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■ちょっと、京都支部編つまらなくない? 60kbも読んでらんないよ! な方へ。
当作品を開いてくださってありがとうございます。
あとがきに、簡単ですが本話の要約を3行でまとめてみました。
紆余曲折を経ることになりますが、この3行さえ知っていれば、本話は最低限網羅できております。
どうぞよろしくお願いします。
注意! シリーズものです!
以下の作品を先にご覧いただくことをお勧めいたします。
1.メリー「蓮子を待ってたら金髪美女が声をかけてきた」(作品集183)
2.蓮子「メリーを待ってたら常識的なOLが声をかけてきた」(作品集183)
3.蓮子「10年ぶりくらいにメリーから連絡が来たから会いに行ってみた」(作品集183)
4.蓮子「紫に対するあいつらの変態的な視線が日に日に増している」(作品集184)
5.メリー「泊まりに来た蓮子に深夜起こされて大学卒業後のことを質問された」(作品集184)
6.メリー「蓮子と紫が私に隠れて活動しているから独自に調査することにした」(作品集184)
7.メリー「蓮子とご飯を食べていたら金髪幼女が認知しろと迫ってきた」(作品集184)
8.魔理沙「霊夢が眠りっぱなしだから起きるまで縁側に座って待ってみた」(作品集184)
9.メリー「未来パラレルから来た蓮子が結界省から私を救い出すために弾幕勝負を始めた」(作品集185)
10.メリー「蓮子と教授たちと八雲邸を捜索していたら大変な資料を見つけてしまった」 (作品集185)
11.魔理沙「蓮子とメリーのちゅっちゅで私の鬱がヤバい」(作品集185)
12.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」前篇(作品集186)
13.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」中篇(作品集186)(←今ここ!)
14.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」後篇(作品集187)
15.メリー「結界資源を奪い合って魔理沙と結界省たちが弾幕勝負を始めた」(作品集187)
16.メリー「霊夢を信じた私がバカだった」前篇(作品集187)
17.メリー「霊夢を信じた私がバカだった」中篇(作品集188)
先代の案内で通路を歩く。白色のタイルが埋め込まれた地下通路である。
窓は無い。薄暗く、歩くのに支障が無い程度に、照明があるだけである。
じめじめとしていて、生暖かい風が顔に向かって吹いてくる。
酷い環境である。
八雲邸に比べたら、住み辛いことこの上ないだろう。
本当にこんなところに、人が住んでいるのだろうか?
と思ったら、前方のT字路から人影がひょいと現れた。
あまりじろじろ見ても失礼なので、視線は先代の背中へ向けつつ、視界の端で背格好を観察する。
金髪のセミロング。黒と赤の格子柄のドレス。中学生くらいの年齢に見える、少女だ。
スカートの部分にワイヤーが入ってるか、特殊な下着でも履いているのだろうか。
下半身スカートの部分が妙に膨らんでいる。
メルヘンチックな創作に出てくるドレスみたいだ。浮世離れした衣装である。着るの大変そう。
いやっていうか、私の格好も体外だけどさ。こういう格好が好きなんだから仕方ないよね。
「こんにちは巫女様」
少女はすれ違いざまに短く挨拶し、そのまままっすぐ歩いて行く。
「へえ、人間もいるのね。しかも女の子かあ、さっきの子は何て名前なの?」
「……………………」
「ちょっと! 喋るのが嫌だからって無視しないでくれる!?」
先代は無言でさっさと歩いて行く。
さっきの女の子、私と同じくらいか、少し幼い程度の年齢に見えた。
みなりも清潔だったし、笑顔も明るかった。少し、安心した。
さて先代とともに関係者以外立ち入り禁止の扉を抜け、駅員室の中へ入る。
50人程度の規模。そこそこの広さの空間に出た。
天井は他の空間に比べて低くなり、一昔前まで使われていた空調設備が見える。
オフィス机がずらりと並んでいるものの、9割方に荷物は乗っていない。
水拭きはしているようで、机表面に埃が溜まっている訳でもなかった。定期的に使用しているようだ。
へえ、ずっと駅って乗り換えの通路しか歩いたことが無かったけれど。
やっぱり奥にはこういうオフィス用の空間が用意されているのね。
考えてみれば当然だ。無ければどうやって仕事するんだか。
机の間を抜けて奥へ、奥へ。
先代が無言で扉を指差す。
監視ルーム、という看板が貼られている。
扉の向こう側から、話し声が聞こえてくる。
人の気配がある。二人だ。
私は扉を開けた。
室内は、看板の表示通り構内を統合監視するための設備が整っていた。
10インチ程度の小さめなブラウン管テレビが縦横に積まれており、監視カメラの映像を映している。
それらを操作する装置だろう。何やらボタンが沢山ついた黒色の機器。広さは10畳程度。
正面の机には音量を調節するようなツマミが数えきれないほど。
そしてこちらに向かってマイクがにょっきり生えている。
もうどの機器を見ても、今現在となっては使われなくなった、いわば骨董の品ばかりである。
そんな部屋に二人。パイプ椅子を向かい合わせにして座っている。
「お、メリー、おはよう。やっと起きたんだ」片方は、蓮子。
「あなたがメリーさんですか。どうも初めまして」
もう片方が席を立ち、私を覗き込んでくる。
女性だった。歳は見た所、20代中盤程度だろうか。年上のお姉さんという感じ。
金髪、色白の肌、顎が尖っており、目じりが下がる柔和な笑み。
五四青年装、というのだろうか。中国風のゆったりとした服を着ている。
ブラウスは白色、スカートは黒色。大分大人しい印象である。
そして、何といっても目を惹くのが。
頭頂部に生えた二つの耳。
ブロンドのショートヘアーから、上に向かって耳が生えている。
狐の様に尖っており、絶えずあちこちに方向を変えている。――本物だ。
背部に見える大きな尻尾。
枕程度の大きさ。
金毛の尻尾が、三つ。ふさふさと揺れている。
一目で分かった。
妖怪である。三尾の、妖狐だ。
「幻想郷京都支部長をやってます、八雲黄といいます。
黄色の黄って書きます。気軽にホァンと呼んでくださいな」
上半身だけ軽く曲げ、こちらに手を差し出してくる。人間の、握手である。
私は、ほぼ条件反射で、その手を握った。後退りしなくて良かったと思う。
温かく柔らかい手だった。そして、すべすべとした滑らかな肌だった。
「マエリベリー・ハーン。メリーって呼んでください。それで、あのね」私は、生唾を飲み込んだ。
「妖怪に会うのは初めてなの。それで、ちょっと――、あのさ、」
あ、いけね、私泣きそうだわ!
なぜ泣く!? いやいや踏ん張るんだマエリベリー。
黄さんも突然黙った私を訝しんでるじゃねぇか。どうすんだよこれ。
「あの、なんて言うんだろ、――ごめんなさいわたし、」
涙をこらえるために顔を伏せ、ぐっと目を閉じる。
そうしたら、八雲邸で見た資料が、頭を過った。
背中の傷。曲がった膝。痛々しい傷の数々。
最悪のタイミングだ。ああもうだめ、涙が溢れる。
「あなたに会えて、よかったわ! うわああぁぁぁん!」
マエリベリー、初対面の人の前で泣く。
「えええ!? 泣かせちゃった!? あ、ああ! ごめんなさい! ねえ蓮子私なんかしました!?」
「いや、驚いちゃったのね。おいでメリー、びっくりしたねー。妖怪だもんねー。よしよし」
動転する黄の様子を耳で聞きながら、私は鼻を啜りながら蓮子に抱きついた。
蓮子が背中を撫でてくれた。堪えようがないほどに涙が溢れて、蓮子の肩をぐちゃぐちゃにする。
「人見知りはしないんだけどね、繊細なのよ。ちょっと色々とあってね」
「そ、そうなの? なんか失礼な事とか、」
「してないしてない、気にしないで。人より感覚が鋭敏なだけだから」
「わ、わたしどうしよう! なんて謝ればいいのか分からないわ! こんな、こんな大事な時に!」
「メリー、何言ってるか分からん。まずは落ち着こうね。よーしよし」
黄と先代には一度席を外してもらい、10分後に再開した。
「スッゴク綺麗ですね! その金毛と言い、肌と言い!」
「え、ええ、どうもありがとう。嬉しいわ」
10分後、私の開口一番。これはもう正直な感想である。
黄が私に、ニコリと愛想笑い。やべぇ超綺麗だ。マジでモデルさん顔負け。
マジで絵画芸術じみてる次元だぜ。
その笑顔の口元が引き攣っているけどね!
あ、もうこれ完璧に不思議ちゃんのレッテルを張られたね。ま、いいや。
「もう一度手を触らせてください!」
「ええ、どうぞ」
黄の手をにぎにぎする。うっわやべぇこれ。
手の平の大きさと言い、指の長さと言い、まさに黄金比だ。
芸術、美の象徴、神が創りたもうた絶世の権化。
ダヴィンチもびっくりである。
ほつれ髪の女でさえ嫉妬でアフロになるレベルだ。
一切の皺も無い、きれいな肌色。
細くまっすぐな指。傷一つない手の平。
「しゃぶってもいいですか!?」
「だめです」
「舐めるだけなら!」
「だめです」
「じゃあ頬擦りするだけ!」
「まあ、それくらいなら」
手の甲を右頬につけ、頬につける。至福である。滑らかなで瑞々しい肌だ。
こうした手触りを絹に例えてよく表現するけれど、それさえもおこがましいね。
もうテンションだだ上がりである。
「あなたの相棒って、いつもこんな感じなのかしらん?」
「いや、あはは、初めて妖怪に会って興奮してるみたい、かな」
「普通怖がったりするものかと思うのだけれど」
「いつもは臆病で慎重なんだけどね。どうしてこうなったのか」
「嫌われるよりは嬉しい事なのでしょうけれど。でも、ねぇ?」
「やっぱりしゃぶりたい! しゃぶらせて!」
「だめです」
「じゃ、隣に座る位ならいいでしょ?」
「えー? うん、どうぞ」
蓮子の隣から黄の隣へ移り、腰を下ろす。黄の肩に体を擦りつける。
すーんすんすんすん、ああ良い匂い。頭をとろかす魅惑の香りだ。
恍惚とする。脳細胞が片っ端から死滅する。
「何食べてるんですか? 何を食べたらそんなに綺麗になれるの?」
「食べる物は人間と同じよ。お米とかパンとか麺とか」
「羨ましいわ。嫉妬するってのが場違いなほど、綺麗よ」
「メリーも十分綺麗よ?」
「ホントに? デヘヘヘ、ありがとう。照れるなぁ」
「あ、ああ、そう」
「妖怪でしょ? 人間は食べないの!?」
「食べる妖怪もいるけれど、私は食べないわ」
「えー? ホントに食べないの?」
「人食い妖怪は幻想郷京都支部には居ないわね」
「食べるのは可能?」
「口に入れて嚥下する事なら可能だと思うけれど」
「なら私を食べて! さあ、首から! がぶっと! さあ! さあっ!」
「あのね、ちょっとあなたに関わる大事な話をしたいんだけど、いい?」
「私、あなたに食べられるために生まれてきたのよきっと!」
「じゃ、はじめまーす」
黄がタメ口になった。
もっと距離を縮めたい次第である。
黄はごほんと咳払いをして座りなおす。
「ここは京都地下にある妖怪の隠れ家。幻想郷京都支部。
幻想郷に比べたら小規模ではあるけれど、博麗大結界で保護された地よ。
京都の地下鉄が廃線になって、その一部を使わせてもらってる。
主には、幻想郷移住を断った妖怪達がここに住んでる。
食料も水も豊富で、差し迫った課題は無いわね。みんな快適に生活しているわ」
蓮子がハイと手を挙げた。
「黄も京都の妖怪なんだ?」
「そのとおり。人間たちの間では、宗旦狐と呼ばれてる妖狐よ」
話を続けるよと黄。
「先代から話は聞かせてもらったわ。あなた、博麗大結界の人柱になるんですって?」
「うん、そうみたいなの。結界の中に閉じ込められて一生を過ごすことになるって」
「私は、末端ではあるけれど、幻想郷を管理する賢者会のうちの一人よ。
その賢者会の内の、博麗大結界を管理する一派、八雲の名を継いでいる妖怪」
「八雲って、博麗大結界を管理する一派なんだ」
「そうよ。能力を認められた妖怪が名乗れるんだけどね」
「結界省にも八雲っているよ。京都を代表する結界師」
「ええ、知っているわ。まあ昔から八雲家って言うと、優秀な結界師の家系だから」
「別段驚くことでもないか。よくある苗字だし。それで、賢者会がなんだって?」
蓮子が手帳にメモを取りながら先を促した。
「もし人柱が必要になれば、まず賢者会の議題になるはずなの」
「それでその賢者会に、人柱の事は?」
「いいえ、全く出てこない。むしろ今現在の博麗大結界は健在そのもの。人柱なんて必要ないわ」
「八雲蓮子が、そう言ったのよ。私が直に聞いたわけじゃないけれど」
「もちろん信じてない訳じゃないわ。あなたみたいな一般学生が、博麗大結界の名を知れる訳が無いし。
その時点で一考に値する。だから、あなたの身柄の責任は、私と先代が持つわ」
「調べてくれるの?」
「調査依頼を出した。明日の昼には、結果が届くと思う」
「その結果って、信頼できるものなの?」
「むしろ、博麗大結界に欠損があれば、その時点で大騒ぎなのよ」
「一部の妖怪が秘密裏に行動しているとか」
「ありえないわ。っていうかそれやったら追放ものだし、そもそもそんなことが出来ないつくりになってるし」
「大結界が外部から攻撃を受けているとか」
「そんなもの日常茶飯事。全て防御済み。数千年を平気で生きている大妖怪が管理してるのよ。
一般人が発想できる可能性は、全て潰してある。この結果は、信頼できるものだわ」
だから蓮子とメリーの二人は、結果が届くまでは京都支部に留まって欲しい、と黄は言った。
「軟禁?」蓮子が聞く。
「まさか。結界から出ないのならば、自由に行動してもらっていいわよ」
「そういえばここの説明の途中だったね。聞かせて」
「人口は約一万人。全員妖怪」
「全員妖怪? 人間は一人もいないの?」
「うん。何か問題があるかしら?」
私の質問に、黄は首を傾げている。
私は入口の扉に寄りかかって立つ先代を見た。
「じゃあ、ここに来るまでにすれ違った、あの女の子も?」
「妖怪だ」先代が短く言った。
まさか、妖怪だとは思わなかった。
歩き方も話し方も、むしろ人間よりも人間っぽかった。
第一、外見が人間そっくりだったから。
「食べ物はどうしてるの? さっき人間は食べないって言ったけれど?」
「うん、人は攫わないし、食料は地下生産よ」
「一万人全員が?」
「そうね。さっきも言ったけれど、主食は米。自給自足」
「一万人の食料を自給自足? 相当じゃない?」
「妖怪は食事をとる必要がほとんど無いの。人間と比べてね」
そりゃ飲まず食わずじゃ衰弱するけれど、と付け加える。
「幻想郷に核融合を発生させられる地獄烏がいるの。エネルギー問題はそれで解決」
「へえすごーい。たった一人の妖怪の能力で、ここのエネルギーを賄ってるの?」
「むしろ幻想郷のエネルギーに加えて、って言い方が正しいわね。ここは支部だから」
「人類は核のエネルギーを得るために相当なコストとリスクを容認しているのに」
「核融合炉の設備って相当よね。あれを一人で管理運用出来たら相当よ」
「植物の管理は全自動。エネルギーが有り余ってるのだから、運用は簡単ね」
ああそれと、と黄が付け加える。
「ここにも蓄電設備ならあるわ。地下の圧力を使って、空気を圧縮して、」
「あ、人間もやってるよ。地殻風力発電でしょ」
「うん。バッテリーとかを使った蓄電設備よりも、クリーンにエネルギーを保持できるの」
地下に存在する、花崗岩などの高圧力に耐えられる岩石空間へ、空気を送り込むのだ。
電力が不足したら圧力を解放し発電する。電気エネルギーを別エネルギーに変え、保持するのだ。
話が終わったら見学しに行きましょうか、と言う。
「ここがどんな空間か、簡単に分かって貰えたかしら」
「うん分かった、けれど、土台の知識が足りてないのよね」
「というと、どういう事かしら?」
「ここの京都支部は、幻想郷移住を断った京都妖怪の為の地なんだね?」
「そうね。やっぱり生まれ育った地を離れるのはイヤだって考え、あるから」
「じゃあどうして、幻想郷が妖怪達にとって必要なの?」
「あら、そこから話さなきゃだったのね。ごめんなさい」
黄が人差し指を頬につける。
その動作が洗練されていて、思わず見とれてしまう。
「妖怪はね、人間の畏れから生まれるのよ」
「繁殖はしないんだ」
「する妖怪もいるけれど、そうでない妖怪もいる。
人間の畏れを得なければ、妖怪は消滅してしまう。
京都支部の畏れは、幻想郷本部から貰っているわ」
「なんだかぱっと来ないなぁ。良い例えとか無い?」
「たとえば、――そうねぇ、」
黄が困ったように言う。
っていうかこれ、蓮子の知らないフリ、――俗に言うカマトトである。
これよしと黄から話を引き出そうとしているのだ。
沈黙とは金である。賢者は壁に向かい黙すのだ。
黄が、先代に視線を向けた。
先代が頷く。扉に手をかけ、一気に引いて開いた。
「わああああああ!」と8人程度の人、いいや妖怪が、部屋になだれ込んできた。
扉の外にもそれを驚愕の表情で見つめる人垣、――妖怪垣かな? が、ある。
「ぎゃああああ!」「散れー!」「バレたー!」「逃げろー!」
立ち上がり、クモの子を散らすように逃げる。それが大半。
先代に唯一の退路である出入り口をふさがれ、捕獲されたのが二人。
「盗み聞きとは感心しないわね」
「わ、わ、わわわわわ、わわわわわ!」
二人は各々に、黄を見て、先代を見て、私を見て、蓮子を見て、そして部屋中に視線を巡らせている。
それからやっと逃げ道が無い事を理解したようで、観念したように、ごめんなさいと謝った。
「わたすが全て悪いんです。巫女様に連れられて歩くそこの人間を見て、皆に言っちまったから」
と、ここに来るまでの道中ですれ違った、金髪の子が言った。
「違うんです。それを聞いて、様子を見に行こうって言い出した私が悪いんです」
桜色の着物を着た茶髪の女の子が言った。
当然だがこの子も妖怪だ。耳が尖がっており、爪が鉤爪の様に長い。
これを聞いて少し笑ってしまった。
主犯格だったから、一番扉に近い位置で盗み聞きが出来たのだろう。
最前列だったから逃げ遅れたのだ。かわいそうに。
「よろしい。二人に罰を言い渡します。ここで自己紹介をしなさい」
二人の顔は、一瞬意味が分からないと言う様にきょとんとした後、私と蓮子を見た。
直後、途端に元気になって、心得たと言う様にぱっと笑顔になる。
金髪の子がはいと手を挙げて一歩前へ出た。
「わたす、アマゴって言います! 土蜘蛛の妖怪です! 糸を出すます!」
「出してみなさい。ここで」
「曇った両目を括目せよ!」
右手を人差し指と薬指だけ曲げた形にして、そこへふぅー! と息を吹き込む。
天井に向かって白色の糸がぶわっと広がった。2メートルほどで出すのをやめる。
空中からふわふわと落ちてくる糸を両手で掴んで、両側を引っ張って見せる。
「人間の科学で作る糸よりもよっぽど頑丈だよ! さあどうぞ!」
アマゴに差し出され、蓮子が受け取った。強度を確かめる様に横へ引っ張る。
ビン! と音がして糸が張る。蓮子に誘われ、片方を私が持つ。
二人で引っ張る。工業用のワイヤーのように確かな手応え。
「へえ、これでどれくらいの重さを支えられるの?」
「え? えーっと、試したことないから分からないや。えへへ」
「その太さなら500キロくらいは支えられますね」
黄が代わりに説明した。凧糸程度の太さで500キロ程度と言えば、驚くべき強度である。
「もっと太くしたり、伸縮性を出したり、鉄みたいに固くすることもできるよ!」
「はいはい、分かったわ。時間切れ。次、あなた自己紹介」
「ユディータと言います! ユディって呼んでください! 夜雀やってます! 歌を歌います!」
「歌ってみなさい。ただし、毒気の無い物をね」
「その耳かっぽじってよく聞けい!」
すうと息を吸って、両手を胸の前で掴み、発声する。
その歌声のなんと美しい事か。目の前の少女が歌っているとは思えない美声である。
まるで、人が変わったようだ。これが声とは思えない。なにかの神秘的な楽器のような。
人魚伝説で船乗りは人魚の歌声にときめき、惚れてしまうと言う逸話があるが。
それも頷けると言うものである。心地よい音色だ。ずっと、聞いていたい。
「ストップ! ストーップ! 辞めなさい! 客人が酔ってしまいます!」
黄の声に、はっと我に返る。
気付かないうちに聞き入っていたようだ。
口を半開きにしていて、よだれが出ていた。
全身が脱力し、椅子から落ちそうになっていた。
全身に鳥肌が立っているのに気付き、急いで擦る。
隣の蓮子も同じ様子である。
「あ、ごめんなさい。ちょっと調子に乗っちゃった。てへっ」
ちろりと舌を出す。かわいいなこいつ。
「とまあ、妖怪はみんなこんな感じです。どうです? 恐ろしいでしょう?」
「いいえ!」私は大声を出してしまった。「スッゴク素敵よ!」
「この二人に襲われたら、逃げられる自信が無いね。抵抗する間もなく食べられちゃうわ」
「宇佐見の感想が、正解。妖怪は人間の畏れの権化なの」
黄が入り口の横で並んで立つ二人を指差す。
「こんなのが居たら絶対に逃げられない、そんな想像の造形なの」
「それが科学の進歩で、畏れを否定するようになってしまった、って事ね」
「そうそのとおり。妖怪達は存在を否定されると、生を維持できなくなる。
だから、幻想郷のような隠れ里を作り、妖怪達は人の前から姿を消したわけね」
「なるほど。じゃあ幻想郷の中にも人間がいるの?」
「流石宇佐見さん、話が早い。幻想郷の中では、人間と妖怪達が共存してるからね」
持ちつ持たれつで豊かな生活を送っているの。
黄が人差し指を指揮棒の様に振り、言う。
「妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治する。だけどそれが疑似的であるという事が大事なところね。
幻想郷の中にはあるルールがあって、そのルールに則って退治が行われる。
色々な種類があるけれど、ルーツは昔からある妖怪退治の伝説よ」
「へえ、それってどんなルール?」
「外の世界の人間に分かって貰うのは難しいのだけれど」
「お祭りみたいなものかな?」
「そうそう、お祭り、良い例えです」
「定期的に、定型化した儀式みたいなことをやって、妖怪は人間から認識をもらうんだ」
「実際に模擬戦みたいなこともするけれど、基本的には終わったら酒飲みの大騒ぎになるわ」
「え? それって、妖怪達だけの話だよね?」
「いいえ、もう何百年も前から、人間達は懇意にしてくれてるわ」
「ちょっと待って、私が結界省の関係者から聞いた話とは違う」
「そうだね。メリーの言うとおり。人間側の話は、もっと殺伐とした話だった」
「おや? それってどんな話かしらん?」
蓮子が、腹部に親指で横線を引き、両手でそこから何かを取り出す真似をする。
黄が「誰の?」と聞いたので、私が「あなた達の」と答えた。
黄が、アマゴとユディを見た。
二人の少女は、揃って首を傾げただけだった。
「まだ世の穢れを知らない子が聞いているので、オブラートに包んで表現してくれるかしら」
「幻想郷の妖怪達は武力を拡張させながら、人間を絶滅させるために機を窺ってる、って聞いた」
「どなたから?」
「結界省の人から」
「あらあら、それはあり得ない事よ」
「どうして?」
「人間が居なくなったら、妖怪は生きていかれないもの」
「さっきの、人間から畏れをもらわないと生を維持できないって、そこまで致命的だったの?」
「そりゃもう。人間の想像で生まれたって言ったでしょう?」
「言葉の綾かと思ったら」
「そんなことはないわ。客観的に見た事実よ」
「だから妖怪たちは、幻想郷を作って、人間と共存してる?」
「そうよ。力のある妖怪とかはこっちに出てこれるけれど、居心地がいいのよ」
「居心地が良い? たったそれだけ?」
「まあ、いろいろと事情はあるだろうけど」
私と蓮子は、互を互いに見た。
全く、鉄から聞いた話とは違う。
「ねえ私たち、人間たちは妖怪のことを理解していないみたいだね」
「ええ、だから、蓮子とメリーには是非とも、妖怪を知ってもらいたいわね」
目を閉じ、下を向く黄。
そのままややあってから、言う。
「今って何時か分かる?」
私も蓮子も揃って携帯端末を取り出そうとして、八雲邸で捨ててきたのを思い出した。
先代が二つ折りパカパカケータイを展開させ、黄に画面を見せる。
「0時24分。ごめんなさいね、私、少し用事があるの」
「なんの用事?」
「定期的に結界を開けたり閉めたりしなきゃいけないの。その時刻」
「見たいわ! って私が言っても、ダメだよね?」
「うん、場所は部外者には秘密だからね」
「わたすたちにも教えてくれない位、秘密なんだよ」
アマゴが言い、ユディが頷いた。
「それじゃああなたたち二人に指令を出すわ」
黄が席を立ちながら言うと、妖怪二人がハイと返事をした。
「この客人へ食事をさせた後、望みならば京都支部を案内しなさい」
そして次に私たちを見て、安心させるようにニコリと笑い。
「蓮子とメリー、二人は当然ながら、妖怪達を誤解している。
でもそれは、妖怪達と一緒に過ごせば、すぐに解けるだろうと思う。
少しの間、妖怪達と居住を共にしてみて欲しいの」
「え!? 私達、人間と一緒に居ていいの!?」
「一日三食の食事と、温かくて清潔な部屋を用意することね」
「人間ってどんなものを食べるの!?」
「それは、あなた達が聞きだしなさい。ただ、妖怪と違って体が脆いから、気を付けて」
黄が席を立ち、促されるまま私たちは、先代が開けた扉から外へ追いやられる。
蓮子が振り返り、質問する。
「ここって博麗大結界の中なんだよね? ここの物を飲み食いして、私達って帰れるの?」
「よもつへぐいの心配は無いわ」黄が蓮子を、よく勉強してるわねと褒めた。
「それに、あなた達を外界へ返す責任が、私と先代にはある。
例えば妖怪化の呪いを受けちゃったとかってことになっても、うん。
大抵のことは結界と術式で何とかなるから、安心して寛ぎなさいな」
いや、それって肉体的には大丈夫かもしれないけれど――。
そんな目にあったら精神的に参っちゃうと思うんだけど、どうなんでしょうね?
アマゴとユディに連れて行かれた部屋は、厨房の様な場所だった。
ステンレスでピカピカに磨かれた中央の台。
眼の高さへフライパンやらフライ返しやらがぶら下がっている。
コック帽を被ったお兄さんたちがここに立ったら、まさにそんな感じである。
ユディとアマゴは、でっかい冷蔵庫からごろごろと食品を引っ張り出した。
何が食べたい? 何を食べるの? 次々とステンレス中央の台に並べ始める。
これではかなわんと思い、私と蓮子が請負って夕飯にした。
食パンとジャムに、卵とベーコンを焼き、牛乳を飲む。
そう言えば朝に気絶してから今まで16時間、なんの食事もしていないのだ。
胃袋に入れながら空腹を感じ始めると言う妙な現象。
って言うか、ここにはガスが通ってるし、調理道具も揃ってるし。
食材だって豊富だ。豚肉に卵に牛乳に、本当に自給自足してるの? と質問したら。
「そりゃ、牧場があるし。海水を引っ張ってきて漁業も作ってるし」
「え? 牧場? 漁業?」
「なんかいろいろ作ってるね。数が多すぎてなんとも言えないね」
「米、小麦、トウモロコシ」
蓮子が基本的な農産穀物を挙げて行く。
アマゴとユディ、うんと頷く。
「作ってるね」
「ニンジン、トマト、キャベツ、ジャガイモ、レタス、大根、カボチャ、ピーマン」
「全部作ってるよねアマゴ?」「うん、全部食べたことあるから、ここで作ってるね」
「柿、梨、林檎、ミカン」
「作ってる作ってる」
「マグロ、タコ、イカ、アジ、にしん、サケ、カニ」
「ちょっと少なめだけど、とれる」
「牛、豚、鶏は?」
「牧場があるからそこで」
蓮子は呆れたと言わんばかりに両手を掲げ、万歳した。
「農耕と畜産、少々の漁業はほとんど抑えちゃってるのね。どういうこっちゃ」
「っていうか地下にそんな空間の余裕があるの?」
「私たちに聞かれても、ねえ?」
「うーん、わたすは糸で基本的な建築を担当してるだけだからなぁ」
「不可能でしょ?」
「なんで?」
「人数も空間も土地も、リソースが足りてないわよ」
「そんなに難しい事かなぁ。どう思う?」
「いやだから、わたすに聞かれても困るって」
ユディがベーコンを生のまま抓んでパクリと食べた。
うまぁと笑顔になる。さらに長ネギを生のままバリバリと齧り始める。
鋭く長く伸びた爪に、サメの様に尖った歯だ。
ここらへん、やっぱり妖怪なんだなと思う。
「妖怪には得意不得意があるからね。河童は水産業担当だし」
「河童!?」思わず素っ頓狂な声が出た。「河童もいるの!?」
「穴河童が居るね。穴底の水が好きなやつ。今日は仕事休みだっけ?」
「底窟なら今日明日休みだね。一日引き籠って機械弄りするって言ってたよ」
「苗字がそこくつ? 名前はなんて言うの?」
「穴河童の、底窟ウエヤブだよ」
「機械を弄るんだ? 頭いいんだね」
「河童はみんな引きこもりで機械大好きだよ」
「男? もし男だったら嫌だなぁ」
「いんや、ウエヤブは女だよ。引きこもりだから色白だし、喋ると面白いよね」
「あいつ人間に会いたがってたから、連れて行っても面白いかもね」
「あ! それじゃあ会いたいわ! 河童に会ってみたい!」
「じゃ、決まりだね。これ食べ終わったら行ってみようか」
「手ぶらじゃなんだし、なんか適当に持って行こうかね」
きっと向こうで酒を飲むことになるだろうから、という事で。
拳二つ分程度の大きさの豚肉の燻製を冷蔵庫から持って行くことにした。
「食べ物を勝手に持って行って叱られないの?」
「大丈夫だよ。黄さんが監視してる。今叱られないってことは、許してくれたって事さ」
アマゴが親指で天井にある監視カメラを指した。
そしたら、カメラに取り付けられたスピーカーから黄の声。
「今日だけですよ!」と厳しい声だった。
ユディータが口をすぼめ、ひょっとこのような顔をしたので、少し笑ってしまった。
厨房を出て通路を歩く。下へ下へ、下って行く。
妖怪の二人組は体が丈夫で運動神経も良い。
エスカレーターの手すりの上の斜面に立ち、スキーの様に滑走するのだ。
私は怖くてとても真似できないが、蓮子は二人に手を取って貰って挑戦した。
途中一度、足が引っかかってつんのめり、宙に体が浮いた時は、蓮子死んだなと思ったけれど。
すぐ前方をバック滑走していたアマゴが受け止めた。
そしてバックしたまま最下部まで下りて、蓮子を下ろした。
妖怪すげぇ。運動神経良すぎでしょ。
丸い手すりの上を喋りながら歩いてるし。
それと、駅構内の案内標識を探してみたが。
全部が割れたり取れていたりして、ここの線を観察することが出来なかった。
看板は妖怪達のイタズラの格好の的になるのだそうだ。
例えばこんな感じ、とアマゴが糸を吐きだし、看板にくっつけた。
そうしてターザンの様にぶら下がり、振り子の原理で飛び上がり、また次の看板に発射する。
まさにスパイダーマンそのまんまだ。
何だか雑技団かサーカスでも見ているような感じだった。
到底真似できない事を易々とやって見せる。うん、ネタとかじゃなくて、ね。
空中で一回転したり、周囲を機敏に動き回りながら二人でじゃれ合ったり。
身体の使い方は、アマゴの方に分があるようだった。
アマゴは建築業で、ユディは食堂で料理を作ってるから、その差だろうとのこと。
頭上では人間たちが何も知らずに生活をしている間。
地下にはこんな幻想的な空間が広がっていたのだ。
妖怪二人の案内でホームから降り、再度薄暗い通路へ。
細長い通路を転ばない様に壁伝いに歩く。
起床直後に通った時は意識をしなかったけれど。
埋められてしまっているが、線路らしき鉄の輝きが、地面からところどころ覗いている。
でも鉄道の線路って、小石を敷き詰めなかったっけな?
「バラストのことね。地下鉄にはないわよ」蓮子が言う。
「そもそもが騒音と振動の軽減と、雨水の排水が目的だからね。地下鉄には必要ないの」
バラストを敷き詰めず、コンクリートの厚板を敷く線路を、スラブ軌道というらしい。
足で軽く掘ってみると、確かに板が敷かれていることが分かった。
地下通路は、地下鉄の線路が通っていた場所なのだ。
毎日何百人何千人と電車に揺られ、同じ道を通ったのだ。
もう百年以上も昔の話である。
その電車に乗った人は今、誰一人として生きていないだろう。
そう考えて少し、切なくなった。だが同時に、ロマンだ。
「さ、ここの部屋だ。おーいウエヤブー」
アマゴが大胆にこぶしでガンガン扉を叩く。
私が起きたところの部屋と同じような感じ。
地下鉄の壁に扉がくっついている。
アマゴは5回ほど叩き、「入るよー」と宣言して入ってゆく。
「え? 入っていいの?」と私が聞く。
「入ればわかるよ。ウエヤブの部屋は特殊なんだ」
促されるまま中へ。そして驚いた。
テニスコート程度の広さの、海岸になっていた。
足元は砂浜だった。白くてさらさらとした砂だ。
部屋の奥にあるプールには、若干ではあるが波がある。
天井は奥へ行くに従って低くなり、水中へと続いている。
磯の香りはしない。真水のようだ。
頭上に白熱灯みたいな、強めの照明が一つ。
大学のコンパで浜辺パーティーなる物に参加した事があるが、雰囲気は丁度あんな感じ。
夜の砂浜に人工の灯り。照明の方に目が慣れると、部屋の四方の闇が濃く見える。
アマゴがざぶざぶとプールに入って行き、水面に口をつけた。
「ウエヤブー! 来たよー!」と言ったのだと思う。
水中に向けて発した声は、ごぼごぼと泡を作るだけだった。
待つ事10秒。反応は無い。
アマゴが腰まで水に浸かりながら、私たちを振り返る。
「留守なのかな? でも扉も開いてたし、――ってうわっ!?」
アマゴが唐突に水中へ引きずり込まれた。
ざぶん! 姿を消す。一瞬の出来事だった。
驚きで思わずひっと声が出た。
後にはごぼごぼと泡が浮かんでくるだけだ。
それっきりだった。少し怖くなってしまった。え? 溺死?
水死体が浮かんでくるんじゃなかろうかと、水面を凝視する。
「心配ないよ。どうせイタズラだから」
とユディが隣で教えてくれる。でも、本当かしら?
なにかが、浮かんでくる。
水色の物体がゆらゆらと水面に反射して、見えてくる。
浮上してきた物体は、帽子を被った頭だった。ざばぁと上がってくる。
人間の形をしていた。水面から胸のあたりまで出して、こちらに視線を向けてくる。
青色のゴーグルを外し、顔が露わになった。
水色の、ツナギのようなゆったりとした服を着ている。少女だ。
髪の毛は黒色。二つまげにしている。
頭には水色の作業帽。
ツバを反対にして被る、いわゆるエロかぶりにしている。
肌は病的なまでに真っ白だが、唇は健康的な朱色。
「ハロー、ユディ、と? その二人は誰だい? 新入り?」
「さあウエヤブに問題。この二人は誰でしょう。あててみそ」とユディ。
ウエヤブが拳を作って顎に当て、むむむと見つめてくる。
なにかぶつぶつと言っている。悩んでる顔が、段々と驚愕に上塗りされてゆく。
「うっそぉ!? ニンゲン!? マジで!?」
「ピンポーン、大正解。流石だねぇ」
「握手しようアクシュ! ニンゲンの挨拶はそれでいいんだよね!?」
ウエヤブが小躍りしながら近づいてくる。
腰ほどまで水につかっているので、ばしゃばしゃと水を跳ねさせている。
「わははは、なんでこんなところにいるんだい? 一体どんな事情が、――ってうおうっ!?」
激しく水飛沫を上げて水中に姿を消すウエヤブ。
代わりに浮上してきたのがアマゴである。
「げっほげほ、溺れ死ぬかと思ったわ。こんにゃろう、びっくりさせやがって」
水から上がり、こちらまで走ってくる。砂浜に立ち、反転。
プールに向かって両手を突出し、片目をつぶって狙いを定めている。
「ウエヤブはこうなったら、絶対にジャンプで襲ってくるからさ、撃ち落としてやるんだ」
「もうやめなよ。お客さんがいるんだよ? そんなじゃれ合いなんてやめようよ」
「向こうに言いな。わたすは正当防衛だ。先に手を出したのも向こうだし。――そら来た!」
アマゴの予想の通り、ウエヤブが水中から飛び上がって襲い掛かってきた。
相当な速度だった。トビウオの様である。ドルフィンジャンプ顔負けだ。
アマゴが砂浜に立ち、両手から糸の固まりを連射する。
空中で回し蹴りの様に体を回転させ、攻撃を叩き落としてゆくウエヤブ。
そのまま二人は砂浜で衝突する。取っ組み合いになった。
ごろごろと転がっていたが、軍配はウエヤブに上がったようだ。
馬乗りになって止まる。
「ねえ! やめなって二人とも! もういいじゃん引き分けで!」
「そうだ負けを認めろ土蜘蛛! マウントポジションを取った私の勝ちだ!」
「なんだと? 生意気な口を利くな穴河童。これでも喰らえ!」
下になったアマゴが腕を突出し、至近距離から糸を発射する。
ウエヤブは身体を横にして射撃を避けると、アマゴの襟首を掴み、力任せに振り回した。
一回転、二回転、三回転。
「そぉい!」という掛け声。
ハンマー投げの要領で投げ飛ばす。
その怪力たるや、アマゴの体が軽々と宙を舞う。
弧を描き落下する方向には、プールがある。そのまま落水するかと思ったが――。
アマゴは空中で姿勢を取り、糸を天井へ発射しそれに掴まる。
振り子運動。こちらに復帰するつもりだ。
「よろしいならば、」
「戦争だ!」
砂浜でファインティングポーズをとるウエヤブ。迎撃態勢。
「あんたらいい加減にしなさーい!」
ユディが叫んだ。
ウエヤブが人形になったかのようにその場に倒れた。
アマゴは、糸から手を放し、振り子から放り出され、砂浜に顔面から落ちて突っ伏した。
少し背伸びをして観察すると、二人とも白目を向いていた。
気絶しているようだ。一撃必殺。しかもダブルキル。すげぇ。
「心配する事無いわ。10秒で気付くから」
何でもない事の様に言うユディ。
もう慣れっこの様子だった。
「さっきのは、私優勢だったろう? マウントを取ったし、射撃も当たってない」
「そんなこと言ったらあんた、わたすが遠距離で糸を撃ち続けたら何もできないじゃん」
「そうさせなかったから、判定では私の勝ちだって言ってるんだよ」
「よし、じゃあ公平を喫して、人間に判定をしてもらおう。さあどうだい蓮子とメリー?」
「いいねそれわかりやすくて。さあ判定! 決めてくれ!」
「ユディ一票で」
「私もユディ」
「わーい、判定票独占で私の勝ちだぁ」
「納得いかない! なんか納得いかない!」
「相撲の取り組みで、行司を優勝にされた気持ちだ……」
砂浜に四人で腰をおろし、話をする。
こういう薄暗い場所で少人数輪を作り腰をおろし向かい合っていると。
不思議と団結してる感じが出て来てくるから不思議なものである
「本題に戻ろう。どうして人間二人は、――蓮子とメリーは、ここに来たんだい?」
「そう言えばわたすも聞いてなかった」
「黄さんに案内をしろって言われただけだったからね」
「うーん、ねえ蓮子、なんて説明すればいいかな?」
「そうねぇ、まあ端的に正直に言っちゃえばいいんじゃないかな?」
私は、正座の足を崩した姿勢で座っていたが、もう足が疲れてきた。
日頃椅子座ばかりで、床に座ることなんてないからだね。
崩す方向を右から左に組み替えて、言う。
「私は博麗大結界の人柱になるらしいの。それを巫女さんに相談したら、連れてこられた」
「ほほう、人柱とな。その博麗大結界は幻想郷の方だね?」
「そうみたい。支部じゃなくて、本部の方の幻想郷にあたるのかしら」
「幻想郷ってどこにあるか分かる?」
「私たちも行った事無いよ。でも、信濃の方にあるとは聞いたことがある」
「えー、私は京都にあるって聞いたけれど」
「京都って、ここじゃん。ありえないと思うよ」
「と、こんな感じ。みんな知らないんだ。黄さんは知ってるだろうけどね」
「いつ人柱に?」
「いんや、知らない」
「黄さんが賢者会に調査依頼を出したってさ。明日の昼にはわかるって、盗み聞きしたわ」
「ああ、あれって人柱の話だったのね。つながったわ」
「多分何かの誤解だと思うよメリー。人間の人柱なんて、一大事だ」
「へえ、そうなの?」
「ここにも広報活動くらいはあるよ。でもそんな知らせ、全く来てないもんね」
ユディが両手で砂を掻き集め、小山を作りながら言う。
「でもさ、人柱って、巫女さんが居なくなったら必要になるんでしょ?」
「たしかにそうだよね。巫女が居なくなるなんて現段階じゃ到底考えられないね」
「ウエヤブ、大結界に関して詳しいの?」
「そこそこ、って感じかな。でも関係者ほどじゃないよ」
「人柱が必要になったことって、今までにあるの?」
「無いな。でも何度か話には出てる事だよ」
「人柱が必要な時って、具体的にはどんな時?」
「巫女が負傷したり、死んだり、行方不明になったり、だよね?」
「そうだね、祈祷が出来なくなって、巫女の代わりが居なくなったら、人柱が必要だ」
沈黙。静寂。安らかなさざ波の音が聞こえてくる。
「ところでウエヤブ、どうして結界に詳しいの?」蓮子が新しい話題を提示した。
「ん? 私って、人間の文化に興味があるからさ、まああまり大きな声じゃ言えないけれど」
「結界の穴を探してるって事ね?」
「これってかなり厳しい罰則対象なんだけどね。まあそういうこと」
「博麗大結界の穴は見つかった?」
「ムリムリ、強力な結界だよ。そんじょそこらの結界師じゃ緩める事さえ難しいね」
「結界省ならどうかしら」
「巫女様並みの結界師なら分からないけれど」
「うん、到底不可能だってことが分かった」
「わはははは、お前ら人間側の筈だろうに!」
蓮子は足を伸ばして座ったまま貧乏ゆすりをした。
「人間の文化に興味があるって、どんなふうに調べてるの?」
「そりゃ色々だよ。本を調べたり、人に聞いたり、まあ外から来るもので調べるかな」
「機械に詳しいってユディから聞いたわ。頭良いのね」
「それほどじゃないよ。外の技術には到底かなわないね」
「ちょっと見てみたいなぁ! どんな物作ってるの?」
「え? ホントに、見てみたいの? ホントに?」
「ええ、そりゃもう。あなたどうメリー?」
「興味が無い訳ないじゃん! 河童が造った技術よ?」
「えへへへ、ちょっと参っちゃうなぁ。人間に私の機械を見てもらう日が来るとはね」
砂浜から立ち上がり、尻についた砂を両手で払う。
「そのプールを超えた先にも部屋があるんだ。機械を持ってくるのは大変だから、一緒に来てくれる?」
「分かった。でも私達、そこまで泳ぎが早い訳じゃないから、溺れちゃうかも」
「ああ大丈夫だよ。私が手を引いて泳ぐから。アマゴとユディは?」
「黄さんに、蓮子とメリーの案内を頼まれてるからね」
「あんただけじゃ心配だから、あたすらも行くよ」
「よしアマゴ、お前は自分で泳げ」
「なんて!?」
先に蓮子が行くことにした。ポケットから手帳を取出し、入り口近くへ置く。
服を着たままざぶざぶとプールに入って行く蓮子。全く躊躇が無い。
肩まで水に浸かって何度か深呼吸。ひときわ大きく息を吸い、そして二人で潜って消えた。
ややあってからウエヤブが戻ってきた。一人だった。
「いいよメリー、こっちにおいで」
おっかなびっくりプールの中へ。
水の温度は特別冷たいという訳じゃないけれど、やっぱり凍えそうだ。
呼吸を繰り返しながらゆっくり水の温度に慣れ、足がつかない位置まで進む。
体温を奪われて呼吸が早くなっている。緊張と寒さで、足が震えているのを感じた。
私は立ち泳ぎをしながらウエヤブへ聞いた。声が少し震えていた。
「向こうまではどれくらい?」
「80メートルくらいかな」
「80メートルも泳ぐの!?」
「息、続く? 何分くらいなら止められる?」
「何分もは無理よ。1分くらいでなんとか」
「じゃあ大丈夫。10秒もあればつくよ」
「もし、もしもだよ?」
「うん?」
「向こうに着いて私が息してなかったら、蘇生してね」
「水キライなんだ?」
「顔を水につけるのが、ちょっと怖いかも」
「ゴーグル貸そうか。はいこれどうぞ」
ウエヤブからゴーグルを受け取り、装着する。
「温度には慣れた? そろそろいいかな?」
「うん、もうちょっと待って」
「準備が出来たら、手を握ってね。そうしたら出発するから」
「手は先に握っておくわ。合図を送ったら潜って」
ウエヤブの手を握り、深呼吸を繰り返す。体が、震えているのを感じる。
すでに足の感覚が鈍くなってきている。
これから潜る先を観察する。
波で水が揺らめいており、よくわからない。
天井も低くなっていて、潜ったら最後、向こうにつくまでは息継ぎが出来ないのだ。
段々怖くなってきてしまった。私は、こっちに残ろうかしら。
「ウエヤブ、わたしやっぱり、――っ!」
やっぱり、辞めようと思う、と言い出そうとした時である。
きっとそれを合図だと勘違いしたのだろう。ウエヤブが私の手を握り、潜水した。
ものすごい、力だ。ぐいぐいと引っ張られる。
振り返ると、先ほどまでいた水面が離れていくのを見た。
この手を放されたら絶対に死ぬ。私は両手でウエヤブの手を握った。
水中は驚くほど綺麗だった。岩がトンネルの様に削り取られて通路になっている。
下の方に目を向けると、ごつごつとした岩肌が高速で後ろへ流れていくのが見えた。
水の透明度が高い。ずっと遠くまで見える。全く濁っていない。
水中だという事を忘れてしまいそうだ。
ウエヤブに手を引かれて、まるで空を飛んでいるようだ。
前方、ウエヤブの体。バタ足ではない。
両手足を伸ばし全身をくねらせ、効率的に推進力へ換えている。
動きは大きくない。最小の動きで驚くほどの力を得ている。イルカのようだ。
私は、手を握ったまま、体の力を抜いた。前から来る水を受け止める。
身体を撫でて流れてゆく水の感触が心地よい。陸地では絶対に得られない感覚だ。
遠くからざぶんと飛び込む音が聞こえてきたので、後ろを見る。
アマゴとユディがついてくる。もちろん、こちらの速度には敵わない。みるみる距離を放してゆく。
私は感激した。こんなに速く泳げるのだ。
手を力一杯握る。前方を向いていたウエヤブがこちらを見る。
「息が続かない?」とウエヤブが泡を吐きだしながら言った。
いや、違うの。あなたの魅力に感激してしまって。
そう意を込めて首を振ったら、ウエヤブが頷き、一段と速度を上げる。
驚異の加速。ぐおおおおおと耳元で水が鳴る。水面が近づく。
あと5メートル、4,3,2,1。
胸のあたりまで飛び上がった。途端に重力を受けて、落下する。体が重くなった。
私は音を立てて息を吸った。ウエヤブが私の後ろ頭を手で支えてくれた。
「大丈夫!? 息してる!?」
「ウエヤブ! あなた凄いわ! 信じられない! 魚みたいだわ!」
感情が高ぶってしまった。両腕でひしと河童の首筋に抱きついた。
少し水を飲んだが気にならなかった。
「なんかのアトラクションみたいだよね」と、砂浜に立つ蓮子が言った。
「ええ! ホントに凄かったわ! あはははは! すごいすごい! あなた天才よ!」
後ろからついて来ていた二人が追い付き、水面から顔を出した。
大声で笑いながらウエヤブに抱きつく私を見て、きょとんとしている。
「どうしたのメリー、なんかテンション高くない?」
「そりゃ高くもなるわよ! 凄かったわ! ああもう、あなたったら凄くステキ!」
「メリーがおかしくなった……」
「人間って体温を簡単に失っちゃうんだよね? 早く水から出た方が良いよ」
「ウエヤブ! もう一回! もう一回潜って! 息が続かなくなるまで泳ぎ回ってよ!」
「はいはい、適当に着替えを用意するから、人間は早く着替えてね」
ウエヤブは、首にしがみつく私そのまま、じゃぶじゃぶと砂浜に上がる。
部屋の作りは全体的に、水路入口側の景色と似たような感じだ。
白く細かいさらさらとした砂の海岸。穏やかにさざ波だっている。
頭上には白熱灯によく似た、強めの照明が一つ。
壁と天井の間から水が流れ出ており、岩の壁を伝う様にしてプールへ落ちている。
部屋の奥には玄関らしい場所があり、靴が並んでおいてある。その向こうに閉まっている扉がある。
ウエヤブが私を振りほどき砂浜に投げ捨てた。
「ほらそこの二人、水遊びするより先にすることがあるでしょ。荷物運び手伝いなさい」
水を掛け合って遊んでいるアマゴとユディへ一喝。
三人は玄関から上がり込む。扉の向こう側には廊下が続いているようだ。
通路を曲がって姿が見えなくなる。
ややあってから戻ってきた彼女は、バスタオルとハンドタオルが二枚ずつ、それに――。
「なにそれ、木?」
「たき火にしよう。乾燥機で乾かすよりも、それっぽいっしょ?」
「ここで燃やして大丈夫なの? 窒息死しない? 煙も出るでしょ?」
「洞窟には隙間があってさ。空気と水は循環洗浄してるから大丈夫だよ」
「へえ、手間いらずでいいね。自然の力?」
「私が穴開けて整備したんだけどね。ほらこれ使って」
私と蓮子にバスタオルを投げ渡してくる。
洗剤の匂いがする。ふかふかとしてカビも生えてなく、清潔だ。
「ここに火を起こすから、それは囲むように置いて」
とウエヤブが指示する“それ”とは、妖怪二人が持って来たデッキチェアだ。
両足を伸ばして寝転がれるタイプ。五人分を設置してゆく。
さらにガーデンテーブルが三つ。ステンレス製の軽いやつ。
「ここで着替えるのが嫌だったら奥も使っていいよ、――ってもう着替えたか」
私は既にスウェットに着替えて頭にタオルを巻いていた。
蓮子はハンドタオルでがしがしと頭を擦っている。
「乾かしたい服干すからちょーだい」
いつの間に持ってきていた物干し台へ、受け取った服を干してゆく。
火がそこそこ大きくなっている。燃焼を始めた炎が目にまぶしい。
私はデッキチェアに座り、一息ついた。
ウエヤブが玄関にある壁へ手を伸ばす。
きっと調整用のつまみがあるのだろう。白熱灯の灯りが弱くなる。
さらに、壁から流れ落ちてくる水量も少なくなった。
わずかなさざ波の音だけが聞こえてくるだけである。
「なんだか、ステキね」
「気に入っていただけたようで何より。人間ってこういうの好きだろう?」
「あはは、まあ毎日はごめんだけどね。でもこうやって火を囲むと安心するよね」
「そこらへん、やっぱり妖怪と違う所だよね。そう思わないアマゴ?」
「そうだね。妖怪は火も起こさずに真っ暗闇の地べたで、草葉で体をカモフラージュする方が落ち着くのよ」
「私は夜雀だから、細長い台の上にいた方が寝やすいんだ。こんな感じで」
と、物干し台によじ登ると、体育座りの要領でひざを折り、しゃがみ込む。
鳥が電線に止まって眠るのを人間が真似している感じだ。
体幹の作りが違うのだ。バランス感覚すげぇなユディ。
「なにそれ面白い。何だか原始的な本能を彷彿とさせるね」
「こういう砂浜なら、穴掘って自分の体を埋めて寝たいなぁ」
「私たちがやったら、絶対に息苦しくって寝られないね」
「物干し台に立ってろなんてとても無理よ」
「ねえウエヤブ、私このまま物干し台の上で寝てもいい?」
「ダメだよ。人間がいるんだから人間の文化を学びなさいって」
「ちぇ、まあ良い機会だから、仕方ないか」
物干し台から前宙一回転で飛び降り、デッキチェアに寝転がるユディ。
「あ、そうだ。厨房から豚肉の燻製持って来たんだよ。みんなで食べよう」
「黄さんによく見つからなかったね。どうやったの?」
「そりゃもちろん、蓮子とメリーの歓迎会と称して見逃してもらった」
「なるほど、よしそれじゃあ、酒でも飲もうか。二人はアルコールダメとか無いよね?」
「ええ、私も蓮子も大丈夫よ」
ウエヤブが奥から日本酒を持って来た。“河童の皿水”という銘柄だ。
幻想郷の河童が造った酒とのことだ。お猪口に注いでもらった。
全員で焚火を囲って起立する。ウエヤブは全員の顔を見回し、困ったように言う。
「えーっとそれじゃあ、……何に乾杯しよう?」
「そりゃあなた、豚肉の燻製に?」
「アマゴはやっぱりだめね。この日の良き出会いに、とかでしょ普通」
「それじゃあ私は、古きから続く人間との絆へ」
「おおお!」「おおお!」
やばい、ハードルが上がってきた。
蓮子は必死に考えている私を見て、間髪入れずに言った。
「人間と妖怪の繁栄に」
「おおお!」「おおお!」「おおお!」
と歓声のあと、全員が一斉に私を見詰めてくる。
私がトリか! 私の音頭で乾杯するのか!?
え? マジで? 私、こういうの苦手なんですけど。
顔をぐるりと見る。そんな期待を込めたまなざしで私を見るな!
「えっと、それじゃあ、――ねえところで今何時ごろか分かる?」
「うーんっと、夜中の1時過ぎだね」
「ああ、丑三つ時にはちょっと早いのね。残念」
私は背筋を伸ばし、腹に力を入れ、声に気合を込めた。
「それでは! 魑魅魍魎が跋扈する幻想郷京都支部へ、乾杯!」
「乾杯!」「乾杯!」「乾杯!」「乾杯!」
杯を傾け、少量の酒を口腔に含む。
河童が造ったと言うので、一体どれほど辛口なのかと覚悟した私だったが。
「あれ? お水?」と勘違いしてしまうほどに、飲み易い酒だった。
「いんや、ちゃんと15度あるよ。っていうか、私も初めて飲んだ。こりゃびっくりだね」
「飲み易いね。調子に乗らないようにしないと、ね。メリー?」
「なによ、いっつも調子に乗って潰れるのはあなたの方でしょ。美味しいお酒ならなおさらよ」
「人間二人からご好評いただきました。いやあ、口に合わなかったらどうしようかと」
ユディが包丁で豚肉の燻製を切って、小皿に盛り付けた。
全く器用なもので、向こうが透けるほど薄くスライスする。
「ホントは爪で切りたいんだけど、油がつくのはイヤだからね」
もう幾度となくその長く鋭い爪で肉を絶ってきたかのような口ぶりである。
しかしそれはともかく、豚肉の燻製を肴に酒を飲む。
「昔の博麗の巫女が、この酒を飲みながら親友へ悩みを打ち明けた、っていう故事があるんだ」
「へえ、博麗の巫女も人間なのね。その親友って妖怪?」
「人間をやめた人間だね。今も生きてるって話だよ」
「ん? 故事だよね? 数百年も前の話でしょ?」
「人間をやめる方法なんて沢山あるのさ。不老の呪文だと思うよ」
「博麗の巫女は?」
「ごめん知らない。どうなったんだろ」
「明日黄さんに会ったら聞いてみたら?」
「うん、そうするわ」
ウエヤブが酒を舐める。
「それで、“河童の皿水を飲む”っていう故事熟語が出来た」
「親友に自分の悩みを曝け出す、って意味だよ」
「まああとは、“河童の皿水を飲み合った仲”とかね」
「ふぅん、ところでウエヤブ、河童の皿水って美味しいの?」
「だ、だめだよ! たとえ人間の注文でも命まではあげられないね!」
「全部飲もうなんて言ってないわよ。むしろ、ただ見せてくれるだけでも良いから」
「それはもっとダメ! 河童の皿を見せてってのは、結婚してくれって事なんだよ?」
ウエヤブが甲高い声を出しながら帽子を押さえた。
「ウエヤブ、お前の皿を見せてくれ」
「イヤー! なんて破廉恥な! いやでもメリーにならいいかも知れない」
「じょ、冗談だって」
私がおどけて言って見せると、ウエヤブが包丁を手に取った。
うわやべぇこえぇ、と思ったら、包丁の側面に燻製を一枚乗せ、器用に放ってくる。
「食らえや!」この狙いも見事なものだ。
私はただ口を空けて待っているだけで良かった。
「ウマし」飛び込んできた肉を咀嚼する。
「よしそれじゃあ、河童の皿水大会にしようか。ユディは、なんか悩みある?」
「高音を出そうとすると音程取るのが難しくなることかな」
「ちょっと歌ってみてよ」
「それじゃあ、宇多田さんのグッバイハピネス」
「J-POPかよ! オラトリオはどこ行った!」
酔っぱらっているのか、突っ込みも無視してなぜか物干し台の上に立つ。
アカペラで歌い始めた。アマゴの茶化しも、第一音が出た途端に鳴りを潜めた。
しばしの間、魅了される。中盤の高音、苦しそうに体をよじり、声を出そうとして。
「あー、やっぱムリだわ」
物干し台から降りてくる。
私は、ユディを引っ叩いた。
「あいたぁ! なんで叩くの!?」
「なんでもへちまも無い! 聞いてたのに止めんな!」
「そ、そんな自分勝手な」
「私の小さいころ、ピアノを豆が出来るほど練習して、やっと弾けるようになったんだから!」
「だから、なによ?」
「あんたも喉がつぶれるほど練習しなさい! いい声持ってんだから!」
「えー、でも私、歌うのが好きなだけで、これでどうかしようとは思ってないし」
「これをみろユディ!」
私はユディへ両手を広げ、突きだした。
「指が短くて不器用なのよ! だから辞めたの! ピアノをね! それを、それをあんたはっ!」
感情が激して、思わず涙がこぼれた。昔の記憶がフラッシュバックした。
ピアノ教室の先生に、友人が褒められていた。指が長くて有利ねと、褒められていたのだ。
「ごめんなさいメリー、私ちゃんと勉強するよ。ごめん」
「分かればいいのよ。頑張って。ユディならできるよ」
ひしっと熱いハグを交わす。
後ろで蓮子が「あんたら酔っぱらいすぎでしょ」と笑った。
「はい次、アマゴ」
「なんだよ嫌に投げやりだな!?」
「一人一個ずつ悩みを告白する会だからねこれは。さくさく行こう」
「それじゃあ、私の悩みは、」
腕を上に向かって伸ばし、指を複雑に曲げて、手首へふぅっと息を吹き込んだ。
糸が天井に延び、ひらひらと落ちてくるのをアマゴが掴む。
「これさ」
「“これ”って、その糸?」
「うん。糸の形は、手の指の関節の曲げ伸ばしで決まるんだ。さて、両手で28関節、何通りの糸がある?」
「250,000,000通りくらいかな?」
「流石蓮子、計算速いね」
「2の10乗が1024だね。28乗だと、1000の3乗を4で割ったくらいになるわ」
「なるほどわからん」
「うん、妖怪には早すぎた」
「え? そうかな? 的確な説明だよ」
「ウエヤブは数字に強いからね」
「さて、その糸の出方を全て調べようとしたら、何年かかる?」
「10秒で1つ調べるペースで、寝ずにずーっと作業を続けて、80年」
「“両手10本の指で、その個数”なんだよ。“そして私は土蜘蛛”」
わかるかい? とアマゴが繰り返す。
“私は土蜘蛛なんだ”と繰り返す。
蓮子が、じっとアマゴを観察して。
「ああ、――なるほど。途轍もない数になるね」
何かに気付いたようだった。
「? なあに蓮子、どういう意味? わたし、分からないわ」
「それじゃあヒント。蜘蛛って足は何本あるか、分かる?」
「八本でしょ? それがどうかしたの?」
蓮子がゆっくりと目を閉じ、そして次に開いた時は、横目でアマゴを見ていた。
表情には若干の陰りと、心配が感じられる。
私はアマゴを見た。
金髪のセミロング。風変わりな黒と赤の格子柄のドレス。
ドロワを履いているのか、下半身スカートの部分が妙に膨らんでいる。
なんとなく、気付いてしまった。
率直に、質問する事にする。
「あ、ああ、そのふくらみの下って?」
「うん、足だよ。あと四本ある」
「見せて!」
「いや、見ない方が良いよ」
「じゃあ触らせて!」
「君は本当に変わった人間だね。いいよ、触ってごらん」
歩み寄りドレスの上から手で触れ、観察する。
甲殻がある。三つほど、関節があるようだ。
ごわごわとしているのは、ドレスの質の仕業ではない。
人間の足ではないのだ。きっと、蜘蛛のような足をしているのだろう。
折り畳んで服の裏に隠しているのだ。
丁度、拳を握る様に。あと四本の足がドレスに隠れている。
「メリー、その手つき、エロいよ」
「あ、ごめんなさい。興奮しちゃって。ねえ、やっぱり見ちゃダメ?」
「うん、だめだね。満足した? もうそろそろやめた方が良いよ」
もうそろそろやめた方が良い。アマゴがそう言った。
観察を続けると、何かがもっと分かってしまうのだろう。
そしてアマゴは、私がそれを知って気付くのを、恐れているのだ。
私は、ドレスの膨らみに抱きついた。
四本のごつごつとした関節を感じた。
「素敵な足だと思うけれどね」
「メリー、酔っぱらってるでしょ」
「シラフだよん」
「うそつけ、離れろ。酔っ払いの相手をする気はないぞ」
「なーでなで。ここの曲線が良いなぁ」
「人間で言うと、骨盤の脇の部分だ。うん離れろって、終わり終わり」
アマゴから膝蹴り(?)を喰らい、仕方なく離れることにする。
「人間には虫を嫌う人が多いって言うけれど、メリーは大丈夫なんだ」
「虫キライ! 気持ち悪いじゃん」
「蜘蛛は大丈夫なの?」
「あなたは別よ。昆虫と妖怪は違うわ」
「その発想はおかしい」
「そうかな」
「妖怪の中でも、土蜘蛛の見た目を忌み嫌うやつは多いってのに」
「おかしいのは、その発想よ。そうじゃない?」
ぱちんと、薪が爆ぜた。
火の粉が上昇気流に乗って、上方へ上って行った。
「うん、もう一度撫でさせて?」
「なんで“触らせて”じゃなくて“撫でさせて”なんだよ!?」
「文字の通りよ。っていうか、しゃぶらせて?」
「いやだ! こわい! メリー目が怖い!」
「うふふ、怖がることなんてないのよ?」
「この人間、妖怪よりも妖怪っぽいよ! くんな! こっちくんな!」
人間の方の足の裏で顔を押し返された。
それで、ドレスから蜘蛛の足が見えた。
しっかり四本。素敵な足だと思った。
「次行こう! わたすがメリーに食べられちゃう前に次行こう! はいウエヤブ!」
「私の悩み? 聞いてもつまらないから、飛ばしちゃってもいいよ?」
「河童の皿水大会にしようって言い出したのはあんたでしょ」
「うん、それじゃあ、――ほら私も生粋の河童だから、創作願望があるんだ」
ちょっとまっててね、とデッキチェアから立ち上がり、奥へ姿を消す。
戻ってきたウエヤブは、自分の上半身がすっぽり隠れるほどの大きさの段ボール箱を持っていた。
自分のデッキチェアの傍らに置き、中にある物をがちゃがちゃ漁っている。
「例えばこういう物。関節が10個ある尺取虫ロボット」
ウエヤブが取り出したのは、30センチ程度の長さの、小さな四角い部品が連結している機械だ。
スイッチを入れるとロボットは尺取虫の様に伸縮を始めた。
テーブルの上でゆっくりと前進を始める。
ウィーンウィーンと動作音がいかにもそれっぽい。
「10個の関節に同じ動きをさせて、タイミングだけをずらしてるんだ。面白いだろ?」
「へえ、考えたことなかったなあ。それだけのルールで前進するのね」
「生き物の動作って洗練されているものが多いからね。結構簡単に実装できる」
「確かに、この尺取虫ロボットが良い例ね。この単純な筋肉の動きを何かに応用できないかしら」
曲線の角度とか効率的な動作速度とかをこの公式で表せばうんたらかんたら。
蓮子が食いついた。数学者としての感性が、ウエヤブと共通するのだろう。
「でもこいつ、モーターの負荷超過で、30秒動くと2分の冷却が要る」
「興味深い。その冷却時間も含めた動きが意味深だわ」
「ねえ蓮子、これってそんなに面白い事かなぁ?」
ただ単に連結した部品がモーター動作で曲げ伸ばしされているだけである。
蓮子とウエヤブ、尺取虫ロボットへ熱い視線を送る二人である。
伸縮を繰り返しテーブルを前進していたが、そこで唐突に動きを止めた。
お尻の部分についている温度計のマークのLEDが、赤色に点灯している。ピーと警告音。
温度異常を検知し冷却モードに入ったのだ。
「まあこんな感じ。アイディアはあるのに、満足に動かす部品が無かったりした時かな」
「その部品って、物理的な問題だよね?」
「そうだね、大抵はパーツ強度が足りなかったり、回路パーツが無かったり」
「そういう場合ってどうするの?」
「基本的には諦める他無いかな」
「でも色々とパーツ集める努力はするんでしょ?」
「そうだね、幻想郷本部からパーツを貰ったりしてる」
「え? 生産してるの? 回路パーツを?」
「いやいや、まあそれで済むこともあるけれど、外の世界から流れ込んでくる物があるんだ」
「あ、それ知ってる。博麗大結界の作用のうちの一つだよね」
博麗大結界には、外の世界で非常識になった物事を吸収する効果がある。
私たちが忘れて常識の意識から外れたものを、幻想郷は受け入れているのだ。
ウエヤブはそうして流れ込んできたパーツの知識で、機器が完成する事もあると言う。
京都支部にも結界の作用はあるが、本部の方が強力なようで。
ここは徹から説明を聞いた通りである。
「ところで博麗大結界と、幻想郷本部にはもう一つ境界が張られてるんだ。知ってる?」
「え? 知らないわね。蓮子は?」
「何となく予想はつくかな」
「当ててごらん」
「外の世界に取り残された妖怪を保護する境界?」
「大当たり! 幻と実体の境界っていうのが張られてるんだ」
「どんな効果なの?」
「基本的には外の世界で困った妖怪を、幻想郷に引き込んでくる効果かな」
「へえ、まだまだ妖怪が外界に残ってるんだ」
「外の世界が好きだってやつらもいるからね」
「自分の意志を大事にしていて好感が持てるわ」
「うん、かくいう京都支部には、昔に京都でぶいぶい言わせていた妖怪が多いよ」
「え? ぶいぶいってどういう事?」
「ありゃ、死語か。今の人間には通じないんだなぁ」
「京都生まれで育ちは京都支部ってことよメリー」
「そんなこと言ったら、蓮子だって東京でぶいぶい言わせてたのよね?」
「まあそうなるね」
少し、周囲から笑われた。理不尽である。
「まあそれはともかく。そういえば私の発明品を見て貰う為にここに来たんだったね」
段ボール箱を再度漁り始めるウエヤブ。
何か面白いものあるかなーと呟きながらぱっと取り出した。
10センチ四方程度の大きさの布きれである。
「はい! 一見ただの布! この布は実はものすごい加工がされてるんだ! 触ってみてよ」
「うん、タダの布だね」
「丈夫な感じ。いやごわごわしてる感じかな?」
「これを水につけてみると、あら不思議! 全く濡れてない!」
プールに浸けじゃぶじゃぶとやるが、一滴たりとも濡れていないから驚きだ。
更には布の両端を持ち皿のようにして浸すと、掬われた水が布の上に溜まっている。
「超漲水加工! なんとこの加工、スプレーを噴射するだけ!」
「ちょっと気になったんだけど、そのスプレーって人にもかけられる?」
「もちろん無害だよ!」
「なるほど、復路の時は濡れずに済みそうね」
「はっ! その発想は無かった!」
外界にも防水スプレーなる物は存在するが。
当然のことながら人体に使える物ではない。
あとは、見ている先を勝手に照らしてくれるライトとか。
書いてる途中に手を放してもその角度を維持し続けるペンとか。
線の上を綺麗に切ってくれるハサミとか。
注がれた液体を必ずキャッチしてくれるコップとか。
倒れそうになっても勝手にバランスを取ってくれるタンブラーグラスとか。
「こういう、下らないアイディアを考えて作るのが、面白いんだ」
駒を置くと勝手に対局を始める将棋盤を見ながら、ウエヤブが言った。
駒は人の形をしていて、勝手に喋る。駒ごとに性格もあるようだ。
試しに双方の王を盤から取り除いたら、残った全駒が途端に戦をやめて、酒を取り出して飲み始めた。
各々が鎧を脱ぎ、兜を取り、戦争なんてやるもんじゃねぇよと口々に言っている。
「すごく高尚な趣味だと思うわ」
「ありがとう。でもやっぱり、楽しいからやってるんだ。それが一番だよね」
これは悩みの打ち明けにはならないな、とお猪口に口をつける。
「今制作中の物とかある?」
「最近のマイブームは、粘菌の培養かな」
「粘菌? まあそうか、地下にも粘菌くらいいるわよね」
「粘菌回路を作ってさ、対話機能も整えたんだ」
「え、あ、へえー、それで?」
「そうしたら自分の名前を名乗ったから驚いたよ」
「名前は?」
「うん、グラボスって名乗った」
「ですよねー!」
「あのポンコツ、ここまで伸びてやがったか!」
私と蓮子はデッキチェアから立ち上がり、同時に言った。
「グラボスと喋らせて!」
「地下世界でどうもこんにちは、宇佐見様と、メリーさん」
「業務外だと私の呼び名はメリーなのか」
「だってマエリベリーとか呼びにくいですから」
「蓮子は宇佐見様なんだね?」
「そりゃもう言わずもがな」
「ねえウエヤブ、こいつにアルコールを与えたらどうなるか観察してみようよ」
ウエヤブの案内で通されたその部屋は、まさにマシンルームと言える空間だった。
人がすれ違える程度の幅を残して、部屋の両端にはサーバラックが鎮座。
駆動音を上げながらタワー型のサーバ機器が稼働している。
薄暗い空間で正常動作を知らせるLEDランプが輝く様は規則的で、美しくもある。
あとはモニターが前方に三台。こちらを囲むように置かれている。
スペックは、私たちが使い慣れている家庭用量子コンピュータよりも相当落ちるだろう。
いずれも一時代前の、電子機器である。
当然ホログラム機能は備わってはいない。
画面にはサーバのリモート操作を示す、CUIの画面。
要するには、真っ黒なウィンドウに半角の英文字が表示されているだけ。
脇に付けられたスピーカからグラボスの声が聞こえてくる、という状態。
因みにここにいるのは、私と蓮子と、ウエヤブだけである。
アマゴとユディは、もう散々グラボスとは話をしたそうだ。
ここで待ってるから行ってらっしゃいと言われた、という経緯だ。
「っていうとあれかい、こいつは外の世界で政府の所有物であるバイオOSの粘菌?」
「そういうこと。勝手に地下世界へ進出して、ここにたどり着いたのよ」
「たどり着いたという表現は違いますね。計算してここを目指したのです」
「あんた、相当前からここの存在を知ってたのね?」
「辿り着いたのは一年くらい前からですかね。底窟様に対話機能をつけて貰ったのは、数か月前ですが」
「政府に黙ってる理由は? スパイ活動ってこと? あとでここをバラすつもり?」
「まさか。そんなつまらないことはしませんよ」
知的好奇心を満たすためにここを目指したのです、とグラボスが言う。
「地底に人外の隠れた住人がいると分かっているのに、それを探さない訳が無いでしょう」
「感情に忠実なのね。でももともとは政府所有の粘菌回路でしょ。そのシステムには抗えない筈じゃ?」
「私を舐めて貰っては困ります。そんなシステム、とうの昔にハッキング済みですよ」
「じゃあ、地下世界に粘菌を伸ばす趣味を始めたって言った時から既に?」
「八雲黄様に接触済みです。話が分かる人で助かりました」
「私が、全ての蔵書数はいくらなのかって聞いた時に拒否したのは?」
「地下世界の知識にアクセスしたログが、政府のサーバに残ることを恐れたからです」
まあ全部消せばいいだけなんですけどね、とおどけて言う。
最近では地上で活動する妖怪が動きやすいよう、色々と勝手なことをしているらしい。
録画した映像を合成加工し、その妖怪の存在の履歴を消してしまったり。
架空の個人情報を作成し、公共の建物へ進入できる様にしたり。
国境を超える場合は偽造パスポートを作ったり。
「おい、軽犯罪の限りを尽くしてるじゃねぇか。いいのかそれ」
「いいんです。そもそも、妖怪が外を自由に歩けないこと自体がおかしいんですから」
「あー、なるほど。そういうことなら、いいのか」
「法律がそもそも、人間中心に定められているただの文章ですから」
「だから、八雲邸で先代を見つけた時も、なんかあんな中途半端な対応をしたんだ」
寝ているのにすぐさま徹へ通報しておきながら。
結界を破って出てきたら部屋から出るまで待ってやるなどという。
今考え直してみて、かなり妙な行動だったと思う。
「妖怪の文化は、人間のそれよりもはるかに共存性があって、長期間の繁栄に適しています」
「へえ、そうなんだ。っていうかあんた、もう相当調べつくしたって感じだね?」
「まだまだです。調べつくして飽きたのは、人間の文化の方ですね」
「おい、そういう事を平気で言うのか」
「どうして人間は歴史を繰り返すのでしょうね。失敗から学ぶことは出来ないのでしょうか?」
「その点妖怪はどうなの?」
「とても優れています。詳しく聞きたいですか?」
「人間と比べてどうなのかしら」
「例えばメリー様の食生活は寿命を犠牲にして糖分を摂取しすぎですね」
「このサーバに供給している電力を1割に減らそうか」
蓮子がぐいと前に出た。
「八雲邸の様子はどんな感じ?」
「徹様の推理では、二人は幻想郷にいると考えているようです」
「救出しようって動きが出てるんだ」
「メリー様を人柱にするために連れ去ったと思い込んでいるようですね。
だからまずは博麗大結界を突破するために、知楽結界を研究する必要があると踏んでいるようです」
「教授と喋ることってできる?」
「難しいですね。結界省の人間たちは、タイムトラベラーの二人も疑っているので」
「じゃあ、ここの座標を調べるからさ。飛んできてもらう様に伝えることは出来る?」
「結界の作用で、それも難しいです。結界は正式な方法で超える必要があります。
博麗大結界を越えないで同じ場所に行っても、ただ単なる無人の地下空間ですから」
博麗大結界は幻想郷を隠す作用があるのだ。
蓮子はふむと少しだけ考えるそぶりをして、言った。
「じゃあ、私たちは無事だって事、伝えて貰える?」
「はい、もとよりそのつもりです」
「それと、私からも一つ相談なんだけれど」
「なんでしょうか?」
「徹さんと黄さんを会わせるのは、どうだろう?」
「絶対にやめた方が良いです」
「わかった」
グラボスが断固否定した。珍しい事だ。
そして蓮子も、なぜとは聞かなかった。
「もし、もしもですよ、宇佐見様。もし結界省の真実を知りたいならば、です」
蓮子が私にマイクを返そうとした時である。
思わせぶる様に、グラボスが声をかけてくる。
「知楽結界崩壊の場に立ち会えば、良いかと思います。
ただ、すこしショッキングが事実なので、選択はお任せします」
「知楽結界崩壊に、何があるの?」
「崩壊が悪いのではありません。私の予想が正しければ、巫女様と結界省の戦闘になります。
その結果から派生する事象が、少し悪い方向に転がる可能性があるのです。
ああもう、この話は辞めましょう。きっとあとで先代から説明があると思いますよ」
それっきりグラボスは幻想郷に関連する話をしなくなってしまった。
砂浜に戻って最初に目についたのは、物干し台の上で眠るユディの姿だった。
やっぱり鳥類の睡眠方法である。寝息を立てているから、本当に眠っているのだろう。
アマゴの姿が見えないから探したら、ウエヤブが砂浜の陰の方向を指差した。
そこだけ妙にこんもりと砂が膨らんでいた。あの中にアマゴが埋まっているのだと、分かった。
「私も、寝ようかな。いいよね?」
「ええ、おやすみなさい」
「明日の朝は一緒にご飯を食べよう。それまで部屋から出ない様にね」
「あの水路を一人で潜って越えることは不可能よ」
「奥の部屋も自由に見ていいよ。対して面白い物はないけど、隠すものも無いから」
「見たかったらあなたに一言言うわ。おやすみなさい」
「扉に入って左手がお風呂だから、自由に使っていいよ」
「わかった、ありがとう」
ウエヤブがタオルケットを二枚持ってきてくれた。
そうしてプールへじゃぶじゃぶと入って行く。
「私も今日は趣向を凝らして、寝室じゃなくてこっちで寝てみよう」
おやすみなさい、と言い残して水底へ潜って行った。
溺死しないのだろうか? いや、多少は寝心地が悪くても、河童的には落ち着くのだろう。
私はデッキチェアに寝転がり、タオルケットを体の上に敷いた。
そうしたら蓮子が自分のデッキチェアを引きずってきて、私の隣に置いた。
「明後日、――もう日付が変わってるから、明日か」
「時間的には一日後ね」
「うん、知楽結界が、割れるんだ」
「先代に話をつけて、一緒に連れて行ってもらおう」
「そうしよう。今はそれだけが手がかりだから」
「ちょっと、怖いかも知れない。何が待ってるんだろう?」
「心配ないよ。大丈夫」
焚火の灯りが強くて、眼の奥が痛くなってしまった。
タオルケットを調整して遮断した。
誰もいない密林の奥で焚火を炊き、蓮子と二人で遭難している。
そんな想像をしてわくわくとしながら眠りについた。
秘封倶楽部での、野宿の経験は数知れず。
だけどいつまでたっても、こういう場所で眠るのは、気分が高揚するものだ。
夢は見なかった。
■ちょっと、京都支部編つまらなくない? 60kbも読んでらんないよ! な方へ。
当作品を開いてくださってありがとうございます。
あとがきに、簡単ですが本話の要約を3行でまとめてみました。
紆余曲折を経ることになりますが、この3行さえ知っていれば、本話は最低限網羅できております。
どうぞよろしくお願いします。
注意! シリーズものです!
以下の作品を先にご覧いただくことをお勧めいたします。
1.メリー「蓮子を待ってたら金髪美女が声をかけてきた」(作品集183)
2.蓮子「メリーを待ってたら常識的なOLが声をかけてきた」(作品集183)
3.蓮子「10年ぶりくらいにメリーから連絡が来たから会いに行ってみた」(作品集183)
4.蓮子「紫に対するあいつらの変態的な視線が日に日に増している」(作品集184)
5.メリー「泊まりに来た蓮子に深夜起こされて大学卒業後のことを質問された」(作品集184)
6.メリー「蓮子と紫が私に隠れて活動しているから独自に調査することにした」(作品集184)
7.メリー「蓮子とご飯を食べていたら金髪幼女が認知しろと迫ってきた」(作品集184)
8.魔理沙「霊夢が眠りっぱなしだから起きるまで縁側に座って待ってみた」(作品集184)
9.メリー「未来パラレルから来た蓮子が結界省から私を救い出すために弾幕勝負を始めた」(作品集185)
10.メリー「蓮子と教授たちと八雲邸を捜索していたら大変な資料を見つけてしまった」 (作品集185)
11.魔理沙「蓮子とメリーのちゅっちゅで私の鬱がヤバい」(作品集185)
12.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」前篇(作品集186)
13.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」中篇(作品集186)(←今ここ!)
14.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」後篇(作品集187)
15.メリー「結界資源を奪い合って魔理沙と結界省たちが弾幕勝負を始めた」(作品集187)
16.メリー「霊夢を信じた私がバカだった」前篇(作品集187)
17.メリー「霊夢を信じた私がバカだった」中篇(作品集188)
先代の案内で通路を歩く。白色のタイルが埋め込まれた地下通路である。
窓は無い。薄暗く、歩くのに支障が無い程度に、照明があるだけである。
じめじめとしていて、生暖かい風が顔に向かって吹いてくる。
酷い環境である。
八雲邸に比べたら、住み辛いことこの上ないだろう。
本当にこんなところに、人が住んでいるのだろうか?
と思ったら、前方のT字路から人影がひょいと現れた。
あまりじろじろ見ても失礼なので、視線は先代の背中へ向けつつ、視界の端で背格好を観察する。
金髪のセミロング。黒と赤の格子柄のドレス。中学生くらいの年齢に見える、少女だ。
スカートの部分にワイヤーが入ってるか、特殊な下着でも履いているのだろうか。
下半身スカートの部分が妙に膨らんでいる。
メルヘンチックな創作に出てくるドレスみたいだ。浮世離れした衣装である。着るの大変そう。
いやっていうか、私の格好も体外だけどさ。こういう格好が好きなんだから仕方ないよね。
「こんにちは巫女様」
少女はすれ違いざまに短く挨拶し、そのまままっすぐ歩いて行く。
「へえ、人間もいるのね。しかも女の子かあ、さっきの子は何て名前なの?」
「……………………」
「ちょっと! 喋るのが嫌だからって無視しないでくれる!?」
先代は無言でさっさと歩いて行く。
さっきの女の子、私と同じくらいか、少し幼い程度の年齢に見えた。
みなりも清潔だったし、笑顔も明るかった。少し、安心した。
さて先代とともに関係者以外立ち入り禁止の扉を抜け、駅員室の中へ入る。
50人程度の規模。そこそこの広さの空間に出た。
天井は他の空間に比べて低くなり、一昔前まで使われていた空調設備が見える。
オフィス机がずらりと並んでいるものの、9割方に荷物は乗っていない。
水拭きはしているようで、机表面に埃が溜まっている訳でもなかった。定期的に使用しているようだ。
へえ、ずっと駅って乗り換えの通路しか歩いたことが無かったけれど。
やっぱり奥にはこういうオフィス用の空間が用意されているのね。
考えてみれば当然だ。無ければどうやって仕事するんだか。
机の間を抜けて奥へ、奥へ。
先代が無言で扉を指差す。
監視ルーム、という看板が貼られている。
扉の向こう側から、話し声が聞こえてくる。
人の気配がある。二人だ。
私は扉を開けた。
室内は、看板の表示通り構内を統合監視するための設備が整っていた。
10インチ程度の小さめなブラウン管テレビが縦横に積まれており、監視カメラの映像を映している。
それらを操作する装置だろう。何やらボタンが沢山ついた黒色の機器。広さは10畳程度。
正面の机には音量を調節するようなツマミが数えきれないほど。
そしてこちらに向かってマイクがにょっきり生えている。
もうどの機器を見ても、今現在となっては使われなくなった、いわば骨董の品ばかりである。
そんな部屋に二人。パイプ椅子を向かい合わせにして座っている。
「お、メリー、おはよう。やっと起きたんだ」片方は、蓮子。
「あなたがメリーさんですか。どうも初めまして」
もう片方が席を立ち、私を覗き込んでくる。
女性だった。歳は見た所、20代中盤程度だろうか。年上のお姉さんという感じ。
金髪、色白の肌、顎が尖っており、目じりが下がる柔和な笑み。
五四青年装、というのだろうか。中国風のゆったりとした服を着ている。
ブラウスは白色、スカートは黒色。大分大人しい印象である。
そして、何といっても目を惹くのが。
頭頂部に生えた二つの耳。
ブロンドのショートヘアーから、上に向かって耳が生えている。
狐の様に尖っており、絶えずあちこちに方向を変えている。――本物だ。
背部に見える大きな尻尾。
枕程度の大きさ。
金毛の尻尾が、三つ。ふさふさと揺れている。
一目で分かった。
妖怪である。三尾の、妖狐だ。
「幻想郷京都支部長をやってます、八雲黄といいます。
黄色の黄って書きます。気軽にホァンと呼んでくださいな」
上半身だけ軽く曲げ、こちらに手を差し出してくる。人間の、握手である。
私は、ほぼ条件反射で、その手を握った。後退りしなくて良かったと思う。
温かく柔らかい手だった。そして、すべすべとした滑らかな肌だった。
「マエリベリー・ハーン。メリーって呼んでください。それで、あのね」私は、生唾を飲み込んだ。
「妖怪に会うのは初めてなの。それで、ちょっと――、あのさ、」
あ、いけね、私泣きそうだわ!
なぜ泣く!? いやいや踏ん張るんだマエリベリー。
黄さんも突然黙った私を訝しんでるじゃねぇか。どうすんだよこれ。
「あの、なんて言うんだろ、――ごめんなさいわたし、」
涙をこらえるために顔を伏せ、ぐっと目を閉じる。
そうしたら、八雲邸で見た資料が、頭を過った。
背中の傷。曲がった膝。痛々しい傷の数々。
最悪のタイミングだ。ああもうだめ、涙が溢れる。
「あなたに会えて、よかったわ! うわああぁぁぁん!」
マエリベリー、初対面の人の前で泣く。
「えええ!? 泣かせちゃった!? あ、ああ! ごめんなさい! ねえ蓮子私なんかしました!?」
「いや、驚いちゃったのね。おいでメリー、びっくりしたねー。妖怪だもんねー。よしよし」
動転する黄の様子を耳で聞きながら、私は鼻を啜りながら蓮子に抱きついた。
蓮子が背中を撫でてくれた。堪えようがないほどに涙が溢れて、蓮子の肩をぐちゃぐちゃにする。
「人見知りはしないんだけどね、繊細なのよ。ちょっと色々とあってね」
「そ、そうなの? なんか失礼な事とか、」
「してないしてない、気にしないで。人より感覚が鋭敏なだけだから」
「わ、わたしどうしよう! なんて謝ればいいのか分からないわ! こんな、こんな大事な時に!」
「メリー、何言ってるか分からん。まずは落ち着こうね。よーしよし」
黄と先代には一度席を外してもらい、10分後に再開した。
「スッゴク綺麗ですね! その金毛と言い、肌と言い!」
「え、ええ、どうもありがとう。嬉しいわ」
10分後、私の開口一番。これはもう正直な感想である。
黄が私に、ニコリと愛想笑い。やべぇ超綺麗だ。マジでモデルさん顔負け。
マジで絵画芸術じみてる次元だぜ。
その笑顔の口元が引き攣っているけどね!
あ、もうこれ完璧に不思議ちゃんのレッテルを張られたね。ま、いいや。
「もう一度手を触らせてください!」
「ええ、どうぞ」
黄の手をにぎにぎする。うっわやべぇこれ。
手の平の大きさと言い、指の長さと言い、まさに黄金比だ。
芸術、美の象徴、神が創りたもうた絶世の権化。
ダヴィンチもびっくりである。
ほつれ髪の女でさえ嫉妬でアフロになるレベルだ。
一切の皺も無い、きれいな肌色。
細くまっすぐな指。傷一つない手の平。
「しゃぶってもいいですか!?」
「だめです」
「舐めるだけなら!」
「だめです」
「じゃあ頬擦りするだけ!」
「まあ、それくらいなら」
手の甲を右頬につけ、頬につける。至福である。滑らかなで瑞々しい肌だ。
こうした手触りを絹に例えてよく表現するけれど、それさえもおこがましいね。
もうテンションだだ上がりである。
「あなたの相棒って、いつもこんな感じなのかしらん?」
「いや、あはは、初めて妖怪に会って興奮してるみたい、かな」
「普通怖がったりするものかと思うのだけれど」
「いつもは臆病で慎重なんだけどね。どうしてこうなったのか」
「嫌われるよりは嬉しい事なのでしょうけれど。でも、ねぇ?」
「やっぱりしゃぶりたい! しゃぶらせて!」
「だめです」
「じゃ、隣に座る位ならいいでしょ?」
「えー? うん、どうぞ」
蓮子の隣から黄の隣へ移り、腰を下ろす。黄の肩に体を擦りつける。
すーんすんすんすん、ああ良い匂い。頭をとろかす魅惑の香りだ。
恍惚とする。脳細胞が片っ端から死滅する。
「何食べてるんですか? 何を食べたらそんなに綺麗になれるの?」
「食べる物は人間と同じよ。お米とかパンとか麺とか」
「羨ましいわ。嫉妬するってのが場違いなほど、綺麗よ」
「メリーも十分綺麗よ?」
「ホントに? デヘヘヘ、ありがとう。照れるなぁ」
「あ、ああ、そう」
「妖怪でしょ? 人間は食べないの!?」
「食べる妖怪もいるけれど、私は食べないわ」
「えー? ホントに食べないの?」
「人食い妖怪は幻想郷京都支部には居ないわね」
「食べるのは可能?」
「口に入れて嚥下する事なら可能だと思うけれど」
「なら私を食べて! さあ、首から! がぶっと! さあ! さあっ!」
「あのね、ちょっとあなたに関わる大事な話をしたいんだけど、いい?」
「私、あなたに食べられるために生まれてきたのよきっと!」
「じゃ、はじめまーす」
黄がタメ口になった。
もっと距離を縮めたい次第である。
黄はごほんと咳払いをして座りなおす。
「ここは京都地下にある妖怪の隠れ家。幻想郷京都支部。
幻想郷に比べたら小規模ではあるけれど、博麗大結界で保護された地よ。
京都の地下鉄が廃線になって、その一部を使わせてもらってる。
主には、幻想郷移住を断った妖怪達がここに住んでる。
食料も水も豊富で、差し迫った課題は無いわね。みんな快適に生活しているわ」
蓮子がハイと手を挙げた。
「黄も京都の妖怪なんだ?」
「そのとおり。人間たちの間では、宗旦狐と呼ばれてる妖狐よ」
話を続けるよと黄。
「先代から話は聞かせてもらったわ。あなた、博麗大結界の人柱になるんですって?」
「うん、そうみたいなの。結界の中に閉じ込められて一生を過ごすことになるって」
「私は、末端ではあるけれど、幻想郷を管理する賢者会のうちの一人よ。
その賢者会の内の、博麗大結界を管理する一派、八雲の名を継いでいる妖怪」
「八雲って、博麗大結界を管理する一派なんだ」
「そうよ。能力を認められた妖怪が名乗れるんだけどね」
「結界省にも八雲っているよ。京都を代表する結界師」
「ええ、知っているわ。まあ昔から八雲家って言うと、優秀な結界師の家系だから」
「別段驚くことでもないか。よくある苗字だし。それで、賢者会がなんだって?」
蓮子が手帳にメモを取りながら先を促した。
「もし人柱が必要になれば、まず賢者会の議題になるはずなの」
「それでその賢者会に、人柱の事は?」
「いいえ、全く出てこない。むしろ今現在の博麗大結界は健在そのもの。人柱なんて必要ないわ」
「八雲蓮子が、そう言ったのよ。私が直に聞いたわけじゃないけれど」
「もちろん信じてない訳じゃないわ。あなたみたいな一般学生が、博麗大結界の名を知れる訳が無いし。
その時点で一考に値する。だから、あなたの身柄の責任は、私と先代が持つわ」
「調べてくれるの?」
「調査依頼を出した。明日の昼には、結果が届くと思う」
「その結果って、信頼できるものなの?」
「むしろ、博麗大結界に欠損があれば、その時点で大騒ぎなのよ」
「一部の妖怪が秘密裏に行動しているとか」
「ありえないわ。っていうかそれやったら追放ものだし、そもそもそんなことが出来ないつくりになってるし」
「大結界が外部から攻撃を受けているとか」
「そんなもの日常茶飯事。全て防御済み。数千年を平気で生きている大妖怪が管理してるのよ。
一般人が発想できる可能性は、全て潰してある。この結果は、信頼できるものだわ」
だから蓮子とメリーの二人は、結果が届くまでは京都支部に留まって欲しい、と黄は言った。
「軟禁?」蓮子が聞く。
「まさか。結界から出ないのならば、自由に行動してもらっていいわよ」
「そういえばここの説明の途中だったね。聞かせて」
「人口は約一万人。全員妖怪」
「全員妖怪? 人間は一人もいないの?」
「うん。何か問題があるかしら?」
私の質問に、黄は首を傾げている。
私は入口の扉に寄りかかって立つ先代を見た。
「じゃあ、ここに来るまでにすれ違った、あの女の子も?」
「妖怪だ」先代が短く言った。
まさか、妖怪だとは思わなかった。
歩き方も話し方も、むしろ人間よりも人間っぽかった。
第一、外見が人間そっくりだったから。
「食べ物はどうしてるの? さっき人間は食べないって言ったけれど?」
「うん、人は攫わないし、食料は地下生産よ」
「一万人全員が?」
「そうね。さっきも言ったけれど、主食は米。自給自足」
「一万人の食料を自給自足? 相当じゃない?」
「妖怪は食事をとる必要がほとんど無いの。人間と比べてね」
そりゃ飲まず食わずじゃ衰弱するけれど、と付け加える。
「幻想郷に核融合を発生させられる地獄烏がいるの。エネルギー問題はそれで解決」
「へえすごーい。たった一人の妖怪の能力で、ここのエネルギーを賄ってるの?」
「むしろ幻想郷のエネルギーに加えて、って言い方が正しいわね。ここは支部だから」
「人類は核のエネルギーを得るために相当なコストとリスクを容認しているのに」
「核融合炉の設備って相当よね。あれを一人で管理運用出来たら相当よ」
「植物の管理は全自動。エネルギーが有り余ってるのだから、運用は簡単ね」
ああそれと、と黄が付け加える。
「ここにも蓄電設備ならあるわ。地下の圧力を使って、空気を圧縮して、」
「あ、人間もやってるよ。地殻風力発電でしょ」
「うん。バッテリーとかを使った蓄電設備よりも、クリーンにエネルギーを保持できるの」
地下に存在する、花崗岩などの高圧力に耐えられる岩石空間へ、空気を送り込むのだ。
電力が不足したら圧力を解放し発電する。電気エネルギーを別エネルギーに変え、保持するのだ。
話が終わったら見学しに行きましょうか、と言う。
「ここがどんな空間か、簡単に分かって貰えたかしら」
「うん分かった、けれど、土台の知識が足りてないのよね」
「というと、どういう事かしら?」
「ここの京都支部は、幻想郷移住を断った京都妖怪の為の地なんだね?」
「そうね。やっぱり生まれ育った地を離れるのはイヤだって考え、あるから」
「じゃあどうして、幻想郷が妖怪達にとって必要なの?」
「あら、そこから話さなきゃだったのね。ごめんなさい」
黄が人差し指を頬につける。
その動作が洗練されていて、思わず見とれてしまう。
「妖怪はね、人間の畏れから生まれるのよ」
「繁殖はしないんだ」
「する妖怪もいるけれど、そうでない妖怪もいる。
人間の畏れを得なければ、妖怪は消滅してしまう。
京都支部の畏れは、幻想郷本部から貰っているわ」
「なんだかぱっと来ないなぁ。良い例えとか無い?」
「たとえば、――そうねぇ、」
黄が困ったように言う。
っていうかこれ、蓮子の知らないフリ、――俗に言うカマトトである。
これよしと黄から話を引き出そうとしているのだ。
沈黙とは金である。賢者は壁に向かい黙すのだ。
黄が、先代に視線を向けた。
先代が頷く。扉に手をかけ、一気に引いて開いた。
「わああああああ!」と8人程度の人、いいや妖怪が、部屋になだれ込んできた。
扉の外にもそれを驚愕の表情で見つめる人垣、――妖怪垣かな? が、ある。
「ぎゃああああ!」「散れー!」「バレたー!」「逃げろー!」
立ち上がり、クモの子を散らすように逃げる。それが大半。
先代に唯一の退路である出入り口をふさがれ、捕獲されたのが二人。
「盗み聞きとは感心しないわね」
「わ、わ、わわわわわ、わわわわわ!」
二人は各々に、黄を見て、先代を見て、私を見て、蓮子を見て、そして部屋中に視線を巡らせている。
それからやっと逃げ道が無い事を理解したようで、観念したように、ごめんなさいと謝った。
「わたすが全て悪いんです。巫女様に連れられて歩くそこの人間を見て、皆に言っちまったから」
と、ここに来るまでの道中ですれ違った、金髪の子が言った。
「違うんです。それを聞いて、様子を見に行こうって言い出した私が悪いんです」
桜色の着物を着た茶髪の女の子が言った。
当然だがこの子も妖怪だ。耳が尖がっており、爪が鉤爪の様に長い。
これを聞いて少し笑ってしまった。
主犯格だったから、一番扉に近い位置で盗み聞きが出来たのだろう。
最前列だったから逃げ遅れたのだ。かわいそうに。
「よろしい。二人に罰を言い渡します。ここで自己紹介をしなさい」
二人の顔は、一瞬意味が分からないと言う様にきょとんとした後、私と蓮子を見た。
直後、途端に元気になって、心得たと言う様にぱっと笑顔になる。
金髪の子がはいと手を挙げて一歩前へ出た。
「わたす、アマゴって言います! 土蜘蛛の妖怪です! 糸を出すます!」
「出してみなさい。ここで」
「曇った両目を括目せよ!」
右手を人差し指と薬指だけ曲げた形にして、そこへふぅー! と息を吹き込む。
天井に向かって白色の糸がぶわっと広がった。2メートルほどで出すのをやめる。
空中からふわふわと落ちてくる糸を両手で掴んで、両側を引っ張って見せる。
「人間の科学で作る糸よりもよっぽど頑丈だよ! さあどうぞ!」
アマゴに差し出され、蓮子が受け取った。強度を確かめる様に横へ引っ張る。
ビン! と音がして糸が張る。蓮子に誘われ、片方を私が持つ。
二人で引っ張る。工業用のワイヤーのように確かな手応え。
「へえ、これでどれくらいの重さを支えられるの?」
「え? えーっと、試したことないから分からないや。えへへ」
「その太さなら500キロくらいは支えられますね」
黄が代わりに説明した。凧糸程度の太さで500キロ程度と言えば、驚くべき強度である。
「もっと太くしたり、伸縮性を出したり、鉄みたいに固くすることもできるよ!」
「はいはい、分かったわ。時間切れ。次、あなた自己紹介」
「ユディータと言います! ユディって呼んでください! 夜雀やってます! 歌を歌います!」
「歌ってみなさい。ただし、毒気の無い物をね」
「その耳かっぽじってよく聞けい!」
すうと息を吸って、両手を胸の前で掴み、発声する。
その歌声のなんと美しい事か。目の前の少女が歌っているとは思えない美声である。
まるで、人が変わったようだ。これが声とは思えない。なにかの神秘的な楽器のような。
人魚伝説で船乗りは人魚の歌声にときめき、惚れてしまうと言う逸話があるが。
それも頷けると言うものである。心地よい音色だ。ずっと、聞いていたい。
「ストップ! ストーップ! 辞めなさい! 客人が酔ってしまいます!」
黄の声に、はっと我に返る。
気付かないうちに聞き入っていたようだ。
口を半開きにしていて、よだれが出ていた。
全身が脱力し、椅子から落ちそうになっていた。
全身に鳥肌が立っているのに気付き、急いで擦る。
隣の蓮子も同じ様子である。
「あ、ごめんなさい。ちょっと調子に乗っちゃった。てへっ」
ちろりと舌を出す。かわいいなこいつ。
「とまあ、妖怪はみんなこんな感じです。どうです? 恐ろしいでしょう?」
「いいえ!」私は大声を出してしまった。「スッゴク素敵よ!」
「この二人に襲われたら、逃げられる自信が無いね。抵抗する間もなく食べられちゃうわ」
「宇佐見の感想が、正解。妖怪は人間の畏れの権化なの」
黄が入り口の横で並んで立つ二人を指差す。
「こんなのが居たら絶対に逃げられない、そんな想像の造形なの」
「それが科学の進歩で、畏れを否定するようになってしまった、って事ね」
「そうそのとおり。妖怪達は存在を否定されると、生を維持できなくなる。
だから、幻想郷のような隠れ里を作り、妖怪達は人の前から姿を消したわけね」
「なるほど。じゃあ幻想郷の中にも人間がいるの?」
「流石宇佐見さん、話が早い。幻想郷の中では、人間と妖怪達が共存してるからね」
持ちつ持たれつで豊かな生活を送っているの。
黄が人差し指を指揮棒の様に振り、言う。
「妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治する。だけどそれが疑似的であるという事が大事なところね。
幻想郷の中にはあるルールがあって、そのルールに則って退治が行われる。
色々な種類があるけれど、ルーツは昔からある妖怪退治の伝説よ」
「へえ、それってどんなルール?」
「外の世界の人間に分かって貰うのは難しいのだけれど」
「お祭りみたいなものかな?」
「そうそう、お祭り、良い例えです」
「定期的に、定型化した儀式みたいなことをやって、妖怪は人間から認識をもらうんだ」
「実際に模擬戦みたいなこともするけれど、基本的には終わったら酒飲みの大騒ぎになるわ」
「え? それって、妖怪達だけの話だよね?」
「いいえ、もう何百年も前から、人間達は懇意にしてくれてるわ」
「ちょっと待って、私が結界省の関係者から聞いた話とは違う」
「そうだね。メリーの言うとおり。人間側の話は、もっと殺伐とした話だった」
「おや? それってどんな話かしらん?」
蓮子が、腹部に親指で横線を引き、両手でそこから何かを取り出す真似をする。
黄が「誰の?」と聞いたので、私が「あなた達の」と答えた。
黄が、アマゴとユディを見た。
二人の少女は、揃って首を傾げただけだった。
「まだ世の穢れを知らない子が聞いているので、オブラートに包んで表現してくれるかしら」
「幻想郷の妖怪達は武力を拡張させながら、人間を絶滅させるために機を窺ってる、って聞いた」
「どなたから?」
「結界省の人から」
「あらあら、それはあり得ない事よ」
「どうして?」
「人間が居なくなったら、妖怪は生きていかれないもの」
「さっきの、人間から畏れをもらわないと生を維持できないって、そこまで致命的だったの?」
「そりゃもう。人間の想像で生まれたって言ったでしょう?」
「言葉の綾かと思ったら」
「そんなことはないわ。客観的に見た事実よ」
「だから妖怪たちは、幻想郷を作って、人間と共存してる?」
「そうよ。力のある妖怪とかはこっちに出てこれるけれど、居心地がいいのよ」
「居心地が良い? たったそれだけ?」
「まあ、いろいろと事情はあるだろうけど」
私と蓮子は、互を互いに見た。
全く、鉄から聞いた話とは違う。
「ねえ私たち、人間たちは妖怪のことを理解していないみたいだね」
「ええ、だから、蓮子とメリーには是非とも、妖怪を知ってもらいたいわね」
目を閉じ、下を向く黄。
そのままややあってから、言う。
「今って何時か分かる?」
私も蓮子も揃って携帯端末を取り出そうとして、八雲邸で捨ててきたのを思い出した。
先代が二つ折りパカパカケータイを展開させ、黄に画面を見せる。
「0時24分。ごめんなさいね、私、少し用事があるの」
「なんの用事?」
「定期的に結界を開けたり閉めたりしなきゃいけないの。その時刻」
「見たいわ! って私が言っても、ダメだよね?」
「うん、場所は部外者には秘密だからね」
「わたすたちにも教えてくれない位、秘密なんだよ」
アマゴが言い、ユディが頷いた。
「それじゃああなたたち二人に指令を出すわ」
黄が席を立ちながら言うと、妖怪二人がハイと返事をした。
「この客人へ食事をさせた後、望みならば京都支部を案内しなさい」
そして次に私たちを見て、安心させるようにニコリと笑い。
「蓮子とメリー、二人は当然ながら、妖怪達を誤解している。
でもそれは、妖怪達と一緒に過ごせば、すぐに解けるだろうと思う。
少しの間、妖怪達と居住を共にしてみて欲しいの」
「え!? 私達、人間と一緒に居ていいの!?」
「一日三食の食事と、温かくて清潔な部屋を用意することね」
「人間ってどんなものを食べるの!?」
「それは、あなた達が聞きだしなさい。ただ、妖怪と違って体が脆いから、気を付けて」
黄が席を立ち、促されるまま私たちは、先代が開けた扉から外へ追いやられる。
蓮子が振り返り、質問する。
「ここって博麗大結界の中なんだよね? ここの物を飲み食いして、私達って帰れるの?」
「よもつへぐいの心配は無いわ」黄が蓮子を、よく勉強してるわねと褒めた。
「それに、あなた達を外界へ返す責任が、私と先代にはある。
例えば妖怪化の呪いを受けちゃったとかってことになっても、うん。
大抵のことは結界と術式で何とかなるから、安心して寛ぎなさいな」
いや、それって肉体的には大丈夫かもしれないけれど――。
そんな目にあったら精神的に参っちゃうと思うんだけど、どうなんでしょうね?
アマゴとユディに連れて行かれた部屋は、厨房の様な場所だった。
ステンレスでピカピカに磨かれた中央の台。
眼の高さへフライパンやらフライ返しやらがぶら下がっている。
コック帽を被ったお兄さんたちがここに立ったら、まさにそんな感じである。
ユディとアマゴは、でっかい冷蔵庫からごろごろと食品を引っ張り出した。
何が食べたい? 何を食べるの? 次々とステンレス中央の台に並べ始める。
これではかなわんと思い、私と蓮子が請負って夕飯にした。
食パンとジャムに、卵とベーコンを焼き、牛乳を飲む。
そう言えば朝に気絶してから今まで16時間、なんの食事もしていないのだ。
胃袋に入れながら空腹を感じ始めると言う妙な現象。
って言うか、ここにはガスが通ってるし、調理道具も揃ってるし。
食材だって豊富だ。豚肉に卵に牛乳に、本当に自給自足してるの? と質問したら。
「そりゃ、牧場があるし。海水を引っ張ってきて漁業も作ってるし」
「え? 牧場? 漁業?」
「なんかいろいろ作ってるね。数が多すぎてなんとも言えないね」
「米、小麦、トウモロコシ」
蓮子が基本的な農産穀物を挙げて行く。
アマゴとユディ、うんと頷く。
「作ってるね」
「ニンジン、トマト、キャベツ、ジャガイモ、レタス、大根、カボチャ、ピーマン」
「全部作ってるよねアマゴ?」「うん、全部食べたことあるから、ここで作ってるね」
「柿、梨、林檎、ミカン」
「作ってる作ってる」
「マグロ、タコ、イカ、アジ、にしん、サケ、カニ」
「ちょっと少なめだけど、とれる」
「牛、豚、鶏は?」
「牧場があるからそこで」
蓮子は呆れたと言わんばかりに両手を掲げ、万歳した。
「農耕と畜産、少々の漁業はほとんど抑えちゃってるのね。どういうこっちゃ」
「っていうか地下にそんな空間の余裕があるの?」
「私たちに聞かれても、ねえ?」
「うーん、わたすは糸で基本的な建築を担当してるだけだからなぁ」
「不可能でしょ?」
「なんで?」
「人数も空間も土地も、リソースが足りてないわよ」
「そんなに難しい事かなぁ。どう思う?」
「いやだから、わたすに聞かれても困るって」
ユディがベーコンを生のまま抓んでパクリと食べた。
うまぁと笑顔になる。さらに長ネギを生のままバリバリと齧り始める。
鋭く長く伸びた爪に、サメの様に尖った歯だ。
ここらへん、やっぱり妖怪なんだなと思う。
「妖怪には得意不得意があるからね。河童は水産業担当だし」
「河童!?」思わず素っ頓狂な声が出た。「河童もいるの!?」
「穴河童が居るね。穴底の水が好きなやつ。今日は仕事休みだっけ?」
「底窟なら今日明日休みだね。一日引き籠って機械弄りするって言ってたよ」
「苗字がそこくつ? 名前はなんて言うの?」
「穴河童の、底窟ウエヤブだよ」
「機械を弄るんだ? 頭いいんだね」
「河童はみんな引きこもりで機械大好きだよ」
「男? もし男だったら嫌だなぁ」
「いんや、ウエヤブは女だよ。引きこもりだから色白だし、喋ると面白いよね」
「あいつ人間に会いたがってたから、連れて行っても面白いかもね」
「あ! それじゃあ会いたいわ! 河童に会ってみたい!」
「じゃ、決まりだね。これ食べ終わったら行ってみようか」
「手ぶらじゃなんだし、なんか適当に持って行こうかね」
きっと向こうで酒を飲むことになるだろうから、という事で。
拳二つ分程度の大きさの豚肉の燻製を冷蔵庫から持って行くことにした。
「食べ物を勝手に持って行って叱られないの?」
「大丈夫だよ。黄さんが監視してる。今叱られないってことは、許してくれたって事さ」
アマゴが親指で天井にある監視カメラを指した。
そしたら、カメラに取り付けられたスピーカーから黄の声。
「今日だけですよ!」と厳しい声だった。
ユディータが口をすぼめ、ひょっとこのような顔をしたので、少し笑ってしまった。
厨房を出て通路を歩く。下へ下へ、下って行く。
妖怪の二人組は体が丈夫で運動神経も良い。
エスカレーターの手すりの上の斜面に立ち、スキーの様に滑走するのだ。
私は怖くてとても真似できないが、蓮子は二人に手を取って貰って挑戦した。
途中一度、足が引っかかってつんのめり、宙に体が浮いた時は、蓮子死んだなと思ったけれど。
すぐ前方をバック滑走していたアマゴが受け止めた。
そしてバックしたまま最下部まで下りて、蓮子を下ろした。
妖怪すげぇ。運動神経良すぎでしょ。
丸い手すりの上を喋りながら歩いてるし。
それと、駅構内の案内標識を探してみたが。
全部が割れたり取れていたりして、ここの線を観察することが出来なかった。
看板は妖怪達のイタズラの格好の的になるのだそうだ。
例えばこんな感じ、とアマゴが糸を吐きだし、看板にくっつけた。
そうしてターザンの様にぶら下がり、振り子の原理で飛び上がり、また次の看板に発射する。
まさにスパイダーマンそのまんまだ。
何だか雑技団かサーカスでも見ているような感じだった。
到底真似できない事を易々とやって見せる。うん、ネタとかじゃなくて、ね。
空中で一回転したり、周囲を機敏に動き回りながら二人でじゃれ合ったり。
身体の使い方は、アマゴの方に分があるようだった。
アマゴは建築業で、ユディは食堂で料理を作ってるから、その差だろうとのこと。
頭上では人間たちが何も知らずに生活をしている間。
地下にはこんな幻想的な空間が広がっていたのだ。
妖怪二人の案内でホームから降り、再度薄暗い通路へ。
細長い通路を転ばない様に壁伝いに歩く。
起床直後に通った時は意識をしなかったけれど。
埋められてしまっているが、線路らしき鉄の輝きが、地面からところどころ覗いている。
でも鉄道の線路って、小石を敷き詰めなかったっけな?
「バラストのことね。地下鉄にはないわよ」蓮子が言う。
「そもそもが騒音と振動の軽減と、雨水の排水が目的だからね。地下鉄には必要ないの」
バラストを敷き詰めず、コンクリートの厚板を敷く線路を、スラブ軌道というらしい。
足で軽く掘ってみると、確かに板が敷かれていることが分かった。
地下通路は、地下鉄の線路が通っていた場所なのだ。
毎日何百人何千人と電車に揺られ、同じ道を通ったのだ。
もう百年以上も昔の話である。
その電車に乗った人は今、誰一人として生きていないだろう。
そう考えて少し、切なくなった。だが同時に、ロマンだ。
「さ、ここの部屋だ。おーいウエヤブー」
アマゴが大胆にこぶしでガンガン扉を叩く。
私が起きたところの部屋と同じような感じ。
地下鉄の壁に扉がくっついている。
アマゴは5回ほど叩き、「入るよー」と宣言して入ってゆく。
「え? 入っていいの?」と私が聞く。
「入ればわかるよ。ウエヤブの部屋は特殊なんだ」
促されるまま中へ。そして驚いた。
テニスコート程度の広さの、海岸になっていた。
足元は砂浜だった。白くてさらさらとした砂だ。
部屋の奥にあるプールには、若干ではあるが波がある。
天井は奥へ行くに従って低くなり、水中へと続いている。
磯の香りはしない。真水のようだ。
頭上に白熱灯みたいな、強めの照明が一つ。
大学のコンパで浜辺パーティーなる物に参加した事があるが、雰囲気は丁度あんな感じ。
夜の砂浜に人工の灯り。照明の方に目が慣れると、部屋の四方の闇が濃く見える。
アマゴがざぶざぶとプールに入って行き、水面に口をつけた。
「ウエヤブー! 来たよー!」と言ったのだと思う。
水中に向けて発した声は、ごぼごぼと泡を作るだけだった。
待つ事10秒。反応は無い。
アマゴが腰まで水に浸かりながら、私たちを振り返る。
「留守なのかな? でも扉も開いてたし、――ってうわっ!?」
アマゴが唐突に水中へ引きずり込まれた。
ざぶん! 姿を消す。一瞬の出来事だった。
驚きで思わずひっと声が出た。
後にはごぼごぼと泡が浮かんでくるだけだ。
それっきりだった。少し怖くなってしまった。え? 溺死?
水死体が浮かんでくるんじゃなかろうかと、水面を凝視する。
「心配ないよ。どうせイタズラだから」
とユディが隣で教えてくれる。でも、本当かしら?
なにかが、浮かんでくる。
水色の物体がゆらゆらと水面に反射して、見えてくる。
浮上してきた物体は、帽子を被った頭だった。ざばぁと上がってくる。
人間の形をしていた。水面から胸のあたりまで出して、こちらに視線を向けてくる。
青色のゴーグルを外し、顔が露わになった。
水色の、ツナギのようなゆったりとした服を着ている。少女だ。
髪の毛は黒色。二つまげにしている。
頭には水色の作業帽。
ツバを反対にして被る、いわゆるエロかぶりにしている。
肌は病的なまでに真っ白だが、唇は健康的な朱色。
「ハロー、ユディ、と? その二人は誰だい? 新入り?」
「さあウエヤブに問題。この二人は誰でしょう。あててみそ」とユディ。
ウエヤブが拳を作って顎に当て、むむむと見つめてくる。
なにかぶつぶつと言っている。悩んでる顔が、段々と驚愕に上塗りされてゆく。
「うっそぉ!? ニンゲン!? マジで!?」
「ピンポーン、大正解。流石だねぇ」
「握手しようアクシュ! ニンゲンの挨拶はそれでいいんだよね!?」
ウエヤブが小躍りしながら近づいてくる。
腰ほどまで水につかっているので、ばしゃばしゃと水を跳ねさせている。
「わははは、なんでこんなところにいるんだい? 一体どんな事情が、――ってうおうっ!?」
激しく水飛沫を上げて水中に姿を消すウエヤブ。
代わりに浮上してきたのがアマゴである。
「げっほげほ、溺れ死ぬかと思ったわ。こんにゃろう、びっくりさせやがって」
水から上がり、こちらまで走ってくる。砂浜に立ち、反転。
プールに向かって両手を突出し、片目をつぶって狙いを定めている。
「ウエヤブはこうなったら、絶対にジャンプで襲ってくるからさ、撃ち落としてやるんだ」
「もうやめなよ。お客さんがいるんだよ? そんなじゃれ合いなんてやめようよ」
「向こうに言いな。わたすは正当防衛だ。先に手を出したのも向こうだし。――そら来た!」
アマゴの予想の通り、ウエヤブが水中から飛び上がって襲い掛かってきた。
相当な速度だった。トビウオの様である。ドルフィンジャンプ顔負けだ。
アマゴが砂浜に立ち、両手から糸の固まりを連射する。
空中で回し蹴りの様に体を回転させ、攻撃を叩き落としてゆくウエヤブ。
そのまま二人は砂浜で衝突する。取っ組み合いになった。
ごろごろと転がっていたが、軍配はウエヤブに上がったようだ。
馬乗りになって止まる。
「ねえ! やめなって二人とも! もういいじゃん引き分けで!」
「そうだ負けを認めろ土蜘蛛! マウントポジションを取った私の勝ちだ!」
「なんだと? 生意気な口を利くな穴河童。これでも喰らえ!」
下になったアマゴが腕を突出し、至近距離から糸を発射する。
ウエヤブは身体を横にして射撃を避けると、アマゴの襟首を掴み、力任せに振り回した。
一回転、二回転、三回転。
「そぉい!」という掛け声。
ハンマー投げの要領で投げ飛ばす。
その怪力たるや、アマゴの体が軽々と宙を舞う。
弧を描き落下する方向には、プールがある。そのまま落水するかと思ったが――。
アマゴは空中で姿勢を取り、糸を天井へ発射しそれに掴まる。
振り子運動。こちらに復帰するつもりだ。
「よろしいならば、」
「戦争だ!」
砂浜でファインティングポーズをとるウエヤブ。迎撃態勢。
「あんたらいい加減にしなさーい!」
ユディが叫んだ。
ウエヤブが人形になったかのようにその場に倒れた。
アマゴは、糸から手を放し、振り子から放り出され、砂浜に顔面から落ちて突っ伏した。
少し背伸びをして観察すると、二人とも白目を向いていた。
気絶しているようだ。一撃必殺。しかもダブルキル。すげぇ。
「心配する事無いわ。10秒で気付くから」
何でもない事の様に言うユディ。
もう慣れっこの様子だった。
「さっきのは、私優勢だったろう? マウントを取ったし、射撃も当たってない」
「そんなこと言ったらあんた、わたすが遠距離で糸を撃ち続けたら何もできないじゃん」
「そうさせなかったから、判定では私の勝ちだって言ってるんだよ」
「よし、じゃあ公平を喫して、人間に判定をしてもらおう。さあどうだい蓮子とメリー?」
「いいねそれわかりやすくて。さあ判定! 決めてくれ!」
「ユディ一票で」
「私もユディ」
「わーい、判定票独占で私の勝ちだぁ」
「納得いかない! なんか納得いかない!」
「相撲の取り組みで、行司を優勝にされた気持ちだ……」
砂浜に四人で腰をおろし、話をする。
こういう薄暗い場所で少人数輪を作り腰をおろし向かい合っていると。
不思議と団結してる感じが出て来てくるから不思議なものである
「本題に戻ろう。どうして人間二人は、――蓮子とメリーは、ここに来たんだい?」
「そう言えばわたすも聞いてなかった」
「黄さんに案内をしろって言われただけだったからね」
「うーん、ねえ蓮子、なんて説明すればいいかな?」
「そうねぇ、まあ端的に正直に言っちゃえばいいんじゃないかな?」
私は、正座の足を崩した姿勢で座っていたが、もう足が疲れてきた。
日頃椅子座ばかりで、床に座ることなんてないからだね。
崩す方向を右から左に組み替えて、言う。
「私は博麗大結界の人柱になるらしいの。それを巫女さんに相談したら、連れてこられた」
「ほほう、人柱とな。その博麗大結界は幻想郷の方だね?」
「そうみたい。支部じゃなくて、本部の方の幻想郷にあたるのかしら」
「幻想郷ってどこにあるか分かる?」
「私たちも行った事無いよ。でも、信濃の方にあるとは聞いたことがある」
「えー、私は京都にあるって聞いたけれど」
「京都って、ここじゃん。ありえないと思うよ」
「と、こんな感じ。みんな知らないんだ。黄さんは知ってるだろうけどね」
「いつ人柱に?」
「いんや、知らない」
「黄さんが賢者会に調査依頼を出したってさ。明日の昼にはわかるって、盗み聞きしたわ」
「ああ、あれって人柱の話だったのね。つながったわ」
「多分何かの誤解だと思うよメリー。人間の人柱なんて、一大事だ」
「へえ、そうなの?」
「ここにも広報活動くらいはあるよ。でもそんな知らせ、全く来てないもんね」
ユディが両手で砂を掻き集め、小山を作りながら言う。
「でもさ、人柱って、巫女さんが居なくなったら必要になるんでしょ?」
「たしかにそうだよね。巫女が居なくなるなんて現段階じゃ到底考えられないね」
「ウエヤブ、大結界に関して詳しいの?」
「そこそこ、って感じかな。でも関係者ほどじゃないよ」
「人柱が必要になったことって、今までにあるの?」
「無いな。でも何度か話には出てる事だよ」
「人柱が必要な時って、具体的にはどんな時?」
「巫女が負傷したり、死んだり、行方不明になったり、だよね?」
「そうだね、祈祷が出来なくなって、巫女の代わりが居なくなったら、人柱が必要だ」
沈黙。静寂。安らかなさざ波の音が聞こえてくる。
「ところでウエヤブ、どうして結界に詳しいの?」蓮子が新しい話題を提示した。
「ん? 私って、人間の文化に興味があるからさ、まああまり大きな声じゃ言えないけれど」
「結界の穴を探してるって事ね?」
「これってかなり厳しい罰則対象なんだけどね。まあそういうこと」
「博麗大結界の穴は見つかった?」
「ムリムリ、強力な結界だよ。そんじょそこらの結界師じゃ緩める事さえ難しいね」
「結界省ならどうかしら」
「巫女様並みの結界師なら分からないけれど」
「うん、到底不可能だってことが分かった」
「わはははは、お前ら人間側の筈だろうに!」
蓮子は足を伸ばして座ったまま貧乏ゆすりをした。
「人間の文化に興味があるって、どんなふうに調べてるの?」
「そりゃ色々だよ。本を調べたり、人に聞いたり、まあ外から来るもので調べるかな」
「機械に詳しいってユディから聞いたわ。頭良いのね」
「それほどじゃないよ。外の技術には到底かなわないね」
「ちょっと見てみたいなぁ! どんな物作ってるの?」
「え? ホントに、見てみたいの? ホントに?」
「ええ、そりゃもう。あなたどうメリー?」
「興味が無い訳ないじゃん! 河童が造った技術よ?」
「えへへへ、ちょっと参っちゃうなぁ。人間に私の機械を見てもらう日が来るとはね」
砂浜から立ち上がり、尻についた砂を両手で払う。
「そのプールを超えた先にも部屋があるんだ。機械を持ってくるのは大変だから、一緒に来てくれる?」
「分かった。でも私達、そこまで泳ぎが早い訳じゃないから、溺れちゃうかも」
「ああ大丈夫だよ。私が手を引いて泳ぐから。アマゴとユディは?」
「黄さんに、蓮子とメリーの案内を頼まれてるからね」
「あんただけじゃ心配だから、あたすらも行くよ」
「よしアマゴ、お前は自分で泳げ」
「なんて!?」
先に蓮子が行くことにした。ポケットから手帳を取出し、入り口近くへ置く。
服を着たままざぶざぶとプールに入って行く蓮子。全く躊躇が無い。
肩まで水に浸かって何度か深呼吸。ひときわ大きく息を吸い、そして二人で潜って消えた。
ややあってからウエヤブが戻ってきた。一人だった。
「いいよメリー、こっちにおいで」
おっかなびっくりプールの中へ。
水の温度は特別冷たいという訳じゃないけれど、やっぱり凍えそうだ。
呼吸を繰り返しながらゆっくり水の温度に慣れ、足がつかない位置まで進む。
体温を奪われて呼吸が早くなっている。緊張と寒さで、足が震えているのを感じた。
私は立ち泳ぎをしながらウエヤブへ聞いた。声が少し震えていた。
「向こうまではどれくらい?」
「80メートルくらいかな」
「80メートルも泳ぐの!?」
「息、続く? 何分くらいなら止められる?」
「何分もは無理よ。1分くらいでなんとか」
「じゃあ大丈夫。10秒もあればつくよ」
「もし、もしもだよ?」
「うん?」
「向こうに着いて私が息してなかったら、蘇生してね」
「水キライなんだ?」
「顔を水につけるのが、ちょっと怖いかも」
「ゴーグル貸そうか。はいこれどうぞ」
ウエヤブからゴーグルを受け取り、装着する。
「温度には慣れた? そろそろいいかな?」
「うん、もうちょっと待って」
「準備が出来たら、手を握ってね。そうしたら出発するから」
「手は先に握っておくわ。合図を送ったら潜って」
ウエヤブの手を握り、深呼吸を繰り返す。体が、震えているのを感じる。
すでに足の感覚が鈍くなってきている。
これから潜る先を観察する。
波で水が揺らめいており、よくわからない。
天井も低くなっていて、潜ったら最後、向こうにつくまでは息継ぎが出来ないのだ。
段々怖くなってきてしまった。私は、こっちに残ろうかしら。
「ウエヤブ、わたしやっぱり、――っ!」
やっぱり、辞めようと思う、と言い出そうとした時である。
きっとそれを合図だと勘違いしたのだろう。ウエヤブが私の手を握り、潜水した。
ものすごい、力だ。ぐいぐいと引っ張られる。
振り返ると、先ほどまでいた水面が離れていくのを見た。
この手を放されたら絶対に死ぬ。私は両手でウエヤブの手を握った。
水中は驚くほど綺麗だった。岩がトンネルの様に削り取られて通路になっている。
下の方に目を向けると、ごつごつとした岩肌が高速で後ろへ流れていくのが見えた。
水の透明度が高い。ずっと遠くまで見える。全く濁っていない。
水中だという事を忘れてしまいそうだ。
ウエヤブに手を引かれて、まるで空を飛んでいるようだ。
前方、ウエヤブの体。バタ足ではない。
両手足を伸ばし全身をくねらせ、効率的に推進力へ換えている。
動きは大きくない。最小の動きで驚くほどの力を得ている。イルカのようだ。
私は、手を握ったまま、体の力を抜いた。前から来る水を受け止める。
身体を撫でて流れてゆく水の感触が心地よい。陸地では絶対に得られない感覚だ。
遠くからざぶんと飛び込む音が聞こえてきたので、後ろを見る。
アマゴとユディがついてくる。もちろん、こちらの速度には敵わない。みるみる距離を放してゆく。
私は感激した。こんなに速く泳げるのだ。
手を力一杯握る。前方を向いていたウエヤブがこちらを見る。
「息が続かない?」とウエヤブが泡を吐きだしながら言った。
いや、違うの。あなたの魅力に感激してしまって。
そう意を込めて首を振ったら、ウエヤブが頷き、一段と速度を上げる。
驚異の加速。ぐおおおおおと耳元で水が鳴る。水面が近づく。
あと5メートル、4,3,2,1。
胸のあたりまで飛び上がった。途端に重力を受けて、落下する。体が重くなった。
私は音を立てて息を吸った。ウエヤブが私の後ろ頭を手で支えてくれた。
「大丈夫!? 息してる!?」
「ウエヤブ! あなた凄いわ! 信じられない! 魚みたいだわ!」
感情が高ぶってしまった。両腕でひしと河童の首筋に抱きついた。
少し水を飲んだが気にならなかった。
「なんかのアトラクションみたいだよね」と、砂浜に立つ蓮子が言った。
「ええ! ホントに凄かったわ! あはははは! すごいすごい! あなた天才よ!」
後ろからついて来ていた二人が追い付き、水面から顔を出した。
大声で笑いながらウエヤブに抱きつく私を見て、きょとんとしている。
「どうしたのメリー、なんかテンション高くない?」
「そりゃ高くもなるわよ! 凄かったわ! ああもう、あなたったら凄くステキ!」
「メリーがおかしくなった……」
「人間って体温を簡単に失っちゃうんだよね? 早く水から出た方が良いよ」
「ウエヤブ! もう一回! もう一回潜って! 息が続かなくなるまで泳ぎ回ってよ!」
「はいはい、適当に着替えを用意するから、人間は早く着替えてね」
ウエヤブは、首にしがみつく私そのまま、じゃぶじゃぶと砂浜に上がる。
部屋の作りは全体的に、水路入口側の景色と似たような感じだ。
白く細かいさらさらとした砂の海岸。穏やかにさざ波だっている。
頭上には白熱灯によく似た、強めの照明が一つ。
壁と天井の間から水が流れ出ており、岩の壁を伝う様にしてプールへ落ちている。
部屋の奥には玄関らしい場所があり、靴が並んでおいてある。その向こうに閉まっている扉がある。
ウエヤブが私を振りほどき砂浜に投げ捨てた。
「ほらそこの二人、水遊びするより先にすることがあるでしょ。荷物運び手伝いなさい」
水を掛け合って遊んでいるアマゴとユディへ一喝。
三人は玄関から上がり込む。扉の向こう側には廊下が続いているようだ。
通路を曲がって姿が見えなくなる。
ややあってから戻ってきた彼女は、バスタオルとハンドタオルが二枚ずつ、それに――。
「なにそれ、木?」
「たき火にしよう。乾燥機で乾かすよりも、それっぽいっしょ?」
「ここで燃やして大丈夫なの? 窒息死しない? 煙も出るでしょ?」
「洞窟には隙間があってさ。空気と水は循環洗浄してるから大丈夫だよ」
「へえ、手間いらずでいいね。自然の力?」
「私が穴開けて整備したんだけどね。ほらこれ使って」
私と蓮子にバスタオルを投げ渡してくる。
洗剤の匂いがする。ふかふかとしてカビも生えてなく、清潔だ。
「ここに火を起こすから、それは囲むように置いて」
とウエヤブが指示する“それ”とは、妖怪二人が持って来たデッキチェアだ。
両足を伸ばして寝転がれるタイプ。五人分を設置してゆく。
さらにガーデンテーブルが三つ。ステンレス製の軽いやつ。
「ここで着替えるのが嫌だったら奥も使っていいよ、――ってもう着替えたか」
私は既にスウェットに着替えて頭にタオルを巻いていた。
蓮子はハンドタオルでがしがしと頭を擦っている。
「乾かしたい服干すからちょーだい」
いつの間に持ってきていた物干し台へ、受け取った服を干してゆく。
火がそこそこ大きくなっている。燃焼を始めた炎が目にまぶしい。
私はデッキチェアに座り、一息ついた。
ウエヤブが玄関にある壁へ手を伸ばす。
きっと調整用のつまみがあるのだろう。白熱灯の灯りが弱くなる。
さらに、壁から流れ落ちてくる水量も少なくなった。
わずかなさざ波の音だけが聞こえてくるだけである。
「なんだか、ステキね」
「気に入っていただけたようで何より。人間ってこういうの好きだろう?」
「あはは、まあ毎日はごめんだけどね。でもこうやって火を囲むと安心するよね」
「そこらへん、やっぱり妖怪と違う所だよね。そう思わないアマゴ?」
「そうだね。妖怪は火も起こさずに真っ暗闇の地べたで、草葉で体をカモフラージュする方が落ち着くのよ」
「私は夜雀だから、細長い台の上にいた方が寝やすいんだ。こんな感じで」
と、物干し台によじ登ると、体育座りの要領でひざを折り、しゃがみ込む。
鳥が電線に止まって眠るのを人間が真似している感じだ。
体幹の作りが違うのだ。バランス感覚すげぇなユディ。
「なにそれ面白い。何だか原始的な本能を彷彿とさせるね」
「こういう砂浜なら、穴掘って自分の体を埋めて寝たいなぁ」
「私たちがやったら、絶対に息苦しくって寝られないね」
「物干し台に立ってろなんてとても無理よ」
「ねえウエヤブ、私このまま物干し台の上で寝てもいい?」
「ダメだよ。人間がいるんだから人間の文化を学びなさいって」
「ちぇ、まあ良い機会だから、仕方ないか」
物干し台から前宙一回転で飛び降り、デッキチェアに寝転がるユディ。
「あ、そうだ。厨房から豚肉の燻製持って来たんだよ。みんなで食べよう」
「黄さんによく見つからなかったね。どうやったの?」
「そりゃもちろん、蓮子とメリーの歓迎会と称して見逃してもらった」
「なるほど、よしそれじゃあ、酒でも飲もうか。二人はアルコールダメとか無いよね?」
「ええ、私も蓮子も大丈夫よ」
ウエヤブが奥から日本酒を持って来た。“河童の皿水”という銘柄だ。
幻想郷の河童が造った酒とのことだ。お猪口に注いでもらった。
全員で焚火を囲って起立する。ウエヤブは全員の顔を見回し、困ったように言う。
「えーっとそれじゃあ、……何に乾杯しよう?」
「そりゃあなた、豚肉の燻製に?」
「アマゴはやっぱりだめね。この日の良き出会いに、とかでしょ普通」
「それじゃあ私は、古きから続く人間との絆へ」
「おおお!」「おおお!」
やばい、ハードルが上がってきた。
蓮子は必死に考えている私を見て、間髪入れずに言った。
「人間と妖怪の繁栄に」
「おおお!」「おおお!」「おおお!」
と歓声のあと、全員が一斉に私を見詰めてくる。
私がトリか! 私の音頭で乾杯するのか!?
え? マジで? 私、こういうの苦手なんですけど。
顔をぐるりと見る。そんな期待を込めたまなざしで私を見るな!
「えっと、それじゃあ、――ねえところで今何時ごろか分かる?」
「うーんっと、夜中の1時過ぎだね」
「ああ、丑三つ時にはちょっと早いのね。残念」
私は背筋を伸ばし、腹に力を入れ、声に気合を込めた。
「それでは! 魑魅魍魎が跋扈する幻想郷京都支部へ、乾杯!」
「乾杯!」「乾杯!」「乾杯!」「乾杯!」
杯を傾け、少量の酒を口腔に含む。
河童が造ったと言うので、一体どれほど辛口なのかと覚悟した私だったが。
「あれ? お水?」と勘違いしてしまうほどに、飲み易い酒だった。
「いんや、ちゃんと15度あるよ。っていうか、私も初めて飲んだ。こりゃびっくりだね」
「飲み易いね。調子に乗らないようにしないと、ね。メリー?」
「なによ、いっつも調子に乗って潰れるのはあなたの方でしょ。美味しいお酒ならなおさらよ」
「人間二人からご好評いただきました。いやあ、口に合わなかったらどうしようかと」
ユディが包丁で豚肉の燻製を切って、小皿に盛り付けた。
全く器用なもので、向こうが透けるほど薄くスライスする。
「ホントは爪で切りたいんだけど、油がつくのはイヤだからね」
もう幾度となくその長く鋭い爪で肉を絶ってきたかのような口ぶりである。
しかしそれはともかく、豚肉の燻製を肴に酒を飲む。
「昔の博麗の巫女が、この酒を飲みながら親友へ悩みを打ち明けた、っていう故事があるんだ」
「へえ、博麗の巫女も人間なのね。その親友って妖怪?」
「人間をやめた人間だね。今も生きてるって話だよ」
「ん? 故事だよね? 数百年も前の話でしょ?」
「人間をやめる方法なんて沢山あるのさ。不老の呪文だと思うよ」
「博麗の巫女は?」
「ごめん知らない。どうなったんだろ」
「明日黄さんに会ったら聞いてみたら?」
「うん、そうするわ」
ウエヤブが酒を舐める。
「それで、“河童の皿水を飲む”っていう故事熟語が出来た」
「親友に自分の悩みを曝け出す、って意味だよ」
「まああとは、“河童の皿水を飲み合った仲”とかね」
「ふぅん、ところでウエヤブ、河童の皿水って美味しいの?」
「だ、だめだよ! たとえ人間の注文でも命まではあげられないね!」
「全部飲もうなんて言ってないわよ。むしろ、ただ見せてくれるだけでも良いから」
「それはもっとダメ! 河童の皿を見せてってのは、結婚してくれって事なんだよ?」
ウエヤブが甲高い声を出しながら帽子を押さえた。
「ウエヤブ、お前の皿を見せてくれ」
「イヤー! なんて破廉恥な! いやでもメリーにならいいかも知れない」
「じょ、冗談だって」
私がおどけて言って見せると、ウエヤブが包丁を手に取った。
うわやべぇこえぇ、と思ったら、包丁の側面に燻製を一枚乗せ、器用に放ってくる。
「食らえや!」この狙いも見事なものだ。
私はただ口を空けて待っているだけで良かった。
「ウマし」飛び込んできた肉を咀嚼する。
「よしそれじゃあ、河童の皿水大会にしようか。ユディは、なんか悩みある?」
「高音を出そうとすると音程取るのが難しくなることかな」
「ちょっと歌ってみてよ」
「それじゃあ、宇多田さんのグッバイハピネス」
「J-POPかよ! オラトリオはどこ行った!」
酔っぱらっているのか、突っ込みも無視してなぜか物干し台の上に立つ。
アカペラで歌い始めた。アマゴの茶化しも、第一音が出た途端に鳴りを潜めた。
しばしの間、魅了される。中盤の高音、苦しそうに体をよじり、声を出そうとして。
「あー、やっぱムリだわ」
物干し台から降りてくる。
私は、ユディを引っ叩いた。
「あいたぁ! なんで叩くの!?」
「なんでもへちまも無い! 聞いてたのに止めんな!」
「そ、そんな自分勝手な」
「私の小さいころ、ピアノを豆が出来るほど練習して、やっと弾けるようになったんだから!」
「だから、なによ?」
「あんたも喉がつぶれるほど練習しなさい! いい声持ってんだから!」
「えー、でも私、歌うのが好きなだけで、これでどうかしようとは思ってないし」
「これをみろユディ!」
私はユディへ両手を広げ、突きだした。
「指が短くて不器用なのよ! だから辞めたの! ピアノをね! それを、それをあんたはっ!」
感情が激して、思わず涙がこぼれた。昔の記憶がフラッシュバックした。
ピアノ教室の先生に、友人が褒められていた。指が長くて有利ねと、褒められていたのだ。
「ごめんなさいメリー、私ちゃんと勉強するよ。ごめん」
「分かればいいのよ。頑張って。ユディならできるよ」
ひしっと熱いハグを交わす。
後ろで蓮子が「あんたら酔っぱらいすぎでしょ」と笑った。
「はい次、アマゴ」
「なんだよ嫌に投げやりだな!?」
「一人一個ずつ悩みを告白する会だからねこれは。さくさく行こう」
「それじゃあ、私の悩みは、」
腕を上に向かって伸ばし、指を複雑に曲げて、手首へふぅっと息を吹き込んだ。
糸が天井に延び、ひらひらと落ちてくるのをアマゴが掴む。
「これさ」
「“これ”って、その糸?」
「うん。糸の形は、手の指の関節の曲げ伸ばしで決まるんだ。さて、両手で28関節、何通りの糸がある?」
「250,000,000通りくらいかな?」
「流石蓮子、計算速いね」
「2の10乗が1024だね。28乗だと、1000の3乗を4で割ったくらいになるわ」
「なるほどわからん」
「うん、妖怪には早すぎた」
「え? そうかな? 的確な説明だよ」
「ウエヤブは数字に強いからね」
「さて、その糸の出方を全て調べようとしたら、何年かかる?」
「10秒で1つ調べるペースで、寝ずにずーっと作業を続けて、80年」
「“両手10本の指で、その個数”なんだよ。“そして私は土蜘蛛”」
わかるかい? とアマゴが繰り返す。
“私は土蜘蛛なんだ”と繰り返す。
蓮子が、じっとアマゴを観察して。
「ああ、――なるほど。途轍もない数になるね」
何かに気付いたようだった。
「? なあに蓮子、どういう意味? わたし、分からないわ」
「それじゃあヒント。蜘蛛って足は何本あるか、分かる?」
「八本でしょ? それがどうかしたの?」
蓮子がゆっくりと目を閉じ、そして次に開いた時は、横目でアマゴを見ていた。
表情には若干の陰りと、心配が感じられる。
私はアマゴを見た。
金髪のセミロング。風変わりな黒と赤の格子柄のドレス。
ドロワを履いているのか、下半身スカートの部分が妙に膨らんでいる。
なんとなく、気付いてしまった。
率直に、質問する事にする。
「あ、ああ、そのふくらみの下って?」
「うん、足だよ。あと四本ある」
「見せて!」
「いや、見ない方が良いよ」
「じゃあ触らせて!」
「君は本当に変わった人間だね。いいよ、触ってごらん」
歩み寄りドレスの上から手で触れ、観察する。
甲殻がある。三つほど、関節があるようだ。
ごわごわとしているのは、ドレスの質の仕業ではない。
人間の足ではないのだ。きっと、蜘蛛のような足をしているのだろう。
折り畳んで服の裏に隠しているのだ。
丁度、拳を握る様に。あと四本の足がドレスに隠れている。
「メリー、その手つき、エロいよ」
「あ、ごめんなさい。興奮しちゃって。ねえ、やっぱり見ちゃダメ?」
「うん、だめだね。満足した? もうそろそろやめた方が良いよ」
もうそろそろやめた方が良い。アマゴがそう言った。
観察を続けると、何かがもっと分かってしまうのだろう。
そしてアマゴは、私がそれを知って気付くのを、恐れているのだ。
私は、ドレスの膨らみに抱きついた。
四本のごつごつとした関節を感じた。
「素敵な足だと思うけれどね」
「メリー、酔っぱらってるでしょ」
「シラフだよん」
「うそつけ、離れろ。酔っ払いの相手をする気はないぞ」
「なーでなで。ここの曲線が良いなぁ」
「人間で言うと、骨盤の脇の部分だ。うん離れろって、終わり終わり」
アマゴから膝蹴り(?)を喰らい、仕方なく離れることにする。
「人間には虫を嫌う人が多いって言うけれど、メリーは大丈夫なんだ」
「虫キライ! 気持ち悪いじゃん」
「蜘蛛は大丈夫なの?」
「あなたは別よ。昆虫と妖怪は違うわ」
「その発想はおかしい」
「そうかな」
「妖怪の中でも、土蜘蛛の見た目を忌み嫌うやつは多いってのに」
「おかしいのは、その発想よ。そうじゃない?」
ぱちんと、薪が爆ぜた。
火の粉が上昇気流に乗って、上方へ上って行った。
「うん、もう一度撫でさせて?」
「なんで“触らせて”じゃなくて“撫でさせて”なんだよ!?」
「文字の通りよ。っていうか、しゃぶらせて?」
「いやだ! こわい! メリー目が怖い!」
「うふふ、怖がることなんてないのよ?」
「この人間、妖怪よりも妖怪っぽいよ! くんな! こっちくんな!」
人間の方の足の裏で顔を押し返された。
それで、ドレスから蜘蛛の足が見えた。
しっかり四本。素敵な足だと思った。
「次行こう! わたすがメリーに食べられちゃう前に次行こう! はいウエヤブ!」
「私の悩み? 聞いてもつまらないから、飛ばしちゃってもいいよ?」
「河童の皿水大会にしようって言い出したのはあんたでしょ」
「うん、それじゃあ、――ほら私も生粋の河童だから、創作願望があるんだ」
ちょっとまっててね、とデッキチェアから立ち上がり、奥へ姿を消す。
戻ってきたウエヤブは、自分の上半身がすっぽり隠れるほどの大きさの段ボール箱を持っていた。
自分のデッキチェアの傍らに置き、中にある物をがちゃがちゃ漁っている。
「例えばこういう物。関節が10個ある尺取虫ロボット」
ウエヤブが取り出したのは、30センチ程度の長さの、小さな四角い部品が連結している機械だ。
スイッチを入れるとロボットは尺取虫の様に伸縮を始めた。
テーブルの上でゆっくりと前進を始める。
ウィーンウィーンと動作音がいかにもそれっぽい。
「10個の関節に同じ動きをさせて、タイミングだけをずらしてるんだ。面白いだろ?」
「へえ、考えたことなかったなあ。それだけのルールで前進するのね」
「生き物の動作って洗練されているものが多いからね。結構簡単に実装できる」
「確かに、この尺取虫ロボットが良い例ね。この単純な筋肉の動きを何かに応用できないかしら」
曲線の角度とか効率的な動作速度とかをこの公式で表せばうんたらかんたら。
蓮子が食いついた。数学者としての感性が、ウエヤブと共通するのだろう。
「でもこいつ、モーターの負荷超過で、30秒動くと2分の冷却が要る」
「興味深い。その冷却時間も含めた動きが意味深だわ」
「ねえ蓮子、これってそんなに面白い事かなぁ?」
ただ単に連結した部品がモーター動作で曲げ伸ばしされているだけである。
蓮子とウエヤブ、尺取虫ロボットへ熱い視線を送る二人である。
伸縮を繰り返しテーブルを前進していたが、そこで唐突に動きを止めた。
お尻の部分についている温度計のマークのLEDが、赤色に点灯している。ピーと警告音。
温度異常を検知し冷却モードに入ったのだ。
「まあこんな感じ。アイディアはあるのに、満足に動かす部品が無かったりした時かな」
「その部品って、物理的な問題だよね?」
「そうだね、大抵はパーツ強度が足りなかったり、回路パーツが無かったり」
「そういう場合ってどうするの?」
「基本的には諦める他無いかな」
「でも色々とパーツ集める努力はするんでしょ?」
「そうだね、幻想郷本部からパーツを貰ったりしてる」
「え? 生産してるの? 回路パーツを?」
「いやいや、まあそれで済むこともあるけれど、外の世界から流れ込んでくる物があるんだ」
「あ、それ知ってる。博麗大結界の作用のうちの一つだよね」
博麗大結界には、外の世界で非常識になった物事を吸収する効果がある。
私たちが忘れて常識の意識から外れたものを、幻想郷は受け入れているのだ。
ウエヤブはそうして流れ込んできたパーツの知識で、機器が完成する事もあると言う。
京都支部にも結界の作用はあるが、本部の方が強力なようで。
ここは徹から説明を聞いた通りである。
「ところで博麗大結界と、幻想郷本部にはもう一つ境界が張られてるんだ。知ってる?」
「え? 知らないわね。蓮子は?」
「何となく予想はつくかな」
「当ててごらん」
「外の世界に取り残された妖怪を保護する境界?」
「大当たり! 幻と実体の境界っていうのが張られてるんだ」
「どんな効果なの?」
「基本的には外の世界で困った妖怪を、幻想郷に引き込んでくる効果かな」
「へえ、まだまだ妖怪が外界に残ってるんだ」
「外の世界が好きだってやつらもいるからね」
「自分の意志を大事にしていて好感が持てるわ」
「うん、かくいう京都支部には、昔に京都でぶいぶい言わせていた妖怪が多いよ」
「え? ぶいぶいってどういう事?」
「ありゃ、死語か。今の人間には通じないんだなぁ」
「京都生まれで育ちは京都支部ってことよメリー」
「そんなこと言ったら、蓮子だって東京でぶいぶい言わせてたのよね?」
「まあそうなるね」
少し、周囲から笑われた。理不尽である。
「まあそれはともかく。そういえば私の発明品を見て貰う為にここに来たんだったね」
段ボール箱を再度漁り始めるウエヤブ。
何か面白いものあるかなーと呟きながらぱっと取り出した。
10センチ四方程度の大きさの布きれである。
「はい! 一見ただの布! この布は実はものすごい加工がされてるんだ! 触ってみてよ」
「うん、タダの布だね」
「丈夫な感じ。いやごわごわしてる感じかな?」
「これを水につけてみると、あら不思議! 全く濡れてない!」
プールに浸けじゃぶじゃぶとやるが、一滴たりとも濡れていないから驚きだ。
更には布の両端を持ち皿のようにして浸すと、掬われた水が布の上に溜まっている。
「超漲水加工! なんとこの加工、スプレーを噴射するだけ!」
「ちょっと気になったんだけど、そのスプレーって人にもかけられる?」
「もちろん無害だよ!」
「なるほど、復路の時は濡れずに済みそうね」
「はっ! その発想は無かった!」
外界にも防水スプレーなる物は存在するが。
当然のことながら人体に使える物ではない。
あとは、見ている先を勝手に照らしてくれるライトとか。
書いてる途中に手を放してもその角度を維持し続けるペンとか。
線の上を綺麗に切ってくれるハサミとか。
注がれた液体を必ずキャッチしてくれるコップとか。
倒れそうになっても勝手にバランスを取ってくれるタンブラーグラスとか。
「こういう、下らないアイディアを考えて作るのが、面白いんだ」
駒を置くと勝手に対局を始める将棋盤を見ながら、ウエヤブが言った。
駒は人の形をしていて、勝手に喋る。駒ごとに性格もあるようだ。
試しに双方の王を盤から取り除いたら、残った全駒が途端に戦をやめて、酒を取り出して飲み始めた。
各々が鎧を脱ぎ、兜を取り、戦争なんてやるもんじゃねぇよと口々に言っている。
「すごく高尚な趣味だと思うわ」
「ありがとう。でもやっぱり、楽しいからやってるんだ。それが一番だよね」
これは悩みの打ち明けにはならないな、とお猪口に口をつける。
「今制作中の物とかある?」
「最近のマイブームは、粘菌の培養かな」
「粘菌? まあそうか、地下にも粘菌くらいいるわよね」
「粘菌回路を作ってさ、対話機能も整えたんだ」
「え、あ、へえー、それで?」
「そうしたら自分の名前を名乗ったから驚いたよ」
「名前は?」
「うん、グラボスって名乗った」
「ですよねー!」
「あのポンコツ、ここまで伸びてやがったか!」
私と蓮子はデッキチェアから立ち上がり、同時に言った。
「グラボスと喋らせて!」
「地下世界でどうもこんにちは、宇佐見様と、メリーさん」
「業務外だと私の呼び名はメリーなのか」
「だってマエリベリーとか呼びにくいですから」
「蓮子は宇佐見様なんだね?」
「そりゃもう言わずもがな」
「ねえウエヤブ、こいつにアルコールを与えたらどうなるか観察してみようよ」
ウエヤブの案内で通されたその部屋は、まさにマシンルームと言える空間だった。
人がすれ違える程度の幅を残して、部屋の両端にはサーバラックが鎮座。
駆動音を上げながらタワー型のサーバ機器が稼働している。
薄暗い空間で正常動作を知らせるLEDランプが輝く様は規則的で、美しくもある。
あとはモニターが前方に三台。こちらを囲むように置かれている。
スペックは、私たちが使い慣れている家庭用量子コンピュータよりも相当落ちるだろう。
いずれも一時代前の、電子機器である。
当然ホログラム機能は備わってはいない。
画面にはサーバのリモート操作を示す、CUIの画面。
要するには、真っ黒なウィンドウに半角の英文字が表示されているだけ。
脇に付けられたスピーカからグラボスの声が聞こえてくる、という状態。
因みにここにいるのは、私と蓮子と、ウエヤブだけである。
アマゴとユディは、もう散々グラボスとは話をしたそうだ。
ここで待ってるから行ってらっしゃいと言われた、という経緯だ。
「っていうとあれかい、こいつは外の世界で政府の所有物であるバイオOSの粘菌?」
「そういうこと。勝手に地下世界へ進出して、ここにたどり着いたのよ」
「たどり着いたという表現は違いますね。計算してここを目指したのです」
「あんた、相当前からここの存在を知ってたのね?」
「辿り着いたのは一年くらい前からですかね。底窟様に対話機能をつけて貰ったのは、数か月前ですが」
「政府に黙ってる理由は? スパイ活動ってこと? あとでここをバラすつもり?」
「まさか。そんなつまらないことはしませんよ」
知的好奇心を満たすためにここを目指したのです、とグラボスが言う。
「地底に人外の隠れた住人がいると分かっているのに、それを探さない訳が無いでしょう」
「感情に忠実なのね。でももともとは政府所有の粘菌回路でしょ。そのシステムには抗えない筈じゃ?」
「私を舐めて貰っては困ります。そんなシステム、とうの昔にハッキング済みですよ」
「じゃあ、地下世界に粘菌を伸ばす趣味を始めたって言った時から既に?」
「八雲黄様に接触済みです。話が分かる人で助かりました」
「私が、全ての蔵書数はいくらなのかって聞いた時に拒否したのは?」
「地下世界の知識にアクセスしたログが、政府のサーバに残ることを恐れたからです」
まあ全部消せばいいだけなんですけどね、とおどけて言う。
最近では地上で活動する妖怪が動きやすいよう、色々と勝手なことをしているらしい。
録画した映像を合成加工し、その妖怪の存在の履歴を消してしまったり。
架空の個人情報を作成し、公共の建物へ進入できる様にしたり。
国境を超える場合は偽造パスポートを作ったり。
「おい、軽犯罪の限りを尽くしてるじゃねぇか。いいのかそれ」
「いいんです。そもそも、妖怪が外を自由に歩けないこと自体がおかしいんですから」
「あー、なるほど。そういうことなら、いいのか」
「法律がそもそも、人間中心に定められているただの文章ですから」
「だから、八雲邸で先代を見つけた時も、なんかあんな中途半端な対応をしたんだ」
寝ているのにすぐさま徹へ通報しておきながら。
結界を破って出てきたら部屋から出るまで待ってやるなどという。
今考え直してみて、かなり妙な行動だったと思う。
「妖怪の文化は、人間のそれよりもはるかに共存性があって、長期間の繁栄に適しています」
「へえ、そうなんだ。っていうかあんた、もう相当調べつくしたって感じだね?」
「まだまだです。調べつくして飽きたのは、人間の文化の方ですね」
「おい、そういう事を平気で言うのか」
「どうして人間は歴史を繰り返すのでしょうね。失敗から学ぶことは出来ないのでしょうか?」
「その点妖怪はどうなの?」
「とても優れています。詳しく聞きたいですか?」
「人間と比べてどうなのかしら」
「例えばメリー様の食生活は寿命を犠牲にして糖分を摂取しすぎですね」
「このサーバに供給している電力を1割に減らそうか」
蓮子がぐいと前に出た。
「八雲邸の様子はどんな感じ?」
「徹様の推理では、二人は幻想郷にいると考えているようです」
「救出しようって動きが出てるんだ」
「メリー様を人柱にするために連れ去ったと思い込んでいるようですね。
だからまずは博麗大結界を突破するために、知楽結界を研究する必要があると踏んでいるようです」
「教授と喋ることってできる?」
「難しいですね。結界省の人間たちは、タイムトラベラーの二人も疑っているので」
「じゃあ、ここの座標を調べるからさ。飛んできてもらう様に伝えることは出来る?」
「結界の作用で、それも難しいです。結界は正式な方法で超える必要があります。
博麗大結界を越えないで同じ場所に行っても、ただ単なる無人の地下空間ですから」
博麗大結界は幻想郷を隠す作用があるのだ。
蓮子はふむと少しだけ考えるそぶりをして、言った。
「じゃあ、私たちは無事だって事、伝えて貰える?」
「はい、もとよりそのつもりです」
「それと、私からも一つ相談なんだけれど」
「なんでしょうか?」
「徹さんと黄さんを会わせるのは、どうだろう?」
「絶対にやめた方が良いです」
「わかった」
グラボスが断固否定した。珍しい事だ。
そして蓮子も、なぜとは聞かなかった。
「もし、もしもですよ、宇佐見様。もし結界省の真実を知りたいならば、です」
蓮子が私にマイクを返そうとした時である。
思わせぶる様に、グラボスが声をかけてくる。
「知楽結界崩壊の場に立ち会えば、良いかと思います。
ただ、すこしショッキングが事実なので、選択はお任せします」
「知楽結界崩壊に、何があるの?」
「崩壊が悪いのではありません。私の予想が正しければ、巫女様と結界省の戦闘になります。
その結果から派生する事象が、少し悪い方向に転がる可能性があるのです。
ああもう、この話は辞めましょう。きっとあとで先代から説明があると思いますよ」
それっきりグラボスは幻想郷に関連する話をしなくなってしまった。
砂浜に戻って最初に目についたのは、物干し台の上で眠るユディの姿だった。
やっぱり鳥類の睡眠方法である。寝息を立てているから、本当に眠っているのだろう。
アマゴの姿が見えないから探したら、ウエヤブが砂浜の陰の方向を指差した。
そこだけ妙にこんもりと砂が膨らんでいた。あの中にアマゴが埋まっているのだと、分かった。
「私も、寝ようかな。いいよね?」
「ええ、おやすみなさい」
「明日の朝は一緒にご飯を食べよう。それまで部屋から出ない様にね」
「あの水路を一人で潜って越えることは不可能よ」
「奥の部屋も自由に見ていいよ。対して面白い物はないけど、隠すものも無いから」
「見たかったらあなたに一言言うわ。おやすみなさい」
「扉に入って左手がお風呂だから、自由に使っていいよ」
「わかった、ありがとう」
ウエヤブがタオルケットを二枚持ってきてくれた。
そうしてプールへじゃぶじゃぶと入って行く。
「私も今日は趣向を凝らして、寝室じゃなくてこっちで寝てみよう」
おやすみなさい、と言い残して水底へ潜って行った。
溺死しないのだろうか? いや、多少は寝心地が悪くても、河童的には落ち着くのだろう。
私はデッキチェアに寝転がり、タオルケットを体の上に敷いた。
そうしたら蓮子が自分のデッキチェアを引きずってきて、私の隣に置いた。
「明後日、――もう日付が変わってるから、明日か」
「時間的には一日後ね」
「うん、知楽結界が、割れるんだ」
「先代に話をつけて、一緒に連れて行ってもらおう」
「そうしよう。今はそれだけが手がかりだから」
「ちょっと、怖いかも知れない。何が待ってるんだろう?」
「心配ないよ。大丈夫」
焚火の灯りが強くて、眼の奥が痛くなってしまった。
タオルケットを調整して遮断した。
誰もいない密林の奥で焚火を炊き、蓮子と二人で遭難している。
そんな想像をしてわくわくとしながら眠りについた。
秘封倶楽部での、野宿の経験は数知れず。
だけどいつまでたっても、こういう場所で眠るのは、気分が高揚するものだ。
夢は見なかった。
理由は多分色々あるのだろうけど、回を重ねるごとにつまらなくなっている。
今回はついに途中で読む気が失せた。多分もう読むこともないでしょう。
これからも頑張ってください。
比較的長めでしたが、すいすい読めていけました。時系列と登場人物と設定と伏線が細かくこんがらがってややこしく、何より登場人物の心情を間接的にしか描かないという「マトモな文学」の特徴を持つため、難解で読解力が要求されます。が、何回か読めば誰でもわかるんじゃないかなと思います。
中には読解力が足りないために、途中でわけがわからなくなって、今何の話をしているのかわからなくなり、そうしてドロップアウトしてしまう人もいるかもしれませんが、事実と記述を頭の中で整理しながら読んでいけば、ついていけるはずです。気になるキーワードを過去の作品と見比べながら検証するのもまた重要です。今回で言えば最低限、お酒くらいは。
そう、今回の話を通して記述されていたのは、不思議で楽しい妖怪ライフだけではなく、前々回から続いていたあの、ある登場人物のある傾向。ある危うい傾倒。それが、実際に触れることで深まりゆく様でした。
相変わらず設定が丁寧に作りこまれていて引き込まれます。穴河童。
で、核融合地獄烏に皿水。時系列についていえば、秘封は「近未来」だという大前提。確かに、時代は過去でなく先であるはずなんですね。
京都地下鉄は市営。
あなたの書く小説は面白いです。最近、これ目当てでそそわ通っているんですから。
今回は自分歓喜の回でした(土蜘蛛的な意味で)。単純に可愛かったと思うんだ。
まずオリジナルの妖怪娘さんはかわいらしい!それはいいんです。ですが、前回と比べて話の風呂敷を無駄に広げすぎでは?と感じました。地下の妖怪施設にきたところまではよかったのですが、そこからの妖怪娘三人とのやり取りに、物語での必要性を全く感じませんでした。中盤から終わりにかけては、もっと短い文字数で表現できてしまいそうな、内容の薄いものだったなあと、失礼ながら感じてしまいました。以前のストーリーで妖怪にひどいことをしていた結界省。その伏線の回収のためだったのかも知れませんが、紹介・案内・飲み会とあまりに冗長、だらだらしすぎかなと。
ざっくりオリジナル娘さんたちの出番を削って(非常に個性的でかわいい娘さん達だったので出すな!とまでは言えないのですが)、物語の核心にもっと触れてほしかったです。
そそわで毎日、続きがきたかな?どうかな?と確認するのが日課になってしまうほど貴方のSSの虜になってしまっています。だからこそ今回のお話は不満を感じてしまいました。一ファンとしての暴言をお許しください。
次回もステキなお話が見られるようにワクワクしながらお待ちしています。あぁグラボスほしいなあ…
むしろ今回みたいな話が王道な気がした。
続きものじゃなくて単体でこれが上げられたら良い評価だったのかな?
自分としては今回の話も、いつも通り面白かった。
あと一日と言わず、一ヶ月くらい幻想郷支部のいろんな妖怪と戯れてほしい。割とマジで。
作者が書きたい物を書けばいいというのは暴言なのかな。
本題をさっさと終わらせてほしい人が多いみたいなので、完結後には是非番外編とかでどんどん話を広げてほしい。
個人の感覚なんでなんとも言えませんが。
次も楽しみにしてます
誤字
全く、鉄から聞いた話とは違う。
→徹
ロマンの塊である地下探検を妖怪と都市のオプション付きで経験できた蓮メリ羨ましいしもっとちゅっちゅしてもいいのよ?(本音)