのは当然として、アリスさんにいっそにとりさん人形を作ってもらってそれに搭載すればいつでもそばに置いておけるし、そうなったらもういっそ守矢神社の御神体にs
「おーいちょっと早苗、大丈夫?なんか頭悪い顔してるよ?」
ハッと気づくと、にとりさんが心配してるのか引いてるのかわからない表情でこちらを見ていた。
「あ、え、すいません!!ちょっと考え事をですね」
「考え事をしていてそんなアホっぽい顔になるのか。眠いんじゃない?」
「大丈夫です大丈夫です」
油断してしまいました。にとりさんの家にいるというだけでなんかこう、いつもより妄想がはかどってしまう気がするんですよね。ここで普段は生活している…お風呂に入ったり、料理を作ったり…ふふふ…いや、ここからは真面目にいきましょう。
お楽しみは帰ってからです!
さあ、かつて夜中のラジオだけを楽しみに青春を過ごしてきた私が身につけたであろう、ミラクルトークテクニックでまんまと言わされてしまうがいい!!!
Mission.1 「ねぇ、触っていい?」
うーむ最初にしては中々刺激的なワードですが、普段内気なにとりさんが私の溢れ出る魅力に我慢できず、私を求め、懇願してくる様子を妄想できる素敵な言葉ですね。朝からドキドキしながら起きるのもいいでしょう。是非とも成功させてみせます!
「そういえばですね、実は今日いい物を持ってきたんですよ」
「え、そうなの?」
「はい。気に入ってくだされば、是非ともにとりさんに差し上げたいんですが」
「ありゃーわるいね、なんか」
「流石に朝から来て手ぶらだなんて非常識ですからね」
「朝から君の非常識で起こされたけどね。でも、ありがと」
ちょっと照れくさそうな笑顔を向けてくる。な、なんだか騙してるような罪悪感が……ええい負けるか!
「いえいえ、礼には及びませんよ。気に入ってくれるといいですが……」
持ってきた袋を手繰り寄せ、中身をチラッと確認する。
そう、もちろん騙してはいない。
何を隠そうこの作戦のために、私がいつも抱いて寝てる〝ぬいぐるみ〟を持参したのでした!
これは可愛いですよ!きっとにとりさんもこれを見たら、例のワードを言ってしまうに違いありません。そのためならばぬいぐるみを献上するなんてわけないことです
私はサッと袋から出し、にとりさんに差し出す。
「どうぞ、お受取りください!!」
さあみるがいい!キュートな足と丸まった背中、そしてつぶらな瞳!!
今すぐ触ってみたいでしょうそうでしょう!
「……えーと、それは、なに?」
「グーちゃんです」
「いや、愛称じゃなくてさ、名称は?」
「ダイオウグソクムシのぬいぐるみですね」
「いらないかも」
あれ、目が引いてらっしゃる。外の世界じゃ結構有名になったやつなのですが……私が水族館で一目惚れして買った代物ですよ。
女子高生センスぱないはず
「遠慮しないでくださいよ。私だと思って大事にして頂ければ」
「それは無理があるというか…愛着湧かないというか」
「なんでですか!でっかいダンンゴムシみたいで可愛いじゃないですか!」
「でっかいダンゴムシを可愛いと思ってる時点でおかしいよ!!」
「この子は海に住んでるんですよ?つまり水生です。にとりさんと一緒の仲間」
「認めない!その子とは仲良くなれない!」
「まぁまぁそれでもぬいぐるみですからモフモフですし、ギュッとしてみて下さい。私はいつも抱いて寝てましたよ」
「ええぃ!!これだからヘビとカエルを祀ってる神社の巫女は!!」
「ひどいです!そんなのと一緒にしないでください!!」
「ひどいのはお前だ!!」
勢いよくツッコんだにとりさんは、肩で息をしつつ「まぁせっかく持ってきてくれたから貰っとくけど!」と言って受け取ってくれた。そういうとこが好きですよホント
しかし肝心の言葉は言ってもらえず、さらにこんなに不評だとは……!!
計算違いもいいとこですね……一回目のmissionは失敗といったところでしょうか。
ぐっ…へこむ…
ですが、まだまだチャンスはあります!!諦めませんよ
*
先程は失敗してしまいましたが、気を取り直していきましょう!!
Mission.2 「ずっと一緒にいようね」
いいですよねぇこの言葉。こんなこと言われたら離れられなくなること必須です!放すつもりもありませんが
今、にとりさんはお土産にあげたぬいぐるみを不思議そうにいじっている様子。
あれ?不評っぽかった割には意外と夢中なんじゃないですか?…まぁよくわかんないものはとりあえずいじってみるというのは性分なんでしょうねきっと。
ていうかぬいぐるみを触ってるにとりさん超カワイイ…小さな手が女の子っぽいなー…
いや、今は観察よりも言葉を録音することのほうが大切ですね!ここはサラッと話題を振ってみて今度こそ言わせてみせましょう
「あーところで、にとりさん。そばにいる、って素敵なことだと思うんです」
私なりに精一杯の真剣な顔と声でつぶやく。こういうのはやっぱ雰囲気作りが大事ですよね。どうですかにとりさん!
「(ん?あんま聞いてなかった、ソバ煮る?お腹すいたのかな)あ、うん。まぁ素敵かはわかんないけど、時々はいいかもね」
やった、いい感じに食いついてきた気がします!
私の真剣な雰囲気に飲み込まれてますよ!このままいきます!
「いえ、好きならば常にそうあるべきだと思うんです」
「(常に??早苗ってそんなにソバ好きだったのか…)そ、そうだね。人それぞれだとは思うけど、寒い時とか欲しくなるっていうか」
「ですよね!!心身寒くなると自然と求め合う…そんな関係に憧れます、にとりさん」
キリッと目を細め、にとりさんの顔を見つめる。
「(いきなり何!そのソバへの執着!早苗の目が怖い)ごめん、そこまで求めていたとは知らなくて………でも実は、わたしも好きな方だよ」
「私もです。好きな人のそば、これほど幸せなことはないですよ」
ここで本日最高のキメ顔。うーむ、とてもじゃないけど普通には言えないですねこんなこと
「(なんかさっきから変な顔してるけど、でもこんなに真剣にソバが好きなんだ…!知らなかった……!)うん。想い、伝わったよ」
にとりさんもなんだか決意を固めたような表情になってきましたね。
キマった……完全にキマりました
「嬉しいですよ」
「わたし、あの、早苗…」
言っちゃいますか!これは言いますね!
さぁ来い!」
「とびっきりのソバを作るよ!」
「ありがとうございます!!ってなんでそうなるんですか!?」
「早苗少し待っててね!お湯沸かしてくる!」
「あ、ちょっと!?にとりさーーーん!!?えっと、よくわかんないけどご馳走になりまーーす!!!」
*
現在、向こうの台所で鍋にお湯を沸かしつつ、ルンルンと鼻歌をうたいながらソバを戸棚から出しているにとりさんが見える。なぜこうなった…
でも朝早かったしそろそろお腹がすいた頃なので良しとしますか。にとりさんの手料理ですし。ふふふ
しかしまだ言葉を録音できていない。思ったよりも上手くいかないものですね…
今度こそっ!!今度こそやってみせます!!
Mission.3 「膝枕してあげようか?」
なんて憧れシチュエーション!言葉だけでも十分な威力を持っていると言えますね!しかもよく考えたら今回の作戦が成功しこの言葉をにとりさんが言った暁には、すなわち膝枕をしてもらえる状況にあるということでしょう!
これは頑張るしかありません!!
お、しかもちょうどソバの茹で時間を計っているところですね。
これはチャンス。ゴホンっと咳払いをし一声
「ああぁーーなんか頭がすごく痛いし吐き気がスゴイですぅー…これは危険かもしれませんー…」
ヨロヨロと体を傾け、台所に向かってわざと苦しそうな声を出してアピールをしてみる
「さて、あと六分…ん?どうしたの早苗!?大丈夫!?」
私の声を聞いて、パタパタと駆け寄ってきてくれたにとりさん。
かかった!
「すいません、持病のあの~、家酔いってやつでして…すぐ治ると思います」
「そうなんだ。まだ野生を捨てきれてないんだね。とりあえず安静にしてて」
「ありがとうございます…。ちょっと横になりますね…」
「うん。そうしたほうがいいよ。そこの座布団を枕に…あれ?無い?」
ふっふっふ。そう言われると思って座布団は洗面所の方に放り込んどいたのです!
これでにとりさんの膝に完全に近づきました!
私ってば策士!
「ああー頭が重いー」
「ち、ちょっと待ってて!なんかないかな…」
さぁさぁさぁ!!もう逃げ場はないですよ!!
とどめにもうひと押し!
「なるべく適度に柔らかいのがいいですね…例えばほら、にとりさんの」
「あ、そうか!アレか!」
「そうです!お願いします」
「はい、ダイオウグソクムシのグーちゃん」
「ちくしょう!!持ってこなきゃよかった!!」
□
「はーいできたよー。あったかいうちにどうぞ」
「……ありがとうございます」
「どうしたの?なんか元気ないような」
「いえ、ちょっとまぁ連敗が続くと落ち込むなぁって」
「?」
計三回。
ことごとく失敗してます。奇跡もなにもおきないなんて……モーゼ先輩すいません!全然近づいていませんでした
あーー…なんでだろう…まだまだにとりさんへの理解が足りないのか、私にトークテクニックがないのか…
それでも目の前の蕎麦からただよってくるカツオだしのいい匂いが、落ち込んでる心に染み込んでくるよう。まぁダメだったのはしょうがないですかね。せっかくにとりさんが作ってくださったんですから、いただきますか
「すいません、なんでもないです。にしても、いやー美味しそうですね!いただきますー」
ツユにつかないよう自分の左耳にかかってる髪を少しかきあげ、そのまま麺をすする。
「うわーおいしい!流石にとりさん、腕がイイです」
「どうも。基本はいつも自炊だから、料理は慣れてるんだよ。それに」
「それに?」
「早苗の情熱に応えるよう頑張ったって感じさ!」
なにかやりきったような表情をしている。はて、蕎麦について語った覚えもないのですが…なんかキラキラとして微笑ましいのでよしとしますか。
「自炊ってことは、選択も掃除も全部自分一人でですよね」
「そういうことになるね。……掃除は時々サボるけど」
「しかも日曜大工もこなす!」
「そこはまぁもともと趣味でいじってるだけなんだけどね」
「あぁ嫁に欲しいです。ついでに下着も欲しいです」
「そんなオマケみたいにやれるか」
呆れた顔で受け流しつつ、にとりさんもちゅるちゅると麺をすすっていく。
種族的に細かい作業が得意なんでしょうか……羨ましい限りです。
妖怪って大雑把なイメージがあったのに…
でもたしか、山の妖怪を集めての流しそうめんパーティーの時、にとりさんはそうめんやそれを流す台だけでなく、他の料理の方にも力入れて作ってました。根っからの職人肌ってやつかもしれません。
……そういえば、私もずいぶんお世話になってるなー
個人的な用事でも色々と頼ってきましたしね。神社にクーラー付けてもらったり、ラジオを作ってもらったり……他にもたくさん。
ふと、少し前のことを思い出す。
この地に来てまもなくのこと
――にとりさんは、幻想郷に来てからの一番最初のお友達だった。
ここに来た当時、冷淡で何事も無関心な性格だった私に、積極的に声をかけてくれた。
困ってることはないか、不便はないか。そう心配して毎日神社に足を運んでくれた。
本当は、臆病で人見知りなのに。
私が冷たい対応をする時もあった
それなのにいつも笑顔で接してくれていた。
人間は盟友だから、とそんな純粋な理由で接してきてくれた彼女には、感謝してもしきれない。
彼女のおかげで幻想郷を好きになれたから
もちろん、彼女のことも。
それに対するせめてものお礼にと外の世界の物や道具をお話してきましたが、ちゃんと役に立っているのでしょうか。楽しそうに聞いてくれる様子を見てると安心するけど、ちょっと不安にもなる。
でも私から与えられるものと言ったら、それしかないだろうし……
そもそも、よその世界から来た私には、この地でにとりさんにしてあげられることが果たしてどれだけあるのか。
友達として接してきた時からそれは変わらず、私の悩みでもある。
今の日常はとても楽しいが、そういえばにとりさんはどうなんだろう。
彼女はほかに、私に望んでいることがあるのだろうか。
今のままでいいんだろうか
――私は、返せているのかな
そう思って蕎麦をすすっていると、ふと視線を感じた。思い出にまわしてた意識をこっちに戻し、食べている蕎麦から少し顔をあげてみると、なぜか私のことをジっと見つめているにとりさんと目が合う。
「どうかひまひたか?」
「えっ!あ、いや」
にとりさんは慌てて視線を下に逸らした。そして一瞬間を置き、こちらを上目遣いで見つつポツポツとつぶやく
「なんだかその、髪…かきあげてるとさ…大人っぽいというか……綺麗、だなぁって…」
恥ずかしそうにそう言うと、
あ、あと食べながら喋んない!と、遅めのツッコミも残していった。
「……」
箸で掴んでいた蕎麦がスルリと箸を抜けて器の中へ落ちていき、行き場のなくなった口が開きっぱなしになる。
突然だったので言葉を見失なってしまった。
こういう時の返しはどうしたらいいんだろうか。
さっきまですっかり思い出モード全開だったので非常に困惑する。
二人しかいない空間だけになにか焦ってしまうというかいつもと違う空気感にたまらなくなった。
自分の髪を褒められたということに関しても、ふつふつと恥ずかしさと嬉しさが込み上げてくるのがわかる。何か見合う返答をしなくては、と思ったが、恥ずかしそうにうつむいているにとりさんを見て、動揺が先に反応した。
「なにをいってるんですか~!私だってもう十代も後半ですし大人ですよ!一人で買い物もできます」
「…それはたいがい子供の時にクリアしてると思うけど」
あ、それもそうですねと返すと、にとりさんは静かに笑ってくれた。
そんな様子をみて、私もさっきまで感じていた気恥かしさみたいなのが取り除かれていくのを感じた。いつもの空間に戻ったようでホッとする。
もう!調子狂っちゃうじゃないですか~!なんだかソワソワしちゃいましたよ。
すっかり安心し、蕎麦を食べようとした。
しかし、目の前で笑っているにとりさんの笑顔を見て
なにか、反応を間違えてしまったような
そんなちょっとした違和感を感じた。
なんだろう、この感じは。いつもと変わらないやりとりのはずだし、全然悪い空気でもないのに。
いや、きっとさっきまで少―し真面目なこと考えてたからかもしれない。脳がついてきてないだけですね。
私はそのままいつもと同じようににとりさんに話しかけた。
「でも本当、料理ができるっていうのは大人っぽいというか、羨ましいですね。私あんまレパートリーなくて」
「長く生きてれば自然と身に付くもんさ。普段はどんなの作ってるの?」
「基本は…魚のぬめりをとったり、野菜を洗ったり、米をといだり…ですね」
「それ料理じゃなくて下ごしらえ、というか全部洗ってばっかだけど!?」
「だって神奈子様が危ないからって台所に立たせてくれないんですもん」
「親バカだもんねぇ」
「それでも料理ができたら、早苗の洗った野菜は美味しいなぁ!って褒めてくれますよ?」
「…早苗がダメになっていく理由がわかるよ」
し、失礼な!最近はお皿に盛り付ける役目も担っているというのに!
□
その後もにとりさんの作ってくれた蕎麦を食べながら雑談をしていた。
二人でいつもするような、自然な会話。
巷で最近、宗教争いが起きて自分も巻き込まれただとか、
興味本位で滝修行したら風邪を引いたとか
お互いのニュースを話したり、
先日行われた博麗神社の宴会での出来事や
里で流行ってる水ようかんについてなど
そんな友達とするような他愛もない世間話を楽しんだ。
取り留めもなく、何も変わらない、そんな話。
ちょっと喋りすぎたのか、今の時刻はもうすぐで午後に差し掛かるかな、といったところ。
にとりさんはというと、使い終わった二人分の蕎麦の器を洗っている途中。つまり台所にいる。
そして私はさっきと変わらず、ちゃぶ台の前にいる。
さて、と
準備はできました。
Mission4 「ほら、起きて、早苗」
そうです!私はまだ諦めてませんよ!!何も録れず帰れますかってことです!
そんなの神様が許しても私が許しませんぜ。あれ、巫女としてどうなのかな?まぁいいや
でもおそらく最後のミッションになると思うので、シンプルな言葉を確実に録ることにしました。とりあえず本来の目的である目覚ましボイスとしては、なんだかんだ最適なんじゃないでしょうか。
そして肝心の作戦も実にシンプル!
・私がこのままちゃぶ台に突っ伏し、寝たふりをする。
・すると台所から戻ってきたにとりさんが寝てる私を発見。
・中途半端な時間に寝てる私を見かね、起こそうと声をかける。
・ゲットだぜ!
といったところですね!声をかけられた後は適当に起きて、ご迷惑をかけては悪いのでと言って帰ればミッション成功!!これはさすがに失敗しないでしょう
というかせめてこれだけは持って帰ることができますように!!あぁ運命の女神様よ、この私に微笑んで一度だけでも…!…でもそのお布施は神奈子様か諏訪子様にツケといて下さい……!
そんなことを思っているうちに、台所の水音が止んだ。
これは来るかっ!と即座にちゃぶ台に突っ伏し、スースー、とオプションにいびきをかいてにとりさんが来るのを待つ。
パタ、パタ、パタ
こちらに近づいてくる足音。
「あれ?早苗?」
すぐ後ろからにとりさんの声が聞こえた。
(よし、止まりましたね!)
右の袖の中に仕込んだボイスレコーダーから、突っ伏している状態からの左手で怪しまれないよう録音ボタンを確認する。
「もしかして、寝てる? 早苗―…」
(あれ、これは、くる!?)
思った以上の流れの早さに一瞬、焦った。しかし、そのあとのにとりさんのセリフは絶対にあのワードだ、と本能がそう告げている。
今までの失敗をとりもどすため。
今日の私の存在意義を示すため。
己の中の捨てきれない野生の勘に従い、私は素早く録音ボタンを押した。そして
「ほら、起きなよー早苗―」
天使の声が起床を告げる
よっしゃあああああぁぁ!!!!
言った!!今言いましたよ!!!
手に入れましたぁぁああああ!!!
ここまで頑張ってきてよかったですっ!!!
終わりよければすべて良し!!有終の美を飾ることができたのではないでしょうか!!!
ああぁ、どうしよう…次から朝起きるのが楽しみになりますね……!!
興奮冷めやらぬままのその様子を気取られないよう、震える指で録音の停止ボタンを押す。
さて、これからどうしましょうかね~!
とりあえずは起きて、名残惜しいけども帰る支度でもしますか。迷惑でしょうし。
もうちょっとこのまま声を聞いていてもいいですけどね~!ふふふ。
続けてにとりさんの声が後ろから聞こえた。
「早苗―風邪ひいちゃうよー?おーい」
あらあら心配までしてくださってる。これはやっぱもう起きるべきですね、まぁ明日からはこれが聴き放題ですからたまりません!
「………聞こえてない、よね? 本当に、寝てるんだ」
急にさっきとは明らかに違う声色になり、確認するかのようなささやき声。
一瞬バレたかと思ったが違うみたいだ。
「……」
静かな空間。なぜか一言も発さず、にとりさんがこちらをジっと眺めてるような気がする。
(あれ?声が聞こえない…なんとなく起きにくい空気ですね)
そう思った瞬間、後ろからトッ…トッ…とこちらへと近づいてくる足音が聞こえてきた。
恐る恐る歩いてくる気配を感じ、それが私のすぐ背後まで来たかと思うと、トスンっとその場で座ったのが、畳越しに崩した足から伝わる。
そして、優しく
ギュッと
後ろから抱きしめられた
(え……にとり、さん…?)
突然感じた、背中にかかる重みと暖かさ。
さっきまでしていたイビキの真似事どころか、呼吸を忘れるぐらいの衝撃だった
私の中のすべての神経がそこにあるかと思うほどに、彼女の頭や胸、呼吸を感じ取れる。お腹に回された腕も驚く程の熱を帯びていて、触れている横腹がムズムズと疼くような感覚にとらわれた。
それでもなお、この状況を理解するには時間がかかった
(なんで…にとりさんが私に…抱きついて…)
脈絡もない彼女の行動に困惑し、動揺する。
なぜ彼女がこのような行動を起こしているのかがわからなかった。
しかしそれも次第に、好きな人に抱きしめられているということへの緊張に変わっていく。
背中から伝わってくる強烈な存在感に、彼女を感じざるを得ない。時計の針の音、外の蝉の声が気にならなくなるほど、自分の鼓動が早く、大きくなっていっているのがわかる
ただただ、心臓の音がバクバクと身体中に響き渡っている。
「早苗…」
自分の心音が反響する中、ささやくような声がすぐ背中から聞こえた
「――恋人って、なんだろうね」
〝恋人〟という言葉に一瞬自分の肩がピクっと震えた。
動転してしまっている中、唐突な問いかけ。しかし、彼女は私が寝ているものとして認識しているはずなので、あくまでこれは独り言なのだろう。
「わたしは正直よくわかんないよ。いつも機械ばっかいじってて、全然意識してこなかったし、いままで人を好きになったことなんて……いや、もちろん人間は盟友だし好きだよ。でも、早苗は同じ人間でもきっとそういうことじゃない」
普段ならばとても小さな声。
それでも背中を通して伝わってくる彼女の声は、とても大きく私の体に響いてきた
「自分でも不思議なんだ。その……好きになって、いろんなことが変わってきた」
「早苗の喜ぶことをしてみたい。早苗に褒められたい。 早苗に……触れてみたい」
いままで溜まっていたものを吐き出すかのように、彼女は言葉を紡いでいく。内気な彼女がここまで包み隠さず話せるのは、誰も聞いていないというこの状況だからだろう。
そして、好きという単語に今さらながら
私たちが両想いである、ということを思い出した。
そして独白は続く
「だから、今日、わたしはすごくドキドキしたよ。自分の家で二人っきりなんてさ」
――そういえば、恋人同士になってから、初めてだった
お祭りやそういうイベントには神奈子様や諏訪子様も常に私達と一緒だったし、他にも椛さんや霊夢さん、魔理沙さん。山の妖怪達とも一緒にいた。
唯一、二人だけで遊ぶ場所は神社が普通だった私たちにとって、とても珍しいことなのに
こんな大事な事を、忘れていた
「でも、わたしはこんなに緊張してるのに早苗はいつも余裕で……もしかしたら、わたしだけが一方的に好きなのかなって」
「…不安になっちゃうよ」
そう言うと、お腹にまわされている彼女の腕がさらにギュッと力を入れてきた。
私の背中にも、彼女の頭の小ささがわかってしまうほどに顔を強く押し付けられる。
それに反して彼女から感じる情動はさっきよりも弱々しく、不安を誤魔化す為に必死にしがみついてるように感じる。
普段からは想像つかない行動にひたすら心が乱された。
目をつぶっているのに白い閃光がバチバチと瞼の中をひしめいているみたいだ。
おでこは火傷するかのように熱くなっているのが、触れている自分の腕から伝わってきて、
それと同じようにもしかしたら、自分の心臓の音がまわされている彼女の腕を通して伝わっているのではないかと、余計にドキドキしてしまう。
だがそれ以上に、彼女が感じている不安に気づけなかった自分をただただ、情けなく思った。
〝にとりさんのことを知り尽くしている私なら〟
あの時、家に来た直後、そんなことを思った。
(私はなにを考えてたんでしょうね……こんなことにも気づかず)
後悔と自責。特に今日の自分の行動がどれだけ傲慢かを噛み締める
右手で触れているボイスレコーダーがそれを物語っていた。
これで自分はなにをしようとした?
家で一人
彼女本人を、ほったらかしにしてなにを
(きっと無意識にわかっていたんだ。にとりさんが恋人らしいふれあいを望んでいたことを)
それでも自分から、踏み込むことをしなかった。
その理由は自分でしっかりわかっている。
――私もただ、余裕がなかったのだ
にとりさんが好きでしかたなく、いつだって会いたかった。
なのに、いざ目の前にしてしまえばいつものノリで接してしまうし、そういう空気をごまかしてしまう自分がいる。
緊張をそんな形でしか変えられず、その先へと進む勇気がなかった。
きっと一度も恋人らしいことなんて、していなかったんだ。
それが結果、好きな人をここまで不安にさせてしまっていたことに今、気づいた。
「……こんなふうに眠っている時にしか言えないし、触れないわたしを……許してね」
後ろから聞こえる最後の言葉はか細く、消えてしまいそうだった。聞いているだけで胸が痛ましく、チクチクと針が刺さっていくみたいだ
(そんな……私のほうが、もっと…)
彼女の本音をまじまじと見せ付けられたようで、内なる自分の臆病さに気づいてしまう。
違うんですよにとりさん
余裕なんか、本当に全然ないんです
貴女に触れる勇気が出ないし、
ちょっと肩を触られるだけで身体が沸騰しそうになる
今、逆の立場でも私はきっと緊張して抱きつくことなんてできない
〝会いたいから〟
その理由だけで貴女に会いにいくのが恥ずかしくて
今日だって、恋人のはずなのにこんな風に会う口実を考えてしまう
。
本当は
今も寝たフリなんかしないで、貴女を抱き締め返せたらよかったのに
そう思った瞬間
スルっと今まで抱きしめてくれていた彼女の腕が私のお腹から離れる。背中で感じていたぬくもりも同時に離れていった。後ろで立ち上がる気配、そしてだんだんと小さな足音が私から遠ざかっていく。
それに呆気にとられていると、途端に背中から体全体が冷えていくような感覚が襲い、そして
にとりさんが私から離れていくことが、とても怖くなった
(ぁ…にとりさん…)
行かないで!
不安でたまらなくなり思わず顔をあげようとした束の間、柔らかい布が私の背中を包む。
「おやすみ」
後ろで彼女の優しい声が聞こえ、パタンと向こうの部屋のドアが締まる音がした。
□
(……ほんと、甲斐甲斐しくて優しい人ですね)
にとりさんが部屋から出て行ったあと、静かに顔を上げて今の状況を確認する。
後ろを振り向き、背中にかかっているタオルケットを見つめた。
さっき一瞬でも焦っていた自分を思い出して、ちょっとした自己嫌悪に陥りつつも、少し安心した。
しかし先ほど彼女が抱えていた悩みを聞いてしまった手前、色々と思う事があることも事実。行動を含め、そのことについて自分のことをまだ許せそうにない
だがそれにしても
はぁ~……ドキドキした…
まだ背中に感触が残っているというか……
途端に緊張が解けドっと体の力が抜けていく。
それに加えて、かけられたタオルケットのあったかさが重なり本当に眠気が襲ってきた。いろいろ考えるべきことはあるけれど、ちょっと今は体とか心臓とか休ませないと。
心も、まだ整理が追いついてない。
ほんとに何から何までヘタレですね私…
でもやっぱ柔らかいものに包まれると安らぎます…
まぁ
さっきの温かさや柔らかさに比べれば、このタオルケットは頼りないかな~、なんて思っちゃいますけど。
でも、まだ今だけは、にとりさんの優しさに甘えさせていただきますね。
「…ひとまず、おやすみなさい。にとりさん」
あと
ごめんなさい
あなたの不安に
望みに
気づけなくて
□
優しさに包まれたお昼寝から、目覚めたのは夕暮れ時。
「ほら、日が落ちちゃったよ。起きなー」という、まるで今日初めて起こしに来たかのようなにとりさんの声で目が覚める。
普段のお昼寝ならばこんな時間まで寝てしまうと起きた時によくわからない後悔の念が襲ってくるはずだが、なぜかスッキリと起きることができた。あえて言うなら、机に突っ伏す体制で寝ていたので少し関節が痛いだけである。
ゆっくりと頭を起こした私に、親バカな神様が心配するよ、とちょっと呆れつつも微笑みながら声をかけてくるにとりさんは、いつもと変わらない様子。
背中に抱きつき、寂しげにつぶやいていたのが信じられないぐらいに普段通り。
彼女の中では無かったことになってるのかもしれない。
それはそうだ。私に聞かれてたなんて思ってもいないのだから
私もあえていつもと変わらない態度で、おかげさまでよく寝れました、と彼女に顔を向け、笑ってみせる。
寝起きにちょっとお茶を頂き、早々に帰り支度をすませて自分の靴を履き終えると、玄関まで見送ってくれたにとりさんにお辞儀をした。
「今日はありがとうございました。色々話を聞いてくださって」
「かまわないよ。でも今度来るときは朝早すぎるの勘弁ね」
「ふふ、考えときます。ではおじゃましました」
「はいはい。またね」
小さく手を振るにとりさんにこちらも笑顔で振り返したあと、静かにこの場をあとにする。
*
日の長い時期だから外は思いのほか暗くないが、周りに樹が多いためなんとなく夜のような心細さと薄暗さがある帰り道。
普段はきっとそう感じるような林道を歩いていても、ちっとも周りの様子が頭に入ってきていない
今思うのは昼の出来事。にとりさんの言葉。
〝もしかしたら、わたしだけが一方的に好きなのかなって〟
〝不安になっちゃうよ〟
「そうですよね。いつもこんな態度じゃ恋人とは言えませんよね…」
ましてやあれは自分から告白したのに、ちょっと前の勇気ある自分はどこへいったやら。あのときは友達から関係を変えるのがこんなにも難しいとは思いもしなかった。
「自分で気づけずにいたことも情けないです」
重い足取りでデコボコとした道をひたすら進んでいく。
そして歩きながら右袖に隠してあったボイスレコーダーを取り出した。最後にわずかながらにとりさんの声を録音できた機械を見つめ、ため息が溢れる。
「……私は今日これで、にとりさんの声を録ってその声を私物として使おうとした。それで、にとりさんがいつでも自分のそばにいてくれると、思い込んだんですね」
彼女自身を見ようともせずに。本人を放ったらかしにしてしまうような、そんなことをしようしていたんだ。勇気のない自分だけが満足するようなことを
「そんなの、また寂しい思いをさせるにきまってますよ」
私に何度も恋人としてのパスを投げかけてくれていたであろうにとりさん。それに対し、抱きしめ返すこともできず、それどころかちょっと触れることさえ恥ずかしくてできない自分自身。何度も冗談のような言葉でごまかして、そしてまた彼女と向き合おうとせずにいる。
「そんなんじゃ絶対、ダメです」
ザッとその場で立ち止まり、手に握った機械を睨みつける。そのまま静かに右手で電源を付け、カチャカチャと動かし、昼間に唯一録音できたにとりさんの声が入ってるファイルの項目にカーソルを合わせた。
そして今までの自分から目を覚ますため、
そのファイルを消去した。
「ふーっ…これでいいです。私は変わらないといけない。今朝のような発想は忘れなければ」
目を瞑りゆっくりと深呼吸をする。気持ちを入れ替え、生まれ変わるために。
こんなボイスレコーダーなんてなくたっていい。
だって、彼女にはいつだって会いに行ける、声を聞くことができる
「まぁそれでも、〝にとりさんの声〟で〝目を覚ます〟という本来の目的は、違った形で達せられたんでしょうかね」
――あの時、彼女につぶやかれた言葉の一つ一つが自分の目を覚ましていくのを感じた。このままではいけないと。
ふふっと自分で笑いながら、右も左も林の中、唯一夕陽が差し込む空を見上げて決意を固める。
「今更なことなのですが、にとりさん。あなたに後ろから抱きつかれたとき思ったんです。
暖かくて、安心できて、目いっぱいあなたを感じることができて、とてもドキドキしました。きっと好きな人と触れ合えたからなんでしょうね」
そして、これをお互いに〝共有〟するのが恋人なんだ。
「勿論、あの時の私では抱きしめ返す勇気はなかった。でもよく考えるとあの時、体制的にそもそも抱きしめ返すことはできないんですよね」
「それってなんだか、ちょーっとだけずるくないですか?」
まぁ、当然私が言えたことではないんですけど
茜色の夕日を見上げ、不敵に笑いながら、まるでそこに彼女がいるかのように話しかける
もう今までの私ではないんだ、と自分に言い聞かせながら。
ほとんどの人が郷愁を感じるようなこの夏の夕焼け空も、今は自分と同じ、くすぶっている情熱を表してるかのように思えた。
この溢れ出る愛をもはや隠す気も止める気もない。彼女の本音を聞いたからには
「ですので!これからたくさん、アプローチを仕掛けていきたいと思っています。今までの分を取り返しますよ」
「でも、まずはやっぱ、今日のお返しをしないといけないですよね」
だから 待っててください
三日も四日も待たせません
なんてったって、〝善は急げ 思いついたらすぐ行動〟 がモットーの私ですからね!
見ていてください!そしてお覚悟を!
にとりさん!
■
すっかり日も暮れた
早苗が笑顔で手を振っている。でも、どっか寂しげというか、思い悩んでいるような……
そんな風に見える。
守矢神社へと帰る早苗を我が家の玄関で見送り、その後ろ姿を眺めた。
まぁ、この時間がそう思わせるだけだよね。あの早苗に限ってそれはないか。
それよりも…
早苗の姿が見えなくなったのを確認し、わたしは玄関のドアを閉め、すぐにでも走り出したい衝動を抑えつつ小走りで居間へと向かった。
さっきまで早苗とお話したりお昼ご飯を食べた場所。
居間へと着くと、ソワソワしながらちゃぶ台のある場所まで近づいていく。先ほどまで飲んでいた二人分のお茶のグラスが置いてあった。
「大丈夫だった、よね…?」
しばらくそれらをジッと眺め
そしておもむろに、
ちゃぶ台の下に手を伸ばし裏に取り付けていた〝物〟を外す。
湧き上がってくる高揚を抑えつつ、息を飲んで手にした物を確認した。その
――小さなボイスレコーダーを。
ちゃんと録れているか、念入りにファイルを確認する。そして
「やったあああああぁぁ!」
録れた!!録れてたよ!!!
手に入れたぁぁああああ!!
まさに唐突な思いつきだったけど、やってみてよかった!!!
備えあれば憂いなし!!日頃の機械いじりが功を成したんじゃないかな!!!
ああぁ、どうしよう…次から朝起きるのが楽しみになるよ……!!
胸にギュッとボイスレコーダーを握り締め、ジタバタと小さく足踏みする。
ひとしきり喜んだあと、改めて朝の出来事を振り返る。
「それにしてもホント、朝突然来たのはびっくりだよ。ぶっきらぼうな対応になっちゃったかもなぁ…」
恐る恐る朝の様子を思い出す。
今思うとパジャマで、しかもボサボサの髪で出てきちゃったし…あぁ恥ずかしい…
「でも早苗を家にあげる前に思いついて良かった!わたしってやっぱ天才かも」
まさにビビっときたのを感じた。
朝、家にあげる手前でのこと
わたしは玄関のドアを開け、妙にウキウキとした様子の早苗を中へ入れようとした。
(まったく朝から驚かせるなぁ……けど、早苗の元気な声で起こされるのも悪くない……ハッ!!)
もう思いついたらいてもたってもいられなかった。
早苗の音声搭載目覚まし時計…これがあったなら、わたしはアラームを止めずにずっと布団で聴き続けてしまうだろうなぁ。そして起きない。
はぁ…早苗の声か…あの透き通った綺麗な声で言われたら
『にとりさーん朝ですよー!!ほらほら、起きないと……チュー、しちゃいますよ?……本気で』
そんなことを一瞬で妄想し、家に入ろうとする早苗をなんとか制止させ、
急いで部屋から収録用に作ってたボイスレコーダーを見つけたあと、居間のちゃぶ台に取り付けた。いやーあの時は焦ったよ…。
改めて招き入れたときに、ちょっと怪しまれたかなーと思ったけど多分大丈夫だったと思う。
「まぁそれを抜きにしても、いっぱいおしゃべりできたし、早苗の意外な好みも知れた。今日は楽しかったなぁ……それに」
目の前のちゃぶ台を見下ろし、自分が座ってた位置の向かい側、早苗の座ってた場所に移動する。ちょっと逡巡しつつも思い切って、なぜか正座でちょこんと座ってみた。
「えへへ、ここに早苗が座ってたんだよね……一緒にお蕎麦を食べて…お茶飲んで…」
自分でやっておきながら、なんだか気恥ずかしくなってソワソワしてしまう。
「あと、ここでお昼寝してたなぁ」
あれは予想外だった。でも朝早くから来てくれたわけだし、お腹もいっぱいになっただろうから眠くなるのはしょうがない。
発見した時ちょっと驚いたけど、こんなとこで風邪引いたら可哀想だし起こそうとしたんだよね。
そしたらなんかこう…ほら…
早苗の白い肩が上下にゆっくり動いてるのと、小さな声ですーすーいびきかいて寝てる姿が……さ。
可愛くておもわず抱きついちゃったんだよね…
「ああぁーだってだって!背中が無防備だし、寝てるからバレないと思ったんだもん!」
途端に恥ずかしくなって、早苗がしてたようにちゃぶ台に顔を突っ伏し、悶える。
それからガバっと起きて
「ていうか何!?あの腰の細さっ!む、胸が大きいのはわかってたけど、まさかあんな…くっ」
どうせわたしは幼児体型さ!抱きついてて嬉しさと虚しさがかわりばんこだったわ!
「それになんかいい匂いだったし…こう、フルーツみたいな……なんかつけてんのかな……それとも天然?いや、あれがフェロモンってやつでは!?くそー…わたしの方が何十倍も年上なのに…!」
いろんな意味で後悔が襲ってくる。ちょっとの間バタバタと悶えていたが
そういえば、と
ピタッと動きを止める
抱きついた時に出た自分の言葉を思い出した。
急に気持ちが沈んでくる
「……なんで、あんなこと言ったんだろ」
あの時は、一度つぶやいたら、次から次へと言葉が流れてくるようだった。
体温を直に感じて、普通に触れ合えない自分と、変わらない関係に急に不安になった
「…はぁ」
あの昼間のできごと。
――早苗に抱きついたとき、色んな感情が溢れた。
さっきの感触だとか匂いだとか、あれらも勿論本当のことなんだけど
その中でも特に思ったのは
体が邪魔に感じたこと。
触れてみて
もっともっと、早苗という存在を芯で感じたいのに
自分の体に、彼女の体に、阻まれているような気がした。
彼女と一つになることができない。
背中という薄い壁が邪魔をしている。
せめて、体温だけでも感じられたら
そう思って、腰に回した腕に力を入れて、顔を押しつけてみたけど
それでも本当は
温かさを感じているのはわたしだけで
眠っている早苗には、わたしの体温がきっと伝わっていない。
それが、たまらなく不安になったんだ。
――そのぐらいに、ずっと繋がっていたいと思うほどに、彼女のことが好きになっている
「切ないといえば、切ない…のかな」
ボーっと机に突っ伏して考えてしまう。恋人になってもずっと、このまま友達みたいな関係なのかと思うと、胸の奥がシュンと沈んだ。……今日お蕎麦を食べた時だって、軽く受け流されちゃった感じだったし……ちょっとはこう、意識してくれても良かったのになぁ。
伝わっていない自分の体温。それと同様に、恋人らしくありたいという想いも一方通行だったらどうしよう。
早苗はきっとこれでいいのかもしれない
でも、わたしは、もっと……
目頭と鼻の奥が少しジーンとうずくような感覚。
「いや、やめよう……そうだ、こんなことしてる場合ではないんだ」
気持ちを入れ替え、ザッとその場で立ち上がった。
そのまま奥の作業部屋へとボイスレコーダーを握りしめて入っていく。
部屋に入り、ガチャっと後ろ手にドアを閉めて中を見渡す。
自分のことながら、ドライバーやらの散らばった工具、積まれた木材と端材、油で汚れたシャツ…それらが無造作に置かれている綺麗とは絶対言えない部屋。
そんな中から、横長の作業机の上に置いてある、すでに作り上がった『目覚まし時計』を手にとった。
薄緑色の丸いフォルム。ちゃんと時計盤をはめ込んであり、チッ…チッ…と針が一定のリズムを刻んでいる。早苗に外の世界の道具について聞いていた時に、教えてもらった物だが、わりと伝え聞いたとおりになったと思う。あとは音声を編集し組み込むだけだ。
「ふふん。早苗が寝てる間に設計図おこして作ってみたけど、初めてにしては中々いい感じにできたんじゃないかな」
指先でコンコンっと叩いてみる。
細かいとこはほとんど想像だが、なんとなくでできてしまう自分が怖い…!
「さぁ録れた音声は、と。ふんふん……よし、ここをこうして…」
さっそく今日の会話の中で録れた音声を機械で編集してみる。わたしほどの腕ならば言葉をぶつ切りにつなぎ合わせてもほら、自然にこの通り!
「〝適度に柔らかい〟〝にとりさんの〟〝腕がイイです〟〝ギュッとしてみて下さい〟」
「そ、想像以上だ…!こんなの朝言われたらバッチリ目が覚めそう……!じゃあ、他のやつだとこれとこれ、あとこれを組み合わして………っと」
「〝私だってもう〟〝大人ですよ〟〝にとりさん〟〝嫁に欲しいです〟」
「テンション上がってきたぁぁーー!!!これは徹夜覚悟だね」
あとは、おはよう、とか、起きてー、とか定番のやつも作ろーっと!
……なんだか虚しいことをしてるような気がしないでもないけど……べつにいい、よね?これで早苗がそばにいるって思えるもん……でも
自分の手の平を見る。
――少し前、早苗と握手しお互いの想いを確認し合った時のことを思い出した。
「……ホントは朝、早苗がまた手を握ったりしてくれたら、きっと嬉しくてすぐ起きちゃうけどね……なんて」
まぁ理想は理想だから!
い、いや~声だけでも夢広がるってもんだよ
……
とにかく今日中にはセットできるだろうし
明日の朝から起きるのが楽しみだ!!
■
〝にとりさん。朝ですよー、起きて〟
「……ん、あ…早苗…?」
ぼんやりとした意識のまま目を開ける。その途端、
わずかに感じる日光の温かさや眩しさが、起き抜けの目を通して夏の朝を実感させた。
そして聞こえてくる早苗の目覚ましボイスが、つい昨日あった早苗の襲撃を思い出させ、思わず名前をつぶやいてしまった。
「ああそうか…目覚まし、か」
眠たい目をこすり、せんべい布団から背中を起こす。ついでにやった背伸びでピキっと肩が音を鳴らし、
そういえば結構遅くまで頑張ったっけ、となんとなくまだ疲れがとれてないことにちょっとガックリする。
スッキリしない気持ちのままゆっくりと振り返り、枕元の目覚まし時計を見つめた。
「うーむ…」
この目覚ましボイス、確か8時にセットしたんだよね。鳴ったってことは正常に動いてることは間違いないからこれの制作は成功したんだろう。しかし
実際に起きてみてちょっと思ったが、最初は嬉しいものがあるが後から悲しい何かが襲ってくるぞ、このボイス。
「そもそも自分で作ったものだし…変な感じ…」
〝にとりさん、起きてくださいよ。にとりさーん〟
わたしがまだ腑に落ちない中、
健気にわたしを呼んでいる目覚まし時計。そろそろ止めるか……
んー何がダメなんだろう。なんかいつもと同じで全然起きた感じしないんだよなぁ。想像だとバッチリ目を覚ませると思ったんだけど……あー眠い眠い
ブツブツ言って、onになってるスイッチをoffにしようと時計を裏返す。
すると
「あれ……?offになってる……?」
慌てて時計の時間を確認した。
よく見たら、いや、よく見なくても短い針は6時を指している。
「起き抜けで針が見えてなかったのか……でも、外は6時にしちゃ明るいし」
といって窓を見上げたところで思い出す。夏の朝はとても早いのだ。これぐらいの時間でも朝日はわりと照っているのが普通である。しばらく夜中の作業が続いて、昼起きが多かったから忘れてたみたいだ。
朝から色々と勘違いをしてしまっていたみたい。
だが、確実におかしいことが一つある。
手に掴んでいる時計を恐る恐る見つめた。
「え……じゃあなんでまだ、早苗の声が」
「にとりさああぁぁぁぁん!!起きてえぇぇぇぇ!!!朝ですってばああぁぁぁああ!!!」
時計からではなく〝外から〟とっっっても大きな声が聞こえてきた
「えええぇぇえ!?なになに!!?昨日も同じようなことが…あれー!!?」
驚いた衝撃で掴んでいた時計を布団に落とした。
どうやら、朝から聞こえていた声はこの時計から響いていたのではないようだ。
でも、まだ全く覚醒していない頭ではなにが起こっているのか、ちゃんとした整理ができない。
「と、とにかく出なきゃ……」
フラフラとおぼつかない足取りで玄関へと向かう。目も完全には開いておらず、もはや性格による無意識に近い行動。よって、自分が昨日と同じ装いのボサボサ頭とパジャマ姿であるということさえ忘れている。
「気持ちのイイ朝ですよーー!!!ほらほらぁー!!」
朦朧としている視界の先の玄関では、間違いなく早苗が外で叫んでいるのがわかる。
やっとのことでドアの近くまで来たが、いまだ覚めない眠気と、動揺のせいで靴さえまともに履けない。しまいには片方だけしか靴を履かずに、玄関のドアを開けてしまった。
そこには、ぼんやりとした視界の先で早苗らしき人が立っているのがわかる。
未だ意識ははっきりしないが、とにかく何か言わなきゃと口を開いた
「ぁ…早苗?あのー…アレ、えーと、そうだ、朝から大きな声で叫んじゃダメだって言っ」
そこまで言ったところで
目の前にいた早苗の姿が急にいなくなる。そして
ギューッと
正面から飛び込まれたように勢いよく抱きしめられ
その暖かく、柔らかいぬくもりに
――目が覚めた
夏の日差しはひたすら暑く、こんなに朝早くてもジリジリと容赦なく照りつけてくる。
だけど今、感じているのは人の体の暖かさ、満たされていく心の温かさ。
夏の暑さもきっとかなわない。
それでも、わたしの体は凍ってしまったかのように動けずにいた。
柑橘系のさわやかな香りに優しく包まれ、服越しにお互いの鼓動が叩き合う。
手を握るだけでは、寝ている背中を抱きしめるだけでは、感じきれない。体も心も一つになったような充実感
――これが…
声を出すことも忘れて只々、呆然とした。
それでもはっきりとしている意識の中
「目、覚めました?」
こちらの困惑など知ってか知らずか、耳元でそっとささやかれる
なんとかリアクションを取ろうと自分の腕を少し動かそうにも、抱きつかれているから当然動けない
「フフッ、ダメですよ?これは昨日のお返し、なんですから。今は私だけ堪能しちゃいます」
そう言うと、さらに強く身体を抱きしめられる。
(…ん…?いま、お返し…って)
なにか聞き逃せない単語が出てきたが、
彼女がささやくたび、耳にかかる吐息に脳がクラクラしてそれどころではない。
今までとは別人のような行動に余計に理解が追いつかず、それとさっきから自分の体を駆け巡る、よくわからない甘い疼きにも戸惑った。自分の体はどんどん熱くなっていく。
それでも、先ほどから動揺で出せなかった声を、喉から無理やりひねり出した
「あの、どう、したの?早苗、いつもと違うというか……いや!別にむしろ全然良いんだけど、その」
「いーえ、これぐらい当たり前なんですよ。 なんてったって私はにとりさんの恋人なんですから」
一瞬、目を見張った。でも
「……そ、そうか!そうだよね!」
あぁ――なんだ
わかっていたこと。
昨日まで、何を心配していたんだわたしは
あの時、言ってくれた。
早苗は言ってくれたじゃないか
好きだって
ちゃんと想い合えていたじゃないか。
疑うことなんてなにもなかったのに
自分の目が熱くぼやけた
昨日のうちに、早苗の中で何か変わるきっかけが生まれたのかもしれない。
こんなに急な変化だし。それがなにかはわからないけど、一つ言えることは
わたし達はすれ違っていなかった。
こうやって触れ合えたんだから
昨日まで不安になってた自分が、消えていく
「それにしても、やっぱあったかいですね、にとりさんは。体温が高いなんて子供みたいです。起きたばかりだからですか~?それとも夏だからですかね?」
そして伝わってる。今度こそちゃんと自分の体温が、早苗に。
――でも今、体温が高くなってるのは、夏だからじゃない。
起きたばかりだからじゃない。
「……早苗が好きだから、だよ」
きっと大好きなあなたに抱きしめられてるから、
なんてのはちょっと大げさだけど。
小さい声で言ってみた。
この距離じゃ聞こえちゃうけど、本音の想いを伝えてみた。
直に伝えるのは久しぶりでちょっと恥ずかしいかも。
でも、ちゃんと起きてるあなたにまた、言いたくて
「ふふ、私も同じです」
横で、早苗の頭がコツンっとわたしの方に寄りかかる。
「ところで今日はどうします?どこか行きますか?それとも、また家でお話します?」
「えと、家……じゃなくて!外でどっか…とか」
「じゃあ今日はデートしますか」
「は、はい!!いや、うん!」
「では昨日話した水ようかんの美味しいお店にでも。あぁ、そういえば夏祭りも近いですしそれも二人で行きましょうね!神奈子様にはバレないようこっそり」
「ふ、ふ、二人で…!」
「手だって繋いじゃいますよ。繋いだまま一緒にとなりで花火も見ちゃいます」
「ふぁぁ~…!!」
ずっと抱きしめられながらの会話。顔が見えなくても、なぜか今までにないほど安心している自分がいる。
――やっと前に進めた気がした。
ちょっと前もこんなことあったっけ
でもあの時みたいに、劇的に関係が変わったわけではない。
変わったんじゃなく、進んだんだと思う。
想われている実感が湧いてきた、なんて言ってもいい、のかな?
少しずつ、少しずつ、確実にわたしたちは進んでいけてる。
これからどんなことをしようか、どんなことを一緒に体験しようか。そんなことを考えているだけでこんなにも楽しい。楽しくなった。
きっとこれが
「あ、そういえばまだ言ってなかったですね」
パッと顔を起こし、わたしの目をまっすぐ見つめる。
突然だったので、耳まで真っ赤になってるであろう自分の顔を見られるのが恥ずかしくなり、思わず目を下にそらしてしまいそうになった。でも、抱きしめられているから逃げられないし、なにより
迷いのない彼女の瞳にわたしの視線は完全に捉えられてしまっていた。
そして、夏の暑さも消し去ってしまうほどの綺麗な微笑みと共に
語りかけられた
機械を通してではない、彼女の言葉
「おはようございます。にとりさん」
愛しい声が
改めてわたしだけに告げる
新しい、朝を
でも尻小玉って洒落にならないと思うんだ早苗さん
いや~、こういう青春暴走ラブコメは大好きです。
それだけに守矢を守谷と間違えてるのが残念。
かと思ってました。途中までは。
>「まぁそれでも、〝にとりさんの声〟で〝目を覚ます〟という本来の目的は、違った形で達せられたんでしょうかね」
この一文が見事ですね。思わず目を見開きました。最初からこの表現をしたいがために書いていたのでしょうか?
あとはにとりが早苗に抱きついて純愛みたく語ってて、で早苗がボイスレコーダーのデータを消した後
にとりの方も録音してたってのも中々面白いです。
恋人同士考えることは似るんですかね。
よく考えると早苗とにとりは、中々突拍子もない発想をしたり、同じ作品からの出演だったりと
このようなCP要素があってもおかしくないキャラ同士ですね。それに気付かされました。