世の中の不思議は隠された世界に身を潜めている。
そんな不思議な事を一つ一つ暴いて夢を現に変えていく、とは我らが秘封倶楽部の行動原理である。
しかしその原理は、あくまで秘封倶楽部部長である宇佐見蓮子が秘封倶楽部の舵をとっているというだけのこと。
私にとってはそうではない。彼女にとっての不思議は、私にしてみれば何てことはない。幼い頃から見慣れたものたち。
だからと言って、私は自分の事を変わっているなどとは毛ほども思っていない。変わっているのはむしろ彼女の方なのだから。
私はマエリベリー・ハーン。伴侶はメリーと呼ぶ。
日本人らしからぬ金髪とちょっと変わった眼を持っている事と、学生にして既婚である事を除けばただの京都在住の大学生だ。
私の日常もやっぱりただの大学生と変わらない。ただ、パートナーと過ごす日々はちょっと愛らしい。
違いがあったとして、所詮その程度の差であろう。
*****
斜陽は赤い、とはメロス曰く。
小学生の頃、国語の教科書で目にした五文字は、私にとってはメロスが激怒したシーンよりも強く残っている。夕焼けをこの上なく端的に、かつ叙情的に現していると小学生ながらナマイキに思ったものだ。これからも積極的に使って行きたいと思う。
さて、斜陽は赤い。
何故かというと、この初夏、今日の講義が終わってコンビニでスーパーカップを二つ買って、じっとりと首筋に汗を浮かべて帰り道。夕焼けが赤いからだ。道ばたで人間の足をかじっている女の子がいるからだ。
「あらまぁ」
気の抜けた声が出た。
その声で気付いたのか、女の子はこちらを見た。
「あ」
女の子は抱えていた足を落とした。「ぼとっ」と音がした。成人男性のものかもしれないと思った。大きくて筋肉質で、脛毛が見えた。熱せられたコンクリートに血が滲む。
「見られた」
「いえいえどうも。どうぞごゆっくり」
私はアルバイトで培った営業スマイルと角度15度ぴったりの会釈を披露。粛々と女の子とすれ違って家路を急いだ。
帰ったらまずお風呂に入ろう。ワンピースが首元にはりついて気持ち悪い。お風呂に入ったらアイスだ。蓮子が帰ってきたら作り置きの肉じゃがを温めてビールで乾杯。うんうん、寄り道しちゃいられない。
「待って。見られたら困るの」
しかし回り込まれてしまった。
「どうしたの? かくれんぼの途中だった?」
私は女の子に微笑みかけた。
女の子は癖のない金髪に大きな赤いリボンをつけていて、この暑い中ワイシャツと黒いベストと黒いスカートという姿だった。熱がこもるでしょうに。蜂にも真っ先に刺されてしまうに違いない。
「そうじゃなくて、見たでしょ?」
「何を?」
「食べてるとこ」
「確かに食べてる所をみられるのは恥ずかしいかもしれないわねぇ」
「そうじゃなくて」
「でも立ち食いはちょっとお行儀が悪いわ。私も蓮子もやっちゃうけど」
「人間食べてるとこ」
「ん?」
「人間食べてるとこ」
「そうなんだ、じゃあね」
私は女の子に手を振って歩き出した。こうも暑いとアイスが溶けちゃいそうだ。寄り道せずに帰りましょう。
「逃がさん」
しかし回り込まれてしまった。正面にまわった女の子は私の細い腰に抱きついてきた。
「あなたは食べられる人類?」
無邪気な笑顔を向けられた。夕日を反射して赤く濡れた犬歯が眩しかった。
「食べられるわよ」
私も微笑みを返した。
「ほんと?」
「でもトゲがあるの」
「え?」
女の子の表情が訝しげなものに変わった。
「毒もあるのよ」
「えっ」
「ほぼ毎日食べられてるんだけど、蓮子は学習しないわねぇ。それとも中毒になっちゃってるのかしら」
「生き返るって事?」
「まぁ、体力には自信があるわね。だから蓮子はいつも食べ切れなくってね」
「えっ」
女の子は私から離れた。
「向こうの体力が切れたら私の番よ。逆に蓮子を食い散らかしてあげるの」
「こわい」
「許して許してって可愛いのよ。蓮子はやっぱり泣き顔が一番可愛いわ」
「ごめんなさい」
「ん?」
「食べないから許して」
女の子はどうしたことか、しょんぼりとうなだれている。
「うん、いいわよ。じゃ、お姉さんもあなたの事は喋らないことにするわ」
私はかがんでその頭を撫でた。
「ありがとう」
「うん。気をつけて帰ってね。……あぁ、そうだ」
私は提げたビニール袋を漁って、スーパーカップ(チョコミント)をプラスチックスプーンと一緒に差し出した。
「こっちの方が美味しいわよ」
女の子はきょとんと私の顔とアイスを見比べてから、おずおずと小さな手でそれを受け取った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
今度こそ私は手を振って、女の子と別れた。今度はついて来なかった。
私は溶けかけのアイスに気を配りながら家路を急ぐ。
赤い斜陽。後には小さな両手に収まったカップアイスをじっと見ている女の子と、成人男性のものと思われる足だけが残された。
*****
「あ、いいもん食べてる」
日が沈んだ頃。お風呂あがり、私がクーラーの効いた部屋でアイスを食べていると蓮子が帰宅した。
「早かったじゃない。実験だかで遅くなるんじゃなかったの?」
「中止。近くで事件があったとかで教授に帰らされちゃった。助教授に送ってもらったわ」
蓮子は帽子をテーブルに置いて、やれやれと汗でにじんだ髪をかきあげた。
「物騒ねぇ。上がってもらったらよかったのに」
「いやぁ、遠慮されちゃった。しかしほんと暑……って、ちょっとメリー。私の分のアイスは!?」
蓮子は冷蔵庫を開けてちょっと固まった後、この世の終わりのような声を発した。
「ないわよ」
「なんで!?」
「お腹すいてた子がいたから。あげちゃった」
「なんで……」
蓮子は冷蔵庫のドアをすがりつくように閉めて、うなだれた。
私の分のアイスがあったら当然蓮子のアイスもあるものだという彼女の前提には触れないでおいてあげよう。
「……美味しそうね」
蓮子は恨みがましげな視線をくれたので、私はやれやれとプラスチックスプーンを振った。
「蓮子、『アイスが冷凍庫に入っていなければ蓮子の分のアイスはない』と判断するのはいささか考えが浅いと言わざるを得ないわ。私が蓮子をおちょくる為に、あえて倉庫にしまってあるクーラーボックスに入れたかもしれない」
「……ないんでしょ?」
「ないけど」
「ド畜生」
いやですわ。花の女子大生が畜生だなんて。それもド級だなんて。
「いいもん。ビール飲むから」
「えー。ズルい」
「どのクチが言いますかね」
「奪ってもいいのよ」
「気持ち悪い」
「お互い様よ。……まぁ飲むならご飯作るから。お風呂入って来なさいよ」
「へぇい」
蓮子はネクタイをテーブルの帽子に掛けて、洗面所に向かった。
それを見送って、私はおもむろに立ち上がってクローゼットのクーラーボックスからスーパーカップと保冷剤を冷凍庫に戻した。
ふうふの仲を取り持つのは常に新鮮なノリである。
*****
翌日、昼過ぎ。
講義の空き時間に買い出しを済ませようと駅前のスーパーにやって来た。
私が買い物カゴを提げて卵パックを見繕っていると、陳列棚のはしっこからおしりがひとつ可愛らしくはみ出しているのに気がついた。
向こうで誰かが屈んでいるんだろう。大きさからして子供のものだ。かくれんぼでもしているんだろうか。でもあそこはレジの前だ。あそこで屈まれたらちょっと邪魔だろう。
まぁいいか、と私は買い物を続ける。運命に任せて卵パックをカゴに入れてレジに向かうと、おしりが陳列棚の向こうにひっこんだ。
「むむ……」
これは。誘われている?
……よしっ! 誘われたなら誘われて差し上げなければなるまい。誘われたならちょっと触って差し上げ……ると流石に御用になるので触るのは肩にしよう。体がおしりだけのお化けだったりするといささか面白いが。
私はレジ前を通って陳列棚の向こうを覗きこんだ。するとおしりはもう陳列棚の反対側に移動して、同じ姿勢で私を待っているのだった。
……ファンタスティック! なんて素早い!
私は感動した。興奮を隠しきれなかった。なんて素早いおしり! 秘封倶楽部の血が騒いだ。何としてもあのおしりの秘封を暴いてやらねば。是非ぺろんと触って差し上げなければ、おしりにも失礼だ。そう思えばあのおしりには境界が見える気がする。私が見えると言えば見えるのだ。私には境界を視る能力がある。
しかし如何せん、あのおしりは素早い。このまま追いかけたところでいたちごっこ、いやおしりごっこになるのは見えている。
ならば回り込むか。否、それではあまりにおしりに失礼だ。あくまで後ろからおしりに追いついて、ちょっと触ってやらねばなるまい。あれが前だったらいささか面白いが。
したがって罠である。とはいえ特に罠になる物も持っていないので、とりあえず豚バラ肉とゴーヤーと卵パックと木綿豆腐とにんじんの入った買い物カゴをその場に置いてみた。効果がなければすぐに回収すれば問題あるまい。
私が買い物カゴを置き去って素早くおしりに近づくと、おしりは向こう側に引っ込んだ。さて、次だ。私はすぐにおしりを追いかける。
陳列棚をもう半周したところで、おしりは動かなかった。私は胸が高鳴るのを感じた。「触れる!!」と思った。「いける!」とか「今だ!」とかじゃなくて。これには流石に私もどうかと思った。
しかし逃がす手はない。私はすぐさま追いかけて、追いついた。
ようやく追いついた。残念ながら全身がおしりの妖怪ということはなくて、金髪をツインテールに、船長帽を被っているちびっこが屈んで陳列棚の向こうを覗きこんでいるのだった。私はそのおしりを迷いなくぺろんと撫で上げた。
「ひいっ!?」
少女のかためのおしり。ううん、上々である。女の子は飛び上がって振り返ろうとして、失敗した。こちらを向きかけて尻餅をついてしまった。女の子はこちらを見上げて目を白黒させている。
「何してるの?」
私は女の子に持ち前のセレブリティ溢れる微笑みを見せた。混乱しているうちに話題を逸らしてしまうに限る。
「な……なんで!?」
「何か面白いものでも……あら」
私も陳列棚の向こうを覗き込んだ。するとあの子だった。昨日アイスをあげたあの黒い女の子が、私の置いた買い物カゴをしゃがんでじっと見ているのだった。
「あの子とかくれんぼ?」
「なんで!? なんで触った!?」
船長帽の女の子は顔を真っ赤にして騒いでいる。話題は逸らせなかったようだ。
「ごめんね」
「ごめんねじゃねえよ! 謝るくらいなら触んなよ! 謝られなくても困るけど!」
「お店で騒いじゃ駄目よ」
「騒いでいいんだよ! 悪いことされたら騒いで周りの人に伝えなきゃいけないだろうが!」
ごもっともである。地域の人との関わりが何より防犯に貢献する。
「ごめんなさい。あなたのおしりに境界が見えた気がして」
我ながら最低な言い訳だと思った。ついうっかり、蓮子がそばにいる事を前提にしたボケをかましてしまうのが最近の癖だった。
が、私がそう言うと何故か女の子は驚きに満ちた表情をした。
「お……お前、境界が視えるのか?」
おおう。視えるのか、ときた。ちょっと小恥ずかしくなっちゃう。いやまぁ事実ですが。蓮子とのファーストコンタクトでも言われましたが。
「そうか、こいつにもそんな能力が……。やっぱり境界が緩んでるのか……スキマの言う事は信じていいのか……?」
女の子は座ったまま何かぶつぶつ言ったかと思うと、唐突に立ち上がってひとつお尻を手で払った。
「騒いで悪かったよ。あんた、ほんとに境界を視る能力とやらがあるんだな?」
「ええ」
嘘はついていないが、嘘だった。「悪かったよ」とまで言われてしまうとちょっと罪悪感がある。女の子は気持ちを切り替えたらしく、うってかわった眩しい笑みで手を差し出した。私もつられて握手ひとつ。
「わたしは北白河ちゆり。K大学で助教授をやってるモンだが、今はワケあって妖怪を追ってるのぜ」
「あ、私もK大です」
「知ってるよ。マエリベリー・ハーンさんだな。変人って噂だけどそうか……そんな眼があったんだな」
変人とは失礼な。この子の方がよっぽど変人じゃない。活発そうにきらきらとした目。変な男口調。近くで見るとかなり華奢な身体。金髪でツインテール。セーラー服。どれもこれもアンバランスでとてもいいなって思った。
しかし思い出してみると大学構内で何度か見かけた気がする。まさか助教授だったとは。
「ちゆりさん、妖怪って?」
「助教授を下の名前で呼ぶか。いいけどさ。……あいつだよ」
ちゆりさんは顎をしゃくって見せる。見ると、黒い女の子は買い物カゴの中身を手にとったり裏返したりして眺めている。
「あんた、あいつに追われてたんだよ」
なるほど。あの子が私を追って、私がちゆりさんを追って、ちゆりさんが私を追ってぐるぐるしてたわけだ。まさにおしりごっこ……もういいですか。
「妖怪なんですか?」
「妖怪なんだよ。昨日人を食った」
「あらまぁ」
食べてたなぁ。斜陽は赤かった。
「境界が緩んで、封じられてた妖怪がこちら側に出てきてる……らしい。詳しいことはわたしも知らないんだが、とにかく追い返さなきゃいかん」
「追い返せるんですか?」
「最悪殺してもいいってことらしいが。妖怪にとって身体の死は致命傷にはならないとかなんとか」
「ええ? じゃあどうするんですか?」
「『こっちに居たくない』と思わせるんだってさ。……具体的な方法を教えて欲しいよな」
ちゆりさんはため息をついた。
「ま、考えがないワケじゃない。死ななくても何度かケシ炭にすりゃあこっちに居たいなんて思わないだろ」
「どうやって?」
「これさ」
ちゆりさんは懐から光線銃めいた物を取り出した。
「古っ」
「古いだと? 小さくても必殺の武器だぜ……」
思わず声に出すと、ちゆりさんはややふてくされて光線銃を懐にしまった。
だってねぇ。そのデザインはアンティークと言っても過言じゃないんじゃない?
「だが撃つにしても外に出ないとな。あいつが動かなきゃこっちも動けないぜ。……って、だいたいあんたのせいじゃないか。動く気配もないし迂闊に近づけないし」
「えー? 私のせい?」
「何だよ私の尻の境界って。何と見間違えたんだよ」
「そりゃまぁ」
「言わなくていいんだよ」
そりゃまぁ本当は見えてなかったのだけど。けどちゆりさんはどことなく楽しそうだ。うんうん、楽しいことはよい事だ。私も積極的にボケるとしよう。
「……って、ああっ! 駄目駄目!」
私はふと黒い女の子に目を向けて駆け出した。女の子は大きな口をあけてゴーヤーをかじろうとしていたのだった。
「あっ……馬鹿! 何飛び出してんだ!」
後ろでちゆりさんが焦って声を張るが駄目駄目! 見てるほうがニガいー!
がりっ
が、遅かった。女の子はゴーヤーを一気に半分かじってしまった。
「……う」
女の子は眉を思いっきりしかめた。しかしもぐもぐと咀嚼している。咀嚼しながら、ようやく私に気がついたようで、こちらに顔を向けた。こちらに顔を向けながらもぐもぐと咀嚼している。眉をしかめている。
「……大丈夫?」
「……まずい」
そりゃそうだろう。ニガくて食べられたもんじゃない。しかし女の子はごっくんと嚥下して、
「なにこれ。つくりもの?」
口元を押さえながら言った。私はちょっと驚いた。つくりもの、ときた。
彼女は「普通」のゴーヤーなら生でも食べられたみたいだけど、しかしこのゴーヤーは彼女にとっては「普通」ではないらしい。
「合成なのよ」
「合成?」
女の子は首を傾げた。
「天然のゴーヤーなんてほとんど残ってないのよ。豚肉でも筍でも何でも、ゴーヤーに限らずね。もう天然の食べ物なんて、今の世の中食べられないわ」
天然の物も食べられない事はないんだけど、とんでもない値段だ。ただ、今は合成の食べ物もほとんど天然のものと変わらない。あえて天然を食べたいと思う人間も、私の周りでは蓮子くらいじゃないだろうか。
「……可哀想ね。それじゃあ生きている心地がしない」
女の子は少し黙った後、目を伏せて呟きだした。
「命は消耗品よ。生きているという事は、絶えず他の命を取り込むという事よ。他の命を食わなくても生きていけるなんて……そんなのは生きているとは言わない」
脳裏にいがらしい人のお顔が過ぎった。何やら哲学めいてきた。蓮子も同じような事を言っていたけど、そういうものかしら。天然の筍は確かに美味しい、気がしたけど、やっぱり高いお金を払ってまで食べようとは思わない。
「そういう生き物なのよ」
私は言うが、女の子はうつむいてしまう。
「……そう。私の食べられそうなものはもう残ってないのね。人間もマズかった。アイスも変な味した」
「お口に合いませんでしたか」
美味しいと思うんだけど。まぁ……牛乳も砂糖も合成なんだから、わかる人にはわかるのかもしれない。
「帰るわ。つまんない」
女の子は立ち上がって颯爽と歩き出した。ちゆりさんの横を通って、ちゆりさんが慌てて「おうっ」と跳んで距離を取った。女の子は意に介さず、レジをそのまま通ってスーパーから出ていった。
それを私とちゆりさんで見送って、しばし呆ける。
……さて、どうしよう。私はカゴの中に放られた歯型のついたゴーヤーを見た。内側の白いわたが切ない。やっぱり買い取らないといけないわよねぇ。
「あんた……すげえな」
私が買い物カゴを拾って鬱々としていると、ちゆりさんが話しかけてきた。
「いやはや度胸あるぜ。臆さず近寄って、妖怪を追い返すなんて! しかも無血で! 流石、そんな眼ェ持ってたらどうすりゃ帰ってくれるとかわかるのか?」
ちゆりさんは目を輝かせている……わけでもなく、なんだかニヤニヤしている。言葉も仕草もなんだか芝居がかっている。
「偶然です」
「いやいやケンソンしなくていいぜ。あんたは立派に妖怪を退治して見せた。わたしなんかよりよっぽど向いてるぜ。これからも人類代表として頑張ってくれたまえじゃあな!」
「あっ」
ちゆりさんは早口に言って、翻って駆け出した。あっ……速い! 見事なランニングフォームだった。私は咄嗟にちゆりさんのセーラー服のぴらぴらを掴もうとしたが、全く間に合わなかった。
……まぁいいや。私は元気よく店から出て行くちゆりさんを見送って、ひとりごちた。同じ大学の助教授だったらまた会うこともあるだろう。そして、このスーパーも利用するに違いない。
私は暇そうにしている、確実にちゆりさんの姿を見たであろうパート店員のいるレジに買い物カゴを置いた。案の定欠けたゴーヤーを見て不審そうに眉をひそめたおばちゃんに、
「すみません……。うちのいとこ、沖縄生まれで」
セレブレティ溢れる微笑みを見せた。
*****
夜。
「聞いた? 昨日の事件、誤報だったんだって」
ゴーヤチャンプルーをもりもり食べながら蓮子が言った。
「誤報だったの?」
「足が見つかったってハナシだったんだけど、マネキンだったんだって。近所の人がマネキンの処理を適切にやってなくて。ゴミ袋にマネキンの手足が入ってるのが見つかって大騒ぎになったの。犯人はすぐにわかったんだけど、噂が噂を呼んで……ってカンジ。迷惑よねぇ」
「適切な処理の仕方があるの?」
「あるんだってさ。確かにマネキンが捨てられてるところなんて見ないわよね」
「本当にマネキンだったのかしら。夜な夜な妖怪が人間を食べてるとか」
「だったら残さず食べてほしいわねぇ」
馬鹿馬鹿しそうに蓮子は言った。駄目よ。もっと想像力を働かせて彩り豊かな食卓にしないと。……彩りと言ってもいささか赤色が多い気もしますが。
「蓮子は妖怪に食べられたら残さず食べて欲しい派?」
「『派』って何よ。……そうねぇ。食べ物には敬意を払って完食していただきたいですわ。食べられたものには食べられたものなりの歴史があるんだから。メリーは?」
「私は食べる側ですから」
「あ、そ」
またも馬鹿馬鹿しそうに言って、蓮子は席を立った。
「蓮子?」
「ビール欲しい。チャンプルーにはビールだわ」
「あぁ、そうねぇ。乾杯の理由は?」
「んー、事件解決とか。解決したの私らじゃないけど」
蓮子の差し出したスーパードライを受け取った。私と蓮子はぷしっとプルタブを開けて、
「じゃあ事件解決にかんぱーい」
「かんぱーい」
缶を鳴らした。
いつものように、ちょっと特別な夜が更けていく。パートナーと過ごす、ちょっと愛らしい夜。
今日が平日だなんて些細な事である。特別な日には食卓にビールを。
そんな不思議な事を一つ一つ暴いて夢を現に変えていく、とは我らが秘封倶楽部の行動原理である。
しかしその原理は、あくまで秘封倶楽部部長である宇佐見蓮子が秘封倶楽部の舵をとっているというだけのこと。
私にとってはそうではない。彼女にとっての不思議は、私にしてみれば何てことはない。幼い頃から見慣れたものたち。
だからと言って、私は自分の事を変わっているなどとは毛ほども思っていない。変わっているのはむしろ彼女の方なのだから。
私はマエリベリー・ハーン。伴侶はメリーと呼ぶ。
日本人らしからぬ金髪とちょっと変わった眼を持っている事と、学生にして既婚である事を除けばただの京都在住の大学生だ。
私の日常もやっぱりただの大学生と変わらない。ただ、パートナーと過ごす日々はちょっと愛らしい。
違いがあったとして、所詮その程度の差であろう。
*****
斜陽は赤い、とはメロス曰く。
小学生の頃、国語の教科書で目にした五文字は、私にとってはメロスが激怒したシーンよりも強く残っている。夕焼けをこの上なく端的に、かつ叙情的に現していると小学生ながらナマイキに思ったものだ。これからも積極的に使って行きたいと思う。
さて、斜陽は赤い。
何故かというと、この初夏、今日の講義が終わってコンビニでスーパーカップを二つ買って、じっとりと首筋に汗を浮かべて帰り道。夕焼けが赤いからだ。道ばたで人間の足をかじっている女の子がいるからだ。
「あらまぁ」
気の抜けた声が出た。
その声で気付いたのか、女の子はこちらを見た。
「あ」
女の子は抱えていた足を落とした。「ぼとっ」と音がした。成人男性のものかもしれないと思った。大きくて筋肉質で、脛毛が見えた。熱せられたコンクリートに血が滲む。
「見られた」
「いえいえどうも。どうぞごゆっくり」
私はアルバイトで培った営業スマイルと角度15度ぴったりの会釈を披露。粛々と女の子とすれ違って家路を急いだ。
帰ったらまずお風呂に入ろう。ワンピースが首元にはりついて気持ち悪い。お風呂に入ったらアイスだ。蓮子が帰ってきたら作り置きの肉じゃがを温めてビールで乾杯。うんうん、寄り道しちゃいられない。
「待って。見られたら困るの」
しかし回り込まれてしまった。
「どうしたの? かくれんぼの途中だった?」
私は女の子に微笑みかけた。
女の子は癖のない金髪に大きな赤いリボンをつけていて、この暑い中ワイシャツと黒いベストと黒いスカートという姿だった。熱がこもるでしょうに。蜂にも真っ先に刺されてしまうに違いない。
「そうじゃなくて、見たでしょ?」
「何を?」
「食べてるとこ」
「確かに食べてる所をみられるのは恥ずかしいかもしれないわねぇ」
「そうじゃなくて」
「でも立ち食いはちょっとお行儀が悪いわ。私も蓮子もやっちゃうけど」
「人間食べてるとこ」
「ん?」
「人間食べてるとこ」
「そうなんだ、じゃあね」
私は女の子に手を振って歩き出した。こうも暑いとアイスが溶けちゃいそうだ。寄り道せずに帰りましょう。
「逃がさん」
しかし回り込まれてしまった。正面にまわった女の子は私の細い腰に抱きついてきた。
「あなたは食べられる人類?」
無邪気な笑顔を向けられた。夕日を反射して赤く濡れた犬歯が眩しかった。
「食べられるわよ」
私も微笑みを返した。
「ほんと?」
「でもトゲがあるの」
「え?」
女の子の表情が訝しげなものに変わった。
「毒もあるのよ」
「えっ」
「ほぼ毎日食べられてるんだけど、蓮子は学習しないわねぇ。それとも中毒になっちゃってるのかしら」
「生き返るって事?」
「まぁ、体力には自信があるわね。だから蓮子はいつも食べ切れなくってね」
「えっ」
女の子は私から離れた。
「向こうの体力が切れたら私の番よ。逆に蓮子を食い散らかしてあげるの」
「こわい」
「許して許してって可愛いのよ。蓮子はやっぱり泣き顔が一番可愛いわ」
「ごめんなさい」
「ん?」
「食べないから許して」
女の子はどうしたことか、しょんぼりとうなだれている。
「うん、いいわよ。じゃ、お姉さんもあなたの事は喋らないことにするわ」
私はかがんでその頭を撫でた。
「ありがとう」
「うん。気をつけて帰ってね。……あぁ、そうだ」
私は提げたビニール袋を漁って、スーパーカップ(チョコミント)をプラスチックスプーンと一緒に差し出した。
「こっちの方が美味しいわよ」
女の子はきょとんと私の顔とアイスを見比べてから、おずおずと小さな手でそれを受け取った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
今度こそ私は手を振って、女の子と別れた。今度はついて来なかった。
私は溶けかけのアイスに気を配りながら家路を急ぐ。
赤い斜陽。後には小さな両手に収まったカップアイスをじっと見ている女の子と、成人男性のものと思われる足だけが残された。
*****
「あ、いいもん食べてる」
日が沈んだ頃。お風呂あがり、私がクーラーの効いた部屋でアイスを食べていると蓮子が帰宅した。
「早かったじゃない。実験だかで遅くなるんじゃなかったの?」
「中止。近くで事件があったとかで教授に帰らされちゃった。助教授に送ってもらったわ」
蓮子は帽子をテーブルに置いて、やれやれと汗でにじんだ髪をかきあげた。
「物騒ねぇ。上がってもらったらよかったのに」
「いやぁ、遠慮されちゃった。しかしほんと暑……って、ちょっとメリー。私の分のアイスは!?」
蓮子は冷蔵庫を開けてちょっと固まった後、この世の終わりのような声を発した。
「ないわよ」
「なんで!?」
「お腹すいてた子がいたから。あげちゃった」
「なんで……」
蓮子は冷蔵庫のドアをすがりつくように閉めて、うなだれた。
私の分のアイスがあったら当然蓮子のアイスもあるものだという彼女の前提には触れないでおいてあげよう。
「……美味しそうね」
蓮子は恨みがましげな視線をくれたので、私はやれやれとプラスチックスプーンを振った。
「蓮子、『アイスが冷凍庫に入っていなければ蓮子の分のアイスはない』と判断するのはいささか考えが浅いと言わざるを得ないわ。私が蓮子をおちょくる為に、あえて倉庫にしまってあるクーラーボックスに入れたかもしれない」
「……ないんでしょ?」
「ないけど」
「ド畜生」
いやですわ。花の女子大生が畜生だなんて。それもド級だなんて。
「いいもん。ビール飲むから」
「えー。ズルい」
「どのクチが言いますかね」
「奪ってもいいのよ」
「気持ち悪い」
「お互い様よ。……まぁ飲むならご飯作るから。お風呂入って来なさいよ」
「へぇい」
蓮子はネクタイをテーブルの帽子に掛けて、洗面所に向かった。
それを見送って、私はおもむろに立ち上がってクローゼットのクーラーボックスからスーパーカップと保冷剤を冷凍庫に戻した。
ふうふの仲を取り持つのは常に新鮮なノリである。
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翌日、昼過ぎ。
講義の空き時間に買い出しを済ませようと駅前のスーパーにやって来た。
私が買い物カゴを提げて卵パックを見繕っていると、陳列棚のはしっこからおしりがひとつ可愛らしくはみ出しているのに気がついた。
向こうで誰かが屈んでいるんだろう。大きさからして子供のものだ。かくれんぼでもしているんだろうか。でもあそこはレジの前だ。あそこで屈まれたらちょっと邪魔だろう。
まぁいいか、と私は買い物を続ける。運命に任せて卵パックをカゴに入れてレジに向かうと、おしりが陳列棚の向こうにひっこんだ。
「むむ……」
これは。誘われている?
……よしっ! 誘われたなら誘われて差し上げなければなるまい。誘われたならちょっと触って差し上げ……ると流石に御用になるので触るのは肩にしよう。体がおしりだけのお化けだったりするといささか面白いが。
私はレジ前を通って陳列棚の向こうを覗きこんだ。するとおしりはもう陳列棚の反対側に移動して、同じ姿勢で私を待っているのだった。
……ファンタスティック! なんて素早い!
私は感動した。興奮を隠しきれなかった。なんて素早いおしり! 秘封倶楽部の血が騒いだ。何としてもあのおしりの秘封を暴いてやらねば。是非ぺろんと触って差し上げなければ、おしりにも失礼だ。そう思えばあのおしりには境界が見える気がする。私が見えると言えば見えるのだ。私には境界を視る能力がある。
しかし如何せん、あのおしりは素早い。このまま追いかけたところでいたちごっこ、いやおしりごっこになるのは見えている。
ならば回り込むか。否、それではあまりにおしりに失礼だ。あくまで後ろからおしりに追いついて、ちょっと触ってやらねばなるまい。あれが前だったらいささか面白いが。
したがって罠である。とはいえ特に罠になる物も持っていないので、とりあえず豚バラ肉とゴーヤーと卵パックと木綿豆腐とにんじんの入った買い物カゴをその場に置いてみた。効果がなければすぐに回収すれば問題あるまい。
私が買い物カゴを置き去って素早くおしりに近づくと、おしりは向こう側に引っ込んだ。さて、次だ。私はすぐにおしりを追いかける。
陳列棚をもう半周したところで、おしりは動かなかった。私は胸が高鳴るのを感じた。「触れる!!」と思った。「いける!」とか「今だ!」とかじゃなくて。これには流石に私もどうかと思った。
しかし逃がす手はない。私はすぐさま追いかけて、追いついた。
ようやく追いついた。残念ながら全身がおしりの妖怪ということはなくて、金髪をツインテールに、船長帽を被っているちびっこが屈んで陳列棚の向こうを覗きこんでいるのだった。私はそのおしりを迷いなくぺろんと撫で上げた。
「ひいっ!?」
少女のかためのおしり。ううん、上々である。女の子は飛び上がって振り返ろうとして、失敗した。こちらを向きかけて尻餅をついてしまった。女の子はこちらを見上げて目を白黒させている。
「何してるの?」
私は女の子に持ち前のセレブリティ溢れる微笑みを見せた。混乱しているうちに話題を逸らしてしまうに限る。
「な……なんで!?」
「何か面白いものでも……あら」
私も陳列棚の向こうを覗き込んだ。するとあの子だった。昨日アイスをあげたあの黒い女の子が、私の置いた買い物カゴをしゃがんでじっと見ているのだった。
「あの子とかくれんぼ?」
「なんで!? なんで触った!?」
船長帽の女の子は顔を真っ赤にして騒いでいる。話題は逸らせなかったようだ。
「ごめんね」
「ごめんねじゃねえよ! 謝るくらいなら触んなよ! 謝られなくても困るけど!」
「お店で騒いじゃ駄目よ」
「騒いでいいんだよ! 悪いことされたら騒いで周りの人に伝えなきゃいけないだろうが!」
ごもっともである。地域の人との関わりが何より防犯に貢献する。
「ごめんなさい。あなたのおしりに境界が見えた気がして」
我ながら最低な言い訳だと思った。ついうっかり、蓮子がそばにいる事を前提にしたボケをかましてしまうのが最近の癖だった。
が、私がそう言うと何故か女の子は驚きに満ちた表情をした。
「お……お前、境界が視えるのか?」
おおう。視えるのか、ときた。ちょっと小恥ずかしくなっちゃう。いやまぁ事実ですが。蓮子とのファーストコンタクトでも言われましたが。
「そうか、こいつにもそんな能力が……。やっぱり境界が緩んでるのか……スキマの言う事は信じていいのか……?」
女の子は座ったまま何かぶつぶつ言ったかと思うと、唐突に立ち上がってひとつお尻を手で払った。
「騒いで悪かったよ。あんた、ほんとに境界を視る能力とやらがあるんだな?」
「ええ」
嘘はついていないが、嘘だった。「悪かったよ」とまで言われてしまうとちょっと罪悪感がある。女の子は気持ちを切り替えたらしく、うってかわった眩しい笑みで手を差し出した。私もつられて握手ひとつ。
「わたしは北白河ちゆり。K大学で助教授をやってるモンだが、今はワケあって妖怪を追ってるのぜ」
「あ、私もK大です」
「知ってるよ。マエリベリー・ハーンさんだな。変人って噂だけどそうか……そんな眼があったんだな」
変人とは失礼な。この子の方がよっぽど変人じゃない。活発そうにきらきらとした目。変な男口調。近くで見るとかなり華奢な身体。金髪でツインテール。セーラー服。どれもこれもアンバランスでとてもいいなって思った。
しかし思い出してみると大学構内で何度か見かけた気がする。まさか助教授だったとは。
「ちゆりさん、妖怪って?」
「助教授を下の名前で呼ぶか。いいけどさ。……あいつだよ」
ちゆりさんは顎をしゃくって見せる。見ると、黒い女の子は買い物カゴの中身を手にとったり裏返したりして眺めている。
「あんた、あいつに追われてたんだよ」
なるほど。あの子が私を追って、私がちゆりさんを追って、ちゆりさんが私を追ってぐるぐるしてたわけだ。まさにおしりごっこ……もういいですか。
「妖怪なんですか?」
「妖怪なんだよ。昨日人を食った」
「あらまぁ」
食べてたなぁ。斜陽は赤かった。
「境界が緩んで、封じられてた妖怪がこちら側に出てきてる……らしい。詳しいことはわたしも知らないんだが、とにかく追い返さなきゃいかん」
「追い返せるんですか?」
「最悪殺してもいいってことらしいが。妖怪にとって身体の死は致命傷にはならないとかなんとか」
「ええ? じゃあどうするんですか?」
「『こっちに居たくない』と思わせるんだってさ。……具体的な方法を教えて欲しいよな」
ちゆりさんはため息をついた。
「ま、考えがないワケじゃない。死ななくても何度かケシ炭にすりゃあこっちに居たいなんて思わないだろ」
「どうやって?」
「これさ」
ちゆりさんは懐から光線銃めいた物を取り出した。
「古っ」
「古いだと? 小さくても必殺の武器だぜ……」
思わず声に出すと、ちゆりさんはややふてくされて光線銃を懐にしまった。
だってねぇ。そのデザインはアンティークと言っても過言じゃないんじゃない?
「だが撃つにしても外に出ないとな。あいつが動かなきゃこっちも動けないぜ。……って、だいたいあんたのせいじゃないか。動く気配もないし迂闊に近づけないし」
「えー? 私のせい?」
「何だよ私の尻の境界って。何と見間違えたんだよ」
「そりゃまぁ」
「言わなくていいんだよ」
そりゃまぁ本当は見えてなかったのだけど。けどちゆりさんはどことなく楽しそうだ。うんうん、楽しいことはよい事だ。私も積極的にボケるとしよう。
「……って、ああっ! 駄目駄目!」
私はふと黒い女の子に目を向けて駆け出した。女の子は大きな口をあけてゴーヤーをかじろうとしていたのだった。
「あっ……馬鹿! 何飛び出してんだ!」
後ろでちゆりさんが焦って声を張るが駄目駄目! 見てるほうがニガいー!
がりっ
が、遅かった。女の子はゴーヤーを一気に半分かじってしまった。
「……う」
女の子は眉を思いっきりしかめた。しかしもぐもぐと咀嚼している。咀嚼しながら、ようやく私に気がついたようで、こちらに顔を向けた。こちらに顔を向けながらもぐもぐと咀嚼している。眉をしかめている。
「……大丈夫?」
「……まずい」
そりゃそうだろう。ニガくて食べられたもんじゃない。しかし女の子はごっくんと嚥下して、
「なにこれ。つくりもの?」
口元を押さえながら言った。私はちょっと驚いた。つくりもの、ときた。
彼女は「普通」のゴーヤーなら生でも食べられたみたいだけど、しかしこのゴーヤーは彼女にとっては「普通」ではないらしい。
「合成なのよ」
「合成?」
女の子は首を傾げた。
「天然のゴーヤーなんてほとんど残ってないのよ。豚肉でも筍でも何でも、ゴーヤーに限らずね。もう天然の食べ物なんて、今の世の中食べられないわ」
天然の物も食べられない事はないんだけど、とんでもない値段だ。ただ、今は合成の食べ物もほとんど天然のものと変わらない。あえて天然を食べたいと思う人間も、私の周りでは蓮子くらいじゃないだろうか。
「……可哀想ね。それじゃあ生きている心地がしない」
女の子は少し黙った後、目を伏せて呟きだした。
「命は消耗品よ。生きているという事は、絶えず他の命を取り込むという事よ。他の命を食わなくても生きていけるなんて……そんなのは生きているとは言わない」
脳裏にいがらしい人のお顔が過ぎった。何やら哲学めいてきた。蓮子も同じような事を言っていたけど、そういうものかしら。天然の筍は確かに美味しい、気がしたけど、やっぱり高いお金を払ってまで食べようとは思わない。
「そういう生き物なのよ」
私は言うが、女の子はうつむいてしまう。
「……そう。私の食べられそうなものはもう残ってないのね。人間もマズかった。アイスも変な味した」
「お口に合いませんでしたか」
美味しいと思うんだけど。まぁ……牛乳も砂糖も合成なんだから、わかる人にはわかるのかもしれない。
「帰るわ。つまんない」
女の子は立ち上がって颯爽と歩き出した。ちゆりさんの横を通って、ちゆりさんが慌てて「おうっ」と跳んで距離を取った。女の子は意に介さず、レジをそのまま通ってスーパーから出ていった。
それを私とちゆりさんで見送って、しばし呆ける。
……さて、どうしよう。私はカゴの中に放られた歯型のついたゴーヤーを見た。内側の白いわたが切ない。やっぱり買い取らないといけないわよねぇ。
「あんた……すげえな」
私が買い物カゴを拾って鬱々としていると、ちゆりさんが話しかけてきた。
「いやはや度胸あるぜ。臆さず近寄って、妖怪を追い返すなんて! しかも無血で! 流石、そんな眼ェ持ってたらどうすりゃ帰ってくれるとかわかるのか?」
ちゆりさんは目を輝かせている……わけでもなく、なんだかニヤニヤしている。言葉も仕草もなんだか芝居がかっている。
「偶然です」
「いやいやケンソンしなくていいぜ。あんたは立派に妖怪を退治して見せた。わたしなんかよりよっぽど向いてるぜ。これからも人類代表として頑張ってくれたまえじゃあな!」
「あっ」
ちゆりさんは早口に言って、翻って駆け出した。あっ……速い! 見事なランニングフォームだった。私は咄嗟にちゆりさんのセーラー服のぴらぴらを掴もうとしたが、全く間に合わなかった。
……まぁいいや。私は元気よく店から出て行くちゆりさんを見送って、ひとりごちた。同じ大学の助教授だったらまた会うこともあるだろう。そして、このスーパーも利用するに違いない。
私は暇そうにしている、確実にちゆりさんの姿を見たであろうパート店員のいるレジに買い物カゴを置いた。案の定欠けたゴーヤーを見て不審そうに眉をひそめたおばちゃんに、
「すみません……。うちのいとこ、沖縄生まれで」
セレブレティ溢れる微笑みを見せた。
*****
夜。
「聞いた? 昨日の事件、誤報だったんだって」
ゴーヤチャンプルーをもりもり食べながら蓮子が言った。
「誤報だったの?」
「足が見つかったってハナシだったんだけど、マネキンだったんだって。近所の人がマネキンの処理を適切にやってなくて。ゴミ袋にマネキンの手足が入ってるのが見つかって大騒ぎになったの。犯人はすぐにわかったんだけど、噂が噂を呼んで……ってカンジ。迷惑よねぇ」
「適切な処理の仕方があるの?」
「あるんだってさ。確かにマネキンが捨てられてるところなんて見ないわよね」
「本当にマネキンだったのかしら。夜な夜な妖怪が人間を食べてるとか」
「だったら残さず食べてほしいわねぇ」
馬鹿馬鹿しそうに蓮子は言った。駄目よ。もっと想像力を働かせて彩り豊かな食卓にしないと。……彩りと言ってもいささか赤色が多い気もしますが。
「蓮子は妖怪に食べられたら残さず食べて欲しい派?」
「『派』って何よ。……そうねぇ。食べ物には敬意を払って完食していただきたいですわ。食べられたものには食べられたものなりの歴史があるんだから。メリーは?」
「私は食べる側ですから」
「あ、そ」
またも馬鹿馬鹿しそうに言って、蓮子は席を立った。
「蓮子?」
「ビール欲しい。チャンプルーにはビールだわ」
「あぁ、そうねぇ。乾杯の理由は?」
「んー、事件解決とか。解決したの私らじゃないけど」
蓮子の差し出したスーパードライを受け取った。私と蓮子はぷしっとプルタブを開けて、
「じゃあ事件解決にかんぱーい」
「かんぱーい」
缶を鳴らした。
いつものように、ちょっと特別な夜が更けていく。パートナーと過ごす、ちょっと愛らしい夜。
今日が平日だなんて些細な事である。特別な日には食卓にビールを。
全体としては「自販機で当たりがでたよ」みたいなちょっとした日常の報告で
これが特別かわいらしいとか興味を惹かれるものならば楽しめるのですが無理でした。
ルイムラは方向性がはっきりしているだけに分かりやすくて楽しいです。
どうぞ、何を伝えたいのか明確にしてくださったならありがたいです。
どの程度パロディなのかわからないのは、読み手にはちょっと消化に悪いかも?
でもルーミア可愛い。
個人的にはこの10倍は点数入っててもいいと思うのですが。