《ここまでの経過》
フランドリームス 1-3 守矢シャイニングバーニングライトニングス
《フランドリームス》
①フランドール・スカーレット(右投右打)右翼手 3打数0安打
②紅 美鈴(右投右打)二塁手 3打数0安打
③風見 幽香(右投左打)中堅手 2打数0安打1死球
④伊吹 萃香(右投右打)一塁手 2打数1安打1本塁打1打点1四球
⑤藤原 妹紅(右投右打)左翼手 2打数0安打1死球
⑥霧雨 魔理沙(右投右打)三塁手 2打数1安打
⑦鈴仙・優曇華院・イナバ(右投左打)遊撃手 2打数0安打
⑧アリス・マーガトロイド(左投左打)投手 1打数0安打1犠打
⑨パチュリー・ノーレッジ(右投右打)捕手 2打数0安打
《守矢シャイニングバーニングライトニングス》
①博麗 霊夢(右投右打)三塁手 3打数3安打1本塁打1打点
②秋 静葉(右投両打)一塁手 3打数1安打1打点
③秋 穣子(右投右打)右翼手 2打数0安打
④東風谷 早苗(右投右打)左翼手 2打数1安打1本塁打1打点
⑤比那名居 天子(左投左打)中堅手 2打数0安打
⑥鍵山 雛(右投右打)二塁手 2打数0安打
⑦河城 にとり(右投左打)遊撃手 2打数0安打
⑧八坂 神奈子(右投右打)捕手 2打数0安打
⑨洩矢 諏訪子(右投両打)投手 2打数1安打
打った静葉を誉めるしかない――と、納得する他なかった。そうでなければ、考えはどんどん悪い方向に行ってしまう。
一点を失い、なおもワンアウトランナー一塁で迎えるクリーンナップ、言うまでもなく状況は良くない。
しかしここで後続を抑える事が出来れば、魔理沙から始まる攻撃にせめていい流れで持っていける。
自分に今出来ることは、魔理沙に気持ち良く打席に入ってもらうようにしっかり投げる事だ――
「プレイッ!」
一塁ランナーの静葉のリードは小さい。
初回に牽制でアウトになっている事もあり、慎重を期している様子である。
一方打席の穣子は、ここまでの打席に比べて堂々としているように見える。
追加点を取った直後だからなのか、はたまた何かしらの策があるからなのか。
何にしても盗塁の心配があまりない以上、狙いは内野ゴロを打たせてのゲッツーだ。
(インコース低めにジャイロ、了解)
元々は対レミリアを想定して習得した球、フォーシームジャイロ。魔理沙の草案で投げ始め、パチュリーと共に磨き上げた切り札である。
サインに頷き、アリスは投球モーションに移る。狙うはインコース、コントロールミスだけはしないよう、パチュリーのミット目がけて右足を踏み出した。
「ふッッ――!」
インコース低めに構えられたミットはぴくりとも動かない。完璧に狙い通りだ。
打ちに来られてもゴロになる可能性が高く、見逃せばファーストストライク。初球に持ってくるにはこの上ない一球である。
キィィィィィィィンッ!!
しかしそんな完璧な球を、穣子は完璧なスイングで、完璧に捉えた。
初見では幽香さえも打ち取ったアリスの切り札が、初見の穣子にいとも容易く打ち返されたのだ。
「……くっ!」
打球は左中間の深い位置に落ち、フェンスに当たったボールを幽香がこのイニング三度目の捕球をする。
一塁ランナーの静葉は二三塁間の真ん中辺りを走っていて、普通の状況ならば間違いなく本塁を狙う所だが、幽香の肩を考慮してか本塁を狙う気は無さそうだ。
また、バッターランナーの穣子は二塁ベース目前に到達していて、このタイミングではさすがに刺せそうにない。
ワンアウト二塁三塁か――と、そう結論付けた幽香の目に、三塁ベース付近から違和感が飛び込んできた。
(……フン、相変わらず猪口才だこと)
棒立ちで腰に手を当てた魔理沙が、下向きのグラブで小さくおいでおいでしていた。
そしてすぐにその意図を理解した幽香はあまり急がず機を見計らい、中継のために両手を大きく振っている鈴仙を無視し、三塁に向かって矢のような送球を放った。
「――あっ!?」
自分の所に来るはずの送球が大きく逸れて慌てる鈴仙、変わらず腰に手を当てたまま棒立ちの魔理沙、三塁コーチャーをやっている諏訪子が一瞬判断に迷うのは無理もなかった。
ランナーストップのジェスチャーを一旦取り止めたため、静葉はオーバーランを試みながらボールの行方を確認する。
「――(あ、まずっ!)ストップッ!!」
スパァァァァン!!
「――えっ?」
静葉がオーバーランしたのは僅かに三歩ほど。しかし、確かにベースから体が離れたのを魔理沙は見逃さなかった。
直前に気付いて声を張り上げた諏訪子の願い虚しく、頭から滑り込んで帰塁を試みた静葉の手に、魔理沙のグラブが添えられたのだった。
「ランナーアウトォ!」
「あちゃー……痛いね、これ」
「ええ。ただ、今のは魔理沙さんが上手かった」
「ボール待ってる気配が全然無かったもんね。でも、神様を平気で騙しちゃうんだから凄いよ!」
「ふふっ、神をも恐れぬとはまさにこの事ね」
古明地姉妹が感心している所だが、まだ守矢チームの攻撃は終わっていない。
一連のプレーによって静葉はアウトになったものの、バッターランナーの穣子はしっかり二塁まで到達。四番を打席に迎える上で、ツーアウトランナー二塁の状況を作り出していた。
『四番、レフト、早苗。背番号、90』
観客『ワー!! ワー!!』
霊夢がクリーンヒットを放ち、さらにホームに生還、そして今は追加点のチャンスというこの状況に、負けず嫌いなこの四番打者が燃えないはずがない。
「――お願いしますッ!!」
勢い良く鋭角に体を曲げ、耳に心地よい大きな声で挨拶をして東風谷早苗は打席に立った。
「………」
諏訪子から穣子まで四連打を浴び、さらに得点圏にランナーを置いて迎える四番打者――これ以上の失点は致命的な現状、負けている場面ではあってもエースにマウンドを託すのが賢明な判断であろう。
しかし、
(……悔しいわよね)
四連打を浴びてなお、アリスの目には強い意志が見える。
こんな所で終わりたくない、と叫んでいるようにパチュリーは思った。
サインを出し、パチュリーはパン! と一発ミットを叩いて前方に構える。
任せた――アリスにはそう聞こえた事だろう。力強く頷き、深呼吸を挟んでゆっくりと投球モーションに入った。
そんな二人のやり取りに充てられたのか、鼻息荒い中で早苗は思わず嬉しそうな笑みをこぼし、バットを握り締めた。
「――ストォォライッ! バッターアウッ! チェンジ!」
猛攻を見せた守矢チームの六回裏が、今終わった。
アリスの繰り出す渾身のナックルに渾身のフルスイング五つ。三振に倒れはしたものの、早苗の表情に悔いはなかった。
奪った得点は一点のみ。四安打を積み上げた事を考えれば決して上出来とは言えない結果だが、それでも大きな追加点であることに変わりはない。
残すイニングは、三つ。
「ソロ(ホームラン)でも一点差止まり、か。下位打線であの神様相手じゃあ、キツいねえ」
「………」
「あ、悪い。キャプテンのご主人様のチームだもんね。ちょっとノリが軽すぎたよ」
「いえいえお気になさらず。でもてゐさん、フラン様のチームを甘く見ない方がいいですよー」
「ん、わかってるさ。あのクリーンナップの顔触れ見たらとてもとても甘くなんて」
「わかってませんねー。ジャイロボールが物凄くホップする球だと思ってる人くらいわかってません」
「ちぇっ、じゃあわかってる答えって何なのさ」
七回の表、フランドリームスの攻撃は、六番の魔理沙から。ここまではバントヒットに空振り三振と、長打の気配はない。
外野を前進、内野は不意を突くバントに備えさせ、投球の中心をストレートにすればおおよそ問題ないはず――
キィィィィィン!!
「……!」
問題ないはずだった外角のストレート、それを逆らわずに右に打ち返した魔理沙の打球は、右中間を真っ二つに割った。
前進守備だった外野が必死にボールを追う間に魔理沙は楽々三塁に到達。点差を広げられた直後のイニング、たった一球でノーアウト三塁のチャンスを作って見せた。
(くっそー、やってくれるね……!)
もはや一点は覚悟しなければならない――バッテリーの考えは話し合うまでもなく一致しているため、いちいちマウンドに集まることはしない。
バッター集中、まずはワンアウトを取ることが第一である。
『七番、ショート、鈴仙。背番号、6』
初球はやはりストレート、しかし今度はアウトコースに外す。
スパァァァァン!
構えられたミットより少し外の、ボール二つ分外れた高めの球だったが、鈴仙は反応しない。
スパァァァァァン!
初球と同じコースの低めの球、一瞬反応したがバットは止まる。
スパァァァン!
やや外寄りの高めから低めに落ちるフォークに反応せず、初めてストライクがコールされた。
スパァァァァァァン!
真ん中アウトコースのストレート、諏訪子のコントロールミスで明らかに外れた球を余裕を持って見送り、これでスリーボール。因みに鈴仙はまだ一度もバットを振っていない。
(諏訪子……バシッと来なよ)
カウント1ストライク3ボールから、神奈子はインコースを要求。左打者の胸元に食い込ませるインコースのストレートは諏訪子の得意とする球である。
このサインが出た時、普段なら決まって嬉しそうに頷く諏訪子……なのだが、今は違う。首を横にこそ振りはしないものの、歯切れの悪そうな顔をしている。幽香に与えてしまったデッドボールがそうさせているのだ。
当然神奈子もそれは分かっている。しかし、ここからのイニングでこの球を決めずしてフランドリームスの打線を抑えられる気がしなかった。
一応二番手投手として多彩な変化球を持つにとりがいるが、諏訪子と比べてしまうと総合力の大きな差は否めない。それに、何の準備も無しにこんな終盤の大ピンチで突然マウンドに上がれというのはさすがに酷だ。
「あー……」
だからこの場面、諏訪子が抑えるしかない。インコースに自慢の速球を決めて、力でねじ伏せるしかないのである。
「うらあッッ!(あ、まずい!)」
そんな中で投じられたストレートは、あろうことか真ん中高め。この甘い球を見逃さず鈴仙は思い切りスイング――
キイィィィィィィィィン!!
そして、ジャストミート――
スパァァァン!
「っ……!」
痛烈な打球は三塁正面。捕った霊夢がそのままベースを踏む。
「バッターアウッ! ランナーアウッ!!」
結果はツーアウトランナー無し。何が起こるかわからない――そんな野球の怖さを知らしめるかのような一打となった。
「ツーアウトォォ!」
守矢チーム一同『オーー!』
窮地を脱した守矢チーム、しかしムードはいけいけではない。
下位打線から始まる相手の攻撃で、一歩間違えば一点差、いや同点に追い付かれていたかもしれない状況である。手放しに喜べるはずもない。
ましてや最前線に立つバッテリーなど尚更で、特に諏訪子はショックが大きいようだ。
「お願いします!」
対照的にフランドリームスのメンバーは、チャンスを潰して意気消沈どころかイニングが始まる前より活気付いている。
難攻不落だった諏訪子に対して二人が浴びせた痛打、それが自信に繋がっているのだ。
(一球だ、一球決めよう……!)
神奈子は再びインコースを要求する。やはり諏訪子は浮かない顔だが、今はそんな事を気にしていられなかった。
「……(くっそー、もう……どうにでもなれっ!)あー……」
そして――
「うらァァ!!」
ビシッッ……!
「――あ……っ」
この一球……アリスに対するデッドボールを皮切りに、諏訪子の中で何かが崩れた。
まず、続くパチュリーに力のない外角のストレートをセンター前へ運ばれる。
ランナー一、二塁からフランドールにレフト線を抜けるツーベースを浴びて一点を失い、なおも二、三塁。
さらに美鈴にはセンターに抜けそうな打球を飛ばされ、ショートのにとりが何とか飛び付いて止めたため逆転は免れたものの、ついに守矢チームは初回先頭打者から保ち続けてきたリードを失った。
『三番、センター、幽香。背番号、8』
もはや神奈子にも、どうにかしようという気力は残っていなかった。
神の力の源でもある自分達に対する信仰――それが弱まってきているのだ。
(六万人の信仰を一身に浴びる……ふふ、久々にいい気分にさせてもらった。諏訪子、あんたもそうだろう……?)
そして、それは守矢チームに所属するあらゆる神にとっても例外ではない。内野、外野ともに元気なく、ただただ今の状況にうなだれるのみである。
「フン、つまらない。こんな程度で終戦とは、少しあなたたちを買い被りすぎていたかしら」
「は……返す言葉もないよ」
辛辣な言葉だが、神奈子は力ない返事を返す事しかできない。信仰が弱まってしまった以上もはや勝てる見込みはほとんどなく、ゆえに食って掛かる意味もない。
そんな神奈子に対して何かを思ったのか、幽香はマウンドに向けていた視線を左にそらす。
「腑抜けた返事ね。少しはあの子たちを見習ったらどう?」
「……?」
「神様ーーッ! がんばれーーッ! がんばれーーッ!!」
「諏訪子様ーーッッ! レフトオッケーーッッ!!」
言葉を受けて幽香の視線を辿った先――そこには、目にいっぱいの涙を溜めながら、必死に鼓舞を繰り返すにとりと早苗の姿があった。
(なんて事だ……! あたしら全員、今の今までこの声に気付かなかったのか……!?)
その傍らには、声こそないもののしっかり守備の姿勢を崩さない霊夢がいる。
少なくとも、この三人は決して試合を諦めていない。
やがて神奈子の視線を追った諏訪子が、あとを追うように雛が、静葉が、穣子が、その姿を目の当たりにする。
「センターこぉぉぉぉぉぉぉぉぉォォいッッ!!」
そして、涙で顔をくしゃくしゃにした天子の声が響きわたり、守矢チームの覚悟は決まった。
「しまっていくぞォ!!」
守矢チーム一同『オーーーッッ!!』
一念発起、出されたサインに頷き、諏訪子はワインドアップで投球動作に入った。
一塁ランナーの美鈴がすかさずスタートを切るが、気にも留めずに真っ直ぐ神奈子のミットを見据えている。
力は、大して入らない。しかしそんな事は関係なかった。チームの皆が自分に思いを向けてくれるだけでよかった。
「……あー……」
天高く掲げた足を思い切り踏み出し、狙うはインハイ、乾坤一擲、必ず決める――!
「うーーーーッッ!!」
体重移動よし、指の掛かり具合よし、しかしやはりと言うべきか球にスピードは乗っていない。
そして、インコース低めに向かうそのストレートを、幽香は余裕を持って待ち構えていた。
勝負師たる彼女にとって、相手が泣こうが絆を示そうが一切関心はない。ゆえに、恩情で機を逃すことなど絶対にない。
多少伸びてインコース真ん中に来ると予測し、右中間に狙いを付けて右足を踏み出す。
(――見誤ったか)
だが、満身創痍の諏訪子が投じた渾身のストレートは、幽香の予測を上回っていた。
それでもすかさず軌道修正し、顔の高さまで伸びてきたそれを――
キィィィン!!
――捉えて響く打球音、決して会心ではないが、芯で捉えた音だ。
二塁ランナーの美鈴はスタートが良く、仮に外野へ打球が抜ければホームインする勢い。逆転だけでなく駄目押しの一打となる。
そんな状況の中、放たれた打球の在処は一、二塁間。
「――うあああッ!」
地を這うゴロでライトに抜けようとするそれを、思い切り体を伸ばしてダイビングする事で静葉が止めにかかっていた。
しかし、距離を見てみると少し厳しい。出来たとしてもグラブの先端で僅かに触れることくらいであろう。そして静葉の狙いは、最初から『それ』だった。
「――オーライっ!」
静葉のグラブによって僅かに軌道が変わった打球に、今度はセカンドの雛が一、二塁間深くでダイビング。グラブに収め、一塁ベースカバーに走り込んだ諏訪子に向かって、倒れた体勢のまま素早くリリースした。
鈍る動きの中、神々が見せた身を擲っての守り――
「バッターアウトォ! チェンジ!」
逆転は、許さない。
『七回表の攻撃終わりまして、ついに、ついに同点となりました目の離せない第一試合です! 阿求さん、この先の展開をどう見ますか?』
『はい。私はやはりフランドリームス有利と見ます。理由は多々ありますが、まずなにより負けている状況を打開できたことが大きいですね』
『初回からずっと背負ってきたわけですからね』
『ええ。各打者も肩の無駄な力が抜けるのではないでしょうか。それと、恐らくセットアッパーかクローザーの形での起用を考えているのだと思いますが、エースナンバーのフランドール選手がいまだに控えているのもポイントですね』
『事前情報を見てみますと、本格派の速球投手だとのことです』
『先程のライトゴロの返球も凄かったですからね、間違いないでしょう。軟投に目が慣れた状態で、実力も未知数の速球投手を相手にするのは容易ではありません。例えるなら、そうですね、イージーのアイシクルフォールから予告無しにルナティックのエターナルミークを撃たれるようなものです』
『はい! 非常に分かりやすい解説ありがとうございます! さぁ、ついに同点となりましたこの終盤、どんなドラマが待っているのでしょうか!』
「――どっせりゃあああああぁぁぁァァァァ!!」
キイイイィィン!
七回裏、先頭の天子の打球は快音を残して三遊間を切り裂いていく。
打ったのはインロー、ボール気味のナックル。さすがにこれは外野ゴロになる心配もなく、この試合初安打である。
「ナイバッティンです!」
「サンキュー、キャプテン!」
続投のアリスを攻め立てる一打に守矢チームは俄然盛り上がる。
次打者の雛がきっちり送りバントを決めたことで反撃ムードはさらに加速し、スタンドからの声援も心地よいものとなった。
「咲夜」
「はい、お嬢様」
「ぼちぼち体を動かしましょう。行くわよ」
「畏まりました」
「あれ? もう行っちゃうの?」
「ええ。私はともかく咲夜は先発だから。じゃあ、また後で」
「うん、後でね!」
「……さて、と。妖夢、私達も行きましょう」
「(えー……)かしこまりィ」
「妖夢、後で素振り一万本。じゃあ古明地シスターズ、ごゆっくり」
「うん。でも、みんなこの試合は気にならないの? これからいいとこなのに」
「気にならないことはないわ。ただ、もう大勢【たいせい】は決しちゃったから」
「大勢?」
キイィィン!
ワンアウト二塁から、七番のにとりの打球は鋭いピッチャー返しとなる。
しかしこれが不運、やや二塁ベース寄りに守っていた鈴仙のグラブにダイレクトで収まり、天子の帰塁も間に合わずダブルプレー。勝ち越しのチャンスもあえなくスリーアウトチェンジとなった。
「ここに来て……不運ですね」
「そうね。でも、なるべくしてなったとも思えてしまう」
「ええ、末恐ろしいものです。あの様子だと味方にも大筋すら伝えていないのでは?」
「敵を欺くにはまず味方から、か」
「……? 紫さま藍さま、どういうことなんですか?」
「簡単に言ってしまえば『勝利の方程式』よ。途中で計算外は幾つかあったとしても、最終的に確実な勝利を得るための道筋が通っていた、ということね」
「それって……いつからですか?」
「最初から、よ」
「え……!」
守矢チームの『勝利の方程式』――開始直後のど派手なパフォーマンスで観客の注目を集め、力を増した神々の力で序盤攻勢、そして一気に押し切ること。
実際、それ自体はうまくいっていた。先発の諏訪子はその派手な投球フォームと豪速球で、先頭打者の霊夢は彼女自身の持つ不思議な魅力といきなりのホームランで、キャプテンの早苗は持ち前の明るさとまさかのホームランで、雛はみんなが夢見る素敵な打法で、それぞれ注目を大いに集めていた。
うまくいけば、そのまま諏訪子が相手打線を寄せ付けず、力の増した打線が火を吹いて圧倒的勝利、皆の注目を維持したまま決勝へ臨む――これが守矢チームの描いたシナリオだった。
計算外は、アリスを打ち崩せなかった事、フランドリームス打線の予想以上のスペック、そして……『勝利の方程式』を見抜き、さらにその上を行く『勝利の方程式』を描ける者がいた事だ。
「――まじで言ったとおりの展開になっちゃうんだもんなあ。やっぱあんた凄いぜ、パチュリー」
「四割は計算外よ。全部うまくいったら今頃は5点差以上で勝ってるわ」
「ほうほう、そりゃすごい!」
「……それにしても、まったくあなたには困ったものだわ。なに企んでるか教えなかったらサインプレー全部無視する、だなんて、脳がとち狂ってるとしか思えない」
「はは、まだまだだな!」
「うるさい。ほら、ぼちぼち準備しなさいな」
「うぃーっす」
フランドリームスのメンバーのうち何人かは薄々感付いている者も出てきていた。確信に近い勝利の予感である。
諏訪子に対する攻撃の手応え、控えるエースに寄せる信頼、そして今自分達が持つ勢い、負ける要素はほとんど無いと言ってもいい。
予感を感じているのはフランドリームスだけではない。正反対の、敗北の予感。濃さに差はあれど守矢チームのほぼ全員、感じていた。
数多の修羅場をくぐり抜けて来た者ほど鮮明にイメージ出来てしまうそれは、長い年月を生きてきた守矢チームの神々に重く重くのしかかる。
「がんばれーーッッ!! がんばれ神様ーーッッ!!」
「レフトこぉーーいッ!!」
しかし、諦めるつもりなど微塵もない。
この声援があれば、力が出せないことなど些細な問題だ。
「――行くよっ!」
「――さあ、来な!」
例え相手が怪力無双の鬼であっても。
「プレイッ!」
これまでと変わらない全身全霊のピッチング。
ストレート、ストレート、フォーク、ストレート、フォーク――球速、球威ともに前の三打席と比べて大きく劣るそれらだが、萃香は渾身のフルスイングで諏訪子の気迫に応える。
そしてツーストライクツーボールからの六球目は得意のインハイのストレートで――
ギィィィィン!!
「あちゃー、お見事!」
「お粗末っ!」
左中間の深い位置に飛ぶフライに打ち取り、諏訪子に軍配が上がった。
「ワンアウトーッ!!」
守矢チーム一同『オーッッ!!』
いい流れである。
このまま後続を抑えることが出来れば、もしかしたら再逆転、そして勝利の可能性が見えてくる――そう思えるくらいに。
「お願いします!」
次の打者、五番の妹紅はここまでデッドボールと三振が二つ。フォークボールに対応出来ておらず、それを中心に攻めれば抑えられる公算が高い。
仮に打ち取ったとすればツーアウトランナー無しで、油断はもちろんできないが下位打線に余裕を持って臨める。
「あー……」
そして、次のイニングは霊夢に打順が回る。
霊夢ならきっと、きっとなんとかしてくれる――
「うーーッ!」
「(そのフォーク……)待ってたよ!」
「――!」
キイイィィィィィィン!!
顔より高い位置から鋭く落ちたフォークボールを、妹紅は常識はずれのアッパースイングでカチ上げた。
皆が驚きのまま見上げた先には、天井から釣り下げられた巨大スピーカー。
そして……
一瞬静まり返った後のキングドームに、守矢チームの描いた青写真が破られる『ガンッ!』という鈍い音が響いたのだった。
「――お願いします」
「や、調子はどうだい?」
「ぼちぼちね」
「言っとくが、あたしらは負けるつもりなんてこれっぽっちもないよ」
「分かってるわ」
八回表ツーアウト二塁、打席に入るパチュリーに対して神奈子が話し掛けている。
妹紅の認定ホームランの後、魔理沙には一、二塁間を抜かれ、続く鈴仙のセンター前ヒットで一塁三塁。
さらに八番のアリスには前進守備をものともしないスクイズを決められ、点差は2点に広がっていた。
万事休す、と言っても過言ではない状況だが、神奈子の言葉に代表されるように守矢チームは誰一人として試合を諦めていない。
「あー……うーーッ!」
ますます球速が落ちている諏訪子、しかし腕をしっかり振り切って投げ込まれる球は決してイージーボールではない。
フォークボールのキレも落ちておらず、落差が増した分打ち手によっては打ちづらいボールになっている。
そしてパチュリーの狙いは、そのフォークだ。
キィィィン!
「オーライっ!」
綺麗に捉えた一打だったが、打球はショート正面への強いゴロとなった。にとりが落ち着いて処理し、ファーストの静葉へ余裕を持って送球する。
「バッターアウトォ! チェンジ!」
「点差、ついちゃったですねえ」
「そうね。でも、正直ここまで対応が早いとは思わなかった。予想以上の打線だわ」
「でも永琳なら大丈夫よね」
「大丈夫、と言っておきますよ。……あら?」
「「ん?」」
『――フランドリームスの守備の交替をお知らせします』
「おーっ、ここでクローザー登場ってわけ「フラン様ーーっ!!」「「「「ふらんさまーーッ!!」」」」突然耳元で叫ぶな!」
「ふふ、仲が良いわね、あなた達」
「知りませんよ! それより、こりゃあ見物で「ファイトーーっ!!」「「「「ファイトーーッ!!」」」」うるさーいッ!!」
観客『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおォォォォォォォォォォォ!!!』
『ピッチャーのアリス選手がライト、ライトのフランドール選手がピッチャー。一番、ピッチャー、フランドール。八番、ライト、アリス』
自分でも不思議なくらい、緊張はなかった。それはここまでの試合を共に戦ってきたチームのみんなのおかげと思った。
投球練習、マウンドプレートに足を掛けた時、思い出したことが二つあった。
一つは、一番最初。こいしに『野球しようよ!』と誘われた日、紅魔館の地下ホールでお姉様と勝負した時のこと。
もう一つは、初めての全体練習。みんなをバックに投げた『あの時』のこと。
そのどちらが欠けても、今私はここには立っていなかっただろうと思う。
もちろん――怖い。あの時のことを少しでも思い出すと、今でも足が震えてしまう。
でも、お姉様との勝負で感じた気持ち、こいしがもう一度『野球しようよ!』と言ってくれたときの気持ち、そして、今このマウンド上で私が感じている気持ちは、その怖さを包み込んでくれる。包み込んでくれて、みんなへの感謝ならボールに込めろ、と私の背中を押してくれる。
右手の白いリストバンド、ちらと眺めたら、自然と私の口元は弛んできていた。そんな私に気付いたのか、パチュリーもマスク越しに笑っている気がした。
心の迷い……その重さはもう無い、なら、ただただ思いっきり投げるだけ!
野球しようよ! SeasonⅩⅢ
「――プレイッ!!」
デッドボールでも何でも塁に出る――神奈子はバッターボックスの一番内側に立ち、体を丸めて前傾の打撃フォームを取った。
投球練習では緩いストレートしか投げ込んできていなかったが、四回裏に見せたライトゴロを見れば、この背番号1、フランドール・スカーレットが速球投手であることは疑いようもない。
普通ならコントロールの善し悪しも分からない速球投手に対してこんなフォームなどとても怖くて出来ないところだが、神奈子に一切の迷いはなかった。
理由は一つ。霊夢の前に出来るかぎりランナーを貯めるためだ。
(……来い!)
小さい体を大きく躍動させる投球フォーム、迷いのない一直線の眼差し、まるで諏訪子のよう――そんな印象を神奈子は受けていた。
「――ふッッ!!」
(来る! 真ん中、速――!?)
スパアアァァァン!!
「ストォォォライ!」
(――何だ、今のは……!)
「ふッ――!」
(また真ん中……違う!)
ブンッッ!!
「ストライツーッ!」
「お姉ちゃん、これって……!」
「ナックル……! 信じられないけど……」
「すごい……! 私の真っすぐと同じか、それより速い……!」
「――魔球『KOUMA』よ」
「あっ、おかえり!」
「(フランちゃんが気になって戻ってきたのね)魔球、紅魔?」
「違うわ。英字でKOUMA」
「……(どのへんが違うのかしら……?)なるほど」
「すごい球だね。あんな速いナックル、ううん、あんな速い変化球、私見たことないよ」
「魔球ですもの。それくらいは当然よ」
「(理屈が分からないけど……)なるほど」
「魔球かぁ、かっこいいなあ」
「くっ……!」
超高速で落ちる球が来る、漠然としたヤマを張って神奈子は投球に備えた。
躍動するフォームから三球目、来る。コースは低め、速い、球種の判別は出来ない、見逃し三振はしたくない、出塁、何としても出塁――出たバットはもう止まらない。
ブンッッ!!
「ストォォォライ! バッターアウッ!」
空振り三振……結局最後の球はワンバウンドするナックルだった。
「す、すごーーい……」
「変化そのものもかなりのものだな……本当に凄いですね」
「ええ、本当に凄いわ。パチュリー・ノーレッジ」
「「え?」」
「低速で変化の大きいナックルも超高速のナックルも、捕れるキャッチャーあってこそよ。今の球もそうでしょう? あのスピードでどう変化するか分からないワンバウンドを捕るなんて、一筋縄ではいかないわよ」
「あ、確かに……!」
「それでも低めを要求して空振りを狙ったということは、捕れる自信があったから、ですね」
「でしょうね。替えの利かない大黒柱、キャッチャーの鑑だわ」
「――悪いね諏訪子、簡単にやられちまって」
「気にしない気にしない! 私が代わりに出るから、ね!」
「ああ、頼むよ!」
「お願いしますッ!」
意気揚々、少なくとも周囲からはそう見える物腰で諏訪子は打席に入った。
神奈子と同じくバッターボックスの一番内側に立ち、バットはかなり短く持って投球を待つ。
「プレイ!」
小さな体が前傾になり、マウンドからの視点ではストライクゾーンはかなり狭く感じられる。
しかし、フランドールにとっては大きな問題ではない。なぜなら彼女が見ているものはただ一つ、信頼する恋女房のミットのみだからだ。
スパアアァァァン!!
「ストライッッ!」
(こりゃあ反則ってやつでしょ……!)
続く投球も見送った諏訪子だったが、判定は低めのストライク。カウントはツーナッシングとなる。
ここまで投じられた五球、目立ったコントロールミスは一球もない。そして、諏訪子に対する三球目――
(高い、外し? いや、落ちるッ!)
ブンッッ!!
「ストライッ! バッターアウッ!」
高めのボールゾーンから鋭く落ちる球で、二者連続となる三球三振に切って取ったのだった。
観客『――うおおおおおおおおおおおおおおおおォォォォォォォォォォォ!!!』
そして、八回裏ツーアウトランナー無しにそぐわない声援が鳴り響く。
(はぁ、マジで妬いちゃうなあ……)
皆、このイニングが始まった瞬間からこの場面を待っていたに違いない。
点差、ランナーの有無、そんなものは些少な事。ただこの対決を見届けられるだけでいい――鳴り止まない歓声からは、そんな皆の思いが聞こえてきそうである。
そう……
『一番、サード、霊夢。背番号、1』
この、背番号1と背番号1の対決を。
◆
パチュリーは当初、この試合でフランドールをマウンドに上げるつもりは無かった。
それは決勝を見越しての事だったのだが、それをフランドールに伝えた時、少しでも良いから投げさせてほしいと懇願された。
その言葉が返ってくるのは分かっていた。分かった上で敢えて聞き、快諾した。
フランドールは本当に嬉しそうな顔で「分かってて聞いたでしょ?」と笑った。
勝率を高めるためにはどうしたらいいか――それを考えたとき、ここで懇願を無碍にするよりも、望みのままに投げてもらったほうがモチベーションの面で良い、そう考えての事……
(……なんて、ね)
ではなく、結局は自分もこの対決が見たいだけだった。
打席に入る霊夢は、ここまでと何も変わらない。表情に変化はないし、ボックス内の立ち位置もこれまでと一緒だ。
しかし、
(まったく、冗談きついわ……)
霊夢とフランドールの放つ強烈な圧力に、構えた体が後ろに引っ繰り返らないようパチュリーは堪えなければならなかった。
かつて博麗神社でフランドールと萃香が対決したその時を彷彿とさせる、いや、それ以上の圧力があり、それはフィールド内のみならず会場全体に行き渡っている。
「――……来いッ!!」
そして、歓声がざわめきに変わりつつあるさなか、霊夢の口から放たれた一声によって、この一戦はキングドームを完全に支配した。
これまでのどんな場面よりも熱く、これまでのどんな場面よりも鎮まり返ったキングドームにおいて、二人だけの世界がそこにはあった。
「行くよ! 霊夢ッッ!!」
パチュリーは全意識を左手のミットにのみ集中し、構えた。
サインは出していない。それはもう試合が始まる前から決まっている。
「プレイッッ!!」
(――さあさあ、ぶちかましてやりな!)
(――一球入魂ですッ!)
(――行きまっしょいキャプテンっ!)
(――度肝抜いてやれフラン!)
(――火の玉見せてやれッ!)
(――フン……ちゃんと決めなさいよ)
(――行けっ! フラン!)
(――思いっきり来なさい! どこへ来ても捕ってあげるから!)
「はあああああアアアアアアァァァァァァァ!!」
不動の霊夢、放たれるボールに合わせ、自然と体が始動する。
軌道の予測――
ズドオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォンッッ!!
「――……!」
観客『!!?』
「……ストォォォライッ!」
予測をする前に、ボールが消えた。
「「「「「「……!!?」」」」」」
「……なるほど、あのナックルはちゃんとあの子相応の速さだった、ということね」
「師匠、今の打てます……?」
「無理ね」
「笑顔でさらっと言いますねえ……」
霊夢に動揺はない。
動揺はないが、代わりに何故か笑いが込み上げて来ていた。
不動の構えを解き、真っすぐ一本に絞った。言うなれば、霊夢の本能がそれを選択したのだ。
マウンド上のフランドール、口元が緩んだ霊夢を見て、同じように笑った。
ギイイィィィンッ!!
外角高め、霊夢のバットはこの規格外のストレートを捉える。しかしその重さまでは捉え切れず、一塁側スタンドへのファールとなった。
ここで一旦タイムを取り、霊夢はベンチの方向へ戻っていく。ボールを捉えたバットが、大きく削れていたのだ。
(霊夢、本当に底が知れない。たった二球でフランの真っすぐに当てるなんて、それこそ想定以上よ)
替えのバットを受け取り、静葉と一言二言話したあと打席に戻ってくる霊夢、これまでの無表情ではない。笑っているようにも見えた。
ふと周りを見渡してみれば、いつからかフランドリームスのメンバー達の顔にも笑顔が浮かんでいる。それでいて、集中は今まで以上のようだ。
「霊夢」
「ん?」
「……勝負よ!」
「上等!」
我ながら馬鹿なことをしている――そう思わざるを得なかった。
こんなやりとりをすれば、真っすぐを投げます、と宣言しているようなものである。
でも、心の底から込み上げてくる言葉を抑えきれなかった。
言って、ちょっとだけ後悔して、最後は清々しい気持ちになった。
「サインは無しよ! ど真ん中に来なさいッ!」
そしてパチュリーは、さらに馬鹿なことを言い放ってみた。
それを聞いての事か、霊夢がにやっと笑ったのが見えた気がした。
「はあああああああアアアアアァァァァァァァァァァ!!」
ボールがリリースされた瞬間から、バットは既に始動していた。
体全体の動き、左足の踏み込み、腕の振り、指先の弾き、それら全てが見えて、球が真ん中高めに来ると分かった。
タイミングを計る必要は無かった。自分がここにこうバットを出したい、そう思えば、寸分の狂いなくバットが出ることが分かっていたからだ。
放たれたボールは、凄まじい速さと凄まじい伸びで真ん中高めに来た。バットはもうホームベース上を通過している。
妙な感覚だった。
レフトスタンドが、まるで塁間ほどの距離に感じられたのだ。
ズンッ、という感じに、ボールの中心、その少し下がバットの芯に当たる。その重さがバットから手に伝わり、そして体全体に伝わる。
そこから肘を伸ばしてボールを運んでいき、最後に両腕を手首から内側に絞るように返せば、ボールがバットから離れてレフトスタンドに到達する――そんなビジョンが鮮明に脳裏へと映し出されていた。
バキッッ!!
仕上げを残して、バットが砕けてしまった。あまり考えたくなかったが、その予感はあった。
ボールの軌道は、変わっていないようだった。
ズドオオォォォォォォォォォォン!!
「ストォォォォライッ!! バッターアウッ! チェンジ!」
さあ、守備だ――すぐに意識を切り替えた霊夢に、相変わらずというかなんというか、一切のブレは無かった。
試合は、まだ終わっていない。
『――長く激しかった試合も、ついに終わりが近付いてきました。ツーアウトランナー無し、阿求さん、短いような長いような……私の中であまり似たような経験が思い当たらない、そんな時間でした』
『ええ、私も同じです。でも射命丸さん、まだですよ。まだ試合は終わっていません』
『はい! さあ、四番、東風谷早苗選手が打席に入ります! おおー、気迫十分ですねえ!』
『諦めるつもりは全くなさそうですね。――ん、これは……』
『凄い、凄い歓声です! いやあ、私は立場上中立でなければいけないんですが……応援したくなってしまいますね! さあ、最後の打者となるか、望みを繋ぐか、フランドール選手振りかぶりました。第一球! ――直球です! 早苗選手フルスイング! 阿求さん、タイミングは合っていますね!』
『完全に直球一本に絞ったスイングでしたね。静葉選手と穣子選手にはナックルのみでしたが……おや? サイン交換、してないんではないですか?』
『モーションに入って、第二球! これも真っすぐです! フルスイング空振り、カウントはツーナッシング! ――はい、頷かないままモーションに入っていましたね! つまりこれは、もう全て直球勝負ということですか、阿求さん』
『そうなりますね。打てるものなら打ってみろ、という気迫の込もったピッチングでしょう。直球を待っていると分かっている相手に全力の直球勝負……なかなか出来ることではありませんよ』
『そうですね! そしてどうやら、三球目も直球、遊び球はない模様です! 最後の一球となるか、フランドール選手振りかぶって、投げたッ!――』
三時間と四十九分――激戦の幕は閉じた。
最終スコアは5対3。九回の攻防は共に三者凡退で、最後の打者となった早苗に対してフランドールは全力の真っすぐ三つ、空振り三振で締めたのだった。
やがて審判の映姫が集合の号令を発し、ここまで戦ってきた両チームの選手たちがホームベースからセンター方向に向かって一列に並ぶ。
「礼ッ!!」
フランドリームス・守矢チーム選手一同『ありがとうございましたッッ!!』
そして、互いの健闘を認め合う。
「負けたわ。決勝、がんばってね」
「ありがとう神様。それと、次はきっと抑えてみせますからね」
「望むところよ。次はナックルも打ってやるんだから!」
「望むところです!」
「ありがとな。またやろうぜ」
「ぐすっ……ぐやじいよぅ……!」
「泣くな泣くな! 頭の皿が乾いちまうぞ」
「う゛っさい……! ぐすっ……」
「ありがとう。悔しいけど、いい試合だったわ」
「こちらこそありがとうございました。それと、秘打『白鳥の湖』感動しました!」
「決勝で挑戦してみる? 何なら今からでも綺麗な回り方を教えてあげるわ」
「あはは……私は『回転木馬』くらいにしておきますよ」
「それ反則だから気を付けてね、兎さん」
「!」
「スピーカー直撃のホームラン、すごかったわ」
「一人の時、ボール無くしたくない、でも打撃練習はしたい、てな具合で上に向けて打ってたら、いつの間にかそれだけは得意になった、ってだけですよ。そういう神様も、七回、だったかな? 魂のダイビング、かっこよかったよ!」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。決勝、がんばってね」
「あいよ!」
「うわあ゛あ゛あ゛あああああぁぁぁん! ぢぐじょお゛お゛お゛お゛……!」
「ちッ……小煩いわね。実力はあるんだからもっと堂々となさい」
「づぎはっ、ぜっだい゛、がづがら゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁ……!」
「フン……上等よ」
「神様、ありがとうございましたっ!」
「うんうん、こちらこそ! にしてもお姉さん、おっきいねー」
「ああ、はい! でもこれ、動き辛くて結構大変なんですよ?」
「おっぱいの話じゃねえよ!」
「いやあ、負けたよ萃香。いいチームだね」
「でしょ? 私の自慢のチームメイト達さ!」
「決勝、勝ちなよ」
「ははっ! モチのロン子ちゃんだよ!」
「ありがとう、霊夢」
「ん」
「一つ聞いていいかしら?」
「何?」
「野球は好き?」
「……決まり切ったことを聞かないでよ」
握手をし、またはハグをし、はたまた拳をこつんとぶつけ合い――笑顔があり、泣き顔があり、勇壮な顔がある。
そこにある様々な顔は、この四時間弱がいかに濃い時間だったかを物語っていた。
「フランさん、あ……ううん、フラン、今日は本当にありがとうございました!」
「ありがとうございましたっ! 早苗のチームの分まで、決勝も絶対勝つからね! ……早苗?」
「……ごめん、なさい。へへ、負けても、泣かないって、決めてた……はずなんだけど……」
「ね、早苗っ!」
「ん……」
「次やる時も、打たせないよ!」
「ぐすっ……私だって、今度こそ打つんだから!」
客席からは割れんばかりの拍手が鳴り響いていて、素晴らしい試合を見せてくれた選手たちを労い讃えている。
そして選手たちは、そんな客席の各方面に向かってキャプテンを中心に「ありがとうございました!」と繰り返し挨拶をした。
「……さて、と。次は私達の番ね」
「うん。じゃあみんな、行こう!」
「ええ、行きましょう」
「さあ橙、練習の成果を見せるときだな!」
「はいっ!」
「ねえ、こいし」
「ん、何? お姉ちゃん」
「フランちゃんが見てるわよ」
「ん」
――決勝で会おうね!
「何て言ってた?」
「お姉様大好き、だってさ!」
「!」
《試合結果》
フランドリームス 5-3 守矢シャイニングバーニングライトニングス
《フランドリームス》
①フランドール・スカーレット(右投右打)右翼手→投手 5打数1安打1打点
②紅 美鈴(右投右打)二塁手 5打数1安打1打点
③風見 幽香(右投左打)中堅手 4打数0安打1死球
④伊吹 萃香(右投右打)一塁手 3打数1安打1本塁打1打点1四球
⑤藤原 妹紅(右投右打)左翼手 3打数1安打1本塁打1打点1死球
⑥霧雨 魔理沙(右投右打)三塁手 4打数3安打
⑦鈴仙・優曇華院・イナバ(右投左打)遊撃手 4打数1安打
⑧アリス・マーガトロイド(左投左打)投手→右翼手 1打数0安打2犠打1打点1四球
⑨パチュリー・ノーレッジ(右投右打)捕手 4打数1安打
《守矢シャイニングバーニングライトニングス》
①博麗 霊夢(右投右打)三塁手 4打数3安打1本塁打1打点
②秋 静葉(右投両打)一塁手 4打数1安打1打点
③秋 穣子(右投右打)右翼手 4打数1安打
④東風谷 早苗(右投右打)左翼手 4打数1安打1本塁打1打点
⑤比那名居 天子(左投左打)中堅手 3打数1安打
⑥鍵山 雛(右投右打)二塁手 2打数0安打1犠打
⑦河城 にとり(右投左打)遊撃手 3打数0安打
⑧八坂 神奈子(右投右打)捕手 3打数0安打
⑨洩矢 諏訪子(右投両打)投手 3打数1安打
「――やー、しっかし悔しいね。滑り出しは最高だっただけに」
「………」
「今更言っても仕方ないさね。さ、明日からまた練習だ」
「そうですね」
「神奈子のバッティングは特にねー」
「……うっさい、分かってるよ――……ん?」
「――早苗」
「あ、霊夢さん、どうしました?」
「………」
「さて……と。じゃあ早苗、霊夢。私らは先に行ってるよ」
「あ、はい」
「お先ー!」
「あの、霊夢さ――」
「……ありがとう」
「――! 霊夢、さん……」
「泣かないでよ。それより、これで終わりなんて言わないわよね」
「はい……!」
「言っとくけど、負けっぱなしで終わるなんて御免だからね」
「はい……はい……!」
「ねえ、早苗」
「……?」
「野球って、楽しいわね」
「――! はいっ!!」
続く
フランドリームス 1-3 守矢シャイニングバーニングライトニングス
《フランドリームス》
①フランドール・スカーレット(右投右打)右翼手 3打数0安打
②紅 美鈴(右投右打)二塁手 3打数0安打
③風見 幽香(右投左打)中堅手 2打数0安打1死球
④伊吹 萃香(右投右打)一塁手 2打数1安打1本塁打1打点1四球
⑤藤原 妹紅(右投右打)左翼手 2打数0安打1死球
⑥霧雨 魔理沙(右投右打)三塁手 2打数1安打
⑦鈴仙・優曇華院・イナバ(右投左打)遊撃手 2打数0安打
⑧アリス・マーガトロイド(左投左打)投手 1打数0安打1犠打
⑨パチュリー・ノーレッジ(右投右打)捕手 2打数0安打
《守矢シャイニングバーニングライトニングス》
①博麗 霊夢(右投右打)三塁手 3打数3安打1本塁打1打点
②秋 静葉(右投両打)一塁手 3打数1安打1打点
③秋 穣子(右投右打)右翼手 2打数0安打
④東風谷 早苗(右投右打)左翼手 2打数1安打1本塁打1打点
⑤比那名居 天子(左投左打)中堅手 2打数0安打
⑥鍵山 雛(右投右打)二塁手 2打数0安打
⑦河城 にとり(右投左打)遊撃手 2打数0安打
⑧八坂 神奈子(右投右打)捕手 2打数0安打
⑨洩矢 諏訪子(右投両打)投手 2打数1安打
打った静葉を誉めるしかない――と、納得する他なかった。そうでなければ、考えはどんどん悪い方向に行ってしまう。
一点を失い、なおもワンアウトランナー一塁で迎えるクリーンナップ、言うまでもなく状況は良くない。
しかしここで後続を抑える事が出来れば、魔理沙から始まる攻撃にせめていい流れで持っていける。
自分に今出来ることは、魔理沙に気持ち良く打席に入ってもらうようにしっかり投げる事だ――
「プレイッ!」
一塁ランナーの静葉のリードは小さい。
初回に牽制でアウトになっている事もあり、慎重を期している様子である。
一方打席の穣子は、ここまでの打席に比べて堂々としているように見える。
追加点を取った直後だからなのか、はたまた何かしらの策があるからなのか。
何にしても盗塁の心配があまりない以上、狙いは内野ゴロを打たせてのゲッツーだ。
(インコース低めにジャイロ、了解)
元々は対レミリアを想定して習得した球、フォーシームジャイロ。魔理沙の草案で投げ始め、パチュリーと共に磨き上げた切り札である。
サインに頷き、アリスは投球モーションに移る。狙うはインコース、コントロールミスだけはしないよう、パチュリーのミット目がけて右足を踏み出した。
「ふッッ――!」
インコース低めに構えられたミットはぴくりとも動かない。完璧に狙い通りだ。
打ちに来られてもゴロになる可能性が高く、見逃せばファーストストライク。初球に持ってくるにはこの上ない一球である。
キィィィィィィィンッ!!
しかしそんな完璧な球を、穣子は完璧なスイングで、完璧に捉えた。
初見では幽香さえも打ち取ったアリスの切り札が、初見の穣子にいとも容易く打ち返されたのだ。
「……くっ!」
打球は左中間の深い位置に落ち、フェンスに当たったボールを幽香がこのイニング三度目の捕球をする。
一塁ランナーの静葉は二三塁間の真ん中辺りを走っていて、普通の状況ならば間違いなく本塁を狙う所だが、幽香の肩を考慮してか本塁を狙う気は無さそうだ。
また、バッターランナーの穣子は二塁ベース目前に到達していて、このタイミングではさすがに刺せそうにない。
ワンアウト二塁三塁か――と、そう結論付けた幽香の目に、三塁ベース付近から違和感が飛び込んできた。
(……フン、相変わらず猪口才だこと)
棒立ちで腰に手を当てた魔理沙が、下向きのグラブで小さくおいでおいでしていた。
そしてすぐにその意図を理解した幽香はあまり急がず機を見計らい、中継のために両手を大きく振っている鈴仙を無視し、三塁に向かって矢のような送球を放った。
「――あっ!?」
自分の所に来るはずの送球が大きく逸れて慌てる鈴仙、変わらず腰に手を当てたまま棒立ちの魔理沙、三塁コーチャーをやっている諏訪子が一瞬判断に迷うのは無理もなかった。
ランナーストップのジェスチャーを一旦取り止めたため、静葉はオーバーランを試みながらボールの行方を確認する。
「――(あ、まずっ!)ストップッ!!」
スパァァァァン!!
「――えっ?」
静葉がオーバーランしたのは僅かに三歩ほど。しかし、確かにベースから体が離れたのを魔理沙は見逃さなかった。
直前に気付いて声を張り上げた諏訪子の願い虚しく、頭から滑り込んで帰塁を試みた静葉の手に、魔理沙のグラブが添えられたのだった。
「ランナーアウトォ!」
「あちゃー……痛いね、これ」
「ええ。ただ、今のは魔理沙さんが上手かった」
「ボール待ってる気配が全然無かったもんね。でも、神様を平気で騙しちゃうんだから凄いよ!」
「ふふっ、神をも恐れぬとはまさにこの事ね」
古明地姉妹が感心している所だが、まだ守矢チームの攻撃は終わっていない。
一連のプレーによって静葉はアウトになったものの、バッターランナーの穣子はしっかり二塁まで到達。四番を打席に迎える上で、ツーアウトランナー二塁の状況を作り出していた。
『四番、レフト、早苗。背番号、90』
観客『ワー!! ワー!!』
霊夢がクリーンヒットを放ち、さらにホームに生還、そして今は追加点のチャンスというこの状況に、負けず嫌いなこの四番打者が燃えないはずがない。
「――お願いしますッ!!」
勢い良く鋭角に体を曲げ、耳に心地よい大きな声で挨拶をして東風谷早苗は打席に立った。
「………」
諏訪子から穣子まで四連打を浴び、さらに得点圏にランナーを置いて迎える四番打者――これ以上の失点は致命的な現状、負けている場面ではあってもエースにマウンドを託すのが賢明な判断であろう。
しかし、
(……悔しいわよね)
四連打を浴びてなお、アリスの目には強い意志が見える。
こんな所で終わりたくない、と叫んでいるようにパチュリーは思った。
サインを出し、パチュリーはパン! と一発ミットを叩いて前方に構える。
任せた――アリスにはそう聞こえた事だろう。力強く頷き、深呼吸を挟んでゆっくりと投球モーションに入った。
そんな二人のやり取りに充てられたのか、鼻息荒い中で早苗は思わず嬉しそうな笑みをこぼし、バットを握り締めた。
「――ストォォライッ! バッターアウッ! チェンジ!」
猛攻を見せた守矢チームの六回裏が、今終わった。
アリスの繰り出す渾身のナックルに渾身のフルスイング五つ。三振に倒れはしたものの、早苗の表情に悔いはなかった。
奪った得点は一点のみ。四安打を積み上げた事を考えれば決して上出来とは言えない結果だが、それでも大きな追加点であることに変わりはない。
残すイニングは、三つ。
「ソロ(ホームラン)でも一点差止まり、か。下位打線であの神様相手じゃあ、キツいねえ」
「………」
「あ、悪い。キャプテンのご主人様のチームだもんね。ちょっとノリが軽すぎたよ」
「いえいえお気になさらず。でもてゐさん、フラン様のチームを甘く見ない方がいいですよー」
「ん、わかってるさ。あのクリーンナップの顔触れ見たらとてもとても甘くなんて」
「わかってませんねー。ジャイロボールが物凄くホップする球だと思ってる人くらいわかってません」
「ちぇっ、じゃあわかってる答えって何なのさ」
七回の表、フランドリームスの攻撃は、六番の魔理沙から。ここまではバントヒットに空振り三振と、長打の気配はない。
外野を前進、内野は不意を突くバントに備えさせ、投球の中心をストレートにすればおおよそ問題ないはず――
キィィィィィン!!
「……!」
問題ないはずだった外角のストレート、それを逆らわずに右に打ち返した魔理沙の打球は、右中間を真っ二つに割った。
前進守備だった外野が必死にボールを追う間に魔理沙は楽々三塁に到達。点差を広げられた直後のイニング、たった一球でノーアウト三塁のチャンスを作って見せた。
(くっそー、やってくれるね……!)
もはや一点は覚悟しなければならない――バッテリーの考えは話し合うまでもなく一致しているため、いちいちマウンドに集まることはしない。
バッター集中、まずはワンアウトを取ることが第一である。
『七番、ショート、鈴仙。背番号、6』
初球はやはりストレート、しかし今度はアウトコースに外す。
スパァァァァン!
構えられたミットより少し外の、ボール二つ分外れた高めの球だったが、鈴仙は反応しない。
スパァァァァァン!
初球と同じコースの低めの球、一瞬反応したがバットは止まる。
スパァァァン!
やや外寄りの高めから低めに落ちるフォークに反応せず、初めてストライクがコールされた。
スパァァァァァァン!
真ん中アウトコースのストレート、諏訪子のコントロールミスで明らかに外れた球を余裕を持って見送り、これでスリーボール。因みに鈴仙はまだ一度もバットを振っていない。
(諏訪子……バシッと来なよ)
カウント1ストライク3ボールから、神奈子はインコースを要求。左打者の胸元に食い込ませるインコースのストレートは諏訪子の得意とする球である。
このサインが出た時、普段なら決まって嬉しそうに頷く諏訪子……なのだが、今は違う。首を横にこそ振りはしないものの、歯切れの悪そうな顔をしている。幽香に与えてしまったデッドボールがそうさせているのだ。
当然神奈子もそれは分かっている。しかし、ここからのイニングでこの球を決めずしてフランドリームスの打線を抑えられる気がしなかった。
一応二番手投手として多彩な変化球を持つにとりがいるが、諏訪子と比べてしまうと総合力の大きな差は否めない。それに、何の準備も無しにこんな終盤の大ピンチで突然マウンドに上がれというのはさすがに酷だ。
「あー……」
だからこの場面、諏訪子が抑えるしかない。インコースに自慢の速球を決めて、力でねじ伏せるしかないのである。
「うらあッッ!(あ、まずい!)」
そんな中で投じられたストレートは、あろうことか真ん中高め。この甘い球を見逃さず鈴仙は思い切りスイング――
キイィィィィィィィィン!!
そして、ジャストミート――
スパァァァン!
「っ……!」
痛烈な打球は三塁正面。捕った霊夢がそのままベースを踏む。
「バッターアウッ! ランナーアウッ!!」
結果はツーアウトランナー無し。何が起こるかわからない――そんな野球の怖さを知らしめるかのような一打となった。
「ツーアウトォォ!」
守矢チーム一同『オーー!』
窮地を脱した守矢チーム、しかしムードはいけいけではない。
下位打線から始まる相手の攻撃で、一歩間違えば一点差、いや同点に追い付かれていたかもしれない状況である。手放しに喜べるはずもない。
ましてや最前線に立つバッテリーなど尚更で、特に諏訪子はショックが大きいようだ。
「お願いします!」
対照的にフランドリームスのメンバーは、チャンスを潰して意気消沈どころかイニングが始まる前より活気付いている。
難攻不落だった諏訪子に対して二人が浴びせた痛打、それが自信に繋がっているのだ。
(一球だ、一球決めよう……!)
神奈子は再びインコースを要求する。やはり諏訪子は浮かない顔だが、今はそんな事を気にしていられなかった。
「……(くっそー、もう……どうにでもなれっ!)あー……」
そして――
「うらァァ!!」
ビシッッ……!
「――あ……っ」
この一球……アリスに対するデッドボールを皮切りに、諏訪子の中で何かが崩れた。
まず、続くパチュリーに力のない外角のストレートをセンター前へ運ばれる。
ランナー一、二塁からフランドールにレフト線を抜けるツーベースを浴びて一点を失い、なおも二、三塁。
さらに美鈴にはセンターに抜けそうな打球を飛ばされ、ショートのにとりが何とか飛び付いて止めたため逆転は免れたものの、ついに守矢チームは初回先頭打者から保ち続けてきたリードを失った。
『三番、センター、幽香。背番号、8』
もはや神奈子にも、どうにかしようという気力は残っていなかった。
神の力の源でもある自分達に対する信仰――それが弱まってきているのだ。
(六万人の信仰を一身に浴びる……ふふ、久々にいい気分にさせてもらった。諏訪子、あんたもそうだろう……?)
そして、それは守矢チームに所属するあらゆる神にとっても例外ではない。内野、外野ともに元気なく、ただただ今の状況にうなだれるのみである。
「フン、つまらない。こんな程度で終戦とは、少しあなたたちを買い被りすぎていたかしら」
「は……返す言葉もないよ」
辛辣な言葉だが、神奈子は力ない返事を返す事しかできない。信仰が弱まってしまった以上もはや勝てる見込みはほとんどなく、ゆえに食って掛かる意味もない。
そんな神奈子に対して何かを思ったのか、幽香はマウンドに向けていた視線を左にそらす。
「腑抜けた返事ね。少しはあの子たちを見習ったらどう?」
「……?」
「神様ーーッ! がんばれーーッ! がんばれーーッ!!」
「諏訪子様ーーッッ! レフトオッケーーッッ!!」
言葉を受けて幽香の視線を辿った先――そこには、目にいっぱいの涙を溜めながら、必死に鼓舞を繰り返すにとりと早苗の姿があった。
(なんて事だ……! あたしら全員、今の今までこの声に気付かなかったのか……!?)
その傍らには、声こそないもののしっかり守備の姿勢を崩さない霊夢がいる。
少なくとも、この三人は決して試合を諦めていない。
やがて神奈子の視線を追った諏訪子が、あとを追うように雛が、静葉が、穣子が、その姿を目の当たりにする。
「センターこぉぉぉぉぉぉぉぉぉォォいッッ!!」
そして、涙で顔をくしゃくしゃにした天子の声が響きわたり、守矢チームの覚悟は決まった。
「しまっていくぞォ!!」
守矢チーム一同『オーーーッッ!!』
一念発起、出されたサインに頷き、諏訪子はワインドアップで投球動作に入った。
一塁ランナーの美鈴がすかさずスタートを切るが、気にも留めずに真っ直ぐ神奈子のミットを見据えている。
力は、大して入らない。しかしそんな事は関係なかった。チームの皆が自分に思いを向けてくれるだけでよかった。
「……あー……」
天高く掲げた足を思い切り踏み出し、狙うはインハイ、乾坤一擲、必ず決める――!
「うーーーーッッ!!」
体重移動よし、指の掛かり具合よし、しかしやはりと言うべきか球にスピードは乗っていない。
そして、インコース低めに向かうそのストレートを、幽香は余裕を持って待ち構えていた。
勝負師たる彼女にとって、相手が泣こうが絆を示そうが一切関心はない。ゆえに、恩情で機を逃すことなど絶対にない。
多少伸びてインコース真ん中に来ると予測し、右中間に狙いを付けて右足を踏み出す。
(――見誤ったか)
だが、満身創痍の諏訪子が投じた渾身のストレートは、幽香の予測を上回っていた。
それでもすかさず軌道修正し、顔の高さまで伸びてきたそれを――
キィィィン!!
――捉えて響く打球音、決して会心ではないが、芯で捉えた音だ。
二塁ランナーの美鈴はスタートが良く、仮に外野へ打球が抜ければホームインする勢い。逆転だけでなく駄目押しの一打となる。
そんな状況の中、放たれた打球の在処は一、二塁間。
「――うあああッ!」
地を這うゴロでライトに抜けようとするそれを、思い切り体を伸ばしてダイビングする事で静葉が止めにかかっていた。
しかし、距離を見てみると少し厳しい。出来たとしてもグラブの先端で僅かに触れることくらいであろう。そして静葉の狙いは、最初から『それ』だった。
「――オーライっ!」
静葉のグラブによって僅かに軌道が変わった打球に、今度はセカンドの雛が一、二塁間深くでダイビング。グラブに収め、一塁ベースカバーに走り込んだ諏訪子に向かって、倒れた体勢のまま素早くリリースした。
鈍る動きの中、神々が見せた身を擲っての守り――
「バッターアウトォ! チェンジ!」
逆転は、許さない。
『七回表の攻撃終わりまして、ついに、ついに同点となりました目の離せない第一試合です! 阿求さん、この先の展開をどう見ますか?』
『はい。私はやはりフランドリームス有利と見ます。理由は多々ありますが、まずなにより負けている状況を打開できたことが大きいですね』
『初回からずっと背負ってきたわけですからね』
『ええ。各打者も肩の無駄な力が抜けるのではないでしょうか。それと、恐らくセットアッパーかクローザーの形での起用を考えているのだと思いますが、エースナンバーのフランドール選手がいまだに控えているのもポイントですね』
『事前情報を見てみますと、本格派の速球投手だとのことです』
『先程のライトゴロの返球も凄かったですからね、間違いないでしょう。軟投に目が慣れた状態で、実力も未知数の速球投手を相手にするのは容易ではありません。例えるなら、そうですね、イージーのアイシクルフォールから予告無しにルナティックのエターナルミークを撃たれるようなものです』
『はい! 非常に分かりやすい解説ありがとうございます! さぁ、ついに同点となりましたこの終盤、どんなドラマが待っているのでしょうか!』
「――どっせりゃあああああぁぁぁァァァァ!!」
キイイイィィン!
七回裏、先頭の天子の打球は快音を残して三遊間を切り裂いていく。
打ったのはインロー、ボール気味のナックル。さすがにこれは外野ゴロになる心配もなく、この試合初安打である。
「ナイバッティンです!」
「サンキュー、キャプテン!」
続投のアリスを攻め立てる一打に守矢チームは俄然盛り上がる。
次打者の雛がきっちり送りバントを決めたことで反撃ムードはさらに加速し、スタンドからの声援も心地よいものとなった。
「咲夜」
「はい、お嬢様」
「ぼちぼち体を動かしましょう。行くわよ」
「畏まりました」
「あれ? もう行っちゃうの?」
「ええ。私はともかく咲夜は先発だから。じゃあ、また後で」
「うん、後でね!」
「……さて、と。妖夢、私達も行きましょう」
「(えー……)かしこまりィ」
「妖夢、後で素振り一万本。じゃあ古明地シスターズ、ごゆっくり」
「うん。でも、みんなこの試合は気にならないの? これからいいとこなのに」
「気にならないことはないわ。ただ、もう大勢【たいせい】は決しちゃったから」
「大勢?」
キイィィン!
ワンアウト二塁から、七番のにとりの打球は鋭いピッチャー返しとなる。
しかしこれが不運、やや二塁ベース寄りに守っていた鈴仙のグラブにダイレクトで収まり、天子の帰塁も間に合わずダブルプレー。勝ち越しのチャンスもあえなくスリーアウトチェンジとなった。
「ここに来て……不運ですね」
「そうね。でも、なるべくしてなったとも思えてしまう」
「ええ、末恐ろしいものです。あの様子だと味方にも大筋すら伝えていないのでは?」
「敵を欺くにはまず味方から、か」
「……? 紫さま藍さま、どういうことなんですか?」
「簡単に言ってしまえば『勝利の方程式』よ。途中で計算外は幾つかあったとしても、最終的に確実な勝利を得るための道筋が通っていた、ということね」
「それって……いつからですか?」
「最初から、よ」
「え……!」
守矢チームの『勝利の方程式』――開始直後のど派手なパフォーマンスで観客の注目を集め、力を増した神々の力で序盤攻勢、そして一気に押し切ること。
実際、それ自体はうまくいっていた。先発の諏訪子はその派手な投球フォームと豪速球で、先頭打者の霊夢は彼女自身の持つ不思議な魅力といきなりのホームランで、キャプテンの早苗は持ち前の明るさとまさかのホームランで、雛はみんなが夢見る素敵な打法で、それぞれ注目を大いに集めていた。
うまくいけば、そのまま諏訪子が相手打線を寄せ付けず、力の増した打線が火を吹いて圧倒的勝利、皆の注目を維持したまま決勝へ臨む――これが守矢チームの描いたシナリオだった。
計算外は、アリスを打ち崩せなかった事、フランドリームス打線の予想以上のスペック、そして……『勝利の方程式』を見抜き、さらにその上を行く『勝利の方程式』を描ける者がいた事だ。
「――まじで言ったとおりの展開になっちゃうんだもんなあ。やっぱあんた凄いぜ、パチュリー」
「四割は計算外よ。全部うまくいったら今頃は5点差以上で勝ってるわ」
「ほうほう、そりゃすごい!」
「……それにしても、まったくあなたには困ったものだわ。なに企んでるか教えなかったらサインプレー全部無視する、だなんて、脳がとち狂ってるとしか思えない」
「はは、まだまだだな!」
「うるさい。ほら、ぼちぼち準備しなさいな」
「うぃーっす」
フランドリームスのメンバーのうち何人かは薄々感付いている者も出てきていた。確信に近い勝利の予感である。
諏訪子に対する攻撃の手応え、控えるエースに寄せる信頼、そして今自分達が持つ勢い、負ける要素はほとんど無いと言ってもいい。
予感を感じているのはフランドリームスだけではない。正反対の、敗北の予感。濃さに差はあれど守矢チームのほぼ全員、感じていた。
数多の修羅場をくぐり抜けて来た者ほど鮮明にイメージ出来てしまうそれは、長い年月を生きてきた守矢チームの神々に重く重くのしかかる。
「がんばれーーッッ!! がんばれ神様ーーッッ!!」
「レフトこぉーーいッ!!」
しかし、諦めるつもりなど微塵もない。
この声援があれば、力が出せないことなど些細な問題だ。
「――行くよっ!」
「――さあ、来な!」
例え相手が怪力無双の鬼であっても。
「プレイッ!」
これまでと変わらない全身全霊のピッチング。
ストレート、ストレート、フォーク、ストレート、フォーク――球速、球威ともに前の三打席と比べて大きく劣るそれらだが、萃香は渾身のフルスイングで諏訪子の気迫に応える。
そしてツーストライクツーボールからの六球目は得意のインハイのストレートで――
ギィィィィン!!
「あちゃー、お見事!」
「お粗末っ!」
左中間の深い位置に飛ぶフライに打ち取り、諏訪子に軍配が上がった。
「ワンアウトーッ!!」
守矢チーム一同『オーッッ!!』
いい流れである。
このまま後続を抑えることが出来れば、もしかしたら再逆転、そして勝利の可能性が見えてくる――そう思えるくらいに。
「お願いします!」
次の打者、五番の妹紅はここまでデッドボールと三振が二つ。フォークボールに対応出来ておらず、それを中心に攻めれば抑えられる公算が高い。
仮に打ち取ったとすればツーアウトランナー無しで、油断はもちろんできないが下位打線に余裕を持って臨める。
「あー……」
そして、次のイニングは霊夢に打順が回る。
霊夢ならきっと、きっとなんとかしてくれる――
「うーーッ!」
「(そのフォーク……)待ってたよ!」
「――!」
キイイィィィィィィン!!
顔より高い位置から鋭く落ちたフォークボールを、妹紅は常識はずれのアッパースイングでカチ上げた。
皆が驚きのまま見上げた先には、天井から釣り下げられた巨大スピーカー。
そして……
一瞬静まり返った後のキングドームに、守矢チームの描いた青写真が破られる『ガンッ!』という鈍い音が響いたのだった。
「――お願いします」
「や、調子はどうだい?」
「ぼちぼちね」
「言っとくが、あたしらは負けるつもりなんてこれっぽっちもないよ」
「分かってるわ」
八回表ツーアウト二塁、打席に入るパチュリーに対して神奈子が話し掛けている。
妹紅の認定ホームランの後、魔理沙には一、二塁間を抜かれ、続く鈴仙のセンター前ヒットで一塁三塁。
さらに八番のアリスには前進守備をものともしないスクイズを決められ、点差は2点に広がっていた。
万事休す、と言っても過言ではない状況だが、神奈子の言葉に代表されるように守矢チームは誰一人として試合を諦めていない。
「あー……うーーッ!」
ますます球速が落ちている諏訪子、しかし腕をしっかり振り切って投げ込まれる球は決してイージーボールではない。
フォークボールのキレも落ちておらず、落差が増した分打ち手によっては打ちづらいボールになっている。
そしてパチュリーの狙いは、そのフォークだ。
キィィィン!
「オーライっ!」
綺麗に捉えた一打だったが、打球はショート正面への強いゴロとなった。にとりが落ち着いて処理し、ファーストの静葉へ余裕を持って送球する。
「バッターアウトォ! チェンジ!」
「点差、ついちゃったですねえ」
「そうね。でも、正直ここまで対応が早いとは思わなかった。予想以上の打線だわ」
「でも永琳なら大丈夫よね」
「大丈夫、と言っておきますよ。……あら?」
「「ん?」」
『――フランドリームスの守備の交替をお知らせします』
「おーっ、ここでクローザー登場ってわけ「フラン様ーーっ!!」「「「「ふらんさまーーッ!!」」」」突然耳元で叫ぶな!」
「ふふ、仲が良いわね、あなた達」
「知りませんよ! それより、こりゃあ見物で「ファイトーーっ!!」「「「「ファイトーーッ!!」」」」うるさーいッ!!」
観客『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおォォォォォォォォォォォ!!!』
『ピッチャーのアリス選手がライト、ライトのフランドール選手がピッチャー。一番、ピッチャー、フランドール。八番、ライト、アリス』
自分でも不思議なくらい、緊張はなかった。それはここまでの試合を共に戦ってきたチームのみんなのおかげと思った。
投球練習、マウンドプレートに足を掛けた時、思い出したことが二つあった。
一つは、一番最初。こいしに『野球しようよ!』と誘われた日、紅魔館の地下ホールでお姉様と勝負した時のこと。
もう一つは、初めての全体練習。みんなをバックに投げた『あの時』のこと。
そのどちらが欠けても、今私はここには立っていなかっただろうと思う。
もちろん――怖い。あの時のことを少しでも思い出すと、今でも足が震えてしまう。
でも、お姉様との勝負で感じた気持ち、こいしがもう一度『野球しようよ!』と言ってくれたときの気持ち、そして、今このマウンド上で私が感じている気持ちは、その怖さを包み込んでくれる。包み込んでくれて、みんなへの感謝ならボールに込めろ、と私の背中を押してくれる。
右手の白いリストバンド、ちらと眺めたら、自然と私の口元は弛んできていた。そんな私に気付いたのか、パチュリーもマスク越しに笑っている気がした。
心の迷い……その重さはもう無い、なら、ただただ思いっきり投げるだけ!
野球しようよ! SeasonⅩⅢ
「――プレイッ!!」
デッドボールでも何でも塁に出る――神奈子はバッターボックスの一番内側に立ち、体を丸めて前傾の打撃フォームを取った。
投球練習では緩いストレートしか投げ込んできていなかったが、四回裏に見せたライトゴロを見れば、この背番号1、フランドール・スカーレットが速球投手であることは疑いようもない。
普通ならコントロールの善し悪しも分からない速球投手に対してこんなフォームなどとても怖くて出来ないところだが、神奈子に一切の迷いはなかった。
理由は一つ。霊夢の前に出来るかぎりランナーを貯めるためだ。
(……来い!)
小さい体を大きく躍動させる投球フォーム、迷いのない一直線の眼差し、まるで諏訪子のよう――そんな印象を神奈子は受けていた。
「――ふッッ!!」
(来る! 真ん中、速――!?)
スパアアァァァン!!
「ストォォォライ!」
(――何だ、今のは……!)
「ふッ――!」
(また真ん中……違う!)
ブンッッ!!
「ストライツーッ!」
「お姉ちゃん、これって……!」
「ナックル……! 信じられないけど……」
「すごい……! 私の真っすぐと同じか、それより速い……!」
「――魔球『KOUMA』よ」
「あっ、おかえり!」
「(フランちゃんが気になって戻ってきたのね)魔球、紅魔?」
「違うわ。英字でKOUMA」
「……(どのへんが違うのかしら……?)なるほど」
「すごい球だね。あんな速いナックル、ううん、あんな速い変化球、私見たことないよ」
「魔球ですもの。それくらいは当然よ」
「(理屈が分からないけど……)なるほど」
「魔球かぁ、かっこいいなあ」
「くっ……!」
超高速で落ちる球が来る、漠然としたヤマを張って神奈子は投球に備えた。
躍動するフォームから三球目、来る。コースは低め、速い、球種の判別は出来ない、見逃し三振はしたくない、出塁、何としても出塁――出たバットはもう止まらない。
ブンッッ!!
「ストォォォライ! バッターアウッ!」
空振り三振……結局最後の球はワンバウンドするナックルだった。
「す、すごーーい……」
「変化そのものもかなりのものだな……本当に凄いですね」
「ええ、本当に凄いわ。パチュリー・ノーレッジ」
「「え?」」
「低速で変化の大きいナックルも超高速のナックルも、捕れるキャッチャーあってこそよ。今の球もそうでしょう? あのスピードでどう変化するか分からないワンバウンドを捕るなんて、一筋縄ではいかないわよ」
「あ、確かに……!」
「それでも低めを要求して空振りを狙ったということは、捕れる自信があったから、ですね」
「でしょうね。替えの利かない大黒柱、キャッチャーの鑑だわ」
「――悪いね諏訪子、簡単にやられちまって」
「気にしない気にしない! 私が代わりに出るから、ね!」
「ああ、頼むよ!」
「お願いしますッ!」
意気揚々、少なくとも周囲からはそう見える物腰で諏訪子は打席に入った。
神奈子と同じくバッターボックスの一番内側に立ち、バットはかなり短く持って投球を待つ。
「プレイ!」
小さな体が前傾になり、マウンドからの視点ではストライクゾーンはかなり狭く感じられる。
しかし、フランドールにとっては大きな問題ではない。なぜなら彼女が見ているものはただ一つ、信頼する恋女房のミットのみだからだ。
スパアアァァァン!!
「ストライッッ!」
(こりゃあ反則ってやつでしょ……!)
続く投球も見送った諏訪子だったが、判定は低めのストライク。カウントはツーナッシングとなる。
ここまで投じられた五球、目立ったコントロールミスは一球もない。そして、諏訪子に対する三球目――
(高い、外し? いや、落ちるッ!)
ブンッッ!!
「ストライッ! バッターアウッ!」
高めのボールゾーンから鋭く落ちる球で、二者連続となる三球三振に切って取ったのだった。
観客『――うおおおおおおおおおおおおおおおおォォォォォォォォォォォ!!!』
そして、八回裏ツーアウトランナー無しにそぐわない声援が鳴り響く。
(はぁ、マジで妬いちゃうなあ……)
皆、このイニングが始まった瞬間からこの場面を待っていたに違いない。
点差、ランナーの有無、そんなものは些少な事。ただこの対決を見届けられるだけでいい――鳴り止まない歓声からは、そんな皆の思いが聞こえてきそうである。
そう……
『一番、サード、霊夢。背番号、1』
この、背番号1と背番号1の対決を。
◆
パチュリーは当初、この試合でフランドールをマウンドに上げるつもりは無かった。
それは決勝を見越しての事だったのだが、それをフランドールに伝えた時、少しでも良いから投げさせてほしいと懇願された。
その言葉が返ってくるのは分かっていた。分かった上で敢えて聞き、快諾した。
フランドールは本当に嬉しそうな顔で「分かってて聞いたでしょ?」と笑った。
勝率を高めるためにはどうしたらいいか――それを考えたとき、ここで懇願を無碍にするよりも、望みのままに投げてもらったほうがモチベーションの面で良い、そう考えての事……
(……なんて、ね)
ではなく、結局は自分もこの対決が見たいだけだった。
打席に入る霊夢は、ここまでと何も変わらない。表情に変化はないし、ボックス内の立ち位置もこれまでと一緒だ。
しかし、
(まったく、冗談きついわ……)
霊夢とフランドールの放つ強烈な圧力に、構えた体が後ろに引っ繰り返らないようパチュリーは堪えなければならなかった。
かつて博麗神社でフランドールと萃香が対決したその時を彷彿とさせる、いや、それ以上の圧力があり、それはフィールド内のみならず会場全体に行き渡っている。
「――……来いッ!!」
そして、歓声がざわめきに変わりつつあるさなか、霊夢の口から放たれた一声によって、この一戦はキングドームを完全に支配した。
これまでのどんな場面よりも熱く、これまでのどんな場面よりも鎮まり返ったキングドームにおいて、二人だけの世界がそこにはあった。
「行くよ! 霊夢ッッ!!」
パチュリーは全意識を左手のミットにのみ集中し、構えた。
サインは出していない。それはもう試合が始まる前から決まっている。
「プレイッッ!!」
(――さあさあ、ぶちかましてやりな!)
(――一球入魂ですッ!)
(――行きまっしょいキャプテンっ!)
(――度肝抜いてやれフラン!)
(――火の玉見せてやれッ!)
(――フン……ちゃんと決めなさいよ)
(――行けっ! フラン!)
(――思いっきり来なさい! どこへ来ても捕ってあげるから!)
「はあああああアアアアアアァァァァァァァ!!」
不動の霊夢、放たれるボールに合わせ、自然と体が始動する。
軌道の予測――
ズドオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォンッッ!!
「――……!」
観客『!!?』
「……ストォォォライッ!」
予測をする前に、ボールが消えた。
「「「「「「……!!?」」」」」」
「……なるほど、あのナックルはちゃんとあの子相応の速さだった、ということね」
「師匠、今の打てます……?」
「無理ね」
「笑顔でさらっと言いますねえ……」
霊夢に動揺はない。
動揺はないが、代わりに何故か笑いが込み上げて来ていた。
不動の構えを解き、真っすぐ一本に絞った。言うなれば、霊夢の本能がそれを選択したのだ。
マウンド上のフランドール、口元が緩んだ霊夢を見て、同じように笑った。
ギイイィィィンッ!!
外角高め、霊夢のバットはこの規格外のストレートを捉える。しかしその重さまでは捉え切れず、一塁側スタンドへのファールとなった。
ここで一旦タイムを取り、霊夢はベンチの方向へ戻っていく。ボールを捉えたバットが、大きく削れていたのだ。
(霊夢、本当に底が知れない。たった二球でフランの真っすぐに当てるなんて、それこそ想定以上よ)
替えのバットを受け取り、静葉と一言二言話したあと打席に戻ってくる霊夢、これまでの無表情ではない。笑っているようにも見えた。
ふと周りを見渡してみれば、いつからかフランドリームスのメンバー達の顔にも笑顔が浮かんでいる。それでいて、集中は今まで以上のようだ。
「霊夢」
「ん?」
「……勝負よ!」
「上等!」
我ながら馬鹿なことをしている――そう思わざるを得なかった。
こんなやりとりをすれば、真っすぐを投げます、と宣言しているようなものである。
でも、心の底から込み上げてくる言葉を抑えきれなかった。
言って、ちょっとだけ後悔して、最後は清々しい気持ちになった。
「サインは無しよ! ど真ん中に来なさいッ!」
そしてパチュリーは、さらに馬鹿なことを言い放ってみた。
それを聞いての事か、霊夢がにやっと笑ったのが見えた気がした。
「はあああああああアアアアアァァァァァァァァァァ!!」
ボールがリリースされた瞬間から、バットは既に始動していた。
体全体の動き、左足の踏み込み、腕の振り、指先の弾き、それら全てが見えて、球が真ん中高めに来ると分かった。
タイミングを計る必要は無かった。自分がここにこうバットを出したい、そう思えば、寸分の狂いなくバットが出ることが分かっていたからだ。
放たれたボールは、凄まじい速さと凄まじい伸びで真ん中高めに来た。バットはもうホームベース上を通過している。
妙な感覚だった。
レフトスタンドが、まるで塁間ほどの距離に感じられたのだ。
ズンッ、という感じに、ボールの中心、その少し下がバットの芯に当たる。その重さがバットから手に伝わり、そして体全体に伝わる。
そこから肘を伸ばしてボールを運んでいき、最後に両腕を手首から内側に絞るように返せば、ボールがバットから離れてレフトスタンドに到達する――そんなビジョンが鮮明に脳裏へと映し出されていた。
バキッッ!!
仕上げを残して、バットが砕けてしまった。あまり考えたくなかったが、その予感はあった。
ボールの軌道は、変わっていないようだった。
ズドオオォォォォォォォォォォン!!
「ストォォォォライッ!! バッターアウッ! チェンジ!」
さあ、守備だ――すぐに意識を切り替えた霊夢に、相変わらずというかなんというか、一切のブレは無かった。
試合は、まだ終わっていない。
『――長く激しかった試合も、ついに終わりが近付いてきました。ツーアウトランナー無し、阿求さん、短いような長いような……私の中であまり似たような経験が思い当たらない、そんな時間でした』
『ええ、私も同じです。でも射命丸さん、まだですよ。まだ試合は終わっていません』
『はい! さあ、四番、東風谷早苗選手が打席に入ります! おおー、気迫十分ですねえ!』
『諦めるつもりは全くなさそうですね。――ん、これは……』
『凄い、凄い歓声です! いやあ、私は立場上中立でなければいけないんですが……応援したくなってしまいますね! さあ、最後の打者となるか、望みを繋ぐか、フランドール選手振りかぶりました。第一球! ――直球です! 早苗選手フルスイング! 阿求さん、タイミングは合っていますね!』
『完全に直球一本に絞ったスイングでしたね。静葉選手と穣子選手にはナックルのみでしたが……おや? サイン交換、してないんではないですか?』
『モーションに入って、第二球! これも真っすぐです! フルスイング空振り、カウントはツーナッシング! ――はい、頷かないままモーションに入っていましたね! つまりこれは、もう全て直球勝負ということですか、阿求さん』
『そうなりますね。打てるものなら打ってみろ、という気迫の込もったピッチングでしょう。直球を待っていると分かっている相手に全力の直球勝負……なかなか出来ることではありませんよ』
『そうですね! そしてどうやら、三球目も直球、遊び球はない模様です! 最後の一球となるか、フランドール選手振りかぶって、投げたッ!――』
三時間と四十九分――激戦の幕は閉じた。
最終スコアは5対3。九回の攻防は共に三者凡退で、最後の打者となった早苗に対してフランドールは全力の真っすぐ三つ、空振り三振で締めたのだった。
やがて審判の映姫が集合の号令を発し、ここまで戦ってきた両チームの選手たちがホームベースからセンター方向に向かって一列に並ぶ。
「礼ッ!!」
フランドリームス・守矢チーム選手一同『ありがとうございましたッッ!!』
そして、互いの健闘を認め合う。
「負けたわ。決勝、がんばってね」
「ありがとう神様。それと、次はきっと抑えてみせますからね」
「望むところよ。次はナックルも打ってやるんだから!」
「望むところです!」
「ありがとな。またやろうぜ」
「ぐすっ……ぐやじいよぅ……!」
「泣くな泣くな! 頭の皿が乾いちまうぞ」
「う゛っさい……! ぐすっ……」
「ありがとう。悔しいけど、いい試合だったわ」
「こちらこそありがとうございました。それと、秘打『白鳥の湖』感動しました!」
「決勝で挑戦してみる? 何なら今からでも綺麗な回り方を教えてあげるわ」
「あはは……私は『回転木馬』くらいにしておきますよ」
「それ反則だから気を付けてね、兎さん」
「!」
「スピーカー直撃のホームラン、すごかったわ」
「一人の時、ボール無くしたくない、でも打撃練習はしたい、てな具合で上に向けて打ってたら、いつの間にかそれだけは得意になった、ってだけですよ。そういう神様も、七回、だったかな? 魂のダイビング、かっこよかったよ!」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。決勝、がんばってね」
「あいよ!」
「うわあ゛あ゛あ゛あああああぁぁぁん! ぢぐじょお゛お゛お゛お゛……!」
「ちッ……小煩いわね。実力はあるんだからもっと堂々となさい」
「づぎはっ、ぜっだい゛、がづがら゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁ……!」
「フン……上等よ」
「神様、ありがとうございましたっ!」
「うんうん、こちらこそ! にしてもお姉さん、おっきいねー」
「ああ、はい! でもこれ、動き辛くて結構大変なんですよ?」
「おっぱいの話じゃねえよ!」
「いやあ、負けたよ萃香。いいチームだね」
「でしょ? 私の自慢のチームメイト達さ!」
「決勝、勝ちなよ」
「ははっ! モチのロン子ちゃんだよ!」
「ありがとう、霊夢」
「ん」
「一つ聞いていいかしら?」
「何?」
「野球は好き?」
「……決まり切ったことを聞かないでよ」
握手をし、またはハグをし、はたまた拳をこつんとぶつけ合い――笑顔があり、泣き顔があり、勇壮な顔がある。
そこにある様々な顔は、この四時間弱がいかに濃い時間だったかを物語っていた。
「フランさん、あ……ううん、フラン、今日は本当にありがとうございました!」
「ありがとうございましたっ! 早苗のチームの分まで、決勝も絶対勝つからね! ……早苗?」
「……ごめん、なさい。へへ、負けても、泣かないって、決めてた……はずなんだけど……」
「ね、早苗っ!」
「ん……」
「次やる時も、打たせないよ!」
「ぐすっ……私だって、今度こそ打つんだから!」
客席からは割れんばかりの拍手が鳴り響いていて、素晴らしい試合を見せてくれた選手たちを労い讃えている。
そして選手たちは、そんな客席の各方面に向かってキャプテンを中心に「ありがとうございました!」と繰り返し挨拶をした。
「……さて、と。次は私達の番ね」
「うん。じゃあみんな、行こう!」
「ええ、行きましょう」
「さあ橙、練習の成果を見せるときだな!」
「はいっ!」
「ねえ、こいし」
「ん、何? お姉ちゃん」
「フランちゃんが見てるわよ」
「ん」
――決勝で会おうね!
「何て言ってた?」
「お姉様大好き、だってさ!」
「!」
《試合結果》
フランドリームス 5-3 守矢シャイニングバーニングライトニングス
《フランドリームス》
①フランドール・スカーレット(右投右打)右翼手→投手 5打数1安打1打点
②紅 美鈴(右投右打)二塁手 5打数1安打1打点
③風見 幽香(右投左打)中堅手 4打数0安打1死球
④伊吹 萃香(右投右打)一塁手 3打数1安打1本塁打1打点1四球
⑤藤原 妹紅(右投右打)左翼手 3打数1安打1本塁打1打点1死球
⑥霧雨 魔理沙(右投右打)三塁手 4打数3安打
⑦鈴仙・優曇華院・イナバ(右投左打)遊撃手 4打数1安打
⑧アリス・マーガトロイド(左投左打)投手→右翼手 1打数0安打2犠打1打点1四球
⑨パチュリー・ノーレッジ(右投右打)捕手 4打数1安打
《守矢シャイニングバーニングライトニングス》
①博麗 霊夢(右投右打)三塁手 4打数3安打1本塁打1打点
②秋 静葉(右投両打)一塁手 4打数1安打1打点
③秋 穣子(右投右打)右翼手 4打数1安打
④東風谷 早苗(右投右打)左翼手 4打数1安打1本塁打1打点
⑤比那名居 天子(左投左打)中堅手 3打数1安打
⑥鍵山 雛(右投右打)二塁手 2打数0安打1犠打
⑦河城 にとり(右投左打)遊撃手 3打数0安打
⑧八坂 神奈子(右投右打)捕手 3打数0安打
⑨洩矢 諏訪子(右投両打)投手 3打数1安打
「――やー、しっかし悔しいね。滑り出しは最高だっただけに」
「………」
「今更言っても仕方ないさね。さ、明日からまた練習だ」
「そうですね」
「神奈子のバッティングは特にねー」
「……うっさい、分かってるよ――……ん?」
「――早苗」
「あ、霊夢さん、どうしました?」
「………」
「さて……と。じゃあ早苗、霊夢。私らは先に行ってるよ」
「あ、はい」
「お先ー!」
「あの、霊夢さ――」
「……ありがとう」
「――! 霊夢、さん……」
「泣かないでよ。それより、これで終わりなんて言わないわよね」
「はい……!」
「言っとくけど、負けっぱなしで終わるなんて御免だからね」
「はい……はい……!」
「ねえ、早苗」
「……?」
「野球って、楽しいわね」
「――! はいっ!!」
続く
次の試合も楽しみだ
とても面白いんだけど、試合が終わった後の会話が誰が喋ってるか分からないとこが多かった・・
漫画で読みたいな
野球好きな自分にとって、各選手の動きや場面場面の心理描写が非常にわかりやすく、最初から最後まで本当に楽しく読めました。
ただ、一つ言わせてもらえれば、自分のように野球のルールや色々なプレーを知っているのならば問題ないのですが、そうじゃない人にとっては、場面を想像するのは難しいんじゃないかと思います。
題材が野球である以上仕方のないことだし、描写自体はすごく丁寧に書かれているので、これ以上どうしたらいいのか、と言われれば返す言葉は無いのですが…
でも、最後これだけは言わせてください。本当に面白かったです。作品に対する評価の少なさや点数を気にせず、どうかこの「野球しようよ」シリーズを完結させて下さい。
次回作を心待ちにしています。長文、失礼しました。
面白いと思える見事な作品です。
お身体に気をつけて最後まで頑張ってください。
次回も楽しみにしております。