※注意:人によってはグロテスクと感じられる描写があります。
博麗の巫女が、もう長くない。
秋口に、噂はすぐに広まった。噂ではないこともじきに知れ渡った。
以来、神社には多くの人妖が訪れ、病床に伏せる博麗霊夢を見舞った。肌に無数の皺を刻んでなお、彼女の瞳に宿る黒曜石のような輝きは褪せなかった。
レミリア・スカーレットは変わらず幼かった。もう一度だけ弾幕ごっこをしろと無茶を言った。遊び相手が惜しいなら、己が従者を眷属にしておけばよかったのだと皮肉を言われた。
魂魄妖夢は背が伸びた。主からの言伝であると前置いて、死後には白玉楼に滞在することを勧めた。そんなことだからお前は半人なのだとからかわれた。
東風谷早苗は少し前に肉体を手放した。共に神霊とならないかと提案した。新入りの仲間が欲しいのかと茶化された。
比那名居天子は傲岸不遜ぶりに磨きがかかった。死神を追い払ってやろうと言った。お前が暴れると神社が崩れて死ぬから疾く去ねと言われた。
伊吹萃香は酒を減らした。少し前に地底へ移り住んだ。地獄の土産に蔵の酒を持っていけと言われたが、戻ることもあるだろうからと言って丁重に断った。
風見幽香は髪の色を変えた。生前墓参だと言って白菊を持参した。お前が花を摘むとは、明日は雪でも降るのだろうかと揶揄された。
当代の博麗の巫女は異質であったが、同じくして偉大でもあった。
強力な妖怪や人ならぬ人は、それぞれの事情で彼女の死を憂いた。彼女の死を惜しんだ。
博麗霊夢は人間である。人間は短命である。故に博麗霊夢は短命である。
あの情けないざまを見ろ、と霧雨魔理沙は口角を歪めた。
霧雨魔法店は数十年前にも増して、腹に有象無象を抱えている。引き換え、外は丁寧に掃き清められている。
朝の掃き掃除を終えた魔理沙はブラウン管モニタに座り、倒した本棚に急須と湯呑を置いてくつろいでいた。夏の青臭さも薄れ、森はまず匂いから枯れ始めている。
急須の隣に置かれた黒い小皿には、白灰色の粒が三つ並んでいる。
「よう、紫。しばらくだな。あいつの代わりは見つかったのか」
八雲紫は幼い美貌にニヤニヤとした笑みを浮かべたまま、隙間を滑らせるようにして魔理沙の向かいへと移動した。
「ええ。幸いなことに、ね」
白いグローブに包まれた手が隙間に潜り、少女を引っぱり上げた。あどけなさを残す、赤毛の少女だった。ぎごちないながらも紅白を着ている。
地面に下ろされ、かさりと枯葉が音を立てた。魔理沙が腰をかがめて少女に顔を近づけると、少女は鼻を鳴らして腕を組んだ。魔理沙は莞爾として微笑んだ。少女は訝って眉をひそめた。
「いーい面構えだ。あいつに似ている」
「そうかしら? 生意気が過ぎて、いささか手を焼くのだけれど」
「お前の思い通りにならないあたりが似ているのさ」
魔理沙は喉の奥をくつくつと鳴らして笑った。
「あなたは六十期が過ぎても変わらないわね、魔理沙」
「おう。変わらないぜ」
「悲しくはないのかしら?」
「人間なんざ、さくりと死んじまうもんだぜ。子供でも分かる三段論法だ」
六十期前と変わらぬ皮肉の応酬。時流に乗れぬ次代の巫女は退屈そうに欠伸をした。
「ムラサキ。もういい?」
紫は肩をすくめて隙間を開き、入るよう少女へ促した。少女は紫に舌を出し、それから隙間へ入った。
「ムラサキ?」
「どうしてか、ああ呼ぶのよ。難しい年頃なのね」
ハ、と魔理沙は嗤った。
「お前は物凄く頭が良いくせに、何も分からないんだな。何のために何千年も生きたんだ?」
紫は答えず。ハ、と再び魔理沙は嗤った。
「気狂いになるまで星の計算でもしてればよかったんだ。ま、お前が泣くところを見られてよかったぜ」
「あら。わたくしが泣いているように見えるのなら、しばらく会わないうちにあなたも随分と耄碌してしまったのね」
「いいや。泣いているぜ」
紫は笑顔のまま眉根を寄せ、魔理沙の金眼をじっと観察した。やがて苦笑した。
「……そう。もう、目が」
「ああ。見えないんでな」
だから見えるのだ。
「さようなら、魔理沙。よかったわね。あなたの勝ちよ」
「最初から結果が分かっていることを勝負とは言わないぜ」
魔理沙は左手を示し、ひらひらと振った。枯れ枝のような老婆の指は、四本。薬指が無かった。霊夢にくれてやったのだった。魔理沙は黒い小皿に大中小と三つ並んだ多孔質の粒を一つつまみ、これみよがしに口へ放り込んだ。焼いたリン酸カルシウムの大きな塊を、老いた顎がもそもそと咀嚼した。眉をあげた。少し苦かった。緑茶を口に含んで飲み下した。
ざらり、と魔法の森の木々が怖気をふるった。
紫があやかしの本性を露わにしたのだった。唇が裂けるほどに乱杭歯を剥き、まぶたの形が変わるほどにまなじりを釣り上げた。瞳の奥は暗紫色に濁り、その中で数多の瞳が多重に渦巻いていた。
「醜いわよ、あなた」
「褒め言葉だぜ」
紫はひくひくと目をすがめた。やがて肩を落とし、くらげの傘を開き、背を向けた。
「……わたくしとあなたで、いったい何が違ったのかしら」くぐもった声。
「お前には代わりがいた。わたしにはいなかった。それだけのことだ」しわがれた声。
しばらく静かだった。
魔理沙はしじまを破らなかった。
時間が続く者にのみ、その権利が与えられていたから。
「改めまして、さようなら、霧雨魔理沙。幸せな末期を祈っていますわ」
「よもや、お前が社交辞令とはな。生きていた甲斐があったぜ」
最後の邪魔者が消えた。
最後の最後まで紫は紫であり、最期の最期まで魔理沙は魔理沙であった。
中くらいの粒を取り、口に放り込んだ。ろくに噛まずに嚥下した。
最後に残った小さな粒を舌の上で転がした。霊夢の薬指の先端だ。
握りこぶし大の心臓が浅く脈を打っている。
じきに、普通の魔女は普通に死ぬ。
霊夢も今頃息を引き取っているだろう、と魔理沙は思う。
ハ。
人ならざるものめ。
人に恐れられねば存在できぬ、弱きものめ。
人に畏れられねば消え失せる、儚きものめ。
ざまあみやがれ。
博麗の巫女が、もう長くない。
秋口に、噂はすぐに広まった。噂ではないこともじきに知れ渡った。
以来、神社には多くの人妖が訪れ、病床に伏せる博麗霊夢を見舞った。肌に無数の皺を刻んでなお、彼女の瞳に宿る黒曜石のような輝きは褪せなかった。
レミリア・スカーレットは変わらず幼かった。もう一度だけ弾幕ごっこをしろと無茶を言った。遊び相手が惜しいなら、己が従者を眷属にしておけばよかったのだと皮肉を言われた。
魂魄妖夢は背が伸びた。主からの言伝であると前置いて、死後には白玉楼に滞在することを勧めた。そんなことだからお前は半人なのだとからかわれた。
東風谷早苗は少し前に肉体を手放した。共に神霊とならないかと提案した。新入りの仲間が欲しいのかと茶化された。
比那名居天子は傲岸不遜ぶりに磨きがかかった。死神を追い払ってやろうと言った。お前が暴れると神社が崩れて死ぬから疾く去ねと言われた。
伊吹萃香は酒を減らした。少し前に地底へ移り住んだ。地獄の土産に蔵の酒を持っていけと言われたが、戻ることもあるだろうからと言って丁重に断った。
風見幽香は髪の色を変えた。生前墓参だと言って白菊を持参した。お前が花を摘むとは、明日は雪でも降るのだろうかと揶揄された。
当代の博麗の巫女は異質であったが、同じくして偉大でもあった。
強力な妖怪や人ならぬ人は、それぞれの事情で彼女の死を憂いた。彼女の死を惜しんだ。
博麗霊夢は人間である。人間は短命である。故に博麗霊夢は短命である。
あの情けないざまを見ろ、と霧雨魔理沙は口角を歪めた。
霧雨魔法店は数十年前にも増して、腹に有象無象を抱えている。引き換え、外は丁寧に掃き清められている。
朝の掃き掃除を終えた魔理沙はブラウン管モニタに座り、倒した本棚に急須と湯呑を置いてくつろいでいた。夏の青臭さも薄れ、森はまず匂いから枯れ始めている。
急須の隣に置かれた黒い小皿には、白灰色の粒が三つ並んでいる。
「よう、紫。しばらくだな。あいつの代わりは見つかったのか」
八雲紫は幼い美貌にニヤニヤとした笑みを浮かべたまま、隙間を滑らせるようにして魔理沙の向かいへと移動した。
「ええ。幸いなことに、ね」
白いグローブに包まれた手が隙間に潜り、少女を引っぱり上げた。あどけなさを残す、赤毛の少女だった。ぎごちないながらも紅白を着ている。
地面に下ろされ、かさりと枯葉が音を立てた。魔理沙が腰をかがめて少女に顔を近づけると、少女は鼻を鳴らして腕を組んだ。魔理沙は莞爾として微笑んだ。少女は訝って眉をひそめた。
「いーい面構えだ。あいつに似ている」
「そうかしら? 生意気が過ぎて、いささか手を焼くのだけれど」
「お前の思い通りにならないあたりが似ているのさ」
魔理沙は喉の奥をくつくつと鳴らして笑った。
「あなたは六十期が過ぎても変わらないわね、魔理沙」
「おう。変わらないぜ」
「悲しくはないのかしら?」
「人間なんざ、さくりと死んじまうもんだぜ。子供でも分かる三段論法だ」
六十期前と変わらぬ皮肉の応酬。時流に乗れぬ次代の巫女は退屈そうに欠伸をした。
「ムラサキ。もういい?」
紫は肩をすくめて隙間を開き、入るよう少女へ促した。少女は紫に舌を出し、それから隙間へ入った。
「ムラサキ?」
「どうしてか、ああ呼ぶのよ。難しい年頃なのね」
ハ、と魔理沙は嗤った。
「お前は物凄く頭が良いくせに、何も分からないんだな。何のために何千年も生きたんだ?」
紫は答えず。ハ、と再び魔理沙は嗤った。
「気狂いになるまで星の計算でもしてればよかったんだ。ま、お前が泣くところを見られてよかったぜ」
「あら。わたくしが泣いているように見えるのなら、しばらく会わないうちにあなたも随分と耄碌してしまったのね」
「いいや。泣いているぜ」
紫は笑顔のまま眉根を寄せ、魔理沙の金眼をじっと観察した。やがて苦笑した。
「……そう。もう、目が」
「ああ。見えないんでな」
だから見えるのだ。
「さようなら、魔理沙。よかったわね。あなたの勝ちよ」
「最初から結果が分かっていることを勝負とは言わないぜ」
魔理沙は左手を示し、ひらひらと振った。枯れ枝のような老婆の指は、四本。薬指が無かった。霊夢にくれてやったのだった。魔理沙は黒い小皿に大中小と三つ並んだ多孔質の粒を一つつまみ、これみよがしに口へ放り込んだ。焼いたリン酸カルシウムの大きな塊を、老いた顎がもそもそと咀嚼した。眉をあげた。少し苦かった。緑茶を口に含んで飲み下した。
ざらり、と魔法の森の木々が怖気をふるった。
紫があやかしの本性を露わにしたのだった。唇が裂けるほどに乱杭歯を剥き、まぶたの形が変わるほどにまなじりを釣り上げた。瞳の奥は暗紫色に濁り、その中で数多の瞳が多重に渦巻いていた。
「醜いわよ、あなた」
「褒め言葉だぜ」
紫はひくひくと目をすがめた。やがて肩を落とし、くらげの傘を開き、背を向けた。
「……わたくしとあなたで、いったい何が違ったのかしら」くぐもった声。
「お前には代わりがいた。わたしにはいなかった。それだけのことだ」しわがれた声。
しばらく静かだった。
魔理沙はしじまを破らなかった。
時間が続く者にのみ、その権利が与えられていたから。
「改めまして、さようなら、霧雨魔理沙。幸せな末期を祈っていますわ」
「よもや、お前が社交辞令とはな。生きていた甲斐があったぜ」
最後の邪魔者が消えた。
最後の最後まで紫は紫であり、最期の最期まで魔理沙は魔理沙であった。
中くらいの粒を取り、口に放り込んだ。ろくに噛まずに嚥下した。
最後に残った小さな粒を舌の上で転がした。霊夢の薬指の先端だ。
握りこぶし大の心臓が浅く脈を打っている。
じきに、普通の魔女は普通に死ぬ。
霊夢も今頃息を引き取っているだろう、と魔理沙は思う。
ハ。
人ならざるものめ。
人に恐れられねば存在できぬ、弱きものめ。
人に畏れられねば消え失せる、儚きものめ。
ざまあみやがれ。
欲を言えば魔理沙が不死や妖怪化の道を選ばなかったというのを最後の最後に明かす構成にすれば更にインパクトがあったのでは、とも思いました。
互いに指を渡すってどういうお呪いなのだろう。
でもこれはこれで
>>2さん 1点も頂けるなんて恐縮です
>>5さん 朝の挨拶は元気にれいまり!
>>6さん 紅丸コレダー
>>9さん ハッタリという可能性も
この一言がいい。
恋鬼異聞が好きで、その後に書かれたギャグが嫌いで、以後早苗の世界も読んでいませんでしたが
これを機に読んでみようかと思いました。
一読者のごく個人的な好みですので、作者さんが気にすることでも無いのですけどね。
>>14さん やったぜ。
>>15さん 膝に定期的にボケないと死んでしまう病を受けてしまってな…
中々こういう空気を出すのは難しいと思うのですがうらやましい。