「参った、これは参った……」
「そーなのかー」
緊張感に満ち溢れた弱々しい声と、緊張感など微塵も感じさせない呑気な声。
二人を取り巻く状況は何一つ変わらないのに、こうも対照的である。
「そーなのかってお前、これは結構、いや結構どころじゃないほどピンチなんだぞ?」
「おー?」
「……もういい」
どれだけ言っても理解してくれそうにない。
はあ、とため息一つこぼし霧雨魔理沙は地べたに腰を下ろす。ごつごつした岩肌でお尻が汚れてしまうが、今はそんなことを気にする気にもならない。
「休憩?」
座りこんだ魔理沙を見て、相変わらず呑気にルーミアは言う。
そしてそのままルーミアもぺたんと腰を下ろし、魔理沙に寄りかかった。
「重い」
「むっ、女の子に重いは失礼」
「ほー、お前がそんな事を気にかけるなんて意外だ」
「レディに対して年と体重の話は駄目ってアリスが言ってた」
「そーなのか」
「それわたしのー」
とりとめもない話が続く。
そのおかげで、魔理沙の中にあった不安や焦りという感情が若干やわらいだ。
しかし、いくら心が落ち着いたところで目の前の危機的状況が解決されるわけでないというのもまた事実。
また魔理沙の口からため息が零れる。
「ため息ばっかりだと幸せがバイバイするよ?」
「それでもため息が出ちゃう時だってあるのさ」
「そーなのかー」
「ふふっ、お前の声を聞いてると不思議と不安も紛れるな」
魔理沙がルーミアの頭をわしゃわしゃと撫でる。気持ち良かったのか、ルーミアは自分から頭をもっとすり寄せた。
さて、そんな二人の目の前には、うず高く積もった岩石と土砂。人っ子一人通る隙間も無く積み上がっている。これこそまさに魔理沙の頭痛の種なのだ。
「いいかルーミア。この岩が邪魔で、わたしたちはこの洞窟から脱出できなくなったわけだ」
「ほうほう」
偶然だった。魔理沙が紅魔の図書館から帰宅飛行している途中、霧の湖の近くの小高い丘の麓に洞窟を見つけたのは。つい最近までこんなもの無かったはず、と興味が惹かれた魔理沙はその洞窟を探検することにした。
そして翌日、装備を整えリュックを背負いレッツゴーと意気込んだ折、居候の妹分ルーミアが自分も行ってみたいと申し出て、急遽簡易装備をこしらえ二人で出発。魔理沙隊長とルーミア副隊長の二人編成となった探検隊は、意気揚々と洞窟に踏み込んだ。
そこでいきなり落盤。出入り口が完全に防がれ、一筋の日光も差し込むことのない真っ暗闇の状況、すなわち現状に至る。
「そういう訳で脱出不能なわたしたちだが、このままだと二人とも何も食べられなくなって死ぬ」
「ええっ!?」
唯一の光源である魔法のカンテラの明かりを頼りにルーミアの顔を見ながら魔理沙は言う。
するとルーミアは初めて焦った表情をし、うんうん唸って悩み始めた。
それが終わったかと思うと、何かを閃いたのかぱあっと顔が明るくなり、魔理沙の目をじっと見つめて一言。
「じゃあお腹減ったら魔理沙を食べる!」
「お前がそう言うと冗談に聞こえないな」
いや、別に冗談でも何でもないのかもしれない。
ルーミアは人喰い妖怪で、魔理沙は魔法が使えるだけのただの人間。
それでも魔理沙が食べられてしまう心配が無いのは、ルーミアが魔理沙に懐いているためと、現状人間以外でもお腹は満たせるから食べる必要が無いため。
つまり、必要に駆られれば、ということはありえるだろう。
「まあ、どの道このままじゃあ死ぬのは確実か」
探検用に水と食料は持ってきているが、まさかいきなり遭難するとは思っていなかったため、どれだけ切りつめてももって数日。
ルーミアに食べられなくとも、脱出できなければ餓死直行。その前に脱水症状で死ぬか。
ルーミアにしたって、魔理沙を食べたとしてその後の食料は何も無い。
「ルーミアだけは何としても助けないとな。わたしが巻きこんだわけだし。それにわたしだって死にたくはないしな。さて……」
「どうしたの?」
「ん、そろそろ行動する時間だってことさ」
「おーそーなのかー」
もう一度ルーミアの頭をわしゃわしゃと撫で、魔理沙は立ち上がる。
そして手にカンテラをぶら下げ、くるりと振り返った。奥には道が続いていそうだ。
「トンネルみたいに別の出口があればいいんだけどな。さあルーミア、行くぜ」
「うん!」
出口のないただの洞穴だったら、という想像はとりあえず隅に置いておく。
ごくりと唾を飲みこんで、魔理沙は第一歩を踏みしめた。
「いいか、手は絶対に離すなよ。それに水は……」
「分かってるよ。お水は大事に一口ずつ、でしょ?」
カンテラの明かりを頼りに少しずつ前を進む魔理沙とルーミア。
一歩前を行く魔理沙と、その斜め後ろにいるルーミアはしっかりと手をつないでいた。
暗闇の中ではぐれてしまったら合流するのにも一苦労。そんな事態は是が非でも避けたかった。
足元に注意して、一歩一歩確実に進む。緩い下り坂になっているようで、転ばないように余計に気を配らなければならなかった。
心労こそ溜まれど、なかなか前へは進めない。
「……よしルーミア。いったん休憩するか」
「うん」
手をつないだまま、二人は再び腰を下ろした。
まだ距離にして百メートル弱程度しか歩いていないだろう。
だが、出口がふさがっているショック、馴れない暗闇の洞窟での下り道、この先どれだけの距離があるのか分からない不安。それら全てが魔理沙の神経を予想以上に擦り減らしていた。
そのためひとまず心を落ち着けなおそうと、早めに一度目の休憩をとる。
と、魔理沙があれこれ気を揉んでいるのに対してルーミアはどこか緊張感に欠けていた。
「ねえ魔理沙」
「どうした?」
「もう少し魔理沙に近寄ってもいい?」
「いいよ」
「えへへ、やった」
ルーミアは朗らかに笑って、魔理沙にぎゅっと抱きつく。そして呑気に鼻歌など歌いだした。
呆れてしまったのは魔理沙。
「まったく、よくそんなに楽しそうでいられるな。こちとらこの暗闇で気が滅入りそうなのに……って、そりゃそうか」
言ってから気がついた。
その明るい性格にうっかり忘れてしまっていたが、この嬉しそうにひっついてくる妖怪はそういう妖怪なのだ。
日の光を嫌い、わずかな光をも塗り潰す完全なる暗闇を操る妖怪。
「宵闇の妖怪にしてみれば、これくらいの闇はどうってことないか。カンテラの光がある分、お前の闇より明るいくらいだもんな」
魔理沙がぼやくと、カンテラに照らされたルーミアは少しだけ考えるような素振りをしてから首を横に振った。
「闇の中はね、全部溶けるの。わたしがどこまでで、どこまでがわたしか分からない。全部一つになるの。わたしも溶けて、魔理沙も溶ける。今わたしたちはくっついて一つになってる」
「なるほど、分からん」
闇の哲学だろうか、魔理沙にはいまいち理解できなかった。
確かに視界の一切効かない闇の中ではまるで自分が闇に溶けてしまっているような感覚になることもある。
だがしかし、自分がルーミアにべったり抱きつかれている感覚はしっかりあるわけで、二人が一つに、なんてことはない。二人は二人だ。
「まあ、ルーミアが楽しいならそれでいいよ。そっちが楽しいと、わたしもなんだか楽しくなってくる。それと、悪かったな。こんな危ない目に巻き込んで」
「んーん、わたしが付いて行くって言ったんだから、魔理沙は悪くないよ」
「そう言ってもらえるとありがたいぜ……」
魔理沙は、抱きついてくるルーミアを優しく抱きしめかえした。
まとわりつく闇も、ルーミアだと思えば恐ろしくはない。気持ちも若干落ち着いてくる。
「真っ暗闇だと何にも見えないから困るよな。お前だってよく木にぶつかるんだろう?」
「それも闇の風物詩だよ。でも、どうしてもって言うなら『眼心』って書いた帯を目に巻くといいらしいよ」
「なんだそれ?」
「うーんとね、誰かに聞いたんだけどそうすれば目が見えなくても強いとか、『新兵衛』と『労賃』とか、でも狼には勝てないとかどうとか……」
「はははっ、益々何だそれ?」
何が可笑しいのか分からないが、とにかく可笑しくてたまらない。
闇に沈みそうになる心も、ルーミアという闇の中では浮上するようだ。
魔理沙が笑って、ルーミアも笑う。ひとしきり笑いあったところで、魔理沙はふいに何かを感じた。
「ん、どうしたの?」
「しっ、何か聞こえないか?」
魔理沙が人差し指を口に当てると、ルーミアもちょっと肩を強張らせた。
カンッ! カンッ!
静まり返った闇の洞窟の中、何らかの金属音が響いてくる。そう遠くではない。
「……様子を見に行ってみるか。手は離すなよ?」
「……うん」
ひそひそ声で会話して、しっかりと手をつないだまま二人は立ち上がる。
カンテラで道を照らしながら慎重に、今なお聞こえてくる金属音に向かって進む。
間違いなく誰かいる。それは果たして何者か、正体は不明。
十メートルほど進んだところで、道が曲がっていた。壁伝いに歩くと、つるはしを振りかざす後ろ姿が視界に入った。
そしてつるはしを持った後ろ姿も魔理沙とルーミアの気配に気付き、バッと振り返る。
「お、お前は……」
「貴女たちどうして……」
意外な人物の登場に、お互い目を丸くする。
ルーミアが、その人影に指をさした。
「あー、小悪魔だー」
ルーミアが指差すその先には、つるはしを持ち、頭に『安全第一』とあるライト付きヘルメットを装備した図書館の悪魔の姿があった。
「なるほどな。この辺りにはマジックアイテムの素材になる鉱石が、しかも地表付近に眠ってるらしいから、最近になってパチュリーに採掘を命じられたと」
「はい。それで一人で籠って採掘作業を」
「そーなのかー」
魔理沙、ルーミア、小悪魔の三人がカンテラを正面に置いて一列に座る。
そこで聞かされた、この洞窟の秘密。この洞窟は紅魔の図書館の主の意向によるものだった。
「どーりで見たことのない洞窟なわけだ。まさか最近になって掘られたとはな……ん、最近?」
最近掘り始めた。だから魔理沙はこの洞窟の存在を知らなかった。
それはいいとして、つまり小悪魔は
「最近掘り始めて、こんなに長い洞窟を作り上げたのか?」
魔理沙とルーミアが歩いてきた距離はおおよそ百メートル強。
しかも、魔理沙とルーミアが並んで両手を広げられるくらいの幅と、魔理沙が余裕で両手を挙げられるくらいの高さがある。
それだけの洞窟を、この小悪魔はここ最近で掘りきったというのか。たった一人で。
魔理沙が驚嘆していると、小悪魔はあっけからんとした顔で言った。
「はい、パチュリー様のご命令とあらばたとえ火の中、水の中、土の中。それに今回はご褒美もありますし」
「ご褒美?」
「ええ、良い鉱物一個につき頭を三回撫でてもらえます」
「…………」
魔理沙は言葉が出なかった。そもそも理解を超えていた。
まあ、よく訓練された小悪魔は主人に頭一回撫でられるだけで千里を走るとでも思っておこう。
魔理沙がそう自分に言い聞かせていると、カンテラの明かりに浮かぶ小悪魔の顔が突如妖艶な笑みを含む。
「それと、今回は特別ボーナスがありましてね……」
「特別ボーナス?」
「レアな鉱石を一個採るごとに、好きなところを十回撫でてもらえるというシステムでして。好きなところ。例えば……あうっ」
「やめんか。ルーミアの前で」
チョップが一発入る。
小悪魔の話はルーミアの教育上大変よろしくなさそうだ。
だが小悪魔は相変わらず妖艶な笑みを浮かべたままルーミアの方をちょいちょいと指差す。
「彼女、寝ちゃってますよ?」
「えっ?」
「くー……くー……」
話に飽きたのか、ルーミアは魔理沙の手を掴んだまま地べたに横たわって寝息をたてていた。
流石闇の妖怪はこんな闇の中にあってどこまでもマイペースを貫けるものだと感心半分呆れ半分の魔理沙だが、目の前の小悪魔も悪魔だけに闇の住人かと気付く。
こっちは闇の中にあっていつもよりテンションが高そうだった。
「それでですね、わたしはなんとレア鉱石を十個も見つけてしまったわけなのですが、これで百回撫でてもらえるとしてまず手始めに……」
妄想全開、嬉しそうに涎など垂らしてしまっている。
完全に色ボケ状態の淫魔に、魔理沙は小さく息を漏らした。
「撫でてもらうのはいいけど、それもこれも生きてここを出られたらの話だからな?」
「……はい?」
魔理沙の言葉に、小悪魔は我に返って小さく首をかしげた。
その反応が意外で、逆に魔理沙の方が驚いてしまった。
「お、お前気付いてなかったのか? 音くらいしただろう?」
「さあ、なにぶんさっきまで疲れすぎてうっかり寝落ちしてしまっていたもので。それで、生きてここを出られたらってどういう……」
「……説明するより、実際に見た方が早いな。ほらルーミア、起きろ」
「んー……?」
ルーミアの柔らかい頬をつつき、目を覚まさせた。
そしてそのまま立ち上がって、要領を得ない顔の小悪魔を連れて最初の場所に戻る。
暗い足元に馴れてきたことに加え、今度は小悪魔のヘッドライトのおかげで幾分か楽に歩くことができた。
そびえたつ岩と土砂が、魔理沙のカンテラと小悪魔のヘッドライトによって照らされる。
それと同時に、小悪魔の顔がスーッと青ざめた。
「こ、これは……」
「……さっき唯一の出入り口が落盤で閉ざされてな。洞窟も行き止まりだし、わたしたちは生き埋めの状態にある」
「えーっと、つまりそれは……」
一拍の間。
「こ、こなくそー! こんな石ころひとつじゃないけど、ツルハシで打ち砕いてやるぅ! 小悪魔専用ツルハシは伊達じゃない!」
若干訳のわからないことを口走りながら、小悪魔は出口を塞ぐ岩石に思いっきりツルハシを打ちつけた。
ボキッ!っと、ツルハシの柄が根元から折れた。小悪魔専用でもなんでもない市販のツルハシ、二週間の激務に耐えきれずここに散る。
さらに一拍の間。
「ど、どどどどどどどどうするんですか!? 大ピンチじゃないですか!? このままじゃ死んじゃいますよ! わたしまだ死にたくないですよ! パチュリー様ぁ!」
「分かったから落ち着け!」
「あうっ」
両肩を掴み鬼気迫る表情で詰めかけてくる小悪魔の脳天に再び魔理沙チョップ。
小悪魔はその場に崩れ、よよよと泣きだしてしまった。
「そんなぁ……ぐすんっ、こんな土の中で死ぬなんて嫌ですよぉ。ひぐっ、パチュリー様ぁ、死ぬなら貴女の胸の中がいいですぅ……うぐっ」
「わたしだって死にたくない。だから死なない方法を今考えているところだ」
腕を組んでじっと考える魔理沙。
そんな魔理沙を見て、涙を拭いながら小悪魔がポンと手を叩いた。
「ぐすっ……そうだ、魔理沙さんの魔法で出口を塞いでいる岩を吹き飛ばせばいいんじゃないですか? マスターなスパークでドカーンって」
「あー、それはわたしも考えた」
考えたんだがな、と魔理沙は続ける。
「落盤したってことは、地盤がそんなに強くないってこった。そんなところで威力の強い魔法をぶっぱなしたりしたら……」
「さらなる落盤を招く恐れが……」
「そういうこった。だからこの方法は一か八かの最後の手段にしておきたい」
はぁ、と大きなため息二つ。
ルーミアには幸せが逃げると言われたが、出てしまうものは仕方がない。
「せめて外と連絡が取れれば、誰かに助けてもらうこともできそうなんですけど……」
小悪魔のつぶやきに、今度は魔理沙が閃いた。
ぽんっ、と手を叩き小悪魔の顔を見る。
「そうだ、お前、パチュリーと通信みたいなことできないのか? 主従間で心と心がつながった念話みたいな」
「心をつなげるよりも体をつなげたいです」
「黙れ」
「ああんひどい。質問してきたのは魔理沙さんじゃないですか」
「誰もそんな回答期待しとらんわい」
ともあれ、外との連絡を取る手段は無さそうである。
これは最後の手段に頼る他ないかと、魔理沙がいよいよ覚悟を決めたところで、意外な伏兵が現れた。
「外とお話したいならできるよ」
魔理沙と手をつないでぼーっと立っていたルーミアが、眠たげな眼を擦りながら突然そんなことを言い出した。
そのあまりにも意外すぎる伏兵に、魔理沙も小悪魔も目を丸くする。
「えっ」
「ほ、本当ですか!?」
「うん。前にアリスに貰った魔法の糸電話があるよ。魔法の糸でどんな場所でも通話できるんだって」
そう言って、ルーミアはポケットから紙コップを一つ取りだした。
アリス、魔理沙と同じ魔法の森に暮らす人形遣いの魔法使い。
ルーミアのことをとても可愛がっており、よく一緒に遊んだり、お菓子を作ってあげたりしている。
なお、隙あらばルーミアの親権(姉権?)を魔理沙から奪取しようと企てているらしい。魔理沙の方はルーミアの親権など有しているとは思っていないのだが。
そんな彼女がルーミアに魔法の糸電話なるものをプレゼントしたらしい。現状ではのどから手が出るほど欲しい外との通信手段であるものの、魔理沙は思いっきり訝しんだ。
「……なあルーミア、これを貰った時、アリスのやつ何か言ってたか?」
「うーんと、確か『魔理沙に何かひどいことされそうになったらいつでも連絡してね。すぐに駆けつけるから』だったかな」
「何かって何だよ」
「何ってそりゃあナニでしょう」
「お前は黙れ。もうルーミアは起きてる」
小悪魔につっこみを入れた後、魔理沙はルーミアから紙コップを受け取った。
なるほど確かに微かな魔力を感じるマジックアイテムだ。糸はどこにも見えないが、まさに魔法の糸なのだろう。
動機はどうであれ、非常にタイムリーな道具である。ありがたく使わせてもらおうと思ったところで、疑問が一つ。
「なあ、これってどうやって使うんだ?」
試しに糸電話に向かって声を発してみるが、反応無し。
どうやら何か仕掛けがあるらしく、それが分からないと使えないらしい。
魔理沙に問われたルーミアは首をひねって考える。ぽつりぽつりと記憶を紡いでいった。
「確か合言葉があったはずなんだけど……魔理沙の名前が入ってた……き、げ……き、く、げ……キクラゲ魔理沙?」
「何だそりゃあ?」
自分の名前が入っているというだけで、アリスのことだからあまりいい予感はしない魔理沙。
だがここはルーミアの記憶だけが頼り。じっとルーミアが思い出すのを待つ。
「き、ど、う……ち、く……く、ど、う……うーん」
「頑張れ頑張れ」
一言一言に頭を悩ませるルーミアを応援する魔理沙。
そんな中、ルーミアの言葉を聞いてきた小悪魔がふと思いつきを口にした。
「もしかして『鬼畜外道魔理沙』だったりして」
「はははっ、そんなまさか……」
そのまさかだった。
魔理沙の持っていた紙コップが小悪魔の言葉に反応し、突如光輝いた。
そのあまりに突然の光に三人が目をくらませていると、紙コップから声が聞こえてくる。
『どうしたのルーミア!? 魔理沙に何かされたの!? どうぞ!』
間違いなく、アリスの声だった。
恐る恐る魔理沙が声をかける。
「……おい、鬼畜外道たあどういう意味だ? どうぞ」
『その声は魔理沙ね! ルーミアはどうしたの!? ルーミアに何かあったらただじゃおかないわよ! 七代先まで呪い殺すわ! どうぞ!』
「まあ予想通りの反応だな」
予想通り、アリスはカンカンだった。
冷静になるように説得するのも面倒なので、魔理沙はとにかく現状を伝えることにした。
思慮深いアリスのことだ。事情を話せば何だかんだ言ってきっときちんとした対処をしてくれるだろう。
大丈夫、アリスはできる子。
「いいか、要点だけ伝えるぞ。ルーミア、小悪魔、それとわたしの三人が洞窟に生き埋めになった。どこの洞窟かはパチュリーに聞けば分かるだろう。脱出のためにこっちでも努力するが、そっちからも力を貸してほしい。どうぞ」
『○☓□△ッ!!?』
「……この世のものとは思えない声だな」
もしかしたら、この闇の洞窟も黄泉へ続く道なのかもしれない。
不意に頭をよぎったこの言葉を胸にしまいつつ、魔理沙はうなり声にも似た音を出し続けるアリスに話を向けた。
「まず落ち着け。恨みごとならここを出た後いくらでも聞いてやるから、まずはルーミアを助けないと。どうぞ」
『………っ!!』
ルーミアの名にアリスは強い反応を示した。何が何でも助けるんだという決意を感じる。
芳しい傾向。もうひと押しと、魔理沙は小声でルーミアに言葉を促す。
「ルーミア、アリスに助けてって言うんだ」
「うん。アリスー助けてー」
あんまり危機感が籠ってはいない様子。どこまでもマイペースなやつ。
だがしかし、アリスには効果抜群だったようで。
『ルーミア! 待っててね、すぐに助けてあげるから!……魔理沙、ひとまず通信を切るわ。パチュリーのところへ行けばいいのよね? どうぞ』
「よろしく頼む。どうぞ」
こうも目論見通りにいくものかと内心驚きつつ、魔理沙は答えた。
それと同時に魔法の糸電話は光を失い、ただの紙コップに戻る。
魔理沙は立ち上がって、ルーミアと小悪魔の顔を見た。
「さて、とりあえずアリスたちが来てくれるのを待とう」
「おー!」
「はい」
希望が見えてきたことで、三人の顔に明るさが戻ってきていた。
もっとも、ルーミアは最初からずっと明るかったが。
一度目の通信が切れてから小一時間ほど。三人が水筒の水を一口飲んで喉を潤していると、ただの紙コップに戻っていた魔法の糸電話が再び輝き始め、声が聞こえてきた。
しかしその声の主はアリスではない。
『……魔理沙、聞こえる? 小悪魔もそこにいるのね? どうぞ』
「パ、パチュリー様! 不肖小悪魔ここにおりますー! 助けてくださいー!」
声の主は小悪魔の主、動かない大図書館パチュリー・ノーレッジ。
その声に頭の羽をパタパタと振り絶叫する小悪魔。返って来たのはため息まじりの声だった。
『うちの子はもう少し冷静な子だと思ってたんだけど、違ったかしら? どうぞ』
「あーお前んとこの悪魔な、暗闇の中にいるせいか少しテンションが高いらしい。どうぞ」
『あっそ』
心配しているのかしていないのか、パチュリーの返答は実に素っ気なかった。呆れているのだろうか。
しかし、一方パチュリーの隣にいる人物は気が気でないらしい。魔法の紙コップを奪い取った音が聞こえたかと思うと、苛立ちを隠すことのない声が伝わってきた。
『それで、魔理沙と小悪魔が無事なのは分かったけど、ルーミアは大丈夫なんでしょうね?不安がったりしてない? どうぞ』
「ああ平気さ。むしろ元気なくらいだ。今かわるよ」
魔理沙は持っていた紙コップをルーミアに渡し、アリスを元気づけてやるよう促した。
ルーミアは紙コップの光に照らされる中にっこり笑い、その声をアリスに伝えた。
「やっほ~アリス。この紙コップのおかげで助かったよ。ありがとー。どうぞー」
『ああ、良かった……』
心の底から安堵する声が聞こえてくる。アリスもまた、ルーミアのことを大事な妹として想っているのだ。
現状傍にいる姉貴分として、自分が頑張らなくてはと魔理沙は意気込む。
ルーミアから紙コップを受け取って、毅然とした面持ちで通信する。
「それで、何か策はあるのか? 力づくってわけにはいかないぞ? どうぞ」
『ええ分かっているわ。今わたしたちは閉ざされた入口のまん前にいるけど、このあたりの地盤は脆いみたいね。うちの悪魔には安全確認を第一に危なそうなら諦めてもいいって命令したつもりだったのだけど?』
「か、返す言葉もございません~」
再び通信相手がパチュリーに変わったところでやってきたなじりの言葉に、小悪魔は頭にかぶっている『安全第一』と書かれたヘルメットを両手で押さえ小さくなった。
まあ説教は後にして、今はとりあえず脱出のための算段をと魔理沙が伝えると、パチュリーの微かな笑い声が聞こえてきた。
『算段ならとっくに立ててあるわ。上手くいけば、もう少しでそっちに届くと思う』
「届く? 一体何が……って、うわ!?」
出入り口を塞ぐ岩々の、小さな小さな隙間。その隙間からいきなり何かが現れた。
魔理沙はおそるおそるカンテラの明かりでそれを確認する。
「あー、アリスの人形だ」
呑気な声でそう言ったのはルーミア。そのまま人形を拾いあげる。
その弾みで、人形の手から小さな袋が落ちた。
「何だこりゃ?」
『どうやら届いたみたいね』
魔理沙が袋を拾うと同時に、パチュリーの声が伝わってくる。
一体どういうことなのか。魔理沙が事情の説明を求めると、相変わらず淡々とした声。
『いくら落盤で塞がれてるとは言っても、少しくらい中へ通じる隙間はあると思ったわ。だからアリスの人形でこっち側の隙間という隙間を調べさせたの。どうぞ』
「なるほど、それでこの人形が届いたわけか。で、この小袋は? どうぞ」
『そこから出るための算段よ。それを使っ……脱出し……い……』
「な、なんだ?」
今までスムーズに会話できていたのに、突然強いノイズが混じった。
魔理沙が驚いていると、通信相手がパチュリーからアリスに代わる。
「どうや……そっちの……魔力切……いね……ちゃん……ーミア……助け……」
ここで通信が途絶え、魔法の紙コップからも光が消えた。
直前の会話でかろうじて聞き取れたアリスの言葉によると、こちら側の紙コップの魔力切れ。
確かめてみるとその通り、紙コップからは魔力が抜けてしまっていた。しかもアリス専用のチャージ式だったらしく、試しに魔理沙が魔力を込めても反応しない。
しかし、紙コップをもつ手と反対の手にはアリスとパチュリーが託してくれた希望がある。
魔理沙は『安全第一』ヘルメットを被った小悪魔と、アリスの人形を抱えるルーミアの顔を交互に見た。
「さあて、死なないためにも頑張るか!」
「「おー!」」
魔理沙が音頭をとると、二人もそれに呼応して拳を挙げた。
カンテラを前に、魔理沙、ルーミア、小悪魔は並んで地べたに腰を下ろす。
アリスとパチュリーが届けてくれた小袋には、小さな紙と小さな石ころが入っていた。
カンテラの明かりを頼りに文字をたどるが、この暗い環境で、字にはかなりのクセがあり、おまけに走り書き。
「ん~、何て書いてあるんだ?」
「ちょっと貸して下さい。あー、これはパチュリー様の字ですね。わたしが読みましょう」
「こんな字が読めるのか?」
「長い付き合いですから。お互いのあんなことやこんなことまで知り尽くした仲です」
魔理沙チョップ再び。
まったくどうしてこの悪魔はルーミアの教育上よろしく無さそうなことをのうのうと言えるのか。
一方でルーミアは、難しい話に興味は無いと言わんばかりに人形の髪をいじって遊んでいた。
アリスやパチュリーに助力してもらったとはいえまだ一抹の不安を抱えている自分の方がおかしいかと勘違いしそうになる。
そんな魔理沙の心情露知らず、ルーミアは人形をぎゅっとだきしめている。その頭を撫でていると、チョップを喰らって頭を押さえていた小悪魔が紙切れの文字を読み上げ始めた。
「魔理沙へ、この紙と一緒に入っている石は脱出用マジックアイテムの素材。その名も『エセレーム石』(命名者はわたし)。マジックアイテムは使用者自身が作らないと意味が無い。レシピは裏に書いてある。せいぜい頑張りなさい。とのことです」
「……普段から無愛想なやつは文章も無愛想なんだな」
箇条書きのような文章に小悪魔も苦笑する。言葉にはしないものの無愛想さは認めているようだ。
ともあれ、現状ではこの無愛想な紙切れと、曰く脱出用マジックアイテムの素材であるという石ころだけが頼り。
魔理沙が促し、小悪魔はレシピが書いてある裏側を見た。
「えーっと、手順①エセレーム石を粉末状に砕く」
「おう。ルーミア、ちょっとそこの折れたツルハシ取ってくれ。手を切らないように気を付けてな」
「はーい」
ルーミアに折れたツルハシを取ってもらっている間に、魔理沙はリュックの中をがさごそと探る。
中からは探検用に持ってきていた携帯用の小さな鍋を取り出した。そこにエセレーム石とやらを入れる。
カランコロンという音が洞窟内に響いた。
「はいツルハシ。魔理沙も手を切らないでね」
「ありがとな」
ツルハシを受け取り、根元から折れて短くなった柄を握る。
鍋が動かないよう両足の裏で固定し、その中にある石ころに狙いを定めた。
「そらよっと」
カンッ、カンッ、と何度か軽く叩いて石ころを割った。
柔らかい石だったらしく。特に苦労も無く細かく砕くことができた。
「次はどうするんだ?」
「手順②砕いたエセレーム石を器に入れ水に浸す。水量は適当でいい」
「水か……」
ふむっ、と魔理沙は鼻を鳴らす。
水なら手元にある。だがその水は、この状況で命を繋ぐ貴重な代物。
「迷ってても仕方ないか」
魔理沙は水筒の蓋を開け、鍋をそのまま器にして水を注いだ。
できるだけ使いすぎないよう、慎重に慎重に。
「水ならわたしの水筒の水を使えばよかったのに。わたしなら水が足りなくても魔理沙さんより耐えられますよ?」
「いやいいんだ。どうせこれに失敗したら水があっても無くてもどうしようもないしな」
「そーなのかー」
割と真剣な会話をしていたつもりだったのだが、ルーミアの一声で途端に気が抜けてしまった。
こいつはきちんと考えて生きているのかねとも思いたくなる魔理沙だったが、それでもまあいいかと一人納得する。
深刻な顔や悲しい顔をするルーミアというのは、どうも似つかわしくない。楽しく笑っていてくれた方が嬉しい。
「さて、手順②までは順調だけど、次は何だ?」
「あ、はい。うーんと、手順③エセレーム石を浸した水に、魔法使いの血と涙を一滴入れてかき混ぜる。血と涙はマジックアイテム使用者のものでなければいけない」
「……なんと?」
思わず聞き返した。
だが聞き返したところで何にもならないことは魔理沙自身一番よく分かっていた。
「血と、涙か……」
血一滴ならばなんとかなる。
サバイバルナイフを持参しているから、それで薄皮一枚切れば血の一滴も出よう。痛いのは嫌だが、この際我慢しなければならない。
問題は、涙。
「さあ魔理沙さん泣いてください。さあさあさあ! さあ泣くぞ、ほら泣くぞ、泣けぇ!」
「そんなんで泣けるか!」
いきなり涙を流せと言われて、はい分かりましたと涙を流せるような能力を魔理沙はもちあわせていない。
世の中には演技で本当に涙を流せるやつもいるらしいが、魔理沙にはそんな芸当到底できないのだ。
「とりあえず悲しいかったこととか悔しかったこととかを思い出してみては? 意外とポロッと涙が出るかもしれませんよ?」
「そんなこと言われてもなあ……」
まだそんなに長くない人生だが、悲しいことも悔しいこともあった。
じっと思い返してみる。
例えば、家との縁を切ったあの日とか、魔法の研究に行き詰って何の突破口も見えなかったあの日とか。
「……だめだ、気が沈むだけで涙は出ない」
「そうですか」
暗闇の中であまり快くない思い出を振り返ると、光の中にいるとき以上に気が滅入る。
ずーんとうなだれていると、後ろからちょいちょいと服を引っ張られた。
「……ルーミア?」
「ねえ、魔理沙は血と涙が必要なんでしょ?」
服を引っ張ってきたのは、アリスの人形で遊んでいたルーミア。
魔理沙が言葉も無く首を縦に振ると、ニコッと笑った。
「じゃあこうすればいいよ」
「……えっ?」
カンテラに照らされた笑顔に一瞬気を取られたその間隙、ルーミアは勢いよく魔理沙の左腕の袖を捲った。
抱えていた人形を脇に置き、両手でがっちりと掴み、ゆっくりと顔を近付け、そして
「――ガブッ」
「いっ!?」
ルーミアの鋭い牙が、魔理沙の腕に突き立った。
一応加減はしており、肉を食いちぎるほどの力は入れていないが、魔理沙にはそんなことを気にする余裕は無い。
痛い。とにかく痛い。
「のおおお……」
「ごちそうさまでした」
「あ、涙出てきましたねー。よいしょっと」
左腕を押さえながら、言葉にならない呻き声を発し、体中から汗を吹き出して小刻みに震えている魔理沙。
だがルーミアは、腕から口を離し、お行儀よく合掌するだけ。
小悪魔も小悪魔で、特に驚いた様子も無く鍋を持って魔理沙の目から零れた涙をキャッチした。
「あとは血ですね」
「魔理沙の腕からちょっとだけ流れてると思うよ」
「そうですか。じゃあ魔理沙さんちょっと手をどかしますねー」
小悪魔が魔理沙の腕を確認すると、なるほどルーミアに噛まれた傷口から血が滲んでいた。
これは痛いだろうなあと思いながら、人差し指で血を一滴すくって、そのままその指で鍋の中をかき混ぜた。
しばらくして、ようやく魔理沙が痛みから復帰した。まだ涙目になっている。
「る、ルーミアお前、噛むんならせめて一言言ってから……」
「ごめんね、いきなりやった方がびっくりして泣きやすいかなって思って。でも、えへへ、魔理沙美味しい」
「ぐう……」
口元についていた魔理沙の血を舌で舐めとりながら笑顔でそんなことを言う。
ちょっと色っぽくもあるその様に、魔理沙は大きくため息をついて苦笑い。
「この先お前に食べられないか不安だぜ」
「あはは、食べないよー。だから追い出さないでね」
端から見ていたら洒落では済まないような気もするこんな会話を、二人はくっつき合って笑いながら交わす。それだけお互い信頼し合っているということか。
ただ、この場にいる唯一の第三者も、この会話にゾッとするどころかキラキラと目を輝かせている。
「ああ、素敵な倒錯的愛情……わたしもいつかパチュリー様と……」
「やかましいわ。そんなこと言ってないで次の手順」
「あうっ!」
隙あらば教育上よろしくない方向に話が流れてしまう悪魔を何度目かの手刀で制す。
頭を擦りながら、小悪魔は紙切れの内容を読んだ。
「む、どうやらこれで最後のようですね。手順④今まで混ぜた物を火にかけ、水分を全て蒸発させる。残った滓が魔理沙の血と涙を吸ってマジックアイテムとなっているから、持ちやすいように最初の袋にでも入れる。そこに魔理沙の魔力を込めれば、脱出は可能」
「良かった、山場は越えたみたいだな」
「そーなのかー」
火にかけるのは簡単なこと。ポケットからミニ八卦炉を取り出す。
常に持ち歩いているこれを出力最小にすれば、鍋を煮るくらい朝飯前。
ただ、鍋を火にかけてほうっと一息ついたところで、魔理沙は首をかしげた。
「そう言えば、このマジックアイテムにはどんな効果があるんだ?」
「言われてみればそうですね。この紙には脱出可能としか書いてありませんし、まさか書き忘れ? あのパチュリー様がそんな単純なミスをするはずが……」
パチュリーを信頼する分小悪魔も首をかしげ、魔理沙はさらに考え込んでしまった。
一番大事な部分のはずが、何故か紙切れでは一切言及されていない。疑い出すとキリがないが、どうしてもふつふつと不安が湧いてしまう。
別にパチュリーのことを信頼していないわけではない。しかし、どうしても不安が残る。暗闇の中だと、なおさら。
ここに来て魔法の糸電話が魔力切れになったのは痛い。もう一度パチュリーとコンタクトが取れれば、こんな不安もすぐさま消える。
ややもすれば不安の悪循環に陥ってしまうところを止めたのは、人形を抱えたルーミア。
「パチュリーの教えてくれた魔法なんだから大丈夫だよ。アリスだって外で待っててくれるんだし。きっとうっかり書き忘れただけだよ」
闇の中にあって不安が拭いきれない魔理沙とも、闇の中にあって気分が高揚している小悪魔とも違う。
闇の中にあってルーミアだけが変わらない。どこまでもマイペース。
闇はルーミアの心を惑わす存在たりえない。それだけルーミアが頼もしく見える。
「そうだな、どんだけ心配したって始まらないもんな」
「それもそうですね」
魔理沙の手、それと小悪魔の手も、ルーミアの頭をそっと撫でる。
ルーミアが気持ちよさそうにはにかんだところで、鍋の中を確認する。もう水気はほとんど飛んでいた。
ミニ八卦炉を止め、冷めるのを待ってから小袋に詰める。
袋の口を締めて魔理沙が右手に持つと、じんわりと温かかった。余熱か、はたまたマジックアイテムとしての性質か。
「よし、今からこのマジックアイテムを使う。念のため、二人はわたしから離れていてくれ」
ルーミアのおかげで不安は飛んだ。それでも石橋は叩いておくに越したことは無い。
だがしかし、ルーミアも、小悪魔も、魔理沙の言葉には従わなかった。
「お前ら……」
「だって暗闇の中ではしっかりとくっついていないといけないんでしょ?」
「こうなったら一蓮托生ってやつですよ」
魔理沙の左手にルーミアの右手が、ルーミアの左手に小悪魔の右手がつながる。
それと、小悪魔は自身がかぶっていた『安全第一』ヘルメットをルーミアにかぶせてあげた。
「じゃあ、魔力を注ぐぞ」
「うん」
「はい」
ゆっくりと、魔理沙は自身の右手に魔力を集中させた。
「えっ、何だこれ!?」
「おおー?」
「ちょっと誰ですか!? いきなり飛ばないで下さいよ!」
洞窟内に三人の声が木霊する。突如として、三人は宙に浮かんでしまったのだ。
しかしこれは、誰かが空を飛ぼうとしたわけではなかった。
きっかけは魔理沙。おそるおそる魔力を注入していたとき、無意識の内に両足で踏ん張った。そのわずかな力で、三人とも宙に浮き上がってしまったのである。
「そうかパチュリーのやつ、『エセレーム石』ってそういうことか!」
「な、なんです!?」
なんとなく、魔理沙には合点がいった。
このマジックアイテムの効果は、周囲の重力を著しく弱めるもの。
重力という万人にかかる物理法則に関与されないことで空を飛ぶと言ったらあいつしかいない。
「このマジックアイテムは『似非』の『霊夢』だ! その素材の石だから『似非霊夢石』だ!……わあ!?」
「ぱ、パチュリー様ぁ! いくらなんでもそれは安直すぎますよ……きゃあ!?」
「そーなのかー……うわわっ!?」
自分の力で飛ぶのとは違った感覚に戸惑う三人。
だが幸いにして、三人とも宙に浮くこと自体は日常茶飯事。何とか態勢を整える。
「こんな低重力なら、落盤に押し潰されることは無い! わたしの魔法で出口を開けるから、二人はわたしを支えてくれ!」
「う、うん!」
「分かりました!」
魔理沙は出口に向かってミニ八卦炉を構える。
その背中を、ルーミアと小悪魔が押さえた。低重力化において魔法を放った反動で魔理沙が吹っ飛ばされないように。
「1、2の3で行くぜ!」
すうっ、と深く息を吸う。宣言は声質が肝心だ。
「1、2の3! 恋符――!!」
陽は西へ傾き、空には赤みもあまり残っていない無い。まもなく完全な夜。
アリスとパチュリーは、閉ざされた洞窟の前でずっと待っていた。
ただしその待ち方は、まったく対照的である。
「ああもう魔理沙ってば何やってるのかしら。はやく出てきなさいよ」
早口で独り言を言いながら、両腕を組み周囲を歩き回るアリス。
「ふぁあ……」
欠伸まじりに本を読み、じっと待っているパチュリー。
辺りが薄暗くなってきたので、魔法で明かりを点けた。
「よくもまあそんな平然としていられるわね。貴女の従者だってこの中にいるんでしょう? 心配じゃないの?」
「大丈夫よ。だってわたしが手を貸したんだもの。それに、魔法使いが中に一人いるのよ?まだ駆け出しの未熟者だけどこれくらい何とかするでしょ。今のわたしたちにできることは信じて待つことよ」
「むう……」
パチュリーの言う事にも一理ある。ここで焦っていたって何にもならないことは事実。
アリスはじっと眼を瞑り、心を落ち着かせようと努めてみる。
しかし、パチュリーはとんでもないことを言い出した。
「……あっ、マジックアイテムの効果を書いておくの忘れてた」
「駄目じゃないのよ! ……きゃあ!?」
怒ったアリスがパチュリーに詰め寄ろうとしたところで異変が起きた。
足に力を入れた瞬間、飛ぼうとしていたわけでもないのにアリスの体が宙に浮いた。
「これってまさか……!?」
「そのまさかのようね。一応洞窟の前からは少し離れた方がいいみたい」
パチュリーがのんびりと距離をとると、アリスも不慣れな無重力の中でそれに続いた。
次の瞬間、極太の光線が洞窟から噴き出した。
「外だー!」
「そーなのかー!」
「ついに出られたんですね!」
光線と、それに吹き飛ばされた岩石群の後、三人の人影が勢いよく洞窟から飛び出した。
直後、マジックアイテムの効果が切れ、衝撃と自重に耐えきれなくなった洞窟が崩落する。
その圧倒的な光景には、アリスもパチュリーも、そして飛び出してきた三人も、唖然とした顔をするしかなかった。
「……ルーミア!」
「わわっ!」
洞窟から飛び出した三人の内の一番小柄な人影を視界にとめて、アリスは勢いよく抱きついた。
目には安堵の涙を浮かべながら、『安全第一』ヘルメットで守られた頭をポンポンと優しく撫でた。
「ああ良かった……本当に無事で良かった……」
「アリスのおかげで助かったよ、ありがとうね。これ、アリスの人形」
「いいの……貴女が無事ならそれだけで……魔理沙……!」
「お、おう……」
ルーミアから人形を受け取り、潤んでいたアリスの目がルーミアと手をつないだままの魔理沙の方を見る。
その目は恐かった。実に、恐かった。
「確か恨みごとなら後でいくらでも聞いてやるって言ってたわよね……じゃあ、今後のルーミアの教育方針を含めて、たっぷり言わせてもらおうじゃない……」
「ああ、「こ、この度は本当にすいませんでしたぁ!!」
魔理沙は正直に頭を下げた。ルーミアを巻き込んで危険な目に遭わせてしまったのは事実だから。
しかしながら、この謝罪の声は魔理沙のものではない。魔理沙が声に出そうとした直前、別のところで頭を下げて謝罪している者がいたのだ。
そのあまりの大声に驚いて、魔理沙もアリスもルーミアも思わず声のする方、空へと顔を向けた。
「安全第一というパチュリー様の言いつけを守らなかったばかりか、無関係の人たちを巻き込んで、パチュリー様にまでご迷惑をおかけして……すいませんでしたぁ!」
空では、赤毛の悪魔が主人に全力で頭を下げていた。
暗闇から抜け出して、興奮気味だった思考も醒めきている。その冷静な思考で、本気で謝った。
一方、主人の方はぶすっとした表情で腕を組み、頭を下げる従者に背を向けている。
「それで、わたしの命令を無視してまで採掘して、何か成果は得たのかしら? 成果を得たのなら許してあげないことも無いわ。約束通りご褒美もあげる」
「あ、はいそれならレア鉱石が……ああっ、洞窟の中に置き忘れた……」
生き埋めになったこと、そしてその脱出劇に気が動転して、迂闊にもせっかく入手した鉱石を全て洞窟の中に置き去りにしてしまっていた。
時すでに遅し。その鉱石たちも今では崩れた洞窟の中、掘り出すのは不可能だろう。
「おまけに今回使ったあの石だけど、あれかなりの貴重品だったのよ? それを一個消費してしまったわ」
「か、返す言葉もございません……」
小悪魔は、観念した。
失態に続く失態。これはもう、契約を解かれてくににかえるしか無くなる。
いや、くににかえることもできず処刑されてしまうかもしれない。
恐ろしい想像が矢継ぎ早に頭をよぎり青ざめた顔をする小悪魔に、パチュリーはようやく振り返った。不敵な笑み。
「まあ、ちゃんと主人の元へ帰ってきた点は従者として評価してあげるわ。これはそのご褒美」
「……えっ?」
パチュリーは、小悪魔の顔をくいっと引き寄せ、自身の口を近付けた。
「あれ? 何、どうしたの?」
小悪魔たちの様子を見ていた三人の中で、ルーミアの視界だけが急に真っ暗になった。しかし別にルーミアが闇を展開したわけではない。
「その光景」だけは見せまいと、魔理沙とアリスの手がルーミアの両目を覆っていた。険悪なムードだった割には、両人とも考えることは同じだったのである。
「うちの馬鹿な従者が迷惑かけたわ! この埋め合わせはいつか必ず!」
「ご褒美」をあげた後、地上の三人に手を振るパチュリー。
そして、呆けた顔をした従者の頬をぺちぺちと叩いた。
「ほら行くわよ小悪魔、何ボーっとしてるの。そんなに汚れて、帰ったらまずお風呂ね。みっちり洗ってあげるわ。それと、今回の罰として明日からはきつい仕事を課すからそのつもりで」
「……はっ!? はいパチュリー様! 不肖小悪魔、どこまでもパチュリー様に付いていきます! 魔理沙さん、ルーミアさん、今日は本当にすいませんでした!」
紫の魔女と赤毛の悪魔は、紅魔館の方角へと飛んでいった。
残された三人。
しばらくの間を置いて、最初に口を開いたのは魔理沙。
「それでアリス、今日はルーミアを危ない目に遭わせて、アリスにも迷惑かけて、本当にすまなかった」
再度、深々と頭を下げる。
だが、アリスからの返答は意外すぎるほど意外。
「……はあ、もういいわ」
「えっ、だってお前……」
「もういいって言ってるの。あの二人にとんでもないもの見せつけられて、何だか怒る気持ちも萎えちゃったのよ。だから恨みごとはもうおしまい」
その代わり、とアリスは続ける。
「次にルーミアを危険な目に遭わせたら容赦しないわよ? そしたらルーミアはわたしが育てます」
何でそんなに母親っぽい言い方なんだ、とツッコミをいれそうになって、押しとどめる。
今日くらいは何を言われても口答えしないでおこう。アリスにも相当な心労をかけてしまったわけだし。
「二人ともー、暗いよー」
一段落ついたところで、空気を読んで黙っていたのか、ルーミアが声をあげた。
そこで二人はようやく、ルーミアの目を覆いっぱなしだったことに思い出す。
「しまった、悪い悪い」
「あ、ごめんなさい」
両人ともにルーミアの顔から手を離したところで、アリスはようやく気付いた。
何故か、ルーミアはずっと魔理沙と手をつないでいる。
「ねえ、どうして二人は手をつないでいるのかしら?」
「えーっとね、魔理沙がずっとわたしの傍にいろって言ったから」
「あー、そういえば大体くっついていたな」
ルーミアと魔理沙の返答に、アリスの眉がピクリと動いた。
ふーん、と意味深に頷いてから、ルーミアの肩を掴んで真っすぐ見据える。
「ねえルーミア、暗い中で魔理沙に何か変なことされなかった?」
「お前、普段からわたしをどんな目で見てるんだよ?」
「貴女は黙ってなさい」
「は、はい……」
声こそ荒げていないものの、射殺すようなアリスの凄みに押され、魔理沙は思わず縮こまってしまう。
ルーミアは洞窟の中で魔理沙との間に起こったことを思い返し、特に印象的だった三つのことをまとめて元気よく話した。
「暗い中で魔理沙とくっついて、二人で一つに溶け合って、魔理沙の味を知ったよ!」
「……っ!?」
次の瞬間には、既にアリスが魔理沙の胸倉を掴んでいた。
「うげ……ぢょ、アリズ……ぐ、ぐるじ……」
「あんたってやつは何なの? 人の皮を被った悪魔なの? 言いたいことがあったら言ってみなさいこのすけこまし!」
「い、言うがら……言うがらぁ……」
一から十まで全部説明してやるからとにかく離せ、と言いたいのに言えない。
洞窟の中ではぐれないためにくっついていたこと、ルーミア独自の闇の哲学のこと、そして血と涙採取のためにルーミアに噛まれたこと、何一つ説明できない。
ルーミアのはしょりすぎた説明で色々と勘違いしたアリスの攻めはそれほどまでに強烈だった。
結局、ルーミアがアリスを止めて、魔理沙が十回ほど懇切丁寧に説明をするまでアリスは収まらなかった。
その頃になると太陽は完全に西へ沈んでいた。
辺り一帯、闇の中。
「そーなのかー」
緊張感に満ち溢れた弱々しい声と、緊張感など微塵も感じさせない呑気な声。
二人を取り巻く状況は何一つ変わらないのに、こうも対照的である。
「そーなのかってお前、これは結構、いや結構どころじゃないほどピンチなんだぞ?」
「おー?」
「……もういい」
どれだけ言っても理解してくれそうにない。
はあ、とため息一つこぼし霧雨魔理沙は地べたに腰を下ろす。ごつごつした岩肌でお尻が汚れてしまうが、今はそんなことを気にする気にもならない。
「休憩?」
座りこんだ魔理沙を見て、相変わらず呑気にルーミアは言う。
そしてそのままルーミアもぺたんと腰を下ろし、魔理沙に寄りかかった。
「重い」
「むっ、女の子に重いは失礼」
「ほー、お前がそんな事を気にかけるなんて意外だ」
「レディに対して年と体重の話は駄目ってアリスが言ってた」
「そーなのか」
「それわたしのー」
とりとめもない話が続く。
そのおかげで、魔理沙の中にあった不安や焦りという感情が若干やわらいだ。
しかし、いくら心が落ち着いたところで目の前の危機的状況が解決されるわけでないというのもまた事実。
また魔理沙の口からため息が零れる。
「ため息ばっかりだと幸せがバイバイするよ?」
「それでもため息が出ちゃう時だってあるのさ」
「そーなのかー」
「ふふっ、お前の声を聞いてると不思議と不安も紛れるな」
魔理沙がルーミアの頭をわしゃわしゃと撫でる。気持ち良かったのか、ルーミアは自分から頭をもっとすり寄せた。
さて、そんな二人の目の前には、うず高く積もった岩石と土砂。人っ子一人通る隙間も無く積み上がっている。これこそまさに魔理沙の頭痛の種なのだ。
「いいかルーミア。この岩が邪魔で、わたしたちはこの洞窟から脱出できなくなったわけだ」
「ほうほう」
偶然だった。魔理沙が紅魔の図書館から帰宅飛行している途中、霧の湖の近くの小高い丘の麓に洞窟を見つけたのは。つい最近までこんなもの無かったはず、と興味が惹かれた魔理沙はその洞窟を探検することにした。
そして翌日、装備を整えリュックを背負いレッツゴーと意気込んだ折、居候の妹分ルーミアが自分も行ってみたいと申し出て、急遽簡易装備をこしらえ二人で出発。魔理沙隊長とルーミア副隊長の二人編成となった探検隊は、意気揚々と洞窟に踏み込んだ。
そこでいきなり落盤。出入り口が完全に防がれ、一筋の日光も差し込むことのない真っ暗闇の状況、すなわち現状に至る。
「そういう訳で脱出不能なわたしたちだが、このままだと二人とも何も食べられなくなって死ぬ」
「ええっ!?」
唯一の光源である魔法のカンテラの明かりを頼りにルーミアの顔を見ながら魔理沙は言う。
するとルーミアは初めて焦った表情をし、うんうん唸って悩み始めた。
それが終わったかと思うと、何かを閃いたのかぱあっと顔が明るくなり、魔理沙の目をじっと見つめて一言。
「じゃあお腹減ったら魔理沙を食べる!」
「お前がそう言うと冗談に聞こえないな」
いや、別に冗談でも何でもないのかもしれない。
ルーミアは人喰い妖怪で、魔理沙は魔法が使えるだけのただの人間。
それでも魔理沙が食べられてしまう心配が無いのは、ルーミアが魔理沙に懐いているためと、現状人間以外でもお腹は満たせるから食べる必要が無いため。
つまり、必要に駆られれば、ということはありえるだろう。
「まあ、どの道このままじゃあ死ぬのは確実か」
探検用に水と食料は持ってきているが、まさかいきなり遭難するとは思っていなかったため、どれだけ切りつめてももって数日。
ルーミアに食べられなくとも、脱出できなければ餓死直行。その前に脱水症状で死ぬか。
ルーミアにしたって、魔理沙を食べたとしてその後の食料は何も無い。
「ルーミアだけは何としても助けないとな。わたしが巻きこんだわけだし。それにわたしだって死にたくはないしな。さて……」
「どうしたの?」
「ん、そろそろ行動する時間だってことさ」
「おーそーなのかー」
もう一度ルーミアの頭をわしゃわしゃと撫で、魔理沙は立ち上がる。
そして手にカンテラをぶら下げ、くるりと振り返った。奥には道が続いていそうだ。
「トンネルみたいに別の出口があればいいんだけどな。さあルーミア、行くぜ」
「うん!」
出口のないただの洞穴だったら、という想像はとりあえず隅に置いておく。
ごくりと唾を飲みこんで、魔理沙は第一歩を踏みしめた。
「いいか、手は絶対に離すなよ。それに水は……」
「分かってるよ。お水は大事に一口ずつ、でしょ?」
カンテラの明かりを頼りに少しずつ前を進む魔理沙とルーミア。
一歩前を行く魔理沙と、その斜め後ろにいるルーミアはしっかりと手をつないでいた。
暗闇の中ではぐれてしまったら合流するのにも一苦労。そんな事態は是が非でも避けたかった。
足元に注意して、一歩一歩確実に進む。緩い下り坂になっているようで、転ばないように余計に気を配らなければならなかった。
心労こそ溜まれど、なかなか前へは進めない。
「……よしルーミア。いったん休憩するか」
「うん」
手をつないだまま、二人は再び腰を下ろした。
まだ距離にして百メートル弱程度しか歩いていないだろう。
だが、出口がふさがっているショック、馴れない暗闇の洞窟での下り道、この先どれだけの距離があるのか分からない不安。それら全てが魔理沙の神経を予想以上に擦り減らしていた。
そのためひとまず心を落ち着けなおそうと、早めに一度目の休憩をとる。
と、魔理沙があれこれ気を揉んでいるのに対してルーミアはどこか緊張感に欠けていた。
「ねえ魔理沙」
「どうした?」
「もう少し魔理沙に近寄ってもいい?」
「いいよ」
「えへへ、やった」
ルーミアは朗らかに笑って、魔理沙にぎゅっと抱きつく。そして呑気に鼻歌など歌いだした。
呆れてしまったのは魔理沙。
「まったく、よくそんなに楽しそうでいられるな。こちとらこの暗闇で気が滅入りそうなのに……って、そりゃそうか」
言ってから気がついた。
その明るい性格にうっかり忘れてしまっていたが、この嬉しそうにひっついてくる妖怪はそういう妖怪なのだ。
日の光を嫌い、わずかな光をも塗り潰す完全なる暗闇を操る妖怪。
「宵闇の妖怪にしてみれば、これくらいの闇はどうってことないか。カンテラの光がある分、お前の闇より明るいくらいだもんな」
魔理沙がぼやくと、カンテラに照らされたルーミアは少しだけ考えるような素振りをしてから首を横に振った。
「闇の中はね、全部溶けるの。わたしがどこまでで、どこまでがわたしか分からない。全部一つになるの。わたしも溶けて、魔理沙も溶ける。今わたしたちはくっついて一つになってる」
「なるほど、分からん」
闇の哲学だろうか、魔理沙にはいまいち理解できなかった。
確かに視界の一切効かない闇の中ではまるで自分が闇に溶けてしまっているような感覚になることもある。
だがしかし、自分がルーミアにべったり抱きつかれている感覚はしっかりあるわけで、二人が一つに、なんてことはない。二人は二人だ。
「まあ、ルーミアが楽しいならそれでいいよ。そっちが楽しいと、わたしもなんだか楽しくなってくる。それと、悪かったな。こんな危ない目に巻き込んで」
「んーん、わたしが付いて行くって言ったんだから、魔理沙は悪くないよ」
「そう言ってもらえるとありがたいぜ……」
魔理沙は、抱きついてくるルーミアを優しく抱きしめかえした。
まとわりつく闇も、ルーミアだと思えば恐ろしくはない。気持ちも若干落ち着いてくる。
「真っ暗闇だと何にも見えないから困るよな。お前だってよく木にぶつかるんだろう?」
「それも闇の風物詩だよ。でも、どうしてもって言うなら『眼心』って書いた帯を目に巻くといいらしいよ」
「なんだそれ?」
「うーんとね、誰かに聞いたんだけどそうすれば目が見えなくても強いとか、『新兵衛』と『労賃』とか、でも狼には勝てないとかどうとか……」
「はははっ、益々何だそれ?」
何が可笑しいのか分からないが、とにかく可笑しくてたまらない。
闇に沈みそうになる心も、ルーミアという闇の中では浮上するようだ。
魔理沙が笑って、ルーミアも笑う。ひとしきり笑いあったところで、魔理沙はふいに何かを感じた。
「ん、どうしたの?」
「しっ、何か聞こえないか?」
魔理沙が人差し指を口に当てると、ルーミアもちょっと肩を強張らせた。
カンッ! カンッ!
静まり返った闇の洞窟の中、何らかの金属音が響いてくる。そう遠くではない。
「……様子を見に行ってみるか。手は離すなよ?」
「……うん」
ひそひそ声で会話して、しっかりと手をつないだまま二人は立ち上がる。
カンテラで道を照らしながら慎重に、今なお聞こえてくる金属音に向かって進む。
間違いなく誰かいる。それは果たして何者か、正体は不明。
十メートルほど進んだところで、道が曲がっていた。壁伝いに歩くと、つるはしを振りかざす後ろ姿が視界に入った。
そしてつるはしを持った後ろ姿も魔理沙とルーミアの気配に気付き、バッと振り返る。
「お、お前は……」
「貴女たちどうして……」
意外な人物の登場に、お互い目を丸くする。
ルーミアが、その人影に指をさした。
「あー、小悪魔だー」
ルーミアが指差すその先には、つるはしを持ち、頭に『安全第一』とあるライト付きヘルメットを装備した図書館の悪魔の姿があった。
「なるほどな。この辺りにはマジックアイテムの素材になる鉱石が、しかも地表付近に眠ってるらしいから、最近になってパチュリーに採掘を命じられたと」
「はい。それで一人で籠って採掘作業を」
「そーなのかー」
魔理沙、ルーミア、小悪魔の三人がカンテラを正面に置いて一列に座る。
そこで聞かされた、この洞窟の秘密。この洞窟は紅魔の図書館の主の意向によるものだった。
「どーりで見たことのない洞窟なわけだ。まさか最近になって掘られたとはな……ん、最近?」
最近掘り始めた。だから魔理沙はこの洞窟の存在を知らなかった。
それはいいとして、つまり小悪魔は
「最近掘り始めて、こんなに長い洞窟を作り上げたのか?」
魔理沙とルーミアが歩いてきた距離はおおよそ百メートル強。
しかも、魔理沙とルーミアが並んで両手を広げられるくらいの幅と、魔理沙が余裕で両手を挙げられるくらいの高さがある。
それだけの洞窟を、この小悪魔はここ最近で掘りきったというのか。たった一人で。
魔理沙が驚嘆していると、小悪魔はあっけからんとした顔で言った。
「はい、パチュリー様のご命令とあらばたとえ火の中、水の中、土の中。それに今回はご褒美もありますし」
「ご褒美?」
「ええ、良い鉱物一個につき頭を三回撫でてもらえます」
「…………」
魔理沙は言葉が出なかった。そもそも理解を超えていた。
まあ、よく訓練された小悪魔は主人に頭一回撫でられるだけで千里を走るとでも思っておこう。
魔理沙がそう自分に言い聞かせていると、カンテラの明かりに浮かぶ小悪魔の顔が突如妖艶な笑みを含む。
「それと、今回は特別ボーナスがありましてね……」
「特別ボーナス?」
「レアな鉱石を一個採るごとに、好きなところを十回撫でてもらえるというシステムでして。好きなところ。例えば……あうっ」
「やめんか。ルーミアの前で」
チョップが一発入る。
小悪魔の話はルーミアの教育上大変よろしくなさそうだ。
だが小悪魔は相変わらず妖艶な笑みを浮かべたままルーミアの方をちょいちょいと指差す。
「彼女、寝ちゃってますよ?」
「えっ?」
「くー……くー……」
話に飽きたのか、ルーミアは魔理沙の手を掴んだまま地べたに横たわって寝息をたてていた。
流石闇の妖怪はこんな闇の中にあってどこまでもマイペースを貫けるものだと感心半分呆れ半分の魔理沙だが、目の前の小悪魔も悪魔だけに闇の住人かと気付く。
こっちは闇の中にあっていつもよりテンションが高そうだった。
「それでですね、わたしはなんとレア鉱石を十個も見つけてしまったわけなのですが、これで百回撫でてもらえるとしてまず手始めに……」
妄想全開、嬉しそうに涎など垂らしてしまっている。
完全に色ボケ状態の淫魔に、魔理沙は小さく息を漏らした。
「撫でてもらうのはいいけど、それもこれも生きてここを出られたらの話だからな?」
「……はい?」
魔理沙の言葉に、小悪魔は我に返って小さく首をかしげた。
その反応が意外で、逆に魔理沙の方が驚いてしまった。
「お、お前気付いてなかったのか? 音くらいしただろう?」
「さあ、なにぶんさっきまで疲れすぎてうっかり寝落ちしてしまっていたもので。それで、生きてここを出られたらってどういう……」
「……説明するより、実際に見た方が早いな。ほらルーミア、起きろ」
「んー……?」
ルーミアの柔らかい頬をつつき、目を覚まさせた。
そしてそのまま立ち上がって、要領を得ない顔の小悪魔を連れて最初の場所に戻る。
暗い足元に馴れてきたことに加え、今度は小悪魔のヘッドライトのおかげで幾分か楽に歩くことができた。
そびえたつ岩と土砂が、魔理沙のカンテラと小悪魔のヘッドライトによって照らされる。
それと同時に、小悪魔の顔がスーッと青ざめた。
「こ、これは……」
「……さっき唯一の出入り口が落盤で閉ざされてな。洞窟も行き止まりだし、わたしたちは生き埋めの状態にある」
「えーっと、つまりそれは……」
一拍の間。
「こ、こなくそー! こんな石ころひとつじゃないけど、ツルハシで打ち砕いてやるぅ! 小悪魔専用ツルハシは伊達じゃない!」
若干訳のわからないことを口走りながら、小悪魔は出口を塞ぐ岩石に思いっきりツルハシを打ちつけた。
ボキッ!っと、ツルハシの柄が根元から折れた。小悪魔専用でもなんでもない市販のツルハシ、二週間の激務に耐えきれずここに散る。
さらに一拍の間。
「ど、どどどどどどどどうするんですか!? 大ピンチじゃないですか!? このままじゃ死んじゃいますよ! わたしまだ死にたくないですよ! パチュリー様ぁ!」
「分かったから落ち着け!」
「あうっ」
両肩を掴み鬼気迫る表情で詰めかけてくる小悪魔の脳天に再び魔理沙チョップ。
小悪魔はその場に崩れ、よよよと泣きだしてしまった。
「そんなぁ……ぐすんっ、こんな土の中で死ぬなんて嫌ですよぉ。ひぐっ、パチュリー様ぁ、死ぬなら貴女の胸の中がいいですぅ……うぐっ」
「わたしだって死にたくない。だから死なない方法を今考えているところだ」
腕を組んでじっと考える魔理沙。
そんな魔理沙を見て、涙を拭いながら小悪魔がポンと手を叩いた。
「ぐすっ……そうだ、魔理沙さんの魔法で出口を塞いでいる岩を吹き飛ばせばいいんじゃないですか? マスターなスパークでドカーンって」
「あー、それはわたしも考えた」
考えたんだがな、と魔理沙は続ける。
「落盤したってことは、地盤がそんなに強くないってこった。そんなところで威力の強い魔法をぶっぱなしたりしたら……」
「さらなる落盤を招く恐れが……」
「そういうこった。だからこの方法は一か八かの最後の手段にしておきたい」
はぁ、と大きなため息二つ。
ルーミアには幸せが逃げると言われたが、出てしまうものは仕方がない。
「せめて外と連絡が取れれば、誰かに助けてもらうこともできそうなんですけど……」
小悪魔のつぶやきに、今度は魔理沙が閃いた。
ぽんっ、と手を叩き小悪魔の顔を見る。
「そうだ、お前、パチュリーと通信みたいなことできないのか? 主従間で心と心がつながった念話みたいな」
「心をつなげるよりも体をつなげたいです」
「黙れ」
「ああんひどい。質問してきたのは魔理沙さんじゃないですか」
「誰もそんな回答期待しとらんわい」
ともあれ、外との連絡を取る手段は無さそうである。
これは最後の手段に頼る他ないかと、魔理沙がいよいよ覚悟を決めたところで、意外な伏兵が現れた。
「外とお話したいならできるよ」
魔理沙と手をつないでぼーっと立っていたルーミアが、眠たげな眼を擦りながら突然そんなことを言い出した。
そのあまりにも意外すぎる伏兵に、魔理沙も小悪魔も目を丸くする。
「えっ」
「ほ、本当ですか!?」
「うん。前にアリスに貰った魔法の糸電話があるよ。魔法の糸でどんな場所でも通話できるんだって」
そう言って、ルーミアはポケットから紙コップを一つ取りだした。
アリス、魔理沙と同じ魔法の森に暮らす人形遣いの魔法使い。
ルーミアのことをとても可愛がっており、よく一緒に遊んだり、お菓子を作ってあげたりしている。
なお、隙あらばルーミアの親権(姉権?)を魔理沙から奪取しようと企てているらしい。魔理沙の方はルーミアの親権など有しているとは思っていないのだが。
そんな彼女がルーミアに魔法の糸電話なるものをプレゼントしたらしい。現状ではのどから手が出るほど欲しい外との通信手段であるものの、魔理沙は思いっきり訝しんだ。
「……なあルーミア、これを貰った時、アリスのやつ何か言ってたか?」
「うーんと、確か『魔理沙に何かひどいことされそうになったらいつでも連絡してね。すぐに駆けつけるから』だったかな」
「何かって何だよ」
「何ってそりゃあナニでしょう」
「お前は黙れ。もうルーミアは起きてる」
小悪魔につっこみを入れた後、魔理沙はルーミアから紙コップを受け取った。
なるほど確かに微かな魔力を感じるマジックアイテムだ。糸はどこにも見えないが、まさに魔法の糸なのだろう。
動機はどうであれ、非常にタイムリーな道具である。ありがたく使わせてもらおうと思ったところで、疑問が一つ。
「なあ、これってどうやって使うんだ?」
試しに糸電話に向かって声を発してみるが、反応無し。
どうやら何か仕掛けがあるらしく、それが分からないと使えないらしい。
魔理沙に問われたルーミアは首をひねって考える。ぽつりぽつりと記憶を紡いでいった。
「確か合言葉があったはずなんだけど……魔理沙の名前が入ってた……き、げ……き、く、げ……キクラゲ魔理沙?」
「何だそりゃあ?」
自分の名前が入っているというだけで、アリスのことだからあまりいい予感はしない魔理沙。
だがここはルーミアの記憶だけが頼り。じっとルーミアが思い出すのを待つ。
「き、ど、う……ち、く……く、ど、う……うーん」
「頑張れ頑張れ」
一言一言に頭を悩ませるルーミアを応援する魔理沙。
そんな中、ルーミアの言葉を聞いてきた小悪魔がふと思いつきを口にした。
「もしかして『鬼畜外道魔理沙』だったりして」
「はははっ、そんなまさか……」
そのまさかだった。
魔理沙の持っていた紙コップが小悪魔の言葉に反応し、突如光輝いた。
そのあまりに突然の光に三人が目をくらませていると、紙コップから声が聞こえてくる。
『どうしたのルーミア!? 魔理沙に何かされたの!? どうぞ!』
間違いなく、アリスの声だった。
恐る恐る魔理沙が声をかける。
「……おい、鬼畜外道たあどういう意味だ? どうぞ」
『その声は魔理沙ね! ルーミアはどうしたの!? ルーミアに何かあったらただじゃおかないわよ! 七代先まで呪い殺すわ! どうぞ!』
「まあ予想通りの反応だな」
予想通り、アリスはカンカンだった。
冷静になるように説得するのも面倒なので、魔理沙はとにかく現状を伝えることにした。
思慮深いアリスのことだ。事情を話せば何だかんだ言ってきっときちんとした対処をしてくれるだろう。
大丈夫、アリスはできる子。
「いいか、要点だけ伝えるぞ。ルーミア、小悪魔、それとわたしの三人が洞窟に生き埋めになった。どこの洞窟かはパチュリーに聞けば分かるだろう。脱出のためにこっちでも努力するが、そっちからも力を貸してほしい。どうぞ」
『○☓□△ッ!!?』
「……この世のものとは思えない声だな」
もしかしたら、この闇の洞窟も黄泉へ続く道なのかもしれない。
不意に頭をよぎったこの言葉を胸にしまいつつ、魔理沙はうなり声にも似た音を出し続けるアリスに話を向けた。
「まず落ち着け。恨みごとならここを出た後いくらでも聞いてやるから、まずはルーミアを助けないと。どうぞ」
『………っ!!』
ルーミアの名にアリスは強い反応を示した。何が何でも助けるんだという決意を感じる。
芳しい傾向。もうひと押しと、魔理沙は小声でルーミアに言葉を促す。
「ルーミア、アリスに助けてって言うんだ」
「うん。アリスー助けてー」
あんまり危機感が籠ってはいない様子。どこまでもマイペースなやつ。
だがしかし、アリスには効果抜群だったようで。
『ルーミア! 待っててね、すぐに助けてあげるから!……魔理沙、ひとまず通信を切るわ。パチュリーのところへ行けばいいのよね? どうぞ』
「よろしく頼む。どうぞ」
こうも目論見通りにいくものかと内心驚きつつ、魔理沙は答えた。
それと同時に魔法の糸電話は光を失い、ただの紙コップに戻る。
魔理沙は立ち上がって、ルーミアと小悪魔の顔を見た。
「さて、とりあえずアリスたちが来てくれるのを待とう」
「おー!」
「はい」
希望が見えてきたことで、三人の顔に明るさが戻ってきていた。
もっとも、ルーミアは最初からずっと明るかったが。
一度目の通信が切れてから小一時間ほど。三人が水筒の水を一口飲んで喉を潤していると、ただの紙コップに戻っていた魔法の糸電話が再び輝き始め、声が聞こえてきた。
しかしその声の主はアリスではない。
『……魔理沙、聞こえる? 小悪魔もそこにいるのね? どうぞ』
「パ、パチュリー様! 不肖小悪魔ここにおりますー! 助けてくださいー!」
声の主は小悪魔の主、動かない大図書館パチュリー・ノーレッジ。
その声に頭の羽をパタパタと振り絶叫する小悪魔。返って来たのはため息まじりの声だった。
『うちの子はもう少し冷静な子だと思ってたんだけど、違ったかしら? どうぞ』
「あーお前んとこの悪魔な、暗闇の中にいるせいか少しテンションが高いらしい。どうぞ」
『あっそ』
心配しているのかしていないのか、パチュリーの返答は実に素っ気なかった。呆れているのだろうか。
しかし、一方パチュリーの隣にいる人物は気が気でないらしい。魔法の紙コップを奪い取った音が聞こえたかと思うと、苛立ちを隠すことのない声が伝わってきた。
『それで、魔理沙と小悪魔が無事なのは分かったけど、ルーミアは大丈夫なんでしょうね?不安がったりしてない? どうぞ』
「ああ平気さ。むしろ元気なくらいだ。今かわるよ」
魔理沙は持っていた紙コップをルーミアに渡し、アリスを元気づけてやるよう促した。
ルーミアは紙コップの光に照らされる中にっこり笑い、その声をアリスに伝えた。
「やっほ~アリス。この紙コップのおかげで助かったよ。ありがとー。どうぞー」
『ああ、良かった……』
心の底から安堵する声が聞こえてくる。アリスもまた、ルーミアのことを大事な妹として想っているのだ。
現状傍にいる姉貴分として、自分が頑張らなくてはと魔理沙は意気込む。
ルーミアから紙コップを受け取って、毅然とした面持ちで通信する。
「それで、何か策はあるのか? 力づくってわけにはいかないぞ? どうぞ」
『ええ分かっているわ。今わたしたちは閉ざされた入口のまん前にいるけど、このあたりの地盤は脆いみたいね。うちの悪魔には安全確認を第一に危なそうなら諦めてもいいって命令したつもりだったのだけど?』
「か、返す言葉もございません~」
再び通信相手がパチュリーに変わったところでやってきたなじりの言葉に、小悪魔は頭にかぶっている『安全第一』と書かれたヘルメットを両手で押さえ小さくなった。
まあ説教は後にして、今はとりあえず脱出のための算段をと魔理沙が伝えると、パチュリーの微かな笑い声が聞こえてきた。
『算段ならとっくに立ててあるわ。上手くいけば、もう少しでそっちに届くと思う』
「届く? 一体何が……って、うわ!?」
出入り口を塞ぐ岩々の、小さな小さな隙間。その隙間からいきなり何かが現れた。
魔理沙はおそるおそるカンテラの明かりでそれを確認する。
「あー、アリスの人形だ」
呑気な声でそう言ったのはルーミア。そのまま人形を拾いあげる。
その弾みで、人形の手から小さな袋が落ちた。
「何だこりゃ?」
『どうやら届いたみたいね』
魔理沙が袋を拾うと同時に、パチュリーの声が伝わってくる。
一体どういうことなのか。魔理沙が事情の説明を求めると、相変わらず淡々とした声。
『いくら落盤で塞がれてるとは言っても、少しくらい中へ通じる隙間はあると思ったわ。だからアリスの人形でこっち側の隙間という隙間を調べさせたの。どうぞ』
「なるほど、それでこの人形が届いたわけか。で、この小袋は? どうぞ」
『そこから出るための算段よ。それを使っ……脱出し……い……』
「な、なんだ?」
今までスムーズに会話できていたのに、突然強いノイズが混じった。
魔理沙が驚いていると、通信相手がパチュリーからアリスに代わる。
「どうや……そっちの……魔力切……いね……ちゃん……ーミア……助け……」
ここで通信が途絶え、魔法の紙コップからも光が消えた。
直前の会話でかろうじて聞き取れたアリスの言葉によると、こちら側の紙コップの魔力切れ。
確かめてみるとその通り、紙コップからは魔力が抜けてしまっていた。しかもアリス専用のチャージ式だったらしく、試しに魔理沙が魔力を込めても反応しない。
しかし、紙コップをもつ手と反対の手にはアリスとパチュリーが託してくれた希望がある。
魔理沙は『安全第一』ヘルメットを被った小悪魔と、アリスの人形を抱えるルーミアの顔を交互に見た。
「さあて、死なないためにも頑張るか!」
「「おー!」」
魔理沙が音頭をとると、二人もそれに呼応して拳を挙げた。
カンテラを前に、魔理沙、ルーミア、小悪魔は並んで地べたに腰を下ろす。
アリスとパチュリーが届けてくれた小袋には、小さな紙と小さな石ころが入っていた。
カンテラの明かりを頼りに文字をたどるが、この暗い環境で、字にはかなりのクセがあり、おまけに走り書き。
「ん~、何て書いてあるんだ?」
「ちょっと貸して下さい。あー、これはパチュリー様の字ですね。わたしが読みましょう」
「こんな字が読めるのか?」
「長い付き合いですから。お互いのあんなことやこんなことまで知り尽くした仲です」
魔理沙チョップ再び。
まったくどうしてこの悪魔はルーミアの教育上よろしく無さそうなことをのうのうと言えるのか。
一方でルーミアは、難しい話に興味は無いと言わんばかりに人形の髪をいじって遊んでいた。
アリスやパチュリーに助力してもらったとはいえまだ一抹の不安を抱えている自分の方がおかしいかと勘違いしそうになる。
そんな魔理沙の心情露知らず、ルーミアは人形をぎゅっとだきしめている。その頭を撫でていると、チョップを喰らって頭を押さえていた小悪魔が紙切れの文字を読み上げ始めた。
「魔理沙へ、この紙と一緒に入っている石は脱出用マジックアイテムの素材。その名も『エセレーム石』(命名者はわたし)。マジックアイテムは使用者自身が作らないと意味が無い。レシピは裏に書いてある。せいぜい頑張りなさい。とのことです」
「……普段から無愛想なやつは文章も無愛想なんだな」
箇条書きのような文章に小悪魔も苦笑する。言葉にはしないものの無愛想さは認めているようだ。
ともあれ、現状ではこの無愛想な紙切れと、曰く脱出用マジックアイテムの素材であるという石ころだけが頼り。
魔理沙が促し、小悪魔はレシピが書いてある裏側を見た。
「えーっと、手順①エセレーム石を粉末状に砕く」
「おう。ルーミア、ちょっとそこの折れたツルハシ取ってくれ。手を切らないように気を付けてな」
「はーい」
ルーミアに折れたツルハシを取ってもらっている間に、魔理沙はリュックの中をがさごそと探る。
中からは探検用に持ってきていた携帯用の小さな鍋を取り出した。そこにエセレーム石とやらを入れる。
カランコロンという音が洞窟内に響いた。
「はいツルハシ。魔理沙も手を切らないでね」
「ありがとな」
ツルハシを受け取り、根元から折れて短くなった柄を握る。
鍋が動かないよう両足の裏で固定し、その中にある石ころに狙いを定めた。
「そらよっと」
カンッ、カンッ、と何度か軽く叩いて石ころを割った。
柔らかい石だったらしく。特に苦労も無く細かく砕くことができた。
「次はどうするんだ?」
「手順②砕いたエセレーム石を器に入れ水に浸す。水量は適当でいい」
「水か……」
ふむっ、と魔理沙は鼻を鳴らす。
水なら手元にある。だがその水は、この状況で命を繋ぐ貴重な代物。
「迷ってても仕方ないか」
魔理沙は水筒の蓋を開け、鍋をそのまま器にして水を注いだ。
できるだけ使いすぎないよう、慎重に慎重に。
「水ならわたしの水筒の水を使えばよかったのに。わたしなら水が足りなくても魔理沙さんより耐えられますよ?」
「いやいいんだ。どうせこれに失敗したら水があっても無くてもどうしようもないしな」
「そーなのかー」
割と真剣な会話をしていたつもりだったのだが、ルーミアの一声で途端に気が抜けてしまった。
こいつはきちんと考えて生きているのかねとも思いたくなる魔理沙だったが、それでもまあいいかと一人納得する。
深刻な顔や悲しい顔をするルーミアというのは、どうも似つかわしくない。楽しく笑っていてくれた方が嬉しい。
「さて、手順②までは順調だけど、次は何だ?」
「あ、はい。うーんと、手順③エセレーム石を浸した水に、魔法使いの血と涙を一滴入れてかき混ぜる。血と涙はマジックアイテム使用者のものでなければいけない」
「……なんと?」
思わず聞き返した。
だが聞き返したところで何にもならないことは魔理沙自身一番よく分かっていた。
「血と、涙か……」
血一滴ならばなんとかなる。
サバイバルナイフを持参しているから、それで薄皮一枚切れば血の一滴も出よう。痛いのは嫌だが、この際我慢しなければならない。
問題は、涙。
「さあ魔理沙さん泣いてください。さあさあさあ! さあ泣くぞ、ほら泣くぞ、泣けぇ!」
「そんなんで泣けるか!」
いきなり涙を流せと言われて、はい分かりましたと涙を流せるような能力を魔理沙はもちあわせていない。
世の中には演技で本当に涙を流せるやつもいるらしいが、魔理沙にはそんな芸当到底できないのだ。
「とりあえず悲しいかったこととか悔しかったこととかを思い出してみては? 意外とポロッと涙が出るかもしれませんよ?」
「そんなこと言われてもなあ……」
まだそんなに長くない人生だが、悲しいことも悔しいこともあった。
じっと思い返してみる。
例えば、家との縁を切ったあの日とか、魔法の研究に行き詰って何の突破口も見えなかったあの日とか。
「……だめだ、気が沈むだけで涙は出ない」
「そうですか」
暗闇の中であまり快くない思い出を振り返ると、光の中にいるとき以上に気が滅入る。
ずーんとうなだれていると、後ろからちょいちょいと服を引っ張られた。
「……ルーミア?」
「ねえ、魔理沙は血と涙が必要なんでしょ?」
服を引っ張ってきたのは、アリスの人形で遊んでいたルーミア。
魔理沙が言葉も無く首を縦に振ると、ニコッと笑った。
「じゃあこうすればいいよ」
「……えっ?」
カンテラに照らされた笑顔に一瞬気を取られたその間隙、ルーミアは勢いよく魔理沙の左腕の袖を捲った。
抱えていた人形を脇に置き、両手でがっちりと掴み、ゆっくりと顔を近付け、そして
「――ガブッ」
「いっ!?」
ルーミアの鋭い牙が、魔理沙の腕に突き立った。
一応加減はしており、肉を食いちぎるほどの力は入れていないが、魔理沙にはそんなことを気にする余裕は無い。
痛い。とにかく痛い。
「のおおお……」
「ごちそうさまでした」
「あ、涙出てきましたねー。よいしょっと」
左腕を押さえながら、言葉にならない呻き声を発し、体中から汗を吹き出して小刻みに震えている魔理沙。
だがルーミアは、腕から口を離し、お行儀よく合掌するだけ。
小悪魔も小悪魔で、特に驚いた様子も無く鍋を持って魔理沙の目から零れた涙をキャッチした。
「あとは血ですね」
「魔理沙の腕からちょっとだけ流れてると思うよ」
「そうですか。じゃあ魔理沙さんちょっと手をどかしますねー」
小悪魔が魔理沙の腕を確認すると、なるほどルーミアに噛まれた傷口から血が滲んでいた。
これは痛いだろうなあと思いながら、人差し指で血を一滴すくって、そのままその指で鍋の中をかき混ぜた。
しばらくして、ようやく魔理沙が痛みから復帰した。まだ涙目になっている。
「る、ルーミアお前、噛むんならせめて一言言ってから……」
「ごめんね、いきなりやった方がびっくりして泣きやすいかなって思って。でも、えへへ、魔理沙美味しい」
「ぐう……」
口元についていた魔理沙の血を舌で舐めとりながら笑顔でそんなことを言う。
ちょっと色っぽくもあるその様に、魔理沙は大きくため息をついて苦笑い。
「この先お前に食べられないか不安だぜ」
「あはは、食べないよー。だから追い出さないでね」
端から見ていたら洒落では済まないような気もするこんな会話を、二人はくっつき合って笑いながら交わす。それだけお互い信頼し合っているということか。
ただ、この場にいる唯一の第三者も、この会話にゾッとするどころかキラキラと目を輝かせている。
「ああ、素敵な倒錯的愛情……わたしもいつかパチュリー様と……」
「やかましいわ。そんなこと言ってないで次の手順」
「あうっ!」
隙あらば教育上よろしくない方向に話が流れてしまう悪魔を何度目かの手刀で制す。
頭を擦りながら、小悪魔は紙切れの内容を読んだ。
「む、どうやらこれで最後のようですね。手順④今まで混ぜた物を火にかけ、水分を全て蒸発させる。残った滓が魔理沙の血と涙を吸ってマジックアイテムとなっているから、持ちやすいように最初の袋にでも入れる。そこに魔理沙の魔力を込めれば、脱出は可能」
「良かった、山場は越えたみたいだな」
「そーなのかー」
火にかけるのは簡単なこと。ポケットからミニ八卦炉を取り出す。
常に持ち歩いているこれを出力最小にすれば、鍋を煮るくらい朝飯前。
ただ、鍋を火にかけてほうっと一息ついたところで、魔理沙は首をかしげた。
「そう言えば、このマジックアイテムにはどんな効果があるんだ?」
「言われてみればそうですね。この紙には脱出可能としか書いてありませんし、まさか書き忘れ? あのパチュリー様がそんな単純なミスをするはずが……」
パチュリーを信頼する分小悪魔も首をかしげ、魔理沙はさらに考え込んでしまった。
一番大事な部分のはずが、何故か紙切れでは一切言及されていない。疑い出すとキリがないが、どうしてもふつふつと不安が湧いてしまう。
別にパチュリーのことを信頼していないわけではない。しかし、どうしても不安が残る。暗闇の中だと、なおさら。
ここに来て魔法の糸電話が魔力切れになったのは痛い。もう一度パチュリーとコンタクトが取れれば、こんな不安もすぐさま消える。
ややもすれば不安の悪循環に陥ってしまうところを止めたのは、人形を抱えたルーミア。
「パチュリーの教えてくれた魔法なんだから大丈夫だよ。アリスだって外で待っててくれるんだし。きっとうっかり書き忘れただけだよ」
闇の中にあって不安が拭いきれない魔理沙とも、闇の中にあって気分が高揚している小悪魔とも違う。
闇の中にあってルーミアだけが変わらない。どこまでもマイペース。
闇はルーミアの心を惑わす存在たりえない。それだけルーミアが頼もしく見える。
「そうだな、どんだけ心配したって始まらないもんな」
「それもそうですね」
魔理沙の手、それと小悪魔の手も、ルーミアの頭をそっと撫でる。
ルーミアが気持ちよさそうにはにかんだところで、鍋の中を確認する。もう水気はほとんど飛んでいた。
ミニ八卦炉を止め、冷めるのを待ってから小袋に詰める。
袋の口を締めて魔理沙が右手に持つと、じんわりと温かかった。余熱か、はたまたマジックアイテムとしての性質か。
「よし、今からこのマジックアイテムを使う。念のため、二人はわたしから離れていてくれ」
ルーミアのおかげで不安は飛んだ。それでも石橋は叩いておくに越したことは無い。
だがしかし、ルーミアも、小悪魔も、魔理沙の言葉には従わなかった。
「お前ら……」
「だって暗闇の中ではしっかりとくっついていないといけないんでしょ?」
「こうなったら一蓮托生ってやつですよ」
魔理沙の左手にルーミアの右手が、ルーミアの左手に小悪魔の右手がつながる。
それと、小悪魔は自身がかぶっていた『安全第一』ヘルメットをルーミアにかぶせてあげた。
「じゃあ、魔力を注ぐぞ」
「うん」
「はい」
ゆっくりと、魔理沙は自身の右手に魔力を集中させた。
「えっ、何だこれ!?」
「おおー?」
「ちょっと誰ですか!? いきなり飛ばないで下さいよ!」
洞窟内に三人の声が木霊する。突如として、三人は宙に浮かんでしまったのだ。
しかしこれは、誰かが空を飛ぼうとしたわけではなかった。
きっかけは魔理沙。おそるおそる魔力を注入していたとき、無意識の内に両足で踏ん張った。そのわずかな力で、三人とも宙に浮き上がってしまったのである。
「そうかパチュリーのやつ、『エセレーム石』ってそういうことか!」
「な、なんです!?」
なんとなく、魔理沙には合点がいった。
このマジックアイテムの効果は、周囲の重力を著しく弱めるもの。
重力という万人にかかる物理法則に関与されないことで空を飛ぶと言ったらあいつしかいない。
「このマジックアイテムは『似非』の『霊夢』だ! その素材の石だから『似非霊夢石』だ!……わあ!?」
「ぱ、パチュリー様ぁ! いくらなんでもそれは安直すぎますよ……きゃあ!?」
「そーなのかー……うわわっ!?」
自分の力で飛ぶのとは違った感覚に戸惑う三人。
だが幸いにして、三人とも宙に浮くこと自体は日常茶飯事。何とか態勢を整える。
「こんな低重力なら、落盤に押し潰されることは無い! わたしの魔法で出口を開けるから、二人はわたしを支えてくれ!」
「う、うん!」
「分かりました!」
魔理沙は出口に向かってミニ八卦炉を構える。
その背中を、ルーミアと小悪魔が押さえた。低重力化において魔法を放った反動で魔理沙が吹っ飛ばされないように。
「1、2の3で行くぜ!」
すうっ、と深く息を吸う。宣言は声質が肝心だ。
「1、2の3! 恋符――!!」
陽は西へ傾き、空には赤みもあまり残っていない無い。まもなく完全な夜。
アリスとパチュリーは、閉ざされた洞窟の前でずっと待っていた。
ただしその待ち方は、まったく対照的である。
「ああもう魔理沙ってば何やってるのかしら。はやく出てきなさいよ」
早口で独り言を言いながら、両腕を組み周囲を歩き回るアリス。
「ふぁあ……」
欠伸まじりに本を読み、じっと待っているパチュリー。
辺りが薄暗くなってきたので、魔法で明かりを点けた。
「よくもまあそんな平然としていられるわね。貴女の従者だってこの中にいるんでしょう? 心配じゃないの?」
「大丈夫よ。だってわたしが手を貸したんだもの。それに、魔法使いが中に一人いるのよ?まだ駆け出しの未熟者だけどこれくらい何とかするでしょ。今のわたしたちにできることは信じて待つことよ」
「むう……」
パチュリーの言う事にも一理ある。ここで焦っていたって何にもならないことは事実。
アリスはじっと眼を瞑り、心を落ち着かせようと努めてみる。
しかし、パチュリーはとんでもないことを言い出した。
「……あっ、マジックアイテムの効果を書いておくの忘れてた」
「駄目じゃないのよ! ……きゃあ!?」
怒ったアリスがパチュリーに詰め寄ろうとしたところで異変が起きた。
足に力を入れた瞬間、飛ぼうとしていたわけでもないのにアリスの体が宙に浮いた。
「これってまさか……!?」
「そのまさかのようね。一応洞窟の前からは少し離れた方がいいみたい」
パチュリーがのんびりと距離をとると、アリスも不慣れな無重力の中でそれに続いた。
次の瞬間、極太の光線が洞窟から噴き出した。
「外だー!」
「そーなのかー!」
「ついに出られたんですね!」
光線と、それに吹き飛ばされた岩石群の後、三人の人影が勢いよく洞窟から飛び出した。
直後、マジックアイテムの効果が切れ、衝撃と自重に耐えきれなくなった洞窟が崩落する。
その圧倒的な光景には、アリスもパチュリーも、そして飛び出してきた三人も、唖然とした顔をするしかなかった。
「……ルーミア!」
「わわっ!」
洞窟から飛び出した三人の内の一番小柄な人影を視界にとめて、アリスは勢いよく抱きついた。
目には安堵の涙を浮かべながら、『安全第一』ヘルメットで守られた頭をポンポンと優しく撫でた。
「ああ良かった……本当に無事で良かった……」
「アリスのおかげで助かったよ、ありがとうね。これ、アリスの人形」
「いいの……貴女が無事ならそれだけで……魔理沙……!」
「お、おう……」
ルーミアから人形を受け取り、潤んでいたアリスの目がルーミアと手をつないだままの魔理沙の方を見る。
その目は恐かった。実に、恐かった。
「確か恨みごとなら後でいくらでも聞いてやるって言ってたわよね……じゃあ、今後のルーミアの教育方針を含めて、たっぷり言わせてもらおうじゃない……」
「ああ、「こ、この度は本当にすいませんでしたぁ!!」
魔理沙は正直に頭を下げた。ルーミアを巻き込んで危険な目に遭わせてしまったのは事実だから。
しかしながら、この謝罪の声は魔理沙のものではない。魔理沙が声に出そうとした直前、別のところで頭を下げて謝罪している者がいたのだ。
そのあまりの大声に驚いて、魔理沙もアリスもルーミアも思わず声のする方、空へと顔を向けた。
「安全第一というパチュリー様の言いつけを守らなかったばかりか、無関係の人たちを巻き込んで、パチュリー様にまでご迷惑をおかけして……すいませんでしたぁ!」
空では、赤毛の悪魔が主人に全力で頭を下げていた。
暗闇から抜け出して、興奮気味だった思考も醒めきている。その冷静な思考で、本気で謝った。
一方、主人の方はぶすっとした表情で腕を組み、頭を下げる従者に背を向けている。
「それで、わたしの命令を無視してまで採掘して、何か成果は得たのかしら? 成果を得たのなら許してあげないことも無いわ。約束通りご褒美もあげる」
「あ、はいそれならレア鉱石が……ああっ、洞窟の中に置き忘れた……」
生き埋めになったこと、そしてその脱出劇に気が動転して、迂闊にもせっかく入手した鉱石を全て洞窟の中に置き去りにしてしまっていた。
時すでに遅し。その鉱石たちも今では崩れた洞窟の中、掘り出すのは不可能だろう。
「おまけに今回使ったあの石だけど、あれかなりの貴重品だったのよ? それを一個消費してしまったわ」
「か、返す言葉もございません……」
小悪魔は、観念した。
失態に続く失態。これはもう、契約を解かれてくににかえるしか無くなる。
いや、くににかえることもできず処刑されてしまうかもしれない。
恐ろしい想像が矢継ぎ早に頭をよぎり青ざめた顔をする小悪魔に、パチュリーはようやく振り返った。不敵な笑み。
「まあ、ちゃんと主人の元へ帰ってきた点は従者として評価してあげるわ。これはそのご褒美」
「……えっ?」
パチュリーは、小悪魔の顔をくいっと引き寄せ、自身の口を近付けた。
「あれ? 何、どうしたの?」
小悪魔たちの様子を見ていた三人の中で、ルーミアの視界だけが急に真っ暗になった。しかし別にルーミアが闇を展開したわけではない。
「その光景」だけは見せまいと、魔理沙とアリスの手がルーミアの両目を覆っていた。険悪なムードだった割には、両人とも考えることは同じだったのである。
「うちの馬鹿な従者が迷惑かけたわ! この埋め合わせはいつか必ず!」
「ご褒美」をあげた後、地上の三人に手を振るパチュリー。
そして、呆けた顔をした従者の頬をぺちぺちと叩いた。
「ほら行くわよ小悪魔、何ボーっとしてるの。そんなに汚れて、帰ったらまずお風呂ね。みっちり洗ってあげるわ。それと、今回の罰として明日からはきつい仕事を課すからそのつもりで」
「……はっ!? はいパチュリー様! 不肖小悪魔、どこまでもパチュリー様に付いていきます! 魔理沙さん、ルーミアさん、今日は本当にすいませんでした!」
紫の魔女と赤毛の悪魔は、紅魔館の方角へと飛んでいった。
残された三人。
しばらくの間を置いて、最初に口を開いたのは魔理沙。
「それでアリス、今日はルーミアを危ない目に遭わせて、アリスにも迷惑かけて、本当にすまなかった」
再度、深々と頭を下げる。
だが、アリスからの返答は意外すぎるほど意外。
「……はあ、もういいわ」
「えっ、だってお前……」
「もういいって言ってるの。あの二人にとんでもないもの見せつけられて、何だか怒る気持ちも萎えちゃったのよ。だから恨みごとはもうおしまい」
その代わり、とアリスは続ける。
「次にルーミアを危険な目に遭わせたら容赦しないわよ? そしたらルーミアはわたしが育てます」
何でそんなに母親っぽい言い方なんだ、とツッコミをいれそうになって、押しとどめる。
今日くらいは何を言われても口答えしないでおこう。アリスにも相当な心労をかけてしまったわけだし。
「二人ともー、暗いよー」
一段落ついたところで、空気を読んで黙っていたのか、ルーミアが声をあげた。
そこで二人はようやく、ルーミアの目を覆いっぱなしだったことに思い出す。
「しまった、悪い悪い」
「あ、ごめんなさい」
両人ともにルーミアの顔から手を離したところで、アリスはようやく気付いた。
何故か、ルーミアはずっと魔理沙と手をつないでいる。
「ねえ、どうして二人は手をつないでいるのかしら?」
「えーっとね、魔理沙がずっとわたしの傍にいろって言ったから」
「あー、そういえば大体くっついていたな」
ルーミアと魔理沙の返答に、アリスの眉がピクリと動いた。
ふーん、と意味深に頷いてから、ルーミアの肩を掴んで真っすぐ見据える。
「ねえルーミア、暗い中で魔理沙に何か変なことされなかった?」
「お前、普段からわたしをどんな目で見てるんだよ?」
「貴女は黙ってなさい」
「は、はい……」
声こそ荒げていないものの、射殺すようなアリスの凄みに押され、魔理沙は思わず縮こまってしまう。
ルーミアは洞窟の中で魔理沙との間に起こったことを思い返し、特に印象的だった三つのことをまとめて元気よく話した。
「暗い中で魔理沙とくっついて、二人で一つに溶け合って、魔理沙の味を知ったよ!」
「……っ!?」
次の瞬間には、既にアリスが魔理沙の胸倉を掴んでいた。
「うげ……ぢょ、アリズ……ぐ、ぐるじ……」
「あんたってやつは何なの? 人の皮を被った悪魔なの? 言いたいことがあったら言ってみなさいこのすけこまし!」
「い、言うがら……言うがらぁ……」
一から十まで全部説明してやるからとにかく離せ、と言いたいのに言えない。
洞窟の中ではぐれないためにくっついていたこと、ルーミア独自の闇の哲学のこと、そして血と涙採取のためにルーミアに噛まれたこと、何一つ説明できない。
ルーミアのはしょりすぎた説明で色々と勘違いしたアリスの攻めはそれほどまでに強烈だった。
結局、ルーミアがアリスを止めて、魔理沙が十回ほど懇切丁寧に説明をするまでアリスは収まらなかった。
その頃になると太陽は完全に西へ沈んでいた。
辺り一帯、闇の中。
そして小悪魔はいつもどおりで安心した
何かルーミアに惚れそうで自分が恐くなっちゃったよ。
母・アリス・姉・魔理紗・妹・ルーミアでいいじゃなん(いいじゃん
俺の口の中も甘いっす
>闇の中はね、全部溶けるの。わたしがどこまでで、どこまでがわたしか分からない。全部一つになるの。わたしも溶けて、魔理沙も溶ける。今わたしたちはくっついて一つになってる
深いな……
全体的に非常に読みやすくてよかったです